Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第32回:ヨーロッパ・コーリング
ele-kingの読者がギリシャ危機にどのくらい興味を持っておられるかは不明だが、この問題は金融・経済関係者だけに語らせておくには勿体ないサブジェクトである。個人的には、ギリシャのシリザやスペインのポデモス、スコットランドのSNPなどの欧州政治を騒がせている反緊縮派たちを見ていると、こっちのほうがいま音楽よりよっぽどロックンロールで面白い。英国総選挙前にケン・ローチが「これは英国だけの問題ではない。欧州全体での反緊縮派と新自由主義との戦いになる」と言っていたが、それがどうもマジではじまっている実感がある。
とまあこういうことを身近に感じるようになったのは、緊縮託児所(FKA底辺託児所)にまた出入りするようになったので緊縮というものについていろいろ考えるようになったということもある。
が、5年前ならこんなときにしこたま話をすることができたそっち系の人びと(AKAアナキスト)の姿をとんと見なくなってしまった。彼らはいったいどこに行ったのだろうか。
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保守党政権が進めている緊縮政策のせいで、ミュージシャンや俳優といった仕事は一部の恵まれた階級のものになり、アートが地べたから剥離したものになっている。というのはわたしも書いてきたし、紙版ele-kingのインタヴューでジャム・シティも語っていたことだ。
で、今回、貧民には手が届かなくなった仕事としてもうひとつ挙げたいものがある。
アナキストである。
アナキストが職業なのかというのは微妙なところだが、失業保険や生活保護を受けながら、自らが信じる政治的信条のため日々ヴォランティアや政治運動に明け暮れていた人びとの姿が見えないのである。ブライトン名物といえばアナキストと言われていたものだが、彼らの絶対数がストリートから減っている。底辺生活者サポート施設に出入りしていたアナキスト系無職者には、ミドルクラス以上の裕福な家庭で育ち、私立校出身の高学歴なのに自らの主義主張のために下層に降りて来た人が多かった。しかし、如何せんアナキストなので実家とは疎遠になったり、勘当状態の人も結構いて、育ちは良くとも本人たちは貧乏だった。そんな彼らも緊縮財政で失業保険や生活保護の減給・打ち切りにあい、就職したり、借金苦に陥って行方不明になったり、もはや政治的ステイトメントとしてドレッドヘアをしているのではなく、本物のドレッドになって路上に寝ている人さえいる。
「お前らアホなことやってないで働けよーと思ってたけど、実際に街で見かけなくなると寂しいな」
ダンプの運ちゃんをしているうちの連合いは言う。
「というか、よく考えるとヤバい。なんやかんや言って、あいつらは権力にカウンターかける存在だから。世の中からカウンターが消えてるってことだもんな」
その主張の良し悪しは別として、生き生きとしたカウンターが存在できる世の中というのは、デモクラシーがあるということだ。カウンターのパワーが消され、見えなくなった社会ではデモクラシーも虫の息である。
ギリシャにしても、国民投票で人民は「もう緊縮は勘弁してください」と言ったのにまだやらされるのはなぜなのか。それは経済を立ち直らせるためではない。世界のほぼ全ての著名経済学者が「ギリシャの場合、緊縮してたら借金は減らんよ。不況も終わらん」と断言しているのである。それは財政や経済とはもう関係ないのだ。EUという欧州を牛耳る組織の指導者たちが、生き生きとしたカウンターが存在するような社会にしたら面倒くさいと思っているからだ。自分たちに逆らうやつは緊縮、緊縮、また緊縮で夢も希望も奪っておとなしくさせる。というディシプリンというか「躾け」の為政法が緊縮なのである。
学者が「それは間違ってるよ」と全員一致で言い、人民が「そんなの絶対に嫌」と言っても、為政者がゴリ押しで自分のプランやアジェンダを押し通す。
洋の東西を問わず、強引な政治はトレンドである。
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で、例えば保育園でも他人の言うことを聞かずにすべて自分の思う通りにする子供がいるときは、先生や他の園児が舐めきられているときだ。スペインの場合には、先生が園児たちに、「みんなで一緒にがんばれば○○ちゃんの思う通りにはならなくなるよ」とわかりやすく話しかけてポデモスという反勢力を結成した。先生とは政治学者のパブロ・イグレシアスであり、○○ちゃんは緊縮とグローバル資本主義だ。
