「Dom」と一致するもの

パソコン音楽クラブ - ele-king

 大成功を収めた〈Boiler Room Tokyo〉の誇張されきった世界観については、別段良いとも悪いとも思わない。ただ、プラスの影響と懸念すべき点が表裏一体となって現行のクラブ・シーンに大きな刺激を与えているのは事実ではあると思う。そういうお客さんを毎週のように間近で観測しているし、それをきっかけにクラブに通いはじめたユースが徐々に別の分岐点に立ちはじめているような気配もする。でも、とりあえずは、語るべき言葉がスッと出てこないおとぎ話のようなクラブ像についてより、今昔どちらから生まれた物事にも等しくまっすぐ愛情を注ぐような、地に足のついた作品の話をしようと思う。

 パソコン音楽クラブは、かつては空想を抱えて逃避する先であり、いまは社会インフラそのものとなった(そして耐用年数を迎えはじめ荒れ果てている)インターネットから出発し、今年で結成10年を迎える電子音楽ユニット。彼らが昨年夏にリリースした5thアルバム『Love Flutter』は、結成当初から掲げてきた「DTMの新時代が到来する!」というポップなキャッチフレーズの残り香はそのままに、よりディープに身体性へと訴えかけるような気概を感じさせる、ダンス・ミュージックへ真正面から挑戦した意欲作だった。ただ、より硬質なサウンドを追い求める一方で、本作においても引き続きユニットの根底にあるポップ・センスは存分に発揮されてもいる。コロナ禍の真っ只中にリリースされたアンビエンスを感じさせる3rdアルバム『See-Voice』にて徹底的に内面と向き合った際にも薄皮一枚でポップス「でも」あることは保っていたし、終息直後のタイミングでリリースされた4thアルバム『FINE LINE』では一転して切なさすら感じさせる全力のポップ・センスを発揮していた。

 しかしながら、本作『Love Flutter』は上述したようなポップさを残しつつも、決して全面には押し出さず装飾として機能させることを徹底した仕上がりになっていることが特徴的だ。それはおそらく、パソコン音楽クラブが長きにわたる活動のなかで宅録的な音像の持つ繊細な温かみから、サウンドシステムで鳴らされることに耐えうる強固な音像へと接近していったこと、そしてなによりメンバー両名が30代を迎えて「大人になる」決意を固めたことが関係しているように思える。「キッチュなポップスから卒業」する必要はもちろん一切ないけれど、そこに終始するだけでは伝わるべきことも伝わらない、ということは、同年代の自分にも痛いほどわかる。だからこそ、強い共感をもって本作を聴き、いまの彼らのライヴを観て、DJセットにも積極的に組み込んでいる。これはある種、未来を見据えた決意表明のような作品でもあるのだろう。

 客演に参加したCwondo(No Buses)、柴田聡子tofubeats、MFS、Mei Takahashi(LAUSBUB)、Haruy、Le Makeupといったヴァラエティに富んだ面々が辣腕をふるったトラックでは、これまでのパソコン音楽クラブの辿った足跡と、その過程でひたすら研ぎ澄まされていった「J-POP/邦楽的なエッセンスを電子音楽に昇華する」という彼らの持ち味が両立しきっている。だから、これらをピックアップして一聴するだけでも、いままでのファンとこれからのリスナー双方を満足させる仕上がりであることは伝わるはずだ。

 ただ、本作『Love Flutter』の本懐は決してそこではない。制作において主に使用されたのは、いままでのパソコン音楽クラブのシグネチャー・サウンドであったローランド・SC-88Proに代表されるPCM音源モジュールではなく、ブックラやムーグのモジュラー・シンセサイザーであったという。モジュラー・シンセサイザーにはその性質上、使い手の想定外のサウンドが発生しうる。そうした偶発的に生じる揺らぎを、生の楽器の細かなチューニングの差異のように取り入れ、時には鍵盤を手弾きして、フィールド・レコーディング的なサンプリングも実践してみる、といったアプローチから、ダンサブル=身体的、といった短絡的な解釈にとどまらない「音楽的な身体性」を随所に散りばめることに成功している。それは、10年を通した活動のなかでパソコン音楽クラブが円熟期を迎えはじめていることの証左でもあるだろう。

 リファレンスとまではいかないものの、本作の制作過程でふたりがよく聴いていたのはオーヴァーモノフローティング・ポインツフレッド・アゲイン‥ボーズ・オブ・カナダといったアーティストだったという。そうした面々にも電子音的な「揺らぎ」という成分が作風を下支えする要素として共通しているし、そのようなサウンド・デザインに邦楽らしさを残しつつも漸近しているという点も興味深い。ごく個人的なハイライトは128BPMで徐々に視界が開けるような展開を見せるヒプノティックなハウス・トラックの “Fabric” で、アウトロのピアノがスッと消えてすぐにJ-POP的なスウィートな切なさを伴うメロディックなジャングル “Child Replay” (feat. 柴田聡子)へと繋がる展開の切り替わりも素晴らしい。ほかにも、客演陣が華やかさを発揮する楽曲の間にリヴァーブの効いたアンビエント・トラック “Observe” や、彼らには珍しく荒々しさも見え隠れするバウンシーなブレイクス・チューンの “Boredom”、プログレッシヴ・ハウスとトランス、UKベースの中間点を探る “Memory of the moment”、モジュラー・シンセシスのざらついた音像にフィールド・レコーディング的なサンプルが光るノンビートの “僥倖” といったインストが、インタールードとしてではなくポップスと並列的に散りばめられていることが、本作最大の魅力であり美点であるように思える。

 初期衝動的な楽しさのことは決して片時も忘れることなく、それでもその居心地の良さの外側に向かい、大局的な心情でこの先もずっと続いていく音楽家としての道を、ロールモデルを参照するのではなく、自分たちで引いていく気概とともに粛々と進んでいく。そんな決意を、肩の力を抜いたままに秘めているような作品なのかもしれないな、と本稿を書くことになったとき、改めて強く感じた。今後のライヴ・セットの指針になるようなものを作りたかった、といったことも昨年別の媒体で僕が実施したインタヴュー(https://avyss-magazine.com/2024/08/29/52983/)で彼らは明かしていて、ドラスティックな変化ではなくひとつずつ積み上げていくような、遠大な時間を要する進化と深化を目指そうとする姿勢も感じられる。アルバム・タイトルの「フラッター」とは、音響機器の回転ムラに起因する音の歪みといった意味から、ときめきやざわつきといった心の機微まで、広い意味が託されているとのこと。それはまさしく、パソコン音楽クラブが発足以来常に重要視してきた要素であるとも読み取れなくはない。

ERA - ele-king

 等身大の目線で都市の生活を歌うラッパー、ERA。その6枚目のアルバム『under the sun』が本日1月22日配信されている。客演には仙人掌、CENJU、anndy toy storeといったベテランから若手までが登場。現在、収録曲 “SWAY IN THE WIND feat. CENJU” のMVがERA自身の運営するHOW LOWのYouTubeチャンネルで公開中だ。リリースを記念してパーカーもWISDOM STOREおよびTRASMUNDOにて発売とのことなので、あわせてチェックしておきましょう。

アーティスト:ERA
タイトル:under the sun
フォーマット:CD / DIGITAL
配信リンク:https://ultravybe.lnk.to/under-the-sun
発売日:2025年1月22日

ERAの2年ぶりとなる6枚目となるアルバム。PAIN、希望、日常をテーマとした全11曲入りのアルバム。エモーショナルなリリックにERA独特のFLOWが乗る。今回はBAYAREA寄りの楽曲が多数収録されている。ERA特有のキャッチーさに華をそえているビートとERA独特のFLOWとの関係性となっていて楽しめる内容となっている。フューチャリングには仙人掌、CENJU、anndy toy storeとベテランや盟友、フレッシュな若手を起用している。アルバムの後半では苦しんでいる人達にたいしてのメッセージがある曲を収録するなど今ままでより幅が広がったERA節を展開している。是非色んな人に聞いて頂きたい。

収録曲 :
01. Favorite Food Prod. by 4thathr33
02. Summertime In The Hood feat. 仙人掌 Prod. by Cedar Law$ & kosy
03. Rooftop Prod. by Major Threat
04. In The Dream feat. anddy toy store Prod. by DJ HIGHSCHOOL
05. Name ERA Prod. by Vis The Kid
06. Swaying In The Wind feat. CENJU Prod. by K.E.M
07. Get Serious Prod. by DJ SCRATCH NICE
08. ケセラセラ Prod. by SIRCORE
09. My Life Prod. by TEMPO TUNES COLLECTION
10. 明日 Prod. by boi yanel
11. Turn The Page Prod. by MASS-HOLE

Mixed by I-DeA at FLS 6th Lab
Masters by HIroshi Shiota at SALT FIELD MASTERING
Artwork by ATER ( FUT / LPS )
Photo by Teppei Hori

PROFILE :
D.U.O TOKYOをリプレゼントするFRESHでORIGINALなTOKYO出身のMC。2011年にファーストアルバム「3 WORDS MY WORLD」をリリース。変わらずに変化していく街のHIP HOPでTOKYOからオリジナルカラーに世界を染めていく。アルバム「JEWELS」をリリース後、自らのレーベルHOW LOWを設立。「LIFE IS MOVIE」(2015)、「Culture Influences」(2018)の2枚のアルバムと EP 「Ground Music」(2020)シングル「Daily Tales」(2021)及び「Reachung」(2022) をリリース。リリースしたどのタイトルもクラッシックとして、生活の中で作用し合いながら輝き続けている。SEMINISHUKEIの作品はもちろん、BCDMG、BIM、Campanella、tofubeats、PUNPEE、仙人掌らとも楽曲をリリースしており、ERAの描く地平線は素晴らしく湾曲していてまっすぐにのびていく。エモーショナルなリリックは何かを掴むきっかけをいつだって感じさせてくれる。

Doechii - ele-king

 優雅さ、成熟、成長、そして知恵を象徴する深い緑。フォレスト・グリーンやエヴァーグリーン、ディープ・モスグリーンとも呼ばれるその色は、美しい黒い肌に重ねることで、さらに贅沢な魅力を放つ。そんな黒い肌の美しさを持つDoechiiが、グッチ柄のブラウンスカートにフォレストグリーンの薄底アディダス・スニーカーをアクセントにして、深夜トーク番組〈ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア〉のステージに立った。彼女を支える3人のダンサー兼シンガーたち(ここでは「彼女の姉妹たち」と呼ぼう)とともに、交差する円と三角形を編み込んだ髪でつなぎ、共通の祖先を思わせるフォーメーションを形成。彼女は『Alligator Bites Never Heal』から2曲をメドレーで披露し、2024年のテレビ界においてもっともバイラルな瞬間を作り上げた。完璧に計算された振り付けのなか、Doechiiは汗ひとつかかず、瞬きすらせずにその流れるようなラップを届ける。その技術の極致、そしてそれを超える完璧への執念がそこにあった。言葉の数学における自信、それはYasiin BeyやBeyoncéのようなアーティストのなかにしか見られない稀有なものだ。

 アルバム『Alligator Bites Never Heal』のジャケットには、エヴァー・グリーンの背景に木製の椅子に座るDoechiiの姿がある。その姿はアサンテ族の王を思わせ、彼女の膝にはアルビノのワニが鎮座している。そこには王者の威厳がある。
 アルバムは芸術作品であると同時に、ステージ上の輝きへの青写真でもある。同時代人であるタイラー・ザ・クリエイターもまた、アルバムごとにそのような魔法を実証してきた。最近の『Chromakopia』もそのひとつで、それは解きほぐし、観客の前で理解されるべき物語なのだ。

 今日のミュージシャンとラッパーはもはや同じものではない。かつて両者を同列に置くことにためらいはなかったが、その溝は広がり続けている。多くの者がただ良いビートを待つなかで、ミュージシャンたちはその多才さを保ち、革命的な思考によって楽曲が変容する魔法を理解している。〈コルベア・ショー〉が放送された直後、有名なインターネット放送〈タイニー・デスク・コンサート〉でDoechiiが9人の女性バンドと共演する最新プログラムが公開された。その空気感(ヴァイブス)はニューオーリンズのジャズ・バンドやファンカデリックを思わせるもので、彼女とバンドの一体感は、まるで生まれたときから一緒だったかのようだった。それは単なる一夜限りのコンサートというよりは、完全なる調和の産物だった。

 Doechiiの芸術は、現代のカラオケ的なラップ文化の対極にある。ステージでラップを偽装するバック・トラックは不要で、彼女にはパフォーマンスへの恐れがない。その存在は清涼剤のようで、ケンドリック・ラマーが彼女を「最強だ」と称した理由も頷けるというものだ。メディア嫌いで知られるケンドリックが誰かを公に称賛することは稀だ。そのため、多くの人びとが『Alligator Bites Never Heal』を今年のベスト・アルバム——いや、ミックステープと呼ぶべきだろうか——に挙げることも不思議ではない。だが、その区別は重要だろうか? もしミックステープがこれほど優れているなら、アルバムはもう必要ないだろう。

 19曲が収められたこのミックステープを思い浮かべると、ブラウンとエヴァー・グリーンで彩られた図書館が想像される。各短編がグッチのプリントで包まれ、Doechiiはまるで司書のようだ。なぜか? ケンドリック、バスタ・ライムス、エミネム、ア・トライブ・コールド・クエストらを模倣する能力が、彼女のソリッドで完璧なフローに絡み合っているからだ。
 ラップの各時代をスラップの限り大胆不敵に表現し(“”Boom Bap”)、韻の遊び心を蘇らせ(“Denial is a River“)、バスタ・ライムス(“Catfish”)に敬意を表し、90年代のR&B(“Wait”)でさえもフィール・グッドに仕上げ、フランク・オーシャンの芳香を発散するタイトル・トラックで締めくくる。ここでの模倣は才能の欠如ではない。多くの世代を育ててきたジャンルへの愛を示している。昨年(2023年)はヒップホップ50周年だったことを忘れてはならない。Doechiiはまた図書館司書のように、どの世代ともっともヴァイブが合うかを選び、それを音楽に反映させることができる。しかし、それは怠慢ではなくリスペクトだ。それは愛であり、ディスることではない。それは無能さではなく、多才さを意味している。

 もし『Alligator Bites Never Heal』のリリース直後にこれを書いていたなら、あるいは彼女の過去のヌード・ミュージック・ヴィデオ(“Crazy”)に影響されていたなら、この文章は異なっていただろう。だが、この原稿をリリースから数ヶ月後に記した自分に満足している。彼女の美意識、彼女の芸術、彼女の立ち振る舞いを知ることで、自分は満たされているからだ。そして彼女が「正式な」デビュー・アルバムを来年リリースしようとも、このミックステープが彼女をさらなる高みへと導く階段であることに変わりはない。


Symbolic in purveying elegance, maturity, growth, and wisdom, dark green which might be labeled forest green or evergreen or deep moss green, is also a luxurious color against beautiful, black skin. Doechii`s beautiful, black skin, in this case with no assumption. Armed in Gucci-patterned brown skirts with forest green thin-soled women`s Adidas as an accent, Doechii graced the stage of The Late Show with Stephen Colbert with her trifecta of dancer-singers (I will call them from here on her “sisters”).
In formation forming an interchanging circle and triangle, linked to each other by braided hair, our common ancestry, Doechii gave one of the most viral moments on standard tv for 2024 with a medley of 2 tracks from Alligator Bites Never Heal. Choreographed to the T, Doechii without breaking a sweat, delivered her flows without blinking an eye. Perfection of her craft with perfection on her mind. An air of confidence in word mathematics that we don’t see so much now except in performances like with Yasiin Bey and Beyonce.

