Home > Interviews > interview with Simi lab - 異邦人たちの夢
神奈川県は相模原を拠点とするヒップホップ・ポッセ、シミラボはまだオリジナル・アルバムを出していない。が、しかし、彼らが2009年12月にYouTubeに何気なくアップした1本のミュージック・ヴィデオの衝撃だけで、彼らを現時点でele-kingに紹介するのには十分であると確信している。
シミラボは突如として現れた異邦人たちである。これはある意味でメタファーであるが、そうでないとも言える。彼らの存在はわれわれが生きる社会の常識や固定観念に揺さぶりをかけているようにさえ思える。たかがヒップホップ・グループと侮ってはいけない。
"WALKMAN"と名付けられた曲のMVには、ふたりの黒人男性のラッパーとラテン系と思しき女性ラッパー、そして小柄な東洋系の男性ラッパーが登場する。と、何の情報もなかった僕は最初そう認識した。妖しげなミニマル・ファンク・トラックの上で4人全員が日本語でラップしている。それが英語訛りの日本語なのか、それともネイティヴの日本語なのか。それさえ判別がつかなかった。4人ともおそらく20歳かそこそこだろうと思った(いくつかの思い違いはインタヴューで明らかになる)。
部屋のなかで愉しげにラップし、コンビニに買い物に出かけ、夜道を颯爽と歩く。ただそれだけの、おそらく彼らのなんの変哲も無い日常を捉えたチープな映像だったが、この国の現実の速度に自分の感覚や想像力が追いつけていないことをまざまざと思い知らされた気がした。いったい彼らは何者なのだろうか? シミラボの瑞々しくユーモラスな音楽――奇妙なファンクネスが漂うトラック、変則的でリズミカルなラップ、人を煙に巻くようなリリック、それらには特別な輝きがあり、未知の可能性を秘めていることは間違いなかった。
QN From SIMI LAB THE SHELL ファイルレコード |
2010年7月に〈ファイル〉からリリースされた、シミラボのリーダー的存在のQNのソロ・デビュー・アルバム『THE SHELL』も素晴らしかった。また、今年の3月にリリースされる予定の、アース・ノー・マッド(QNのトラックメイカー名義)のファースト・アルバム『Mud Day』の仮ミックス段階の音源を聴いたが、これはきっとさらにユニークな作品となって完成することだろう。"WALKMAN"はこのアルバムに収録される。グループとしてのアルバムも今年出す予定だという。
正直言えば、僕はシミラボについてまだ上手く言葉にできていないでいる。しかし、答えを急ぐ必要はない。まずは彼らの話を聞こう。今回、取材に参加してくれたのは、ディープライド(DyyPRIDE)、マリア(MARIA)、QN、オムスビーツ(OMSB`EATS)、ハイスペック(Hi`Spec)の5人だ。シミラボとして初となるロング・インタヴューをお送りする。
シミラボのひとりひとりがマイノリティの世界で生きてきた人たちで、世界や社会を外から細かいところまで見てた人たちだと思うんです。この歳にしてはわかりきっちゃってる部分もある。もともとマイノリティだったものが集まって化学反応が起こったんだと思う。
QN
■"WALKMAN"のMVを観て、シミラボに興味を持ったんです。まず「何者なの?」というのがあって。肌の色も性別もいろいろだし、しかも、みんな、日本語でラップしている。HPを見ても全貌がつかめないし(笑)。トラック、ラップ、リリック、すべてが斬新だと思いました。これまでにないユニークなスタイルを持った人たちが現れたことに興奮したんです。
マリア:うんうん。
■新代田の〈フィーヴァー〉のライヴにも行きました。で、とにかく会って話したいと思ったんです。今日はみなさんの音楽的、人種的ルーツも含めてじっくり話を訊ければと思ってます。まずはひとりひとり軽く自己紹介からお願いできますか。
QN:そういうのはやっぱディープライドからじゃない。
ディープライド:いま21歳です。親父はアフリカのガーナの人です。
■お父さんはどういう経緯で日本に来たんですか?
ディープライド: 曾じいさんが、1960年にガーナ大使館が建つときにはじめて日本に来たガーナ大使一行のひとりだったんです。親父はじいさんにその話を聞いてて、20歳から10年間エジブトで家庭教師をしたあと日本に来たらしいです。オレがまだ小さくて両親がいっしょだった頃、親父は現場仕事、工場、英会話教師をやってたみたいです。寝ないで働いてたって聞きました。最近、ガーナに不動産を買ったらしく、そろそろ帰るみたいですね。
■お母さんは日本人の方ですか?
