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松村正人 May 24,2010 UP
ワルシャワが渋谷から下北沢に移転して、新譜をチェックする店がまたひとつ近場になくなってしまったので、ディスク・ユニオンの4階にいったら、ローリー・アンダーソンの12インチ・シングルがあった。
ローリー・アンダーソンは随分久しぶりに聞く名前である。しらべると、2001年の『ライフ・オン・ア・ストリング』以来の『ホームランド』なるアルバムが来月に出るらしく、このシングルはアルバムからの先行カットらしい。ビル・フリゼールやヴァン・ダイク・パークスやドクター・ジョンが参加しハル・ウィルナーがプロデュースした『ライフ・オン~』は、タイトルの通り、ヴァイオリンを弾くパフォーマンス・アーティストである彼女の個人史を、それと密接に関わるアメリカとの関係で読み解いた、静謐であると同時に重く、生や死や救済といったものを感じさせる、全体的には"O Superman"と似ていないクラシカルなアルバムだった。私は『ホームランド』は当然まだ聴いてないが、シングルの2曲、たとえばA面の"Only An Expert"はゼロ年代に流行ったパンキッシュなディスコを彷彿させる楽曲で、ピーター・シェラーやエイヴィン・カンといったロフト・ジャズ系の参加(シングルにははいってないがアルバムのクレジットにはジョン・ゾーンも名前もある)は想定内だが、急逝したスティーヴ・リードとの双頭作が印象的だったフォー・テットことキエラン・ヘブデンや、オマー・ハキムの存在がこの曲を〈DFA〉といかないまでも80Sマナーのダンス・トラックにするのに貢献しており、音の間から彼女の(内縁の?)夫であり、『ホームランド』を共同プロデュースしたというルー・リードのフリップ&イーノを思わせるギターが顔をのぞかせるのは、攻撃とはいわないまでも前作と好対照である。
夫唱婦随と書くと反感をかいそうだが、ルーとの関係がローリーに『ホームランド』を作らせたのではないと断言できない。もっとも私はローリーがルーに唯々諾々と従ったわけではなく、彼らの住居の居間での音楽やアートや政治についての対話が心にのこり、彼女に10年ぶりの新作を作らせた可能性は否定できないといいたいのであり、それをいえば、エドガー・アラン・ポーのきわめて象徴的な長編詩「The Raven(大鴉)」のタイトルを借りた、ルーの最新作にあたる03年の『ザ・レイヴン』も舞台劇として考案されており、パフォーマティヴな方法論ということでいえば、ローリーの影響が先であった。
別に私は「どっちがどっち色に染まった」というゴシップを話したいのではなく、男女がたがいに影響を交わし、作品が本人たちも気づきがたい符牒を投げかけることにおもしろさを感じるし、史実や確定した評言を精査しつつも固執せず、仮定の連鎖で思考を拡散させるのが批評でなくて、なにが批評なの?と思います。
話がそれてしまった。私はローリー・アンダーソンのシングルを聴いて、なにを思い出したかといえば、先月出たデイヴィッド・バーンとファット・ボーイ・スリムの『ヒア・ライズ・ラヴ』である。このアルバムはフェルディナンド・マルコス比国大統領の夫人であるイメルダを描いたもので、バーンのライナーノーツによれば彼のアイデアの元はリシャルト・カプシチンスキーがエチオピアの独裁者でありマーカス・ガーヴェイの汎アフリカ主義によりジャーと名指されたラス・タファリ・マッコウネンことハイレ・セラシエ一世を描いた『皇帝ハイレ・セラシエ――エチオピア帝国最後の日々』(筑摩書房、のちに筑摩文庫)にあり、彼は宮廷内のシュールでシアトリカルな世界を、3千足のクツを亡命後の宮廷にのこしたイメルダに重ね、彼女と彼女の乳母にあたるエストレーリャを並行して描くことで、甘さと切なさが同居するミュージカルに仕立てた。と書いて思ったのだが、「甘さ」と「切なさ」は古典的な物語では対立項ではない。というかそれがワンセットになったのが悲劇や喜劇や歌劇であり、演劇の革新運動はそれらに対するアンチテーゼであり、かつゼロ年代の演劇(のことはよく知らないが)をとりまく磁場であったのだったら、バーンがいかにライナーノーツで「私が興味を持っている物語は、影響力のある人物の原動力――何が彼等を動かすのか、どのようにして先へ先へと駆り立てるのか、そういった疑問に対する答えにあります」と誠実に狙いを説明しても、というか、誠実になればなるほど、パンクでもワールドミュージックでもオルタナティヴであったバーンによって、『ヒア・ライズ・ラヴ』は最後まで周到に甘いミュージカル仕立てなのにミュージカルから確実に踏み外しているのには驚くべきことだ。イーノとの『ブッシュ・オブ・ゴースツ』以来の共作である前作『エヴリシング・ザット・ハプンズ・ウィル・ハプン・トゥデイ』のポップさとこの甘さはまるでちがう。イーノとの作品はあえてポップなのにノーマン・クックとの1枚はなぜかミュージカルにならない。
松村正人