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interview with Hiroshi Higo

interview with Hiroshi Higo

1981年の醒め方

――ヒゴヒロシ、インタヴュー

野田 努    ゲスト:メタル   Nov 21,2011 UP

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 1981年に高校生だった人間にとってライヴハウスは受験の帰りにひとりで立ち寄るようなくらい身近で、そして刺激的な場所だった。チャンス・オペレーションもそういうなかで見ている。
 セックス・ピストルズの解散とPILの登場は本当にいろいろなものを変えた。ポスト・パンクとは、パンクというロマンに対するアンチ・ロマンでもあったから、ロックの定説はことごとく裏切られ、反復を基調とした冷淡なグルーヴは瞬く間に広まった。UK、US、ドイツ、そしてここ日本にも。チャンス・オペレーションもそういうバンドのひとつだった。

 このサイトを読んでいる多くの人にとってのヒゴヒロシとは、DJとしてのヒゴさんだろう。実際の話ヒゴヒロシとは、この20年ものあいだアンダーグラウンドな活動を続けているDJのひとり、幅広い尊敬を集めているDJのひとりである。が、彼が東京のパンク前夜からそこで演奏していた人物であるという歴史が忘れられているわけでもない。ディスコやハウスのDJだって、彼がパンクの人だったことを知っている。チャンス・オペレーションは、ポスト・パンクの時代においてミラーズ解散後のヒゴヒロシが結成したバンドだ。その再発を祝しておこなわれたこのインタヴューは、主にその時代に焦点を当てている。取材には、ヒゴさんに興味津々のDJのメタル君も駆けつけてくれました。

ベースのフレーズを反復して、そしてそれをもとに曲を作ったんですね。だからたしかにベースの反復がもとになっている。それから、必要のない音はどんどん削ぎ落としていくってことも意識してましたね。

僕にとって今日は、1992年以来の2回目の取材なんですよね。

ヒゴ:ああ、じゃあホントに、いわゆるレイヴ直後?

そうです。新宿の喫茶店で話したのを覚えてませんか?

ヒゴ:どこだっけ?

新宿の駅のビルじゃなかったでしたっけ。ちょうどヒゴさんがDJやられた頃で、僕のなかでヒゴさんといえば、ミラーズやチャンス・オペレーション、あるいはスターリンのヒゴさんだったんで、そうとう緊張して取材を申し込んだんですよね。

ヒゴ:えー、そうだったの(笑)。

いまでこそヒゴさんはDJとして名が通ってますけど、当時はまだ衝撃でしたよね。そこは距離があると勝手に思ってましたし。

ヒゴ:はははは。

あのときはヒゴさんが〈代々木チョコレートシティ〉で「Water」というパーティをはじめた頃でした。

ヒゴ:そうですね。土曜の夜にね。オールナイトでね。

日本では最初のジャングルのパーティでしたね。

ヒゴ:結局行ったのが......。

1991年。

ヒゴ:そう、レイヴの真っ只なかに行ってしまったんでね。最初に現場で聴いたのが当時はハードコア・ハウスと呼ばれたもので。

そう、ハードコア・ハウスと呼んでましたね。

ヒゴ:だからデトロイト・テクノなんかもその取材のときに野田くんから聴いて「あ、そうなんだ」って思ったぐらいで、当時は僕もまだかじりだてというか、当時はハードコア・ハウス一色だった時代だったから。そのあとになっていろいろ聴きはじめて、デトロイト・テクノなんかも知ったんだよね。

しかもヒゴさんにレイヴ・カルチャーを教えたのが水玉消防団のカムラさんだったという話をそのとき聞いて。

ヒゴ:そうそう(笑)。

けっこう上がりましたよ(笑)。で、ヒゴさんのやっていた「Water」に行くと、入口では何かカプセルを配っていたんですよね(笑)。

ヒゴ:あれはちょっとした冗談だったね。ビタミン剤かなんかで。

「雰囲気だけでも」って入口のひとに言われたんですよ(笑)。

ヒゴ:はははは。

あれは可笑しかったですよ(笑)。で、まあ今回は、チャンス・オペレーションの再発ということでその音楽と作品が生まれた時代の空気、あるいは2011年におけるチャンス・オペレーションの再評価などについて訊きたいと思います。最初は手の写真の12インチ「チャンス・オペレーション」ですよね。

ヒゴ:そうです。

僕もあのアートワークがレコード店の棚に入って、雑誌に載ったときのことをよく覚えていますね。まずは今回、チャンス・オペレーションが再発にいたった経緯を教えてください。

ヒゴ:去年の春前かな......ディスクユニオンで〈テレグラフ〉の再発をやりたいという話があって、〈テレグラフ〉だけではなく〈ゴジラ〉もやりたいと。〈ゴジラ〉はじつはこれまでも何回も再発されているんで、まあ、再発のフォーマットみたいなものもできていて、わりとスムーズに〈ゴジラ〉は出せたんです。〈テレグラフ〉のほうは作品数も多いし、毎月のように再発されていって、「それではチャンス・オペレーションも出しましょう」ってなったんですね。チャンス・オペレーションも以前、徳間ジャパンで再発されているんですけど、そのときは最初の12インチと「スペア・ビューティー」という7インチ2枚組の編集盤として出したんですね。

それって何年ですか?

ヒゴ:うーん、90年代の初頭だったかな? (注:タイトルは『デュアル・ページ』として1990年にリリース)で、まあそのとき徳間から出したCDは、とくにボーナス・トラックもあるわけじゃないし、『プレース・キック』のほうもいちどCD化されているんですけど、そのときもただCD化されただけなんです。だからチャンス・オペレーションに関してちゃんと再発したのは今回が初めてとも言えるんですよね。

ユニオンはここ数年、ずっと熱心に日本のポスト・パンクの再発をやってますもんね。EP-4であったり、最近ではタコであったり。

ヒゴ:そうですね。僕のほうもずいぶん時間が経っていることですし、未発表の音源なんかも聴きあさってみて、それでたとえば初期の音源なんかも加えるのもいいかなと思ったり。それでマスタリングまではうまく話が進んでいたんですが、デザインの件でユニオンと話が合わなくなったり、スケジュールが迫ったりで、「どうしようかな」と。自分としてはデザインもふくめて余裕をもって出したかったというのがあって、それで結局、Pヴァインから出すってことに落ち着いたんですよね。

取材:野田 努(2011年11月21日)

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