「Wire」と一致するもの

暇をセレブレートするための5枚 - ele-king

 音楽を含めたエンターテインメントはたぶん無駄で、意味のない、そしてひまなひとのものだと。だからこそ僕は音楽が好きなのに、いまはそれを楽しむにしても相応の理由が要求され、他方で某企業は「暇は犯罪です」と言っている……。そういう世の中の流れは悲しくすこし怖いとも思う。坂本慎太郎は「役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい」と言ったが、まさにいま、役に立たないものがなぜ必要なのか? を突きつけられている。とまあ、シリアスな話になってしまったが、そんな昨今の流れで「いま聴くべきダンス・ミュージック」を紹介しようと思う。僕は役に立つと思って、意味を求めて、ひまを無くすためにダンス・ミュージックを聴こうと思ったことはいちどもないし、むしろ無駄、無意味、暇、それらをぜんぶおう歌するために聴いているのだ。意識したわけではないけれど、イヤホンではなくどれも巨大なスピーカーを通して聴きたくなるような音楽が並んだが、それは僕の気分でもあり、同時にこの状況下におけるアーティストやDJたちのフロアに対する渇望があらわれているのかもしれない。ひまや無駄をセレブレートできるひとならば、以下に紹介する音楽たちをぜひ聴いてほしい。


Disclosure - Never Enough EP Universal

 ポップスのフィールドで大成功を収めているUKのローレンス兄弟だが、主要なインスピレーション元であるフロアへの目配せも忘れないところが心憎い。2018年にゲリラ的にリリースした5曲入りのEP「Moonlight」では、ジャズのサンプリング、あるいはソウルのリエディットなどを取り入れた丁寧で踊れる楽曲が並んでいたが、このEPでも彼らは同じようなことをしている。つまり、そこにアメリカのポップスターのフィーチャリングはひとつもなく、4つ打ちを基調とするフロア志向の楽曲があり、そのどれもが彼らのスタジオ・ワークによってのみ繰り出されるサウンドなのだ。「最初にクラブに戻れた瞬間に聴きたいサウンドは?」「グラストンベリーで午前2時にシャングリラにはいるときの気持ちは?」「レディングでヘッドライナーを務めるのはどんな気持ちだ?」、そんな問いかけをしながら制作されたという。ああ、僕は “In My Arms” や “Happening” をクラブ、あるいはフェスで聴いてみたい。


Y U QT - U Belong 2 Me (Piano House Mix) South London Pressing

 希少なダブプレートをふんだんにスピンした『FACT』でのミックスから、ヴァイナルへのストイシズムをむんむんと感じさせるロンドンはリズ・ラ・ティーフによるレーベル〈South London Pressing〉からのリリース。Y U QT による “U Belong 2 Me (Piano House Mix)” は、サマー・アンセム・ヴァージョンとでも形容したくなるようなヴァージョンのミックスで、原曲はUKガラージだが、このミックスでは豪華なストリングスとともに4つ打ちが絡み合いながらピアノが重ってゆく、王道なハウスを展開。このほかにも “4×4 Mix” と、すこしあとに “Homeless Dub Mix” がドロップされたが、圧倒的にこの “Piano House Mix” が最高。ロンドンのクラブ再開に合わせてのリリースは、「夏のダンスに備えろ」というメッセージに思えてならない。


DJ ADHD - Vortex EP Pretty Wired

 インスタグラムにおける現在のフォロワー数は600人(どんどん増えている)ほどで、まだ謎めいたダークホースかと思ったが、すでにフローティング・ポインツ、D-ブリッジ、ハドソン・モホークやダスキーといった面々にプレイされているようだ。ベアリー・リーガルことクロエ・ロビンソンが運営する〈Pretty Wired〉からのリリースで、レーベル名からもおわかりの通り “かなり変” なダンス・ミュージックに仕上がっている。止まったかと思えば突如として落ち着かないビートが再び展開する “Blem” がいちばんのお気に入りだが、UKファンキーめいたリズムが鳴らされる “Wobble” も外せないし、ベース・ヘヴィーな “Vortex” も……まぁ、すべて間違いのないクオリティということ。DJ ADHD を筆頭に、ベアリー・リーガルによる〈Pretty Wired〉周辺には気になる才能が集まっているので、まとめてチェックしておこう。


Willow - Workshop30 Workshop

 ドイツはロウテックとエヴェン・トゥールによって設立された〈Workshop〉、まずカタログのほとんどがナンバリング・タイトルにスタンプ・ラベルというシンプルなスタイルに僕は惹かれたが、その内容もご多分に漏れず素晴らしい。マンチェスターを拠点とするウィロウことソフィー・ウィルソンはすでに『Workshop 21』や『Workshop 23』(ムーヴDによって見いだされた)で登場しているが、今作『Workshop 30』は実に5年ぶりのカムバック。“Sexuall” における怪しげなヴォーカル・サンプルと不気味なコード、そして背後でまとわりつくように鳴らされるパーカッションはこのEPのムードを要約しているように思う。どこまでも反復されるハウス~テック・ハウスで、山場のようなものはないが聴いているうちに不思議な陶酔感をもたらしてくれるようなサウンド。また、アリーヤのサンプルを取り入れた “Strawberry Moon” はビートのアレンジメントがすこし跳ねるような感じでこれも面白い曲だと思った。というわけで僕はA面よりもこれらB面2曲のほうが好みだな。


Sia – Little Man (Exemen Remix) Long Lost Brother

 最後に新譜ではないが紹介させてください。原曲はグラミーも受賞するオーストラリアのポップスター、シーアによるものだが、これを2ステップ~UKガラージにおける重要人物のウーキーが、その弟とのデュオ・プロジェクトであるエクセメンとして最高のUKガラージ・チューンにリミックス。原曲にあるスムースなムードは鳴りを潜め、このジャンルのシグネチャーといえる独特なビートとスティール・パンめいた音などを追加した至高のアンセムに仕上げている。この手のサウンドを通ったひとならば誰もが愛するクラシックがおよそ20年ぶりにリプレスされたのだから、聴き逃すわけにはいかない。いつ鳴らしても色あせない素敵な響きを持っているので、1家に1枚置いておくべき12インチとして、ぜひどうぞ。

李劍鴻 Li Jianhong - ele-king

 『The Wire』2021年7月号で北京のトゥ・ウェンボウ(朱文博/Zhu Wenbo)が運営するレーベル〈Zoomin’ Night〉の特集が組まれたほか、同8月号では恒例企画「めかくしジュークボックス」にリー・ジェンホン(Li Jianhong/李剣鴻)とウェイ・ウェイ(Wei Wei/韋瑋)が登場するなど、ここにきて中国のアンダーグラウンドなノイズ/即興/実験音楽シーンがにわかに注目を集めはじめている。5月にイタリアの〈Unexplained Sounds Group〉から中国実験音楽のコンピ『Anthology Of Experimental Music From China』がリリースされたことも記憶に新しいが、本稿ではアンダーグラウンドなシーンにおける重要人物のひとりリー・ジェンホンにスポットを当て、彼が今年の春に発表した2枚の新作アルバム『山霧 Mountain Fog』『院子里的回授 Feedback in the courtyard』を紹介する。

 リー・ジェンホンは〈P.S.F. Records〉からのリリースでも知られる中国の実験音楽家/ノイズ・ミュージシャン/ギタリスト。1975年に生まれ、中国・杭州で90年代よりバンド活動をはじめ複数のグループで活躍。90年代後半に中国でインターネットが普及しはじめたことをきっかけに、ノイズや即興、実験音楽なども聴くようになっていったという。2003年には知り合いのミュージシャンとともにレコード・レーベル〈2pi Records(第二層皮独立唱片機構)〉を設立、同年にファースト・ソロ・アルバム『在開始之前、自由交談 Talking Freely Before The Beginning』を発表。また2003年から2007年にかけて 2pi 音楽フェス(第二層皮音楽節)を開催し、中国有数の前衛/実験音楽の祭典として知られるようになる。ゼロ年代後半から北京でも活動しはじめ、2011年に移住。同年には Vavabond 名義で知られるノイズ・ミュージシャン、ウェイ・ウェイとともに新たにレーベル〈C.F.I Records〉を立ち上げる。以降、これまで中国内外のレーベルから多数のアルバムを発表しており、中国においてアンダーグラウンドな音楽シーンが誕生した初期から活動を続けている代表的なミュージシャンのひとりとして高い評価を得ている。

 同じく中国出身で現在はフランスを拠点に活動しているミュージシャン、ルオ・タン(Ruò Tán/若潭)が運営するレーベル〈WV Sorcerer Productions〉からリリースされた『山霧 Mountain Fog』は、ジェンホンの真骨頂とも言うべきノイズ・ギターをソロとデュオで収録したライヴ・レコーディング作品。1曲目のソロではいきなり激烈なフィードバック・ノイズが鳴り響き、高柳昌行や大友良英を彷彿させる攻撃的な展開が延々と続く。だがオクターバーを使用して重低音を効かせ、フィードバックの持続音を強調した演奏内容は、ハーシュなノイズ・ミュージックではなくドゥームメタルにも近いダウナーなアンビエント/ドローンのようにも聴こえてくる。こうした傾向は中国の若手サックス奏者ワン・ズホン(Wang Ziheng/王子衡)を迎えた続く2曲目のデュオ・セッションでより顕著に表されており、ドローン状のギターとサックスが時に渾然一体となる特異な音楽内容は、フリー・インプロヴィゼーションの歴史に多数の名演を刻んだ編成(高柳昌行と阿部薫のデュオをはじめギターとサックスによる即興の系譜についてはhikaru yamada hayato kurosawa duo『we oscillate!』のライナーノーツで掘り下げたのでより詳しく知りたい方はそちらをご参照ください)でありながら、これまでのどの作品とも似ていない唯一無二のサウンドを生み出している。

 他方の『院子里的回授 Feedback in the courtyard』はジェンホン自身のレーベル〈C.F.I Records〉からリリースされたソロ・アルバム。フィールド・レコーディングとインプロヴィゼーションのあわいをいくような作品で、人びとの話し声や咳払い、虫の音、航空機の音など環境音と一体化するように、ギターの繊細なフィードバック・ノイズや電子音響のようなサウンドが聴こえてくる。紙版『ele-king vol.25』に寄稿したジャンル別2019年ベストのインプロヴィゼーションの項で触れたように、近年の即興音楽には環境音を活用した作品が多数発表されているものの、ジェンホンはこうした試みにすでに10年以上にわたって取り組み続けている。というのも彼は2010年に3枚組のアルバム『環境即興 Environment Improvisation』*をリリース、雨音や鳥の鳴き声、羽虫の飛び交う音といった自然環境の響きから、人びとの生活音、例えば日常会話やテレビから流れる音声、果ては酒場から聞こえてくる楽しげな音楽までをも相手取りながらギターによる即興演奏を行ない、その後も環境音と即興演奏を統合する独自の方法論を探求してきているのだ。今作では「おもちゃを片付けようとしない子供たち」や「夕食後のキッチンの片付け」、「夜10時、母はまだ咳き込んでいた」といった各楽曲のタイトルが示すように、まるでドラマ仕立てで日常生活のワンシーンを切り取るような環境音の響きとともに演奏を行なう内容となっている。

 冒頭で述べたように『The Wire』が中国のアンダーグラウンドなシーンを相次いで取り上げているものの、ジェンホンをはじめ中国で活躍するミュージシャンたちの多くは独自のコンテクストですでに長期間の活動を継続してきているのであり、その蓄積を見落としてはならないということは付け加えておきたい。なお、ギタリストとしてのジェンホンの活動を辿り直した記事が2019年に Bandcamp に掲載されているほか、コロナ禍に見舞われて以降の中国の実験的な音楽シーンについてはウェブ・マガジン『Offshore』主宰の山本佳奈子さんが多数のコラムを精力的に執筆されているので、あわせてお読みいただけるとより理解が深まるのではないかと思います。

*『環境即興 Environment Improvisation』は現在Bandcampでそれぞれ『十二境 Twelve Moods』『空山 Empty Mountain』『在这里 Here Is It』として個別に購入することもできる。

Eli Keszler - ele-king

 初めてイーライ・ケスラーの音楽を聴いたとき、全身に稲妻のような衝撃が走ったことを今でもよく覚えている。全く新しいタイプのドラマーだと思った。あまりにも斬新で、攻撃的かつ快楽的なサウンドだと感じた。あれは2010年に〈ESPディスク〉からリリースされた『Oxtirn』だっただろうか。あるいはその2年後の2012年に〈PAN〉から出た『Catching Net』を先に聴いたのかもしれない、ともかく散弾銃のように無数の小さな音の礫が降り注ぐ聴覚体験は実に新鮮なものだった。かつて1960年代にやはり〈ESPディスク〉からリリースされたアルバート・アイラーの傑作『Spiritual Unity』にも参加しているドラマーのサニー・マレイは、定型ビートを刻むのではなく五月雨のようにシンバルをひたすら叩くことで装飾的なノイズを生み出す革新的なパルス奏法を確立したが、粒子状の打撃音を過剰なまでに高速で散りばめていくケスラーの奏法は約半世紀の時を経てこうしたパルス奏法を異次元へと押し上げたと言ってもいいだろう。すなわちケスラーは稀代のドラマー/パーカッショニストなのであり、しかしながら驚くべきことに、彼がこのたび〈LuckyMe〉からリリースした最新作『Icons』では、こうした卓越した打楽器奏者としての側面は極限まで削ぎ落とされ、抑制され、ほとんど自己主張することのない音楽へと結実している。これは一体どういうことなのか。

