ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. interview with Larry Heard 社会にはつねに問題がある、だから私は音楽に美を吹き込む | ラリー・ハード、来日直前インタヴュー
  2. The Jesus And Mary Chain - Glasgow Eyes | ジーザス・アンド・メリー・チェイン
  3. 橋元優歩
  4. Beyoncé - Cowboy Carter | ビヨンセ
  5. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第2回
  6. CAN ——お次はバンドの後期、1977年のライヴをパッケージ!
  7. interview with Martin Terefe (London Brew) 『ビッチェズ・ブリュー』50周年を祝福するセッション | シャバカ・ハッチングス、ヌバイア・ガルシアら12名による白熱の再解釈
  8. Free Soul ──コンピ・シリーズ30周年を記念し30種類のTシャツが発売
  9. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第1回  | 「エレクトリック・ピュアランドと水谷孝」そして「ダムハウス」について
  10. Columns ♯5:いまブルース・スプリングスティーンを聴く
  11. claire rousay ──近年のアンビエントにおける注目株のひとり、クレア・ラウジーの新作は〈スリル・ジョッキー〉から
  12. 壊れかけのテープレコーダーズ - 楽園から遠く離れて | HALF-BROKEN TAPERECORDS
  13. まだ名前のない、日本のポスト・クラウド・ラップの現在地 -
  14. Larry Heard ——シカゴ・ディープ・ハウスの伝説、ラリー・ハード13年ぶりに来日
  15. Jlin - Akoma | ジェイリン
  16. tofubeats ──ハウスに振り切ったEP「NOBODY」がリリース
  17. 『成功したオタク』 -
  18. interview with agraph その“グラフ”は、ミニマル・ミュージックをひらいていく  | アグラフ、牛尾憲輔、電気グルーヴ
  19. Bingo Fury - Bats Feet For A Widow | ビンゴ・フューリー
  20. ソルトバーン -

Home >  Reviews >  Album Reviews > 坂本慎太郎- できれば愛を

坂本慎太郎

Abstract Disco Dub Pop RockCanYura Yura Teikoku

坂本慎太郎

できれば愛を

zelone

Amazon

野田 努   Aug 03,2016 UP

 世界は転機を迎えている、それは間違いない。日本は自分が望まなかった未来へと進んでいる。ただでさえ中年になるとマイナス志向になってしまうというのに、せめて清水エスパルスが毎回快勝してくれればいいのだがそういうわけにもいかず、現実は厳しいのう。

 『ナマで踊ろう』よりも反復するリズムをいっそう活かし、さらに空間的で艶めかしい音響をモノにした本作『できれば愛を』(の1曲目)を最初に聴いてぼくが真っ先に思ったのは、カンの『フロウ・モーション』だった。それはクラウトロックの王様が、ハワイアン/レゲエ/ディスコに接近した作品で、老練なゆるさがある。が、『できれば愛を』から見たら、『フロウ・モーション』でさえも、やかましい/うるさい/説明的で押しつけがましいな音楽かもしれない。
 これはまず音響的冒険であり、最高のダブ・ミキシングだ。テンポの遅いミニマルなドラムは魅力たっぷりで、そのリズムに絡まるベースがまた独特な間合いで、しかも絶妙にディレイがかけられている。この、あたかも無重力の別世界で生成しているかのようなドラム&ベース=グルーヴは、唯一無二の素晴らしさだ。舌を巻いてしまう。が、アルバムの脱力感は、いま現在のぼくの無気力さと紙一重でもある。その空しさは、後任も決まらないうちに編集部から姿をくらました橋元優歩さん(長い間お疲れ様でした~)が原因ではない、政治的な理由からだ。
 もっとも坂本慎太郎は、表面上は、『ナマで踊ろう』以上に社会問題に深入りすることはしなかった。「できれば愛を」という言葉は、例によって坂本節というか、ある意味ソツがなくカドが立つ言葉ではない。それは彼の一貫した美学でもある。『ナマで踊ろう』はある意味自ら掟を破った作品だったわけだが、今回は、音楽的には前作をアップデートさせながら、じつは言葉的にも引き続き絶望的な気持ちを代弁している。東京都知事選後のいま聴けば特別な意味を帯びてくるだろう。

自分のしたことが招いている
悲しいくらい俺は
恥ずかしいくらい俺は
さみしいくらい俺は
無力だ “超人大会”

 坂本慎太郎がニヒリスティックなのは、いまにはじまったことではない。彼にユーモアがあるのもわかる、それでも、すべてが馬鹿に見えてしまっている“マヌケだね”のような曲に、いまのぼくはどうしても乗れない、愛想笑いすらできない、本当に落ち込んでくるのだ。自分に余裕がないからだろうか。中年だからだろうか。自分が本当に無力でマヌケだかろうだか。いまはそんなふうに抽象的に、自分たちはダメだダメだダメだと繰り返することに意味があるのだろうか……いや、坂本慎太郎には意味があるのだろう。なにかそれなりに強い気持ちがなければこの作品は生まれない。だが、あまりにも現実がひどいせいだ、いまはその抽象性にぼくは違和感を覚える。

 ディスコというのは70年代の音楽であり、ソウルの発展型だ。2016年、ダンス・ミュージックはいまも動いている。カンはさまざまな世界の音楽にコネクトしようとしたし、『フロウ・モーション』にもその痕跡がある。今年のグランストンベリー・フェスティヴァルにおけるデイモン・アルバーンはシリアのオーケストラを招いて演奏した。それは、世界の転機にいる現在の、彼なりのひとつの回答だろう。もちろんそんなことだれもができるわけではないけれど、音楽にはまだできることがある。わかった! 年末号の紙エレキングの特集はこれでいこう。だったら、いまぼくたちに何ができるのか? ただ本当に無力でマヌケなだけなのか?