Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第10回:ストリートが汚れっちまった悲しみに
最近、ブライトンの街がやけに汚い。
なんでそんなに汚いのかというと、地方自治体のゴミ回収およびリサイクル回収のスタッフがストライキを決行しておられ、ゴミが街中に溢れているからだ。で、街頭設置のゴミ箱が溢れ、中身が外に漏れ出しているにも拘わらず、「臭いゴミ袋を家の中に置いとくよりはまし」ってんで人びとがさらなるゴミを舗道に放置して行くものだから、野良猫や野良犬、カモメなどがビニール袋を食い破って中身を路上にぶちまき、舗道全体にキャベツの芯とか卵の殻とか新聞紙とかトイレットペーパーの芯とか、ありとあらゆるゴミが転がっており、それを貪り食っては排泄する獣の糞まであちこちにべっとりと落ちている。
いやー、最後にこんな英国の街を見たのは、1989年のロンドンだっただろうか。トテナム・コートロードとか、キルバーンとか、ジョン・ライドンの出身地として有名なフィンズベリー・パーク界隈も尋常でない散らかりようだったのを記憶している。
「最近、ロンドンに行ったけど、不況なんて感じさせないほどUKはクールでモダン」
みたいなことを日本の某ライターの方が書いておられたが、一歩地方まで足を伸ばしていただければ、この窮状はあからさまである。まるで街全体が巨大なゴミ箱と化したようだ。
商店街の店は何軒も潰れてガラスが打ち割られ、ホームレスの方々が路上に座り込んでビール瓶片手に涎を垂れながら空を仰いでおられる。
臭い。汚い。暗い。しかも、今年の夏はどんよりと寒い。
いったい世のなかは、2013年で終わるのだろうか。
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サッチャーが死んだ日に、意気揚々と無料の成人向け算数教室をスタートさせようとしていたRの計画が、暗礁に乗り上げている。
講師およびヴォランティア人員は、いつでも開始オッケーの状態でスタンバっているのに、生徒が集まらないというのだ。例えタダでも彼らが来たくないという理由のひとつには、保守党の政策によって失業保険や生活保護を打ち切られた元生徒たちが、どんづまりの必要性から、読み書きや算数の知識がなくてもOKの最低保証賃金ワークに就労しているケースが多く、そういう人びとは、もはや学習の必要性など全く感じていないという。
また、生活保護を打ち切られて犯罪に手を染め、現在受刑中の生徒も複数いるというし、アル中になってシェルターで暮らすようになっていたり、行方不明になっている人もいるらしい。電話をしてもメールをしても、一向に捕まらない人びとがかなり存在し、それらの生徒たちについて、共通の知人やチャリティー施設のスタッフを通して良からぬ噂ばかり耳にする一方で、連絡が取れた元生徒たちも、「どうせクソみたいな金でクソみたいな仕事をするんだから、いまさらファッキン算数なんて面倒くさいことをやったところで、何が変わるわけでもない」みたいな、明日への展望が全く感じられないネガティヴな発言を返してくるという。
「遅すぎたんだろうか。と思う」
Rは電話口でぼっそり呟いた。
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「残業手当や皆勤手当が貰えなくなったら、マジで死活問題だ。どうして奴らは減給されたら生きて行けなくなる人間の給料ばかり減らすんだろう」
と、うちの息子の同級生の父親は言った。ポーランド人の彼は、ストライキを決行しているゴミ回収車乗務員であり、ブライトンの街の景観を荒ませている当事者の一人だ。が、彼の言うことはよくわかる。ストライキというのは、ふつう賃上げを要求してやるものであり、賃下げ反対などという崖っぷちでの抵抗がそう簡単に終結するわけがない。
「スーパーで、家族4人分の食料をウィークリー・ショッピングするだろ。3年前なら50ポンドで済んだのが、いまは同じものを買っても80ポンドする。これだけ物の値段が上がっているときに、給料を減らされたら、死ねと言われているようなもんだ」
と彼は言う。が、それがサッチャーの末裔どもの政治なのだ。
「俺は勝手にこの国に来た人間だから、ワーカーズ・ライトとか、そういう面倒なことはあんまり言いたくないし、汚れている街を見ると心も痛む。けど、こっちだって子供ふたり抱えて食ってかなきゃいけない。カウンシルの上の奴らは年収が上がってるのに、底辺労働者だけ年収が下がるってのは、おかしいだろ」
