「MAN ON MAN」と一致するもの

Fennesz - ele-king

 海、またしても海だ。サーファー映画からヒントを得たという『エンドレス・サマー』(2001)をはじめ、水の都『ヴェニス』(2004)、そして陰鬱な『ブラック・シー』(2008)に前作『アゴーラ』(2019)、そして本作『モザイク』……オーストリア人のギタリスト兼ラップトップ奏者はこれまでも海にちなんだ作品を制作し、アートワークにはたびたび海の写真が使われている。
 さて、まずは振り返ってみよう。いまから30年近く前の話だ。クリスチャン・フェネスは、敢えてこういう言い方をするが——「ポスト・オウテカ/ポスト・エレクトロニカ/ポスト・アンビエント」におけるグリッチ・ミュージックを代表するひとりとして我々の前に現れた。テクノロジーを間違って使うことで発生するサウンドの粒子をパレットとするこのスタイルは、テクスチャの快楽と作者の想像力なしでは楽曲たりえない。フェネスはそれを独自に、深みのある表現へと発展させることができた数少ないひとりだ。

 また、美術学校で音楽を学んだ彼は、90年代後半のウィーンの小さなコミュニティ——ピーター・レハーグ(通称ピタ)による〈Mego〉というレーベルを拠点とした、ユーロセントリックな電子の実験場の主要人物としても知られる。すなわち、英国産のエレクトロニカ台風から離れて、アカデミアでもなければテクノでもない欧州独自の回路を見出した一派、そこにはジム・オルーク、あるいはベテランのキース・ロウ、ブルクハルト・シュタングルのような即興家たちも合流した。この辺境(オルタナティヴ)において、フェネスはそして放浪者デイヴィッド・シルヴィアンと共演し、坂本龍一と共作したことはここ日本ではよく知られるところである。

 ピタ、オルークとのラップトップ・アンサンブルによる即興作品もいまだ根強い人気をほこっているが、彼の初期作品のほとんどはギターとエフェクトを駆使して作られている。そのセットはいまでも彼の主要機材で、彫刻に喩えられる彼の音響工作は、ドラムとベースがないどころか、多くのエレクトロニック・ミュージックと構造が異なっている。そして、なんと言っても彼には、数多の不協和音作品にはないメロディの再発見があり、受け入れるか否かはともかく、楽曲にはヨーロッパ的な美学、とくに古くから日本人が思い浮かべるようなそれが横溢しているようにぼくには思える。フェネスを聴くことはゲーテやトーマス・マンを読むことに近いとは言い過ぎだが、彼の音楽には詩的な美があり、生きることの葛藤があり、そして内的な深みがあることはたしかだろう。ただ、フェネスの音楽を聴いていつも感嘆するのは、その緻密さと大胆さが入り乱れた表現力だ。ロスコの抽象絵画が観る距離や鑑賞時の精神状態によって見え方が異なるように、フェネスの抽象音楽は聴く度に違って聴こえたりもする。

 本作『モザイク』、フェネスにとって5年ぶりのアルバムは、その微細なタッチで描かれる詩的描写と精神性が融和した力作だ。前作よりも、入りやすい。ことにアルバム冒頭の“Heliconia”は出だしが出色で、あざやかな幕開けがある。聴いて数十秒、目の前にはあたかも海(たとえばアドリア海)が広がるようだ。海中には、それこそ無数のテクスチュアがある。光と闇があり、重力と時間は変化する。うねるような音の循環、音の煌めき、複数のレイヤーが並走するなかフェネスらしいメロディが立ち上がる。そのじつに魅惑的な音響工作に対し、2曲目の“Love And The Framed Insects(愛と額装された昆虫)”のドローンは静的にはじまり、内省的に展開する。エーテル状に加工されたサウンドはゆらめき、他方では軋むようなグリッチが遠い記憶の向こうで鳴っている。この曲における速度を落とした感覚はその次の“Personare”にも感じられるが、こちらはよりダビーな残響のなかで抽象化される。 

 『エンドレス・サマー』のようなアルバムを出してしまったフェネスは、それ以降の作品すべてがその傑作と比較されてしまうという、ある意味不幸な状況にある。日本のアンビエント作家と呼ばれる人たちから「『エンドレス・サマー』は好きだけれど……」という言葉をぼくはなんど耳にしたことか。もっとも、そう言われるだけの代表作をもつアンビエント作家が何人いようか、とも言えるわけだが、まあそれはさておき、たしかにカリフォルニア西海岸の情景には、多くの人が感情移入できる牧歌性があった。しかし、海辺の情景がつねに黄金色であるとは限らない。4曲目の“A Man Outside”には寒々しい曇り空が広がっている、そんなふうに思える曲だ。よりミニマルに、しかも茫洋と続くこの曲のどこかでは雨も降っているのだろう。「海にいるのは、あれは、浪ばかり」(中原中也)——そんな感じである。

 終わらない夏は終わりつつある。神妙な響きをもったドローンに導かれながらはじまる5曲目“Patterning Heart(パターニングする心)”もまた感動的な作品だ。いまでも多くの電子音楽家に好まれている映画監督にアンドレイ・タルコフスキーがいるが、その映像におあつらえ向きの曲だと言えるし、ぼくはその重みにおいて坂本龍一の『async』との共鳴を感じた。しかしながら、アルバム最後の、謎めいた曲名の“Goniorizon”の荘厳さに関しては、いまはなんと言ってのかわからない。海に飛び込んで、哲学的な内省に向かっている、そう喩えていいものかどうか。それほどまでに聴いている人間の心に突き刺さる魔力がある。いずれにせよ、美を忘れることはない、奥深いヨーロッパの音楽。そして海、またしても海があると。 

(追記:日本盤のよろすず氏の解説はたいへん勉強になった。ここに書かれていることと一切重ならない。ファンには一読をお薦めする)

12月のジャズ - ele-king

 先月はムラトゥ・アスタトゥケとフードナ・オーケストラとの共演作を紹介したが、今月もそうしたレジェンド級アーティストの新作が登場した。正確に言えば未発表レコーディングなのだが、ラップの元祖とも言えるポエトリー・リーディング集団のラスト・ポエッツと、アフロビートのオリジネーターである故トニー・アレンとの共演作である。録音は2018年で、『Understand What Black Is』を遺作としてラスト・ポエッツのジャラール・マンスール・ナリディンが死去した後に、残されたメンバーであるアビオダン・オイェウォレとウマー・ビン・ハッサンがブライトンにあるプリンス・ファッティのスタジオに赴き、そのときレコーディングをしていたトニー・アレンとセッションをおこなったというものである。当時のトニーのバンドであるエジプト80にはコートニー・パイン、カイディ・テイサン、ジョー・アーモン・ジョーンズらが参加し、ロンドンのアフロ・レゲエ・バンドであるスーズセイヤーズがホーン・セクションを固めていた。


E王

The Last Poets feat. Tony Allen & Egypt 80
Africanism

Africa Seven

 2018年と言えばサウス・ロンドンのジャズ・シーンが注目を集めはじめた時期で、そうした中にいたジョー・アーモン・ジョーンズがトゥモローズ・ウォリアーズ(ジャズ・ウォリアーズ)の先輩格にあたるコートニー・パインや、ウェスト・ロンドンのブロークンビーツ・シーンでも活躍してきたカイディ・テイサン、そしてモーゼス・ボイドエズラ・コレクティヴなどに多大な影響を与えたトニー・アレンと会したという非常に興味深いセッションである。ジョー・アーモン・ジョーンズやエズラ・コレクティヴはヒップホップやグライムの要素を持つ作品もやっているが、そうした点ではラップの元祖であるラスト・ポエッツとの共演も彼にとって大きなものだったろう。レゲエやダブのエンジニアとして名高いプリンス・ファッティのスタジオというのも面白く、『Understand What Black Is』はかなりレゲエに傾倒した部分もあったが、コートニー・パインにしろ、ジョー・アーモン・ジョーンズにしろ、レゲエやダブの影響も大きなアーティストであり、UKのジャズ、レゲエ、ヒップホップが集積したようなセッションだったと思われる。

 基本的に新曲をやるのではなく、“This Is Madness”、“When The Revolution”、“Gash Man”、“Niggers Are Scared Of Revolution” など、ラスト・ポエッツの過去の代表曲を再演するものとなっている。かつて公民権運動ともリンクしていたラスト・ポエッツの作品には人種差別などを痛烈に批判したメッセージが込められていて、近年のブラック・ライヴズ・マター運動とも重なり、改めて彼らのやってきたことは再評価されるべきと思うのだが、この『Africanism』のリリースにはそうした意義もある。そして、“This Is Madness” に顕著なように、トニー・アレンの叩き出す強烈なアフロビートとラスト・ポエッツのメッセージはとても相性がよい。そもそもトニー・アレンもフェラ・クティと共にナイジェリアの軍事警察に対抗するべく音楽活動をおこなっていたわけで、そうしたレベル・ミュージックとしての同志が共演したセッションだったと言える。


E王

Sun Ra Arkestra
Lights On A Satellite

In+Out

 サン・ラー・アーケストラの草創期からのメンバーで、サン・ラー亡き後のおよそ30年に渡ってバンド・リーダーを務めるマルチ・リード奏者のマーシャル・アレンが、今年5月に100歳を迎えた。100歳という高齢ながら現役で演奏活動をおこなうことが信じられないことなのだが、その誕生日からおよそ半年後、個人名で初のソロ・アルバムとなる『New Dawn』をリリースする(予定では来年2月頃)ということだから全くもって驚かされる。そんなマーシャル・アレンの生誕100年を祝ったトリビュート的なアルバムが『Lights On A Satellite』である。サン・ラー・アーケストラとしても今年6月にニューヨークで録音された新作アルバムであり、マーシャル・アレン以下、アルト・サックス奏者でアレンと共にバンドのアレンジャーを務めるノエル・スコット、テナー・サックスのジェイムズ・スチュワート、フレンチ・ホルンのヴィンセント・チャンセイ、トランペットのマイケル・レイ、セシル・ブルックス、ベースのタイラー・ミッチェル、トロンボーンのデイヴ・デイヴィス、ロバート・ストリンガー、パーカッションのエルソン・ナシメント、ギターのデイヴ・ホテップ、ヴァイオリンとヴォーカルのタラ・ミドルトンなど、前作『Living Sky』(2022年)や前々作『Swirling』(2020年)と同じようなラインナップとなっている。

 表題曲は1960年代からの楽団のレパートリーで、『Fate In A Pleasant Mood』(1965年)、『Art Forms Of Dimension Tomorrow』(1965年)、『Live In Paris At The Gibus』(1973年)、『Live At Montreaux 1976』(1976年)などで度々録音されてきたサン・ラー代表曲のひとつ。『Swirling』でも演奏していたほか、クラブ・ジャズ世代にはトゥー・バンクス・オブ・フォーがカヴァーしたことでも知られる曲だ。美しいバラード・タイプの曲で、ほとんどワン・フレーズのメロディをアーケストラが重層的に重ね合わせていく。シンプルに統一された楽曲構成であるが、その循環されるフレーズの中で奏者たちの即興性やアイデアが積み重なり、壮大なドラマが展開される。“Friendly Galaxy” も1960年代からの代表曲で、『Secret Of The Sun』(1965年)や『Disco 3000』(1978年)などに収録された。スペイシーなSEを交え、サン・ラー・アーケストラらしい宇宙旅行へ誘うような楽曲となっている。マーシャル・アレンの100歳を祝うにふさわしいラインナップと言えよう。


Richard Spaven
Sole Subject

Fine Line

 リチャード・スペイヴンにとって『Sole Project』は、2020年にリリースしたサンデューンズとの『Spaven x Sandunes』以来、久々のアルバムである。この間は、アルファ・ミストの『Bring Back』(2021年)、クラークの『SUS Dog』(2023年)、ロイル・カーナーの『Higo』(2024年)などのレコーディングに参加するなど、ジャズに限らず幅広く活動していた。また、盟友のギタリストであるスチュワート・マッカラムやジョーダン・ラケイなどが参加したEPの「Spirit Beats」(2022年)をリリースしているが、これなどはドラマーというより人力ビートメイカー的な視点に立ったものである。このEPにはラッパーのバーニー・アーティストとコラボした曲もあり、よりクラブ・サウンドを意識した内容となっていたのだが、『Sole Project』もそうした延長線上にあるビート・クリエイター的なアルバムと言えよう。

 参加メンバーはスチュワート・マッカラムのほか、ネイティヴ・ダンサーなどで活動してきたキーボード奏者のサム・クロウ、ブラジル系のパーカッション奏者でダ・ラータなどで長年活動してきたオリ・サヴィル、アルファ・ミスト、ロイル・カーナー、ジョーダン・ラケイらの作品に参加するトランペット奏者のジョニー・ウッドハムといった面々で、シンガーのナタリー・ダンカンやネイティヴ・ダンサーのヴォーカリストだったフリーダ・ツアーレイ、DJのワイルドチャイルドなどもフィーチャーされる。スチュワート・マッカラムのメロウなギターや哀愁に満ちたワードレス・ヴォイスが空間を埋める “Spirit Quintet” は、かつてのシネマティック・オーケストラジャザノヴァあたりに代表されるクラブ・ジャズのエッセンスを感じさせる楽曲。実際にリチャード・スペイヴンやスチュワート・マッカラムはシネマティック・オーケストラに在籍していたこともあるので、そうした要素は自然と表れるのだろう。