 新作の内実に踏み込む前に、まずはその経歴をあらためて振り返っておきたい。イーライ・ケスラーは1983年に米国マサチューセッツ州ボストン近郊のブルックラインでユダヤ系の家庭のもとに生まれた。母はプロのダンサー、父は医療機器の販売業者だったがアマチュアのミュージシャンでもあり、独学でギターやヴァイオリンなどを演奏していたという。8歳の頃よりドラムの演奏を始め、11歳の頃には作曲にも取り組み始めたケスラーは、10代の頃はロック/ハードコア系のバンドを組んでいたそうだが、他方ではジャズや実験音楽にも親しみ、とりわけエルヴィン・ジョーンズのような偉人のパフォーマンスを目の当たりにした体験がその後の人生を左右することになる。「このレベルで演奏したい」*──そう思ったケスラーは並々ならぬ執念で勉強に打ち込み、セシル・テイラーをはじめ数多くの先進的なジャズ・ミュージシャンを輩出したことでも知られるニューイングランド音楽院へと進学。ピアニストのアンソニー・コールマンとラン・ブレイクらに師事し、ドラマー/パーカッショニストとして修練を積むとともに作曲などを学んだ。卒業後はロードアイランド州プロビデンスで音楽活動を始め、のちにニューヨークへと拠点を移すこととなる。2006年に自ら〈R.E.L〉というレーベルを立ち上げると、自身のリーダー作や参加ユニット作をはじめ盟友の多楽器奏者/作曲家アシュリー・ポールらの作品を発表。自主レーベルを除くと、同じく親交の深いアーティスト/音楽家ジェフ・マレンが運営する〈Rare Youth〉から2008年にソロ作『Livingston』をリリースしており、続く作品が2010年の『Oxtirn』だった──のちに「Oxtirn」はケスラー、ポール、マレンのトリオ・プロジェクト名として使用されるようになる。

 先に音楽活動と書いたが、ケスラーの活動は音楽にとどまらず多岐にわたっていることも見逃せない。ヴィジュアル・アーティストとしてアブストラクトなドローイングを数多く発表、ほぼ全てのリーダー作でアルバム・アートワークを手がけているほか、サウンド・アーティストとしてインスタレーション作品も多数制作しているのだ。サウンド・アーティストとしての彼の特徴はなんといっても細く長いワイヤーである──そう書くとアルヴィン・ルシエが1977年に発表した《Music on a Long Thin Wire》を想起される方もおられるかもしれないが、ワイヤーの微細な振動をピックアップしてスピーカーから流すことで一種のフィードバック回路を形成するルシエの作品とはコンセプトが大きく異なり、ケスラーの場合は多数のワイヤーをそれぞれに設置された金属製の棒が打ちつけ、それによって生じた打撃音が空間へと共振していくところにポイントがある。たとえば2011年にボストン芸術センターで発表された《Cold Pin》は、壁面に無数のピアノ線を設置し、モーターによって回転する金属製の棒が打ちつけることによって巨大なピアノを内部奏法するかのような低く鈍い音響を生み出していく。同年にルイジアナ州の旧ポンプ場に設置した《Collecting Basin》はスケールの大きな作品で、約6~60メートルのピアノ線を巨大な給水塔から周囲に張り巡らし、やはり同様の原理で金属製の棒を打ちつけて深い残響音を伴うサウンドを発生させる。他にも多数のインスタレーション作品を手がけており、特に近年はワイヤーを使用しない展示もおこなっているほか、ヴィジュアル・アートとグラフィック・スコアとライヴ・パフォーマンスとサウンド・インスタレーションが渾然一体となった試みもあるため詳細は別稿に譲るが、いずれにしてもこうした展示活動のもっとも核にある基本的なコンセプトは彼自身の言を借りるならば「特定の目的のために使用されている空間から、他の可能性を導き出すこと」**と言い表すことができるだろう。

2011年にボストン芸術センターで披露されたインスタレーション作品《Cold Pin》の映像。

 なかでも特筆すべきは《Cold Pin》である。実は《Cold Pin》はもともと単独のインスタレーション作品であるだけでなく、アンサンブル作品の一部としても機能するように構想/制作されていた。そしてケスラー、ポール、マレンのほかトランペットのグレッグ・ケリーとファゴットのルーベン・ソン、チェロのベンジャミン・ネルソンが参加したセクステット編成でインスタレーションとともにライヴ・パフォーマンスをおこない、その模様が2011年に〈PAN〉から『Cold Pin』として音盤化されたのだ。そこへさらに弦楽四重奏とピアノがインスタレーションとともにケスラーの作曲作品を演奏するヴァージョン、また《Cold Pin》と《Collecting Basin》のインスタレーションのみの録音などを加えた2枚組のアルバムが2012年の傑作『Catching Net』なのである。冒頭で述べたようにとにかくケスラーのドラミングに圧倒されてしまうのだが、いまあらためて聴き返すと極めてコンセプチュアルに構成されたサウンド・デザインの方が耳を引く。というのも、高速連打するケスラーのドラミングの背後で、管弦楽とギターがインスタレーションの自動演奏と共振しながら非常に緩やかに動く抑制されたドローンを形成しているのだ。もしもここからケスラーの音を取り除くならば、あたかもリダクショニズムの戦略を取った即興演奏あるいはヴァンデルヴァイザー楽派の作曲作品とも近しい響きになるのではないだろうか。客演しているグレッグ・ケリーが1990年代後半からゼロ年代にかけていわゆる弱音系即興のシーンでも活動してきた人物であることを考えるなら、ケスラーはおそらくこうした文脈を踏まえた上で作品制作に取り組んでいたはずだ。それはパラダイム・シフトを経た即興音楽を「超高速とほとんど静止しているかのような遅さの両方で発生する動きに惹かれる」***と語るケスラー流の美学によって昇華しようとした試みだったとも言える。そして振り返るなら『Oxtirn』もやはり、多重録音されたケスラーの激烈な演奏に比して客演しているアシュリー・ポールのクラリネット等は静的なドローンを形成しており、美学的に一貫した部分があると指摘することもできる。

 だが2006年から2012年まで毎年リーダー作を出してきたケスラーは、2013年以降、しばらくソロ・アルバムの制作という点では沈黙を続けるようになる。もちろん音楽活動や展示活動は精力的に継続しており、アルバムも2014年にオーレン・アンバーチとのデュオ作『Alps』はリリースしている。とはいえ『Catching Net』に続くリーダー作はなかなか発表されなかったのだ。この間の事情についてケスラーは「一つの理由は私にとってレコードとは何かということを考えていたからです(……)私はレコードというフォーマットを、ある種の閉ざされた空間としてイメージし始めました──聴くことで生まれる環境を利用して、あなたが入ることのできる閉ざされた世界を定義するのです。私は(次のレコードを)何か他のものと関連させたくありませんでした。私のインスタレーションのように、自己完結したものにしたかった」****と述べているが、たしかに『Catching Net』は初期の代表作と言ってよいものの録音作品としてのみ完結しているわけではなく、サイト・スペシフィックなインスタレーションやパフォーマンスが音盤の外部に広がっていたのだった。いわば録音芸術としてのアルバム制作へと向かうための方途を考えて続けていたのだろう。もう一つ。ケスラーが『Catching Net』をリリースした〈PAN〉はドイツ・ベルリンを拠点とするレーベルだが、主宰者であるビル・コーリガスとの縁もあって、ケスラーはヨーロッパのクラブで頻繁にライヴをおこなうようになっていた。強力なサウンドシステムでダンスフロアを揺さぶるという特異な空間でのパフォーマンスの経験も彼に大きな影響を与えた。あるいはダンスフロアに向けた演奏経験が、自己完結した録音芸術としてのアルバム制作へと赴く契機となったのかもしれない。

 2016年、およそ4年の空白期間を経て発表されたリーダー作『Last Signs of Speed』は、これまでと大きく異なる作風へと変貌を遂げていた。長尺のトラックが特徴的だった以前の作品とは打って変わり、5分前後の短い楽曲を多数収録した作品に仕上がっていたのだ。もちろんそれだけではない。即興色の強い実験的な──すなわち結果が不確定的な演奏がノイジーでカオティックな展開を生んでいたそれまでの作風に対し、明らかに演奏の中に周期性が、ミニマルな反復構造がもたらされるようになっていたのである。目眩く差異の産出から繰り返しが孕むズレの摘出へ。さらに重低音を効かせたキックやタム、あるいはグロッケンシュピールやピアノのフレーズの使用からは、クラブ・ミュージックの突然変異体のような様相も聴かせる。いわばケスラーの音楽の「音楽化」が進められたのだが、しかしながらまだアブストラクトなドラミングは健在だった。その後、知られるようにローレル・ヘイロー『Dust』(2017年)やワンオートリックス・ポイント・ネヴァー『Age Of』(2018年)への参加、さらにこの両者のライヴ・セットでの活動を経て、2018年にリリースした『Stadium』ではより一層「音楽化」が推し進められることとなる。サウス・ブルックリンからマンハッタンへと拠点を移したことが反映されているというこのアルバムでは、穏やかなメロディがグルーヴィーなベースラインに乗せられ、曲によってはフィールド・レコーディングや囁くようなポエトリー・リーディングを織り交ぜながら、洗練されたエレクトロ=アコースティック・ミュージックとでも言うべき内容に結実している。ケスラーのドラミングは複雑でアブストラクトな打点を散りばめながらも反復構造のうちにビート感を創出していく演奏で、人力ドラムンベースのような技巧性を聴かせるところもあった。

 最新作『Icons』は、さまざまな点で前作『Stadium』における試みを継承/深化した作品だとひとまずは言うことができる。一聴してまずわかるのは、卓越したドラマー/パーカッショニストとしてのケスラーの演奏がほとんど後景に退いているということだ。それはこれまで見てきたように『Catching Net』まではアルバムの大部分を占めてきた異次元のパルス奏法が、クラブでの演奏経験や電子音楽家たちとのコラボレーションを経て「音楽化」へと向かうことで、徐々に録音芸術を手がけるうえで必ずしも前面に打ち出すべき手段ではなくなってきたということでもあるのだろう。ただし具体的に重要な変化だと思われるのは、『Stadium』をリリースした後のケスラーがセンサリー・パーカッションとタングドラムを積極的に使用するようになっていったということである。センサリー・パーカッションはドラムを演奏する際の打撃の位置や強さ/速さなどに応じて電子音響を非常に精密にコントロールしながら鳴らすことができる機材で、かたやタングドラムは水琴窟のような音色で音階を奏でることのできる楽器だが、こういった道具を取り入れることによってメロディやベースライン、ハーモニーといった音楽的要素をあくまでも打楽器をツールとしたままこれまで以上にバラエティに富んだ形で生み出すことを可能にした。結果的に本盤はドラマー/パーカッショニストのリーダー作とは思えないような繊細なサウンド・デザインが施された録音芸術としてまとめられている。唯一従来のケスラーらしいパルス奏法が5曲目の “Rot Summer Smoothes” では聴けるが、むしろ箏のような音色で奏でられる民族音楽風のメロディが醸すインパクトの強さの方が前面に出ている。あるいはギター・シンセでネイト・ボイスが客演した3曲目 “The Accident” では技巧的な人力ドラムンベース風の演奏を披露しているものの、ケスラー特有のランダムノイズのようなドラミングという観点から聴くならばむしろ妙技を封印していると言うこともできる。

昨年配信されたライヴの映像。センサリー・パーカッションとタングドラムを使用している。

 しかしながらこうした表面的な特徴以上に『Icons』をユニークな作品に仕立て上げているのは、やはりフィールド・レコーディングの多用である。ケスラーによれば本盤はコロナ禍でロックダウンが実施された2020年3月以降に主な制作が進められたという。まるで廃墟のように不気味に静まり返ったマンハッタンに彼は留まり、街中に繰り出しては街路や公園で環境音のレコーディング作業をおこなっていった。そのときの印象は次のような言葉で綴られている。

(……)救急車、抗議活動、ヘリコプターなどの激しい状態から、美しくて奇妙な、穏やかな静寂のような状態まで、街が揺れ動いているように見えた。僕はそこで、何か奇妙で美しいことが起こっていると思ったんだ。*****

