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Gr◯un土

Oct 15,2019 UP

DJ file (13)

Gr◯un土

取材:野田努

 大阪の音楽シーンには得体の知れないモノを生む出す力がある。ことクラブ・カルチャーにおいては90年代初頭からそれはずっとあったし、いまも失ってはいないようだ。
 大阪らしさのひとつには、ボアダムス的な折衷主義がある。思いも寄らないものが同じ宇宙で渦巻くようなアレである。Gr◯un土(グランド)にもそうした大阪らしさを感じる。彼の音楽は、ハウス・ミュージックを基調にしながら、今福龍太のクレオール主義よろしく世界のいろんな文化がパッチワークされる。じっさい彼が音楽を作るのは移動中=旅先なのである。南米や欧州やアジアや、それぞれのとある街で作られた彼の音楽には、日本には欠落しているのであろうなにか(文化)が注入されている。ゆえにその響きは、感性を拡張させる。
 昨年リリースされたアルバム『Sunizm』がひとつのきっかけになって、じょじょにではあるが、彼のスロー・ハウスの魔力により広く注目が集まりはじめている。とはいえGr◯un土(グランド)は、すでに10年以上のキャリアを持っているので、もうベテランと言ってもいいかもしれない。なんにせよ、ぼくはようやくこの天性の旅人と話すことができた。

自分が影響を受けたDJは京都のMamezukaさん、Sinkichiさん、Daichiさん、大阪だとマスモト・アツコさん、Dr Masher。YA△MAさんにダビーなハウスを教えてもらったり、Akio Nagase君からもダブとエレクトロニクスが融合してる感じのをたくさん教えてもらいました。

DJをはじめたのは何年?

G:クラブで働きはじめたのが19歳くらいのときでそのタイミングです。

大阪のクラブ?

G:大阪のfireflyというクラブです。東心斎橋というエリアに、fireflyという小さいクラブがあって。

15年とか17年くらい前の話?

G:はい。

じゃあ2000年代頭?

G:はい。

2000年代初頭の大阪には何があったんですか?

G:たくさんあったと思いますが、ひとつはMamezukaさんがオーガナイズしていたJAMs、あとはお店の先輩Dr.Masherがオーガナイズするアンビエントを主体にしたClearというイベント、単純に自分が働いていたお店でやっているパーティからの影響が強かったと思います。大阪・味園ビルの一角に週末だけオープンするクラブ『鶴の間』や京都の『活力屋』など、自分はFireflyで働いていたので、なかなか週末抜けるのは難しく、仕事が終わってから、先輩や同僚と鶴の間やMACAOに遊びに行ったりもしました。でも、なかなか他の箱に遊びにいくのは難しかったりしましたけど。

ALTZ君とか?

G:ALTZさんの名前はもちろん知っていました。ベータランドというVJユニットだったり、YA△MAさん。FLOWER OF LIFEに遊びに行ったりもしました。毎回参加はしていませんが、EYEさんが17時間? 18時間?セットをMACAOでやってたのはいまでも記憶に残っています。「凄いな〜」って。

じゃあ、影響を受けたDJも?

G:自分が影響を受けたDJは京都のMamezukaさん、Sinkichiさん、Daichiさん、大阪だとマスモト・アツコさん、Dr Masher。もともとFireFlyで働くきっかけを作ってくれた服屋の方がFireFlyでダブのイベントをやっていたので、初めはニュー・ルーツ、ON-U関連とか、そこからNew Tone RecordsでYA△MAさんにダビーなハウスを教えてもらったりして。あ、こういうのもかっこいいなって。YA△MAさんは本当にいろいろ好みな音を教えてくれましたね。他にもAkio Nagase君からもいろいろなUKのムーディー・ボーイズとかダブとエレクトロニクスが融合してる感じのアーティストをたくさん教えてもらいました。

そこから自分でもDJをはじめたの?

G:はい。働いているクラブでイベントをオーガナイズしながら。自分でオーガナイズをすると、自分でもDJをする時間ができるので、そこからはじめました。

最初からグラウンドという名義だったんですか?

