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マキタスポーツ

マキタスポーツ

2019年3月27日@草月ホール

矢野利裕   Apr 15,2019 UP

平成という時代を鳴らすように──マキタスポーツ「平成最後のオトネタ」

 2019年3月27日、マキタスポーツによる「平成最後のオトネタ」と銘打ったライヴがおこなわれた。ちょうど原稿に追われていた時期でもあったのだが、なんとか仕上げ、草月ホールに駆けつけた。 はたして始まった「平成最後のオトネタ」ライヴは、平成の30年──それはちょうど、マキタスポーツが上京してからの30年と重なるという──を総括するような見事なものだった!
 オープニング、オウム真理教からSMAP解散、はたまたささやき女将まで、世間やワイドショーを騒がせたフラッシュ映像が流されたあと、マキタスポーツ十八番とも言える長渕剛のパロディが披露され、場内は笑いに包まれた。いや、正確に言うとパロディではなく、FNS歌謡祭で歌われた“乾杯”の完コピなのだが、ともかく、長渕自身の過剰なアレンジを再現するマキタスポーツの姿に客席は沸いた。

 芸人・ミュージシャンとしてのマキタスポーツは、アーティストの似顔絵をスケッチするような「作詞作曲モノマネ」や、アレンジひとつで楽曲をがらりと変容させてしまうようなパロディ芸に定評がある。その根底にあるのは、音楽に対する鋭い分析眼に他ならない。その人をその人たらしめている要素を正確に分析することによって、「作詞作曲モノマネ」もできるしパロディとしてズラすこともできる、ということだ。その点において、マキタスポーツのパフォーマンスは、古川ロッパの声帯模写からタモリや清水ミチコにいたる文体模写的なモノマネの系譜にある。そのようなたしかな分析眼のもと、ライヴ冒頭では、ミスチルをはじめとする個性的なアーティストが「作詞作曲モノマネ」され、パロディ化されていた。あるいは“X-WORLD”という演目では、X-JAPANの代表曲“紅”に対して、次々と各国風(中国風、ジャマイカ風、ロシア風……)のアレンジが加えられていた。ここに遠く、大瀧詠一『LET'S ONDO AGAIN』の試みが響き合う。後半冒頭にあたる「マッシュアップシリーズ」では、「サチモス」と「音頭」を掛け合わせた“STAY TUNE音頭”が披露されていたが、そこではやはり、“LET’S ONDO AGAIN”や“イエローサブマリン音頭”といった一連の大瀧詠一ワークスを思い出す。
 さらに、“縁の下の力持ち”という演目では、米津玄師“Lemon”や星野源“Pop Virus”に使用されている効果音に注目し、その効果音をネタにした芸をしていた。パフォーマンスの中身を言葉で説明するのは難しいし、正直野暮ったいところもある。笑いつつ思ったのは、J-POPのサウンド的なアップデートに対応するかたちでマキタスポーツの芸それ自体も更新を目指されている、ということだ。平成とはなにより、J-POPが定着し大きく更新した時代でもあった。

 そんなマキタスポーツによる「平成31曲オトネタメドレー」は圧巻だった。それは、「平成31曲」を面白おかしくパロディ化するとともに、「平成」の時代精神を見事に切り取っていたからだ。例えば、ZARD“負けないで”に対しては、同曲における自己啓発要素とその暴力性が強調されるかたちでパロディ化されていた。あるいは、あらゆる歌詞における「きみ」を志村けん風に「チミ」と言い換え、楽曲の世界観を台無しにしてしまうネタ。「愛のままにわがままに僕はチミだけを傷つけない」(B'z“愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない”)「振り返るといつもチミが笑ってくれた」(藤井フミヤ“TRUE LOVE”)「たとえばチミがいるだけで」(米米クラブ“君がいるだけで”)などなど、真面目な歌詞の世界に突然、変なおじさんが割り込んでくるようでおかしいのだが、同時に、J-POPがいかに「きみ」という二者関係のみを問題にしていたか、ひいては、いかにJ-POPが社会に背を向けていたか、が示されているようでもあった。

 だとすれば、マキタスポーツのネタのおかしさとは、J-POPそのものが、そして平成という時代そのものが抱えるおかしさなのではないか。だって、マキタスポーツの表現は、アーティストなり楽曲のもっている一面を拡大し強調するものなのだから。マキタスポーツの芸におかしさを感じるとすれば、それは同時に、ネタ元である平成のJ-POPたちにおかしさ(滑稽さ・奇怪さ)を感じていることに他ならない。誰もがなんとなく抱いている感触を、実際に言葉にし、表現にし、明らかにすること。そのような行為を一般に批評と呼ぶ。マキタスポーツが批評的だと言われるゆえんだ。「平成最後のオトネタ」は、社会が深刻になるほどに自己啓発的でポジティヴになる、J-POPのありかたを、平成という時代を、鋭く批評していた。

 ラスト、「アンコール」(という演目があること自体がマキタスポーツおなじみの皮肉である)で披露された、「誰かがなんとかしてくれるはず」と連呼する「大丈夫、たぶん」という曲は、J-POPで歌われがちな〈大丈夫ソング〉的なものが、実際は無根拠な〈他力本願ソング〉であることを指摘するものだと言える。その意味で「大丈夫、きっと」は、最近のライヴではしばしば披露されていた曲ではあるものの、とくに「平成最後のオトネタ」のラストを飾るにふさわしい曲だった。

 と、ここまでなかば解説的に書いてきた。しかし、さらに踏み込もう。徹底した分析眼のそのさきへ。メタメタな分解作業のそのさきへ。ここからは、いち受け手としての矢野利裕が見たマキタスポーツの姿だ。