 そう、単に人間の気配が失われたロックダウン下の音環境に興味を覚えただけではなく、非常事態における喧騒と静寂の相反するサウンドスケープの同居に「何か奇妙で美しいことが起こっている」と感じたというのだ。そこには5月にジョージ・フロイドが殺害されたことに端を発するBLM運動の怒りの響きも混ざり合っていたことだろう。そしてこうした相反するものが同居することによる混沌とした状況を聴き取ろうとする彼の感性は、先に引用した「超高速とほとんど静止しているかのような遅さの両方で発生する動きに惹かれる」という美学的態度と相通ずるものがある。だがそれは同時に次の問題も孕んでいたはずだ。かつて「特定の目的のために使用されている空間から、他の可能性を導き出すこと」をひとつの核としてインスタレーションの制作をおこなっていた彼にとって、未曾有のパンデミックに覆われて機能不全に陥った都市空間をどのように捉え直すことができるのか、という問題である。もはやマンハッタンはインスタレーションを設置しなくとも従来と同じような意味では特定の目的のために使用されることがなくなってしまった。街路も公園も不要不急の人間が存在していてはならない空間となった。ではインスタレーションも意味を失ったのだろうか。そうではない。むしろコロナ禍で空間はこれまでとは異なる新たな目的に資するように強固に方向づけられてしまったのだ。不要不急の人間が存在することのできない空間には自由もオルタナティヴな可能性もあり得ない。それは他の可能性を覆い隠す動きでさえある。

 そのように考えるならば、マンハッタンで録り溜めたフィールド・レコーディングをアルバム制作に使用したことは、録音された空間の響きから「他の可能性を導き出す」ためのひとつの手段だったと言うこともできるだろう。だがケスラーは単にロックダウン下のマンハッタンの音環境を使用するだけではなく、東京・渋谷の富ヶ谷公園やウクライナ・キエフのペチェールシク大修道院、またはクロアチア・ムリェト島のオデュッセウス洞窟、さらには中国・深圳の華強北電気街など、2019年以降に録音してきた世界各国のサウンドスケープを使用しているのだ。そしてアルバムでは子供の掛け声や教会での合唱、鳥の鳴き声、流れる水の響き、親子の会話など音源が判別できるサウンドがある一方で、大部分は具体的に録音された場所や状況を特定することが困難なノイズとなっている。それはパーカッションの即物的な響きとほとんど渾然一体となっていると言ってもいい。限りない加速と静止に近い緩慢さの両端から発生する音に美学を見出すケスラーにしてみれば、ここにはさまざまな時間感覚で流れる空間のサウンドスケープが何層にも折り畳まれていると言うこともできるのではないか。そしてそれらのフィールド・レコーディングを取り巻くように楽器演奏によるビートがもたらす音楽的な時間もまた流れている。ビートという点では『Icons』は全体的に実に緩やかで、ダウナーな印象さえもたらすミニマルでアンビエントな音楽だ。そのためともすると低速方向に振り切っているように聴こえるかもしれないが、おそらく本盤はケスラーのこれまでの作品のなかでももっとも豊富な種類の時間感覚が多層的に織り込まれたアルバムとなっていることだろう。

 『Icons』が醸し出すダウナーな雰囲気は、マンハッタンで孤立した状態で制作していたことと無関係ではないはずである。これはケスラーに限らず多くのミュージシャンにも言えることだが、一時的にせよライヴ・スペースが閉鎖されることで他者とコミュニケーションを取るためのフィジカルな空間を失うと、必然的に内省の時間が増えるものだ。そのことがどのぐらい深く関わっているのかは定かではないものの、少なくとも本盤はケスラーにとって極めてプライベートなアルバムでもある。収録楽曲中もっとも異色と言うべき4曲目の “Daily Life” で、旧ソ連出身の文化批評家でケスラーの妻でもあるアンナ・カチヤンが客演しているからだ。女声のポエトリー・リーディングが続くこの楽曲で、ケスラーのドラム演奏は靄のようにくぐもった響きの中に沈んでおり、ほとんどミュジーク・コンクレートと化した音楽内容は続く5曲目がケスラー流のパルス的ドラミングが聴かれる “Rot Summer Smoothes” であることも相まってより一層際立っている。そのセンスはやはり単なるドラマー/パーカッショニストではなく、より広くアーティスト/コンポーザーと呼ぶべきものだ。そして実はケスラー自身、自らを「ドラマーだとは思っていない」と明言したことさえあるのだった。『Stadium』のリリース後、まだパンデミックが到来するとは誰もが予想だにしなかった2019年のインタヴューで彼は次のように語っている。

 正直なところ、私は自分のことを第一にドラマーだとは思っていません。コンポーザーでありアーティストだと思っていて、ドラムは演奏するときに使う楽器なんです。ドラムを演奏しなければならないという義務感もありません。そのおかげで、必ずしもドラマーとしての役割に囚われることなく演奏することができるようになったと思います。つまり、ドラマーとしての役割を果たすことはあるにせよ、ドラムという楽器の遺産に参加しなければならないという義務感はありませんし、それは最初から私のアティテュードだと思っています。******

 ケスラーが卓越したドラマー/パーカッショニストであることは疑いない。それはジョー・マクフィーとのデュオ作『Ithaca』(2012年)やジョン・ブッチャーとのデュオ作『First Meeting - #8』(2021年)など、フリー・ジャズ/フリー・インプロヴィゼーションの世界で活躍する即興演奏家とのセッションにもはっきりと刻まれている。だが同時に、彼は最終的にドラマーであることを目的として活動しているわけではないのだ。それはこうも言い換えられるだろう。すなわちドラムを用いた表現から、あらかじめ決められた目的とは異なる別の可能性を導き出すかのようにして音楽を紡ぎ出しているのだと。その結果コロナ禍で生まれ落ちたひとつの録音芸術がマルチプルな速度が埋め込まれた『Icons』なのである。そしてケスラーが、フリー・ジャズやサウンド・アート、現代音楽、あるいは電子音楽やアンビエント・ミュージックなど、さまざまなジャンルとの関わりを持ちながら、そのどこにも完全には属すことがないということも同様のアティテュードのもとにある。彼にとってこうした諸々のジャンルと関わることは、そのジャンルの正統性に奉仕するためではなく、あくまでも創作活動におけるひとつの手段として、あらかじめ定められた目的とは異なる別の可能性を見出すために降り立つ場所としてあるのだろう。そして楽器にしてもジャンルにしても、革新者というのはいつもこのようにまるで別の文脈からトリックスターのようにやってきて、あらぬ方向へと飛び去るときにはこれまでにない地殻変動をもたらしてしまっているものなのだ。


* Marc Masters "How Playing Drums in Clubs Helped Eli Keszler Make His New Album" Vice, 1st December 2016. https://www.vice.com/en/article/9avzvd/eli-keszler-last-signs-of-speed-feature-interview
** Steph Kretowicz "Turning the Manhattan Bridge into a piano" Dazed & Confused, 8th October 2013. https://www.dazeddigital.com/music/article/17491/1/turning-the-manhattan-bridge-into-a-piano
*** Michael Barron "Space, Speed, Stasis" Frieze, 10th February 2017. https://www.frieze.com/article/space-speed-stasis
**** Marc Masters "How Playing Drums in Clubs Helped Eli Keszler Make His New Album".
***** 『Icons』プレスリリースより。
****** "An Interview with Eli Keszler" Sunhouse, 30th August 2019. https://sunhou.se/blog/eli-keszler-interview/

downstairs J - ele-king

 思わず、「ちょうど良い」という言葉をひさびさに口走ってしまった downstairs J なるアーティストのLP『basement, etc...』。いわゆるダウンテンポというよりかはテクノで、しかしリズムは強すぎず多様に躍動していて、クリアな音質も相まって初期オウテカあたりをマイルドにしたようなそんな印象を覚える作品です。リリースはアンソニー・ネイプルズと写真家でもあるジェニー・スラッテリー(Jenny Slattery)によるニューヨークのレーベル〈Incienso〉から。

 アンソニーは〈Proibito〉を閉じた後に、この〈Incienso〉を、さまざまな才能をフックアップする、そんなレーベルにしている模様(自身の作品は〈ANS〉から)。もちろんアンソニーという現在のハウス、テクノ・シーンの重要人物のレーベルというのもあるんですが、本レーベルに関していえば、やはりDJパイソンの1st『Dulce Compañia』でその名前を記憶している方も多いでしょう。その他の作品も最高で、ダウンテンポやアートコア・ジャングルなどの絶妙な配合でモダンなテクノの柔軟な音楽性を豊かに提示して見せたベータ・リブレ(Beta Librae)の傑作アルバムや、現在、NYとともにやはりすばらしいアンダーグラウンド・アクトを輩出しまくっているメルボルンの、スリープ・Dの作品、そして本作とほぼ同時期にリリースした、こちらもメルボルンからの新生、ブレイクビーツとディープ・ハウス、テクノの折衷様式がすばらしいビッグ・エヴァー(ex コップ・エンヴィー)のシングルもありました。コール・スーパー、あとは工藤キキの驚きのシングルもこちらのレーベルからでした。どちらかと言うと、そこまでリリースの多いレーベルではありませんが「いま思い返せば」、いつでもそのサウンドがその先の未来(つまるところ現在のシーンの動き)とともに思い出せるようなそんなサウンドをキープしているレーベルといった印象です。つまりセンス良すぎる。アンソニー・ネイプルズは、言われなくてもという感じだと思いますが、〈Proibito〉時代のフエアコ・エスのフックアップとかも含めて、とにかくいい感じなんですね。

 おっと横道にそれてしまいましたが『basement, etc...』にもどると、こちら downstairs J、本名義では初となる作品で、ジョシュ・アブラモビッチというアーティストによる名義。このジョシュはグライフィック・デザイナーのようで、DJパイソンのアルバム2nd『Mas Amable』なんかも手がけています。音楽面では snacs というノスタルジックなエキゾチック・アンビエント〜ダウンテンポを(実は本原稿での下調べで一番の発見だったかも……)、VOSE 106という名義では1作、ドープなビートダウン・ディープ・ハウスをリリース。どちらも Bandcamp を探すと出てきますがなかなか楽しめる作品ですのでぜひ。

 アルバムはテクノ・インフルエンスなヒップホップ・ビートからスタート、2曲目はスキッと爽やかで軽やか、涼やかなテクノ “Solid Air City”、ダブ・ブレイクビーツ的な “Soft Tissue”、アシッドなロウ・ビート “Lab Rat Boogie”、ポコポコとアンダーウォーターなダブ感が心地よい “Adjust”、フローティングでマイルドなダンスホール “Viewing Space”、エキゾチックなダウンテンポ “Wired” と、7曲。と、文字だけだとなんだか1990年代とか2000年代の、すごく凡庸なダウンテンポ・アルバムの原稿を書いているようでげんなりなんですが、でもそこに立ち上がってくるのはモダンでアップデーテッドなテクノの音響的なミックスの音質、そこはかとないダブ感、フローティンなメロディととにかく聴けば聴くほど、その楽曲の素晴らしさがにじみ出てきます。初期オウテカ、もしくはデトロイト・エスカレーター・カンパニー、あのあたりのテクノのチル感を彷彿とさせます。もうちょっと抽象的な言葉で言ってしまえば、IDMなグリッチでも、ドープなスモーカーズ・デライトでもないクリアなチル感といってもいいのではないでしょうか、そうした要素が抽出されていて、それでいて今様な、という。ダンス方面でも1990年代テクノのいわゆるインテリジェンス・テクノ、ないしはエレクトロニック・リスニング・ミュージックと呼ばれる音楽の復古というのがありましたが、当時の音源、いわゆるアンビエント・テクノが一部がトリップホップ的な方向へと舵を切ったあたりのサウンド、だけどドープなブレイクビーツには行っていないあのあたりの感覚がいま顕在化しているんではという感覚もあります。

 で、しかもレーベルが明らかにもう少しフロア寄りのサウンドで、シングルとしてリリースしている前述のビッグ・エヴァーのシングル「Otto EP」での、多様なIDM的なリズムを内包したハウス・トラックとは少なからず本作の音楽は共鳴しています。このあたり、なにか顕在化しつつある動き、単なるトリップホップの、IDMの、リヴァイヴァルと言ってはもったないような動きではないかと妄想が膨らんでしまうような音楽です。もちろんコロナ禍の影響もあるのかもしれませんが、この惹きつけられる感じは、なにかの未来をつかまているそんな作品であるような気がしてなりません。