 “Stellar” では人力ブロークンビーツ的なドラミングを披露し、ナタリー・ダンカンのディープな歌声をフィーチャーした表題曲ではダブステップ的なドラムにより、サブモーション・オーケストラのような世界を導き出す。“Find Peace Within” はブロークンビーツ調のドラムスと、アフロ・ラテン的なパーカッションが絡み合ったグルーヴィーなリズムが特徴だが、これもプログラミングではなく全て生演奏によるもの。“Faders” のドラムンベースでもブロークンビーツでもテクノでもない有機的なビートは、マシンでは出すことのできないスペイヴンのドラムスの真骨頂と言える。プログラミングと生演奏の境界線が曖昧になるアルバムだ。


Tomin
A Willed and Conscious Balance
International Anthem Recording Company / rings

 トミンはフルネームをトミン・ペレア・チャンブリーといい、ニューヨークのブルックリンを拠点に活動するマルチ・プレイヤーである。主に演奏するのはフルート、トランペット、アルト・クラリネットなどで、即興演奏家であり作曲家であると共に、詩人としても活動する。ジャズ・アット・リンカーン・センター・ユース・オーケストラのトロンボーン奏者として出発し、ジャズ、ヒップホップ、パンクなどをミックスしたアーティスト集団のスタンディング・オン・ザ・コーナーの出身者でもある。以前は個人で作品発表をおこなってきたが、今年に入ってからシカゴの〈インターナショナル・アンセム〉と契約を結び、『Flores Para Verene / Cantos Para Caramina』と『A Willed and Conscious Balance』の2枚のアルバムをリリースした。『Flores Para Verene / Cantos Para Caramina』はこれまでの自作曲をまとめたコンピで、全くのひとりで作った作品集となる。エリック・ドルフィー、アルバート・アイラー、チャールズ・ミンガス、マル・ウォルドロン、デューク・エリントン、ローランド・カーク、カル・マッセイなど、彼が影響を受けたジャズ・ミュージシャンたちに捧げた楽曲が収められていた。一方、『A Willed and Conscious Balance』はセプテット編成のグループによる録音で、〈インターナショナル・アンセム〉における正式なデビュー・アルバムという位置づけである。

 バンド・メンバーはニューヨークのミュージシャンとシカゴのミュージシャンが混在し、なかでもベーシストのルーク・スチュワートとドラマーのチェザー・ホームズはイレヴァーシブル・エンタングルメンツのメンバーで、チェリストのレスター・セント・ルイスは故ジェイミー・ブランチのバンド・メンバーとして活動してきた。トミンはジェイミー・ブランチが存命中の2021年にシカゴを訪れ、ジェイミーやエンジェル・バット・ダーウィッドらと共演をするが、そのときにルーク・スチュワート、チェザー・ホームズ、レスター・セント・ルイスやキーボード奏者のティアナ・デイヴィスらと会し、このグループの結成へと繋がった。アルバム収録曲はブッカー・リトル作曲の “Man of Words” とカラパルーシャことモーリス・マッキンタイア作曲の “Humility in the Light of the Creator” を除いて全てトミンのオリジナル曲。“Movement” は軽やかなリズムに乗せてトミンのフルートが優しく奏でられる牧歌性に富む作品。スピリチュアル・ジャズとして語られるフルート奏者のロイド・マクニールの作品を彷彿とさせる楽曲だ。“Life” も疾走感のあるリズムを持ち、エレピの力強い演奏やチェロのスリリングな音色も光る。ストリングスが印象的な点では、ジャズ・ヴァイオリン奏者のマイケル・ホワイトを思い起こさせるところもある。“Humility in the Light of the Creator” はモーリス・マッキンタイアがシカゴのAACM在籍中に発表したデビュー・アルバムのタイトル曲で、シカゴのフリー・ジャズ・シーンに対するトミンなりの敬意の表われとも言える。“Man of Words” の原曲はほぼブッカー・リトルによるトランペットの独奏だが、ここではトミンなりのアンビエントな解釈で再現している。

C.E presents Josey Rebelle, PLO Man, Rezzett, Will Bankhead - ele-king

 ブランドの発足以来、さまざまなパーティを開催してきた〈C.E〉。その2025年最初のパーティがアナウンスされている。選曲からストーリーのつくり方までそのDJスキルが評判のジョージー・レベルを筆頭に、PLOマン、レゼット、ウィル・バンクヘッドが出演。1月24日はVENTに足を運びましょう。

C.E presents
Josey Rebelle, PLO Man, Rezzett, Will Bankhead

2025年度初となるC.Eのパーティが1月24日金曜日、VENTにて開催。
洋服ブランドのC.E(シーイー)は、2025年1月24日金曜日、表参道VENTを会場にパーティを開催します。
C.Eは、2011年のブランド発足以来、不定期ながらミュージシャンやプロデューサー、DJと共にパーティを開催してきました。
約4ヶ月ぶり、2025年初の開催となる本パーティでは、Josey Rebelle, PLO Man, Rezzett, Will Bankheadを招聘致します。

C.E presents

Josey Rebelle
PLO Man
Rezzett
Will Bankhead

開催日時:2025年1月24日金曜日11:00PM
会場:VENT vent-tokyo.net
料金:Door 3,000 Yen
Advance ticket 2,000 Yen
https://t.livepocket.jp/e/vent_20250124

Over 20's Only. Photo I.D. Required.
20歳未満の方のご入場は固くお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います

■Josey Rebelle
Josey Rebelle(ジョジー・レベル)は、「世界中の一流ダンスフロアを席巻するジャンルの垣根を超えるDJ」(Mixmag)、「UK音楽シーンのヒーロー」(The Face)と評されるロンドン出身のDJ 。
DJ Magの「100 of the World's Best DJs 2022」、BBC Radio 1の「Essential Mix of the Year 2019」、DJ Magの「Best of British Award for Best Compilation 2020」、Resident Advisorの「Mix of the Year 2020」、DJ Magのカバー、DJセット、ミックス、ラジオ番組で毎年恒例の「Best Of」リストに掲載されるなど、数々の受賞歴を持つ。
ダンサー、DJ、サウンドシステム・オペレーターというカリブ海の文化の中で育ち、幼い頃からデッキに親しみ、13歳の頃に兄からハウス、テクノ、ジャングルのコレクションでミックスを教わった。彼女がベッドルームDJからクラブのブースに立つまでの自信を得たのはそれから数年後のことで、数え切れないほどの練習を重ねた上でのこと。最終的には、ロンドンの伝説的なクラブであるPlastic Peopleのレジデントとして、またロンドンの先駆的ラジオ局Rinse FMにおいて10年にわたり毎週番組のホストを務めた。
また、世界で最も象徴的なクラブやフェスティバルで魅惑的なセットをプレイし、フェスティバルのステージからBerghainのメインフロアまで、あらゆる場所でオーディエンスを魅了している。加えて、BBC Radio 1、The Trilogy Tapes、Resident Advisor、The Face、Fader誌に提供したミックスで高い評価を得ている。
2010年にはBoiler Roomの初放送出演し、2020年2月にはDJ Magの表紙を飾った。
2020年、Beats in Space Recordsからリリースされた自身初のコンピレーション・アルバム『Josey In Space』には、彼女の大切なレコード・コレクションの奥底から掘り起こされたエクスクルーシヴ音源や、これまでレコードでしか聴くことのできなかった楽曲の数々が収録されている。『Josey In Space』は、「DJ Mag Best of British Awards 2020」のベスト・コンピレーション賞とResident Advisorのミックス・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
自身がティーンエージャーだった頃へ捧げられ、丹念にキュレーションを行った2021年にThe Trilogy Tapesからリリースされたカセットテープに収められたミックスは、ピッチフォーク誌に「ヴィンテージのUKパイレーツラジオを最も忠実に再現した」と評された。
ニューヨーカー誌はこう述べた「ジョジー・リベルは稀有な存在だ」、 「プロデュースではなく(彼女はプロデューサーではない)、デッキにおけるプレイだけで名を馳せるDJだ」。
ソーシャルメディアにおいて存在を示さないジョジーは、長年にわたり選りすぐりの情熱と信憑性に基づいた評価を築くため努力してきた。ノイズから自分自身を切り離し、彼女が最も愛するもの以外に何も必要とされない場所、つまりはDJブースの暗闇に足を踏み入れ、ただプレイすること、それだけにたどり着くために。
www.joseyrebelle.com

■PLO Man
2015年よりACTING PRESSの共同運営及び代表を務める。ソロ、C3D-Eとの共同作品、INTe*raやGlobex、CC Not等のグループとして音楽を発表している。2024年、Doo loreのSnP 500と共にテクノレーベルPinを立ち上げ、SnPLOのEPを2作リリースした。
ヨーロッパ、北米、アジア、オセアニアにてDJを行っており、キャリアはおよそ15年に亘る。ベルリン在住。
2013年から2019年まで、今はなきBerlin Community RadioでPLO Radioのホストを務めた。その後、Lot Radio、Refuge Worldwide、Rinse.fm、IDAなどで番組を担当。現在はロンドンのNTSにてレジデントとしてバイマンスリー番組Drizzle.FMを担当。
DJのレコーディングについては、C.Eからリリースされた2作のテープ、ACTING PRESSとTerraformaから発表されたCDに加え、Youtubeにアーカイブされている。
www.tracksplease.com
soundcloud.com/p_el_oh

■Rezzett
TapesことJackson Bailey(ジャクソン ベイリー)とLukidやRefreshersとしても知られるLuke Blair(ルーク ブレア)の2人組によるRezzett(レゼット)。
2013年に楽曲をYouTubeへアップロードしたのち、Will Bankhead(ウィル バンクヘッド)の音楽レーベルThe Trilogy Tapes(ザ トリロジーテープス)より、歪みが特徴的なテクノとジャングルのEPを5枚リリースし高い評価を得た。
Rezzettは現在のダンス ミュージックにおいて珍しいものでなくなくなった「ローファイ」サウンドのパイオニアと言っても過言ではない。
2018年には前述したThe Trilogy Tapesよりデビュー アルバムをリリースしたのち、突如としてリリースは止まり、時折ライブをおこなうことだけがRezzettがまだ存続している証拠だったが、2023年6月、記念すべきThe Trilogy Tapesのレーベル100番目のリリースとなる2ndアルバム『Meant Like This』を突如リリースし、ライブパフォーマンスを収録したカセットテープ、4曲を収録したEP『Boshly』を発表した。
最新の音源は2024年5月に自主リリースで発売したEP『Puddings』。
rezzett.bandcamp.com/

■Will Bankhead
イングランドのインディペンデント音楽レーベル、The Trilogy Tapes(ザ トリロジー テープス)主宰。
Mo Waxでメイン ヴィジュアル ディレクターを務めたのち、洋服レーベルであるPARK WALKやANSWER、音楽レーベルのPKを経て、2008年にThe Trilogy Tapesを立ち上げる。
Honest Jon's Recordsをはじめとする音楽レーベルのためのスリーヴデザイン、Palace Skateboardsなどの洋服ブランドのグラフィックデザインも手がける。
www.thetrilogytapes.com
thetrilogytapes.bandcamp.com

Wendy Eisenberg - ele-king

 ニック・ドレイクの曲に “River Man” がある。アコースティック・ギターの弾き語りに近い曲だが、何気ない5拍子のリズムと不協和音がジャズを感じさせるという、シンプルだが単純な曲ではない。西東京の自分が住んでいるエリアには、多摩川までに仙川と野川という小さな川がある。自転車を降りて、川沿いを歩いているときに“River Man” を思い出してしまうのは、自分も黄昏れている人間だからなのだろうか。はあ……出るのはため息ばかりだが、音楽のことを考えよう。
 そう、ジャズとフォークだ。年明けにはティモシー・シャラメ主演のボブ・ディランの若き日々を描いた映画が上映されることなので、現代のニューヨークから熱狂的なジャズを我がものとし、雑食性とフリー・インプロヴィゼーションに興じる若き前衛による、冬の空気のように澄み切ったアルバムを紹介したい。
 ウェンディ・アイゼンバーグはギターの名手で、「音楽シーンにおいて、私は女性として扱われ、私の性別は神話化されている。『あなたは女性ギタリスト』だとか、『かわいいから雇っただけ』といった感じで、それに対抗するために私がとった方法は、その楽器をとんでもなく上手に演奏することだった」——とアイゼンバーグは『Tone Glow』のインタヴューで語っている。が、しかしながらこの人物は、自分の技術をひけらかすことよりも音楽のなかの自由を拡張し、思索することに長けている。たとえばアイゼンバーグは、セシル・テイラーあるいはモートン・フェルドマンの領域、レインコーツにロバート・ワイアットあるいはジョアンナ・ニューサム、ときにはジョアン・ジルベルトやエグベルト・ジスモンチへと、そしてデレク・ベイリーとデイヴィッド・シルヴィアンの回路を自由に行き来し、ジョン・ゾーンのレーベルからも作品を出している。ジャズを流暢に演奏しながら、アイゼンバーグにはソングライターとしての側面があって、だからヴォーカリストでもある。詩を書き、歌を歌う。メアリー・ハルヴォーソンとの大きな違いはそこで、ジャズでSSWといえばジョニ・ミッチェルの名前も出てくるだろうが、この人はもっとオルタナティヴに尖っていて、ずいぶんな読書家でもあるアイゼンバーグは音楽を感覚的なものであると同時に思考の契機としても捉えている。

