Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第13回:『Last Summer』の名残り(1) 時計じかけのアラセヴ
10月はずっとイタリアのオトラントという街にいた。
ブライトンの保育士がなんでイタリア南部のリゾート地に滞在していたのかといと、それはなんとも数奇な経緯であったのだが、要するにうちの坊主である。夏休み中、彼がイタリア人のお兄さんとSKYPEする機会があった。そのとき、坊主にラモーンズのTシャツを着せていたのがまず間違いであった。イタリア人のお兄さんは、「あ、ラモーンズのTシャツ着てる」とか言って、やたらウケていたのである。しかも、息子の野郎ときたら、貧民街の暇こいてるガキにありがちなフットボール・ギークぶりを発揮して、プレミア・リーグやセリエAについて、くだんのお兄さんと楽しげに話し込んでいた。
だいたいうちの坊主はずぶの素人である。学芸会に出たことはあっても、演技の経験など無いのである。だのに、SKYPEで「直訳:ポジティヴなエネルギーを感じた(意訳:ウマが合った)」というだけで、自分の映画に出そうなどと思う監督がいるだろうか。しかも、メールされてきた脚本を読んでみると、どうやらヒロインの息子役のようだ。けど、こんなに英語のセリフの多い日本人のヒロインを演じる女優って誰? 菊地凛子とか? ははは、んなわきゃねえだろ。こんな低予算映画で。と思っていると、その翌週、イタリア人のお兄さんがSKYPEでへらへら笑いながら言った。
「お母さん役には、リンコ・キクチが決まっているから」
へっ?
と動揺しているうちにばたばたといろんなことが決まり、気がついたらわたしたちはローマにいた。が、映画の製作というものはどうもそういうものらしい。とにかく、唐突にいろんなことが決定し、進行し、いつの間にか息子は異国の地で衣装合わせなどさせられていたのである。
それにしても。何、この薄汚い小屋。っつーか潰れた商店の跡。しかも、蚊がぶんぶん飛んでいて、俳優が着替える場所なんか、どうでもいいような布がカーテン代わりにかかっているだけ。本当にこんなところにオスカー・ノミネート女優、リンコ・キクチがやって来るのか。
監督は相変わらず笑いながら「ローマへようこそ」か何か気の抜けるようなことを言っているし、なんかその全体的にダラダラしたムードの中で、足の指の間を蚊に刺されて非常に苦しい思いをしていると(またイタリアの蚊というやつは、そこだけはやめてくれというところを刺しやがる)、衣装班のトップらしき初老の婆様が坊主を手招きした。
「あら、素敵なTシャツ着ているわね」と、婆様は息子のTシャツをしみじみ見ている。
「あなたのお母さんがあなたの衣装を担当するのが一番いいんじゃないかと思うわ」
へっ? それって、のっけから仕事投げてる状態? 大丈夫なのかよ、こんな上品な婆さんにガキの衣装なんかやらせて。というわたしの懐疑心をよそに、監督と婆様は顔を見合わせて頷いている。
「そのTシャツ、衣装の一枚として使わせてもらってもいいかしら」
と言われてわたしは困惑した。
脚本の設定としては、うちの息子の役は、イタリアの避暑地で豪華ヨットを出してバカンスしている英国の富豪の子供。だったと思うのだが、その日息子が着ていたのは、英国のど庶民スーパーマーケットASDAのTシャツである。いくらなんでも、時価20億円のヨットでバカンスする家の子供が、ASDAのTシャツを着てるってのはないと思うんだけど。と思いながら、この時点でわたしが思い出していたのは、パティ・コンシダインの監督デビュー作『思秋期(Tyrannosaur)』である。あの映画でもオリヴィア・コールマン演じるミドルクラスの妻が、Chav御用達量販店Primarkのカーディガンを着ていて、それはちょっと違うんじゃないか。と思ったシーンがあった。英国は、スーパーマーケットにさえクラスがあると言われる階級社会だ。よって映画の小道具や衣装にその分野でのミステイクがあると、リアリティが損なわれてしまう。
が、そんなわたしの思惑など関係なく、エレガントな婆様は、うちの息子のTシャツを愛おしそうに撫でていた。シルクハットと髭、懐中時計と自転車がプリントされたその絵柄は、ルネ・マグリットやダリといったシュールレアリストを髣髴とさせるものなのだが、おそらくどっかのデザイナーがショーで使ったから量販店が一気にコピーしはじめた絵柄だ。だのに、何がそんなに嬉しくて婆様はこのTシャツを気に入ってしまったのだろう。UKとイタリアのファッションには、そんなに時差があったのだろうか。
