ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. Beatrice M. - Sinking | ベアトリス・M
  2. Visible Cloaks - Paradessence | ヴィジブル・クロークス
  3. CAN ──まだあった! カンの蔵出しライヴ音源シリーズ、新たに1975年南仏録音が登場
  4. Fumiya Tanaka ──Fumiya Tanaka主催パーティ〈CHAOS〉東京編、ゲストはStones TaroとLomax
  5. 巻紗葉インタヴュー・マラソン ロールシャッハ・ノート #4 eastern youth 吉野寿 前編  | イースタン・ユース
  6. R.I.P. Miru Shinoda 追悼:篠田ミル
  7. Columns #16:ワールドカップ2026 ──時代は変わった(日本代表のことではない)
  8. Ryo Isobe ——磯部涼の新著は『脱法』
  9. YHWH Nailgun - Magazine | ヤハウェ・ネイルガン
  10. 巻紗葉インタヴュー・マラソン ロールシャッハ・ノート #5 eastern youth 吉野寿 後編  | イースタン・ユース
  11. Columns Boards of Canada ボーズ・オブ・カナダの帰還  | ──その軌跡、その影響、そして13年ぶりの新作『Inferno』をめぐって
  12. Columns 6月のジャズ Jazz in June 2026
  13. Takashi Imashiro ──『化け猫あんずちゃん』で知られる漫画家、いましろたかしによる絵本『あそこまで いってみよう』の原画展が開催
  14. 追悼・蜷川幸雄(前編)
  15. Columns Introduction to P-VINE CLASSICS 50
  16. Cornelius ——コーネリアス、ニュー・アルバム『REFRACTIONS』の詳細を発表
  17. Columns Stereolab ステレオラブはなぜ偉大だったのか
  18. interview with Loraine James ロレイン・ジェイムズの“ポップ”な冒険 | ——来日直前インタヴュー
  19. Brian Jackson - Now More Than Ever | ブライアン・ジャクソン
  20. 異次元の常識──パンク/ハードコアの思想とメッセージ
/home/users/2/ele-king/web/ele-king.net/

Home >  News > RIP Drummie Zeb - ——UKレゲエを代表するバンド、アスワドのドラミー・ゼブが62歳で死去

RIP Drummie Zeb

RIP Drummie Zeb

——UKレゲエを代表するバンド、アスワドのドラミー・ゼブが62歳で死去

Sep 05,2022 UP

 アスワド(Aswad)はボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズやバーニング・スピアらの影響下でUKに誕生したルーツ・ロック・レゲエ・バンドで、UKレゲエのパイオニア、その代表的な存在のひとつに挙げられる。去る9月2日、バンドのヴォーカルでありドラマーだったドラミー・ゼブが永眠したことを英国のメディアがいっせいに報じた。
 アスワドに関しては、最初の3枚のスタジオ・アルバム、最初のダブ・アルバム、最初のライヴ・アルバム、最初の編集盤『Showcase』は必聴盤である。また、ドラミーの活動領域は幅広く、セカンド・サマー・オブ・ラヴの時代にはポール・オークンフォルドによるMovement 98のヒット曲「Sunrise」にて見事なリミックスを披露したり、ウルトラマリンの「Barefoot E.P.」においてもリミキサーとしてカール・クレイグやリチャード・H・カークらとともに名を連ねている。それから、アンドリュー・ウェザオールはアスワドの“Warrior Charge”をオールタイム・フェイヴァリットに挙げている。
 アスワドは1984年に初来日し、いまは無き後楽園ホールでライヴを披露しているが、ほとんど同じ時期に初来日したスティール・パルス(同じく初期UKレゲエの重要バンド)が座席指定の立ち見禁止ライヴだったのに対して、アスワドは座席無しのオールスタンディングだった。いまでこそこれは当たり前だになっているが、当時の日本ではパンクのライヴでさえも座席指定が常識だったので、このときはアスワドのパフォーマンスも素晴らしかったが、オーディエンスがみんな自由に踊ることができるライヴ公演自体が画期的だった。

 初めてレコード店でアスワドのファースト・アルバムのジャケットを見たとき、その神秘的なアートワークに魅了されてしまった。買いたかったが、ジャマイカ産以外のレゲエは認めなかったこの頃の日本の音楽誌の辛口の評を読んでいたので、最初はスルーした。2回目に見たときも3回目も……、スルーしながらもそのジャケットを見るたびに魅了され続け、結局、迷いに迷った末に買った1枚となった。後日、このジャケットがプリントされたトレーナー(おそらくバッタ物)を服屋で見つけたときは、もう迷うことはなかったけれど。それにしてもこのアルバムは1976年のリリースだから、当時ドラミーは17歳、後楽園ホールのときは20代半ばということになる。そうか、そんなに若かったのか。エネルギッシュな演奏だったもんな。あのときの“African Children”は、老人力がついてきたいまでも忘れることができない。(野田)

NEWS