「DJ DON」と一致するもの

Jessy Lanza - ele-king

 フットワークからYMOまで、前作で独自の折衷センスを聴かせたシンセ・ポップ・アーティスト、ジェシー・ランザ。Yaejiとの全米ツアーを終えた彼女の新作情報が解禁されている。『Pull My Hair Back』(13)『Oh No』(16)『All The Time』(20)につづく4枚目のアルバムが〈ハイパーダブ〉より7月28日 (金) にリリース。CD、LP、ストリーミング/デジタル配信で世界同時発売とのこと。現在UKGを取り入れた新曲 “Midnight Ontario” が公開中だ。アルバムへの期待が高まります。

JESSY LANZA

ハイブリッドなR&Bスタイルでシーンを牽引!
ジェシー・ランザによる最高傑作が誕生!
最新アルバム『Love Hallucination』
7月28日リリース
新曲「Midnight Ontario」をMVと共に解禁!

卓越したセンスとスキルによって構築されたハイブリッドなスタイルで、FKAツイッグスやグライムス、ケレラらと並び、インディーR&B~エレクトロポップ・ファンからの支持を集めるジェシー・ランザが、最新アルバム『Love Hallucination』のリリースを発表! あわせて新曲「Midnight Ontario」をMVと共に解禁! アルバムは7月28日に発売される。

Jessy Lanza, Midnight Ontario
https://youtu.be/BHt2RXRKCSE

『Love Hallucination』で、ジェシー・ランザはソングライター兼プロデューサーとして完璧な采配を振っている。当初は他のアーティストたちのために曲作りをしていたが、自分のスタイルを屈折させたり実験したりすることに解放感を感じ、実験する過程に自由を感じ、書きためてあったトラックを書き直し、最終的に自分の作品のためにレコーディングすることを決断した。本作のためにジェシーはスタジオでのスキルをレベルアップさせ、自身のサウンドを再構築している。高い評価を受けた2021年の『DJ Kicks’ Mix Series』の足跡をたどるクラブサウンドの曲から、ダウンビートでなまめかしい曲まで、プロダクションスキルと四方八方に広がるエネルギーを駆使して冒険している。

今まで、あけすけにオーガズムを扱ったりサックスを演奏したりしたことはなかったけれど、『Love Hallucination』ではそれがしっくりきた - Jessy Lanza

本作では、その瞬間の自分自身を信じるというテーマが、作品を前進させる大きな力になっている。直感に重点を置いた『Love Hallucination』は、恋に惑わされながら、たとえ納得できるまで時間がかかろうと、自分の感性を最後まで信じる強い意志で完成させた作品である。

『Love Hallucination』では、2013年リリースのデビュー作『Pull My Hair Back』のまだ荒削りなアプローチから、『DJ-Kicks』で見られたエネルギッシュなサウンドまで、まるで彼女の成長を一つにまとめたかのような集大成的作品であり、新たな才能の開花を示す作品とも言える。

オープニング曲「Don't Leave Me Now」、ジャック・グリーンと共同制作した「Midnight Ontario」、テンスネイクことマルコ・ニメルスキーと共同制作した「Limbo」など、生の感情をダイレクトかつパーソナルに歌い上げるアルバムであることがわかる。またジェシーは、ロンドンでピアソンサウンドとして知られるデヴィッド・ケネディーとも仕事をし、プロダクション面やクラブ向けの洗練されたアレンジで楽曲を強化するのに貢献している。他には、ジェレミー・グリーンスパンと共同制作した「Big Pink Rose」「Don't Cry On My Pillow」「Drive」「I Hate Myself」、そしてポール・ホワイトと共同制作した「Casino Niagara」や「Marathon」が収録されている。『Love Hallucination』は、ジェシー・ランザにとってこれまでで最も野心的なアルバムであり、メッセージ性と完成度においても間違いなくキャリア最高傑作と言える。

ジェシー・ランザの最新アルバム『Love Hallucination』は、CD、LP、デジタルで7月28日 (金) に世界同時リリース。CD、LP、ストリーミング/デジタル配信で世界同時リリース。国内流通仕様盤CDには、解説書と歌詞対訳が封入される。

label: Hyperdub
artist: Jessy Lanza
title: Love Hallucination
release: 2023.07.28

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13397
Tracklist
01. Don’t Leave Me Now
02. Midnight Ontario
03. Limbo
04. Casino Niagara
05. Don’t Cry On My Pillow
06. Big Pink Rose
07. Drive
08. I Hate Myself
09. Gossamer
10. Marathon
11. Double Time

Amyl and The Sniffers - ele-king

 これは待望の初来日と言っていいでしょう。オーストラリアはメルボルンのパンクな4人組、アミル・アンド・ザ・スニッファーズがついに日本にやってきます。
 スリーフォード・モッズの2021年作『Spare Ribs』にヴォーカルのエイミー・テイラーが参加したことで注目を集め、同年秋〈ラフトレード〉からのセカンド『Comfort to Me』で大いに飛躍、昨年はウィーザーやグリーン・デイといったメジャーのバンドのフロントアクトを務めるまでになった彼ら、そのエネルギッシュなパフォーマンスをここ日本で体験できる絶好のチャンスです。9月6日@渋谷 CLUB QUATTRO と9月7日@梅田 Shangri-La の2公演、まだ少し先ですが、すでに主催者先行販売は開始しています。早めに予約しておきましょう。

Cantaro Ihara - ele-king

 いよいよ新作フルレングスの登場だ。70年代以降のソウルやAORなどからの影響をベースにしつつ、現代的な感覚で新たなサウンドを探求するシンガー・ソングライター、イハラカンタロウ。昨年からウェルドン・アーヴィン日本語カヴァーや “つむぐように (Twiny)” といったシングルで注目を集めてきた彼が、ついにセカンド・アルバムを送り出す。メロウかつ上品、どこまでもグルーヴィーなサウンドと練られた日本語詞の融合に期待しよう。

70年代からのソウル〜AORマナーやシティ・ポップの系譜を踏襲したメロウなフィーリング、そして国内外のDJからフックアップされるグルーヴィーなサウンドで注目を集めるイハラカンタロウ待望の最新アルバムがリリース決定!

ジャンルやカテゴリにとらわれない膨大な音楽知識や造形の深さでFM番組やWEBメディアでの海外アーティスト解説やイベント、DJ BARでのミュージックセレクターなどミュージシャンのみならず多方面で活躍するイハラカンタロウが、前作『C』から2年を越える歳月を費やした渾身のフルアルバムをついに完成!

世界的なDJ、プロデューサーとしても知られるジャイルス・ピーターソンのBBCプレイリストにも入るなど海外、国内ラジオ局でのヘヴィ・プレイから即完&争奪戦となったWeldon Irvineによるレア・グルーヴ〜フリー・ソウルクラシック「I Love You」(M7)日本語カバーや、サウスロンドンのプロデューサーedblによるremixも話題となったスタイリッシュ・メロウ・ソウル「つむぐように (Twiny)」(M2)といった先行シングルに加えて、新進気鋭のトランペッター “佐瀬悠輔” が艶やかなホーンを聴かせるオーセンティックなソウルナンバー「Baby So in Love」(M3)、現在進行形のルーツ・ミュージックを体現する“いーはとーゔ”の菊地芳将(Bass)、簗島瞬(Keyboards)らが臨場感溢れるパフォーマンスを披露した極上のグルーヴィー・チューン「アーケードには今朝の秋」(M4)、そして自身のユニット “Bialystocks” でも華々しい活躍を続ける菊池剛(Keyboard)が琴線に触れるメロディーを奏でる「夜の流れ」(M6)など同世代の才能あるミュージシャン達が参加した新たな楽曲も多数収録!

イハラカンタロウ『Portray』ティザー
https://youtu.be/RyE9RtDsohk


[リリース情報]
アーティスト:イハラカンタロウ
タイトル:Portray
フォーマット:CD / LP / Digital
発売日:CD / Digital 2023年4月28日 LP:2023年7月19日
品番:CD PCD-25363 / LP PLP7625
定価:CD ¥2,750(税抜¥2,500)/ LP ¥3,850(税抜¥3,500)
レーベル:P-VINE

[Track List]
01. Overture
02. つむぐように (Twiny)
03. Baby So in Love
04. アーケードには今朝の秋
05. Cue #1
06. 夜の流れ
07. I Love You
08. ありあまる色調
09. You Are Right
10. Cue #2
11. Sway Me

[Musician]
Pf./Key.:菊池剛(Bialystocks)/簗島瞬(いーはとーゔ)
E.Guitar:Tuppin(Nelko)/三輪卓也(アポンタイム)
E.Bass:toyo/菊地芳将(いーはとーゔ)
Drums:小島光季(Auks)/中西和音(ボタニカルな暮らし。/大聖堂)
Tp./F.Hr.:佐瀬悠輔

[特典情報]
タワーレコード限定特典:未発表弾き語り音源収録CD-R

[Pre-order / Streaming / Download]
https://p-vine.lnk.to/1NYBzJ

[イハラカンタロウ]
1992年7月9日生まれ。70年代からのソウル〜AORマナーやシティ・ポップの系譜を踏襲したメロウなフィーリングにグルーヴィーなサウンドで作詞作曲からアレンジ、歌唱、演奏、ミックス、マスタリングまで 手がけるミュージシャン。都内でのライヴ活動を中心にキャリアを積み2020年4月に1stアルバム『C』(配信限定)を発表、“琴線に触れる” メロディ、洗練されたアレンジやコードワークといったソングライティング能力の高さで徐々に注目を集めると、同年12月にはアルバムからの7インチシングル「gypsy/rhapsody」、そして2022年2月には「I Love You/You Are Right」(7インチ/配信)をリリース、さらには12月にサウスロンドンで注目を集めるプロデューサーedblによるリミックスを収録した「つむぐように (Twiny)」(7インチ/配信)をリリースし、数多くのラジオ局でパワープレイとして公開され各方面から高い評価を受ける。またライヴや作品リリースだけでなく、ラジオ番組や音楽メディアで他アーティストの作品や楽曲制作にまつわる解説をしたり、ミュージックセレクターとしてDJ BARへの出演やTPOに合わせたプレイリストの楽曲セレクターなどへのオファーも多く、深い音楽への造詣をもってマルチな活動を行なっている。2023年2月には「I Love You (DJ Mitsu The Beats Remix)」(7インチ/配信)をリリース、春には待望の2ndアルバムのリリースを予定している。

Twitter:https://twitter.com/cantaro_ihara
Instagram:https://www.instagram.com/cantaro_ihara/

interview with Martin Terefe (London Brew) - ele-king

あのレコードを再発明したようなもの、派生的なもの、マイルスに繋がり過ぎるものは絶対に作りたくないと思っていた。それもあって、トランペットは入れないことにしたんだ。

 ジャズの歴史上、もっとも革新的な創造と破壊がおこなわれたアルバムとして記憶されるのが、マイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』である。ジャズのエレクトリック化が進みはじめた1970年、ロックやファンクなど異種の音楽を巻き込み、それまでのモダン・ジャズやフリー・ジャズの流れからも逸脱した音楽実験がおこなわれたアルバムである。フュージョンやクロスオーヴァーといった1970年代のジャズの潮流とも異なり、あくまで自由で混沌とした集団的即興演奏がおこなわれたこのアルバムは、以後のミュージシャンにも多大な影響を及ぼし、マイルス・デイヴィスの名作の一枚というのみならず、ジャズを変えた歴史的な一枚という評価を残している。

