「UR」と一致するもの

Fabiano do Nascimento and Shin Sasakubo - ele-king

 ブラジル音楽から影響を受けたリオ出身LA在住のギタリスト、ファビアーノ・ド・ナシメント。南米音楽を中心に世界各地の音楽とリンクする秩父出身のギタリスト、笹久保伸。両名によるコラボレーション・アルバムが12月11日に発売される。現在 “Após a Tempestade” が先行配信中で、公開されているMVには、レコーディングがおこなわれた大磯SALOスタジオやそのまわりの景色とともに、ふたりの演奏する姿が映し出されている。染みわたるギターの音を堪能したい。

Fabiano do Nascimento & Shin Sasakubo 『Harmônicos』
2024.12.11 CD, LP, Cassette Tape Release

日本でも人気の高いブラジリアン・ギタリストのファビアーノ・ド・ナシメントと、南米音楽を中心に世界各地とリンクする、秩父出身ギタリストの笹久保 伸が、日本でのライブ共演をきっかけに始まったギターデュオ作が、CD、LP、カセットテープでリリース!! 大磯SALOスタジオで作り上げられた2人だけの物語、今ここに新たな名盤が生まれた。

ファビアーノ・ド・ナシメントと笹久保 伸が初めて一緒にコンサートをやった4日後に、3日間に渡る録音は始まった。同じ空間と時間を共有して、異なるスタイルと出自を持つ二人のギタリストは、音を探り出して、共鳴や反発をさせ、対話とアイデアの交換を重ねた。身近で見たその一つ一つのプロセスから、この音楽は形作られていった。弦とボディの響きと共に、スタジオの空気も大切なものとして記録されている。アルバムという形あるものとして残し、聴き手に届けることにいつも以上にワクワクする気持ちを抑えられないでいる。ピュアで研ぎ澄まされていて、キュート(ファビアーノは「Kawaii」という)でもある二人の音楽を、自由に楽しんでもらえたら本望だ。 ──(原 雅明 ringsプロデューサー)

【リリース情報】
アーティスト名:Fabiano do Nascimento and Shin Sasakubo (ファビアーノ・ド・ナシメント & 笹久保 伸)
アルバム名:Harmônicos (アルモニコス)
リリース日:2024年12月11日
フォーマット:CD, LP, Cassette Tape

●CD
品番:RINC128
JAN: 4988044124318
価格: ¥3,300(tax in)

●LP
品番:RINR18
JAN: 4988044124325
価格: ¥4,400(tax in)

●Cassette Tape
品番:RINT2
JAN: 4988044124332
価格: ¥2,750(tax in)

レーベル:rings
オフィシャルURL: https://www.ringstokyo.com/fabiano-sasakubo-harmonicos/
販売リンク: https://diskunion.net/latin/ct/news/article/1/125279

世界の終わりとは何か?

表紙・巻頭『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』
浅野いにお(原作)インタヴュー

宇川直宏 宮台真司 小川公代
world's end girlfriend sasakure.UK
藤田直哉 野田努 飯田一史 北出栞 後藤護 福田安佐子 冬木糸一 藤井義允 伊藤潤一郎 小林拓音 松島広人 しま Flat

古くは『デビルマン』から『風の谷のナウシカ』、『AKIRA』、『新世紀エヴァンゲリオン』を経て、『進撃の巨人』、『君の名は。』、そして『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』まで、あるいはボーカロイドの奏でる「世界の終わり」的風景まで──なぜ日本のポップ・カルチャーはかくも「終末」を描いてきたのか。大衆文化の側から「世界の終わり」を、ひいては日本文化を考察する。

菊判/192頁

表紙ヴィジュアル
©浅野いにお/小学館
©浅野いにお/小学館/DeDeDeDe Committee

目次

終末論的文化はいま世界を駆け巡る 野田努

◆『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』

浅野いにおインタヴュー──世界が終わらなかった後で
くそヤバい地球で、僕らは未来の夢を見ることができるか?──『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』論 藤井義允
我々の勝利――浅野いにお作品における「世界の終わり」 藤田直哉

◆なぜ日本のポップ・カルチャーはかくも「終末」を描いてきたのか

[インタヴュー]
宇川直宏──次の地球の番人、ナメクジのために
宮台真司──世界が終わろうとも、周りの人を幸せにすることで、幸せになれ
小川公代──ケアと対話で「終末」を乗り越える
world’s end girlfriend──「世界の終わり」も自己も個も越えた「新たな世界」を提示すること
sasakure.UK──人類が消えてもボーカロイドは歌い続ける

[エッセイ・論考・コラム]
戦後日本の特撮・アニメにおける、「世界の終わり」の変容 藤田直哉
セカイ系の時代精神 飯田一史
「世界の終わり」にあなたは泣けますか?──楳図かずお『14歳』とおさなごころ(ロックンロール) 後藤護
終末SF小説概観──核戦争から感染症、気候変動、隕石衝突、人口減少、AIまで 冬木糸一
ポップ・カルチャーとしての「終末ソング」、その常態化 野田努
パンデミックの回想──「来そうで来なかった終末」のなかで育まれた音楽 松島広人
「世界の終わり」をテーマにしたボカロ曲 しま
〈ポスト・セカイ系〉における「世界の終わり」 北出栞
2分前と2分後のあいだ──アポカリプスにおける「人間らしさ」について 福田安佐子
人類最後の世代の苦しみ──田村由美『7SEEDS』から 伊藤潤一郎
『花物語』から想像する、世界の終わりと資本主義の終わり 小林拓音

[共同監修者プロフィール]
藤田直哉(ふじた・なおや)
批評家。日本映画大学准教授。1983年札幌生まれ。著書に『虚構内存在』『攻殻機動隊論』『新海誠論』『シン・エヴァンゲリオン論』『新世紀ゾンビ論』『シン・ゴジラ論』『ゲームが教える世界の論点』『現代ネット政治=文化論』『娯楽としての炎上』、編著『東日本大震災後文学論』『3・11の未来』など。

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Nídia & Valentina - ele-king