G:はい。Groundです。10年経ったときに土をつけたんですよ。Оをでっかくして、グラウンドのDを土にして(Gr◯un土)、10年目だし進化させて変えていこうと(笑)。

いまはでも普通の表記だよね。

G:いまは。この前〈ESP institute〉というレーベルからアルバムを出したんですけど、あのときに名義が英語じゃないとややこしいからというレーベル側とのやりとりがあったんです。ならGroundにしようって。DJ Ground名義でもいろいろ出していますが。いまでも日本でDJする時はGr◯un土って表記して貰ったりしてますが。

〈Chill Mountain〉というのは?

G:〈Chill Mountain〉は2005年大阪・南河内でスタートした野外のキャンプ・イベントの名前で、5年前に野外での活動はストップしたんですが。その後もコレクティブとして各自メンバーは活動しています。自分は大阪のエンジニアKabamixさんの協力もあって、Chill Mountain Recという名でレーベルを運営したり、オリジナルメンバーにDJ のTOSSYとKAZUSHI、ギタリストのCHILLRERU(現在は陶芸家の松葉勇輝)、デコレーションを担当するm◎m◎、BARBA(現在 ウッドワーカー)、デザインやSILKSCREEN PRINT(SILK LOAD)をしているMT.CHILLs。いま現在も各自、形は変われど表現者として活動しているので、タイミングでまた集まって開催したいなとも思ってもいます。

いつから曲を作りはじめたんですか? 

G:25歳とか。11年前くらいですかね。はじめはDJだけでした。働くクラブが変わって。もともと東京で〈SOUND CHANNEL〉というレーベルをやっていたTAIYOさんが、大阪、難波、味園に『鶴の間』をオープンさせて、その移転後、大阪、大正(SOUND CHANNEL)をオープンさせて、僕自身もそこで併設されてたレコ屋でAkio Nagase君のMake dub recordsを手伝いながらSOUND CHANNELで働いていました。
Taiyoさんに手伝わせて下さいって言ったのを今でも覚えています。その時にじゃあAKIOの店を手伝えよって。
いままでのオーナーはザ・オーナーという感じだったんですけど、そのクルーは自分たちでも曲を作っていて。何をやっていきたいのかをTAIYOさんに訊かれたときに、「DJで食べていきたいです」と言ったら「じゃあ曲を作らなくちゃだめだよ」って。初めてパソコンで曲を作るやり方を見せてくれたのもTAIYOさんでした。機材が無いと作れないと思っていた自分に、「MAC BOOKに元から入っているGarage Bandっていうソフトでもできるよ、初めはそこからやってみ」、と。仕事明けに横に座って付き合ってくれたのをいまでも覚えています。ヨシオ君(Dollop)も丁寧に教えてくれましたね。みなさんもうそんなこと忘れていると思いますが……。

ファースト・アルバムは2015年の『Vodunizm』?

G:はい。それまではミックスCDだったり、1曲だけコンピに提供したりしていました。2008年(『Sync』)がたぶんいちばんはじめです。

どういうコンピレーションだったの?

G:アンビエントとかブレイクビーツとか。〈Chill Mountain〉メンバーのTOSSYがO.Rとはじめたレーベルでしたね。

とにかく、ずっとアンダーグラウンドでやっていたんだ?

G:はい。オーヴァーグラウンドというものにまだ触れていません。触れる機会すらないですよ。あるんですかね? 触れる機会……。

自分の音楽性みたいなものの方向には、野外でパーティをやった影響が大きかった?

G:だと思います。

グローバル・ビートというか、エスニックな感性がグラウンド君の音楽の特徴だと思うけど、それはどこからきたの?

G:レコードを買っていくときに、無機質なものよりワールド・ミュージック・テイストなものがやっぱり好きで。どつぼやったのがオーブとか、レネゲイド・サウンドウェイヴとか、レーベルでいうと〈セルロイド〉とか。先輩がそういうのを教えてくれて。だからダブからはじまったんですよね。最初はジャマイカのダブを聴いていたんですけど、その後ダブっぽいベースラインのエレクトロニクスを好きになって。それでレネゲイド・サウンドウェイヴとかムーディ・ボ-イズとか知って。それで24歳くらいのときにイギリスに行きました。ユースさんとかアレックス・パターソンさんは実際どんな感じでやってんねやろみたいな(笑)。

会いに行ったんだ(笑)。すごいな。本人とは会った?