Meemo Comma - ele-king

 オトナになれ。そういう話だそうだ。ググってネタバレは調査済みだが、映画自体はまだ観ていない。列島が『シン・エヴァ』一色に染まってしまったかのように見えなくもなかったこの3月、遠く海を隔てたUKから「いや、やっぱTV版でしょ」と言わんばかりの挑発的なタイトルを持つアルバムが届けられた。送り主はミーモ・カンマ、本名ラーラ・リックス=マーティン。マイク・パラディナスのパートナーである。これまでに3枚のアルバムをリリース、パラディナスと組んだヘテロティックとしても2枚のアルバムを残している。
 じつは、彼女の影響力は大きい。紙エレ年末号をお持ちの方は、いま一度パラディナスのインタヴューを読み直してみてほしい。黒人たちのメンタル・ヘルスを支援するためのチャリティ・コンピ『Music In Support Of Black Mental Health』は彼女の発案によるものだ。「妻は僕の物事に対する考え方の多くを変えてくれた」「彼女が僕のポリティクスを変えた」と彼は述べている。ふたりの信頼関係は『ワイアー』の「目隠しジュークボックス」や『クワイータス』の相互インタヴュー記事からもうかがい知ることができよう。そんな彼女が日本のアニメ・ファンでもあったことは興味深い。

 タイトル・シークエンスの “Neon Genesis” ではジャングルのリズムが用いられているが、なるほど、その神秘的なヴォーカルの響かせ方は “残酷な天使のテーゼ” (の間奏)を想起させなくもない。この手法は、やはりジャングルの断片がねじこまれた “Tif’eret” やビートレスの “Ein Sof”、“Tzimtzum” といった多くの曲で導入されており、アルバム全体のムードを決定づけている。
 だが、じっさい『エヴァ』からインスパイアされたのはヴィジュアルのほうで、サウンドのレファランスは『攻殻』のサントラだそうだ。たしかに、これは鷺巣詩郎ではない。14歳のリックス=マーティンは初号機ではなく、殻を着たゴーストと出会ったのだ。レーベルの紹介文では「GHOST IN THE SHELL」と「S.A.C.」の両方が言及されている。つまり、親は川井憲次と菅野よう子のふたり、ということになる。ファースト・アルバムのタイトルも『Ghost On The Stairs』だった。そうとう好きなんだろう。
 架空のアニメ・サントラと謳われているとおり、ビートのある曲は戦闘や疾走のシーンを想起させる。“Unit Chai” で戯れる電子音なんかは、タチコマ的なメカがなにかをサーチしているかのようだ。逆にビートのない曲はグライム以降のウェイトレス感を漂わせ、廃墟や心理描写の場面を想像させる。もっともよくできたトラックは “Merkabah” だろう。くぐもったドラムの鳴りとフットワークばりに切り刻まれたヴォーカルの応酬が、生命力あふれるリズムを紡ぎだしている。

 本作のより大きなテーマはずばり、ユダヤ教だ。アダムとイヴ、使徒(天使)、生命の樹……『エヴァ』や『攻殻』、『ハガレン』などのアニメを享受する過程で彼女は、そこにみずからのルーツたるユダヤ教的・旧約聖書的なモティーフが登場することに惹きつけられる。アニメに限らず、多くのSFにはカバラ──ユダヤ教にもとづく神秘主義思想──が影を落としていると、リックス=マーティンは指摘する。たしかに終末論は定番ではあるが、「カバラにも美しくて、希望に満ちた考えがあってね」と彼女は補足する。たとえば、最初の人間には性別がなかった。本作はそのセックスレス/ジェンダレスな発想をSFと結びつけることで、「サイボーグ宣言」への回路を開いている──そんな深読みも可能かもしれない。
 ともあれ彼女がユダヤの思想やモティーフを強く意識するようになったきっかけは、子どもができたことだったという。リックス=マーティン自身はずっとユダヤ人として生きてきたわけだが、パートナーとのあいだに生まれた子たちはそうではない。だから彼らに、自分たちが深い文化的背景を持っていることを知ってほしかった。そのような話を彼女は上述のインタヴューで語っている。親の、心だ。このポジティヴな動機が一見ダークな本作に、ある種の陽気さをもたらしているのだろう。

 たしかにこのアルバムは暗い。けれども悲愴感をまき散らしてはいない。重苦しさとも無縁で、ユーモラスで、ときにコミカルでさえある。そもそも「Neon Genesis」と題したアルバムを『シン・エヴァ』公開のタイミングで発表すること自体、ちょっとしたいたずらのようなものだ(まあ、映画は何度も公開延期の憂き目を見ているので、意図したことではないんだろうけど)。対象との距離が、ここにはある。滅びゆく世界の主人公と同化し、おのれを憐れみながらカタルシスを調達する視聴者の姿は、ここにはない。ラーラ・リックス=マーティンは子を持つ親なのだ。オトナにならざるをえない。
 ならばこれはTV版よりむしろ、『シン・エヴァ』に接近した作品ではないか。いやいや、「オトナになれ」というメッセージはTV版のころからずっと変わっていない、そんな意見も耳に入ってきてはいる。TV版や旧劇が描いていたのは「オトナになる」ことではなく、「他者と出会う」ことだとぼくは解釈しているので、さて新劇がほんとうはどのような結末を迎えたのか、この目でたしかめたくなってきた。

black midi - ele-king

 いまUKでは若手のインディ・ロック勢が活気づいている。『WIRE』が「近年において最もエキサイティングなギター・バンドのひとつ」と評した〈4AD〉のドライ・クリーニング、『ガーディアン』が「2021年のベスト・アルバム」と讃辞を贈った〈Ninja Tune〉のブラック・カントリー・ニュー・ロード、ワイアーのオープニング・アクトを務めた〈Warp〉のスクイッド、などなど。なかでも頭ひとつ抜き出ている感があるのが、〈Rough Trade〉のブラック・ミディだ。
 2019年の前作の時点ですでに圧倒的なサウンドを轟かせていた彼らが、きたる5月28日、セカンド・アルバム『Cavalcade』をリリースする。ロックダウン中に制作が進められたという新作は、彼らの特徴でもあった「即興の神話から離れ」てつくられたそうで、新たな次元に到達している模様。これは楽しみです。

black midi
無尽蔵の音楽隊列が戦慄の速度で駆け抜ける。
ブラック・ミディ衝撃のセカンド・アルバム完成。

Cavalcadeの制作中に、曲を配列する時に意識 していたのは、 とにかくドラマチックでエキサイティングな音楽を作ることだった。 ──ジョーディ・グリープ(black midi)

プログレ、ポスト・パンク大国であるUKロック・シーンにおいて、 デビュー・アルバム1枚でその最前線へと躍り出たウィンドミルの怪物にして次世代のカリスマ、ブラック・ミ ディが待望のセカンド・アルバム『Cavalcade』を2021年5月28日(金)に世界同時リリースすることを発表した。同作より、まるで『Discipline』期のキング・クリムゾンを彷彿とさせる衝撃の先行シングル「John L」が解禁。ギャスパー・ノエの映画『Climax クライマックス』やリアーナ「Sledgehammer」で有名なコレオグラファー、ニナ・マクリーニーが監督を務めたMVも同時公開された。

Black midi - John L
https://youtu.be/GT0nSp8lUws

「2019年最もエキサイティングなバンド」と評され、世界各国で 年間ベスト・アルバムに軒並みリスティング、マーキュリー・プライズにもノミネートされたデビュー・アルバム『Schlagenheim』リリース後にも次々と曲が生まれ、その年の秋には今回の作品の楽曲の原型がほぼ出来上がっていたという本作。しかし、バンドはここから従来のジャム・セッションで練り上げる作曲方法ではなく、ロックダウン期間中にメンバーそれぞれが自宅で作曲を行い、レコーディングのタイミングで素材を持ち寄ることで即興の神話から離れ、セッションでは上手くいかなかったアイデアの可能性を追求して行った。また既報の通り、オリジナル・メンバーであるギタリスト/ヴォーカリストのマット・ケルヴィンが精神衛生のケアを理由に、一時的にバンドから離れたことでツアー・メンバーであったサックス奏者カイディ・アキンニビとキーボード奏者のセス・エヴァンスをレコーディング・メンバーに加え、さらにバンドの表現を増幅させることに成功。ロックやジャズに留まらず、ヒップホップ、エレクトロニック・ミュージック、クラシック、アンビエント、プログレ、エクスペリメンタルなど無尽蔵の音楽遺伝子の「隊列=Cavalcade」は戦慄の速度で駆け抜け、既に収めた初期からの高尚な実績を基盤に上昇し伸び続け、美しくも新たな高みに到達している。

2021年5月28日(金)に世界同時発売される本作の日本盤CDおよびTシャツ付限定盤には解説および歌詞対訳が封入され、ボーナス・トラック「Despair」 「Cruising」を追加収録。日本のみアナログ盤はアルバム・アートワークを手がけたデヴィッド・ラドニックによる特殊帯がついた初回生産限定盤に加え、数量限定のピクチャー・ディスク、 Beatink.com限定でTシャツ付アナログ盤が同時リリース。また、日本盤CD購入者先着特典として メンバーによるミックス音源(CDR)、LP購入者先着特典として世界中のファンによって投票が行われるブラック・ミディによるカバー曲が収録されるソノシートがプレゼントされる。


label: BEAT RECORDS / ROUGH TRADE
artist: black midi
title: Cavalcade
release date: 2021/05/28 FRI ON SALE

CD 国内盤
RT0212CDJP(特典Mix CDR付)
¥2,200+tax

CD 輸入盤
RT0212CD
¥1,850+tax

LP 限定盤
RT0212LPE(Picture Disc/特典ソノシート付)
¥2,850+tax

LP輸入盤
RT0212LP(初回帯付仕様/特典ソノシート付)
¥2,460+tax
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11766

各種Tシャツ・LPセット
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11767


Tシャツ・バンドル


ピクチャー・ヴァイナル


LP購入者先着特典・ソノシート


日本盤CD購入者先着特典・ミックス音源(CDR)

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Meemo Comma - ele-king

 先頃マイク・パラディナスの〈プラネット・ミュー〉からリリースされたMeemo Comma(マイクの奥さん、ラーラ・リックス-マーティンの変名)の新作は『Neon Genesis』、これは「新世紀エヴァンゲリオン」の英語タイトル「Neon Genesis Evangelion」から来ているのではないかと、Meemo Commaがかつて『攻殻機動隊』にインスパイアされた『Ghost On The Stairs』をリリースしていることを知っているファンはすでに察していることでしょう。

 Wireの目隠ししジュークボックスでの夫婦漫才(?)でも笑わせてくれましたが、Quietusの企画、旦那=マイクが妻=ラーラにインタヴューするという記事も面白いんですよ(例;マイク「自分の夫のレーベルからのリリースは縁故主義だと思いますか?」。ラーラ「もちろん、本当は出したくなかった」)。そのなかで「『Neon Genesis』を出したのは何故?」とマイクから訊かれて、彼女いわく「あながた出せと言ったからでしょう」とのことでした。なんというか、つまり、間違いなく〈プラネット・ミュー〉は新次元に進んでいるようです。

 さて、実際のところですが、bandcampの解説によれば、彼女が『エヴァンゲリオン』のヴィジュアルにインスパイされたのは事実で、また、それとは別に『Neon Genesis』には彼女のユダヤ人体験が主なコンセプトとしてあるということです。ちなみに音楽はエレクトロニカ+アンビエント+フットワーク仕様で、これは冗談抜きの聴き入ってしまう注目すべき作品です。レヴューはあらためて掲載する予定ですが、アルバムはぜひチェックしましょう。

Mark Fell And Rian Treanor - ele-king

 前々号のWire誌のインヴィジブル・ジュークボックス、面白かったなぁ。マーク・フェルライアン・トレイナーという親子対決だったんですけど、アンソニー・シェイカーを巡ってここまで盛り上がれる親子がこの惑星上にどれほどいるというのか! (最新号のマイク・パラディナスとラーラ・リックス-マーティンとの夫婦対決も面白かったんだよな)
 そのエレクトロニカ親子がついに共作を発表した。マンチェスターのクールなレーベル〈Boomkat Editions〉から『Last Exit To Chickenley』。カセットテープでのリリースで、昨年の夏にサウスヨークシャー州ロザラムの庭で録音されたという。アンビエント/ミュジーク・コンクレート、そしてパーカッシヴなフリー・フォーム。レーベルサイトで試聴できます。
 そんなわけで、いつの日か小山田圭吾と米呂も共作することがあるのだろうか……

Various Artists - ele-king

 「地球上でもっとも活きのいいジャズは、ケープタウンやヨハネスブルグそして国中から集まった南アフリカに拠点を置くプレーヤーたちが発している」──これは『Wire』誌のリード文だが、パクってしまおう。『Indaba Is』を聴いていると、悲壮感に満ちた北半球の音楽が嘘のように感じられてくる。いや、南半球とてもちろんCovidはまん延し、ロックダウンもしている。昨年末は感染力の強い変異種が確認されたばかりだ。しかし、『Indaba Is』は最終的には、“希望に満ちた喜びのジャズと即興の暴動”になっている。『We Out Here』に次ぐジャイルス・ピーターソンの〈Brownswood〉が手掛けた素晴らしいコンピレーション・アルバムだ。紹介しよう。

