Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第4回:HAPPY?/パンクの老い先
久しぶりに、2年前までヴォランティアしていた無職者支援チャリティー施設の付設託児所で働いた。どうしても人手の足りない日があるというので、有給を消化して手伝いに行ったのである。
2年も経てば、顔ぶれも変わっているだろう。というわたしの読みは甘かった。
ゴム長靴を履いたオールド・パンクのNも、昔は音楽ライターだったらしいけどいまは当該施設の食堂でヴォランティアしているAも、長期無職者たちは、まるでそこだけ時が止まってしまったかのようにそこにいた。
5年前、わたしがこの施設に出入りするようになって驚いたのは、10年や20年単位の長いスパンに渡って生活保護を受けて暮らしている人びとの存在だった。そういう人びとのなかには、自らの主義主張のために労働を換金することを否定し、生活保護を受けながらアナキスト団体に所属してヴォランティア活動に励んでいる人びとや、昔は音楽やアートなどのクリエイティヴな業界で働いていたらしいんだけれども、クリエイティヴな仕事しかしたくないの。とか言ってるうちに気がついたら生活保護受給者になっていた。という人びとなんかもいた。
こうした国民のライフスタイルの多様性を可能にしていたのは労働党政権である。が、保守党政権下では無職者は激しい締め付けを受けているので、例えば、CRASSな生き方を信条とする50代半ばのNは、職安に仕事を斡旋されて断ったためベネフィットを打ち切られそうになり、タイムリーに脚の骨を折ったので打ち切りは見送りになったそうだが、これには、彼が公営団地の窓から飛び降りてわざと負傷したという噂もある。
元音楽ライターのAにしても、当該慈善施設のキッチンでチップスばっかり揚げているのが災いし、職安からフィッシュ&チップス屋の仕事を斡旋されて難渋しているという。そんなに難渋しなくても働けばいんじゃないかと思うが、これらの人びとにとって、働く。ということがどれだけの難事で、面倒で、敗北を意味するのか、ということを知っているので、わたしは黙って話を聞いている。
「『俺らのように生きろ。俺らのようになることが模範的国民になることだ』ってのが、保守党の政治だ。自らの正当性を疑わない人間は、バカの最たるものである」
と言いながら、Aは2年前と同じようにキッチンで芋の皮を剥いている。昔は『NME』に書いていた。と彼が言った時には、こいつもホラ吹き野郎のひとりかな。と思ったが、彼の場合、80年代に活躍していた日本の音楽ジャーナリズムの人の名を複数知っているので、けっこう真実なのかも知れない。
一方、いつもゴム長を履いてアナキスト団体の無農薬野菜園を耕しているNについては、休刊中の『ユリシーズ』にも書いたことがあるが(よく思い返せば、Aについても書いていた)、彼はアナーコ系オールド・パンクであり、エコロジカル・アーバン・ヒッピーみたいな若手アナキストたちに笑われながら、いまでも己の信じた道を進んでいる。というか、いまとなってはもう他の道に移りようがないから。というほうが的確な気もするが、噂の左足をギブスで固めて松葉杖をつきながら、腐ったような革のライダース・ジャケットを羽織り、「ハーイ」とか言っている彼の姿を見ていると、つくづく思う。
ああ。パンクもこんなに老いた。
************
今年、個人的に大きな衝撃を受けたのは、あるジョン・ライドンの発言だった。
「俺は報われた。だから、俺はもっと世界を報いたい。いったいぜんたい、どうしてこんなに人生をエンジョイできるチャンスを俺に与えてくれたんだ? こんなの、おかしい」
John Lydon Lollipop Blog Part3で、そう言いながら彼は目を潤ませた。
長年のライドン・ウォッチャーなら、そのうち彼がこういうことを言うんじゃないかという漠然とした予感はあっただろう。
表現メソッドとしては、いろいろトリッキーなねじれを見せる人だが、この人の根底には、筋を通したい。というのがある。喧嘩別れして空中分解し、死人まで出した青春のセックス・ピストルズで「おっさんたちの和解」を成し遂げたのもそうだし、マルコム・マクラレンへの追悼文のなかで「I will miss him」と言ったのもそうだった。最近の彼の言動に大団円的ハピネスの香りがするのは、何十年も心の奥に刺さっていた案件に、自分なりのカタをつけたからなのかもしれない。
