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ハテナ・フランセ

ハテナ・フランセ

第9回 R.I.P.シモーヌ・ヴェイユとジャンヌ・モロー

山田蓉子 Aug 25,2017 UP

 シモーヌ・ヴェイユとジャンヌ・モロー、最近亡くなった一見あまりつながりのない2人を取り上げたい。

 シモーヌ・ヴェイユは1927年、ジャンヌ・モローは1928年生まれとほぼ同じ歳の2人は正反対のやり方ながら、フランスの女性観を大きく変えた。
 日本語読みでは「重量と恩寵」の哲学者と同じや読み方だが、苗字の綴りが違うフランスの政治家シモーヌ・ヴェイユはユダヤ系のブルジョワな家庭に生まれ、第二次世界大戦中はアウシュビッツ強制収容所に一家で容され妹と彼女だけが生き延びるという凄絶な少女時代を過ごした。ジャック・シラク、レイモン・バール両内閣で保健相を務め、1975年に妊娠中絶を合法化し、その法は彼女の名を取ってヴェイユ法と呼ばれた。そのことにより彼女は「女性の権利を守った重要な政治家」として亡くなるまで高い評価と尊敬を集めた。だが、シモーヌ・ヴェイユは実は先進的なフェニミストではない。元々保守的なブルジョワジーの家庭に育ち、政治家を目指す夫と3人の子を成し添い遂げるという、保守的なスタイルを生涯に渡って貫いた。もともと政治家への道は実は彼女の夫が目指していた道だったが1974年にその夫を差し置いて保健相のオファーを受け、夫は逆に政治の世界から退き彼女をサポートした。だが、それでも彼女の保守的な姿勢は変わることなく、保健相として妊娠中絶を合法化したのも女性の権利という観点ではなく、違法な中絶を受けることにより損なわれる健康被害という観点から取り組んだ法案だったという。政治界を退いて久しい2012年、オランド政権が同性婚法を成立させようとする中、シモーヌ・ヴェイユは法案に反対の立場を表明したのだった。完全に今の政治的正しさの逆を行く発言に「そんなピント外れな発言をわざわざして輝かしく保っていたキャリアにミソをつけなくても……」とフランスの多くのインテリ層はがっかりした。シモーヌ・ヴェイユは保守的な政治的信条を曲げぬまま、フェミニズム史上に名を残す業績を残した稀有な女性政治家なのだ。

 対してジャンヌ・モローは、生涯を通じて社会の枠組みの中で女性にかけられていた制限をことごとく壊し、自由を標榜し続けた女性だ。彼女はシモーヌ・ド・ボーヴォワール、カトリーヌ・ドヌーヴらと並んでヴェイユ法を通すための署名をした有名人の一人だが、”イズム”という枠組みにはめられたくないということでフェミニストではないと公言していた。1975年、テレビのインタヴューに応えたジャンヌ・モローの映像は今でも度々メディアで引用されるほど伝説のものとなった。Youtubeなどでも見られるが、ヴェイユ法を通すための署名になぜ参加したのかなどを、階級社会であるフランスにおける貧しい女性たちの置かれた過酷な状況へ鋭く言及しつつあくまで個人的な視点を保ちながら話している。緑のドレスを着てタバコを燻らせながらアンニュイに、時にジャーナリストの挑発に反抗的な色を目に宿しながら反論するジャンヌ・モローは美しく痺れるほどかっこいい。結婚を2回し子供を1人持ったが、子供は欲しくなかったとメディアで堂々と話し物議を醸し、出産も2時間という超特急で済ませ分娩室から戻った途端に監督に電話し18日後には撮影現場に戻れると宣言したという。離婚後も自他共に認める誘惑者たるべく、幼い息子と一緒に暮らしながらもいつでも恋人を招けるように大きな家に住み、そのせいで一人息子のジェロームは子供の頃から孤独に苦しんだという。従来男性にとっては勲章であり、女性にとっては侮蔑にもつながりかねない誘惑者のレッテルを堂々と引き受け謳歌すること、それがフランス映画界のトップ女優によって発せられることによって、フランスにおける女性のあり方そして女性観は確実に変わったと言えるだろう。そしてシモーヌ・ヴェイユがインテリ層をがっかりさせたのと同じ最晩年の2013年、ジャンヌ・モローはロシアで拘束されていたプッシーライオットのメンバーの解放を求め声明を発表する。それにより老いてもなおジャンヌ・モローの知性と政治的姿勢は少しも揺るぎないことにフランス国民は尊敬を新たにしたのだ。

 6月末に4人の閣僚が身内雇用疑惑などで相次いで辞任するとともに、これまでの大統領と結局変わらないのではという失望感を持たれ始めている現マクロン政権だが、政権発足当時閣僚の半数が女性、そして重要なポストをバランスよく占めたことをフランス国民は高く評価した。ここに至るまではシモーヌ・ヴェイユやジャンヌ・モローらのような女性たちの戦いが日の当たる場所当たらない場所で数かぎりなくあったに違いない。

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