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はたしてアンビエントの分野にはまだ冒険の余地が残されているだろうか。パンデミックを機にあまりにもリリース量が増え、独創的とはいいがたい音源と遭遇する頻度も増した今日。あるいはストリーミング全盛の時代にあって、それは作業BGMや商業施設の環境音楽と区別がつきにくくなっている。
たんに無視できるだけではなくて、集中もできること。忘れられがちだが、それこそがアンビエントの出発点だった。深い聴取に耐えうるためには、都度そこになにかしら新しい発見がなければならない。アンビエントがその条件を満たし、以後発展をつづけることができたのは、そもそもそれがテープ・ループの実験として誕生したからではないだろうか。切ったり貼ったりするわけだから、テープ編集それ自体がサウンド・コラージュである。つまり、アンビエントはマイルス・デイヴィスとテオ・マセロ、あるいはカンとホルガー・シューカイの文脈につらなる、編集の音楽でもあるのだ。
リヴァプールのアンドリュー・PM・ハントは、現代においてサウンド・コラージュとしてのアンビエントを拡張しようと奮闘する挑戦者のひとりだ。サイケデリックなポップ・バンドのアウトフィット、ミニマリズムを探求するインストゥルメンタル・アンサンブルのエクス・イースター・アイランド・ヘッド、その主要メンバーと組んだランド・トランスなど多くのグループに参加する彼は、ダイアレクト名義のソロ・プロジェクトでさまざまな具体音や生楽器、電子音を切り貼りし、独自の夢想的なサウンドを紡いでいる。すでに4枚のアルバムが送り出されているが、彼の名をもっとも広めることになったのは、室内楽の要素も導入した前作『Under ~ Between』(2021年)だろう。
通算5枚目のアルバム『Atlas Of Green』も創意工夫に満ちている。再生ボタンを押すとリラックスしたギターの演奏に導かれ、素っ頓狂な笛らしき音が乱入してくる。どことなく中世的なものを想起させるこの笛の音は全体のイメージを決定づけていて、次第に加算されていく弦やら鍵盤やら電子音、謎めいた人声、鳥の鳴き声なんかのなかでも際立った存在感を放っている。あるいは “Late Fragment” で主役を張る弦楽器。これまた古楽的な響きを携えているし、古びた電子機器のような音の反復が耳に残る8曲目のトラックは “Archaic Quarter Form” なんて題されている。インタヴューによれば、「グリーン」なる名前の主人公が過去の壊れた断片に遭遇しながら未来世界を案内する、というのが本作のアイディアのようだ。
コンセプトの面でこのアルバムは、三人の人物からインスパイアされている。ひとりはアメリカの作家ジーン・ウルフ。冒頭 “New Sun” の曲名はおそらく、寒冷化した未来の地球が舞台となる小説『新しい太陽の書』からとられたものだろう。もうひとりもアメリカの小説家で、『ゲド戦記』で有名なアーシュラ・K・ル=グウィン。彼女は「わたしたちは資本主義のなかに生きていて、その力から逃れられないように見えます。でも、かつて王権神授説もそうでした」なんて鋭い寸言を残していることでも知られている。三人目はフェデリコ・カンパーニャなるイタリアの哲学者。検索してみると、「想像の深みを掘り下げて、現在の技術主義と国家資本主義の神話にたいしてオルタナティヴな現実を創造することができるような、新しい構造を探す必要があります」なんて発言が見つかる。ようするに、三人ともそれぞれのやり方で、未来についてあれこれ考えている、と。
振り返れば、ドレクシアのアフロフューチャリズムには奴隷船という過去と海底で高度に発達した文明という未来が同居していたのだった。アンドリュー・ハントは白人ではあるものの、彼もまた近代以前の古き民衆的なものを呼び起こしながら他方で未来を想像するという、大胆な冒険を試みているわけだ。深く惹きこまれる音のコラージュによりアンビエントの可能性を広げる本作は、他方で「失われた未来」のような考え方からの脱却をはかってもいる、と。
ここ数日、米大統領選の速報に翻弄されながらも不思議と平常心を保っていられたのは、このアルバムが表現する「ポスト未来」のサウンドに接していたからかもしれない。
小林拓音