 『Indaba Is』には南アフリカ産の現代ジャズが全8曲収録されているが、アルバムに参加したのは総勢52人。収録された8曲は、既発の曲ではない、すべてこのアルバムのために新録さている。ロックダウンの合間をぬって昨年6月の5日間で制作されたそうだ。南アフリカのジャズ・シーンで現在注目されているほとんどすべての若いプレーヤーは楽曲のいずれかでフィーチャーされている。
 南アフリカにはジャズの歴史があるが、アパルトヘイト時代には多くのジャズ・ミュージシャンは国外に亡命した。1990年に釈放されたネルソン・マンデラが1994年に大統領に就任するとアパルトヘイトは廃止され、タウンシップ・ジャズ、クウェラ、クワイトといった彼の地の音楽が国際的にも知られるようになった。近年のゴムやアマピアノなどは欧米や日本の新しモノ好きたちのちょっとしたトレンドにさえなっている。しかし、『Indaba Is』はそうしたいま旬の最新情報集ではない。「(国外には)南アフリカにいまルネッサンスが起きていると考えている人が大勢いる。しかしそうではない。それは私にとって、起こり続けているものだ。継続されてきたもの。ずっと続いていて、その勢いがいますべてが起きているかのように見えているだけ」、本作にも参加しているピアニストでシンガーのタンディ・ントゥリ(Thandi Ntuli)は『Wire』誌の記事のなかでこう話している。

 ヨハネスブルグのレーベル〈Afrosynth〉は昨年9月に地元のDJの選曲のもと、『New Horizons』と冠して『Indaba Is』とほぼ同様のコンセプトのコンピレーションを出している。だから『Indaba Is』だけが南アフリカの現代ジャズを伝えるものではない。ただ、本作はそのきっかけを作ったのがシャバカ&ジ・アンセスターズだったという点において必然の産物だった。ジ・アンセスターズがそもそも南アフリカのジャズ・ミュージシャンから成っているバンドだし、シャバカは以前から彼の地で演奏し、彼の地のジャズ・ミュージシャンたちと交流し、また彼らのほうでもUKで演奏する機会を得ていた。ジ・アンセスターズはもちろん本作に参加している。

 ザ・ブラザー・ムーブス・オンなる集団のリーダー、シヤボンガ・ムセンブ(Siyabonga Mthembu)はタンディ・ントゥリと並んで本作のキューレター役を担っている。ザ・ブラザー・ムーブス・オンは、音楽のみならずDIYによる演劇やパフォーマンス・アートも展開し、しばし(本人たちの意志とは関係なく)サン・ラーのアーケストラと比較されがちだそうだ。ロゴの入った服は着ないと言い切るムセンブは、『Wire』誌が言うには、オーソドックスなジャズ物語とはほど遠く、大学でジャーナリズムや政治を専攻していたそうだが、このコミュニティには純然たる音楽家以外にも、ドラマーであり学者でもあるトゥミ・モゴロシ(ジ・アンセスターズ)のような人も混じっている。『Indaba Is』はたいした考えもなくショーケース的に曲が並べられた編集盤ではない、深い思考があったうえでの音楽が記録されている。

 アルバムはボツワナ生まれのピアニスト、ボカニ・ダイアーによる意気揚々とした美しい曲、“Ke Nako”にはじまる。セツワナ語で「The Time Is Now」を意味するこの言葉は、反アパルトヘイト運動のスローガンだったというが、これが本作のオープナーを務める意味は大きい。なぜならひとつには、「ネオアパルトヘイト」と呼びうる情況がいまは存在するのだとタンディ・ントゥリは説明する。制度としてのアパルトヘイトはたしかに廃止された。しかし1994年に感じていた楽天主義は年を追うごとに衰退し、結局のところ国からのサーヴィスを受けられる白人居住区と非白人が暮らす貧困なエリアとの分断は依然としてあると。
 そしてもうひとつ、ゆえに、本作が2020年6月に録音されたことの意味も大きい。5月25日米ミネアポリスでジョージ・フロイド暴行事件が起き、それが発火点となってブラック・ライヴズ・マターなる歴史的な蜂起が世界のいたる都市で起きたまさにその真っ直中だったからだ。
 『We Out Here』において、反植民地主義の先駆的思想家フランツ・ファノンによる有名な著作『黒い皮膚・白い仮面』へのオマージュ──シャバカ・ハッチングスの“Black Skin, Black Masks”────がアルバムに確固たる意志を与えたように、『Indaba Is』にもファノンの影響下による1曲──ザ・レチッド(The Wretched)の“What is History”──がある。話は逸れるが、スラヴォイ・ジジェクが新刊『パンデミック2』のなかでBLMについてなかなか多くを言及しており、ファノンの話も出てくる。そこでジジェクは、(あれだけヨーロッパの植民地主義を糾弾した)ファノンが決して現代の白人社会に17世紀の奴隷商人の責任を要求したりはしなかったことに着目している。白人の心の内側に罪責感を植え付けることが彼の目的ではなかった。
 良いエピソードがある。『Wire』誌によれば〈Brownswood〉は、このアルバムの制作中(つまりBLM熱の最高潮のとき)、(白人である)自分たちは植民した側の人間であり、今回のこのようなコンピレーションは搾取になるではないかと、一時はリリースすべきではないと考えたそうだ。ムセンブに電話で、これが搾取にならないためにはどうしたらいいのかを訊いたという。結果、レーベルと彼らとの関係性は強化されることになった。契約内容は思いやりのある内容に改訂されて、作品はこうして世に出たわけである。

 『Indaba Is』には、南アフリカのジャズのハイブリッドな魅力が詰まっている。UKジャズにレゲエやソカが混じっているように、こちらには当地の多彩なリズムがあり、また、伝統的でスピリチュアルなハーモニー、南アフリカのメロディとモダンなソウルとの融合、インド音楽との対話まである。ぼくのお気に入りは先に挙げた“Ke Nako”、マーティン・ルーサー・キングの暗殺が語られる、まるでCANめいたファンクの“What is History”、牧歌的なアコースティック・ギターが美しいシブシル・ザバの“Umdali”、ジ・アンセスターズによるグルーヴィーなジャズの“Prelude to Writing Together”、タンディ・ントゥリによるネオ・ソウルめいたメロウな“Dikeledi”……ザ・ブラザー・ムーブス・オンによる瞑想的な“Umthandazo Wamagenge”もいいし、ま、どの曲もいいす。

 南アフリカのジャズ・シーンはいま、まったく楽天的ではない。Covidの真っ直中であり、それ以前から文化的なインフラを持たない同国のミュージシャンはますます窮地に追い込まれている。そこで彼らは現在デジタル・アーカイヴとそのネットワークを構築中だという。だが、昨年の6月にアフリカ大陸の最南の国にいる彼らの団結によって録音されたこの音楽──頭と身体と心のこもったジャズの変種──はいまこうして日本で聴ける/CDやレコードを買うことができる。

interview with Sleaford Mods - ele-king

 「まったく国民に自粛を押しつけといてさ」、いきつけのクリーニング屋の親仁は吐き捨てるように言った。「あいつらは好き勝手やってんだよ、とんでもないよね」。昨年末のことである。かれこれ10年以上世話になっている個人経営の店の、もう白髪さえ頭にまばらなこの爺様とは、いままでずっと天気の話しかしてこなかったから、突然の政治的憤怒にはフイを突かれる格好となった。ええ本当にそうですねと、そのぐらいの言葉しか返せなかったが、あんな温厚な年寄りさえも怒っているのだと念を押された思いだった。
 このところニュースは、失業者、ホームレス、そして自殺者について報道している。コロナ第三波に対してとくになんの対策もなく、意味のある支援策も解雇防止策もないまま、だらだらと非常事態宣言がでたばかりだ。ニュースはそして最近では、トランプの信じがたい暴力的な脅しを報じている。この一大事に、他の先進国と違って我が国の政治リーダーはコメントすらできないようだが、まあ、ワシントンの議事堂における支持者たちの暴動では、警察の対応がBLMデモとは明らかに違っていることを世界に見せてしまったと。その点でもBLMの成果はあったと言えよう。だが、あの憎しみや怒りは、ぼくがアリエル・ピンクのCDをたたき割って捨てたところでは、とうてい消えはしない根深いものであることを知らしめてもいる(ジョン・ライドンに関しては……紙エレ年末号をどうぞ)。
 さっきからテレビの画面では飲食店の店主たちが悲鳴をあげている。一家の稼ぎ手がまたひとり職を失っているときに自助(自分でなんとかせぇ)を第一とする菅政権は、就任以来中小企業の事業再構築をうながしているが、これは中小企業の何割かの淘汰を意味している。こんな与党を前に野党はいまもって存在感を示すことができず、その支持率は一向に上がらない。いま、目の前にあるのは幻滅ではない、絶望だ。

バズライトイヤーの髪型をしたおまんこ野郎が
労働者たちを呼びつける
自分の将来について考えたほうがいい
自分の首のことを考えたほうがいい
仲間を作ることやクソな髪型について考えたほうがいい 
俺は25セントのパスタと
スミノフの温かいボトルの夢を叶える
“Fizzy”

 ポップ・ミュージックにできること。気張らし。慰め。逃避。夢。熱狂。ダンス。カオス。笑い。快楽。幻覚。励まし。内省。趣味の競い合い。性の解放。愛の増幅。社会参加。孤独な魂に寄り添うこと。批評。罵倒。失意。絶望。悲しみの共有。挑発。炎上。攻撃。ヒーローはいつだって私をがっかりさせる。異議申し立て。疑問。気づき。目覚め。言いたくても言えないことを言うこと。頭のなかの革命。

俺はなぜ、穿いているブーツの二の次なのか?
俺はなぜ、着ているコートや髪型の二の次なのか?
俺はなぜ、自分の車の二の次なのか?
腕時計やジーンズ、ポロシャツよりも下
“Second”

 スリーフォード・モッズは、間違いなくいまもっとも面白いバンドのひとつである。その立ち振る舞い、音楽性、言葉、ユーモア、見た目、政治的スタンス、勇気、ぶち切れ方……スリーフォード・モッズは怒りにかまけて理想を忘れるようなことはしない。ものごとは昔よりも複雑化している。だからスリーフォード・モッズは走っているが、ただ走っているわけでも、考えてから走っているわけでもなく、調査し、挑発し、不条理を受け入れて、真剣に考えながら走っている。ザ・KLFが、ポップ・ミュージックがその随所に渡って市場化され、金が神となった現代を見据えながら象徴的な意味合いとして100万ポンドを燃やしたのだとしたら、そのがんじがらめの資本主義リアリズムのなかで目一杯ジタバタして、泥にまみれてもがいているのがスリーフォード・モッズだ。彼らは、地元の保守的なコミュニティにも、居心地良さそうなリベラルのコミュニティにも属さない。言うだけ言って、やるだけやってやろうという腹づもりなのだろう。
 また、いまのような時代ではスリーフォード・モッズには希少性という価値まである。パンク・アティチュードはほかにも、たとえばシェイムのような若いバンドストームジーのような賢明なるMCにもあるのだろう。だが、ジェイソン&アンドリューというふたりのおっさんがそのなかで際だった存在であることは間違いない。昨年もロックダウン中にUKで起きた介護者への国民からの讃辞に対して、こうした美談は政府の怠惰を隠蔽すると発言したことで、当たり前だが物議を醸し、また、「階級の盗用」だとアイドルズを大批判したビーフはファット・ホワイト・ファミリーまで巻き込んでの騒ぎとなった。
 それで、まあ、スリーフォード・モッズは進化しているのだ。新作『スペア・リブズ(Spare Ribs)』には、まずはサウンド面の変化がある。『オースタリティ・ドッグズ(Austerity Dogs)』の頃のモノクロームな煉獄ループに比べると音色も多彩で、曲もずいぶん親しみやすくなっている。セックス・ピストルズやストゥージズの幻影も霞んではいるが、ドイツの冷たいエレクトロや後期ザ・スペシャルズ風な内省とメランコリーもあったりで、曲のヴァリエーションが増えている。とはいえ、ジェイソンの激怒するヴォーカリゼーションとアンドリューのミニマルなトラックが古き良きロックに回収されることはない。

 UKのモッド・カルチャーとは、本来の意味を思えば60年代回帰のレトロ志向のことではないはずだ。あれはモダンな(新しい)ものを好み、たとえば最先端のUSブラック・ミュージック(ないしはUK移民の音楽=レゲエ)を愛好する尖った文化だった。ノーマティヴな社会に溶け込みながら、人とは違った趣味を持ち、人とは違った方法で自分をしっかり着飾る文化。ジェイソンも服が大・大好だが、彼はウータン・クランに触発されたあくまで現代のモッドである。ポップ・ミュージックにできること。いまリアルに起きていることのレポート。

ここにアンセムなどない
あるのはコンクリート
チップス
汚れたソーセージ
3ポンドの花束
“The Wage Don’t Fit ”

