Home > Interviews > interview with Binkbeats - どんなものでもパーカッションに
年頭のニュースでも取り上げられていたが、ユーチューブでのライヴ映像によってその名を一気に広めたビンクビーツ(本名:フランク・ウィーン)。ユーチューブのライヴ動画で、その超絶的な楽器演奏テクニックを知らしめたアーティストと言えばドリアン・コンセプトなどが思い浮かぶが、ビンクビーツの場合は全ての楽器をひとりで操るというさらなるサプライズがある。最近のジャズ系ではジェイコブ・コリアーもこうしたひとり多重録音をするアーティストで、昨年は〈ブレインフィーダー〉のルイス・コールのマルチ・ミュージシャンぶりも人々を沸かせたが、ビンクビーツの場合はJ・ディラ、フライング・ロータス、エイフェックス・ツイン、ラパラックス、アモン・トビンなどクラブ・サウンドやエレクトロニック・ミュージックをカヴァーしていて、たとえばマッドリブがプロデュースしたエリカ・バドゥの“ザ・ヒーラー”(2007年のアルバム『ニュー・アメリカ パート1』に収録)のカヴァーでは、サンプリングで用いられた琴の音色を実際に自身で琴を演奏して再現するといった具合に、その凝りようやマニアックぶりがハンパない。
オランダ出身のビンクビーツは、それら2013年から2014年にかけてユーチューブで公開されたライヴ映像を音源化するほか、2017年より『プライヴェート・マター・プリヴィアスリィ・アンアヴェイラブル』という作品集をリリースし、これまで発表された2枚のEPをまとめたものが先だって日本でアルバムとしてCD化された。この中の“イン・ダスト/イン・アス”という曲には、〈ブレインフィーダー〉所属で同じオランダ人であるジェイムスズーが参加していて、彼のアルバム『フール』(2016年)にも参加していたニルス・ブロースが全曲に渡ってシンセサイザーを演奏しているなど、非常に興味深いアルバムとなっている。ビンクビーツ自身も『フール』には本名のフランク・ウィーンでパーカッション奏者として参加していて、ジェイムスズーとはいろいろと関わりが深いようだ。それから昨年発表されたDJクラッシュのニュー・アルバム『コズミック・ヤード』でも、“ラ・ルナ・ルージュ”という曲にビンクビーツがフィーチャーされていたことをご存じの方もいるかもしれない。そんな具合にいま注目すべきアーティストであるビンクビーツの、これが本邦初公開となるインタヴューである。
ジョン・ケージのような音楽を通して、何だって音楽になりうるし、どんなものだってパーカッションになるってことを学んだのさ。
■日本にはあなたの経歴が多く伝わっていないので、生い立ちを踏まえていろいろお伺いします。あなたの拠点はオランダのユトレヒトですね。私も前に行ったことがあるのですが、ユトレヒト大学がある学生の町という雰囲気で、古くからの建造物も残っていて運河沿いの街並みはとても風情がありますよね。ユトレヒト古典音楽祭や大きなレコード・フェアもあったりと、音楽がとても愛されている印象を受けました。
ビンクビーツ(以下、B):そもそも俺が生まれたのはヘンゲローという町で、それからユトレヒトに引っ越したのはユトレヒト音楽院に行くためで、それ以来ここに住んでいる。ユトレヒトは非常に音楽シーンが活発で、俺のスタジオがある大きなビルには他にもたくさんのアーティストのスタジオが入っていて皆そこを拠点にしているんだ。
■音楽とはどのように出会ったのですか?
B:初めて音楽に出会ったのがいつなのかははっきりとはわからないけど、母親が言うには家ではいつもラジオがかかっていたそうだ。両親は実際に楽器を演奏したりはしていなかったので、親の影響ではなかったんだろうけどね。俺が思うに、子供のころにはおもちゃの一本弦のギターやトイ・ピアノがいつもあったし、そしてもちろんだけどダンボール箱のドラムを叩いたりしていたからだろう。そして9歳のときに俺は初めてドラム・セットを手に入れて、それ以来音楽を作っているんだ。
■子供のころはどのような音楽を聴き、またどんなアーティスから影響を受けましたか?
