Home > Columns > アルカ、音楽のオーヴァー・スペック- ──ポスト・インターネット・エレクトロニカ怪作『ミュータント』を聴く
アルカ / ミュータント |
アルカの新譜『ミュータント』は、彼のミックス音源の密度がアルバム一枚にわたって展開する驚異的な作品である。今年頭に突如リリースされたミックス音源『Seep』(16分56秒)の強度が持続する1時間06秒のアルバムとでもいうべきか(ちなみに日本盤にはボーナス・トラックが収録されている)。
これは決定的な変化でもある。何故なら2013年リリースの前作『ゼン』は、彼の作曲家としての個性が全面に出ており、ファースト・アルバムにふさわしい名刺のような秀作であった。対して本作は現代を生きる音楽家としての思考・呼吸・無意識が四方八方に炸裂するような極めてアクチュアルなアルバムに仕上がっている。先行公開された“ソーイチロー”などを聴くと前作のテイストに近いと思われてしまうが、これは一種のトラップだろう。じっさいアルバムは1曲め“アライヴ”から世界をズタズタに分断するかのような強烈な音響が展開されるからだ。まさに知覚がクラッシュしそうなほどのサウンドの情報量と快楽。私は、この「クラッシュ」感覚にこそアルカの現在性を聴き取ってしまう。
情報/感情、事実/主観、言葉/映像、ムービー/サウンドなどが渾然一体となり、蒸発しそうなほどに飽和している現代、いわば「ポスト・インターネットな空間」から、われわれ「人間」の感覚に注入されるデータという「モノ」たち。すでに人間の知覚は、インターネット的な「モノ」の官能性と刺激に晒され、オーバースペックにある。その先に待っているのは「クラッシュ」か。本作『ミュータント』には、そのような「クラッシュ」感覚が濃厚に圧縮されているように思えるのだ。
また、アルカやOPNの新作におけるアートワークやヴィジュアルは過剰なまでにグロテスクなものも多く、衝撃的な映像もある。が、しかし、真の問題はそこではない。先に書いたように私たち「人間」は、過剰な情報と官能の摂取で、いまや「クラッシュ」寸前であり、彼(ら)の音と映像は、その無意識と摂取の状況を的確に反映しているのである。アルカとヴィジュアルを担当するジェシー・カンダはいまをよく分かっている。そう。「クラッシュ=人間の終わり」の時代を。
だが、アルカの「クラッシュ」感覚が、単に露悪的なものに留まっていない点も重要である。彼の音楽の本質は、ラヴェルやドビュッシーなどフランス印象派の和声感覚を想起させる優雅なものだ。そこにアルカの作曲家としての本質もあるとは思うのだが、同時に、ヒップホップやインターネットのミックス音源からも強い影響を受けている彼は、その「優雅さ」を内側から炸裂・破壊させるようにトラックをコンポジションしていくのである。そう、彼は自分自身をクラッシュさせるように音楽を生み出している。そこから必然的に生まれるノイズもまた音楽のエレメントであり、決して反社会的な象徴としてノイズを用いるわけではない。構築・破壊・再生成のコンポジション。
その意味でアルカほど21世紀における人間の終わり(崩壊)を体現している音楽家もいないだろう。アルバム・ラストにして静謐な楽曲“ペオニーズ”が、まるで旧人類を葬送するレクイエムのようにも聴こえてしまうほどだ……。エレガント/クラッシュなポスト・インターネットにおける存在論的音楽。それがアルカの『ミュータント』だ。ここには新しい音楽が蠢いている。