 音楽は言葉では語れないというミュージシャンに限って言葉で語れるような紋切り型の音楽をやっていることが多い。そもそもそ言葉で語れない音楽を聴きたいから我々はこうして音の海を探索している。そして、紋切り型の音楽に限って音楽を視覚化する(MVを作ったりする)傾向にあるわけだが、この世界には、視覚化しようがない音楽もある。2024年、アイゼンバーグは2枚のアルバムを出している。1枚は『Viewfinder』で、これは彼女のレーシック手術を契機として生まれたソロ作品、もう1枚はサックス奏者のキャロライン・デイヴィスとのコラボレーション作品、まずは前者からいこう。
 『Viewfinder』、カメラで撮影のさいに視覚的に確認するため目で覗く部分のことで、比喩的に言えば「ものごとの視点を決めるもの」、すなわち「世界の見方」のようなことになるのだろうか。作中でもっとも人気のある曲は冒頭の“Lasik”で、これは視力を矯正して見えるようになったはずが治癒にはなっていないという暗喩的な歌詞が歌われている。「自分が愛することもできない物語に向けて/視線を定めているわけにはいかない/さてと、次なるポップショーを観るため/お気に入りのアーティストのチケットを取ろう」。こうしたウィットが、トロンボーンとベース、ピアノの神妙な絡み合いに溶け込んでいる。
 アルバムには、“Two Times Water”のような華麗な室内ジャズがあるいっぽうで、“HM”や“Afterimage”では透き通った空間におけるポスト・パンク的な遊び心があり、作者が言うようにレインコーツの『オディシェイプ』と共鳴しているように思える。これらは個人的にとくに没入できる曲でもあるのだけれど、作中、もっともポスト・パンク的なささくれだった感覚が聴けるのは表題曲の“Viewfinder”だ。スティル・ハウス・プランツとも充分に通じ合う、2024年の喜ばしきオルタナティヴ・ロック・ソングである。
 「ファシズムに対するもっとも真の反抗は複雑なものを作ること」だとアイゼンバーグは信じている。実際我々の感情は複雑で、紋切り型のラヴソングですべてが解決できるほど人生は簡単ではない(少なくともぼくの場合は)。いろんな感情を込めて孤独な魂を歌う深夜のジャズ・ソング“In the Pines”でアルバムは締めくくられるわけだが、アイゼンバーグの世界をもっと楽しみたい人にとっては、今年は嬉しいことにキャロライン・デイヴィスとの『Accept When』もある。複雑なリズムの曲のなかにもギターとサックスの美しいメロディが交錯し、いくつもの素晴らしい瞬間が待っているこのアルバムには独特の温かみがあって、とくにアイゼンバーグのヴォーカルが聴ける冒頭の“Attention”は2024年のベスト・ソングのひとつ。川沿いを歩くには寒い季節だが、最近の乾燥した空気はこの音楽とうまく調和している。ぜひ聴いて欲しい。

Acidclank - ele-king

 トラックメイカーにしてシンガーソングライター、そしてモジュラー・シンセの使い手でもあるYota Mori。そのソロ・プロジェクト、Acidclankがニュー・アルバム『In Dissolve』をリリースする。発売は2月5日で、ガムランを用いた曲からジャングル、ドリーム・ポップ、ダブステップまでとりいれた独自のポップ世界が構築されている模様。3月7日にはリリース・パーティ《acidplex (dissolution)》の開催も決定しているので、あわせてチェックしておこう。

Yota Moriによるソロプロジェクト Acidclank、ニューアルバム「In Dissolve」2025年2月5日リリース決定!

Yota Moriによるソロプロジェクト Acidclank が、2025年2月5日(水)ニューアルバム『In Dissolve』をリリースすることを発表。
前半では、ガムランやシンセのミニマルフレーズが織りなす反復とメロディアスな音像が、リスナーを深い瞑想状態へと導く。後半に進むにつれて、ドラムンベース、ドリームポップなど多彩なアプローチを通じて、さらなる精神の深淵へと誘う楽曲展開が待ち受けています。民族音楽、サイケデリックトランス、ミニマルテクノ、エレクトロ、ドリームポップまで、幅広いジャンルの要素を取り入れた本作は、Acidclankの音楽的挑戦を結晶化した実験的な作品。アルバムアートワークもYota Mori自身が手掛け、音楽と視覚が一体となった世界観を構築している。
本作のリリースに伴い、2025年3月7日(金)に渋谷CIRCUS TOKYOにてリリースパーティー『acidplex (dissolution)』の開催も決定。

[リリース情報]

Acidclank 『In Dissolve』
2025.02.05 [CD] / 03.05 [VINYL]
PCD-25459 / PLP-7534
定価:¥2,750(税抜¥2,500) / ¥4,400(税抜¥4,091)
Label:P-VINE

*Pre-order now
CD: https://anywherestore.p-vine.jp/products/pcd-25459
LP: https://anywherestore.p-vine.jp/products/plp-7534

Pre-teaser
https://youtu.be/PaV8ER8exew
https://youtube.com/shorts/4nv79AabfEg

Tracklist:
1. Enigma
2. Hide Your Navel
3. Hallucination
4. Radiance
5. Mantra
6. Remember Me
7. Out Of View
8.Grounding

[イベント情報]
Acidclank 「In Dissolve」Release Party
『acidplex (dissolution)』
日時:2025年3月7日(金)
OPEN / START:18:00 / 18:30
会場:東京・渋谷 CIRCUS TOKYO (https://circus-tokyo.jp/)

[PROFILE]
トラックメイカー/シンガーソングライターであるYota Moriによるソロプロジェクト。 シューゲイザー/クラウトロック/サイケデリック/アシッドハウス/マッドチェスター/ドリームポップにインスパイアされたサウンドで、その活動形態やジャンルを流動的に変化させる。 2021年、2022年には国内最大級のフェス「FUJI ROCK FESTIVAL」にバンドセットとして出演。 2022年のRED MARQUEEステージでのパフォーマンスでは、日本人離れした音楽性・高い演奏力で大きな話題を呼んだ。 2023年からは活動拠点を大阪から東京に移し、サポートメンバーに元NUMBER GIRLの中尾憲太郎氏がベースとして参加するなど、各著名アーティスト達から支持されつつ精力的にライブ活動・リリースを行っている。 また、モジュラーシンセサイザー奏者としての一面も持ち、2023年には国内最大のモジュラーシンセ見本市であるTFoMにソロセットで出演するなど、クラブ、バンドのシーンに関わらず多岐にわたる活動を行う。

Acidclank:
https://x.com/ACIDCLANK
https://www.instagram.com/y0ta1993/
https://linktr.ee/acidclank

東京国際映画祭レポート - ele-king

 今年の東京国際映画祭は、ドナルド・トランプが米大統領選での勝利宣言をした同じ日に閉幕するという不運に見舞われた。トランプの勝利は、マイノリティや女性の権利、ウクライナ・パレスチナ情勢、世界の民主主義、そして地球環境の未来にまで深刻な影響を及ぼすものとなるだろう。そのような事態を前にして、日本を代表する映画祭はあまりにも小さく感じられた。

 東京国際映画祭(TIFF)がそもそも話題性の高いイベントであるというわけではない。TIFFという略称からしても、1ヶ月先に開催されるトロント国際映画祭(同じくTIFF)の影に隠れてしまいがちだ。毎年、東京国際映画祭のコンペティション部門で上映される外国映画のうち、日本で劇場公開されるのはほんの一握り。しかも、最高賞にあたる東京グランプリを受賞しても、配給会社が見つかる保証はない。

 しかし、今年最高賞を取った吉田大八監督の『敵』は、2005年以来、日本映画として初めてグランプリを受賞した作品であり、その心配は無用だろう。以下に、その作品と、今年上映された注目すべき映画について簡単にご紹介する。

『敵』

 吉田大八監督はこれまで駄作を撮ったことはないが、この作品は彼の最高傑作と言えるかもしれない。筒井康隆による1998年の小説を映画化した今作は、その穏やかな滑り出しから、後にシュルレアリスムへと突入する衝撃的な展開をみせる。長塚京三は、退職した大学教授を演じ、その日常生活が徐々に、そして最終的には劇的に破綻してゆく様を見事に演じきり、主演男優賞を受賞。このラストは、ルイス・ブニュエルや、ダーレン・アロノフスキーの『マザー!』を彷彿とさせるほどである。トランプ当選のニュースを聞いた後、再びこの映画を鑑賞したのだが、作品が描く死生観や、謎の「敵」に関する噂、そして大量の難民であふれかえる社会の描写は、さらに不吉なトーンを帯びていた。
(2025年1月17日劇場公開:https://happinet-phantom.com/teki/) 

『トラフィック』

2024 © MINDSET PRODUCTIONS – LUNANIME – LES FILMS DU FLEUVE – BASTIDE FILMS – FILMGATE FILMS – FILM I VÄST – AVANPOST MEDIA – MOBRA FILMS
119分/カラー/ルーマニア語、オランダ語、英語/日本語、英語字幕/2024年/ルーマニア、ベルギー、オランダ

 西欧と東欧の格差を赤裸々に描いたテオドラ・アナ・ミハイ監督の社会派ドラマ。ルーマニア人ギャング集団がロッテルダムの美術館から多数の文化財を盗み出したという2012年の事件を基に制作。前半はオランダが舞台で、窃盗集団の1人の内縁の妻(最優秀女優賞を受賞したアナマリア・ヴァルトロメイ)に焦点を当てており、後半よりも面白い。この映画では、裕福な西欧において、出稼ぎに来る移民たちが二流市民として扱われている様子が容赦なく描かれているが、その一方で、彼らの母国にも深刻な不平等が存在することも取り上げられており、そのような背景を思えば、ピカソの作品がどうなろうと、取るに足らないことのように思えてくる。

『雨の中の慾情』

©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
11月29日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

 昭和の時代に描かれた、変態チックでシュールな漫画は、現代の映画制作者に対して「健康を害する可能性あり」という注釈を添えるべきかもしれない。台湾を舞台にした片山慎三監督の映画は、つげ義春の作品いくつかを翻案したものだが、手塚眞が監督した『ばるぼら』と共通する難点があった。最先端の映像技術や、時折織り込まれるドリーミーな空想シーンを駆使しても、時代錯誤的な性描写を美化することはできないのである。さらに、この映画は(現実というものがあるとすれば)現実が何なのかという感覚を揺るがそうと躍起になっているせいで、こちらとしては、結局、何もかもがどうでもよくなってくる。しかし、この作品は散漫・雑然としながらも、見どころのない映画というわけではない。例えば、大日本帝国陸軍による大虐殺を描いた豪勢なシーンなど、現代の日本映画ではあまりお目にかかれないような場面もある。 
(11月29日劇場公開:https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/

『アディオス・アミーゴ 』

118分/カラー/スペイン語/日本語、英語字幕/2024年/コロンビア

 イヴァン・D・ガオナ監督による、マカロニ・ウェスタン風のコロンビア映画。昔懐かしい西部劇の雰囲気が色濃く出ているが(主人公たちのやけに汗ばんだ顔がやけにアップで映るなど)、一筋縄ではいかない展開で予想外の方向へと進み、人類は暴力行為から脱却できるのかという話になる。そして、「イエス・キリスト」という名の先住民シャーマンによって与えられる天然の幻覚剤を大量に摂取することで、復讐に燃えていた登場人物たちに、平和を考える余地が生まれてくる。あまりテンポがよいとは言えないが、『アディオス・アミーゴ』のラストは力強く、パラレルワールドでのメキシカン・スタンドオフ〔訳注:互いに武器を向け合ったまま誰も動けない状態〕で締めくくられ、セルジオ・レオーネというよりもアレハンドロ・ホドロフスキーに近い。

『レイブンズ 』

© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films
2025年3月28日よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国ロードショー

 伝記映画『イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』に続き、マーク・ギルが制作したこの作品も、悩める芸術家の姿を描いているが、その内面には踏み込めていない。『レイブンズ』は、2時間という上映時間内に、芸術家のキャリアすべてを詰め込もうとするという、ありがちな罠にはまっている。特に、写真家・深瀬昌久のような複雑な人物を扱うとなると、その取り組みはさらに困難なものとなる。この映画は、深瀬役の浅野忠信と、深瀬の妻でありミューズでもあった洋子役の瀧内公美の安定した演技が支えとなり、映像も良く仕上がってはいるが、どこかありきたりな印象が残る。ギルの最も大胆な試みは、深瀬を突き動かした闇の衝動を具現化したことであり、それはホセ・ルイス・フェラーがヴォイスオーバーを務めた、人間サイズのカラスという形を成しているのだが、このカラスは、残念なことに漫画『DEATH NOTE』の死神に酷似している。(2025年3月劇場公開:https://www.ravens-movie.com/

『黒の牛』

2024年/日本=台湾=アメリカ/114分/シネマスコープサイズ/5.1chサラウンド/白黒&カラー
配給:ALFAZBET、ニコニコフィルム、ムーリンプロダクション

 東京国際映画祭でデビュー作『祖谷物語―おくのひと―』が上映されてから10年あまりを経て、蔦哲一朗監督はさらに素晴らしい2作目で返り咲いた。『黒い牛』は、19世紀後半、日本近代化の波に翻弄される山男(リー・カンション)の物語を通して、禅の悟りへの道を描いた作品。70mmフィルムで一部撮影されたモノクロ映像には独特の質感があり、その一方で、音響効果はサイケデリックな域にまで達している。それ加えて、ただただ唖然とするような場面もあったので、この作品は、ぜひとも大画面・大音量で鑑賞していただきたい。

Tokyo International Film Festival Report

written by James Hadfield

This year’s Tokyo International Film Festival had the misfortune to wrap up on the same day Donald Trump declared victory in the US presidential election. In the face of an event that’s likely to have such dire consequences – for minorities, women’s rights, Ukraine, Palestine, global democracy and the state of the planet itself – Japan’s preeminent film festival felt awfully small.

