Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第26回:JE SUIS 移民
なかなか慌ただしい年の初めだった。
昨年末から、連合いの姉たちと交代でアイルランドの姑の介護をしていて、正月はわたしの番だったので姑と一緒に新年を迎えたのだが、帰国した数日後に姑が他界した。で、またアイルランドにUターンすることになったのである。
姑はアイルランドの田舎の小さな村に住んでいた。夫が亡くなるまではロンドンに住んでいたが、未亡人になるとすぐアイルランドに戻った。「黒い肌や茶色い肌の強盗だらけ」のロンドンは大嫌いだったそうで、そんな彼女だから、連合いが東洋人の嫁を貰ったときもネガティヴな反応を示した。姑と舅がロンドンに渡ったのは1950年代で、英国では「犬と黒人とアイルランド人はお断り」などと言われた時代だ。アイリッシュ労働者の家庭も差別されたんだろうが、姑は有色人を自分たちのさらに下に位置する者と思っていた。アイルランドの緑の大地を愛した姑は、ロンドンの喧噪や地下鉄や細い路地を怖がり、白人以外はみな犯罪者だと決めつけていたという。
しかし皮肉なのは、姑が亡くなる前にお世話になっていた医師はインド人であり、看護師はフィリピン人で、家では日本人の嫁に介護されていたことだ。
世界とはまあそういう方向に進んでいる。
*********
アイルランドのカトリック教会で行われる葬式には前日に棺を教会に運び込む儀式がある。
さすがはアイルランドの田舎というか、村民全員が出て来たのではないかと思うぐらい教会に人が集っていた。で、身内の人間は最前列の祈祷席に座る慣習があるのだが、わたしは単なる嫁の立場なんで二列目に座ります、と言うのに義姉たちに腕を取られ、一番前に座らせられた。短い儀式が終わると、村民たちがずらりと並んでこちらに近づいて来た。昔、スペイン映画でこういうシーンを見たことがあるが、儀式に集まった人びとが身内の人間全員と握手を交わすしきたりになっているらしい。
「Sorry for your loss」
口々にそう言いながら、村人たちが一人ずつ、義兄、姪、連合い、義姉、と次々に握手を交わしながら、こちらに近づいてくる。振り返って村人の列を見ると、少なく見積もっても100人は下らない。
「Sorry for your loss」
「Thanks for coming」
とわたしも彼らと握手を交わしながら何人目かの村人が近づいて来たときだった。
つ、と先方の手がわたしをスルーして隣の義姉の手を握ったのである。先方はわたしの顔さえ見ようとしない。彼がそうしたのを見て、次の人もそうした。まるでわたしは唐突に彼らには見えない透明人間になったようだ。
おおーっ。と思った。こういうあからさまな経験は久しぶりだったからである。
思えば、結婚当初に連合いの実家に行っていた頃もわたしは透明人間だった。
「レイシズムという点では、アイルランドは英国より50年遅れている」
と言ったのは、息子と同じ学校に通っているアイルランド人の子供のお母さんだが、なんやかんや言ってもリベラルでアナキーなブライトンで暮らしているわたしは、この田舎の秩序ある白人レイシストたちの存在を忘れてしまっていた。彼らはヘイトスピーチなんか一言も発さないが、ある意味、「出て行け」とか「よそ者は失せろ」とか言葉をかけられたほうが人間として存在を認められただけでもリスペクトがある。が、黙殺。文字通り黙って存在を殺されることは、対立の土俵にも上げて貰えないことだ。
どんな顔をしてこんなことをしているのだろう。と思ったので、一人一人の顔をつぶさに観察しながら、わたしはすべての村人に手を差し出した。表情一つ変えずにこちらを完全無視する人もいれば、わたしを一瞥してからわざとらしく顔の向きを変える人、こちらの視線が鬱陶しいらしく顔を歪める人もいた。握手した人の方が多かったのだが、しなかった人も驚くほど多かった。
見るからに非白人だから嫌がられたのか、東洋人がカトリック信者であろうはずがない、だのに我々の教会の最前列で黄色い女が何をしているのか、という宗教的憎悪だったのかは不明だが、あれは実に見事な握手拒否であった。「信仰よりも愛が大事」と言った人を教祖とする教会での出来事と考えれば、それはある意味フランスの風刺画よりも風刺的である。