The cover of Alligator Bites Never Heal has Doechii seated before the wisdom of an evergreen background in a wooden chair that reminds me of an Asante king. With her albino alligator on her lap, majesty there seems to be.

Albums act as pieces of art and also templates for the oncoming brilliance of the stage. Tyler the Creator, a similar contemporary, has demonstrated that kind of magic with every album, each one including the recent CHROMAKOPIA, a tale to be unraveled and then understood better in front of an anticipating audience.

Musicians and rappers are not the same anymore. I never hesitated before to keep both titles together but the gap between them is widening. Too many just waiting for a good beat. Musicians never wait maintaining their versatility understanding the magic of a song can metamorphosis just by a revolutionary thought. Only several moments after the Colbert show debuted, the famous Tiny Desk Concerts released their newest program with Doechii backed by a 9 piece all female. The vibes reminded me of New Orleans jazz bands and Funkadelic. The pin point, stop on a drop, symbiosis together with Doechii felt like 10 individuals born together instead of a one off concert. Such was their unity.
Doechii`s art is the antithesis of the current karaoke rap tribe. No need for a backing track on stage to fake rapping to, Doechii has no fear of performing. A breath of fresh air, there’s a good reason King Kendrick himself shouted out Doechii as “the hardest out.” A nod the media shy artist rarely gives to anyone. Some people are already considering Alligator Bites Never Heal the album of the year, excuse me, mixtape of the year. Does it really matter? If mixtapes are this good, I don`t need albums.

Peering into the 19 track mixtape, I imagine a brown and evergreen library with each short song covered with gucci prints. I imagine Doechii as a librarian. Why?
Intertwined in her solid, flawless flow, is her ability to mimic other famous rappers like Kendrick, Busta Rhymes, Eminem, and A Tribe Called Quest - often in the same song like “Denial is a River.” Like a librarian, inserting rap culture and nostalgia seamlessly. All love, no dissing, fearless to rep for each period of rap as long as it slaps (“Boom Bap”), reviving the playfulness of the rhyme (“Denial is a River”), paying respects to the Busta of all Rhymes, Busta Rhymes (“Catfish”), and even the feel good 90`s R&B (“Wait”) and ending with the title track emanating the Cali-vibes of Frank Ocean.
Mimicking here isn`t lack of talent. It`s showing all love for the genres that have raised many generations now. Let`s not forget that last year (2023) was the 50 anniversary of hip hop and it totally makes sense that such an artist as Doechii would appear now. Doechii can, again like a librarian, pick and choose what generation she vibes with the most and reflect that in her music. But its respect, not laziness. It`s love, not dissing. It`s versatility, not ineptitude.

I`m so glad that I didn`t pen these words the day after Alligator Bites Never Heal`s release. And I`m so glad that her past nude music videos didn`t educate my curiosity when I penned these words months after her release. And I`m content with her hyper-conscious view of beauty with her art, with her look, and with her sashay before I penned these words. And I`m nourished knowing she is free to create whatever she wants with her “official” debut album coming next year while Alligator Bites Never Heal stands has her stairway upward.

Tashi Wada - ele-king

人間が奏でる天上の音楽

 タイトル『What Is Not Strange?』が何を意味するのかを考えてみた。「何がおかしくないのか?」あるいは「おかしくないものとは何か?」、さらに反語表現として、「おかしくないものなんてあるのだろうか?」という解釈も成り立つかもしれない。
 すでに色々な媒体で言及されているように、このタイトルは、フィリップ・ラマンティア(Philip Lamantia 1927-2005)が1967年に出版した『詩集(Selected Poems)』所収の同題の詩に由来する。ラマンティアはアメリカにおけるシュルレアリスム詩の導入とビートの黎明期とに跨る存在として、近年、再評価されている詩人のひとりだ。このアルバムの音楽的な特徴に目を向ける前に、タシ・ワダがインスピレーションを受けたラマンティアの詩の世界に触れる必要があるのではないか。そう思い、筆者はラマンティアの詩をいくつか読んでみたのだった*1。だからと言って、このアルバムの、この音楽の、何がわかるのか?と問われてもすぐに答えられないのだが、ぼんやりとした夢の世界を切り裂くように現れる死、そして新しい生の誕生という名の希望が再び現れる。このような物事のなりゆきについて、筆者はラマンティアの詩をとおして自分なりにイメージを描くことができた。
 ラマンティアの詩「What Is Not Strange?」はレイアウトが普通の詩(この文脈では何を「普通」とするのか議論したくなるが)とやや異なり、各詩行がΣ(シグマ)を反転させたようなジグザグの形状で配置されている。ビートニクスたちが日常生活の中にテーマを見つけて、それを直感的、衝動的に言葉へと変換したのに対し、ラマンティアは象徴的、魔術的なテーマで言葉を紡いだ。彼は実際に目に見えているものだけでなく、その根源やその先にあるものを想像し続けた詩人だった。シシリアの海、紫式部の扇子、ジェロニモ、スーパーマン、聖なるビスケット、ローマ帝国など、脈絡のない風景、人物、「What is not strange?」の中に次々と現れては消えていく。最後に「GO AWAY & Be Born No More! DO A KUNDALINI SOMERSAULT! (去ってくれ。そして、もう二度と生まれるな!クンダリーニの宙返りをしろ!)」と、語気を強めてこの詩は荒々しく終わる。夢物語のような風景は永遠に続かず、死と生が私たちをゆさぶる。
 このアルバムと近い世界観を共有する作品として、アピチャッポン・ウィーラセタクンの「世紀の光」(2006)と「光りの墓」(2015)もあげられる。アピチャッポンの映像は人物や風景だけでなく、それらを照らす光の微かな変化が観る者に何かを示唆する。それは時間の移り変わりや、連綿と続く生と死との交替といった、普遍的で壮大な物語へとつながる。『What Is Not Strange?』はワダの私的な出来事を契機としているが、個人の物語にとどまることなく、宇宙をも包括する、世界のより深くて本質的なところへ手足を伸ばそうとしている。アルバム全体からそんな印象を受けた。

*1. The Collected Poems of Philip Lamantia (University of California Press, 2013)はラマンティアの没後に出版された全集。

 パンデミック禍の閉ざされた日々、父であり、近年はコラボレーターでもあったヨシ・ワダの死、娘の誕生−2020年からこれまでの間、ワダの周りに起きた出来事が『What Is Not Strange?』の大きな着想となった。これらの出来事についてワダは次のように語っている。

 世界の不確かさは人生のそこかしこに現れて、私はそれに包み込まれているように感じます。当たり前と思っていることはしばしば大部分がゆらいでいます。父が亡くなり、そして娘が生まれました。パンデミックの間に起きたこれらの出来事は私の世界をひっくり返し、新しい現実へと招き入れてくれたのです。*2

*2. Tashi Wada Interview, “Tashi Wada Shares his Creative Process for What Is Not Strange?” Fifteen Questions, https://www.15questions.net/interview/tashi-wada-shares-his-creative-process-what-not-strange/page-1/

 ワダが言う「世界の不確かさ」を彼の音楽に引きつけてみるならば、このアルバムの鍵盤楽器(主にハープシコード)で用いられているジャン=フィリップ・ラモー*3の中全音律(ミーントーン)の不安定なゆらぎによる響きが想起される。均等な比で分割され、どの調で演奏しても安定した音程関係を得ることができる十二平均律と異なり、中全音律はウルフと呼ばれるうなりが特定の音程間でどうしても残ってしまう。このうなりから生じる、ある種の不安定な響きには抗し難い魅力があることも否定できない。この特殊な調律のおかげで、アルバムの至るところで聴こえるハープシコードの和音、バグパイプ、弦楽器、シンセサイザーによる持続音は独特の浮遊感をまとっている。
 アルバムの表題曲で、生命の誕生を予期させるファンファーレ、1曲目「What Is Not Strange?」はワダが父のヨシ・ワダと共作した前作『FRKWYS Vol. 14-NUE』(Rvng Intl, 2018)の、ドローン(持続音)を主とするいくつかの楽曲── “Aubade”、“Litany” 、“Niagara” 、“Mutable Signs” ──とのつながりを感じさせる。だが、次の曲 “Grand Trine” が始まると、『What Is Not Strange?』が前作とはまったく違うアルバムなのだと気付かされる。なぜなら、このアルバムには声と歌があるからだ。
  “Grand Trine”がこのアルバムのハイライトだと断言してもよいだろう。ハープシコードが始まりの和音を鳴らし、そこにジュリア・ホルターの声が降臨する。ここではあえて「降臨」という表現を使いたくなるほど、この曲は神秘と驚きに満ちている。タイトル “Grand Trine”は、等間隔に並んで正三角形を作る星座の配置を、父、母、娘の3人の存在に見立てている。中間部でのハープシコードによる装飾的なパッセージはラモーやフランソワ・クープラン*4の鍵盤楽器曲を想起させることから、この曲はしばしば「バロック・ポップ」や「チェンバー・ポップ」(この「チェンバー」は室内楽を意味する)と評されている。

*3. ジャン=フィリップ・ラモー Jean-Philippe Rameau(1683-1764)フランスの作曲家、音楽理論家。オペラ、鍵盤音楽、室内楽曲など数多くの楽曲を遺しただけでなく、『和声論』などの理論書で西洋音楽理論研究にも大きく貢献した。

*4. フランソワ・クープラン François Couperin(1668-1733)フランスの作曲家、オルガン奏者、ハープシコード奏者。4巻にわたるクラヴサン(ハープシコードのこと)曲集で知られている。

Tashi Wada/ What Is Not Strange?

  “Grand Trine”とあわせて聴いておきたいのが、ワダの公私にわたるパートナー、ジュリア・ホルターのアルバム『Something in the Room She Moves』(Domino, 2024)、1曲目 “Sun Girl ”だ。ワダとホルターのアルバムはほぼ同時期に制作されたのだという。どちらのアルバムも鍵盤楽器、声、シンセサイザー、バグパイプ、弦楽器、打楽器によるアンサンブルで演奏されているが、ホルターのアルバムはこの編成にフルート、クラリネット、トランペットなどの管楽器とフレットレス・ベースが加わり、よりポップで、メロディを重視した仕上がりとなっている。なかでも、新しい生命の誕生を寿ぐ “Sun Girl” は、ワダの “Grand Trine” と同じく、ホルターのヴォーカルの唯一無二の個性と魅力を活かした曲だ。この2曲は対になっているともいえ、ワダとホルターの関係とも重なる。

Julia Holter/ Sun Girl

  “Grand Trine”以降はオルガンの音色を多用した厳かな雰囲気の曲が続くが、5曲目“Flame of Perfect Form”では、ホルターの声と、激しく咆哮する打楽器とヴィオラが荒波のようにぶつかり合って混沌とした場面を見せる。7曲目 “Subaru” は調子の外れた(これがおそらく中全音律の効果なのだろう)反復パターンと声による短い間奏曲の役割を持ち、アルバムは終盤へと差しかかる。
 静かに打ち鳴らされる打楽器で始まる10曲目 “Plume” では、聖歌の伴奏のような佇まいのオルガンが徐々に変容し、いつのまにか声や他の楽器とともに情熱的なパッセージを奏で、曲全体がクライマックスを迎える。これに続くのが、アルバムのコーダ(終結部)にあたる11曲目 “This World’s Beauty” で、まるで1曲目 “What Is Not Strange?” に戻ってきたかのようにハープシコードの和音が鳴らされる。このような曲の並びによる構成そのものも、生と死の絶えざる循環を描いているのかもしれない。

 2024年9月13日にブルックリンにあるスペース、ルーレット(Roulette)で、このアルバムの全曲演奏が行われた。幸い、その時の映像が全編公開されており、この音楽が実際にどう演奏されているのかを具に見ることができる。興味深いのは、生演奏がほとんどを占めていることだ。この映像を見ると、『What Is Not Strange?』は人間の手と想像力による天上の音楽なのだとわかる。

Tashi Wada, “What Is Not Strange?”
Roulette Intermedium, Brooklyn, NY, September 13, 2024.

