「Low」と一致するもの

Shapednoise - ele-king

 イタリア出身で現在はベルリンを拠点に活動しているシェイプドノイズことニーノ・ペドーネが、2015年以来となるフルレングス『Aesthesisis』をリリースする。レーベルはラスティソフィーなどの作品で知られるグラスゴーの〈Numbers〉で、マーク・フィッシャーの言う「ハードコア連続体」を意識した作品になっているようだ。〈NON〉のマイシャや、ここ数週間しょっちゅう名前を見かけるジャスティン・ブロードリック、ラビットや元コイルのドリュー・マクドウォールも参加している。
 なお、シェイプドノイズはこれまで〈Opal Tapes〉や〈Type〉といったレーベルから作品を発表してきており、マムダンスロゴス(彼も今年『TMT』のインタヴューで「ハードコア連続体」について語っている)、マイルズ・ウィテカーとのコラボ経験もある。他方で彼はエイフェックス・ツインのお気に入りアーティストでもあり、リチャードは最近の《Field Day Festival》などのフェスで彼の曲をかけている。さらに付け加えるなら、ニーノは〈Repitch〉というレーベルの運営にも関わっており、スリープアーカイヴやソートなどの12インチを送り出してもいる(そのサブレーベルの〈Cosmo Rhythmatic〉からは今度、シャックルトンの新プロジェクトがリリース)。
 とまあこのように、アンダーグラウンドで陰日向なく重要な活動を続けている彼だけに、今回の新作も要注目です。

artist: SHAPEDNOISE
title: AESTHESIS
label: Numbers
catalog #: NMBRS62
release date: 8 October 2019

Tracklist:
01. Intriguing In The End feat. Mhysa
02. Blaze feat. Justin K Broadrick
03. Elevation
04. Rayleigh Scattering
05. The Foolishness Of Human Endeavour
06. CRx Aureal
07. Blasting Super Melt
08. Unflinching
09. Moby Dick feat. Drew McDowall & Rabit

https://nmbrs.net/releases/shapednoise-aesthesis/

Boomkat / Bandcamp

Sote - ele-king

 音楽はプレイリストで聴く時代──そう主張されるようになってからしばらく経つけれど、でもじっさいは Spotify や Apple Music に加入していればぜんぜん良いほうで、そもそもストリーミング・サーヴィスにお金を払う気などない人たちのほうが圧倒的に多いのではないだろうか。だって、ちょいちょいっと YouTube を漁るだけで滝のように音楽が流れてくるんだから。ふと思いついた単語を検索窓にぶち込んだり、アルゴリズムによってはじき出された「次の動画」を延々と辿っていったり……。おそらくそれこそが今日、もっとも支持されている音楽の聴き方だろう。それが良いことなのか悪いことなのか、現時点ではよくわからない。体系的な聴取が廃れることによって、新たに革命的な何かが生まれてくる可能性だってある……にはある、のだけれど、基本的にはただ文脈や歴史が消失していくだけ、のような気もする。わからない。

 そんな時代にレーベルというものを意識して聴いているリスナーがどれほどいるのか不安だけれど、たとえば〈PAN〉や〈Planet Mu〉や〈RVNG〉や〈Hyperdub〉といった以前から名のあるレーベルは、しっかりと自分たちのカラーを維持しつつ新しい動きにも対応し、「なるほど」と唸らされるようなディレクションをねばり強く続けている。もう少し最近だと、〈Arcola〉や〈Whities〉あたりが芯のある展開を見せている好例と言えよう。パウウェルとジェイミー・ウィリアムズによって設立された〈Diagonal〉も、そうした健闘を続けているレーベルのひとつだ。彼らが今年リリースした作品がどれも良かったので、まとめて紹介しておきたい。

 まずはテヘランのアタ・エブテカールによるソート名義の新作を。いや、これがほんとうに素晴らしい内容で、個人的には今年のベスト3に入るアルバムだ。丁寧に爪弾かれる弦楽器を前面に押し出しつつ、その背後でうっすらとシンセ・ドローンが自己主張する“Modality Transporter”や、細やかなノイズが徐々に絡み合っていく“Brass Tacks”も惹き込まれるが、圧巻なのは“Atomic Hypocrisy”だろう。種々の電子音とイランの民族楽器がこれでもかというくらい暴れまわる様はまさに狂宴といったあんばいで、何度聴いても飽きが来ない。エスニックな音階と加工された音声、呪文のような言葉の反復がトランス状態を生み出す“Pipe Dreams”や、トラディショナルとインダストリアルを両立させてしまう“Pseudo Scholastic”もおもしろい。
 生楽器とエレクトロニクスの融合だとか、西洋とオリエントの出会いだとか、そういった皮相なレヴェルをはるかに超えたところで生み出されるこの複雑さと混沌は、それこそ幼いころに初めて音楽と出会ったときのような、音同士の戯れそれじたいを聴くことの歓びを、ありありと思い出させてくれる。イランでは音楽が統制下に置かれていることを考えると、このあまりに冒険的で特異な試みは、表現規制にたいするエブテカールの、全身全霊の抵抗なのかもしれない。

 もう1枚は、かつて〈Kompakt〉からリリースしていたウォールズの片割れであり、ノット・ウェイヴィング名義で多くの作品を発表している、イタリアはヴァスト出身のアレッシオ・ナタリーツィアと、ご存じジム・オルークによるコラボレイション。アレッシオが用意した素材をジムがいじるかたちで制作されたらしい。軸となる高音ドローンにさまざまな電子ノイズが絡み合い、次第にきらびやかさを帯びていく“Side A”は、00年代後半から10年代にかけて勃興した寂寥的ノイズ・ドローンの文脈に乗っかりつつも、感傷には寄りすぎない絶妙なバランスで実験を展開していく。よりアグレッシヴな“Side B”も秀逸で、ラフなビートとノイズが戯れ合う序盤、種々の電子音の乱舞をとおしてかろうじてメロディらしきものが形成される後半、いずれもなかなかに聴き応えがある。

 そして最後は、これまでプロスティテューツ(売春婦)名義で〈Diagonal〉や〈Spectrum Spools〉からコンスタントに良質なテクノを送り出してきたクリーヴランドのヴェテラン、ジェイムス・ドナディオによるスタブユーダウン名義のアルバム。“Wizard Upholstery”や“Neu Ogre”のウェイトレスなシンセによくあらわれているように、大枠としては90年代、カール・クレイグ以降のデトロイトやUKのテクノがベースになっているのだけれど、良い意味でどこか嘘っぽいというか、トムジェリないしバッグス・バニーのごとき動物のキャラ(ウサギ?)がばらばらに解体されて再配置されたアートワーク同様、サウンドのほうもコラージュ感が漂っていて、ストレートにリヴァイヴァルとして消費するのをためらわせるところがある。音同士の間隙やドラムの微妙な遠さなんかはむしろ、それこそパウウェルのポストパンクに近いかも。

 以上3枚、それぞれ方向性は異なれど、〈Diagonal〉というレーベルの底力を教えてくれる、優れた作品たちである。

Floating Points - ele-king

 これまた2019年の重要作となりそうなタイトルの登場だ。フローティング・ポインツが待望のニュー・アルバム『Crush』を10月18日にリリースする。4年前のファースト・アルバム『Elaenia』以降、「Kuiper」や『Reflections』ではバンドを結成し、ロック的なアプローチに取り組んできたフローティング・ポインツだけれど、この7月にリリースされたシングル「LesAlpx / Coorabell」で彼は一気にダンスへと回帰している。今回公開された新曲“Last Bloom”もエレクトロのビートが効いている。ベリアルやテンダーロニアスがそうであったように、UKのアンダーグラウンドはいまテクノへの傾斜を強めている感があるが、フローティング・ポインツのこの新作はその流れを決定づけるものになりそうだ。それに、トラックリストを眺めていると、何やら意味深な言葉が並んでいる。タイトルも「粉砕」だし、テーマも深く練られているにちがいない。この秋最大の注目作である。

interview with The Comet Is Coming - ele-king

ものをつくるプロセスって、宇宙ができあがったそもそもの経緯なんじゃないかなと思う。だから音楽をつくるということは、この宇宙という神聖なものにどこかつうじるところがある。 (マックス)

 今年もそろそろ、年間ベスト入り確実となるだろう候補作が出揃いはじめている。ザ・コメット・イズ・カミングの『Trust In The Lifeforce Of The Deep Mystery』もその最右翼の1枚だ。むべなるかな、フジでのパフォーマンスも圧巻だったそうだけれど、細やかなエレクトロニクスと重厚な低音とセクシーなシャバカの管が鮮やかなコントラストを織り成す“Birth Of Creation”や“Blood Of The Past”、ロックの躍動を最大限に活用した超絶クールな“Summon The Fire”に“Super Zodiac”、あるいは“Timewave Zero”のブロークンビーツや“Unity”のアフロ・パーカッションなど、縦横無尽にさまざまな音楽を食い散らかし、もはやジャズという言葉を用いるのもためらわれるほど独自の試行錯誤が繰り広げられる同作は、その宇宙的なモティーフによって不思議な統一感を与えられてもいる。
 興味深いことに彼らは、音にたいする想像と他人にたいする想像とをおなじ地平で捉えている。まさにそのような想像こそ政治に欠落しているものなわけで、楽曲制作のプロセスをそのまま世界情勢と重ねて考える彼らのあり方は、何もかもが悪化の一途をたどっているこの悲惨な惑星において、文字どおり希望と呼ぶべきものだろう。彼らの宇宙とは、実践なのである──とまあそのように、最上の実験と、最上の雑食と、最上のスピリチュアリティを同時に響かせるザ・コメット・イズ・カミング、苗場へと発つ直前の3人に話をうかがった。


言おうかなと思ったんだけど、(ボリス・ジョンソンの名を)口にするだけでも口が汚れると思ったから、言いたくなかったんだ。 (ダン)

私たちは1年前に、UKジャズの特集号を出したんですよ(『別冊ele-king』を差し出す)。

シャバカ・ハッチングス(Shabaka Hutchings、以下SH):(ぱらぱらめくりながら)ヘンリー(・ウー)とは友だちなんだ。あいつ、いつも写真が変なんだよ(笑)。

(笑)。まず、ザ・コメット・イズ・カミングというプロジェクトの成り立ちですが、ダン・リーヴァーズさんとマックスウェル・ホウレットさんのふたりがサッカー96をやっていて、そこにシャバカ・ハッチングスさんが加わるかたちではじまった、という認識でいいでしょうか?

