「DJ DON」と一致するもの

Mykki Blanco - ele-king

 現在はLAに暮らすラッパー、2010年代前半にいわゆるクィア・ラップの道を切り拓いた先駆者、ミッキー・ブランコが久しぶりに作品をドロップしている。『Broken Hearts & Beauty Sleep』と題されたミニ・アルバムで、レーベルは〈Transgressive〉、エグゼキューティヴ・プロデューサーとしてフォルティDLが関わっているようだ(シングル曲 “Free Ride” はフォルティとハドソン・モホークがコ・プロデュース)。アルバムとしては2016年の『Mykki』以来のリリースとなる。
 だいぶポップに振り切れた印象で、ゲストもブラッド・オレンジなど豪華な面々が招かれている。70年代のクワイエット・ストーム(スムースなソウル。スモーキー・ロビンソンのアルバム名に由来)やクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングからインスパイアされたそうだ。ミッキー・ブランコの新たな挑戦に注目を。


ラッパー、詩人、トレイルブレイザーのミッキー・ブランコが5年振りとなるオフィシャル作品をリリース。

フォルティDLのプロデュースによる9曲入りのミニ・アルバム『ブロークン・ハーツ・アンド・ビューティ・スリープ』、トランスグレッシヴより発売。

●ゲスト:ブラッド・オレンジ、ビッグ・フリーディア、カリ・フォー、ジャミーラ・ウッズ、ジェイ・キュー、ブルーノ・リベイロ他

2021.10.6 ON SALE

■アーティスト:MYKKI BLANCO(ミッキー・ブランコ)
■タイトル:BROKEN HEARTS AND BEAUTY SLEEP(ブロークン・ハーツ・アンド・ビューティ・スリープ)
■品番:TRANS522CDJ[CD/国内流通仕様]
■定価:¥2,400+税
■発売元:ビッグ・ナッシング/ウルトラ・ヴァイヴ
■収録曲目:
1. Trust A Little Bit (God Colony Version)
2. Free Ride
3. Summer Fling (feat. Kari Faux)
4. It's Not My Choice (feat. Blood Orange)
5. Fuck Your Choices
6. Love Me (feat. Jamila Woods and Jay Cue)
7. Want From Me (feat. Bruno Ribeiro)
8. Patriarchy Ain't The End of Me
9. That's Folks (feat. Big Freedia)

Mykki Blanco - "Free Ride" (Official Video)
https://youtu.be/Nbcjzaa75PI

Mykki Blanco - "Summer Fling" feat. Kari Faux (Official Visualizer)
https://youtu.be/MTY2nNQTZ7Y

Mykki Blanco - "It's Not My Choice feat. Blood Orange" (Official Music Video)
https://youtu.be/ul6j69EFjhU

Mykki Blanco - "Love Me" (Official Audio)
https://youtu.be/ZR_OweYhT-U

●ラッパー、詩人、トレイルブレイザーであるMykki Blancoは、デビュー・アルバム『Mykki』以来、5年振りとなるオフィシャル作品をリリースする。この9曲入りのミニ・アルバム『Broken Hearts and Beauty Sleep』は、Transgressive Recordsとの契約の一環としてのリリースとなり、FaltyDLがプロデュースを担当。スペシャル・ゲストとしてBlood Orange(Dev Hynes)、Big Freedia、Kari Faux、Jamila Woods、Jay Cue、Bruno Ribeiro等がフィーチャーされている。アルバムには、微妙なニュアンスを持ったジャンルをまたぐ楽曲が収録され、経験と成熟を持つ人間の反射的な知恵が示唆されている。ここでは、アーティストとっての新たな時代の到来を導き入れながら、人生と愛を念頭に置くだけではなく、これまで以上に大きな個人的なギャンブルが打たれている。

●Mykki Blancoはアメリカのラッパー、詩人、パフォーマー、活動家だ。2012年にEP「Mykki Blanco & the Mutant Angels」でデビュー。「Betty Rubble: The Initiation」(2013年)、「Spring/Summer 2014」(2014年)と2枚のEPを経て、2016年9月にデビュー・アルバム『Mykki』をリリース。クィア・ラップ・シーンのパイオニアとして知られ、Kanye WestやTeyana Taylor等とコラボレート。MadonnaのMVへ出演し、Björkとツアーを行なったりもしている。

More info: https://bignothing.net/mykkiblanco.html

Andy Stott - ele-king

 アンディ・ストットが一介の優れたテクノ・プロデューサーから、確固たるオリジナリティを持った作家として認知されるようになったきっかけは、彼の出身地であり、いまも住み続けるマンチェスターの〈Modern Love〉からリリースされた2011年作の『Passed Me By』であると誰しもが同意するだろう。同年はジェイムズ・ブレイクサブトラクトのファースト、ジェイミー・XXとギル・スコット=ヘロンの『We’re New Here』、ハイプ・ウィリアムズも健在で……。とにかく、それらと肩を並べて、電子音楽の集合的記憶には、あの煙をあげるテクノ・アルバムは大きな足跡を残している。当時、僕はスコットランドのグラスゴーにいて、彼の地の名門テクノ・レコード店、ラブアダブで『Passed Me By』のジャケットに魅了され、試聴せずに盤をそのままレジへ持っていった。店員はスコットランドなまりで「This is a beatiful record」と呟いた。
 同じ年に出たEP「We Stay Together」と同作がコンパイルされたCD盤も発売され、三田格は同じ時期に〈Type〉から再発されたポーター・リックスの名盤『Biokinetics』と並べてストットを論じている。当時21歳だった、ダブステップとそれ以降の音楽に熱を上げていた僕にとって、ベーシック・チャンネルと彼らが残したものは十分に吸収できていたわけではない。同レヴューで三田がいう「新たなリスナー」とは自分のことだなと思い、両者の音を比較し、ダブテクノの旅へと足を踏み出した(ちなみにストットはヴラディスラフ・ディレイの “Recovery Idea” を2008年にリミックスしていて、ここには『Passed Me By』の姿はまだない)。
 空間表現や流動的なサウンドイメージ、DJユース/フロアでの機能性という尺度において『Biokinetics』に軍配が上がるかもしれないが、過去を想起させるというよりは、油絵のブラッシュ・ストロークのごときあのスモーキーでダビーでヴァイレントに歪み、幻想的ですらあるサウンドはいまだに個性を放っている。同じ年に出たベリアルの名EP「Street Halo」もリピートしまくっていた時期だったこともあり、リズム的にもテクスチャー的にも、当時は僕は完全に『Passed Me By』の世界の方に引き摺り込まれた。あの音にはたしかに「いま」があったのだ。このような経緯を辿った「新たなリスナー」たちは、けっして少なくはないだろう。

 今作『Never The Right Time』は『Passed Me By』から10年という節目にリリースされたアルバムである。この間、デムダイク・ステアのマイルズ・ウィテカーと組んだミリー&アンドレア『Drop The Vowels』(2014)ではハードコア/ジャングルをスマートに換骨奪胎。コンスタントに二、三年の周期でリリースされた3枚のアルバムと1枚のEPでは、『Passed Me By』で植え付けたイメージに縛られることなく、エレクトロからグライムにいたるまで、実に多くの手法やテクスチャーにストットは挑戦している。
 結論を先に記せば、今作にはそのようなサウンドにおける彼の冒険が凝縮されているといっても過言ではない。2012年作『Luxury Problems』以降、彼の作品にたびたびシンガーとして登場してきた彼のピアノ教師でもある、アリソン・スキッドモアにも今作では多くのスポットライトが当てられている。もちろん、サウンド・アイデンティティを保持しつつ、スタイルのアップデートにも余念がない彼のアティチュードも健在である。
 具体的にサウンドを見てみよう。冒頭 “Away not gone” はギターからはじまる。マイクで拾われたというよりは、オーディオ・インターフェイスにシールドを直挿ししたかのようなテクスチャーが、淡いリヴァーブで広がっていき、高音域の弦はフロントカヴァーのカモメたちのように鳴いている。クレジットにギタリストの名前はないが、この表現方法は去年デムダイク・ステアとアルバム二作を発表したギタリスト、ジョン・コリンのものにも通じる。そこにシンセ高低域をカヴァーするシンセと、スキッドモアのヴォーカルが重なっていく。
 二曲目の表題曲では引き続きスキッドモアがマイクの前に立つが、それよりも印象的なのがリズム・プログラミングだ。左チャンネルで淡々とリードを取るクローズドハットが一貫したリズムを刻むなか、ストットのシグネチャー・サウンドでもある歪んだシンバルやクラップが別方向から飛んでくる。冒頭のメインを飾るヴォーカルは、楽曲中盤をすぎるころにはこのリズムと完全に入れ替わっていた。
 左右のチャンネルに広がるサウンドステージを最大限に活用したプロダクションは、ダークなアルペジエイターとダンスホールのようにも響くリズムが交錯する “Repetitive Strain” でも顕著だ。ストットの手腕はエコーとリヴァーブを駆使するダブエンジニアのそれというよりも、マテリアルのミキシングに長けたトータル・プロデュースの方向に成長を遂げたようで、レヴォン・ヴィンセントのトラックの上でジ・XXが歌っているような “Don’t know how” は、各パートがバンドのように非常にバランスよく組み合わさっている。壮大なピアノ・アンビエント “When It Hits” を挟んだ後の “The Beginning” は、ポストパンクからマッシヴ・アタックをも射程においたようなヴォーカル曲で、次はFKAツィッグスともストットは仕事ができるんじゃないかとも思わせる。
 ここまで楽曲のエネルギーは、過去作と比べると透明度の高い川のように流れているが、7曲目の “Answers” でストットのダークサイドが表出する。アタック感がほぼ消去されたかのようなキック/ベース連続体が、上下にバウンスするようなイメージを伴いながら、エコーで乱反射するリズムと転がり続けるチューンの律動感は、拍子のカウントすら困難なほど跳ね上がる。ブレイクごとにベースのテクスチャーは切り替わり、サウンドはかなりヴァイオレントに生成変化を遂げたあと、天上のごときゆるやかなエンディングが待っている。ベースとシンセリードで成り立つウェイトレス・グライムの手法にも通じつつ、ブリストルのバツが率いる〈Timedance〉のような恐るべきテクニックを持った若手世代とも共振するような、最高にエクスペリメンタルな一曲である。
 欲を言えばこのダンス・バイブをアルバム最後にかけて聴きたいところだが、ストットは不意打ちをするかのように、今作二度目のアンビエントである “Dove Stone” をラストの前に投下。坂本龍一が愛機のプロフェット5を奏でているかのような、穏やかで荘厳なオーケストレーションだ。坂本の17年作『Async』のリミックス集『Async - Remodels』にアルカやワンオウトリックス・ポイント・ネヴァーらと参加しているストットだが、彼の影響は自身の楽曲においても表出しているようである。
 そこからアルバムは最後のスローなヴォーカル・ナンバー “Hard to Tell” に漂着し、ギターとシンセ・ストリングスで幕を閉じる。

 ダンス・フロアでストットを知ったリスナーにとって、『Never The Right Time』は同じアーティストであると思えないほど異色に映るはずだ。僕が彼のライヴを最後に見たのは2018年6月15日、ロンドンのオヴァル・スペースにおいてだが、そのときは他の出演者であるアイコニカ、デムダイク・ステア、そしてリー・ギャンブルと比べても、非常にパワフルでバウンシーなダンスセットを披露していた。2019年のEP「It Should Be Us」も、穏やかであるといえども、フロアを意識したプロダクションを保持していた。
 2021年、『Biokinetics』は〈Mille Plateaux〉からまた再発される。そのような回帰とは異なり、10年前の地点からは予想し得ない方向にストットは向かった。先ほど、本作にはこれまでの10年が凝縮されていると書いたが、それは単なる繰り返しを意味するのではなく、彼は自身の学びと培ったサウンド・マナーを保ちつつ、シンガーとともにそこで生まれた可能性をさらに肥大化させている。同年代である盟友のデムダイムのふたりや先のリー・ギャンブルが、アンビエントなどと並行して、ダンス・ミュージックのあくなき探求も止めないことを鑑みれば、同じことをストットにも期待しないではいられない。でも、世界のダンス・フロアが閉まった2020/2021年という時代を考えれば、『Never The Right Time』には我々に寄り添う最高のリアリティがある。ここではむしろ、その時代との同期性にこそ評価を与えるべきなのだろう。
 「真っ暗な窓からは街灯も車の明滅も見えない/あるのは冬のような容赦のない冷たさ」。本作を締め括るスキッドモアの歌詞は、緩やかな演奏とは対照的に痛烈に現実をすくい上げている。

Isayahh Wuddha - ele-king

 去る2020年、『urban brew』で鮮やかなデビューを飾った京都のシンガーソングライター、イサヤー・ウッダ。年末にはセカンド『Inner city pop』を発表、そして来る8月11日には早くもサード・アルバム『DAWN』をリリースする。ちょっと早すぎない? で、今回は果たしてどのような展開を見せているのでしょうか? 気になる方はぜひチェックを。

2020年代のポップ・アイコン=イサヤー・ウッダ 夜明けの3rd アルバムリリース!

京都在住、2020年5月英国WOTNOTから1st アルバムをリリース。暮れの12月には2ndアルバムリリースと破竹の勢いの鬼才SSWイサヤー・ウッダ、早くも3rdアルバム降臨。
超ポップさはそのままに、マインドフルネスなアンビエント要素が霧の様に全体を包み込んだ至高のトリップサウンド。観たままに善悪全てを肯定する気狂いトラップ風 “SAY” や、牧神の午後的変態ヒップホップ “RIPPLE” 等全9曲。
聴きどころ満載の新しい『DAWN』(夜明け)、ドーーーンッと登場!!!