G:会いました。ホワイトチャペルっていうエリアに2ヶ月半くらい住んで、ユースさんがブリクストンのJammという箱でイベントしていて、通いました。もう成熟した大人の方々なので、「日本からこいつ好きで来たらしいで」みたいな感じでしたが。ただ、同世代の子がユースさんのパーティを手伝っていて、その子が興味を持ってくれて、仲良くなって。「DJやらしてもらえるように俺が言うから」ってその子が言ってくれたんですけど、しばらく住んでてヨーロッパの他の国に行ったんですけど再入国できず、結局イベントに参加できずDJできませんでした(笑)。フライヤーはいまも部屋に飾ってあります(笑)。ちょうど地下鉄テロが起きたときで、とくに厳しかったみたいですね。ドーバー海峡のトンネル経由のバスでドーバー海峡渡る前のイミグレーションで引っかかり、フランスからドーバー海峡渡れず、フランスに2週間くらいいました。

よく日本に帰ってこれたね(笑)。フランスでは何をしていたの? 

G:とりあえずパリに行って、ゲストハウス探して、荷物は全部イギリスにあったので、カバンひとつでって感じで。記憶が結構断片的というか。相当テンパってたんだと思います。泊まったゲストハウスの壁がベロンベロンに破れてたのが記憶に残ってるくらいですね(笑)。あと、大阪で過去に共演したDJの方と偶然の偶然に再会したり、みんなで地べたでサラダ作って食べたのとか覚えてますね。どこかでまた再会したいですね。パリから航空チケット買って名古屋空港経由で帰ってきました。

いきなりミックスマスター・モリスの家に行ったのも笑えるな。

G:日本人の友だちのYUKIさんという方の誕生日会をやっていて、行ったらフラットメイトがモリスさんで。レコードもたくさん持っていて、すごく優しい人でしたね。でも何年かあとに日本にモリスさんが来て、そのときのことを話したら覚えてなくて。いっしょにサン・ラーのヴィデオ見たのにって(笑)。ま、そんなもんですよね(笑)。

ALTZさんはバンドマンなので、ただのDJとは違って音楽的な部分もちゃんとあって。ああいうふうに歳をとれたらいいなぁって思いますね。みんなでバンドして楽しそうだなって(笑)。同級生の親友と見に行ったんですが、2人で見ながら、こういう風なの憧れるよなって。ALTZさんは天才です。

『Vodunizm』はどういう意味なの?

G:これは4年前に東京のDJの7eちゃんが「Voodoohop(ヴードゥーホップ)のトーマッシュというプロデューサーが来日するんだけど、絶対合うよ!」って紹介してくれて、大阪で彼をゲストに〈Chill Mountain〉コレクティブでパーティしたんですけど、そのときに。2歳かな?  僕の年上なんですけど、話をきいたら世界中を飛び回っていて。すごくおもしろいコレクティブで。世界には同世代にこういう子らがおるんかと思いました。で何故かヴォダンとかブードゥとかアフリカ発祥のいろんな文化も興味が出て調べたりして。精霊のこととか、すごくおもしろいなと思って。それでヴォダンにニズムを付けて「Vodunizm」。造語を作るのが好きなんですよ。精霊別のイメージで曲作ったりして。
トーマッシュに、どうやったらそんな風に海外を回れるのと訊いたとき、サウンドクラウドに曲をアップして良かったら連絡がくるよみたいな感じで教えてくれて。とりあえず曲ができる度にひたすらSOUND CLOUDにアップしていた時期があるんですよ。そのときにいろんな方面から連絡がきまして。そっから海外からのリリースや海外でのDJ活動もはじまりましたね。3年前にはじめてドイツ、ケルンとか、ヨーロッパに行きました。その前に韓国に行ったこととかはあったんですけど、ヨーロッパはそのときがはじめてでした。去年はメキシコ、チリ、ブラジルに行ったり。

中南米ツアーだね。それはどういう繋がりなの?

G:Voodoohopにフローレンスさんというフランス人の美しく敏腕な女性がいるんですけど、その人が全部繋いでいってくれて。ここでできるから、もう話しているからと進めてくれて。その人がチケットとかも用意してくれたり。泊まるところを提供してくれたり。本当に感謝しています。

行く先々で曲を作っているみたいだけど。

G:はい。

それはPCで?

G:いまも持っているんですけど、ラップトップだけで。あとは一応レコーダーみたいなものも持っています。それで録ったものを取り込んだり。

じゃあ誰か人の家で作るの?