 そして2020年の初め、『ビッチェズ・ブリュー』が生まれてから50周年を記念し、トリビュート的なプロジェクトがロンドンではじまった。『ロンドン・ブリュー』というこのプロジェクトは、当初はロンドンで記念ライヴをおこなう予定だったが、コロナ・パンデミックによるロックダウンで中止を余儀なくされる。しかし、発案者であるプロデューサーのマーティン・テレフはライヴから形態を変え、ミュージシャンたちによるセッションを録音し、それを編集した形でのリリースへとこぎ着けた。セッションに参加したミュージシャンはシャバカ・ハッチングスヌバイア・ガルシア、テオン・クロスなど、主にサウス・ロンドン周辺のジャズ・シーンで注目を集める面々から、ザ・シネマティック・オーケストラなどで演奏してきたニック・ラム、そしてトム・スキナー、トム・ハーバート、デイヴ・オクムという、ロンドンのジャズ~フリー・インプロヴィゼイション~オルタナ・ロック・シーンを繋ぐ面々(3人はかつてジェイド・フォックスで活動し、現在はオクム=ハーバート=スキナー名義で共演するほか、オクムとハーバートはジ・インヴィジブルでも活動する)。


London Brew
Concord Jazz / ユニバーサル

UK JazzFree JazzDub

Amazon Tower HMV disk union

 こうした面々が集まった『ロンドン・ブリュー』は、単に『ビッチェズ・ブリュー』を再現したりするのではなく、あくまでマイルスたちミュージシャンがおこなった音楽的な実験精神をもとに、自身のアイデアで新しく自由な音楽をクリエイトしていくというもの。そして、パンデミックという閉塞した状況の中、逆にそれがミュージシャンたちの結束や自由な精神を強め、大きなパワーを生み出すことになった。マーティン・テレフェはスウェーデン出身で、幼少期はヴェネズエラで育った音楽プロデューサー。コールドプレイのガイ・ベリーマン、アーハのマグネ・フルホルメル、ミューのヨーナス・ビエーレヨハンとアパラチックというユニットを結成したことで知られるが、一転して『ロンドン・ブリュー』ではシャバカやヌバイアなど多彩なミュージシャンから、DJのベンジーBやエンジニアのディル・ハリスなどスタッフを束ね、それぞれの自由で創造的な表現をまとめ、最終的に一枚のアルバムという形で世に送り出した。そんなマーティン・テレフェに、『ロンドン・ブリュー』のはじまりから話を伺った。

やりたかったのは、マイルスがミュージシャンたちに与えた自由と信頼、そしてレコードの精神を自分たちの音で表現することだった。『ビッチェズ・ブリュー』を再現するというよりも、あの作品におけるマイルスのスピリットを祝福する、という意味合いが強かったんだ。

マーティンさんは『ロンドン・ブリュー』のプロデュースをされているのですが、このプロジェクトはマイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』からインスパイアされたものと伺います。どのようにして企画が生まれ、スタートしていったのですか?

マーティン・テレフェ(Martin Terefe、以下MT):『ビッチェズ・ブリュー』の50周年を記念して、ライヴをやろうというアイデアがはじまりだった。もちろん、それを話していたのはパンデミックの前のこと。友人のブルース・ラムコフがこのプロジェクトについて連絡をくれて、マイルス・デイヴィスの息子と甥と一緒にマイルスを祝い、敬意を表するためのアイデアを考えている、と教えてくれたんだ。で、彼らがロンドンにあるエレクトリック・ブリクストンというヴェニューで演奏していたロンドンのミュージシャンたちのパフォーマンスに感動したらしく、彼らにこのプロジェクトのためにバービカン・センターで開かれるイベントで演奏してくれないかと依頼することになった。でも、そこでパンデミックがはじまってしまい、ライヴ・イベントは実現できなくなってしまって。そこで皆と話を続けて、何か代わりにできることがないかアイデアを出してみることにしたんだ。そして、最終的にポール・エプワースのチャーチ・スタジオに3日間だけこもって、その豪華なミュージシャンたちと一緒に音楽を作ることにしたんだよ。


今回取材に応じてくれたプロデューサーのマーティン・テレフェ

個人的にマイルス・デイヴィスと『ビッチェズ・ブリュー』に対してどのような思いがありますか?

MT:私はつねに様々な種類の音楽に夢中だった。南米で育ったから、アメリカの音楽、アメリカのソウル・ミュージック、R&B、ラテン・ミュージックなんかをたくさん聴いて育ってきたんだ。でも、母国であるスウェーデンに戻ってからは、ロック・ギターをたくさん弾くようになった。そして最終的には、マイク・スターンやジョン・スコフィールドのようなギタリストたちにインスパイアされるようになったんだけれど、それらの作品すべてがマイルスと繋がりがあったんだ。私が最初にマイルスの音楽に出会ったのは、彼の初期のアコースティックな作品だった。でも、『ビッチェズ・ブリュー』のアルバムを手にしたとき、「このレコードはロック・レコードだ」と思ったんだよね。それが僕にとっての『ビッチェズ・ブリュー』の経験だったんだ。いい意味で危険を冒したレコードというか、すごく異質に感じた。そして火と怒りに満ちていて、同時に自由も感じられた。すごく自由な音楽だなという印象があったんだ。だから僕にとって『ビッチェズ・ブリュー』は、自由の炎を意味するレコードだと思う。

それを2023年のロンドンでどう表現しようと考えたのでしょう?

MT:私たちはあのレコードを再発明したようなもの、派生的なもの、マイルスに繋がり過ぎるものは絶対に作りたくないと思っていた。それもあって、トランペットは入れないことにしたんだ。しかもトランペットを入れると、トランペット奏者にとってもかなりプレッシャーになるからね。僕たちがやりたかったのは、マイルスがミュージシャンたちに与えた自由と信頼、そしてレコードの精神を自分たちの音で表現することだった。『ビッチェズ・ブリュー』を再現するというよりも、あの作品におけるマイルスのスピリットを祝福する、という意味合いが強かったんだ。だから、このアルバムはいろいろな意味で『ビッチェズ・ブリュー』とは全然違うと思う。このアルバムはパンデミックの時期に制作されたから、皆一緒に演奏できない、他の人に会えないというフラストレーションが溜まっていた直後に小さなスタジオで皆で集まり、さらに自由に演奏し、表現することを楽しむことができた。スタジオには本当に生き生きとした激しい瞬間も、静かで瞑想的な瞬間もあったね。そして、メランコリーなフィーリングが生まれたりもした。サウンドは『ビッチェズ・ブリュー』と違えども、自由を皆で共有しているのはあの作品と繋がる部分なんじゃないかと思う。スタジオに入る前、あらかじめ書かれた音楽はまったく存在しなかった。計画さえなかったし、3日間の完全な即興演奏であの曲の数々が生まれたんだ。当時のマイルスたちがそうであったように、私たちも同じ方法でまったく新しいものを作ったんだよ。

参加ミュージシャンはヌバイア・ガルシア、シャバカ・ハッチングス、テオン・クロスなど、主にサウス・ロンドン周辺のジャズ・シーンで注目を集める面々から、ザ・シネマティック・オーケストラなどで演奏してきたニック・ラム、それからトム・スキナー、トム・ハーバート、デイヴ・オクムというかつてジェイド・フォックスというユニットで活動してきた人たちが中心となっています。人選はどのようにおこなったのですか? トム・スキナー、トム・ハーバート、デイヴ・オクムの3人が中心となっているように思うのですが。

MT:前にも言ったようにそのメンバーは、最初にやる予定だったライヴ・イベントに参加してもらうはずだったミュージシャンたち。ブルースとマイルスの息子のエリン、そしてマイルスの甥でドラマーのヴィンスが見て感動したミュージシャンたちだね。で、パンデミックに入り一緒にプレイできなくなった人、会えない人たちも出てきたから、レコーディングに参加できるミュージシャンを後からまた選ばなければならなかった。決まりに沿って準備するのは大変だったんだ。スタジオに入れる人数は最大15人に絞らなければいけない、とかね。それで、僕と音楽ディレクターのデイヴ・オクムで誰がいいかを話し合い、いろいろな人に声をかけて、今回のアンサンブルを実現したんだ。特に誰が中心っていうのはないよ。12人のアンサンブルで、全員が全曲で演奏しているからね。参加ミュージシャン全員がメイン・ミュージシャン。もしかすると、ヌバイア・ガルシアとシャバカ・ハッチングスのふたりはソロイストとしてとくに目立っているかもしれないけれど、このレコードに参加しているミュージシャン全員がこのプロジェクトに同じくらい不可欠な存在なんだ。

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ヌバイア・ガルシア


シャバカ・ハッチングス

スタジオに入る前、あらかじめ書かれた音楽はまったく存在しなかった。計画さえなかったし、3日間の完全な即興演奏であの曲の数々が生まれたんだ。当時のマイルスたちがそうであったように、私たちも同じ方法でまったく新しいものを作ったんだよ。

ミュージシャンたちは参加するにあたって、どのようなプロジェクトにしていきたい、どのように演奏していきたいなど、述べていたことはありますか?

MT:多くのミュージシャンが、「なぜこんなことをするんだろう? この神話的で画期的なアルバムからどんなインスピレーションを得て、それをどう使う意図なんだろう?」と疑問に思っていた。それは私自身も最初に思ったことだったしね。だから、彼らにはそれを説明する必要があったんだ。でも同時に、ルールは設けず、明確な指示はしなかった。初日はロックダウンで何を経験したか、それを表現した音をひとつだけ演奏してもらうところからはじめ、そこから広げていったんだ。

楽曲自体はマイルス・デイヴィスをカヴァーするのではなく、『ビッチェズ・ブリュー』からのインスピレーションをもとに新たに作曲しているのですが、具体的には何かのテーマを設けて作曲していったのでしょうか? 例えばヌバイア・ガルシアによると、“マイルス・チェイシズ・ニュー・ヴードゥー・イン・ザ・チャーチ” という楽曲は、マイルスがジミ・ヘンドリックスに捧げたとされる “マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン” を再解釈したもので、ふたりの音楽の革命家をイメージしてエフェクトを施したと聞きますが。

MT:今回のセッションには歌がなかったから、テーマに関してはちょっと複雑なんだ。丸三日間すべて即興演奏というセッションだったからね。曲はそれらの録音素材を使って後から構成していったんだ。長いセッションを聴いて、その中から何か面白い部分を見つけ、その7分や15分の気に入った部分をミックスしながらトラックを作っていった。そしてその後、タイトルを考えたんだ。で、タイトルを考えているとき、あの曲のヌバイアのサックスは、確かにジミ・ヘンドリックスに似たリアルなフィーリングがあると感じた。だからそのタイトルにしたんだよ。ヌバイアにあの曲のインスピレーションは何だったのかと聞いたのはそのあと。そしたらヌバイアが、“マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン” とジミ・ヘンドリックスだって答えたんだ。他のトラックもテーマを設けたわけじゃなかった。1日のセッションで3時間録音したから3日間で合計9時間、とにかく自然に生まれるものをレコーディングしたんだ。ループも何もなく、ただ演奏するのみ。必要なのは、スタートとストップだけだった。最初の曲はなんと元の音源は24分もあったんだよ。自然にでき上がっていったから、レコーディングした曲の長さは様々だったんだ。

現代の音楽は多くの制約が設けられていると思うんだ。TikTokなんかもそうだし、曲が短くあることが強要されている感じがある。そして短い作品だと、ジャンルも限られてきてしまうと思うんだ。でも、このアルバムにはその制約が全くない。

主に作曲や編曲を担当したメンバー、リーダーとなって演奏を引っ張ったメンバーはいますか?