 どんなに分析しても解けない魔法がある。どんなに分解しても残るなにかがある。マキタスポーツが徹底的にアーティストを分析するとき、むしろその態度はロマン主義的に映る。長渕剛を徹底的に分析し、再現しようとするとき、突きつけられるのはむしろ、どうしたって長渕剛になれない、ということである。あるいは、どこまで行ってもマキタスポーツはマキタスポーツだ、ということである。マキタスポーツの変幻自在で批評的なパフォーマンスに触れたときに感じているのは、逆説的なことながら、マキタスポーツの圧倒的な身体のほうなのである。
 マキタスポーツの著書『一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)を振り返りながら考える。あらゆるものにツッコミを入れ続けた平成の終わり、起こっていることは身体性の復権なのではないか。あまりにも細分化したマナーとコードに張り巡らされた現在、求められているのは、説明不要の圧倒的な身体の躍動ではないか。それは例えば、他の追随を許さぬ長渕剛のような。
 考えてみれば、長渕剛がそうだったのだ。よしだたくろうになりたくて、ボブ・ディランになりたくて、ブルース・スプリングティーンになりたくて──でも、最後の最後は長渕剛以外の何物でもなくて。その誰にもなれなさのさきに、唯一無二の〈おかしさ〉に満ちた長渕剛の身体の躍動があった。どこかで聞いたことのある言葉やメロディかもしれないが、長渕剛が歌うとき、そこには唯一無二のオリジナルな響きがあった。人によっては笑ってしまうほど、しかし無視できないほどの過剰な表現。マキタスポーツが完コピしようとしたのは、そんな長渕剛的身体だった。それは知的な批評以上に、躍動的な身体を目指すことの表明である。

 いや、このことすらマキタスポーツの表現は織り込み済みなのだろう。というのも、今回のライヴでは、「記憶の森」という身体で魅せる堂々たるパフォーマンスがなされたからだ。このミュージカル仕立ての新作が、個人的には傑作だった。「香川照之の名前が思い出せない」というあまりにも日常的なひとコマについて、延々と20分かけて「記憶の森」のなかをさまよいながら、マキタスポーツがひとり三役で歌い、踊る。この仰々しい20分が本当に馬鹿馬鹿しくて、おかしくておかしくて。ずっと笑っていた。わけのわからない凄みすら感じた。必見である。
 非常に本格的な振り付けだったが、昨今のミュージカルの流行を意識しただけではない。たいしたことないことに対して仰々しく歌って踊る、それによっておかしな世界が出現する、というミュージカルの表現が、マキタスポーツのライヴには必然的に求められていたのだ。その身体ひとつの躍動で世界が一変するような表現こそを、平成の終わりのマキタスポーツは追求していたのだ。まわりくどいことを言っているようだが、なんのことはない。現在のマキタスポーツはとくに、パロディの元や文脈を知らなくとも、表情や動きがすでにじゅうぶんにコミカルであり、面白くて笑えるところがある。音楽に詳しくない人や子どもにだって喜んでもらえるように。 不思議な言いかただが、あらゆるアーティストに変身し「モノマネ」するマキタスポーツを通して、マキタスポーツの身体性を再発見されるのだ。
 そして、このようなありかたを強く体現するのが、西野カナ“トリセツ”のパロディ、“トリセツおじさん”に他ならない。だんだんとポンコツになってくる「おじさん」の様子を「トリセツ」風に歌ったものだ。今回のライヴでは、「平成31曲オトネタメドレー」のラストを飾っていた。
 なぜ俺は、この“トリセツおじさん”がこんなにも好きなのか。それは、この曲を聴くときいつも、西野カナのパロディを通して、歌い演奏するマキタスポーツの唯一無二の「おじさん」的身体が迫り出してくるように感じるからだ。頭では西野カナの替え歌を聴いているわけだが、触れているのはマキタスポーツの「おじさん」的な身体の躍動、リズムとメロディである。この意味と躍動の二重性に、妙に心動かされてしまうのだ。本当に。マキタスポーツの本領は知的な批評性ではない。かと言って、難しいことを考えないノリの良さでもない。徹底した批評のさきに再発見される身体の運動である。その運動や振動に触れることがマキタスポーツのライヴにおいて大事なことである、と思っている。
 しかし、個人的には、あらゆる音楽がそうなのだ、と思う。僕らはともすれば、音楽の歌詞に感動しているように錯覚するが、本当は音楽をめぐる躍動感に触れているのではないか。その躍動感をほんの一部でも自分のものにしようと、鼻歌を歌ったり、面白おかしくモノマネをしたり、カヴァーをしたり、カラオケで歌ったりするのだ。そこにこそ、音楽の喜びがある。そのような喜びとともに軽薄に広がっていく歌のかたちがある。その軽薄さを前面に押し出すものとして、コミックソングのようなものがある。
 ここまでくると、半分告知を兼ねていることを言わねばならない。本文冒頭で筆者が追われていたものとは、『コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史』という書籍の最後の最後の原稿作業であった。明治時代のオッペケペー節に添田唖禅坊。エノケンにあきれたぼういず。美空ひばりにスネークマンショー。そして、現在ではピコ太郎やマキタスポーツにいたるまで。さまざまな局面で音楽は笑いとともに歌われ、広がっている。そのような笑いとともにある音楽の、その無限の広がりの一端を僕なりに紡いだのが、『コミックソングがJ-POPを作った』という本である。でも、お世辞とかステマとかではなく、そのような音楽の軽薄な部分に強く目を向けさせたひとりが、僕にとってはマキタスポーツだったのだ。先日の「平成最後のオトネタ」には、平成という時代を彩ったありとあらゆる音楽の喜びが、マキタスポーツという身体の借りながら鳴らされているような感触があった。願わくば、自分の本において少しでもそのような感触が存在しますように。

矢野利裕