80年代なら英国人の炭鉱労働者が口にしていたような言葉を、現代ではポーランド人の移民労働者が言っている。そういえば、シェーン・メドウズが『Somers Town』という映画を撮ったことがあった。あの映画は、どこにも居場所がなくなった下層のイングリッシュの少年と、ポーリッシュの移民労働者の息子の友情を描いたストーリーだった。
ポーリッシュのゴミ回収作業員がふたりの子供を連れて校門から出て行く途中で、スキンヘッドの英国人男性とすれ違い、手と手でハイ・ファイヴを交わす。ああ、あのスキンヘッドのお父さんもゴミ回収の仕事をしておられた、と思い出した。このような窮地には、ストライキというアクションを通して、本国人も移民もない「労働者」というグループが生まれるのかもしれない。世のなかがひどくなるとレイシズムが高まる、という説は、そうとばかりも言えないようだ。
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「保守党政権っていつまで続くの?」
最近、妙にやつれている隣家の息子が言った。こいつも失業者保険を打ち切られ、やむなく社会復帰した人間のひとりである。
「あと2年」と連合いが答える。
「うっそー、そんなに長いの?」
「首相任期って4年だったけど、あいつら、いつの間にかそれを5年に変えてるし」
「俺、それまで生きれらるかどうか心配」
多感な年頃の時代からうちに出入りし、父親がいないせいかうちの連合いの影響を受けすぎている隣家の息子は、ダンプの免許を取得し、長距離ダンプの運ちゃんとして働き始めたが、そのシフトは明らかにEU法に違反する過酷なもので、就寝する時間もないほど運転しまくっているのに、稼ぎは限りなく最低保証賃金に近い。
「おめー、その会社、いくら何でもひどすぎ。ヒューマン・ライツはどうなってんの」
「だって、他になかったんだもん、仕事」
体重が4キロも落ち、めっきり老け込んできた隣家の息子を見ていると、労働党政権の時代に社会保障制度を濫用してふらふらして来たんだから自業自得。と言うことも可能だが、2013年の英国にはこういう若者が無数に存在しているのだろうと思う。仕事があるだけでも有難いと思え。と言わんばかりに雇用主に利用され、経済ピラミッドの下敷きになり、政治に蹂躙されている若者たち。
「次は、労働党が政権取るよね」
「たぶん。そう思いたいけどな」
と連合いが歯切れの悪いことしか言えないのは、トニー・ブレアの時代に労働党が著しく保守党寄りの路線に変わったため(サッチャーなんかは、「私の最大の功績はトニー・ブレアを生み出したこと」と言ったし)、もはや労働党も保守党も大差ない。という「どっちもどっち」みたいな風潮があまりにも長く続いているからで、保守党が嫌われているからと言って、労働党が支持を集めているわけでもないからだ。
が、この「どっちもどっち」というのはあり得ない思想である。というのも、表面に出ているものが似ていたとしても、コアにある価値観が違う限り、「どっちもどっち」ということはないからだ。ソシオ・エコノミックな階級の真んなかあたりとか上部とかにおられる方にとっては、どっちが政権を握ろうが生活に大差ないかもしれないが、下層民の日常は、目に見えて、こんなにもはっきりと変わる。いつだって保守党政治の皺寄せは、金もなければ地位もなく、明日への希望も薄い人びとの層に来るからだ。
その皺寄せの方向性を許せるか、見て見ないふりをできるか、あるいは、そんなの全然知らないし、見たことも聞いたこともないわ。と言いきれるのでなければ、「どっちもどっち」というスタンスは取れるはずがない。「どっちも不支持」とか言ってニヒリスティックに首を振ってる"リベラル寄りのインテリ"は、みんな保守党を支持しているのだ。
もう世のなかは、中庸を志向してスタイリッシュに傍観すれば済む時代ではなくなっている。
路上の獣の糞やら卵の黄身やらを踏んでしまったスニーカーをじゃーじゃー洗いながら、わたしはそう実感するのである。
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『NME』が新譜レヴューでトム・オデールの『Long Way Down』に0点をつけた。
トム・オデールの父親が激怒して『NME』に抗議したという記事をタブロイドの『ザ・サン』紙なども書き、ちょっとした話題になっているが、今年のブリット・アワードでアルバム未発表にして批評家賞を受賞した大型新人のデビュー・アルバムを、『NME』はこう評した。
「昨年アホのように売れまくった催眠性のクソMORの焼き直し」
このアンガーに満ちたレヴューは、現在のUKのストリートのムードを反映している。
もはや、催眠術にかかってうっとりとまどろんでいる場合ではない。