と思いながら、辺りを見渡せば、デスクの上やら何やらに和風ちっくな小物が転がっていた。風呂敷。バンブー柄を思わせる包み紙。和紙。これもまた、よくあるタイプのエキゾチック・ジャパーン映画なのだろうか。例えるなら、味噌汁の椀に角砂糖を入れて出してくるカフェ(実際にブライトンのゲイ街にある)。みたいなヨーロピアン・ジャポネスクのかほりが漂っているのだ。そういうのはファッションなら別にいいが、映画となると、やはり味噌汁の椀には角砂糖じゃなくて味噌汁を入れて欲しい。みたいな違和感が生まれるため、頭の固い日本人からとやかく言われることになる(で、よくとやかく言うひとりがわたしである)。それに、欧米人が考えるジャポネスクの世界というのは色が珍妙になりがちだ。日本の朱赤はオレンジになってしまい、桜色はピンクになる。原色の国イタリアの人間に、日本古来の色彩は出せない。
と思いながらレールに並べてある衣装を見ていると、それらはイタリアの原色というより、どこかサイケデリックな感じもし、化石のようなロック女と呼ばれるわたしが妙に反応してしまうのは何故だろう。ひょっとすると、この婆様、むかしはいっぱしのロック・チックだったとか。
どうやら彼女は、映画の美術全体を統括するアート・ディレクターでもあるらしく、映画の舞台になるヨットはウルトラ・モダンなデザインと聞かされていたが、写真で見る限り、モダンという言葉だけでは片づけられない変なものを感じる。黒と白にオレンジを効かせたインテリアは、どこか70年代のSFみたいな怪しげなムードだ。表面的には、ミニマルでお洒落。みたいな線を狙っているような感じなんだが、なんだか根底にあるものは、そんなにさっぱりしたものでもないような気がするのは何故だろう。
と考えながらホテルの部屋でビールを飲んでいると、「歩くIMDb」とわたしが呼んでいる日本屈指の映画狂からメールが来た。
「ミレーナ・カノネロは、3回アカデミー賞を獲っている衣装デザイナーです。『シャイニング』とか『ゴッドファーザーPart3』、『炎のランナー』なんかもやっている。近年では……」と有名な映画の題名が続くのを見ながら、え。実はあの婆様そんな大物だったのか。と面食らっていると、「母ちゃん、腹減った」と背中に息子がぶら下がって来るので、体勢を崩しながらわたしは最後の一行を読んだ。
「ちなみに、『時計じかけのオレンジ』の衣装を担当したのも彼女です」
息子をおんぶしてPCを凝視しているわたしの両腕に、ざわっと鳥肌が立っていた。
その瞬間にわたしが思い出していたのは、彼女が衣装に使いたいと言った、シルクハットの絵柄の息子のTシャツだった。
「あのTシャツをミレーナがあんなに気に入ったのは、どこか『時計じかけのオレンジ』を思い出させるからです。彼女にとっては、あの映画ですべてが始まりました。あの映画でもシルクハットが象徴的なアイテムとして使われていたでしょう」
後日、ミレーナ・カノネロのアシスタントはそう言ったのだった。
というわけで、「いや、でもそれは英国の激安スーパーの商品ですよ」と再三言ったにもかかわらず、ミレーナはくだんのTシャツをうちの息子の衣装として使った。当該映画が日本で上映されるようなことにでもなったら見ていただくのも一興だろう。英国貧民街を象徴するASDAのTシャツと、オスカー受賞のハリウッド衣装担当者が出会うことはそうない筈だ。
そう言われてみれば、わたしたちがそれから4週間を過ごしたヨット(映画の舞台はヨットの中だけだ。そういう映画なのである)のインテリアも、別に全裸のマネキンが椅子になっているとかいうわけではないが、時代とともに変貌し、ソフトに洗練されて21世紀まで営業されてきた『時計じかけのオレンジ』のコロヴァ・ミルク・バーのようだった。あの映画にインスパイアされて作られた映画のセットは数限りなくあるだろう。が、実際にオリジナルに関わった人間が、というか、生涯どこかでそれを引きずって生きて来た人間が、現在の年齢のままでそこに立ち返るとどうなるか。ということをやって見せたアラセヴは、そういえば今年はもうひとりいたな。と思う。
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『The Next Day』でマーキュリー賞にノミネートされていたデヴィッド・ボウイは、受賞式で製作費12.99ドルのPVを初披露した。それは、ブルジョワジーなアート映画で3ポンドTシャツを使ってみせたイタリア人の婆様を思い出させる。
あの世代の凄みというのは、レジェンドが高齢になっても頑張っているということではない。彼らはいまでもASDAのTシャツを使うことに躊躇しないということなのだ。
下の世代はリスペクトなどというゆったりした感情で彼らを仰ぎ見ている場合ではない。嫉妬すべきだ。