Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第8回:墓に唾をかけるな
その日、わたしは街の裏通りにある小さなパブで、仕事帰りに人と会う約束をしていた。
そこは薄暗く古いパブで、流行のワインなどを飲ませる小奇麗なパブではない。窓際には年季の入ったスヌーカー・テーブルがあり、カウンター上方のフラット・スクリーンではない分厚いテレビはいつもフットボールの試合を映している。が、その日、パブに着いてみれば、なぜかテレビはBBCニュースを映していた。
「え。サッチャー、死んだの?」
と吃驚しているわたしの背後から入って来た、塗装業者らしいペンキで汚れたバギー・ジーンズのおっさんは、テレビに映し出された「Baroness Thatcher Died」のヘッドラインを読むなり、おもむろに両手でガッツ・ポーズを取った。
「YES!!」
PCの前に座って仕事をしている階級の人びとはもっと早く訃報を知ったのだろうが、ブルーカラーの労働者が彼女の死を知ったのは夕方だったのである。んなわけで、パブのなかはいつになくざわついていた。アフター・ファイヴの熱気に盛り上がる若人たちが集うパブとは異なり、通常は、陰気な顔をした中高年労働者がむっつり飲んでいるタイプのパブなのだが、その日ばかりはムードが違っていた。
BBCニュース24は、各界著名人の反応を報道している。「元労働党のMP、ジョージ・ギャロウェイは、ツイッターにエルヴィス・コステロの曲『Tramp the Dirt Down』のタイトルを書いています」と女性ブロードキャスターが告げると、誰かがパブの奥から叫んだ。
「Well said, George!」
パチ、パチ、パチ。と誰かが叩いた拍手の音が、じわじわ店内に広がって、いつの間にかおっさんもおばはんも全員が手を叩いていた。
笑っている人は誰もいなかった。みんな疲れきった顔をしていた。
ああ。きっとこれは、この国の労働者がサッチャーを送る音なのだ。と思った。
その日の深夜、ダンプの運ちゃんをしている連合いは、ロンドンのブリクストンを通ったらしい。
「ロンドン暴動の直前と似たような雰囲気があった。夜中に路上で飲んで喚いてパーティしてやがんだよ。お前ら、サッチャーなんて知らねえだろ。っていうようなガキどもが」
と言っていた。
翌日の新聞を読むと、アンダークラス人口の多さで知られているリヴァプールでは、路上で火を燃やして祝賀するフディーズたちの写真が撮影され、ブリストルでは、ミドルクラスのスタイリッシュなインテリゲンチャたちが警官隊と衝突している写真が撮影されていた。「各地の"ザ・レフト"がバロネス・サッチャーの死を祝賀した夜」という見出しが付いている。嬉しそうに中指を突き立てて小鼻をふくらませているティーンズや、ビール缶を片手に泥酔しきった目つきで警官に悪態をついている30代のミドルクラスのお坊ちゃまたち。
現代の英国の"ザ・レフト"というのは、こういう人たちなのだろうかと思った。
毎日クソのような時給で朝から晩まで働き、サラリーではなく、ウェイジと呼ばれる週払いの賃金を貰い、そのクソのような賃金からでさえ税金を巻き上げられ、サッチャー政権に騙されて公営住宅を買ったら自宅のメンテ費用が払えなくなり、真冬に暖房が崩れて凍死した者もいたという、本当に故人がしたことを知っている"労働者たちの層"は、それらの写真のなかで浮かれたり、激昂してみせたり、泥酔したりはしていなかった。
本当に彼女に苦しめられた人や、いまでも苦しんでいる人たちは、おそらく朝早く起きて仕事に行くため、とっくに寝ていた。
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サッチャーが亡くなった日、わたしがパブで会っていたのは、一昨年まで成人向け算数教室で講師をしていたRだった。
先の労働党政権は、読み書きのできない成人の再教育に力を入れていたので、無料で算数と英語の再教育の場を提供していた。が、現保守党政権はこれらのプロジェクトへの補助金をカットした。あの党は、いつだって底辺層の底上げには興味がない。
政府からの支援が無くなったので成人向けの算数教室と英語教室は有料になり、当然のごとく生徒数は激減し、これらの教室を運営している団体数も激減した。そのため、Rは食って行けなくなり、現在は大学に勤務しているが、自腹でコミュニティセンターの一室を借り、無料の成人向け算数教室を再開するつもりだという。
