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There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

第9回 銃口の前で踊り続ける

文:高島鈴 Oct 08,2019 UP

 狂った夏が過ぎ、狂った秋が来た。私は人生で初めて「なぜ酌をしないのだ」と怒られ、動揺していた。
 酌をしろと叱ってきたのは私の恩師であった。恩師は自分に酒を注ぐように言ったのではなく、飲み会に同席していた別の人のグラスに自分の手が届かなかったので、私に注ぐよう指示をしたのだった。それを私が「絶対に酌をしないと決めているので」と言って断ると、冒頭の通りに怒ったのである。
 私は長いことこの先生にお世話になってきたが、怒られた経験はいっさいなかった。初めて怒られた驚きと、目上の人に強く何かを言われることへの単純な恐怖で、身体がうわっと固まった。酌はどうしてもしたくなかった。私は一滴も酒を飲まないし、飲み会は好きでも飲み会の規範はものすごく嫌いだ。どうして全員きっちり自分が飲みたいだけ自分で注がないのだろう? 注ぎ合いをやりたいならやりたい人どうしで勝手にすればいいが、コミュニケーションが飲酒量に影響する仕組みはどう考えてもよくない。その輪に加担させないでほしい。
 それに私は「女性が酒を注ぐ」表象になりたくない。酒飲みたちにとってはただ私が酒を注ぐのにちょうどいい場所にいただけであってジェンダーは関係ないのだと思われるのかもしれないが、私は自分の尊厳を傷つける文脈に自分から踏み入るような仕草は、意識できるかぎりにおいて絶対にしたくなかった。
 そういう思想を持ってはいたものの、私はほとんど反論できなかった。「なんで注がないの」と言われて「ジェンダーバイアスが……」と言ったところで「男女関係ないでしょう!」と言い切られ、それ以上喧嘩腰で話を続けるのも嫌だったので、私は黙って恩師から視線を逸らしたのである。勢いで泣きそうになったが、ここで泣くとよりいっそう面倒くさがられると予想されたのでどうにかこらえた。
 その間ずっと、「これってもしかして私が間違ってるのか?」と考えていた。目の前に怒っている人、それも普段怒らない恩師が怒ってそこに存在している状況は、はっきり言って怖いし気圧される。私は謝って酒を注ぐべきだったのだろうか? でも酌は絶対にしたくないし、「酌をすべき状況」が存在するとは全く思えない。焦った。自分が狂っているのか場が狂っているのかわからなくなる。混乱の一方で、私は別の人の言葉に自然な表情で相槌を打つことに腐心してもいた。機嫌の悪さを観測されるのも、それはそれで負けた気がして嫌だった。
 釈然としないまま帰りの電車に乗った。疲労したムードと弱い酒の匂いがただよう車内で日付を越した。最寄駅から家に向かってひとけのない道を行く。足取りは重い。
 「デューン」
 夜道で声を出す。最近やたらこういうことをやっている。飲み込めない現実があるとき、言語化しきれない何かを感じているときに、「デューン」「グワッ」「ウワーン」などとつぶやきながら手をわさわさ動かしたり虚空に向かってピースしたりする。あるいは道路をうねうね蛇行して歩いたりもする。誰も見ていない、耳をすませてもいない(と思いたい)のをいいことに、夜道の私は自由だ。それらのしぐさを繰り返すうちに、だんだん自分が何を感じていたのか理解できるようになってくる。意味のない言葉と意味のない動きによって、私は自分の腹の奥に溜まった違和感をじっくり腑分けしている。
 もしかしてこれは洗練されていないだけで、一種の「踊り」なのではないか、と気づいたのは、その翌日のことである。

