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interview with Acidclank (Yota Mori)

トランス&モジュラー・シンセ ──アシッドクランク、インタヴュー

interview with Acidclank (Yota Mori)

ギターで音楽に目覚め、バンド・サウンドを追求するかたわら、モジュラー・シンセ奏者としても活躍するYota Mori。そのソロ・プロジェクトAcidclankはさまざまな音楽をとりいれながら恍惚の扉をノックする。

取材・文:小林拓音 Takune Kobayashi    photographer:YUKI KAWASHIMA Mar 04,2025 UP

 一心不乱にモジュラー・シンセを操作しながら身体を揺らすひとりの若者の姿──それが最初に観たAcidclankの動画だった。随所にグリッチやドリルンベースっぽい要素が挿入されるそのインプロヴィゼイションを耳にし、これはロレイン・ジェイムズやイグルーゴーストといった今日におけるエレクトロニック・ミュージックの牽引者たちと並べて語るべき新世代かもしれない──そんな話が編集部では浮上した。
 たしかに、間違ってはいない。けれどもAcidclankのバックグラウンドはその先入見を超えたところに存在していた。旧作を遡って聴いていくと、随所でギターが小さくはない役割を果たしている。そもそも音楽に目覚めたきっかけは、父親のギターを触ったことだったという。Acidclank自体、もともとはバンドだった。なるほど、シューゲイズやマッドチェスターの恍惚を頼りにエレクトロニック・ミュージックの深き森を分け入っていった結果、モジュラー・シンセと出会うことになった、と。

 2月にCDでリリースされ、3月5日にLPが発売される通算6枚目のアルバムは『In Dissolve』と題されている。溶解中。あるいは、溶解して。ブックレットにはAcidclankことYota Mori当人がつづった英文が記されている。「境界が曖昧になり、どこからどこまでが “自分” なのかわからなくなる/天井から滴が落ちる。それは雨なのか、それとも自分が溶けていく音なのか/確かめる術はない」
 コンセプトはずばり、トランスだ。むろんそれは音楽スタイルのことではなくて、ある種の体験、意識の変容を指している。面白いのは、そんなトランス状態に達するための道筋はけしてひとつではないということを、このアルバムが身をもって実践している点だろう。新作にはガムランもあればぶりぶりのアシッド・サウンドもあるし、ドラムンベースもジョニー・マー風ギターもダブステップも含まれている。個人的に唸らされたのは “Mantra” で、かそけきダブ・テクノをバックに親しみやすいアコースティック・ギターとスーパーカーからの影響が色濃くにじんだヴォーカルが浮遊していくさまには舌を巻かざるをえなかった。こんな組み合わせがありえたのか、と。
 屋号からしてサイケデリックなこのトラックメイカー/シンガー・ソングライターはいったいどんな音楽遍歴をたどってきたのか? きたる3月7日にはCIRCUS Tokyoでリリース・パーティを控えるYota Mori。その背景を探ってみようではないか。

世代ではないんですけど、SUPERCARはめちゃくちゃ聴いてましたね。

新作は「トランス」がコンセプトだそうですね。

MORI:「アシッドクランク」という名前のとおり、サイケデリックな音楽表現をやりたいという想いが最初からありました。これまでのアルバムでも「サイケデリック」や「トランス」的なものをテーマにしていて。ただ今回はそれをより前面に押し出して、よりコンセプチュアルにつくったという感じですね。

アシッドクランクはバンドだった時期もあるんですよね。

MORI:アシッドクランクをはじめたのが大学2年か3年のころで、当初はサウンドクラウドに曲を上げて反応を見るみたいなところからスタートしました。そうしたことをしばらくやっているうちに自分の曲をバンド・セットでもやってみたくなって、メンバーを集めたんです。いまでこそモジュラー・シンセサイザーを使っていますけど、そのときは僕を含めて4人編成のギター・ロック・バンドで、UKのロックやオルタナティヴ・ロックから影響を受けたサウンドでした。その後〈3P3B〉というレーベルに声をかけてもらってセカンド・アルバム『Addiction』を出すことになって。

それが何年ですか?

MORI:2018年ですね。このときはCDとLPだったんですが、全国流通盤としてアルバムをリリースしたのはそれが最初でした。それ以前はバンドキャンプで宅録のアルバムを出していて、なのでバンドとして初めて出したアルバムが『Addiction』ですね。その後あらためて宅録のソロ・プロジェクトに戻って、いまのアシッドクランクになります。

ソロ・プロジェクトに戻そうと思ったのはなぜです?

MORI:やっぱりバンドの枠組みのなかでは自分のやれることが制限されてきたなっていう思いがあって。それで一度解散しました。といってもメンバー間で衝突したというわけではなく。レーベルのリリースがバンド主体だったこともあって、バンド・サウンド的なものをもとめられていたんですね。でもそれ以外にもやりたいことがあった。なので、初心に立ち返って自由にやりたいということで、名前はそのままにソロ・プロジェクトに戻したんです。それが現在までつづいている感じですね。

なるほど、ではバンドとして出したのは『Addiction』だけなんですね。

MORI:そうです。その後〈Ano(t)raks〉というネット・レーベルからサード・アルバム『Apache Sound』を出したり、セルフ・リリースでフォース・アルバム『Vivid』をバンドキャンプ経由で出したりと、ソロに戻ってからはけっこう自由にやっていましたね。

最初に音楽に目覚めたのはいつごろですか?