 スリーフォード・モッズはイギリスのノッティンガムの、ジェイソン・ウィリアムソンいわく「レイシストだらけ」の保守的な街で誕生した。2006年のある日のこと、パジャマ姿のまま近所に発泡酒とチョコバーを買いに行ったときにアイデアが閃いたという。ちなみにその名前だが、彼らがスリーフォードという土地に縁があるわけではない。ただその響きが良かったから採用したという。
 ジェイソンは、他人の曲をループさせたトラックに自分のラップをかぶせるという初期スリーフォード・モッズのやり方で地元のスタジオエンジニアと4枚のCDR作品を出している。昔はストーン・ローゼズやオアシスが好きだったというジェイソンだが、彼が自分のパートナーに選んだのは地元のDJ/プロデューサーで、ソロでは荒涼としたエレクトロニカ作品を多発しているアンドリュー・ファーンだった。長身で痩せこけたアンドリューと5枚目のCDR作品を作ると、2013年には正式なアルバムとして『オースタリティ・ドッグズ(緊縮財政の犬たち)』をリリースする。時代をみごとに捉えたその勇敢で独創的な音楽はWire、NME、ガーディアン、Quietusなどなど、イギリスの有力メディアからいたってシリアスに、そして知的に評価され、翌年の『ディヴァイド・アンド・イグジスト(分断と出口)』にいたってはマーキュリー賞にもノミネートされた。(いまではブリストルの巨匠マーク・スチュワートからロビー・ウィリアムスのようなセレブにまで愛される人気バンドになったが、曲の歌詞でNMEをバカにしたので、同メディアが選ぶ最悪なバンドの1位にもなっている
 スリーフォード・モッズはその後3枚のアルバムを出している。2015年の『キー・マーケッツ』、2017年には〈ラフトレード〉から『イングリッシュ・タパス』、2019年には自分たちのレーベル〈Extreme Eating〉から『イートン・アライヴ』。再度〈ラフトレード〉からのリリースとなる『スペア・リブズ』は、昨年話題となったベスト盤『オール・ザット・グルー』を挟んでのアルバムで、ロックダウン中に録音された。まるでDAFのようなエレクトロなミニマリズムとともに『スペア・リブズ』はこんな風に、失意と疲弊感からはじまる。この気持ちは我々日本人もシェアできるのではないだろうか。

俺らみんなが保守党に疲れている
そのせこさにやられている
浜辺はファックされ、波もないから
ここじゃもう誰もサーフィンしない
“The New Brick”

 

イーノは全然好きじゃない。彼は、俺のハマってる連中の多くにすごく影響してきた人なわけだ。でも俺自身は一切影響を受けてない。彼にはまったく興味を惹かれたことがないな。だってさぁ、あのみてくれだぜ(笑)。

新作、とても楽しませていただきました。音楽的にヴァリエーションが増えたことで、歌詞がわからずとも楽しめます。ある意味アクセスしやすい作品だなと。

JW:(うなずきながら)うん、それは間違いない。

ロックダウン中に『スペア・リブズ』の録音に取りかかったそうですが、最近はどんな風に過ごされていますか?

JW:うん、なんとかやってる。ポジティヴであろうと努めているし……かなり妙だけどね、ただじっとして、働かずにいるってのは。いやだから、ギグをやれないわけでさ。でも──うん、俺たちは大丈夫だよ。とにかくいまは、他の多くの人びとに較べりゃ自分たちの状況はずっとマシなんだし、常にそれを思い起こすようにしなくちゃいけないな、と。

日々、読書や映画鑑賞に明け暮れているとか?

JW:(笑)いやぁ、俺は読書が苦手でさ。マジにからっきしダメな読み手だよ。もっと本を読めればいいなとは思うけど、ほら、自分はものすごく──これ(と携帯をカメラにかざす)の中毒なわけで。

おやおや。

JW:(携帯スクリーンを猛スピードでスクロールするふりをしながら)ピュッピュッピュッピュッ! 始終そんな感じで、何か見て「おっ、すげえ!」みたいな。わかるだろ? うん、よくないのは自分でもわかってるんだけど。それ以外だと、俺は子持ちだから、父親業だね。子供の面倒をみて過ごしてる。そうやってとにかく心持ちの面で忙しさを保とうとしているし、クリエイティヴな面で言うと、アルバム(=『スペア・リブズ』)以来、自分は実際何もやってないな。それでも何やかんやと時間はふさがっているし、きっとそれは親だと忙しいってことだろう。

あなたがフランクフルト学派やマルクーゼを読んでいるとどこかの記事で見かけたんですけど、それは本当ですか? たしか『一元的人間』を読んでいる、とのことで。

JW:ああ、とてもいい本だ。あれは助けになったというか、本当に影響された。そうは言っても1、2章かじった程度だけどね、(顔をしかめながら)すごく、すご〜く難解でおいそれと読めない本だから。ただ、あれを読んだおかげで自分はものすごくこう──目覚めさせられたっていうのかな。この……国による支配ってものから、資本主義の抑圧から、我々は決して自由になれない、という観念を意識するようになった。彼らがこちらを欺き、資本主義の経済モデルに一生貢献し続けるように我々をだます、その様々なやり方からね。

でもほんと、その管理・抑圧からは逃れられないですよね。たとえば、こうしていま素晴らしいテクノロジーを使って取材していますが、これですら資本主義モデルに準じた一種の社会的なコントロールじゃないかと感じることがありますし。

JW:うん……。だけど、と同時に俺はそれを気に入ってもいるんだ。金を使うのは好きだし、高価なスニーカーを買うのも好きだ。外食するのも、いい服を着るのも好き、と。だから俺はまた、そのモデルを自らに割り振ってもいるっていう。

先ほど言ったように、まずは音楽的に以前よりもヴァリエーションが増えたと思います。そこは意識されましたか? 様々なヴォイスやサウンドがミックスされていますし、ギターを弾いているのはあなたですか?

JW:ああ。

ギターを弾くのは本当に久しぶりだったと思いますが、どんな気分でした?

JW:たしかにずっと弾いてなかったけど、まあ、とにかく音楽の方がギターをいくらか必要としていると思えた。アンドリューは“Nudge It”でギターを弾いたし、俺は“Thick Ear”で弾いてる。だからときおり……そう、とにかく今回はギターが必要だって風に自分には感じられた、ギターをちょっと加えようと思ったっていう。だから、以前の自分ほどギターっていうアイディアに敵愾心を抱かなくなっているんだよ。

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モッズというのはいつだって真実を伝える連中だった。だから俺は自分のバンドに「モッズ」の単語を含めた。自分たちもその同じ流れに沿っている、俺はそう思ったから。

スリーフォード・モッズのサウンドスケープを拡張するというのは──『Key Markets』以降、確実にその幅は広がってきていましたが──意識的でしたか? スリーフォード・モッズの音楽はそぎ落とされたミニマルなものになりがちですが、今回はもう少し聴き手に緩衝材を与えている気がします。

JW:ああ、そこは確実にそうだ。思うに、俺は……どう言ったらいいのかな、これまでよりもう少し層の重なった、もうちょっとカラフルなものにしたかったんだ。

ちなみに、アンドリューがひたすらチープな機材を使って音楽を作っていますが、それは高価な機材でしかモノを作らないことへの反論なのでしょうか? 

JW:そうは言っても、ここ数年で奴の機材の幅は間違いなく以前より広がったと思うけどね。でも、あいつは以前「ACID」っていうソフトを使ってビートを作っていたはずで、っていうかいまも使ってる(笑)。だから、そうね、あいつはこう……効果音だとか、奇妙なサウンドだのに入れ込んでるんだよ。で、それらを入手するのには、そんなに大枚はたかずに済むわけじゃない? 
あいつのいま使ってるセットアップも、かつてに較べりゃずいぶんでかくなった。ただ、それでもあいつはいまだに、歌にビート/音楽を組み込む際は最小限の要素みたいなものにしか頼らない。あいつも近頃じゃ、いくつか良質な機材の一式をいつでも使えるよう、手元に揃えたがるようになってるけども。

スリーフォード・モッズはある意味、音楽を作ることに、音楽界にインパクトを与えるのに大金を費やす必要はないという、その好例じゃないかと思うんですが。

JW:そうそう、その必要はまったくない。俺たちはそういうのに興味なし。とにかく俺たちは大抵ミニマルにまとめているし、アンドリューはそれにうってつけなんだ。というのもあいつの音楽は、たとえばソロでやってるExtnddntwrk(=extended network)にしても、どれも一種の音のランドスケープ、サウンドスケープ郡みたいなことをやっているし、やっぱりミニマルなわけで。だからほんと、あいつのやることはそこと完璧にマッチするんだ。

Extnddntwrk名義の作品は、じゃあよくご存知なんですね。彼のアンビエントな側面もお好きですか?

JW:ああ、もちろん! 好きだしいいと思う。もっとも、あれは自分が普段聴くような類いの音楽じゃないけども。だから、そんなに聴かないけど、ちゃんと評価はしてる(笑)。

ちなみにアンビエントの巨匠イーノに関してはどんな印象をお持ちですか?

JW:ファンではないな。(苦手そうな表情を浮かべて)全然好きじゃない。でも彼は、俺のハマってる連中の多くにすごく影響してきた人なわけだよね? テクノだとか、エレクトロニカ全般なんかに多大な影響を与えてきた人だとされているけれども、俺自身は一切影響を受けてない。彼にはまったく興味を惹かれたことがないな、うん、それはない。だってさぁ、あのみてくれだぜ(と、頭を丸めた坊主頭のジェスチャーをする)? でかい頭で、すげえ妙なルックスでさ。フハッハッハッハッ……!

(苦笑)。いや、イーノはあなたと同じようにコービン支持者ですし、政治的には共感できるんじゃないかなと。

JW:(真顔に戻って)ああ、うんうん、それはもちろんだよ。だから要は、俺はあの手のミュージシャンにエキサイトさせられることはまずない、ってこと。いつだってもっとこう、ストリート系な、「ウギャアアアァァッ!」みたく騒々しいバンドなんかの方に感心させられるっていうか、そういうのなら「おう、よっしゃ!」とそそられるっていうさ。

2020年にはこれまでのキャリア総括盤『All That Glue』も出しましたし、自分たちを振り返る時間もあったかと思います。

JW:(うなずいている)

あらためてスリーフォード・モッズの原点を、あなたが友人のサイモン・パーフと2006年か07年あたりにこのプロジェクトをはじめた、その当初のコンセプトを教えていただけないでしょうか? 

JW:あれは本当に……いま君たちが耳にしているもの、そのごくごくベーシックなヴァージョンだったんだ。当時の俺たちは他の人間の作った音楽をループして使っていた、という意味でね。

(笑)無断サンプリングしていた。

JW:(苦笑)そう! で、俺はとにかく……そのループにシャウトを被せていただけで。個人的な実体験の数々、酔っぱらった経験や失敗談、アルコールとドラッグへの依存、セックスとか、まあ何でもいんだけど、そういった事柄すべてについて語っていた。いまやそこは変化したけどね、それとは別のことを俺は歌ってる。ただ、それらは人生のなかのごくちっぽけな立ち位置/存在の観察だ、というのは常にあって。で、それが念頭にありつつも──うん、昔の自分の怒号ぶりを思うと、いまよりもうちょっと早口でまくしたてていたしラウドだったし、たまに自分で制しきれなくなることもあり、実はそんなによくはなかった、みたいな? だからとにかく、いまやっていることと基本的には同類の、でもその初期ヴァージョンだった、という。

スリーフォード・モッズは、モッズと言いながらいわゆるモッズ・サウンドではありません。ポール・ウェラー的なネオ・モッズ、あるいはスモール・フェイセズといったタイプの音楽ではないわけですけど、そもそもなぜ「モッズ」を名乗ることにしたんでしょう?

JW:それは、俺たちは基本的に──いやまあ、俺自身はモッズ的なものには入れ込んでるんだけどね。あれは常に俺の興味をそそってきた。で、俺のモッズ観は、あれは他の何よりも際立つことができるものだ、ということで。もしもバンドがモッズなるものをばっちりモノにできれば、そいつらは他の何よりも抜きん出ることができる、みたいな。というのも、モッズ(モダーンズ)というのはいつだって真実を伝える連中だったし、クリエイティヴィティに対してもっとずっと正直なアプローチをとってきた連中なわけで。だからなんだ、自分たちのバンド名に俺が「モッズ」の単語を含めたのは。自分たちもその同じ流れに沿っている、俺はそう思ったから。

で、今回のアルバムの“Nugde It”の歌詞は興味深いなと。

JW:へえ、オーケイ。

あれはスリーフォード・モッズの現在の立ち位置を歌っていると思いますよね。で、スリーフォード・モッズに対する評価に対しても苛立っているように読めるのですが、もしそうだとしたら、これはどういうことなのでしょうか? ちょっと説明をお願いできますか? 

