「DJ DON」と一致するもの

interview with Taylor McFerrin - ele-king


Taylor McFerrin
Early Riser

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 あらゆる音楽を取り込みながら進化を続けるテイラー・マクファーリンが、フライング・ロータスが主宰する〈ブレインフィーダー〉から、初のフルアルバム『アーリー・ライザー(Early Riser)』をリリースした。ジャズとクラブ・ミュージックの融合をはかりつつ、さらにネオ・ソウルやポストロックの要素までをも詰め込んだ本作は、ロバート・グラスパーに代表される2000年代のジャズ・シーンに新たな道を示すことになるだろう。ゲスト・ミュージシャンも、そのロバート・グラスパーはもちろん、父親であるボビー・マクファーリンやセザール・マリアーノまで多岐にわたっており、本作における多彩な音楽性を物語っている。

 本インタヴューでは、そんな多彩な音楽性がどのように形成され、また実際に『アーリー・ライザー』がどのように作られたのかを探った。伝説的な歌手を父にもち、学生時代にヒップホップにはまってビートを作るようになったというテイラー・マクファーリンの、ユニークで現代的な音楽観に注目してほしい。ジャイルス・ピーターソンが激賞し、フライング・ロータスがリリースをオファーしたことの意味がわかるようである。テイラー・マクファーリンは、どこから来て、どこに向かっているのだろうか。

テイラー・マクファーリン

Taylor McFerrin


ブルックリンを拠点として活躍するプロデューサー、ピアニスト、DJ。〈Brainfeeder〉の設立者で、コルトレーン一族の末裔であるフライング・ロータスや、グラミー賞の栄冠に輝く凄腕ドラマーの兄と世界的ジャズ・ドラマーの父を持つサンダーキャット同様、ジャズ界の大御所ヴォーカリスト、ボビー・マクファーリンを父に持つサラブレッド。ホセ・ジェイムズやロバート・グラスパーと共演するなど、デビュー前からその実力が高く評価され、すでに来日も決定している。ファーストEP「ブロークン・ヴァイブス」が話題を呼び、デビュー・アルバム『アーリー・ライザー』には驚くばかりに豪華なアーティストが参加した。

曲を作り出したのは1997年くらいかな。(中略)……あのときMPCを選ばなかったのはバカだった(笑)。あのときは、MPCがビートを作るのにベストなマシンだってことにまだ気づいてなくて。

音楽をはじめた経緯を教えてください。

TM:曲作りは、高校1年くらいではじめたんだ。ミネアポリスの名門高校……っていってもべつにそこまで名門じゃないんだけど、そのお坊ちゃま高校に入ったときに、クラスにいた5、6人がヒップホップにはまっていて、俺はその中の一人だったんだ。
 俺は、あまりヒップホップの歌詞は聴いてなくて、それよりもビートに興味があった。で、そこから自分でビートを作るようになったんだ。父親が新しいキーボードを買って、古いキーボードを俺にくれたんだけど、あれも音楽をはじめる大きなきっかけになったね。その後、DR-202のドラムマシンも手に入れたんだ。だから、DR-202とXP-80を持っていた。曲を作り出したのはそこからだから……1997年くらいかな。
 そこからマシンをアップグレードしてサンプルにもハマりだしたり……あのときMPCを選ばなかったのはバカだった(笑)。あのときは、MPCがビートを作るのにベストなマシンだってことにまだ気づいてなくて。MPCをあのときゲットしていれば、俺のプロダクション・スタイルは断然ベターなものになっていたかも。
 でも、これはこれでよかったのかもしれない。MPCがなかったから、キーボードをプレイすることによりフォーカスできたんだ。

プロとして活動しだしたのはいつごろだったのでしょう?

TM:なぜか忘れたけど、大学一年のときに友だちのボーイフレンドでMCのやつがいて、彼が俺の寮に来たときにビートをプレイしたら、彼がその上からライムをのせて、いっしょにやりはじめるようになったんだ。で、彼がEPを作ることになって、当時の俺のプロデューサー名はクロックワイズだったんだけど(笑)、そこからいっしょに何曲か良いトラックを作ったんだ。
 以降、曲をもっと作るようになって、曲を書くミュージシャンになるっていうアイディアを少し持つようになった。大きな変化が起こったのは、その翌年にミネアポリスからニューヨークに引っ越したとき。ミネアポリスにいたとき、すでにニューヨークに引っ越した友だちがいたから、何度か彼を訪ねていったことがあって、もっと本格的に音楽をやるならニューヨークの方がいいかもしれないって話をするようになったんだ。本当はバークリー音楽大学も考えていたんだけど、あれは父親がバークリーで講師をする代わりに俺が無条件で入れる、みたいな感じだったから、それは避けたくて。
 で、実際ニューヨークに越してきてから、ニュー・スクール(大学)でジャズプログラムを専攻しているかなりハイ・レベルのミュージシャンたちに出会ったんだ。その流れで、彼らといっしょにグループを組むことになった。そのバンド名がいけてなくて──グランドファーザー・リディキュラス(Grandfather Ridiculous)っていうんだけど(笑)、彼らといっしょにユニオン・スクエア・パークでショーをやったんだ。それが俺の最初のショーになった。けっこうちゃんとしたショーで、俺のニューヨークのキャリアのはじまりだったんだ。そこからもっと真剣に音楽をやるようになった。で、そのバンドが解散してから自分の作品作りをはじめて、それが“ブロークン・ヴァイブス”になったんだ。

作曲やプロデュースはもう高校の時点からはじまっていたんですね。DJの活動はどのようにはじめたのですか?

TM:DJはそこまでやらないんだ。俺はレコード・コレクターじゃないからね。高校で聴いていた音楽しか持ってない。90年代のヒップホップとか、60年代、70年代のソウルとか。だから、俺の場合どんなパーティでもDJできるってわけじゃないんだ。俺がプレイできるレコードのカタログを持っているクラブやバーでたまにやっていたくらい。小遣い稼ぎって感じで、定期的にはDJはやってない。ここ2、3年はとくにそう。DJよりもやりたいことがたくさんあったからね。

クラブ・ミュージックが自分のスタイルだったことはないんだ。だから、当時もみんなが何を聴いているかとか、そういうことは知らなかった。俺の場合はライヴ・ミュージシャンの友だちの方が多かったし、彼らが演奏するものをチェックすることの方が多かったから。

テイラー・マクファーリンの音楽には、これまでもクラブ・ミュージックの要素が多くあり、ヒップホップ・アーティストとの共演もいくつかありました。あなたにとって、クラブ・ミュージックとはどのような存在だったのでしょう。

TM:どうだろう。自分でもよくわからない。クラブ・シーンは、俺がたくさんのミュージシャンに出会った場所ではある。ニューヨークでの最初の7年は、当時は〈APT〉っていうクラブがあって、そこによく行ってた。すごく小さいんだけど、けっこういいDJたちがプレイしてたんだよね。あの場所は俺にとって新しい音楽の発見の場所だった。インスパイアされたよ。それに関わるようになった最初のころは、ブロークン・ビートのシーンがすごく大きかったと思う。
 でも、俺ってそこまでクラブに行くタイプではないんだよね。そういう音楽やシーンを知ってる理由は、自分が出るショーの会場をチェックしたり、他にどんなアーティストやDJがプレイするのかを調べるからってだけで。クラブ・ミュージックが自分のスタイルだったことはないんだ。だから、当時もクラブのシーンでみんなが何を聴いているかとか、そういうことは知らなかった。俺の場合はライヴ・ミュージシャンの友だちの方が多かったし、彼らが演奏するものをチェックすることの方が多かったから。

初のフル・アルバムが〈ブレインフィーダー〉から出ることになった経緯について教えてください。

TM:フライング・ロータスが俺に連絡してきたんだ。LAで俺のショーがあったとき、彼も来てくれると思っていたんだけど、都合が悪くて来れなくて。だから彼がFacebookで連絡してきて、ゴメン、次は必ず行くからってメッセージをくれたんだ。で、その流れで続いていた会話の中で、俺は自分がどんな音楽を作ろうとしているかを彼に話した。そこから最終的に自分が作ったばかりの3曲、“プレイス・イン・マイ・ハート”と“ダーン・フォー(Done For)”“アウェイク・トゥ・ユー”を送ったら、彼がそれを気に入ってくれて、〈ブレインフィーダー〉からリリースしてみないか? とオファーをくれた。だからすぐに「最高だな!」って返事したんだ。

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俺が思うジャズ・ミュージシャンっていうのは、マスタリングと楽器にフォーカスを置いているミュージシャンたちだから。楽器をどう演奏するかで自分を表現しているし、スタンダードなジャズをしっかり勉強してる人たち。

ここ数年(日本では、とくにロバート・グラスパー『ブラック・レディオ』以降)、ロバート・グラスパーやクリス・デイヴなど、クラブ・ミュージックの影響を色濃く受けたジャズ・ミュージシャンの活躍が目立っています。ジャズというジャンルで、このような音楽が続々と花開いているのは、どうしてだと思いますか。

TM:何人かのプロデューサーたちがジャズをサンプリングしてヒップホップの中に取り入れたり、クラブ・ミュージック的なタイプの音楽に取り入れたりした流れじゃないかな。たとえばムーディーマンは、ソウルの作品をたくさんサンプリングしてハウスのコンセプトにそれを取り入れている。Jディラやマッドリブも、いつもジャズやソウルをぶつ切りにして、それを使ってビートを作っていた。だから、自然とその流れでそういう音楽が出てきて、注目されるようになってるんだと思う。
 ロバート・グラスパーのようなミュージシャンたちはJディラからたくさん影響を受けているし、ロバートはJディラをたくさんカヴァーしているし、Jディラあたりがそのムーヴメントのトップにいるんじゃないかな。ヒップホップのアーティストも彼ら独自のやり方でジャズを表現していて、サンプリングしたりもしている。いまの時代、ひとつの音楽にとらわれずにそこにいろいろと混ぜるやり方で曲作りをしているアーティストは多いしね。そういった変わった音のブレンドって、すごくクールだと思う。ひとつの決まった音楽を必ずしも作る必要がないということを提示しているしね。いろんな影響が繋ぎ合わさっているのはいいことだから。

テイラー・マクファーリンの音楽は、ジャンルの枠にとらわれないものだと思います。だとすれば、ご自身の音楽において、「ジャズ性」はどういった部分にあると思いますか。過去のジャズと自分の音楽が接続されるポイントはどこにあると思いますか。

TM:わからないけど……このレコードでジャズだなと思うのは、マーカス・ギルモアがプレイしている箇所。それと、父親とマリアノスが参加しているトラックもジャズっぽいと思う。でも、俺自身はジャズというよりはソウルにインスパイアされていると思うんだよね。あとフュージョンとか。フュージョンはストレートなジャズとは違うから。俺もなんて言っていいかわからないけど、自分自身をジャズ・ミュージシャンだとはあまり思ってないんだ。俺が思うジャズ・ミュージシャンっていうのは、マスタリングと楽器にフォーカスを置いているミュージシャンたちだから。楽器をどう演奏するかで自分を表現しているし、スタンダードなジャズをしっかり勉強してる人たち。でも、俺はそういうプロセスは踏んでいないし、ビートメイキングも自己流。だから、ジャズとのコネクションを感じはするけど、それは直接的ではないんだ。

以前、自分がライヴで即興をやる部分は、気づけば自然と父親のジャズの影響が出ているかもしれないと言っていましたよね。即興演奏という部分は「ジャズ性」にはならないですかね?

TM:あ、たしかに。それは一理ある。でもどうだろうね。他のたくさんのジャズ・プレイヤーたちといっしょにハイ・レヴェルな即興をやるっていうのはやはり俺には無理だから(笑)、やっぱりそれができるのがジャズ・ミュージシャンと呼ばれる人たちだと思う。

ジャズはこれまで、ソロでの即興演奏が重要視されるような価値観があったように思います。「ソロがないとジャズとして物足りない」という意見もあります。このことについてはどう思いますか。

TM:俺はあまり音楽の定義とかそういうことは気にしない。黄金期のジャズを箱に入れて守るために誰かがそう言っているんだと思うけど、それは理解できなくもない。昔の、まさにジャズの時代のジャズ・ミュージシャンたちは、歴史を知らず知識もない若いプレイヤーがジャズを語るのは気に入らないだろうしね。でも世代を超えて要素ってものはどんどん変わっていくし、あるミュージシャンがジャズに影響を受けていたとしても、だからといってジャズの特定のスタイルにこだわらないというのは自然の流れだと思う。だから、俺は自分の音楽を必ずしもジャズとは呼ばないんだ。俺はそういうジャズの時代の後の音楽を聴いて勉強してきたわけだからね。

俺はあまり音楽の定義とかそういうことは気にしない。黄金期のジャズを箱に入れて守るために誰かがそう言っているんだと思うけど、それは理解できなくもない。昔の、まさにジャズの時代のジャズ・ミュージシャンたちは、歴史を知らず知識もない若いプレイヤーがジャズを語るのは気に入らないだろうしね。

過去のジャズ・ミュージシャンで影響を受けた人はいますか。どのような点で影響を受けましたか。

TM:マッコイ・タイナーは絶対。あとは、マイルス・デイヴィス・クインテットとジョン・コルトレーンのソロ作品。とくにマイルスとコルトレーンからは影響を受けている。あと、マイルス・デイヴィス・クインテットのメンバーでもあったハービー・ハンコック。それがトップの影響だと思う。マイルズに関しては、彼が自身の音楽の中でエレクトロの要素を出しはじめて、『ライヴ・イヴル』のアルバムを出したころ。あのときはジャズ・プレイヤーたちが電子機器を使って演奏しはじめたときで、マイルスもワウペダルやアンプ、シンセサイザーを使ったりしていた。そこからジャズとエレクトロニック・ミュージックが交差しはじめたから、あれはムーヴメントだったと思う。それに、俺が子どものころ聴いていたミュージシャンたちも彼らから影響を受けているしね。