マックスウェル・ホウレット(Max Hallett、以下MH):ダンと僕は16年くらい一緒にやっているんだけど、サッカー96は10年前からふたりでやっているね。そういう意味ではチームとして深い関係があるんだ。僕たちは基本的にベッドルームで、生楽器を使って、テープマシーンを使って、マイクも自分たちで置いて、すべてのレコーディング・プロセスを自分たちの手でやる、というのがはじまりだった。だから長い年月を重ねてやっていくことでプロセスじたいもできあがっていったんだ。だからシャバカが入ったときは、そのプロセスの上に、その瞬間瞬間に、いかにインプロヴィゼイションとかジャムとかを乗っけていくかという感じだった。もともとそれが好きだったしね。ものをつくるプロセスって、けっきょく、宇宙ができあがったそもそもの経緯なんじゃないかなと思う。だから音楽をつくるということは、広い意味で、この宇宙という神聖なものにどこかつうじるところがあると思うんだ。そういう、自分たちにとってのプロセスがあるんだよ。

曲づくりの際に、誰かが主導権のようなものを握ることはあるのですか?

ダン・リーヴァーズ(Dan Leavers、以下DL):このバンドかんしていえば、リーダーはいないね。スタジオで直感で生まれるものを実践しているからね。けっきょく、人間がいかに互いに協力しあって何かを想像していけるか、っていうのが大事だから、スタジオのなかではあえて会話もあまり交わさない。「レス・トーク、モア・リッスン」というか、聴きあうという感じだね。プレイヤー3人それぞれが演奏するときも、カオスになるようなことはしない。混沌と統制みたいなもののバランスを考えてる。それぞれがマックスの演奏をしつつ、互いを聴きあう。それを同時に実行しあってやっているんだ。いまそれが地球において人間にとっても必要なことじゃないかと思うよ。このままいくと、もしかしたら地球はなくなってしまうんじゃないかというくらい、いまは破壊的な状況にあると思う。そんな地球のなかでいま、男のリーダーたち、ブラジルの新しい大統領が熱帯雨林を切り刻んだり、トランプが人種差別的なことを言ったり。トップダウン式のリーダーがいることによって物事は崩壊していくから、みんながひとつになって何かを作るということのほうが、世界にとっても音楽にとっても良いと思うよ。

なるほど。

DL:でも、けっしてリーダーシップの資質を出してはいけないということではないよ。たとえばシャバカが「ここをこういうコードにしたらどうだろうか」とか、その瞬間においてリーダーシップを発揮することはあるし、マックスが「このビートはこうしたい」とかいうこともあるわけだから、その瞬間瞬間のそれぞれの意見をコレクティヴにしたのが僕たちなんだ。

ボルソナーロやトランプの話が出ましたけれど、まさにあなたたちの首相も……

DL:イグザクトリー。いま言おうかなと思ったんだけど、(ボリス・ジョンソンの名を)口にするだけでも口が汚れると思ったから、言いたくなかったんだ。

ははは。ブレグジットなど、いまのイギリスの状況についてはどうお考えですか?

MH:その話をしだすときりがなくなっちゃうから言わないけれども、いま物事をふたつにわけて、それぞれの宗派みたいなものがカルチャー的に互いを嫌いあっているような、そういう状況だと思う。アーティストとしての責任は、そこにひとつになる場を提供することじゃないかな。少なくとも自分たちの音楽はそういう音楽でありたい。互いを信じ、そこからユニティみたいなものをつくる。だから僕たちは、みんなのための音楽をつくっていると思っているよ。ボリス・ジョンソンさえ含めてね。分断のための音楽ではなく、みんなそれぞれ平等で、「他人だったらどう思うだろう?」と自分を他人の目に置き換えて考えるような想像力を使って、相手を理解しようとするような、そういう音楽をつくりたいと思っている。音楽を含めて、世界にたいしてそういうふうに感じているね。

ザ・コメット・イズ・カミングというグループ名は、BBCレディオフォニック・ワークショップの作品からとったそうですけれど、これにはどういう思いが込められているのでしょう?

DL:物事にはいろんな意味があるし、ザ・コメット・イズ・カミングにもいろんな意味があるんだけど、イメージとしては彗星(コメット)がやってくるということ。じっさいに彗星がやってくれば、地球は滅亡するわけだしね。彗星が来たからこそ恐竜たちは死に、マンモスは消え、いまこういう人類の時代になっているわけだよね。もしかしたら明日にも彗星が来るのかもしれないし、それはある意味毎日来ているのかもしれない。毎日、1日が終わるのは、彗星が来ているからかもしれない。人間が死んだらどうなるのかっていうのを考えるときに、地球が一度滅亡したらそこで人類すべてがなくなるわけだから、死ということにかんして人間は忘れてはいけないと思う。死を忘れないことによって、いま生きている人生の尊さ、いまというものの尊さがわかると思うんだ。ある意味警鐘を鳴らしているというか、彗星はやってきてしまうから、いまできることをやらないと、明日はもうないかもしれない。そういう意味も含めている。

グループ名もそうですし、前作にも今回の新作にも宇宙を想起させる曲名が多くあります。宇宙をモティーフにする理由は?

DL:(回答を促すようにシャバカを見る)。

MH:僕の父親が言っていたのは、コミュニケイトできるアーティストがいちばん素晴らしいアーティストだということ。たんに音だけではなくて、その音をどう自分たちが聴いてほしいように聴いてもらえるか、どうコミュニケイトできるかということで、それを考えたときに、宇宙は真っ白なキャンヴァスだと思うんだ。地球を離れた宇宙、いま自分が生きている社会や状況とはまったく異なるところに、一度でもいいから離れてみる。そこではいろんな想像力を発揮することができる。自分たちつくる側もそうだけど、聴く側もそれはおなじだと思う。そこにはいろんな色があり、いろんな新しいあり方があり、言葉がある。それぞれのイマジネイションを働かせて使うことができるし、そのなかにいることもできる。だから、音をただ聴かせるだけではなくて、そういったみんなの想像力が使える場を提供するということが、もっともコミュニケイトできる方法のひとつなんじゃないかなと思う。

DL:いまこの現代社会ではすごく個が尊ばれていて、その結果としてたとえば自殺する人の数がすごく増えたりしているよね。かつてはそこでキリスト教だったりほかの宗教だったり、いろんなものが人間たちをある種ひとつにまとめるコミュニティとして役立っていたわけだけど、いまのこの時代はそういうスピリチュアリティみたいなものがすごく欠落していて、どうしたらみんなひとつになれるかという、つながりがない。それは、そういう自殺の問題にも関連していると思うんだ。そんなときに宇宙という考え方は、僕たちの日常や自我をも超えたところで存在しているから、自分は宇宙のなかのたったいちパートにすぎないんだと思うことで、ヒーリング的な、心が癒されるような……自分を自分じゃないもの、宇宙のひとつと思えるんじゃないかな。

ザ・コメット・イズ・カミングの音楽にはテクノの要素もあり、デトロイトを思わせる瞬間もあるので、その影響もあって宇宙的なイメージをとりいれているのかなとも思ったのですが。

DL:(回答を促すようにシャバカを見る)。

MH:僕らはエレクトロニック・ミュージック全体からすごく影響を受けている。もちろん、テクニック的な部分でそれを使っているところもあるかもしれないけど、それ以上にエレクトロニック・ミュージックの何に自分たちが惹かれるのかといえば、意識のトランス的な状況に人をアクセスさせるところなんだ。そこに興味があるんだよ。

テクノロジーに恋をさせてしまえば、人間をコントロールすることができる。人間はすぐそういったものに中毒になって夢中になってしまうわけだから。 (マックス)

マックスさんとシャバカさんはほかのプロジェクト(サンズ・オブ・ケメット)でアフロフューチャリズムを扱っていますけれど、ザ・コメット・イズ・カミングにその要素はない?

SH:うーん。イエス・オア・ノーだね。アフロフューチャリズムの定義にもよると思う。アフリカを起源とする音楽をどのように人びとが見ているのか、それがどういうふうに定義されているかによるね。

たとえばサン・ラーやジョージ・クリントン、あるいはデトロイト・テクノの人たちはよく宇宙のイメージを用いますけど、そういうブラック・ミュージックにおけるSF的な想像力みたいなものが、ザ・コメット・イズ・カミングにも込められているのかなと。

SH:そういった意味でアフロフューチャリズムを定義しているのであれば、それはあると思うね。自分たちは互いのあり方、接し方において……さっきザ・コメット・イズ・カミングにはリーダーがいないという話が出たけれど、自分たちはグループとして、いかに互いのあり方をはかるかということにすごく想像力を使っている。そういう意味では、あるね。

ザ・コメット・イズ・カミングの音楽は、大枠としてはジャズに分類されることが多いと思いますが、とりわけ今回のアルバムはいわゆるふつうのジャズとはかけ離れていて、むしろパンクやテクノを思わせる瞬間も多いです。あなたたちにとってジャズとはなんでしょう?

