Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第20回:ヤジとDVとジョン・レノン
先日、通勤バスの中で新聞を広げていると祖国の話題が出ていた。東京都議会で女性議員に対して性差別的なヤジが飛び、国内で大きな話題になっているという。『ガーディアン』紙のその記事は、日本が男女平等指数ランキングで常に下位にランクされている国であることを指摘し、ジェンダー問題の後進国だと書いていた。まあ、ありがちな「東洋は遅れてる」目線の批判的な内容である。
こういう記事が出ると、「女性が強い英国では絶対にあり得ない」「アンビリーバブル」みたいなことを英国在住日本人の皆さんがまた盛んに言い出すんだろうな。と思った。わたしも10年前ならそう思っていた。
が、今はそうは思わない。
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BBC3で『Murdered By My Boyfriend』というドラマが放送されてちょっとした話題になった。「恋人に殺された」というタイトルの当該ドラマは、パートナーの青年にDVを受け続けて最後には亡くなってしまった若い女の子の実話をドラマ化したものだ。
17歳で同年代の青年に出会い、すぐに妊娠して子供を産んだ少女が、嫉妬深くて幼稚なパートナーから家庭内で暴行され続け、4年後には殴り殺されていた。というストーリーは、英国のある階級では「あり得ない」話ではない。英国内務省が2011年に発表した資料によれば、英国でもっともドメスティック・ヴァイオレンスの被害に遭っているのは16歳から24歳までの女性だそうだ。このドラマのモデルになった事件では、恋人を殺した青年は、生活保護受給者でありながら血統犬のブリーダーをやって不法に収入を得ていた貧民街の男だった。
例えば、ブライトンの病院やチルドレンズセンター(地方自治体運営の子供と親のためのサポートセンター)などのトイレに入ると、個室の内側にA4サイズのナショナルDVヘルプラインのポスターが貼られている。
「あなたはドメスティック・ヴァイオレンスの被害者ですか?虐待されている女性を知っていますか?」
というスローガンと共に、幼児の手を引く若い女性の後ろ姿の写真が印刷されている。まさに『Murdered By My Boyfriend』のストーリーみたいなポスターだが、そうしたイメージが使われているということは、やはりDVの被害者には子持ちの若い女の子が多いということだろう。
英国における若きシングルマザーの数の多さはこれまでブログ(&拙著)で何度も書いてきた。日本では、「出来たら始末しちゃえ」というのがティーン女子の一般的対処法だったと記憶しているが、英国の場合は、何故か産む。といっても、わたしはミドルクラスから上の人の生活様式は知らないので、労働者階級だけの話かもしれない。が、わたしの知っている世界では、十代の女の子たちは堕胎より出産を選ぶ。
それは先の労働党政権がシングルマザーに優しい福祉制度を確立したせいもある。ぶっちゃけ、無職者に子供がいれば、すぐ役所から家をあてがわれ、生活保護も貰えるという時代が長く続いたので、下層社会の女子には、就職や進学しない代わりに子を産んで生活保護受給者になるというライフスタイルのチョイスが存在したのである。
キャリアを持つ女性たちが子供を産まなくなった代わりに、十代で妊娠したシングルマザーたちが生活保護を受けながら続々と子を産み続けて行く様は、この国では階級による女たちの分業がはっきりと出来上がっているようにも見えた。ミドルクラスの女たちは外で働き、下層の女たちは生活保護を貰いながら子供を産み増やす。実際、シングルマザーへの優遇は人口の老齢化に歯止めをかけるための国家戦略だったのではないかとさえ思えてくる。UKでは2011年に1972年以来最高の新生児出生数が記録され、過去40年間で最高のベビーブーム到来と騒がれたが、ヨーロッパでそんな報道があったのはこの国ぐらいのものだろう。