Not that TIFF tends to be a major news event anyway; even its acronym ensures that it’s forever in the shadow of Toronto’s more high-profile festival, which takes place a month earlier. Only a handful of the non-Japanese films screened in competition each year go on to receive a theatrical release here; even winning the top Tokyo Grand Prix is no guarantee of finding a distributor.

That won’t be an issue for this year’s winner, Daihachi Yoshida’s “Teki Cometh,” which became the first Japanese film to take the festival’s top prize since 2005. Here are some brief notes on that, and a few of the other notable movies that screened this year.

Teki Cometh (敵)

Yoshida has never made a bad film, but this might be his finest hour. The director’s adaptation of a 1998 Yasutaka Tsutsui novel starts so gently, its later turn into surrealism comes as a shock. Kyozo Nagatsuka deservedly won the Best Actor award for his portrayal of a retired professor whose domestic harmony starts to unravel, first slowly and then spectacularly, in a final act that recalls Buñuel and even Darren Aronofsky’s “Mother!” Watching it for a second time, after getting the news about Trump’s electoral win, the film’s rumination on mortality and its depiction of a society awash with rumours of a mysterious “enemy” and hordes of refugees took on an even more ominous tone.
(Released theatrically on January 17, 2025: https://happinet-phantom.com/teki/)

Traffic (Reostat)

Europe’s east-west divide is laid bare in this anti-thriller by Teodora Ana Mihai, based on a 2012 heist in which a Romanian gang made off with a clutch of priceless artworks from a museum in Rotterdam. The first, and stronger, half of the movie is set in The Netherlands and focuses on the common-law wife of one of the thieves (Anamaria Vartolomei, who won the Best Actress prize). The film is merciless in its depiction of the second-class status afforded to migrants in the affluent West, though also attentive to the stark inequalities that exist in their native country – compared to which, the fate of a Picasso painting starts to look rather insignificant.

Lust in the Rain (雨の中の慾情)

Kinky, surreal manga from the Showa era should probably come with a health warning for contemporary filmmakers. Shinzo Katayama’s Taiwan-set drama, loosely adapted from several stories by Yoshiharu Tsuge, suffers some of the same problems as Macoto Tezka’s “Tezuka’s Barbara.” Superior tech specs and occasional bursts of dreamlike visual imagination can’t gloss over some retrograde sexual politics, while the film works so hard to undermine our sense of what (if anything) is real that none of it seems to matter any more. This sprawling, messy movie isn’t without its highlights, though, including a lavish set-piece depicting an Imperial Army killing spree – not something you see often in modern Japanese cinema.
(Released theatrically on November 29: https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/)

Adios Amigo (Adiós al amigo)

This Colombian spaghetti western from Ivan D. Gaona goes hard on the throwback vibes (the faces are extremely close and extremely sweaty), but takes a circuitous route to an unexpected destination, where what’s at stake is whether or not people can move on from violence. It takes some liberal doses of all-natural psychedelics – dispensed by an Indigenous mystic named Jesus Christ – to get the film’s vengeful characters to a point where they might consider giving peace a chance. While the pacing is a little off, “Adios Amigo” ends strong, with a Mexican standoff in a parallel dimension, more Jodorowsky than Leone.

Ravens

Mark Gill’s follow-up to Morrissey biopic “England is Mine” is another portrait of a tortured artist that doesn’t get past the surface. “Ravens” falls into the familiar trap of attempting to squeeze a whole career into a two-hour runtime, which is a particularly fraught undertaking when you’re dealing with a figure as problematic as photographer Masahisa Fukase. The film looks good, and is grounded in solid performances by Tadanobu Asano as Fukase and Kumi Takiuchi as his wife-slash-muse, Yoko, but it ends up feeling oddly generic. Gill’s boldest step is to give a literal manifestation to the dark impulses that drove Fukase, which take the form of a man-sized raven, voiced by Jose Luis Ferrer, who bears an unfortunate resemblance to the Shinigami from “Death Note.”
(Released theatrically in March 2025: https://www.ravens-movie.com/)

Black Ox (黒の牛)

Over a decade after his debut film, “Tale of Iya,” screened at TIFF, Tetsuichiro Tsuta returned with an even more impressive sophomore feature. “Black Ox” sets out to depict nothing less than the path to Zen enlightenment, through the story of a mountain man (Lee Kang-sheng) who comes spiritually adrift during Japan’s late-19th century modernisation. Shot partially on 70mm film, the monochrome imagery has a tactile quality to it, while the sound design pushes things to almost psychedelic heights. There are sequences that left me slack-jawed: it’s worth seeing on the biggest screen, and with the loudest speakers, possible.

Fishmans - ele-king

 先日、mouse on the keysのライヴのために来日したロレイン・ジェイムスもフィッシュマンズのCDをタワレコで購入していました。人気ですね〜。来年、2025年2月19日には、未発表音源を集めたボックスが出ます。1987年のバンド結成初ライヴほか貴重なライヴ音源、未発表曲、デモ、ZAKによる最新ミックス音源など、フィッシュマンズの軌跡を音で辿るドキュメンタリー。3CD+Blu-ray+36PブックレットをLPサイズに収めたBOX仕様。

商品概要
フィッシュマンズ
HISTORY Of Fishmans
2025 年2月19日(水)発売
仕様:LP サイズ BOX 仕様 (Audio 3CD + Blu-ray + 36P ブックレット)
品番:UICZ-9246
価格(税込):13,200 (税抜:12,000)
発売元:ユニバーサル ミューシック合同会社

企画・監修_ 茂木欣一
Mix & Sound Restoration_ ZAK
アートワーク & デザイン_ 伊藤桂司
〈収録予定内容〉
Disc1 : CD [1987-1991] 結成初期/貴重なライヴや未発表曲、デモ音源などを収録
Disc2 : CD [1992-1995] メジャー・デビューから移籍前の貴重なライヴ音源、バンドデモを収録 Disc3 : CD [1997-1998] ポリドール移籍/未発表ライヴ音源を収録
Disc4 : Blu-ray(映像) ※内容未定

〈解説〉
奇跡のバンド、フィッシュマンズ。
 フィッシュマンズは1991年、バンド・ブームの最中「ヴァージン・ジャパン」(ポニーキャニン)の第一号アーティストとしてメジャーデビュー。レゲエやロックステディ、ダブに影響を受けたロックバンドとして多くの名曲を残した。なかでも“いかれた Baby”は昨今、ラヴァーズ・ロック界隈はもとより、アンセム・ソングとして有名無名に関わらず多くのアーティストにカヴァーされている。その後、「ポリドール・レコード」に移籍。東京/世田谷にあった〈ワイキキビーチハワイスタジオ〉と称したプライベート・スタジオで製作された、“世田谷3部作”と呼ばれる3枚のアルバムで独自のサウンドを確立。なかでも約35分/1曲収録という『LONG SEASON』は、サブスク解禁とともに世界中で評価されることになった。1998年12月28日の赤坂 BLITZでの公演が実質最後のライウとなり、後にその音源と映像は商品化され(『男たちの別れ』)、『LONG SEASON』とともに世界中で圧倒的評価を得る。
 1999年のボーカル佐藤伸治の逝去とともに活動を停止していたが、2005年の"RISING SUN ROCK FESTIVAL"で再始動。メイン・ヴォーカルをドラムの茂木欣一の他、ゲスト・ヴォーカルを迎えて断続的にライブ活動を行っている。『映画:フィッシュマンズ』映像関係者有志の発案で、クラウドファンディングにより制作。歴代メンバー、関係者へのインタビューを交え、当時の貴重な映像、2019年リハーサル~ライブ映像を収録したドキュメンタリー映画として制作。約3時間の⻑編かつコロナ禍での公開ながら口コミで評判を呼び、全国展開され動員1万5千人超、ミニシアターランキング1位を記録した。
 本作 『History OfFishmans』は、『映画:フィッシュマンズ』がバンドの軌跡を映像で追った作品であるならば、バンドの軌跡を“音”で追った作品となる。茂木欣一による企画・監修の元、デビュー前の貴重な音源からラジオ出演時の同録、未発表ライウや゙デモテープを、カセットテープやDAT、マルチテープなどから2年をかけてデジタル・アーカイヴ化、茂木自身のインタビューによる全曲解説も付属した渾身のBOXである。

ライヴ情報 フィッシュマンズ史上最大規模のワンマンライヴ Fishmans "Uchu Nippon Tokyo"
2025年2月18日(火) 会場:東京ガーデンシアター
Open/18:00 Start/19:00

[チケット]
前売 :8,800(tax in)イープラス・ローソンチケット・チケットぴあにて発売中!
Ticket sales for OVERSEAS fans https://ib.eplus.jp/fishmans
[info]
SOGO TOKYO 03-3405-9999 https://sogotokyo.com/
東京ガーデンシアター

FISHMANS are
茂木欣一(Dr,Vo) / 柏原譲(Ba) / HAKASE-SUN(Keyb)/ 木暮晋也(Gt) / 関口“dARTs”道生(Gt)/ 原田郁子(Vo)


フィッシュマンズ 公式サイト http://www.fishmans.jp/
フィッシュマンズ X @FISHMANS_JAPAN
フィッシュマンズ insta @fishmans_official
フィッシュマンズ Fb @thefishmans
ユニバーサル 公式サイト https://www.universal-music.co.jp/fishmans/

 2024年のアメリカについて日本の方々に知ってもらいたいことがひとつあるとしたら、今回の選挙における選択肢に、私たち多くのアメリカ人が熱狂していたわけではなかったという点だ。
 まず一方には、近年でもっとも忌み嫌われた政治家、ドナルド・J・トランプがいた。彼はかつて、2004年にスタートしたリアリティ番組『アプレンティス』(※参加者が「見習い」として働き、最後に採決される)において「お前はクビだ!」と叫ぶ役を演じ、それで一躍、アメリカで有名人になった、億万長者のペテン師である。2024年に早送りすると、後期資本主義の典型であるこの人物は、なぜか労働者階級からの支持を得て現状に至っている。支持層の多くは白人の地方住民——おそらくは私たちの社会では一括りにしても問題のない唯一のグループ、無学で人種差別的な「田舎者」たち——で、2024年の選挙ではラテン系や黒人層にも右傾化が顕著に見られた。結果、トランプは国民投票と議論の的となる選挙人団の両方で勝利を収めたわけで、多くのアメリカ人の心に彼のポピュリスト的メッセージが響いたことは否定できない。
 もうひとりの候補者は、2020年の大統領選で民主党予備選挙において支持を得られなかったカマラ・ハリスだった。アメリカ史上初の女性副大統領であるが、しかし、女性である私としては、黒人女性を副大統領に起用したバイデンの人選が「フェミニズムの勝利」などという幻想を抱くようなものではないことを承知している。また、ハリス氏が女性であるからといって、彼女が女性の利益を代弁するなどとは一瞬たりとも考えたこともなかった(事実、民主党はオバマ政権時から妊娠中絶に関する法改正の機会を持っていながら優先事項とせず、最初の任期中に却下した)。もしその女性が優れたアイデアと能力を認められて当選したのであれば、アメリカ社会は真の男女平等を達成したと言えただろう。悪名高いことに、彼女は電撃的な選挙キャンペーン中、ほとんどインタヴューに応じなかった。数少ないそのなかには、ニュース番組『60ミニッツ』も含まれていたが、番組では、彼女の当初の極めて親イスラエル的な立場を隠すように編集されていた。また、彼女の具体的な政策に関心のあるインタヴュアーに対しては、「ウェブサイトを見てください」と答えるのみだった。
 トランプは、過去10年間の大半を大統領選に費やしてきたと言えるような、誇大妄想的なおしゃべり屋だ。彼を打ち負かすのは難しくないはずだった。が、“政策(ポリシー)”ではなく“権力(ポリティクス)”に頼ってアメリカ人の半分を味方につけようとするのは、明らかに勝利のための戦略とは言えない。

 理由はふたつある。第一に、民主党が(アメリカ)国民に対して誠実でなかったこと、そしてそれが私たち(私のような真の左派を自認する人びとを含む)の多くを遠ざけてしまったことだ。アメリカの民主党は決して「左派」ではないことをここに明確にしておきたい。実際には、経済政策に関しては穏健中道、あるいはやや右派だ。しかも、アメリカの主流メディアは民主党に支配され、バイデンや民主党への批判を「保守派の陰謀」に過ぎないとした。また、バイデンの明らかな認知機能の衰え、米国(およびその他の国々)におけるインフレの蔓延、犯罪の増加、そして不法な人権侵害の国境問題は「陰謀説」であって、それも右派によるものとした。現在の平均的な民主党員によれば、右翼であることはナチスであることを意味する。