G:そうですね。いちばん多いのはプロデューサーの家に行って一緒に作ろうって。あとはどこでも。アパートの階段で作ったりもしますよ(笑)。

そうやって作ったものが去年出たアルバム(『Sunizm』)?

G:これはレコードが出たのは去年ですけど、曲自体は2016年にできたものなんですよ。

これ、とくに1曲目、2曲目が最高にかっこいいです。

G:ありがとうございます。“Osaka Native”というのは、大阪ごちゃまぜで、あんまりポリシーみたいなものを持っていないというか。アフリカの音楽だけでとか南米の音楽だけでとか、僕の頭のなかではそれがごちゃまぜになって、地球民族音楽みたいな。(笑)。おもしろいところを組み合わせたらおもしろいんちゃうかなみたいな。そういうところが根本なので。“Osaka Native”も大阪ネイティヴと言っているんですけど、いろんなところの、日本民謡とかも混ぜていたりとか。結局自分は大阪人なんで。笑えてなんぼなんですよ。

なるほどね。全然大阪ネイティヴじゃないね。

G:人によってそう感じるかもしれませんが、これは自分にとっては“Osaka Native”なんですよね(笑 )。ごちゃっとした感じというかいろいろ混ざってるというか。かっこいいと感じでもらえてたら自分的には何でもいいです(笑)。

大阪の人ってそういう感覚があるよね。ボアダムスもそうだったし、いろんなものをいろんなところから持ってくる独特の雑食性。しかも、わけのわからない、脈絡のないものを持ってくるみたいなところがあるよね。

G:発想力が重要なんじゃないでしょうか? 面白さというか、人が思いつかないようなもの。とか。そういうことが沁みつきすぎていて、それが自分の色になっているんかなみたいな。これとこれは絶対やらんやろとか。そんなことばっかり。これとこれを混ぜたらめっちゃおもろいねんけどみたいな。コピーみたいなものを自分は全然面白いと思わないので。

今年出たアルバムの『Cashoeiracid』。これはいつの録音なの?

G:これは去年の音源です。去年、ヨーロッパと南米で。

大阪にいるときは作らないんだ(笑)。

G:作らないわけではないんですが、最近は海外で作ってきた作品を、大阪にあるKabamix氏のLMDスタジオでミックスを教えてもらいながら作業したり、海外で作ったものを作品として仕上げる、のに一杯一杯な所もあります。で出来上がったらリリースして次の国へ、みたいな感じです。

旅しているときに作るんだね。おもしろいね〜。

G:ずっと住んでいる場所は安心はするんですけど。初めての場所にいると全てが違うので、なんていうかゾーンに入りやすいんですよね。作りたいというスイッチが絶えず入っていて。ずっと作っています。観光いかんでいいんかとか、みんなに言われますけど(笑)。今年行ったエクアドルもけっきょく全然観光していない。ずっとPablo君(Shamanic Catharsis)とJuan diego Illescas君のスタジオで曲を作っていましたね。あ、何箇所かは行きましたよ!

グランド君の音楽のベースにあるのはハウス・ミュージックだと思うんだけど、ハウスはどこに行っても通用する?

G:難しい質問ですが。通用するとこ通用しないところいろいろあるんではないかと思います。サンフランシスコやカナダのバンクーバーの野外フェスに行ってきましたが、主流はベース・ミュージックなんだと思いましたし。世界のいまのシーンはテクノの人が多いかなと感じることはありますが。それはRAが主体な(これが世界のクラブ・ミュージックの中心)的な風潮なんじゃないでしょうか、この地球は本当に広いので、そういう媒体に取り上げられていないシーンもたくさんあると思います。そういうシーンをもっと知りたいなって。自分の目で耳で見たものが自分にとってはリアルなんで。媒体に取り上げられてない素晴らしい天才達を自分は知っているので。
インターネットが地球上に普及しているので。そういう媒体からみんなこういうのがいまの主流と錯覚して拾ってきている感じがしますね。以前だと雑誌から情報を得ていたと思うので。ただそれは全て日本人が日本人用に作ったもので、あって、という感じですね。日本で異常に人気がある海外アーティストがヨーロッパの同世代のなかでは全然知られてないっていうのもたくさんありますね。誰それ? みたいな。

