1982年生まれ、三重県鈴鹿市在住のラッパー、YUKSTA-ILL(ユークスタイル)を知らずして、東海地方のヒップホップとその歴史について語ることはできない。彼は00年代後半からいままでブレることなくコンスタントに作品を発表し、そのたびに全国をツアーで回っている。以下のインタヴューでは、東京、大阪、名古屋などの大都市ではない地域でアンダーグラウンドな音楽をつづけることの困難とそれを乗り越えてきた経験の一端が語られる。
YUKSTA-ILLは00年代後半にはヒップホップとハードコアが独自に深くつながる名古屋、東海地方のストリート・カルチャーの土壌が生んだ突出したラップ・グループ、TYRANTの一員として活動。その後、15、16年に『WHO WANNA RAP』とそのリミックス盤『WHO WANNA RAP 2』という決定的な作品を発表した大所帯のクルー、SLUM RCに参加。個性豊かな面々が混じりけのないラップの魅力で競い合う美しさにおいて日本語ラップ史に残る2枚のアルバムだ。TYRANTとSLUM RCは、「日本語ラップ史」における重要度に比してあまりに評価が追いついていないと言わざるを得ない。が、YUKSTA-ILLについて語るべきことはそれだけではない。
YUKSTA-ILLのラップの特異性は、「どんな奇妙で変則的なビートでもラップしてやろう」という好奇心と冒険心から生まれている。日本でこれだけラッパーが増えた現在でも、YUKSTA-ILLのような、ブーム・バップとトラップの二元論やトレンドに囚われない冒険心を持つラッパーというのは少数派だ。ダニー・ブラウンが風変わりとされ、唯一無二であるように。良くも悪くも、一般的にラッパーは、その時代のトレンドの形式や様式のなかで個性やスキル、人生経験を競い合うものだ。すでに約10年前、ビートメイカー、OWLBEATS『? LIFE』(12)におけるYUKSTA-ILLのラップは、まさにele-kingのレヴューにおいて、実験的なエレクトロニック・ミュージックの観点からも驚きをもって評されている。
だから、YUKSTA-ILLが今年4月に発表した通算4枚目のアルバム『MONKEY OFF MY BACK』は、“オルタナティヴ・ヒップホップ” と言えよう。彼がこれまでリリースしたファースト『questionable thought』(11)、セカンド『NEO TOKAI ON THE LINE』(17)、サード『DEFY』(19)がそうであったように。彼はアルバム以外に、盟友=ATOSONEとの12分間の実験作品『ADDICTIONARY』(09)、KID FRESINOやPUNPEE、16FLIPら東京のビートメイカーとの共作EP『tokyo ill method』(13)、あるいは、『MINORITY POLICY OPERATED BY KOKIN BEATZ THE ILLEST』(15)や『ABYSSS MIX』といった自身の楽曲などを仲間のDJがミックスする作品を残している。後者のミックスは、YUKSTA-ILLの未発表曲、リミックスなどとアメリカのラップを混ぜてミックスしていくDJ BLOCKCHECKの手腕によって、YUKSTA-ILLの多彩なフロウがいかにグルーヴィーであることを伝えている。
本作では、呪術的なムードが漂う “DOUGH RULES EVERYTHING”、ジャズのドラムロールの一部をループしたような騒々しいビートでCampanellaとスキルを競い合う “EXPERIMENTAL LABORATORY(その名も「実験室」)” の2曲が象徴的だ。両者ともOWLBEATSのビートだ。その他にMASS-HOLE、KOJOE、ISAZ、UCbeatsのビートがある。さらに、山口のラッパー、BUPPONとの “BLOOD, SWEAT & TEARS” はいわば “ローカルからの逆襲” である。このふたりが、あのtha boss(THA BLUE HERB)と共作した “HELL'S BELLS”(『IN THE NAME OF HIPHOP』)の続編としても聴ける。
今年41歳になる彼は自主レーベル〈WAVELENGTH PLANT〉を立ち上げ、最新作をそこから出した。音楽を、表現をつづけることが闘いなのだと言わんばかりに。ライヴで渋谷にやってきたYUKSTA-ILLに話を訊いた。
YUKSTA-ILL - BLOOD, SWEAT & TEARS feat. BUPPON