DL:ジャンルって、レコード店で早く盤を見つけるためのグループ分けにすぎないと思う。そこに置いておけばいいという、ただそれだけのことで。だって、テリー・ライリーがミニマル・ミュージックだと言われたら、それだけじゃないって思うよね。そもそも音楽にはそういうジャンル分けみたいなものに抗うようなところがあるし、いまはさらに進んでいる世の中なんじゃないかな。いろんな音楽が……社会もそうだけど、ジェンダーにしろセクシュアリティにしろ、服だってすごく流動的だ。ひとつには決められない。人びとは日々学んでいるんだと思う。先入観をもつと、ちがいだけがあらわれるようになってしまう。他人と自分とのちがいだけが浮き彫りになる。でも、そういう目で見ないようにすれば、自分たちは一緒なんだということのほうが逆に見えてくると思う。だから、ブラックメタルとスカンディナヴィアの音楽がおなじなのかちがうのか、テクノとスピリチュアルがおなじなのかちがうのか、それは言葉の問題であって、ようはいかに自分たちのヴィジョンを音楽として表現したいかという欲求それだけじゃないかな。

テクノロジーについてはどう考えていますか? たとえば昨今はA.I.が話題ですけれど、そういうものは音楽にとってどういう意味をもつでしょう?

MH:テクノロジーはバイオロジーを超えたところにある自然だと思う。生物学を超えて生まれた木みたいなもの。僕は昔のほうがテクノロジーに適応できていたけど、もう年齢かな、テクノロジーは人間を操作しようとしている部分があると思うんだ。たとえばハンマーは有用な道具だけど、これも技術なわけだよね。このハンマーが中毒的に人間を支配していくようなものになってしまったら、それが怖い方向に使われていくわけで、どっちがどっちを使っているのかということをつねにチェックして、どちらがコントロール権をもっているのかということを自分自身で見直していく必要がある。ただ、テクノロジーがすごいのは、そうできないように、人間が100%テクノロジーに恋をするようにつくられているところだ。テクノロジーに恋をさせてしまえば、人間をコントロールすることができる。人間はすぐそういったものに中毒になって夢中になってしまうわけだから、テクノロジーの欲望の部分が増えてきて、それがとてもパワフルになっているような気がするよ。音楽面では、僕たちは音楽をつくるときコンピューターは基本的には使わないんだ。使わないというか、使い方をつねにリマインドしながら使っているね。

DL:コンピューターを使わないわけではなくて、最初はアナログテープでレコーディングするんだけど、最終的に現代のものであるコンピューターを使って、両方を合体させる。古代のテクノロジーであるアナログテープといまのテクノロジーの、両方を使っているんだ。古いものを捨てればいいというわけではないからね。捨てずに、新しいテクノロジーのなかで呼吸させればいいんだよ。呼吸って人間にとっての瞑想だから。古い時代、人間の先祖たちがマッシュルームを植えて、そこからある種の感覚を得ていたというようなことだね。そういう古いものから新しいものまで、その両方を持っているということが僕たちの音楽にかんしては正しいと思うんだ。

SH:テクノロジーはプリミティズムと相反するものだと考えがちだけれど、そうではない。ほんとうの意味でのテクノロジーは、すべての人間を反映させるものであって、滅亡させるものではあってはいけない。テクノロジーによってごく一部の人間だけが潤って、それ以外のものがなくなってしまうというのは正しくない。滅亡することなく、正しいかたちで人類が続いていくためには、プリミティズムを含んだうえでプログレッシヴなものでなければいけない。相反してはいけないんだ。


Ziúr - ele-king

 ベルリンを拠点に活動するプロデューサーの Ziúr (どう発音すればいいのかしら?)が、11月に新たなアルバムをリリースする。彼女は、2016年に発表した2枚のシングル「Deeform」と「Taiga」で注目を集め、翌年〈Planet Mu〉からアルバム『U Feel Anything?』を送り出しており(Aïsha Devi も参加)、今回の新作は同レーベルから2枚目のフルレングスとなる。本人の弁によれば「日々、自らの実存のために闘っている人びとのため」の作品だそうで、タイトルの『ATØ』は「世界征服同盟(THE ALLIANCE TO TAKE OVER THE WORLD)」を意味するらしい。フォーマットはLP、CD、ディジタルの3種類で、11月15日に発売。この暗く圧政的な時代に抗う力強い1作となっているようなので、しっかりチェックしておこう。

artist: Ziúr
title: ATØ
label: Planet Mu Records
catalog #: ZIQ415
release date: November 15th, 2019

Tracklist:
01. ATØ
02. It's Complicated
03. I Vanish
04. Fancy Handbag, Broken Zipper
05. F.O.E. (feat. Ash B)
06. Catch Me Never
07. Life Sick
08. All Lessons Unlearned (feat. Samantha Urbani)
09. Laniakea
10. Unclaim

https://planet.mu/releases/ato/

Boomkat / Bandcamp

Moor Mother - ele-king

 先日、JKフレッシュ&ザ・バグによる新プロジェクトへの参加がアナウンスされたばかりのムーア・マザーが、ついに自身のセカンド・アルバムをリリースする。アクティヴィストとしても活動している彼女らしく、やはりブラックや奴隷にまつわるあれこれがテーマになっているようで、バンドキャンプのタグには「アフロフューチャリズム」や「ブラック・アンビエント」といった語が並んでいる。ゲストとしてフィラデルフィアのラッパー、リーフ・ザ・ロスト・コーズや、ソウル・ウィリアムズ(!)が参加、プロダクションには件のジャスティン・ブロードリックやキング・ブリット(!)などが力添えしているとのこと。これは今年の最重要作になる予感がびんびんだわわ。発売日は11月8日。

artist: Moor Mother
title: Analog Fluids Of Sonic Black Holes
label: Don Giovanni Records
catalog #: DG-190
release date: November 8, 2019

Tracklist:
01. Repeater
02. Don't Die
03. After Images
04. Engineered Uncertainty
05. Master's Clock
06. Black Flight (feat. Saul Williams)
07. The Myth Hold Weight
08. Sonic Black Holes
09. LA92
10. Shadowgrams
11. Private Silence (feat. Reef The Lost Cauze)
12. Cold Case
13. Passing Of Time (feat. Jucara Marcal)

https://www.dongiovannirecords.com/products/649373-moor-mother-analog-fluids-of-sonic-black-holes

Rough Trade / Boomkat / Bandcamp

Octavian - ele-king

 Octavian の2作目となるアルバム・スケールの作品『Endorphins』がリリースされた。前作の『SPACEMAN』で脱力した雰囲気で歌い上げるスタイルで一躍人気となった彼は、イギリス各地の単独公演をソールドアウトさせるなど破竹の勢いだ。そんな彼の2作目はこれまでのスタイルを維持しつつ、音楽的にジャンルをクロスオーヴァーしながら試行錯誤を重ねた1作だ。

 本作品はゴスペル調の 1. “Gangster Love” で幕を開ける。Octavian は前作『SPACEMAN』で見せた強さの裏にある「粋な」優しさを見せる。続く 2. “King Essie” ではセルフボーストを、3. “Molly Go Down” は落ち着いたトーンでスローダウンしたような感じがあり、エクスタシーを摂取した翌日の抑うつ的な気分を感じさせる。フロリダの Smokepurpp を客演に招いた 4. “Take It Easy” は、バウンスなビートとテンションの低い音色、Smokepurrp のヴァースのフロウの巧みさという組み合わせが特に素晴らしいが、 Octavian もUKのスラングを多用せずヒップホップのメインストリームに乗り出していこうという気概を感じた。

 8小節のイントロを挟んで、後半ではより実験を重ねていく。6. “Feel It” では80sポップスを感じさせる爽やかなインストに乗せて、モノトーンに歌い上げる Octavian と対照的にキレのある Theophilus London のラップが絶妙なバランスで絡む。さらにミュージック・ヴィデオのヴィジュアルもいい意味で力が抜けていて、ラッパーとしての新たな一面を見せてくれる。

 マッシュルームを食べながら作ったとされる 7. “Risking Our Lives” はかなり支離滅裂だが、8. “No Weakness” では再びベースラインにロック・サウンドを感じさせるトラップ・チューンに乗せて強気なラップを乗せ、9. “World” ではカラフルなダブ・トラックが世界観を広げる。この作品全体のハイライトと感じたのは、SBTRKT の “Right Thing To Do” のカヴァー 10. “Walking Alone” である。歌詞の意味が Octavian がこのアルバムの流れの中で歌うことでより刹那的に変わり、彼のアドリブはオリジナルに新たな息を吹き込む。ヴォーカルと Jessie Ware の歌とのバランスが良い。3分以降のギター弾き語りのパートでは、これまでのモノトーンなフロウが打って変わってソウルフルなラヴ・ソングになる。そのエモーションはそのまま Abra を迎えた “My Head” に引き継がれていく。
 A$AP Ferg が参加した “Lit” は、これまでの流れから見ればアウトロのような位置付けの1曲で、ヒップホップのマナーでヒットを狙った1曲だろう。