拝啓 ゲンイチさん

 挨拶は抜きにしよう。だいたい2024年になってまでも、貴兄と『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』(以下、『SAW Vol.2』)についてこうして手紙をしたためことになるとはね。我ながら30年前からまったく進歩がないとあきれるばかりだよ。もっとも『SAW Vol.2』が30年という年月に耐えた、いや、それどころか、むしろじょじょに光沢を増していったことに話は尽きるのかもしれないけれどね。まあ、とにかくだ、我ら老兵の役目としては、この作品がその当時、どのような背景から生まれ、そしてどのような意味があり、それがもたらした文化的恩恵について後世のためにも語ってみようじゃないか。
 まず、ぼくとしては以下に『SAW Vol.2』についてのポイントとなる事項を挙げてみた。どうぞ確認してくれたまえ(そしてもし見落としがあれば追加を頼む)。

 ■AFXのカタログのなかでもっともミステリアスな作品。

 ■明晰夢から生まれた。

 ■円グラフ、曲名のクレジットはなし。

 ■メジャー・レーベル第一弾の意図的に商業的でない作品。

 ■評価の分裂(否定も激しかった)。

 ■『セレクテッド・アンビエント・ワークス85-92』(以下、『SAW85-92』)と違って、ダンス・ビートがほとんどない/あっても作品全体では強調されていない。

 ■1993年~1994年のアンダーグラウンド・シーンとアンビエント

 発売当日、唯一曲名がわかっていたのは、1992年の決定的なコンピレーション『The Philosophy of Sound and Machine』から再録の “Blue Calx” だけだったね(2019年の 「Peel Session 2 EP」で“♯2”が “Radiator” という曲だったことが判明される)。ちなみに “Blue Calx” は、発表時は作者名でもあった。あの曲をリアルタイムで聴いていた人間からすると、当時としては実験的で画期的な曲だったけれど、それがどうだ、『SAW Vol.2』においてはもっとも聴きやすい曲として挙げれらる。
 あの時代、こうしたインディ音楽はアナログ盤での流通が普通だったから[※CDよりヴァイナルのほうが安かった。LP盤は平均2千円、CD盤は2千300円くらい]、当然のこと我々はアナログ盤を買って聴いているわけだが、アナログ盤で3枚組というリリース形態にも、1993年から1994年にかけての時代のドープさを見ることができる。時間にして167分、2時間半以上のリスニングを日常的にしていたことは、若くて暇だったからではなく、それだけ音楽の吸引力が凄かったということだ。そうじゃないかね、ゲンイチさん。

敬具

2024年11月18日 野田より


拝復 
野田くん

 いや、ほんとうに恐ろしいね。30年かあ。僕は1961年生まれなので、1991年にちょうど30歳を迎えたんだよ。30歳という年齢もさることながら(Don’t Trust Over Thirty!)、1991年っていろんな意味で記憶に残る年だった。湾岸戦争にソ連崩壊で日々リアル世紀末を感じてたりもしていたいっぽうで音楽にとっても特異な年だったからね。ニルヴァーナの『Nevermind』やらREMの『Out of Time』 やらダイナソーJr.の『Green Mind』もすごいインパクトだったけど、やっぱりプライマル・スクリームの『Screamadelica』とマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』だよね。
 でさ、僕が生まれた1961年のヒット曲を眺めてみると、たとえば洋楽だとプレスリーの “Can't Help Falling in Love(好きにならずにいられない)” とかベン・E.キングの “Stand by Me” 、ジョン・コルトレーンの “My Favorite Things” 、国内に目を向けてみると石原裕次郎と牧村旬子のデュエット曲の定番ともなった “銀座の恋の物語” や植木等の “スーダラ節” だったりする。そこから30年後、マイブラの “Soon” やプライマルの “Higher Than The Sun” が来る。このジャンプアップはとんでもないわけじゃないですか。1961年に若者でこういう音楽を聴いてた人たちに “Soon” 聴かせたらまあ “???” ってなるよね。そのくらいことこの2曲についてはそれまでの音楽のクリシェが通用しないものだったわけでさ。これを聴くにつけ、いやー音楽もずいぶん遠いところまでたどりついたものよのぅ……なんて思ったりしてね。30年ってそのくらい長い時間なんだよ。
 ところがさ。1994年にリリースされたこの『SAW Vol.2』。プレスリーや植木等とマイブラの間に横たわる時間と同じ時間が流れたんだぜ、30年! 少なくとも僕の耳にはこの『SAW Vol.2』が30年前の音楽には聴こえない。全然古びていない。今回発売された30周年記念盤で初めて耳にする若いリスナーにしてみても、僕が1991年にベン・E.キングや石原裕次郎を聴いて懐かしさを感じるのと同じように『SAW Vol.20』を聴くとは思えないよね。それがすごいのかどうかは微妙だけどね。もしかして音楽の進化が遅くなってるのかなとか。ま、実際そうなんだろうなと感じることはあるんだけどね。『SAW Vol.2』が出た頃ってネットもありはしたけどまだまだ黎明期だったしYou Tubeもないし、音楽聴くなら買うか借りるかしかなかったのに、30年後の今はもう普通にストリーミング主体の状況になってるわけで、やはり時代は進化しているわけなんだけど、音楽そのものの革命的な変化ってもうあんまり感じられないのも事実でしょう。
 それはともかく、1994年においてこのアルバムがミステリアスだったというのは事実。調べるって言ったってネット情報なんてないし、そもそもこのエイフェックス・ツイン/リチャード・D.ジェイムス(RDJ)がいったいどういうアーティストなのかということも、海外の音楽新聞などに載ってくる記事とせいぜいレコード店のPOPなんかで類推するしかなかった。彼の名が多少なりともテクノ好きの間で知られるようになったのはブーメラン・ジャケットの 「Digeridoo」 (1992年)だったよね。それとヒトデ・ジャケの 「Xylem Tube EP」 。この2枚のシングルはベルギーのテクノ・レーベル〈R&S〉からのリリースで、その前にも別のレーベル(イギリスの〈Mighty Force〉と〈Rabbit City〉)からのシングル(「Analogue Bubblebath」の1枚目と2枚目)があったけど、レーベルとしては〈R&S〉のほうが知名度があったからね。よけいに目に留まりやすかったというのはある。あのころ〈Mighty Force〉盤買っていたのって三田格くらいじゃないの?(笑)
 で、1994年にはこのアルバムがあって、UKのDJイベントMegadogの引っ越し公演があって、そのDJとしてRDJが初めて日本のファンの前に姿をあらわし、取材もいくつか受けたから少しずつその神秘のヴェールが剥がれてはきてたんだけど……いや、むしろもっと??になったと言ってもいいのかもしれない(笑)。印税で軍事用のタンク買ったとか、リミックスする相手の音楽は嫌いであればあるほどいいリミックスができるとか、明晰夢で曲を作るとか……どこまで信じて良いのかみたいな、石野卓球の言葉が思い出されるよ。

 RDJの最初のアルバムは〈R&S〉から出たエイフェックス・ツイン名義の『SAW 85-92』で、これが1992年。このアルバムに続く同名義のアルバムが『SAW Vol.2』だったわけだけど、これは〈R&S〉からではなく、〈WARP〉と契約しての最初のアルバムだった。〈WARP〉からの最初のリリースは『SAW Vol.2』に4ヶ月ほど先立つ1993年末のシングル 「On」だったね。同時に彼はアメリカでは大手ワーナー傘下の〈Sire〉と契約し、〈Sire〉からは本国から2ヶ月遅れで 「On」がリリースされてる。これはディレイのかかった叙情性すら感じるピアノの美しいメロディと暴力的なリズムが融和した素晴らしい曲だったよね。レーベルとしても力を入れているであろうことは、珍しくリミックス・シングルも別にリリースされていることからもわかる。この 「On」の次に『SAW Vol.2』が出るわけだけど、それに続くシングル 「Ventolin」もリミックス盤が出た。もっともリミキサーはReload、μ-Ziq、Cylob、Luke Vibertと、みんな近親者ばかりというのが笑っちゃうけどね。ちなみにこの 「Ventolin」に次いで出たシングル 「Donkey Rhubarb」には、アメリカン・ミニマルの代表的作曲家フィリップ・グラスのリミックス(というよりオーケストレーション)が収録されてて当時は興奮したものだよね(笑)。
 それにしてもだよ。移籍後の初シングルの数ヶ月後にアルバムが出るのであれば——しかもそのシングルがけっこう力を入れたものであればなおさら——その曲を含むアルバムが出るものと思うよね。それなのに出たのは『SAW Vol.2』(笑)。これは衝撃的でしょう。仮にもメジャーからのリリースとなれば、まず間違いなく先行シングル→ヒット→それを含むアルバムで快進撃という図式に則るだろうなと思いますよ。しかし事実は違った。まさかのシングル曲 “On” 未収録、まさかのオール・インストのアンビエント・アルバム。まさかの2枚組(アナログは3枚組)。まさかの曲名なし……〈WARP〉ならともかく、〈Sire〉がよくこれをOKしたなと今でも思うよ。

2024年11月20日 杉田より


前略
ゲンイチさん

 冬になったかと思えば、秋に戻ったり、老体にはこたえる今日このごろ、今朝もなんとか不死鳥のごとく起き上がって仕事をしているよ。たははは。
 さて、それにしても、うん、音楽作品とは面白いものだね、たとえば、90年代前半、シーンで絶大な支持と人気を誇った作品にオービタルの2枚目がある。リアルタイムにおける支持と人気で言えば、『SAW Vol.2』は、それよりも勝っていたとは言えない。『SAW Vol.2』ほど評価が二分した作品はなかったし、我々支持した側の人間にしても、大声で、目くじら立てて支持したわけでもなかった。支持率や共鳴度で言えば、やはり『SAW 85-92』と『Surfing on Sine Waves』(93)のほうが圧倒的だったし、『SAW Vol.2』の次作、『...I Care Because You Do』の激しさのほうが新しいファンを巻き込んでいった。ところが、21世紀もクォーターが過ぎようとしている現在、『SAW Vol.2』の評価はずっと上昇し、人気の面でもひょっとしたら、『Surfing on Sine Waves』なんかともかなり拮抗しているんじゃないないだろうか。つまり、『SAW Vol.2』は、それがリリースされた時代やその背景から切り離されてから、どんどん存在感を増していった作品だったと。まあ、よく言うところの、「時代がこの作品にようやく追いついた」のだろうね。もちろんリスナーの耳が、時代が進むにつれて、当時は難解だと思われていた音楽を楽しめるようになっていったのは事実だよ。ゲンイチさんだって、1994年よりもいまのほうがこのアルバムを好きなんじゃないかな。
 昔話はこれで最後にしておくけど、まあ、あの時代はね、いまと違ってダンス熱がすごかった。みんなで集まって身体で音楽を感じること、その素晴らしさに多くの人たちが気付いた時代だったよね。だからあの時代は、ダンスに即したオービタルやアンダーワールドが人気だった。だから、みんなが汗をかいて踊っているところにこのアルバムを投下したRDJの逆張りも、なかなかのものだった(笑)。〈Sire〉もよく出したというか、メジャー移籍第一弾でこれをやるRDJがすごいよ。たしかにこの時代、アンビエントはブームだった。いろんなアーティストがアンビエント作を作りはじめていたよね。ダンスフロアのピースな空気にも陰りが見えはじめたころで、みんないったんクールダウンしようじゃないかという話になったわけだけれど、しかし、ここまで無調音楽やドローンをやるの人は、シーンのなかにはまだ他にいなかったね。しかも、曲名もないときた。反商業主義も甚だしい。
 ここで再度、追加でポイントを挙げてみた。

 ■当時のRDJ(まだ22歳~23 歳の若者)の説明によると、音楽制作のため、なるべく寝たくない。

 ■睡眠時間を削りに削った結果、日常生活において “老人のように頭が混乱し始める。お茶を淹れてもシリアルボウルに注いでしまうような、予測不可能なことをするようになる” (1993年の『Melody Maker』のインタヴューより)。

 ■こうしたある種の催眠状態(ぼけ状態)から、RDJは明晰夢を見るようになった。

 ■そして、その能力を音楽制作にも活かそうと作ったのが『SAW Vol.2』である。

 ■夢の状態や、夢で見たことを起きてから音楽にする。

 ■『SAW Vol.2』に神秘的な風景が広がるのはこのためである。

 ざっくり言えば、こういうことで、細かく言えば、このアルバムには明らかに『SAW 85-92』時代の曲もあるし、前の手紙にも書いたように、1992年の “Blue Calx” もある。ただ、多くはやはり、アルバムの最初の曲、 “Cliffs(崖)” とファンからは呼ばれているこの靄のかかったトラックが象徴的で、驚異的と言える神秘的な音像が散りばめられている。当時もいまも、ほんとうにRDJは夢で作曲したのかどうは議論の対象だけれど、ぼくはね、それはあながち嘘じゃないと思っている。それから、1992年から1993年のあいだにRDJは、過去にはない音楽体験をしたんじゃないかともにらんでいるんだ。たとえば現代音楽と言われてる “現代” ではない過去の音楽なんかをね。そこはゲンイチさんの専門だから、どう思うか訊いてみたかったんだ。

早々

2024年11月22日野田より


拝復
野田くん

 RDJは “テクノ・モーツァルト” なんて呼ばれていたこともあったね。別に彼がクラシック好きというわけじゃなくて、ようするにわずか35年の生涯に700曲以上の作品を遺したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトみたいに曲を大量に作っていることから付けられたイメージだろう。もっとも曲をたくさん書いた作曲家といえばヨハン・ゼバスティアン・バッハとかフランツ・シューベルトも1000曲以上書いてるし、シューベルトなんてモーツァルトより4歳も早く死んじゃったんだから、モーツァルトよりやばい量産家だけどね。もっともシューベルトよりモーツァルトのほうが一般的な知名度は高いから “テクノ・バッハ” とか “テクノ・シューベルト” じゃなくてやっぱり “テクノ・モーツァルト” なんだろうけど。
 あの時代のRDJが確かに湧き上がる楽想をスケッチするようにどんどん創り貯めていたのは事実だろうね。アンファン・テリブルと言われていた20代前期までの彼は特に。毎週アルバム出しても2、3年は持つくらいの曲があるよって言っていたね。彼のデビュー作『SAW 85-92』は、創り貯めた曲からコンパイルされたアルバムなわけだし。ほんとに14歳のときの曲あんのかぁ?って思わなくはないけど(笑)。