〈ブレインフィーダー〉は、とてもユニークな音楽を発表しています。〈ブレインフィーダー〉およびフライング・ロータスに対する印象を教えてください。

TM:〈ブレインフィーダー〉はクールなレーベルだよ。いまはけっこう規模が広がってアーティストもたくさんいるけど、最初は少なくて、みんな本当に仲間って感じだった。いつもフライング・ロータスを中心にいっしょに出かけたり。そこからくる特別なエナジーがあったんだ。そのエナジーはいまも変わらない。みんな似た経験をしていて、同じ街にいて、互いにインスパイアしあって、いっしょにムーヴメントを作っている。そういう部分は本当に尊敬するよ。俺はニューヨークに住んでいるから少しアウトサイダーみたいな感じもするけど(笑)、もしかしたらフィアンセといっしょにLAに引っ越すかもしれないんだ。いまはロサンゼルスにとって特別な時期だと思う。アーティストに自由に音楽を作らせることによって境界線を押し広げている〈ブレインフィーダー〉は世界的にリスペクトされてるし、そこに関われているのはクールだと思う。
 いまのロサンゼルスのシーンでおもしろいのは、音楽から感じるエナジーが、たくさんのミュージシャンたちがお互いをよく知っていた黄金期のエナジーと似ていること。みんな一般的なスタンスは持っているけど、それぞれが自由にちがうことをやって境界線を押し広げている。みんなが新しいことにトライしているんだ。マイルスは、若手のミュージシャンたちを自分のまわりに置いて、自分の音楽を前進させようとしたことで有名だけど、きっと彼は、彼らに好きなことを一気にやらせて、それが混ざったときに生まれるダイナミックなサウンドをエンジョイしていたんじゃないかな。

いまのロサンゼルスのシーンでおもしろいのは、音楽から感じるエナジーが、たくさんのミュージシャンたちがお互いをよく知っていた黄金期のエナジーと似ていること。

 フライング・ロータスは、たぶんレーベルやコラボのために、スタンダードな音楽を作りつづけるだけじゃなく、自分の作品を前進させようとしているアプローチを持ったミュージシャンたちを探しているんだと思う。レーベルをそこからどんどんちがう方向性に広げていこうとしているんだと思うよ。それは音楽を作る上で俺にとっては大切なことだし、ロータスにとっても大切なはず。だから、ロータスが〈ブレインフィーダー〉からレコードを出さないかとオファーをくれたときはうれしかったよ。自分がいるべき場所のひとつだと思っていたから。もともとフライング・ロータスのファンでもあったんだ。彼の音楽に関して好きなところは、最初に聴いた時点でそれをすべて理解する必要がないこと。一瞬でわかる要素もあれば、彼はいったいここで何がしたかったんだろう? と思う箇所もある。でも、聴いていけば聴いていくほど、だんだんそれがわかってくるんだ。そうやって彼の考えの中にじわじわと入っていくのがおもしろいんだよね。

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何を使って曲を作ろうが、最終的にはただの音を超えた何かを得ることが大事だと思うから。


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『アーリー・ライザー』では、とくに“フロラジア(Florasia)”が、ディ・アンジェロやエリカ・バドゥを思わせる、ネオ・ソウルのような曲でよかったです。共演したホセ・ジェームスなどの活躍もあり、ネオ・ソウルにも注目が集まっているように思います。“フロラジア”ではヴォーカルもとっておられますが、このような音楽(ネオ・ソウル)に対して、どのように思っていますか。

TM:俺にとって、いちばん音楽に影響を受けた時代は、高校と大学1年のとき。その時期は、ミュージシャンになりたいと思わせる影響をたくさん受けていた。自分たちをスーパー・グループと呼んでいたソウルクウェリアンズとか。だから、ディアンジェロ、Jディラ、コモンとかだね。気にしていない人もいたけど、彼らのほとんどがネオ・ソウルという言葉を好んでいなくて……でも、君が言っていることはわかるよ。あのトラックは、じつはアイズレー・ブラザーズみたいな曲を作ろうとしてたんだ。ドラムのパターンはたしかにソウルクウェリアンズに影響を受けているし、他に比べて、あのトラックはとくにそういう要素が目立っていると思う。俺にとって、ああいった音楽は時代を超越した音楽なんだ。本物の楽器をプレイしてるし、だからこそ、そのサウンドには暖かみがある。そういう暖かさを持った音楽は、俺はタイムレスな音楽だと思うんだ。ネオ・ソウルに限らず、他にもいろいろあるけどね。」

プログラミングで打ち込みの音楽がおこなえるようになった現在、プレイヤーの演奏技術は重要だと思いますか。重要だとすれば、どのように発揮されるのが良いでしょう。

TM:大切だと思う。何を使って曲を作ろうが、最終的にはただの音を超えた何かを得ることが大事だと思うから。たくさんのアーティストたちがMPCを手に入れているけど、そのうちの誰もがJディラみたいにプレイれきるわけじゃないし、デジタルのキーボードだけでは、ある特定のタイプのサウンドはゲットするのが難しいんだ。サウンドのパレットにリミットができてしまうから。でも本物の楽器を持っていれば、音に違いが生まれる。なぜかって訊かれると説明できないけど、金があったら俺はそのすべてをヴィンテージのギアに使う(笑)。音楽にとっては、いくつかのプロダクション・テクニックを同時に使ってミックスするのも大切だと思うんだ。そうすれば可能性が広がる。昔のギアだけを使ってももちろん制限はできるけど、いろいろなものを使った方がサウンドの幅は広がるんだよ。

マシンにマーカスみたいな演奏はできないってことですね(笑)。

TM:無理無理(笑)。たぶん、ある程度クレイジーなことはできるんだと思う。でもマーカスほどは絶対に無理だろうな。だから俺はマーカスを呼んだんだ。実際、そうしたことでサウンドのまわりにそれまでとはまったくちがう空間がもたらされたしね。

なぜかって訊かれると説明できないけど、金があったら俺はそのすべてをヴィンテージのギアに使う(笑)。

テイラー・マクファーリンの音楽の特徴に、精密なプログラミングやサンプリングがあると思います(とくに“ブロークン・ヴァイブス”)。プログラミングやサンプリングという手法について、どのように思っていますか。

TM:うーん、俺は他のレコードからサンプリングしないから、なんとも言えない。自分で作ったものはサンプルするけど、他の作品からはどこからもサンプルしたことはないんだ。まあ、プログラムのためのドラムのサンプルはもともと何かオリジナルがあるんだろうけど、それを除いて、俺はメロディックな要素はサンプルしないんだ。だから俺自身は、自分ですべてをプレイした作品に対していちばん繋がりを感じる。もちろんサンプリングを否定しているわけじゃないし、つねにそうだってわけではないよ。お気に入りのプロデューサーの中にはサンプルだけで作品を作る人たちもたくさんいるし。でもおかしなことに、俺は自分が聴いて育ったどのミュージシャンよりもサンプリングをやらないんだ。自分がメランコリーを感じられる曲は、やっぱり自分でプレイした曲なんだよね。

“プレイス・イン・マイ・ハート”では、ライアット(RYAT)のヴォーカルもあいまって、ビョークの音楽を連想します。また、“ジ・アンチドート(The
Antidote)“もエレクトロニカのように繊細な音楽です。ご自身には、ポストロックやエレクトロニカの影響などはありますか。

TM:いいとは思うけど、そこまで影響は受けてないと思う。俺は、あまり特定の音楽のハードコアなファンにはならないタイプなんだ。さっき言ったような、ソウルクウェリアンズやネオ・ソウル・ムーヴメントを除いては。あれにはめちゃくちゃハマったからね。でも、ドラムンベースやトラップにハマったことは一度もない。自分が聴くすべての音楽からの影響を受け入れるようにしたかったから。“ジ・アンチドート”のプロデュースの仕方はじつは大変で……あのトラックは、最初はもっと早かったんだ。かなりね。でもアルバムの他のトラックでそこまで早い曲がなかったから、すべてをスローダウンしたんだよ。で、スローダウンしたらすべてのサウンドがピッチダウンして……最終的にはぜんぜんちがう作品になった。そんな音になるとは、自分でも思わなかったんだ。エレクトロニカのビートを作るぞ! って感じではなくて、たまたまああなったっていう(笑)。でも、もちろんそういう要素も含まれてはいるとは思うよ。

おかしなことに、俺は自分が聴いて育ったどのミュージシャンよりもサンプリングをやらないんだ。自分がメランコリーを感じられる曲は、やっぱり自分でプレイした曲なんだよね。

“オーレディ・ゼア(Already There)”では、ロバート・グラスパー、サンダーキャット、マーカス・ギルモアを迎えて、とても緻密で技巧的な演奏が繰り広げられています。“オーレディ・ゼア”は本作のひとつのハイライトだと思いますが、この曲はどのように作られたのでしょうか(セッション的だったのか、誰かがイニシアチブを取っていたのか、など)。

TM:マーカスにまずドラムを叩いてもらって……それは3年も前の話なんだけど(笑)。そのあとに自分でピアノとシンセのパートを作った。で、ピアノのパートがあまりしっくりこなかったから、ロバートに弾いてもらって自分のシンセパートだけ残して、それから最後にサンダーキャットのロサンゼルスの家に行って、15テイクくらいベースをレコーディングしたんだ。みんな友人だからコラボしやすかったし、それを参加してもらうための説得に利用したんだよ(笑)。友だち同士で共演できたらエキサイティングじゃない? ってね(笑)。これはアルバムの曲の中で最後にできた曲。その3つのレコーディングをミックスして、ひとつのセッションみたいにしたんだ。

『アーリー・ライザー』のレコーディングにおいては、どのくらいセッションで合わせられているのですか。それとも、ほとんど別録りでしょうか。

TM:トラックのほとんどが、まず自分で全部レコーディングしたんだ。それか、自分で75%仕上げてからその残りを補うためにゲストを呼んだり。誰ともあまりセッションしてないけど、セッションとしてスタートした曲がひとつだけある。それは最後のトラックなんだけど、他はぜんぶ俺が一人で先に音を作って、それから他のミュージシャンを呼んで、上からジャムしてもらったんだ。

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たとえばJディラの音楽にはたくさんレイヤーが入ってるんだけど、その中にはリード・レイヤーがない。だから、すべてのレイヤーを聴くには、何度も何度もその曲を聴く必要があるんだ。ちょっと変わったサンプルが密かに入っていたり、聴けば聴くほど新しい発見がある。


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アルバム全体のサウンドもとてもバランスが良く、心地いいです。ミックスの作業にはこだわりはありましたか。

TM:ミックスで意識したことか。たとえばJディラの音楽にはたくさんレイヤーが入ってるんだけど、その中にはリード・レイヤーがない。だから、すべてのレイヤーを聴くには、何度も何度もその曲を聴く必要があるんだ。ちょっと変わったサンプルが密かに入っていたり、聴けば聴くほど新しい発見がある。このレコードは、それを意識してミックスしたんだ。ミックスは全部自分でやった。でもこのレコードに関しては、あまりミックスの環境はよくなかったんだよね。いいアパートに住んでるわけでもないし、オフィシャル・スタジオをもってるわけじゃないし。アルバムを聴いていると、もう少し時間をかけたかったなと思う箇所がある。やろうと思えばできたんだろうけど、ちょっと環境がね。本当はもう少し上手くできるんだけど。
 プロのスタジオに自分の音楽を作りにいったことがないんだ。それをずっと続けているから、いまはそれが逆に変な感じがして、もしそれをやってみたらどうなるかわからない。でも、超デカいスピーカーでやると、大きいアレンジのフリークエンシーが聴こえるから、もっとミックスは簡単になる。今回のレコードでは、いくつかのちがうカー・ステレオで聴いたりしてみたんだ。いま聴くと、自分のスタジオでは聴こえなかった周波数が聴こえる。だから自分が思っていたのと少しちがって聴こえるんだよね。ミックスのプロセスは、ほとんど俺のヘッドフォンといくつかのカーステレオでやったから、次回はよりよい作品を作るためにももう少しちゃんとしたスタジオでやれたらと思ってるんだ。
 俺はオフィシャルなものを作るという目的なしに作品を作りはじめることが多いし、そのせいで個々にトラックを仕上げられないという問題がある。もっとたくさん音楽を作ることもできたかもしれないけど、たまに自信がなくなってなかなか進まないこともあったんだ。この4年間の中間地点くらいでは、本当にアルバムを仕上げられるのかわからなくなって悩んでいた。先が遠すぎて、もう無理かもとも思ったくらい(笑)。でもいまはそれを乗り越えているから、どうすればいいかわかってる。ゲストを迎えて何かを補うこともできるということ、それによってよりよいものが作れることもわかったし。だから、次のアルバムはもっとスムーズにいくと思う。次はもっとこうやりたいっていうアイディアがすでにあるんだよね。ミックスもそうだし、もっと自分のヴォーカルを増やすとか、より自分で楽器を演奏するとか。


ちょっと俺と親父の音楽はちがうんだ。でも、自分には親父にできない何かがあるっていうのはクールだし(笑)、それでいいと思ってる。

『アーリー・ライザー』には、父親のボビー・マクファーリンさんも参加されています。父親から学んだことはありますか。

TM:変に聞こえるかもしれないけど、いままで父親に直接音楽のことに関して何かきいたことはないんだ。彼からどういう影響を受けたのか、自分にもわからない。父親をもちろんリスペクトはしてるけどね。それは逆も同じで、彼も俺の音楽をリスペクトしてくれている。でも、父親の音楽の世界を特別に理解しようとしたことがないんだ。俺はヒップホップのような、彼のスタイルじゃない音楽を聴いて育ったから。音楽を作りはじめたときも最初からビートだけを作っていたし、親父はもっとジャズやクラシックのバックグラウンドから来ているし。そういう音楽では、もっとテクニカル・スキルや楽器が重視される。他のミュージシャンとの即興は、本当にハイレベルな技術が要求されるからね。でも俺は、サウンドとテクノロジーを操ることに慣れている。だから、ちょっと俺と親父の音楽はちがうんだ。でも、自分には親父にできない何かがあるっていうのはクールだし(笑)、それでいいと思ってる。俺は逆に親父ができることができないし。でもさっきの即興の話みたいに、年齢を重ねると、「この部分、気づけば親父の影響を受けてるな」と思うことがたまに出てくるんだ。ショーをやっていると、気づけば即興をたくさんやっているんだよね。俺の場合は楽器じゃなくてテクノロジーだけど、それでも即興はする。やっぱりそれはジャズの影響だと思うし、俺のやることの一部。それは父親からダイレクトに受けた影響なんじゃないかな。彼の90分間のショーを何度も見てきたから。もちろんその中にはたくさんの即興があった。だからなのか、即興がすごく心地がいいんだよね。自分にとっては普通のことなんだ。それは育った環境で自然と身に付いたものだと思う。俺がずっと観察してきたことだから。

