Home > Interviews > interview with Nanorunamonai - 飽くなき魅惑のデイドリーマー
俺は俺なりの「on and on」を言うまで、ここまで時間がかかったってことかもね。
■いまでも自分がヒップホップをやっているという意識はありますか?
なのるなもない:スタンスとしてそれはあるよ。いろんな表現があるなかでよく「これはヒップホップじゃないね」とか言う人がいるけど、「その考え方がヒップホップじゃない」と思うときもあるよね。そもそも破壊と再生をくり返して、吸収して進化を続けるものだと思ってるからね。それに自分はジャンルの区切りとかなく音楽を聴いてきたし、現行のシーンらしい音でそれっぽいことをやるっていうのは、自分にとってはすごくどうでもいいっていうかさ。自分なりの本当のところを追求したいと思ってるよ。
■“冒険のススメ”で「on and on and on and on and on」っていうリリックを独特の節回しでセクシーに歌ってるじゃないですか。あの歌い方がすごく面白いと思って。「on and on」って熟語は、ブラック・ミュージック、R&Bやヒップホップの常套句じゃないですか。
なのるなもない:うん。
■その常套句をこんな風に解釈して歌うんだって。そこがすごく面白かった。
なのるなもない:あはははは。
■僕はあの歌い方になのるなもないのBボーイズムを感じましたよ(笑)。
なのるなもない:だから、やっぱりそういうことだよね。タカツキくん(ベーシスト/ラッパー。スイカ/サムライトループスのメンバー)が、「チェケラッ!」って言葉を言えるまでに10年はかかるみたいなことを冗談かも知れないけど言っていて、でもそうかもなとも思ってさ。俺は俺なりの「on and on」を言うまで、ここまで時間がかかったってことかもね。
■降神の初期や前作『melhentrips』のころと比べると、毒々しさは薄まりましたよね。
なのるなもない:そうだね。でも意味ある毒を与えたいとは思う。ただ、自分のなかから出てきた毒を無責任に放つことはしたくないよね。
■吐き出す毒に、より責任を感じるようになったということですか?
なのるなもない:うん、それはある。吐き出した毒で(リスナーを)どこへ連れて行きたいのか?ということには意識的になるべきだし、(表現者は)みんなそうなんじゃないのかな? わかんないけどさ。キレイ過ぎてもしっくりこないときもあるし、毒っていうものはどうしても潜んでしまうと思う。皮肉や毒がない世界で生きられたらいいけどね。
■降神の魅力のひとつに、狂気と毒があったと思うんですよ。不吉さと言ってもいいと思います。社会や人間の矛盾を生々しく体現するグループだったと思うし、そこに魅了されたファンも多かったと思うんですね。表現の変化とともに、なのるなもないのファンも変遷しているだろうし、表現者としてリスナーやファンを裏切りたくないか、あえて裏切りたいか、そこについてはどう考えてますか?
なのるなもない:金太郎飴みたいなスタイルってすごいとは思うんだけど、俺はわりと良い意味で裏切りたいって気持ちを持ってるね。でも、いまでも降神のころのようなスタイルも持っているし、スタイルが特別変化したとは思ってないかな。ただ、いまは社会や政治、時事的なことについて吐き出すべき時期ではないという感覚はある。そういうものは、もっと溜めて溜めて、自分の意志を固めてから表現したい。べつにそういうことはラップで表現しなくてもいいかな、とも思うしね。具体的に行動したいっていう気持ちが強い感じかな。そうやって自分のなかでいろいろ思うことがあるのに、なかなか動けていない自分についても含めて語るっていうのもありかもしれないけど。
■ここ最近世の中で起きていることで関心のあることは?
なのるなもない:社会や政治の問題をひとつひとつ検討して、結論を導き出すレヴェルに俺はいないと思うから、それを手にした上で語りたいとは思う。そりゃあさ、東電の対応とか、当たり前に「おかしいでしょ」「本当に大丈夫なの?」って思うことはある。政党が変われば疑問に思うこともあるよ。でも10年、20年やらせてみて、それから判断するのもひとつの真実だとも思う。でも、もちろん誰が見ても「これはおかしいだろ」っていうことはたくさんある。そういうところで闘ってる人は応援してるし、力を貸したいなとは思ってる。
学生だって、仕事やっている人だって、それとは別に夢を持って頑張ってる人だって、その世界のなかで思い切り遠くに飛んでしまえば、人からしたら現実逃避って言われてしまうかもしれないけれど、その世界のなかでは成立しちゃうことでしょ?