英国の女は強い。というイメージが、マーガレット・サッチャーに代表される上層の働く女から来ているのは間違いない。確かにあの階級の女たちは、時代錯誤なセクシスト発言でも受けようもんなら言った男を完膚なきまでに叩き潰すだろうし、彼女たちが肩パッドで武装して戦って来た歴史があるからこそ、英国の上層の男たちは滅多なことは言えないのだ。
が、同じ英国でも、下層の世界はまるで違う。
下層社会には、家庭で「ビッチ」、「雌牛」、「淫乱女」と呼ばれて殴ったり蹴ったりされている女たちもいる。底辺託児所に勤めていた頃、顔の傷のあるアンダークラスの女たちを何人も見た。裏庭で恋人に蹴りを入れられている女性も見たことがある。彼女たちの子供は、そんな母親の姿を見ながら育つ。子供のために良くないとわかっていながら、早くこんな生活は清算しなければと思いながらも、彼女たちはいつも顔に傷を負っていた。そして彼女らの子供たちは成長し、母親を殴った男たちと同じことを自分の女にするようになる。その、乾いた現実の反復。
いったいぜんたい、ここはほんとうに女が強い国なのだろうか。
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以前、職場で顔に青痣をつくって出勤してきた若い保育士がいた。目の下のあたりが広域に青くなっている。寝ぼけて階段から落ちて手すりに顔をぶつけたと言っていた。彼女は20歳のシングルマザーで、同世代の恋人と同棲している。
一見してぎょっとするような青痣だったので、彼女はオフィスに呼ばれた。保護者たちの反応を心配して、マネージャーが当惑しているようだった。
10分ほどして、彼女は憤然としてオフィスから戻って来た。
「しばらく自宅待機しないかって言われた。痣がひどくて子供たちが怖がるかもしれないから、もう帰れって」
「・・・・それって、有給の自宅待機だよね、もちろん」
「ノー。自分の有給休暇を使って休めって言われた」
「違法でしょ、それ」
「うん。だから帰らない。働く」
彼女はそう言ってプレイルームに玩具を並べ始めた。
その日、子供を預けに来たミドルクラスの母親たちが彼女の痣を見た時の表情は忘れられない。明らかに誰もがDVによるものだと思っている様子で、ハッと驚いてから憐れみを示す表情になる人もいたが、「こんな人間に子供を預けて大丈夫だろうか」という不安を顔に出す人、あからさまに嫌悪感を示す人もいた。
医師やプレップ・スクールの教師といった高学歴の働く女たちの「顔に青痣のある女はうちの子には触らないでほしい」的なリアクションは、ある意味、日本の都議会で飛んだヤジぐらいあからさまで野卑だった。
女という性をすべて一まとめにして「シスターズ」と叫ぶフェミニズムはいったいどれほど現実的なのだろう。少なくともUKでは、たいへんに嘘くさい。
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ジョン・レノンが「一番嫌いなビートルズの曲」と言った歌がある。
「他の男と一緒にいられるぐらいなら
死んでくれたほうがまし
用心したほうがいい
俺は分別がなくなるから」
『Run For Your Life』は、英国では今でもDVを連想させる曲として語られる。レノンは、この曲の歌詞ははプレスリーの『Baby Let's Play House』にインスパイアされたとものだと言った。
が、晩年には「書いたことをもっとも後悔している曲」とも発言している。
亡くなる数年前、彼は最初の妻を殴っていたことを暗に認めるような発言をした。『プレイボーイ』誌のインタヴューでこう言ったのである。
「僕は自分の女に対して残酷だったことがある。肉体的な意味で、どんな女性に対しても。僕は殴る人間だった。自分を表現することができないと殴った。男とは喧嘩し、女は殴った」
英国には「強い女とジェントルメン」の構図とは全く別の世界が存在している。
その世界は上のほうが先に進めば進むほど後方に取り残されて行く。格差が広がれば広がるほど、進んだ世界と遅れた世界のギャップは大きくなる。
警察の発表によると、2013年第4四半期でDVの件数は15.5%増えたそうだ。