MT:作曲はやはり全員が同じくらい関わっていると言えると思う。完全な曲というものを皆で作ったわけではないけど、即興ででき上がった音楽だから、全員が制作に参加したと言えるんじゃないかな。制作をリードしていたのは、僕とデイヴ・オクムのふたりだったと思う。プロデューサーと音楽ディレクターという役割を担っていたし、バンドでも演奏もしていたし。セッション中に指示を出したりはしていたから。


デイヴ・オクム

例えばどんな指示を?

MT:こんなふうにはじまる曲を演奏してみよう、とか。あとはキーを決めてみたりもしたんだ。


London Brew
Concord Jazz / ユニバーサル

UK JazzFree JazzDub

Amazon Tower HMV disk union

多数のメンバーが参加するビッグ・バンド的な編成で、フリー・ジャズからアヴァンギャルド、ジャズ・ロックやプログレッシヴ・ロックなどが融合した演奏を繰り広げるというのは、歴史を遡れば今から50年以上も前のロンドンで活動したマイク・ウェストブルックのコンサート・バンドや、キース・ティペットキング・クリムゾン、ソフト・マシーン、ニュークリアスなどが参加したセンティピードを思い起こさせるところがあります。こうした先人たちを意識したところはありますか?

MT:意識はしていなかったけど、私はソフト・マシーンやプログレッシヴ・ロック、ジャズ・ロックに実際夢中だった時期があるから、その影響が自然と出てきたのかもしれない。ソフト・マシーンは何年もかけて進化してきたバンドだし、ハイブリッドな音楽として存在しているし。彼らの音楽はジャズでもなくロックでもない。自由で実験的で抽象的なものが許された音楽だから、彼らの音楽が連想されるのは良いことだと思う。

楽曲は生演奏だけではなく、プログラミングやエフェクトなども交え、最終的にはミキシングやポスト・プロダクションを経て完成されています。DJのベンジーB、エンジニアのディル・ハリスも参加しており、マーティンさん自身もギターのほかにプログラミングやミキシングを担当しているようですが、『ロンドン・ブリュー』において演奏以外のプロダクションはどのような働きを担っているのですか? 『ビッチズ・ブリュー』もテオ・マセロのプロダクションが重要な役割を果たしていたように、『ロンドン・ブリュー』におけるあなたの役割も大きいのではと思うのですが。

MT:プログラミングは交えてないけれど、電子的なエフェクトはたくさん使っている。今回はDJであるベンジーBがいてくれたから、あらかじめ録音しておいたギターの断片を、セッションの中で皆にヘッドフォンで聴かせたりもした。私はミックスと編集を担当したけど、私がそれを担当したのは、やはりパンデミックという特殊な状況で、人とコラボレーションするのが容易ではなかったから。それに時間もたくさんあったから、スタジオに行って何時間も何時間も音楽を聴いて、その中から面白いものを選ぶことができたんだ。編集やミックスをはじめたときは、このアルバムがどんな作品になるのか確信が持てなかった。でも、エグゼクティヴ・プロデューサーのブルース・ラムコフは、さっき話したようにマイルスの家族と繋がりがあったから、彼がこのプロジェクト全体をまとめる手助けをしてくれたんだ。ブルースに電話で私のアイデアについて話したとき、彼はとても協力的だった。彼には本当に助けられたよ。


ベンジーB

マイルスがいかに周りのミュージシャンを信頼していたか、そして彼らに多くのスペース、自由に演奏する余白を残していたかを学んだ。彼はとても聴き上手だったんだよ。

このアルバム自体もそうですし、パンデミックがあったからこそ生まれたというような作品も多いみたいですね。

MT:そうだね。もちろん、パンデミック期間中は多くの悲しみと悲劇も起こった。でも同時に、多くの人びとにとって多くの時間と空間が与えられた時期でもあると思うんだ。だからこそ、ある種の再編成と自由が生まれたんだと思う。長い間ほかのミュージシャンたちと一緒に演奏できていない状態で皆が集まったから、突然15人が集まって演奏がはじまったときのエネルギーは本当にすごかった。ほかの人間を身近に感じることができて、そこからすごく大きなパワーが生まれたんだ。

シャバカ・ハッチングスはこのプロジェクトについて、「音楽を作ることが好きなミュージシャンたちが、社会的な力として、また社会的な構成要素として、音楽を作っている。彼らは団結と動きを表現するものを作っている。それが生きているということなんだ。統一があり、運動があり、振動がある」ということを述べています。たんなる音楽活動ではなく、社会活動も見据えての発言かと思いますが、実際に『ロンドン・ブリュー』には社会活動としての意識はあるのでしょうか?

MT:シャバカは今回のセッションが、大きな鍋の中で音楽を皆でかき混ぜながら、キャンプ・ファイヤーの周りに座っているようなとても共同的な感覚だった、と言っていた。実際に皆円形になって演奏していたし、全員がお互いに向き合って顔を合わせながらセッションしたんだ。そこからは確かに団結感のようなものが生まれていたと思う。

『ロンドン・ブリュー』の成り立ちにも関わってくるかと思いますが、コロナによるパンデミックは音楽界にも多大な影響を与え、それまでの演奏形態や音楽制作も変化してきているところがあると思います。そうしたことがあって、先ほどのシャバカの社会活動としての音楽という発言もあるのかなと思いますが、改めて『ロンドン・ブリュー』の持つ意義についてお聞かせください。

MT:現代の音楽は多くの制約が設けられていると思うんだ。TikTokなんかもそうだし、曲が短くあることが強要されている感じがある。そして短い作品だと、ジャンルも限られてきてしまうと思うんだ。でも、このアルバムにはその制約が全くない。ジャズとかロックとか、そういうことを意識せずに自分たちを自由に表現できるのはすごく幸運だったと思う。そしてそれこそが、他のミュージシャンたちと一緒にマイルスのプロセスを研究したことによって得た教訓だったんだ。彼がいかに周りのミュージシャンを信頼していたか、そして彼らに多くのスペース、自由に演奏する余白を残していたかを学んだ。彼はとても聴き上手だったんだよ。だから2023年のいま、このレコードはそれを皆に思い出させる存在になると思う。音楽はこれほどまでに大きくなることができ、それ自体がひとつの宇宙であることに気づかせてくれる作品。リスナーの皆には、そこから得られるとても力強く大きな経験にぜひ触れてほしいね。

YUKSTA-ILL - ele-king

 すでに3枚のフル・アルバムを送り出している三重は鈴鹿のラッパー、YUKSTA-ILL。これまで名古屋を拠点とするレーベル〈RCSLUM〉で培った経験をもとに、先日自身のレーベル〈WAVELENGTH PLANT〉を設立することになった彼だが、早速同レーベルより彼自身のニュー・アルバム『MONKEY OFF MY BACK』のリリースがアナウンスされた。
 セカンド『NEO TOKAI ON THE LINE』のときのインタヴューで「アタマからケツまで構成があって起承転結がある作品を作りたかった」との発言を残している YUKSTA-ILL は、単曲でのリリースがスタンダードになった昨今、1曲単位よりもフル・アルバムに強い思いを抱くラッパーである。レーベル設立の告知と同時に公開された新曲 “FIVE COUNT (WAVELENGTH PLANT ver.)” がまたべらぼうにかっこいい一発だっただけに、ひさびさのフルレングスにも期待大だ。新作『MONKEY OFF MY BACK』は4月5日(水)にリリース。フィジカル盤には盟友 DJ 2SHAN によるミックスCDが付属するとのこと。確実にゲットしておきたい。

三重鈴鹿を代表する東海の雄YUKSTA-ILLが4年ぶり4作目のフルアルバムリリースへ
自身の新レーベル「WAVELENGTH PLANT」からTEASER動画&トラックリストを公開

東海地方から全国へ発信を続ける名古屋の名門レーベル「RCSLUM RECORDINGS」で15年間培った経験・知識を地元三重に還元すべく、今月1日に自らのレーベル「WAVELENGTH PLANT」の設立を発表したばかりのYUKSTA-ILL。
同日より配信されている彼のローカルエリアを題材にしたシングル「FIVE COUNT」から間髪入れず、4年ぶり4作目となるフルアルバム「MONKEY OFF MY BACK」を4/5(水)にリリースする。
全13曲からなる今作にはBUPPON、Campanella、WELL-DONE、ALCI、GINMENが客演参加、トラックのプロデュースをMASS-HOLE、OWLBEATS、Kojoe、ISAZ、UCbeatsが担当。
ブレないスタンスをしっかりと維持しつつ、これまでリリースしてきたフルアルバムとはまたひと味違った世界観、アーティストとしての新境地を感じさせる内容の仕上がりとなっている。
尚、配信と同タイミングでリリースされるフィジカル盤には、YUKSTA-ILL自らホストを務めた地元の盟友DJ 2SHANによる白煙に包まれた工業地帯をイメージしたMIXCD「BLUE COLOR STATE OF MIND」が購入特典として付属される。
レーベルより公開されたTeaser動画、及びアルバム情報は以下の通り。

MONKEY OFF MY BACK Album Teaser
https://youtu.be/dpeE46hW7bU

【アルバム情報】
YUKSTA-ILL 4th FULL ALBUM
「MONKEY OFF MY BACK」

Label: WAVELENGTH PLANT
Release: 2023.4.5
Price: 3,000YEN with TAX
(フィジカル盤購入特典付)

{トラックリスト}
01. MONKEY OFF MY BACK
02. MOTOR YUK
03. FOREGONE CONCLUSION
04. GRIND IT OUT
05. JUST A THOUGHT
06. SPIT EAZY
07. OCEAN VIEW INTERLUDE
08. DOUGH RULES EVERYTHING
09. EXPERIMENTAL LABORATORY
10. TIME-LAG
11. BLOOD, SWEAT & TEARS
12. TBA
13. LINGERING MEMORY

{参加アーティスト}
ALCI
BUPPON
Campanella
GINMEN
WELL-DONE

{参加プロデューサー}
ISAZ
Kojoe
MASS-HOLE
OWLBEATS
UCbeats

【作品紹介】
ラッパーはフルアルバムを出してなんぼだ。
USの伝説的ヒップホップマガジン「THE SOURCE」のマイクレートシステムはフルアルバムでないと評価対象にすらならなかった。
派手なシングルや、コンパクトに凝縮されたミニアルバム、客演曲での印象的なバースも勿論良い。
だが、そのラッパーの力量・器量を計る指針となるのはやはりフルアルバムなのである。

三重鈴鹿から東海エリアをREPするYUKSTA-ILLは、まさにそのフルアルバムにかける思いを強く持つ“THE RAPPER”の一人だ。
自らの疑問が残る思想への解答を模索した1st「QUESTIONABLE THOUGHT」、
NEO TOKAIの軌道に乗った己を篩に掛けた2nd「NEO TOKAI ON THE LINE」、
世間を見渡しながらも自身のブレない精神力を全面に押し出した3rd「DEFY」、
これらはすべて明確なコンセプトの下、起承転結を意識して作り込まれたフルサイズのヒップホップアルバムである。

そんな彼が約4年ぶりにフルアルバムを引っ提げて戻ってきた。
「MONKEY OFF MY BACK」と名付けられた4枚目のフルとなる今作は、
立ち上げたばかりの自身のレーベル「WAVELENGTH PLANT」から世に送り出される。