 ダンス・ミュージック界には複数の新鮮が風が吹いている。当然そのなかには、アフリカ系ポルトガル人のニディア、イタリア系イギリス人の前衛ドラマー、ヴァレンティーナ・マガレッティというふたりの女性によるアルバム『エストラダス』も含まれるのだった。
 ニディアからいこう。彼女は、エレキングでもお馴染みの、リスボンは〈Príncipe〉レーベルで活躍するビートメイカー。いっぽうマガレッティは、すでに多くの共演作を持つロンドン在住の打楽器奏者。古くはRaime、グレアム・ルイス(Wire)とのUUUULafawndah、〈Incus〉から〈On-U〉を横断するスティーヴ・ベレスフォードとのFrequency Disastersニコラス・ジャーとのライヴ向井進とのV/Zおよび最近はシャックルトンとの共作を出したばかりのHoly TonguemRaimeのメンバーとのMoin、近年ではBetter Cornersでのアンビエント作品も注目されているが、広く知られているソロ作品は、おそらくCafe Otoのレーベル〈Takuroku〉からリリースされた『A Queer Anthology of Drums』だろう。去る6月には来日し、彼女のドラミングのみでひとつの世界を作れてしまえることを証明したばかりだ。
 その打楽器による表現力は、本作『エストラダス』において、ニディアのエレクトロニクスと融合し、駆動力をもった多彩なグルーヴへと変換されている。ポルトガル語で「道」を意味するという『エストラダス』のアートワーク——岩石のあいだを走る道路にタイヤの跡が付いたこの写真、本作の冒険的かつドライヴする作風にじつによく合っている。太陽に晒され、暑く、乾いた道路のカーヴ、疾駆した車の痕跡……自分のなかにひきこもっている場合ではない。

 〈Príncipe〉が昨年、クドゥロ(アンゴラ起源のアフロとハウスの融合)のコンピレーションを出しているように、近年はバイレ・ファンキといい、ジャージー・クラブといい、チリのセックストランスといい、200BPM以上の超ハイテンポで踊るタンザニア産シンゲリといい、アマ・ピアノほど広範囲な流行はしていないかもしれないが、ディアスポリックなマイクロ・ジャンルがあちこちで息を吹き返している(そしてオンライン上ではクラッシュクラブにフォンクにジャンプと……このあたりはいつか松島君と話したい。ぼくはいま20代の背中を追いかけているのだ)。そんなわけで、ダンス・カルチャーは、昔ながらの世界もデジタル世界も活気に満ちているのだった。

 ここでいきなり予告です。年末号のエレキングでは「ミニマリズム」を特集しようと思っている。ミニマル・ミュージックとは、白人文化における50年代〜60年代の、クラシックの前衛のみで定義できるものではない。たとえば、その分水嶺的作品『In C』においてテリー・ライリーがサックスを、ジョン・ハッセルがトランペットを吹いていることにもヒントがあるだろう。「ミニマリズム」はアフリカ起源のじつに多くの音楽(戦前ブルースからファンクほか)にも通底している。アフロ・ミニマリズムと呼びうるそれは、ことエレクトロニック・ミュージックに関して言えば、アシッド・ハウス以降、さまざまなスタイルを生みながら発展し、クドゥロやファンキのような明らかにエクスペリメンタルなサウンドをIDMとは呼ばないシーンのなかで力強く継承されているし、拡散している。ローレル・ヘイローラファウンダサム・カイデルなど、これまで知性派の作品を出してきたフランスのレーベル〈Latency〉がかようにも溌剌とした、ポリリズミックなアフロ・ダンス・ミュージック・アルバムを出したことが嬉しい。

 生ドラムと打ち込みのビートとの組み合わせ自体が新しいわけではない。本作では、それぞれの曲でそれぞれ魅力的なリズムが生成されていく、まるで生き物のように、その有機的な感覚が格好いいのだ……というわけで、このレヴューを読みながらコニー・プランクとマニ・ノイマイヤーとメビウスの『ゼロ・セット』などと口走ってしまう古参方には、4曲目の “Mata” から聴くことをお薦めしたい。もちろん、フィールド・レコーディングによる妙な雑音から親指ピアノ、そして未来的なシンセサイザーに重たいベースが地を這う、冒頭の “Andiamo” (イタリア語で「さあ、行こう」)からでもいい。未来はたしかにトライバルだった。
 だが、表題曲になるとどうだろうか。おそらくこの曲は、ヒップホップ/R&Bからの影響が注がれたダウンテンポのフュージョン・サウンドを画策している。路上の砂埃を巻き込みながら、親指ピアノと打楽器、エレクトロニクスの鮮やかな調和。それから、ザ・スリッツがエレクトロックに発展していったらこんなサウンドになったに違いない、というのがミドルテンポの “Tutta la note” のような曲だ。
 そうは言っても “Rapido” を聴けば、このアルバムの使命を思い出す。そう、 ベースとドラムが醸し出す強力なうねり、すなわちダンスすること。ま、ぼくはひとり、心のなかでダンスです。

Damon & Naomi with Kurihara - ele-king

 USインディの至宝、デーモン&ナオミが7年ぶりに来日することが決定している。長年のコラボレイター、栗原ミチオとのトリオ編成でのパフォーマンスを披露する予定で、さらに11月3日の下北沢 CLUB QUE公演には(ele-king booksで多くの装丁を手がけてくださっている長井雅子さんも所属する)Pervencheが、同5日の新代田FEVER公演にはsugar plantも出演する。詳しくは下記より。

Damon & Naomi with Kurihara Japan Tour 2024

Damon & Naomi 7年ぶりの来日決定!
長年のコラボレイターである栗原ミチオを加えたトリオでの公演が実現。

90年代初頭からインディーという枠をはみ出しながらドリームポップやインディー・フォークのオリジネーターとして活動、メランコリックとエクスペリメンタルを行き来するサウンドは文学的とも言えるストーリーを感じさせてくれる。おりしもこの秋にはGalaxie 500の未発表集がリリースとなる、まさに世界的な再評価の声が高まってきたタイミングでの来日となる。
共演としてキリキリヴィラからPervenche (QUE)とsugar plant (FEVER)が出演。

11月3日 (Sun)
下北沢 CLUB QUE

open 17:30 start 18:00
Live : Damon & Naomi with Kurihara、Pervenche
前売 7,000円 + 1D 当日 7,800円 +1D
前売チケットは8月10日 10:00よりLivePocketとe+にて販売開始
LivePocket:https://t.livepocket.jp/e/que20241103
e+ : :https://eplus.jp/sf/detail/4158480001-P0030001

11月5日 (Tue)
新代田FEVER

open 19:00 start 19:30
Live : Damon & Naomi with Kurihara、sugar plant
前売 7,000円 + 1D 当日 7,800円 +1D
前売チケットは8月10日 10:00より以下のURLにて販売開始
e+ : https://eplus.jp/sf/detail/4158690001-P0030001