■降神のセカンドに入ってる“Music is my diary”って曲で、「現実逃避も逃げ切れば勝ちさ」というリリックがあるじゃないですか。厭世的といえばいいのかな、そういう感覚はいまでもあります?
なのるなもない:若ければ若いほど、世の中に対して「クソヤロウ」って思うこともあるし、降神でそういうこともラップしてたけど、人からすれば「お前に言われたかねーよ」っていうのもあったかもしれないよね。なにが現実で、なにが現実逃避かは一概に言えないよね。犬猫じゃないから、子どもはほっといたら死ぬからさ。いまは子育てという現実も常にある。そこからは目を背けられない。でもやっぱり、自分のやりたいことにも向かっているしね。「現実逃避も逃げ切れば勝ちさ」ってリリックには、学生だって、仕事やっている人だって、それとは別に夢を持って頑張ってる人だって、その世界のなかで思い切り遠くに飛んでしまえば、人からしたら現実逃避って言われてしまうかもしれないけれど、その世界のなかでは成立しちゃうことでしょ? だから、そうなったら勝ちじゃねえかという意味があったの。
■現実逃避とつながる話だと思うんですけど、降神や〈Temple ATS〉は、活動がはじまった当初から一種の共同体みたいなものでしたよね。なのるなもないさんは、当時〈Temple ATS〉の事務所兼スタジオのような高田馬場のマンションに一週間ぐらい寝泊まりしてた時期もありましたよね。部屋に行ったら、ソファで気だるそうに寝てる、みたいな(笑)。
なのるなもない:いや、もっと長かったね。なんだろうね。自分がいっしょになにかを成し遂げたい仲間たちがそこにいたんだよね。あのころは、そこから離れたらいけないという強迫観念があった。だから、マサ(onimas。降神のトラックメイカー。〈Temple ATS〉の一員)の部屋に転がり込んで自分の家に帰らなかったりしたんだろうし。東京に住んだり、東京の近くに住んだりしているほうがやりやすいことはあるし、物理的な距離が関係ないとは言わないけど、自分がしっかりやっていれば、いろんなコミットの仕方があって、本当になにかをやろうとしたらできるといまは思うね。
■降神と〈Temple ATS〉のメンバーの関係はかなり濃密でしたし、あの濃密な共同性があったからこそ降神の音楽が生まれたと思いますね。なのるなもないも志人もフリースタイルでしか会話しない、みたいな時期さえありましたよね。お互い、激しく、厳しく切磋琢磨してましたよね。
なのるなもない:そうだね。志人が「真の友は影響し合う」みたいなことをなにかに書いていたけど、その通りだなと思う。
■最近は志人には会ってますか?
なのるなもない:このアルバムのリリース・ライヴ(2013年11月10日に〈フライング・ブックス〉で行われた)のときに会ったね。
■アルバムに一曲ゲスト参加してますしね。今後、降神としてはやったりしないんですか? 気になっている人は多いでしょう。
なのるなもない:やりたいよね。でも、うーん、俺だけの気持ちじゃないから。あいつ(志人)の気持ちもあるからさ。俺が言える想いもあるけど、まだ公で話すような感じじゃないかな。とにかく、俺はあいつの表現が好きだし、尊敬しているし、いつも挑戦して成し遂げてきたヤツだと思うね。いっしょにやりたいけど、お互い忙しいってのもあるよね。
■降神で作った曲でリリースされていない曲はある?
なのるなもない:けっこうあるよ。
■本人たちは望まないかもしれないけど、未発表曲だけで一枚アルバムできちゃうんじゃないですか?
なのるなもない:「作れ!」って言われたら、できるかなっていうのはあるけど、それぞれやりたいことがあるからね。ふたりの伝えたいメッセージも必ずしも同じではないからね。
■でも、それは最初からそうなんじゃないですか?
なのるなもない:昔はもう少し散文的だったというか、お互いのメッセージや世界観、リリックの方向性が違っても曲が成立したというか、びっくり箱の中身を作ってるみたいな感覚だったんだよね。
■ああ、なるほど。『アカシャの唇』はひとつひとつの曲に明確な方向性と主題がありますよね。僕は、『アカシャの唇』はジャンル云々以前に、とにかく美しい音楽だなと感じましたね。
なのるなもない:自分のなかでの様式美を追求しつつ、息苦しさや喜びや気づき、そういうものはぜんぶ詰め込みたかったね。音楽を作っている人はみんなそう思っているかもしれないけど、前よりもっといいものを作りたいとは思うよ。聴いた人が前より良いとか、悪いとか思うのはまた別だけど、そういう気持ちはある。
取材:二木信(2014年1月21日)