JW:あの曲で言わんとしているのは、異なる生い立ちを持つ連中がいかにして、実際にその経験がないくせに自分たちとはバックグラウンドが違う者たちの物真似をしているか、ということだね。そうやって物真似することで、彼らは自分たちをもっとエッジーに、あるいは実際より興味深いものに見せようとしている、という。で、多くの場合、人びとはその点に気づいてすらいないわけ。そういった連中は、自分たちがやっているのは本当はなんなのかすら考えずに、他の人びとのユニフォームを借り着してるっていう。俺は、それってマジに無礼な侮辱だと思う。かつ、その物真似を鵜吞みにして支持する人間が山ほどいるって事実、それに対しても本当に怒りを感じる。そういうことをやってるバンドのいくつかは、とんでもなく人気が高いわけだろ? というわけで、あの曲で取り上げているのはそういうことだね、「階級見学ツアー(class tourism)」みたいなものについてだ。
(※ここでジェイソンの話しているのは、上流・中流・下層と階級が分かれる英国で、上位に位置する人間が不思議がりときにバカにする意味合いで一時的に=物見遊山で立ち寄るごとく下層階級のファッションやスラングやカルチャーを真似する行為を指す。「貧民見学ツアー」を意味するpoverty safariというタームもある
だから、お前さん自身は繫がっていない、お前さんには実体験の一切ない、そういう人びとだったり彼らの生き様をお前は物真似しているんだろうが、と。お前がそれを利用するのは、そうやって真似ることで自分をパワフルに見せたいだけだろ、と。

──それは、アイドルズみたいなバンドのことですか?

JW:ああ、まったくねぇ! うん、そう。

ソーシャル・メディア他であなたと彼らとのビーフが広まりましたよね。先ほどもおっしゃっていたように、アイドルズはいますごい人気ですけれども──

JW:(苦虫をかみつぶしたような表情で)ああ。

あなた自身は彼らの言うことは信じていない、と。

JW:信じないね。なんて言えばいいのかな、「学が足りない/ちゃんと勉強してない」っていうの? 一元的で浅薄だし、中身がまったくない。とにかくやたらポーズばっか、と。で、いまって本当にひどい時期なわけだし、「自分は生きているんだ」と実感できるような何かを求めるわけだろ。これは俺個人の思いだけど、ああしたかっこつけやポーズから、俺はそういう感覚を受けないんだ。

ちなみに、主にCD-R作品を出していた初期のことをわたしは「スリーフォード・モッズMK.1」あるいは「Ver.01」と捉えているんですが──

JW:ああ、うん。

で、アンドリューが加入し、いわば「スリーフォード・モッズ Ver.02」がはじまった、と。そのブレイク作である『オースタリティ・ドッグズ』以降とでは、音楽への向かい方はどう違っていますか? 

JW:うん、変化したね。絶対にそう。だから……質問は、俺の音楽に対する姿勢がどう変化したか、ということ?

ええ。基本は変わっていないと思うんですが、『オースタリティ・ドッグズ』を境に、それ以前に較べてもうちょっとプロっぽくなった、「これは自分たちのキャリアだ」と考えはじめたんじゃないかと。そこで、音楽作りや作詞へのアプローチは変化しましたか?

JW:ああ、なるほど。うん、変化した。それは、さっきも話に出たマルクーゼみたいな人の考えだとか、現代世界に対する様々な類いの批評等に触れたことが影響しているんだと思う。
それと同時に、俺自身のなかで育ち続けている、「自分はこの世界のどこに位置してきたのか」みたいな意識/目覚めもあるんだ。自分という存在はこの世界でどんな意味を持ってきたのか? 自分は自分にとってどんな意味があるのか? 自分は何を学んできたんだろう? と。ぶっちゃけて言えばケアしているのは唯一それだけ、ほんと、成功と物質的な豊かさに伴うあれこれがひたすら重要な世界のなかで、自分はこれまでどんな人間として生きてきたのか、そうしたすべてをひっくるめたあれこれが、『オースタリティ・ドッグズ』を作った後で、よりはっきりしたものになりはじめていった。

それだけヘヴィになった、とも言えますね(苦笑)。

JW:ああ、もちろん! そりゃそうだって。歳を食えば食うほど、たくさんのことがかなり、こう……だから、ドラッグだのセックスだの、そんなんばっかの人生なんざもうご免だ、タイクツなんだよ! って風になり出すもので。それらがやがて問題になってくるし、となると自分の人生からその要素を取り去るよう努力する他なくなる。いや、セックスは残しておいていいな、タハッハッハッハッハッ! ただまあ、ドラッグ摂取/飲酒等々の問題面は取り除こうぜ、と。
アルコールとドラッグのツケは、最終的に非常に大きく俺に回ってきたから。あれを乗り越えるのには本当に長くかかった。で、そうしていったん克服してみると、この世界は自分にどんな意味を持つのかという面に関して、これまでとは違う物事が作用してくるようになって(※数年前からジェイソンは飲酒もドラッグも断っている)。
というわけで、スリーフォード・モッズに備わったメッセージはある意味『オースタリティ・ドッグズ』以降も変わっていないんだけど、ただそのコンテンツは常に変化し続けている。

スリーフォード・モッズは、マルクス主義者やフランクフルト学派を研究するような知識人からも評価されていますよね。個人的には興味深く思っているのですが、こうした左翼的な分析に関しては、あなたはどんな感想をお持ちでしょうか? 

JW:彼らの分析には大いに賛成だ。もっとも、自分を左翼人だとは思っちゃいないけどね。でも、右翼じゃないのは間違いない。

(笑)それはありがたい!

JW:(爆笑)。うん、ああした分析は好きだよ。インテリの立場にいる人たち、おそらく俺も興味を抱くであろう、そういう人びとが俺たちのやっていることをすごく気に入ってくれてるのはいいことだと思ってる。

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彼らの分析には大いに賛成だ。もっとも、自分を左翼人だとは思っちゃいないけどね。でも、右翼じゃないのは間違いない。

オーウェン・ジョーンズの『チャブ』は読んでいると思いますが、あの本は好きですか? 

JW:もちろん読んだ。すごく気に入ったね。あの本もまた、俺が政治に関してもっと建設的なフォルムみたいなものへと浮上していく、その助けになったもののひとつだ。

“Elocution”では誰かの偽善性を批判しているようですが、具体的に誰とかあるのでしょうか? それとも音楽シーンに対する観察?

JW:ああ、うん、あれは……だからこの国の音楽シーンじゃ、マジにがっくりさせられる、そういう手合いはいくらでも跡を絶たないわけで。

(爆笑)

JW:ハッハッハッハッハッ! なんかこう、そういう連中がどこからともなく次々に湧いてくる。っていうか、ほぼ毎年出てくるな。本当にシャクに障りイラつかされる、そういうアクトが毎年かならず、1、2組は登場する。

(苦笑)なるほど。

JW:で……あれはほんと、そうした連中をあれこれ組み合わせたコラージュだね。連中は社会正義を謳った色んなキャンペーン活動のフロントを張るわけだけど、たまに「こいつら、自分たちのキャリアを向上させるのが目的でこういう活動をやってるんじゃないの?」という印象を抱かされることがあって。音楽そのものの力じゃ勢いが足りないからそれをやってる、と。才能が平均以下のミュージシャンの多くは、人気者のポジションを狙うなかで、大抵はネットワーキングに頼るものなんだ。各種音楽賞だの、なんであれそのとき焦点の当たっている、メディアに取り上げてもらえる問題に対するキャンペーン活動を通じて、という意味でね。だから連中は多くの場合、自分たちの地位を向上させるために、そのメカニズムに相当に依存しているわけ。
そうは言っても、彼ら自身は自分たちがどういうことをやっているかに対する自覚がないのかもしれないよ? ただ──そういうのにはウンザリなんだって。そんなんクソだし、お前らの音楽は特にいいわけでもない。こっちにはそれはお見通しなのに、それでもお前は「音楽をケアしてます」って言うのかよ、と。まあ、彼らもたぶん少しは気にかけているんだろうな。けど、それ以上にお前が気にしているのは自身のキャリアだろ、っていうさ。

そこはミュージシャンにとっての難問ですよね。たとえば『スペア・リブズ』が売れてあなたたちがさらにビッグになったら、「ソールドアウトした」と批判する人は出てくるでしょうし。

JW:ああもちろん! っていうか、その批判を俺たちはこれまでも受けてきたし、いまですらそうだ。ただ、俺たちがかっこつけた気取り屋ではないこと、セレブではないっていう事実、そこは人びとだって俺たちからもぎ取れない。俺たちは常に、自分たちのままであり続けてきたんだしさ。

“Glimpses”や“Top Room”はロックダウン中の情景を歌っていますよね? で、“Glimpses”ですが、これは曲調こそパンク・ソングなのですが、歌詞がずいぶん抽象的というか詩的に思いました。ここにはどんな意図があるのでしょうか?

JW:“Glimpses”ね。あれは……もっとこう、子供を連れて近所の公園に出かけると、みたいな話だね。で、行ったもののCOVIDのせいで公園は封鎖されてた、と。それと、消費主義についての歌でもある。それがいかに……だから、とあるスニーカーの宣伝をちょこっとやっただけでそのスニーカーをタダで5足もらえる奴もいる、と。ところがこちらは、その同じスニーカーを買うのに500ポンドだのなんだの、大金をはたくことになる。となると、こっちはほとんどもうなんの価値もない人間だ、ってことになるよな。商品そのものの話ではなくて、マネーのことだよ。
でもいずれにせよ、俺たちだってみんな、そこは承知しているわけで。誇示的消費(=conspicuous consumption。富や地位を誇示するための消費)なんて、別に目新しいものでもなんでもないんだし。で、俺としてはある意味、その点をあそこで論議したかったんだけど──うん、果たしてそのふたつの意味合いをあの曲でちゃんと表せたか、それは我ながらよくわからないな。あれはとてもいい歌だし、すごく気に入ってる。ただ、曲のメッセージという意味では、まだほんの少し、言葉が足りないのかもしれない。

2014年のガーディアン紙の取材であなたはスリーフォード・モッズの音楽の根幹には「怒り」があると話しています。いまでも「怒り」はモチベーションだと思いますが、それはあの頃とまったく同じ「怒り」がいまも持続している感じですか?

JW:うん……だから、俺の怒りのほとんどは、他の人びとに対して感じる苦々しさや嫉妬、うらやましさから派生したものなんだよ。それとか他人をおいそれと信じないところだったり、政府に対する軽蔑もその主な要因になっている。で、その点は変化していないと思う。それらのアイディアから、俺はいまだにこうしたエネルギーのすべてを得ているわけで。ネガティヴィティにシニシズム、そして自己批判もあるけど、そうしたものからエネルギーを得ている。
というわけで、そこはいまだに継続中だな。ただ、思うにほんと唯一、自分にとって重要なことという意味で……自分にどうしても語れないのは愛だなぁ。愛というのは、(歌にして)宣伝するよりも(苦笑)、実際に体験する方がずっといいアイディアだと俺は思っているから。だからまあ、ポジティヴィティがほとんど存在しない、ポジティヴさがわずかな隙間にちょこちょことしか見出せない状況で、常にポジティヴなことばかり語るのは、どうしたって興味深いこととは思えないだろう。

トランプやボリス・ジョンソンのような右派ポピュリストは、新自由主義によるグローバリゼーション(安価の移民労働)と「Austerity」(福祉予算のカット)によって追いやられた労働者たちの心情にうまくコミットしていましたが、コロナによって、例えばトランプが選挙に負けたように、右派ポピュリズムにほころびが出てきています。しかし、それでも日本では、コロナを企業社会の新自由主義的な再編の機会として捉えている向きもあり、ますますやばい状況になりそうです。イギリスも失業者がハンパないと報道されていますが、そうした社会不安や追い詰められていくメンタリティの問題、見えない恐れの感覚は今回のアルバムに大きな影響を与えていると感じたのですが、いかがでしょうか?

JW:そうだと思うよ、うん。もちろん。だからこの、自由がみるみる奪われていくという実感に、疎外感に……日常的に同じ経験を繰り返しているなという感覚。終わりがどうにも見えてこないフィーリングに、いったい何を信じればいいのかわからないという感覚。情報よりもむしろ、「これは大丈夫だ」と思える自分のいい本能/直観に常に頼らなくてはならない状況だとか。正確な情報ってのは、誰にでもすぐ入手できるものであるべきだというのに。うん、そういったことが作品に影響したね。──と言いつつ、と同時にこれは……パンデミックが襲った際の人びとの振る舞い方とそこから生まれた結果というのは、資本主義システムの下では人びとはそう振る舞う以外にないんだし、いずれにせよそれと同じ結果になる、ということでもあって。だから今回の作品にしたって、ずっと継続している物語のエピソードのひとつというか、『オースタリティ・ドッグズ』以来俺たちが語り続けてきたこと、そのなかの一話なんだ。
というわけで、俺はその面はあまり述べたくなかった。この試練だって、後期資本主義のまた別の一面に過ぎないんだし、あまねく広がった腐敗の現れであり、遂に本当に真剣な決断を下さなくてはならない地点にまで達した文明の側面なんだから。自分たちは何を信じるのか、そして自分たちはどう振る舞っていくのか、そこについて人類はシリアスな決断を下さなくちゃならないところまで来ているわけでさ。うん、そうした思いはたしかに、アルバムにある程度までは影響を与えた。おっしゃる通りだ。

ネガティヴィティにシニシズム、そして自己批判もあるけど、そうしたものからエネルギーを得ている。というわけで、そこはいまだに継続中だな。ただ、思うにほんと唯一、自分にとって重要なことという意味で……自分にどうしても語れないのは愛だなぁ。

たとえば、ビリー・ノーメイツが参加した“Mork n Mindy”なんかはそういう気味の悪い不安をうまく捉えた曲だと思いましたが、あの曲はあなたの子供時代を反映したものらしいですよね?