「疫病の影響で時間は有り余る程にあった。その結果、楽曲は大量生産された。
只、アルバムを意識せず制作を続けていたので、まとまりを見いだすのに苦労した」、とは本人の弁。
しかし度重なる挫折と試行錯誤の末、やがてそれは本人の望むまとまった作品へと形を成していった。
その期間中に経験した、成長した、変化した、様々な出来事が楽曲に色濃く反映されたのは言うまでもない。

日々の葛藤、金銭問題、目を背けたくなるネガティビティをアートへ昇華する。
ローカルに身を置き、バスケを嗜み、嫁の待つ家へと帰り、リリックを書く。何気ない日常の描写すらドラマチックに魅せる。
適材適所に散りばめられた客演陣、そして夢見心地なサウンドプロダクションが、何かを始めるにはうってつけのSEASONに拍車をかける。
長い沈黙を破り2020年から2022年にかけフルアルバム4枚リリースの記録的なランを見せてくれたレジェンドNASの様に。
無二の境地に到達したYUKSTA-ILLが今、リスナーの鼓膜に向けてSPITを再開する。

【YUKSTA-ILL PROFILE】
三重県鈴鹿市在住、その地を代表するRAPPER。
バスケットボールカルチャー、SHAQでRAPを知り、何よりALLEN IVERSONからHIP HOPを教わる。
「CLUBで目にしたRAPPERのダサいライヴに耐えきれずマイクジャックをした」
「活動初期のグループB-ZIKで制作したデモを鈴鹿タワレコ内で勝手に配布しまくっていた」
という衝動を忘れることなく、スキルの研鑽と表現の追求、セルフプロモーションを日々重ねる。
2000年代後半はUMB名古屋予選で2度の優勝を果たし、長い沈黙と熟考を経てMCバトルへの参戦を2022年末より解禁。
地元で「AMAZON JUNGLE PARADISE」と称したオープンMICパーティーを平日に開催。
”RACOON CITY”と自称する地元の仲間達と結成したTYRANTの巻き起こしたHARD CORE HIP HOP MOVEMENTはNEO TOKAIという地域を作り出した。
そのトップに君臨するRC SLUMのオリジナルメンバーであり最重要なMCとして知られている。
RC SLUMの社長ATOSONEと共に2009年に「ADDICTIONARY」と題されたMIX CDをリリース。
立て続けに2011年にはP-VINE、WDsoundsとRC SLUMがコンビを組み1stアルバム「QUESTIONABLE THOUGHT」をリリース。その思考と行動を未来まで広げていく。
2013年にはGRADIS NICE、16FLIP、ONE-LAW、BUSHMIND、KID FRESINO、PUNPEEと東京を代表するトラックメーカーとの対決盤EP「TOKYO ILL METHOD」をリリース。YUKSTA-ILLのRAPの確かさを見せつける。
NEO TOKAIの暴風が吹き荒れたSLUM RCによるモンスターポッセアルバム「WHO WANNA RAP」「WHO WANNA RAP 2」を経て、2017年には2ndアルバム「NEO TOKAI ON THE LINE」、
2019年にはダメ押しの3rdアルバム「DEFY」をP-VINE、RC SLUMよりリリース。さらなる高みへと昇っていく。
OWLBEATS、MASS-HOLEとそれぞれ全国ツアーを敢行し、世界を知り、自身をアップデートしていく。
RAPへの絶対的な自信があるからこそ出来るトラック選び、時の経過と共にそこへ美学と遊び心が織り込まれていく。
ISSUGI, 仙人掌, Mr.PUG, YAHIKO, MASS-HOLEと82年のFINESTコレクティブ”1982S”のメンバーとしてシングル「82S/SOUNDTRACK」を2020年にリリース。
世界を覆ったコロナ禍の中「BANNED FROM FLAG EP」「BANNED FROM FLAG EP2」を2020年にリリース。ラッパーとは常に希望の光を灯す存在である。
2021年には自他共に認めるバスケットフリークであるRAMZAと故KOBE BRYANTに捧げる「TORCH / BLACK MAMBA REMIX」を7インチでリリースし、NBA情報誌「ダンクシュート」にも紹介される。
さらに同タッグはシングル「FAR EAST HOOP DREAM」をリリース。B.LEAGUEへの想いを放り込んだ、HIP HOPとバスケットボールの歴史に残るであろう1曲となっている。

”tha BOSS(THA BLUE HERB), DJ RYOW, KOJOE, SOCKS, 仙人掌, ISSUGI,
Campanella, MASS-HOLE, 呂布カルマ, NERO IMAI, BASE, K.lee, MULBE, DNC,
BUSHMIND, DJ MOTORA, MARCO, MIKUMARI, HVSTKINGS, BUPPON, Olive Oil,
RITTO, TONOSAPIENS, UCbeats, OWLBEATS, DJ SEIJI, DJ CO-MA, FACECARZ,
LIFESTYLE, HIRAGEN, ALCI, ハラクダリ, ILL-TEE, BOOTY'N'FREEZ, HI-DEF, J.COLUMBUS,
BACKDROPS, DJ SHARK, TOSHI蝮, GINMEN, MEXMAN, DJ BEERT&Jazadocument, and more..”

HIP HOPだけでなくHARD CORE BANDの作品にも参加。キラーバースの数々を叩きつけている。

2023年、自らのプロダクションWAVELENGTH PLANTを設立。鈴鹿のビートメーカーUCbeatsのプロデュースでリリースしたシングル「FIVE COUNT」に続き、約4年ぶりとなる4枚目のフルアルバム「MONKEY OFF MY BACK」をリリースする。
その目の先にあるものを捉え、言葉を巧みに扱い、次から次へと打ち立てていく。YUKSTA-ILLはまだまだ成長し続ける。

HP : https://wavelengthplant.com
Twitter : https://twitter.com/YUKSTA_ILL
Instagram : https://www.instagram.com/yuksta_ill/
YouTube : https://www.youtube.com/@wavelengthplant

時を超えるウェルドン・アーヴィンの魂 - ele-king

 90年代以降のジャズ・シーンにおいて、ある意味マイルス以上の影響力をもつスピリット・マン。その真実を、なぜみんなは語ろうとしないのか。そんな葛藤に悶えながらも2002年、ウェルドン・アーヴィン(キーボード他)は冥土へと旅立ってしまった。それも自死による最期は、おいそれと受け入れられる現実ではない。
 いっぽうで、彼はそもそも死んでいないという精神的な共通認識を世界中のシンパはもっている。彼のなかでもわたしたちのなかでも時間の流れは自死したあの日で止まったのだろうが、それとはべつの時間を前進させる彼の魂は、いまでも多くのひとたちに感動を与えつづけている。
 冒頭にもどれば、それでもわたしたちは彼について議論と呼べるような議論などしてこなかった。おそらくそれは、なにひとつ語っていないに等しい。
 たとえばアーヴィンの名声を決定づける曲 “To Be Young, Gifted And Black”(1969年)は、長年ニーナ・シモンとアレサ・フランクリンが独占してきたようなものだった。ジャズ、ソウル界を代表する黒人女性に取りあげられたことは、それはそれで立派だが、作者が楽曲に込めた念いや意味についてまで、だれもが納得できるほど多くを語られてきたわけではない。
 そもそもニーナが語っていなかった。彼女の自伝『I Put a Spell on You』の第6章に曲名がそのまま冠されているにもかかわらず、アーヴィンの名前はひと言も触れられない。代わりに彼女が初めてうたったとされるプロテスト・ソング “Mississippi Goddam” を中心に紙幅が費やされる。メドガー・エヴァース(公民権運動家)がミシシッピの自宅前で銃殺(1963年)されたことへの抗議として書かれた曲が、この章つまりアーヴィンの曲名のもとに触れられることにいささか戸惑いをおぼえずにはいられない。
 それでもニーナに悪意があるはずもなく、彼女にとってのトップ・プライオリティに、レイシストへの抗議の場の必要性があったのだと考えたい。エヴァースを筆頭に同胞たちの命がつぎつぎと奪われるなか、上げた拳を下ろす理由などなかったのだろう。ただし彼女がその怒りの熱を音楽に転化するまでには、それなりのハードルがあった。
 誤解をしているひともいるかもしれないが、ニーナはある特定の思想を歌に持ち込むことに抵抗していた時期がある。クラシックをルーツにもつ彼女にとって、それはごく自然なこと。プロテスト・ソングへの安易な傾倒は好ましくないという自覚すらあった。その封印を解いたのが “Mississippi Goddam” であり、以降運動への積極的な姿勢をみせながら “To Be Young, Gifted And Black” を発表する。
 もっとも、その機会ですら悲しみの連鎖がもたらしたというのだから皮肉というほかない。それは親愛なる劇作家ロレイン・ハンズベリーの死であった(1965年)。“To Be Young, Gifted And Black” は彼女が生前に書いた戯曲でもあり、オフブロードウェイにて初めて上演された黒人による作品ともなった。時の作家ジェイムズ・ボールドウィンをして、「黒人があれほど劇場の席を埋めた光景はみたことがない」といわしめる。つまり彼女の死は、痛ましさと引き換えにあらたな生命をもたらすものだった。
 ニーナはハンズベリーへの哀惜の念を込め、作詞の依頼をアーヴィンにこう伝えている。「世界中の若き黒人に希望の歌を書いてほしい」。
 アーヴィンはそのあと、ニーナの声が神からの啓示であったかのような体験をしていた。ある日のこと、ガールフレンドを迎えに車を走らせ信号待ちをしていたとき、あふれるほどの言葉が目前に降りてきたという。彼の手は助手席にあったナプキンとマッチ箱をつかむと、すぐさまそこに書きなぐる。まもなくそれはオタマジャクシを連れ立ち、世界中の若者を鼓舞する歌になった。
 いっぽうで、ニーナを中心に語られてきた “To Be Young, Gifted And Black” には、(自伝でもスルーされたように)アーヴィンの視点が欠けていることも否めない。ニーナの言にもあるように、ここでうたわれる「Black」が兄弟姉妹たちに向けられていることは疑いようがないが、同時にアーヴィン自身でもあることは、彼の作品に触れたことがあるならば見透かせないはずがない。生地ハンプトンからNYへ上京したのが22のとき。いくつかの楽団を転々としながらニーナに認められたアーヴィンの人生は、歌詞にもあるように「Your's Is The Quest That's Just Begun(あなたの旅は始まったばかり)」そのものだった。
 べつの歌詞にはこうある。「I Am Haunted By My Youth(わたしは自分の青春に悩む)」「Your Soul's Intact(あなたの汚れなき魂)」。以上の主語をアーヴィンにしたところで違和感はない。彼との初対面にてニーナが抱いた印象がまさにそれだったらしい。おおきな瞳を揺らした青年からは、イノセンスであるゆえのこころの隙間が感じられたという。
 言い得て妙だが、アーヴィンの魅力にそのような「少年性」があるのはまちがいない。彼の純真な一面は、まるでボールドウィンの小説に描かれる黒人少年の愛情に飢えた孤独と相似の関係に映る。マチスモ社会のジャズにあってそれは何の役にも立たないものだが、物語性をもとめる聴き手にしてみれば詩的に輝いてみえただろう。平たくいうならコミュニケーション能力。ロマーン・ヤーコブソンがいうところの交話的機能が働き、多くの共鳴者が生まれた。
 またこれらは、「レアグルーヴとはなにか?」という設問への回答をすみやかに引き出す。レアグルーヴとは80年代初頭のロンドンにて勃興したDJカルチャーだが、その本質にはリスナー主導型のあらたなプラットホームがあったことを見逃してはならない。演奏力の良否よりも、どんな世界観であるかがそこでは優先され、さらにその周囲、隣接文化へと興味対象をひろげながら、“聞こえてくる過去” あらため “過去に聴く未来” を能動的に共有する場として開拓された。
 よって、巧拙に集約されてきたミュージシャンの評価と、作品を支える全体性の評価が一致しないことはままある。マイルスよりもアーヴィン、コルトレーンよりもファラオ(・サンダース)、ジョビンよりもジョイスといったヒエラルキーの逆転がレアグルーヴにおいて生じるのはそのためである。
 マイルスもコルトレーンも偉大であることは論をまたない。彼らの奥義は同業者へ正しく伝授されることを望む。ただし、わたしたちが明日のパンを食べるための手引きになるかはわからない。極論だがそういうことになる。
 作品を通して対話ができる、できた気にさせる親和性こそアーヴィンの魅力であり、生涯をとおして交話的機能を欠かさなかった。生前におこなった筆者のインタヴューでもこんな発言をしている。
「すぐれたアーティストもそうでない者も、いろんな音楽を習得したとたん、つぎのフェーズに入るとそれらの要素を捨ててしまうんだ。わたしはどこまでも積み重ねていった」
 あらたな挑戦をつづけながら、それまでのファンも置いてけぼりにはしない。自主制作の2枚め『Time Capsule』(1973年)が最高だというひともいれば、〈RCA〉レーベルからの第2弾『Spirit Man』(1975年)こそ定番だというひともいる。アーヴィンは彼らの声を聞き、さらに〈RCA〉なら3枚め『Sinbad』(1976年)じゃないかという意見にも耳を傾ける。その柔和な姿勢は「ポップ」のワンワードに置き換えられるが、商業主義にまでシッポを振っていたわけではない。事実、業界を席巻していたディスコ・ブームは彼の信条をおおいに悩ませた。
 またそれらも一因にあるが、アーヴィンのキャリアのうち、前半はその『Sinbad』にていちどは終止符が打たれている。メジャーとの契約が切れた理由は説明するまでもないが、その一部に権利譲渡をめぐって意見の対立があったとも報じられている。そしてそのことが遠因となり、彼は国内の全メジャーとの交渉が断たれるという仕打ちにあう。以来、10年強にもおよぶ(作品上の)空白が語るものとはそれであり、沈黙を破る契機となった『Weldon & The Kats』(1989年)以降も状況の改善はみられなかった。
 それでもマイルス以上の残光を歴史に焼きつけた事実を歪めることはできない。1994年にMASTER WEL名義でラップ・シーンに挑んだのも、すべては交話的機能を手放さなかったからだろう。彼はいまでもそれを手放さずに、だれかと会話をつづけている。