 そのようなレッテルを貼られるのを避けるために、自分の信念を検閲した人はたくさんいると思う。私もそのひとりだ。なぜなら、私の食料品代は2020年以来ほぼ2倍になっているのに、アメリカは無意味な代理戦争にふたつも関わっている(そればかりか大量虐殺に積極的に資金を提供)。2022年には、私が利用するニューヨーク市の地下鉄駅で起きた集団銃撃事件で10人が撃たれ29人が負傷した、私は何ヶ月も電車に乗るのが怖かった。アメリカの“信頼できる”メディア、たとえば『ニューヨーク・タイムズ』などによると、これらの懸念はすべて私が「右派の白人至上主義者だから」ということになるらしい。
 私が、民主党がトランプを打ち負かすことができなかった理由としてふたつ目に挙げるのは、あからさまな偽善だ。私はドナルド・トランプの内閣や気候に対する態度、最高裁の保守的な人選、1月6日の議会襲撃事件など、数え上げればきりがないが、これらすべてに深い不快感を抱いている。しかし、民主党がヒステリックに主張する「自分たちに投票すれば、ファシズムからアメリカを何とかして救うことができる」という主張は疑わしい。なぜなら、真の左派の候補者たち(とくにコーネル・ウェストやロバート・F・ケネディ・ジュニア、ただしイスラエルに対する姿勢を除いて)は、討論会はおろか、予備選挙にも参加させてもらえなかったからだ。ハリス自身も民主党候補として選出されたわけではない。今年6月のトランプとの討論会の惨憺たる結果によってバイデンの老いがもはやアメリカ国民に隠しきれなくなった後、ようやく戴冠されたに過ぎない。
 トランプは厳密には有罪判決を受けた犯罪者だが、それは捜査を受けたからだ。それに対して、バイデン一家が関わっていると想像される違法な不正行為には驚かされるばかりだ。とくに彼の息子ハンターのノートパソコンにウクライナや中国との家族ビジネスに関するメッセージが含まれていたという噂が事実だったことを考えると——もっとも、その話はアメリカの主流メディアによって大幅に検閲されていたが。
 民主党が自らの権力を脅かす人物を攻撃しようとしたのは今回が初めてではない。民主党と共和党が同じコーポラティズムの硬貨の表裏であることは、何年も前から明らかであった。例えば、バーニー・サンダースの階級意識を意識したキャンペーンは、2016年と2020年の両方で民主党に支配されたメディアによって組織的に破壊された。そして2024年には、ロバート・F・ケネディ・ジュニアの型破りながらも力強いキャンペーン・メッセージ、すなわちアメリカ政治に蔓延する腐敗と取り組むというメッセージも、ナチス(すなわち民主党員と認めない者)からの言論の自由を守ることを主張する「左翼」メディアによって同様に粉砕された。バーニーの選挙運動と同様に、ケネディ・ジュニアの政策も検閲され、ワクチン反対派の気違いじみた戯言にすぎないものに貶められた。なぜなら、彼もバーニー同様、“アイデンティティ”ポリティクスではなく“階級”ポリティクスによって、実際にアメリカの分裂を埋めようとしていたからだ。
 結局のところ、真の左翼であれば、抑圧の本質的な交差点は「階級」だと教えるだろう。カマラ・ハリスの集会でビヨンセやトゥワークをするミーガン・ジー・スタリオンを登場させても、生活費が手頃になるわけでも、パレスチナの戦争が終わるわけでもない。

 注目すべきは、選挙運動が失敗に終わっていた際に、この国を悩ませている政治的分裂の解消を模索して、ケネディ・ジュニアが民主党と共和党に接触したことである。民主党は彼を無視したが、トランプは最終的に彼に閣僚への参加を要請した。

 民主党は過去8年間、自分たちに反対する人びとの知性や人間性を侮辱してきたという不名誉な実績がある。ヒラリー・クリントンは、自分たちに投票しない人たちを「憐れむべき人びとの巣窟(the basket of deplorables)」と呼び、バイデンは先月、彼らを「ゴミ(garbage)」と呼んだ。私の友人でさえ「トランプに投票する人は悪だ」と宣言している。私が貧しい田舎の白人アメリカで育ち、そこで暮らす大多数の人たちは、ただ生活を営み、そっとしておいてほしいと願う善良で勤勉な人たちであることを知っているからかもしれないが、私は民主党が「蜂を捕まえるには酢よりも蜜を使った方がよい」(*)という古い諺を聞いたことがないのではないかと思わずにはいられない。

 私はふたつの出来事を決して忘れないだろう。どちらも私の政治的信条に影響を与えた出来事だ(私は環境問題に関心があり、所得の平等、中産階級および労働者階級の生活の質に維持、女性の権利に関心があり、アメリカの海外における植民地主義的な存在を排除することに関心があり、性的暴行容疑のある人物には投票しない。民主党がその事実を隠そうとしても、ジョー・バイデンもその対象だ)。
 最初の出来事は2016年、いまは亡き祖父に「なぜトランプに投票するのか」と尋ねた。
 「私は実はバーニーのほうが好きなんだ。でも、トランプには勢いがあるし、ワシントンDCには変化が必要なんだ。民主党の連中は自分たちがみんなにとっていちばん良いことをわかっているつもりだが、そんなことはない。政府は小さく保つべきなんだ」
 「なぜ小さく保つ必要があるの?」と私は尋ねた。「国民皆保険(ユニバーサル・ヘルスケア)制度は必要ないの?」
 「それはいいな」と祖父は言いました。「でも、郵便物を確実に送ってもらいたいなら、米国郵便公社ではなくフェデックスのようなサービスを利用しなければならない。政府のウェブサイトにアクセスしても、動きが遅すぎて使えない。それに政府の電話番号にかけても、何時間も保留音が鳴りっぱなしだ」
 彼の言うとおりだ、と私は思った……
 「では、もし政府が医療を提供したら?  まあ、おそらく世界最悪の医療だろうね」
 オバマが 全国民向け医療制度を試みた際、健康保険に加入できない人には700ドル以上の罰金を科されることを考えると、私も同意せざるを得ないかもしれない。

 ふたつ目の出来事は、私が日本の音楽の博士号を取得するために在籍していたコーネル大学の大学院の仲間たちと、2016年の選挙後のパーティで過ごしたときのことだった。 大学院生たちは、トランプに投票した人たちは無学で愚かで、——そしてまたあの言葉が出てきたわけだが——、邪悪(evil)だ、などと不満を漏らしていた。
 「トランプに投票した人と話したことがある人はいる?」と私は尋ねた。
 「いるわけないだろ!」と彼らは声を張り上げ、誇らしげに言った。「なぜそんなことをする?」
 「まあ、もしそうしたら」と私は言った。「みんなあなたたちをエリート気取りのろくでなしの集まりだと思うだろうね」そして私はその場を去った。
 過去最悪のパーティでの出来事。

 私としては、これは希望の持てる出来事だと考えている。民主党がなぜ負けたのかについて、引き続きよく考えてほしいと願っている。共和党は、相手候補があまりにもひどかったからこそ自分たちが勝てたのだということを知ってほしいと願っている。そして、私は米国が最終的に現実的な第三政党を誕生させることを願っている。私はこれまで3回の大統領選挙でそうした政党に投票してきた。なぜなら、今年のアメリカ大統領選挙の茶番劇が示すように、民主党と共和党は同様に堕落しているからだ。
 おそらくほとんどのアメリカ人が私の意見に賛成してくれると思う。

(*)物事をうまく進めたり人を惹きつけたりしたいなら、批判や冷たさよりも、親切や優しさで接するほうが効果的だという意味のことわざ。

American Politics: There Are No Good Guys in 2024

Written by Jillian Marshall

If there’s one thing I wish Japanese people could know about Americans in 2024, it’s that most of us were not excited about the choices in this election.
On the one hand was the most reviled politician and public figure in recent memory. Yes, Donald J. Trump: the billionaire grifter who cemented his fame in America on a reality TV show called The Apprentice, where he screamed “you’re fired!” at contestants. Fast forward to 2024, and this poster child of late-stage capitalism somehow found his political base in working class America: the very people exploited by the system that rewarded him. And while that base was largely white and rural — perhaps the only group in our society it’s OK to make sweeping judgements about (uneducated, racist rubes, they are!) — this year’s election saw significant rightward movement in Latino and Black populations as well. Having won both the popular vote and the somewhat controversial electoral college, it’s undeniable that Trump’s populist messaging evidently spoke to the majority of American voters.
On the other hand was a candidate so unpopular during her 2020 presidential bid that she received zero votes in the Democratic primary: Kamala Harris, the first woman vice president in American history. But as a woman, I’m under no illusions that Biden’s explicitly tokenistic appointing of a Black, female vice president was any kind of “feminist victory”— nor did I believe for a second that Harris would serve women’s interests simply because she herself is one (Democrats have had the chance to codify pro-abortion legislation into our constitution since the Obama administration, which Obama himself dismissed as a “non-priority” during his first term). If anything, I’d believe that American society achieved true gender equality if a woman got elected by recognition for her good ideas and competency— neither of which Harris demonstrated. Infamously, she gave very few interviews during her blitzkrieg campaign — including one with news program 60 Minutes that was actually edited to redact her original, highly pro-Israel stance— and dismissed interviewers interested in her specific policies to “go to her website.”
Trump is a megalomaniacal blowhard who has spent most of the past decade vying for presidency. It shouldn’t be hard to outwit him, but banking on politics instead of policy to win over half of America is, evidently, not the winning strategy.
The reason why is twofold. First is the Democratic Party’s inability to be honest with the (American) public, and how this has alienated many of us— including people, like me, who identify as true leftists. Let me first clarify that the American Democratic Party is not truly “left”; it’s actually moderate-center or even slightly right on economic policies. At the same time, mainstream media in the US — overwhelmingly controlled by the Democratic Party — have claimed that any critiques about Biden or the party in general were nothing but conservative nonsense. Biden’s obvious cognitive impairment, the rampant inflation in the US (and elsewhere), increased crime, and illegal, inhumane border crossings were not only conspiracies, but right wing ones at that. And according to the average Democrat today, being right wing means you’re a Nazi.
To a certain extent, I’d say that there are many of us who censored our beliefs to avoid being branded as such— myself included. Because, even though my grocery bill has nearly doubled since 2020, the US is in two ridiculous new proxy wars (while actively funding a genocide) and, after twenty-two people got shot at my subway station in New York City in 2022, I was scared to ride the train for months, my concerns — according to America’s “reputable media” sources like the New York Times — must be because I’m a right wing white supremacist.
The second reason I think the Democratic Party failed to defeat Trump is because of its blatant hypocrisy. I am deeply uncomfortable with Donald Trump’s cabinet, his misogyny, his stance on climate, his conservative stacking of the Supreme Court, what happened on January 6th of 2021 — the list goes on. But the Democrats' hysterical claims that voting for them will somehow save America from fascism is suspicious when other candidates running on truly leftist tickets — notably Cornel West and RFK Jr (save for his stance on Israel) — weren’t even allowed a debate, much less a primary election. Harris herself wasn’t even elected as the Democratic candidate; she was essentially coronated only after Biden’s senility was no longer able to be hidden from the American public following a disastrous debate with Trump in June of this year. And while Trump is technically a convicted felon, that’s only because he was investigated. I can only imagine the illegal shenanigans in the Biden family, particularly since rumors about his son Hunter’s laptop (with its messages about family business deals with Ukraine and China) turned out to be real— though that story was heavily censored by American mainstream media.
This isn’t the first time the Democrats have sought to destroy anyone who threatens their power. It’s been obvious for years that the Democrats and Republicans are two sides of the same corporatist coin; Bernie Sanders’ class-conscious campaign, for instance, was systematically destroyed by the Democrat-captured media in both 2016 and 2020. And in 2024, RFK Jr’s unconventional, but powerful campaign message of tackling the rampant corruption in American politics was similarly dismantled by the “left wing” media outlets claiming to preserve freedom of speech from the Nazis (i.e. anyone who doesn’t identify as a Democrat). Like Bernie’s campaign before him, RFK Jr’s platform was censored, reduced to nothing but an anti-vaxxer’s kooky ramblings, because he— like Bernie— threatened to actually bridge the divide in America through class politics instead of identity politics.
After all, a real leftist will tell you that class is the true intersection point of oppression. Trouncing out Beyonce or a twerking Megan Thee Stallion at a Kamala Harris rally does jack shit to make the cost of living more affordable, or end the war with Palestine.
Worth noting, too, is that RFK Jr reached out to the Democrats and the Republicans when his campaign was failing, seeking to bridge the political divide plaguing this country. The Democrats ignored him, while Trump ending up asking him to join his cabinet.
What’s more, Democrats have a nasty track record these past eight years of disparaging the intelligence and even humanity of whomever disagrees with them. Hillary Clinton called people who don’t vote for them “the basket of deplorables”; Biden called them “garbage” just last month. Even my own friends have declared on several occasions that “anyone who votes for Trump is evil.” Maybe it’s because I grew up in impoverished, rural white America and know for a fact that the majority of people there are decent, hardworking folks who just want to make a
living and be left alone, but I can’t help but think the Democrats never heard the old adage: “You catch more bees with honey than with vinegar.”
I’ll never forget two moments, both of which informed my personal politics (I care about the environment, I care about eliminating America’s colonialist foreign presence overseas, and I won’t vote for anyone with a sexual assault allegation — which includes Joe Biden, as much as Democrats try to hide that fact). The first was in 2016, when I asked my now-deceased Grandpa why he was voting for Trump.
“I actually like Bernie,” he said. “But Trump has the momentum, and we need change down in Washington DC. And those Democrats think that they know what’s best for everyone, but they don’t. We need to keep the government small.”
“Why small, though?” I asked. “Don’t you want universal health care?”
“That’d be nice,” my Grandpa said. “But if you want something mailed on time, you have to use a service like FedEx instead of the United States Postal Service. If you go to a government website, it’s too slow to use. And if you call any government phone number, you’re on hold for hours.”
He’s right about that, I thought...
“So if the government offered health care? Well, it’d probably be the worst health care in the world.”
Given that Obama’s attempt at universal health care penalized people upwards of $700 if they couldn’t obtain health insurance otherwise, I might have to agree.
The second moment was during a post-2016 election party with my fellow graduate students at Cornell University, where I was finishing my PhD in Japanese music. Grad students there were sharing their grievances, like how everyone who voted for Trump is uneducated, stupid, and— here’s that word again — evil.
“Have any of you ever talked to anyone who voted for Trump?” I asked.
“Of course not!” they remarked, with something close to pride in their voices. “Why would we?”
“Well, if you did,” I said, “You’d know they’d think you’re all a bunch of elitist assholes.” And I left.
It was the worst party I ever went to, by the way.
So I, for one, see this as a time of hope: I hope that the Democrats keep taking a look in the mirror about why they lost. I hope the Republicans know they only won because the other candidate was so awful. And I hope the US can finally produce a viable third party — which is how I’ve voted for three presidential elections now — because the Democrats and the
Republicans are, as evidenced by the farce that was this year’s American presidential election, equally captured.
And I dare say most Americans would agree with me.