本人によるコメント:
コロナが世界中で猛威をふるう事で、今まで隠されていた人間の本性、
悪や善のようなものが顕わになってきたと思います。人間の活動が停滞することでスモッグが減り、
川や空気の汚染が軽減されたことは好ましいことでした。
私はそういったもの善悪全部ひっくるめて肯定しました。
そして居なくなった猫について思いをはせました。
また2004年にイラクで人質になり殺されたバックパッカーの青年について、
私は忘れないと約束していました。人間は利益の為に自然を破壊するし、
利権やお金の為に戦争も起こす。動物たちの方がよっぽど尊い生き物だと思っていました。
しかしこの数年でその考えは変わりました。どうでも良くなったのです。
なぜなら私たち人間は、植物や虫、動物、地面に落ちている石と変わらない存在なのだと気付きました。
すべては同じで、それぞれがそれぞれの使命を持って存在しているように思います。
だから私は音楽を生み出しているのです。
(Isayahh Wuddha)

レーベル:MAQUIS RECORDS
アーティスト名:ISAYAHH WUDDHA
作品:DAWN
イサヤー・ウッダ / ドーン
発売日:8月11日(水)
品番:MAQUIS 011
定価:¥2000+tax

TRACK LIST
01. ES
02. STILLLIFE
03. SUMMIT
04. RIPPLE
05. SAY
06. HIGHER
07. YOUMAKECRY
08. SPACEDRIVE
09. HOLDONME

PV : https://youtu.be/8yvX2LWmVEI

プロフィール:

Isayahh Wuddha / イサヤー・ウッダ
京都在住の鬼才 密室ドラムマシーン・ソウルSSW。ヴィンテージ・カセットテープMTRにて制作された楽曲は中毒性あるビートと浮遊感あるメロディで聴くものをインナー・トリップの世界へ導いてくれる。英DJジャイルス・ピーターソンのラジオでプレイされ、ミュージック・マガジン 2020年9月号 特集「日本音楽の新世代 2020」 の10組に選出される。また2020年12月にリリースした2nd album『Inner city pop』はele-king Vol.26 の「ベストアルバム2020」にてベスト5に選ばれた。
未だ所在不明なサイケデリック・ヒップホップを響かせながら、2020年代ポップ・アイコン最有力アーティストである。
現在までに1st album『urban brew』(2020年 流通:WOTNOT)、2nd album『Inner city pop』(2020年 流通:ULTRA VYBE)、1st single『I shit ill』(2021年 流通:JETSET)をリリース。

interview with Squarepusher - ele-king

 ロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインの美術学部に入学したとき、トム・ジェンキンソンは借りられる最高額の学生ローンを受け取り、その全額をはたいて中古の機材を買い揃えた。1400ポンド分の小切手は、中古のAkai S950サンプラー、2台のドラムマシン、ミキサー、DATレコーダーを買えるだけの額であり、これらの機材は、スクエアプッシャーとしての1996年のデビューアルバム『Feed Me Weird Things』に収められた音楽を作る上で不可欠な役割を果たした。当時のジェンキンソンは、レイヴ・ミュージックの文体を身につけながらそこに変化を加えてより斬新な可能性を追い求めようとするミュージシャンたちの流れに属していると見なされており、ルーク・ヴァイバート、μ-Ziq──そしてもちろんエイフェックス・ツインといった顔ぶれと交流を持っていた。ブレイクビーツのリズムを非常識な速度に高めたり、その性質をシリーパテ(粘性と弾性を兼ね備える合成ゴム粘土)のように多彩に変化させたりといったスタイルは、ほどなくしてドリルンベースと呼ばれるようになるジャンルの象徴となっていた。だが、彼の音楽を何より際立たせていたのはエレキベースの卓越した使い方で、奏者としての圧倒的な才能は、あのジャコ・パストリアスが比較対象になるのも納得できるものだった。

 1995年にノースロンドンで開かれた実験的電子音楽のイベントに登場したジェンキンソンは、幸運にもエイフェックス・ツインその人であるリチャード・D・ジェイムスの耳にとまり、その後押しによって『Feed Me Weird Things』が彼のレーベル〈Rephlex〉からリリースされた。ジェイムスは収録トラックを選曲し、アルバムに熱烈なライナーノーツを寄稿した(例えば「ミスター・ジェンキンソンが指揮をするとき、彼を除く世界中のあらゆるものがオーケストラピットにある」といった記述がある)。翌年スクエアプッシャーは〈Warp Records〉からの最初のアルバム『Hard Normal Daddy』をリリースし、ドラムのプラグラミングと、ジャズ・フュージョンの過激さと、ひねくれたユーモアが混ざり合っていたことで、先進的な評論家の中からは彼をジャングル・ミュージック界のフランク・ザッパと位置づける声も上がった。しかし続いて1998年にリリースされた『Music Is Rotted One Note』では、大胆な方向転換──以後何度もおこなわれる方向転換のはじまりでもあった──がなされ、シーケンサーがアナログ楽器に置き換えられるとともに、ミュジーク・コンクレートといったジャンルやエレクトリック期のマイルス・デイヴィスを起源とするサウンドが作られるようになった。

 その後に続くジェンキンスの多様な作品──2001年の『Go Plastic』のように〈Warp〉の歴史に刻まれる名作から、ベースのソロ・アルバム(『Solo Electric Bass 1』)、オルガン(『All Night Chroma』、ジェイムズ・マクヴィニーとの共作)またはアンドロイドを活用した作品(『Music for Robots』、Zマシーンズとの共作)にまでおよぶ──において、彼は一貫して独特の音の響きを保ち続けた。そして『Feed Me Weird Things』の時点で、すでにその音の響きは完成していた。本アルバムのリリース25周年を記念したリイシュー盤には、本人による新規のライナーノーツが付属するが、そこに記載されるまるで『Sound & Recording』などの専門書のようなマニアックな分析は、彼がたびたび言及する初歩的な技術のあり方とは対照的だ。『Feed Me Weird Things』のサウンドは、現在の〈Warp〉らしいスタイルのIDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)の神髄を表しているが、その起源が1980年代のインディー・シーンで培われたDIYの手法にあることも伝わってくる。

 昨年の『Be Up A Hello』でジェンキンソンは、キャリアの初期に使用していた機材をひさしぶりに持ち出して、ひねりを加えたアシッド・ハウスやレイヴ・サウンドを生み出し、アルバムはこれまで制作してきた中で最も面白味のある作品のひとつと評価された。Zoomでのインタヴューで『Feed Me Weird Things』のリイシューに触れることはほとんどなかったが、長時間に渡って、10代のころの話やベースとの関わり、また創作における制約こそがつねに自らの取り組み方を決定してきたことなどについて積極的に語ってくれた。

子供時代が再来したかのようだった。「大人の世界」が遠のいて、もはや自分のやっていることと世界の間に現実の関わりがあるという感覚がなくなってしまったんだ。僕は、かなり本気でこの状態を保ちたいと思っている。

昨年はあなたにとってどのような年でしたか?

TJ:たぶん、いろいろな意味で未知なる日々だった。何よりも最初は、そこにある恐怖がすべてだったけど、次第にある種の安堵感が混ざるようになった。1年中ツアーに出るだろうと思っていた状況から、程度の差はあれ、基本的に全部が撤回されるという状況に変わってしまったからね。ここでは正直に話すけど、もしこれで僕の思うようにやらせてもらえるとすれば、申し分のない状況だ。つまり、大人たちの世界は事実上機能を停止した。先を見据えたプロジェクトや何かが話題になることがなくなり、それは何が起ころうとしているのか誰にもわからなかったからだ。そんなわけで、創作活動に当てられる、願ってもない時間が早々に訪れたということだ。

それはいいですね!

TJ:そう、ある意味ではそうだった──だからといって、この1年間ずっと降りかかってきた恐怖を軽視しているわけでは決してない──ただ、どことなく子供時代が再来したかのようだった。ある日突然、僕はこの場所でひたすら自分に向き合うことになり、それでいわゆる「大人の世界」が遠のいて、もはや自分のやっていることと世界の間に現実の関わりがあるという感覚がなくなってしまったんだ。僕は、かなり本気でこの状態を保ちたいと思っている。平常時であれば、それこそ無難な距離感を保つために、もっと慎重に取り組んだだろうけど、パンデミックの場合、なるようにしかならなかったんだ。

ここ1年ほどの間に、自身が何か特定の方向性に引き寄せられていると感じることはありましたか? 現在取り組んでいることでも、あるいはこれから創作しようとしていることでも。

TJ:大まかに言えば、まだ『Be Up A Hello』の余韻が残っている。包み隠さず話すけど、これほどまでに大人の世界が遠ざかっている感覚が強くなって、自分のいままでの日常生活とか、考え方とか、対話とかがもはや通用しないとなるにしたがって、「好きなようにやってやろう!」という意識が戻ってきた。確かにいまのところ大きな仕事とか、大きなプロジェクトは何もない。それなら思い切り遊んでみようと思うだろう? そしてその考えは、すでに『Be Up A Hello』にもある程度は、取り入れられている。なぜなら、このアルバムそのものが、度重なる人生の厳しい出来事に影響を受けているからで、おかげである意味で再出発をして、最初の原則に立ち返ることができた。楽しいことをするっていうところにね。

過去には、心から楽しいと思えない仕事をしていた時期もあったということですか?

TJ:(笑)いい質問だね。いや、本当に大事なことだ。何ていうか、そうだな、実際問題、楽しさを期待するだなんて、笑われても仕方がないからね……つまり26年の「キャリア」と呼べる年月が僕にはあって、それどころか子供だったころの準備期間を考慮すればもっと長くなる。確かに、すごく昔、それこそキャリアがはじまる前は、楽しいという感情がすべてを突き動かしていた。だからこそ毎日学校から走って家に帰ったし、ギターを触るのが待ちきれなかった。面白いという気持ちだけだった。職業にするという気はなかったし──もっとうまくなりたいという向上心すらなかった。初めは、何かすごいことをしたいという考えさえ持っていなくて、ただ単に「この楽器が好きでしょうがないし、この楽器が鳴らす音が好きでしょうがない」というだけだった──すごく素朴な向き合い方だ。もちろんそこからさまざまなことが進歩しているし、そのぶんつねにいろいろと気を配って、できるだけついていくようにしていることもつけ加えておきたい。要するに、46才になった自分に、10才の少年みたいな心持ちを期待されても困るということかな。

(笑)そうですね……

TJ:だけど正直に言うと、できるだけ変わらないでいたいと思っている。自分にとってはそれがすべての根本だから。活力の源だ。言い方を変えれば、自分にルールを課して、楽器を弾いてもうまくいかないとき──そして楽しめていないとき──には、「いいか? いまは距離を置くべきなんだ」と考えるようにした。なぜなら、そうやってできあがったものを誰かが耳にしても、苦労の痕跡や憤りや退屈が伝わるばかりで、意味が変わってしまうから。ただときにはおかしなことが起こって、例えば取り組んでいるものがまるで気に入らなくて「どうしても最後までやらないといけないんだよな。気に入らないし、どうせ全部消去することになるんだろうけど、ともかく終わらせないと……」と考えていても、翌日聴いてみれば「あれ、思っていたより、ずっといいぞ」ってなることはある(笑)。それでもまあ、全体的には、僕は悩みながら取り組み続けるタイプではない。そういうやり方は自分に合わない。ただそれだけだ。
このことは、つねにあちこちのインタヴューで話している。まさに事実だからね。強い熱意が根っこにあって、あらゆるものがそこから派生している──そして何かに取り組むさいに無理を重ねて、身を粉にしてまでとことんやり抜くのは、かえってすべてを台なしにすると思う。駄目にするのはその日だけに限らず、もしかすると、何日も何週間も棒に振るかもしれない。たぶんプログラミングにもそういう面があって……実は昨日もいろいろとやっていたんだけど、結局放り出したんだ。義務感だけでやっている仕事に思えたから。いつかアシスタントのような人を置ければいいと考えている。仕事を押しつけるためではなくて、一緒に作ることで、もっと楽しめることがあるかもしれないと思うからね。でもそうなると、長年の習慣が変わってしまうだろう。まあやってみないとわからないけど。

とはいえ、何度か他の人たちと一緒に仕事をしていますね? バンド(ショバリーダー・ワン)で活動していたこともありましたし……

TJ:うん、そのとおりだ。

……そしてある時期(だいたい2008年の『Just A Souvenir』のころ)には、ボルト・スロワーのメンバーだったドラマーとともにステージに立っていました。

TJ:アレックス・トーマスだね。そうそう。いや、確かにああやってすばらしい時間を過ごしたけど、実際、技術的な面というか機械に関する面では、誰かに手伝ってもらったことはないよ。思うに、コラボレーションが実現するのは(つまり他のミュージシャンたちと演奏することは)僕にとっていちばん自然なことだ。何しろ10代のころを振り返れば、ずっとバンドに入って音楽活動をしていたわけだから。それが当時は何より大切なことだったし、自分の作品を作り続けてきたなかで、いまもまた活力を与えてくれている。

なるほど、そうですか。10代のころ楽器を演奏しているときに、ベースに引き寄せられたわけですよね。その理由は、バンドでベーシストが必要とされていたからでしょうか? それとも、楽器そのものがあなたを引きつけたのでしょうか?