※本日2月15日、ウェルドン・アーヴィンの限定10インチ「Time Capsule ep」発売です。
 https://p-vine.jp/music/p10-6465#.Y-w46HbP2M8
 オリジナルTシャツとのセットは↓こちら。
 https://vga.p-vine.jp/exclusive/vga-1033/

高橋幸宏 音楽の歴史 - ele-king

 高橋幸宏は1952年6月6日、東京で生まれた。父は会社経営をしており、自宅は200坪の敷地に建ち(もともとは天皇の運転手が建てた家だそうだ)、軽井沢には別荘を持っていた。
 後に音楽プロデューサーとなる兄に感化され、早くから音楽に親しみ、小学生のときにはドラムを始めている。このドラムという楽器を選んだ理由にはドラムの練習ができるほど広い家に住む子がなかなかいないからだったと後年明かしている。
 中学生のときにはユーミンが参加することもあったバンドを組み、高校生のときにはもうセッション・ミュージシャンの仕事を始めていたのだから早熟と言うほかないだろう。ドラムのうまい高校生がいるという噂を聞きつけて大学生だった細野晴臣が会いに来たのも高橋幸宏の高校時代のこと。大学に入るとガロに一時在籍するなど、すでにプロのミュージシャンとしての道も歩き始めていた。
 そんな高橋幸宏の転機となったのは、旧知の加藤和彦にサディスティック・ミカ・バンドへ勧誘されたことだろう。1972年のことだ。ここから、アーティストとしての高橋幸宏の人生が本格的にスタートした。
 本稿ではサディスティック・ミカ・バンド以降、波乱の、そして充実したアーティスト活動を辿り、そのときどきに残した名作を紹介していきたい。決して “ライディーン” だけの人ではなかったことがよくわかるはずだ。

サディスティック・ミカ・バンド『黒船』(1974)

 サディスティック・ミカ・バンドの2作目。英国で発売されたファースト・アルバムを聴いた英国人プロデューサーのクリス・トーマスがバンドに興味を持ち、プロデュースを申し入れた。当時ピンク・フロイドとの仕事で有名だったが、トーマスはそれまでビートルズやプロコム・ハルム、ロキシー・ミュージックといった高橋幸宏のルーツとなるアーティストを手がけていただけに、まさに運命の出会いでもあった。このアルバムでは高橋幸宏の楽曲は採用されていないが、やがてサディステック・ミカ・バンドでドラマーとしてだけではなく、作曲者としての才能も開花していくことになる。同バンドは1975年に英国でロキシー・ミュージックのツアーの前座を務め、観客として観に来ていた後のジャパンのスティーヴ・ジャンセンが高橋幸宏のドラミングに大きく影響されたというのは有名な逸話。日本のロックの歴史に残る名盤でもある。

 サディスティック・ミカ・バンドが1975年に解散したあとは、高橋幸宏はフュージョン・バンドのサディスティックスに在籍しつつ、セッション・ミュージシャンとしての活動を続けるが、1978年に細野晴臣からイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に勧誘される。と同時に、坂本龍一をコ・プロデューサーとして初のソロ・アルバムも制作。

高橋ユキヒロ『サラヴァ!』(1978)

 直後のYMOやそれ以前のバンドのキャリアとはまたちがう、フレンチ・ポップやボサノヴァなど落ち着いた世界を提示したソロとしてのデビュー・アルバム。同時期にソロ・デビューを果たした坂本龍一のオーケストレーション、アレンジが耳を惹く。とても26歳の若者の作品とは思えないが、本人としてはヴォーカルの一部に不満を持っていたとのことで、2018年にヴォーカルのみを新録した『サラヴァ! サラヴァ!』を発表している。40年の時を経たシンガーとしての円熟が際立ったが、この若さあふれるオリジナルもやはりいい。

イエロー・マジック・オーケストラ『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979)

 YMOのセカンド・アルバム。本作の収録の “ライディーン” は当時シングルで大ヒットしたにとどまらず、21世紀に至るまでCM曲、パチンコのBGM、携帯電話の着信音、はたまたプロ野球での応援曲などさまざまなシーンで流れる日本の風景の音となった。その “ライディーン” だけでなく、YMOのニューウェイヴ化を加速したアルバム・タイトル曲もYMOの歴史にとって重要な作品となった。

イエロー・マジック・オーケストラ『BGM』(1981)

 大ヒットして時代のアイコンとして消費されることに疲れたYMOが素となって脱ポップを行った一枚。TR-808とプロフェット5をメインの楽器とし、それまでのわかりやすいテクノポップとは一線を画すアルバムに。そんななかで高橋幸宏単独作の “バレエ” 、細野晴臣との共作曲 “キュー” にはデカダンなロマンティシズムが滲む高橋幸宏らしい楽曲に。神経症となっていた苦しみも見せる “カムフラージュ” も重要な作品だろう。

高橋幸宏『ニウ・ロマンティック』(1981)

  “ロマン神経症” という副題(邦題)もついたソロとしては3作目のアルバム。本作とYMOの『BGM』、鈴木慶一とのユニットのザ・ビートニクスの『出口主義』と1981年に発表された高橋幸宏の関連3作はどれも傑作で、この時期の創作に対する巨大なモチベーションには畏怖するほかはない。収録曲の “ドリップ・ドライ・アイズ” はもともとサンディーへの提供曲だが、ここでセルフ・カヴァー。デニス・ボヴェルは同曲を聴いて世界最高のダブ・ポップ・ソングだと驚愕したと後にインタビューで話している。

 YMO散開後、改めてソロ・アーティストとして歩んでいった高橋幸宏。その作品からはYMO時代のわかりやすい過激さや先進性は見えにくくなっていったが、そのぶん楽曲のよさが浮き彫りにもなっていった。

高橋幸宏『EGO』(1988)

 YMO散開後5年という節目の年にリリースされた9枚目のソロ・アルバム。親しい知己の死やさまざまな重圧を感じながら制作されたこのアルバムでは、冒頭のサイケデリックなビートルズ・カヴァー “トゥモロー・ネヴァー・ノウズ” や鈴木慶一作詞の “レフト・バンク” など重い曲の印象が強いが、高橋幸宏がキャリアを通して定期的に作っていったエレクトロ・ファンク曲の “エロティック” や80年代末シンセ・ポップのお手本のような “ルック・オブ・ラヴ” など隠れた名曲も配置されたバランスのよい中期の重要作。細野晴臣、坂本龍一、クリス・モズデルといったYMO人脈の恒常的な参加もここで一区切りつくことになる。

高橋幸宏『Heart of Hurt』(1993)

 高橋幸宏のソロとしてのキャリアを総括するセルフ・カヴァー・アルバム。デビュー作の “サラヴァ!” からJ-POPの最前線で奮闘した近作まで、アコースティックな響きで再構築。 “蜉蝣” には大貫妙子が、 “ドリップ・ドライ・アイズ” にはサンディーがゲスト・ヴォーカルで参加している。高橋幸宏の楽曲のよさとヴォーカリストとしての魅力を再確認するには最適の1枚。

高橋幸宏『ザ・ディアレスト・フール』(1999)

 1997年に立ち上げた自身のレーベル、コンシピオからの1枚。1990年代を通して続いたJ-POP的な立ち位置からはずれ、テクノや打ち込みの音楽への回帰が鮮明になってくる。収録曲の約半数が鈴木慶一とのザ・ビートニクスとしての共作だが、他の曲ではスティーヴ・ジャンセン、砂原良徳、元ストーン・ローゼズのギタリスト、アジズ・イブラヒムなども参加。21世紀の高橋幸宏の音楽の予告アルバムのような趣きもある。

 21世紀に入ると、高橋幸宏はソロ・アーティストとしての活動と並行して、ザ・ビートニクス、サディスティック・ミカ・バンド、YMO(さまざまな名義で)といったかつてのバンドの再始動とともに、若いアーティストたちとの新バンドの結成も行った。

スケッチ・ショウ『Loop Hole』(2003)

 細野晴臣とのユニットのセカンド・アルバム。デビュー作の『オーディオ・スポンジ』(2002)がエレクトロニカとポップ・ソングの折衷のアルバムで、それはそれで魅力があったのだが、エレクトロニカ、電子音楽に舵を振り切った本作がやはり映える。前作に続き坂本龍一が参加して後のYMOの再再結成へと繋がっていく一枚。小山田圭吾も参加して重要な役割を果たしている。

高橋幸宏『ブルー・ムーン・ブルー』(2006)

 スケッチ・ショウなどの課外活動が多かったため、6年半ぶりのリリースとなったひさしぶりのソロ・アルバム。21世紀以降のエレクトロニカ、電子音楽路線と、高橋幸宏ならではのロマンティックな作風が自然と融合した21世紀の高橋幸宏を代表する1枚となった。ブライアン・イーノ&ジョン・ケイルのカヴァー “レイ・マイ・ラヴ” のほか、80年代の名曲の再構築 “スティル・ウォーキング・トゥ・ザ・ビート” 、メルツのアルベルト・クンゼやハー・スペース・ホリディのマーク・ビアンキをゲストに迎えての曲など聴きどころが多い。

pupa 『Dreaming Pupa』(2010)