すごいね。スケールがデカいなぁ。

G:10数年前に比べると自分たちの世代はめっちゃ恵まれていると思っているんですよ。インターネットにしても、海外に行くにしても、昔は本当に大変だったんだろうなと感じます。google翻訳やgoogle mapもあるし、情報を調べればなんでも出て来る。十数年前は海外の現場とかまで行くにしろ、その現地の言葉で運転手に伝えて、行くわけじゃないですか、騙されたりたくさんあったと思います。いまは最悪どうしようもなければアプリのUberに目的地入れてそこまでの料金が出てドライバーが迎えに来てそのまま現場に行けるので、騙されることもだいぶ減っていると思うんです。料金も出ているし、そのドライバーは騙したら自分のポイントも下がるので。そういう意味でもテクノロジーが発達したことによって海外でもDJは動きやすくなっているんじゃないかなと思います。自分はマネージャーもいないので、そう感じます。マネージャーがいるDJの方々はまた違うと思いますが。音源のデモテープとかもいまはメール1本で1秒後には地球の裏まで届くわけじゃないですか。なんで昔の方に比べると本当に時代が変わったんだと思います。あ、あくまで自分の場合は、ですよ。

新しいアルバムはいつでるの?

G:8月にエクアドルで作ったEPが自分たちのレーベル〈Chill Mountain Rec〉からリリースされます。いままではずっと〈Chill Mountain Rec〉という自分らの媒体でリリースもやってきているんですけど、僕はほんまにプロモーション能力もひく過ぎて。

これからもっと売れるますよ! ところでALTZ君とか元気ですか?

G:この前会いました。Kabamix氏がP.Aで所属しているALTZ.Pというバンドのリリース・パーティで豊橋まで見に行ってきました。ALTZさんの歌のパートも増えていて、ボコーダーで。めっちゃかっこよかったです。もともとALTZさんはバンドマンなので、ただのDJとは違って音楽的な部分もちゃんとあって。ああいうふうに歳をとれたらいいなぁって思いますね。みんなでバンドして楽しそうだなって(笑)。同級生の親友と見に行ったんですが、2人で見ながら、こういう風なの憧れるよなって。ALTZさんは天才です。

いまの大阪のシーンはどうなっているの?

G:一時期の壊滅期に比べると新しく発生しているクラブとかもあって。厳しい環境でも止めずにDJとして頑張ってシーンを作っている方もたくさん知っています。いま現場で残っている人たち筋金入りの本気な人たちだと思います、死ぬまでみんな活動するんだなと思います。いまは箱で働いているわけじゃないので、細かなシーンの様子は自分は把握していませんが。僕はいまレギュラーパーティを持っていないのでMamezukaさんとChariさんが主催する『奇奇怪怪』というパーティに定期的に参加させてもらっています。Mamezukaさんは京都で昔、Mashroomというクラブ作ったり、MEGA道楽というライヴや喜怒哀楽やJAMsというパーティをやっていたり、フジロックの前夜祭で毎年DJしていたり、活動、人間性、すごく影響を受けました。関西で豆さんの影響を受けた方々はたくさんいるんじゃないでしょうか。

あの人はすごい初期からがんばってるよね。同じ世代なのでね。昔からアンダーグラウンドでやっている。

G:自分にとって心のお父さんみたいな感じです。

でもマメちゃんは京都じゃなかった?

G:京都です。おもしろいパーティやってます。新しい音楽も取り入れていて。いまだに進化しています。なので、最新の音をやっていますね。クラシックに頼らず、進化する姿勢は本当に素晴らしいです。歳を取っても自分もそうありたいなと思います。ただ、マメさんはデータにはいかずに、自分の曲も絶対に「レコードで出んと俺はかけられへん」って。「マメさんめっちゃええ曲できたんですよ!」って。報告しても「ごめんな」って(笑)。レコードにならないとマメさんに使ってもらえないんで、そういう部分含めて自分にとって心の父なんです。簡単にはかけてもらえないという。
あ、でも、いちばん新しいのは「AMANOGAWA EP」というレコードなんです。ドイツの〈SVS〉というレーベルから最近出たやつで。Bartellowというドイツ人アーティストと僕が一緒にプロデュースしたやつで、彼の来日ツアー時にKabamix氏のLMDスタジオで作った曲で。
シンセサイザーにMAYUKoさん、ヴォーカルにArihiruaさんやMt.Chills、Kabamix氏も参加してくれています。BARTELLOW & DJ GROUNDという名義で出てます。それはマメさんに使って貰えるかもですね。笑

取材:野田努