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河内音頭三音会オールスターズ

河内音頭三音会オールスターズ

東京殴り込みライヴ『完全盤』

歌舞音曲

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野田 努   Jun 24,2011 UP
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E王

 河内音頭は、その音楽の豊かさとは裏腹に僕にとって「自分とは何か」というハードな問いかけでもある。僕が育った静岡市という町は、愚かなことに、歴史のどこかで盆踊りを捨てた町である。中心からはずれた近所の小学校で細々とはやっている。が、日本で最古の精霊との踊りの名残としてのより大がかりな盆踊りというものはない。あるのは、まったく伝統的ではないのに伝統的と謳っている欺瞞に満ちた春の静岡まつり、そして川で焼かれた大量の戦死者の供養に端を発した安倍川の花火大会で、どちらも近代以降のものだ。ひょっとしたら、モダニズムを迎えた静岡は、浮世絵を焼き払い、着物を脱ぎ捨てたように、盆踊りなどという前近代的なならわしを捨てたかったのかもしれないし、そういう町は他にもあるだろう。ゆえに、僕のように、盆踊りという、遡ろうと思えば古代から綿々と続く精霊との踊りが発展した大衆のダンス・ミュージックが、むしろエキゾティックに聴こえてしまった日本人も少なくないと思う。それは歴史学の門外漢の自分のような人間でも、日本という国が近代によってぶった切られているということに理由があることは察しがつく。我々はあるときに服装や生活様式を変えたばかりか、暦まで変えている。
 あるいは、明治維新とともに浮世絵が下等な文化だと捨てられながら、欧米の知識人によって評価されたことで逆輸入されたように、日本の近代の知性にはそれ以前の大衆文化を蔑んでいたという事実がある。たとえば江戸時代でも遠山の金さんが山東京伝や蔦屋重三郎といった大衆文化の発信者を手鎖にしているというけれど、明治においては庶民的な日本をさらに過剰に排除するスノビズムが働いたのだろう。そうした歴史的な権力の縛りから解放されるという意味でも、1970年代後半に朝倉喬司、藤田正、平岡正明、そして我が高校の先輩である鷲巣功らが『ニュー・ミュージック・マガジン』を通じて展開した河内音頭の再発見と再評価は重要だったと言える。これはちょうどポップ・ジャーナリズムが中南米の音楽を発見したことと時期的に重なっている。キューバ音楽やサウンドシステム文化のように、西欧的近代に蔑視されながらも、庶民のなかで研磨された音楽文化が日本にもあった。ハナバやキングストンのように、実にユニークな音楽形式とともにあったのだ。

 本作『完全盤』は、1982年7月渋谷ライヴ・インにおけるライヴ録音で(司会は平岡正明)、昨年逝去したこの音楽の再評価運動の先駆者、朝倉喬司に捧げられた再発盤である。大阪府下河内で発展したこの音頭の魅力を、ありがちな文化遺産としてではなく、ポップ・カルチャーの文脈のなかで楽しもうとした先駆者たちの情熱によって企画されたその日の河内音頭三音会の東京初ライヴの模様は、鷲巣功の言葉によっても興味深い詳細が記されている。
 気の効いたその解説によれば、主宰者たちの努力によって人が集まった会場内は、最初はまったくスウィングしなかったとある。さすがに戸惑っていたようだ。東京人には不慣れな三味線、太鼓、エレキギターという編成を目の当たりに凍り付いたオーディエンスは、が、しかし最初に演奏された"赤城の子守歌"の進行とともに解凍され、やがて沸点を迎えた――と記されている。実際にこのドキュメントはその盛り上がりも伝えている。
 江戸時代という封建社会をアウトロー(侠客)として生きた国定忠治を讃えたその曲"赤城の子守歌"は、リリックの素晴らしさもさることながら(ある意味ギャングスタ・ラップとも言えるかもしれないが、侠客にはたとえ自分が損をしても強きに刃向かうことを最大に評価するという美学がある)、ビートやリズムに敏感なリスナーにとっては最高のダンス・ミュージックに聴こえるだろう。その当時、黒い音楽に親しんだ耳を虜にしただけあって、河内音頭三音会による反復するパーカッシヴな響きを聴いていると、この国の大衆音楽にはこんなにもリズミカルな躍動感があったのかと驚きもする。
 また、節回しに関しても、ワールド・ミュージックのリスナーはもちろんのこと、へたらしたボアダムスやギャング・ギャング・ダンスを面白がっているような拡張された耳を持つインディ・ロックのリスナーにとっても、もはや違和感などないんじゃないだろうか。先日レヴューしたリトルテンポの『太陽の花嫁』と連続で聴いても不自然さを感じない。もっとも、こうした「いまや普通に聴ける」という表現は誤解を招くこともある。「いまや普通に聴ける」から良いのではなく、本当にこの音楽は、そしてこの演奏は、抜群に面白いのだ。独創的で、パワフルで、痛快で、そう、素晴らしいことに笑いもある、しかも感動的なまでに反抗的だ。拡張された耳を持つリスナー諸君は、偏見を抜きにしてぜひ聴いて欲しいと思う。けっこう本気でハマってくる。
 この文化にひとつ弱点があったとすれば、(島唄もそうだが)基本的にはライヴ演奏の文化であるがゆえに、長いあいだポップ・ミュージックとしての録音の文化を持たなかった点にある。ジャズやブルースももともとはライヴ演奏の文化だが、周知のように早くから西欧文化に発見(評価)されたために、途中から録音文化(レコード)のなかに組まれている。『完全盤』は、そうしたジャズやブルース(もしくはキューバ音楽やレゲエに)おくれを取ったとはいえ、世界的にみてそれを最初に試みた歴史的なアルバムでもある。

 上京して、東京で盆踊りを知ることができて本当に良かったと思っている。まあ、たいていの場合そのPAがあまりにもチャラ過ぎるのだが、お陰で音頭という形式に慣れたわけだし、いまはもうエキゾティズムを感じることはない。夏になると必ず盆踊りが恋しくなるようになった。古代人には、夏になると現れる精霊たちを見る能力があった。それが円を描く踊りとなって、長い年月のなかでいつしか庶民のソウル・ミュージックとして発展した。その魅力をいま自然に楽しめるようになったことが嬉しいし、そのなかでもっとも突出したスタイルを獲得した河内音頭の、名高き三音会(みつねかい。大雑把に言えば60年代のジャマイカにおけるスカタライツのようなもの)の演奏を堪能できることは幸せだ。そして、それは山東京伝よりもルイス・キャロル(とかシェイクスピア)のほうを教え込まれてしまった「自分」とは「何か」について考える契機でもある。
 まあ結局のところ僕も、浮世絵のように、欧米をぐるっとまわってきた耳でもってこの音楽に接しているのだ。浮世絵の再発見と決定的に違うのは、これが日本内部の耳によって再発見されたという事実だ。あらためて先駆者たちに敬意を示したい。彼らは最初にブルースを発見した白人のように、コカコーラとサンタクロースに支配された日本に埋もれてしまった、おそろしく重要な価値を見出したのだ。

野田 努