工場が多くて、トラックもめちゃめちゃ多い。物流が産業の中心だから、東北や九州から来た出稼ぎの労働者の人も多くて、そういう人がお店やクラブに迷い込んでくることもあるんですよ。
■4年ぶりのアルバムですね。この数年間はどう過ごしていました? コロナもあったじゃないですか。
YUKSTA-ILL:前のアルバム『DEFY』を2019年2月に発表してから約1年はツアーを回っていましたけど、2020年の年が明けてほどなくして世の中コロナになってしまって。ライヴが決まっていても、緊急事態宣言やまん防(新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置)で延期か中止になるからライヴに向けてのモチベーションが保てなくて。そのころNYの街もロックダウン中で、当時はまだ現地にいたSCRATCH NICE、GRADIS NICEから届いたビートで、『BANNED FROM FLAG EP』(20)を作って。それからは、水面下で曲は作り続けていましたけど、三重からはあまり出なかったですね。近くの公園にバスケのゴールができたから、早朝にバスケして、散歩してるおじいちゃん、おばあちゃんと戯れて、帰って午前中からリリックスを書いたりしてました。
■マイペースにやっていたと。
YUKSTA-ILL:アルバムを出したら、曲を引っ提げて全国を回りたいじゃないですか。『NEO TOKAI ON THE LINE』のときはOWLBEATSと、『DEFY』のときはMASS-HOLEといっしょに全国を回りました。俺は、フル・アルバムを出すというのはそういうことだと思っていますから。『BANNED FROM FLAG EP』を出したあとも、三重以外でも呼んでくれる土地には行きましたけど、中止や延期の可能性も高かったから自分からはアプローチはしなくて。心置きなくライヴをできるまではアルバムを出すタイミングじゃないと思っていましたね。
■ライヴをやってナンボですからね。
YUKSTA-ILL:ホントそうなんですよ。だから、とりあえず曲を作り溜めてそれから考えようと。
■たとえば、“JUST A THOUGHT” の冒頭の「時として なんなら飛び込みてぇ/脱ラッパー宣言 『例えば』とか『もし』の視点」っていうリリックはコロナ禍での鬱積した気持ちの表れなのかなと。
YUKSTA-ILL:田舎は人が落ち着くのが早くて、まだ若いのにクラブやライヴ・ハウス、遊ぶ場所に来なくなる人も多いんですよ。名古屋や東京のような都会では、年齢層高めでも遊んでいる人が多いじゃないですか。そういう都会に行くと、ずっとやってるヤツ、ギラついているヤツにも会って自分のマインドを保てるけど、田舎はそうじゃないから。それに追い打ちをかけるようにコロナも流行して、俺自身も三重にこもりっきりになって、プライヴェートでもいろいろあって、そういうなかから出てきたリリックスですね。ラップを辞めるつもりはないですよ(笑)。ただ、やっぱり人生についていろいろ考えるじゃないですか。だから、「『例えば』とか『もし』の視点」と書いているし、曲の最後は、「どこまで行こうとも根本 芯はDEFY」と締めている。『DEFY』は前のアルバムのタイトルで、「ブレない」「確固たる」という意味。そこに最後は戻るという構成になっている。アルバムのなかでいちばん早い段階ぐらいでできた曲ですね。
■リリックで面白かったといえば、“DOUGH RULES EVERYTHING” の「金だ金だ金だ金だ金だ」っていうフックの反復ですね。
YUKSTA-ILL:これは、J・コールが金について歌った “ATM” っていう曲のオマージュなんですよ。J・コールとゴタゴタがあったリル・パンプへのアンサー・ソング(“1985”)があるじゃないですか。あの曲と同じく『KOD』に入っていますね。フックで「Count it up, Count it up」ってくり返す箇所が「金だ金だ」に聴こえるし、意味としても「金を数える」だからサンプリングしたんです。俺のフックの「あの世に持って行けんけど/ないと生きていけん」というリリックも、その曲の「Can't take it when you die, But you can't live without it」の和訳なんですよ。
J. Cole - ATM
■なるほど、そうだったのか。ユークくんは、J・コールについて前回のインタヴューでも語っていましたね。やはり好きなラッパーのひとり?