B:子供のころはロックにハマっていたんだ。俺はガンズ・アンド・ローゼズの大ファンでさ。それからセパルトゥラみたいな、もっとヘヴィなやつが好きになったんだ。そのころの俺はドラムしかやってなかったけど、次第にレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの曲に合わせてベース・ギターも弾きはじめた。高校生になってからハマったのはヒップホップ。モス・デフ、バスタ・ライムス、ア・トライブ・コールド・クエスト、ザ・ルーツとかさ。
俺の人生に影響を与えたミュージシャン、プロデューサーはメチャクチャいっぱいいるよ。ほんのちょっとだけ名前を挙げれば、J・ディラ、マッドリブ、フライング・ロータス、レディオヘッド、ビョーク、ジェイムス・ブレイク、そしてトーマス・ディブダール、ハンネ・ヒュッケルバーグ、ファイスト、さらにはジョン・ケージ、スティーヴ・ライヒ、クセナキス、ハリー・パーチのような現代音楽作曲家たち……キリがないね。
■あなたの作る音楽にはジャズ、エレクトロニック・ミュージック、IDM、ビート・ミュージックなどの要素がありますが、それらはどのように吸収していったのですか?
B:ただ聴いているうちに吸収したんだと思うよ。君だってある特定のスタイルの音楽が好きになったら、それをいっぱい聴くだろう。そうなると自動的に、そのスタイルを多少なりとも自分の音楽に取り入れてしまうものさ。
■あなたはマルチ・ミュージシャンで、ドラム、ベース、ヴィブラフォンなど様々な楽器を演奏しているのですが、これらはどのようにマスターしていったのでしょう? 音楽学校で学ぶとか、誰か先生に教えてもらったのか、それとも独学でマスターしていったのですか?
B:ドラムは子供のころにはじめたんだ。その延長線上でパーカッションをはじめて、高校卒業後にはクラシックのパーカッションを学ぶためにユトレヒト音楽院に行ったんだ。ひと口にパーカッションと言っても、とても楽器の範囲が広いんだよ。ドラムを叩くこと、マリンバ、ティンパニ、みんなパーカッションの一部さ。ジョン・ケージのような音楽を通してさらに広がって、何だって音楽になりうるし、どんなものだってパーカッションになるってことを俺は学んだのさ。
ギターとベースは子供のころに独学でやっていたけど、『ビーツ・アンラヴェルド』というカヴァー曲をひとりきりで再現演奏するシリーズ・プロジェクトのためにまたやりはじめたんだ。そのときにヴォーカルもはじめた。そう、ヴォーカルがいちばん新しい試みなんだよ!
■エレクトロニック機材のスキルはどのようにして身につけましたか? また、DJなどはするのでしょうか?
B:俺は間違いなくDJではないよ(笑)。肩書きとしてはミュージシャンで作曲家なんだけど、10代のころにコンピュータの音楽ソフトを使って制作をはじめたんだ。ファストトラッカーのようなプログラムを使っていたな。後にフルーツループス、そしてキューベースを使うようになって、いまは主にエイブルトンを使って作業しているよ。これらのプログラムは音楽制作以外には使っていなかったね。でも『ビーツ・アンラヴェルド・シリーズ』以降、オーディオのミキシングに夢中になって、これらのプログラムをそれにも使いたいと思ってやってみたらとても上手くいったんだ。とは言え、自分自身を「ミキサー」とか「エンジニア」だとは思わないよ。そうなるには長い道のりがあることくらい知っているさ。
■あなたのことをユーチューブで知った人も多いと思います。いま話に出た『ビーツ・アンラヴェルド』シリーズの映像となりますが、J・ディラ、フライング・ロータス、エイフェックス・ツインなどの曲をリアルタイムでカヴァー演奏していて、それを全くひとりで、同時に様々な楽器を使いながらやってしまうことに驚かされた人も多かったようです。いろいろあるメディアの中でもユーチューブでやったのが効果的だったと思いますが、こうしたパフォーマンスをおこなうアイデアはどのように生まれたのですか? また、ここでやっている曲はあなたの中でも特に思い入れのある曲ということでしょうか?