現在のミュージシャン/アーティストで気になる人はいますか。

TM:俺はお気に入りのレコードを何度も聴く派だから、気になるアーティストってあまりいなくて。いまはとりあえず、ハドソン・モホーク、ジェイムス・ブレイク、フライング・ロータスとサンダーキャット。それだけ(笑)。あまりいまのシーンがどうとか、周りで何が起こってるかとかは気にしないタイプなんだ。ブログをチェックしているときに新しい作品を見つけたりはするけど、あまりラジオも聴かないし、自然と自分のところに来た音楽を聴くことの方が多い。とくにニュー・アーティストに関しては、あまり彼らの音楽は聴かないようにしている。2、3回聴くだけかな。影響されすぎないようにそうしているんだ。たまにミキシングのテクニックを自分のと比べてみたりはするけど。あと、あまりに変わっている音楽で、「よし、これには音楽のルールはないんだな」と一度わかると聴いたりはする。でも普通は、偶然誰かのアルバムを知って、それがよければしばらく聴くって感じかな。俺は新しい作品よりも古い作品のほうをひんぱんに聴くし。

ハドソン・モホーク、ジェイムス・ブレイク、フライング・ロータスとサンダーキャットのどのような点が気になりますか。

TM:彼らが似た影響を受けていることは明らかで、似ている環境から来ていることもたしか。でも、みんなそれぞれがちがうアプローチをもってる。それが新鮮なんだ。いま起こっていることに影響を受けるのは悪いことではない。でも俺は、何かをチェックするよりも、ライヴに出演して実際に会場で影響を受けるほうが好きなんだ。

ニュー・アーティストに関しては、あまり彼らの音楽は聴かないようにしている。2、3回聴くだけかな。影響されすぎないようにそうしているんだ。たまにミキシングのテクニックを自分のと比べてみたりはするけど。

ブルックリンを拠点にしているということですが、ブルックリンは、ヒップホップ、フリージャズ、オルタナティヴ・ロックなど、さまざまな音楽がひしめきあっています。ご自身の活動において、ブルックリンという街に与えられる刺激などはありますか。

TM:ブルックリンには本当にたくさんのアーティストがいて、ニューヨークの中でもスペシャルな場所だと思う。もう14年も住んでるから、ブルックリンの一員って感じはするね。もちろんブルックリンは俺という人間の一部だし。マンハッタンとはちがうけど、アーティスト仲間の90%はここに住んでるし、俺たちの街って感じがする。刺激を受けているかはわからないけど、ブルックリンの人たちが俺の作る音楽に共感してくれてるってことは、何か繋がるものがあるのかもしれないね。」

最後にもう一問だけ訊かせて下さい。ジャイルス・ピーターソンに激賞されましたが、ジャイルスからはどのように評価されたのでしょう。

TM:「彼は初めて“ブロークン・ヴァイブスEP”をかけてくれたDJのひとり。もう何年も俺の音楽活動をサポートしてくれているんだ。彼がどう俺の作品を評価したかはわからないけど、たぶん、最初にEPが出たとき、それが当時のUKで起こっていたサウンドに影響されてたっていうのが気に入ってくれた理由のひとつだと思う。そこに何か繋がるものを感じたんだじゃないかな。最近も彼からインタヴューを受けたけど、彼は本当によくしてくれるし、キーとなるDJのひとりだし、彼みたいな人が気に入ってくれることには大きな意味がある。すごく光栄だよ。何故俺の音楽を気に入ってくれたのかはとくに聞いてないけど、俺らしいスタイルを気に入ってくれたんじゃないかなと思う。たくさんの音楽からのさまざま」な影響がミックスされているから。ジャイルスもそういうスタイルを好むんだよ。

■今週末の〈ブレインフィーダー〉へ出演!

史上最大スケールで開催されるレーベル・パーティ〈BRAINFEEDER 4〉。フライング・ロータスやティーブスを堪能しつつ、テイラー・マクファーリンを目撃しよう!

2014.05.23 FRI @ 新木場ageHa
open/start: 22:00
前売チケット: ¥5,500

https://www.beatink.com/Events/Brainfeeder4/

テイラー・マクファーリン単独公演決定!

2014年9月25日(木)@東心斎橋CONPASS

2014年9月26日(金)@渋谷WWW

more info : https://www.beatink.com/Events/TaylorMcFerrin/

interview with Ben Watt - ele-king

 ポストパンク時代に生まれた悲しい歌は、日本では「ネオアコ」という訳語によって普及した。悲しみも一緒に普及しているのならいいのだが。
 ポストパンク時代の彼らの悲しい歌は、パンクの残滓の色濃い当時のポップの基準では大人しすぎたのだろうか、あるスジからは「軽薄だ」とも言われたそうで、そもそも自分たちのルーツは70年代の音楽にあったからだとガーディアンの取材に答えているのを読んだことがある。
 「彼ら」というのは、ベン・ワットとトレイシー・ソーン。ふたりは、出会ってから28年後(2009年)に結婚した。周知のように、ベン&トレイシーは1982年からともにエヴリシング・バット・ザ・ガール(EBTG)として活動している。
 ワットの父、トミー・ワットは、グラスゴーの労働者階級出身で、ジャズ・バンドのリーダーだった。60年代以降は、ジャズのマーケットは、ポップ音楽に駆逐されるものの、トミー・ワットは、1957年にはアイヴァー・ノヴェロ賞(英国作曲家協会の優れた作曲家への表彰)を受賞したほどの人物だったそうだ。イングランド最大のロマ(ジプシー)家族に属していた曾祖父に持つ母親は、TVのインタヴューアでありコラムニストだった。ベン・ワットは、そんな彼のボヘミアン的な父と母親についての読み応えのある物語を著したことで、今年の初頭、母国のメディアに大きく取り上げられている。


l Ben Watt
Hendra

ホステス

FolkRock

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 かように、なにかと話題が続いての、ベン・ワットの31年ぶりのセカンド・ソロ・アルバムである。
 31年前のファースト・アルバム『ノース・マリン・ドライヴ』は、「ポストパンク時代にぞんざいに扱われたクラシックである」と、ガーディアンは書いているが、しかし、日本では、そのまったく逆で、ポストパンク時代のベストに挙げる人が珍しくないほど評価され、愛されてきた。むしろ、『ノース・マリン・ドライヴ』の印象が強すぎるため、90年代の途中からクラブ・ミュージックにアプローチした近年のワットのほうが忘れられているのではないかと思われるほどだ。『ノース・マリン・ドライヴ』は「ネオアコの金字塔」であり、ベン・ワットとはその作者なのだ。
 そういう意味では、『ヘンドラ』は、ポストパンク時代を音楽、ことUKの音楽とともに過ごした人たち(僕もそのひとりだ)の多くにとって、たぶん、大きな出来事である。メランコリーは、ずっと消えないのだから。

たしかに『ノース・マリン・ドライヴ』にはとても美しいところがたくさんあると思うし、誇りに思っているけど、同時にどこか……なんていうか、「そんなに良くないな」と思う部分もあるんだよ(笑)。とくに歌詞はとっても繊細で無知なところがある。

『ノース・マリン・ドライヴ』は、日本では「ネオアコ」という括りで、オレンジ・ジュースやアズティック・カメラ、トレイシー・ソーンのソロなどともに、いまでも絶大な支持があることをご存じですか? 

ベン・ワット(BW):うん、知っているよ。最後に日本に行ったのは4~5年前で、そのときはDJとして行ったけど、とても良い時間を過ごしたよ。すごく良く面倒を見てもらったし、ギグも素晴らしいものだった。でもその前に行ったのは90年代、『Walking Wounded』のツアーのときだったと思うな、時間が経ちすぎてあまりよく覚えてはいないんだけど……

いつか自分のソロを発表したいという気持ちは、この30年間、頭のどこかにあったのでしょうか?

BW:ずっと長い間、絶えず頭の片隅にはあったんだ。その頭のなかの(ソロ・アルバムを作りたいという)声はときによって大きくなったり、小さくなったりはしたけれどね。何しろ前のアルバム(『ノース・マリン・ドライヴ』)を作ったときはまだ19歳か20歳で、その時点で自分自身の小規模なキャリアがあったけど、その後に違う道を歩むことになったんだ──結果的に、トレイシーと一緒に20年やって、それからエレクトロニック・ミュージックを10年やった。
 でも、ここ2年くらいのあいだにその頭のなかの声が大きくなってきたんだ。まずは自分の本が書きたくなって、最近出版された僕の両親についての本『Romany and Tom』を書いた。そしてその後、今度は自分の曲が書きたいと思ったんだ。その時点では書いた曲は全然なかったんだよ、ノートに未発表の曲を書き溜めたりはしていなかったからさ。それでこのアルバム『ヘンドラ』のために曲を書きたいっていう強い欲求が出てきて、去年いちから曲を書きはじめたよ。

それが「いま」リリースになったことにはどんな理由があるのでしょう?

BW:それは自分でも知りたいね(笑)。なんでだろう、自分でもわからないな。あまりいろいろ自問したりはしないんだよ。自分の直観に従っているだけだからさ。たぶんDJとしての活動やレーベル運営に停滞を感じたんだと思う、それらにかなり時間を取られていたし、他の人をサポートするのにほとんどの時間を使っていて、自分自身がクリエイティヴなことをできていないように感じていたんだ。だから自分自身のクリエイティヴな活動を再開したかったのさ。その時点では何をするのかはっきりわかってはいなかったんだけどね。とりあえず本が書きたいことはわかっていたけど、その後にソロアルバムを作ることになるとはそのときは思っていなかったから、自分でも驚きだよ。

通訳:そこで曲を書きはじめた直接のきっかけはなんだったのでしょう?

BW:ちょうど本を書き終わったとき、その本を読んでもらうのを楽しみにしていた、僕の姉が突然亡くなったんだ。すごくショックで、しばらくは放心状態だった。そして去年の1月頃、ギターを持って座ってみたときに、新しい曲を書きたいって気付いたんだよ。

あなたの「Summer Into Winter」(1982年)と『ノース・マリン・ドライヴ』(1983年)は、日本ではクラシックな作品として位置づけられていますが、やはり、最初のアルバムで完成された作品を作ってしまうと、次のアルバムが出しにくくなるものですか? 

BW:そんなこともないよ、僕自身はとくに「完成された」アルバムだとも思っていないしね(笑)。だって自分では絶えずどこを直せばより良いものを作れるか、改善点を探しているものだしさ。自分で作ったものに対して、もっと違うやり方でやれば良かったとか、どこが良くないかを探して、その欠点を直そうと努めるのが普通だよ。
 たしかに『ノース・マリン・ドライヴ』にはとても美しいところがたくさんあると思うし、誇りに思っているけど、同時にどこか……なんていうか、「そんなに良くないな」と思う部分もあるんだよ(笑)。とくに歌詞はとっても繊細で無知なところがあるし、あのアルバムに入っている曲はどれもイノセンスから生まれたものだと感じるよ。そしてその点、新しいアルバムは経験から生まれた曲だといえるね。

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もっと、メランコリックで綺麗なものだったんだ。でもそこによりエッジを加えて、ただ美しい音だけではないものにしたかった。もっと泥臭い、荒さのあるものにしたかったんだ。


Ben Watt
Hendra

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『ヘンドラ』はシンプルなフォーク・ロック・アルバムだと思います。 ジャズやボサノヴァでもありません。『ノース・マリン・ドライヴ』という30年前の作品と比較するのは無茶だとは思いますが、『ヘンドラ』のシンプルなフォーク・ロックという方向性について教えて下さい。

BW:とにかく自分自身に自然に降りてくるようなレコードが作りたかったんだ。あまりプロダクション面のことを考えたり、エンジニアリングやスタジオについてのことを考えたくはなかった。だからユアン・ピアーソンにそういう部分を一任した。僕自身はただギターを持って曲を書いて、自分が自然に感じる方向へ向かいたかった。それにおそらく、10代の頃の自分に影響を与えたものとの繋がりみたいなものをどこかで意識していたのかもしれない、トレイシーと会う前の自分自身にね。そういうものって永遠に消えないと思うんだ。14歳や15歳の頃、ジョン・マーティンやニール・ヤング、ブライアン・イーノ、ニック・ドレイクとかの音楽をよく聴いていて、彼らの音楽は僕のなかにすごく強い印象を与えた。そしてたぶん今回、そういった音楽の影響が浮かび上がってきたのかもしれない。

原点回帰したというか、1960年代のフォーク・ロックに立ち返ったと 言ってもいいのでしょうか?

BW:わからないな、それは他の人が言うことであって、僕が決めるわけじゃないよ。このアルバムを作るとき、いま挙げたような自分に影響を与えた音楽を振り返っていた部分はあるかもしれないけど。そもそも曲を書いている時点ではまだそれらの曲は発展途上で、自分でもどういう方向性のものになるかはわからないんだ。今回の作曲中には、ギターを普段とは違うチューニングにした。だからそれが曲に独特の、美しく物憂げな、印象主義的な音を与えていると思う。でも同時に歌詞はかなりダークなものなんだ。だから、音楽自体にもよりダークなエッジを加えたいと思った。それでバーナード・バトラーに声をかけたんだ、彼のギターにはもっとブルーズでロックな要素があるからね。もっとディストーションのかかった音さ。それが今回のアルバムのバランスに重要だったんだ。

通訳:バーナード・バトラーが参加する前のアルバムのサウンドはもっと明るいものだったということですか?