 翌日に何をしたのか? 映画『永遠に僕のもの』(原題は「El Ángel」)を見た。1971年のブエノスアイレスを舞台に、カルリートスという17歳の少年が殺人や強盗を繰り返し、やがて破滅するまでを描いた物語だ。
 カルリートスは盗みの天才である。罪悪感を抱かずに何だって盗み出すし、盗品に対する執着もない。ただ押し入り、好きなだけ盗み、堂々と出てきて、盗んだものは他人にあげてしまう。もともとものが欲しくて盗んでいるわけではないのだ。カルリートスが窃盗を通じて求めていたのは、生の渇きを充足させてくれる何かであり、思うままに生きる自分を理解して人生を同道してくれる誰かだった。
 やがてカルリートスは通っている工業高校でラモンという青年に出会う。暴力的にちょっかいをかけたり盗品を贈ったりと、危なっかしい仕草で気を引こうとしてくるカルリートスをラモンは気に入り、ふたりはともに強盗に邁進することとなった。裏稼業を生業としているラモンの父母も加わって、盗みはより計画的で大規模なものに進化していくが、カルリートスの衝動はおさまらない。危険を冒して必要以上に盗み、殺さなくてもいい人を撃ってしまう。ラモン一家は大困惑だ。何がしたいんだこいつは! カルリートスはラモン一家に莫大な金をもたらしてくれる泥棒の天才だが、いつ何をしでかすかわからない制御不能の危険人物でもあった。
 このカルリートスと周囲の人間との「歩調の揃わなさ」こそが本題である。カルリートスはラモンに対して自分の無二の理解者になってくれるのではないかと期待していたが、ふたりの窃盗に対するスタンスはあまりにも異なっていた。「盗んでるんじゃない、生きてるんだ」というカルリートスのセリフが全てを物語っている。ひと財産築いたら裏稼業を畳みたいと考えているらしいラモンとは違い、カルリートスにとっては思うがままに奪うことそのものが生なのだ。そこに理由などない。自分が何を考えているのかもうまく言葉にできない子どもが、自分の衝動的な行動に命をかけることそのものを、シンプルに面白く思った、そればかりなのだ。「人のものをとってはいけない」やら「人を殺してはいけない」やら、「人間社会のしおり」なる冊子があったとしたら「はじめに」の次に書いてありそうな「ルール」を守る意味がわからなかっただけで。
 結局最後までこの溝が埋まることはない。いかに慕い続けていても思いは伝わらず、カルリートスは自分に同道できなかったラモンを車の事故に見せかけて殺してしまう。「マリリン・モンローみたいだ」と言われたこと、一度きりの短い抱擁、そして死の直前に眠るラモンのくちびるに指をつっこんだこと。ちょっとエロティックなだけのままならない思い出を抱えて、カルリートスは結局全て奪い去ったのだった。
 カルリートスはずっと孤独である。冒頭と最後、カルリートスはいずれも誰もいない家のど真ん中で踊っている。家といってもカルリートスの家ではなく他人の家だ。最初は盗みに入った無人の邸宅でレコードをかけながら、最後はかつてラモン一家が暮らしていた家──カルリートスがラモンを殺して以来、そこは廃墟と化している──のキッチンで、古びたラジカセをかけながら。曲は La Joven Guardia “El extraño de pelo largo”だ。思うがままに、しかし淡々と、カルリートスは自問自答するように踊っている。
 カルリートスは踊りながら、誰にも理解されなかった自分と自分を理解しなかった世界との距離を冷静に測っていたのだと思う。途方もない世界=敵を前にして、そのどうしようもなさに全身で浸かるのではなく、己の状態と立ち位置を手探りで考えていた。そりゃあ踊るよな。踊るしかない。現実という手に負えない泥をろくろにのせ、全身で迷いながらどうにか成形を図るとき、そのしぐさは間違いなく「踊り」なのだ。
 家の外を銃口が取り囲んでいる。

 ここ1ヶ月、世の中はいつも以上に狂っている。週刊ポストが韓国ヘイトを骨子にした特集を組み、内閣改造では女性蔑視発言やパワハラの実績ばかり立派な人たちが次々入閣し、文化庁が「表現の不自由展」を理由にあいちトリエンナーレへの交付金の給付取りやめを決定し、グレタ・トゥーンベリ氏の国連でのスピーチには「感情的だ」「大人に操られている」というダサい非難が集まり、日米貿易交渉では畜産関連の品目を中心に大幅な関税引き下げが決定された。その上これから消費税が上がる。明らかにおかしい。ここまでおかしいとわかっているのに、世の中はそのまま突き進んでいる。どうにか歯止めをかけなければならないと思いながら、ひとつの問題をじっくり考える暇もなく、また新しくクソみたいな状況が出現する。何か書かねばならないと思って Word を立ち上げたが、「殺してやる」と書いたきり続きが全く思い浮かばない。そういうことを連日繰り返していた。言葉がまるで出てこなかった。
 郵便受けに新聞が投函された音を聞きながら、こうこうとあかりをつけた部屋で、黙ってひとりでぐらぐらと揺れる。両腕をうねらせる。意味なく足踏みをする。この世に対する解像度が極端に下がった頭でこの世は敵だよなあ、最悪の敵だ、と思いつつ、それでもどうにか己の閾値を下げるための踊りだ。部屋の外側の時間の流れとは違う、他の誰とも共有していないリズムにひとり身を置くことで、落ち着きを取り戻す努力をする。私の時間は私のものだ。抵抗しなくては。できうる限り現実的に。

Profile

高島鈴/Takashima Rin高島鈴/Takashima Rin
1995年、東京都生まれ。ライター。
https://twitter.com/mjqag

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