Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第2回:イミグランツ・イン・ザ・UK
五輪閉会式にはあれだけ多くの英国のバンドやミュージシャンが出演していたというのに、うちの息子が最も強烈な印象を受けたのはなぜかエリック・アイドルだったらしく、夏以来、頻繁に『Always Look On The Bright Side Of Life』を歌っているので母親としては困惑する。
というのも、『Life of Brian』というモンティ・パイソンの名作映画で使われたこの楽曲の歌詞には、「Life is a piece of shit」、すなわち「人生は一片のクソ」というわたしの座右の銘が含まれているからであり、なにげに血の呪いのようなものを感じてしまうからだ。しかも、この曲が英国民を対象とした「自分の葬儀にかけたい曲」調査で上位に選ばれていることを鑑みれば、何も6歳児が葬式用の歌を気に入らなくともいいんじゃないかと思うのだが、どうやら彼が気に入ったのは、歌そのものではなかったらしい。
「Always look on the bright side of life, dada-dada-dada-dada-dada, で、ここでインド人の人たちが入って来て、だんだんだららら、だだんだんだんって腰振って踊るんだよ」
と言って、息子はボリウッド風のダンスを真似、きゃらきゃら笑いながら腰を振りはじめる。海外であの演出がどう受け止められたのかはわからないが、あれはロンドンを象徴したものであり、ひいては英国全体を象徴したものだったと言えるだろう。
モンティ・パイソン。という古い時代を代表する英国人が、金銀原色の衣装に身を包んだボリウッド系ダンサーたちに囲まれて、「What the hell is going on here?」みたいな困惑した表情をするシーン。あれは、ロンドンには英国人が住む家が一軒もないというストリートさえ存在し、インド・パキスタン&バングラデシュ系移民やアフリカ系移民などの台頭が著しい。という現実のメタファーであり、つまり、どんどん外国人に侵食されていく英国の姿を象徴していたのである。
その侵食している外国人のひとりであるわたしとしては、あんなシーンを作って笑いを取ろうとした制作側や、あれを見て自宅で「ははは」と笑っている英国人の諦念まみれの寛容性というものを改めて思い知らされたのであり、「ファッキン・チンク」と往来でどやされることがある身にしても、その点は認めずにはいられない。
あれを見て笑っている英国人は自虐的なのではない。
リアリストなのである。
んなわけで、この国に暮らしていると、いろんな国からいろんな事情で移住して来た外国人と触れ合うことになるわけだが、わたしにも懇意にしているイラン人の友人がいる。彼女は、ほんの4年前までテヘランの私立のお嬢様学校で小学部教員をしていたそうだが、英国では自国の教員資格が使えないため、とりあえず短期間で取れる保育士の資格を取って労働している。彼女の夫は、政府に睨まれるようなことを書いたジャーナリストだったそうだが、英国では大学院に籍を置く傍ら、バーガーキングでバイトしている。
ボブ・ディランが大好きだという彼女は、例えば保育コースで配布されるプリントが彼女の席まで届かなかったりすると、「これは私に対する政治的制裁ですか」とブラックジョークを飛ばして周囲を爆笑させるような人で、気が合うのでコメディや音楽の話はよくするが、政治については何故か話したことがない。
わたしはそれが彼女や彼女の夫にとって一番大きなサブジェクトであることを知っている。というか、それが彼らのライフを決定している要因であることを知っている。
だからこそ、訊けない。物見遊山のわたしには、彼女と政治を語り合うことはできないような気がする。
そんなわけで、彼女とは一度もイラン情勢について話したことがなかった。が、つい先日、3週間イランに里帰りして来た彼女が、ふと言ったのである。
「一番おかしいのは、どんなコメディ・スケッチより、自国の庶民だということを再確認した」
闇雲にそんな言葉を投げられたので沈黙していると、彼女は言う。
「怒りとか、絶望とかを通り越して、もう笑える。何なんだろう、こいつらは。って」
「・・・・・」
「おいしいものを食べて駄弁って盛り上がるのが大好きなの。あの国の人びとは。そして、そういう時間さえ持てれば、後のことはもう見なくていい。何か辛いこととか、不当に扱われているんじゃないかっていう引っかかりがあったとしても、ま、いっかー。みたいな感じでうやむやになる」
「・・・・・」