 プレ『SAW Vol.2』的なスタンスの作品として、たとえば『SAW 85-92』があったりPolygon Window名義の『Surfing on Sine Waves』(特に “Quino-Phec” )みたいなアンビエント的な作品が『SAW Vol.2』の前にあったわけじゃない。けど、それらの2枚よりも『SAW Vol.2』が注目されたというのは、前にも言ったようにメジャーからのデビュー・アルバムっていうこととかもあるけど、やはり3時間近い大作っていうことと、より深遠(あるいはやや難解)な感じを聴き手に与える響きがそこにあったからでしょう。アンビエントという点では1990年にはKLFの『Chill Out』が、翌年にはThe Orbの『Ultraworld』があり、さらにはミックスマスター・モリスのIrresistible Forceやピート・ナムルックが台頭し、1993年にはUKロックChapterhouseのセカンド・アルバムをまるごとアンビエント化したグロコミことGlobal Communicationの『Pentamerous Metamorphosis』があったね。これが翌年のGCによる最高のアンビエント・アルバム『76 14』を生み出すきっかけとなったわけだけど、『SAW Vol.2』が94年の3月で『76 14』が6月。これだけでも94年はすごいアンビエント・イヤーだったよね。そういや94年の春には野田くんたちとコーンウォールへアンビエント・トリップ、リアルなドライブをしたっけな。この旅と『76 14』の関係については第一期ele-kingの創刊号に長い原稿を書いたので、探して読んでほしいところだけどまあそれは置いとくとして、これらの先行作が状況を用意したとしても、やはりこの『SAW Vol.2』のジャンプアップにはみんな驚かされたんだよね。
 野田くんが指摘するようにRDJがこの時期に “過去にはない音楽体験をした” かどうかは正直わからないよ。でも明らかに『SAW Vol.2』の前の作品、つまり『SAW 85-92』とか『Surfing on Sine Waves』とはだいぶ音の感じが変わった。『SAW Vol.2』以前の2作にあったダンスビート——実際踊れるかどうかは別としても——がない(あるいは少ない)こともあるだろうけど、あくまで電子音楽の装いだった前2作と比べて、『SAW Vol.2』の響きはクラシックで言うところの室内楽的なそれに近いものになっていたということが大きい。もちろんそれは電子音で作られたもので、別にリアルな弦楽合奏や管楽器が使われてるわけじゃない。でも、全体的に彼の音楽にみられがちな神経症的な響きではなく、ふくらみのあるハーモニーが前面に出ているし、コード進行もスムースな曲が多い。声高にメロディ!と主張するものはないにしても、移りゆくコード進行のトップノートの連続がとても印象的に聞こえる感覚を聴き手にもたらすんだと思う。このアルバムの何曲かはクラシカルなオーケストラやアンサンブルに編曲されて演奏されていたりするけど——Alarm Will SoundとかLondon Sinfoniettaとかにね——そういうことをしたくなる曲がたくさんあるアルバムなんだよ。
 それにしてもだよ。〈WARP〉移籍後のリリースを見てみてよ。 「On」~『SAW Vol.2』~ 「Ventolin」、この振れ幅ってやっぱりとんでもないなと改めて思うね。もっと細かく言うと 「Ventolin」の前に出たAFX名義の 「Analogue Bubblebath4」 と 「Hangable Auto Bulb」シリーズを含めて考えるともっとすごいなとなるけど。とはいえ、RDJ言うところの “明晰夢からのインスピレーションで作曲・創作” したのは『SAW Vol.2』だけだろう。だからこのアルバムだけが前後の作品から切り離されて屹立しているんだと思うんだよ。

2024年11月24日杉田より


前略
ゲンイチさん

 朝方は冷える今日のこの頃。今朝も歯を食いしばって布団から出たよ。それはそうと、この便りを最後に旅に出ることにする。もちろん、金もないから内面旅行だ。
 それはそうと、ここで言っておくと、『SAW Vol.2』の系譜というか、これに匹敵する謎めいた作品がRDJにはもうひとつある。そう、『Drukqs』(01)だ。いつかこのアルバムも、より深く語られるときが来るだろう。またそのさいには筆をとることになるかもしれないから覚悟しておきたまえ(笑)。
 それはそうと、もうまとめよう。最後に読者への案内をかねて、このアルバムのなかのお互いのなかのフェイヴァリットをいくつか挙げようじゃないか。 “Blue Calx” を除いて、本来は曲名のクレジットなしのこのアルバムには、時間のなかでファンが勝手につけた曲名が非公式ながらレーベルも認めているので、その曲でいくつかピックアップするよ。

 以下、野田のハイリー・レコメンド
 ・Cliffs(クリフス)
 ・Rhubarb(ルーバーブ)
 ・Blue Calx(ブルー・カルクス)
 ・Stone in Focus(ストーン・イン・フォーカス)

 レコメンド
 ・Radiator(レディエイター)
 ・Grass(グラス)
 ・Weathered Stone(ウェザード・ストーン)
 ・Lichen(ライカン)

 まあ、これはたんに好みであって曲を評価するものではない。ただ、アルバムの正規のクローサートラックが “Matchsticks(マッチスティックス)” 、つまりマッチ棒なのがどうなのかというのは、当初から思っていたよ。もうちょっとロマンティックな終わり方をしても良かったと思うんだが、じつに不穏なエンディングだ(笑)。
 とにかく、 “Blue Calx” が名曲なのは言うまでもないけれど、 “Cliffs” と “Stone in Focus” もほんとうに好きだな。ことに1曲目の “Cliffs” は、異世界への完璧な入口だ。ちなみに、 “Blue Calx” はコーンウォール時代に(通称〈Linmiri〉スタジオにて)レコーディングした最後の曲だと言われているね。つまり、機材的には『SAW85-92』と重なっている。ああ、それから曲名の代わりに配置されている円グラフだけれど、ファンがいろんな考察——それぞれの角度に意味があるんじゃないかとか——をしているものの、結局、いまだにその謎は解けないでいる。
 じゃ、最後に、先生の推し曲をご教示いただけますかな。

早々

2024年11月26日野田より


拝復
野田くん

 そうだね、『Drukqs』。 “Avril 14th” という『SAW 85-92』における “Xtal” 、『SAW Vol.2』における “♯3(Rhubarb)” と並ぶ静謐系RDJのベスト・ソングが入ってるアルバムね。アルバムとしても僕はこの3枚が好きだし今も聴き続けてる。死ぬまで聴くだろう……とは言ってもこの先何年生きられるのかわからないけどさ(笑)。
ということで、僕の『SAW Vol.2』の推し曲はこれ。

 ハイリー・レコメンド
 ・Rhubarb(ルーバーブ)
 ・Curtains(カーテンズ)
 ・Domino(ドミノ)
 ・Blue Calx(ブルー・カルクス)
  ・Z Twig(ゼット・トウィッグ)

 レコメンド
  ・Blur(ブラー)
  ・Windowsill(ウィンドウシル)
  ・Hexagon(ヘクサゴン)
  ・Stone in Focus(ストーン・イン・フォーカス)
  ・Lichen(ライカン)

 僕も野田くんと同じように2曲目の穏やかな “Rhubarb” がほんとうに好きなんだけど、RhubarbといえばRDJにはとんでもなく騒がしい “Donkey Rhubarb” という曲もある。『…I Care Because You Do』の先行シングルのリードトラックだった曲だけど、続いて出たアルバム『…I Care~』にはこの曲は収録されず、かわりにフィリップ・グラスがミニマルなオーケストレーションを施して話題だった “Icct Hedral” のエディットテイクが収められたっていうところもRDJらしい悪戯心かな。
  “Blue Calx” が素晴らしいのはもちろんだね。RDJにとって “Calx” は重要なテーマなんだろう、『SAW 85-92』のGreen、『SAW Vol.2』のBlue、ちょっと飛んで『Richard D. James Album』のYellowと、見事に三部作を揃えてる。リズムは3曲とも全然違うけど、背後に美しいパッド系の音が鳴っている点は共通している。タイトルがナンバリングだけだった『SAW Vol.2』において、唯一最初から曲名が明らかにされていたのは、RDJのこの曲への思いがあったからじゃないかな。まあ、野田くんも指摘していたようにこの曲だけは既発曲だったというのも関係しているのかもしれないけど。
 あと、このリストには入れてないけど、僕はオリジナル盤のラストが “Matchsticks” であること、嫌いじゃないけどね(笑)。この “物語が終わらない感” がいいんだよ。最後、響きが唐突に途切れるところも含めてね。だから、今回の30周年記念盤で追加された2曲は、正直蛇足じゃないかって思うんだけどどう? いや、曲としては悪くないんだけどね。そういえばこの追加トラックの2曲目にまたしても “Rhubarb” が登場してる。全曲リバース処理されてて響きはおもしろいけど、これを足して30周年記念盤を閉じるっていうのがRDJらしい一筋縄ではいかない感ありありで、おもしろいといえばおもしろいんだけど。

2024年11月28日 杉田より


前略 
土門さん、いや、ゲンイチさん、

 冬の透明な空気が気持ちいい。家のなかでビールを飲みながら聴いているよ。自分としてはいまもこの『SAW Vol.2』を楽しめることは嬉しいよ。あの頃の音楽が2024年になっても現役なのは、ある意味いまだからこそ『極悪女王』が面白いのと同じように……いや、違うか、はははは。
 ジェフ・ミルズの “サイクル30” を思いだそう。あれはテリー・ライリーの “In C” から30年、つまり、ミニマルの30周年期ということで “サイクル30” なんだけど、1994年に我々は(コイちゃんと一緒に)テリーさんの『ア・レインボウ・イン・カーヴド・エアー』をよく繰り返し聴いたよね。だから、30年前の作品であっても、まったく古くはならない音楽作品はほかにもいろいろあるし、おそらく 『ア・レインボウ~』がむしろ時間が経ってから聴いたほうがよく聴こえたように、あるいはより幅広いく聴かれていったように、『SAW Vol.2』もそういう作品だった。こういうのをタイムレスな音楽っていうんだね。若い人たちにもぜひ聴いて欲しい。いまでもぜんぜん新しいから。
 ところで、ゲンイチさんがあの頃買った『SAW Vol.2』にもナンバリングしてあるわけだけど、何番? ぼくのは7000番台のかなりの前のほう。いつかディスクユニオンの壁に『SAW Vol.2』の7000番台のかなりの前の番号のがあったら、それはぼくが売ったレコードかもしれないよ。12月は1年のうちでいちばんセンチメンタルな季節だと言ったのはレスター・バグスです。では、いずれまたお会いしましょう。

拝具

2024年11月28日 野田より


拝復
野田くん

 なんだよ、野田くんってサッカー野郎じゃなかったっけ。ドカベンなんて今の読者ついてこれませんよ(笑)。そして極悪女王と言えばやっぱりジュワイヨクチュールマキウエダ……いや、この話はやめとこう。これも読者がついてこれないや。

 “ア・レインボウ~” ね、あれ、ほんとよく聴いたよなー練馬のコイちゃんの家で。やっぱり30年前くらいだよね。先日その “ア・レインボウ~” を日本のSONYがリイシューしたんだけど、その制作を外注された僕がライナーを野田くんに頼んだのは、あの経験があったからですよ。今でもこの曲の電子音が迸るように鳴り始めるイントロを聴いただけであの風景を思い出せる。音楽ってそういう要素あるよね。そして聴取体験を重ねれば重ねるほど、その音にまつわる記憶もどんどん増えていく。その記憶がノスタルジーの場合もあれば、いつまでも新鮮さを伴って思い出せるものである場合もある。 “ア・レインボウ~” や『SAW Vol.2』は典型的な後者のタイプなんだろうな。
 30年といえばさ、僕と野田くんが出会ったのも30年ちょっと前の話だったね。あの頃から僕らは変わったのか変わらなかったのか……こうして今でも出会ったころに聞いてた音楽についてああだこうだと話ができるんだから、きっと変わってないんだろう(笑)。

 僕の『SAW Vol.2』のアナログも7000番台だよ。同じ店で買ったんじゃないかな(笑)。あれ盤面がマーブル色で溝がよく見えなかったから、狙った曲をかけるのが大変だったことをよく覚えてる。もっとも狙って聴くのは “Blue Calx” くらいだったけど。あれはLP2枚目のB面の1曲目だったからわかりやすかったね。だからこのアルバムで当時いちばんよく聴いたのは “Blue Calx” から “Z Twig” までの5曲だったんだ。だから僕は “Z Twig” が好きになったのかもしれないな。

 じゃあ僕もこの辺でペンを置きます。次の往復書簡は2031年だね。そう、『Drukqs』30周年(笑)。それまでがんばって生きようや。あ、酩酊はほどほどにね。

2024年11月29日杉田より


Aphex Twin
Selected Ambient Works Volume II (Expanded Edition)
Warp/ビート

30周年記念新装版にして決定版。CDでは3枚組。アナログでは4枚組。名曲“#19”(“Stone in Focusで知られる”)ほか、初のフィジカル・フォーマットでリリースされる“th1 [evnslower]”、今回初めて公式リリースされる“Rhubarb Orc. 19.53 Rev”が追加音源として収録されている。(輸入盤CDはボックス使用ではない)

東京国際映画祭レポート - ele-king

 今年の東京国際映画祭は、ドナルド・トランプが米大統領選での勝利宣言をした同じ日に閉幕するという不運に見舞われた。トランプの勝利は、マイノリティや女性の権利、ウクライナ・パレスチナ情勢、世界の民主主義、そして地球環境の未来にまで深刻な影響を及ぼすものとなるだろう。そのような事態を前にして、日本を代表する映画祭はあまりにも小さく感じられた。

 東京国際映画祭(TIFF)がそもそも話題性の高いイベントであるというわけではない。TIFFという略称からしても、1ヶ月先に開催されるトロント国際映画祭(同じくTIFF)の影に隠れてしまいがちだ。毎年、東京国際映画祭のコンペティション部門で上映される外国映画のうち、日本で劇場公開されるのはほんの一握り。しかも、最高賞にあたる東京グランプリを受賞しても、配給会社が見つかる保証はない。

 しかし、今年最高賞を取った吉田大八監督の『敵』は、2005年以来、日本映画として初めてグランプリを受賞した作品であり、その心配は無用だろう。以下に、その作品と、今年上映された注目すべき映画について簡単にご紹介する。

『敵』

 吉田大八監督はこれまで駄作を撮ったことはないが、この作品は彼の最高傑作と言えるかもしれない。筒井康隆による1998年の小説を映画化した今作は、その穏やかな滑り出しから、後にシュルレアリスムへと突入する衝撃的な展開をみせる。長塚京三は、退職した大学教授を演じ、その日常生活が徐々に、そして最終的には劇的に破綻してゆく様を見事に演じきり、主演男優賞を受賞。このラストは、ルイス・ブニュエルや、ダーレン・アロノフスキーの『マザー!』を彷彿とさせるほどである。トランプ当選のニュースを聞いた後、再びこの映画を鑑賞したのだが、作品が描く死生観や、謎の「敵」に関する噂、そして大量の難民であふれかえる社会の描写は、さらに不吉なトーンを帯びていた。
(2025年1月17日劇場公開:https://happinet-phantom.com/teki/) 

『トラフィック』

2024 © MINDSET PRODUCTIONS – LUNANIME – LES FILMS DU FLEUVE – BASTIDE FILMS – FILMGATE FILMS – FILM I VÄST – AVANPOST MEDIA – MOBRA FILMS
119分/カラー/ルーマニア語、オランダ語、英語/日本語、英語字幕/2024年/ルーマニア、ベルギー、オランダ