interview with Coppé - ele-king

 だれもかれも、自分がどう見られるかばかり気にしている。ヴィジュアル主体のインスタだろうがテキスト主体のツイッターだろうがそれはおなじで、スマホとSNSの普及はむしろどう見られるかを意識していないほうが変わり者であるかのような時代を生み出してしまった。一見自分史をテーマにした昨年のOPN『Again』は、じつはそういう自分だらけの現代を鋭くえぐったものだとぼくは解釈しているけれど、これはもう不可逆の流れなのかもしれない。
 その点、みずからを火星人だと呼称するコッペは完全にアウトサイダーだ。独創的なファッションに身を包み、「キョイーン」「でぴゅ」「うれぴー」といった語を駆使する彼女が周囲の目やらトレンドやらに振りまわされていないことは明白である。一度会ったら忘れられないこの強烈な個性の持ち主は、90年代をアリゾナとLAで過ごし、ZトリップやQバートといったヒップホップDJらと交流したり、ドラムンベースを生演奏するバンドをやったりするなかで音楽家としてのキャリアを(再)スタートさせている。1995年に送り出されたファースト・アルバムこそトリップホップという時流とリンクする側面を有していたものの、近年のリリースを振り返ってみると、モジュラー・シンセでオペラに挑戦した『Na Na Me Na Opera』(2019年)、モダン・クラシカルなソロ・ピアノ曲集『蜜 Mitsu (25rpm)』(2021年)、スタンダードも多く含まれたジャズ・ヴォーカル作品『*(Un-)tweaked』(2022年)とやはり独自路線で、だれがなにをいおうが好きなことをやるという気概がビシバシ伝わってくる。

 そんなコッペの最新作『*( -)tweaked』は、上述のジャズ・アルバム『*(Un-)tweaked』のリミックス盤だ。どのリミキサーも「とりあえずぶっ壊して!」とのオーダーを遵守、オリジナルの上品なジャズはみごと解体され、一筋縄ではいかないトラックが並んでいる。招集されているのはコッペと親交のある面々なのだけれど、これがまたそうそうたる顔ぶれで、アトムTMにプラッドにニカコイにルーク・ヴァイバートにDJ KENSEIに……きっとみんな、型にはまらない彼女の気質に引き寄せられるのだろう。
 いったいコッペとはいったい何者なのか? じつはファースト・アルバム以前にも長いキャリアをもつ彼女。取材には流通担当の猪股恭哉も同席し、このユニークな音楽家の歩みを深掘りしてくれた。

お謡からはじまった

長いキャリアをお持ちですので、まずはバイオグラフィからお伺いできればと思います。

Coppé(以下C):死んだことになっていることもあるしね(笑)。いろいろお仕事してたのに、ある時期に急に日本からいなくなったひとなので。「長谷川コッペ」で検索すると出てくるけど。

かなり幼いころから音楽にはご関心があったのですよね。ご家庭の影響でしょうか?

C:生まれながらの音楽ジャンキーだと思う。オギャーッと生まれたときからほぼ曲つくってるようなもので。コッペのパパとママも、おじいちゃんとおばあちゃんも、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんも、全員、観世流〔※能の流派のひとつ〕のお謡(うたい)をやってたので、家ではもうずーっと、年がら年中、お謡が聞こえてきて。当然コッペもママから仕込まれたので、そういうのが知らず知らずのうちに出てきているのかな。今日、そのお謡の本を持ってきたんです。



Coppéが持参したお謡いの教科書

初めて目にしました。すごいですね。まったく読めないです。これはどう読むんですか?

C:読めないところもちゃんと振りがあって。上がるとか、下がるとか。最初、教科書に書きこむことも怒られたんですけど、でも覚えられないから、いっぱい書きこんでます。
 コッペの曲にはオリエンタルなフレーヴァーが出てるよねってよく言われるんですけど、たぶんお謡がその由来かなと。お謡って口伝だから、キーが存在しないんですよ。お師匠さまが出したその音に合わせてついていかなきゃいけない。でもコッペはキーのひとなので、「キーがないってどういうことなの?」っていっぱいママに文句言って。でももともとそういうものだから。歌い方、フレーズもぜんぶ口伝で、ようするに先生の真似をするわけなんですけど、そのやり方が叩きこまれてるから、インプロしているときもジャズを歌っているときも、自然と出てきちゃうんですよね。それでオリエンタルだねって言われるのかな。

猪股:ルーツはポピュラー・ミュージックでもクラシック音楽でもなかった、ということでしょうか。

C:いえ、小学生のとき、藤家虹二(ふじかこうじ)先生っていうクラリネット奏者の方に出会って、そこからコッペの人生はギョイーンといまのような感じになっていくんです。『日清ちびっこのどじまん』という番組〔※フジテレビ、1965~69年放送〕で優勝しちゃって、そのときの審査員のひとりが藤家先生でした。コッペが小学4年生とか5年生のころ。そのころからもう、他人の曲には見向きもせず、自分で歌って曲を書いてばかりで。それで藤家先生から「お前は歌はそれほどうまくないけど作曲のセンスがいいから、俺のところに週一で来て楽典とか和声とかハーモニーの勉強をしなさい」って言われて。
 毎週かならず宿題が出るんですよ。「どんな長さでもどんなキーでもいいから、3曲完結させて仕上げてくるように」と。どんなものでも5分でできたけどね。それで、そのうちの1曲を藤家先生が気に入ってくれて、ストリングスを入れてアレンジしてくれて、ある日突然「プロのスタジオ入るぞ」って。それがキング・レコードだった。宿題の楽曲にため息が出るくらい素敵な先生のアレンジがついて、それを歌ってドーナツ盤にしたらレコード大賞の童謡賞をいただいちゃった。小学生だからよくわからないんだけど、親はピーピー泣いていて(笑)。そこからですね、コッペの人生が3分の1くらい芸能人みたいになっちゃったのは。そのあと「Let's Enjoy English」というレギュラー番組もやりましたね〔※NHK、1972~1982年放送、長谷川コッペ出演は1975年度〕

『*(Un-)tweaked』(2022年)はジャズ・アルバムですが、ジャズからの影響も大きかったのでしょうか?

C:藤家先生がクラシックだけじゃなくて、ベニー・グッドマンのコピーもやっていらして。それでどんどんジャズのほうにも行きました。あと当時、水島早苗先生というジャズ・ヴォーカリストの先生もおられて。だから小学生のころからジャズも歌っていたんですけど、歌詞なんてわかるわけないんですよ。でもジュリー・ロンドンとかを丸コピして歌っていました。

その後70年代はどのようなことをされていましたか?

C:『オールナイトニッポン』のレギュラー番組がはじまって、タモリさんと出会って、「なんだこのヘンテコリンなおじさんは?」って(笑)。イグアナの真似とか、四ヶ国語麻雀とか激・面白かったですよ。1時から3時までの1部がタモリさんで、3時から5時までの2部がコッペでした。コッペの好きな英語の曲をがんがん流しまくってたら、当時そういう番組はあまりなかったので需要も上がって1部に昇格させていただいて。そこでタモリさんとはバイバイで、今度は近田春夫さんと一緒にやることに〔※1977~79年放送〕
 近田さんのことはチカちゃんと呼んでいたんですが、すごくかわいがってもらって。ザ・スーパーマーケットというバンドも一緒にやっていたので、たぶん番組を面白くするためとは思うんですけど、コッペとチカちゃんがバトルさせられるんです。それで「なんだお前!」とか怒られながら毎週スタジオに生で入ってました。コッペは洋楽一辺倒だったから、チカちゃんはオンエア中に「お前そんなくだらないもんばっかり聴いてないで、日本人だったら都はるみを聴いてみろ! お前こぶしまわしなんかできないだろう!」とか(笑)。それで急に歌わされる(笑)。


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レジェンドたちとの思い出

ジェイムズ・ブラウンって「ウンッ!」「アッ!」とかシャウトがすごいじゃないですか。その出し方を30分とか40分、ずっと踊りながらレクチャーしてもらってた(笑)。

Coppé名義でのファースト・アルバムが1995年ですので、そこへ行き着くまでにまだありますね。80年代はどのように過ごされていましたか?

C:80年代は、『ザ・ポッパーズMTV』っていう番組〔※TBS、1984~87年放送〕をピーター・バラカンさんとやっていました。それまではどんな番組も自分で選曲してたんですけど、『ポッパーズ』は唯一、自分で選曲してなかったテレビ番組。来日アーティストを片っ端からインタヴューするっていうお仕事で。超楽しかった! なにを訊いてもOKだったし、ジェイムズ・ブラウンからシンディ・ローパー、マイケル・フランクスからスティーヴィー・ワンダーまで。マドンナのインターナショナルなものとしては最初のインタヴューもコッペだった。
 ジェイムズ・ブラウンのときがいちばん大変で。伝達ミスで、クルーが40分とか45分とか遅れて来たんですよ。それでしばらくコッペとジェイムズ・ブラウンのふたりっきり。「クルー来てないの? じゃあ帰る」って言われてもおかしくない状況で、でもそうなったらインタヴューがなくなっちゃうから、コッペも怖いもの知らずで、「いろいろ教えて!」みたいな感じで話して。ジェイムズ・ブラウンって「ウンッ!」「アッ!」とかシャウトがすごいじゃないですか。その出し方を30分とか40分、ずっと踊りながらレクチャーしてもらってた(笑)。その場面を撮ってくれてるひとがいたら、インタヴューよりぜんぜん面白かったと思う(笑)。

すさまじい面々とお会いされてきているんですね。ちなみに、ファンクはお好きだったんですか?

C:いや、当時はぜんぜんジェイムズ・ブラウンはわからなかったです。インタヴューするときはかならず事前にそのアーティストの音源をしっかり聴くんですけど、ジェイムズ・ブラウンはまったくピンとこなかった。なんでだろう? たぶんミーのなかではあのころ、「ンワッ!」とかそういうフレーズのスウィングの仕方にしか興味がなかったのかもしれない。

渡米されたのはその後ですか?

C:えっとね、『ポッパーズ』をやってたときに、コッペじつは一度結婚してるんです。アリゾナの方と。コッペはマイケル・フランクスが大好きだったんですけど、ハワイでヴァケイションしてるときに、マイケル・フランクスと瓜ふたつのひとがニコニコしながら歩いてきたんですよ。「ヤバい! マイケル・フランクスだ!」と思って。ぜんぜんちがったんですけど(笑)。でもそのひとと結婚しました(笑)。ハワイで「イエス!」って言っちゃった。
 その彼、メルくんというんですが、メルくんのパパが急に病気になっちゃったことがあって、そのタイミングでUSAに戻らなきゃならないことになって、いったん番組を全部降ろさせていただいたんです。ラジオのレギュラーが3本くらい、テレビも2~3本あったし、雑誌も『POPEYE』とか『Olive』とかあったんですけど、もしメルくんのパパが仮に亡くなっちゃったりしたら一生恨まれるだろうなと思って、全部お休みさせてもらってアリゾナに渡って。そしたら超居心地がよくて。パパとママには2年くらいの約束でアリゾナに行ってたのに、20年くらいになった(笑)。


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トリップホップとリンクしたファースト・アルバム

まわりにいたのが、Zトリップとかロック・レイダとか、インヴィジブル・スクラッチ・ピクルズのDJ Qバートとか、アリゾナとLAでつるんでたのがヒップホップ系の方々で。

ファースト・アルバム『Coppé』(1995年)にはトリップホップとリンクするフィーリングがありますが、あのアルバムがリリースされたときはアメリカにいらっしゃったのですか?

