「IO」と一致するもの

Blawan - ele-king

 コロナ禍に入ってからのシングルがほぼすべて当たりだったベース系インダストリアル・テクノのブラワンことジェイミー・ロバーツによるセカンド・アルバム。タイトルは「病気になるための秘薬」とでも解すればいいのか、ボルヘスやトム・ロビンズの魔術的な小説みたいで、作品に迷い込む気を満々にさせる。ブラワンのダンス・ミュージックはいつも人間性のダークな面に焦点が当てられる。ファニーな側面はもちろんあるけれど、不必要にハッピーであった試しはない。13年前に彼の名を一躍有名にした“どうして僕のガレージに死体を隠すんだよ?(Why They Hide Their Bodies Under My Garage?)”も、母親のフェイヴァリットだったというフージーズの“How Many Mics”から「部隊を殲滅させて死体をガレージの下に隠すんだ」と軽くトーンを上げてラップされる歌詞に愚直なアンサーを返したもので、人間の不可解な行動を誇張して示すことに成功し、ジェフ・ミルズからスキルレックスまでノン・ジャンルでヘヴィープレイされる結果となった。くだらないベースラインの氾濫で多幸感に支配されたダンスフロアに異質な感触を持ち込むのがブラワンであり、『SickElixir』には“心配しないで、僕たちは幸せだよ(Don’t Worry We Happy)”と、ダークサイドに興味を持つ人々を否定しようとする動きにもあらかじめ楔は打たれている。ブラワンという名義はちなみにジャワ・コーヒーの銘柄で、ダンフロアに苦味を注ぎ込むのがロバーツの役割ということだろう。

 7年前に闇の中を突っ走っていくようなデビュー・アルバム『Wet Will Always Dry』でシンプルな力強さを見せたロバーツは(最近だと“Caterpillar”が素晴らしかった)パーリア(Pariah)ことアーサー・ケイザーと組んだカレン(Karenn)名義のジョイント・アルバム『Grapefruit Regret』(19)でテクノ以外の要素をすべて削ぎ落としたことが裏目に出たとしか思えず、無限に思えたポテンシャルももはや尽きたかと思われたものの、ソロでは再びダブステップやウォンキーのようなテクノ以外の要素も回復させ、『SickElixir』ではついに別人のような風格を伴って堂々たるリターンを果たしている。ケイザーとはその後も〈Thrill Jockey〉からパーシャー(Persher)名義でメタル系のアルバムを立て続けにリリースしていて、『SickElixir』にはあからさまにそのフィードバックも感じ取れる。最も特徴的なのはハード・ドラムの多用で、バーミンガム・サウンドと称されるイギリス流のポスト・インダストリアルがベース・ミュージックに埋め込まれた様は、それこそバーミンガム・サウンドを代表するサージョンがヒップホップをやっているように聞こえたりと、アグレッシヴな破壊衝動がダンス・ミュージックのフォーマットにがっちりと畳み込まれている。この4年間にリリースされた「Soft Waahls EP」「Woke Up Right Handed」「Dismantled Into Juice」といったEPはいずれも野心的で発想も多岐に渡っているのはさすがで、とくに「Bou Q」は素晴らしいのひと言だけれど、『SickElixir』に詰め込まれた曲の数々はそれらとも一線を画す強度があり、それこそリスナーを病気にしてやるという熱量が全編に漲っている。ここ数年、批評に熱量を求める声が高まっていて、論破を忌避する人たちがよりにもよって精神論に回帰していく感じはなんだかなーと思うのだけれど、音楽自体に熱量が宿ることはもちろん素晴らしいことである。

 基本的にはイーブン・キックだった『Wet Will Always Dry』とは異なり、『SickElixir』の基調をなしているのは広義のブレイクビーツ。全体にザ・バグがキャバレー・ヴォルテールをブラッシュ・アップさせたような響きに満ち、ディスコやハウスと出会ったインダストリアル・ミュージックがダンスフロアに感じた可能性や初期衝動を再燃させているかのよう。曲の長さも平均で3分ちょいと『Wet will always dry』の半分ぐらいになり、酩酊感よりもイメージの喚起が優先されている。BPM90~110に収まる曲が多く、これに80や130で緩急をつけ、アルバム全体の展開も迷宮的な構成を助長している(“Birf Song”はヘン過ぎてBPMがとれない)。何度聴いても頭にスヌープの“Drop It Like It's Hot”が浮かんでくる“NOS”や、空中分解したUKガラージを無理やり曲として成立させている“Creature Brigade”など、多種多様な曲のどれもが印象的で、好きな曲は人それぞれに異なることだろう。ノイズがねっとりと絡みつく“Sonkind”もクセになるし、アシッドヘッドには“Rabbit Hole”がたまらないことでしょう。今年はエレクトロが奇妙な変化を遂げた年で、その動きに反応したらしき“Style Teef”はシェレルばりにBPM160で展開される高速エレクトロ。リック・ジェイムズやMCハマーがてんてこ舞いで回転している姿が目に浮かぶ。

 実は、この夏に〈Planet Mu〉からリリースされたスリックバックのデビュー・アルバムに多大な期待を寄せていた。オフィシャルでは初となるアルバムであり、なによりも〈Planet Mu〉にレーベルを定めたという安心感もあったのだけれど、この5年間にアンフィシャルで8枚ものアルバムをリリースしてきたことが裏目に出たとしか思えず、皮肉なことに『Attrition(消耗)』と題されたアルバムは確かに疲れを感じさせるものがあり、〈Nyege Nyege〉から頭角を現してきた時のスリリングな響きには遠く及ばないものを感じてしまった。『消耗』というタイトルは、実際にはケニアからポーランドへ移住する際に、1年間にわたって国境付近で待機させられたことに由来し、音楽性と直接結びつくことではないらしいのだけれど、どうしてもこの5年間にやってきたことが悪い意味で投影されているタイトルだという印象を受けざるを得なかった。そこに、等しくデコンストラクテッド・クラブの要素としてハードコアやポスト・インダストリアルを取り入れた『SickElixir』が届けられたことで、肩透かしに終わってしまったスリックバックに対する期待感は見事なほどレスキューされてしまった。しかも、UKベースの文脈にポスト・インダストリアルを取り入れる手際がより巧みであり、ハードコアやポスト・インダストリアルといった荒々しいモードを現在の文脈で活性化させるにはこれ以上はないと思うほど『SickElixir』はよくできていると思う(もちろん、スリックバックにもまだまだ期待はしたい。それにしてもケニアからポーランドへと、どうして2次大戦中にナチスが支配していた国を渡り歩こうと思ったのだろう?)。

10月のジャズ - ele-king

Ruby Rushton
Legacy!

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 テンダーロニアスことエド・コーソーン率いるルビー・ラシュトンは2010年代初頭より活動しているが、当初はジャズにヒップホップやビートダウンなどの要素も交え、生演奏にエレクトロニクスも融合したグループだった。当時はメンバーも流動的なところがあり、テンダーロニアスのアイデアを具現化するプロジェクト的な色彩が強かったのだが、アルバムやライヴを重ねるにつれてグループを精査していき、2019年の『Ironside』ではテンダーロニアス(フルート、サックス、パーカッションほか)以下、ニック・ウォルターズ(トランペット、パーカッション)、エイダン・シェパード(フェンダー・ローズ、ピアノ、シンセほか)、ティム・カーネギー(ドラムス)に固定され、ジャズ・バンドとしての姿を完成させた。楽曲もクラブ・サウンド的なアプローチは後退し、より純粋なジャズ・ファンク、モーダル・ジャズ、スピリチュアル・ジャズなどの即興的な演奏が強まっていった。その後、グループとしてシングルやEPのリリースはあったが、テンダーロニアスとしての数々のプロジェクトが忙しかったり、ニック・ウォルターズもパラドックス・アンサンブルやソロ活動があったりで、ルビー・ラシュトンとしてのアルバムはしばらくお預けとなっていた。そうして6年の歳月が経過したが、ここにようやくニュー・アルバム『Legacy!』が完成した。

 ファースト・アルバムの『Two For Joy』のレコーディングから14年が経過した2025年初頭、英国ケント州にあるスタジオで4日間に渡って集中的にレコーディングされた。オーヴァーダビングを排した一発録音を基本とするルビー・ラシュトンだが、今回はテンダーロニアスとエイダン・シェパードが作曲した楽曲をメンバーで演奏し、それらのライヴ・テイクの上にホーンとフルートのメロディを重ね、最終的にテンダーロニアスによるスタジオ・ワークを交えて完成させている。“Charlie’s Way” は滑らかなエレピの上をピッコロが舞うムーディーな出だしから、6/8拍のアフロ風味のジャズ・サンバへと変化していく。“Walk to Regio’s” もモーダルな7/8拍のナンバーで、ルビー・ラシュトンにはこうした変拍子の作品が多い点が特徴的だ。“The Lighthouse” も3拍子のジャズ・ワルツで、エモーショナルなテナー・サックスもフィーチャーされたスピリチュアルなムードの作品。チップ・ウィッカムにも通じるタイプの作品でもあるが、1960年代後半から1970年代のヨーロッパに見られる硬質で洗練されたムードのジャズに近い。テンダーロニアスとチップ・ウィッカムには影響を受けたジャズ・ミュージシャンや作品に共通するところがあるのだろう。


Alfa Mist
Roulette

Sekito

 2025年のアルファ・ミストは非常に精力的に活動していて、リチャード・スペイヴンとのユニットである44th Move(フォーティーフォース・ムーヴ)のアルバム『Anthem』を春にリリースし、そして秋には新作の『Roulette』をリリースした。彼は昨年弦楽四重奏のアミカ・カルテットと共演した『Recurring』というライヴ・アルバムをリリースしているが、スタジオ録音盤としては2023年の『Variables』以来の作品集となる。『Variables』は「無限の可能性」をテーマとしており、自身が興味を持つさまざまな音やアートを具現化したものとなっていた。それ以外にもメンタル・ヘルス、家族コミュニティ、議論文化、個人的な成長など内面や精神にかかわることが、これまでの彼の作品のテーマや手掛かりとなってきた。今回は「輪廻転生」がテーマになっていて、夢の世界と前世を繋ぐものが輪廻転生であり、近未来へと想像を巡らせる旅がアルバムの底辺に流れている。参加ミュージシャンは長年のコラボレーターであるカヤ・トーマス・ダイク(ベース、ヴォーカル)に、ジェイミー・リーミング(ギター)、ジョニー・ウッドハム(トランペット、フリューゲルホーン)、サミュエル・ラプリー(サックス、バス・クラリネット)、ペギー・ノートン(チェロ)など、『Variables』にも参加していた面々が中心となる。そのほかゲストでアメリカからラッパーのホームボーイ・サンドマンと、2000年代からクラブ・シーンを中心に活動するソウル・シンガーで、シネマティック・オーケストラにも参加してきたタウィアがフィーチャーされる。

 テーマである「輪廻転生」を曲名とした “Reincarnation” は、ホームボーイ・サンドマンのラップをフィーチャー。楽曲自体は重厚なストリングスを用いた深みのある作品で、ホームボーイ・サンドマンの理知的なラップともうまくマッチしている。アルファ・ミストらしいジャズとヒップホップの融合で、彼がデビューの頃から一貫してやっているスタイルと言える。“All Time” はタウィアをフィーチャーし、ギターがダークでメランコリックな雰囲気を奏でる。こうした繊細でフォーキーな質感の楽曲もまたアルファ・ミストらしいもので、内省的なテーマの作品にぴったりである。“From East” はダビーでコズミックな質感のインスト曲で、エレピ、ドラムス、ギター、トランペット、サックスのインタープレイもディープで幻想的な世界を繰り広げる。ジョー・アーモン・ジョーンズなどと並び、いまのロンドンらしい現代ジャズと言えるだろう。


Matt Wilde
Find A Way

Hello World

 マット・ワイルドはマンチェスター出身のキーボード奏者/プロデューサーで、2021年頃から作品リリースを続けている。DJ/ビートメイカーからキャリアを始め、J・ディラマッドリブ、ピート・ロックなどの影響を受け、J・ディラがマイルス・デイヴィスをサンプリングしていたことからジャズそのものにも興味を持つようになった。そのJ・ディラへのトリビュートである “Dilla Impressed Me” という作品もリリースしているが、トロンボーン奏者のロージー・タートンなどジャズ・ミュージシャンと共演し、単なるビートメイカーではないピアニストへと成長を遂げている。こうしたDJ/ビートメイカーからミュージシャンになった人はアルファ・ミスト、テンダーロニアスなどいろいろいるが、マット・ワイルドは edbl やアメリカのキーファーあたりに近いタイプのミュージシャンで、ヒップホップと親密な結びつきを持っている。ファースト・アルバムは2023年の『Hello World』で、ジョー・ラッキン(ドラムス)、オスカー・オグデン(ドラムス)、スタン・スコット(ベース)、ナッティ・リーヴズ(ギター)、アーロン・ウッド(トランペット)などさまざまなミュージシャンたちとコラボしている。ヒップホップのビートを咀嚼したリズム・セクションに、マット・ワイルドによるメロウなエレピやホーンなどのフレーズを差し込み、生演奏とプログラミングやサンプリングを極めて精巧に融和している。

 新作の『Find a Way』はファースト・アルバムの名前をレーベル名にした自主レーベルからのリリース。今回は参加ミュージシャンを絞り、スタン・スコット、アーロン・ウッドと、一部オスカー・オグデンのドラムス・パターンを借用している。マット自身はキーボード演奏とドラム・プログラミングをおこない、複雑にプログラムされたドラムの上にピアノ、ベース、トランペットを重ねて全体構築している。『Hello World』をよりコンパクトにした形であるが、ヒップホップ色の濃かった前作よりサウンドの幅は広がっている。“It’s OK, Feel It” はブロークンビーツ的なビートで、ロニー・リストン・スミスやアジムスを想起させる1970年代フュージョンのエッセンスに包まれる。“Yellow Days” や “Everyday Words” もジャズ・ファンクとブロークンビーツをミックスしたような楽曲で、透明感に溢れたマットのピアノが印象的。“Windup” は変拍子によるミステリアスなムードで、ルビー・ラシュトンあたりに近い作品と言える。“Smile Today” はメロウなテイストの重厚なジャズ・ファンクだが、ビートの作り方など非常に凝ったものである。