ディープライド:そうです。
■ディープライドくんは日本生まれ日本育ち?
ディープライド:横浜生まれのちらほら育ちって感じっす(笑)。中学時代はオレのねぐらは押し入れでしたね。引きこもってました。ドラえもんみたいなもんです。CDプレイヤーと漫画を持って、押し入れにこもってずっと音楽を聴いてたりしてた。映画のサントラ集とか。その頃から、リリックじゃないけど、殴り書きはしてました。そこからラップを歌い出すまでに2、3年ぐらいかかってる。兄貴がDJやってて、親父が昔のR&Bとか聴いてたから、ラップとか音楽をやるようになったのはそういうのもあるかもしれない。
■引きこもってたんだね。
ディープライド:押し入れのなかにこもってばかりだったオレが行けるような高校は私立で3つぐらいしかなかったから、定時制に行くつもりだったんだけど、母ちゃんが「昼間の学校に行けよ」って言ってくれて、頭の弱い高校になんとか入れてもらいましたね。卒業してからは普通に仕事してて、ラップをはじめたのは1年半前ぐらいです。
■最初にガツンとやられた音楽はなんだった?
ディープライド:はじめて自分で買ったCDが50セントの『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』でしたね。試聴して言葉じゃ説明できないぐらい食らって、CD買ったんですよ。あとからいろいろ調べて、50セントの逆境に立ち向かう姿にも感銘を受けて。50セントは自分のなかにあった反骨精神に火を付ける引き金になったと言っても過言ではないと思いますね。ほんとに衝撃だった。
■なるほど。まずはそんなところで、次はマリアさんお願いできますか。
マリア:22歳です。お父さんはアメリカ人でお母さんは日本人です。小学生のときにぜんぜん友だちがいなくて。日本の学校に通っていたから、米軍にも友だちがいなかったんです。
■お父さんが米軍の人なんですか?
マリア:そうです。私の出身は青森の三沢基地で、そこから横浜にある根岸の米軍基地のPハウスに引っ越しました。基地のなかにティーン・センターみたいな10代の子たちが集まる施設があったんです。みんなの溜まり場みたいなところ。友だちはいなかったんですけど、そこでいつも映画とか観たりしてました。米軍のなかには白人のハーフより黒人のハーフが多くて、みんなヒップホップとかR&Bを聴いてて、小4ぐらいのときにスヌープ・ドッグの"ザ・ネクスト・エピソード"が出たんですよ。
■うんうん。ドクター・ドレの曲だ。
マリア:そう、あれをみんな超かけてて。密かにカッコイイなって思ってたんですよ(笑)。小学校から中学校に上がっていくに連れて、自分から音楽を聴くようになって、高校に入ってはじめてブッダ・ブランドを聴いたんです。ニップスのラップを聴いたときに、日本のヒップホップってこんなカッコイイんだってはじめて実感したんですね。自分もラップしようと思ったのは15歳のときです。だから、やりはじめてからはけっこう長いです。高校に入ってからはヒップホップはどういうルーツで来ているかにすごく興味が沸いて、ファンクとかソウルを聴くようになって、いまは自分なりにいちばんカッコイイと思うやり方をしてます。
■歌も歌ってますよね?
マリア:そうですね。デバージやアイズレー・ブラザーズなんかのソウルも好きだし、やっぱりブーツィー・コリンズは外せないですね。エアロスミスやマリリン・マンソンみたいなロックも好きです。あとは、アーハの"テイク・オン・ミー"とかクラウデッド・ハウスの"ドント・ ドリーム・ イズ・ オーヴァー"とか、ビリー・ジョエルも外せないですね。気持ちに残る爽やかなメロディが好きなんで、歌も少しやってる状態ですね。
■なるほど。
マリア:ヤバい! チョー緊張する!
■お互いどんどんツッコミ合っていいですよ。
ディープライド:マリアはジャーマンの血も入ってるでしょ。
マリア:うちの父親がアメリカとドイツのハーフですね。
ディープライド:親父がハーフなの?! じゃあ、マリアはクォーターなのか。
マリア:そう。まあ、ハーフでもクォーターでもなんでもいいんだけどさ!
ディープライド:でも、言っとくけど、クォーターがいちばんモテるからね。
一同:ハハハハハッ!
取材:二木 信(2011年1月18日)