C:そうです。アリゾナでレーベル〈Mango & Sweet Rice〉を立ちあげて、日本からもってきていたオープンリールを使ってひとりでつくりました。ただ8チャンネルしかなかったので大変で。ひとりじゃダメだなと思って、2枚目の『O Of M』(1998年)からはアリゾナのお友だちとコラボするようになりました。

80年代後半から90年代前半にかけてはエレクトロニック・ミュージック、ダンス・ミュージックの勢いがすさまじかった時代ですが、やはりそうしたものから影響を受けたのでしょうか?

C:まわりがみんなDJだったし、音づくりもやっていたから自然と。まわりにいたのが、Zトリップとかロック・レイダとか、インヴィジブル・スクラッチ・ピクルズのDJ Qバートとか、アリゾナとLAでつるんでたのがヒップホップ系の方々で。彼らとoToっていう名前の、ドラムンベースを生でやるバンドをやっていたんですよ。ほぼ毎日コッペの家でリハしてて。「もったいなから、このままライヴはじめよう」って、家賃が払えなくなりそうになるとちょっとライヴをやって稼いで……とか。ドラマーのステファン・ポンドはドラムンベース好き、いちばんよくつるんでたテリー・ドリーシャーはアンビエント・ダブのひとで、そのころに受けた影響はすごく大きかったと思う。3枚目の『Peppermint』(2000年)からはアリゾナやLA勢だけじゃなくて、出会いが広がって、プラッドとかも入ってくるんです。『Peppermint』のときがいちばんコラボしていたかな。

ちなみにファーストには “He Didn't Know...Brian Eno...” という曲が入っていますよね。このタイトルはどういう意味なのですか?

C:コッペ、ブライアン・イーノが大好きで。そのころ親しかったoToのメンバーでめっちゃくちゃいいギターを弾くひとがいて、コッペの曲づくりにもとってもインスピレイションをくれたひとりなんですけど、イーノの話をしたら「え、だれそれ?」って。ブライアン・イーノのこと彼はぜんぜん知らなかったんです。だからそのまんまの曲!

ファーストでいちばんお気に入りの曲はなんでしょう?

C:難しいー。こないだリリース・パーティがあってDJ KENSEIと話してて、彼は “Floatin’” を気に入ってくれてるみたいで。30周年だからリメイクするのもいいんじゃないなんて話になったけど。でも毎日聴きたい音って変わるから、自分で選ぶのは難しい。猪股さんに聞いてみようよ!

猪股:いま現在の感覚で選ぶと、初期の作品に惹かれます。さきほどちらっとダブっていうキーワードが出ましたけど、スモーキーな具合、浮遊感、重さみたいなところが当時のアブストラクト・ヒップホップとかエレクトロニカの流れにあって、それがちょうどいま聴くと気持ちいいですね。

C:2枚目とか、3枚目とか?

猪股:それこそファーストですね。

C:えー嬉しー! もうアホみたいに嬉しいですよ。だってコッペが全部自力でプロデュースして全部自力で曲書いたのってファーストだけだもん。そういえばポーティスヘッドは大好きなグループのひとつだった。アリゾナの家で掃除機かけてたときにラジオから “Dummy” が流れてきて、「やばっ、なんだこれ」って。コッペの耳にはアイザック・ヘイズがビリー・ホリデイとコラボしたように聞こえて、もう鳥肌もので。でもポーティスヘッドは最初の1枚だけだったな。

マッシヴ・アタックはいかがですか?

C:マッシヴは大好きですね。マッド・プロフェッサーがやった『No Protection』ってあるでしょ。今回のリミックス盤も、『No Protection』みたいにぶっ壊せばいいかと思って出す決心をして。

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近年の2作『*(Un-)tweaked』と『蜜』をめぐって

亡くなってしまった方々って、エネルギーとしてふわふわ飛んでるじゃないですか。だから、コッペみたいな頭が空っぽな火星人に、チョウチョみたいに降りてくるんです。

『*(Un-)tweaked』(2022年)は落ち着いた雰囲気の、聴きやすいジャズ・アルバムですね。デューク・エリントンの “Satin Doll” のようなスタンダードのカヴァーも多くあります。これを出す時点で、リミックス盤の『*( -)tweaked』をつくることは決まっていたのですか?

C:はい。もう絶対ぶっ壊そうと思ってました(笑)。〈Mango + Sweetrice〉ってコッペのほぼすべてなので、絶対に嘘ついちゃいけないんですよ。自分が出したくないものは出してはいけない。でも唯一、『*(Un-)tweaked』で初めて、ヒロくん〔※コッペの弟〕をハッピーにするために出すっていう動機からはじまって。だから自分のなかですごく葛藤があった。でも、マッシヴの『No Protection』があったから、あとでぶっ壊せば大丈夫だっていうことで踏ん切りがついたという。
 もともとの録音は、ジェイキー(Richard ‘Jakey’ Slater)のコンピュータから出てきたんです。お蔵入り音源が。おくある状況ですけど、録音してたってことさえコッペは憶えていなくて。『蜜』(2021年)をつくり終わったあとに、ジェイキーが「じつは、昔のコンピュータからジャズの音源が出てきて、めちゃくちゃいいかわ、使わないのはもったいないよ」って。聴いてみたらまあたしかにいいかなって内容で、そこに何曲か足して。

では、だいぶ前の録音が使われているんですね。

C:もう10年とか、15年くらい前。たしかジェイキーが新しいスタジオで仕事をはじめたときで、「ちょっとテストしたいからなにかやってみて」みたいな感じで、当時よくライヴを一緒にやっていたメンバーと集まって。それを彼が録っていたんだと思う。

録られていたことに気づかず。

C:そういうのばかりですよ! ピーナッツ・バター・ウルフの “PBWolf vs. Mothra (feat. Cappe)” もそう。ずいぶん昔、彼のスタジオに遊びに行ったときにレコーディングされてたことをコッペはまるでわかってなくて、レコードが出たこともぜんぜん知らなかった。ひどいやつらですよ(笑)。でも、それはUSのヒップホップだと普通みたいで。「そうなんだ、いいよべつに」みたいな。

ほかにも知らないうちに出ている作品もあるかもしれませんね。

C:いっぱいあると思いますよ。昔はドラムンベースでも歌いまくってたし、ロンドンの〈No U-Turn〉のスタジオとかでも、行くたびにインプロで歌いまくってたので。オービタルの最近の “Moon Princess (feat. Coppe)” も、「ちゃんとクレジットしてくれるのかな?」って不安だったけど、彼らはやっぱりプロフェッショナルなのでちゃんとやってくれた。でも「Coppé」の最後のチョン〔※アクサンテギュ〕はつけてくれなかった(笑)。

先ほど少しお話に出た、もうひとつ前のアルバム『蜜 Mitsu (25rpm)』はピアノ・アルバムでしたね。

C:あれはもうずいぶん昔みたいな感覚……ロックダウン中につくったやつです。生まれて初めて経験して、でもコッペにとってはかけがえのない時間でもあったんですよ。くだらないミーティングとかで外に出ていかなくてよくなって、棚からぼたもちのような、自由になる時間ができて。もうスタジオに缶詰めになるしかないですよ。それで。コッペが持ってる楽器でいちばん古い、コロンビアのエレピがあって、ピノコっていう名前をつけているんですけど、スタジオの奥でほこりをかぶっていたそれをジェイキーきれいに掃除して、「ピノコごめんね」って言ってぽろぽろ弾きながら、ピノコとの会話をスタートさせました。そしたらジェイキーが「レコーディングしてもいい?」って言ってくれて、そこからサクッと3~4日くらいでできたのがあのアルバムです。だから、ぜんぶインプロなんです。たぶん、バッハが降りてきたと思う(笑)。
 こういうこというと「コッペさん、イっちゃってる」とか思われるかもしれないけど、亡くなってしまった方々って、エネルギーとしてふわふわ飛んでるじゃないですか。バッハにしてもジム・モリスンにしても、みんな、もっともっといい曲を書きつづけていたかったと思う。でも病気とかいろんな理由があって、先に逝っちゃって。でも、みんなスピリットとして元気にやっていて、曲を書きつづけてるんですよ、絶対。でも地上にいないと形にはできない。だから、コッペみたいな頭が空っぽな火星人に、チョウチョみたいに降りてくるんです。コッペはいつも頭を空っぽにしてるので、チョウチョが来るとすぐに指が動いたり声になって出てくる。だから、けっしてコッペが書いているんではない。頭で考えてとか、そういう暇はまるでないので。小学生のころは「ここまでAマイナーだったから次はメジャーにしよう」とかいろいろ考えていたんですが、この『蜜』にかんしてはそれはまったくなかった。自然とできあがってしまったという。

憑依されているというのはシュルレアリスムっぽいところもあっておもしろいですね。自分の意識の外からやってくるもの、コントロールできないものによって作品ができてしまうという。

C:コッペの作品はもう80パーセント以上、もしかしたら90パーセント以上そうだと思います。歌詞もほぼ夢からできているし。そもそも地に足が着いていないですしね。だいたい毎日ふわふわしているので。

「ぶっ壊して!」とオファーした最新リミックス盤


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「とりあえずぶっ壊して!」っていうのだけ。やっぱり嫌じゃないですか、「ビョークみたいなのをやってください」とか「エンヤみたいに」とか、だったらビョークに頼みなさいよって思いますし。

さて、あらかじめつくることが決まっていたという今回のリミックス盤『*( -)tweaked』ですが、人選にはどのような狙いが?

C:いや、なにもないですね。ただコッペのまわりにいる仲良しなひとたちにお願いするっていう(笑)。ただみんなそれぞれスケジュールがあるから、そこはタイミングを見て。プラッドがいちばん時間がかかったかな。

個人的には今回のリミックス盤では、このプラッドの “Satin Doll (Plaid Remix)” がいちばん好きでした。

C:プラッドだとコッペは、“Atlantis Is Kushti (Plaid mix)” (『Peppermint』2000年、収録)がいちばん好きかな。あれはプラッドのふたりが日本にツアーに来たとき、そのころコッペはまだアリゾナに住んでたんですけど、同行して一緒に沖縄の座間味島っていうところまで泳ぎに行って、そのときできた曲で。1998年だったかな。元ジ・オーブのクリス・ウェストンやミックスマスター・モリスも一緒にいました。みんなプラッドとつながってて。座間味島ってほんとうに海がきれいで、みんなで潜ってレインボー・フィッシュを追いかけたり。サンゴって死ぬと真っ白になるんですけど、そのうえをはだしで歩くとしゃりしゃりして、痛いんだけど気持ちいいんです。その音が大好きで、当時MDのレコーダーでレコーディングしていたので、それを持ってその音を録りに潜ったんですよ。でもぜんぜんダメで、MDが壊れちゃって。みんなから「そういう電子機器は水中では使えないんだよ」って教えてもらいました(笑)。そしたら数年後にプラッドのエド(・ハンドリー)が、海の中にも持っていけて、クジラの声まで録音できるコンタクト・マイクをプレゼントしてくれて。

猪股:「エド」で思い出しましたが、ドラムンベースのエド・ラッシュ&ニコのニコが、2002年ころの作品にはよくクレジットされていましたよね。

C:ニコとはすごく仲良くなってます。ニコのスタジオがいちばんレコーディングしてる場所だと思う。ニコは当時あのあたり、エド・ラッシュとかオプティカルとかを仕切っていたひとで、でもなんか悪いことをされて音楽業界が嫌になっちゃったみたいで。自分が書いたのにクレジットしてもらえなくて、大ヒットしてとか。向こうってそういう大事なところが抜けてるんですよ。でもいまでもロンドンに行ったらつるんでますよ。たしか父親がBBCの偉い方で、ボブ・ディランとかにインタヴューしてる方で。でもニコは不良(笑)。

今回のリミックス盤でいちばん気に入っているのはだれのリミックスですか?

C:難しいなあ。もうあんまり憶えてない(笑)。いつも次につくってるもののことを考えてるから。来年ファーストの『Coppé』が30周年なので、いまはレーベル〈Mango & Sweet Rice〉30周年記念盤をつくってます。ルークと一緒に。

(今回のリミックス盤にも参加している)ルーク・ヴァイバートですか?

C:そう。ヒップホップ。じつは、今回の “My Funky Valentine (Luke Vibert Remix)” をお願いしたあと、いろいろあって、30周年記念盤でも一緒にやろうということになりました。それ(30周年記念盤の曲)はもう鳥肌が立つくらい、めちゃくちゃいい曲になっています。目玉の1曲。

それは楽しみです。今回のリミックス盤で、予想外のものが来たなというのはありましたか?