YUKSTA-ILL:J・コールはカッコいいと思いますね。J・コールは、バスケへの愛があるし、プロのバスケ選手にもなったじゃないですか(バスケットボール・アフリカ・リーグのルワンダのチーム「Patriots」に一時所属、試合への出場も果たした)。ラップのリリックスにもそういうのを盛り込んでくるんですよね。だから、俺も無条件にフィールしている。『The Off-Season』(2021年)のアルバムのジャケでもバスケット・ゴールが燃えているし。それと、J・コールの出身地のノースカロライナ州はアメリカの田舎なんですよ。そういうローカルな感じも好きですね。
■ユークくんはアメリカのどこに住んでいたんでしたっけ?
YUKSTA-ILL:ペンシルベニア州のポコノですね。フィラデルフィアやニューヨークに近い山地で避暑地みたいな場所です。子どものころに4年ぐらい住んで、現地の学校に通っていました。日本人は俺と妹しかいなかったですね。物価が安いからポコノに住んでNYに出稼ぎに行く労働者も多かったみたいだし、黒人の人も多くて、クール・G・ラップやDMXのリリックにもポコノの名前が出てくる。だから、なおさらヒップホップにのめり込みましたね。
■ということは、ラップはアメリカで始めたんだ。
YUKSTA-ILL:高校生のころ、ポコノの地元のヤツらがラップをはじめて、俺もそこに交じった感じです。クルーとまでは言えないけど、集団になって。で、そのなかのひとりの父ちゃんがビートを作っていて、アメリカによくあるベースメント、要は地下室をスタジオにしていたんです。そこにみんなで集まってやっていましたね。
■最初は英語でラップしていた?
YUKSTA-ILL:いや、それが日本語でやるんですよ(笑)。一時帰国したときに、ちょうど “Grateful Days”(1999年)がオリコンで1位になっていたんです。しかも当時、ヤンキーもFUBU(90年代のヒップホップ・ファッションを代表するブランド)とか着ていたじゃないですか。それで、「日本でもヒップホップが来てるのか! ヤベェ!」って興奮したんですけど、周りのヤツらに話をよくよく聞いてみると、音楽は浜崎あゆみを聴いていると。俺はそれぐらい日本の事情を何もわかっていなかったから。いまだから言えますけど、自分でリリックを書きはじめる前は、“Grateful Days” のZEEBRA氏のヴァースを向こうのヤツらの前でキックしたりしていました(笑)。すると向こうのヤツらも「こいつヤベエよ! ライムしてるぜ!」ってなって。
■はははは。いい話。
YUKSTA-ILL:あと、『THE RHYME ANIMAL』(ZEEBRAのファースト・アルバム/98)の “I'M STILL NO.1” のヴァースもやりましたね。そうそう、フォースM.D.'Sっているじゃないですか。そのうちのひとりがポコノで服屋をやっていたんですよ。そこに遊びに行って、「俺、ラップするんだよ」ってラップをやってみせたりしていました(笑)。もちろん、その後はちゃんと自分で日本語でリリックを書くようになりますね。
■ポコノには、日本人が他にいなかったということでしたけど、差別も厳しかったですか?