JW:ああ、そうだ。あの曲は俺が子供だった頃についての歌で、そうだな、あれと“Fish Cakes”の2曲は、子供時代について歌ってる。自分の子供時代や、子供のときはどう思うんだろうといったことを考えるようになりはじめて……。俺は生まれつき、難病の二分脊椎症(spina bifida)を患っていてね。11歳のときに脊椎の大手術を体験したんだ。

ああ、そうだったんですか。

JW:うん。でも、当時は二分脊椎症だったとは知らなくて、今年の夏に(コロナの影響で)ジムが閉鎖され、自宅の庭でエクササイズ中に背中を怪我して、はじめてそうだったと知った。で……うん、そのおかげで、手術を受けた頃に引き戻されたね。あれは、かなりエモーショナルな時期だったから。というわけであの頃を思い返したし、子供だった自分のことをまた考えるようになって。それにもちろん、いまの自分には子供もできたし、彼らの子供時代と自分自身の子供時代とをしょっちゅう比較するようにもなったわけ。だから……あの曲はアルバムに入れたかったんだよ、子供時代を考えれば考えるほど、自分のなかに色んな思いがたまっていったから。

ビリー・ノーメイツは今年アルバムを出しましたが、あなたも1曲参加していますよね。彼女は抜群だと思いますが、あなたは彼女のどんなところを評価していますか? 

JW:やっぱ、あの声だよね。それと、彼女の曲の書き方も。彼女は本当に、すごく、すごく才能があるし……うん、ちゃんとした、本当にオリジナルな人で。それに、彼女を聴いていると自分の頭にかつてのグレイトなシンガーがたくさん思い浮かぶんだ。とくに、過去の優れたソウル・シンガーの数々を思い起こす。音楽という概念を実践する面でも非常に腕の長けた人だし……とにかく彼女には、どこかしらすごくソウルっぽいところがあるんだよなぁ。と同時に、80年代っぽいところもかなり備えていて。そうした点が、ほんといいなと思う。

Amyl and the Sniffersのエイミー・テイラーも参加していますが、今回なぜ女性シンガー2名とコラボしようと思ったんでしょう?

JW:俺たちも女性の存在を求めていたんだよ、だから、ほら……全般的に、女性が欠けてるわけだしさ(苦笑)。

(笑)テストステロン値が高過ぎる、と。

JW:そう(笑)! 野郎が多過ぎだって。ハッハッハッハッ……ぎゃあぎゃあ騒いでる男どもが多過ぎる(苦笑)。

アルバム名は「肋骨」で、女性はアダムの肋骨(=リブ)から作られたと旧約聖書にありますよね。それで女性が必要だったのかな?と。

JW:ああ〜! たしかに! なるほどねぇ。(笑)いや、そういうわけじゃないけど、でも実に古典的なポイントだな、それって。そういう風に自分が考えたことはなかったけどさ。

このアルバム・タイトルを知ったときに、イギリスで70年代に発刊されたフェミニスト雑誌『Spare Rib』を思い出したんですよ。その書名はもちろん、聖書の「女性は男性の一部である」という発想を茶化したもので。

JW:うん、うん(うなずく)

とはいえ、このタイトルの「スペアリブ」は、まさしく我々のことを指しているわけですよね。一本くらいなくなっても平気なあばら骨、いわば使い捨てライターのように取り替え可能な存在、という。

JW:イエス! でも……君がそうやってアルバムの概要をまとめてくれた方が実際よりはるかに面白いかもな、クハッハッハッハッ!

(笑)ふざけないでください。全部、ちゃんと考えてるんでしょ?

JW:いやいや、そうやってあれこれ言われると、俺は「違う」って言い出すっていうね! アッハッハッハッハッァ〜……! 
(ひとしきり笑った後で真顔に戻って)いや、うん、そうだよ。あのタイトルは基本的に、俺たちの政府は2020年のはじまり以来人びとをどんな風に扱ってきたか、ということで。無駄死にした死者の数──だから、あれだけ(コロナで)死者が出たけど、そのある程度までは防げたはずだった、俺はそう思っていて。そこで考えさせられたんだよ、政府は経済モデルに貢献している人民の生命よりも、その経済モデルを維持することの方に心を砕いているんだな、と。いやもちろんこれは、政府側はその点を意識してそうやっている、という意味ではないんだ。ただ、世のなかには常に、この経済モデルに貢献する人間たちが絶え間なく流入してくるわけでさ。ということは、この経済モデルを保存するためにだったら、政府の側には20万人であれ百万人の命であれ、たまにちょっとばかり人口を削ってもなんとかなる、そういう余裕があるってことだよ。
で、2020年のはじめからイギリスの公衆に対しておこなわれてきた安全対策の数々を考えれば考えるほど──わかるだろ? 英政府は(人民よりも)経済モデル維持の方をもっとケアしてきたんだな、という印象を抱くわけ。だから、政府の考え方は「肋骨をいくつか取り除いても、身体そのものはなんとか機能するからOK」みたいなものにはるかに近い、と。ということは、俺たちはみんなスペアリブだってことだよ。でも……このタイトルは、イギリスではおなじみな、中華料理のテイクアウト・メニューにもちなんでいて。

ほう。

JW:わかるかな、スペアリブ? イギリスじゃどこでもお目にかかるありふれた食い物なんだけど(※ばら肉を骨付きで揚げたりバーベキューした、イギリスのお持ち帰りチャイニーズの定番料理)。ある意味、そこにも目配せしているタイトルだし、子供時代とも繫がっていて。

……あなたはよく、食べ物について書きますよね?

JW:うん。

どうしてですか?

JW:当たり前だろ、それって。

「スペアリブ」はもちろん、これまでも「マックフルーリー」とか「イングリッシュ・タパス」とか。あなたは身体を鍛えていて、大食いしなさそうですけど、歌詞には食べ物や食べることに関する妙な執着があるように感じるんですが(笑)?

JW:いやとにかく、多くの人間が食えるのってそれくらいなわけじゃない? たとえば……ひとり分のチップス、その人が手に入れられるのはそれだけ、みたいな(※チップスはフライド・ポテト。日本のそれより厚めにカットされていてボリュームがあるにも関わらずひと袋200〜300円程度なので、本来は副菜であるチップスを主食代わりにする人もいる)。それとか、食べられるのは卵サラダサンドだけ、とか。だから、それって人びとはいかに……んー、あまりお金がない状態にいると、そういう安くてしょうもない食べ物でも美味く感じて大事に味わえる、そこに落ち着くんじゃないかと思う。それに、俺とアンドリューがふたりで話すのって、ほんと、食い物についてばっかだし。

(笑)マジですか。

JW:いやだから、そこはまた……さっき言われたイングリッシュ・タパスだとか、マックフルーリーだとか、まあなんでもいいんだけど、そうやって俺が歌で取り上げてきたことって、俺がそういった食い物を食ってる日常の周辺で起きた色んなことを表象するものでもあるんだよ。それは子供時代の話も同様で、ガキの頃はとんでもなくひどいものを食わされてたよなぁ、みたいな文句をね(笑)。その手の話はしょっちゅうやってる。

表題曲の“Spare Ribs”の歌詞にエイフェックス・ツインが出て来ますが、お好きですか?

JW:うん、彼はいいんじゃない? いやだから、あの歌詞で彼の名前を持ち出したのは、あの曲で歌っているのは──

──知ったかぶりの、マウントしたいタイプ?

JW:(顔をしかめて)うんうん、あの手合いはね〜、ほんと、もう……

(歌詞を引用して)「エイフェックス・ツインや/スペインのアナキストについてえんえん語ってる奴」と。

JW:うん、そうそう! だからさ、ああいう難しそうなことをぺらぺら触れ回ってる連中って、いざ「それってどういうことですか?」と突っ込まれると、実はそれをよく知っていないのがバレるっていう。となると、やっぱ思うよね、お前は常に「自分はこの手の世界にどっぷり浸かってますよ、熟知してます」って雰囲気を醸してきたのに、なんで自分の言ってきたあれこれをよく知らないんだい?と。

“Fish Cakes”で繰り返されている「At least we lived」という言葉に込められている感情は、やはり絶望感なのでしょうか?  すごく悲しい曲だなと思いますし、「少なくとも自分たちは生きたんだから」という一節にあなたが込めたのもそういう思いなんでしょうか。

JW:うん、ある意味、そうなのかもしれない……。うん、そうした悲しみをあの曲で伝えたかったのかもね。というのも、俺が子供の頃は……いや、そんなに悲しい子供時代だったとは思わないな。それよりもこう、とにかく退屈だった。狭く限られていたし、周囲にも大して何もなくて。しかも大人たち、当時接することになった大人のほとんどは、子供たちよりもひどい状態で。だから、とにかく何もかもがつまらなくみじめだと思えたし、憂鬱に映った。そこを歌にしたいなと。それらの体験を曲に含めたいと思ったんだ。それをやるのには、本当に苦戦したけどね。というのも、俺はあれを哀れっぽい曲には、聴き手に憐憫の情を掻き立てるような曲にはしたくなかったから。そうではなく、あの情景を表に見せたかっただけで。

今年亡くなったアンドリュー・ウェザオールから受けた影響についてお話しいただければ。Two Lone Swordsmenの“Sex Beat”(ガン・クラブのカヴァー)には影響を受けたという話は読みましたが、それ以外で彼について思うことがあればお願いします。

JW:TLSのアルバム『From the Double Gone Chapel』(2004)で、彼らは──あれはたぶん4枚目か5枚目だったはずじゃないかな? あれを聴いて、俺の抱いていた……シンガーが歌う際のいいバッキング・サウンドとはどういうものになり得るか、そこについての考え方を部分的に変えさせられた。いいサウンドってのは何かという、その見方をね。あの雷みたくゴロゴロと鳴るベース・ラインに、あのアルバムでのアンドリュー・ウェザオールの歌い方に……それにキース・テニスウッド。彼とは知り合いで、たまに話す間柄だよ。本当にいい人だけど、うん、彼の用いたプロダクションの手法だとか。そういや、彼もブライアン・イーノの大ファンなんだよな。彼に「あのアルバムであなたが影響されたのは何だったんです?」と尋ねたら、「ブライアン・イーノにめっちゃ影響されたぜ!」って答えが返ってきて、俺は「クソッ、そうなのか!」みたいな(笑)。

(苦笑)それはもう、あなたもイーノを聴かないと。意地を張らず、諦めて聴きましょう。

JW:(笑)あー、そうだねぇ、聴かないと……。ともあれ、うん、そういう話で。それに、アンドリューとも2回くらい実際に会ったことがあって。ほんと、イイ奴でね。本当にナイス・ガイで。全然──お高くとまったところや自己中心的なところのまったくない、じつに愛すべき人だった。だからうん、そこはものすごく感銘を受けたよね。でも、それだけじゃなく、彼の佇まいも印象に残ったな。ほら、あのタトゥーだったり……着る服を通じて自己表現する彼のやり方だとか、あれは無類のものだったっていう。ああいうことをやる人は決して多くなかったし、そこからも本当に影響された。とにかく、「自分の頭で考えろ」っていうこと。もっとも、その点については、他の人たちからも俺は多く学んできたんだよ。ただ、アンドリュー・ウェザオールはそのなかでもグレイトな人物のひとりだと思ってる。

ウェザオールには「彼のスタイル」がありましたよね。そこが、他の人とは違っていたんだと思います。

JW:(うなずく)ああ。

来年の抱負をお願いします。

JW:それは……やっぱ、またライヴをやることだよね。俺たち、日本にぜひ行きたいと思ってるし。

ぜひ!

JW:うん、ほんと、日本に行けたらいいなと思ってる。とにかく日本で演奏するだけでいいんだ。そうやって向こうに行って……ギグをやって守り立てることで、『スペア・リブズ』にふさわしいだけのことをちゃんとやってあげたいな、と。いまは視界も開けた状態なわけだし、うん、もっと後になってからではなく、できれば早めにそれを実現したいと思ってる。

アルバム音源も好きですが、あなたたちのエネルギーはライヴだと一層パワフルなので、日本でのショウが実現するのを祈っています。というわけで、本日はお時間いただき、ありがとうございました。

JW:こちらこそ、ありがとう。

★了

(2020年12月17日取材)

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