**********
ふと目を上げると、祭壇の十字架にかけられたキリストの頭の上に「INRI」の文字が見えた。INRIとは、Iēsus Nazarēnus, Rēx Iūdaeōrum(ユダヤ人の王)の略称である。
当時のイスラエルには、死刑に処させる罪人がかけられる十字架の上部に当該人物の罪状を書き込む習慣があった。が、キリストは犯罪を犯したわけではなく、「ユダヤ人の王」と信者に崇められ、権力者たちに危険視された教団を率いていたという理由で殺されたので、「ユダヤ人の王」という罪状が書かれた。これは嘲笑の対象になるという効果もあり、粗末な布で局部を隠しただけという貧乏くさい姿で強盗や殺人者と一緒に処刑されるホームレスのような男が王様のわけねえだろ。とキリストを見た人びとは笑ったのであり、つまり十字架についている「INRI」とは風刺の文句とも言える。
欧州人が言論の自由の名のもとに宗教をおちょくり倒せるのは、欧州文化の母胎であるキリスト教がアンチヒーローを教祖とする宗教だからだとわたしは本気で思っている。蔑まされ、バカにされ、風刺の対象にされて処刑された情けない男が、最も低いところにいたからこそ神になり得た。というパラドキシカルな側面がどうしたってキリスト教にはある。だからこそ、彼らはタブーの意識が希薄なのだ。キリストだっておちょくられたのだから、何だって風刺の対象になり得る。が、それは他の文化圏・宗教圏の人びとには通用しない。神様とは王様然とした金箔銀箔づくしの存在だったり、絶対的聖域でなくてはならないと思う文化圏の人びとに「アンチヒーローを敬う文化」を受け入れろと言っても無理だ。
わたしはアンチヒーローや風刺が大好きで(何の因果かカトリックの洗礼を受けた過去があるからかもしれないが)、オールタイム・フェイヴァリット映画が『ライフ・オブ・ブライアン』などと言っている人間だから宗教はコケにされてもいいものだと思っているし、そうされる宿命を負ったものだと思う(だからこそ信じられると思う人間もいるからだ)。が、同時に、異なる宗教や背景を持つ人びとが異なる考えを持つのは当然である。最近の風潮として、アイルランド人にせよ英国人にせよ、「ムスリムはユーモアを解さない」みたいなことを言う人が多いが、移民のユーモアのセンスまで矯正するつもりなのだろうかと訝ってしまう。
少なくとも、わたしが知る限り、ムスリム移民の多くは、「俺らVSやつら」といった構図の中で生きているわけではなく、つつがなく日常を送るために自分から歩み寄っている。
*********
日本で言う通夜にあたる「wake」は、教会での握手会の後に近所のパブで行われた。アイリッシュの「wake」は楽器を弾いて歌ったり踊ったりのパーティー状態だったと記憶していたが、高齢化が進む地方の村ではそれはいたって静かなものだった。握手拒否の人びとが遠くのほうでサンドウィッチを頬張りながら笑いさんざめいている。
「パキスタン人のムスリムが経営するカレー屋が」
と高齢の未亡人が言った。彼女は20年近く前からわたしを知っているので、教会でわたしの手を握り、抱擁してくれた人だった。
「『イスラム教にもキリストは出て来るんだよ』と言って、イーサーという預言者の絵を店内に飾っている。『これはマリアだ』と、その預言者の母親の絵も隣に飾っているのよ」
「・・・・ああ」
「多くのアイルランド人は、『あれはキリストではない』と言うの」
「英国の教会にもそういう人たちはいます」
「たとえあれがキリストでなかったにせよ、自分や家族の身をゼノフォビアから守るためにああいう絵を自分の店に飾っている人たちを見て、キリストが『それは俺じゃない』と言ったかしら」
「・・・・・」
「私は言わなかったと思う。そのことを忘れると欧州は大変なことになる」
テーブルの上には大量のサンドウィッチとスープとスコーンとティーとギネスが並んでいた。若い頃はこんなアイルランドが大好きで、此処に住むのが夢だった。
が、今はそうは思わない。なんか物足りない。異なる肌の色や常識や理念が入り混じり、黙殺ではなくヘイトスピーチが飛び交うブライトンの喧噪が恋しかった。
無性にチキン・ティッカ・ビリヤーニが食いたくなって往生した。ギネスに合うのはサンドウィッチよりカレーだ。