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少年ナイフ

Post-Punk

少年ナイフ

みんなたのしく少年ナイフ

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大久保潤 Jul 22,2025 UP Old & New

 去る7月12日(ナイフの日)、新代田FEVERで毎年恒例の少年ナイフの夏公演が行われた。ここ2年くらいでライヴの動員も増えたようで、今回はソールドアウトだった。
 バンドは、毎年春と秋におよそ2ヶ月ずつアメリカとUK~ヨーロッパを回るツアー生活を長年にわたって送ってきている。重いキックやフロアタムが心地よいドラマーのりささんは、2015年の加入時には20歳だった。オリジナル・メンバーながら結婚を機に脱退し、以後は時折ゲスト参加する程度だったあつこさんも2015年より本格的に復帰した。数々のメンバーチェンジのあったバンドだが、現在のメンバーで10年。いまだにズッコケる場面もちらほらありつつ、初々しさと安定感が奇跡的なバランスで両立した、いまの少年ナイフならではのライヴだった。

 今回のセットリストの注目ポイントといえば、なんといってもめったに聴くことのできない最初期の曲がいくつも演奏されたことだ。元メンバーのリツコも大阪公演を観に行って、「私も生で聴くのは初めて」と言っていたが、そんなレアな曲の数々が披露された。
 それというのも、1982年にリリースされたものの、数十本しか流通しなかった幻のカセット・アルバム『みんなたのしく少年ナイフ』がこのたびCDとヴァイナルでリイシューされたためだ。
 筆者は30年以上少年ナイフを聴いているが、それでも主観的には新参という感覚が拭えないでいる。その理由のひとつがこのテープを持っていなかったことだった。それがこうして聴くことができるのだから、こんな嬉しいことはない。

 公式サイトの年表によれば少年ナイフは1981年12月に結成(ちなみにラフィン・ノーズも同年同月に同じ大阪で結成されている)。翌年3月には初ライヴが行われ、8月に本作がリリースされたという。短期間にこれだけのオリジナル曲をほぼ完成形として作り上げているあたり、初期衝動の迸りだけではないクリエイティヴィティを早くも感じさせる。

 本作は自主制作で、ディ・オーヴァンというニューウェイヴ・バンドのレーベル〈XAレコーズ〉との共同リリースのような形だったようだ。
 ディ・オーヴァンというのは大阪で80年代前半に活動していたテクノポップ/ポストパンクバンドで、当時は高校生。関西パンク史などでも言及されることの少ないバンドだったが、昨年アメリカの〈General Speech〉レーベルよりアルバム『Öwanism』(110曲入り)『美川憲一』(200曲入り)がリイシューされ、いよいよ再評価されようとしている。
 〈XA〉はそのオーヴァンが自身の作品を中心に発表していたレーベルで、80年代前半の短い期間にカセット作品を大量にリリースしていた。これまたいまでは顧みられることが少ないレーベルだが(というか、『みんなたのしく少年ナイフ』をリリースしたことで一番知られているかもしれない)、局地的な影響力はあったようだ。アシッド・マザーズ・テンプルの河端一も、〈XA〉の作品をレコード店で発見したことで刺激され、自分も大量の作品作りを始めたと言っている
 収録曲は全14トラック。ただし2曲はSE的なものなので、実質的な楽曲は12曲と考えていい。本作にしか収録されていないのは「サボテン」「わたしは現実主義者よ!」「惑星(プラネット)X」の3曲のみ。残りは後に〈ゼロ・レコーズ〉からの『BURNING FARM』『山のアッちゃん。』『PRETTY LITTLE BAKA GUY』『712』などでも採録されているので、本作はデモバージョンに近いものと思えばいいかもしれない。

 そんな本作を一聴してまず気づくのは、いわゆるラモーンズ・スタイルのパンク・ナンバーがないということ、そして食べ物と猫の歌がないことだ。いずれも、いまでは少年ナイフの定番スタイルなのだが、最初期には必ずしもそういうわけではなかったのだ。
 1曲目の“バナナリーフ”から“オウムのポリネシア”“人食いパパイヤ”など、その後の録音盤と比べると、フランジャーなどを使ったギターはより80年代ニューウェイヴ的なサウンド。そして南国的なエキゾチックな歌詞が多いのもこの時期の特徴だ。
 5曲目“Burning Farm”はイントロにアフリカ音楽らしきものが入っており、そこにナイフの演奏がフェイドインしていく。ディレイをかけた効果音が、後年レコードに収録された録音よりも深くエフェクトのかかった形で入っている。この曲に限らず、その後の作品と比べてエコーやディレイなどのダブ処理が派手にかけられているのがおもしろい。
 “オウムのポリネシア”“パラレルウーマン”“サマータイムブギ”など、メロディアスなベースラインにリードされる形でスカなどで聞かれるような裏打ちのカッティングギターが乗った曲も多い。こういった要素はUKニューウェイヴ由来のものだろう。
 “パラレルウーマン”“惑星(プラネット)X”“ミラクルズ”といったSF的な歌詞も目立つ。なかでも“パラレルウーマン”はスーパーヒロインに憧れるような歌詞かと思いきや蛭子能収のマンガのような不条理な展開を見せる(「オフィス・オートメーション地獄だよ」と、当時まだOLだったなおこさんの鬱憤が爆発しているような面もある)。

 「でもこんな強い日差しのなかで、いったい何ができるのでしょう Sleeping in my bed Sleeping in my bed」と歌われる(いまの季節にぴったりの)“サマータイムブギ”のような、肩をいからせたパンクを脱臼させるような力の抜けた曲などは少年ナイフならではのもの。
 そしていまの作風につながる歌詞といえば“亀の子束子のテーマ”だろう。その後も、なぜそれを歌にしようと思った? と思わせる身近なアイテムをモチーフにした曲は数多く登場することになる(輪ゴムとかペーパークリップとか)。
 そもそも「少年ナイフ」というバンド名は、直子の手元にあったカッターのブランド名から取られている。もし手元にあったのが違うものだったら「肥後守」とかになっていたのかもしれない。

 本作の翌年にリリースされた8インチEP「Burning Farm」がカルヴィン・ジョンソンの目に止まり85年には〈Kレーベル〉より米国リリース。おそらくそれを手にしたのがカート・コバーンやサーストン・ムーアだったということだろう。以後、海外での活動はどんどん増えていく。
 最新のライヴと比べると本作はなんとも素朴であり、思えば遠くへ来たものだ。その一方で、自由な発想は現在まで通底してもいる。少年ナイフ結成当時、なおこさんはレインコーツやスリッツを好んで聴いていたという。楽器が上手くなくてもバンドはできる。パンク/ニューウェイヴの蒔いた種がこうして大阪に届き、40年以上経ってもなお力強く花開き続けていることをとても心強く思う。

大久保潤