TJ:最初に楽器があって、それからバンドで演奏するようになった。というより、楽器があったからこそバンドをはじめたんだ。じつは最初の楽器はベースではなかった。当時は、何であれギターに類する楽器を身につけたいなら、昔ながらのアコースティック・ギターからはじめるのが一番だというのが定説だったし。そして僕は11才だった。経験も知識もまるでなくて誰にも相談しようがなかった──それにお金もなかった。安物のエレキ・ギターでさえ縁遠いものだった。初めてのアコースティック・ギターを15ポンドで買って、もちろんそれは、まったくもって大した楽器ではなかったけど、それでも新しい世界への扉を開くのには役立ったね。
だけど僕はずっとベースだけでなく電子楽器の世界にも引き寄せられていた。何がそんなに魅力的だったかと言えば、音色の質とか、奥深さ、エネルギーといったものが、自分にはその楽器を体現しているように思えたんだ。僕は、ベースがどんなものかさえ知らなかった。確かに、耳を慣らしていなければ、あの楽器はちゃんと聴き分けられない。そこに興味が湧いた。例えば「この楽器は何をしているんだろう? どこの音域なんだろう? どんな可能性を秘めているのだろう?」といったように。そしてその答えが明らかになる瞬間が何度かあった。振り返ってみれば、例えばポール・サイモンのアルバム『Graceland』が挙げられる。あのアルバムは傑作で──あれを知らないなんて許されないと言ってもいいくらい、それこそ触れる機会はいくらでもあるはずだ──そのなかに、あの素晴らしいベーシスト(バキティ・クマロ)が弾いているシングル曲があるんだけど……

“Call Me Al” ですか?

TJ:そう、それだ。“You Can Call Me Al” だよ。このポップ・ソングのなかに、2小節だけ入っているベースのソロ・フレーズがある。それがもう「いまのは何だ!? めちゃくちゃ格好いいぞ!」っていう感じだった。パーカッションみたいにリズムを刻んで、それでいて美しいメロディーを奏でている。それに心を奪われた。あの音域ですごく面白いことをやっている。現在までの僕の音楽は、メロディー重視の曲を作る風潮に反していると思っている。メロディー重視の音は、クラシックでも、ポップでも、ジャズでもあらゆるジャンルで聞こえてくる──そこではトップの音が売り上げを左右して、低い音域はあくまで土台とされている。僕は低音域の作用に魅了されていて、多くの場合、自分の作品では上の音域が控え目になっている。どういうわけか、そのほうが性に合っている。でもとにかく……ベースは僕を惹きつけたんだ。
そういう出来事は他にもあった──例えば、ジミ・ヘンドリックスのモンタレー(1967年のモンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァル)でのパフォーマンスだ。僕はあのステージのビデオテープを持っていて、本当に夢中になった。彼がギターに火を放つ場面があって、あの意味についてはそれこそ無限に解釈ができる。どことなく愉快なシーンだし、たぶん狙ってやっているところもあるんだろうけど、僕にとってはいまでも思い出すだけで背筋がぞくっとする。あれはロックの象徴で、それがああやって粉々にされて火を点けられた──そのときに鳴っていた音が魅惑的だった。いつまでも続く魅惑的な音が、楽器を酷使することで生まれていた。小遣いは足りていなかったし、ガソリンも持っていなかった──だから子供だった僕は、自分のギターに同じことはできなかったよ(笑)。
それはそれとして、ジミヘンがこれをやっている間、ノエル・レディングが演奏を引っ張って、ベースの音程を上げていき、そしていつの間にか甲高い音をバックで奏ではじめた。すごく刺激的だった。ここでもまた、別の意味で僕は引きつけられた。「そうか、ベースはこんなに激しくて力強い音も出せるのか」と思った。そういったできごとがあって、僕はすっかり納得していた。やがて次の機会が巡ってきた。ベースが70ポンドで売りに出されているのが地元の新聞に載っていて、しかもアンプまで揃っていたんだ。すぐに飛びついたよ。

僕の音楽は、メロディー重視の曲を作る風潮に反していると思っている。メロディー重視の音は、クラシックでも、ポップでも、ジャズでもあらゆるジャンルで聞こえてくる──そこではトップの音が売り上げを左右して、低い音域はあくまで土台とされている。

スクエアプッシャーとして活動しはじめた頃、ベースも使うべきか迷いましたか、それともそこは最初から自然なことだったんでしょうか?

TJ:まあ、そうだね。スクエアプッシャーとなったものは、どのみち子供の頃にやっていたことの延長線上にあったものだから、つまり、手元にあった機材や、借りられるものを手あたり次第使ってみたってことだ。『Feed Me Weird Things』の頃も、それ以降もそうだった。最近になってその頃のことを思い出した。インタヴュー等で、あの作品の技術面について語ることがあったんだ。実際、あの機材の3分の1は借り物だった。おかしいよな(笑)。大体こんな風に「あ、このギターアンプ借りられる? ドラムマシンも貸してくれる? ちょっとこいつを試してみたいんだ……」とね。終始そんな調子だった。ギターペダルも借りたんだ。全然自慢にならないけど、まだ返してない(笑)。『Be Up A Hello』でもまだ使っているよ。だから、ある程度は言いわけは立つかもね。悪いことをしているのに変わりはないけど。
 忘れられないのは、ビスケットの缶でスネアドラムを作ったことだ。画鋲を中に放り込んで、てっぺんに絶縁テープを張り巡らせてスキンを作った。ドラムセットの構成だってよくわかってなかったんだ、その頃は。「あの音だ。よく2拍目か4拍目に入るやつ。あのシャンシャンいう響き、〝シャラシャラ〟って鳴るあれ。あれは何? ドラムみたいだけど、でも……どうやってシャンシャン鳴るドラムを作るんだろう?」そういうわけで、「まあ、わかんないけど、画鋲をビスケットの缶に入れてみよう。それで上に何かを張ればいいや。そしたら叩けるだろ?」で、うまくいったんだ! それなりにね。最初の頃はともかく、恐ろしく原始的なものだった。予算ゼロだし、手元にあるのは安物のギターだけ。でも、そういうメンタリティーでいったんだ。
 いまとなってはわざわざこういうことを追求してみようっていう気はないけど、近頃のミュージシャン志望の子たちが置かれている状況と比べてみると面白いとは思う。正直、彼らのほうが恵まれている。ラップトップさえあれば、無限の音楽作成ツールにアクセスできるんだから。夢みたいな環境だ。ほんの少し前を振り返って見るだけで、40年も前のことでもないのに、まったく、恐ろしいほど違っているんだ。
 さて、もとの質問に戻るけど、ベースはなくてはならないものだった。あの頃、エレキ・ギターを持っていなかったから、電子機材で高音域を探求するという選択肢がなかった。でもまあ、「じゃあ、ベースのネックのいちばん上までいってみよう。それでギターみたいな音を出してみよう」ってやったんだ。で、もちろん、ギターの音にはいまいち似ていないけれど、別の味があった。それがなかなか面白かった。おかげでコードや和音、それから右手を使った色々なテクニックに首を突っ込むことになり、最終的には2009年にリリースした(『Solo Electric Bass 1』)みたいなソロのベースの作品になった。だからあれはそういう慈善バザー的な意識と取り組み方の集大成みたいなものなんだ。
 それから少しして、バンドで演奏する傍ら、友だちと一緒に地元でパーティーを開くようになった。近所のYMCAとかでね。地元のサッカークラブなんかも良かった。そういうところで何度もパーティーをやったものだ。ドライアイスを敷き詰めて、手元にあった当時の最新レイヴのレコードをかけた。そこへベースを持っていっては演奏に合わせてジャムって、違った味を出そうとしたんだ。デッキでブレイクビートをかけて、ミキシングをしているやつがいれば、それに合わせてジャムってみたり。スクエアプッシャーはそういう活動からそれほど飛躍したものじゃない。中核になっているのはそういったもので、それが礎になっている。

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楽器の演奏方法には一般的な思い込みが氾濫していて、「そうだ、偉大な先人はこうしていたんだ、だから君もうまくなりたいなら、彼らのやり方に習わなきゃ」っていうようなナンセンスだらけだ。

ミュージック・シーンに初めて登場したときのことを振り返って見ると、ダンス系の音楽をああいう風に生の機材でやろうとしていた人びとはあまりいなかったかと思います。ある意味、ただひとり、自分の道を歩んでいましたよね?

TJ:ああ……いい勉強になったよ。その後、かなり早い段階であの世界から身を引いたからね。僕の見たところ、少なくともイギリスの評論家の一部は、僕がジャズやフュージョン・ジャズの要素を取り出してダンス・ミュージックと融合させていると思い込み、「どういうつもりなんだ?」と言っていた。それでまあ……奇をてらっているだとか、コメディ路線だとか思われたんだろう。確かに僕の作品にそこはかとないおかしみがあるのは否定しない、含まれているものなら他にもいろいろあるけれど。でも、あの機材はパロディやおどけじゃなかった。そういう反応が生まれた原因の一部は、もちろん、みんながそういう見方をしていたわけじゃないけど、ご指摘にあった通りだと思う。あまり流行ってなかったからだね。
 でも、その目新しさが素晴らしい出会いにつながることもあった。例えば、タルヴィン・シンだ。彼は様々なスタイルや伝統音楽を用いている。彼もきっとタブラ演奏で同じようなことをやっていたんだと思う。しかも非凡な演奏者だったしね。彼とはたまたま同じギグに出演したときに知り合って、すぐに意気投合した。互いのアプローチに共通点があったからだ。当時のダンス・ミュージックと昨今の作品とのつながりを保ちつつも、生の楽器とそういった音楽との接点を見出し、互いに影響しあえる絶妙なツボを模索していたんだ。結局は、それこそが醍醐味だからね。そして、その具体的な成果がいまになって目に見えるようになったんじゃないかと思ってる。とくに最近のドラマーたちの多くにね。いまでは彼らはとても、とても明白に影響を受けていて……いや、自画自賛をするつもりはないよ。僕だけじゃない、もちろん。でも、わかるはずだ、彼らが受け継いでいるのを。例えば、僕やタルヴィンや他の人びとが探求してきたものをだ。そしていまでは逆方向へのフィードバックがはじまっている。素晴らしいことだと思う。
 そのフィードバックのプロセスは、ある意味、僕のなかでも起きていた。ほんの束の間だけど、10代前半の頃に戻れたんだ。ベースラインの濃厚なレイヴのレコードがしっくりくるアシッドの曲やなんかで。そういうレコードにはしょっちゅうあることだが、たぶん(プロデューサーが)従来的な楽器のイロハを学んでないことに関わりがあるんだろうな。レコードの音程がサイケデリックなんだ。何て言うのか、音階が完全にぶっ飛んでいる。そこから音階を作ろうとしたら、とても妙なものができあがるだろう。2オクターヴの音階だとか、リピートしないものだとかね。そういう曲を演奏しようとすると、そういったある種どうしても内面化してしまっている、いわゆる「原理原則」を手放すことになる。というのも、とても多くの音楽がそういう特定の作法に従っているからだ、音階だとか、そういったものにね。あまりに普遍的で、どうすることもできない……知っておかなければならないことではあるけど、そういったものもある種の制限を課してくるんだ。
 だからDJピエールの(フューチャー名義の)“Slam” や “Box Energy” を演奏して、理解を深めようとしたことがあるんだけど、「ものすごく変!」ってなる。けれども演奏しているうちに「こいつは……本当に未来的だ」とわかる。実に勉強になるんだ。演奏に別の角度から影響を与えてくれる。楽器の演奏方法には一般的な思い込みが氾濫していて、「そうだ、偉大な先人はこうしていたんだ、だから君もうまくなりたいなら、彼らのやり方に習わなきゃ」っていうようなナンセンスだらけだ。実際、視線をその向こうに据えて、サウンドだけに集中してみるといい。「偉大な先人」から目を背け、名演奏とはまるで関係ないレコードだけじゃなく、それ以外のもの全て、周りのノイズのようなものも含めてシャットアウトする。そうすると、少なくとも同じくらいか、むしろそれ以上のインスピレーションが得られるはずだ。

あなたのキャリアを振り返るのはじつに興味深い。アルバムとアルバムの間である種の綱引きがおこなわれているようなんです。きわめてライヴ要素を重視しているものがある一方で、もっとこう、箱の中で展開しているようなものもある。

TJ:ああ、実にその通りだ。

何であれ、手元にあるもので音楽を作る。自慢できることがあるとすればそこだ。つまり「僕はどんなものを手にしたって、音楽が作れる」ってこと。ある意味、パンク精神と言おうか、独立精神と言おうか。

楽器を用いずに、完全にコンピュータだけでやっているときでも、ベースはつねにあなたの人生の一部で、何があっても触れ続けているものだったんですか?