 高野寛、原田知世、高田漣、堀江博久、ゴンドウトモヒコとのバンドの2作目。まだどこか手探りの感があったファースト・アルバムにくらべて、多くのライヴをこなした後だけにそれぞれの個性が有機的に絡み合い、バンドとしてのその後が楽しみだったが高橋幸宏の死去によって活動が途絶えたまま本作がラスト・アルバムに。

高橋幸宏『Life Anew』(2013)

 ソロとしてのラスト・アルバムということになるが、実態としてはジェームズ・イハ、高桑圭、堀江博久、ゴンドウトモヒコとの新バンド、イン・フェイズのアルバムとなっている。高橋幸宏のルーツである60〜70年代のロック・サウンドに回帰した1枚。本作の制作前に自身の音楽ルーツを紹介する半自伝本『心に訊く音楽、心に効く音楽』(PHP新書)を上梓しており、この時期の高橋幸宏のモードがそちらに振れたということだろう。以降、ソロでの活動もその路線を踏襲していくことになった。

METAFIVE『Meta』(2016)

 ソロとは一線を画した最後のバンド活動がMETAFIVEだった。テイ・トウワ、小山田圭吾、砂原良徳、ゴンドウトモヒコ、LEO今井というそれぞれソロとしてのキャリアを確立していたアーティストたちによる、いわばエレクトロニック・スーパー・バンド、スーパー・セッション。以前から親交を重ねてきた間柄だけにこのファースト・アルバムからバンドとしての一体感は完成しており、ライヴ活動も盛んに行った。エレクトロ・ファンクの冒頭曲 “Don’t Move” から怒涛。

ザ・ビートニクス『Exitentialist A Xie Xie』(2018)

 1981年から断続的に活動してきた鈴木慶一とのユニットの最後のアルバム。pupaやMETAFIVEが幻となってしまったその先を見たかったという思いを抱かせるのに対して、本作は、本人たちにそのつもりはなかったはずだが、いま聴くと長年の活動を見事に完結させた作品とも思える。ニール・ヤングのカヴァー作品など同世代のふたりのルーツであるオールド・スクールのロック作品からユニットのデビュー作からここまでのさまざまな音楽的変遷がそこここに現れている。アルバムのラスト曲 “シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA” は赤塚不二夫原作のアニメ “おそ松さん” の主題歌で、TRIOに影響を受けた明るく楽しいニューウェイヴ・ダンス・ポップ。ライヴではコミカルなフリ付きで演奏された。2018年の高橋幸宏の誕生パーティではDJがかけたこの曲に合わせて高橋幸宏と鈴木慶一がフリ付きで踊り、一般のファンも大勢いた会場内が熱く盛り上がったことをいまでも思い出す。

 ここに挙げたアルバム以外にも、高橋幸宏作品はどれもおもしろい。J-POPの本道をいくような作品も、椎名誠映画のサントラや山本耀司のショーのためのインストゥルメンタル・アルバムにも意外な魅力がある。プロデューサーとして手がけた多くの名作も忘れがたい。いつか機会があればそれらも紹介したい。
 幸宏さん、たくさんの素敵な音楽をありがとうございました!

Theo Parrish - ele-king

猪股恭哉

 ダンス・ミュージックにおけるミックスCDというフォーマットは、重要な表現手段としてかつて機能していた。クラブでのプレイをライヴ・レコーディングしたものから、よりアルバム的な、コンセプトを定め微細な箇所まで作り込んだ作品が精力的に発表されていた。フランソワK『Essential Mix』、リッチー・ホウティン『De9: Closer to the Edit』などなど。現在ではインターネット上でオフィシャル、アンオフィシャル問わず、無限に広がり続けていくミックス音源は、自身のスタイルを提示する名刺としての役割へ変化していくことになった。
とはいえ、DJやプロデューサーが貴重なレア音源や忘れ去られていた作品をセレクトしたり、自分のお気に入りのフレッシュな才能を世の中に送り出すキュレーションとしての機能は、かつても現在も駆動し続けている。

 さて、セオ・パリッシュのDJ-KICKSである。自身のレーベル〈Sound Signature〉から数多のミックス音源をリリースしてきた彼によるオムニバス的な側面ではない、初のオフィシャルなミックス作品である。DJとしての評価は揺るがないものを確立し長いキャリアを重ねてきたベテランとしては意外かもしれないが、様々なジャンルや歴史を横断する彼のスタイルを踏まえるとライセンス問題をクリアするのが困難だったのかも知れない(余談ではあるが、かつてMinistry of Soundが一世を風靡した人気ミックス・シリーズ「Masterpiece」にセオが登場するのでは? という噂があった。真偽のほどは不明ながら実現していれば……)。

 本作は、『Detroit Forward』という副題がつけられているとおり、デトロイトのアーティストたちで構成されており、地元音楽コミュニティをセオがキュレーターとして紹介する形をとっているといえるだろう。セオ自身がクレジットされているのは1曲のみで、他はすべてがデトロイトを中心としたローカルな才能たち。アンプ・フィドラーのリミックスを手掛け、近年はソロ活動を積極的に行っているビートメイカーであるメフタ。独特の浮遊感を漂わせるビートメイキングがラッパーJOHN C.とのコラボでも非凡なプロデュースセンスを発揮する。鍵盤奏者としてアンドレスやオマーS、スコット・グルーヴス作品に参加してきたイアン・フィンクが、セオ・パリッシュのクラシック”Moonlite”をカヴァー(コンガでアンドレスも参加している)。マッド・マイク譲りのモーターシティ・ソウルを受け継ぐマルチ・プロデューサーのジョン・ディクソン。デトロイトではないが〈Sound Signature〉からアルバムもリリースしたDJのスペクターがパワフルでタフなジャズ・ビートダウンを提供。セオやアンドレス、ワジードといったプロデューサーから、スカイズー、ドゥウェレ、エルザイらヒップホップ・アーティスト作品にも携わる女性シンガー、モニカ・ブレア。
 そして、本作にクレジットされたアーティストのうち唯一3曲も参加しているデショーン・ジョーンズ。マッド・マイクの薫陶を受け、デトロイトが誇る偉大なトランペット奏者であるマーカス・ベルグレイヴの弟子であり、グラミー賞へのノミネート経験もあるサックス・プレイヤーによる秘蔵トラック。シンガー・イディーヤとコラボしたメロウR&Bに、シンガーやラッパーをフィーチャーした濃厚なファンク、ホーンとコンガとピアノによる巧みなコンビネーションが冴えるハウスまで、名うてのトランペット奏者の知られざる一面を引き出したセオの彗眼に唸らされる。
 ほかにも、YouTubeで公開されている公式ショートフィルムでもフィーチャーされているDJのフーダットとシンガーソングライター・ソフィアEが手掛けたミニマルなデトロイトハウス、プロデューサー/ドラマーのノヴァ・ザイイがヴォーカリスト・ケスワを迎えたスペーシーでサイケデリックなモダンソウル……。
 事程左様にローカルな才能が結集し、様々なスタイルの音楽が次々を広がっていく様は、まるでセオが率いるバンドが演奏しているようで、グルーヴとストーリーが独特の時間軸の変化を見せ聴き手を魅了する(全体のプロデュースをセオがコントロールしているような統一感!)。音楽の街デトロイトで脈々と受け継がれてきたコミュニティが、最高のDJの手でミックスCDとしてキュレートされ、メディアとして世界へ発信される。デトロイト・パワー。

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野田努

 『J・ディラと《ドーナッツ》のビート革命』は良いところもある本だが、ひとつ、大きな間違いがある。アメリカ人の著者が、おそらくは自分が読んだ記事のみによって、デトロイトのクラブ・シーンを「テクノに支配されていた」と紹介している下りである。んなわけないだろ。少なくとも90年代は、デトロイトもほかのアメリカの都市と同様、ロックとヒップホップが人気であって、テクノやハウスなんて音楽は少数派の音楽だったし、そもそもクラブ・シーンと言えるほどのシーンもなかった。
 また、ローカルにおいてはラップとテクノは繋がってもいる。昨年の元スラム・ヴィレッジのワージードのアルバム『Memoirs Of Hi-Tech Jazz』(完璧なテクノ作品)はその好例で、昔で言えば、たとえば同書で鬼の首を取ったように述べている「ジット」(昔ながらのチンピラ風情)、彼らをデトロイト・テクノ第一世代が拒絶したのは書かれている通りだが(喩えれば、高校の文化祭を荒らしに来るヤンキーを追っ払うようなものだから)、しかしその「ジット」にリンクしているシーンこそ、かの地でもっとも大衆的に盛り上がっているエレクトロのシーンであって、そこから出てきたのがオックス88やドレクシア、そのシーンとテクノとの回路を作ったのが(初期においてヒップホップの影響を受けていた)URだ。デトロイト・テクノがブリング・ブリング・シットや不良自慢と距離を持とうとしたのはまったくの事実だが、これはこれでじつに意味のある話なので、いつかしてみたい。

 いずれにせよ、デトロイト・テクノおよびハウス、ひいてはハウス・ミュージックそのものがアメリカ内部においてはいまだに理解が浅いのだろう。そういう観点からすると、ビヨンセがハウスをもってアルバムを作り、彼女以前にラナ・デル・レイやドレイクがムーディーマンをフィーチャーしたのは(ずいぶん前の話になるがミッシー・エリオットがサイボトロンを引用したのも)、アメリカにおいては文化闘争と言える。大袈裟に思われるかもしれないが、スペシャル・インタレストのようなアメリカのパンク・バンドの口からジェフ・ミルズやドレクシアの名前が出るのは、ぼくからしたらかなり例外的なことだったりするのだ。
 だいたい、アメリカの先鋭的なブラック・エレクトロニック・ダンス・ミュージックは、60年代〜70年代のジャズのように、母国よりもヨーロッパにおいて評価され、多くは大西洋を渡ったところに活動の場を見出している。そして、ゼロ年代において、UKを拠点に活動しているエレクトロニック・ミュージシャンを取材した際に、もっとも多くインスピレーションの源として名前を聞いたのがセオ・パリッシュだった。