Glass Museum
4N4LOG CITY

Sdban Ultra

 グラス・ミュージアムはベルギーのブリュッセルを拠点とするユニットで、2016年にアントワーヌ・フリポ(ピアノ)、マルタン・グレゴワール(ドラムス)によって結成された。方向性としてはゴーゴー・ペンギンに近く、コンテンポラリー・ジャズにテクノなどエレクトリック・サウンドやクラブ・サウンドのアプローチをミックスしている。これまでアルバムは『Deux』(2018年)、『Reykjavik』(2020年)、『Reflet』(2022年)とリリースしていて、『Deux』では一部にトランペット奏者を加えた作品もあったが、基本的にふたりのコンビネーションで楽曲を作ってきた。そして、新作の『4N4LOG CITY』では新たにサポート・ベーシストのブリュー・アンジュノを加えたトリオとなっている(ただ、アルバム・レコーディング後に正式なベーシストとしてイッサム・ラベンが加入し、現在はこの3名でライヴなどを行っている模様)。ほかにサックスやシンガーも加え、いままでに比べてより多彩な表現が可能となった。また、スイスのドラマー/作曲家/プロデューサーであるアーサー・フナテックとのコラボから始まって “Gate 1” という楽曲も作るなど、外部との交流や広がりが見られるアルバムだ。

 その “Gate 1” は電子音の反復によるミニマルな始まりから、パワフルなビートが前進していくテクノとジャズ・ファンクが融合したような楽曲。クラークフランチェスコ・トリスターノが共演したようなイメージというか、グラス・ミュージアムとしてもこれまで以上にエレクトリック・サウンドに振り切ったサウンドである。“Rewind” はドラムンベース的なビートを持つナンバーで、途中で半分のテンポのジャズ・ファンクへと変わる。ゴーゴー・ペンギンに近いイメージのエレクトロニック・ジャズだ。“Call Me Names” は新進気鋭のヴォーカリストである JDs を起用しているが、彼の歌声はスペイセックを思わせるソウルフルなもの。そして、少しレゲエ・シンガー風のアクセントを持っていて、ナイトメアズ・オン・ワックスのような独特のスモーキーな風味を出すナンバーとなっている。いままでの路線のジャズ的なナンバーとは異なるが、グラス・ミュージアムの新しい魅力を引き出す作品となっている。

 Hello Hello! hey hey! はろはろ! へいへい!
 今月からこの連載を書かせていただくことになりました、DJのheykazmaですッ!!

 普段は東京で高校一年生をかましつつ、experimentalを軸に、TechnoやHouse系のDJをしたり、ギャルマインド満載なトラックを作ったり、モデルをしたり、パーティを主催したり、遊びに行ったり……。アーティストとして、学業の傍ら、楽しく活動しています。

https://lit.link/heykazma

 この連載では、ワタクシことheyが制作した音源の話や、最近聴いてムネアツな音楽、日常のワラえることなど、みなさんと共有したいものをひたすら書いていく予定(キリッッッ)。ゆる〜く読んでもらえたら嬉しいhey!

 hey的にお気に入りのheyの現在地的なDJ Mixはこちら! 1億回聴いておくんなまし〜

 初回のテーマは……10/1にU/M/A/AからリリースされたRemix EP「Happy Halloween Remixes 2025 Curated by heykazma」について。
 この作品は、毎年10月になるとSNSでよく耳にするハロウィンソング定番曲!再生数がマジでヤバいJunkyさんのボカロ楽曲『Happy Halloween』をテーマに、heyがキュレーションを担当したEPです!

Junky- Happy Halloween (heykazma Remix)

 このお話をいただいたきっかけは、「Happy Halloween」の原曲をリリースしたレーベルのみなさんが、私が主催しているパーティ「yuu.ten」に遊びに来てくれちゃったことでした(感謝!!♡)

 「yuu.ten」は、2024年からスタートした“音に溶ける”をコンセプトにしたダンスパーティ\(^o^)/

 初回となるvol.1は、地元・仙台で愛しているお店「ファシュタ -Första-」で開催したの。東京から、普段一緒にユニットを組んだりしているマヴ・北村蕗をゲストに迎え、2人会をやっちゃいましたよ。

 そして、6月20日に開催したvol.2は下北沢SPREADにて。LIVE、DJ、アートパフォーマンス、似顔絵ワークショップなど、私の“好き”と“友人”をぎゅっと詰め込んだ内容に(((o(*゚▽゚*)o)))♡

 会場は満員で、来てくれたまゔたちからも「こんなイベント待ってた!」と言ってもらえて、本当に嬉しい夜だったよん˚ˑ༄

 後日、「heyちゃんにお願いしたいことがあったんだよね!」と、今回のリミックスEPの企画のお話をレーベルの方からいただきました。すごく光栄でテンション爆上がり!(わーーい

 今回私が担当したのは、いわばディレクター的な役割。
 リミキサーの選定、アートワークをお願いするアーティストの選定、MV監督の起用、リリースパーティの企画などなど…。

 特に最初に取りかかったのが、「誰にリミックスをお願いするか?」という部分。hey的に、原曲の“Happy Halloween”が持つ、ポップでキャッチーで、ちょっとホラーでかわいい世界観を、それぞれの解釈で楽しく再構築してくれそうなアーティストたちをピックアップ!

 結果、リミックスをお願いしたのが、Shökaちゃん、清水文太くん、バイレファンキかけ子さま、foodmanパイセンの4名! そしてアートワークを村田みのりせんせー、MVをALi(anttkc)っちにオファ〜しました!

 ジャンルも活動スタイルもバラバラだけど、それぞれの個性がピカピカで、hey的に「この人たちが並んだら絶対おもしろい!」と思える方々ばかり。
この選定には、これまでheyが遊びに行ったパーティや出会ったアーティスト、SNSで気になっていた方など、これまでの縁やつながりがめちゃくちゃ活きているchanょ。

 ここからは、今回リミックスをお願いした4組のアーティストについて、heyとその人たちとの出会いや制作までの流れを書いてみますっ!

Shöka (Remixer)
 Shökaちゃんとは、もともと共通の友人を通じて知り合いました。最初にちゃんと話すようになったのは、彼女が出演していたイベントに遊びに行ったときのこと。そこから、会ったり会わなかったりを何度か繰り返して、気づけば自然と仲良くなっていました。
 あるとき、「高校時代にボカロをよく聴いてた」って話をしてて、それを聞いた瞬間に「これはShökaちゃんにリミックスお願いしたいかも!」って直感で思ったんです。
 思い切ってオファーしたら快く引き受けてくれて、出来上がった曲を聴いたときは本当にびっくりしました。普段のShökaちゃんの独特なバイブスが音にも滲み出ている一方で、作品ではあまり見せていない音楽性もあって、すごくドープに仕上がっていて……不思議で、でもクセになるタッチの曲。何度も聴いては刺激受けまくりで、ひたすら最高!!

ライヴ観に行ったとき謎の遊びをしている写真...

清水文太 (Remixer)
 文太くんのことは、小学生のころハマっていた「水曜日のカンパネラ」のスタイリストをしていたり、私がずっと好きなクィア&フェミをテーマにした東京のDJパーティ「WAIFU」でライブ出演していたりと、名前を見かけるたびに気になる存在でした。
 ちゃんと話すようになったのは、実は今年に入ってから。私が出演したパーティにふらっと遊びに来てくれたのがきっかけでした。
 話してみたら、表現の幅広さとか感性の鋭さとか、想像以上で。彼の実験的かつ自由なバイブスにめちゃくちゃ惹かれて、今回のリミックスもぜひお願いしたいと!!!!
 実際に届いた音源は、まさに文太くんの空気感そのまま。“ハロウィン”というテーマに対して、甘すぎず、美しくて、でもちょっと毒もある。その微妙なバランスを取れるのは、やっぱり文太くんしかいないなって〜〜〜!♡

一緒に新宿御苑行ったら急にストレッチをし始める文太くん

バイレファンキかけ子 (Remixer)
 かけ子さまとは、クラブの現場で出会ったというより、SNSでかけ子様のDJ Mixや情熱大陸のBootlegを先に聴いて、「この人やばっ!」ってなったのが最初。
 初めて実際にお会いしたのは、上京してすぐ。かけ子さまが出演しているパーティに遊びに行って、フロア最前でマヴと爆踊りしてました(笑)。
 プレイ後に話しかけたら、めちゃくちゃ優しくて面白くて、バイブスが最高すぎて! かけ子様の音楽のお祭り感とハロウィンのお祭り感をMixしたら絶対最高になると思って、すぐオファーしちゃた! 結果、めちゃくちゃフロア爆発しそうなリミックスが届いて感動。安心信頼、安定のかけ子大先生!!

初めてお会いした時に撮ったツーショ!!

食品まつり a.k.a foodman (Remixer)
 食まつパイセンとも、かけ子様と同じく最初はSNSにアップされていた音源を聴いて強く惹かれたの.........!!!!!
 さらに、大好きな作家・アーティストのシシヤマザキちゃんと「1980YEN」というユニットを組んでいたこともあり、当時からすごく気になる存在。昨年の夏、下北沢SPREADで初めてライブを拝見したのですが、そのパフォーマンスが圧倒的で、やっと会えました!
 そんな中ふと!「ボカロと食まつパイセンの音楽が混ざったら面白いのでは!?」と思い、今回無茶振りオファーを〜〜〜〜(*´∇`*)
 そして生まれたのが、めちゃくちゃ異色でエグいサウンド。聴けば聴くほどクセになる、“スルメ楽曲”の極みです!! パイセン サイコー!

りんご音楽祭で会ったときの写真!!

村田みのり(アートワーク)
 みのり教授と出会ったのは6月。コムアイさんとみのり教授が主催する「おかしなおかね」に、参加したのがきっかけ。
 もともとインスタで作品を見ていて、「この世界観めっちゃかわいい!」って思ってたんです。
 実際にお会いしてみたら、テンションの波長がすごく合うし、初対面でもすぐに仲良くなれちゃた。
 そのあともイベントで何度か会ううちに、みのり教授の持つ柔らかさとか、アイデアの発想力にどんどん惹かれていって。今回のハロウィンのテーマを考えたときに、真っ先ににお願いしたい!って思いました。

はじめてみのりさんとbonoboでお会いした日
w/もりたみどりちゃん&Yoshiko Kurataさん

ALi(anttkc) (Music Video監督)
 ALiっちは、普段からよく遊ぶマイメンのひとりで、もう説明いらないくらい信頼しまくってる存在。私が主催している「yuu.ten」でもVJを担当してくれたり、彼が運営している神保町のイベントスペース「RRR」でブッキングしてくれたりと、お互いに呼び合ったり、遊びに行ったりな関係!映像制作に関しては本当に安心と信頼のクオリティで、今回も絶対にお願いしようって迷いなく思いました。打ち合わせではふわっと伝えただけなのに、彼が作ってくれた映像はPOPでかわいくて、動きもテンポも最高。本当に、ALiっちの映像が加わったことで、今回のEPやハロウィン企画全体の世界観が一気にぐっと立体的になったな〜と感じています。

りんご音楽祭で会ったときの写真!!

 そして最後に、hey自身が制作したRemixについて〜。
 heyはこの曲の「アゲな部分」にフォーカスして、Hard Technoでわっしょい感を大切に、数々の有名ダンスアンセムから影響を受けて、NEO盆踊りの極みmixに仕上げました! 500,000,000回聴いてくれ!

 今回の企画を通して、改めて「人と人とのつながり」や「音楽が持つ広がりの力」を強く感じました。heyがこれまで現場で出会ってきた人たちと、ひとつの作品を一緒に作り上げられたことが本当に嬉しい( ; ; )

 それぞれのリミックスが持つ世界を聴きながら、ぜひハロウィンという季節を自由に楽しんでほしいなと思うよんっ♪

 またリリースを記念して、日本橋にあるアートホテル”BnA_WALL”でhey主催リリパを開催します!!こちらも激アツな企画になってるので...絶対に来て欲しいです!!!!!!!!!!

