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Album Reviews

Radian

ExperimentalPost-Rock

Radian

On Dark Silent Off

Thrill Jockey/HEADZ

Tower Amazon

デンシノオト   Dec 01,2016 UP
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 7年ぶりのラディアンの新作『オン・ダーク・サイレント・オフ』は、 トラピストのギタリスト、マーティン・ジーヴェルトが加入したことでエレクトリック・ギターが全面化し、このバンドのサウンドに内包されていた「ロック」と「ポストロック」の問題が、より全面化したように思える。では「ロック」とは何か。簡略化していえば、「ロック」とはリフとビートとノイズであり、それらが電気によって増幅された/される大衆音楽である。ロックにはそもそも非楽音と楽音が内包されていたのだ。

 対して「ポストロック」とは、「録音と編集」の問題が全面化する音楽といえよう(となれば録音作品/商品としてのロック・ミュージックは最初からポストロックたることを「運命づけられていた」)。ポストロックとはロックの継続性と可能性と拡張の問題なのだ。つまり、カート・コバーンの死によって「終わった」とされた「ロック」の荒野に留まることを選び、その場所で、そこに内包されていた可能性を追求していった音楽。そこでの鍵は「演奏」から「聴くこと=編集」への変化である。いまや、ポストロックとは「エモい」インストロック程度に認識されている言葉だが、むしろロック以降の環境の問題なのだ。その環境とは20世紀的な何か(複製、消費、リサイクル)でもある。

 その「ポストロック」においてラディアンは、トータスらに続く世代のバンドだ。ポリヴェクセル、トラピストのメンバーであるドラムのマーティン・ブランドルマイヤー、インノードとしても活動し、ソロ作(2008年リリースの傑作『フィルム』!)もリリースしているシンセ、ギターのステファン・ネメス、さらにエンジニアであるベースのジョン・ノーマンら、いわばオーストラリアはウィーンの音楽家/インプロヴァイザー/エンジニアらがオリジナル・メンバー。彼らは98年に最初のEP「ラディアン」をリリースする。つづく00年に〈メゴ〉からファースト・アルバム『TG11』を発表。そして、トータスのジョン・マッケンタイアをエンジニアに迎え、02年に〈スリル・ジョッキー〉からセカンド・アルバム『Rec.エクスターン』を、04年にサード・アルバム『ジャクスタポジション』をリリースした。これらEPとアルバムの衝撃は凄まじいものであった。ここ日本でも『Rec.エクスターン』と『ジャクスタポジション』の時期は、佐々木敦氏が主宰する〈ヘッズ〉から刊行されていた雑誌『FADER』で特集が組まれ、〈ヘッズ〉から『ジャクスタポジション』やトラピスト『ボールルーム』の国内盤もリリースされたこともあり、「ウィーン音響派」は熱心なリスナーを獲得した。大友良英氏も当時、ラディアンを高く評価していたと記憶する。じじつ、ラディアンのアルバムは、まるで無菌室で生成されたアブストラクト・ロックとでも形容したいほどの実験性と冷徹なクールネスがサウンドの隅々まで横溢しており、トータス、ガスター・デル・ソル以降、最大のポストロック/音響派といっても過言ではない刺激と斬新さと完成度を兼ね備えていたのだ。ガスター・デル・ソルやトータスが見出したロックの荒野(廃墟ではない)から始まる音楽である。

 換言すれば、ブランドルマイヤーをはじめとするメンバーらのインプロヴァイザーとしてのキャリアを「ロック」というフォームのなかに生成変化するようなスリリングさがあったのだ(その意味で、若いジャズ・ミュージシャンを起用したデヴィッド・ボウイの『ブラックスター』と比較してみるのもいい)。じっさいブランドルマイヤーのドラムは叩く、擦るなど、さまざまな方法で音を出し、まるでドラムセットをグリッチ・ノイズの発生装置としてしまう。そのブランドルマイヤーのドラムに、冷徹なネメスのシンセサイザーは非常にマッチしていた。くわえてノーマンのマシニックなベースもアンサンブルの骨組みを支えていた。完璧なトリオであった。しかし、09年にリリースされた『キマイリク』以降、アルバムのリリースは途絶えてしまう。また、ネメスがこのアルバムを最後に脱退したという。この時期は、ある意味、バンドにとってネクストを模索する時期だったのではないか。そして、5年後の14年、ハウ・ゲルブとのコラボレーション・アルバム『ラディアン・ヴァーサス・ハウ・ゲルブ』を突如、発表。その「成果」をふまえ、さらに2年後の2016年、ついに7年ぶりのオリジナル・アルバム・リリースとなったわけである。では、この月日で、ラディアンの何が変わり、変わらなかったのか。

 最初に書いたように本作ではトラピストのマーティン・ジーヴェルトが新ギタリストとして参加している(彼は本作のマスタリングも手がけている)。ジーヴェルトはブランドルマイヤーらとトラピストとして活動していることを考えると、この新ラディアンは、ラディアンとトラピストの融合のようにも思えるし(とはいえ彼らは皆、友人のはずだから、もっとカジュアルな加入だった可能性も高い)、ジーヴェルトのギターは当然ながらトラピストを思わせもする。では、トラピストとラディアンの差異はどこにあるのか。簡単にいえば、トラピストは即興演奏メインだが、ラディアンは演奏からポスト・プロダクションの間にある変化の比重が大きい点である。そして、本作のポスト・プロダクションの緻密さや大胆さは、まさにラディアン的としかいいようのないものであり、あのクールな無菌室実験ロックが本作でも展開されている。2曲め“オン・ダーク・サイレント・オフ”などに随所な傾向だが、いくつもの演奏ブロック(リフ/持続)を繋げていくような構成が実に見事である。ここではブランドルマイヤーやジーヴェルト、ノーマンらの個性的な演奏は、そのコアを存分に抽出したうえで、細部を切り刻まれ、組み替えられ、加工され、極めて斬新な音響空間を生み出している。ロックの遺伝子を拡張するかのように。

 アルバム・ラスト2曲“コーズ・アンド・サウンズ”や“ラスティ・マシーンズ、ダスティ・カーペッツ”は、前半から中盤の緊張感を霧の中に溶かすような楽曲だが、最終曲“ラスティ・マシーンズ、ダスティ・カーペッツ”のサイレンスの挿入には驚いた。無音にも関わらず、本作の再構築的な音楽を聴いてきた耳には、その静寂が、とても清冽に聴こえた。それは音楽の演奏、分解、再構築であり、作曲自体のリ・コンポジションから生まれたサイレンスのようにも思える。肉体と機械。楽音とノイズ。演奏と録音。時間と記憶。その交錯。つまりは現実の解体と再構築。そう、真のポストロックとは「現実=演奏以降」の音楽なのである。本作には、ラディアンが自らの肉体性に向かい合いながらも、それをさらにしなやかに解体していくようなスリリングな音響的な実験が全編に渡って実践されている。ここではエモーションですら、分解され再構築されるだろう。いわば「ポスト演奏」としてのラディアンが、ここに復活したのだ。

デンシノオト