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Ryan Davis & The Roadhouse Band

Alternative RockCountry Rock

Ryan Davis & The Roadhouse Band

New Threats from the Soul

Sophomore Lounge

天野龍太郎 Oct 27,2025 UP

 ここ数年、アメリカーナの再検証や再定義がかの国の様々なジャンルでなされてきたことは、その年のトピックとして本誌の年間ベスト・アルバム号のインディ・ロックの項で何度か触れてきた。そして、2023年にはブロ・カントリーの系譜にあるマッチョなカントリー・ソングがアメリカのヒット・チャートを席捲したわけだが、2025年に入ってからはその流れが落ち着きつつある(あの戦略家テイラー・スウィフトが、ポップ・カントリーにいっさい回帰しなかったのは逆に不気味だった)。
 そんななか、ザック・ブライアンのような優れたシンガーソングライターがオーヴァーグラウンドで注目を集めた一方で、インディ・ロックのサブジャンル的な領域でも、インディ・フォークやオルタナティヴ・カントリーといったアメリカーナに類するスタイルは存在感を増してきたし、優れた作品がいくつも生みだされてきた。その象徴が、ビッグ・シーフエイドリアン・レンカーであり、直近ではウェンズデイとMJ・レンダーマンである。
 思いだしてみよう。1990~2000年代にも、アンダーグラウンドにそういった潮流がたしかにあったことを。それは、シカゴのレーベル、〈ドラッグ・シティ〉に特に顕著で、ボニー・“プリンス”・ビリーことウィル・オールダム、シルヴァー・ジューズのデイヴィッド・バーマン(彼が亡くなってしまったことはほんとうに残念だった)、スモッグ/ビル・キャラハンといったシンガーたちが多くの充実した作品をリリースしていた。また、ガスター・デル・ソルジム・オルークデイヴィッド・グラブズはフォークと電子音響を接続し、ジョン・フェイヒィやロビー・バショーの再評価を促しもした。スワンズが1997年に解散したあとのマイケル・ジラは、エンジェルズ・オブ・ライトやレーベル、〈ヤング・ゴッド〉での活動によって、ニュー・ウィアード・アメリカ/フリーク・フォークの潮流を準備した。あるいは、若くして亡くなったソングス:オハイアことジェイソン・モリーナの存在も重要である。ウィルコやドライヴ・バイ・トラッカーズとちがってあまり顧みられることのない領域だが、近年、あの時代の音楽がますます意味を持ってきているように感じる。
 その証拠に、オルトカントリー・シーンに颯爽と現れ、実のところ、遅れて注目を浴びたライアン・デイヴィス&ザ・ロードハウス・バンドのニュー・アルバム『New Threats from the Soul』には、同郷の先輩であるオールダムが参加している。バンドでヴィオラを弾くエリザベス・フューシャは、ボニー・“プリンス”・ビリーのバックで演奏してきたプレイヤーだ。そして、キャラハンと生前のバーマンは、デイヴィスの才能を称賛している。

 地元ケンタッキー州ルイヴィルを拠点にしているライアン・デイヴィスは、もともとステイト・チャンピオンというオルトカントリー・バンドをシカゴで結成し、2000年代後半から活動していたが、バンドは5枚のアルバムを残し、あまり注目されないまま、2018年に解散した。その後、彼は、孤独な多重録音の作業によってソロ・アルバムをつくりはじめた一方、パンクを鳴らすトロピカル・トラッシュ、実験的なポストパンク系の音楽をつくっているイクウィップメント・ポインティド・アンクといった、よりアンダーグラウンドなバンドでも活動してきた。サン・ラーもヒップホップも好きだという彼は、とにかく音楽的な嗜好が幅広い。
 デイヴィスが通った大学は、まさにシカゴにあった。〈ドラッグ・シティ〉にインターンしていたといい、その経験が大きかったのだろう、現在の彼は、自身のレーベルである〈ソフォモア・ラウンジ〉を運営し、クロップト・アウトというフェスティヴァルを主催し、テクニーク・ストリートというオンライン・ショップも経営している。つまり、360度で音楽の実業に取りくみ、なおかつ、地域のコミュニティに身を捧げる、ハブのような存在なのだ。
 ドローイングやインストゥルメンタル・ミュージックの制作に没頭していた時期もあり、「もう二度と『歌』のアルバムを作ることはないだろうと思っていた」そうだが、しかし、デイヴィスは再び一人で曲を書きはじめ、仲間たちの助力を得て、ザ・ロードハウス・バンドとのデビュー作『Dancing on the Edge』を2023年に完成させた。その後、アルバムの評判は、じわじわと拡大していった。
『Dancing on the Edge』は2023年10月にリリースされているが、私が聴いたのは、ピッチフォークが載せたレヴューを読んだことがきっかけだったと思う。奇妙なカヴァー・アートとバンド名にも惹かれてアルバムを再生し、幕開けの“Free from the Guillotine”で一瞬にして心を掴まれた。冒頭のギターの音色に一気に持っていかれ、デイヴィスが歌いはじめたとき、私はすぐにバーマンの音楽を思いだした。それからというもの、あのアルバムにのめりこんで聴きつづけていた。