BW:いや、明るいとかポジティヴとは僕は言わないかな(笑)。でももっと、メランコリックで綺麗なものだったんだ。でもそこによりエッジを加えて、ただ美しい音だけではないものにしたかった。もっと泥臭い、荒さのあるものにしたかったんだ、バーナードのギターはそういうサウンドだからね。ミック・ロンソンがデヴィッド・ボウイと一緒にプレイしたのと同じようなことさ。

あなたは、主に70年代の音楽に影響を受けたという話を聞いたことがありますが、デイヴ・ギルモアは、ひいてはピンク・フロイド は、あなたにとってどんな存在なのでしょうか? 

BW:彼とは本当に偶然に、アルバムを作りはじめる前に出会った。パーティで紹介されて、彼の自宅に行って、彼の作ったデモを聴かないかって訊かれたときには驚いたよ。そこでイエスと返事をして、彼の家で1日過ごして、意気投合した。
 彼の音楽を聴いて、音楽についての話をしたりランチを一緒にした2週間後だった。僕がスタジオで“The Levels”のレコーディングをしていたとき、彼のギターの音がこの曲にぴったりなんじゃないかと思った。それで彼に電話でこの曲のためにギターを弾いてくれないか訊いたら、彼の返事は「イエス」だった。そんなシンプルな理由さ。
 正直言うと、僕は特別ピンク・フロイドのファンってわけじゃないんだ。彼のギタープレイが好きなんだよ。それに彼の歌声もね。彼の歌い方って、とてもイギリス人っぽいんだ、アメリカンな感じとは対極にある。だから、ピンク・フロイドのデイヴのファンだったというより、彼自身が好きなんだ。

先ほど、メランコリックと言いましたが、たしかに『ノース・マリン・ドライヴ』は、とてもメランコリーな作品です。あのメランコリーについて、いまいちど、あなたなりに解説していだけないでしょうか?

BW:うーん、とくに解説することはないよ……ただ自分に正直な表現をしているだけさ。自分の頭の中に聴こえるものをそのまま曲に書いているんだ。僕のやる事に特別な技巧やトリックはなくて、自分の感じる物事をストレートに表現しているだけだよ。

通訳:そういったメランコリックな感覚を持つようになった要因や環境など、無意識下での影響などは思い当たりますか?

BW:うーん……(沈黙)……思い当たらない(笑)。さっきも言ったように、自分の音楽がどこから来ているかとか、あまり自問をしないんだ。ただ直感に従って曲を書こうとしているだけさ。子供の頃から、そういう風に音楽が「聴こえる」なかで育ってきたし、曲を書くときもそういう方法で書きたい。『ノース・マリン・ドライヴ』の曲なんかは、10代特有の怒りだったり、若いラヴソングだったり、どれも若い頃には誰でも経験する典型的な物事についてさ。ただそれが僕なりの形で出てきたっていうだけだから、それを解説するっていうのは難しいな。あまりそこを深く考えたくないというか、それに名前をつけてしまいたくはないんだ。

では、なぜデビュー当時のあなたやトレーシー・ソーンはアコースティックな響きの音楽性にこだわったのでしょう? 

BW:わからないな、本当に自分でも知らないんだよ(笑)。自然といろいろなことをやりながら成長していくのさ、音楽を聴いてその影響を吸収して、自分のなかで音楽が聴こえてきて、それが座って曲を書き出すと出てくるんだ。もっと詳細を話せたらいいんだろうけど。

他のバンドからの影響はありましたか? オレンジ・ジュースとか?

BW:うーん、僕が思うには、トレイシーは若い頃に彼女の兄が持っていた70年代初期のロックなんかのレコードを聴いたり、父親のジャズだったり、その後には自分でディスコやパティ・スミス、アンダートーンズ、バズコックス、それにオレンジ・ジュースなんかを発見して聴いてきたから、彼女の側にはそういう影響は少なからずあると思う。
 僕のほうはちょっとそれとは違っていたね。僕の父親がジャズ・ミュージシャンだったからジャズをたくさん聴いたり、10歳くらい年の離れた兄や姉が持っていた60年代後半から70年代前半のレコードを聴いたりして育ったんだ。ルー・リードやロイ・ハーパー、サイモン&ガーファンクル、ニール・ヤングとかね。そして10代の頃にジョン・マーティンの音楽に出会って、それが僕のギタープレイにかなり影響を与えた。その他にはさっきも言ったブライアン・イーノの70年代半ばの『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』とか、その後にはニック・ドレイクやロバート・ワイアット、ケヴィン・コインとかのイギリスのアウトサイダー・フォークみたいな音楽も発見してよく聴いたな。だからその辺の音楽が当時の影響だったとは言えるかもしれないね。

あのアルバムや「Summer Into Winter」の収録曲で、いまでもとくに好きな曲を教えて下さい。

BW:『Summer Into Winter』の“Walter And John”はとても好きだね。あとは『ノース・マリン・ドライヴ』のタイトル・トラックも好きだよ、あのアルバムでいちばん良い曲だと思ってる。それと“Some Things Don't Matter”も好きな曲だよ。

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僕はどの曲もほとんどが美しさとメランコリーのあいだにあると思う。そういう対比に惹かれるんだ、綺麗なメロディに悲しい歌詞が乗っていたりする曲や、その逆の曲を書くのが好きなのさ。


Ben Watt
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今回の、たとえば“THE GUN”という曲もそうだし、EBTGの悲しい歌を聴いていても、決して社会とは無関係ではないように思うんですが、あなた自身、政治と音楽はどのように考えているのでしょうか? 

BW:僕が音楽と政治を繋がりのあるものとして扱うときは、あくまで個人的な立場や見解からアプローチする。政治がどのように人びとの生活を染めていくかとか、日常生活にどんな影響を及ぼしているかとかさ。“THE GUN”は銃規制やそれがある特定のひとつの家族に対して与える影響についての歌だけど、これまでのキャリアにおいても僕はそういう、パーソナルな政治的な意見を曲のなかで折に触れて書いてきたと思う。だから僕が政治について書くときはいつもそういった視点からさ。

あの時代と比べて、インターネットの普及に象徴されるように、いまの社会は大きく変わりました。あなたがもっとも変わって欲しくなくて変わってしまったものは何だと思いますか?

BW:うーん……どうしよう(笑)。そういう風な考え方をしたことがなかったんだ。基本的に僕らはみんな自分の目の前にあるものに対処しているから──いまもいま現在で、いくつもそのときの問題っていうものがあるものでさ。そうだね、僕らの生活は僕が20歳だった頃からはだいぶ変わったよ。でも、目の前にある問題に取り組むっていうものなんじゃないかな……わからないや、難しい質問だね。

『ヘンドラ』というタイトルになった理由は?

BW:タイトル・トラックになっている曲が、僕の亡くなった姉についての曲なんだけど、姉はとてもシンプルな人生を歩んでいた人で、お店の店員としての仕事をして、窮屈で難しい生活をしていた。週末に休みが取れると、いつも「ヘンドラ」に行く、と言っていたんだ。それがどこなのかは知らなかったけど、綺麗な言葉だなとは思っていた。
 そして彼女が亡くなったとき、その言葉の意味を調べてみることにした。そうしたらそれが、彼女の行っていた場所の通りの名前で、同時に古いコーンウォール語で「home(=家、家庭、故郷)」、または「farm(=牧場、農園)」っていう意味の言葉でもあると知った。その途端、この言葉がアルバムのタイトルとして素晴らしいものだと思えたんだ。僕の姉に関連しているパーソナルな繋がりもあって、美しくて不思議な、神話的な響きの言葉でさ。そしてホーム、戻る場所っていう深い意味合いもあって、今回のアルバムにはぴったりだった。

この先もソロ・アルバムを出していくつもりですか?

BW:現時点ではわからないな、あまりいつも先のことを計画しないようにしているんだ。僕の人生において、いちども計画を立てようとしたことはないよ。いつも直観に従うようにしているからさ。何かひとつのことを続けて、それが何か間違っていると感じたら、そこで止めて、「次は何をしよう?」って自問するのさ(笑)。そこで決断を下すんだ。

〈Unmade Road〉は今後もレーベルとして活動していくのでしょうか?

BW:当然このアルバムを〈Buzzin' Fly〉や〈Strange Feeling〉から出すこともできたけど、それをすると僕自身レコード会社にいなきゃならない。今回はそうしたくなかった、どちらも小さなインディペンデント・レーベルだからやることがたくさんあって、そういう仕事をこなしながらアーティストとしての活動も両立させるっていうことはしたくなかったのさ。だから新しいレーベルを立ち上げたわけで、あくまでこのレーベルは今回のアルバムを乗せて走るための乗り物のようなものなんだよ。

最後に、あなたの音楽はメランコリックとはいえ、今作の“SPRING”や“ヘンドラ”、“GOLDEN RATIO”や“NATHANIEL”などといった曲には、ある種の前向きさも感じます。

BW:僕はどの曲もほとんどが美しさとメランコリーのあいだにあると思うんだ。これは僕自身の曲に限らず、音楽全般において僕がダウンビートでありながら、どこか高揚感のあるものに興味があるからだろうね。そういう対比に惹かれるんだ、綺麗なメロディに悲しい歌詞が乗っていたりする曲や、その逆の曲を書くのが好きなのさ。だからその高揚感のある部分によって、ポジティヴさも出しているように聴こえるんだろうね。


 部屋はどれも冷えきっているが それでも天国だ
 お日様だって輝いている
 知ってるだろう 雲の切れ間から差し込む光を
 人がなんと言っているか
 オー ヘンドラ オー ヘンドラ
 ぼくはこの道をまた歩むだろう
 それで申し分ないと きみが感じさせてくれるから
“ヘンドラ”


interview with Archie Pelago - ele-king


Grenier Meets Archie Pelago
『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』

Melodic Records/Pヴァイン

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 要はタイミングである。だってそうだろう、生ジャズがハウスと一緒になった、珍しいことではない。新しいことでもない。が、アーチー・ペラーゴのデビュー12インチは、都内の輸入盤店ではずいぶんと話題になった。何の前情報もなしに売り切れて、再入荷しては売り切れ、そしてさらにまた売り切れた。
 僕が聴いたのは2013年初頭だったが、リリースは前年末。年が明けて、お店のスタッフから「え? まだ聴いてないの?」と煽られたのである。そのとき騒いでいたのは、ディスクロージャーの日本でのヒットを準備していたような、若い世代だった(……マサやんではない)。
 
 いまや人気レーベルのひとつになった、お月様マークの〈Mister Saturday Night〉が最初にリリースしたのがアンソニー・ネイプルスで、続いてのリリースがアーチー・ペラーゴだった。東欧やデトロイト、そしてUKへと、ポストダブステップからハウスの時代の到来を印象づけつつあった流れのなかでのNYからのクールな一撃だったと言えよう。

 アーチー・ペラーゴの結成は2010年、グレッグ・ヘッフェマン、ザック・コーバー、ダン・ハーショーンの3人によって、ブルックリンにて誕生。メンバーはPCやターンテーブルを使い、そして同時に、クラリネット、トランペット、チェロ、サックスを演奏する。全員が幼少期からクラシックとジャズを学んでいるので、うまい。PCにサン・ラーのでっかい写真(?)が貼られているところも好感が持てる。



 2013年以降は、自分たちのレーベル〈Archie Pelago Music〉を立ち上げて、コンスタントに作品をリリースしている。ジャズ/ハウスといったカテゴリーに留まらず、よりレフトフィールドな領域にもアプローチしている。IDMやブロークンビートの要素を取り入れながら、自分たちの可能性を広げているのだろう。

 この度NYの3人組は、サンフランシスコのDJ、ディーン・グレニアーとのコラボレーション・アルバム『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』をリリースする。共作とはいえ、アーチー・ペラーゴにとっては初めてのアルバムとなる。



 このように、液体状のごとく溶けるジャズ・エレクロニカだが、これを中毒性の高い、夢世界を繰り広げるのがアルバムである。

いつもエレクトロニック・ミュージックは好きだった。ジャズのコンサートではなく、夜のクラブに行きはじめたのは2008年か9年頃。決定的なきっかけは、とあるバーにたまたま立ち寄った際に、素晴らしいサウンドシステムで、140bpmの音楽を聴いたときだったね。

バンドはいつ、どのようにしてはじまったのでしょう? 2012年、アーチー・ペラーゴが〈Mister Saturday Night Records〉から発表した「The Archie Pelago EP」は、同時期にリリースされたアンソニー・ネイプルスのEPとともに日本でもコアな人たちのあいだでずいぶんと話題になったんですよ。

Dan ‘Hirshi’:クローバとコスモとは、僕がニューヨークでDJをしていたときに別々に知り合った。ふたりとも僕のDJセットに生楽器をブレンドするという可能性を提示してくれてね、とても興奮したよ。彼らはエレクトロニック・ダンス・ミュージックの未来に関して、僕と同じような先見を持っていたからね。

Zach ‘Kroba’:大学を卒業してから、しばらくハーシと彼のDJのパートナーと一緒にいたんだけど、そのときに、ハーシがチェロ奏者と一緒にはじめる新しいプロジェクトに参加しないかと声をかけてくれた。コスモの家に行って曲を録音したのがはじまりだ。その後は知ってのとおりだね。

Greg ‘Cosmo D’:長いあいだ、僕らは、独自の方法でエレクトロニック・ミュージックを作ってきたんだよ。2009年から2010年にかけていろんなダンス・パーティに遊びに行っていたからね。とくにDub Warというパーティへよく行っていたんだけど、その後自分のまわりで起きていることをもっと深く自分のプロダクションへ反映させたいと思った。それがハーシに会ったときで、彼はクローバも紹介してくれた。そして、2010年にアーチー・ペラーゴがはじまったっていうわけ。

バンドをはじめようと言いだしたのは誰でしょうか?