 これからも私heyは己かましまくりで前に進んでいこうと思うよっ
 それでは次回の連載、どこかのパーティでお会いしましょう˖ . ݁

Happy Halloween Remixes 2025 Curated by heykazma
Release Party at BnA_WALL 日本橋

2025年10月31日(金)
18:00 Open
19:00 Start
22:00 Finish

■ DJ
heykazma
バイレファンキかけ子
カワムラユキ
CASE(Wangone)
■ Live
Shöka
清水文太

■チケット
¥3.500 当日(会場のみで販売)
¥3.000 前売り ※非売品ステッカー付 50枚限定
¥2.000 Under 25
※小学生以下のお子様のご入場は無料です。
※会場キャパシティの上限に達した際には当日券が販売中止となる場合があります。

Peatix | eplus

R.I.P Dave Ball - ele-king

野田努

 デイヴ・ボールは、ポール・ボールになったかもしれなかった。 彼が生まれた1959年5月3日、じつの母親はポールと名付けている。しかし未婚のシングルマザーは、1年間の貧しい生活の果てに我が子を養子に出すことにした。ポールを養子に迎え入れたボール夫妻は、ポール・ボールのような韻を踏んだ名前ではこれから学校に行ったときに問題になるかもしれないと、デイヴィッドに改名したのである。かくしてデイヴ・ボールは、イングランド北西の街、ブラックプール──サッカーファンからは、弱いけど人気があってサポーターが熱い(駿河湾のくぼみのどこかのチームのようだ)地元クラブのことで知られ、英国音楽ファンからはノーザン・ソウルの大いなる拠点のひとつとして記憶されている──で思春期を送ることになる。
 ボールが初めてディスコに行ったのは10歳のときで、のちに彼がマーク・アーモンドとともに結成するソフト・セルがカヴァーし、最初の、そして最大のヒットになった“Tainted Love”を初めて聴いたのは16歳のときだった。グロリア・ジョーンズがこの曲を吹き込んだのは1965年、しかもこれは不発シングルのB面曲、そもそもあまりよく知られていない曲だった。ノーザン・ソウルとは、このように、大勢がまだ知らない埋もれたアメリカのソウル——デトロイト、シカゴ、フィラデルフィア、LAなどのなるべくヒットしなかった曲——をディグするというレアグルーヴ的なアプローチによる選曲と、そしてDJは会場にやって来たダンサーのためにひと晩中踊る曲をかけ続けるというレイヴ的なアプローチを兼ね備えた、1970年代の、DJ/ダンス・カルチャーの初期段階だった。南部やロンドンの洗練された文化と違って、北部のいなたい労働者階級の若者が週末のダンスのために生きる刹那的なライフスタイルに根ざした巨大なアンダーグラウンド・ダンス・シーンである。

 デイヴ・ボールがポップ史において果たしたひとつの成果は、ソウルとパンクとクラフトワークを合体させたことだった。ソウルとスーサイドを合体させたことだった、とも換言できる。ひとりのヴォーカリストとひとりのエレクトロニック担当者のふたりでステージに立つことの先駆者にはスーサイドがいたし、第二期DAFもそうだったけれど、言うなれば彼らはアンダーグラウンドの脅威だった。1979年(ウィキペディアほかネット情報では1978年結成とあるが、本人の述懐によれば、サッチャー当選の1979年に結成。おそらく、アーモンドのパフォーマンスのバックに初めて音を付けたのが1978年なのだろう)に誕生したボールとマーク・アーモンドのソフト・セルは、チャートを賑わせ、トップ・オブ・ザ・ポップスに出演するようなポップ・ミュージックのユニットである。
 とはいえ、ソフト・セルがポップスとして聴かれるには少し時間が必要だった。だいたいポスト・パンク期からゴシック期へと(つまり70年代末から80年代へと)移行する時代における若きエレクトロニック・ミュージックは、いきなりMoogを買えるほど裕福ではなく、機材が日進月歩していたこともあって作品ごとサウンドが異なっている。初期のシンセサイザーと言えばモノフォニック(単音しか出せない)で、シーケンサーの代わりはテープデッキ、ドラムはBOSSのDr Rhythmとか、もしくはプリセットを使うことも珍しくなかったし、最初期のキャバレー・ヴォルテールのようにホワイト・ノイズをリズムの代わりに使っていたバンドもいる。しかしながらそうした制限が、創造的な音楽を促していたと言いたくなるのは、いま聴くと、今日のPC内でつくられた音楽にはない、それぞれ固有のテクスチャーや創意工夫に基づいた深みのある魅力を放っているからだ。

 ロックンロールが大嫌いだった父親のもとで、10歳から音楽オタクとなったデイヴ・ボールは、すべてのお小遣い/アルバイト代をレコードにつぎ込み、リーズ工科大学に進学する頃にはそれなりのレコード・コレクションを有していたという。ソウル・ミュージックからグラム・ロック、ディスコ、プログレからクラウトロックまで、横断的に蒐集していた彼が最初に天の啓示を感じたのは、高校時代にアイスクリーム屋でバイトしていたときにラジオから流れたクラフトワークの “アウトバーン” だった。それから、ブライアン・イーノの『アナザー・グリーン・ワールド』、そしてドナ・サマーの “アイ・フィール・ラヴ” ……。
 大学に進学するとリーズにやって来たパンク・バンド/ポスト・パンク・バンドのライヴ──オリジナル・ヒューマン・リーグ、キャバレー・ヴォルテール、ジョイ・ディヴィジョン、ACR、スピッツ・エナジー、スロッビング・グリッスル等々──を目撃している。在学中、学位取得のためしばらくマンチェスターへ移り住んだときは、2トーン・レコードのツアーやディーヴォ、YMOのライヴにも足を運んだ。そのころには、ボールの関心はエレクトロニック・ミュージックに絞られていた。在学中、ギターを売って得た金と300ポンドで、ふたつのオシレーターを搭載したKorgのデュオフォニック・アナログ・シンセサイザー、800 DVを買った(数年後にはソフト・セル・サウンドのトレードマークにもなる、もう一台のKorg、ベース・シンサイザーSB-100を手に入れる)。
 大学の同級生にはマーティン・ハネットの実弟がいて、最上級生にはフランク・トーヴェイがいたが、大学に入って最初に声をかけた相手が、ヒョウ柄のシャツを着てアイラインを入れたマーク・アーモンドだったのは運命的である。ジョン・ウォーターズの「ディヴァイン」シリーズやラス・メイヤー、ケネス・アンガー、ウォーホル等々、トラッシーなカルト映画好きという共通の趣味もあって意気投合したふたりだが、最初のボールの役目はアーモンドのパフォーマンスのためのBGMをつくることだった。そうこうしているうちに、ふたりの関心は音楽制作に向かったのである。歌と作詞はアーモンド、曲の担当がボール。そしてふたりがつくりあげたのは、ノーザン・インダストリアル・キャバレー・エレクトロとでも言いたくなるような独特の雰囲気をもった音楽だった。
 
 ソフト・セルは、ポスト・パンク時代のエレクトロニック・バンドの第一波(キャブス、ヒューマン・リーグ、TG、シリコン・ティーンズ、ファド・ガジェット等々)に続いた第二波(ほかにデペッシュ・モードやブランマンジュなど)に相当する。ボールはリアルタイムで、トーマス・リアの「Private Plane」、キャバレー・ヴォルテールの「Extended Play」、スロッビング・グリッスルの「United / Zyklon B Zombie」、ザ・ヒューマン・リーグの「Being Boiled」といった1978年の重要な7インチ・シングルに共感を寄せていた、つまり、その次のステージを狙っていたのである。
 最初期のソフト・セルにおいて——そしてエレクトロニック・ミュージック史においても——もっとも重要な曲、 “Memorabilia”(1981) は、ボールの憧れのひとり、ダニエル・ミラーのサポートを得て制作された。この曲の、反復的な四つ打ちのグルーヴ、フィルターをかけたシンセ、ダブ処理されたヴォーカルといった構成は、明らかに、ディスコのその先へと突き進んだサウンドで、のちに「ハウス・ミュージックの先駆け」と評価されることになる。また、世界初の「Eレコード」などと呼ばれてもいるが、それは誤認だ。ソフト・セルは当時まだエクスタシーの存在など知るよしもなかった。もちろん、それから1年後、この時代としては画期的なリミックス・アルバム盤 『Non Stop Ecstatic Dancing』(1982)に収録された同曲の別ヴァージョンをNYで録音する頃には、ふたりとも経験済みではあった。ちなみに言うと、当時はまだ、それは違法ではなかったのである。
 初期のソフト・セルでもう1曲重要なのは、もちろん──当然、オリジナルと違って──大ヒットした “Tainted Love”になるが、こちらのプロデュースはマイク・ソーン、それ以前はワイアーを手がけた才人である。1975年に〈スパーク・ノーザン・ソウル・レコード〉からもカヴァーEPが出ているほどノーザン・ソウル・クラシックたるこの曲のカヴァーの提案をアーモンドが受け入れた理由は、オリジナルでは彼のヒーローのひとり、マーク・ボランの妻=グロリア・ジョーンズが歌っていたからだった。シングルではこの曲からスプリームスのカヴァー曲 “Where Did Our Love Go” にミックスされる。Roland CR-78のリズム、 SB-100によるシンセベース、それから電子ドラムパッド、 電子クラップ──それらメタリックな響き(それは電子パンクと言える)のなかで歌われるソウル・ミュージック。こうしたある種の倒錯が、ジョン・ウォーターズの醜いものほど美しいと同様にソフト・セルの個性となった。

 モノフォニック・シンセが奏でる絶妙な音色のうつくしいメロディをもったソウル・バラード“Say Hello, Wave Goodbye”はソフト・セルの代名詞と言える人気曲だが、ファースト・アルバム『Non-Stop Erotic Cabaret』のなかでは、週末のクラブに勤しむ若者の孤独を歌った “Bedsitter” のようなダークな曲(MVのなかでアーモンドが読んでいる本はジョン・ブレインの『年上の女』である)も好きだし、彼らのカルト映画趣味がここぞとばかりに噴出した(そしてすぐに放映禁止になった) “Sex Dwarf” のMVにおけるTG的な恐れを知らぬ侵犯的タブーへの挑戦も興味深く思ったものだったけれど、リアルタイムでいちばんよく聴いたのはセカンド・アルバムの『The Art of Falling Apart』(1983)だった。
 ぼくはここで読者諸氏に言いたい。その曲を聴いてから、20年後も30年後も40年後もずっと好きでいられる曲があるということは幸せなことである。若い読者が、今年自分が好きになった曲をこの先もずっと聴き続けると思っているのなら、それでいい。音楽はファストフードになりつつあるかもしれないけれど、老兵としては、そうではない音楽もまだあると思いたいのだ。ぼくは『The Art of Falling Apart』(明らかに機材的にアップグレードされた、しかし全体としてはファーストよりも暗く重い作品)に収録された“Where the Heart Is” がいまでも、曲そのものもその歌詞も、大・大・大好きだ。モリッシーよりも数年早く、家族からつまはじきされた少年のよすがをなくした孤独な心を歌い上げるその曲に天使の羽を与えたのは、間違いなく、デイヴ・ボールのシンセサイザーである。
 しかしながら、このころすでにソフト・セルは友好的に分裂していた。アーモンドは、ニック・ケイヴ、リディア・ランチ、ジム・フォータスらアンダーグラウンドな人たちと交流しつつ、マーク&ザ・マンバス名義でソロ・アルバムをつくっている(それもまた、とてつもなくすばらしいアルバムだ。なにしろ、あのアノーニに決定的な影響を与えたのだから)。ボールもまた、ジェネシス・P・オリッジやヴァージン・プルーンズのギャヴィン・フライデイ、コイルのジョン・バランスらアンダーグラウンドな人たちと交流し、最初のソロ・アルバム『In Strict Tempo』(1983)を制作する。そしてボールは憧れだったキャバレー・ヴォルテールのアルバム『The Crackdown』(1983)に参加もしている( “Just Fascination” と “Crackdown ” の2曲である)。ソフト・セルの最後のアルバムはいまひとつの内容だったが、彼らにはこんなエピソードがある。あるとき、ソフト・セル宛の郵便物がレーベルに届いた。分厚い写真集が入っていて、そこには、「あなたたちの音楽が大好きです。ポール&リンダ・マッカートニーより」とつづられていた。

 とはいえ、ソフト・セル解散後の80年代なかば以降のボールは、物事がうまくいっていたとは言いがたい。好転したのは、ジェネシス・P・オリッジがアシッド・ハウスに心酔し、彼が自分でもアシッド・ハウスをつくろうとJack the Tab名義で『Acid Tablets Volume One』(1988)を企画し、そこに参加してからだった。P・オリッジから紹介された『NME』のライター、リチャード・ノリスといっしょにM.E.S.H.名義で “Meet Every Situation Head on ” をつくると、それに反応し、サポートしたDJのひとりにアンドリュー・ウェザオールもいた。
 ノリスとのコンビが、ザ・グリッドへと発展することはよく知られている。この時期、UKのダンス・ミュージックを聴いていた人なら、ザ・グリッドによるリミックス──ハッピー・マンデーズの「Loose Fit」やペット・ショップ・ボーイズの「DJ Culture」、イレイジャーの「Am I Right?」、ブライアン・イーノの「Ali Click」,デイヴィッド・シルヴィアン「Darshan」等々──を少なくとも5曲以上は聴いているだろう。
 ボールが初めて日本の地を踏んだのも、1995年のザ・グリッドとしての来日公演だった。 “Crystal Clear” や “Swamp Thing” といったソフト・セル以来のポップ・ヒットが続いていたころで、場所はたしかリキッドルームだったと思う。ライヴに駆けつけたオーディエンスのなかにはソフト・セルのファンも少なくなかったけれど、ぼくがそのとき取材したのは複数のメディからインタヴューされたボールでもノリスでもなかった。同じく初来日で、そのときはぼく以外の誰も取材しなかったアーティスト、前座を務めたオウテカのほうだった。

 リアーナが “SOS”(2006) でソフト・セル版“Tainted Love”をサンプル・ネタとして使ったころ、かつてはチープなソウル・エレクトロで一世を風靡したふたりは、再度タッグを組んで精力的な活動をしていた。2002年には1984年以来の4枚目のアルバムをリリースし、2003年にはハイドパークで開催された6万人規模のゲイ・プライドのヘッドライナーを務めたソフト・セルだったが、ボールにはこんなエピソードもある。彼が恋人とNYのゲイ・バーに入ったとき、まったくの偶然だが、カウンターの隣にはフレディ・マーキュリーが座っていた。マーキュリーはボールの顔を見ると、「デイヴィッド、教えてくれ。君とマークは恋人同士なのか?」と訊いた。ボールは自分がストレートでガールフレンドがいると説明すると、マーキュリーは黙ってその場を去ったという。このことが、ボールが髭を剃るきっかけとなった。