 前作から2年弱経って、デイヴィスとザ・ロードハウス・バンドは、セカンド・アルバム『New Threats from the Soul』をリリースした。「崖っぷちで踊る」から「魂より出できたる新たな脅威」へ。音楽性も、ボブ・ディランやニール・ヤングやドライヴ・バイ・トラッカーズを思わせたシンプルなオルト・カントリーにさりげなく電子音を加えていたスタイルから、自由に広がりを見せている。彼の多様な嗜好や電子音楽への興味を反映させたのだろう、カントリー・ロックにドラムンベースを接ぎ木したかと思えば(“Monte Carlo / No Limits”)、シンセポップのようなインダストリアルなビートの上にバンドアンサンブルをのせてのびのびと歌い(“The Simple Joy”)、アシッド・ハウスのようなTB-303の音がうねるスラッカー・ロックもある(“Mutilation Falls”)。
 6分を超えるエピックな長い曲を書いているのはあいかわらずで、9分台の曲がふたつもあり、“Mutilation Springs”に至っては11分以上もある。長大な曲をシンプルな展開で聴かせるにもかかわらず、だれた冗長な感じがしないのは、彼の語りかけるような歌いくちや長い長いリリックの妙、ペダル・スティール・ギターやコーラスの豊穣で温かな響きゆえだろうか。魅惑的なメロディを書くソングライティングの力も、大いに関係していると思う。

 デイヴィスが批評家たちから高く評価されているのは、ザック・ブライアンやMJ・レンダーマンと同様に、リリックの巧みさによるところも大きい。たとえば、Bandcampのページに掲載されたネイサン・ソールズバーグ(デイヴィスと同郷のギタリスト)のやけに晦渋なテキストでは、こんなふうに書かれている。「ライアンは、ChatGPT対応のタイプライターで、猿が苦労して100年かけて書いても成しとげられなかった不完全韻を踏むことができる。“bromeliad”と“necrophiliac”、“urinal”と“de Chirico”という部分だ。キンキー・フリードマンは、彼の笑える歌が悲しいと捉えられ、悲しい歌がファニーだと思われている、と嘆いたが、その両方が同時に機能している。キンクスターのように、ライアンは、聴き手をむせこむほどに笑わせることができる。たとえば(ひとつだけ例を選ぶのはひじょうに難しいが)、『時間は友だちでも敵でもないことを学んだ/むしろ、職場の仲間の一人のようなものだ』」。
 情けないスラッカー・ロック的なルーザー像の上に、デイヴィスは多層的なレトリックをユーモラスに塗りこんでいく。「でも、風船ガムと流木があればもっといい人生を歩めると思っていた(But I thought that I could make a better life with bubblegum and driftwood)」と、彼は“New Threats from the Soul”で歌う。あるいは、「キリストが好む場所だと言われたあらゆるところで、彼を見つけようと奔走している(I am scrambling to find Christ in all the places I’m told he likes)」。なんじゃそりゃ、となるわけだが、リリカルなおかしみと悲しみがどうにも漂ってきてしかたない。「俺は給料のためにさえずり、鎖のブランコを揺らす籠のなかの鳥でしかない(I will never be (never be) / Anything (anything) / Other than a caged bird swinging from a chain swing, whistlin' for my payseed)」というラインは絶望的だ。人生の“if”を想像し、「魂より出できたる脅威」を宥めてほしいと願う憂鬱や苦悩を、彼は不思議なリリシズムで表す。
 “Mutilation Springs”からは、特にデイヴィスのさびしげな詩情が立ちのぼってくる。「石棺の朝/そして、ヘア・メタルの午後/太陽が引っこむ頃には/月面にニキビが見えるほどだ/俺はいったい何者なんだ?(Sarcophagus mornings / And hair metal afternoon / By the time the sunshinе retracts / We could practically see the acnе / On the face of the moon / What even am I?)」。さらに、「いい時代だったってことに気づかされる/子宮の陰に隠れて/いい時代だったってことに気づかされる/俺が別の人間だった頃は(Better times used to let me find them / Hiding in the shade of the womb / Better times used to let me find them / Back when I was someone else)」からの、「今夜、俺たちはどの過去を追いかけよう?(Which past will we choose to chase tonight?)」。「いい時代だったってことはすごく残念だ/そして結局のところ、これは運命の試練なんだ(It’s too bad about the good times / And all in all, it’s a test of fate)」という嘆きはどうか。「どうしてアメリカなんだ?(Why America?)」というデイヴィスの悲痛な問いは、40歳を迎えた自身の人生の物語にも、過去の栄光を復古せんとするMAGAの思想にも、そしてアメリカーナという音楽にも突きつけられている。
 “The Simple Joy”には、本質的で決定的なラインがある。「痛みに値札を貼ることなんてできない(You can’t put a sticker pricе on hurt)」。陰謀論もネタにしながら、皮肉めいた言葉を吐く冒頭のラインも印象的だ。「俺は、牛の群れが通る道と過去の人生のケムトレイルとの区別がほとんどつかない(I can barely tell the cattle roads from the chemtrails of our past lives)」。デイヴィスの詞が過去という甘美な誘惑に固執しつつもそれに抗い、人生をストーリーテリングすればするほど、アメリカーナの音を通してかの国に対する視座が浮かびあがってくる。デイヴィスの歌は、彼の人生の歌であり、やはり、それと同時に、アメリカの歌でもあるのだ。

天野龍太郎