 ベルリンの〈!K7〉レーベルによる「DJ-Kicks」は、DJによるミックスCDの長寿シリーズで、2016年にはムーディーマンの魅力的な1枚をリリースしているのだが、DJミックスがネットで無料で聴けてしまう今日においては、ますます存在意義が問われてもいる。選曲に関しても、すべてをフラットにしたがる情報過多な現代では、そこに実験音楽があろうがJ-POPがあろうが誰も驚きはしない。よほどの何かがなければ、商品として成立しないだろう。
 セオ・パリッシュは、ある意味まっとうなコンセプトでミックスCDの意義を我々に再確認させる。ここに収められている20曲中19曲が未発表で(ほとんど新曲のようだ)、クレジットされている17人のプロデューサーは、セオ本人(それからジョン・ディクソン)を除けば格段有名なわけではない。しかしどうだ、みたことかと、素晴らしいなんてももんじゃない、驚きの連続なのである。
 これらハウスやテクノの進化形を聴いていると、デトロイトで何が起きていたのかまだ外の人間が知らなかった時代の、デリック・メイのDJミックスの音源(当時はカセットテープ)を思い出す。ほとんど知られていないシカゴのアブストラクトなディープ・ハウスばかりがミックスされたそれは、「音楽研究所(ミュージック・インスティテュート)」と呼ぶに相応しい、アンダーグラウンドという実験場からの生々しいレポートだった。『デトロイトの前線(Detroit Forward)』と銘打たれたセオ・パリッシュのこれは、いまだかの地において音楽研究が続行されていることを明白に訴えている。そして、デトロイトの神話体系の外側、すなわちメディアやネット系プラットフォームが目配せしないところにこそ、もっともスリリングなサウンドがあるのだと主張しているようでもある。
 ゼロ年代以降のセオ・パリッシュが彼のディープ・ハウス・スタイルを追求しながら平行して手がけていたのは、「レジスタンス年代記」と命名されたサン・ラーへのトリビュート作の発表、あるいは〈Black Jazz〉レーベルの編集盤の監修といった、70年代スピリチュアル・ジャズとの接合である。それを思えば、彼のセレクションにジャズ色が際立っているのは必然なのだろう。本作において唯一3曲に絡んでいるDe'Sean Jonesはスティーヴィー・ワンダーのバックも務めていたこともあるその筋のエリートで、彼はマカヤ・マクレヴェンのバンドでも演奏している。タイムライン(URのサブプロジェクト)のメンバーとして日本で演奏経験もあるサックス奏者だが、彼が入ったときのライヴはほとんどフリー・ジャズで、これまで何度もあったURの来日ライヴのなかの3本の指に入るインパクトだった。
 で、そのDe'Sean JonesとアイディーヤのR&Bヴォーカルによる“Pressure”というダウンテンポの曲がアルバムのオープナーとなっている。凄腕の楽器奏者としてのジョーンズはそこそこ知られているかもしれないが、ここではトラックメイカーとしての彼の姿が表出している。“Flash Spain”という曲ではラテン・ジャズ・ハウスを、“Psalm 23”ではハード・ゴスペル(とでも呼びたくなるような曲)を試みているが、どの曲も大胆さを忘れていない。
 デトロイト・テクノの発展型を知りたければDeon Jamarの“North End Funk”をお薦めするが、その叙情性はWhodatとSophiyah Eによる“Don't Know”にも受け継がれている。ドラム奏者のMeftahによる“When The Sun Falls”と“Full”という曲も深夜の友になりえる恍惚としたアンビエント・ハウスだ。
 かつてサブマージからアルバム(ウマー・ビン・ハッサンやバーニー・ウォーレルがフィーチャーされていた)を出したことのあるDuminie DePorresは、セオ・パリッシュとともに、それこそジュリアス・イーストマンの前衛にリンクするであろう、ジャジーなミニマルを見せている。もうひとつ、実験精神に関しては、セオの〈Sound Signature〉からも作品を出しているH-Fusionによる、テリー・ライリーとドレクシアが出会ったかのような“Experiment 10”が突出している。彼はこの先、ヨーロッパで影響力を持つことになるかもしれない。
 女性アーティストでは、Monica Blaire(mBtheLight名義で〈マホガニー〉からアルバムを出しているが、本作でも同名義の曲がセオによってリエディットされ収録されている)とKesswaがこの先期待大の独創的なサウンドを披露している。そして、カーティス・フラーやフィル・ラネリンなどレジェンドたちと共演経験のある気鋭のジャズ・ピアニスト、Ian Finkelsteinがセオ・パリッシュの曲“Moonlite”をそのエレガントなピアノ演奏によってカヴァーすれば、Sterling Toleは“Janis”という曲によってデトロイト・ヒップホップのファンキーな側面を強調する。

 昨年はディフォレスト・ブラウン・ジュニアが著書『黒いカウンター・カルチャー集会(Assembling a Black Counter Culture)』をとうとう上梓し、デトロイト・テクノの政治的な文脈をより深く紐解いている。こうした新たなデトロイト研究が顕在化している最中、セオ・パリッシュによる『デトロイトの前線』が、モーターシティの音楽がいまも成長しその幅を押し広げていることを見せ、目立ちはしないがそれは音楽の価値やブラック・ミュージックの気高さとは無関係であるとあらためて証明したことの意味は、そう、じつに大きい。

Various - ele-king

 『地元コア!』と題されたエリア・コンピレーションで、ここ30年間にマイアミで名を挙げたダンス・アクトがほぼ一堂に会している(テクノ、ハウス、エレクトロが中心で、ヒップホップは除外)。壮観。全44曲。すべて新録のようで、ヴェテランもニューフェイスもなかなかにしのぎを削り合っている。短い曲が多いせいか、テンションも持続し、いわば「マイアミ・ベース以降」がまとめて体感できる。マイアミ・ベースはアトランタに波及してトラップに発展したり、中南米にはファヴェーラ・ファンクやファンク・カリオカといったシーンを誘発したものの、地元マイアミではどのような変化を遂げたのかということがまとめて報告されたことはなく、それがここに見晴らしよく並べられたという感じ。猥雑でダイナミック。簡単にいえばマイアミの魅力は大胆さと低音の太さに尽きるだろう。ロンドンやベルリンは新しいことをやろうとし過ぎて、時にヒネくれた感じになりやすいけれど、マイアミにはそういったことはない。自由闊達なダンス・ミュージックの最前線である。

 収録順ではなく、プロデューサーのデビュー順に聴いてみよう。まずはラルフ・ファルコンとオスカー・Gによるマーク(Murk)。彼らが名を挙げたのは92年にファンキー・グリーン・ドッグス名義のハウス・クラシック“Reach For Me”がデトロイト・テクノを広めた〈Network Records〉にライセンされ、ヨーロッパでヒットしてから。いわゆるシカゴ・アシッドとは異なるヘヴィなベースがマイアミらしさを打ち出し、本作にも2人はこの30年が何事もなかったように同じパターンの“Filth”を提供している。この不動の価値観。シカゴ・ハウスがヨーロッパに飛び火し始めた80年代後半、マイアミで最も人気だったのはエレクトロ・ヒップホップの2ライヴ・クルーで、彼らのサウンドはデトロイトのサイボトロンがマイアミでもヒットしたことから始まったとされる。2ライヴ・クルーのピークといえる『As Nasty As They Wanna Be』(98)の10年後にはそして、サイボトロンをダイレクトに継承しようとするイグザクト(Exzakt)やBFXが現れ、ここでは両者がタッグを組んで“Reach For Me”をミニマル化したエレクトロの“Let Go”を、また同時期にブルックリンで活動し、後にマイアミに移ってきたゴーサブはマッド・マイクを思わせるデトロイト・タイプのエレクトロ、“Who The Fuck Is Me?”をそれぞれに提供し、さらに少し遅れてデビューしたアルファ606は“Cacique”で、これらとはまったく違った神秘的なエレクトロをオファーしている(同作が全体のクロージング・トラック)。

 最近ではチャイルディッシュ・ガンビーノ“This Is America”のリミックスで名を挙げたジェシー・ペリッツは母親が2ライヴ・クルーのダンサーだったことから音楽の現場とは距離が近く、最初は俳優として活躍していた存在。なかなかの遅咲きで、“Jesse Don't Sport No Jerri Curl”が注目を集めるまでに7年かかり、エレクトロとハウスの中間をいくサウンドを模索。ここではエレクトロに寄った“Pocket Full Of Ones”を提供。エレクトロ回帰と同時期にマイアミに大挙して現れたのがグリッチ・ホップで、元ソウル・オディティのフォーニージア主宰による〈Schematic〉を中心にディノ・フェリペやオットー・フォン・シラクが頭角を現し、本作でも後者はオープニングとなる“Miami All-Stars (Tremendo Intro)”を、前者は当時と変わらずファニーな“In Order To Ground The Listener”をそれぞれに提供。彼らのサウンドはプリフューズ73やフンクシュトルンクなどと並べて聴くよりもマイアミ・サウンドの一部として聴いた方がしっくりとくることは間違いない。さらに活動の途切れていたプッシュ・ボタン・オブジェクツを約20年ぶりにレーベル・オーナーのダニー・デイズが担ぎ出して“I.E.”を共作、ピッチを早めたオールド・エレクトロにアシッド・ハウスを絡めたなパーティ・サウンドに仕上げたことはひとつの快挙といえる。

 エレクトロからクランクへと歩を進めたヒップホップとは距離を置き、マイアミ独自のテクノやハウスが増えたのが00年代。まずはマークの後継としてラザロ・カサノヴァが現れ、ゴーサブ同様、ブルックリンからマイアミに移った彼は作風も“Reach For Me”を継承。ここではレイドバックしたダウンビートの“Nieve”を聞かせる。レーベル・オーナーのダニー・デイズもこの世代に属し、彼もどちらかといえば遅咲きで、『Silicon EP』『Speicher 80』(ともに14)では“Reach For Me”やジェシー・ペリッツの試みをテクノの領域に移植。彼が主宰してきた〈Omnidisc〉ではボディ・ミュージック・リヴァイヴァルのヘレン・ハフやアンソニー・ローター、ワタ・イガラシにブラック・マーリンとオルタナティヴ志向を強くしていたものの、16年にリリースしたヘヴィ・エレクトロの「Miami EP」から本作『Homecore!』のアイディアが膨らんでいったのだろう。〈Omnidisc〉では異色といえる本作には蛆虫が地を這い回るような気持ち悪い“110 Dudes”を提供してマイアミのイメージを根底から覆す役割を演じる一方、ひと世代下のニック・レオンと組んでラ・グーニー・チョンガ“Phonkay”ではアフリカ・バンバータそのままのエレクトロ・ヒップ・ホップも聞かせる。

 このところローレル・ヘイローからニコラス・クルスまであらゆるDJミックスに登場するニック・レオンは「マイアミを音楽都市として再浮上させたプロデューサー」と言われるほど評価の高いプロデューサーで、〈Alpha Pup〉からのデビュー・アルバム『Profecía』(16)ではリスニング寄りの穏やかな側面を見せ、世界中のレーベルからリリースされるシングル群ではワラチャというキューバのリズムやドラムンベース、最近はラプター・ハウスと称されるチャンガ・トゥキにデトロイト・テクノを縦横に駆使し、どれも外しがない。とはいえ、本作ではあまり本領を見せていないメカニカルなエレクトロの“Sapo”を提供していてやや残念。ヴォーカリストとしてニック・レオンと組む機会が多いビター・ベイブも本作にソロ名義で“Gimme”を提供し、レゲトン版ドレクシアなどと評されたニック・レオン「FT060 EP」(最高です!)に共作で参加していたグレッグ・ビートー(Greg Beato)はリズム感がそれほどよくないせいか、最近は実験的な作風に傾き出し、〈Schematic〉をエレクトロに戻したような作風をプッシュ。ここでは90sリヴァイヴァル風の“Hey Angel, Whatever”を提供している。

 ダニー・デイズと活動を共にしているジョニー・フローム・スペースことジョナサン・トルヒーヨはニック・レオンやシスター・システムらと合わせてニュー・スクールと呼ばれる若手の代表。DJパイソンの向こうを張る形でレゲトンのリズムに由来するデンボー(dembow)の使い手とされ、これをプッシュ・ボタン・オブジェクツなどのグリッチ・ホップと接続させたと評される。しなやかで柔軟性のある『R​.​E​.​M.』(ムスリムガーゼ、池田亮司、ヤン・イエリネクらに捧げられている)や『Tide』など彼は本当に才能豊か(“Sueño Latino”みたいな曲がたまにあるところもよい)。本作にはいままでとイメージが異なるタイトなエレクトロの“Refresh”を提供。本作でデンボーを扱ったものはMJ・ネブリーダによるフィッシュマンズみたいな“Arquitecto”も。また、トルヒーヨが新設した〈Space Tapes〉から4thアルバム『Parrot Jungle』をリリースしたニコラス・G・パディヤはエレクトロとベース・ミュージックを接合させたハイブリッドで、ニューエイジ用語をちりばめているわりに曲が荒々しいのは絶滅させられた少数民族の代弁者を名乗るからだろうか。本作にはガラッと変わってポリリズミックなブリープ・エレクトロの“Zone”を提供。ジョニー・フローム・スペース周辺からはほかにシスター・システム、バニー(Bunni)などがエントリー。