G:とくに誰かがはじめようと言ったわけではないよ。セッションをしていくなかで、ごく自然に、有機的にはじまった。

メンバーのみなさん、クラリネット、トランペット、チェロ、サックスなど、生楽器を演奏しますが、それぞれの音楽のバックボーンについて教えて下さい。

G:子供の頃からチェロをならっていた。大人になってジャズとインプロヴィゼーションを学び、そしてエレクトロニック・ミュージックに興味を持ったんだ。大学の後にもっと真剣に楽曲の制作をするようになった。

Z:僕は、7歳の頃からクラリネットのトレーニングをはじめたんだ。1年後にはアルト・サックスの練習した。15歳でテナー・サックスに転向して、数年後にジャズの音楽学校に通いはじめた。学校ではギターのペダル・エフェクトをサックスに使う実験をはじめたり、ロジック・プロを使ってエレクトロニック・ミュージックの作曲もはじめたね。

D:僕は、5年生の頃からトランペットを吹きはじめている。バンドだったり、オーケストラ、ジャズ・バンドで演奏もしていたよ。ちょうど、自分の人格の形成期の頃だったね。大学でも演奏を続けていたけど、僕の音楽の探求はアカデミックな方向にも向かった。しかも、この頃にDJを覚えてWNYUというラジオ局で自分の番組も持ったんだ。また、リーズンというソフトを使ってアイデアを形にすることを覚えたのもこの頃。こうしたことが2014年のいまの自分が音楽的にどの立場にいるかを形成したと思う。

メンバーの役割分担はどうなっているのでしょうか?

G:僕たちはみんなで作曲して、クリエイティヴィティに貢献している。作曲後、さまざまなクリエイティヴなテクニックを通して、僕がミックスして、“アーチー・ペラーゴ・サウンド”を作り上げる。

D:僕たちの役割は絶えず変化する。たいていの場合、初めは誰かがアイデアを出して、それをグループで形作っていく。それぞれの得意な方向性があって、他のメンバーのフィードバックを受け入れている。

Z:他のメンバーと作曲することにはとても満足しているけどね。僕たちは楽々とお互いのアイデアを膨らますことが出来るから。そして、いつも互いに影響を受け合っている。

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〈Mister Saturday Night〉は特別な存在だよ。パーティをはじめたイーマンとジャスティンには明確なヴィジョンがあった。いちどなかに入ると、君はあることに気付くだろうね。それはイーマンとジャスティンがダンス・ミュージックの外にある音楽世界を意識していることなんだ。


Grenier Meets Archie Pelago
『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』

Melodic Records/Pヴァイン

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ジャズのアーティスト/もしくは作品でとくに好きなのは誰/もしくはどの作品なのでしょうか?

G:エリック・ドルフィーで、『Out to Lunch』だね

D:リー・モーガンの『Lee-way』かな。

Z:それでは僕は、キース・ジャレットの『Fort Yawuh』をあげておこうか。

みなさんがクラブ・カルチャーに入ったきっかけは何だったのでしょう?

G:初めの頃から、僕は、いつもエレクトロニック・ミュージックは好きだった。ジャズのコンサートではなく、夜のクラブに行きはじめたのは2008か9年頃かな。決定的なきっかけは、カルガリーのとあるバーにたまたま立ち寄った際に、素晴らしいサウンドシステムで、140bpmの音楽を聴いたときだったね。ニューヨークに戻ってからは、もっと深いところを追求するようになった。

D:大学の頃にヒップホップのシーンに関わっていたんだけど、エレクトロニック・ミュージックは、単純に次のステップだった。とくにDub Warというイヴェントが新しいダンス・ミュージックへの扉を開いてくれた。2009年から10年にかけて、多くのUKのアーティストがプレイしていたような音楽だよ。この音楽とそのコミュニティにとても影響を受けている。想像力を掻き立てられたんだ。

Z:僕は若いころからジャングルとかIDMをたくさん聴いてたからね。2008年頃に、UKガラージとダブステップにハマった。当時はまだ21歳未満だったから、ニューヨークのほとんどのクラブには入れなかった。で、2009年から10年頃にオランダのアムステルダムに住んでいて、ようやくお気に入りのDJやクラブに行けるようになった。これが大きなきっかけになったね。

〈Mister Saturday Night〉はレーベルであり、ブルックリンのパーティでもあるそうですね。どんな特徴のパーティなのでしょう? あなたがたと〈Mister Saturday Night〉との出会いについて教えて下さい。

G:Mister Saturday Night(MSN)のスタッフとはジョーダン・ロスレイン(Jordan Rothlein)を通して知り合った。ジョーダンは、いまはレジデント・アドバイザーで記事を書いているよ。
 そうだな……僕は、当時はWNYUでレギュラー番組を持っていた。僕たちの曲をMSNのスタッフに渡してくれて、アーチー・ペラーゴとつながるべきだと推薦してくれた。MSNは特別な存在だよ。パーティをはじめたイーマン(Eamon)とジャスティン(Justin)には明確なヴィジョンがあった。MSNはきちんとブランディングするような会社が作ってきたわけじゃないからね。ふたりとその仲間たちが主導して進めてきたものなんだ。パーティ自体がとても独特で、いちどなかに入ると、君はあることに気付くだろうね。それはイーマンとジャスティンがダンス・ミュージックの外にある音楽世界を意識していることなんだ。だから僕たちが関われたんだよ。アーチー・ペラーゴではなく、プロとして活動するミュージシャンとして。

生楽器の演奏とPC(デジタル)との融合が〈Mister Saturday Night〉の特徴ですが、エレクトロニック・ミュージックでとくに影響を受けたのは誰でしょうか?

G:直接の影響は説明しづらいな。それぞれのメンバーがそれぞれの方法で演奏をはじめて以来、エレクトロニックな要素はミュージシャンとしての僕たちが求める重要なものだった。最近見たKiNK(※ブルガリアの炉デューサー)とVoices from the Lake(※イタリアの2人組)のライヴ・ショーにはとくに感動した。

Z:Voices from the LakeとKiNKは、エレクトロニックを混ぜたインプロを見せてくれたよね。まさに僕らの求めるものだった。僕らの好むパフォーマンスにはリスクが必要だし。

Archie Pelagoというバンド名の由来について教えて下さい。

D:このプロジェクトをはじめたとき、コスモと僕でバンド名のアイデアを出し合っていた。アーチー・ペラーゴは発音しても本当に面白い言葉だよね。僕は、本当に存在するかもわからないようなアーティストに魅了されてきた。アーチー・ペラーゴはひとつの名前だけど、バラバラの素材がひとつの完全体を作り上げているんだ。根底には、共通のヴィジョンを持った共同体、諸島、列島という意味がある。

G:それと僕たちのホームタウンのニューヨークは専門的に列島(archipelago)だろ。このこともバンド名には反映されている。

ライヴはよくやられているのでしょうか?

G:月に何回かね。それからSub FMでは毎月第1と第3日曜に自分たちの番組を持っている。こちらの現地時間で夜の11時からの放送で、ネット配信なので世界中から聴くことができるよ。

自分たちのレーベル〈Archie Pelago Music〉を立ち上げた理由は?

G:自分たちのやり方で、自身の音楽を出していきたかった。少なくとも2、3作をリリースしてみて、その過程がどのようなものか知りたかったんだ。

D:自分たちの音楽に対して、クリエイティヴなコントロールを自分たちで行うのはとても重要だし。

Z:僕たちの書いてきた音楽って、どこか他のレーベルが興味を持ってくるかわからないから。“Sly Gazabo”は素晴らしい曲だったし、自分たちのやり方で出来るのかやってみたかった。

シングルでは、いろいろなアプローチ──ジャズ、ハウス、ブロークン・ビート、エクスペリメンタル、IDMなどなど──を試していますが、これは、ひとつのスタイルを極めるよりも、たくさんのことをやりたいというバンドのスタンスを表しているものなのでしょうか?

G:僕たちは、自分自身の音楽的宇宙を創造したいと熱望している。自分らが共有してきた経験を取り囲むもの。発展させていく音楽とクリエイティヴに関する興味を反映させたものだ。ファンには音楽の進化として、過去の音楽ジャンルと僕たちの成長を見てもらいたい。

PCを使った音楽で、とくに影響を受けた作品はなんでしょう?

G:マトモスの『A Chance to Cut is a Chance to Cure』はコンピュータが制作の過程として機能するという意味においては、初期に大きな影響を受けたね。

D:ザ・フィールドの『From Here We Go Sublime』が大好きだな。極限にミニマルで、極小のサンプリングがとてもパワフルなんだ。

Z:オウテカ、エイフェックス・ツイン、ヴェネチアン・スネアズ、スクエアプッシャーには個人的にとても影響を受けた。自分はジャズ・ミュージシャンとして、彼らの興味深いシンコペーションの方法を楽しんでいるんだよ。

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オウテカ、エイフェックス・ツイン、ヴェネチアン・スネアズ、スクエアプッシャーには個人的にとても影響を受けた。自分はジャズ・ミュージシャンとして、彼らの興味深いシンコペーションの方法を楽しんでいまるんだよ。


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『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』

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今回、ディーン・グレニアーとのコラボレーション作品とはいえ、初めてのアルバムとなりました。シングルではなく、どうしてアルバムにまで発展したのでしょうか?

G:このアルバムは僕たちにとって未知の領域だよ。部分的にはフル・アルバムをリリースしたといえるだろうけど、いままでにも多くの曲を書いてきたからね。

D:これはただのはじまりに過ぎないよ。

Z:セッションではたくさんの曲を作ったよね。で、これはオーディエンスに聴かせる価値があると感じた。

ディスタルが縁でディーン・グレニアーと知り合ったと言いますが、ディスタルと知り合ったきっかけは何でしょうか?

D:2009年から10年にかけて、ディスタルがニューヨークにツアーに来ていたときに会った。そのとき僕らがWNYUの番組に誘ったんだ。それから連絡を取り続けて、〈テックトニック〉からリリースされたヘクサデシベル(Hexadecibel)とのコラボの「Booyant」のリミックスで初めて一緒にやれたんだよね。

ディーン・グレニアーのどんなところに共感したのですか?

G:スタジオでの化学反応がすごくよかった。アイデアが自然にすぐに出てくるんだ。

D:お互いの音楽を好きなことも要因だよね。

Z:実は、2011年末にグレニアーがニューヨークに来たときに一緒に数曲録音したんだ。実りの多いセッションでね、だから、その後のコラボを目指してきたんだ。

サンフランシスコでのセッションは、どんな感じだったのでしょうか?

G:建設的で、オーガニックな感じで、とても満足のいくものだった。

D:ペール・エールとソーセージが燃料になった感じ。

Z:数日の中でいろんな音楽を詰め込むことができたかもね。

生楽器の音色が、液体が溶けるようだったり、大気中に溶けるようだったり、とてもユニークな録音になっているように思います。

D:そうだね、アーチー・ペラーゴのサウンドとグレニアーのプロダクション・スタイルがピッタリとハマった感じだよね。

Z:グレニアーの特徴的なプロダクションがアーチー・ペラーゴの音色の幅のなかに溶け込んでいるのがきっと聴こえるよ。これは本当に偶然的なことだよ。

G:うん、まわりの状況がどうであれ、作曲して制作することは僕にとっては呼吸をするようなも。制作過程のなかで、時間と場所があって、音楽を広げることと、深くへ入り込んでいく好奇心を共有できたのはラッキーだった。

“Swoon”の出だしが最高で、思わず音楽のなかに引きずり込まれますが、とくにお気に入りのトラックは?

G:難しい質問だね。個人的には“Cartographer’s Wife”がアルバムの中心だと思っている。ジャングルのなかで宝箱を見つけたような感じじゃない? 他のメンバーは否定するかもしれないけどね。

Z:僕は、いまは“Tower Of Joined Hands”がお気に入りかな。だけど、心のなかには“Monolith”もある。

D:うーん、僕は、“Hyperion”と“Tower Of Joined Hands”がいまの気分だね。

ほかにも、“Navigator”のハウスのリズムとトランペットの重なり方も素晴らしいと思いましたが、今作には、テクノ寄りのダンス・ミュージックがありますね。たとえば、ミニマルな“Pliny The Elder”、あるいは“Phosphorent”、で、いま話に出た“Tower Of Joined Hands”もダンス・ミュージックへの情熱を感じる曲です。こうした曲には、ディーン・グレニアーの存在が大きいのでしょうか?

G:いろんな段階だったり、さまざまな方法で、僕たち全員がこのアルバムのすべての楽曲に関わっているんだ。とく誰かってわけではないよ、みんなで共有しているものだ。

あながたの好きなテクノについて話して下さい。

G:ピーター・ダンドフ(Petar Dundov)にはやられた。彼の音楽の組み立て方とシンセのパターンは素晴らしいと思う。

Z:〈ザ・バンカー〉(The Bunker)、〈トークン〉(Token)、〈スペクトラム・スプールズ〉(Spectrum Spools)、〈ジオフォン〉(Geophone)、〈プロローグ〉(Prologue)あたりのレーベルはいつも僕の鼓膜を喜ばしてくれる。迷宮のなかに深く潜り込んでいく感じがするね。

D:僕はロバート・フッドやアンダーグラウンド・レジスタンスが好きだね。

好きなDJの名前をあげてください。

D:ターボタックス・クルー(Turrbotax crew)、ヌーカ・ジョーンズ(Nooka Jones)、ベンUFO、ドナート・ドッジー(Donato Dozzy)……。

G:お気に入りはいつも変わっているんだけど、最近だとグラスゴーで見たジェネラル・ラッド(General Ludd)のギグが良かった。

Z:カルロス・ソーフロント(Carlos Souffront)は選曲もミックスのスキルの点でもマスターだと思う。デトロイトはいつも素晴らしいよね。ドナート・ドッジーもシャーマン的なマスターだよ。

アーチー・ペラーゴのインスピレーションの源はなんでしょう?

