Home > Regulars > Forgotten Punk > #2:アナキストに煙草を
「それは決して責任逃れというわけではなく、たんにより人生に近いレヴェルで......」とミック・ファレンは書く。昨年末から今年の1月にかけて彼の著書『アナキストに煙草を』を読んでいる。60年代末のロンドンにおいて、ロバート・ワイアットに"プロト・パンク"と評されたザ・デヴィアンツのリード・ヴォーカリストであり、アンダーグラウンド新聞『IT』の編集者および〈UFOクラブ〉スタッフ、ホワイト・パンサー党英国支部結成や数々のデモ活動を経て、そして70年代は『NME』の記者となり、やがて小説家になった人物による英国カウンター・カルチャー史――いや、帯の言葉が言うように「カウンター・カルチャー風雲録」である。
「たんにより人生に近いレヴェルで......」、ファレンがボブ・ディランについて綴ったこのフレーズが読みながら頭にこびりつき、そして読み進むにつれてそれが僕のなかで光明になった。何か、ほんのわずだが答えに近づけたような気がしたのだ。「そうか! それだ! そうだろ!」と......(ビールを何缶も飲みながらそう思っただけなので、まあ、たかが知れているだろうが)。
まずは簡単に本書の紹介をしよう。カウンター・カルチャーにおける痛快な回想録というのは、自分でもずいぶん読んできたように思う。好奇心があったし、若い頃は憧れもあった。ケン・キージーのようなヒッピーからアメリカの新左翼、ないしはイルカ語を話せうるというグレゴリー・ベイトソン、CIAのLSD調査に関する記事まで。しかし考えてみればその舞台はつねにアメリカで、イギリスにおけるそのスジの翻訳物はたいしたものが出ていない。まずはそういった観点から言っても『アナキストに煙草を』は興味深い。〈UFOクラブ〉においてシド・バレットがいかに超越した王様であったのか、いかにぶっ飛んでいたのか、こういった細かいエピソードは僕には嬉しい限りだし、他にも心温まる話がたくさんある。ローリング・ストーンズが大麻で逮捕されたとき大麻解放のデモ行進まであったとか、キース・ムーンがピーター・セラーズと一緒に皮のコートにナチのヘルメット姿でクラブにやって来た話とか、1972年のアルバム『ホワット・ア・バンチ・オブ・スウィーティーズ』においてまったく素晴らしいアートワークを誇る、ホークウィンドとともに当時のロンドン・アンダーグラウンドの脅威として記憶されるピンク・フェアリーズについての文章が読めるだけでも僕は嬉しい。
もうひとつこの本で面白いのは、イギリスにおける60年代の左翼運動と音楽との関係が詳細に描かれていることだ。ハチャメチャだがパワフルで、イギリスらしい政治的抵抗が満載である。さらにもうひとつ、伝説のバンド、ザ・デヴィアンツのバイオグラフィーとしても読める。このバンドは、ピンク・フロイドがサイケデリックと左翼運動のお化け屋敷から逃げ出してしまったため、それを一身に担ってしまったというなんとも業の深いバンドでもある。MC5に対するロンドンからの返答とも言えるかもしれない。実際に深い交流があったわけだし、ウェイン・クレイマーが警察のおとり捜査にひっかかり逮捕されたときにもファレンは居合わせている(それはとても悲しい話だ)。
そしてさらにさらにもうひとつ、ファレンが音楽ライターであり『NME』の記者だった経歴もあるので、イギリスのポップ・ジャーナリズムが何故ああも面白いのかというところの秘密を垣間見ることもできる。70年代後半のパンクの時代から『NME』の黄金時代を築いたニック・ローガンが、酒を浴びるように飲み、ドラッグをお菓子のように貪りながら路上やライヴ会場で暴れ、そして左翼系の出版物に関わっていたファレンをよくもまあ編集部にヘッドハンティングしたものだと感心する。セックス・ピストルズの登場を受け入れる体制はメディアの側でも準備が進んでいたのだ。
そんなわけで、この本は多様な側面を持っている。読む人によってひっかかる箇所も違ってくるだろう。僕なりに大枠を言えば、UKポップ・カルチャーにおける「音楽、政治、ドラッグ」の話だ。
政治の話で言えば、この文章の冒頭にファレンが自らの経験を踏まえた上で導き出した言葉――「もし我々が1968年の反米デモから何かを学ぶ取ったとすれば、デモは何の役にも立たないということである」――は印象的で、人によっては挫折を意味する敗北的な告白に思われるかもしれないが、しかし偉大なるギル・スコット・ヘロンとは真逆の理論「革命はテレビで報道されなければならない」は、ポップ・カルチャーといういかがわしい産物のなかにいかようにしてその企みを放り込み、より多くの人間をその気にさせるかという魂胆、そしてそれを面白がってやろうという気概が隠されている。これはおおよそイギリスのポップ・カルチャーのみが執拗にこだわっているところで、いまでも彼らはそのアティチュードに疑いを持っていない。マッシヴ・アタックやポーティスヘッドにしても、あるいはゴリラズにしても、あるいは......自らを左翼だと主張する二木信には是非とも聴いてもらいたいマニック・ストリート・プリーチャーズにしても。