 前作でトラップやドリルが全面に押し出され、暴力的なリリックが多くを占めていたのと比べると、ラップは若干ソフトになり、音楽的な幅を広げ、カヴァーにも挑戦するなど試行錯誤が見られる。特にオートチューンのかけ方は、Bon Iver のような「ハーモナイズ」をメインとした使い方でなく、生感の強いソロのオートチューンを中心に据えて、強気の奥に潜む悲壮感や孤独感を感じさせる。また、ベースラインがしっかりしたバンド・サウンドを808トラップ・サウンドの中に取り入れることで新たなポップネスを獲得した1作だ。

Local X5 World - ele-king

 先日アナウンスのあった WWW と WWW X のアニヴァーサリー企画《WWW & WWW X Anniversaries》。そのうちのひとつとして開催される《Local X5 World》の詳細が発表された。すでに告知済みのツーシン(Tzusing)およびキシ(Nkisi)の初来日公演に加えて、2年前の CIRCUS でもその存在感を見せつけてくれたガイカ(Gaika)と、日本の現代美術家にしてホーメイ歌手の山川冬樹がライヴを披露する。また、《Local World》のコア・メンバーである行松陽介、Mars89、Mari Sakurai、speedy lee genesis らも勢ぞろい。9月20日は WWW X に集合だ。

WWW & WWW X Anniversaries Local X5 World - Third Force -

未来へ向かう熱狂のアジア&アフロ・フューチャリズム! ハードに燃え盛る中国地下の先鋭 Tzusing とコンゴ生まれ、ベルギー・ハードコア/ガバ育ちのアフリカン・レイヴなロンドンの新鋭 Nkisi (UIQ)、同じくロンドンのゴス・ダンスホール等で話題となったディストピアン・ラッパー/シンガー GAIKA (WARP)、日本のアヴァンギャルドから己の身体をテクノロジーによって音や光に拡張する現代美術家/ホーメイ歌手 Fuyuki Yamakawa をゲストに迎え、ローカルから WWWβ のコア・メンバー Yousuke Yukimatsu、Mars89、Mari Sakurai、speedy lee genesis が一同に揃い、世界各地で沸き起こる “第3の力” をテーマとした WWW のシリーズ・パーティ《Local World》のアニヴァーサリーとして開催。

WWW & WWW X Anniversaries
Local X5 World - Third Force -
2019/09/20 fri at WWW X

OPEN / START 24:00
Early Bird ¥1,800 / ADV ¥2,300@RA | DOOR ¥3,000 | U23 ¥2,000

Tzusing [Shanghai / Taipei]
Nkisi [UIQ / Arcola / London] - LIVE
GAIKA [WARP / London] - LIVE
Fuyuki Yamakawa - LIVE
Yousuke Yukimatsu [TRNS-]
Mars89 [南蛮渡来]
Mari Sakurai [KRUE]
speedy lee genesis [Neoplasia]

※ You must be 20 or over with Photo ID to enter.

Local 1 World EQUIKNOXX
Local 2 World Chino Amobi
Local 3 World RP Boo
Local 4 World Elysia Crampton
Local 5 World 南蛮渡来 w/ DJ Nigga Fox
Local 6 World Klein
Local 7 World Radd Lounge w/ M.E.S.H.
Local 8 World Pan Daijing
Local 9 World TRAXMAN
Local X World ERRORSMITH & Total Freedom
Local DX World Nídia & Howie Lee
Local X1 World DJ Marfox
Local X2 World 南蛮渡来 w/ coucou chloe & shygirl
Local X3 World Lee Gamble
Local X4 World 南蛮渡来 - 外伝 -

interview with Tycho - ele-king


Tycho
Weather

Mom+Pop / Ninja Tune / ビート

ElectronicDowntempo

Amazon Tower HMV iTunes

 去年の「ザ・美しい音響&テクスチャー大賞」がジョン・ホプキンスだとしたら、今年はティコだろう。
 ティコ(じっさいは「タイコ」と発音する模様)ことスコット・ハンセンはもともと、もろにボーズ・オブ・カナダに触発されるかたちでダウンテンポ~エレクトロニカに取り組んでいたアーティストである。その影響は実質的デビュー作の『Past Is Prologue』(2004/06年)にもっともよくあわわれているが、今回の新作でも“Into The Woods”や“No Stress”といった曲にその影を認めることができる──とはいえ『Dive』(2011年)以降、BOCの気配はあくまで旋律や上モノの一部に残るに留まり、むしろダンサブルなビートと生楽器による演奏の比重が増加、『Awake』(2014年)からはバンド・サウンドに磨きがかかり、まさにそれこそがティコのオリジナリティとなっていく。その集大成が前作『Epoch』(2016年)だったわけだけれど、重要なのはそのようなロック的昂揚への傾斜(およびノスタルジーの煽動)と同時に、サウンドの透明感もまたどんどん研ぎ澄まされていった点だろう。この美麗さはBOCにはないもので、そのようなテクスチャーにたいするこだわりは、次なるステップへと歩を進めるために〈Ninja Tune〉へと籍を移し、ほぼすべての曲にセイント・スィナーことハンナ・コットレルの魅惑的なヴォーカルを導入、アートワークの連続性も刷新した新作『Weather』においても健在だ。
 前作でキャリアにひと区切りがつき、いま新たな一歩を踏み出さんとするティコ。はたして今回のアルバムに込められた想いとは、どのようなものだったのか? フジロックでの公演を終え、東京へと戻ってきていたスコット・ハンセンに話を聞いた。

毎回もっと聴きやすい作品にしたいと思っている。ロウファイな音楽のなかで興味があったのは、ほんとうにひとつかふたつくらいの要素くらいしかなかったんだ。もっとハイファイにしたいし、クリアな音にしたいと思っている。

いまも活動の拠点はサンフランシスコですか?

スコット・ハンセン(Scott Hansen、以下SH):いまでもそうだよ。もう13年くらいいるね。

日本は湿気が多くて蒸し暑いですけれど、おそらくサンフランシスコはぜんぜんちがいますよね。

SH:まったくちがうね。この暑さには慣れていないよ。サンフランシスコはそこまで暑くならなくて、夏でも短パンをはけるのが2~3週間あるくらい。それ以外は涼しかったり、風が吹いたり、霧が濃かったり。天候のちがいとか雲の動きとかが見えるから、あの気候はけっこう好きだね。

今回のアルバムのタイトルは『Weather』ですが、音楽制作にその土地の気候は影響を与えると思いますか?

SH:たしかに『Weather』という名前をつけたけれども、直接的な意味というよりは、移り変わりというか、いまこの時代いろいろなアップダウンがあって、自分のコントロールの範囲外のこともたくさんあるなかで、それを受け容れていかなければいけない状況、みたいなことも意味してるんだよ。それから、僕がつくる音楽は自分の体験がもとになっていて、僕は自然が好きなんだけど、そういうところに行って、自然を音楽に反映させている。サンフランシスコだと、自然のエネルギーだとか天気の移り変わりだとか、そういうものが直接的に感じられるから、それは音楽につうじていると思うよ。『Weather』には天候という意味もあるけど、ふたつの意味を与えているんだ。

前作の『Epoch』がビルボードのエレクトロニック・チャートで1位をとったり、グラミー賞にノミネートされたりしましたけれど、そういうショウビズ的な成功は、あなたにとってどんな意味がありますか?

SH:僕の目標は音楽をつくるということであって、そういったショウビズ的な成功にはあまり惑わされないようにしてるけど、グラミーとかビルボードで話題にあがったことはすごく光栄だし、じっさいに僕の音楽が仕事として認められたということはすごく嬉しい。もともと僕はグラフィックデザイナーをやっていて、それほど長くは音楽活動をしていないんだよね。だから、アーティストとして認められたということにはひと安心したし、今後もアーティスト活動に集中できるからすごくいいことだと思うよ。自分の音楽はメインストリームの音楽ではないので、グラミーやビルボードに自分の話が出たことにはとてもびっくりしているよ。

まわりの反応も変わりましたか?

SH:うん、そのおかげで一般の人たちが、じっさいに僕が何をやっているのかということを理解できたと思う。両親や友人の一部は僕が何をやっているのかよくわかっていなかったんだ。「DJをやっているの?」とか言われたりね。エレクトロニック・ミュージックをやっている人はけっこう誤解されると思う。じっさいの音楽のつくり方がふつうの人たちにはあまりわからなかったりするからね。だから、グラミーのノミネートとか、ビルボードのチャートインという実績があったことで僕が本物のミュージシャンだということを理解してもらえたのでそれはよかったね。

今回の新作は全体的に、前3作にあったような、わかりやすくダンサブルなビートが減って、ダウンテンポ的な曲が増えたように思いました。それには何か心境や環境の変化があったのでしょうか?