G:人生だね。

Z:ピザだね。

D:人生とピザだね!

アーチー・ペラーゴ単体のアルバムのリリース予定はありますか?

G:もちろん! 引き続き注目していて下さい!

 amazonさんでもすぐに品薄になってしまうのですが、おかげさまで『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』、好調な売れ行きでございます。お読みいただいているみなさま、ありがとうございます!
 さて、去る4月16日、インターネット・ラジオdublabさんにお迎えいただいて、著者おふたりが本書を紹介されました。dublabさんのアーカイヴにてそのときの模様が公開されましたので、ぜひお聴きください。ご都合のため九龍ジョーさんは途中からのご登場となっておりますが、磯部涼さんのDJとトークをたっぷりお楽しみいただけます。もちろんAZZURROさんによる、〈Ultimate Breaks & Beats Session〉も!

■DJ AZZURRO, Ryo Isobe w/ Yuho Hashimoto & Kowloon Joe – dublab.jp “Radio Collective” live from Malmö Tokyo (04.16.14)

こちらからお聴きいただけます!
https://goo.gl/WhfvY2

dublabさんサイト
dublab.jp

*磯部涼 選曲リストより
1. 浅野達彦 / LEMONADE(M.O.O.D./donut)
2. Gofish / 夢の早さ(Sweet Dreams)
3. 両想い管打団! / キネンジロー(Live at 元・立誠小学校、2013年1月13日)(NO LABEL)
4. うつくしきひかり / 針を落とす(MOODMAN Remix)(NO LABEL)
5. odd eyes / うるさい友達(less than TV)
6. MILK / My(Summer Of Fun)
7. soakubeats feat. onnen / Mission:Impossible(粗悪興業)
8. Alfred Beach Sandal / Rainbow(ABS BROADCASTING)
9. Hi, how are you? / 僕の部屋においでよ(ROSE RECORDS)
10. FOLK SHOCK FUCKERS / ロード トゥ 町屋(less than TV)
11. DJ MAYAKU feat. SOCCERBOY / DANCE WITH WOLVES(Goldfish Recordings)
12. LEF!!! CREW!!! x NATURE DANGER GANG / Speed(NO LABEL)
13. 嫁入りランド / S.P.R.I.N.G.(NO LABEL)

■『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』
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interview with Mr. Scruff - ele-king

 アンドリュー・カーシー。無精ひげの男(ミスター・スクラフ)と名乗る男が6年ぶりのアルバム『フレンドリー・バクテリア』を発表する。変わらないというか、そもそも変わる必要もないと言ったほうがいいだろう。ミスター・スクラフは、流行り廃りなどに惑わされることなく、相変わらず我が道を進み続けている。

 ミスター・スクラフは、1990年代半ばから作品を出し続けているヴェテランであるが、アルバムに関してはまだ4枚しか出していない。にも関わらず、彼がいまでも人気のあるDJ/プロデューサーであり続ているのは、そのサウンドに経年劣化することのない魅力があるからだ。

 ミスター・スクラフのサウンドは単純に言って、楽しい。ソウル、ファンク、ディスコ、ヒップホップ、テクノ、ハウス、エレクトロ……、さまざまな音楽がミックスされている。エクレクティックでオールドスクールなフレーヴァーも彼のサウンドの特徴といえるが、人懐っこさとユーモア、小躍りしたくなる楽しげなメロディとファンキーなグルーヴ。彼自身が手がけるあの可愛らしいドローイングのように、遊び心がある。


Mr. Scruff
Friendly Bacteria

Ninja Tune/ビート

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 変わらないということは、最新アルバム『フレンドリー・バクテリア』は、つまり相変わらずの傑作ということだ。
 もちろん新たな試みも聴くことができる。1曲目の“ステレオ・ブレス”や“フレンドリー・バクテリア”でのアグレッシヴなベースラインはあほくさいEDMを軽々と破壊するだろう。ゲストも人選も良い。シネマティック・オーケストラのベーシストであるフィル・フランス、ディーゴとのプロジェクトで再び注目を集めているカイディ・テイタム、5曲で素晴らしいヴォーカルを披露しているデニス・ジョーンズ、トランペット奏者のマシュー・ハッセル、さらにはハウス界のレジェンド、ロバート・オーウェンスとのコラボも本作の聴きどころだ。

 一時期は販売も手がけていほどの大の紅茶好きとしても知られる彼は、いまマンチェスターで〈ティーカップ〉というカフェを運営している。DJ活動も順調に続けている。紅茶と音楽と家族と仲間たちに囲まれた暮らし。『フレンドリー・バクテリア』とは、まさに、そうした場所から響いてくる音楽だ。

多くの人たちにとって、1988年はアシッド・ハウスを発見した年だったかもしれないけれど、僕にとってはいつもと変わらないただの夏だった。僕は16歳で、学校を中退した年だったけどね(笑)。

この前の2月で42歳になられたかと思います。

ミスター・スクラフ(以下、MS):はははは、そうだよ。

あなたがDJをはじめたのは12歳の頃だから、もう30年以上も続けていることになりますね。音楽をはじめた当時、30年後も音楽をやり続けているというヴィジョンはありましたか?

MS:うん、その頃から、この先もずっと音楽をやっていくんだろうと思っていたよ。単純な理由だよ。音楽をやっていると心から楽しい。だから歳をとったからって、そんな楽しいことをやめられるわけがないってこと。音楽を止めようと思ったことは、これまで一度もない。

これまでのご自身の人生を振り返ってみて、最も幸せに感じてることを教えてください。

MS:そうだな、心の底から楽しいと思えること、つまり音楽を仕事にすることができているということ。あと結婚して可愛い娘がいること、それもとても幸せに感じている。

お子さんを授かったことで、あなた自身に何か変化はありましたか?

MS:もちろん、あったよ。毎日が音楽だけの人生ではなくなり、リアルな生活という観点から物事を見ることができるようになった。そうやって自分に新しい視点が生まれたことは、とてもよいことだと思っている。音楽を作るうえで、音楽以外のものから影響を受けたり、学んだりすることは、大事なことだからね。また〈ニンジャ・チューン〉に所属していることも幸せだ。〈ニンジャ・チューン〉とはもうずいぶん長い付き合いになる。僕にとっての幸せとは、自分の求める生活ができること、仕事やコミュニケーションが上手くいく人を見つけること、またそうした人たちをリスペクトすることだ。そういったベースが固まったら、学び続け、革新し続け、前進すればいい。

逆にこれまでの人生で後悔していることってありますか?

MS:学校でもっと努力すればよかったと思っている。もっと多くの言語を学べばよかった。この15年間、ツアーで世界中をまわってきたけど、英語圏以外の国では現地の人が僕に合わせて英語を話さなくてはいけないから、いつも申し訳ないと思っている。自分が怠け者のような気になるんだ。もちろん、これからでも学ぶことができるけど、大人になると言語を取得するのが難しくなる。このことにもっと早く気づきたかったな。

長く音楽をやり続けるための秘訣のようなものがあれば教えてください。

MS:いちばん大切なことは、自分を駆り立てることだ。それから自分の直観を信じること。他人が何を好むか、あるいは自分が何を求められているか、そうしたことを知っていることは悪いことではない。僕の場合、例えばそれは“Get A Move On”のような曲であって、あのようなタイプの曲を好むリスナーが多いということも知っている。が、同じようなことを繰り返しやるべきではない。作曲するとき、パフォーマンスするとき、DJするとき……、それらに共通して必要なのは、まず自分がエキサイトできるかどうかだ。他人の期待に合わせ、自分を作りあげていくと、同じことを繰り返してしまい、エキサイティングでなくなってしまう。エキサイティングでなくなってしまうと、ハッピーでなくなってしまう。だから自分をインスパイアさせ、エキサイトさせ、学び続けることが大切なんだ。

なるほど。

MS:すべてを知りつくしたと思わないで、学び続ける。人生とは学びの連続だ。それは歳を重ねるごとにわかっていくものだと思う。そして、自分は一生かけてもすべてを知ることはできない、という事実を受け入れられるようになる。完全なものなどない。だから自分自身や自分の性格も受け入れられるようになる。そして、よりオープンになり、さまざまな影響を素直に受けることができ、他人から何を学べるかがわかるようになっていくのさ。

僕にとって大事なのは音楽の趣味を発展させていくことであり、音楽の趣味や知識を増やすのことだ。実際に当時よりも、今のほうが、興味のある音楽の種類が増えた。ある音楽スタイルについて知ると、その先をさらに知りたくなる。

あなたがDJをはじめた80年代後半、まさに世はセカンド・サマー・オブ・ラヴの狂騒の真っ只中だったのではないかと思うのですが、あなたにとってそれはどのようなものでしたか?

MS:それって1988年のことかい? うーん、よいものだったと思うよ。1988年のマンチェスターといえば、〈ハシエンダ〉やアシッド・ハウスを思い出す人も多いだろうね。でも僕は当時16歳だったから、まだクラブに行ったことがなかったんだ。セカンド・サマー・オブ・ラヴは、パーティに遊びに行き、ドラッグをやって踊りまくるというのがメインだったけど、僕はそのどれもやっていなかった。家でラジオを聴いたり、レコードを買ったり、ミックステープを作ったりすることのほうに夢中だったんだ。

通訳:ではあのシーンは経験していないのですね。

MS:まったくない。8歳まで僕と音楽との接点は、レコード・ショップやラジオや雑誌に限定されていた。最初の10年は誰とも交流を持たず、ひたすら音楽を聴き続けながら、自分のスタイルを確立していったんだ。僕は1986年からアシッド・ハウスを聴いている。地元のレコード店にもシカゴからの輸入レコードがたくさん入荷されていたからね。リヴァプールやマンチェスターなどイギリス北部やスコットランドでは、シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノは大きなブームだった。多くの人たちにとって、1988年はアシッド・ハウスを発見した年だったかもしれないけれど、僕にとってアシッド・ハウスはもうそんなに目新しいものではなかった。僕にとってセカンド・サマー・オブ・ラヴはいつもと変わらないただの夏にすぎなかった。僕は16歳で、学校を中退した年だったけどね(笑)。

1995年のデビュー作「The Hocuspocus EP」を聴くと、いまのサウンドにも通じる部分が多くあり、すでにミスター・スクラフとしての音楽性が確立されているようにも感じます。そうした意味では、かなり早い時期に目指すべき音楽の方向性が固まっていたのではないかと思うのですが、ご自身としては、当時と比べ、音楽の趣味であったり、作るサウンドの方向性などが変わったと思いますか?

MS:いや、あまり変わってないと思う。ファースト・アルバム『ミスター・スクラフ』(1997年)をリリースした時点で、僕は10年くらいDJをやっていたし、レコーディングも8年、9年ほど経験していた。そうした中で、いろいろな音楽をミックスさせ、遊び心のあるサウンドを作りたいって方向性がすでにあった。その部分は当時もいまも変わらない。
 ただ、その後も膨大な量の音楽を聴き続けてきた。さっきも話したように、自分を駆り立てながらね。僕にとって大事なのは音楽の趣味を発展させていくことであり、音楽の趣味や知識を増やすのことだ。実際に当時よりも、いまのほうが、興味のある音楽の種類が増えた。ある音楽スタイルについて知ると、その先をさらに知りたくなる。「このミュージシャンはどんな影響を受けたのだろう?」というように。僕の基礎や土台は当時も現在も同じ。ただヴィジョンが広がったということだと思うね。

あなたが音楽制作をはじめた頃に比べると、音楽制作ツールも大きく変化していると思います。そうした環境や機材の変化があなたの音楽にもたらしたものがあるとすれば、それはどんなものですか?

MS:その点においても、あまり変化はないかな。僕は自分のスタイルを前進させきたけど、オールドスクールやルーツっぽいサウンドが好きだという核の部分は相変わらず変わらない。いろいろなスタイル、テンポ、雰囲気のサウンドを試みたとしても、いつも僕はある一定のサウンドにたどり着く。リスナーが聴いて「これはスクラフの曲だな」とわかるようなサウンドさ。自分でもはっきりとは認識していないけど、何かしらの要素が組み合わさり、バランスが取れて、生まれてくるサウンドなんだろうね。

あなたらしいサウンドなるものを決定づける要素とは何だと思いますか?

MS:何がどうなってそれが生まれてくるのか、正直なところ、僕にもよくわからない。でも僕がいまラップトップで音楽を作ったとしても、そこにはきっとドラムマシーンを使ったオールドスクールなフレイヴァーを必ず注入するだろう。ラフで攻撃的なプロダクションが好きだからね。僕はいままだに古い機材もたくさん使っている。30年前の機材がまだ使えて、サウンドもいいなら、僕は喜んでそれを使うよ。アナログ・レコードだってかける。いまのところ最新の技術を常に把握する必要性は感じていない。きっとそんな自分の好みや趣向に導かれ、あのサウンドが出てくるんじゃないかな。

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マンチェスターのアーティストは海外へ出てショーをやったりするけど、地元を基盤にした活動もしっかりおこなっていて、マンチェスターにもちゃんと活気がある。いまだにたくさんのレジデント・パーティがあるしね。

SoundCloudにDJミックスを大量にアップしていますよね。相変わらず精力的にDJをされているかと思います。膨大なコレクションをお持ちだと思いますが、レコードは買い続けているのですか? 

MS:もちろん。レコードは買い続けている。比率は、新譜を2枚買ったら、中古を1枚買うという感じかな。レコードショップに行くときは、中古を買い求めにいくことが多いかな。

通訳:どういうジャンルのレコードが多いですか? 

MS:オール・ジャンルさ(笑)。いまでも週に20枚から30枚のレコードを買っているよ。それらはあらゆるスタイルのものを網羅している。

通訳:ここ最近、新しいレコードであなたを夢中にさせたものは?