 それはさておき、長年にわたるあらゆる依存症がボールを蝕んでいた。1990年代後半には、飲酒と喫煙、ドラッグの乱用で精神的にも身体的にも、そして日常生活に支障がでるほど窮地に追い込まれていたボールは、なんとかしようと一時期はアルコール依存症匿名会と薬物依存症匿名会に通ったほどだった。ドラッグと煙草を断ったデイヴ・ボールは新生ソフト・セルを始動させると、先述の通りアルバムを発表し、大きなライヴもいくつかこなし、2020年には自伝『Electronic Boy』も上梓している。2022年の『Happiness Not Included』が比較的高評価だったので、翌年にはその姉妹作『Happiness Now Completed』もリリースした。2025年10月22日自宅で亡くなったというボールだが、ソフト・セルとしての新作『Danceteria』の制作を終えたばかりだった。そういえば、つい先日ラスト・アルバムを出したセイント・エティエンヌの『International』にはザ・グリッド・リミックスがあったけれど、ボールはまだぜんぜんやる気だったのだろう。

 ほんの数年前、石野卓球とのメールで、あのころ自分が好きだったのはクラフトワークの “Numbers” よりもソフト・セルの同名曲のほうだった、というやりとりをしたことがある。そうしたら、あの曲をエイフェックス・ツインがサンプリングしているの知ってた? と卓球から教えられた。自分としては、あの時代の人たちがここにまたひとりといなくなるのはとても寂しい。先週末は多くのファンが “Say Hello, Wave Goodbye” を聴いたのだろうけれど、あらためてあのころのボールの音楽を聴いていると、良い曲ばかりで、やはりすごいことをやった人だったんだなと思った。

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三田格

 9年前、デイヴ・ボールは(ジャーナリストではなくピアニストの)ジョン・サヴェージと『Photosynthesis(光合成)』と題されたアンビエント・アルバムをリリースしている。どちらがイニシアティヴを取ったのかはわからないけれど、『Photosynthesis』はダーク・ドローンに分類され、ひと言でいえば不気味な作品に仕上がっていた。その当時はまだL.A.から解き放たれたベルリン・スクール・リヴァイヴァルの余波がニュー・エイジのポテンシャルを増幅させていた時期で、簡単にいえばアッパラパーな雰囲気のなかで、どんよりとした『Photosynthesis』には出る幕がないと感じられた。そして、無意識のうちに僕にはデイヴ・ボールに期待する、ある種のムードがあることを自覚した。それはやはりソフト・セルやザ・グリッドといったキャリアの初期に展開されていたポップでカラフルな響きであり、重苦しい曲調のなかにもどこか抜けのある軽妙洒脱なセンスだった。『Photosynthesis』にはあまりにもそれがなかった。しかし、デイヴ・ボールの訃報を聞いて僕が最初に聴いたのは、なぜか『Photosynthesis』だった。暗く、のったりと蠢くシンセサイザーに哀悼の気持ちは少しずつ吸い込まれていった。

『Photosynthesis』から5年後にソフト・セルは再-再結成を果たす。そして、3枚のアルバムを完成させている。彼らにとってファイナルとなった7thアルバム(発売は来年)を完パケた直後にデイヴ・ボールは亡くなり、ヴォーカルのマーク・アーモンドは「2026年はデイヴ・ボールにとって高揚感に満ちた年となるはずだった」と饒舌な追悼文で嘆いている。「僕たちの50年を一緒に祝えたらよかったのに」と。その追悼文によると、ソフト・セルはロンドンというよりもN.Y.のディスコ・カルチャーに属すると彼ら自身は考えていたようで、ラスト・アルバムに『Danceteria』と名付けたことは、ガビ・デルガドーが最後に残した曲のタイトルが“Tanzen(ダンス)”だったことと共鳴している。そう、1981年は彼らがイギリスでダンス・カルチャーを爆発させた年だった。ニュー・ロマンティクスやブリティッシュ・ファンクも呑み込んで「メソッド・オブ・ダンス」を合言葉に。

 ソフト・セルがN.Y.のディスコ・カルチャーに属すると考えるのはとても納得のいくことである。実際にN.Y.のディスコでMDMAを経験したことが彼らの音楽性に影響を及ぼしたこともそうなら、マーク・アーモンドの変態的な歌詞はルー・リードの強い影響下にあり、性的マイノリティが集まるN.Y.のディスコ文化とは親和性が高かった。ルー・リードと世代的な差を感じるのはユーモアの質で、「自動車の後部座席でセックスをしているとシートに張り付いていたガムが背中でくちゃくちゃと音を立てている(大意)」といった発想はやはりルー・リードのそれとは距離を感じさせる。大学生の頃、単純な手作業のアルバイトをしている時に退屈なのでニューウェイヴの曲を集めたテープを作業場で鳴らしていたら一緒に作業をしていたカナダ人のモナちゃんが、ジョイ・ディヴィジョンがかかると「辛すぎる……」といって作業の手を止めてしまい、ソフト・セルがかかると笑いが止まらなくなって、やっぱり仕事にならなかったことがある。なるほど、ソフト・セルというのはそういう風に聞こえるのかと思ったものである。

 シンセポップというのはどれも極めてチープで、ソフト・セルも例外ではなかった。先行したパンク・ロックの影響もあるのだろうけれど、「極めてチープなサウンド」で表現される世界観は普通の生活様式からは逸脱した人間性や、人間の隠された一面を戯画化して取り出す傾向があった。ヒューマン・リーグやザ・ポリスがストーカーを題材にして人間のファナティックな行動を通して時代を照射するのとは異なり、ソフト・セルは背景としての社会に目を向けることはなく、彼ら自身がどのように生きているかを切々と歌い、その核心は多様なラヴ・ソングに結実していった。人間の性を支配や消費という観点からドライに歌ったことで大きな論争を呼んだ“Sex Dwarf”は極端な例だけれど、彼らの曲の多くは強く変態性を帯び、ノーマルな人々にとっては気持ち悪いものにしか映らなかったことだろう。愛を歌い、その姿がどれだけ無様でも取り繕う様子もないどころか堂々としていたところは、日本だと戸川純が立っていた場所を想起させる。エロ・グロ・ナンセンス全開で好きなことをユーモアたっぷりに歌っていた戸川純がそれでも新曲を出せばTVに呼ばれていたという「社会的な評価」は、おそらくイギリスでソフト・セルが置かれていた位置に通じるものがある。がんばろうとか人にやさしくといった表面的な言葉ではなく、人が人を強く求める思いが彼らの表現の中心にはあり、時に人間の弱さを受け入れてくれることがない社会派の音楽よりも彼らの方が愛されていたとしたら、それはやはり制度よりも彼らの心が人の方に向けられていたからだろう。

「正しいことをするのに、僕の力はもういらないんだね」(“Tainted Love”)
「僕たちは初めて会った見知らぬ他人さ、そうだろ?」(“Say Hello, Wave Goodbye”)
「バカすぎて君にはヒドいこともできない」(“Torch”)

 ソフト・セルにとって最大のカヴァー・ヒットとなり、ロング・ランを続けたあげく、『サイトシアーズ 殺人者のための英国観光ガイド』という映画のテーマにもなった“Tainted Love”は、タイトにリズムを刻むグロリア・ジョーンズの原曲よりもルーズな曲進行で、語尾を伸ばすように歌うことで歌詞の内容を強調し、シャカタクのヴォーカル、ジル・サワードがラス・スワン名義でカヴァーしたヴァージョンを参考にして彼らのヴァージョンを練り上げたという。ギネス・ブックに載るほどのメガ・ヒット曲となった“Tainted Love”はそして、12インチ・ヴァージョンでは途中からシュープリームス“Where Did Our Love Go”に変わり、再び“Tainted Love”に回帰してくるという不思議な構成となっていて、カップリングには完全に遊びでつくられた“Tainted Dub”を収録するなど12インチ・シングルという新たなメディアのポテンシャルをこの時点でここまで引き出したグループはほかにいなかった。ソフト・セルの12インチ・ヴァージョンはその後も原曲の2~3倍の長さになるのは当たり前で、10分を超える“Numbers”や12分近い“Soul Inside”など、デイヴ・ボールがいかにミックスで遊ぶのが好きだったかということを印象づける(このことだけでもデイヴ・ボールがDJカルチャーに移行することは初めから決まっていた気がしてしまう)。

 デイヴ・ボールのサウンド・プロダクションが唯一無二のものになるのはセカンド・アルバム『The Art of Falling Apart』からで、場末のキャバレーを音で表したようなファーストから一転、それはヴェルサイユ宮殿かトプカプのような荘厳さを感じさせた。シンセポップにこんなことができるのかと当時の僕はかなりショックを受け、シンセポップ=「チープ」という形容詞はもう使えないと思った。基本的には“Sex Dwarf”のゴージャスなアレンジを全体に敷衍させ、オーヴァー・プロデュースを恐れなかった結果が『The Art of Falling Apart』になったのだと思う。どの曲も本当に素晴らしく、すべてにああだこうだと言いたいところだけど、当時は台所がテーマなんて珍しいと思い、“Kitchen Sink Drama”の歌詞を訳してみると母親が現実逃避ばかりしているという内容で、マーク・アーモンドが離婚した自分の母親をディスりまくっているのかと思っていたのだけれど、今回、調べ直してみたら“Kitchen Sink Drama”とは社会的リアリズムに基づくイギリスの文化運動を指す名称で、「怒れる若者」の源流だということを初めて知った。マーク・アーモンドにしてみれば自分の書く歌詞はアラン・シリトーに連なるものであり、マイク・リーやケン・ローチといった映画監督の表現と地続きなんだという表明だったのかもしれない。デイヴ・ボールのサウンドはピアノを導入に使い、歌詞に合わせて幻想的なフレーズを多用し、流れるように白昼夢を描いていく。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの“Sunday Morning”が念頭にあったのだろう。

『The Art of Falling Apart』と同じ年にデイヴ・ボールは初のソロ・アルバム『In Strict Tempo』も完成させている。ソフト・セルはシンセポップの代表格ではあるけれど、デペッシュ・モードやユーリズミックスと同じ文化圏にいたわけではなく、それは彼らのマネージメントが〈Some Bizzare〉だということと深く関係している。〈Some Bizzare〉とサインしたことがあるミュージシャンにはサイキックTV、ノイバウテン、スワンズ、コイル、ザ・ザ、ジム・フィータス……とオルタナティヴのフロントラインが揃い踏みで、それこそ「普通の生活様式からは逸脱」した音楽家しかいなかった。『In Strict Tempo』はニュー・オーダーが“Blue Monday”で新たなモードに歩を進めたようにデイヴ・ボールがダンス・カルチャーに模索の手を延ばした痕跡が残る一方、ヴォーカルにヴァージン・プルーンズからギャビン・フライデイを迎え入れるなど〈Some Bizzare〉という環境から得られるアンダーグラウンドな価値観がひしめき合ってもいる。実は、最初に取り上げたジョン・サヴェージとのジョイント・アルバム『Photosynthesis』は、こうした〈Some Bizzare〉の文脈でデイヴ・ボールを捉えればもっと鷹揚に楽しめたのかもしれない。デイヴ・ボールにとってそうした環境がどれぐらい吉と出たのかはわからないけれど、それこそ後には『Live in Heaven』にも参加するなどサイキックTVのメンバーにもなったことで、ジェネシス・P・オーリッジやジャーナリストのリチャード・ノリスとともにアシッド・ハウスにのめり込んでいく機会を得たことは間違いない。サイキックTVの変名アルバムとして認識されているアシッド・ハウスのコンピレーション『Jack the Tab/Tekno Acid Beat』はジェネシス・P・オーリッジに加えてデイヴ・ボールとリチャード・ノリスが全曲で関わっていて、すでにザ・グリッドの前段階と言えるものになっていた。同じ年にデイヴ・ボールはキャバレー・ヴォルテールの2人とラヴ・ストリートを結成し(両者は『The Crackdown』ですでに結びついていた)、バリアリック・ビートの“Galaxy”でもファンキー・ビートを聞かせている。『Jack the Tab/Tekno Acid Beat』と“Galaxy”を続けて聴くと、ある種の迷いのなさは伝わってくる。この時期のブリティッシュ・アシッド・ハウスはオリジナリティを否定し、他人と同じものをつくるのがいいとされていたので、デイヴ・ボールのそれもとくに彼の個性が反映されたものではない。ジャケット・デザインがデザイナーズ・リパブリックだというのがデイヴ・ボールの美意識からかけ離れ、いまとなっては同時代性だけを強く主張している。

 84年に第1期ソフト・セルのラスト・アルバム『This Last Night in Sodom』をリリースした後、デイヴ・ボールの足跡はあまりに細切れになる。最初は当時の妻、ジニ・ボールとアザー・ピープル名義でサンプリングを散りばめたディスコ・ナンバー、“Have a Nice Day!”をリリースし、続いて3人組のイングリッシュ・ボーイ・オン・ザ・ラヴランチ名義では“Blue Monday”のバッタもんにしか聞こえない“The Man in Your Life”やハイエナジー調の“Sex Vigilante”を連打と、ソフト・セルからマーク・アーモンドによるメロディ・センスを取り除いたディスコ・ビートへの執着をとにかく強く感じさせる。ストローベリー・スウィッチブレイドのローズ・マクドウェルやシュガーキューブスのアイナール・オルン・ベネディクソンらと組んだオーナメンタルでも多幸感あふれる“No Pain”にどこまでもさわやかな“Crystal Nights”とシンセポップの延命をこれでもかと追求するも、これらがどれも長続きしなかったことがアシッド・ハウスへと舵を切るきっかけになったのだろう。デイヴ・ボールの作業でいえばソフト・セルの12インチでやっていたことをメインとすればいいだけのことだからロック・カルチャーからダンス・カルチャーに乗り換えられないと苦悩するほどのこともなく様変わりはできたはずである。サイキックTVやラヴ・ストリートとの習作を経て正式にリチャード・ノリスとスタートさせたザ・グリッド(マネージメントはアラン・マッギー)はデビュー・アルバム『Electric Head』ではまだイングリッシュ・ボーイ・オン・ザ・ラヴランチやオーナメンタルに近い音楽性を多分に残していて、これが最初にシングル・カットした“Floatation”のリミックスにアンディ・ウェザオールを起用したことで完全にダンス・カルチャーの領域へと歩を進められただけでなく、プレスの注目を最初から集めることにも成功する。ザ・グリッドによるソフト・セルのリミックス集『Memorabilia - The Singles』と並行して続くセカンド・アルバム『456』から“Crystal Clear”をヒットさせたのはもはや時間の問題だった。1993年にグラストンベリー・フェスに行った際、昼間のプログラムが終わるや否や、暗くなった途端に会場内で小規模なレイヴ・パーティがあちこちで始まり、ほどなくして“Crystal Clear”が僕たちの頭上にも鳴り渡った。クラウドはあっという間に恍惚としたムードに包まれ、多幸感の波を全身に浴びていた。ザ・グリッドは、さらにサード・アルバム『Evolver』からバンジョーをフィーチャーした“Swamp Thing”をヒットさせ、その頃には「国民的人気」と書き立てられるまでになっている(その勢いでカイリー・ミノーグ“Breathe”までプロデュースする)。