 西欧と東欧の格差を赤裸々に描いたテオドラ・アナ・ミハイ監督の社会派ドラマ。ルーマニア人ギャング集団がロッテルダムの美術館から多数の文化財を盗み出したという2012年の事件を基に制作。前半はオランダが舞台で、窃盗集団の1人の内縁の妻(最優秀女優賞を受賞したアナマリア・ヴァルトロメイ)に焦点を当てており、後半よりも面白い。この映画では、裕福な西欧において、出稼ぎに来る移民たちが二流市民として扱われている様子が容赦なく描かれているが、その一方で、彼らの母国にも深刻な不平等が存在することも取り上げられており、そのような背景を思えば、ピカソの作品がどうなろうと、取るに足らないことのように思えてくる。

『雨の中の慾情』

©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
11月29日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

 昭和の時代に描かれた、変態チックでシュールな漫画は、現代の映画制作者に対して「健康を害する可能性あり」という注釈を添えるべきかもしれない。台湾を舞台にした片山慎三監督の映画は、つげ義春の作品いくつかを翻案したものだが、手塚眞が監督した『ばるぼら』と共通する難点があった。最先端の映像技術や、時折織り込まれるドリーミーな空想シーンを駆使しても、時代錯誤的な性描写を美化することはできないのである。さらに、この映画は(現実というものがあるとすれば)現実が何なのかという感覚を揺るがそうと躍起になっているせいで、こちらとしては、結局、何もかもがどうでもよくなってくる。しかし、この作品は散漫・雑然としながらも、見どころのない映画というわけではない。例えば、大日本帝国陸軍による大虐殺を描いた豪勢なシーンなど、現代の日本映画ではあまりお目にかかれないような場面もある。 
(11月29日劇場公開:https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/

『アディオス・アミーゴ 』

118分/カラー/スペイン語/日本語、英語字幕/2024年/コロンビア

 イヴァン・D・ガオナ監督による、マカロニ・ウェスタン風のコロンビア映画。昔懐かしい西部劇の雰囲気が色濃く出ているが(主人公たちのやけに汗ばんだ顔がやけにアップで映るなど)、一筋縄ではいかない展開で予想外の方向へと進み、人類は暴力行為から脱却できるのかという話になる。そして、「イエス・キリスト」という名の先住民シャーマンによって与えられる天然の幻覚剤を大量に摂取することで、復讐に燃えていた登場人物たちに、平和を考える余地が生まれてくる。あまりテンポがよいとは言えないが、『アディオス・アミーゴ』のラストは力強く、パラレルワールドでのメキシカン・スタンドオフ〔訳注:互いに武器を向け合ったまま誰も動けない状態〕で締めくくられ、セルジオ・レオーネというよりもアレハンドロ・ホドロフスキーに近い。

『レイブンズ 』

© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films
2025年3月28日よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国ロードショー

 伝記映画『イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』に続き、マーク・ギルが制作したこの作品も、悩める芸術家の姿を描いているが、その内面には踏み込めていない。『レイブンズ』は、2時間という上映時間内に、芸術家のキャリアすべてを詰め込もうとするという、ありがちな罠にはまっている。特に、写真家・深瀬昌久のような複雑な人物を扱うとなると、その取り組みはさらに困難なものとなる。この映画は、深瀬役の浅野忠信と、深瀬の妻でありミューズでもあった洋子役の瀧内公美の安定した演技が支えとなり、映像も良く仕上がってはいるが、どこかありきたりな印象が残る。ギルの最も大胆な試みは、深瀬を突き動かした闇の衝動を具現化したことであり、それはホセ・ルイス・フェラーがヴォイスオーバーを務めた、人間サイズのカラスという形を成しているのだが、このカラスは、残念なことに漫画『DEATH NOTE』の死神に酷似している。(2025年3月劇場公開:https://www.ravens-movie.com/

『黒の牛』

2024年/日本=台湾=アメリカ/114分/シネマスコープサイズ/5.1chサラウンド/白黒&カラー
配給:ALFAZBET、ニコニコフィルム、ムーリンプロダクション

 東京国際映画祭でデビュー作『祖谷物語―おくのひと―』が上映されてから10年あまりを経て、蔦哲一朗監督はさらに素晴らしい2作目で返り咲いた。『黒い牛』は、19世紀後半、日本近代化の波に翻弄される山男(リー・カンション)の物語を通して、禅の悟りへの道を描いた作品。70mmフィルムで一部撮影されたモノクロ映像には独特の質感があり、その一方で、音響効果はサイケデリックな域にまで達している。それ加えて、ただただ唖然とするような場面もあったので、この作品は、ぜひとも大画面・大音量で鑑賞していただきたい。

Tokyo International Film Festival Report

written by James Hadfield

This year’s Tokyo International Film Festival had the misfortune to wrap up on the same day Donald Trump declared victory in the US presidential election. In the face of an event that’s likely to have such dire consequences – for minorities, women’s rights, Ukraine, Palestine, global democracy and the state of the planet itself – Japan’s preeminent film festival felt awfully small.

Not that TIFF tends to be a major news event anyway; even its acronym ensures that it’s forever in the shadow of Toronto’s more high-profile festival, which takes place a month earlier. Only a handful of the non-Japanese films screened in competition each year go on to receive a theatrical release here; even winning the top Tokyo Grand Prix is no guarantee of finding a distributor.

That won’t be an issue for this year’s winner, Daihachi Yoshida’s “Teki Cometh,” which became the first Japanese film to take the festival’s top prize since 2005. Here are some brief notes on that, and a few of the other notable movies that screened this year.

Teki Cometh (敵)

Yoshida has never made a bad film, but this might be his finest hour. The director’s adaptation of a 1998 Yasutaka Tsutsui novel starts so gently, its later turn into surrealism comes as a shock. Kyozo Nagatsuka deservedly won the Best Actor award for his portrayal of a retired professor whose domestic harmony starts to unravel, first slowly and then spectacularly, in a final act that recalls Buñuel and even Darren Aronofsky’s “Mother!” Watching it for a second time, after getting the news about Trump’s electoral win, the film’s rumination on mortality and its depiction of a society awash with rumours of a mysterious “enemy” and hordes of refugees took on an even more ominous tone.
(Released theatrically on January 17, 2025: https://happinet-phantom.com/teki/)

Traffic (Reostat)

Europe’s east-west divide is laid bare in this anti-thriller by Teodora Ana Mihai, based on a 2012 heist in which a Romanian gang made off with a clutch of priceless artworks from a museum in Rotterdam. The first, and stronger, half of the movie is set in The Netherlands and focuses on the common-law wife of one of the thieves (Anamaria Vartolomei, who won the Best Actress prize). The film is merciless in its depiction of the second-class status afforded to migrants in the affluent West, though also attentive to the stark inequalities that exist in their native country – compared to which, the fate of a Picasso painting starts to look rather insignificant.

Lust in the Rain (雨の中の慾情)

Kinky, surreal manga from the Showa era should probably come with a health warning for contemporary filmmakers. Shinzo Katayama’s Taiwan-set drama, loosely adapted from several stories by Yoshiharu Tsuge, suffers some of the same problems as Macoto Tezka’s “Tezuka’s Barbara.” Superior tech specs and occasional bursts of dreamlike visual imagination can’t gloss over some retrograde sexual politics, while the film works so hard to undermine our sense of what (if anything) is real that none of it seems to matter any more. This sprawling, messy movie isn’t without its highlights, though, including a lavish set-piece depicting an Imperial Army killing spree – not something you see often in modern Japanese cinema.
(Released theatrically on November 29: https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/)

Adios Amigo (Adiós al amigo)

This Colombian spaghetti western from Ivan D. Gaona goes hard on the throwback vibes (the faces are extremely close and extremely sweaty), but takes a circuitous route to an unexpected destination, where what’s at stake is whether or not people can move on from violence. It takes some liberal doses of all-natural psychedelics – dispensed by an Indigenous mystic named Jesus Christ – to get the film’s vengeful characters to a point where they might consider giving peace a chance. While the pacing is a little off, “Adios Amigo” ends strong, with a Mexican standoff in a parallel dimension, more Jodorowsky than Leone.

Ravens

Mark Gill’s follow-up to Morrissey biopic “England is Mine” is another portrait of a tortured artist that doesn’t get past the surface. “Ravens” falls into the familiar trap of attempting to squeeze a whole career into a two-hour runtime, which is a particularly fraught undertaking when you’re dealing with a figure as problematic as photographer Masahisa Fukase. The film looks good, and is grounded in solid performances by Tadanobu Asano as Fukase and Kumi Takiuchi as his wife-slash-muse, Yoko, but it ends up feeling oddly generic. Gill’s boldest step is to give a literal manifestation to the dark impulses that drove Fukase, which take the form of a man-sized raven, voiced by Jose Luis Ferrer, who bears an unfortunate resemblance to the Shinigami from “Death Note.”
(Released theatrically in March 2025: https://www.ravens-movie.com/)

Black Ox (黒の牛)

Over a decade after his debut film, “Tale of Iya,” screened at TIFF, Tetsuichiro Tsuta returned with an even more impressive sophomore feature. “Black Ox” sets out to depict nothing less than the path to Zen enlightenment, through the story of a mountain man (Lee Kang-sheng) who comes spiritually adrift during Japan’s late-19th century modernisation. Shot partially on 70mm film, the monochrome imagery has a tactile quality to it, while the sound design pushes things to almost psychedelic heights. There are sequences that left me slack-jawed: it’s worth seeing on the biggest screen, and with the loudest speakers, possible.

 2024年のアメリカについて日本の方々に知ってもらいたいことがひとつあるとしたら、今回の選挙における選択肢に、私たち多くのアメリカ人が熱狂していたわけではなかったという点だ。
 まず一方には、近年でもっとも忌み嫌われた政治家、ドナルド・J・トランプがいた。彼はかつて、2004年にスタートしたリアリティ番組『アプレンティス』(※参加者が「見習い」として働き、最後に採決される)において「お前はクビだ!」と叫ぶ役を演じ、それで一躍、アメリカで有名人になった、億万長者のペテン師である。2024年に早送りすると、後期資本主義の典型であるこの人物は、なぜか労働者階級からの支持を得て現状に至っている。支持層の多くは白人の地方住民——おそらくは私たちの社会では一括りにしても問題のない唯一のグループ、無学で人種差別的な「田舎者」たち——で、2024年の選挙ではラテン系や黒人層にも右傾化が顕著に見られた。結果、トランプは国民投票と議論の的となる選挙人団の両方で勝利を収めたわけで、多くのアメリカ人の心に彼のポピュリスト的メッセージが響いたことは否定できない。
 もうひとりの候補者は、2020年の大統領選で民主党予備選挙において支持を得られなかったカマラ・ハリスだった。アメリカ史上初の女性副大統領であるが、しかし、女性である私としては、黒人女性を副大統領に起用したバイデンの人選が「フェミニズムの勝利」などという幻想を抱くようなものではないことを承知している。また、ハリス氏が女性であるからといって、彼女が女性の利益を代弁するなどとは一瞬たりとも考えたこともなかった(事実、民主党はオバマ政権時から妊娠中絶に関する法改正の機会を持っていながら優先事項とせず、最初の任期中に却下した)。もしその女性が優れたアイデアと能力を認められて当選したのであれば、アメリカ社会は真の男女平等を達成したと言えただろう。悪名高いことに、彼女は電撃的な選挙キャンペーン中、ほとんどインタヴューに応じなかった。数少ないそのなかには、ニュース番組『60ミニッツ』も含まれていたが、番組では、彼女の当初の極めて親イスラエル的な立場を隠すように編集されていた。また、彼女の具体的な政策に関心のあるインタヴュアーに対しては、「ウェブサイトを見てください」と答えるのみだった。
 トランプは、過去10年間の大半を大統領選に費やしてきたと言えるような、誇大妄想的なおしゃべり屋だ。彼を打ち負かすのは難しくないはずだった。が、“政策(ポリシー)”ではなく“権力(ポリティクス)”に頼ってアメリカ人の半分を味方につけようとするのは、明らかに勝利のための戦略とは言えない。

 理由はふたつある。第一に、民主党が(アメリカ)国民に対して誠実でなかったこと、そしてそれが私たち(私のような真の左派を自認する人びとを含む)の多くを遠ざけてしまったことだ。アメリカの民主党は決して「左派」ではないことをここに明確にしておきたい。実際には、経済政策に関しては穏健中道、あるいはやや右派だ。しかも、アメリカの主流メディアは民主党に支配され、バイデンや民主党への批判を「保守派の陰謀」に過ぎないとした。また、バイデンの明らかな認知機能の衰え、米国(およびその他の国々)におけるインフレの蔓延、犯罪の増加、そして不法な人権侵害の国境問題は「陰謀説」であって、それも右派によるものとした。現在の平均的な民主党員によれば、右翼であることはナチスであることを意味する。