C:コッペはニカコイが好きなんですけど、彼とのコンビネーションってすごいと思うんですよね。以前『Milk』(2017年)というアルバムをつくったときに、当初ニカコイには1曲だけお願いしていたのに、3曲もやってくれて。相性がいいんです。『Rays』(2012年)のときも、最初はとりあえず1曲って感じでスタートしたんだけど、あれよあれよという間に1枚まるごと共作になって。今回のリミックスについてはノー・コメントですが、ずっと近くにいてほしいひとです。

猪股:いろんな方にリミックスをオファーする際、方向性など注文を出したりはしましたか?

C:「とりあえずぶっ壊して!」っていうのだけ。やっぱり嫌じゃないですか、「ビョークみたいなのをやってください」とか「エンヤみたいに」とか、だったらビョークに頼みなさいよって思いますし。そういうことをみんなにはさせたくないので、好きなようにぶっ壊してくれって。クリエイティヴのフリーダムはかならずみんなに与えます。そういうオーダーですね。

猪股:DJ KENSEIさんについてもお尋ねしたいです。今回の面子のなかでKENSEIさんはいちばんスタイルの幅が広い方で、いろんなことができる方ですよね。

C:KENSEIは達人ですよね。KENSEIは「そのままバッキング・トラック流して」って言っても絶対やりたがらないようなひとなので、いろいろやりとりしながら、「好きなようにぶっ壊して」と。2023年のフジロックのピラミッド・ガーデンにCoppé feat. Kensei & Hatakenとして出演したんですけど、キャンドルの火に囲まれて、すばらしいライヴだったんです。コッペたちのアンビエントな感じの音と、そよ風で炎が揺れる感じが化学反応を起こして。みんな芝生に座って聴いてくださっているんですけど、その吐息まで伝わってくるような、ハッピーなライヴでした。

困っちゃうぐらい火星人


photo by alex lenz

あなたはこうで、あなたはこう、って区別するの、ぜんぜんわかんないんですよね。音楽もいろんなものを混ぜるし、お料理も混ぜるし、友だちも混ぜるし。そんな感じの、困っちゃうぐらい火星人って感じ。

最近の音楽で気に入っているものはなにかありますか?

C:フローティング・ポインツ。ミックスマスター・モリスは日本に来るといつもかならずうちに来るんですけど、フローティング・ポインツは神経科学の博士号を持っているのにこんないい曲をつくってるんだよって教えてくれて。あと、サム・ゲンデル。彼が “Satin Doll” を使った曲があって、それは超キョイーンってきましたね。

アートワークについてもお伺いさせてください。デザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンが手がけていて、オリジナルがピンク、リミックス盤が淡いブルーないしグリーンのセットですが、なにかコンセプトがあったのですか?

C:イアンはエレクトロニカが好きなひとなので、ジャズ・アルバムのデザインやってくれるかな、断られるかなと思ってました。でもオッケーしてくれました。彼は、もしジャズの音源のデザインの依頼が来たら、ボビー・ハッチャーソンのジャケットみたいなアイディアでやりたい、っていうのをずっと考えていたみたいで。「その路線で進めてもいい?」って確認されて、でもミーはいつものようにボビー・ハッチャーソンのことはぜんぜん知らなかったから、「いいよ、好きなようにやって」と伝えて、こうなりました。

イアン・アンダーソンとはいつごろからお知り合いなんですか?

C:『Coppe' In A Pill』(2010年)っていうUSBメモリー・スティックのコンピレーションを出したときだから……いや、『20rpm』(2015年)のころだから、10年くらいかな。デザインも音も、「キョイーン」ってくるものだから、イアンのデザインは最初から「キョイーン」ってきて好きでしたね。あの、バットを持っている女の子のキャラ、「Sissy」が大好きです。『蜜』のときは「蜜」という漢字で遊んでみて、ってお願いしました。

ちなみに、こんにちでは電子音楽をやっている女性はたくさんいますが、コッペさんがエレクトロニック・ミュージックをされはじめたころは、少なくともいまよりはぜんぜん少なかったと思うんです、とくに日本では。そういうことを意識したことはありますか?

C:まるでない。自分がどういうところにいるのかとか、自分でまるでわかってないひとで。

猪股:男性よりもアタリが強かったりとか、あるいはその逆だったりとか、そういうことはなかったんでしょうか。

C:いい質問をくれました! いや、女性とか男性っていうのはいまいちわかんなくて。コッペ、火星人なもんで(笑)。あんまりそういうの意識してなくて、まわりはゲイばっかりだったし。あなたはこうで、あなたはこう、って区別するの、ぜんぜんわかんないんですよね。音楽もいろんなものを混ぜるし、お料理も混ぜるし、友だちも混ぜるし。そんな感じの、困っちゃうぐらい火星人って感じ。

TESTSET - ele-king

 身も心もテクノに侵された人間なら理解してもらえると思うのだが、打ち込み系のライヴにいくとがっかりしてしまうことが多い。いや、多かったと過去形にするべきか。初期のYMOのように生演奏にこだわると、ミュージシャンの技巧に依存して、最終的には人間的な揺れの多いリズムや、レコードにはないギターやキーボードの陶酔系ソロなんかを延々聞かされる羽目になる。逆に凝った作りのレコードの再現にこだわった場合は、演奏の主要な部分はテープ等にあらかじめ録っておいたものを流すだけで面白みに欠けたり、追加される手弾きや歌部分の残念さが目立ってしまったりする結果になった。
 機材がシンセやドラムマシンといったハードウェアからPCをメインに据えるようになって、この様相もだいぶ変わった。例えば2001年の『LOVEBEAT』発売後にときどきおこなわれるようになった砂原良徳のソロ・ライヴは、テクノ系ステージの理想的な有り様をひとつ提示してくれたと感じた。非常に緻密に組み上げられ、完成されたレコードの音を丁寧に再現しながらも、“その場で演奏される生の要素” も組み込んで、原曲と乖離しない範囲でアレンジも加え、家庭用オーディオでは望むべくもない音の迫力やクリアさも伴った贅沢なリスニング体験に仕上げていたからだ。さらに砂原自身もかなり制作にコミットした映像表現によって、引き算の美学で作られたサウンドに、別の側面から足し算を試みていた。タイポグラフィやモーション・グラフィックをモチーフにしたシンプルなものが多かったが、いわゆるVJ的なアブストラクトで昂揚感や陶酔感を演出するヴィジュアルとは異なるアプローチで、音楽体験の向上に寄与していた。
 しかし、砂原自身は電気グルーヴの時代からずっと、あまりライヴをやることに対して積極的ではなかった。それが、ここのところのインタヴューでは、どこでも「レコードよりも体験が重要」「ライヴが最終形だ」ということを言っている。METAFIVEという大所帯のスーパーバンドを経て、TESTSETという4ピースのコンパクトなバンドをやることになった後で、このような価値観や発想の転換が生まれ、バンドのポリシーになってきているのはとても興味深い(彼がソロ作の寡作さとは真逆のペースでエンジニアやプロデューサーという他人のレコードをより良くする仕事に邁進してきたこともあわせて考えると、余計に!)。


砂原良徳(キーボード)

 国内では2024年最後のパフォーマンスだという、10月20日のZepp ShinjukuでのTESTSETソロ・ライヴへ足を運んできた。昨年のデビュー・アルバム『1STST』発売時には基盤となったメンバーの砂原とLEO今井に話を聞いて、恵比寿LIQUIDROOMでのライヴも見に行ったが、今回のステージは自分にとってはそれ以来の久々の再会となる。歌舞伎町の新しいランドマーク、東急歌舞伎町タワーの奥底にある真新しく巨大なハコは、ステージ上だけでなく360度ぐるりとフロアを取り囲むLEDスクリーンが特徴で、ZERO TOKYOと名を変えおこなわれている深夜のクラブ・イヴェントにDJとして出演し、何度もその素晴らしさを味わった砂原の提案でチョイスされた会場だ。
 曼荼羅、もしくは万華鏡的なサイケなヴィジュアルを伴った新曲 “Interface” で幕を開けたステージは、以前とは違い、中心にメインのヴォーカルを担当するLEO今井とギターの永井聖一が陣取っている。横を向いて黙々とシンセ・ベースを手弾きする砂原と、タイトで小気味よいドラミングの白根賢一のリズム隊がその脇を固める格好だ。当初は、やはりゲストというかサポートというか、元々の文化部的な佇まいも手伝って隅の方で少し遠慮気味にギターを弾いている印象だった永井が、野性的に動き回る今井と時折向かいあって絡みを見せる。オレたちはポストMETAFIVEでも、砂原&LEOグループでも、すぐにやめる時限ユニットでもないぞ、というバンドのリボーンの宣言*であるように感じた。

*今井、永井をフロントに据えるフォーメーションは今回が初ではなく、7月19日のLIQUIDROOMの20周年記念ライヴから導入された。


永井聖一(ギター)

 札幌のしゃけ音楽祭、SONICMANIAやLIQUIDROOMワンマンでも、今年のステージでは少しずつ演奏されていた新曲だが、今回のライヴ直前に発表されたEP「EP2 TSTST」でその全貌が明かされた。メインとなるのは、初めてフルに日本語で歌われたリード曲 “Sing City” だ。LEO今井がメインを張ることで、これまであまり前面に出てこなかったタイプの、高橋幸宏のメロウでセンチメンタルな面が受け継がれたようなとても印象的な曲。振り返ると、TESTSETの持ちネタとして、METAFIVEのナンバーのうち当時からずっと継続してやっているのは、“Full Metallisch” や “The Paramedics” だ。これらには、インダストリアルだったりアグレッシヴだったりするテイストを持った、今井の色が強く感じられる。当初は、やっぱり違うバンドを名乗る意義だとか、再出発を強調する意味でもあまりユキヒロっぽさを出さないようにしているのかなとも思っていた。しかし、今井自身が「このバンドはMETAFIVEのスピンオフ」と言っているように、前身とまったく断絶しているわけでもなく、後から参加したメンバー2名に関しても高橋幸宏との関わりがあったところから誘われた部分もあるという。なにより、この曲が今井から「ちょっとTESTSET向きじゃないけど」と提示されたデモが元になっているというのが興味深い。今回はアンコールの1曲目に名残を惜しむように歌われた “Sing City”、今後きっとバンドの要所を締める代表曲に育っていくだろう。


白根賢一(ドラムス)

 過去3作からバランス良く曲が披露されていく中、特に今回は映像の高精細さや迫力とも相まって、バンドの内包する物語性やテーマ性が見えやすいライヴになったと感じた。以前今井に英語の歌詞について質問したら、やはり母国語は英語だからその方がやりやすいし、今後も日本語の曲を書くことはあまり考えられないと言っていたので、今回のアプローチはバンドの伝えたいことをより明確にするという意味で、非常に効果的だった。以前からMVやライヴ用映像のあった曲、例えば鳥の群像とアップを交互に見せつつ、最後に骸と雛という対極的なショットを入れる “Carrion” や、美しい自然の空撮からスタートして徐々に建築物や人の営みに推移していく “A Natural Life” といった曲の具象的描写が、いままでよりもハッとさせられるものに感じたし、砂原ソロ時代からの延長線上にあるようなグラフィカルな表現との相乗効果もあがっていた。
 また、初めて聞いた頃は、ちょっと毛色が違いすぎて浮いている?とも感じた永井のヴォーカル曲。今回のEPで “Yume No Ato” というレパートリーが増えたことで、確実にTESTSETの世界の一翼を担うところへ成長した。ライヴでのこの新曲はまだこれからという感じもあったが、かなり場数をこなしてきた “Stranger” では、時計/時間をモチーフにした映像との絡みや、音源より確実に進化したバックトラック、そしてコーラスで入る今井の声とのハモり具合の気持ちよさが渾然一体となって、今回のライヴのハイライトのひとつと言える、鳥肌ものの素晴らしさだった。


LEO今井(ヴォーカル)

 そして、最後に記しておきたい、中盤のラストのトリビュートについて。前述の永井コーナーに移る前に突如演奏されたユキヒロさんのカヴァー曲、“Glass” がとても良かった。実は昨年の恵比寿ガーデンホールでもやったのだが、見逃していて、もう二度とやることはないかもしれないと悔やんでいたので感激もひとしおだ。そもそも、2014年に高橋幸宏&METAFIVEとして、往年のユキヒロ関係の曲を当時のテクノポップの流儀で再現した「テクノリサイタル」がこのバンドの一番はじめの出発点。でも、そのときですらやってなかったちょっと捻りの入った名曲 “Glass” がほぼ完コピでまた聴けるとは。82年の「What Me Worry Tour」でのスティーヴ・ジャンセンのドラムや土屋昌巳のギター、そしてユキヒロさんの歌が憑依したような恐ろしいほど気合の入ったトラック、ドラミング、歌&コーラス。さらには、歌詞の世界をうまく捉えた雨の水滴や割れるガラスの映像……。このバンドのファンはよく曲を知っていて、人気曲が演奏されるとイントロの少しのフレーズだけでわっと歓声が上がるのが嬉しい。METAFIVEからのファンも多いと言っても、さすがに81年リリースの曲をリアルタイムで愛聴していたひとはそんなにいなそうだが、この日一番くらいの反応があって、ロートルは涙しそうになった。

 MCで今井が紹介していたが、年内残ったライヴの予定は中国のフェスへの出演だという。METAFIVEからの遺産や、高橋幸宏のメモリーという背景情報の一切ないところで積む4人のライヴ経験が、今後どのようなかたちでバンドをドライヴしていくのか、とても楽しみだ。

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