 リチャード・ノリスの指向だったのではないかと思うのだけれど、ザ・グリッドは『456』から“Heartbeat”をシングル・カットする際、ブライアン・イーノにアンビエント・リミックスをオファーしている。ダンス・アクトとしてのザ・グリッドは4作目の『Music for Dancing』で一旦休止し、10年以上空けて復活するも、ラスト・アルバムとなった『Leviathan』ではロバート・フリップをゲストに迎えてアンビエント・アルバムも製作している。荒涼として寒々しいアンビエント・アルバムである。これがデイヴ・ボールの過去の作品とどう繋がっているのか、僕にはさっぱりわからなかった。アンビエント・ミュージックには個人の資質を出しづらいということもあるのかもしれないけれど、『Leviathan』や唯一のソロ作となった『In Strict Tempo』を聴いていると、もしかするとデイヴ・ボールには生涯を通じて本当にやりたかったことはなかったのかもしれないとも思えてくる。それこそ本当に意志の強い人と共に作業をすることで作品の完成度や相乗効果を高めることが彼にとっては才能を活かす道であり、デイヴ・ボールでなければソフト・セルやザ・グリッドは仮りに生まれていたとしてもまったくの別物になっていただろう。ソフト・セルやザ・グリッドが現在、残されているかたちになったこと、そして、“Torch”を聴いてトランペットという楽器が好きになった僕は、それだけでも彼が存在したことに感謝したい。……Say Hello, Wave Goodbye。

Call And Response Records - ele-king

 先日もformer_airlineの良作が送りだされたばかり、イアン・F・マーティンが主宰する高円寺のインディペンデント・レーベル、〈Call And Response Records〉が設立20周年を迎えている。それを祝し、アニヴァーサリー・イヴェントが開催される運びとなった。11月2日@東高円寺UFO Club、12月13日@東高円寺二万電圧、12月27日@高円寺SUBstoreの3段構えで、同レーベルになじみのあるアクトが集合。最終日には創設者イアン・F・マーティンやele-kingでもおなじみのジェイムズ・ハッドフィールドらDJをするようです。詳しくは下記を。

CALL AND RESPONSE RECORDS: 20 YEARS OF POP!

DIY精神で歩んだインディーレーベル・Call And Response Records、20周年を記念し高円寺でイベント

Call And Response Recordsは、2005年12月に初のリリースを発表した。カタログナンバーCAR-99でリリースされたコンピレーション『1-2-3-Go!』は、“ゼロまでのカウントダウン”というユニークなコンセプトのもと、100作品のリリースを目標に掲げてスタートした。
これは創設者イアン・F・マーティンの故郷である英国ブリストルの伝説的インディーレーベル、Sarah Recordsからインスピレーションを受けたもである。

2025年末の現在、レーベルはそのゴールに少しずつ近づきながらも歩みを続けている。

この20年間でレーベルが届けてきたのは、日本を中心に、時に海外の“日本とつながりを持つ”アーティストたちも交えた、刺激的でユニーク、そして徹底的にインディペンデントな音楽の数々だ。ジャンルの枠には収まらず、その核にあるのは“3つのポスト”――ポストパンク、ポストハードコア、ポストロック――とDIYポップの交差点。そして、オリコンチャートやRockin’ On Japanが定義する「ポップ」に抗い、自分たちで「ポップ」の意味を決めていく姿勢である。

「Call And Response」という名前が象徴するのは、双方向の関係性だ。音楽がリスナーに届くと同時に、リスナーもまた一歩踏み出し、能動的にその世界に関わってほしい。そんな思いが20年の歴史の中で確かに根付いてきた。

日本では20周年は成人を迎える節目とされる。もはや「子ども」ではなくなったCall And Response Recordsは、このマイルストーンを祝うべく、ホームである高円寺で記念イベントを開催する。ラインナップには、同レーベルから作品をリリースしたアーティスト、数々のコンピレーションを彩ったアーティスト、そして古くからの仲間による新バンドが集結する。

第一弾イベント:
「Call And Response’s End of Innocence」
11月2日 @ 東高円寺UFO Club

レーベルのルーツとも言えるポストパンクとノイズポップにフォーカス。
LIVE: P-iPLE、デーメーテール、DopeDobutu、Jocko、Slowmarico
DJs: Sumire Taya (Girlside)、Daizo

第二弾イベント:
「Call And Response Is Old Enough To Drink」
12月13日 @ 東高円寺二万電圧

20年の歴史を横断する多彩なアクトがステージを飾る。
LIVE: Melt-Banana、Jebiotto、Saladabar、Grandma’s Garden、Looprider、Praha Depart、worst taste & special
magic、Cyber Cherry

第三弾イベント:
「Call And Response is Sorry for What Happened」
12月27日 @ 高円寺SUBstore

2つのイベントを締めくくる小さな“二日酔いパーティ”として、ゲストライブとDJ陣が登場する。
LIVE: Masami Takasima
DJs: Ian Martin (Call And Response)、DJ Rally (Tropical Death)、James Hadfield、Ayumi (Vamp!/Chicks Riot)

Ryan Davis & The Roadhouse Band - ele-king

 ここ数年、アメリカーナの再検証や再定義がかの国の様々なジャンルでなされてきたことは、その年のトピックとして本誌の年間ベスト・アルバム号のインディ・ロックの項で何度か触れてきた。そして、2023年にはブロ・カントリーの系譜にあるマッチョなカントリー・ソングがアメリカのヒット・チャートを席捲したわけだが、2025年に入ってからはその流れが落ち着きつつある(あの戦略家テイラー・スウィフトが、ポップ・カントリーにいっさい回帰しなかったのは逆に不気味だった)。
 そんななか、ザック・ブライアンのような優れたシンガーソングライターがオーヴァーグラウンドで注目を集めた一方で、インディ・ロックのサブジャンル的な領域でも、インディ・フォークやオルタナティヴ・カントリーといったアメリカーナに類するスタイルは存在感を増してきたし、優れた作品がいくつも生みだされてきた。その象徴が、ビッグ・シーフエイドリアン・レンカーであり、直近ではウェンズデイとMJ・レンダーマンである。
 思いだしてみよう。1990~2000年代にも、アンダーグラウンドにそういった潮流がたしかにあったことを。それは、シカゴのレーベル、〈ドラッグ・シティ〉に特に顕著で、ボニー・“プリンス”・ビリーことウィル・オールダム、シルヴァー・ジューズのデイヴィッド・バーマン(彼が亡くなってしまったことはほんとうに残念だった)、スモッグ/ビル・キャラハンといったシンガーたちが多くの充実した作品をリリースしていた。また、ガスター・デル・ソルジム・オルークデイヴィッド・グラブズはフォークと電子音響を接続し、ジョン・フェイヒィやロビー・バショーの再評価を促しもした。スワンズが1997年に解散したあとのマイケル・ジラは、エンジェルズ・オブ・ライトやレーベル、〈ヤング・ゴッド〉での活動によって、ニュー・ウィアード・アメリカ/フリーク・フォークの潮流を準備した。あるいは、若くして亡くなったソングス:オハイアことジェイソン・モリーナの存在も重要である。ウィルコやドライヴ・バイ・トラッカーズとちがってあまり顧みられることのない領域だが、近年、あの時代の音楽がますます意味を持ってきているように感じる。
 その証拠に、オルトカントリー・シーンに颯爽と現れ、実のところ、遅れて注目を浴びたライアン・デイヴィス&ザ・ロードハウス・バンドのニュー・アルバム『New Threats from the Soul』には、同郷の先輩であるオールダムが参加している。バンドでヴィオラを弾くエリザベス・フューシャは、ボニー・“プリンス”・ビリーのバックで演奏してきたプレイヤーだ。そして、キャラハンと生前のバーマンは、デイヴィスの才能を称賛している。

 地元ケンタッキー州ルイヴィルを拠点にしているライアン・デイヴィスは、もともとステイト・チャンピオンというオルトカントリー・バンドをシカゴで結成し、2000年代後半から活動していたが、バンドは5枚のアルバムを残し、あまり注目されないまま、2018年に解散した。その後、彼は、孤独な多重録音の作業によってソロ・アルバムをつくりはじめた一方、パンクを鳴らすトロピカル・トラッシュ、実験的なポストパンク系の音楽をつくっているイクウィップメント・ポインティド・アンクといった、よりアンダーグラウンドなバンドでも活動してきた。サン・ラーもヒップホップも好きだという彼は、とにかく音楽的な嗜好が幅広い。
 デイヴィスが通った大学は、まさにシカゴにあった。〈ドラッグ・シティ〉にインターンしていたといい、その経験が大きかったのだろう、現在の彼は、自身のレーベルである〈ソフォモア・ラウンジ〉を運営し、クロップト・アウトというフェスティヴァルを主催し、テクニーク・ストリートというオンライン・ショップも経営している。つまり、360度で音楽の実業に取りくみ、なおかつ、地域のコミュニティに身を捧げる、ハブのような存在なのだ。
 ドローイングやインストゥルメンタル・ミュージックの制作に没頭していた時期もあり、「もう二度と『歌』のアルバムを作ることはないだろうと思っていた」そうだが、しかし、デイヴィスは再び一人で曲を書きはじめ、仲間たちの助力を得て、ザ・ロードハウス・バンドとのデビュー作『Dancing on the Edge』を2023年に完成させた。その後、アルバムの評判は、じわじわと拡大していった。
『Dancing on the Edge』は2023年10月にリリースされているが、私が聴いたのは、ピッチフォークが載せたレヴューを読んだことがきっかけだったと思う。奇妙なカヴァー・アートとバンド名にも惹かれてアルバムを再生し、幕開けの“Free from the Guillotine”で一瞬にして心を掴まれた。冒頭のギターの音色に一気に持っていかれ、デイヴィスが歌いはじめたとき、私はすぐにバーマンの音楽を思いだした。それからというもの、あのアルバムにのめりこんで聴きつづけていた。

 前作から2年弱経って、デイヴィスとザ・ロードハウス・バンドは、セカンド・アルバム『New Threats from the Soul』をリリースした。「崖っぷちで踊る」から「魂より出できたる新たな脅威」へ。音楽性も、ボブ・ディランやニール・ヤングやドライヴ・バイ・トラッカーズを思わせたシンプルなオルト・カントリーにさりげなく電子音を加えていたスタイルから、自由に広がりを見せている。彼の多様な嗜好や電子音楽への興味を反映させたのだろう、カントリー・ロックにドラムンベースを接ぎ木したかと思えば(“Monte Carlo / No Limits”)、シンセポップのようなインダストリアルなビートの上にバンドアンサンブルをのせてのびのびと歌い(“The Simple Joy”)、アシッド・ハウスのようなTB-303の音がうねるスラッカー・ロックもある(“Mutilation Falls”)。
 6分を超えるエピックな長い曲を書いているのはあいかわらずで、9分台の曲がふたつもあり、“Mutilation Springs”に至っては11分以上もある。長大な曲をシンプルな展開で聴かせるにもかかわらず、だれた冗長な感じがしないのは、彼の語りかけるような歌いくちや長い長いリリックの妙、ペダル・スティール・ギターやコーラスの豊穣で温かな響きゆえだろうか。魅惑的なメロディを書くソングライティングの力も、大いに関係していると思う。