Damon & Naomi
Damon & Naomiはアメリカのインディー・ロックデュオでメンバーはDamon KrukowskiとNaomi Yang。彼らは1991年に解散したドリームポップバンドGalaxie 500の元メンバーとしても知られている。Galaxie 500の解散後、Damon & Naomiは1992年にデビューアルバム「More Sad Hits」をリリースしキャリアを新たにスタートさせた。このアルバムはプロデューサーにGalaxie 500の作品を手がけたKramerを再び迎え、シンプルでメランコリックなサウンドを作り上げた。
彼らの音楽はドリームポップやインディー・フォーク、さらにはエクスペリメンタルな要素を取り入れた独自のスタイルを持っており、Naomi Yangの透明感のあるボーカルとベース、Damon Krukowskiの控えめなドラムとギターが織り成すメロディーはリスナーに静かな感動を与えてきた。それは日常の喧騒から離れた場所でリスナー自身の内面を旅をするような感覚を作り出す。

Damon & Naomiは日本のバンドGhostとのコラボレーションでも知られている。彼らはGhostのギタリストKurihara(栗原ミチオ)と共に多くのアルバムを制作した。2000年の「With Ghost」では、GhostのサイケデリックなサウンドがDamon & Naomiの音楽に新たな魅力を加えた。その後もKuriharaは2005年の「The Earth Is Blue」や2007年の「Within These Walls」、2011年の「False Beats and True Hearts」、そして最新作である『A Sky Record』にも参加し、複数のアルバムで重要な役割を果たしてきた。彼のギターワークは、Damon & Naomiのシンプルで詩的なサウンドにエッジと深みを加えている。
Damon & Naomiの活動は音楽だけでなく映像やアートの分野にも広がっている。Naomi Yangは写真家および映像作家としても活躍しており、彼女の視覚的な作品は音楽と深く関連している。特に2015年にリリースされたアルバム「Fortune」は、Naomiが監督した映画にインスパイアされており、視覚と聴覚の両方で彼らの芸術を楽しむことができる作品となっている。
彼らの最新作「A Sky Record」(2021年)は東京でも録音され、穏やかなメロディーと内省的でありながら映像を想起させる歌詞でリスナーを魅了する。彼らの音楽は静かでありながら深く、シンプルでありながら複雑な感情を呼び起こす。彼らはGalaxie 500の頃からインディー・シーンで独自の地位を確立しており、その音楽は時間が経つにつれてさらに豊かになっている。

ゲーム音楽の歴史と本質を知るための最良の手引き
第一人者による積年の研究の集大成

いまわたしたちの目の前にあるゲーム音楽は、
なにがどうなった結果としてそこにあるのだろうか?

『コンピュータースペース』『ポン』『アメイジング・メイズ』
『スペースインベーダー』『ラリーX』『ゼビウス』
『ジャイラス』『デウス・エクス・マシーナ』
『スーパーマリオブラザーズ』『ドラゴンクエスト』
『ジーザス』『ファイナルファンタジー』『アクトレイザー』……

ゲーム音楽を「ゲームサウンド」という大きな枠組みのなかに
位置付け直すことで、その答えを探る。

これまでゲーム音楽の構造研究は主として産業史・技術史の観点からなされてきたが、その大半は「ゲーム音楽はこんなにも進歩してきた」という進歩主義史観に貫かれたもので、零れ落ちるものが無数にあった。クラシック、ロック、ジャズ……どんなジャンルでもそうだが、音楽史には必ず同時代の社会や文化との関わりが示されるものだ。しかし進歩主義史観はどうしてもそこをすっ飛ばしてしまう。だから本書はゲーム音楽に込められた価値と信念の系譜に目を向けるのだ。これを明らかにしておかないと、ゲーム音楽の歴史は永遠に機能論と印象論の牢獄に閉じ込められたままになるだろう。 ──「はじめに」より

最終的に提示するゲームサウンドの構造モデルは、「ゲーム音楽の本質はどこにあるのか」という問いに対する、現時点で最良の解答になっているはずである。 ──同

四六判/360頁

目次

はじめに──ゲーム音楽って、なんだろう。
序章 「最高のノイズ」があった頃
第1章 音の必然性──ヴィデオゲーム以前のゲームサウンド
第2章 エレメカ・サウンドとヴィデオゲーム・サウンド
第3章 ヴィデオゲームにBGMが定着するまで
第4章 「映画」になりたがるヴィデオゲーム・サウンド
第5章 音盤化するゲーム音楽
第6章 「ゲーム音楽語り」の構造
第7章 メカニクス/シグナル/ワールド
あとがき

[著者]
田中 “hally” 治久(たなか・はりー・はるひさ)
ゲーム史/ゲーム音楽史研究家。チップ音楽研究の第一人者で、主著に『チップチューンのすべて』、共同監修書籍に『ゲーム音楽ディスクガイド』『ゲーム音楽家インタヴュー集──プロのベテラン18人が語るそれぞれのルーツ』『インディ・ゲーム名作選』ほか。さまざまなゲーム・サントラ制作に携わる傍ら、ミュージシャンとしても活動しており、ゲームソフトや音楽アルバムへの楽曲提供を行うほか、国内外でDJ・ライブ活動も展開している。

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Loren Connors & David Grubbs - ele-king

 デヴィッド・グラブスとローレン・コナーズ。ともに現代の米国を代表するエクスペリメンタル・ミュージック・ギタリストだ。そのふたりの共演・共作アルバムが本作『Evening Air』である。リリースはアンビエント・アーティストのローレンス・イングリッシュが主宰するレーベル〈Room40〉から。

 グラブスはかつてジム・オルークとのガスター・デル・ソルとしても知られている(思えばローレン・コナーズもジム・オルークの共演作がある)。ソロもコラボレーション・アルバムも多数リリースしている。いわば90年代以降の米国実験音楽における重要人物でもある。著作もあり、名著『レコードは風景をだいなしにする ジョン・ケージと録音物たち』(フィルムアート社)が翻訳されている。
 グラブスとコナーズのデュオ作は約20年前の2003年に〈Häpna〉からリリースされた『Arborvitae』以来のこと(現在はブルックリンのレーベル〈Improved Sequence Records〉からリリースされている)。約20年前の『Arborvitae』は幽幻かつ荘厳な美しさを称えたピアノとギターによるエクスペリメンタルな教会音楽といった趣のアルバムであった。
 いっぽう2024年の『Evening Air』はその音楽性を継承しつつも、より深化した霧のような響きをアルバム全編に渡って展開しているアルバムである。端的にいって『Evening Air』は「美しい」。グラブスのアルバムではNikos Veliotisとの『The  Harmless  Dust』に近い印象を持った。演奏と響きの美。音響の美。
 また、『Arborvitae』ではグラブスがピアノとギター、コナーズがギターを担当していたが、『Evening Air』ではコナーズもピアノを担当(曲によってがドラムも!)している点にも注目したい。このコナーズのピアノがまた素晴らしい響きを発しているのだ。
 グラブスがピアノを担当するのは、1曲目と2曲目、コナーズがピアノを担当するのは3曲目(B1)、4曲目(B2)、6曲目(B4)である。5曲目(B3)ではギターはふたりのデュオだがそれに加えてなんとコナーズがドラムを演奏している(この演奏が極めて独自のもの)。アルバム最終曲の6曲目 “Child” は、ローレン・コナーズとスザンヌ・ランギールのカバー曲である。