SH:循環というか、一周してきたような感じがするね。『Dive』(2011年)はチルでダウンテンポな感じだった。アルバムを出したあとにツアーをやって、ライヴでエネルギッシュな感じでギターの音やドラムの音を出していった。エキサイティングなものにしたかったから、エネルギーのレヴェルがあがったんだよね。その感じを捉えたくて、『Awake』(2014年)にはもう少しエネルギーが入っている。ロックっぽい感じの音になったと思う。そのあと僕はDJとかダンス・ミュージックにハマるようになっていったんだ。もともと90年代からずっと好きで、それが音楽を作るインスピレイションになっていたんだけど、そこにまた興味がわいてきた。それが2014年から2016年ころの話。そのあとに作ったのが『Epoch』(2016年)で、これはちょっと原点に戻るというか──僕が好きな音楽はゼロ7とかザ・シネマティック・オーケストラとかシーヴェリー・コーポレーションとか、ヴォーカルが入っていてちょっとトリップホップみたいな感じの90'sのころの音楽で。自分もそういうものをつくりたいなと思って、今回はもともと僕が好きだった音楽にふたたび返るような感じでつくったんだ。

いまおっしゃったように、今回のアルバムの最大の特徴は、ほとんどの曲にヴォーカルが入っていることです。

SH:もともとヴォーカル入りの作品はずっとつくりたかったんだよ。でもつくり方を知らなかったというか、まずはベーシックなところから、たとえばシンセをレコーディングしてとか、そういうところからやらないといけなかったんだ。2004年の『Past Is Prologue』にもヴォーカルのトラックはあったんだけど、以降ずっとインストゥルメンタルをやる結果になってしまってね。ただ今回は、ハンナ・コットレル(Hannah Cottrell)と出会うというきっかけがあった。そのときに迷ったんだ。次のアルバムは、すごくヴォーカルに片寄るかインストに片寄るか、どっちかにしようと思っていて。あまりいろんなゲストをフィーチャーして入れるよりも、もっと強いステイトメントみたいなものを出したかった。ヴォーカルをたくさん入れると、けっこうコアで強いメッセージ性が出ると思う。ティコはそういうアルバムこそがメインのアーティストだと思ってるから、アルバムとして強い主張をするならけっこうわかりやすく──今回みたいにヴォーカル寄りなほうがリスナーにとってもわかりやすいかなと思ったんだ。

ハンナ・コットレルはどういう人なのでしょう? 彼女とはどのような経緯で?

SH:共通の友人がいて、それがきっかけで出会ったんだ。彼女がサンフランシスコの親戚に会いに行くことになって、僕が住んでいるサンフランシスコにたまたま来るということになった。そのとき僕はアルバムの曲をけっこうつくっていて、これにヴォーカルを入れるにはどうしたらいいかってちょうど考えていたんだ。友人はそのことを知っていたから、ハンナを紹介してくれたんだけど、僕もそのときまでハンナのことはぜんぜん知らなかったんだ。彼女はそんなに活動もしていなくて、リリースもしていなかったからね。でもとりあえずやってみようということで、2曲やってみた。最初にやったのが“Skate”という曲なんだけど、彼女が歌いはじめたら感動して、これはすごいと思った。ぜひ彼女とのコラボレイションを追求するべきだと思ってアルバムを制作していったら、結局はアルバムのすべてができあがった。すごくインスピレイションになったよ。

リリックは完全に彼女が? あなたからのディレクションはあったのでしょうか?

SH:ハンナがすべての歌詞を書いた。彼女の世界感を表現したかったので、僕はその邪魔をしたくなかった。自分がすべての主導権を握って何もかもをやるというのではなくて、ほかの人の観点も入れて、僕の作品と掛け合わせたものを今回は作りたかったんだ。インストの曲って、聞いた人によっていろんな解釈ができるというか、すごくオープンで、余白が残されている。聴いた人それぞれが各自の旅路、空間にハマっていけるみたいな自由度があるよね。今回はヴォーカルを入れることによって、ハンナというひとりの人間の体験と音楽とを掛け合わせている。これまではリスナーが、自分のストーリーを紡ぎ出したりしていたわけだけど、今回はハンナの物語というか、映画というか、彼女というひとりのキャラクターをとおして僕の音楽をみてもらう──これまでとはちょっとべつの見方をしてもらうためにこの作品をつくったんだよ。

つまり、シングル曲“Pink & Blue”のジェンダーをめぐる歌詞であったり、“Japan”の日本も、全部ハンナの体験ということですね。

SH:そう、ぜんぶ彼女が書いたもので、それは僕の見方や体験とはまったくちがうものなんだ。それじたいが美しくて素晴らしいことだと思う。彼女の世界観は僕では想像できないものだし、理解できないところもあるけど、僕の音楽と彼女の歌詞が新しい何か特別なものを生み出しているということじたいが素敵だなと思う。

僕のなかの記憶だったり懐かしい感じだったり、あとは失われた感じ、喪失感みたいなもの、そういう感情をたいせつにして創作のための活力にしているから、それが音楽にもあらわれているんだと思う。

ヴォーカルを入れるにあたって苦労した点は?

SH:いちばん難しかったのは、余白を見つけること、空間を見つけることだった。僕の曲はたくさんのレイヤーが多層に入っていていろんな要素があるから、難しいんだ。自分だけの音楽だと「じゃあここのシンセを下げよう」とか微調整できるんだけど、今回はヴォーカルがあるから、それをメインの要素として前面に出したいという思いがあった。その一方で、トラックのほかの音の要素、繊細なテクスチャーをどうやって引き出すかという、バランスの作業が難しかったね。

オートチューンだったり、あるいはスクリューのような声の使い方に関心はありますか?

SH:たしかにそういう加工には興味があるし、じっさい僕もときどきやるよ。1曲目の“Easy”では彼女の声を細かく刻んで加工している。これまで自分が作ってきたヴォーカルの曲もそういうふうにやってきたから、まったく抵抗はないね。僕はエフェクト、リヴァーブとかディレイは楽器みたいにして使いたいと思ってるから、ヴォーカルも同じように処理したいと思うんだけど、今回のヴォーカルにかんしては、彼女自身の声がすごく美しかったので、なるべくそこはシンプルにピュアに、誠実に彼女の声に近い感じで、あまりやりすぎないようにしたんだ。でもそういうことには興味はあるし、僕も実験しているよ。

3部作あたりから美しい残響、とくにギターの音の響かせ方がティコの音楽の最大の特徴になっていったと思っていて、イーノ=ラノワを思い起こす瞬間もあるのですが、ご自身としてはいかがでしょう?

SH:そのコメントはすごく嬉しいよ。僕は自分のことを巧みな楽器奏者だとは思ってなくて、プロデューサーという自覚のほうが強い。スタジオを楽器として使うとか、エフェクトを楽器として使うみたいなことをやっているから、もちろんメロディに感情を込めたいという思いもあるけど、音の響きとかテクスチャーとか、そういったものをいちばん大事にしてるんだ。だから音楽をつくるときも、最初からピアノでまるごとぜんぶ、ということはできなくて、ピアノをちょっとだけ弾いて、エフェクト、リヴァーブをかけたりして、そういうのを重ねることでおもしろい音になっていって、それにインスピレイションを受けてさらに作曲も続く──という感じでつくっているね。

ジョン・ホプキンスも思い浮かべました。

SH:彼とはじっさいに知り合いだよ。いい人で、コンテンポラリーな音楽をつくる人のなかでも優秀なひとりだと思ってる。

ティコの音楽は、初期の『Past Is Prologue』はいまよりもくぐもった感じ、ロウファイさがありましたけれど、作品を追うごとにサウンドがクリアになり、ハイファイになっていっている印象を受けます。

SH:たしかにそうだね。毎回もっと聴きやすい作品にしたいと思っている。たしかにロウファイに興味があった時期もあったね。あらあらしいというか、ざらざらしたような音が好きだったんだけど、よくよく考えてみたら、そのロウファイな音楽のなかで興味があったのは、ほんとうにひとつかふたつくらいの要素くらいしかなかったんだ。いまではもっとハイファイにしたいし、クリアな音にしたいと思っている。ハイファイのなかでも自分が好きな音の響き方であったりテクスチャーであったり、ロウファイなもののなかで好きな要素だけを残して、どんどんハイファイにしていきたいと思ってるよ。

今回はレーベルも変わって、〈Ninja Tune〉と〈Mom + Pop〉からの共同リリースというかたちになりました。

SH:以前のレーベルは〈Ghostly International〉だったね。彼らとは最初から一緒にやってきて、付き合いも長くて、すごく素晴らしかったんだけど、今回はそれとはちがうことをやりたかったんだ。〈Ninja Tune〉は僕が昔からすごく好きなレーベルで、オデッザやボノボもいるし、今回新しい作品をつくるにあたってちょっとこれまでとは異なる基盤というか、そういうものが欲しかったから変えたんだよ。

いまの〈Ninja Tune〉は90年代のころとはだいぶ音楽性が変わりましたけれど、やはりいまのオデッザやボノボの路線のほうが好き?

SH:いま〈Ninja Tune〉にはいろんなアーティストがいるし、その歴史も素晴らしいものだと思う。僕は95年ころに〈Ninja Tune〉のコンピレイションを買ったんだけど、それでエレクトロニック・ミュージックを初めて聴いたといっても過言ではないくらいで。それまで聴いてきたものとまったくちがったから衝撃的で、「これはなんだ!」って、すごくインスピレイションを受けたよ。昔からすごく好きだね。ただ、いまの〈Ninja Tune〉のほうが、自分のやっている音楽に近いかなという気持ちはある。昔の〈Ninja Tune〉のままだったら、いまの自分の音楽とは合わないかもしれないね。

ティコの音楽にはノスタルジーを感じさせる部分があります。それは意図したものでしょうか?

SH:意図的にというよりは、僕のなかの記憶だったり懐かしい感じだったり、あとは失われた感じ、喪失感みたいなもの、そういう感情をたいせつにして創作のための活力にしているから、それが音楽にもあらわれているんだと思う。たとえば過去を振り返ったりして、子どものときの記憶を思い出したり、幼いころに聴いた音とか、そういうものを思い出して音楽に使ったりしているので、それがノスタルジア、懐かしさみたいな感じで出ているんじゃないかな。

ティコが初期に影響を受けていたボーズ・オブ・カナダや、前作『Awake』のリミックス盤に参加していたビビオも、そういった感覚を呼び起こさせる音楽家ですけれど、あなたのノスタルジーは彼らのそれとは異なるものでしょうか?