 デイヴィスが批評家たちから高く評価されているのは、ザック・ブライアンやMJ・レンダーマンと同様に、リリックの巧みさによるところも大きい。たとえば、Bandcampのページに掲載されたネイサン・ソールズバーグ(デイヴィスと同郷のギタリスト)のやけに晦渋なテキストでは、こんなふうに書かれている。「ライアンは、ChatGPT対応のタイプライターで、猿が苦労して100年かけて書いても成しとげられなかった不完全韻を踏むことができる。“bromeliad”と“necrophiliac”、“urinal”と“de Chirico”という部分だ。キンキー・フリードマンは、彼の笑える歌が悲しいと捉えられ、悲しい歌がファニーだと思われている、と嘆いたが、その両方が同時に機能している。キンクスターのように、ライアンは、聴き手をむせこむほどに笑わせることができる。たとえば(ひとつだけ例を選ぶのはひじょうに難しいが)、『時間は友だちでも敵でもないことを学んだ/むしろ、職場の仲間の一人のようなものだ』」。
 情けないスラッカー・ロック的なルーザー像の上に、デイヴィスは多層的なレトリックをユーモラスに塗りこんでいく。「でも、風船ガムと流木があればもっといい人生を歩めると思っていた(But I thought that I could make a better life with bubblegum and driftwood)」と、彼は“New Threats from the Soul”で歌う。あるいは、「キリストが好む場所だと言われたあらゆるところで、彼を見つけようと奔走している(I am scrambling to find Christ in all the places I’m told he likes)」。なんじゃそりゃ、となるわけだが、リリカルなおかしみと悲しみがどうにも漂ってきてしかたない。「俺は給料のためにさえずり、鎖のブランコを揺らす籠のなかの鳥でしかない(I will never be (never be) / Anything (anything) / Other than a caged bird swinging from a chain swing, whistlin' for my payseed)」というラインは絶望的だ。人生の“if”を想像し、「魂より出できたる脅威」を宥めてほしいと願う憂鬱や苦悩を、彼は不思議なリリシズムで表す。
 “Mutilation Springs”からは、特にデイヴィスのさびしげな詩情が立ちのぼってくる。「石棺の朝/そして、ヘア・メタルの午後/太陽が引っこむ頃には/月面にニキビが見えるほどだ/俺はいったい何者なんだ?(Sarcophagus mornings / And hair metal afternoon / By the time the sunshinе retracts / We could practically see the acnе / On the face of the moon / What even am I?)」。さらに、「いい時代だったってことに気づかされる/子宮の陰に隠れて/いい時代だったってことに気づかされる/俺が別の人間だった頃は(Better times used to let me find them / Hiding in the shade of the womb / Better times used to let me find them / Back when I was someone else)」からの、「今夜、俺たちはどの過去を追いかけよう?(Which past will we choose to chase tonight?)」。「いい時代だったってことはすごく残念だ/そして結局のところ、これは運命の試練なんだ(It’s too bad about the good times / And all in all, it’s a test of fate)」という嘆きはどうか。「どうしてアメリカなんだ?(Why America?)」というデイヴィスの悲痛な問いは、40歳を迎えた自身の人生の物語にも、過去の栄光を復古せんとするMAGAの思想にも、そしてアメリカーナという音楽にも突きつけられている。
 “The Simple Joy”には、本質的で決定的なラインがある。「痛みに値札を貼ることなんてできない(You can’t put a sticker pricе on hurt)」。陰謀論もネタにしながら、皮肉めいた言葉を吐く冒頭のラインも印象的だ。「俺は、牛の群れが通る道と過去の人生のケムトレイルとの区別がほとんどつかない(I can barely tell the cattle roads from the chemtrails of our past lives)」。デイヴィスの詞が過去という甘美な誘惑に固執しつつもそれに抗い、人生をストーリーテリングすればするほど、アメリカーナの音を通してかの国に対する視座が浮かびあがってくる。デイヴィスの歌は、彼の人生の歌であり、やはり、それと同時に、アメリカの歌でもあるのだ。

 過日、「Improvisation Summit Tokyo」と題したイベントが都内のナイトクラブ、下北沢SPREADで開催された。主な出演者は20代の若手ミュージシャンたちで、大人数が入り乱れた即興ワークショップや、マスコア的でありつつメンバーが楽器を持ち替え鮮烈な即興を連ねていくバンド、覆面集団によるスカムでカオティックな打楽器アンサンブル等々、いずれもユニークであり、熱気に溢れ、即興音楽のニーゼロ年代における新しい波が渦巻いていることを実感させる内容だった。イベントを企画したのは、ワークショップでも出演していた不定形即興集団・野流を率いるHyozo。もともとデュオ・ユニットとして始動した野流はある時期から不定形集団へと変化していったのだが、『OTOTOY』に掲載されたインタビューによれば、そのきっかけとなったのは2022年9月に行われた「増井ビル解体祭」だったという。詳細は省くが、取り壊しが決まったビルの複数フロアを舞台に、2時間以上にわたって多数の参加者が同時多発的に即興パフォーマンスを行うイベントであり、ライヴハウスのように音楽のために設けられたステージのない空間で繰り広げられたこのセッションに参加した経験が、野流の活動形態を新しい方向性へと導くことになった。そしてこのエピソードを知った時にわたしの頭を過ぎったのが、他でもなくアジアン・ミーティング・フェスティバル(AMF)だった。

 大友良英が2005年に最初のアジアン・ミーティングを新宿ピットインで開催して以降、2008年、2009年の開催を経て、2014年からはアンサンブルズ・アジア・プロジェクトの一環としてdj sniffとユエン・チーワイがキュレーターを務める形で、2015年から2017年にかけてAMFは各地で開催されてきた。プロジェクト終了後も2018年には台湾で、2019年には東京で開催された。AMFはテン年代の即興/ノイズ/実験音楽の一側面を形成していた。その意義は大まかに三つあったとわたしは理解している。一つは日本ではまだあまり知られていないアジア近隣諸国の実験的なミュージシャンを紹介すること。もう一つはアジア近隣諸国のミュージシャン同士の交流を促すこと。そして最後に、そうして集ったミュージシャンたちによる新たな音楽的実践を提示すること。つまり紹介/交流/実践がAMFの大きな意義だったと思うのだが、実践面において、AMFはテン年代を通じてその試みを回を重ねるごとにアップデートしていった。とりわけ面白かったのは、ステージと客席が固定された通常のライヴとは異なり、たとえば美術館や小学校跡地、日本家屋など、必ずしも音楽のために設計されたわけではない空間を舞台に、その場所ならではのパフォーマンスを即興的に紡いでいくことだった。イベントに関連して行われたワークショップ等も含めて、演奏と聴取の一方向的ではない関係性や、複数の場所で同時多発的に行われるパフォーマンスが即興的に重なり合うことで多中心的な出来事を生むという試みの、一つの極地へとAMFは踏み込んでいたのではないかとも思う。

 2020年以降、新型コロナウイルス禍に見舞われて休止状態にあったアジアン・ミーティングが、6年ぶりに開催される。最初の開催から数えるとちょうど20年の節目でもある。今回は原点に立ち返り、大友良英が再び中心となってキュレーションを行なっている。アジア近隣諸国から訪れる出演者たちは「知られざる」ミュージシャンというより、誰もがすでに来日したことがあり、こうした領域に関心を持つ日本のリスナーにとっては馴染みのある面々だ。ただし日本勢の参加者にはニーゼロ年代以降に頭角を表した人物も少なくなく、単に旧交を温めるイベントというわけではない。皮切りとなる小田原・江之浦測候所でのイベントは、大友が2022年から開催してきた「MUSICS あるいは複数の音楽たち」の第3弾でもある。場所そのものが作品でもあるような独特の地形と構造物からなる江之浦測候所で繰り広げられる試みは、まさにAMFがテン年代に突き詰めてきたサイトスペシフィックなサウンド・パフォーマンスの、さらにその先をいく実践となることだろう。他方、新宿ピットインは20年前にアジアン・ミーティングが誕生したいわばホームである。ここは音楽のために設計されたライヴハウスであり、ステージが設けられている。普段と同じようにステージで演奏を行うのか、特殊なセッティングになるのかはまだわからないが、たとえステージで演奏を行うのだとしても、パフォーマンスの展開は予期し得ないものとなるに違いない。むしろどんな場所でも対応できる手練のミュージシャンたちであればこそ、その即興力がステージ上に凝縮されることで濃密な時間が生まれる。それもまたAMFならではの景色だ。そのほか、京都UrBANGUILD、名古屋今池Tokuzo、さらに移転リニューアル・オープンしたばかりの南青山POLARISでも、「Far East Network Special」と題して来日勢と現地の気鋭ミュージシャンたちとのセッションが行われる。

 6年という時が経ち、テン年代のAMFをリアルタイムでは経験していない若い世代のミュージシャンやリスナーも増えてきた。当時の中高生が今では大学生や社会人になっているのだから当たり前と言えば当たり前である。だが再び始動したAMFは、かつての実践を知る人々だけでなく、そうした新たな世代の人々にとっても、必ずや刺激に満ちた体験をもたらすに違いない。少なくともそう確信させるに足る出来事を、これまでAMFは創出してきたのである。その意味でアジアン・ミーティング20周年記念スペシャルは、AMFの再出発の地点であると同時に、一人ひとりの参加者にとっても即興/ノイズ/実験音楽のこれからを開いていくための、行先の定められていない冒険的な出発点となることだろう。(細田成嗣)


AMF2019 TOKYO DIGEST(映像記録:青山真也)

アジアン・ミーティング20周年

 今から20年前の2005年9月23日から25日にかけて、韓国と香港から8人のミュージシャンを呼んで新宿ピットインで第一回の「アジアン・ミーティング・フェスティバル」が行われました。日本からも10人を超えるミュージシャンが参加し、昼夜5コンサートを行っています。同じ年に中国で反日デモが行われ、上海の日本料理店が襲撃されたニュースがきっかけでした。中国や韓国のミュージシャンたちとの交流がはじまった頃だったこともあり、とてもショックだったのを今でも覚えています。

 当時のブログを引用します。

「(……)何人もの友人のいる中国で反日デモがおこっているのは、私にとってはとても悲しいし、どうにかしたいなと、本当に素朴に思ってしまう。素朴な民族のククリで憎しみ合うような状況を今後絶対につくらないためにも。具体的にオレにできることを、実はもう少し前から準備をしている。多分9月になると思うけど、東京のどこかで、中国語圏、韓国語圏といった近隣諸国で、僕等にちかいような、ノイズなり音響なり、あるいは風変わりなロックなりをやっているミュージシャン何人かを呼んで小さなフェスをやろうと思っているのだ。(……)もちろんそんな小さなことで今の民族間の問題が解決するとはまったく思っていないし、第一そのためにこうしたフェスをやるわけでもない。理由はあくまでも音楽的な話なのだけど、どんなことであれ、そうした無数の無名の人たちの日常の生き方、営みの中からしか歴史は変えられないと思うからだ。(……)現時点ではなんの資金のあてもありませんが……」(ブログ「大友良英のJAMJAM日記」2005年4月17日よりhttp://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj/essays/hannichi.html

 その後、紆余曲折をへながらもこのフェスティバルは続き、2014年から国際交流基金の援助も受けてシンガポールのユエン・チーワイや、当時香港在住、今はアメリカと日本、台湾を行き来するdj sniffにディレクターに入ってもらい、パンデミックが始まるまでの間、アジア各国で、何十人ものミュージシャンやスタッフの手により、いくつものフェスが開かれてきました。2005年のフェスの時から考えたら夢のような展開でした。

 大きな歴史の動きは決してわたしの望むような方向に向かっていないように思えることもしばしばですが、でも、日本を含むアジア各国から数多くの若いミュージシャンたちが出現し、彼ら彼女らが様々な形で草の根的に繋がっていってる様子を見るのは感動的だったし、それが未来への希望、そんなふうに思っていました。そんな中始まってしまったのがパンデミックでした。アジアのミュージシャンの交流の時計の針が戻されたような気持ちでした。

「せっかくあそこまでいったのに」

 パンデミックが明けた2023年から再び、わたしは韓国、シンガポール、マレーシア、ベトナム、中国、台湾、香港、インドネシアとアジア各地を回って、ミュージシャンとの交流を個人的に再開しました。2010年代のように助成を受けた大きなフェスをやるのは難しいかもしれませんが、初心に帰って、個人で動いて再びフェスをやることは可能かもしれない。なにより20年前と違うのは、すでに人脈もあり、協力してくれる人たちや組織もあることです。

 今回は江之浦測候所を運営する小田原文化財団と新宿ピットインの全面的なバックアップのもと、これまで協力してくれたF.M.N. Sound Factoryや、Little Stone Records、P-hourほか多くのみなさんの手弁当の協力もあって、パンデミック以降、最初のアジアン・ミーティング・フェスティバルが実現します。しかも20周年記念のフェスティバルです。

 11月2〜3日の江之浦測候所での2日間は、これまでやってきたアジアン・ミーティングを象徴するかのように、ひろい庭園の各所で、夕暮れまでの3時間の間、即興的にさまざまな出会いと共演が同時多発的に起こります。あらかじめ計画されたものではなく、参加ミュージシャンたちが江之浦測候所という稀有な空間に反応しながら、その場で状況を作り出していく2日間です。当然2日間の内容は、全く異なるものになります。参加者は皆さんの足で、会場で起こるさまざまなハプニングや出来事、音楽を探し発見する旅になります。

 杉本博司が設計した江之浦測候所の壮大なランドスケープと、日本を含むアジア各国のアーティストたちとの予期せぬ邂逅をどうかお楽しみください。(大友良英)

参考文献
横井一江「大友良英によるアジアン・ネットワーキングの軌跡」(JazzTokyo、2025年3月1日公開)https://jazztokyo.org/interviews/post-109331/

■公演情報

小田原・江之浦測候所「MUSICS あるいは複数の音楽たち その3」
日程:2025年11月2日(日)・3日(月・祝)13:20受付開始 13:30開場 13:45開演(予定) 16:30終演
会場:小田原文化財団 江之浦測候所(https://www.odawara-af.com/ja/programs/otomo_yoshihide_ensembles2025/
料金:9,900円(江之浦測候所入館料含む)
出演:大友良英(percussion, objects)、リュウ・ハンキル(electronics)、イェン・ジュン(objects, voice)、ユエン・チーワイ(electronics)、コック・シューワイ(voice)、シェリル・オン(percussion)、吉増剛造(poet)、山崎阿弥(voice)、Sachiko M(objects)、松本一哉(percussion, objects)、石原雄治(percussion)、高岡大祐(tuba)、本藤美咲(sax/11月3日のみ)
ゲスト:巻上公一(voice)、細井美裕+岩田拓朗(sound installation)、小暮香帆(dance/11月3日のみ)