 ふたりの演奏にはそれぞれがそれぞれ別の領域に存在し、違いに侵食をしないように気遣いつつ、しかしそれぞれの音がある瞬間に溶け合い、消え入りそうになるような静寂さと緊張感がある。1曲目 “vening Air” はまさにその代表のような曲で、ギターとピアノによる静謐な音の接触と離反が展開されている。ミニマリズムを主体とするグラブスと、夢の中を彷徨うような夢幻的なグラブスの演奏の対比が実に見事だ。
 この曲以降、ふたりのギターとピアノはつねに緊張感を保ったまま持続と生成と接触を繰り返すが、コナーズがドラムを担当する5曲目 “It’s Snowing Onstage” で事態は一変する。いわば完全に独自の音響発装置となったドラムがギターに溶け込むように音を発生するとき、緊張感と異なる不可思議な音響が自然と生成されているのだ。緊張感が別次元に昇華したというべきか。
 どの曲も名演だが、録音の素晴らしさも筆舌に尽くしがたいものがある。決して派手な音ではないが、音の残響の捉え方が見事で、空間の中に霧のように溶け合っていくようなふたりの演奏を見事に捉えている。特にピアノの音が透明な粒のようでもあり、もしくは薄明かりの光のようにうっすらと滲むような響きでもある。
 特にコナーズのピアノ演奏が美しい。マスタリングを〈12k〉レーベルの主宰であり、アンビエントアーティストとしても名高いテイラー・デュプリーが手掛けている点も書き添えておいても良いだろう。ちなみに、ギターとピアノのミックスはグラブス自らが手がけている(DG名義)。

 最初にも書いたようにリリースはローレンス・イングリッシュが主宰する〈Room40〉からである。グラブスは2022年にポルトガルのギタリスト/インプロヴァイザーのマヌエル・モタとのコラボレーション『Na Margem Sul』、本年2024年にはシドニー在住のギタリストのリアム・キーナンとのコラボレーション『Your Music Encountered In A Dream』を、〈Room40〉からリリースしてきた。本作は、いわば〈Room40〉におけるコラボレーション・シリーズ3作目といえなくもない。
 私見だが、コラボレーション・シリーズでこのもっとも良い出来が、この『Evening Air』に思える。演奏と音響、音響と音楽の非常に高いレベルで、しかしさりげなく実現しているからだ。さすがはあのローレン・コナーズとのデュオ作といえよう。
 ローレン・コナーズは1949年生まれのNYの伝説的なエクスペリメンタル・ギタリストで、その淡く幽幻なギターの音響で聴くものを魅了し続けてきた。すでに40年以上の活動歴があり、アルバムの数もコラボレーションも数多い。サーストン・ムーア、大友良英、アラン・リクト、灰野敬二などとの共演を重ねてきた。
 70年代後半からリリースされ続けてきたコナーズのアルバムは膨大で、安易にこの一枚というのは紹介できないが、私が思い入れがあるのは、1999年にリリースされたジム・オルークとの『n Bern』である。また2006年にリリースされたCD3枚組のコンピレーション『Night Through (Singles And Collected Works 1976-2004)』も非常に印象的なCDだった。ちなみに『Night Through (Singles And Collected Works 1976-2004)』はジム・オルークがマスタリングを手がけていた。

 いうまでもないがオルークとグラブスは90年代においてガスター・デル・ソルというポスト・ロック・音響派のグループで活動していた。本作『Evening Air』を聴いていると、なぜか不意にそのガスターの影が脳裏をよぎった。むろんグラブスはガスターであったのだから当然かもしれないが、演奏同士がもたらす静謐な緊張感にどこかかつてのガスターと同じ空気を感じたとでもいうべきだろうか。特にグラブスがピアノを演奏する冒頭2曲 “Evening Air”とChoir Waits in the Wings” にそれを感じた。当然、ガスターのようにグラブスの印象的な「歌」はない。だがふとした瞬間に感じる「緊張感」に、どこかガスターを感じたのだ。
 もともとグラブスの音楽をオルークがアレンジするというのがガスターの核だったと思うのだが、そこから生まれる緊張感こそがあのバンドの本質ではなかったか。となればコナーズとの演奏は、グラブスの演奏に良い意味での緊張感を与え、あのガスターを思わせる音楽・演奏・音響空間になったのではないかと、つい妄想してしまうのである。
 私などはこの『Evening Air』がガスターの90年代未発表音源をまとめた『We Have Dozens Of Titles』と同年に出ることに、どこか「運命」を感じてしまったものだ。『Evening Air』と『We Have Dozens Of Titles』、それぞれを併せて聴き込んでいくと、90年代音響派とは何だったのかが見えてくるような気もするのである。90年代音響派とは、20世紀の米国の実験音楽の最後直接的末裔でありつつ、「レコード」というアーカイブの探究によって「現代」という時代を生きてきた音楽であった。本作もまた米国における実験音楽の探究という系譜の中にあるように私には聴こえた。

 その意味で後年グラブスを語るとき重要なアルバムになるのではないか。コナーズもまた英国音楽の例外的な末裔であり、大量のレコードを残している。彼は米国のエクスペリメンタル音楽の「生き証人」でもある。そのコナーズと演奏をおこなうことで、かつてオルークと共にガスターでおこなっていた例外的米国音楽の探究という「緊張感」が再び生成されているように聴こえたのである。
 ともあれふたりのことをまったく知らなくとも、聴いた人の耳を捉えて離さない音楽である。優雅で儚く、そして永遠のような音楽であることも事実だ。まずは聴いてほしい。ギターとピアノによる「夜の時間」、「幽玄の美」がここにある。