MORI:本格的に音楽を聴きはじめたのは高校からです。といっても当時リアルタイムで流行していた音楽より、昔の音楽を聴き漁っていた感じで。家に置いてあった父親のアコースティック・ギターを触ったのがきっかけでした。最初は父親が好きなフォーク・ソングの弾き語りをしたり、エリック・クラプトンのMTVアンプラグドのライヴ映像を観たりしていて、フィンガーでブルースを弾いたりとか、アコギばっかり弾いてましたね。その延長でオアシスとかを聴きはじめて、という流れです。

やはりギターの存在は大きかったんでしょうか。サード以降のソロ作でもけっこうギターの存在感がありますよね。

MORI:原体験というか。やっぱり音楽をはじめたきっかけだったので。いまでも音源にはよく入れますね。

プログレッシヴ・ロックって、アルバム1枚をとおして聴く前提のフォーマットになってることが多いじゃないですか。だから今回のアルバムもそういうふうにつくったつもりです。

音楽を自分でやるようになって、同時代でピンときた作品やアーティストはいましたか?

MORI:あまりリアルタイムの音楽を聴くということをしていないんです。当時はオアシスから遡るというか……日本のバンドでいうと、その世代ではないんですけど、SUPERCARはめちゃくちゃ聴いてましたね。

やはりそうですよね。節々からSUPERCARの影響が感じられるなと思って、お尋ねしようと思っていました。聴きはじめたときはすでに解散していたと思うんですが、どんなふうに出会ったんでしょう?

MORI:高校生のとき、ぜんぜん友だちがいなくて(笑)。ずっと家で音楽を聴いてるか、ギター弾いてるかだったんです。その時点でもうユーチューブはあったので、それで聴きはじめましたね。

シューゲイズのバンドより先に、SUPERCARと出会って。

MORI:そうですね。SUPERCARが先ですね。シューゲイズだと、やっぱりマイ・ブラッディ・ヴァレンタインは好きですが、ティーンエイジ・フィルムスターというバンドがとくに好きで。そういうマッドチェスター的な要素が入ったバンドが好きですね。ライドとか。大きな音でフィードバック・ノイズを聴いていると、やっぱりちょっとトランシーな感覚になるというか、そういう部分はアシッドクランクでも表現したいと思っています。それでライヴでもかなりシューゲイズ寄りの曲をやってますね。

ロックだとほかにはどういうものが好きだったんでしょうか?

MORI:プログレをめちゃくちゃ聴いていましたね。大学生のころ、カケハシ・レコードっていうレコード屋でいっぱい買ってました。最初はピンク・フロイドやキング・クリムゾンから入って、ソフト・マシーンだったりジェントル・ジャイアントだったり、本当にいろいろ聴き漁りましたね。プログレッシヴ・ロックって、アルバム1枚をとおして聴く前提のフォーマットになってることが多いじゃないですか。だから今回のアルバムもそういうふうにつくったつもりです。前半はA面として聴いてほしいし、後半はB面として聴いてほしくて。けっこうプログレっぽいアルバムにしようとは今回考えましたね。

もともとは大阪で活動されていたんですよね。上京したのが2023年で。

MORI:はい。引っ越してきたタイミングがちょうどフジロックのレッドマーキーに出演したあとで。そのとき年齢的にも30手前だったということもあって、大阪でやってた仕事を辞めて、音楽だけでやってみようっていうモチベーションで東京に来ました。

上京前は大阪のなにかしらのシーンと接点があったんでしょうか?

MORI:大阪はけっこう洋楽志向っぽいインディというか、アシッドクランクに似た系統のバンドもわりといましたね。ただそっちはいわゆるオルタナな感じというか、アシッドクランクはダンス・ミュージックの要素もあるので、シーンに溶けこめていたかというと、あまりそうではなかったような気がします。

最初に観たアシッドクランクの動画がモジュラー・シンセのものだったので、完全にその先入見でとらえてしまっていたんですが、過去作を遡っていくと、けっこうギター・サウンドだなと新鮮な体験でした。

MORI:原体験がオアシスなので。

メロディがキャッチーなのにも、そうした原体験が影響しているんでしょうか。

MORI:そうですね。メロディは作曲の過程でも大事にしていて、どれほどアヴァンギャルドなトラックだろうともメロディはきれいにしようと心がけています。それは、エイフェックス・ツインの影響もありますね。彼も激しいドラムンベースにきれいなメロディを載せたり、すごくきれいなピアノの曲をつくったりしますよね。エイフェックス・ツインでいちばん好きなのは『Drukqs』なんですが、そうした影響は大きいと思います。

モジュラー・シンセに関心が向かったのはいつで、なぜそうなったのですか?

MORI:はじめたのはコロナ禍の最中でしたね。時間とお金に余裕ができて。ただ興味をもったのはそれ以前で、フォー・テットがDJセットの脇にモジュラーを置いているのを見たときでした。それで自分の制作のとき横に置いておきたいなと思って買ったんです。そこから集めはじめて現在に至る感じです。やっぱりダンス・ミュージックの表現をやっていくうえで、ギターだと表現できないこともあって。でもだからといってMacbookを置いてライヴするのもちがうなと感じていたので、いいツールに出会えたと思っています。それでライヴでも使うようになりましたね。

取材・文:小林拓音 Takune Kobayashi(2025年3月04日)

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