YUKSTA-ILL:まあ、どこ行っても差別みたいのありましたね。車でモールに行って買い物して帰って来たらタイヤの空気が抜かれていたり。アジア人だからってそういうことはありましたよ。俺、中学生のころはバスケ部だったし、向こうにはコンビニ感覚でゴールがあるからとうぜんやっていたんです。ちょうど(アレン・)アイバーソンが登場して活躍しはじめる時代です。そのアイバーソンの必殺技にクロスオーバー・ドリブルっていうのがあって。俺はそのドリブルを中学生のころに習得していたから、アメリカでもそれをかましたら、向こうのヤツらがぶち上がっていましたね(笑)。
■それでリスペクトをゲットしたと。
YUKSTA-ILL:そうそう。それでリスペクトを得て打ち解けていったのはありましたね。そもそも俺は、バスケからヒップホップに入ったんです。アイバーソンが出てきて、バスケとヒップホップがリンクしているのを知ってヒップホップに興味を抱いた。今回のアルバム・タイトルの『MONKEY OFF MY BACK』もよくスポーツ選手が使う諺みたいな言葉で、「肩の荷を下ろす」とか「苦境を脱する」みたいな意味合いで、“FOREGONE CONCLUSION” の最後で、この言葉を使うコービー(・ブライアント)のインタヴューをサンプリングしているんですよ。
■なるほど。
YUKSTA-ILL:当時、日本のバスケ雑誌にも、毎月1ページだけ、ヒップホップのアーティストが紹介されるコーナーがあって。アメリカにいるときに、日本から雑誌を取り寄せてもらって、そのコーナーを隅から隅まで読み込みましたね。1回目がZEEBRA氏、2回目がDEV LARGE氏、3回目がK DUB SHINE氏で、4回目がYOU THE ROCK★氏でした。その雑誌を読んで、日本にもヒップホップがあるのを知ったぐらいですから。
■00年に、ナイキのキャンペーンで、ZEEBRA、DEV-LARGE、TWIGYの3人がバスケットをテーマにした “PLAYER'S DELIGHT” を作っていますよね。
YUKSTA-ILL:ありましたね。
[[SplitPage]]DJをやるようになって、ライヴに行った先々の土地でレコードを買う楽しみができて、ヒップホップの新譜のLPをDJでかけたいから買うようになりました。
■ところで、今回の作品は、自身の自主レーベル〈WAVELENGTH PLANT〉の第一弾リリースじゃないですか。このタイミングで自分のレーベルを作ろうと思ったのはなぜですか?
YUKSTA-ILL:自分の地元の三重の鈴鹿・四日市を色濃く形作るためにはやっぱりレーベルを立ち上げてやった方がいいと思ったんですよね。
■ピッチダウンさせたソウル・ヴォーカルをループしているような “TBA” を作っているUCbeatsさんはユークくんの地元・鈴鹿のビートメイカーなんですよね。
YUKSTA-ILL:そうっすね。地元の鈴鹿・四日市の現場にも20代前半ぐらいの若いヤツらも増えましたけど、UCbeatsは、俺とその若いヤツらのあいだぐらいの世代ですね。UCbeatsは、鈴鹿にあるゑびすビルという複合ビルに〈MAGIC RUMB ROOM〉というスタジオを持っていて、自分もそこにいたりしますね。〈KICKBACK〉(三重県のハードコア・バンド、FACECARZのヴォーカルのTOMOKIが営む洋服屋)もあって、2階が〈ANSWER〉っていうライヴ・ハウスです。もともとヤマハ楽器のビルだから防音の扉もしっかりしているんです。
YUKSTA-ILL - TBA
■〈WAVELENGTH PLANT〉というレーベル名はどこから?
YUKSTA-ILL:WAVELENGTHには「波長」とともに「個人の考え方」という意味があり、さらに、鈴鹿・四日市は工業地帯だからPLANTと付けました。ロゴは四日市コンビナートと、波形データをイメージしてデザインしてもらいました。
■鈴鹿や四日市はどんな町なんですか。やはり労働者の町?