9月のジャズ - ele-king

 昨秋に来日公演をおこない、本WEBでのインタヴューにも応じてくれたジャズ・サックス奏者のヌバイア・ガルシアの新作『Odyssey』が発表された。昨年はクルアンビンとのスプリット・ライヴ盤や、参加作品だと『London Brew』などもあったが、自身のソロ・アルバムでは2021年の『Source』以来3年ぶりとなる久々のアルバムだ。シャバカ・ハッチングスジョー・アーモン・ジョーンズらとサウス・ロンドンのジャズ・シーンを牽引してきた彼女ではあるが、既にサウス・ロンドンに限定される存在ではなくなっており、『Odyssey』ではエスペランサ・スポルディングやジョージア・アン・マルドロウなどアメリカ人のアーティストとの共演もある。インタヴューでもティーブスキーファーらアメリカのアーティストへの興味について述べていたり、またクルアンビンとのライヴ盤をリリースするなど、インターナショナルに活躍する彼女ならではだ。しかし、作品の根幹となる部分は今回も変わっておらず、ジョー・アーモン・ジョーンズ(ピアノ、エレピ)、ダニエル・カシミール(ベース)、サム・ジョーンズ(ドラムス)というサウス・ロンドンの旧知の面々によるトリオは、『Source』から引き継がれている。プロデュースも『Source』と同じくクウェズ(Kwes.)がおこなっており、ヌバイアがいかに彼を信頼しているかがわかる。


Nubya Garcia
Odyssey

Concord / ユニバーサルミュージック

 ギリシャの叙事詩を意味する『Odyssey』は、ヌバイアの長い音楽の旅をイメージしている。「自分自身の道を真に歩むこと、そして、こうあるべきだ、あああるべきだという外部の雑音をすべて捨て去ろうとすることを表現している。それはまた、常に変化し続ける人生の冒険、生きることの紆余曲折にインスパイアされたものでもある」と、アルバムを総括してヌバイアは述べているのだが、そこには音楽業界に長く残る差別という雑音への示唆も含まれる。長く男性優位が続いたジャズ界であるが、近年はヌバイアのような才能あふれる女性アーティストの活躍もクローズ・アップされるようになり、本作ではエスペランサ、ジョージア・アン・マルドロウ、リッチー・シーヴライト、ザラ・マクファーレン、シーラ・モーリス・グレイ、ベイビー・ソルなど米英の黒人女性アーティストが多く起用される。女性ジャズ・アーティストによるプロジェクトとしてはテリ・リン・キャリントンのモザイク・プロジェクトが知られるが、ヌバイアが参加するネリヤも同じような方向性のバンドであるし、『Odyssey』についても女性アーティストとしての矜持が存在している。

 『Odyssey』のトピックとしては、英国のチネケ・オーケストラとの共演も挙げられる。チネケ・オーケストラは多民族の演奏家より構成され、ヨーロッパにおいて初めて多くの黒人演奏家が参加する楽団として知られるが、今回の共演に際してヌバイアは初めてストリングス・アレンジも手掛けている。そうしたオーケストラ・サウンドの魅力が詰まった楽曲が “In Other Worlds, Living” で、『Odyssey』の世界観を表すような壮大なスケールを持つ。重厚で骨太なモーダル・ジャズの “Odyssey”、律動的なリズム・セクションが斬新なカリビアン・ジャズの “Solstice” などヌバイアらしいインスト作品が並んでおり、“The Seer” ではアグレッシヴなジャズ・ロックの曲調の中、ヌバイアのサックスがディープで鮮明なフレーズを奏でる。この曲に顕著だが、サックスのミキシングはエコーをかけたような残像があり、そのあたりはクウェズのなせる技なのだろう。一方、今回はさまざまな女性シンガーたちによるヴォイスも花を添える。中でも、ジャズ・ファンク調の “Set It Free” におけるリッチー・シーヴライトのクールだがソフトで浮遊感に満ちたヴォーカルがいい。彼女はココロコのトロンボーン奏者として知られるが、本職ではないヴォーカリストでも素晴らしい才能を見せる。


Ibrahim Maalouf
Trumpets of Michel-Ange

Mister I.B.E.

 ベイルート出身のジャズ・トランペット奏者のイブラヒム・アマルーフ(マーロフ)は、叔父に作家のアミン・アマルーフを持つ。1975年のレバノン内戦で祖国から難民としてフランスに渡り、アラブ社会についての著書や、内戦や難民をモチーフにした小説を残しているが、音楽一家に生まれたイブラヒム・アマルーフも同様にレバノン内戦中にフランスに逃れ、クラシックやアラブ音楽を学んできた。父親のナシム・アマルーフもトランペット奏者で、イブラヒムと一緒にデュオを組んでヨーロッパで演奏活動をおこなってきた。イブラヒムは父が開発した4本のピストンバルブを持つ特殊なトランペットを用い、それによってアラブ音楽特有の微分音を表現することが可能となった。そして、アラブ音楽をジャズや西洋のポピュラー音楽と結びつけ、独自の表現をおこなう音楽家である。2007年のソロ・デビュー作『Diaspora』は、そうしたフランスにおけるレバノン人のディアスポラとして、イブラヒムのアイデンンティティを強く打ち出した作品だった。その後、ロック、ファンク、ソウルなど西洋音楽に接近した『Illusions』(2013年)、アロルド・ロペス・ヌッサ、アルフレッド・ロドリゲス、ロベルト・フォンセカらキューバのミュージシャンと共演し、ラテン色が濃厚となった『S3NS』(2019年)、デ・ラ・ソウルと共演するなどヒップホップを取り入れた『Capacity To Love』(2022年)と、作品ごとにさまざまな色を出すイブラヒム・アマルーフだが、いつも根底にはアラブ音楽がある。