「外側からいくら干渉したところで、人びとの内側からそれがはじまらない限り、あの国は変わらない。でも、それがいま、マジで食えなくなって来ているから、ようやく何かが起きるのかもしれない。もう、そこまで行かないと物を考えないのか、と思うとね、本当に気が抜けるっていうか、ただもう、笑える」
疲れた笑顔を浮かべて言う彼女に、わたしは意を決して尋ねてみる。
「......だから、あなたたちは出て来たんでしょ。娘さんのために」
彼女はすんと澄んだ目でわたしを見て、ため息をつき、頷いた。
「英国でも、日本でも、わたしたちは政治についてぶーたれる。けど、そこで自分の子供を育てたくないという理由だけのために、素っ裸で外に出て行く人なんて、いない。だから、それを本気でしなきゃならない国。という感覚は、正直言ってわからない」
わたしが言うと、彼女は学校の先生の顔になって、きりっと言った。
「ポリティクスというより、ピープルなのよ。自分で物を考えられる人間をつくるのは、インフォメーションとエデュケーションだ。私の国では、一方は遮断されて、もう一方は腐っている」
テヘランで暮らしていた頃の彼女たちの写真を見れば、祖国では何不自由ないミドルクラスのインテリゲンチャだったのだろうが、何の因果かいまはわたしと薄汚れたマクドナルドでコーヒーをすすりながら、カップホルダーについた特典シールを集めて「やった! 次回のコーヒー無料」などと言っている。
「イランっていえば、こないだ面白い記事が『ガーディアン』のブログに出てたんだけど」
「ああ、あのパンク記事でしょ。旦那が翻訳してたわ。彼もああいうの好きだから」
「Punk's not dead - it just emigrated...」というタイトルのその記事は、パンクは英国では懐古する対象になってしまったが、キューバやイランなどの国では生きている。という論旨の書き物であった。
「けど、映画監督とか、そういう人間だけを取り上げられてもね。庶民レヴェルでは全然違うもん。あれも外からイランを見ている人の幻想だと思う」
醒めた口調で彼女は言った。
「でも、音楽はとても大切。私たちのような国に住む人間にとって、外国の音楽はインフォメーションだ。だから、若い人たちに興味を持ってもらうきっかけになればと思って、旦那はあれを訳してたみたい」
と言いながら、彼女はコーヒー無料特典シールが6枚貼られたカードを財布に入れた。
そろそろ彼女もわたしも別々の保育施設に出勤する時間である。
「ところで、Kは元気にしてる?」
彼女は椅子から立ち上がりつつ、うちの息子について訊いた。うちの息子は彼女には妙になついていて、時々ベビーシッターになってもらっている。
「まだエリック・アイドルになって歌ってるよ」
「いいセンスしてるよ。あの閉会式でリアルだったのは、あの部分だけだったもん」
彼女はそう言って逞しく笑い、
「Always walk on the Brighten side of life......」
というベタな替え歌をからからと歌いながらブライトンの往来を歩くもんだから、すれ違う人びとが振り返って笑っている。きっと母国では、ひょうきんでリベラルな先生だったんだろう。と思う。
反吐が出るほど母国に絶望していても、彼らはひたすら英文記事を訳して、ブロックされない発信法を模索し、試行錯誤しながら送り続ける。
愛国者だけが国を愛しているとは限らない。
愛国者とは違う立場を取りながら、国を思い切れない人たちもいる。
「イングリッシュという人種が嫌いだからという理由で、あんな歌は書かない。あんな歌を書く理由は、彼らを愛しているからだ」
ジョン・ライドンは"God Save the Queen"についてそう語ったことがある。ある朝、起き抜けにビーンズ・オン・トーストを食べながら一気に書きあげたのが"God Save the Queen"の歌詞だったそうだが、それをライドンに書かせたものと友人夫婦が捨てきれないものは、それほど違わないように思える。
国家というアイデンティティを愛する人間と、たまたまそこに住んでいる人びとを愛する人間。それは、幻想を愛するロマンチストと、実存を愛するリアリストと言い換えることもできる。
結局、ポリティカルな立ち位置というものは、各人の愛のベクトルで決まるのかもしれない。
きーんと晴れた秋空の下、わたしたちはハグを交わして別れた。
「いいね、こんな日は、すべてが良い方向に向かうような気がする」
そう言って背後からサンシャインを浴びていた友人の姿が印象に残ったが、ここはやはり英国なので、5分後にはざばざば大雨が降っていた。
豪雨が車窓を叩きつけ、遠くで雷まで鳴りはじめた現状を眺めながら、別ルートのバスに乗った友人がやっぱり大笑いしているだろうことをわたしは知っていた。