 そのようなレッテルを貼られるのを避けるために、自分の信念を検閲した人はたくさんいると思う。私もそのひとりだ。なぜなら、私の食料品代は2020年以来ほぼ2倍になっているのに、アメリカは無意味な代理戦争にふたつも関わっている(そればかりか大量虐殺に積極的に資金を提供)。2022年には、私が利用するニューヨーク市の地下鉄駅で起きた集団銃撃事件で10人が撃たれ29人が負傷した、私は何ヶ月も電車に乗るのが怖かった。アメリカの“信頼できる”メディア、たとえば『ニューヨーク・タイムズ』などによると、これらの懸念はすべて私が「右派の白人至上主義者だから」ということになるらしい。
 私が、民主党がトランプを打ち負かすことができなかった理由としてふたつ目に挙げるのは、あからさまな偽善だ。私はドナルド・トランプの内閣や気候に対する態度、最高裁の保守的な人選、1月6日の議会襲撃事件など、数え上げればきりがないが、これらすべてに深い不快感を抱いている。しかし、民主党がヒステリックに主張する「自分たちに投票すれば、ファシズムからアメリカを何とかして救うことができる」という主張は疑わしい。なぜなら、真の左派の候補者たち(とくにコーネル・ウェストやロバート・F・ケネディ・ジュニア、ただしイスラエルに対する姿勢を除いて)は、討論会はおろか、予備選挙にも参加させてもらえなかったからだ。ハリス自身も民主党候補として選出されたわけではない。今年6月のトランプとの討論会の惨憺たる結果によってバイデンの老いがもはやアメリカ国民に隠しきれなくなった後、ようやく戴冠されたに過ぎない。
 トランプは厳密には有罪判決を受けた犯罪者だが、それは捜査を受けたからだ。それに対して、バイデン一家が関わっていると想像される違法な不正行為には驚かされるばかりだ。とくに彼の息子ハンターのノートパソコンにウクライナや中国との家族ビジネスに関するメッセージが含まれていたという噂が事実だったことを考えると——もっとも、その話はアメリカの主流メディアによって大幅に検閲されていたが。
 民主党が自らの権力を脅かす人物を攻撃しようとしたのは今回が初めてではない。民主党と共和党が同じコーポラティズムの硬貨の表裏であることは、何年も前から明らかであった。例えば、バーニー・サンダースの階級意識を意識したキャンペーンは、2016年と2020年の両方で民主党に支配されたメディアによって組織的に破壊された。そして2024年には、ロバート・F・ケネディ・ジュニアの型破りながらも力強いキャンペーン・メッセージ、すなわちアメリカ政治に蔓延する腐敗と取り組むというメッセージも、ナチス(すなわち民主党員と認めない者)からの言論の自由を守ることを主張する「左翼」メディアによって同様に粉砕された。バーニーの選挙運動と同様に、ケネディ・ジュニアの政策も検閲され、ワクチン反対派の気違いじみた戯言にすぎないものに貶められた。なぜなら、彼もバーニー同様、“アイデンティティ”ポリティクスではなく“階級”ポリティクスによって、実際にアメリカの分裂を埋めようとしていたからだ。
 結局のところ、真の左翼であれば、抑圧の本質的な交差点は「階級」だと教えるだろう。カマラ・ハリスの集会でビヨンセやトゥワークをするミーガン・ジー・スタリオンを登場させても、生活費が手頃になるわけでも、パレスチナの戦争が終わるわけでもない。

 注目すべきは、選挙運動が失敗に終わっていた際に、この国を悩ませている政治的分裂の解消を模索して、ケネディ・ジュニアが民主党と共和党に接触したことである。民主党は彼を無視したが、トランプは最終的に彼に閣僚への参加を要請した。

 民主党は過去8年間、自分たちに反対する人びとの知性や人間性を侮辱してきたという不名誉な実績がある。ヒラリー・クリントンは、自分たちに投票しない人たちを「憐れむべき人びとの巣窟(the basket of deplorables)」と呼び、バイデンは先月、彼らを「ゴミ(garbage)」と呼んだ。私の友人でさえ「トランプに投票する人は悪だ」と宣言している。私が貧しい田舎の白人アメリカで育ち、そこで暮らす大多数の人たちは、ただ生活を営み、そっとしておいてほしいと願う善良で勤勉な人たちであることを知っているからかもしれないが、私は民主党が「蜂を捕まえるには酢よりも蜜を使った方がよい」(*)という古い諺を聞いたことがないのではないかと思わずにはいられない。

 私はふたつの出来事を決して忘れないだろう。どちらも私の政治的信条に影響を与えた出来事だ(私は環境問題に関心があり、所得の平等、中産階級および労働者階級の生活の質に維持、女性の権利に関心があり、アメリカの海外における植民地主義的な存在を排除することに関心があり、性的暴行容疑のある人物には投票しない。民主党がその事実を隠そうとしても、ジョー・バイデンもその対象だ)。
 最初の出来事は2016年、いまは亡き祖父に「なぜトランプに投票するのか」と尋ねた。
 「私は実はバーニーのほうが好きなんだ。でも、トランプには勢いがあるし、ワシントンDCには変化が必要なんだ。民主党の連中は自分たちがみんなにとっていちばん良いことをわかっているつもりだが、そんなことはない。政府は小さく保つべきなんだ」
 「なぜ小さく保つ必要があるの?」と私は尋ねた。「国民皆保険(ユニバーサル・ヘルスケア)制度は必要ないの?」
 「それはいいな」と祖父は言いました。「でも、郵便物を確実に送ってもらいたいなら、米国郵便公社ではなくフェデックスのようなサービスを利用しなければならない。政府のウェブサイトにアクセスしても、動きが遅すぎて使えない。それに政府の電話番号にかけても、何時間も保留音が鳴りっぱなしだ」
 彼の言うとおりだ、と私は思った……
 「では、もし政府が医療を提供したら?  まあ、おそらく世界最悪の医療だろうね」
 オバマが 全国民向け医療制度を試みた際、健康保険に加入できない人には700ドル以上の罰金を科されることを考えると、私も同意せざるを得ないかもしれない。

 ふたつ目の出来事は、私が日本の音楽の博士号を取得するために在籍していたコーネル大学の大学院の仲間たちと、2016年の選挙後のパーティで過ごしたときのことだった。 大学院生たちは、トランプに投票した人たちは無学で愚かで、——そしてまたあの言葉が出てきたわけだが——、邪悪(evil)だ、などと不満を漏らしていた。
 「トランプに投票した人と話したことがある人はいる?」と私は尋ねた。
 「いるわけないだろ!」と彼らは声を張り上げ、誇らしげに言った。「なぜそんなことをする?」
 「まあ、もしそうしたら」と私は言った。「みんなあなたたちをエリート気取りのろくでなしの集まりだと思うだろうね」そして私はその場を去った。
 過去最悪のパーティでの出来事。

 私としては、これは希望の持てる出来事だと考えている。民主党がなぜ負けたのかについて、引き続きよく考えてほしいと願っている。共和党は、相手候補があまりにもひどかったからこそ自分たちが勝てたのだということを知ってほしいと願っている。そして、私は米国が最終的に現実的な第三政党を誕生させることを願っている。私はこれまで3回の大統領選挙でそうした政党に投票してきた。なぜなら、今年のアメリカ大統領選挙の茶番劇が示すように、民主党と共和党は同様に堕落しているからだ。
 おそらくほとんどのアメリカ人が私の意見に賛成してくれると思う。

(*)物事をうまく進めたり人を惹きつけたりしたいなら、批判や冷たさよりも、親切や優しさで接するほうが効果的だという意味のことわざ。

American Politics: There Are No Good Guys in 2024

Written by Jillian Marshall

If there’s one thing I wish Japanese people could know about Americans in 2024, it’s that most of us were not excited about the choices in this election.
On the one hand was the most reviled politician and public figure in recent memory. Yes, Donald J. Trump: the billionaire grifter who cemented his fame in America on a reality TV show called The Apprentice, where he screamed “you’re fired!” at contestants. Fast forward to 2024, and this poster child of late-stage capitalism somehow found his political base in working class America: the very people exploited by the system that rewarded him. And while that base was largely white and rural — perhaps the only group in our society it’s OK to make sweeping judgements about (uneducated, racist rubes, they are!) — this year’s election saw significant rightward movement in Latino and Black populations as well. Having won both the popular vote and the somewhat controversial electoral college, it’s undeniable that Trump’s populist messaging evidently spoke to the majority of American voters.
On the other hand was a candidate so unpopular during her 2020 presidential bid that she received zero votes in the Democratic primary: Kamala Harris, the first woman vice president in American history. But as a woman, I’m under no illusions that Biden’s explicitly tokenistic appointing of a Black, female vice president was any kind of “feminist victory”— nor did I believe for a second that Harris would serve women’s interests simply because she herself is one (Democrats have had the chance to codify pro-abortion legislation into our constitution since the Obama administration, which Obama himself dismissed as a “non-priority” during his first term). If anything, I’d believe that American society achieved true gender equality if a woman got elected by recognition for her good ideas and competency— neither of which Harris demonstrated. Infamously, she gave very few interviews during her blitzkrieg campaign — including one with news program 60 Minutes that was actually edited to redact her original, highly pro-Israel stance— and dismissed interviewers interested in her specific policies to “go to her website.”
Trump is a megalomaniacal blowhard who has spent most of the past decade vying for presidency. It shouldn’t be hard to outwit him, but banking on politics instead of policy to win over half of America is, evidently, not the winning strategy.
The reason why is twofold. First is the Democratic Party’s inability to be honest with the (American) public, and how this has alienated many of us— including people, like me, who identify as true leftists. Let me first clarify that the American Democratic Party is not truly “left”; it’s actually moderate-center or even slightly right on economic policies. At the same time, mainstream media in the US — overwhelmingly controlled by the Democratic Party — have claimed that any critiques about Biden or the party in general were nothing but conservative nonsense. Biden’s obvious cognitive impairment, the rampant inflation in the US (and elsewhere), increased crime, and illegal, inhumane border crossings were not only conspiracies, but right wing ones at that. And according to the average Democrat today, being right wing means you’re a Nazi.
To a certain extent, I’d say that there are many of us who censored our beliefs to avoid being branded as such— myself included. Because, even though my grocery bill has nearly doubled since 2020, the US is in two ridiculous new proxy wars (while actively funding a genocide) and, after twenty-two people got shot at my subway station in New York City in 2022, I was scared to ride the train for months, my concerns — according to America’s “reputable media” sources like the New York Times — must be because I’m a right wing white supremacist.
The second reason I think the Democratic Party failed to defeat Trump is because of its blatant hypocrisy. I am deeply uncomfortable with Donald Trump’s cabinet, his misogyny, his stance on climate, his conservative stacking of the Supreme Court, what happened on January 6th of 2021 — the list goes on. But the Democrats' hysterical claims that voting for them will somehow save America from fascism is suspicious when other candidates running on truly leftist tickets — notably Cornel West and RFK Jr (save for his stance on Israel) — weren’t even allowed a debate, much less a primary election. Harris herself wasn’t even elected as the Democratic candidate; she was essentially coronated only after Biden’s senility was no longer able to be hidden from the American public following a disastrous debate with Trump in June of this year. And while Trump is technically a convicted felon, that’s only because he was investigated. I can only imagine the illegal shenanigans in the Biden family, particularly since rumors about his son Hunter’s laptop (with its messages about family business deals with Ukraine and China) turned out to be real— though that story was heavily censored by American mainstream media.
This isn’t the first time the Democrats have sought to destroy anyone who threatens their power. It’s been obvious for years that the Democrats and Republicans are two sides of the same corporatist coin; Bernie Sanders’ class-conscious campaign, for instance, was systematically destroyed by the Democrat-captured media in both 2016 and 2020. And in 2024, RFK Jr’s unconventional, but powerful campaign message of tackling the rampant corruption in American politics was similarly dismantled by the “left wing” media outlets claiming to preserve freedom of speech from the Nazis (i.e. anyone who doesn’t identify as a Democrat). Like Bernie’s campaign before him, RFK Jr’s platform was censored, reduced to nothing but an anti-vaxxer’s kooky ramblings, because he— like Bernie— threatened to actually bridge the divide in America through class politics instead of identity politics.
After all, a real leftist will tell you that class is the true intersection point of oppression. Trouncing out Beyonce or a twerking Megan Thee Stallion at a Kamala Harris rally does jack shit to make the cost of living more affordable, or end the war with Palestine.
Worth noting, too, is that RFK Jr reached out to the Democrats and the Republicans when his campaign was failing, seeking to bridge the political divide plaguing this country. The Democrats ignored him, while Trump ending up asking him to join his cabinet.
What’s more, Democrats have a nasty track record these past eight years of disparaging the intelligence and even humanity of whomever disagrees with them. Hillary Clinton called people who don’t vote for them “the basket of deplorables”; Biden called them “garbage” just last month. Even my own friends have declared on several occasions that “anyone who votes for Trump is evil.” Maybe it’s because I grew up in impoverished, rural white America and know for a fact that the majority of people there are decent, hardworking folks who just want to make a
living and be left alone, but I can’t help but think the Democrats never heard the old adage: “You catch more bees with honey than with vinegar.”
I’ll never forget two moments, both of which informed my personal politics (I care about the environment, I care about eliminating America’s colonialist foreign presence overseas, and I won’t vote for anyone with a sexual assault allegation — which includes Joe Biden, as much as Democrats try to hide that fact). The first was in 2016, when I asked my now-deceased Grandpa why he was voting for Trump.
“I actually like Bernie,” he said. “But Trump has the momentum, and we need change down in Washington DC. And those Democrats think that they know what’s best for everyone, but they don’t. We need to keep the government small.”
“Why small, though?” I asked. “Don’t you want universal health care?”
“That’d be nice,” my Grandpa said. “But if you want something mailed on time, you have to use a service like FedEx instead of the United States Postal Service. If you go to a government website, it’s too slow to use. And if you call any government phone number, you’re on hold for hours.”
He’s right about that, I thought...
“So if the government offered health care? Well, it’d probably be the worst health care in the world.”
Given that Obama’s attempt at universal health care penalized people upwards of $700 if they couldn’t obtain health insurance otherwise, I might have to agree.
The second moment was during a post-2016 election party with my fellow graduate students at Cornell University, where I was finishing my PhD in Japanese music. Grad students there were sharing their grievances, like how everyone who voted for Trump is uneducated, stupid, and— here’s that word again — evil.
“Have any of you ever talked to anyone who voted for Trump?” I asked.
“Of course not!” they remarked, with something close to pride in their voices. “Why would we?”
“Well, if you did,” I said, “You’d know they’d think you’re all a bunch of elitist assholes.” And I left.
It was the worst party I ever went to, by the way.
So I, for one, see this as a time of hope: I hope that the Democrats keep taking a look in the mirror about why they lost. I hope the Republicans know they only won because the other candidate was so awful. And I hope the US can finally produce a viable third party — which is how I’ve voted for three presidential elections now — because the Democrats and the
Republicans are, as evidenced by the farce that was this year’s American presidential election, equally captured.
And I dare say most Americans would agree with me.