 『Capacity To Love』から2年ぶりの新作『Trumpets of Michel-Ange』も、彼ならではのアラブ音楽と西洋音楽との邂逅が見られる。『Trumpets of Michel-Ange』とは「ミケランジェロのトランペット」ということだが、ルネッサンスの偉大な芸術家にちなむと共に、ナシム・アマルーフが開発した4分音のトランペットを普及して広めようという教育プロジェクトの名称としても用いられる。今回はゲストにニューオーリンズのトロンボーン奏者で、ジャズ、ファンク、ロック、ヒップホップと縦横無尽に活動するトロンボーン・ショーティー、デトロイトのダブル・ベース奏者のエンデア・オーウェンズ、マリのコラ奏者として世界的に活躍し、去る7月19日に逝去したトゥマニ・ジャバテ、その息子のコラ奏者/シンガー/プロデューサーのシディキ・ジャバテらが参加。イブラヒムは2022年にアンジェリーク・キジョーとの共作『Queen Of Sheba』をリリースし、そこではアフリカ音楽とアラブ音楽との融合を試みていたのだが、『Trumpets of Michel-Ange』もかなりアフリカを意識した作品と言えるだろう。“The Proposal” や “Love Anthem” は哀愁漂うアラブの旋律にアフロ・ビートをミックスし、中東フォルクローレの舞踏音楽の系譜を受け継ぐ作品となっている。トロンボーン・ショーティーをフィーチャーした “Capitals” はさらにアップテンポのダンサブルなナンバーで、ビデオ・クリップのライヴ映像ではダンサーも登場して盛り上がる。ライヴ映像を見るに、今回の録音はブラスバンド的な編成で、オーバーダビングは一切用いていない。また、イブラヒムのバックで演奏するトランペット隊もすべて4分音トランペットを用いており、それが迫力のあるブラス・サウンドを作り出している。


Jaubi
A Sound Heart

Riaz

 テンダーロニアスのアルバム『Tender In Lahore』、『Ragas From Lahore』(共に2022年)で共演し、その後『Nafs At Peace』(2021年)でアルバム・デビューしたジャウビ。パキスタンのラホール地方出身のグループで、アリ・リアズ・バカール(ギター)をリーダーに、ゾハイブ・ハッサン・カーン(サーランギー)、カマール・ヴィッキー・アバス(ドラムス)、カシフ・アリ・ダーニ(タブラ、ヴォーカル)という4人組である。もともとはパキスタンや隣接する北インドの古典伝統音楽などをやっていたが、テンダーロニアスなどとの共演からジャズやジャズ・ファンクをはじめとした西洋音楽にも傾倒していく。『Nafs At Peace』にはテンダーロニアスも参加し、北インド地方固有の音楽をジャズやジャズ・ファンクで解釈した作品となっていた。3年ぶりの新作『A Sound Heart』もテンダーロニアスが参加しており、カマール・ヴィッキー・アバスが抜けた代わりにルビー・ラシュトンのドラマーのティム・カーネギーも加入。テンダーロニアスの周辺では同じくルビー・ラシュトンのメンバーのニック・ウォルターズも参加し、ほかにオーストラリアの30/70からヘンリー・ヒックス、ポーランドのEABSからマレク・ペンジウィアトルが参加し、より広がった世界を見せる。

 『A Sound Heart』というアルバム・タイトルはイスラム教のコーランの一説に触発されたもので、神への愛を描いたものとなっている。また、収録曲である “A Sound Heart” はビル・エヴァンスにインスパイアされた美しいピアノ曲(ピアノだけでなくテンダーロニアスのフルートや、ゾハイブ・ハッサン・カーンのサーランギーも素晴らしい)であるが、アルバムでは随所にジャズの偉大な先人たちに捧げられた曲がある。ウェイン・ショーターへ捧げた “Lahori Blues” は、1960年代後半のショーターを想起させるブルース形式のモード・ジャズ。ちょうどショーターや、彼の参加したマイルス・デイヴィス・カルテットの演奏で知られる “Footprints” に似たところがあるが、ジャウビの方はサーランギーによるエキゾティシズム溢れる演奏が異色である。変拍子によるジャズ・ロック的な “Wings Of Submission” においてもサーランギーが印象的で、ほかのグループには無いジャウビのトレードマークになっていると言えよう。“Chandrakauns” はタブラを交えたリズム・セクションが北インド的で、テンダーロニアスのフルートやキーボード、シンセなども相まって全体的に不穏で抽象性の高い演奏を繰り広げる。“Throwdown” はブルージーなギターが導くクールなジャズ・ファンクで、カマール・ウィリアムズに通じるような作品。パキスタンとサウス・ロンドンが邂逅したような1曲と言えよう。


Allysha Joy
The Making of Silk

First Word / Pヴァイン

 メルボルンのソウル~ジャズ・コレクティヴの30/70のリード・シンガーとして活躍するアリーシャ・ジョイ。ソロ活動も活発に行っていて、『Acadie : Raw』(2018年)、『Torn : Tonic』(2022年)に続く3枚目のソロ・アルバム『The Making Of Silk』をリリースした。30/70のドラマーであるジギー・ツァイトガイストやキーボード奏者のフィン・リース、ハイエイタス・カイヨーテでバック・コーラスを務めるジェイスXLといったメルボルン勢のほか、サウス・ロンドンからギタリストのオスカー・ジェロームや、ブラジル出身のコンガ奏者のジェンセン・サンタナ(彼はヌバイア・ガルシアの『Odyssey』にも参加する)といったメンバーが録音に加わっている。これまでのソロや30/70の作品の延長線上にある作品集と言え、ジャズとソウルやファンク、そしてクラブ・サウンドが融合した世界を聴かせる。

 〈CTI〉時代のボブ・ジェームズのサウンドを想起させるメロウでスペイシーなジャズ・ファンク “nothing to prove”、かつてのウェスト・ロンドンのブロークンビーツを想起させるリズム・セクションとメロディアスなコーラスがフィーチャーされた “dropping keys” と、フェンダー・ローズを軸としたサウンドとハスキーなアリーシャ・ジョイのヴォーカルは今回も素晴らしいマッチングを見せる。コズミックなシンセがエフェクティヴな効果を上げる “raise up” では、後半のアリーシャのスキャットが鍵となり、オスカー・ジェロームのギターをフィーチャーした “hold on” では、アリーシャの歌からアーシーでレイドバックしたフィーリングが溢れ出す。

MODE AT LIQUIDROOM - ele-king

 去る6月の「MODE 2024」、草月ホールに入ったときには、すでにヴァレンティーナ・マガレッティは最後の3曲くらいで(そのあと出演した坂田明が圧倒的だったとはいえ)、ほんとうにもったいないことをした。イタリア出身でロンドン在住のこの女性ドラマーは、いろんなプロジェクトでいろんなことをしていて、今年は、Holy Tongueのメンバーとしてシャックルトンとの共作アルバムを〈AD93〉からリリースし、そしてつい先日は〈プリンシペ〉のニディアとの素晴らしい共作アルバムを出したばかり。Toneglowに載った彼女のインタヴューの悲観的な予想によれば、AIに頼った未来の音楽シーンではDJは絶滅し、生楽器による生演奏が最後のアートになるという。9月21日の「MODE」の会場リキッドルームに到着すると、だいたい通常のライヴではお約束としあるBGM(ないしは前座DJ)のいっさいがなかった。開演前も転換の時間も、ただ場内のざわざわした音があるだけで、それがなんか妙に新鮮に思えたりもした。しかも、その夜出演したStill House Plantsもgoatも、生演奏の生ドラムのバンドだ。