SH:ボーズ・オブ・カナダは僕のいちばんのインスピレイションといっても過言ではないね。だいぶ前に彼らに会ったことがあって、そのときに彼らの音楽を聴いて、自分もこれをやりたい、こういう音がやりたい、音楽をはじめたいって思ったんだ。だからすごく影響を受けているよ。ただ、たしかにノスタルジーはあると思うけど、彼らのほうがダークな感じがあると思うね。もう手に届かない、もう戻れない、喪失感、そういった感覚は共通してあると思っている。僕とボーズ・オブ・カナダは歳も近いんだ。僕たちの世代にはそういう感覚を持っている人は多いんじゃないかな。

今回のアルバムのリミックス盤を作る予定はありますか? もし作るとしたら誰に依頼したいですか?

SH:じつはいまもういろんな人にリミックスを頼んでいて、それがどう仕上がるか、楽しみに待っているところなんだ。コム・トゥルーズクリストファー・ウィリッツ、ビビオは以前にもやってもらって、素晴らしいと思うから、またやってもらいたいな。

interview with Dai Fujikura - ele-king

 ときは2007年。それは偶然の巡り合いだった。もしあなたがクリストファー・ヤングの書いた評伝『デイヴィッド・シルヴィアン』を持っているなら、15章と16章を開いてみてほしい。ご存じシルヴィアンという稀代の音楽家と、若くして次々と国際的な賞を受け高い評価を得ていた新進気鋭の作曲家・藤倉大との出会いが鮮やかに──そして通常はコレボレイションと呼ばれる、しかしじっさいには互いの情熱をかけた音楽上の熾烈な闘いの様子が──じつにドラマティックに描き出されているはずだ。『Manafon』(2009年)とそれを再解釈した『Died In The Wool』(2011年)、あるいはそのあいだに発表されたコンピレイション『Sleepwalkers』収録の“Five Lines”(2010年)。それらがふたりの友情の出発点となった。
 クラシカルの分野で若くして才能を発揮──なんて聞くと、「さぞ裕福な家庭で英才教育を施されたエリートにちがいない」と思い込んで身構えてしまうかもしれないが、藤倉大はいわゆるエリーティシズムからは遠いところにいる。「じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない」と彼は笑う。「10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない」。そんな彼が少年時代に何よりも夢中になっていたのは、デイヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一だった。それが後年、じっさいに共作したり共演したりすることになるのだから、運命というのはわからない。
 ともあれ、音楽的なルーツがそこにあるからだろう、藤倉大の作品には、現代音楽にありがちな人を寄せつけない感じ、理論をわかる人だけが楽しめるあの閉じた感じが漂っていない。彼は近年、笹久保伸との共作『マナヤチャナ』を皮切りに、『世界にあてた私の手紙』『チャンス・モンスーン』『ダイヤモンド・ダスト』と立て続けに〈ソニー〉からソロ名義のアルバムをリリースしているが、そのどれもがアカデミックな堅苦しさとは距離を置いている。
 この6月に発売された新作『ざわざわ』もじつにエキサイティングなアルバムで、たとえば最初の3曲の声の使い方には、ふだんいわゆるエクスペ系の音楽を聴いているリスナーにとっても新鮮な驚きがあるだろうし、後半のコントラバスやホルンの曲も、最近エレクトロニック・ミュージックの分野で存在感を増してきているイーライ・ケスラーオリヴァー・コーツロンドン・コンテンポラリー・オーケストラあたりが気になっている音楽ファンにはぜひとも聴いてもらいたい楽曲だ。
 現代音楽の作曲家であるにもかかわらず、クラシカルについてはよく知らない──その不思議な経歴と背景に迫るべく、ロンドン在住の彼にスカイプでインタヴューを試みてみた。


じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない(笑)。10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない。

藤倉さんはロンドンのどのエリアにお住まいなのですか?

藤倉大(以下、藤倉):グリニッジほど遠くはないですが、南東のエリアです。たぶん昔、デヴィッド・シルヴィアンやジャパンのメンバーが高校に通っていて、バンドを結成したエリアじゃないかな。

それが理由でそのエリアを選んだというわけではなく?

藤倉:ちがいますね。たんに家賃が安いところを探して選びました。ここはもともとドラッグの売人とかが歩いているような治安の悪い、荒れた地域だったんですよ。それで家賃が安かったから、あえてここを選んで引っ越したのに、2012年のロンドン・オリンピックの影響で、電車とかがものすごく便利になってしまった。それで一気に家賃が高騰して、住んでいる人たちも変わりました。それでも僕がそこに住み続けられたのは、家主が牧師だったからなんです。大家から電話があるたびに、「人間として最悪の罪は欲望ですよね」と言って、そしたら向こうも「そのとおりだ」と言う。聖書にそう書いてあるわけですし、当たり前ですよね。それをずっと言い続けていたら、うちだけ家賃が上がらなかったんです(笑)。

すごい裏技ですね(笑)。

藤倉:そうでもしないと住み続けられなかった。その後、近くに引っ越したんですが、そこも信じられないくらい小さなところで、家の状態もよくなかった。だから高くなかったんです。ちなみにチェルシーはお金持ちが住むところなんですが、僕らが住んでいる地域もいまや「東のチェルシー」と呼ばれるくらいにまでなってしまいました。人種も変わりましたね。以前は白人があまりいなかったんですが、いまは白人やお金持ちの人たちばかりです。

お金のないアーティストたちが住めるような街ではなくなってしまった。

藤倉:そう。ただ、イギリスには不思議な制度があって、売れない画家を装っていても、じつはその両親がお金持ちというケースがあります。譲渡税というか、そういう税があまりかからないらしいんです。だから、親の稼ぎがあるとか、あるいは代々受け継がれてきた家があるとかで、画家としては売れていなくても、ふつうに生活できるんですよ。ここにはそういう人たちが多く住んでいますね。現代美術の画家のような、一見どうやって生きているんだろうと思うような人たちが、このエリアにたくさんスタジオを持っていたりする。たぶん家賃を払う必要がなかったり、親から譲ってもらった家を貸し出してそれで生活したりしている人も多いと思います。イギリスってそういう国なんです。大金持ちではなくても、財産を受け継いで生活できちゃう人たちが多い。
 ちなみに僕は日本人で、妻はブルガリア人なのですが、そういうふうにどちらも外国人だとかなり不利ですね。イギリスはふつうの家でも築100年とか200年とか経っていて、そんなぼろぼろの家でも高額で売れちゃう。そういうおじいちゃんやおばあちゃんの家を売って、孫の数で割って入ってきたお金を頭金にして、みんな20歳くらいでローンをはじめるんです。外国人にそれは難しい。だから、小林さんもイギリスの人にインタヴューする機会があると思いますけど、貧乏っぽく装っていてもけっこう良いところに住んでいたりするような人たちは、そういうことなんですよ。

なるほど。ちなみに、ロンドンへ渡ったのは10代のときですよね?

藤倉:留学するためにイギリスに渡ったのは15歳のときですが、そのときはロンドンではないんです。ドーヴァーの高校にひとりで入って、そこで3年間寮生活をして、ロンドンの大学に行った。ロンドンはそのときからですね。

クラシック音楽はヨーロッパ、大陸のイメージがありますが、イギリスに行ったほうが良い理由があったんでしょうか?

藤倉:ほんとうはヨーロッパに行きたかったんです。ドイツでクラシックをやりたいと言っていたんですけど、まずは英語を喋れるようになってから、そのあと大学でドイツに行くなりなんなりすればいいじゃないかと親に言われて、まずはイギリスに留学することになった。結果的にそのあとも住み続けているという流れですね。
 ちなみに、僕がまだ日本に住んでいたとき、子どものころに聴いていた音楽って、デヴィッド・シルヴィアンとか、坂本龍一さんだったんですよ。『未来派野郎』とか。おそらく僕より10くらい上の人たちがリアルタイムで聴いていたものだと思いますが、そういう音楽に中学生のときにハマって、ひとりで聴いていました。そのままイギリスに渡って、ドーヴァーのCD屋で作品を買い漁ったりして、いまの僕がある。だから、じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない(笑)。10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない。でもまわりにいるのはクラシックの方が多いから、ふだんこうやってインタヴューを受けるときも、デレク・ベイリーがどうだとかジョン・ハッセルのトランペットが良くてといった話ができなくて残念なんです(笑)。あとは映画音楽かな。ホラーの映画音楽が大好きだったので、中学生・高校生のころは聴きまくっていました。当時日本ではミスチルや小室哲哉が流行っていて、イギリスでは2 アンリミテッドとかもいましたけど、そういうのにはあまり興味がなかったな。当時のチャートに入るようなポップスっていまはもう聴いていられないですよね。でも、80年代のデヴィッド・シルヴィアンの『Gone To Earth』とかは、いま聴いてもものすごくミックスも編集も素晴らしいと思える。

デヴィッド・シルヴィアンとはその後じっさいに共作することになるわけですが、それはどういう経緯ではじまったのでしょう?