京都・UrBANGUILD「Far East Network Special」
日程:2025年11月4日(火)18:30開場 19:30開演
会場:京都・UrBANGUILD(https://urbanguild.net/event/20251104_fareastnetworkspecial/
料金:[前売]5,000円+1ドリンク [当日]5,500円+1ドリンク [23歳以下]3,000円+1ドリンク(要身分証明書提示)
出演:大友良英(guitar/東京)、ユエン・チーワイ(electronics/シンガポール)、リュウ・ハンキル(electronics/ソウル)、イェン・ジュン(objects, voice/北京)、コック・シューワイ(voice/クアラルンプール)、シェリル・オン(percussion/シンガポール)、Sachiko M(sinewave/東京)、立石雷(篠笛等/滋賀)、中川裕貴(violoncello/京都)、山内弘太(guitar/京都)

名古屋・今池Tokuzo -得三-「Far East Network Special」
日程:2025年11月5日(水)18:30開場 19:30開演
会場:名古屋・今池Tokuzo -得三-(https://www.tokuzo.com/2025Nov/20251105
料金:[前売]5,000円 [当日]5,500円
出演:大友良英(guitar/東京)、ユエン・チーワイ(electronics/シンガポール)、リュウ・ハンキル(electronics/ソウル)、イェン・ジュン(objects, voice/北京)、コック・シューワイ(voice/クアラルンプール)、シェリル・オン(percussion/シンガポール)、臼井康浩(guitar/名古屋)、小埜涼子(sax/名古屋)、服部正嗣(drums/東京、岐阜)

東京・新宿ピットイン
日程:2025年11月6日(木)19:00開場 19:30開演
会場:東京・新宿ピットイン(http://pit-inn.com/artist_live_info/251106asian/
料金:[前売]5,500円(税込/1DRINK付) [当日]6,050円(税込/1DRINK付)
出演:大友良英(g/東京)、dj sniff(turntable/LA)、ユエン・チーワイ(electronics/シンガポール)、リュウ・ハンキル(electronics/ソウル)、イェン・ジュン(objects, voice/北京)、コック・シューワイ(voice/クアラルンプール)、シェリル・オン(percussion/シンガポール)、類家心平(tp/東京)、細井徳太郎(g/東京)、荒川淳(electronics/郡山)

東京・南青山POLARIS「Far East Network Special」
日程:2025年11月7日(金)19:00開場 19:30開演
会場:東京・南青山POLARIS(https://polaristokyo.com/schedule/20251107
料金:[前売]5,500円+1ドリンク700円 [当日]6,000円+1ドリンク700円
出演:大友良英(g/東京)、dj sniff(turntable/LA)、ユエン・チーワイ(electronics/シンガポール)、リュウ・ハンキル(electronics/ソウル)、イェン・ジュン(objects, voice/北京)、コック・シューワイ(voice/クアラルンプール)、シェリル・オン(percussion/シンガポール)、Sachiko M(sine waves/東京)、Evicshen a.k.a. Victoria Shen(turntable/SF)

RCサクセション - ele-king

 彼らはそのころ交差点に立っていた。だが、舞台は寂しく、かつていた大勢はどこか別のところに行ってしまったようだった。無理もない。1976年4月23日にはラモーンズのデビュー・アルバムがお目見えとなるのだ。激流はロンドンに伝播し、同年10月にはダムドの「ニュー・ローズ」、そのよく月には「アナーキー・イン・ザ・UK」が世界を襲う。まさに、いまここから歴史的に、まだ誰もが見たことのない場所でその後の音楽に決定的な影響を与える大きなことがはじまろうとしているそのとき、“大きな春子ちゃん”に感情移入する人が少なかったことは容易に想像できる。
 が、しかしそんな逆境のなか、いちどは激流に流されながら蘇った極めて希有な作品がRCサクセションの『シングル・マン』だった。先日、新曲“おじいちゃん”を発表したばかりの坂本慎太郎と話す機会があった。そのときRCの話になったのは、『暮らしの手帖』36号の「わたしの大好きな音楽」コーナーにフィーチャーされた彼の選んだ「歌詞が好きな日本の音楽」10曲のうちの1曲がRCの“わかってもらえるさ”だったからだ。それで、RCでいちばん好きなアルバムは? という話題になったとき、酔っていたので記憶はおぼろげだが、たしか『シングル・マン』で話は落ち着いたと思う。
 まあ、「いちばん好きなアルバム」とは、そのときどきの心情や状況によって変わるものではあるが、RCのなかでこのアルバムがいちばん好きだという人は多いだろう。いまではすっかり名盤として広く認識されているが、しかし、ラモーンズのデビュー・アルバムの2日前にリリースされた『シングル・マン』は、リアルタイムではみごとな三球三振だった(すぐに廃盤になった)がゆえに、『シングル・マン』が1970年代なかばの日本(東京)という文脈のなかで書かれた文章、その社会においていかなる存在だったのかという評価の痕跡をぼくは見たことがない。いまにして振り返ればヒッピー的なるものの痛切な末期症状という解釈もできるかもしれない——、いや、しかし、これは時代から切り離され、リリースから数年後にタイムレスな音楽として広く評価された作品である。音楽もそうだが、このアートワークもタイムレスな魅力がある。だから、その出会いは十人十色で、感じる魅力、好きな度合いというのは人によって異なっていてしかるべきなのだろう。以下に書くのは、ぼくの感想文である。
 ぼくは、ライヴのクライマックスで“スロー・バラード”を歌っていた時代にファンになったひとりなので、最初はそのスタジオ録音が収録されているから聴いてみたいと思って高校生のときに買った。そして、聴いているうちにほかの曲もどんどん好きになっていった。感情がとめどなく噴出する“ヒッピーに捧ぐ”がいちばん好きだったときもある。“やさしさ”や“甲州街道はもう秋なのさ”のようなヘルマン・ヘッセ風の屈折した内面を歌った曲も好きだったし、ここ数年はずっと“うわの空”が好きでいる。
 “スロー・バラード”が入っているからといって、『シングル・マン』はまったく楽天的な作品ではない。アルバムを通して、不信、気まずさ、悲観、辛辣さ、そして愛情と憎悪が独白される。他者との関係に戸惑い、ときに苛立っているのは“ぼくはぼくの為に”や“やさしさ”、同時期に録音された“お墓”(のちに『OK』に収録)からうかがえる。なにしろ“ファンからの贈りもの”という、他者を拒絶する歌からアルバムははじまっているのだ。

 ラモーンズのデビュー・アルバムとほとんど同時期に出てしまった『シングル・マン』は、その前年に出るべきアルバムだった。録音は1974年の秋からはじまって1975年の春には終わってる。しかしながら、所属事務所内のトラブルによってバンドは干され、完成から1年以上経ってからのリリースになってしまった。また、RC史上ではドラムをフィーチャーした最初のアルバムであり、音楽性を高めるべく200%の力を注いだ作品だったのに拘わらず、楽曲のアレンジやミックスに関してバンドは納得していなかったようで(編曲は井上陽水のミリオンセラー作『氷の世界』を手がけた元モップスの星勝)、そもそもこのリリースにいたる経緯自体も幸福とは言えなかった。しかしながら『シングル・マン』は、RC/清志郎の全作品のなかでも——ぼくの主観的な印象だが——5本の指に入る人気作だと思われる。
 廃盤になったアルバムが音楽評論家の吉見佑子による再発運動によって正式に再発されたのは、日本のポスト・パンクが絶頂を迎える1980年のことだった。強烈な個人主義的告白——外面的な事件よりも内面的な心理への没入——を同調圧力の国に叩きつけているこのアルバムを、ぼくは聴き入ったものだった。そこには、集団の価値観や社会規範に打ち解けることのできない個人が世界とどう折り合いをつけるか、という葛藤が描かれている。そしてここが、ポスト・パンクに夢中だった高校生も入り込める、作ったほうでも予期しなかった共鳴点のようなものだったのだろう。“甲州街道はもう秋なのさ”におけるむき出しの疎外感は言うに及ばず、“ヒッピーに捧ぐ”における「豚どものを乗せて」というフレーズは、じつはパンクがヒッピーの改良版という説を裏付けてもいる。アルバム全体からは──初期のRCからバンドが解散するまで通底した反抗心とともに──どうにもならないやり切れなさが滲み出ているし、その救済として最後に“スロー・バラード”がある。それは美しい、無垢な恋愛感情かもしれないけれど、駐車場に停まった車のなかという閉ざされた空間における個人的なできごとに過ぎない。パンクやヒッピーにあった連帯(ソリダリティー)は『シングル・マン』においては排除されている。そしてそれを排除し、閉じていることが、この音楽作品に力を与えてもいるのだろう。

 音楽的には、高校生のぼくにはひと世代前の「大人の音楽」に思えた。 “冷たくした訳は” や“ファンからの贈りもの”、“スロー・バラード”といった曲の背後にある清志郎にとっての重要な影響源=メンフィス・ソウルをぼくが本格的に聴くようになるのは、もっとずっと後のことだった。換言すれば、ぼくは清志郎から南部のソウル・ミュージックを教えられたことになる。もちろん自分の人生で最初に買ったソウルのアルバムは『Otis Blue』だった。(*)
 高橋康治の『忌野清志郎さん』の巻末対談で言っていることだけれど、清志郎は、喩えるならシカゴ時代のフランキー・ナックルズのように、ひと時代前の音楽も、音楽に力があればどんな流行のなかでも通用することを身をもって教えてくれた人でもあった。これはリヴァイヴァル現象のことではない。リヴァイヴァル現象とは流行のことであって、そこに当てはまらない音楽、流行に敏感な人なら鼻にもかけないような音楽であっても光り輝くことができる……フランキー・ナックルズが1980年代の欧州ニューウェイヴに夢中な黒人の子どもたちに過去のものとされていたフィラデルフィア・ソウルの輝きを教えたように、ニューウェイヴに夢中な日本人の子どもたちに1960年代のメンフィス・ソウルのすばらしい光沢を伝えたのだった。(**)

 サザン・ソウルとは「ゴスペルに根ざし、感情をむき出しにした音楽のことである」、「それは完全にヴォーカルの芸術である。ソウルは共通の経験、つまり聴き手との関係を前提としている。これはブルースにも見られることであり、歌い手が聴衆の感情を確認し、それを展開してゆく」、こう説明するのは高名な黒人音楽評論家のピーター・ギュラルニックが引用したイギリスの作家クライヴ・アンダーソンだ。
 アンダーソンが定義する「ヴォーカルの芸術」という観点でいえば、忌野清志郎はまごうことなきソウル・ミュージシャンだったと言える。「世俗化されたゴスペルがブルースの“冒涜”を取り込み、ただひとつのもっとも重要な主題——愛の気まぐれ(the vagaries of love)——だけを扱った」音楽、しかしそれはリズム・アンド・ブルースの発展型で、すなわち魂の告白であると同時に、世俗的で作為的なものでもある。「ホーンが鳴り響き、二重の意味を含む歌詞があり、絶叫する歌手がいて、打ち鳴らされるリズムがある、そういう音楽」——オリジナルのソウル・ミュージックは「黒人の連帯を明確に表現していた」が、ただ先にも書いたように『シングル・マン』のそれは連帯を拒絶するものだった(「」内はすべてPeter Guralnick『Sweet Soul Music』からの引用)。
 とはいえ、ぼくが高校時代に観た二回のライヴ公演は、政治的には無色で、曖昧な叫びだったかもしれないけれど、それゆえ大多数に対して連帯を呼びかけるものだった(19世紀のフランスの詩人にして蓄音機の発明者、シャルル・クロス風に言えば「大人たちを怒らせるため、子どもたちを喜ばせるため」である)。『シングル・マン』の内的葛藤が、外の世界に向けての力強いエネルギーへと転換されていった話は、先述の『忌野清志郎さん』に詳しい。人と違っていることは良きことだとされるその世界のなかで、ぼくたちは熱狂し、舞い上がった。ステージで熱唱している人が、その数年前に『シングル・マン』をつくっていたことは、ぼくにとっては切り札のカードのようなものだった。あんな寒々しさと熱い情熱を孕んだアルバムをつくった人がど派手なロックンロールをやっているのだから、ここにはその表面上の派手さ以上のなにかがあるに違いないと思わせたのだ。

 『シングル・マン』で残念なのは、 “レコーディング・マン(のんびりしたり結論急いだり)” があまりにも短いことだ。RC史上もっとも実験的な曲、ビートルズにおける “レヴォリューションNo9” 、ファンカデリックにおける “Wars of Armageddon” になりえた曲だったが、1分ちょっとしかないからインタールードのようになってしまった。
 それはそうだが、この時代のバンドの音楽的な野心の高さの証跡でもある。ほかにも “夜の散歩をしないかね” という基本はブルース・ロックだが、RCには珍しくジャズ風にテンションコードを加味した曲もあって(ピアノを弾いているのは加入前のGee2wo)、これがまたじつにムードのある良い曲なのだ。“大きな春子ちゃん” は “ぼくの好きな先生” 路線のRC流フォーク・ソングのユーモアと牧歌性のある曲で、“うわの空” は“ぼくの自転車のうしろに乗りなよ” 路線のRC流サイケデリック・ソングだ。自分の好みという点で言えば、この4曲はほんとうに好きな4曲である。メロディが好きだし、後者2曲の日常的な非日常チルアウト・フォーク・ソングに関しては、そこはかとない寂しさがぼくには心地よく感じられる。“うわの空” の後半の展開はややピンク・フロイドっぽいとは思うのだが、この曲の歌い出しの「君は〜空を飛んでぇえ〜」という歌詞とメロディのコンビネーションはすばらしいとしか言いようがない。