素晴らしきスティル・ハウス・プランツ

 少しばかり気が早いが、この夜のライヴが今年の自分にとってのクライマックスだと思っていた。そして、期待以上のものがあった。最初はSHPだった。なにげに3人は登場し、音を出したと思ったら演奏がはじまった。それは不規則さの自由というか、ドラムとギターとヴォーカルのみでできることの驚くほどの展開をみせるものだった。フィンレイ・クラークのギターとデイヴィッド・ケネディのドラムとのコンビネーションは、ほとんど奇数拍子、変拍子のリズムにおいて、即興的だがあり得ないほど決まるところが決まっている。ジェシカ・ヒッキー=カレンバックのジャズやブルーズを押しつぶしたようなヴォーカリゼーションが、その空間を自由に出入りする。ディス・ヒートが普通のロック・バンドに聴こえるほどSHPは変幻自在に屈折しているし、しかもそこにはブラック・ミュージックにも通じる艶めかしさがある。最初の2曲を聴いた時点で、ぼくの涙腺は緩んでしまった。
 いっぽうのgoatと言えばその逆で、ドラムとパーカッションによるまったく規則正しいリズムが重なりあうなか、いっさいのメロディを排したサックスとギターがベースと共鳴し、やがてそれぞれが結合すると、どこか『オン・ザ・コーナー』めいた、しかもじつに推進力のあるサウンドが創出される。その奇妙な迫力は、人間よりもメトロノームに近づこうとしたCANのようなミニマリズムをさらに徹底的に、機械よりも正確にやろうとして生じるものかもしれないし、メロディをまったく排したそのサウンドから立ち上がる無機質さとリズムのすさまじい躍動感との調和が発するものかもしれない。
 それにしても、BGMもMCもアンコールも(そしてCGも動画も)ないシンプルな照明のなか、極めて独創的なサウンドを持つこのふたつのバンドで、リキッドルームが身動き取れないほど超満員になったことにも希望が持てる。ぼくにとって今年のベストなライヴどころか、ここ10年のなかでもベストな体験だった。


オーディエンスをダンスさせたゴートの圧倒的なライヴ。

Jan Urila Sas - ele-king

 Riki Hiadakaの唯一無二のリリースで知られる広島の〈Stereo Records〉からの新作は、激烈なノイズ作品。作者はjan and naomiのJan Urila Sas。ノイズであり、サイケデリックな領域へと突き抜けるサウンド・コラージュであり、Janらしい官能性をともなった轟音だ。サウンドで頭を吹っ飛ばされたい方はぜひチェックしよう(限定300枚プレス)。
 以下、レーベル資料から。

 jan and naomiやGREAT 3、GODでも活動するアーティスト、Jan Urila Sasが6年の歳月をかけて生み出したレコード作品。ラップスチールにインダストリアルな改良を加えた(半)自作楽器「清正」を用い録音された4曲はいずれも光と影が混濁し、本人が制作時にイメージしていたという冥界とこの世の狭間の世界を思わせます。 様々な電気信号から発せられるノイズに満ちた音塊は一聴するとその痛烈な凶暴性が前景化しますが、その中にふと垣間見える優しさと暖かさ、哀しみは本作の代えがたい魅力のひとつになっています。 そして、20世紀前夜に生まれた音楽の原始主義を思わせるほとばしるようなエネルギーは、Jan Urila Sasの制作への関心や意欲が飽くなきものであることを窺わせます。ジャケットはデザイナー・須山悠里によるもの。具象と抽象の間をいくようなモノクロのイメージをあしらった、レコードに刻まれた音と呼応する質感を持ったものになりました。


Jan Urila Sas
Utauhone

STEREO RECORDS
10月7日(月)発売
4.400円(税抜)/ LP(180g重量盤)

※なお、11月にはライヴもあります。

Jan Urila Sas 「Utauhone Release Concert」
会場:Shinjuku Space
https://space-tokyo.jp/
日時:2024年11月21日(木)
時間:19:00 開場 / 20:00 開演
料金:
前売1,500円+1D(700円)
当日2,000円+1D(700円)
チケット予約
チケット予約
https://space.zaiko.io/item/367134

Mark Fisher - ele-king

 こんなご時世であるから、当たり前だ。いろんな国でいろんな人が、政治的良心を歌に、曲に託している。もうずいぶん昔から、60年代から、良いことを言っている歌、メッセージ、そういうものはたくさんある。そしてそういう曲に熱狂したりする。だが、そのすぐ直後にため息が出てしまう人もいる。これが続いてほんとに自分は楽な気持ちになれるのだろうかと。あるいは、その熱狂にいまいち冷めている自分を責めてしまう人もいるかもしれない。抵抗とか反抗とか、威勢の良い言葉にいまいち乗り切れない自分はダメなのかと思ってしまう人だっていよう。マーク・フィッシャーという思想家は、言うなればそうした「ため息」の意味を解明し、そうした「冷め」をどうしたら「ため息」なしの熱狂へと、どうしたらほんとうに人が楽になれるのかをとことん考えていった人だった。
 カウンター・カルチャーをお経のように何度も唱えることがカウンターでもなんでもない、いや、それこそじつは新自由主義のリアルであることはみんなもうわかっている。ひと昔前では雑誌がこうした文化をスタイリッシュに見せることに腐心したものだったが、過去を「すでに起きたもの」として語り直されること、懐古主義に還元されることは、あのとき爆発しようとしていた夢の力を無効化することであり、同時に、それは資本主義の新しい精神すなわち新自由主義に荷担することだ、とフィッシャーは考える。過去ほど安全なものはない。だいたい自由という概念は、パンクの歴史書『イングランズ・ドリーミング』にも書いてあるように権力の側に盗用されてしまったのだ。
 しかしながら、過去の語り直しのなかで、きわめて政治的に、あるいは反動的に、抑圧され、消去された、潜在的な可能性があるのではないか、かつて60年代的な抵抗文化を嘲笑する側にいたであろうフィッシャーは、労苦から解放される世界へと踏み出すための考察において、そう思い立った。そして、70年代とは、60年代の二日酔い、運動の縮小化、しらけの時代などという一般論をひっくり返し、じつはその地下水脈において継続された「カウンター」がより躍動した歴史的な瞬間を調査する。
 それは、若者のサイケデリック文化と呼ばれたものと労働者階級による労働運動という同じ時代を共有しながら反目し、乖離していたものをなんとか接続させることで、「60年代が新自由主義を生んだ」という定説を超えようとする試みである、とここでは言っておこう。集団よりも個人が大事という考え方を植え付けられる前にたしかにあった、「自由になりえたかもしれない世界」の亡霊をいま呼び起こすために。これがフィッシャーの未完の論考、その草稿となった「アシッド・コミュニズム」の入口だ。「資本主義リアリズム」が集団的不幸の理論であったとしたら、「アシッド・コミュニズム」は、そのアンチテーゼとなるべき「集団的精神構造」への未完の路線図だったとは訳者あとがきの説明である。この「アシッド・コミュニズム」という言葉を、フィッシャー自身も挑発的だが「ふざけた言葉だ」と自嘲するが、同時に「そこには真剣な狙いがある」と述べる。彼はそして、ビートルズとテンプテーションズのサイケデリックな瞬間(“ア・デイ・イン・ザ・ライフ”と“サイケデリック・シャック”)を引っ張り出し、論を進めていく——。

