Home > Regulars > 音と心と体のカルテ > 第五回:おしっことうんこ
ele-kingでの連載なのに、音楽と関係のないことをあまり書いてはいけない。とは思っている。のだが、一般の方々が抱いている大きな誤解を、一刻も早く解かなければならないと思っていることがあるので、今回は書くことにした。それは「おしっこ」と「うんこ」は全く別のものであるということだ。僕は決して性的嗜好を持つスカトロジストではないが、全ての医師は糞便学をもっと学ぶべきだと思っている。
まずは、誤解の修正から。「おしっこ」というのは左右2個ある腎臓という臓器を流れる血液から、体内に必要のない老廃物が濾過され、それが尿管を通って、膀胱に溜まるものだ。つまり、数分から数時間前まで自分の血液として体内を循環していた、細菌もほとんどいないとても綺麗なもの。
一方の「うんこ」は、口から入ったものが、身体の内腔(口から肛門はひとつの管で、厳密には体内ではない。人間は筒のような構造をしている)を通過して、無数の細菌の中で、様々な化学反応を経て出て来たものだ。自分の体内には一度たりとも吸収されておらず、細菌も無数に含まれているので、綺麗とは言えない。というより、汚い。
と、アトピーの弟に、知人から勧められた「飲尿療法」を試してみさせるために、一晩かけて「おしっことうんこの違い」を説得したことがある。アトピーに長いこと悩まされ続けて来た健気な弟は、ひと晩考えに考えた挙げ句、翌朝起きて僕にこう告げた。「俺、お兄ちゃんが一緒に飲んでくれるなら、飲んでみようかと思う」
究極の交渉術。と、弟の成長を嬉しく思ったが、いざ自分が飲めと言われると、昨夜あれだけ「きれいなんだ!」と熱弁していたにも関わらず、さすがにかなり躊躇われた。けれど、いつにない弟の真剣な眼差しの奥に、キラリと光る未来への「希望」を見つけてしまったもんで、いちばん効果があるという、朝一番の濃縮された尿を、3日だけ毎朝一緒に飲んだことがある。
「おしっこ」は、その可愛らしい名前に反して、想像を絶するほどまずい。言葉にするのが陳腐なほどにまずい……。ふたりで飲み終えた後、腰に手を当てて朝日を眺めている弟の背中に「俺はついにやったぞ!」という底知れぬ達成感が満ちあふれていたのを、いまでも覚えている。
僕は3日付き合ってやめたが、弟はそれから1ヶ月ほど、飲み続けた。実際にアトピーも良くなったし、何よりも「自分は頑張っている!」という達成感が、弟の身体と精神を元気にしていった。
そんなあるとき、
「お兄ちゃん、俺、最近毎朝感じることがあるんだよ」
「何? やっぱ毎朝飲んでると体調いいでしょ?」
「うん、そんな気もするんだけど、それと同時に『俺って、ひょっとしたら、実はそーとーヤバいことしてるんじゃないか』っていう猛烈な不安がこみ上げてくる……」
と言って、数日後に飲尿道を諦めた。でも、そのとき、体験者でもあり、人間の健康について考えなければならない立場にある僕は考えた。飲尿療法を成し遂げた後は、底知れない達成感とともに、何かすごいエネルギーがこみ上げてくるのも、たしかな身体感覚だったのだ。
考えた挙げ句、「尿」というのは自分の身体のその時の状態の「最新データなんだ!!!」ということに気がついた。漢方薬の成分には、トリカブトの含まれているものもあり、僕の祖父母も、その漢方薬をかれこれ5年ぐらい飲み続けている。漢方薬には「毒をもって毒を制する」ということが割とあてはまる。いくつかの代替療法も、これと同様の理論に基づいているものがある。
人間は口から肛門という体外を通過するものに応じて、身体全体の免疫を調整している。漢方薬の全てではないが、いくつかの生薬やその成分は、小腸を通過すること自体に意味がある。その「悪いもの」の通過が、免疫体制を高める方向へ、心身全体の免疫モードをシフトする。と僕は考えている。
「おしっこ」というのは、「今の自分の身体にとって、いらないものは何であるか」ということに関する「データバンク」なのだ。それを腸管に通す。「あ、いま体の外ではこんな悪いものが存在しているのか、体内にもきっとあるから排泄しよう!」と判断し排泄する。という反応が起こっているんじゃないか。これは、医療に積極的に導入するべきだ! ということに気付いた若かりし頃の僕は、興奮しきって眠れない夜を過ごした。ひとつだけ残る大きな問題は……。この素晴らしき「おしっこ」は、とにもかくにも強烈にまずい。ということだった。要は尿がノドを通過することが、一番の問題なのだ。
そんな問題に直面していたころ、ちょうど心臓外科にいたときだった。術後の患者さんの鼻には「胃管」という管、そして膀胱には「尿道カテーテル」が入っていた。真夜中に術後の患者さんの回診をしていたときに、僕は閃いてしまったのだ。そうか! これをつなげればいいのか!!! 僕は早速、患者さんのベッドサイドに溜まっている尿を、胃管から流し込んだ。
なんてことはさすがにしない。だけど、僕は人類史に残る発明を確信した。名付けて「伊達チューブ」。翌朝、意気揚々として「先生! おかげさまで、昨夜人類史に残る発明をしました! 名付けて伊達チューブ!」と概要を述べた。
結局、伊達チューブは一蹴されてしまったのだが、それ以降、「伊達! 伊達チューブ入れとけ!」と言われると、患者さんに胃管と尿管を入れるという仕事が与えられた。でも、飲尿療法ってきっと効果ある。自分が癌にでもなったら、伊達チューブを実験してみようと思っている。