B:ユーチューブでのパフォーマンスは事故のようなもんだね。エイブルトンを使った音のループをコンサートのリハで試していたんだ。そのころ俺はエリカ・バドゥの“ザ・ヒーラー”をメチャメチャ聴いていたんだけど、それをリメイクしたら面白いんじゃないかと思ってさ。映画制作を学びたがっていた友達がカメラを持ってやってきたので、それを撮ってもらったんだよ。それがすっげえカッコいい出来だったんで、反響なんて考えずにネットに載っけちゃったんだ。そっから月イチで動画作って載っけることにしてさ。そう、そこから『ビーツ・アンラヴェルド』がはじまったのさ!
■オランダは〈ラッシュ・アワー〉のコンピの『ビート・ディメンションズ』に象徴されるように、フライング・ロータスはじめLAのビート・シーンの音にもいちはやく理解を示した国で、〈キンドレッド・スピリッツ〉や〈ドープネス・ギャロール〉などはジャズ、特にスピリチュアル・ジャズを時代に先駆けてフォローしてきたレーベルです。ビルド・アン・アークやカルロス・ニーニョのいろいろなプロジェクト、それからドリアン・コンセプトも〈キンドレッド・スピリッツ〉からリリースされましたが、そうしたオランダの音楽シーンはあなたの音楽性の形成に影響をもたらしましたか?
B:う~ん、実際のところ俺に影響を与えたものの大半はオランダ以外のものだよ。いま君が言ったアーティストとか音楽も、厳密にはアメリカなどほかの国から来ているよね。オランダで起きていることの中にもクールなこともあるけどさ、俺自身が音楽で目指していることに関して言えば、そっちよりイギリスやアメリカの音楽がベースになっているよね。それから北欧の国々からのインスパイアも大きいよ。でもオランダに住んで、プレイの場のほとんどがオランダで、多くのオランダのミュージシャンと共演をしているとなれば、全く影響を受けないわけにはいかないよ。恐らくその影響は潜在意識においてだと思うけど。
■同じオランダ人ということで、〈ブレインフィーダー〉から『フール』をリリースしたジェイムスズーとはいろいろ交流があるようですね。あなたが『フール』にパーカッション奏者として参加する一方、あなたの“イン・ダスト/イン・アス”にはジェイムスズーがフィーチャーされています。彼とはどのようにして出会い、一緒に音楽を作るようになったのですか? また、あなたは彼のどのような音楽性に共感しているのでしょう?
B:ミッチェル(ジェイムスズー)とはネットを通じて知り合ったんだ。彼の“ザ・クラムツインズ”(2013年リリースのEP「イェロニムス(Jheronimus)」に収録)の動画を見つけて、そのサウンドとプロダクションにぶっとばされたんだよ。それまで彼のことは知らなかった。フェイスブックにメッセージをつけてそのビデオを投稿したら、それに彼が返事をくれたのさ。
彼は凄く創造力があってオランダ有数の音楽的天才だと思うよ。彼は音楽をダサくすることなく、不思議な感じにしたり、笑えるものにしたりできるんだ。“イン・ダスト/イン・アス”に彼を誘った理由は、俺が制作過程で煮詰まっていたら、ミッチェルが上手に曲をまるっきり作り変えたんだよ。そして俺は彼のやり方でそのまま彼に続けてもらったのさ。
■ジェイムスズーを通じてフライング・ロータスや〈ブレインフィーダー〉の面々、ドリアン・コンセプトなどと繋がりはあったりしますか?
B:ミッチェルを通して、去年の11月にLAでドリアン・コンセプトには一度だけ会ったな。デイデラスやザ・ガスランプ・キラーにも会ったことあるけど、何度も会ったことがあるわけではない。でも彼らは俺の音楽を知っていたよ。俺が彼らの音楽を知っているようにね。世界中のメチャクチャ多くの人たちが俺の動画をシェアしてくれて、特にミュージシャンの間でシェアされたから、彼らの多くも俺の動画を観たことがあるんだろうね。
質問・文:小川充(2019年3月25日)
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