 ベース・ミュージックがマイアミと相性がいいのは当たり前というか、ハーフタイムとエレクトロをスムースにつなげ、珍しくUKガラージを意識したINVTも短期間にミニ・アルバムを量産しながら(この4年で『Sano』『DisruptionI』『Extrema』『Cambio De Forma』『Mundos』、ニック・レオンと組んだ『Paseo』『Media Noche』『Plaza』『Doble Carga』『Ritmo Caliente』『Gazebo』『Duro』『La Chamba』『MiradaI』『Prendida』など)クオリティは下がる気配もなく、本作では前述のワラチャを応用したらしき“Dassit”を提供。このドラムはたまらない。リトル・シムズの新作『No Thank You』に収められていた“X”もおそらくは同じリズムで、個人的にはこれがベスト・トラック。ほかにUKとダンス・ミュージックの文脈を共有しているのはFKAトゥイッグスを早回しにしているようなバブルガム・エレクトロのティドゥー(TIDUR.)、トッド・テリーが派手にジュークをやっているようなセル6(sel.6)、アレックス・リース“Pulp Fiction”を思い出すなというのが無理な90sドラムン・ベースのシノビ(Shinobi)、同じくドクター・ロキット名義のハーバート“Café De Flore”を思わせるスパニッシュ・ムードのハーフタイム、“Red Keycard”を聴かせるニア・ダークといったところ。UKはやはりどこかに冷静な感じがあるというか。

 ニック・レオン、ジョニー・フローム・スペースと並んでいま、マイアミにおける台風の目となっているのが、そして、フィー-ゴー・ジット(Fwea-Go Jit)。同じフロリダ州のタンパで生まれたジューク(スペルはJookで、ジュークボックスに由来)と呼ばれるヒップ・ホップ・ダンスがマイアミに飛び火してジャージー・クラブやダンスホールと融合し、DJキャレド“To the Max”(17)によって世界的に広められたバウンス・ビートを縦横に駆使した3thアルバム『2 La Jit』はけっこうな評判を呼んだ。MCの起用も多く、どこを取ってもピットブルかよと思う激しいダンス・ミュージックの嵐で、本作では折り返し地点に置かれた“Touch It Turn It”が微かな哀愁も漂わせつつ、次章への幕開けとなっている。また、リッチー・ヘルはこれまでになかったタイプというのか、バンド編成でマンボやクンビアを演奏し、ボビー・コンダースやモーリス・フルトンに近いリラックス・タイプ。本作にはクンビア調の“Rapto Cosmico”を提供。

 ここからは少し端折ろう。さすがに数が多過ぎる。ウィッチハウスとしてキャリアをスタートさせたブラック・アントことジャン・ピエール・アンソニーは少し変わり種で、初期には拷問のようなゴシック・ホップを掘り下げ、4作目から〈Schematic〉に移籍、レーベル・カラーに合わせてLAビートに転じている。5thアルバム『Hidden Packages (Islands 3 + 4)』はまさかのJ・ディラとラス・Gに捧げられ、本作にもフラッシュ音を強調したグリッチ・ホップの“Bellfast3”を提供。同じ〈Schematic〉からゾン・ジャマール(Sohn Jamal)とマックス・ブゾン(Max Buzone)、そしてロイジュー(Roiju)もエントリー。サイケデリック・ブレイクコアのジョセフ・ナッシングを思い出すゾン・ジャマールは比較的オーソドックスなグリッチ・ホップの“TQ Visa”を、哀愁に沈んだIDMのマックス・ブゾンはいままでとは比較にならない出色の“Epoch”を、そして叙情的なIDMのロイジューはパーカッシヴな“Sin Gravedad”をそれぞれに提供。珍しくミニマル・テクノのフィーフ(Feph)はまったく表情を変えずに“Resolve”をオファー。やはりマイアミには珍しく〈Warp〉風のリスニング・テクノからミニマルも射程内に置くエライアス・ガルシアも本作ではジェフ・ミルズ風の“Radiant”を。

 『Homecore!』は半数がここ2年でデビューした新人か本作で初めて曲を発表したニューフェイスで占められ、オープニングに続いて2曲目と3曲目に抜擢されているのがロウ・エンズ・レコーズとジ・オウ・ファイ(Tre Oh Fie)。どちらも荒々しいエレクトロを提供し、イメージ通りのマイアミで幕を開けるという役割を全うしている。御大マークの次に置かれたコフィンテクスツ(Coffintexts)も新人ながらやはり大役を担い、これもハードなブレイクビーツ路線とは少し変わってハーフタイムの“Muy Bien”で面白い流れをつくっている。無名どころの新人ではほかに(って僕が知らないだけかもしれないけれど)、ジャン・アンソニーによるポリリズムのエレクトロ、“Trees Whispers Leave”もなかなかに良かった。

 10年代の前半こそロサンゼルスにレイヴの舞台を奪われたものの、ほどなくしてその座を奪い返し、レイヴどころか『お熱いのがお好き』の昔から踊る天国であり続けているマイアミ。キューバとの関係が様々な意味でマイアミを活気づけ、介護される富裕層が共和党支持なら介護する労働者が民主党支持というスタンダードな政治風土を背景にマルコ・ルビオ上院議員や最近ではトランプの代替わりとされるロン・デサンティス州知事が吠える、吠える。ゲイ・クラブでの銃乱射事件が象徴しているように、いまや性別を気にしないノンバイナリーに対して性別をはっきりさせるバイナリーのテリトリーとしても強度を増し、マジック・マイクたち男性ストリッパーもステージ狭しとショーを続けている。最近になってマイアミに引っ越したジェフ・ミルズ夫妻によると日本並みに湿度が高く、コロナでも誰もマスクなんかつけていなかったというし(ロックダウンが解除されたと思ったら、あっという間に海岸がゴミだらけになったとも)。突拍子もない水着ショーも面白いし、できることならエルモア・レナードやカール・ハイアセンの犯罪小説を読み続けて一生を終えたいなー……と思った3時間半でした。

Crack Cloud Japan Tour 2022 - ele-king

 耳の早いインディ・ロック・ファンにはかねてから注目されてきたカナダのポスト・パンク・バンド、Crack Cloud。『nero』編集長の井上由紀子氏も大推薦していたこのインディ界の注目株が早くも来日する。
 東京公演にはNo Busesのフロントマン「Cwondo」と、DJとして村田タケル 《SCHOOL IN LONDON》
 大阪公演は「石田小榛(Vo)と角矢胡桃(Dr)で構成される2ピース・バンド「HYPER GAL」と、DAWA 《FLAKE RECORDS》がサポートアクトとして出演。

Crack Cloud Japan Tour 2022

【公演概要】
2022年11月24日(木)
東京 代官山UNIT
出演者:Crack Cloud
Support Act : Cwondo、DJ: 村田タケル 《SCHOOL IN LONDON》
開場 18:30 / 開演 19:00
【チケット情報】 前売入場券:¥6,500 + 1Drink Charge
問合わせ: UNIT 03-5459-8630 (平日12:00〜19:00)

TONE FLAKES Vol.149
2022年11月25日(金)
大阪 梅田Shangri-La
出演者: Crack Cloud + Support Act :HYPER GAL 、DJ: DAWA 《FLAKE RECORDS》
開場 18:30 / 開演 19:00
【チケット情報】前売入場券:¥6,000 + 1Drink Charge
[TICKET]11月6日 10:00
ぴあ
e+
ローソン
FLAKE RECORDS(店頭)
問合わせ:Shangri-La 06-6343-8601(平日12:00〜19:00)

ツアー先行販売はコチラから:https://linktr.ee/tamatamastudio

【公演注意事項】
※予定枚数に到達した場合、当日券の販売は行いません。
※本公演はオールスタンディングの公演となります。

東京;
※3才以上の方はチケットが必要となります。なお16歳未満の方につきましては保護者の同伴が必要となります。
※未就学児のお子様をお連れのお客様は入場時に未就学児であることの各証明書が必要となります。

大阪;
※小学生以上はチケットが必要となります。
※保護者1名同伴につき、未就学児童1名まで入場可能。

-新型コロナウイルス対策-
※会場内では常時マスクをご着用下さい。
※こまめに手指の消毒を行って下さい。
※体温が37.5℃以上のお客様は入場をご遠慮ください。
※大声や歓声を禁止させていただきます。
※ご入場は整理番号順となります。


【Crack Cloud】
2015年に結成されたマルチメディア集団Crack Cloudは、異なる角度から、異なる過去の経験を持つ、同じ志を持つ人間で構成されている。
カナダのアルバータ州出身のCrack Cloudは、社会に対する視点と理解を映し出すポストパンクの知恵を持っています。 2018 年にバンクーバーに移り、メンバーのほとんどはその時に出会いました。 2016 年に最初のセルフ タイトルの EP をリリースし、翌年には 2017 年にAnchoring Pointと呼ばれる別のEP をリリースしました。 [12]これらのリリースに続いて、グループは国際的にツアーを行い、End of the road、、およびをロスキルデなどいくつかのヨーロッパの音楽祭に出演し、2020年7月17日に Meat Machine Records からデビュー・スタジオ・アルバム、Pain Olympicsをリリースした後、 2019年 5月から 2020年10月までの間に、 The Next Fix、Ouster Stew、Tunnel Vision、Favor Your Fortuneの4つのシングルをリリースしました。
https://www.crackcloud.ca/

【Cwondo】

No BusesのGt.&Vo.としても活動中の近藤大彗によるソロ・プロジェクト=Cwondo 2020年より本格的に活動開始。
1stアルバム『Hernia』、2ndアルバム『Sayounara』に続き、短いスパンでリリースし、3rd アルバム『Coloriyo』を2022年7月6日(水)にリリース
https://tugboat.lnk.to/Cwondo3rdAL

【HYPERGAL】

石田小榛(Vo)と角矢胡桃(Dr)で構成される2ピースバンドHYPER GAL
石田小榛は美術家として、角矢胡桃はノイジシャンとしての活動も行っている。
2021年には2ndアルバム『pure』をリリース
アヴァンギャルドかつミニマルなトラックのループと無機質なボーカルで構成されるサウンドはキラキラと既存の壁を破っていく。
『pure』ではジャケットを新進気鋭の美術家ナカノマサト・ミュージシャンのuamiが手掛け、MVは撮影 渡辺絵梨奈・編集 石田小榛の自主制作で行われるなど、アートワークも注目を集めている
https://hypergal.base.shop/

*海外プレスからの賞賛

"Crack Cloudのライブは素晴らしい。彼らの演奏を観た後、浮遊しているような気分になる"。- ジョン・ドーラン (Quietus、Noisey、BBC)

"...Crack Cloudをバンドとして説明することは、彼らを過小評価することになるだろう" Q Magazine- Qマガジン

「カナダの7人組、Crack Cloudは目を見張るようなスペクタクルを作り出す。- ガーディアン(イギリス)

◎「please yourself」MV
https://www.youtube.com/watch?v=BteWnj3vr1o&t=4s

◎アルバム表題曲「tough baby」のMV
https://www.youtube.com/watch?v=iuiApNB8Ug0

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