TJ:ああ……もちろん。練習そのものに注ぎ込む時間は、まちまちだけどね。そこは一定してない。芯からプロ意識を持っている人っていうのはそういうところに厳しく取り組むんだろうけど、僕は違う。弾きたいときに弾くんだ。でも結局のところ、限界みたいなものがあるんだ。そこを過ぎるとスタミナを失っていくポイントがね。でも、他にあるのは……僕が言っているのは原理原則の体系だとか、音階ってこと。僕の理解では、他の多くの人もそう思っているだろうけど、指がどこに行くのかを心得てればいいってもんじゃない。指が行先を心得ているのは全体像となるメンタルマップがあるからなんだ。演奏しているとき、指にそこに行けと命じているわけじゃない。頭の中にイメージがあって、そのイメージをなぞっている。ある種の構造化したネットワークのようなものの、異なった道筋を辿っているんだ。それはつねにある。ギターを手にしていようがいまいがね。

なるほど。

TJ:だから、しょっちゅう、電車を待ってるときとか、行かなければいけないところがあるけどやることがないとか、そういうときには大体頭のなかで演奏して楽しんでいる。基本的には同じことなんだ。楽器はないけれど、音はそこにある。僕が辿る構造化した道筋は同じだ。それはもちろん、コンピュータをベースにした作曲のときにもあると思う。だからこの構造化した道筋を通じて情報がろ過されていく。こう言ったらわかってもらえるかな。例えば、『Damogen Furies』のメロディーには、僕がギターを手に取れば演奏しそうな要素がある。

ああ、なるほど。

TJ:そこが面白いところでもあり、楽器の恐ろしいところでもある。テクノロジーを使うだけというような単純な話じゃない。テクノロジーに使われてしまうんだ。テクノロジーが構成の前例、構成のパターン、そして構成の傾向を固めてしまう。僕が使っているあらゆる機材もそうだ。シンセサイザー、キーボード、ドラムに対応する構造やネットワークがあり、他にも僕がとても慣れ親しんでいる機材は、それらに対応する脳内イメージを持っている。でもって、それらがまた、フィルターとしても働く。だから僕は絶えずそれに抗おうとしているんだ。必ずしもフィルターというわけでもないな。努力さえすれば、型を破ることができるのだから。だから僕は「原理原則」と言うんだ。必ずしも従わなきゃならないってわけではない。でも、そうしないように意識的に努力しないと、確立されたネットワークや道を辿るのが最も抵抗の少ない道になってしまう。そして、そうなってしまうと本当に、最終的には自分の使っているものが定めてしまうことになるんだ。

じゃあオーネット・コールマンみたいにヴァイオリンを弾きはじめるとか、そういうことで、自分の殻を完全に破ってみたくなったことはないんですか?

TJ:何をやったかは具体的には挙げられないけど、つい最近、そういうことがあったのは認めるよ。いや、でも、あのメンタリティーは尊敬に値する。時々、こういうことをやるのはとても大事なことだと思う。そうだとも。ヴァイオリンと言えば……もちろんギターとの共通点がある。だけど根本的な違いは、思うに、少なくとも僕にとってだけど、ヴァイオリン系の楽器を手にしたときに感じるのは、弦が完全5度に調律されているってことだね。一方、ギターの場合はそれが4度だ。だから、僕が言っていた同じ体系をそのまま当てはめることはできない。完全にずれて新しいパターンになっているから。だから、それに抗って、僕がヴァイオリンを手にしたときにやれることを実現するには、ギターのチューニングを変えることだ。ラディカルさに欠ける嫌いはあるけど、ある程度はやれるようになる。でも本当にラディカルなのは、管楽器を手に取ることだろうね、いままで一度もやったことないから。やってみたら、たまげるだろうな! ぜひ挑戦したいね。

そうでしたね、『Feed Me Weird Things』のライナーノーツで “The Swifty” でのベース演奏はサックス奏者の影響を受けたと言ってましたね。

TJ:うん、そうなんだ。実に。

でも、そこまでやったことはまだないと?

TJ:ないな。なぜって、これと戦うというのは、そうだな……怠惰と呼んでもいい。僕には手近なところにあるものでベストを尽くさずにはいられないっていう微妙に染みついた癖があるんだ。僕のメンタリティーというのは、良きにつけ悪しきにつけ、前にも言ったが、音楽的な自由が身の回りにほぼなかったという状況の産物なんだ。まあ、アコースティック・ギターとテーププレイヤーがあって、ペダルが何個かあって、後になってキーボードみたいなものがきた。まあ、それはいいんだ。でも機材はとても限られていた。あれこれ手に入れようとはしたけど、限界を受け入れなければならなかった。そしてそれがある意味、僕の姿勢を決定づけた。そりゃ、贅沢だってできるよ。楽器店に出向いて、何かすごいものを手に入れて、「おい、見てくれ、新しいオモチャだぞ!」って言うんだ。もちろん、そういうことをしてみることもある。4弦から6弦のベースに変えたのは大きな変化だった。「いいんじゃない? 手を出してみよう。贅沢してみようか?」ってね。性格的に、さっき言った背景の強い影響もあって、「金に飽かして音楽を作ろう」っていう(メンタリティー)はない。何であれ、手元にあるもので音楽を作る。自慢できることがあるとすればそこだ。つまり「僕はどんなものを手にしたって、音楽が作れる」ってこと。ある意味、パンク精神と言おうか、独立精神と言おうか。DIYするっていうのは「教会のオルガンも、24トラックのテープも、Neveのミキサーも、アウトボードも聖歌隊も要らない……」ってことだ。僕には不要なんだ。

リック・ウェイクマンとは違うんだと。

TJ:(笑)。よくわかってるじゃないか! まさにそう。いや、まあ、あの人はあの人だ。だけど僕にはそういう選択肢はまったくなかったし、異なった状況でベストを尽くさねばならなかった。そして次第に、そういうことが僕にとっていちばんいいメンタリティーを造り上げていったんだと思う。断言するけど、それでよかったんだ。なぜなら、外部的なものに頼りきっていると、膨大な予算だとか、大勢のキャストやスタッフだとかに頼るとね、そういうのに支配されるようになる。そして、そこに不安を覚えるんだ。自分の制作プロセスを左右されたくない。他人の気まぐれやら、彼らの考えるいいサウンドだとか、彼らの考える「支払ってもいい妥当な金額」とかにね。そういうくだらないことには一切悩まされたくない。とにかく没頭したいんだよ、わかるだろ? まあ、じつのところ、性格的に僕は浪費できないんだろうけど。
 困ってしまうのは、テクノロジー系の雑誌なんかと(インタヴューを)やるときだね。彼らにとってはそれが全てなんだ。完全に業界に縛られていて、「新しい機材=新しい音楽」という図式なんだ。必ずしもそういうわけじゃないだろうって。そんなことはない。陳腐なやり方を当てはめてしまったら、そこから生まれてくるのは、クソみたいに無意味で、味気なく、つまらない音楽だ。反対に、こういうやり方も……いや、リック・ウェイクマンの冗談はさておき、メシアンのような作曲家(のやり方)を見習える。実に幅広く、とてつもなく面白い、刺激にあふれたオルガンのための作品を彼は生み出した。オルガンは何世紀も前の楽器だけど、彼が手にすると突然に、前代未聞のサウンドを奏で出す。僕に言わせれば「新しい機材、新しい音楽」の間には抜け落ちているものがたくさんある。それはもう……そりゃそうだ。新しい機材は音色が違うのはわかる。多少はね。(眉をよせる)だけど、そんなことじゃ僕は興奮しない。そういうことに意欲をかき立てられはしないんだ。

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interview with Squarepusher

by James Hadfield

When he enrolled as a student of Fine Art at London’s Chelsea College of Art and Design, Tom Jenkinson took out the largest student loan he could get and blew the whole thing on second-hand gear. His £1,400 cheque was enough to buy a used Akai S950 sampler, two drum machines, a mixer and a DAT recorder, which played integral roles in the music collected on his 1996 debut album as Squarepusher, “Feed Me Weird Things.” At the time, Jenkinson seemed to be part of a wave of musicians who were taking the language of rave music and twisting it to weirder ends, putting him in the company of the likes of Luke Vibert, μ-Ziq — and, of course, Aphex Twin. The way he pushed breakbeats to insane speeds or turned them into silly putty was typical of what would soon be known as drill’n’bass, but his music was distinguished by its prominent use of electric bass, which he played with a virtuoso flair that made Jaco Pastorius comparisons inevitable.

Appearing at an experimental electronic night at a North London pub in 1995, Jenkinson had the good fortune to catch the ears of Aphex Twin himself, Richard D. James, who would go on to release “Feed Me Weird Things” on his Rephlex label. James chose the track selection and wrote the album’s ecstatic liner notes (sample line: “When Mr. Jenkinson is conducting, the rest of the world is in the pit”). The following year, Squarepusher released his first album on Warp Records, “Hard Normal Daddy,” whose blend of frenetic drum programming, jazz-fusion excess and twisted humour led some enterprising wags to dub him the Frank Zappa of jungle. But its 1998 follow-up, “Music Is Rotted One Note,” pulled a volte-face – the first of many – by swapping the sequencers for analogue instruments and a sound rooted in musique concrète and electric-era Miles Davis.

For all the variety of Jenkinson’s subsequent work – from landmark Warp releases such as 2001’s “Go Plastic,” to albums for solo bass (“Electric Solo Bass 1”), organ (“All Night Chroma,” with James McVinnie) or androids (“Music for Robots,” with Z-Robots) – he’s maintained a distinctive voice throughout. And on “Feed Me Weird Things,” that voice was already fully formed. The album’s 25th anniversary reissue comes with new liner notes by the man himself, offering geeky breakdowns of each track in a “Sound & Recording”-style tone that stands in contrast with the often rudimentary techniques he’s describing. “Feed Me Weird Things” may sound like quintessential Warp-style IDM now, but it was also rooted in a DIY approach that owes as much to the 1980s indie scene.

On last year’s “Be Up A Hello,” Jenkinson dusted off some of the equipment he’d used during the early days of his career, delivering a set of twisted acid ravers that was among the most enjoyable things he’s done. Speaking via Zoom, he barely mentions the “Feed Me Weird Things” reissue, but is happy to talk at length about his teenage years, his relationship with the bass, and how those formative constraints have continued to inform his approach.

How has the past year been for you?

TJ:It’s been, I suppose, novel in ways. One of the first things, for me, was just the terror of it all, which then became mixed with a sense of some sort of relief. I moved from a situation where it was looking like I would be on the road all year, to one where, more or less, everything was basically cancelled. And I’ve got to be honest with you: if I’m left to my own devices, that’s the perfect situation. I mean, the adult world just more-or-less ground to a halt. There were no conversations regarding further projects or anything, because nobody knew what was happening. It quite quickly gave way to a really lovely creative period.

Oh, nice!

TJ:Yeah, and it was, in a sense – and I don’t mean this in any way to trivialise the horror of what’s been happening over the last year – but it was kind of like a second childhood, you know? It was suddenly like, there I was, working away on my stuff, and the adult world, in inverted commas, just receded to such a distance where there was no longer a sense of it having any real relation to what I was doing. I’m pretty keen on preserving that state anyway. In normal times, it’s more of a deliberate attempt to kind of push it to a safe distance, but in the case of the pandemic, it did it of its own accord.

Have you found yourself gravitating in any particular direction over the past year or so, in terms of what you’re working with, or what you’re trying to create?

TJ:Just following on from “Be Up A Hello,” in a general sense. And I’ll be completely frank with you: I think it’s very much part-and-parcel with the sense of the adult world receding to such a distance, where it was just no longer really a feature of my day-to-day life or thinking or conversations, that I correspondingly just kind of went back into this [state of] “Ah, let’s just mess about!” You know, there’s no big thing to do here, there’s no big project. Let's just play around, you know? To an extent, that was already what was underpinning “Be Up A Hello,” because that itself was precipitated by a couple of life events that were quite severe, and it just led me to kind of have a restart, and just go back to first principles. Fun stuff.

Have there been times in the past where what you were doing really didn't feel fun?

TJ:(Laughs) That’s a good question. No, I admire that. Because, yeah, let’s face it: it would be ludicrous to expect that across... I mean, it’s 26 years of what you might call a “career,” and actually much longer than that if you count all of the lead-up when I was a kid. Certainly, very early on, before career days, fun was what drove it. That was what got me running home from school and wanting to pick a guitar up: it was the sense of enjoyment. It didn’t feel vocational – it didn’t feel aspirational, even. I didn’t start, even, with the idea of being any good, it was just like: “I love this thing, and I love the sounds it makes” – a very, very elemental approach to it. Of course, things developed from there, and I would hasten to add that it is always something I’ve got my eye on, to retain as much of that as I can. I mean, at 46, you can’t expect to have the mentality of a 10-year-old boy.

(Laughs) Sure...

TJ:But I’ll be honest: I will try and preserve as much of it as I can, because for me, that is the root of it all. It’s the lifeblood. Put it like this: I would have a rule where, if I’m playing an instrument and it’s just not working – I’m not enjoying it – it’s like, “You know what? I just have to walk away.” Because you end up hearing it: you hear the struggle, and you hear the resentment, or the boredom, and it translates. The peculiar thing is, once in a while, you'll be sitting there hating it, and you think: “I’ve just got to get through this. I hate it, I’m going to delete it, but I need to get to the end…" And then the next day, you listen to it and think: “Wow. That’s pretty good, actually.” (Laughs) But in general, yeah, I’m not one for sitting there suffering. It’s just not the basis of it, for me. It really isn’t.

I always say this in interviews, because it’s so true: the enthusiasm is the root of it, and everything stems from there – and I feel like sitting there, slogging away and just grinding yourself into the ground, is just killing that. And it doesn’t kill it just that day: it kills it, potentially, for days and weeks. Programming is the side, perhaps… I was actually doing something yesterday, and I just walked away, because it was like: this is a chore. One day, I hope I will have an assistant. Not to palm off, but I think some of these things would be perhaps more pleasurable done in collaboration. But that would be changing the habit of a lifetime. We’ll see.

But you have worked with people at some points, right? You had the band [Shobaleader One]...

TJ:Yes, absolutely.

...and you had the period [circa 2008’s “Just A Souvenir”] when you were playing with that drummer, the Bolt Thrower guy.