SOPHIE - ele-king

 2024年は『brat』の年だったと、さまざまなメディアが書き立てている。大統領選からプロモーションのあり方といった話題に至るまで、やや(社会)現象としての側面にばかりスポットが当たっているような印象もあるが、というのはつまりチャーリー・XCXが正しくポップ・スターになったということでもあって、それはそれでとても感慨深い。強度あるサウンドなだけに、作品それ自体の意義については今後長い時間をかけてさまざまな分析がなされていくだろう。中でも当作は、形骸化が進みはじめたハイパー・ミュージックの文脈において、ひとつの局面を打開したようにも思う。幅広く多彩な感情の掘り下げと、それらを逆説的に強調するようなミニマルなアートワーク。飽和した状況からクリティカルに脱し大衆の視線を獲得したという点で、見事な一手だったというほかない。

 もうひとつ言うなら、『brat』はもっと故・ソフィーの文脈で語られるべきだとも思う。『Number 1 Angel』(2017年)をはじめとして深い音楽的パートナーシップを築いてきたふたりだけあって、そもそも『brat』のサウンドにはソフィーの影がそこかしこに感じられる。特に “So I” はソフィーの “It's Okay To Cry” に対するオマージュが捧げられていて、深い感謝が綴られてもいる。刺激的なレイヴ・サウンドが炸裂する『brat』の中でちょうど中盤に位置する “So I” は、柔らかなテクスチャとともに「And I know you always said, "It's okay to cry" So I know I can cry, I can cry, so I cry(泣いてもいいんだよっていつも言ってたよね だから泣いてもいいんだ、泣いてもいいんだ、だから泣くんだ)」と歌われる。その後10月に出たリミックス盤『Brat And It's Completely Different But Also Still Brat』ではA・G・クックが前面に出てさらにドラマティックなアレンジが施されており、ソフィーの遺志を継いで未来を向くような想いが伝わり胸が熱くなってしまう。

 そして、ふたつの『brat』のあいだ、9月にリリースされたのがソフィーの遺作『SOPHIE』なのだった。彼女の生前にほとんどできていたという素材をもとにきょうだいのベニー・ロング(Benny Long)がアルバムとして完成させたもので、つまり完全なるソフィーのオリジナルではない。ただ、過去作においてもベニー・ロングはスタジオ・プロデューサーとして制作に携わってきており、本人を最も身近で知る者の手によって形になったアルバムであることは間違いない。

 特徴的なのは、数多くのコラボレーターが参加しているという点。プライベートにおいてもパートナーでありソフィーが事故にあったときも一緒にいたというエヴィタ・マンジや、2020年のパンデミックのさなかにレコーディングしたときが彼女に会った最後だったという〈PC Music〉のハンナ・ダイアモンドをはじめとして、ソフィーと親交があったアーティストで固められている。ゲストがヴォーカルを披露しているケースも多く、じつに多種多様な声が次々と現れては消えていく──このラインナップを見ればいかに彼女がたくさんの人に愛されていたかがわかるし、やはりクィア・コミュニティを象徴する人物として大きすぎる存在だったと再認識せざるを得ない。そういった意味では、『Brat And It's Completely Different But Also Still Brat』に加えて、『SOPHIE』に参加しているアーティストを並べていくだけでとんでもなく充実した相関図を作ることができる。ふたりが、現行の音楽シーンにおいていかにハブ的な存在となっているかということだ。

 ただ、『SOPHIE』はもちろん、全面的な肯定をもって受け入れられているわけではない。前作『Oil Of Every Pearl's Un-Insides』と比較すると、サウンドのエッジはやや抑制されている印象がある。“Berlin Nightmare” や “Gallop” といった中盤の並びはソフィーであればもう少し変化に富んだテクスチャにしていたのでは、という気がしないでもないし、ミキシングのせいなのか何なのか、凡庸さを感じる曲もある。実際に彼女が最後まで完成させていたら……と何を言ってもifの話でしかないのだが、とはいえ、これはこれでありなのかもしれないとも思う。なぜなら、エッジが削れて丸くなった部分を活かすかのように、柔らかさやあたたかさを感じる曲が多数収録されているからだ。

 テクノ・アーティスト/DJであるニーナ・クラヴィッツが参加する “The Dome’s Protection” あたりの柔らかさはまだ以前のソフィー作品にあっても違和感がないような質感だが、終盤はがらっとムードが変わる。つねに生と死のあわいを漂っていたようなサウンドがソフィーの特徴だったとしたら、生が前提にあるような図太くて楽観的な音が鳴っているのだ。リアーナの “Bitch Better Have My Money” や “Higher” を手がけたビビ・ブレリー(Bibi Bourelly)がパワフルなヴォーカルを聴かせる “Exhilarate” は驚くべきヴァイブスに満ちているし、これまでも多く協働してきたセシル・ビリーヴが参加する “My Forever” では「You'll always be my forever」と歌われ、ソフィーへの愛がある種の素朴さをもって提示される。彼女の周りでともに音楽を作っていた人たちが目一杯の感情を閉じ込めることによって、本作はあのバブルガムでタフな音が、優しくほぐされているような感覚があるのだ。

 ソフィーのファンとしては、やはりキム・ペトラスとBCキングダムが参加する “Reason Why” は何度も何度も聴いてしまうし、本作にぴったりハマっていると思う。ずっとライヴではプレイされていた曲で、ソフィーのディスコグラフィの中でも特に情感豊かな曲だ。YouTubeに上がっているライヴ映像でもいくつか見ることができるが、“Reason Why” はキム・ペトラスがステージ上で共演することも多々あり、そこから名曲 “1,2,3dayz up” へとつながれる。タバコをふかしながら楽しそうにプレイする彼女を見ていると、“Reason Why” はじめ、キムとの曲はだいぶお気に入りだったんだろうという気がする。実際、ソフィーの魅力がたっぷりと凝縮されているナンバーだ。金属的で硬質だけどキュートなサウンドに、人工甘味料たっぷりの甘い声が乗る──繊細なのにダイナミック。つくづく、すばらしい相性だと感心する。

 ソフィーの音楽は未来的かつ機械的で、ポスト・ヒューマンといった形容をされてきた。既存のサウンドを分解し異なる形へと再編集する手法は、ジャンルという既存の枠組の解体であり、脱構築的だと。けれども同時に、彼女の音楽はヒューマニズムに満ちているとも思う。『SOPHIE』を聴くと、そういった人間くさい面が誇張されているし、より彼女のキャラクターを近くに感じられる。だからこそ、『SOPHIE』を経てから前作『Oil Of Every Pearl's Un-Insides』をもう一度聴くと、この音楽家の実像がますます立ち上がってくる気がするのだ。

 ソフィーは、音楽を通して何をしたかったのだろう? 彼女は、わたしという人間について徹底的に自己探求し続けていいのだ、ということを言っていたのだと思う。どんな手を使ってでもいいから探求し続けよ、と。自らを形作る構成を解体し、あらゆる要素を切り刻み、それでも残ったものがわたしであると。解体し切り刻んでしまったら、それはもう破片だ。脆弱な、あまりに脆弱なそれを、しかし彼女は再び新たな音楽にしてしまった。わたしをもとに、わたしをつくりあげたのだ。果てしない自己探求の果てに、彼女のルーツであるオウテカと、彼女が目指していたメインストリーム・ポップは一本の線で繋がった。声のピッチを大きく変え加工した “Immaterial” から、生声を披露する “It’s Okay To Cry” は円環し、ひとつのストーリーで接続されることとなった。流動的でありながら、ひとつの自分自身であること。ゆえに、非-人間的あることと人間的であることは両立する。それはとんでもない発見だったからこそ、ソフィーが自己探求によって発見した音楽は、2010年代における最大のイノヴェーションとしてメインストリームとアンダーグランドの双方で大きな影響力を波及していった。『Oil Of Every Pearl's Un-Insides』ののち、奮い立たされた多くのアーティストによって数多の作品が生み出された。本当に、本当にたくさんの作品が。そして今年、『brat』と『SOPHIE』、『Brat And It's Completely Different But Also Still Brat』が “その後” のマイルストンとして提示された。ソフィーにインスパイアされて以降生み出された、すべての音楽を称えるかのごとく。

 偉大なる彼女が亡くなってから、チャーリー・XCXはSNSで「ソフィーはわたしがいまのわたしであることに多大な影響を与えたアーティストであり、親友だった」と発言していた。「泣いてもいいんだよっていつも言ってたよね だから泣いてもいいんだ、泣いてもいいんだ、だから泣くんだ」と歌う “So I” の、肌を優しく撫でるような柔らかさ。自己探求とは、人間にしか成し得ない行為である──少なくとも、いまのところは。言い換えるなら、脆弱な自分と見つめ合えるのは自分しかいないのである。だから、泣いてもいい。結局のところ、ソフィーはそう言っているのだろう。泣きながら、生きるしかないのだと。

interview with Matthew Halsall - ele-king

 イギリスで最大のジャズ・シーンがあるのはロンドンだが、それとまた異なるシーンを独自に育んできたのがマンチェスターで、その中心にいるのがマシュー・ハルソールである。トランペット奏者で作曲家、そしてバンド・リーダーでもある彼は、2008年のデビュー以来数々のアルバムをリリースしてきて、この度その足跡をまとめたベスト・アルバムの『Togetherness』がリリースされた。初来日公演を記念してリリースされた『Togetherness』は、本国イギリスはもちろんのこと日本国内でも高い評価を得た最新アルバム『An Ever Changing View』(2023年)から、初期名盤の『Colour Yes』(2009年)まで、自身が運営するレーベルの〈ゴンドワナ〉とともに歩んだ十数年のキャリアからマシュー本人が選んだ楽曲を収録する。

 〈ゴンドワナ〉はマシュー以外に、彼が率いるゴンドワナ・オーケストラや盟友のナット・バーチャル、チップ・ウィッカムの作品から、ゴーゴー・ペンギン、ジョン・エリスなどマンチェスター出身のアーティストの作品をリリースするなど、マンチェスター・シーンを牽引してきた。そして、マンチェスター出身のアーティスト以外にも、ママル・ハンズ、ノヤ・ラオ、ポルティコ・カルテットなどのUK勢から、オーストラリア出身のアリーシャ・ジョイ、ベルギー出身のスタッフなど、所属アーティストの顔ぶれもインターナショナルになってきた。ジャズ以外にもエレクトロニック・ミュージックやポスト・クラシカル系と、音楽性の枠も広がっていった。スピリチュアル・ジャズと形容されることの多いマシュー・ハルソールの音楽だが、近年はフィールド・レコーディングを取り入れてアンビエントの要素が増しており、多様な音楽性を抱える〈ゴンドワナ〉の運営が自身の音楽性にも関与していると言えそうだ。

 ピーター・バラカン監修のフェス《Live Magic》と、Blue Note TOKYO公演で来日中のマシュー・ハルソールに、これまでの活動や 〈ゴンドワナ〉のことを振り返り、また自身の音楽の基盤となるものや影響されるものなど、いろいろと話をしてもらった。

ジャイルス・ピーターソンやミスター・スクラフといったDJは、先生と呼べるほど、自分が音楽を聴くにあたってとても影響を受けた存在です。

あなたは2008年に『Sending My Love』でデビューして以来、10数枚に及ぶアルバムを発表し、また自身のレーベルである〈ゴンドワナ〉からさまざまなアーティストを送り出してきました。すでに長いキャリアを積み重ねられているにも関わらず、これまで日本のメディアでのインタヴューがないようで、あなたのことをよく知らないリスナーもいるかと思われます。ですので、まずはどのようにしてジャズ・トランペット奏者になり、〈ゴンドワナ〉を運営するようになったのか教えてください。

マシュー・ハルソール(以下MH):リヴァプールに住んでいた6歳のころ、両親と祖父母と一緒に、日曜日の午後のコンサートに行きました。そこはニューヨークのジャズ・クラブのような雰囲気で、ジャズ・トランペット奏者がディジー・ガレスピーの “A Night In Tunisia” やマイルズ・デイヴィスの “Milestone” を演奏していて、わたしはビッグ・バンドならではの昂揚感あふれるエネルギーをとても気に入りました。とくにトランペットに魅力を感じて、6歳ながらに「トランペットがいい、トランペットがいい!」と夢中になり、それがトランペットとジャズとの出会いのきっかけでした。トランペットに惹かれたときからレッスンをはじめて、13歳のときに憧れのビッグ・バンドに入りました。14歳、15歳のときはそのビッグ・バンドとともに世界でツアーをして、オーストラリアやアメリカ、そういった国をまわっていましたね。

13歳で抜擢されるというのはすごく早熟ですよね。

MH:(照れ笑い)17歳になってからはサウンド・エンジニアリングやプロダクションの勉強をはじめました。レコードをつくることにとても興味があったので、そういう勉強も。とくに〈ブルー・ノート〉や〈インパルス〉などが好きだったのでそのような音の勉強と、あと〈ニンジャ・チューン〉や〈ワープ〉のようなサウンドも好きでしたので、ソフトウェアやシンセサイザーを使っての音づくりも勉強しました。DJカルチャーに興味を持ちはじめたのが14歳から15歳のときで、ジャイルス・ピーターソンミスター・スクラフといったDJは、先生と呼べるほど、自分が音楽を聴くにあたってとても影響を受けた存在です。
 たとえば、ジャイルス・ピーターソンは当時(2000年代前半)ザ・シネマティック・オーケストラマッドリブといったクラブ・ジャズ系をよくプレイしていて、ミスター・スクラフはクラブ・ミュージック以外にアリス・コルトレーンファラオ・サンダースといった純粋なジャズ・アーティストの作品もかけていたんです。彼がプレイした ファラオ・サンダースの “You’ve Got to Have Freedom” にとても衝撃を受けました。それからファラオ・サンダースを聴くようになって、そしてアリス・コルトレーンを発見して『Journey In Satchidananda』(1971年)を聴き、そこでスピリチュアル・ジャズというものに出会います。
 そして23歳のころ、リヴァプールからマンチェスターに移住しました。この時期のマンチェスターのDJシーンやミュージシャンのシーンがとても面白かったからです。とくに、マット&フレッズ・ジャズ・クラブに入り浸っていて、そこではザ・シネマティック・オーケストラのメンバーなど、シーンで活躍するアーティストが演奏をしていました。ミスター・スクラフも月に一度DJをしたり、ライヴ・シーンとクラブ・シーンをよく学べる環境でしたね。その時期に自分のレコードをつくってみたいという興味が湧いて、シーンで活躍している音楽家たちとレコードをつくるのですが、出してくれるレーベルが見つからず、結局は自分でレーベルを立ち上げてリリースするというかたちになりました。

なるほど。〈ニンジャ・チューン〉ではザ・シネマティック・オーケストラやミスター・スクラフの名が挙がりましたが、〈ワープ〉ではどのアーティストがお好きでしたか?

MH:ボーズ・オブ・カナダエイフェックス・ツインスクエアプッシャープラッド……そのあたりが中心でしたね。


Live Magic(恵比寿ガーデンホール)でのライヴ。Photo by Moto Uehara

サックス奏者のナット・バーチャルと組んだ初期の作品、ファーストの『Sending My Love』やセカンドの『Colour Yes』(2009年)などは、かつて英国ジャズの草創期に活躍したレンデル=カー・クインテットあたりを連想しますが、トランペット奏者のイアン・カーの影響もあるのでしょうか? 