藤倉:もともと僕はたんなる彼のファンだったんです。作品はぜんぶ持っていましたね。その一方で、僕は大学2~3年生くらいから現代音楽の作曲コンクールとかで優勝するようになったんですけど、それはもともと賞金が目当てだったんですね。その賞金で家賃を払ったりしていた。僕は外国人だから働く時間が制限されていたというのもあり、賞に応募しまくってその賞金で生活していたんです。
 そうすると、BBCだとかオーケストラの人たちが僕の名前をよく見かけるようになって、それで僕の曲がラジオで流れるようになったりもして、演奏するようになったのが大学3年くらい。そういう感じでゆるやかにキャリアを積んでいったんですが、そんなときにすごくパワフルなおばさまに出会って、彼女が僕にチャンスを与えてくれた。そのおばさまが僕の作品を名門のロンドン・シンフォニエッタに送ったんです。
 そのころ、ロンドン・シンフォニエッタでビートボックスとオーケストラを融合させて曲を書くというプロジェクトの話が持ち上がった。そういうことに関心のある作曲家を探しているから、ワークショップに来てくれと連絡があって、それでそのワークショップに行ったんですけど、それじたいはぜんぜんおもしろくなかったんです。で、「行ってみた感想はどうだった?」と訊かれたので、素直に「つまらなかった」と伝えました。「そういうものよりも僕は、デヴィッド・シルヴィアンと一緒に何かをやるのが夢なんだ」って話したんです。
 そしたら、「デヴィッド・シルヴィアンなら来週オフィスに来るよ」と。それで彼と会うことになって、作品の交換をしたりしました。そのとき彼はちょうど『Manafon』の録音中だったんですが、僕が自分の音楽を送ると、ぜひ参加してほしいと言われて、そこから仲良くなりましたね。

きっかけは幸運な偶然だったんですね。

藤倉:そうですね。デヴィッド・シルヴィアンはめちゃくちゃプロフェッショナルで頑固で、自分が納得しない音楽は絶対に許せないという感じの人なんですが、僕も若かったので、彼のほうから誘ってもらったのに、自分が参加した音の使われ方に文句を言ったりしていたんです。なんて失礼なやつだと思いますが(笑)、でもデヴィッドも不思議な人で、投げやりな人だったりギャラを貰ったからやるというような人よりもむしろ、こだわりがあって譲らないような人のほうがいいみたいなんです。それで、口論したりもしましたが、いまも仲は良いですね。現代音楽の作曲家よりも彼のほうがずっと芸術家っぽいですよ。絶対に譲らないし。マスタリングが気にいらないとか、デヴィッド以外の人には聞こえないレヴェルでも。

その後、坂本龍一さんとも一緒にやられていますよね。それはどういう経緯で?

藤倉:坂本さんがロンドンでコンサートをする機会があったんですが、そのときはチケットを買い逃してしまったんですよ。それで完売しちゃったという話をデヴィッド・シルヴィアンにしたら、どうも彼が僕を紹介するメールを坂本さんに送ってくれたようなんです。あとで坂本さんから、すごく美しいメールだったと聞きました。それでそのコンサートに行けることになり、知り合うことになりましたね。
 ちなみに僕は坂本さんの音楽を聴きまくっていたので、日本のアルバムと海外のアルバムとでマスタリングのバランスが違ったりするんですが、知り合いになってからそれを指摘すると、「たしかに違うはずだ」と。「そこまで聴かれているんだ」と驚かれました。「あそことあそこのピアノの音がちょっとだけちがいますよね」みたいな話をしたら、「それはエンジニアが変わったからだ」とか。デヴィッド・シルヴィアンとおなじで、もともとそういうふうなたんなる聴き手だったので、まさか一緒に仕事をできるとは思っていませんでしたね。

作曲コンクールとかで優勝するようになったんですけど、それはもともと賞金が目当てだったんですね。その賞金で家賃を払ったりしていた。僕は外国人だから働く時間が制限されていたというのもあり、賞に応募しまくってその賞金で生活していたんです。

先ほど少しロンドン・シンフォニエッタのお話が出ましたけれど、彼らは〈Warp〉の作品を演奏したことがあって、テクノの文脈とも関わりがあるんですが、藤倉さんの作品もよくとりあげていますよね。

藤倉:昔はそうでしたね。24歳か25歳くらいのころ、僕は大学院生で、そのときにデヴィッド・シルヴィアンに引き合わせてくれたのとおなじ方から、「メンターをつけて進めていく新しいプロジェクトをするんだけど、ダイはつきたい先生はいるか?」と訊かれたんです。それで、せっかくだから手の届かない人の名前を言ってみようと思って、そのときハマっていたペーテル・エトヴェシュという有名な指揮者であり作曲家の名前を挙げたんです。そしたら、一応聞くだけ聞いてみるね、ということになった。
 すると、そのペーテル・エトヴェシュから、「楽譜と音源を送ってくれ」というメールが届いたんです。次にイギリスに行くのは8か月後になるが、そのとき20分だけロンドンのスタジオでレッスンをしてもいい、と。彼は超スーパースターだから、こちらはもう棚からぼた餅のような感じで、言われるままに楽譜と音源を送りました。そしたらそれ以降、奇妙なメールが届くようになったんです。スイスやドイツ、フランス、オーストリアから、ときには添付ファイルしかないような怪しげなメールが送られてくるようになって、これ絶対ウイルスだろうと思いながら開封してみると、どれも「ペーテル・エトヴェシュがあなたのことを知れと言っているが、君はいったい何者なんだ」というような内容で。名門オケからのメールだったんです。とにかく楽譜や音源を送ってくれ、と。それで、まだデータでやりとりする時代ではなかったので、郵送でCD-Rを送ったりしましたね。
 そうすると、運がいいことに「この作品を演奏したい」とか「一緒に新作をつくりたいのでベルリンに来てほしい」とかいう話になって。ルツェルン音楽祭のブーレーズのプロジェクトに応募したのもそれがきっかけでした。それからもロンドン・シンフォニエッタとも仕事はしましたが、ヨーロッパのプロジェクトが多くなっていって、イギリスは減っていきましたね。

こうしてあとから話を伺うと、ものすごくとんとん拍子のように聞こえますね。

藤倉:僕にとって嬉しかったのは、人柄を気に入ってもらって紹介されたのではなかったというところですね。あくまで曲を聴いて判断してもらった。ロンドン・シンフォニエッタとの関係もそうです。大学2年の年末テストのときに、大学とは関係のない外部から審査員としてロンドン・シンフォニエッタのメンバーの方が来たんですが、面接のまえに先に作品を聴かせるんですね。それでいざ面接のときにその人が、テストのことなんか忘れてしまって、「この楽譜を持って返ってもいいか」と言い出して。その横では、僕の先生がニコニコ笑っている。
そして次のシーズンが発表されたときには僕の作品がプログラムされていました。そんな感じで関係がはじまりました。それが大学生2年生のときですから、シルヴィアンと会うのはもっとそのあとですね、20代後半か30歳くらいのころ。

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デヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一さん、ペーテル・エトヴェシュとブーレーズ、この4人が僕にとっていちばん重要な人たちです。その4人全員に会えたというのはすごいことでした。僕の人生の財産ですね。

ブーレーズの名前も出ましたが、晩年の彼とも親しかったんですよね。

藤倉:それもペーテル・エトヴェシュが僕の話をしてくれたおかげですね。スイスのルツェルン音楽祭が若い作曲家を探していて、推薦された大勢の作曲家のなかから何人かを選ぶという流れでした。さらにそのなかからブーレーズ本人がふたりを選んで、そのふたりの作品を2年後の同音楽祭でブーレーズが指揮をする、というプロジェクトです。それでルツェルン側から「君が誰だかは知らないけれど、エトヴェシュから名前が挙がっているので応募してくれ」と言われて、そのとおり応募しました。オーケストラの作品をふたつ送らなければならなかったんですが、クラシックの世界ではオーケストラ作品が演奏されるというのはすごく大変なことなんです。4人のバンドで弾くのであれば4人集めればいいわけですけど、80人のオーケストラに曲を弾かせるというのはそうとうなことがないとできない。しかも若い作曲家にはぜんぜんチャンスもないから、貴重な体験でした。それで僕は最後のふたりまで残ることができたので、そのとき初めてブーレーズに会ったんです。もともと僕は彼のただのファンだったんですが、それから2年後のルツェルン音楽祭で自分の作品がブーレーズ指揮のもと演奏されることになって、そこからかなり親しくなりました。28歳のときですね。
 彼はすごく厳しい人として知られていますが、じっさいに会うとぜんぜんそんなことはなくて、ニコッとして「ミスター・フジクラ」とか「ダイ」って呼ぶときもあるし、ほんとうにふつうに接してくれた。この後、もう1曲指揮してくれたこともありましたし、もっと僕の作品を指揮する予定もあったんですが、そのころから体調が悪くなってしまったので、残念ながらそれはなくなって、彼も観客として見守るみたいな感じで、僕の作品が演奏されるときにはブーレーズが観客にいたりしたしたことはけっこう何回もありましたね。当時もう85歳くらいでしたからね。

すごく出会いに恵まれていますよね。

藤倉:デヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一さん、ペーテル・エトヴェシュとブーレーズ、この4人が僕にとっていちばん重要な人たちなんです。じっさいに会うかはべつにしても、この4人から学んだことはすごく大きかった。ずっと彼らの作品を聴いて学んできたので、その4人全員に会えたというのはすごいことでした。しかも、みんな長く関係を続けてくださっている。たとえばペーテル・エトヴェシュは去年、僕の作品の世界初演をやってくれたんですが、そんな感じで10年以上経ったいまも良い関係で、それは僕の人生の財産ですね。お金では買えないですから。

2年前には《ボンクリ・フェス》という音楽フェスを起ち上げていますが、そのとき大友良英さんの曲も取り上げていますよね。

藤倉:今年もやりますよ! 今年の《ボンクリ・フェス》は9月28日です。大友良英さんも出ます。坂本龍一さんの日本初演もあります。「デヴィッド・シルヴィアンの部屋」というのもあります。そこでは、《ボンクリ》のためだけにデヴィッド・シルヴィアンが作業してくれた作品も発表するので、ぜひエレキングの読者の方がたにも来てほしいですね。しかも1日3000円ですから(※《ボンクリ・フェス》の詳細はこちらから)。

大友さんの良いところは?