TJ:Alex Thomas. Yeah, yeah. No, and those have been great times, but I’ve never had a technical or an engineering collaborator, really. I guess, if a collaboration is to happen, [playing with other musicians is] what comes most naturally to me, because then I’m referring back to teenage years, when a lot of my musical activity was playing in bands. That was the principle thing I was doing in those days, so it’s just re-energising a strain of my work that was always kind of there anyway.

Sure, sure. So when you were playing as a teenager, the way that you gravitated towards bass: was that because they needed a bassist in the band, or was it really like the instrument itself was drawing you in?

TJ:The instrument came first, and then I got into playing with bands, but it was the instrument that started it. Actually, I didn’t start on bass. The received wisdom at the time was that any branch of the guitar family that you eventually want to pursue, you’re best starting with classical acoustic guitar. And, you know, I was 11: I didn’t really have the grounds or the knowledge to argue with anyone – and also not the money. Even a cheap electric guitar was a different kind of commitment. I got my first classical acoustic for 15 quid, and of course, it was not a great instrument in any way, but it served to open the door.

But I was always being pulled along by, not just bass, but the electric instrument world. That was what fascinated me, is the sort of timbre, the amplitude, and the drive that seemed to me synonymous with those instruments. I didn’t even know what bass was. And, certainly when your ear is not trained to listen to it, it’s not always an instrument you can really pick out, so that intrigued me. It’s like, “What does this thing do? What is its register, and what are its possibilities?” And there were moments where it was clear. Thinking back, like on Paul Simon’s album, “Graceland,” which was a massive album – it was actually illegal not to know it, somehow, it was just so ubiquitous – there was that single with this amazing, amazing bass player [Bakithi Kumalo]…

“Call Me Al,” right?

TJ:Yeah, exactly, “You Can Call Me Al.” So it’s got these two bars of, basically, bass shred in the middle of this pop song. It’s like: “What’s that!?! That sound is COOL!” It’s got this kind of percussion thing, but it’s also melodic. It just captivated me: that register, doing something interesting. Still, I think, to this day, my music is kind of flipping that top, melodically oriented approach that you’ll hear across classical, across pop, across jazz, whatever – where the top is kind of where the business happens, and the lower registers are the foundation. I’m fascinated by activity in the low registers, and quite a lot of the time, the upper registers are more placid, in my stuff. Somehow, it just suits my temperament. But anyway... so the bass is the thing that pulled me in.

There were other things – like, for example, the Hendrix performance at Monterey [1967 Monterey International Pop Festival]. I had a video tape of a bit of that, and it really entranced me. This moment where he sets the guitar on fire: it’s such a limitlessly interpretable thing. I mean, it’s kind of funny, I guess, and perhaps a gimmick, but for me, I still think back to it and it makes the hairs on my neck stand up. It’s the central symbol of rock, and here it was, being smashed to pieces and set on fire – and the fascinating thing being the sound it was making at the time. It’s an endlessly fascinating thing, of what an instrument does when you mistreat it. I didn’t have the finances – or the petrol – to do that to my guitars when I was a kid. (Laughs)

Anyway, whilst Hendrix is doing this, Noel Redding kind of takes the lead, and he turns up the tone control on his bass, and suddenly it’s really clanging away in the background. It’s really exciting. So again, that was another thing that pulled me in. I thought: “Oh, bass can sound really hard and aggressive as well.” So that was it: I was sold. And then the next opportunity came around, I saw one in the local paper for 70 pounds, complete with amplifier, so I jumped in.

When it came time for you to start working on Squarepusher stuff, was there ever any question in your mind about whether or not you should incorporate the bass into it, or was that just kind of like a natural thing for you from the start?

TJ:Well, yeah, because what became Squarepusher is just an outgrowth of what I was doing as a kid anyway – i.e. just laying my hands on whatever instrument I had, or what I could borrow. Even up to the days of “Feed Me Weird Things” and beyond. I’ve been reminded of this recently, because I’ve been, in some interviews, talking about the technical side of that record, and actually it’s like a third of the equipment on this record is borrowed. (Laughs) It’s funny. That’s basically how it was: “Oh, can I borrow your guitar amp? Can I borrow your drum machine? I just want to try this thing…" So that was the story all the way through. I’ve borrowed guitar pedals, and – not to my credit, but – I’ve still not given them back. (Laughs) And I’m still using them on “Be Up A Hello,” so there’s some justification, even if it’s fundamentally wrong.

I remember, I made a snare drum out of a biscuit tin, but filled it with drawing pins, and then I made a skin on the top of the tin from criss-cross insulation tape. I didn’t know what, really, the elements of a drum kit were, in those days. “There’s a sound – typically on the second and the fourth beat – that’s kind of got this fizz, it’s like ‘pssh, pssh.’ What’s that? It’s like a drum, but... how do you make a fizzy drum?” And so, I was like, “Well, I don’t know, put drawing pins in a biscuit tin, and then a thing on top, so you can hit it?” And it was OK! It sort of worked. It was just very, very primitive early on, when there was zero budget, and really not much other than a cheap guitar, but that’s just kind of the mentality.

I’ve got no specific interest in labouring this point in itself, but I do think it’s interesting if you compare that to the situation that an aspiring musician would be in now – which I think is better, frankly – where if you’ve just got a laptop, you’ve got access to basically an endless array of sound-making tools. It’s a fantastic situation to be in. And it’s only looking back to those years – it’s not even 40 years ago – and it was very, radically different.

But going back to your question: the bass was just one of the things that I had to have. In those days, I didn’t have an electric guitar, so I didn’t have that scope to explore the upper registers of an electric instrument, but I would kind of, “Well, let’s go right up the top of the neck of the bass, just to try and make it sound like a guitar” – and of course, it doesn’t quite sound like a guitar, but it does something else, which is quite interesting. That led me to explore chords, and polyphonic stuff, and different right-hand techniques, which eventually led me to do stuff like the solo bass record that was released in 2009 [“Solo Electric Bass 1”]. So it was just really an outgrowth of that sort of jumble sale attitude and aspect of how things were being done.

A little bit later, parallel to playing in bands, my friends and I would put on parties locally – you know, the local YMCA, or the local football club was a good place. We did a lot of parties down there. We’d just fill it with dry ice, and play whatever the latest rave records were that we had at the time. I started taking my bass along, just to jam along top, to bring some different aspects to it. Whoever was on the decks might be playing breakbeat records and mixing those up, and I’d just jam along the top. It was really not a big jump from that to Squarepusher. That’s kind of the elements of it, set right there.

Thinking back to when you first came on the scene, I’m not sure if there were really many people who were trying to do dance-rooted electronic music with live instrumentation in that way. You were really kind of out there on your own, weren't you?

TJ:Yeah... it was instructive, because I backed away from that world fairly quickly afterwards, but it seemed to me – at least among certain British critics – that [my approach of taking] elements that they perceived as coming from jazz and from fusion jazz, and mixing it with dance music, was kind of like, “What are you doing?” That’s kind of… probably either pretentious, or for comedy’s sake. And whilst I don’t deny that there is obtuse humour – amongst other things – in my work, fundamentally, that instrument wasn’t there just to kind of make a parody, or make fun of itself. I think that response – and it wasn’t, of course, the only response at all – was partly because of what you said: it wasn’t really happening.

But that novel aspect of it did lead, also, to some really great hook-ups. For example, I believe Talvin Singh – as much as he was drawing on different styles, different musical traditions – was perhaps doing something analogous with his tabla playing, and he was an extraordinary player. I got to meet him, just through randomly being at the same gig, but we immediately clicked because of that common approach. There were references to the dance music of the time, and of recent times, but also trying to find the the sweet spot of where a live instrument might connect with those things, and how one informs the other – because that’s, in the end, the beauty of it. And I think now we can see really tangible results of this, especially in a lot of modern drummers, where they now very, very clearly have taken away some of the... I’m not saying this to blow my own trumpet or anything – it’s not just me, of course – but you can see that they’ve taken something from the kinds of things that, for example, Talvin and myself, and other people, were exploring. And that has now kind of fed back in the reverse direction, which I think is a wonderful thing.

That feedback process was kind of happening internally as well for me. Going back to earlier teenage days briefly again: I would get a rave record, or something with a really fat bass line of some sort, like an acid track or something. Quite often, you’d find on those records – and I believe it might relate to the fact that those [producers] didn’t always have training on conventional instruments – that the note intervals are really psychedelic. It’s like a completely screwed-up scale. If you were to try to derive a scale from it, it would be quite a weird, like, two-octave scale, or maybe something that doesn't repeat. So trying to play those things would take your hand away from those “tramlines” that inevitably you kind of internalise, because so much music is in those particular modes, whatever it is, scales. They’re so prevalent, and you can't help [it]… you must know them, but they also produce their own sort of restrictions.

So trying to just play something like “Slam” by DJ Pierre [as Phuture], or “Box Energy” by DJ Pierre – I remember trying to work that out, and it’s like, “This is so fucking weird!” But in the end, when you’re playing, it’s like, “This is... it’s totally future.” And it’s really instructive, and it really can inform your playing in a very sort of lateral way. There’s so much received wisdom about how to play instruments, and so much fluff about, “Oh, it’s what the greats did, so if you want to be great, you've got to do what they did…" Actually, I think looking beyond that, and looking away from “greats," and looking just to sounds – not just from records that are nothing to do with that virtuosic tradition, but even beyond that entirely, to kind of environmental sounds – there’s as much, if not more, inspiration to be derived from that.

It’s been interesting looking back at your career, how there’s been this kind of push and pull between some albums which were very much focused on the live element, and then others which were much more kind of happening within the box.

TJ:Yeah, absolutely.

Even when you weren’t incorporating instrumentation, and doing stuff purely on computer, presumably the bass was still present in your life, just as something that you’d be playing anyway?

TJ:Yeah... of course, the amount of time devoted to just practice, it does vary. It varies for me. I’m sure someone who’s truly internalised professional attitudes probably has a rigorous approach to this stuff. I don’t: I just play when I wanna play. But in the end, there’s always kind of a bare minimum, beyond which you start to lose the stamina. But the other thing is... I’m speaking about the tramlines of structures and the scales and so on. I believe the way I relate to it – I’m sure many other people do as well – is that it’s not just that your fingers know where to go: they know where to go because there’s a mental map of the whole thing. So when you’re playing, you’re not telling your finger to go there, it’s just a picture in your mind, and you’re following the picture, following a different pathway around this kind of structural network. And that’s there, whether you’ve got the guitar in your hand or not.

Right.

TJ:So, quite often, if I’m in a situation – waiting for a train or whatever it is – where you’re basically obliged to be somewhere but there’s nothing you can really do, I will quite often entertain myself by playing things, but just playing in my head. It’s basically the same thing: it's just without the instrument, but the sounds are still there, and the structure that I’m navigating is identical. That, of course, I think will also be present working on computer-based stuff, so the information will be sort of filtered through this structure. You might be able to pick it up: there are elements, for example, on “Damogen Furies,” where the melodies are very much the kind of thing I would play if I just picked up a guitar.

Ah, okay.

TJ:This is what fascinates me, and sort of scares me about instruments. It’s not like as simple as you use the technology: the technology uses you. It sets up precedents, it sets up patterns, it sets up tendencies. Every instrument I use does do that, so there’s also parallel structures or networks that correspond to synthesisers, keyboards, drums – other instruments that I’ve got strong familiarity with, there are these analogous kind of cerebral representations of them. But they do act, also, as filters, which is why I’m always trying to fight against them. They’re not necessarily filtering: you can always think beyond them if you make enough effort. That’s why I’m talking about “tramlines.” It’s not that you have to follow them, but if you don’t make a specific effort not to, the path of least resistance is to follow in those established networks and paths, and that really, in the end, will be established by whatever you use.

So you haven’t been tempted to do an Ornette Coleman and start playing violin or something like that, just to completely pull yourself out of your routines?

TJ:I can’t actually name an activity I’ve done, certainly in very recent times, where that has happened, I admit. No, but I admire that mentality. I think it’s really essential, from time to time, to do this. Absolutely. Speaking of violin... Of course, there are similarities between that and a guitar, but the principle difference, I think – at least for me, when I pick up a violin family instrument – is that the strings are tuned in fifths, and on a guitar it’s tuned in fourths. So you can’t just apply those same structures I was talking about: it’s all shifted out of place into a new pattern. And so one of the ways that I try to interrupt that, and get to something like how it might be if I picked up a violin, is just to tune the guitar differently. It’s less radical, but it gets some of the way there. But I think a really radical thing would be for me to pick up, like, a wind instrument, because I’ve never done that. That would blow my mind, trying to do that! I’d love to.

Oh yeah, you mentioned in the liner notes for “Feed Me Weird Things” that when you made “The Swifty,” your bass playing was inspired by saxophonists.

TJ:Yeah, that’s right. Exactly.

But you’ve never gone there?

TJ:No, because fighting against this is a sort of… you might call it laziness. It’s this slightly ingrained tendency I have to make the best of what I have to hand in my immediate environment. My mentality, for better or for worse – as I said earlier – is born of this situation, where I had virtually no musical degrees of freedom around me. I would have, like, an acoustic guitar and a tape player, a couple of pedals – and then later, perhaps, a keyboard of some kind, whatever – but this very limited range of stuff, and I was trying to acquire things but had to accept the limits. And I think this has kind of set my attitude, in a sense. Look, I can indulge, go to a music shop, get something great and then [say], "Hey, look, I've got a new thing!” And of course, once in a while, that will happen: when I switched from 4-string to 6-string bass, it was a big step. “Why not? Let’s try this. Why not indulge?” Just temperamentally – and very strongly informed by that background – I don’t have that “making music with my wallet” [mentality]. I make music with whatever I have to hand. If I take any pride in any of it, I take pride in that. It’s like: “I can just pick that up, and I can make music.” Something of it is the spirit of punk, some of that independence of mine: the DIY thing, the thing of, like, “I don’t need a church organ, a 24-track tape, and a Neve mixer and a stack of outboard and a choir…" I don’t need that.