MS:何枚かある。〈エグロ・レコーズ(Eglo Records)〉から出たファティマの新しいアルバムは最高に素晴らしい。クアンティックの新しいアルバムもすごくいいね。あとフローティング・ポインツのニュー・シングルも相変わらずいい。カルバタ(Kalbata)とミックスモンスターのアルバムも最高だった。テルアビブの連中がジャマイカに行って、ハードコアなルーツ・レゲエを作った作品なんだけど、本当に素晴らしいよ。

地元のマンチェスターで多くDJをされているようですが、マンチェスターのクラブ・ミュージック・シーンは現在どんな状況でしょうか?

MS:とてもいい。アーティストやレーベルの状況も健全だと思う。マンチェスターのアーティストは海外へ出てショーをやったりするけど、地元を基盤にした活動もしっかりおこなっていて、マンチェスターにもちゃんと活気がある。いまだにたくさんのレジデント・パーティがあるしね。僕もレジデントをやっている。オススメはイルム・スフィア(Illum Sphere)がレジデントを務める〈ホヤ・ホヤ(Hoya Hoya)〉という人気パーティ、それから〈ソー・フルート(So Flute)〉ってパーティだな。〈ソー・フルート〉は僕のパーティやホヤ・ホヤに影響を受けた若い連中がやっているパーティだ。ベース・ミュージックのパーティやレゲエのパーティ、アンダーグラウンド・ハウスのパーティ、インディ・ロックのパーティ、ニューウェイヴのパーティ……、本当にいろいろあるんだよ!

マンチェスターのクラブ・シーンが活況であり続けている理由は何だと思いますか?

MS:音楽好きな若者が多いというのは理由のひとつとしてあるかもね。大学生も多いし、音楽が目当てでマンチェスターに来る人もいるし、クラブで騒ぐために集まってくる連中もいる。こうした若い人の中に、自分たちでクラブ・パーティをはじめたり、音楽をリリースしたり、レコード・レーベルを立ち上げたりするやつらがいる。毎年、大学に通う目的でマンチェスターには大勢の若い連中がやってくる。そのおかげで、マンチェスターは若い人が多く、活気に溢れている。若者の中には、マンチェスターが気に入って住み続ける人も少なくないし、音楽で生計を立てているやつらもたくさんいるんだ。

あなたはマラソン・セットとも呼ばれる6時間近くに及ぶロング・セットを展開することでも知られてますが、あなたがロング・セットを好む理由を教えてください。

MS:理由はふたつある。まずはロング・セットというスタイルがオールドスクールであるから。僕がDJをはじめた頃は、DJはみんなオールナイトでDJし、いろいろなスタイルの音楽をかけていた。僕はいろいろなスタイルの音楽をかけるのが好きだから、短いセットだと窮屈に感じてしまうんだ。たくさんのジャンルを短い時間の中でかけようとすると無理が生まれるだろ。1曲1曲をちょいちょい聴かせるというよりは、ひと晩のDJを通して長い物語のようにプレイしたいんだ。

もうひとつの理由は?

MS:早い時間に、ウォームアップみたいな感じでプレイするのも好きなんだ。夜の早い時間にメロウな曲をかけるのも好きだし、夜の遅い時間にクレイジーな曲をかけるのも好きさ。どっちもやろうとしたら、ずっとやるのがいちばんいい(笑)。それにロングセットをやると、クラブ・ミュージックだけをかけなくてもいい。ジャズやフォークのようなメロウな音楽をかけたかったら、夜のどこかの時点でその音楽がしっくりくるタイミングがある。僕はいままでずっとオールナイトでDJしてきた。だから僕にとってはそれが普通なことで、特別なこととは思っていない。自分が一番上手くDJできると感じられるのがロングセットなんだ。

通訳:DJをするときに最も大事にしていることは?

MS:よいレコードを正しい順番でかけること。それからクラウドをよく見ていること。

フローティング・ポインツと一緒にバック・トゥ・バックでプレイされているようですが、彼とはどのような交流があるのですか? 

MS:彼に会ったのは5、6年前。彼の音楽がとても気に入ったから、僕からメールしたんだ。彼はまだ若いけど、音楽に対する見方はとても成熟している。多くのジャンルに興味を持っていて、プロデューサー、作曲家としても素晴らしい。DJとしての姿勢も好きだ。彼は変わった音楽や古い音楽をプレイし、人をワクワクさせることができる。一緒にDJをするには最適な人だ。バック・トゥ・バックをするとき、もうひとりのDJがヒット・チューンばかりかけていると、DJ体験としては退屈なものになってしまう。が、彼の場合、かける音楽が実に幅広いから、一緒にやっていて面白いだ。とても刺激されるし、勉強になるよ。

2009年の話なのでだいぶ前ですが、あなたがBBCの『Essential Mix 2009』をやったときに、トーマス・バンガルターの“On Da Rocks”を入れていましたが、あなたの作るファンキーなグルーヴのヒントがあるような気がして、とても興味深かったです。Rouleに代表されるあの当時のフレンチ・ハウスは好きでしたか?

MS:ああ、好きなものもあったよ。ボブ・サンクラーやモーターベース、ダフトパンク、トーマス・バンガルター、エティエンヌ・ド・クレイシー、ペペ・ブラドックなどのフレンチ・ハウスのレコードは大好きだった。彼らはよい音楽を作った。なかでもトーマス・バンガルターの“オン・ダ・ロックス(On Da Rocks)”は実にユニークな曲だ。シンプルでキャッチーで、それに他のハウスよりも少しテンポがゆっくりだよね。何よりもみんなが聴いて楽しめる曲。僕からすると、ダフトパンクのどの作品よりも“オン・ダ・ロックス”のほうが優れていると思う。1999年にリリースされたときはあのレコードをかけたけど、いまでもかける。僕にとってはスペシャルでクラシックな曲だ。ディスコの要素が強いから、ハウスとミックスしても合うし、アフロビートのレコードやその他のさまざまな音楽とミックスできる。僕にとっては汎用性のある、本当にクラシックな1枚だよ。


紅茶はイギリスではとても大切なものだ。紅茶はイギリス人にとって身近で大切なものであるにも関わらず、多くのイギリス人は紅茶についてあまりよく知らない。だが、カップにティーバッグを入れて紅茶を飲む。それって、何か安心するんだよね。紅茶は気分をほっとさせてくれるし、よい気分にもさせてくれる。

今回の『フレンドリー・バクテリア』は、オリジナル・アルバムとしては2008年の『ニンジャ・ツナ』以来の作品になるわけですが、その間、主にどのような活動、生活をして過ごされていたのですか?

MS:DJギグをやったり、忙しく過ごしていた。それから3年前、娘が生れた。それもあっていろいろと忙しかった。スタジオで過ごす時間もたくさんあったけど、他のことで忙しいと、大きなプロジェクトを完成させるのに時間がかかってしまう。
 1年くらい前かな、〈ニンジャ・チューン〉に言われたんだ。「そろそろアルバムを完成させたらどうだい?」ってね。「オッケー」と即答したよ。〈ニンジャ・チューン〉は僕にいつもメロウに接してくれる。抱えているアーティストが多いからかもしれないけれど、僕に変なプレッシャーをかけてくることなんてなかった。だから、彼らが少しプレッシャーをかけてきたときは「はい、やります」と素直に返事をしたよ。誰かに指示されることは時にはよいことだ。それで僕はスタジオに入ってアルバムを完成させたというわけさ。

音楽を作るときのインスピレーションはどのようなものから?

MS:アイディアは、サンプル、ドラムループ、ベースライン、メロディをハミングした時、あるいは友だちとの会話から生まれることもある。そうしたひらめきをヒントにして、サウンドを作り、自分がワクワクしてきたら、だいたいいい曲ができあがるものだ。

あなたの曲名やアルバム名はいつもユニークものが多いですよね。今回のアルバム・タイトルである『フレンドリー・バクテリア』の由来について教えてください。

MS:僕は違うスタイルの音楽や違うサウンド、年代の違うサウンド同士を組み合わせるのが好きなんだ。その組み合わせによって、リスナーを笑顔にさせるという反応を起こすことができる。僕は音楽のこの効果をとても気に入っていてね。これは言葉でも可能なことで、変わった感じの言葉の組み合わせから、詳しい説明はなくても、想像力が働き、ユーモアが感じられ、笑ったりほほ笑んだりしてしまうものがある。僕は曲名でもこういうことをするのが好きなのさ。説明する必要もない、単なる言葉遊び。僕はサウンドで遊ぶのが好きなのと同じように、言葉で遊ぶのも好きなんだ。

本作には「フレンドリー・バクテリア」のようにゴリゴリのシンセ・ベースを使った曲から、最後の“フィール・フリー”のようなジャジーでメロウな曲まで、さまざまなタイプの楽曲が並んでいますが、今回の『フレンドリー・バクテリア』のサウンドにおいて、何かコンセプトめいたものはあったのでしょうか? 

MS:コンセプトというほどのものはとくにないけど、デニス・ジョーンズと一緒に作った曲がアルバム全体の土台になっていると思う。今回のアルバムには彼と作った曲が5曲も入っている。曲単位ではいろいろなタイプのものが収録されているけれど、僕とデニスで一緒に曲を作っていた時、ある特定のサウンドを想定して曲を書いていた。アルバムの他の曲は、そのサウンドに合うものを選んだり、そのサウンドに合うように作られた。もちろんヴァラエティ豊かなアルバムにしたいということも考えていたけど。DJをしているときやアルバムを作るとき、僕が大切にしているのは、たくさんのスタイルを取り入れると同時に、それらが一緒になったときにしっくりときて、一貫性が感じられるということだ。僕はDJしているときは、毎回それをしているから、アルバムを通して、多くのスタイルを網羅するのは、自分にとっては自然なことなんだ。普段からDJしているから、アルバムをまとめるの作業には慣れている。

本作にはザ・シネマティック・オーケストラの主要メンバーとして知られるフィル・フランスやカイディ・テイタムといった豪華なミュージシャンたちが参加しています。本作で彼らを必要とした理由を教えてください。

MS:僕が共演した人たちのほとんどは、仲の良い友人たちだ。みんなお互いに尊敬し合っている。僕は彼らの音楽がすごく好きだし、彼らは僕の音楽を気に入ってくれている。コラボレーションは、自分のサウンドを発展させるよい機会だと思う。自分とは違う考えを持つ他の人と一緒に作業するから、スタジオでも常に違ったことをトライしてみることになる。サンプルをあまり使わない場合は、ミュージシャンと一緒に仕事をするのがいちばんだね。ひとりですべての作業をしていると、ときに一歩下がって客観的に自分の音楽を見るのが難しくなる。他の人と仕事していると、自分の音楽を新しい視点から見ることができて楽しいね。

トランペット奏者のマシュー・ハッセル(Matthew Halsall)も素晴らしい演奏を披露していますね。

MS:彼は偉大なトランペット演奏者であり作曲家だ。彼のスピリチャル・ジャズのリリースは本当に素晴らしい。彼とも今後たくさんのコラボレーションをやる予定だ。マシュー・ハッセル、フィル・フランス、デニス・ジョーンズは、お互い面識もあり、マンチェスターのミュージシャン集団として一緒にプレイしている。すでに顔見知りの人たちと一緒に仕事をするのは素敵なことだよ。みんな各自でプロジェクトをやっていて、それが上手くいっているから、みんなが集まると、発想が自由になり、特別で変わったものを作ろうということになる。

このところ、IGカルチャーとバグズ・イン・ジ・アティック(Bugz in the Attic)のアレックスによるネームブランドサウンド(NameBrandSound)が〈ニンジャ・チューン〉から出たり、フローティング・ポインツのレーベル〈エグロ・レコーズ〉からはディーゴ・アンド・カイディ(Dego And Kaidi)が出したり、かつてブロークンビーツを盛り上げたヴェテラン勢たちの活躍が目立ちますが、このあたりの動きには注目してますか?

MS:もちろんだよ。ブロークンビーツというのは、ソウルやジャズ、ファンク、テクノ、ドラムンベースなど、本当にたくさんの音楽の影響を受けている音楽だ。僕は古い音楽のフレイヴァーを持った新しい音楽が大好きだ。いま名前の挙がった人たち、とくにディーゴなどは、これまでにいろいろな種類の音楽をやってきた。テクノもやったし、ハウスもやった、ドラム&ベースもやったし、ヒップホップやソウルのリリースもあった。ブロークンビーツとは彼が作ってきたいろいろなスタイルの音楽の総称のようなものだ。ディーゴ・アンド・カイディは去年、素晴らしい12インチをリリースしたし、今後はセオ・パリッシュと曲を作り〈サウンド・シグネイチャー〉からリリースする予定になっている。それもきっと素晴らしいものになるはずだ。ディーゴ・アンド・カイディは〈エグロ・レコーズ〉からも作品を発表していて、それも最高だった。カイディはGフォースと新しいレーベルを立ち上げるみたいだしね。

そのあたりのサウンドはこれからまた面白くなっていきそうですね。

MS:みんな、長年音楽を作ってきた才能ある人たちだ。メロディやリズムを聴きわけるよい耳の持ち主だし、音楽の素晴らしさを知っている連中ばかりだ。だから彼らの動きは僕にとってもとてもエキサイティングなことだよ。ブロークンビーツのシーンがなくなってしまったのは残念だったけどね。ブロークンビーツシーンは、バグス・イン・ジ・アティック(Bugz in the Attic)が〈ヴァージン〉からアルバムをリリースしたときに途絶えてしまったと思っている。それからブロークンビーツの主なディストリビュータであったゴヤが閉鎖してしまって、彼らのような人たちがレコードをリリースするのが難しくなってしまった。だから、ヴェテラン勢が戻ってきて、音楽をたくさん作ってくれるのは素晴らしいことだと思うよ。

“He Don't”でロバート・オウエンズを起用した理由について教えてください。

MS:ロバートは素晴らしい声の持ち主だ。彼の声を初めて聴いたのは1986年、僕が14歳のときだった。「ブリング・ダウン・ザ・ウォールズ(Bring Down the Walls)」など、当時、彼がラリー・ハードと一緒に音楽を作っていた頃の作品さ。彼のシンプルでエモーショナルなヴォーカルのスタイルが大好きなんだ。彼は僕にとっても伝説的存在だよ。

一緒にやってみてどうでしたか?