MH:じつはレンデル=カー・クインテットの音楽と出会ったのは、それら2枚のアルバムをつくった後でした。きっかけはジャイルス・ピーターソンの『Impressed With Gilles Peterson』(2002年)というコンピレーションに収録されていたことで、それを聴いてイギリスのジャズ・ミュージシャンがモーダルなジャズをつくっていることを知ることができ、とても嬉しく思いました。

ナット・バーチャルやゴーゴー・ペンギンなど、マンチェスターのシーンで活躍してきたひとたちとあなたは深くつながってきました。いまでもロンドンに出ていかず、マンチェスターに根差して活動しているのはなぜでしょう?

MH:ロンドンの音楽シーンはたしかに盛り上がっているし、そこで成功しているひとたちもいっぱいいます。ただ、わたしとしてはイギリスのなかで、ロンドンだけでなく、ほかの場所に住んでいる才能あふれるミュージシャンたちをサポートすることを大事にしたいんです。友人や家族など、ほんとうに大切にしているひとたちもマンチェスターにいるので、ここで活動を続けています。

ロンドンだけでなく、ほかの場所に住んでいる才能あふれるミュージシャンたちをサポートすることを大事にしたいんです。

あなたはゴンドワナ・オーケストラを率いていることもあり、ソロ・プレーヤーとして活躍するよりもバンド・リーダーというか、サウンド・プロデューサーとして全体を俯瞰しながら音楽をつくっている印象があります。また、初期はインストの作品のみでしたが、途中からシンガーを交えて作品をつくることも増えていきました。仲のいい友人ミュージシャンとバンドを組むことからはじまって、アルバムを重ねるごとに編成も大きくなっていった印象ですが、この15年ほどでバンドがどのような変遷をたどってきたか、その過程を教えてください。

MH:まず、キャリアの初期のころは、マンシェスターの音楽シーンで活躍していたミュージシャンを自分のバンドでフィーチャーしていました。とくに自分が尊敬していた音楽家たち、たとえばナット・バーチャルやチップ・ウィッカム、ジョン・ソーン、あとザ・シネマティック・オーケストラのメンバーだったルーク・フラワーズとか、そういった方たちと一緒に演奏したいと思ったのがスタートでした。ただ、キャリアを積むことによって次第に、まだ名は知られていないけれど若く才能のあるミュージシャンたちをフィーチャーして、彼らにスポットライトを当てたいというふうに変わっていって、それに応じてメンバーの編成も変わっていきました。

あなたの作品にはハープがフィーチャーされることが多く、『Into Forever』(2015年)では日本の琴も取り入れていましたが、それら奏者はすべて女性ですよね。それによって……

MH:いや、じつは男性のハープ・プレイヤーもフィーチャーしたことがあるんです。『Oneness』(2019年)というアルバムがあって、そこで演奏しているのがスタン・アンブローズというハープ奏者で。同作には “Stan's Harp” という、彼をトリビュートした楽曲も収録されています。彼はリヴァプールのプレイヤーなんですが、病院で患者のためにセラピーとしてハープを演奏しているような、とてもスピリチュアルな方です。ただ、ご高齢だったこともあって一緒にツアーができず、ほかのハープ奏者を探したところ、イギリス北部に住んでいるハープ・プレイヤーはみんな女性だったので、おのずと女性をフィーチャーすることになりました。

なるほど。そうしたハープの導入などによりあなたの作品はアリス・コルトレーンやドロシー・アシュビーたちの作品と比較されることも多く、またあなた自身もアリス・コルトレーンのカヴァーやトリビュート曲を手がけたことがあります。あなたのサウンドの特徴でもあるハープですが、とりいれるようになったきっかけを教えてください。

MH:おっしゃるとおり、アリス・コルトレーンやドロシー・アシュビーの影響で、自分の音楽にもハープをとりいれるようになりました。ザ・シネマティック・オーケストラの『Every Day』(2002年)というアルバムでもアリス・コルトレーンがサンプリングされていて。それらがきっかけですね。あと、自分はメディテイション(瞑想)やスピリチュアルなライフスタイルにも興味があって、ハープのメディテイティヴな部分やピースフルな音色が、 自然と自分の音楽にも入ってきたんです。

いまお話に出た瞑想的な部分、メディテイショナルな側面はあなたの音楽の大きな特徴で、ゆえにスピリチュアル・ジャズと呼ばれることが多いかと思います。他方で、ロサンゼルスのカマシ・ワシントンやロンドンのシャバカ・ハッチングスのスピリチュアル・ジャズなどとは異なり、激しいフリー・ジャズのような演奏がされることはあまりありません。基本的にモード演奏をベースに、ときに静穏で理知的です。ご自身としては、自分の音楽についてどのようにとらえていますか?

MH:まず、わたし自身がリスナーでありミュージック・ラヴァーだと思っているので、そういった意識のもとで音楽をつくっています。その過程でピースフルな感じやメディテイティヴな要素が入ってくるのかな……トランペッターとしては、ほんとうに自分が信じるものを吹いているので、レコードに比べるとやはりライヴのほうが心から火がほとばしるような演奏ができるなと思います。ですが、やはりレコードやアルバムという作品のフォーマットを考えると、最初から最後まで楽しめる作品をつくりたいので、ソウルフルな要素や空間の広がりを感じさせる雰囲気、心が落ち着くような部分も大事にしています。


Blue Note Tokyoでのライヴ。Photo by Takuo Sato

ふだんリスナーとしてアンビエントやニューエイジもよくお聴きになるんですか?

MH:そうですね。エレクトロニック・ミュージックやネオ・クラシカルと呼ばれる音楽、もちろんジャズもそうなんですが、それらのなかにもアンビエントといえる音楽があると思います。たとえばジョン・ハッセルブライアン・イーノスティーヴ・ライヒニルス・フラームオーラヴル・アルナルズなど。そういった実験的な、アンビエントにつながるような音楽はよく聴きますね。

ジョン・ハッセルがお好きなのは、やはりトランペット奏者という点からでしょうか?

MH:たしかに、ジョン・ハッセルにはトランペッターという部分でも惹かれました。いま〈ゴンドワナ〉に所属しているポルティコ・カルテットというバンドにも、ジョン・ハッセルの音楽と通じるところがあります。わたし自身も彼らの音楽のファンですし、キャリアのスタートもおなじ時期でしたし、ポルティコ・カルテットのほうもジョン・ハッセルのファンとして音楽をつくっていたり、いろいろなつながりがあります。トランペッターで面白い音楽をつくっているアーティストがいると、いつも興味を持って聴くようにしています。たとえばDJ KRUSHの作品で、トランペット奏者の近藤等則と共作したアルバム『記憶 Ki-Oku』(1996年)がありますが、その演奏もすごく好きです。

近年の『Salute To The Sun』(2020年)や『An Ever Changing View』(2023年)といった作品では、自然界の音をフィールド・レコーディングで用いたり、カリンバやマリンバといったアフリカ由来の原初的な楽器を交えたり、より素朴で自然を感じさせる音を奏でる工夫が為されています。アンビエントや環境音楽に通じるところもあるわけですが、こうした自然や大地への回帰にはどのような意図があるのでしょう?

MH:先ほども言ったように〈ワープ〉が好きで、ボーズ・オブ・カナダなど、これまで聴いてきた作品のなかにフィールド・レコーディングをとりいれているものがあって、それがきっかけですね。ジャズというジャンルではフィールド・レコーディングの手法をとりいれたものが少なかったので、挑戦してみたという理由もあります。また、わたしがフィールド・レコーディングをした場所は、自身が作品を書いた場所でもあるので、リスナーの方に自分が作品を書いたのと同じ場所に一緒に入って楽しんでほしい、という意図もあります。

ジャズというジャンルではフィールド・レコーディングの手法をとりいれたものが少なかったので、挑戦してみたという理由もあります。

この度、ベスト盤の『Togetherness』がリリースされています。これまでの活動を振り返ってみて、どのように感じていますか?

MH:これまでの活動を振り返ってみて、自分がいまここにいられることをほんとうに嬉しく思っています。キャリアにおいては、自分と楽曲との物語がもちろんあるわけですが、いろんなひとに「この曲を聴いて、こう感じたんだ」といったようなエピソードを聞かせてもらうと、「自分の音楽がひとを助けてきたんだな」ということを実感できて、ほんとうに幸せです。それと、日本に来て演奏することも、ずっと願ってきたことだったんです。じつはファースト・アルバムを出す2008年よりも前の、2003年に初めて日本を訪れたことがありました。自分の音楽キャリアがはじまるずっと前から、日本で演奏したいと考えていたんです。だから、ベスト盤を日本で出してライヴまでできるということはほんとうに大きな成果だと思っています。

今回のベスト盤には10曲が収録されていますが、核になっているのは実質的に4枚のアルバム、『Colour Yes』(2009年)『Fletcher Moss Park』(2012年)『Into Forever』(2015年)『An Ever Changing View』(2023年)からの曲ですよね。この4枚が中心になった理由を教えてください。

MH:今回のベスト・アルバムの選曲をするにあたっては、たんにひとつのアルバムから1曲を選ぶのではなく、通しで聴いたときに自分のキャリアにとって大事だった時期と、自分がつくってきた「ある音」を象徴するような1枚にしたかったので、どちらかというとDJ、プロデューサー的な脳が働いて、どうやったらフロウ(流れ)をつくれるのかということを意識して選曲しました。もちろん、去年リリースした『An Ever Changing View』からも選曲したかったし、『Fletcher Moss Park』も自分のキャリアにおいてもっとも成功を収めたアルバムだったので、そこからも選曲したくて。そういうことを考えつつ、あとは流れをつくるために、この4枚からの選曲になりました。

とくに思い入れの深い曲はありますか?

MH:1曲選ぶとしたら “Together” ですね。15年前にリリースした楽曲で、今回のコンピレーション・アルバムのタイトルにもつながりますが、「together」ということばに「unity」や「peace」といった意味も込めてそう名づけたんです。15年経ったいま、そうした世界平和にもつながるようなメッセージがより大切に感じられるようになってきていますよね。それと、ライヴでこの曲を演奏するときに、オーディエンスと自分がおなじ空間のなかで音楽を楽しめるように、という意味もあります。いまでもこの曲を演奏すると、ピースフルな雰囲気だけでなく、観客からの熱気や喜びも感じられて、自分とオーディエンスのつながりを深く感じられるんです。あと、これは余談ですが、この曲は『Colour Yes』に入っていて、そのアルバムは以前一度リイシューしているんですが、そのタイミングでこの曲がプレイリストに入って、より多くの方に楽しんでもらえるようになりました。だから自分のキャリアのなかでもっとも成功した1曲と言ってもいいと思っています(笑)。

最後に、あなたの音楽を聴いているリスナーに向けて、メッセージをお願いします。

MH:ほんとうにみなさんのサポートに感謝しています。こうして日本で記事が出るということもほんとうに嬉しく思いますし、自分の音楽がこれからもいろんなひとたちとつながっていくことで、また日本に来て演奏できることを楽しみにしています。

Fennesz - ele-king

 今年5月に新曲 “Sognato di Domani” を発表し、ニュー・アルバム『Mosaic』の予告をしていたオーストリアのギタリスト、フェネス。前作『Agora』以来5年半ぶりとなるその新作がついにリリースされることになった(件の “Sognato di Domani” は未収録)。どうやらこれまででもっとも内省的な作品に仕上がっている模様。CD盤は12月4日に日本先行発売、日本独自リリースとなるLPは来年2月19日の発売を予定している。ちなみに、今回プレスショットを撮影しているのはアルヴァ・ノトことカールステン・ニコライです。

ギターとコンピューターで無二のエレクトロニック・サウンドを創出するフェネスことクリスチャン・フェネス、約5年半ぶりのニュー・アルバム。おそろしいほど精緻に構築された音像が途方もなく美しい無比の傑作。LPは日本独自リリース

これはフェネスのこれまででもっとも内省的なアルバムである。2023年末に作曲・録音され、2024年夏に完成した。フェネスはこの4年間で3つ目となる新しいスタジオ・スペースを開設した。さしあたっての構想はなく、今回は厳格な作業ルーティーンでゼロからスタートした。朝早く起きて正午まで作業をし、ひと休みしてまた夕方まで仕事をした。最初はアイデアを集め、実験し、即興で演奏するだけ。その後、作曲、ミキシング、修正。しかし、タイトルは早くから決まっていた。『モザイク』だ。それは、要素をひとつずつ配置して全体像を構築するという、ピクセルが一瞬でそれを行うようになる以前の、旧式の画像作成技術を反映したものだった。

『モザイク』は、その名前が示す通り、繊細かつ複雑なアルバムで、音の断片をつなぎ合わせて広大で没入感のあるものにしている。まるで忘れられた記憶を復元するかのように、あるいは、音のモニュメントを構築するかのように、フェネスは細心の注意を払い、ほとんど瞑想のようなプロセスでこの作品を一層一層、組み立てた。

『モザイク』は、多様な影響と、リスナーによって探求される複数の可能性を備えた、映画的で非常に魅力的で美しいスコアである。

『モザイク』でフェネスは、彼が単なるミュージシャンではなく、音の建築家であることをふたたび証明した。たとえ一瞬であっても、エーテルに溶け込む前に、われわれが生息するための世界を作り上げている。科学と夢が出会い、精密さと詩が出会い、音そのものがわれわれを再発見へと誘う古代の言語となるアルバムだ。まさに珠玉だ!

https://www.fennesz.com

《リリース情報》
ARTIST: FENNESZ
アーティスト:フェネス
Title: Mosaic
タイトル:モザイク
【CD】
商品番号:PCD-25436
価格:定価:¥2,750(税抜¥¥2,500)
発売日:2024年12月4日(水)
解説付
日本盤のみのボーナス・トラック1曲収録
日本先行発売
【LP】
商品番号:PLP-7516
価格:定価:¥4,500(税抜¥4,091)
発売日:2025年2月19日(水)
日本独自企画
初回生産限定盤

収録曲
1. Heliconia
2. Love and the Framed Insects
3. Personare
4. A Man Outside
5. Patterning Heart
6. Goniorizon
7. Reversio*
*Bonus Track for CD Only

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