You're not Rick Wakeman.

TJ:(Laughs) You know where I’m going! Exactly. I mean, whatever: he did his thing. But for me, that option was never there, and I’ve had to make the best of a different situation, and over time, I believe this is kind of cultivating the mentality that I think is best. I will say that: I think it’s better. Because I think relying on all this external stuff – relying on massive budgets, relying on a huge cast of staff – it just puts you at their mercy, and there’s something about that which alarms me. I don’t want my process to be vulnerable to other people’s whims, to their ideas about what sounds good, what their idea is about the amount of money it’s worth spending on it. I don’t want to think about any of that crap: I just want to get on with it, you know? But I think the flip of that is that I’m just not temperamentally inclined to indulge.

I get into trouble, because when you’re doing [interviews with] tech magazines, it’s like their whole thing – they are completely entwined with that industry, and the paradigm that “new instrument = new music.” It’s like: not necessarily. I don’t believe so. You can apply the same tired old habits to it, and in the end it produces more fucking irrelevant, flat, inconsequential music. Conversely, you can go to... well, joking about Rick Wakeman aside, you can [do what] a composer like Messiaen did, in a very broad and absolutely fascinating, inspiring body of work that he made for the organ – which was a centuries-old instrument, but suddenly, under his control, making sounds that were, to my mind, unprecedented. For me, there’s so much slippage between “new instrument, new music” that it’s... Yeah, okay. I get that a new instrument sounds different – a bit. (Frowns) That doesn’t fire me up, you know. It’s not the thing that gets me going.

interview with Telex - ele-king

ベルギーはヨーロッパの中央に位置する国だし、だから誰もがベルギーを襲ってきた。ローマ人の昔から、ドイツ人、フランス人、スペイン人等々。それくらい行き来が盛んだと、ユーモアの感覚を持たずにはやっていられない。それがないと、死ぬか、裏切り者になるしかないから(苦笑)。


Telex
this is telex

Mute/トラフィック

Synthe-PopTechno

 テクノ四天王などとは言いたくはない。テレックスは仏教徒ではないのだから。しかしテレックスは、クラフトワーク、ジョルジオ・モロダー、YMOらと並ぶ、70年代テクノの始祖たちの重要な一角を占めていることは間違いない。それにしても、テクノにおいてドイツ、イタリア、日本、そしてベルギーというポップの主流たる英米以外の国において突出した個が出現したというのは、一考にあたいする興味ぶかい事実だ。

 とまれテレックスは、その70年代テクノ・ビッグ・フォーのなかでは、わりかしマニアックなポジションに甘んじていた感があった。つまり知る人ぞ知るというヤツだ。そこで、CANの再評価を促した〈ミュート〉の総帥ダニエル・ミラーが、2021年からはブリュッセル生まれの伝説のテクノ・ユニットのリイシューに着手した。で、まずは挨拶状として、『This Is Telex』が4月30日にリリースされる。テレックスの全カタログから選曲されたベスト盤的な内容で、未発表も2曲ある。

 テレックスは、すでに音楽家としてのキャリアのあった3人のベルギー人によって結成されている(そこはYMOと同じだ)。たとえば、その言い出しっぺであるマルク・ムーランなる人物は2008年に他界してしまったが、彼はテレックス以前にはプラシーボなるジャズ・バンドの中心メンバーで、エレクトリック・マイルスへのベルギーからのアンサーとしていまだに再評価が続いたりする。そんな事情もあって、じつはテレックスはレアグルーヴ方面からの注目もあったりするのだ。

 とにかく我々は、ユーモアと実験、ポップへのこだわりをもって挑んだブリュッセルのテクノの始祖たちに話を訊くことにした。ありがたいことに、取材はダン・ラックスマン&ミッシェル・ムアースの2人が同時に受けてくれた。長いインタヴューだが、これを読んだらあなたはますますテレックスが好きになってしまうだろう。若い世代もこれを機にぜひ、テレックスの愉快なエレクトロニック・ミュージックの世界に触れて欲しい。楽しいってことは素晴らしいことなのだから。

いかにしてテレックスは生まれたのか

我々はちょっとスペシャルなことをやりたかったし、単なる「ポップ・ミュージック」ではなく、そこに別の次元が加わった何かをやりたかったんだと思う。

ミッシェルさん、ダンさん、こんにちは。

ダン・ラックスマン&ミッシェル・ムアース:(それぞれ)こんにちは。

今日はお時間いただきありがとうございます。

ダン&ミッシェル:(共に笑いながら)どういたしまして。

まずは今回の〈ミュート〉との再発プロジェクトについて。どのようにこの企画ははじまり、そしてこれから進展していくのでしょうか?

ミッシェル:ああ、今回の『This is Telex』は予告篇に過ぎないんだ。6枚のアルバムからそれぞれ2曲ずつ選んであり、未発表曲を2曲加えてある。うまくいけば今年じゅう、もしくはその後に、(オリジナル・アルバム)全タイトルを再発する予定だ。それに続いて、たぶんリミックス・アルバムが出るよ。素敵な男の子&女の子たちによるリミックスが(苦笑)。

ダン:(苦笑)

ミッシェル:リミクシーズを出す予定だ。

わかりました。で、日本には昔ながらの熱心なテレックスのファンがたくさんいますが、この取材はあなたたちを知らない若い世代のための取材にしたいなと思います。

ダン&ミッシェル:(共にうなずいている)

まずはテレックスの歴史についてお訊きします。結成は、1978年、ジャズ・バンド、プラシーボ(Placebo)解散後に故マルク・ムーラン(Marc Moulin)さんがおふたりに声をかけてはじまったと聞きますが、大体それで合ってます?

ミッシェル:……っていうか、君はもうわかってるよ。質問しなくて大丈夫!(笑)

ダン:たしかに。アッハッハッハッハッ!

(笑)当初あったコンセプトについてお聞かせください。

ミッシェル:うん。彼は以前に、別のプロジェクトでダンと何度かセッションで仕事したことがあってね。わたしもそのプロジェクトに参加していて、そこでマルクが思いついたのは──ダンは、すでに電子楽器に関するスキルで知られていたし、マルクはポップ・ミュージックを作ってみてはどうだろう? と思いついたんだ。それまで彼はジャズ、わたしは地味なフォーク・ロック~ジャズ的な音楽をプレイしていたからね。大衆に受ける音楽をやっていたのはダンだけだった。

ダン:(笑)

ミッシェル:そんなわけで、マルクは何かポップなものを、欧州大陸発の、ギターを使わない音楽をやりたいと考えたんだ。当時電子音楽は盛り上がりつつあったし、そこで彼はまずダンに声をかけ、彼らふたりはわたしをシンガーとして参加させるのに同意してくれた、と。

ダン:(苦笑)

ミッシェル:(笑)彼らが望めば、他にもっといいシンガーはいただろう。

ダン:アッハッハッハッハッ!

ミッシェル:とはいえ、歌の上手い/下手だけではなく、わたしの物事の考え方や曲の書き方等々が新しかったから、それで参加することになった。

ダン:その通り! でも、もちろんシングル1枚だけ、とは思っていなかったよ。我々はちょっとスペシャルなことをやりたかったし、単なる「ポップ・ミュージック」ではなく、そこに別の次元が加わった何かをやりたかったんだと思う。テレックスをやる前からマルクと仕事したことがあったのは事実だよ、あれはたしか、プラセーボの最後のアルバムのひとつじゃなかったかな? ブリュッセルの大きなスタジオで、わたしはシンセサイザーで協力してね。で、スタジオでの休憩中にマルクから「我々で電子音楽のグループを結成するのはどう思う?」と尋ねられて、ものすごく驚いたし、即座に「もちろん!」と答えて。
 とはいえ、自分たちにはもうひとりのパートナー、兼シンガーにもなってくれる第三の人物が必要なのはわかっていたし、ミッシェル・ムアースはどうかな? という話になった。ミッシェルとは、我々の一緒にやっていたレコーディングのひとつで出会ったばかりだったし、わたしもそれはいい、オーケイ! 試しに彼とやってみようじゃないか、と。
 わたしはあの頃、まあ「ホーム・スタジオ」と呼んでいいくらいの設備を自宅に構えていて、セミプロ級の8トラック・マシンも持っていた。でも、まずはそれで充分だったんだよ、我々がやりたかったのはシンプルなことだったから。8トラック、そして非常にベーシックなエレクトロニック機材、ヴォーカルで事足りるだろう、と。
 というわけで改めて1日一緒に集まることにし、スタジオで「さて、試しに何をやってみよう?」と話し合った。そこで、とても有名なフランス産の大衆ポップ曲、“Twist a St. Tropez”(※Le Chats Sauvages/1961)を取り上げ、それを作り替えてみよう、ということになった。オリジナルの歌詞はキープしつつ……あの歌詞は、非常に、なんと言えばいいのか……

ミッシェル:シュールレアリスティックだった。

ダン:そう、シュールな内容だったし、原曲のテンポをできるだけスローなものに変えてみたところ──突如として曲のトーンも非常に単色で、ヴォーカルもフランジャーがかかったものになり、自分たちも完全に「これはいい」と思えるものになった。というわけで、その日のうちにラフ・ミックスをカセット・テープに録り、たしかその後、翌日か、その2日後くらいだったかな? マルクはたまたま、我々の共通の知り合いと話していたんだ。彼は当時新興の、我々も知っていた〈RKM/Roland Kluger Music〉というレコード会社で働いていた人で、マルクが彼にデモを聴かせたところ「いいね、気に入った。上司(ローラン・クルーガー)に聴かせる」と。それでデモを聴いてもらい、すぐにレコード契約に至った。ところが「やばい、1曲しかない」と気づいて(苦笑)、B面用にもう1回セッションをやることになった。そもそもデモだった“Twist a St. Tropez”にトラックをひとつ付け足しリミックスしたものを作ってB面に入れ、それがテレックスにとってのファースト・シングルになった、と。

ミッシェル:“Twist a St. Tropez”のいいところは、我々が最初に抱えた疑問が「オリジナルを聞き返すべきかどうか?」だった点だね。というのもあの曲、原曲はずいぶん古くて、あの20年くらい前に出たのかな?

ダン:60年代のヒット曲だ。

ミッシェル:10年か20年近く前の古い曲だし、聞き返さずにカヴァーすることにしたんだ。記憶に頼ってカヴァーした、みたいな。

ダン:うん。

ミッシェル:だからこそ原曲の「コピー」にならずに、ほぼ自分たちの言語で作り替えることができたという。

3人がグループをはじめた当初は、シリアスな思いよりも、むしろ実験してみよう、というのに近かったでしょうか? テレックスというグループのヴィジョンは最初からはっきりしていた? それとも続けていくうちにそれが見つかった感じですか?

ミッシェル:そもそもの発想は、自分たちも気に入る、と同時にラジオやクラブでもかかる音楽を作る、というものだったね。けれども、さっき話したようにポピュラー音楽を作っていたのはダンだけだったし、わたしとマルクの音楽はもうちょっと一般には知られないものだった。そうだね、人びとにもっと聴いてもらえるものを作ろう、というのがアイディアとしてあった。

ダン:ああ。それに、我々もスタジオで楽しんだんだよ。たとえば、ファースト・アルバム用のセッションの際も「よし、今日は何をやろう?」「こんな曲にトライしたらどうだ?」という具合で、機材のスウィッチを入れてね。“Twist a St. Tropez”だと、まずあの曲のシークエンスからスタートして、例の(同曲のリフ・メロを歌う)♪ダダダ・ディ・ダダダダ……と弾いてみた。非常にシンプルなメロディだし、では続いてテンポに取り組もう、と。もちろん当時コンピュータはなかったし、テンポにしてもボタンをマニュアルで操作してスピードを落とす/上げるしかなくてね。で、テンポをどんどん落としていき、いいじゃないか、これでよし、というところまで遅くしていった。1曲目はそんな具合で、メインのシンセ・メロに続いて他のトラックをひとつずつレコーディングし、ヴォーカルを録り、ミックス。次は何をやろう? じゃあ、パリからモスクワに向かう列車についての曲はどうかな、ディスコなパートのある曲を? と。いいアイディアだ、やろうということになったし、さて、列車か。じゃあ、それを蒸気機関車だと想像してみて、ハイハットを通常のサウンドではなく、♪チチチチチチッ……という響きにして蒸気に見立てよう、と(編註:テレックスの大ヒット曲“Moskow Diskow”のこと。曲の冒頭ではポッポーという機関車の音が入っている)。そんな具合で、我々は本当にひとつひとつ作っていったし、かつそれを楽しんでいた。それに尽きる。

ミッシェル:アルバムを作ったとき、マルクはいろいろ考えていたと思う。

ダン:ああ、もちろん。単にマシンでやっただけではない。

ミッシェル:わたしにしても、いくつかデモを作ってきたし、あの頃はギターで作ったね。

ダン:もちろん、うんうん。

ミッシェル:だから、何もロマンチックなおとぎ話のように、「マシンに電源を入れたら、すぐに何もかも出来上がり」なわけではなかった。歌詞にしても、ちゃんと書いたしね。

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シンセサイザーの発見

“Twist a St. Tropez”のいいところは、我々が最初に抱えた疑問が「オリジナルを聞き返すべきかどうか?」だった点だね。

ダンさんは、70年代の早い時期からモーグを演奏されていますよね。

ダン:その通り。

テレックスの前にも『Disco Machine』というアルバムをThe Electronic System名義で発表したりしていますが、そもそもどうして電子楽器、シンセサイザー等に興味をもたれたのですか?