 9月30日刊行の『K-PUNK:アシッド・コミュニズム——思索・未来への路線図』(セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉・訳)にて、『K-PUNK』全三巻が揃う。既刊には、『夢のメソッド——本・映画・ドラマ』(坂本麻里子+高橋勇人・訳)、『自分の武器を選べ——音楽と政治』(坂本麻里子+高橋勇人+五井健太郎・訳)がある(全巻デザイン:鈴木聖/写真:塩田正幸)。これでマーク・フィッシャーの主要書籍は、すべて日本語訳になった。
 マーク・フィッシャーをなんとなくの印象で語ってしまう人は、彼の「資本主義リアリズム」を「うちら資本主義に支配されているし、資本主義ダメじゃん」、という程度の話だと勘違いしていることが多い。あるいは「世界の終わりは想像できても資本主義の終わりは想像できないよね」、とか。いや、そういう話ではなく、彼が強調したいのは、そういう風に思わされてしまっている「リアリズム」の話なのだ。「リアル」なものなど信用するな。フィッシャーが「サイケデリック」すなわち意識の変容をいまさらながら再訪することは、たしかにひとつの道筋としてある。
 『アシッド・コミュニズム——思索・未来への路線図』の前半に掲載された、生前彼がメディアで受けたインタヴュー集には、語り言葉で「資本主義リアリズム」を説明しているがゆえにもっともわかりやすいガイドになっている。また、ここには『K-PUNK』においてもっとも炎上し、もっとも批判され、もっとも物議を呼んだ「ヴァインパイア城からの脱出」も収録されている。SNSに見られるリベラルの過剰さ、近視眼的なアイデンティティ議論の洪水に疑問を呈している方には必読のエッセイで、これは訳者あとがきといっしょに読んで欲しい。

 つい先日、話題の『HAPPYEND』がいま封切り前の映画監督、空音央氏に取材した際、きっと好きだろうなと『K-PUNK』全三巻を持っていったら、「フィッシャーじゃないですか!」と思っていた以上に喜ばれてびっくりした。まったく、嬉しい驚きである。原書で『資本主義リアリズム』を読み、「ものすごく影響を受けている」とまでいう空監督は、『K-PUNK』も原書で読んでいたようだった。彼に限らず、マーク・フィッシャーが2010年代以降、若い世代にもっとも影響を与えた思想家/批評家のひとりであることは、これまでで計5冊の訳書を出した経験からもよくわかっている。ぼくといえばフィッシャーの、音楽をはじめ映画やドラマ、SF文学などの大衆文化のなかから、じつに示唆に富んだ言葉や政治性、そして考え方のヴァリエーションを独創するその名人芸にずっと惹きつけられていた。日本で最初にフィッシャーを引用したのはぼくだと思う。フィッシャーがまだ生きていたころ、Burialのライナーのなかそれこそ彼のブログ「k-punk」からの一節をつたない日本語訳で引用した。彼はまた、『Wire』においてマイク・バンクスにインタヴューした人物でもあった。ぼくは彼のその記事で見せたデトロイト・テクノ論にも魅了されていた(URが標的にした “プログラマー” こそ「資本主義リアリズム」なのだし、フィッシャーはURがフィクションを通じてメッセージを伝えることに共感を寄せていた)。
 フィッシャーは大衆文化にこだわった。労働者階級出身である10代の彼に、音楽こそが(高度な教育を受けていなければおおよそ出会うことのない)哲学や文学を教えてくれたからだ。フィッシャーが「資本主義を終わらせる」といういまではお決まりの科白ではなく、もちろん「労働を通しての自由」でもなく、「抑圧的な労働そのものからの自由」に向かったのも、彼が生涯を通じて不安定な経済状況のなかで生活してきたことも影響しているに違いない(『K-PUNK』は主にブログをまとめたものなので、そうした彼の生活感も垣間見れる)。前衛よりも大衆性の側に立とうとしたのも労働者が好む文化の肩を持ちたいからだろうし、しかし彼は単純化された物語に対する抵抗感も隠さず、「大いなる拒絶や異議申し立て」が時代の遅れのロマン主義であるという認識もあった。そんな手垢のついた「反抗」では「資本主義リアリズム」の時代に通用しない。もしくは、「オルタナティヴ」が資本主義文化とは相容れない「異なる生きたかのイメージ」としての文字通りの「オルタナティヴ」ではなく、「同じ生き方のなかの変人」の一種へと転じてしまうことも見逃さなかった。「オルタナティヴ」はそうなってはならない。あくまで、この社会とは相容れない「異」でなければ。フィッシャーは、研究と経験のなかで自分の思想を(それこそ過去の自分の言葉に執着せずに)修正し、執筆活動のなかでどんどんハードルを上げていった。「フィッシャーのヴィジョンに私たちはまだ追いついていない」、とホーリー・ハーンドンは語っているが、21世紀もそろそろクォーターに差し掛かっている現在、彼が残した診断がほとんど当たっている以上、その言葉はいまも未来への指針としての力を失っていない。(野田努)


K-PUNK アシッド・コミュニズム──思索・未来への路線図

マーク・フィッシャー(著)セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉(訳)


K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治

マーク・フィッシャー(著)坂本麻里子+髙橋勇人+五井健太郎(訳)


K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ

マーク・フィッシャー(著)ダレン・アンブローズ(編)サイモン・レイノルズ(序文)坂本麻里子+髙橋勇人(訳)

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