Home > Regulars > Post-Pandemic Memories > 第4回 映画音楽と「ヤバい奴」
最近家の近所で大量のミミズが死んでいる。
夜になると近くの公園から大量のミミズが這い出て、蠕動する体をアスファルトに擦り付けながら幅およそ4メートルの道路を横断しようとする。どうやらその先に新しい土地があると信じているらしいが、そこに辿り着く者がいるようには思えない。毎朝律儀にのぼる太陽は彼らのことなど気にかけない。夏の日差しに焼かれ、干からび、蟻に食われることさえなく、風にその形を削り取られてゆくままになっている。この毎夜行なわれるミミズたちの狂気的な行進が報われる日は来るのだろうか。毎日のようにSNSのフィードに最悪のニュースが流れてくるのを目にしていると、人類もまたこの行進の最中なのだろうかと思わずにはいられない。しかし、より良い方向へ世界を変えようとする意志やエネルギーが存在していることも確かだ。そしてその希望と絶望的現実の狭間で「変われ!!!」と叫ぶ映画が公開された。豊田利晃監督の『破壊の日』だ。
この二ヶ月の間のことを思い返す。もしかしたらもっと長かったかもしれない。体感は一週間ぐらい。豊田監督から映画の劇伴を依頼されてから公開までの期間は、だいたいそれぐらいだったように思う。これが僕にとって初めての映画音楽の制作だった。
緊急事態宣言解除直前のある日、幡ヶ谷の小さな喫茶店で僕は豊田監督から映画の話を聞き、資料のデータが入ったUSBと共に劇伴音楽の制作を依頼された。「プリントアウトしようとしたけどコンビニのコピー機がUSBを読み込まなくて」と言って、監督はザックリとしたあらすじを話してくれた。その時はそれだけだったが、その中に面白さの気配が満ちていた。USBスティックをポケットに入れながら「やります。一応データ確認してからまた返事しますけど、でも、やります。とりあえずデータ確認しますが」という中途半端な返事を二、三度して、その幡ヶ谷の小さな喫茶店を後にした。家に帰る道中、頭の中では既に作曲が始まっていた。帰宅してすぐに MacBook Pro にUSBを挿し、データを確認しながら豊田監督に「やります」のメッセージを送った。そして、MacBook Pro に頭を突っ込み、数日で曲のラフが出来上がる。この時点では映画の冒頭約10分の劇伴を作る予定だったのだが、このあと監督の無茶ぶりによって大幅に増えることになる。
というわけで「ここと、ここと、ここと、ここも作ってくれない?」と言われ大幅に増えたのだが、その増えた箇所のほとんどが「ヤバい奴」が出てくるシーンだった。以前にどこかでも書いたことがある気がするが、僕は曲を作るときにマインドセットをしっかりとやるタイプで、特定の世界を自分の中に作り込んでから作曲を始める。そういえば渋川清彦さんは、出演するにあたって監督から「狼入れてこい」と言われたそうだ。シーザーを理解するためになんとやらというのは、こういう場合にはうまく機能しないようで、僕はその「ヤバい奴」を何種類か入れる必要があった。この制作のスタイルについて、憑依型のシャーマンのようだと思うことがしばしばある。(脱魂型の人もいるのだろうか)シャーマンが自身に神や霊を憑依させた後に、それを祓ったり抜いたりする儀式が必要なように、僕も毎日就寝前に入れた「ヤバい奴」を抜く儀式が必要だった。うまくいかないとよく眠れなかったり悪夢を見たりする。悪夢は好きなので大歓迎だが、眠れないのは心身によくない。いずれこれを利用していい感じの悪夢を積極的に見る方法を編み出そうと思う。
制作に集中したいタイミングで、ありがたいことに本格的な梅雨が訪れて外界への誘惑を片っ端から断ち切っていってくれた。作業は順調に進んで音楽は仕上がった。そして無事、映画は公開された。ここに至るまでのストーリーが少し雑だが、ネタバレしたくないし、自身の作品を詳しく説明するということほど野暮なこともそうないので、このあたり勘弁してもらいたい。とにかく劇場で観て、何かを感じて欲しい。あ、そうそう、音の最終調整を音響デザインの北田さんと東宝のスタジオで行なったのだが、その時、自分の感覚では程よく心地良い感じで音圧や低音の量を調整したので、まさか公開後に爆音や轟音と言った感想がたくさん出てくるとは思わなかった。物足りないなと思った人は、是非サウンドシステムを積んだパーティーに遊びに来てもらいたい。
そして梅雨が明けて、ここ数日は灼熱の太陽が照りつける日々が数日続いている。「今年は冷夏になります」と言った誰かを恨んでみるが、数日前まで「7月なのに長袖来てるよ!」とか言ってたことを思い出してため息をつく。降り続く雨と肺にカビが生えそうな湿気は非常に不快だったが、もし今年オリンピックをやっていたら気温の面は意外と大丈夫だったかもしれない。そういえば『破壊の日』は当初、あらゆる利権と思惑が絡み合った東京オリンピックに向けて「強欲という疫病を祓う」という目的で構想が始まったそうだ。結果として本物の疫病が訪れて東京オリンピック自体は中止になったが、強欲をはじめ元々人類の中に巣食っていたものが新しい疫病に引き寄せられたかのように噴出し、結果として祓わなければいけないものが増えた。映画の公開前夜に行なわれた前夜祭では渋川さんと切腹ピストルズが宮益御嶽神社で祝詞をあげたあと、渋谷の街で練り歩きを行なった。車道を使ったデモの申請の都合で左折しかできなかった結果、宮益坂を下り、スクランブル交差点を左折し、246を左折、そしてヒカリエとスクランブルスクエアの間を抜けて、宮下公園の前を通るという、見事なまでに強欲の塊の中を抜けて行くコースとなった。Protest Rave をやってる者としても新しい抗議行動の形が見えるような気がして、思わず熱くなってしまった。
特に宮下公園に対しては、渋谷区が公園を Nike に売ってホームレス排除をやっていた頃に抗議活動に参加したこともあって特別ムカついている。弱者やストリートに息づく文化を排除して、金を持ってる “勝ち組” たちのために作られた庭で飲むスターバックスのコーヒーは美味いですか? そこに入ることを拒否されたもの達が視界に入らない高台から眺める渋谷の景色は美しいですか? 空中庭園が限られた者たちのユートピアだって、SFの定番をよく分かっているじゃないか。そしてSFの定番では、もちろんバビロンは滅びる。Babylon must fall.