ダン:フム、それはたぶん、わたしは……音楽は多少勉強したけれども、キーボード奏者としてはあまり腕がよくなかったんだ。ミスも多かったし、楽譜もちゃんと読めなくて。で、マシンが登場したとき、わたしはまだ若いスタジオ技師だったけれども、新たなサウンドを出せるマシンに対して即座に興味が湧いてね。その点は自分にもすぐわかったし、実際、当時一般市場に出回った最初のシンセの一台をなんとか購入することもできた。モーグではなく、EMS VCS3というマシンだった。スタジオに置いてあったら、実物を君に見せてあげることもできるんだが……いまでも作動しているよ。でまあ、たまたまマシンを入手することができて、あれは1972年だったかな? 71年か72年のことだったと思う。ポピュラー音楽界にも突如として“Popcorn”(ホット・バター/1972)や“Switched on Bach”(ウェンディ・カーロス/1968)といったヒットが登場し出し、人びとも突然、シンセサイザーを発見しはじめた。
 で、そんな自分もスタジオにシンセサイザーを一台持っていたし、シンセをレコードで使いたがっている人びとのためにマシンをプログラムすることができるな、と思った。そんな風にして始まったんだ。みんなに「シンセを持っているから、エレクトロニック・サウンドを使いたかったら言ってくれ」と声をかけたし、おかげでそれがメインの仕事になっていった。
 フリーのエンジニアとしても働いていたものの、シンセサイザーのプログラマーとしての仕事の比重がどんどん大きくなっていって。そのうちにチャンスが訪れ、ソロとして最初のアルバムを作ることになった。“Coconut”というヒット曲を出してね。あれは世界各国で売れたし、日本でもヒットしたはずだ。スペインでは1位になったと記憶している。その成功で得た収入で、税金を払う代わりに、わたしは大型のモジュラー・シンセサイザーを買ったんだ。あのおかげで大きなモジュラー機材に投資することができた、と。あれがきっかけになって、ヴォコーダー等々、いろんな機材を買っていった。
 で、さっき君も言ったように、The Electronic Systemの最後のアルバムが『Disco Machine』で、あの作品でわたしはシーケンサーで実験していたんだ。まだ機材としてはプロトタイプの段階だったけれども、シーケンサーを使ってインスト・アルバムを作ろうと思った。だからたぶん、そうした何もかもがテレックスのはじまりを準備していたんだろうね。マルクにはそこがわかっていたんだと思う。彼とわたしは、我々がミッシェルと出会う以前に、わたしの狭いスタジオでアルバムを3枚レコーディングしたことがあったから。
というわけで、すべての要素はすでにあった、という。だからなんだよ、さっき「マシンに電源を入れたら、我々の準備はオッケー、レッツゴー」みたいに話したのは。というわけで……これが質問の答えになっているかどうかわからないけれども、うん、電子音楽機器には最初から興味があったよ。

ミッシェルさんは作曲家であり、デザイナーでもありますが、テレックスではどんな役目を負っていたのでしょうか? 作曲がメイン? それともヴィジュアルやコンセプト面を主に担当していたのでしょうか?

ミッシェル:いや、コンセプトは3人で考えたもの。でも、コンセプト面は主にマルクの範囲だったね。わたしはあの当時、建築家だったんだ。だから、音楽をやりつつ、建築仕事も掛け持ちしていた。ベルギーの都市計画等々のね。あの頃、ベルギーは新たな都市を作ろうとしていたんだよ。

■そうだったんですね。

ミッシェル:あれはたぶん、ベルギーで作られた唯一の「ニュー・シティ」だったんだろうな、というのも、この国はとても小さいし。

(笑)

ミッシェル:まあ、それはさておき──テレックスでのわたしの役割は作曲で、主に歌詞を担当した。それに、うん、レコード・スリーヴも何枚か手がけたな。写真家でもあるんだ。建築写真は結構撮ってきたし、音楽も作ったことがあるし、掃除も得意だ。

(笑)

ミッシェル:(笑)でも、テレックスでは主に、作曲面だったね。歌詞をメインで担当していたし、でも、何もかもをわたしひとりで書いたわけではない。

ヴィジュアル面やコンセプト的なところはいかがですか? すごく印象的ですし、たとえば『Neurovision』他で、エヴァ・ミューレン(Ever Meulen)のイラストを使っています。

ミッシェル:うん。

あなたたちにとって、ヴィジュアル面も、音楽と同じくらいに重要だったのでしょうか?

ミッシェル:というか、実は我々は、テレックスというグループとして、自分たちの顔を表に出したくなかったんだ。となったら一番いいのは、(本人たちの写真ではなく)ドローイングに代弁してもらう、ということで。実際、最初のうち、“Twist a St. Tropez”の頃はマスクをかぶっていた(※同曲のヴィデオでは、メンバーはゴーグルをかぶっていて顔が見えない)。でも、結局マスクは外さざるを得なくなってね、ドイツにテロリストがいたし、レコード会社から「テロリストのように、素性を出さずに顔を隠すのはまずい」と言われて。

(笑)

ミッシェル:(笑)だからなんだ、我々が正体を現すことになったのは。それにあの当時は、音楽業界側にもそういう思考を受け入れる準備が整っていなかった。いまだったら、ダフト・パンクがいるけれども。

たしかに。

ミッシェル:ただ、我々にとっては、音楽そのものの方が自分たち自身より重要だった。それに、ベルギーは国としてとても小さいから、常に副業を持っていないと音楽だけではやっていけなかった。ダンはエレクトロニック界でいろいろやっていたし、マルクもラジオの仕事をやっていた。

ベルギー人にユーモアは不可欠だ

たぶん……ユーモアはベルギー特有のものだろうけれども、それに加えて、我々がブリュッセルに住んでいるというのもあったと思う(苦笑)。というのも、典型的なブリュッセル人には、やや懐疑的なところがあってね。


Telex
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Mute/トラフィック

Synthe-PopTechno

クラフトワークやジョルジオ・モロダーからの影響があったのはわかるのですが、テレックスは彼らよりも遊び心とウィット、ユーモアがあったと思います。ユーモアについてのコンセプトもテレックス結成当初に話されていたと思うのですが、1997年にベスト盤『I Don't Like Remixes』を出したときも、2006年に『How Do You Dance?』で復活したときもテレックスは最後までユーモアを貫きましたよね。なぜそこまでユーモア、笑い、ギャグに強いこだわりを持っていたのでしょうか?

ミッシェル:思うに、それは……我々は、ここ(ベルギー)は、漫画に囲まれているわけでさ。エルジェの『タンタンの冒険』をはじめとしてね。それがどこから発しているかと言えば、ベルギーはヨーロッパの中央に位置する国だし、だから誰もがベルギーを襲ってきた。ローマ人の昔から、ドイツ人、フランス人、スペイン人等々。それくらい行き来が盛んだと、ユーモアの感覚を持たずにはやっていられない。それがないと、死ぬか、裏切り者になるしかないから(苦笑)。だから、我々のユーモア感覚はそこから来たんじゃないかとわたしは思う。それにもちろん、漫画文化もある。こっちでは“la ligne claire”と呼ぶんだけど……英語ではなんて言えばいいかな、『タンタン』がいい例だけれども。

ああ、「clean line」のことですね(※筆致の強弱がなく、陰影もつけない、平坦な画風のドローイング。日本大正時代のジャポニズム版画からも影響を受けたとされる簡潔な輪郭線と色彩の画法で、フランス/ベルギー圏のバンド・デシネに用いられた)。

ミッシェル:そう。で、我々の音楽も最初のうちはそんな感じだったんだ。それに──ユーモアの感覚もたまにある、っていうのはいいことなんだよ。音楽がおふざけになるのはよくあることだけれども、音楽でユーモアを醸すのは楽ではないから。

だと思います。たとえば映画にしても、真面目で重い映画だと誰もが「これは重要な作品だ」と言いますが、ユーモラスなコメディ映画だと、どんなによく作られた作品であっても軽んじられがちですし。

ミッシェル:そう。悲しいものを作るのがアートだ、と思われているからね。

ユーモアは、実はすごく難しいアートだと思います。

ダン:それもあったし、たぶん……ユーモアはベルギー特有のものだろうけれども、それに加えて、我々がブリュッセルに住んでいるというのもあったと思う(苦笑)。というのも、典型的なブリュッセル人には、やや懐疑的なところがあってね。たとえばブリュッセル人は、「ああ、もちろん!(yes, of course!)」と言いたい場面でも、ストレートにそう言わずに「いや、たぶんそうじゃないの?(no, maybe?)」と答えるんだよ。

(笑)

ダン:だから、いまミッシェルの言ったことに加えて、そこもあったんじゃないかと思うよ、我々がこう……やや「距離」を置いた音楽を作ったのは。音楽そのものは真面目に作っていたけれども、と同時に、そこに若干の距離も置いていた。要はロックンロールっぽいものだったわけで、そんなに「生真面目に」シリアスになることはないだろう、と。

(笑)。しかし、ただでさえ70年代末の当時は、まだエレクトロニック・ミュージックはシリアスに捉えられていなかった時代でしたよね。そんななかで、テレックスはさらにふざけていたように見えたから、ますますその作品がシリアスに評価されることはなかったというような話をムーランさんがされています。テレックスはリアルタイムではさほど評価されず、そこにフラストレーションを感じたことは?

ミッシェル:いいや……。

ダン:ノー、それはないなぁ。

ミッシェル:そこまで(評価は)悪くなかったし(苦笑)。もしかしたら唯一、ベルギーではそうだったかもしれないよ。というのも、我々のサクセスは国外発だったから。マルクはラジオでDJもやっていたけれど、彼は絶対に、自分のやっている音楽はラジオでかけなかった。だからあれは……

ダン:英語でどう言えばいいかわからないけれども、ベルギーではこういう意味のフレーズがあるんだよ、「生まれた国では誰も予言者になれない(Nobody's a prophet in his own country)」という。

ミッシェル:うん。

ダン:だから、ベルギー国内よりも国外でもっと成功を収めることになる、と。それに、ベルギー人というのはあんまり──フランス語では「chauvin(排外的な、熱狂的な愛国心)」と言うけれども、それほど強く自分自身を誇りに思っていないんだ。非常にchauvinなフランス人とは反対だよね、フランス人は(声色を強めて)「これはフランス産である、だからいいに決まっているではないか!」みたいな感じで。

(笑)

ダン:ところがベルギーでは、フランスのほぼ反対というのかな、(消極的な口調で)「我々はベルギー人です……」という感じだし。とは言っても、実は我々はいろんな面でクオリティは高いんだ。それは、さっきミッシェルも言っていたように、ベルギーはとても小さな国だからであって。たとえば、ベルギーのスタジオの人気が非常に高いのは、とてもいいスタジオだからであって。たぶん、小さな国だし、隣国と競い合う必要もあり、だからどんなスタイルの音楽にも対応できるいいスタジオになっていった結果じゃないかと。というか、それは世界じゅうどこでも同じだろうね。
 それに、ベルギー人というのは、たしかにユーモア感覚もあるけれども、他国と較べるととても自意識が強いところもあって。これはまあ……非常に大雑把な話だけれども、わたしはたまに、人びとが「自分はすごいことをやった!」と自慢して触れ回っているのを見て驚かされる。というのも、実際はそんなに大したことじゃないんだから。いやまあ、たしかにその人間はいい仕事をしたのかもしれないよ? けれども、別に奇跡的にすごい、というほどのことではないわけで──

ミッシェル:──我々は謙遜しがちなんだ。

ダン:そう、その通り。

ミッシェル:でも、ダンの言う通りだよ。我々が“Twist a St. Tropez”をリリースしたとき、ラジオでちょっと流れはじめてね。で、その頃行きつけだったカフェで、わたしが音楽をやっていると知っていた人に出くわして、その人は「聴いたかい? この曲(=“Twist a St. Tropez”)、最高じゃないか! でも、これがベルギー産のはずがない」と。

ダン:その通り。

ミッシェル:(苦笑)当時、我々はマスクをかぶっていたし、誰も正体を知らなかったんだよ。はじめのうちは自分たちが誰か明かさなかったし、それは我々3人にはそれぞれ異なるバックグランドがあったし、いろいろと悪口を言われそうだな、と。でも、リアクションは「いや、こりゃ絶対にベルギー産のはずがない!」だったっていう。

ダン:「ベルギー産だってぇ?」と。

(笑)。で、質問を作成した方は、ブリュッセルには90年代に2回(91年と98年)、2005年に1回行ったことがあるんです。古い街並みが美しくて印象に残っていて、91年に行ったときは、メインはアントワープのファッション・シーンの取材だったんですが、レコード店にはレイヴ音楽が溢れておりました。

ダン:うんうん(とうなずいている)。

で、テレックスが始動したころ、ブリュッセルにはあなたがた以外にも刺激的な音楽のシーンはあったのでしょうか?

ダン:……(困り顔で)ハッハッハッハァッ! ミッシェル、憶えてる?