**********
無職者支援施設の食堂のクリスマスツリーに、今年は変化が見られた。
いやに侘しいのである。自宅にツリーを持ってない人や、ツリーを飾る塒さえない人びとが集う場所なので、当該施設のツリーは金銀ぎらぎらとド派手なのが通常だったのに、今年は誰かが倉庫からツリーの装飾品をごっそり盗んで行ったという。
「でも、ツリーの装飾品なんか盗んでどうすんの」と言うと、
「大量にあったから、レストランとか、パブとか、デカいツリーを飾るところに持って行って安く売ったら、買う店はあるだろ」とAが言う。
同様のことはオフィスでも起こっているそうで、ぺティ・キャッシュの金庫やPCも盗まれるようになったという。「ここには貧者たちのコミュニティ・スピリットがある」と言った人もいたが、追い詰められると人間のスピリットは摩滅するもののようだ。
ツリーの寂寥感を軽減するために施設が考案した苦肉の策は、クリスマス・カードをぶら下げる。というものであった。施設宛てに送られて来たカードや、施設利用者たちが受け取ったカードを持ち寄って、ツリーに下げているらしい。
「ピースフルな年になりますように」
「来年は、みんなに仕事が見つかるように」
ぶら下がっているカードの内側を読んでみると、「Wish」「Hope」といった言葉がやたらと多用されていることに気づく。様々な人間の願望を記した紙切れが下がったその木は、もはやクリスマス・ツリーというより、たんざくが垂れ下がった七夕の笹の木のようだ。
**************
「ライドンが、『俺は報われた』って言ったの、知ってる? PiLのギグをやっていると、そう思う瞬間があるんだって」
「また大げさなこと言ってるけど、要するに、ハッピーなんだろう」
「うん」
Aは炊事場で手際良く大量のじゃが芋をチップス状に切って行く。
「最初にピストルズを見たのは、15歳の時だった。批評心も何もない年頃だったから、神のお告げを聞いたようなもんだった」
ロンドン北部の公営住宅地で育ったAは、「金は人を幸福にはしないが、人生における選択肢を与える。その選択肢の有無が、階級と呼ばれているものの本質だ」と言ったことがある。同じような境遇から出て来て、世界のありとあらゆるものを呪詛したジョニー・ロットンに、若き日のAは強い共感を覚えたらしい。
「俺にとっては特別なバンドだ。だから、彼がようやくハッピーになったのは嬉しい」
と言って、Aは薄く笑った。
「なんとなく置いていかれたような気がするのは、こちら側の問題で」
炊事場の外では、当該施設名物の、賞味期限切れの無料パンの配給がはじまった。
「フリー・ブレッド!」
という食堂係の叫び声と共に、ぞろぞろと施設利用者がカウンター前に並びはじめる。
ドレッド・ロックの白人ニューエイジ・トラヴェラーや、アサイラム・シーカー系の有色人種。若いアンダークラス・シングルマザーたち。Aもエプロンを外しながら、Nも松葉杖をつきながら、列に加わる。
彼らは長年、この列に並んできた。
雨の日も、風の日も、雪の日も並んできた。
「この施設を使いたいのなら、きちんと(F)列の(F)後ろに並べ!」
脇から入り込んできた若きアナキストを、Nが叱り飛ばす。しかし、激昂して怒鳴った瞬間に松葉杖から手を離したものだから、ふらふらと頼りなく体勢が崩れ、怒鳴りつけた当の青年から、「爺さん大丈夫かよ」か何か言われて体を支えられている。
彼は何十年もこの列に並んできたのだ。
労働を換金して賞味期限の切れてないパンを買うことより、労働しないで賞味期限の切れたパンを貰うことを選び、それを変えなかったのである。
Nにどやされたアナキスト青年は、バンクシーのグラフィティがプリントされたTシャツを着ていた。編み物をしている老女たちの絵に、こんなスローガンが書かれている。
PUNKS NOT DEAD THUG FOR LIFE
グホグホグホと痰の絡んだ爺さんのようなサウンドでNは咳き込んでいる。
ギブスで膨れた脚では、さすがにゴム長も履けなくなったらしい。12月も半ばだというのに、オールド・パンクはサンダル履きだった。
そのどどめ色の靴下には、ぽっかりと大きな穴。
「雪が降ってきたよ」と誰かが言うのが聞こえた。