MS:“He Don't”のトラックを作ったとき、僕の頭のなかではもうすでにロバートが歌っていた(笑)。この曲には彼しかいないって感じだった。僕はすぐに彼に連絡を取り、彼自身も“He Don't”を聴いて、自分が歌っている姿を想像できるかどうかってきいたんだ。その後、彼に曲を送ったら、数時間後に返信があって「イエス」と言ってくれた。「自分でも歌っている姿が想像できる」と。それで一緒にスタジオに入ることになった。すべてがスピーディに進んだ。今までロバートには会ったことがなかったんだ。彼のレコードはたくさん持っているけどね。ラリー・ハードと一緒に作ったものやコールドカットとの作品やフォーテックとの作品など。彼は本当に才能豊かなインスピレーションを与えてくれる最高のヴォーカリストだ。

いまさらですが、あなたが描くあのかわいいキャラクターはどのようにして生まれたのですか?

MS:僕が若いころ、15歳だったかな、いつも落書きをしてた。子供の頃から絵を描くのが好きだった。その絵がじょじょにシンプルさを増していった。そして、今の形、つまり目と口と体と手足が2本ずつ、になった。子供の落書きがそのまま変わらず今も残っているというわけさ。

あなたは自ら紅茶の販売を手がけるくらい、紅茶に思い入れがあるかと思います。あなたにとって紅茶とはどんなものなのですか?

MS:紅茶はイギリスではとても大切なものだ。自分で作った紅茶の会社はもう手放してしまったけど、いまはマンチェスターでカフェを経営しているよ。「Tea Cup」という名前のカフェで、おいしい紅茶を出している(笑)。紅茶はイギリス人にとって身近で大切なものであるにも関わらず、多くのイギリス人は紅茶についてあまりよく知らない。日本にもお茶のカルチャーがあると思うけど、日本ほどにはイギリス人の飲み方は洗練されていない。だが(日本とは違う種類の情熱だけれども)イギリス人もお茶が好きだ。僕はそういうイギリス人の感じも嫌いじゃなくてね。カップにティーバッグを入れて紅茶を飲む。それって、何か安心するんだよね。紅茶は気分をほっとさせてくれるし、よい気分にもさせてくれる。友だちと一緒に紅茶を飲むときも、仕事中にひとりで飲むときも、紅茶は日常においてスペシャルな時間を提供してくれる。多くのイギリス人がそんな感じで紅茶を愛していると思うよ。

最後になりますが、次のアルバムはいつ頃の予定でしょうか?

MS:2020年までにはリリースしたいと思っているよ。今回、久しぶりにアルバムを作り、、そのための作業が自分にとってどんなに楽しいことなのか改めて感じることができた。すでにデニス・ジョーンズとも、このアルバムのツアーが終わったら、すぐにまたスタジオに入り、新しい曲を一緒に作りはじめようという話をしている。だから、まあ、今回のリリースにかかった時間によりも早く、次のアルバムは出せると思うな。このアルバムの作業は本当に楽しかった。とくに他の人とのコラボレーションはインスピレーションも得られ、刺激的な仕事だった。今後もコラボレーションはたくさんやっていくと思うよ。楽しみに待っていてくれ。

BAUS Theatre - ele-king

 バウスシアターが閉じるウワサはしばらく前からあったがそれがウワサでないと知ったのは灰野さんのミックスCDをいただくかわりに自分のバンドのCDを灰野さんにさしあげることになったのだが手元になかったのでボイドの樋口さんにもらいにいったらバウスの西村さんがおられた。
 西村さんに聞いた細かい理由は書かないし書いても詮ないが街の風景の一角ともいえる場所がなくなるのは、言葉でいう以前にそれがじっさいそうなり視覚から喪われてはじめて言葉にならない欠落とも感じない違和感をおぼえる。バウスシアターに足繁く通った映画ファンだけでない。食材を買いこむお母さん、学校に通う学生、レコードを買いに来たひとライヴハウスに訪れたひと、古着や古書を物色する方々、井の頭公園は反対側だがそこにデートに行くカップルでさえ喪失感を抱かないはずはなく、せっかく水をいれかえた池でボートに乗ったらかならずや別れることになるだろう。しかしそのまえに2014年6月にバウスシアターと私たちにも長いお別れは訪れる。私は吉祥寺が住みたい街ランキングの1位から陥落するのは時間の問題だと思うが、私はすくなくともこのイベントが終わるまではバウスシアターに住みたいくらいだ。
 爆音映画祭はいまから6年前当地で産声をあげた。映画館の音響ではなくライヴハウス仕様で映画を観るとともに「聴く」体験はサウンドトラックだけでなく人声と物音までふくむ音を視覚表現と対等に、映画という時間のなかにしかうまれない世界を感覚のすべてに訴えるものだった。私はこれを機に映画は過去のものであっても回顧の軛から逃れ、ちょうどDJカルチャーにおいて音楽の再生にプレイとリバースが二重写しになったような映画の観方を提示した。その意義はゼロ年代以降のシステムに地殻変動を起こした映画のシーンでけっして小さいものではなくバウスシアターはその主戦場であった。爆音映画際はこれからもつづけていくにちがいないがバウスシアターでの爆音はこれで見おさめである。
 期間は4月26日から5月いっぱい。プログラムは公式ホームページのご覧になるなりしてたしかめていただきたいが90本を数える上演作品にはバウスシアターや吉祥寺になじみぶかい「バウスを巡る映画たち」と題したもの、よりすぐりの爆音上映には当ページ読者にもぴったりの音楽映画も多数ふくむ。まだご覧になっていない方はぜひとも、何度か来られた方にもまたちがった映画体験が待ち受けているはずである。私なぞクストリッツァの『アンダーグラウンド』を前回の爆音で観たとき、冒頭のジプシーが高らかとラッパを吹き鳴らすシーンでイスがビリビリ震え、さすが爆音だと唸ったがそれは地震(震度3)のせいだとのちに知ったほど、予期せぬできごとが起こるのが爆音上映の醍醐味なのである。
 また爆音映画際の期間中は上映だけでなく、ライヴイベントとも予定しているという。大友良英による大編成ノイズ・プロジェクト「コア・アノード」、気鋭の映像作家、牧野貴による『Phantom Nebula』生演奏付き上映、このイベントのためにだけにニューヨークからやって来るマーク・リボーが『紐育の波止場』と『キッド』(当初『街の灯』の予定だったのを変更)に音をつけ、井上誠率いるゴジラ伝説LIVE 2014も襲来するのである。5月17日には、僭越ながら湯浅湾祭と題してヘア・スタイリスティックスの無声映画への劇伴ライヴ、カーネーションの直枝政広のソロ・ライヴにもちろん私ども湯浅湾のライヴもございます。一所懸命練習します、明日から。6月に入ってからの10日間は「ラスト・バウス/ラスト・ライヴ」と題し、かつて映画だけでなくコンサートや演劇も催すハコだったのをしのばせる充実のラインナップでのライヴ週間も待っている。かえすがえす閉じるまでバウスに住みたいくらいだ。閉じてもスクウォットしてもいいくらいだ。


KUJITAKUYA (HOLE AND HOLLAND) - ele-king

https://www.hole-and-holland.com/

DJ schedule

2014. 4.9(金) BLACK WATER @神宮前BONOBO
https://bonobo.jp/schedule/2014/04/001315.php

2014.4.18(金)OPSB & HOLE AND HOLLAND Presents [UP] @中野heavysick ZERO
https://www.heavysick.co.jp/zero/

チャートテーマ

1. 2014/4/18金曜日@中野heavysick ZEROにて開催される、OPSB & HOLE AND HOLLAND Presents [UP] に持って行こうと思っているレコードです。

2. 昨年末の大盛り上がりだった[UP]の後、レコバッグをなくしてしまい、その中に入っていたレコードですw。また買います。

3. HOLE AND HOLLAND関連のpv とsoundcloudです。


1
OPSB - CHANGE YOUR ROUTINE - room full of records

1
TAMBIEN - THE TAMBIEN PROJECT2 - public possession

1
DJ RASHAD - I DONT GIVE A FUCK - hyperdub

1
CRATEBUG - TUGBOAT EDITS PRESENTS CRATEBUG EDITS - tugboat edits

2
JURNY - ONLY WHEN I'M DREAMING - NO MORE HITS

2
SSK - I'M LOST DOWN - SSK VERS

3
FUSHIMING - SERENADE (PV)
https://www.youtube.com/watch?v=FMDsCt55d40

3
EDO KANPACHI - KOUTA RAP REMIX
https://soundcloud.com/edo-kanpachi/kouta-rap-remix

3
KUJITAKUYA - FEELING OF A BIRD
https://soundcloud.com/nosetail92/feeling-of-a-bird

3
RIDE MUSIC EP RELEASE TOUR 2012 (PV)
https://www.youtube.com/watch?v=JLGC0BhzuAE

THE KLO (TIGER HOLE) - ele-king

カクカクシカジカで少しの間足を休めてましたが、また踊りはじめました THE KLOと申します。
以後お見知り置きを。
今年2/15におよそ2年ぶりにやったTigerHole@bonobo。
久しぶりだしKURUSUとTARO AKIYAMAと自分の寅年レジデント3人でやろうと動きだしてからCola&JimmuのLIVE追加決定!
喜んでた所にKURUSUくん骨折!
そんな中遊びに行ったTerrence Parker@oppa-laでCMTと遭遇し快くピンチヒッターを引き受けてくれる(踊りに行けば未来は開ける)も当日大雪の為無念のリタイヤ!それを知ったNOBU君が急遽DJやってくれることに!!
そんなこんなで最高な友達と一緒に遊んでくれたパーティーアニマルな皆様のお陰で無事お昼過ぎまで素敵な時間をつくれました。
後日ジミテナーから最高のパーティーだったと連絡あり感激!!
次回TigerHoleはCMTリベンジ!KURUSU復活?
お楽しみに!
今回選んだのは そんなTigerHoleで最高の瞬間をつくってくれた10曲(順不同)です。


1
Music Hall - Levantis - TTT

2
Port Side Waves - Stephan Laubner - Perlon

3
Trade(Ricard Villalobos Mix) - Mono Box - Logistic Records

4
Everything - Rampa feat Meggy - Keine Music

5
Frequency Sexxx - Reade Truth - Planet E

6
Out Of Breach - MU - Out Put

7
Let Me See You Butterfly - Traxmen - Dance Mania

8
Situation(Hercules Love Affair Remix) - Yazoo - Mute

9
Deputy Of Love - Don Armandos Second Avenue Rhumba Band - ZE Records

10
Bad Driver(Aroy edit) - Chicago Skyway & Dcook - Mos Recordings

DJ予定
3/29 ハメ太郎@福岡TSUTI
GUEST DJ
YAZI(BLACK SMOKER/TWIN PEAKS)
THE KLO(TIGER HOLE)
DJ
DEE/IMMA/TAKENAWA/Michitoki KT
VJ
Livera Rhythm
FOOD
博多手いっぽんJr

4/17 PENINSULA@代官山saloon
4/21 @千駄ヶ谷bonobo
5/10 TOXICO@渋谷EN-SOF TOKYO
5/18 @歌舞伎町BE WAVE

Marii (S/LTD) - ele-king

女3人でパーティ「S」をオーガナイズしています。
次回は3/29(sat)、ゲストにKABUTO(CABARET/LAIR)を迎えて開催します!

DJスケジュール
29th Mar 2014 S@KOARA
25th Apr 2014 JACARANDA@M

Sblog :https://ameblo.jp/s-3djs/

Soundcloud : https://soundcloud.com/mariiabe

むいしきにダンシングできる10曲を選んでみました。
のどに詰まった魚の骨、満員電車でひっかかった私のカバン、よく覚えていないけど気になるアノヒト。
地面におちてゆくID。すべてむいしきの仕業。今夜はどこかへ遊びに行こう、そんなときに踊りたい10曲。
(順不同)

むいしき10トラック


1
Cola&Jimmu - Enigmatic - Herakles Records

2
French Fries - Smoke Wine(Goldffinch Remix) - Dirtybird

3
A Man Called Adam - Que Tal America?(Robert Mello's Filter Edit) - Other Records

4
Jon Kwest - That's Love(Love Movements) - ?

5
Guillaume&The Coutu Dumonts - Indigo Shower - Oslo

6
Point G - Braka - Point G

7
Madteo - Insider - Morphine Records

8
Beat Freak feat.Maria - Loop Trick Original Mix - King Street Sounds

9
Enrico Mantini - Dont't Think About It - Traxx Underground

10
Thomas Schumacher - You got me(Onno Remix) - Get Physical Music

DJ Tsukasa (WarmRoom) - ele-king

不定期でWarmRoomというパーティーを福井で開催中!!!!!
ジャンルを問わず夜に合いそうな10曲選んでみました!!
3/27 Mole×MOLE @Church Guest/Mitsuki(MOLE Music)
DJ/Tsukasa、Tomoharu、masAaki

最近かけるちょっと古い曲


1
Manzel - Midnight Theme - Dopebrother

2
Penny Goodwin - Too Soon You're Old - Freesound Records

3
Quantic & Alice Russel - Here Again - Tru Thoughts

4
Vincent Montana JR - That's What Love Goes - Philly Sound Works

5
Terence Parker - Your Love - Seventh Sign

6
Cultural Vibe - Ma Foom Bey - Easy Street

7
Terry Callier - Love Theme From Spartacus - Talkin' Loud

8
Ashford & Simpson - Don't Cost You Nothing - Warner BROS.

9
Hard Meat - Free Wheel - Warner BROS.

10
Syrup - Sweet Shop - Compost
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