 今回発売された「デラックス・エディション」、2枚組のうち1枚はオリジナル盤で、ZAKによるリマスター。もう1枚には、“スロー・バラード”と“やさしさ”のシングル・ヴァージョンをはじめ、“わかってもらえるさ”(そして“よごれた顔でこんにちわ”)のZAKによるリマスターほか、“恐るべきジェネレーションの違い (Oh,Ya)”と“甲州街道はもう秋なのさ~ANOTHER MIX~”の未発表ヴァージョンに加え、テレビ神奈川の番組「ヤングインパルス」における1976年4月25日のスタジオ・ライヴ(三田格編集の『生卵』には、この番組のことをチャボ宛てに綴った清志郎の手紙が掲載されているのだが、そうか、このことだったのか!)から6曲がZAKによるミキシングのもと収録されている。そのなかには“ぼくの眠るところ”という未発表曲がある。このライヴ演奏が思いのほか良かった。冬の時代のRCに思い入れがある人には興味深い内容かもしれない。ぼくは『シングル・マン』の録音がはじまる前——たいした活動もなかった頃——に清志郎が書いた日記、『十年ゴム消し』を愛読したひとりだ。あんな風に生きられたらいいなぁと憧憬したものだった。

(*)永遠の青年、ニック・ヘイワードが在籍したことで知られるヘアカット100なるUKニューウェイヴ・バンドのファースト・アルバムのジャケットに、メンバーのなかでひとりだけアフリカ系がいるが、彼こそは、1967年12月10日のオーティス・レディングら7名を死亡させた飛行機墜落事故における犠牲者のひとり、オーティスのバックバンド、バー・ケイズのドラマー、カール・カニンガムの実弟、ブレア・カニンガムである。ちなみにバー・ケイズのメンバーはこのとき全員まだ10代だった。ブレア・カニンガムも一流のドラマーとなって、渡英し、ヘアカット100での活動を経ると、一時期プリテンダーズでも叩き、なんと再結成したギャング・オブ・フォーでも演奏した。その後は、ポール・マッカートニーのバックバンドに加入し、数年にわたって活動をともにしている。

(**)メンフィス・ソウルの奥深さに触れることができたのは清志郎を聴いていたからだ。いつか鈴木啓志さんにあらためて書いてもらいたいところだが、ここは若い読者のために少しだけ註釈を。1955年2月にメンフィスのメシック高校で10代のエルヴィス・プレスリーが演奏したときを、グリール・マーカスは、その後のティーンエイジャーの世界の風景を完璧に変えた「ビッグバン」と呼んでいる。そして、その何年後かあとにメシック高校の舞台に立っていたのが、スティーヴ・クロッパーやウェイン・ジャクソン、ドナルド・ダンたちだった。また、人種差別/分離が根強かったメンフィスにおいては、黒人用のブッカー・T・ワシトン高校があった。ここの卒業生に、〈スタックス〉が誇る天才オルガン奏者、ブッカー・T・ジョーンズがいた(ほかにもアイザック・ヘイズ、デイヴィッド・ポーター、ウィリアム・ベル等々)。やがて彼らが交わって、人種差別を公然と批判するバンド、ブッカー・T・アンド・ザ・MGズが生まれる。政治的ユートピアとしてのレーベルとバンドがいるなか、デイヴ・マーシュが「卓越したバラード歌手であり、リトル・リチャードの精神を受け継ぐ真のロッカー」と最大限の賛辞を送ったオーティス・レディングが、1956年から頂点にいたエルヴィスを引きずり下ろすかのように登場する。ちなみに、「ガッタ、ガッタ、ガッタ」というリフレインはオーティスの真似だと言われているが、そもそもこれはオーティスのジェイムズ・ブラウンの模倣にはじまっている。

Wolf Eyes x Anthony Braxton - ele-king

 〈ESPディスク〉と言えばアルバート・アイラーをはじめ1960年代のアメリカのフリー・ジャズおよびアンダーグラウンドなロックの名盤(奇盤?)を多々残したレーベルとして有名だが、21世紀以降も新録をたびたび世に送り出していることは案外知られていないのかもしれない。たとえば2010年にはイーライ・ケスラーの『Oxtirn』をリリースしているし、米澤めぐみらアメリカ在住の日本人ピアノ・トリオによる『Boundary』(2018年)も〈ESPディスク〉だ。近年活況を呈する韓国のジャズ・アヴァンギャルドからはピアニストのチョン・ウンヘのソロ作『Nolda』(2021年)が出ており、韓国人初の〈ESPディスク〉からのリリースということで現地で話題を呼んだ。そのような歴史ある現在進行形のレーベルから出た2025年の新作の一つがウルフ・アイズとアンソニー・ブラクストンのコラボレーション・ライヴを収めた『Live at pioneer works, 26 october 2023』である。

 ウルフ・アイズは1996年にネイト・ヤングを中心に結成されたアメリカのノイズ系グループ。もともとヤングのソロ・プロジェクトとして始動したが、メンバー変遷を経て現在はジョン・オルソンとのデュオとして活動している。他方のアンソニー・ブラクストンは1960年代後半からキャリアを始め、シカゴのAACM(創造的音楽家たちの進歩のための協会)の初期からのメンバーであり、アルトサックスをはじめ多種類の楽器を扱う演奏家としても作曲家としても膨大かつ独創的な足跡を残してきたレジェンドだ。1994年にマッカーサー財団の「天才賞(Genius Grant)」を受賞したほか多数の賞も受賞している。理論家/教育者としての影響力も大きい。そうした両者がコラボレートするのは今回が初めてではなく、20年前に共演を果たしている。きっかけは2004年にスウェーデンのフェスティバルでブラクストンがウルフ・アイズを聴いたことだったそうで、ライヴ後にブラクストンは彼らのすべてのCD(当時すでに50枚以上は出ていたはずなのだが!)を購入、翌2005年にサーストン・ムーアが企画に関わったイベントでステージを共にし、その模様がアルバム『Black Vomit』として2006年にリリースされた。すなわち今回ESPディスクから出たアルバムは、20年近くの時を経て再び録音作品の制作が実現したことになる。

 正確には『Live at pioneer works, 26 october 2023』が出る前に、ウルフ・アイズが主導するコラボレーション・シリーズの一環として、自主制作で『Difficult Messages Vol. 5 Live in Los Angeles』が2024年にリリースされているが、25分ほどのミニ・アルバムだった。同作の録音が2023年10月4日のロサンゼルス公演で、それから約3週間後の10月26日、ニューヨークの文化センター「パイオニア・ワークス」でのライヴを録音したのが今回のESP盤である。ライヴはパイオニア・ワークスが主催する「False Harmonics」シリーズの第18回として行われ、4組の出演者のうちウルフ・アイズとアンソニー・ブラクストンはイベントのトリを飾った。約20年前の『Black Vomit』が、丁々発止のやり取りだけでなく、微弱な電子音響から耳を聾する轟音、そのノイズの嵐を掻き分けてサックスが浮かび上がるダイナミックな熱気に満ちていたのに対し、新録のESP盤はまさに円熟と呼びたくなる変化を遂げている。そもそも20年前の共演ではウルフ・アイズのメンバーはネイト・ヤング、ジョン・オルソン、マイク・コネリーの3人だったのに対し、コネリーが脱退して(入れ替わるように参加したジェイムス・バルジョーも抜け)、ヤングとオルソンのデュオになったという違いはあるのだが、むしろ音のヴァリエーションはESP盤のほうが豊かに感じるのである。強烈なハーシュノイズ、うねるような電子音、スペーシーなエフェクト音に加え、パイプや電子ノイズがまるでサックスのようなフリーキーな響きを奏でる。そこにブラクストンがソプラニーノ、アルト、さらにバスとサックスを持ち替えながら、時に朗々と、時に素早く、あるいは雑味を交えてフレーズを挟んでいく。場面によってはまるで多重録音された複数のサックスが複層的に絡み合っていくかのようだ。ここにはノイズの海をサックスが泳ぐような構図はないものの、そのことによってかえって、ウルフ・アイズとアンソニー・ブラクストンがさらに一体となっているようにも思うのだ。

 それにしてもブラクストンのサックス演奏は耳を惹きつける。とりわけ今回のESP盤では熱が入る場面も多々あり、唸り声を上げながら息を吹き込む様子には鬼気迫るものを感じた。思えば名盤『For Alto』(1971年)でサックス奏者としての音楽言語を披瀝したブラクストンだったが、近年は演奏家というよりも作曲家/理論家/教育者としての存在感が強かった。実際、今年80歳を迎えたブラクストンを祝してリリースされた8枚組大作アルバム『Trillium X』は彼が取り組んでいるオペラの作品であるし、書籍『Anthony Braxton - 50+ Years of Creative Music』の付属CDである『2 Comp (2023)』もタイトル通りコンポジション作品だった。彼が独自に開発してきた音楽システムを、下の世代のミュージシャンを交えて実践/発展させてきたのが近年のブラクストンの活動の特徴でもあった。あるいは、やはり生誕80周年を記念してサックス奏者スティーヴ・リーマンが捧げたアルバム『The Music of Anthony Braxton』は、現代のジャズ・ミュージシャンが作曲家としてのブラクストンを解釈することに重きが置かれていた。日本でも、新世代を中心とした刮目すべき即興音楽コンピレーション・アルバム『1,000,000 CHARGE OF PSYCHIC YOUTH』に、サックス奏者の山田光が、演歌のようなテーマから始まるブラクストン作曲の “Composition No.77 E” の演奏を寄せていた。そうした状況を踏まえても、今回のESP盤における、声を漏らしながら迫真のパフォーマンスを繰り広げるブラクストンの姿は、演奏家としての現在の彼にあらためて耳を傾けるという意味でも重要だろう。

Miru Shinoda - ele-king

 バンド・yahyelでの活動、〈Protest Rave〉運営メンバーといった一面でも知られる音楽家・篠田ミルが、ソロ・デビュー作となるEP「Pressure Field」を昨年リリース作『epoch』のプロデュースなどで関係を深めた松永拓馬と共同運営するレーベル〈ECP〉より10月22日にリリース。

 映画音楽やサウンド・アートの領域までを広く行き来する傍ら政治的アクションにも積極的にかかわる彼によるEP「Pressure Field」は、変容する社会への疑問を投げかけるかのようなメッセージと、実験性とポップセンスが同居する巧みなサウンド・デザインによって構成された6曲入の作品。音楽家として社会を見つめ、音で問題提起を続けてきたかれなりの、現況へのアンサーか。以下詳細。

Artist:Miru Shinoda
Title:Pressure Field(EP)
Label:ecp
Format:Digital
Release: 2025.11.5
Streaming:https://linkco.re/nBDz4muE

Tracklist:

1. Big Site
2. Hottest Summer
3. Good Morning Mr.Kishida
4. Power Plant - Fukushima 250117
5. Sine Waves in The Rain
6. Path

All songs written/produced/mixed by Miru Shinoda
Mastering: Wax Alchemy
Artwork: Atsushi Yamanaka
Label: ecp
Artist Photo: Kenta Yamamoto
PR: Masayuki Okamoto
Production: スタジオ さ組

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これまで松永拓馬、ACE COOL、Rinsaga、May J.ら多彩なアーティストとの楽曲制作や、yahyelメンバーとしての国内外での活動、また舞台・映画音楽、ファッションムービーのサウンドデザイン、サウンドアートの領域まで、様々な創作の場を越境してきた音楽家・篠田ミルが、ソロデビューとなるEP《Pressure Field》を発表する。

更新され続ける猛暑、身体に染みついた新自由主義、福島の発電所が放つノイズ、雨の中でゆらぐ正弦波。
『Pressure Field』は、圧力変化の個人的な備忘録であり、その音響的な軌跡である。

篠田ミルはこれまで、コロナ禍のライブハウス・クラブカルチャーを守るムーブメント『#SaveOurSpace』や、クラブカルチャーに根ざしたサウンドデモ『プロテストレイヴ』を企画するなど、政治的アクションにも深く関わってきた。

また、2024年には相模原市藤野の自然環境を舞台とした野外イベント『by this river』を開催し、自然環境の中で音楽と観客が一体化するような実験的空間を創り上げた。2025年には、被災地支援を行うbeatfic experimentとのコラボレーションのもと、福島県で開催された『rural 2025』にて、「被災の記憶に耳を澄ますこと」を主題に、ポータブルラジオを使ったサウンドパフォーマンス“Tuning for Pray”を初演。さらに、音楽家・原摩利彦の声がけのもと、パレスチナ・ガザでレコーディングした音を元にした楽曲の購買で支援に繋げる『THEY ARE HERE』プロジェクトへ共同発起人として参加している。

こうした実践に共通するのは、「音と場」の関係性を通じて、社会に対する聴覚的な応答を試みる姿勢である。

今回のソロデビューEPは、これら長年のコラボレーションと分野横断的な経験を凝縮し、個人的なステートメントとして結実させるもの。ポップな感覚とアヴァンギャルドな質感、そして社会や環境への鋭敏な感受性が交差する作品となっている。

また、本作品は2024年に篠田ミルと松永拓馬が設立したレーベル/プラットフォーム「ecp」よりリリースされる。

●篠田ミル / Miru Shinoda

1992年生まれ。音楽家。
2015年にyahyelのメンバーとしてデビュー。以降、松永拓馬やACE COOL、Rinsagaなど多くのアーティストと楽曲提供やプロデュースを行う。また、ファッションブランドのルックムービーや映画音楽、舞台音楽の作曲、サウンドインスタレーションやパフォーマンスの制作にも携わる。
2024年には松永拓馬と共にレーベル・プラットフォーム《ecp》を設立、神奈川県藤野にてイベント《by this river》の開催に携わる。
また、これまでに《プロテストレイヴ》や《D2021》などの表現活動を通じたアクティビズムにも、企画や運営を通じて積極的に参加している。

近年の主な参加作品:
・サウンドパフォーマンス “Tuning for Pray”(2025)
・ACE COOL『明暗』(2024)
・松永拓馬『Epoch』(2024)
・橋本ロマンス『饗宴』(2024)
・Rinsaga『Saga』(2022)
・May J.『Silver Lining』(2021)

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