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Bergman & Salinas

ElectronicaSound Collage

Bergman & Salinas

Fullmoon Maple

Sweet Dreams Press

デンシノオト Aug 20,2025 UP

 バーグマン&サリナス。この一見すると耳慣れないアーティスト名が、あのアレハンドラ&アーロンであることに思い至るまで、それほど長い時間はかからなかった。
 2000年代初頭、独自の審美眼と丁寧な仕事で知られた〈Lucky Kitchen〉というレーベルをスペインで運営していた張本人である。彼ら自身の音楽活動であるアレハンドラ&アーロンと並行して、世界のどこにもないような小さな音の宝石を届けてきたのだ。
 シュテファン・マシュー、ジョシュ・エイブラムス、リズ・ペイン、角田俊也、ASUNA、ジェフ・パーカー、ジェイソン・アジェミアンらによるWho cares how long you sinkなど、世界中の先鋭的な電子音楽家/音楽家やサウンド・アーティストの作品を、ハンドメイドの温もりを残したパッケージで送り出していた。かくいう私も当時、CDショップで見つけてはよく買っていたものである。中でもシュテファン・マシューの『Die Entdeckung Des Wetters』がお気に入りだった。
 〈Lucky Kitchen〉は単に作品を流通させるだけのレーベルではなかった。そこにはアレハンドラ・サリナスとアーロン・バーグマンというふたりのクリエイターが、自らの名義でも音楽を送り出しながら、世界各地のアーティストとの対話や交換を重ね、音のコミュニティを構築していく姿勢があった。その活動は、2000年代初頭のインディペンデント音楽シーンに確かな彩りを与えていた。

 そして2025年。アレハンドラ・サリナスとアーロン・バーグマンは、活動の場をアメリカ・ミズーリ州コロンビアに移し、愛娘アグネスを加えたファミリー・プロジェクトを始動した。実に18年ぶりとなるオリジナル・ニュー・アルバム『Fullmoon Maple』がリリースされたのだ。
 この事実だけでも、当時の〈Lucky Kitchen〉を知るエレクトロニカ・ファンにとっては胸が高鳴る。リリースは〈Sweet Dreams Press〉。アートワークは愛娘アグネスによる描き下ろしで、その素朴な筆致が音楽の温度と呼応する。
 しかも今回のパッケージには、彼らと縁の深い音楽家ASUNAが長文のライナーを寄せている。ASUNAは、〈Lucky Kitchen〉からデビュー・アルバム『Organ Leaf』を発表した経歴を持ち、その中で培われた互いの交流や、レーベルの詳細にして親密なヒストリーを封入ブックレットのテキストにまとめている。そして、アレハンドラとアーロンも、自身の活動の背景や本作に込めた想いを詳細に綴っている。テキストと音楽の両面から作品世界に触れることができる、この上なく贅沢な仕様である。
 手に取れば、56ページに及ぶ日本語・英語併記のブックレット、瀟洒な栞、ジャケットの手作業の痕跡、全てがいまの時代におけるCDパッケージの理想形であることを感じさせる。ディスクを取り出してプレイヤーに置く。その瞬間、目の前に広がる音とテキストの世界に、聴き手は自然と引き込まれる。ブックレットを読みながら音を聴き、音を聴きながらテキストを味わう。この行為は、単なる音楽再生ではなく、音というアートに触れるための一種の儀式となり、聴き手の感覚を鋭敏にし、日常から離れた集中の時間を生む。

 アルバムに収められているのは、約35分に及ぶ長尺の音響作品「Fullmoon Maple」。CD版では全9トラックに分けられており、それぞれ独立した曲のようにも聴けるが、音の流れは途切れることなくシームレスに続いている。ヘッドホンで音世界に入り込んでリスニングしていると、シンプルかつモダンな音響空間にすぐに入り込める。声、日常の音、電子音、ノイズが時間と空間を超えて結びつく。その緻密にして大胆、牧歌的にして美しいサウンドスケープは、見事というほかない。ふたりは世界各地で自ら採集・発見したフィールド録音を随所に忍ばせ、一つの風景や断片をコラージュするように音を紡いでいる。
 加えて今回のアルバムでは、アーロン・バーグマンが歌い、ピアノを弾く曲(“To repay your kindness”)が収録されているのだ。彼の声はどこかロバート・ワイアットを思わせる(言い過ぎだろうか。でも本当にそう聴こえたのだ)。ピアノを練習中のアグネスによる演奏も挿入され、家族の呼吸や日常の響きが作品の一部として刻まれている。
 この「家族」という要素は、本作に独特の温度を与えている。愛娘とのやり取りや生活の音が、単なる環境音としてではなく、音楽として自律するようにコンポジションされている。それは、電子音響作品としての洗練と、家庭という最も身近な世界の温もりが矛盾なく共存する瞬間でもあった。実際、このアルバムはいくつもの時間と記憶がレイヤーになっているように思える。家族の声、環境音、電子音、微細なノイズが織り重なり、音と時間が多層的に組み上げられているのだ。
 〈Lucky Kitchen〉の黎明期を知るリスナーにとって、このアルバムは「過去」の記憶を呼び起こすと同時に、時間を超えて繋がる創造の連続性を示すものだろう。まだ彼らの音楽に触れたことのない人にとっても、環境録音と素朴な演奏、そして家族の会話や息づかいが溶け合う音風景は、従来の電子音楽の枠を超えた体験となるはずだ。記憶と記憶、時間と時間がレイヤーになり、同時に流れ変化していく。多層的な記憶/時間としての音響作品とでもいうべきだろう。

 この穏やかで、たおやかな音風景は、現在という不確かな時代においてなお、大きな力を持ち得る。その響きは、聴く者の心に静かに届き、世界の断片をそっと手渡すようだ。18年という歳月を経てもなお、アレハンドラ・サリナスとアーロン・バーグマンは、音を通して人と人、場所と場所を結びつける術を失っていない。本作はその証しであり、この不信と不穏の時代であるいまだからこそ耳を傾けるべき作品である。

デンシノオト