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Lawrence English

Ambient Drone

Lawrence English

Even The Horizon Knows Its Bounds

Room 40

Bandcamp

デンシノオト Mar 14,2025 UP

 3月に入ると雪が降った。3月の雪はなぜかアンビエントが合う。季節の「はざま」の感覚とでもいうべきか。そのムードはアンビエント的な雰囲気を放っている(ように思える)。思えば坂本龍一の『out of noise』も3月にリリースされたが、リリース日に雪が降ったことを覚えている。「out of noise」という言葉、アルバムのアンビエントなムードと雪の冷たい感触(「北極三部作」!)がどこかに似ているように思えたものだ。このレヴューを書いている3月初頭も、ほんの少し雪が降り、すぐに雨に変わった。春がくる直前の冬の終わり……。そんな季節のはざまの空気感と、このアルバムの透明な空気感はとてもよく似ていた。「はざま」のなかで耳の感覚は冴える。ローレンス・イングリッシュの新作『Even The Horizon Knows Its Bounds』もまた、そんな「3月の雪」のように冷たさと暖かさが共存するアルバムであった。境界線上のアンビエント。

 『Even The Horizon Knows Its Bounds』はニューサウス・ウェールズ州のアートギャラリー「ナアラバドゥビル」のために制作された音響作品だという。イングリッシュは「ナアラバドゥビル」と仕事をしたことのあるアーティストに参加を希望した。その結果、『Even The Horizon Knows Its Bounds』には、ジム・オルーク、スティーヴン・ヴィティエロ、ザ・ネックスのクリス・エイブラハムズ、スワンズのノーマン・ウェスターバーグ、デイヴィッド・リンチのサウンド・エンジニアであるディーン・ハーリー、クレア・ルーゼイ、アンビエント・ペダル・スチール・ギタリストのチャック・ジョンソン、アンビー・ダウンズ、JW・ペイトン、マデレーヌ・ココラス、ヴァネッサ・トムリソンなど、数多くの音楽家が参加することになった。彼らはイングリッシュが用意したふたつの長いサウンドに合わせて音素材を提供したという。
 
 アルバム『Even The Horizon Knows Its Bounds』は、クリス・エイブラハムズの透明な響きのピアノとアンビエントな持続音の交錯が麗しい “Even The Horizon Knows Its Bounds I” から幕を開ける。霧のようなアンビエント/アンビエンス。その鋭くも美麗なピアノの響きは、耳を心地よく刺激し、アルバム全体の雪のような質感を印象づけてくれるだろう。しかし、そのピアノはしばらくすると消え去り、自然音と電子音がミックスされたようなアンビエント/ドローンへと変化する。

 先に書いたように、多くの音楽家が参加しているが、その「個性」はローレンス・イングリッシュの生成するアンビエントなドローンの響きの中に溶け合っている。もはや誰の音かはほとんど判別できない。このアルバムで「個性」と「音」の境界線は非常に曖昧だ。だからこそ、耳の感覚が冴えるもかもしれない。アルバム全体はコラボレーション・ワークといってもよいはずだが、そのサウンドはまるでローレンス・イングリッシュによってひとつのサウンドスケープへと生まれ変わっている。全曲がシームレスに繋がり、ピアノとアンビエントなドローンが波のように出ては消え、消えては生成する。音の構造は抽象的になり、質感とムードが全面化する。しかし、完全に個の音が消失したわけではない。クリス・エイブラハムズはそのことを知らせるかのように、時折その透明なピアノを響かせる。

 個人的に「ミスト系アンビエント」と呼んでいる系譜があるのだが(例えばシュテファン・マシューとデヴィッド・シルヴィアンの共作とか)、本作はその傾向の中でもかなり良い出来のアルバムに思えた。中でもクレア・ラウジーらが参加している5曲目 “Even The Horizon Knows Its Bounds V” が素晴らしい出来栄えに思えた。霧のように溶け合っていく持続音が冬の朝の澄み切った空気のように耳に染み込んでいく。明るめの響きの音が次第に翳りを帯びていくトーンの変化が繊細で絶妙だ。アルバムには全8曲が収録されているが、どの曲も参加アーティストの「個」はアンビエントの空気の中に溶け合っていくように感じられる。とにかく美しいアンビエント音響空間なのだ。

 だからこそ、「個」を主張するクリス・アブラハムのピアノが本作において重要なアクセントに思えた。その意味で本作『Even The Horizon Knows Its Bounds』で最もクリティカルな曲は、アルバムのラストに収録された8曲目 “Even The Horizon Knows Its Bounds VIII (feat. Chris Abrahams & Jim O'Rourke)” であろう。ザ・ネックスのクリス・アブラハムとジム・オルークが参加している曲である。ふたりはそれぞれ別の曲にも参加しており、先に書いたように、クリス・アブラハムのピアノは本作の基調となる音だ。

 ではなぜこの曲が重要なのかと言えば、『Even The Horizon Knows Its Bounds』において、全曲で「個性」が響きの中に溶け合っていくサウンドが展開される中、この曲だけは不思議とその個性が融解に拮抗しているように思えたからだ。この曲におけるイングリッシュの音とオルークの音は明らかに異質に思える。そう、「個」を主張している。アブラハムのピアノは言うまでもない。アンビエントという匿名性を纏いやすい音の中で、この楽曲は、署名と匿名の間で揺れ動くように音が生成しているのだ。ここにもまさに「はざま」の感覚がある。この「はざま」の感覚は、『Even The Horizon Knows Its Bounds』を象徴するようなサウンドの質感といえよう。融解と共存と無関係と理解の「はざま」で鳴っているアンビエント。

 すべてを「割り切る」ことが善となりがちな現在だからこそ、本作『Even The Horizon Knows Its Bounds』の音のように中間地帯、「はざま」の感覚で鳴り響いている音は、とても貴重に思えてならない。窮屈になったり、息苦しくなったりしたとき、この「3月の雪」のように冷たく、微かな暖かさの予兆を放つ「はざま」の音響空間に浸ってみるのはどうだろうか。心の抑圧を解かす音の雪のような美しさに満たされていく感覚を覚えるはずだ。

デンシノオト