また、スコットランドでは園児のなかから元気のいい女児が出て来て、「○○ちゃんのやり方は不公平でおかしい」と公言してそれに従わず、仲のよい友だちを連れて半独立グループを教室の隅に結成したところ、○○ちゃん派の園児のなかにも「あっちのほうが楽しそう。ボクもあっちに行こう」と言う子たちが出てきて教室全体に影響を与えはじめた。元気のいい女児はSNPのニコラ・スタージョンで、○○ちゃんとは緊縮とUK政府である。
が、ギリシャでは力の強いEUちゃんに真向から殴り合いを挑んだシリザという園児グループが完膚なきまでに打ち倒され、主義主張も捨てさせられて死にかけている。しかし、どうやらノーベル賞という偉い賞を貰った外国の保育園の先生が、園児たちを助け起こしに行っているらしい。ギリシャ入りした先生とは経済学者のスティグリッツだ。クルーグマンもピケティもフルヴォリュームでEUちゃんを批判している。
これらの動きが時を同じくして出て来ているのは、偶然ではない。
そして英国にも、ついにこれらと連動する事象が表出してきた。
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総選挙以来空席になっている労働党首に、ジェレミー・コービンという66歳の「労働党内左派」が立候補したとき、党内外の人びとは腹を抱えて笑った。保守党などは、彼が党首になれば二度と労働党に政権を奪われることはないと色めき立ち、「次の選挙にも勝つために一時的に労働党に入党してみんなでコービンに投票しよう」キャンペーンを張っていると言われているほどだ。
「首相は40代」が近年の常識になっている英国では、前線の政治家は日本に比べるとぐっと若い。66歳などというのは爺さんすぎて、間違っても党首などになる年齢ではない。しかもこの爺さんはダイ・ハードなレフトである。83年に国会議員になって以来、反核、反戦、パレスチナ問題、反富裕、反緊縮など、左翼デモには常にこの人の姿があった。所謂「そっち系の人」なのだ(彼が芸能活動もしていたら、間違いなく拙著『ザ・レフト』に入れた)。
「アホかー。そんなマルクス主義の爺さんが労働党の党首になるわけねえじゃん。げらげらげら」
が世間の反応で、メディアも「こんな貧乏くさい極左(彼は最も経費を使わない国会議員のひとり)が党首候補になるほど労働党はジリ貧」という視点で面白おかしく書きたてた。
が、『ガーディアン』紙の若き刺客オーウェン・ジョーンズだけは、
「ジェレミー・コービンが党首に立候補した。やっと面白くなってきたじゃないか」
と興奮ぎみに書いた(で、こっちも「気でも狂ったか」とげらげら笑われた)。
5月の総選挙を見る限り、労働党が大敗したのは政策が保守党と大差なかったからで、だからこそ左翼的でオルタナティヴな政策を唱えたスコットランドのSNPが大躍進を遂げたのだ。冷静に考えればどうやったら労働党が盛り返せるのかはわかりそうなものだが、労働党はいまでも次のトニー・ブレアを探している。ブレア時代のシャンパンまみれのヴィクトリーが忘れられず、「二度と時代錯誤な社会主義政党には戻ってはいけない」をマントラにしているのだ。
んが。
その裏でコービン支持が不気味に広がっており、労働組合や若い世代の支持を受け、非公式の党内調査で支持率が本命のアンディ・バーナムを抜いて1位になったという報道まで出ている。何よりもこの現象に驚いているのは本人だろう。ケン・ローチが左翼不在の社会の捨て石となるためにレフト・ユニティを立ち上げたように、コービンもまた左翼不在の労働党の捨て石になるために党首に立候補したのだ。主役になるつもりは、というか、勝つつもりは全くなかった筈だ。
労働党幹部たちは「彼が党首になったら、労働党は終わってしまう」とパニックし、右派新聞『デイリー・メール』の読者コメント欄には「でもよく考えたら、レフトが労働党のリーダーになることのどこがいけないんだろ」という根源的疑問が寄せられている(右派のほうが左派のことを冷静に見ているというのは往々にしてある)。
いやー、この感じはまるでジョン・ライドンがB級セレブ番組に出演し、怒号と嘲笑の中でぐいぐい支持を伸ばして優勝候補になったときのようだ。
この躍動感はただごとではない。コービンはロンドン北部選出の議員だが、これはロンドン・コーリングではない。ヨーロッパ・コーリングだ。
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以下は拙著『ザ・レフト』に書いた文章だが、リピートしたくなってきた。
「誰もが度胆を抜かれるほど先鋭的なものを創造する鍵は、誰もが度外視している古臭いものの中に隠れていたりする。というのは、例えば音楽の世界では常識だ。政治の世界でも、そんなことが起こる時代に差し掛かっているとすれば、わたしたちは面白い時代に生きているのかもしれない」