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デイヴィッド・トゥープ(little fish訳)

デイヴィッド・トゥープ(little fish訳)

フラッター・エコー 音の中に生きる

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野田努   Jul 12,2017 UP
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聴くという行為は音が言葉で置き換えられなくても起こり得るということである。 (本書より)

 先日多摩川に行ったら、鬱蒼と茂る土手の草むらのあちこちから、7月の上旬だというのに、早くも虫たちの声が大きく聞こえた。まさに立体音響。臨場感たっぷりのバイノーラル。バイオ・ミュージック。というか、これが自然音。聴かなければ聴こえてこない。ジョン・ケージ風に言えば、聴くことは創造的行為。
 90年代に小山田圭吾はこう言った。作り手の想像力と聴き手の想像力が重なる領域で鳴る音楽を目指す。その領域をアンビエントと呼べるなら、『Mellow Waves』にも、ハウス・ミュージックにも、アンビエントがある。
 この話は、90年代に某イギリス人ライターに言われたことともリンクしている。読者もいっしょに考えてもらえる文章を目指していると彼はぼくに言った。我こそはそのジャンルのプロパーなりという態度はしない。作品の作者は自分なのだから自分が言っていることが正しいなどと作品を作者の奴隷にしない。自然の音は聴く人が聴けば作品になる。芸術家を崇めることを止める代わりに、凡庸な日々こそが芸術になりえる。そもそも実験とは、“問い直し”を意味する。ゆえに実験主義とアンビエントは隣接し、ゆえに実験とは、保守的な社会への抗議にも結びつく。

 デイヴィッド・トゥープの『音の海』には、こうした感覚が巧妙に描かれている。翻訳が出る数年前だったので、ぼくは自分の拙い英語力で苦労しながら原書で読んだものである。翻訳が出てからは、3人の友人に同書日本語版を買わせた。自慢ではないが、ぼくはトゥープをライターとして有名にした『The Face』誌の1984年の黄色い表紙のエレクトロ特集も所有していた。1993年の『The Face』誌の「Ambient Summer」の記事もリアルタイムで読んでいる(『Ambient Works Vol.2』リリース時におけるリチャード・D・ジェイムスのインタヴュー記事も)。影響を受けたと言えるほどトゥープの全著作物を読んでいるわけではないが、尊敬しているライターのひとりであることに間違いはない。
 とはいえ、よくわからないところもあった。たとえば、元々はデレク・ベイリー以降に登場したインプロバイザーのひとりであり、イーノの〈オブスキュア〉からも作品を出しているトゥープは、何故いちはやくジャーナリストとしてヒップホップについて著した『Rap Attack』を上梓したのだろうか──。
 本書には彼の音楽遍歴がこと細かく記されている。トゥープは前衛/実験音楽の徒である前に、ブルースやソウルといったブラック・ミュージックを幼少期から好んでいる。アカデミズムとも繫がる前衛/実験音楽界、とくにその書き手たちは、涙もろい人情的なソウル・ミュージックなどは本気で相手にしない傾向にある。生活のために書いたとトゥープは告白しているが、『Rap Attack』が気持ち良いのは、まだシーンがアンダーグラウンドだった時代(重要人物と会うのに、面倒な手続きを要しなかった時代)に立ち会えたという幸福が重要項目であるにせよ、テキストの根幹に、トゥープの無垢とも言えるブラック・ミュージックへの愛情があるからだろう。もちろん世のなかには、愛が言い訳にしかならない駄文は多々ある。が、音楽に関する経験と思考を重ねた成果を願わくば他者と共有したいと思うとき、結局のところはそこに行き着くものなのだ。
 『フラッター・エコー』はデイヴィッド・トゥープの自伝である。まさかこんなものが読めるとは思わなかったので、嬉しくて、ページをめくるのがもったいない気持ちで本書を読んだ。長年読み続けていたライターの、労苦の絶えなかった人生を知ることができたという喜びも覚えた。とりわけ女性との別れ、そして貧困については赤裸々に書かれているわけだが、彼の人生を見ていると実験音楽やアンビエントといったマニアックな音楽が、知識偏重的でも、高年収専門の音楽でもない、ということがよくわかる。むしろそれは生き方の自由とリンクして、とくに、人生最大の苦境において、自分に残されたオプティミズムのすべてを注いで『音の海』が執筆されたという話は、ぼくを揺さぶるには充分過ぎた。
 『音の海』を読んでいると、世界のいろんな“音”の場面が、人知れず接続して、ゆっくりとスムーズに拡がっているような感覚を覚える。それは音楽書の読書体験としては最高レベルのもので、と同時にそれは、聴くという行為が創造的行為であり、そしていまだ実験的かつ神秘的な体験であることを再認識させる。
 

ライターである私にとって事態をさらに複雑にしているのは、どのようにして言葉で置き換えられることなく音を聴き、その一方で言葉が不在の聴覚体験を言葉で説明するかという問題である。これは不可能に近い。私の一生の仕事であると言える。(本書より)

 

野田努