YUKSTA-ILL:そうですね。工場が多くて、トラックもめちゃめちゃ多い。物流が産業の中心だから、東北や九州から来た出稼ぎの労働者の人も多くて、そういう人がお店やクラブに迷い込んでくることもあるんですよ。だから、仕事を選ばなければ仕事はあって職には困らない地域とも言えます。で、鈴鹿の隣町の四日市が三重ではいちばん栄えている町で、そこに〈SUBWAY BAR〉というクラブがあるんです。
■そこが、地元の活動の拠点なんですね。
YUKSTA-ILL:そうですね。今日バックDJとして(渋谷に)来てくれてるキヨシローっていうヤツが〈TRUST〉ってパーティをやっていて。俺がライヴをやるときもあれば、「レコード持って行っていい?」ってDJやりに行く回とかもあるんですよ。コロナ前に1982S(YUKSTA-ILL 、ISSUGI、仙人掌、Mr PUG、YAHIKO、MASS-HOLEの1982年の6人から成るヒップホップ・グループ)が中目黒の〈SOLFA〉でDJオンリーのパーティをやるときに、MASSくんから「DJできる?」って声かけられて、そこで初めてDJしました。
■ああ、そうだったんですか。
YUKSTA-ILL:今回のアルバムのCDの特典に、DJ 2SHANの『BLUE COLOR STATE OF MIND』ってミックスCDを付けているんですけど、そのDJ 2SHANは四日市で〈RED HOUSE〉っていうレコ屋をやっている。レコードでDJする彼にDJを教えてもらって、本番に臨みましたね。MASSくんも悪い男だから、俺は初めてのDJなのにメインフロアの1時ぐらい、しかも16FLIPのDJの前に組まれて(笑)。この世のDJの皆さんには謝りたいぐらいですけど、つなぐだけで盛り上がってくれてほっとしました(笑)。DJをやるようになって、ライヴに行った先々の土地でレコードを買う楽しみができて、ヒップホップの新譜のLPをDJでかけたいから買うようになりました。和歌山にラッパーのSURRYくんがやっている〈Banguard〉っていうお店があるじゃないですか。
■おお~、SURRYくん! わかります。
YUKSTA-ILL:嫁の地元が和歌山で、〈Banguard〉にも行く機会が増えて。あのお店はヒップホップのみならずレコードの品ぞろえがいいんですよ。それで行くとテンションが上がって、行くたびに何かを買って帰るようになりましたね。DJをやるようになってから新しい視点が加わりましたね。“JUST A THOUGHT” の「まるでレコードの溝 はみ出るニードル 対応には全神経集中する肉眼を駆使」とかは前の俺からは出てこないリリックスですし。DJをちゃんとやっている人にたいして、俺なんかが大それたことは言えないですけど、楽しみが増えたって感じです。ソウタ(ATOSONE/RC SLUM主宰/ブランド「Comma Violeta」のオーナー)もたまに「〈COMMON〉(ATOSONEが名古屋にオープンしたGallery&Bar)でDJしないか?」って誘ってくれますし。
三重のヤツらは才能があるのに発信しようとしないヤツらも多いんですよ。だから、〈WAVELENGTH PLANT〉では、若くてやる気はあるけど、右も左もわからないヤツをサポートしたい。
■DJは楽しいですよね。音楽との関わり方のチャンネルがひとつ増えますよね。ユークくんの周りにはお手本になる良いDJがたくさんいるんじゃないですか。今回のアルバムでもビートを2曲手掛けているISAZもミックスCDをコンスタントに出していますし、ぼくは彼のミックスCDがすごく好きで。
YUKSTA-ILL:ISAZのビートは軽やかですよね。あと瞬発力がある。じつは今回のアルバムは作り溜めてきたものをいろいろ調整して作り上げたんです。KOJOEくんが大阪にいたときにいっしょに作品を作っていたんですけど、その途中で沖縄に行っちゃったんで(笑)。
■KOJOEさんは、東京、大阪に〈J.STUDIO〉という音楽スタジオを作って、東京はMONJUに、大阪はTha Jointzに任せて、さらにスタジオを作るために沖縄の那覇に移住したんですよね。
YUKSTA-ILL:そうなんです。KOJOEくんもいろいろプロジェクトを抱えている人なので、俺の考えるペースではアルバムが出ないと判断してスウィッチを切り替えて。KOJOEくんとのプロジェクトはいずれなんらかの形で発表するとして、俺のフル・アルバムをまず出そうと。それで、KOJOEくんに了承を得て、KOJOEくんと作った曲からピックアップして、今回のアルバムに収録した。ただ、KOJOEくんのビートをそのまま使っているのは2曲だけで、ほとんどビートは差し替えました。すでにREC済みのアカペラをビートメイカーに送ってビートを作ってもらって、送り返してもらって、さらにラップを録り直してブラッシュアップしていった。だから、けっこう迷走した時期もあって。俺はフル・アルバムを出すときにはやい段階でタイトルやコンセプトを決めて作っていくんですけど、今回は溜まった曲を並べていった。そうしたら、ぜんぜんまとまりがなくて、ISAZの2曲は、アルバムがじょじょに肉付けされていくなかで、アルバムに足りない部分を加えた曲だった。いままでと違う作り方をして完成させることができたのは新しい経験でしたね。
■そもそもユークくんとKOJOEさんとの出会いっていつですか?