藤倉:もう僕はたんなるファンですね。大友さんもデヴィッド・シルヴィアンの『Manafon』に参加していて、「キュイーン!」みたいな音ばかりの大友さんのトラックがたくさんあったんですよ。僕がそれを加工させていただくことになって。シルヴィアンからも、大友さんがいかに素晴らしい人かという話も聞いていましたし。デヴィッド・シルヴィアンは誰でも褒めるような人ではないですから、彼が言うならそうとうすごい方だろうと思って、じっさいそのあとに出た水木しげる原作のNHKのドラマの音楽なんかもすごく良かったですし、そうこうしているうちに大友さんからSNSでフレンド申請が来て、それですぐに《ボンクリ・フェス》のお話をさせていただいて。出演してもらうなんてめっそうもない話だから、「演奏させていただける曲はありますか」ってお尋ねしたんですが、そしたら新曲をつくってくださり、出演までしてくださることになって。それが1年目ですね。それで去年も出てくださって、今年も出ていただくことになった。
 でも大友さんは、毎回、どういう音楽になるか前日までわからないと言うんです。譜面をほとんど書かずに、リハーサルを1時間半くらいやって決めて、音楽を作っていくというやり方は、僕みたいに何ヶ月も時間をかけて楽譜にしている立場からするとうらやましいですね。僕もああいうふうに曲ができたらいいのになっていう憧れがあります。

まだ《ボンクリ》には出演していない人で、今後出てほしい方、何か一緒にできたらいいなと思う方はいますか?

藤倉:〈ECM〉から出している(ティグラン・)ハマシアンですね。僕はとにかく熱狂的な彼のファンなんです。彼のアルバムも好きでよく聴いています。

彼はほんとうに試行錯誤して、デザインから何からすべて、隅から隅までこだわる。それをみて、「やっぱりアルバムを作るというのはこういうことだな」というのがわかった。中身は妥協できない。そういう姿勢はデヴィッド・シルヴィアンから学びましたね。

新作の『ざわざわ』についてお尋ねします。再生して最初がいきなり強烈な“きいて”だったので、驚きました。続く“ざわざわ”や“さわさわ”も声を効果的に用いていますし、今回「声」にフォーカスするという、テーマのようなものがあったのでしょうか?

藤倉:それはぜんぜんなくて。僕は基本的に、リリースできる音源が集まったら出すというかたちでやっているので、とくに今回「声」にしようというテーマがあったわけではないんです。日本では〈ソニー〉から出ていますが、もともとは自分でやっているレーベルの〈Minabel〉から出していて。それで、僕は貧乏性なのか、CDを1枚出すのにもいろいろと費用がかかりますから、いつも、出すならぎゅうぎゅうに詰め込んで出そうと思っていて。なので今回も70分以上あるはずです。それでたまたま集まったものに声の作品が多かったというだけの話ですね。ただ、曲の並べ方は毎回かなり悩みますよ。あと、僕はマスタリングも自分でやっているんですが、それもすごくチャレンジですね。たとえば“きいて”なんかはいじりまくっています。モノラルみたいな感じではじめて、途中から広げたり。

ご自身で編集やミックス、マスタリングまでこなすのは、そこまでやってこその音楽家だ、というような矜持があるんでしょうか?

藤倉:人に任せるとお金を払わなきゃいけないというのもありますね。しかも、お金を払わなきゃいけないわりには、僕が納得するマスタリングとかミックスだったことはほとんどなくて。なので、よく素材だけもらって、僕なりにミックスして、友だちのアーティストに送ったりするんですが、そういうときも「こっちのほうがいいじゃん」と言われることが多い。だから何十時間という時間をかけて自分でやるほうが、金銭的にも気分的にもいいなと思っているんです。僕はサウンドエンジニアとかプロデューサーの友だちがけっこう多いんですけど、みんな親切で、丁寧にいろいろ教えてくれるんです。それでどんどん上達したと思います。今回は冒頭が“きいて”で、そこから“ざわざわ”に移るので、最初は眉間の部分を小突く感じではじまって、“ざわざわ”でうわっと世界が広がるという感じかな、とか考えてやっていましたね。あと、僕の場合ライヴ録音がほとんどなので、(オーディエンスの)咳をとり除いたりするのには時間がかかりますね。

“きいて”は小林沙羅さんの息継ぎ、ブレス音も絶妙で。

藤倉:ちゃんと残っていましたよね? あまりにもなくしちゃうと変になっちゃうから。小林沙羅さんはいわゆる正統派のオペラ歌手なんですが、それをこういうふうに遊びで、ちょっとグロテスクな曲にしてしまう。ひどいですよね(笑)。彼女から委嘱されたのに。でも、そういう曲を書いたり変なミックスをしても沙羅さんはおもしろいと言ってくれるんですよ。そういうところが一流のアーティストはちがいますよね。ふつうは守りに入りますから。彼女は気に入ってくれたみたいで、いろんなところで歌ってくれているそうです。しかも毎回ちがう演出らしい。そういうふうにおもしろがってくれるのは、ホルンの福川伸陽さんもそうなんですよ。ホルンで曲を書いてくださいと言われたんですが、じつは僕はホルンが嫌いなので、ホルンっぽくない音を探しましょう、と。これも失礼な話ですよね。でも彼もそれをおもしろがってくれて、何曲も委嘱してくださって。それで“ゆらゆら”という、最初から最後までホルンの変な音が鳴り響く曲ができた。

まさに“ゆらゆら”は音響的におもしろい曲だと思いました。

藤倉:ふつうではない奏法なので。ふつうのホルンのサウンドは嫌ですから。

そして、その前後にはコントラバスのこれまた変な曲(“BIS”、“ES”)が並んでいて。

藤倉:弾いている佐藤洋嗣さんもおもしろいことをやるのがお好きな方で。アンサンブル・ノマドの佐藤紀雄さんのご子息なんですが、アルバム後半のこのあたりの曲は僕が自分でマイクを立てて録っているんですよ。

レコーディング・エンジニアのようなこともされているんですね。

藤倉:でもやり方を知らないから、ぜんぶ見よう見真似です。前のアルバム『ダイヤモンド・ダスト』でヴィクトリア・ムローヴァさんというめちゃくちゃ有名なヴァイオリニストの方に参加してもらったんですが、そのときも彼女の家までマイクを持っていって、自分で録音したんです。6チャンネルで録ったんですけど、そのうちのふたつはムローヴァさんの旦那さんが良いマイクを持っていたのでお借りして。でもヴァイオリンを録るときのマイクの立て方がわからない。そしたらムローヴァさんが、彼女は小さいころからレコーディングしているから、「ふつうはもうちょっと上だね」とか教えてくれる。そういう感じで録っていきましたね。時間があればエンジニアリングも習いたいです。

そういうチャレンジ精神は何に由来するのでしょう?

藤倉:僕の最初のアルバム『Secret Forest』は、芸術のために活動しているイギリスの小さな〈NMC〉というレーベルから出たんです。そこはすごく良心的な現代音楽をやっているところで、売るためにやっているわけではない。そこから出すことになったときに、デヴィッド・シルヴィアンのアルバムのつくり方をずっとみていたんですよ。彼はほんとうに試行錯誤して、デザインから何からすべて、隅から隅までこだわる。それをみて、「やっぱりアルバムを作るというのはこういうことだな」というのがわかった。それで自分のレーベルもはじめようと思いましたし。隅から隅までやって、「これだ」と思えるものしか出さない。ちなみに僕の場合は、助成金とかをもらって作っているわけではないので、ぜんぶ自分の生活費から出ています。いま借りている家には3人で暮らしているんですが、寝室がふたつなんです。仕事するのに自分の部屋がないんですよ。こんなアルバムを出していなかったら、もう一部屋借りられていたかもしれない。それでも出したいということですよね。ほかの人が聴いてくれるかどうかはわからないけど、中身は妥協できない。そういう姿勢はデヴィッド・シルヴィアンから学びましたね。それだけこだわったアルバムなら、好き嫌いはべつにして、出す価値があるって。1トラックに20時間かけるなんてどう考えてもバカじゃないですか(笑)。妻は元音楽家なので耳が良いんですけど、その妻も「そんなもの誰も聴かないんだからもういいじゃん」「でもその音、狂っているよね」とか言って部屋を去っていきます(笑)。

職人ですよね。

藤倉:やっぱりアルバムを作っていると、最後のほうはもう精神病棟に行かないといけないんじゃないか、というくらいになっちゃいますよ。以前、チェロ協奏曲の作業をしていたときに、チェロってそもそも弓が弦に擦れて音が出るものなのに、そのこすれる音が気になりはじめちゃったりして。でもそのこする音がなかったら、それこそサンプラーのチェロみたいな音になっちゃう。そういう感じで、編集とかミックスをしているととまらなくなるんですよね。だから、どこでとめるかというのが問題ですね。

では最後に、ふだんテクノを聴いているような人におすすめの、現代音楽やクラシカルの作品、あるいは演奏家を教えてください。

藤倉:悩みますね。ポーリン・オリヴェロスのディープ・リスニングはどうでしょう。


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