「サッチャーが死んだからと言って、何が変わるわけでもない」
と、醒めた顔つきでテレビを見ていたRは、昔ヴォランティアでアシスタント教員をしていたメンツに連絡を取り、再びヴォランティアをやらないか。と説得して回っている。
かくいうわたしも、算数の得意な日本人としてアシスタントをしていた時期があるのだが、「いや、いまは昼も夜も働いて、その間に主婦業もやってるから、無理」と一度断ったのに、Rは執拗に攻めてくる。アンダークラスのシングル・マザーもけっこう教室にはやって来るので、保育士のわたしは託児サービスが提供できる点で便利なのである。
「金がないとか、子供がいるとか言って教室に来ない人びとが、もっとも再教育が必要な人びとなんだ。ってのはわかってるよね」
「わかってる。けど、時間がない。夕方にそんなことやってたら、誰がわたしの子供のご飯つくんの」
「一緒に連れて来たら」
「ええっ!?」
「フィッシュ&チップスおごるよ、毎週。教室の隅で食べさせたら? で、スペアのラップトップ持ってくるから、ゲームさせたり、宿題させたりしたらいい。算数はもちろん僕が見るし。子供に九九覚えさせるの得意」
「えええっ!?」
と、だんだんコーナーに押しやられてジャブを連打されているわたしの虚ろな目に、テレビの画面の中でサッチャーの偉大さ、崇高さを語り倒しているデヴィッド・キャメロンの顔が見えた。
彼は、紛れもなくサッチャーの末裔である。
イートン校からオックスフォードという超エリートお坊ちゃまの道を辿りながら、常に目立たないギーク青年で、ザ・スミスを偏愛していたというキャメロンは、いったい彼らの曲から何を聴いていたのか、モリッシーがギロチンにかけたがっていたマーガレットの政策を模倣している。サッチャーの政策を発端として発生し、21世紀には英国の癌と呼ばれるほど拡大した、いわば「真のサッチャーのレガシー」と言っても良いアンダークラスという階級を、彼の政府は冷酷に切り捨てようとしている。母親が残したMESSをきれいにするどころか、鉄の女の息子たちは、そのMESSをさらに広げようとしているのだ。
「わかった。やる」
「Thanks. I knew you would say that」
と言われたときには、罠にはまった。という気もしたが、サッチャーが死んだ日である。彼のような人の頼みを、こんな日に断るわけにはいかない。
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「生きているときの彼女は、俺の敵だった。だが、死んだ彼女は俺の敵ではない。俺は彼女の墓の上で踊る気はない」
というジョン・ライドンの発言は、現代の英国の所謂"ザ・レフト"の人びとには評判が良くないようだ。それは、「悪い魔女は死んだ」と歓喜して踊るパーティ・ピープルの士気を盛り下げる言葉だからである。セックス・ピストルズのジョニー・ロットンは、ザ・スミスのモリッシーのようにべたべたに直球のアンチ・サッチャー声明を発表しなかったので、肩透かしだったそうだ。
しかし、わたしには、それがピストルズとザ・スミスというバンドの役者の違いだったように思える。
死人を相手に、勝ち誇ったような顔をしてパーティをしてどうする。
誤魔化されるな。真の敵と戦え。
「そもそも、コステロのあの歌は、あの女が死んだら墓を踏みつけてパーティしてやる。という歌じゃないよね。彼女より俺たちは先に逝くだろうという、かなしい歌だ」
と、Rは言った。
彼のような人は、故人の墓には唾をかけない。そんな暇があったら、することは山ほどあるからだ。テーブルの上に広げられたスプレッドシートには、以前、算数教室に来ていた生徒とアシスタントの名前がずらりと並んでいる。
「これ、ひょっとして、全員に連絡取ってるの?」
「うん」
政治家たちはサッチャーの葬儀の件で揉め、"ザ・レフト"の人びとは、葬儀当日のプロテストの準備で盛り上がっている。
そしてRは、葬儀の日などまったく関係なく、スプレッドシートを広げて電話をかけ続けているだろう。
Rのような人のことは、新聞やニュースサイトには一行も書かれていない。だが、本気でサッチャーのレガシーの後始末をしようとしているのは、彼のような名もない末端の人々だ。
わたしにとってもっともブリティッシュなのは、彼のような人びとである。