YUKSTA-ILL:KOJOEくんが2009年にアメリカから帰国してからの付き合いなんで長いんですよ。KOJOEくんが帰国して最初のライヴは〈MURDER THEY FALL〉(1998年に第1回が開催された東海地方のハードコア、ヒップホップ、ストリート・カルチャーを象徴する重要イヴェント)で、自分はそこにTYRANTとして出演していたんです。それからじょじょに親しくなっていった。仲が良いからこそ、KOJOEくんからは厳しく言われますね(笑)。

■“TIME-LAG” はKOJOEさんのビートですが、ベースラインがカッコいいですね。
YUKSTA-ILL:いいですよね。WELL-DONE(大阪を中心に活動するクルー、Tha Jointzのラッパー) との “GRIND IT OUT” は、俺がTha Jointzのみんなも出てる大阪のイヴェントに行ったときにやることになった曲です。まだKOJOEくんも大阪にいました。ただ、KOJOEくんのビートをOWLBEATSのものに差し替えていますね。
■OWLBEATSさんも精力的に活動していますよね。〈OILWORKS〉から出した『ON-SHOCK』も今年出した『BAN-ZOK-HEADZ』も素晴らしかった。
YUKSTA-ILL:鹿児島出身のOWLBEATSとも古いです。OWLBEATSはファースト・アルバム『? LIFE』を〈RC SLUM〉からリリースしていますけど、その前から、鹿児島や沖縄にはよくライヴで行っていましたし、名古屋や地元以外で、いちばんライヴで行っている土地が鹿児島ですね。というのも、自分たちの周りは昔からハードコアとヒップホップのつながりは強くて、OWLBEATSはLIFESTYLEという鹿児島のハードコア・バンドと仲が良くて、名古屋にいっしょに来ていたんですよ。WELL-DONE も元々ハードコア・バンドをやっていましたしね。OWLBEATSが2015年にOTAI RECORDが主催して〈club JB'S〉で開催したビートメイカーのバトル・イヴェント〈BEAT GRAND PRIX 2015〉で優勝したときは、俺らは誇らしかったですよ。ブレずに自分のスタイルでやり続けていますよね。
■“SPIT EASY” にはALCIとGIMENが参加していますけど、すこし前に東京で観たALCIのライヴがめちゃくちゃパワフルでした。
YUKSTA-ILL:ALCIと兄貴のBRUNOの日系兄弟のライヴもすごいですよ。ぜひ観てほしいですね。兄弟だから出せるグルーヴがあって、あれは他のヤツらには真似できないっすね。ALCIはいまは名古屋にいますけど、四日市に2年ぐらい住んでいた。ヤツは、〈SUBWAY BAR〉で「AMAZON JUNGLE PARADISE」ってずっとやっているオープンマイクのイヴェントに三重に住む前から来ていて、ラッパーとしてそこで培ったものは大きいと思います。ALCIのソロ・アルバム『TOKAI KENBUNROKU』でも1曲やっています。でも、三重のヤツらは才能があるのに発信しようとしないヤツらも多いんですよ。だから、〈WAVELENGTH PLANT〉では、若くてやる気はあるけど、右も左もわからないヤツをサポートしたい。今回は自分のアルバムだけど、俺だけのレーベルじゃなくて、地元の他のヤツらにもみんなのレーベルと思ってほしいんです。