ミッシェル:そうだねえ、ひとり、アルノー(おそらくArno Hintjensのこと)という男性アーティストがいたし──

ダン:たしかに、彼はもういたね。

ミッシェル:それに、わたしも好きだった、デウス(dEUS)というバンドもいて……

ダン:えっ? 彼らは70年代から活動していたっけ??

いやいや、90年代のベルギー・シーンではなく、70年代の話なんですが(※90年代のベルギーの話を枕にしたので、混乱させたようです)。

ミッシェル:ああ、そうか、オーケイ。70年代ね。

ダン:ぶっちゃけ、思い出せないなあ。憶えてる?

ミッシェル:いや、80年代に入ったら、一群のグループがいたよ。主に、イギリスから来た連中で。

ダン:ああ、そうだった。だから、ベルギーの「自国産」という意味では、ビッグなアクトはひとつもいなかったね。人気があったのは女性シンガー、あるいは北フランス出身のグループぐらいで。だからあの当時成功したものといったら、主にフランス発のヒットと、そしてイギリスから来たグループとに分かれていたね。

ミッシェル:でも、その後に〈クレプスキュール〉勢なんかも登場した。

ダン:そうだった。

ミッシェル:でも、彼らはそんなに人気が高かったわけではないし……

ダン:たぶん、我々がスタートした頃と言ったら、プラスティック・ベルトラン(Plastic Bertland)の“Ca Plane Pour Moi”(1977)が大きかったんじゃない?

プラスティック・ベルトランはパンク寄りなノヴェルティ・アクトで、エレクトロニック・ミュージックとはあんまり関係がない印象ですが。

ミッシェル:ああ、音楽的にはそうだね。

ダン:そうかな? でも……

あの頃だと、ボウリング・ボールズ(The Bowling Balls)なんかもいましたよね。

ダン&ミッシェル:ああ、イエス。

彼らも、ジョーク半分なグループだったようですが(※The Bowling Ballsは、漫画に登場する架空のバンドを具現化した、フェイクな企画ものグループ)。

ミッシェル:彼らは、もっと冗談寄りだったと思う。

ダン:たしかに、彼らは非常にジョークっぽかった。だけど、メンバーはいい連中でね。ミッシェルもわたしも知っているけれども、主要メンバーのひとりのフレデリック・ジャナー、彼もわたしの少し後にEMSシンセサイザーを買ったんだよ。彼もエレクトロニック・ミュージックを作りたがっていたからね。それに漫画家でもあったから、彼は常に「音楽をとるべきか、それとも漫画の道を進むべきか?」と悩んでいたね。でも、結局彼はどちらもやることにしたし、そんな彼の音楽作品のひとつがボウリング・ボールズだった。そう言っても、あれは友人仲間が集まってやったものに過ぎないし、実際、アルバムも1枚しか残していない。ただ、やっていて楽しかったし、あれは純粋に……英語だとどう言えばいいのかな、まあ、ジョークとして、お楽しみとしてやったことだったんだろうね。

ミッシェル:でも、彼らには、少なくともいい曲が2曲あったと思う。

ダン:ああたしかに、いい曲だった。それに、君にも見せてあげようか(と、立ち上がってアナログ盤を引っ張り出す)。フレデリック・ジャナー、彼は、わたしのレコードのスリーヴのイラストを描いてくれたんだ(見せてくれたのは、『The Electronic System Vol.2』のジャケット)。

素敵なジャケですね!

ダン:彼と出会ったきっかけは、彼から「VCS3を買うべきか、それともミニ・モーグを買うべきだろうか?」と相談を受けたことでね。で、わたしの答えは、「もしも君が、単にサウンド/音符を出したいだけではなく、ちゃんとエレクトロニック・ミュージックをやりたいのなら、VCS3の方がもっと可能性があるよ」と。で、彼も助言にしたがってVCS3を購入したし、「ありがとう」の意味を込めて、ある日、このイラストをわたしに残してくれてね。こちらとしても、ああ、これは完璧だ!と。ちょうど2枚目のアルバムを出そうとしていたし、これをジャケットに使わせてもらうよ、と。というわけで、この絵はボウリング・ボールズをやっていた、フレデリック・ジャナーの手によるものなんだ。


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『This Is Telex』と今後の展開

『This is Telex』の「これぞテレックス(This is Telex)」というタイトルは、テレックスの何たるかを示すと共に、おそらく、テレックスを知らない若いリスナーも「これがテレックスなんだ」と思ってくれるだろうし。


Telex
this is telex

Mute/トラフィック

Synthe-PopTechno

『This Is Telex』の選曲について教えてください。ダニエル・ミラーが選曲したんですか?

ミッシェル:〈ミュート〉が選曲してくれた。

ダン:うん、〈ミュート〉によるものだ。で、我々も「これはいいアイディアだ」と思ったんだよ、というのも、『This is Telex』は、さっきミッシェルも言ったように一種の予告編であり、いわゆる「ベスト盤」ではないからね。そうは言っても、割りと有名なヒット曲も含まれてはいる。ただ、アルバム6枚からそれぞれ2曲ずつ収録するというアイディア、これは素晴らしい。それに、このアルバムのタイトルだよね。「これぞテレックス(This is Telex)」というタイトルは、テレックスの何たるかを示すと共に、おそらく、テレックスを知らない若いリスナーも「これがテレックスなんだ」と思ってくれるだろうし、各アルバムから2曲、そして未発表曲も2曲含まれていて……

格好のテレックス入門編、イントロダクションだろう、と。

ダン:そうそう、イントロダクションだね。

“Rock Around The Clock”や“Dance To The Music”のカヴァーは当時としては画期的でした。テレックスにとって誰かの曲をカヴァーするというのはどんな意味があったんでしょうか?

ミッシェル:最初のうちは、我々自身のヴォキャブラリーを見つけるための手段としてやっていたんだ。

ダン:うん。

ミッシェル:ところが続けていくうちに、ポップ音楽のカタログみたいなものになっていった。たとえば、最初にやったカヴァーはロックンロール味のフレンチのイェ・イェ・ポップだったし、遂にはメキシコの“La Bamba”も取り上げた。だから、世界じゅうのポピュラー・ミュージックのカタログのようなものになったし、そこがポイントだった。ジャンルを越えて、それらを我々のものにする、という。かつ、どの曲もほぼ、原曲よりテンポを落としたものだったね。

ダン:ああ。

ミッシェル:誰にでもアピールするように(笑)

ダン:テンポがゆったりしていれば、誰でも踊れるからね!(笑)

“Moskow Diskow”はどのくらいヒットしたのでしょう? ベルギーよりも、むしろヨーロッパ全土でヒットした感じだったんでしょうか。

ミッシェル:というか、あの曲は世界的にヒットしたと思うよ。

ダン:そうだね。

ミッシェル:我々にとってのメイン曲というか、面白いもので、あの曲は我々の編集盤には大抵含まれる。だからおそらく、人びとがもっともよく知っている曲があれになるだろうね。もしかしたら彼らは、「テレックスの曲だ」とは気づかないまま聴いているのかもしれないが。

なにゆえテレックスはディスコないしはダンス・ミュージックであることは意識したのでしょう? ディスコというのは、初期のエレクトロニック・ミュージックにおいてもっとも自由に実験ができる場だったのですか?

ミッシェル:……自分たちとしては、「ダンス・ミュージックを作っている」という思いで音楽を作ったことはなかったんじゃないかと思うけどなぁ……?

ダン:まあ、“Moskow Diskow”は除いていいんじゃないかな。あれは、列車の中にディスコテークがある、というアイディアから生まれた曲だし。ただ、それ以外では、ミッシェルの言う通りだ。

ミッシェル:(フーッと嘆息)とにかく、テンポをああやって調整しただけだし。わたしは、たまにクラブ等に踊りに行ったことはあったよ。でも、他のふたりが踊っている姿を見かけたことは一度もないし──それより、ふたりが椅子に腰掛けている姿なら思い浮かべられるけどね!(苦笑)

ダン:ハッハッハッハッハッ!

ミッシェル:とにかく自分たちにとって気持ちがいい音楽を作っていたし、「ダンス・ミュージックを作ろう」という思いでやったことではなかったと思う。結果的にダンス・ミュージックになった、ということであって。

なるほど。“Rock Around The Clock”(1979)でリミックスを手掛けるPWL(ピート・ウォーターマン)とはどうやって知り合って、お互いどんな関係で仕事をしたのでしょう?

ダン:彼とは、〈RKM〉のローラン・クルーガー経由で知り合った。ローランだったんじゃないかな、彼にあのリミックスを依頼したのは? どう思う、ミッシェル?

ミッシェル:(考えながら)彼は、我々がBBCの『Top of the Pops』に出演した際について来てくれたんじゃなかった?

ダン:ああ、そうだ! 彼に会ったのは、あれがはじめてだった。

ミッシェル:で……そうして知り合ったし……

ダン:そうそう。

ミッシェル:でも、それ以外は──(苦笑)いや、可笑しかったのは、彼はリミックスをやってくれたけれども、あの曲にサックスを加えたんだよね。

(爆笑)

ダン:(笑)なんたる悲劇!

ミッシェル:(苦笑)でまあ、あれはちょっと、ヘンだった。

ダン:ハッハッハッハッ!

ミッシェル:(グフフッと吹き出しながら)あれは、我々のユーモア感覚の度すら越えていたよ。

(笑)サックスは、さすがにちょっとクサそうですね。

ミッシェル:どうだったんだろう? とにかく、あれは我々には理解できなかった。というか、リミックスを気に入ったことは滅多にない。だから、自分たち自身でいくつかリミックスをやったんだしね。でもまあ、時代的にも早かったんだと思う。リミックス自体、まだそんなに一般的ではなかったし。

ダン:そうだね。

ミッシェル:だからきっと、彼もいろいろ試していたってことだと思う。気に入らなくて、ごめんよ(笑)

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細野さんとの思い出

細野晴臣さんとコシミハルさんがスタジオを訪れたときのことは憶えていますよね? 

ダン:ああ、もちろん!

彼らの“L'Amour Toujours”もとても洒落ていましたが、当時どんな風にセッションがはじまったのか教えて下さい。細野さんがあなたたちにアプローチをかけたんでしょうか?

ダン:ああ、そうだよ。

ミッシェル:この話は、ダンに任せる。あのとき、わたしはヴァカンスに出かけていてスタジオにいなかったから(苦笑)

ダン:うん、彼(細野さん)が連絡をとってきて、ごく普通に、スタジオをブッキングしたんだ。わたしとしては「なんと!」と驚いたけれどもね、イエロー・マジック・オーケストラのメンバーが自分のスタジオに来るなんて、と思ったし、3日間のブッキングだったな。とてもシンプルなセッションだったよ。彼らがスタジオにやって来て、彼は英語を喋らなかったし、残念なことにわたしは日本語を喋らなかった。それで、とてもナイスなフランス人の通訳氏、たしか東京在住の人だったはずだが、彼が現場での通訳として付き添ってくれてね。ところが、彼にはほとんどやることがなかったんだ、というのも、音楽を通じてであれば、言葉を使って会話する必要はないから。それに、彼(細野さん)と自分のやっていることが非常に似ているのにも気づいた。わたしは非常に初期のシーケンサーのひとつ、とても複雑な、ローランドのMC-4という名前の機材を持っていてね。で、あれはMIDIやコンピュータ以前の時代のシーケンサーだったから、何もかも自分でプログラムを打ち込まなくてはならなかったんだ。あれでシークエンスを作るのは面倒で悪夢のようだったけれども、彼の打ち込みのスピードはあっという間、本当に早くてね! で、彼は「モーグ・モジュラーで曲をやろう」と言ってきて、我々は主にモーグのモジュラーを使い、一方で彼がシークエンスをプログラムしていき、それをレコーディングした、と。あれはファンタスティックな3日間だった。
 それに、さっきも言ったように、我々は言葉が通じなくても大丈夫だったんだ。それはグレイトだったし、思い出すよ、通訳氏が「僕は不要みたいなので、外に出かけるとします。あなたたちだけで放っておいて大丈夫でしょう」と言ったのは。そんなわけで我々はレコーディングを進め、ヴォーカルを録り、以上、と。そして彼はテープを……あの曲のミックスは、わたしがやったんだったかな? ミックスも、もしかしたらやったかもしれない。ともかく……ああ、たしか彼は、当時世界ツアーをしていたんだったと思う。で、レコーディングをやった何週間か後に、レコード会社から完成したアルバムが届いた、と。とてもシンプルで、とても素敵な、とてもいいお土産をもらったね。あれは素晴らしかった。

あの頃、もうイエロー・マジック・オーケストラのことはご存知だったんですね。

ダン&ミッシェル:うんうん、もちろん。

テレックスは、ときに「ベルギー版クラフトワーク」、あるいは「ベルギー版YMO」とも称されますよね。

ミッシェル:(苦笑)

もちろんそれぞれ異なる個性のグループとはいえ、そういった意味でYMOにはどこかしら親近感も抱いていましたか?

ミッシェル:ああ。

ダン:自分と彼(細野さん)の仕事の仕方がどれだけ近いかに気づいたときは、とても驚かされたんだ。それもあったし、彼がモーグを好きというのにも驚いたね。日本には自国産の素晴らしいシンセサイザーがたくさんあるのに、彼はポリ・モーグのサウンドが好きで、あれは珍しかった。実際、可笑しかったんだが──あの何年か後、90年代に、わたしの新しいスタジオで日本人プロデューサーと仕事する機会があったんだ。残念ながら、彼の名前は忘れてしまったけれども。で、彼は細野氏の友人だそうで、わたしのスタジオに来てびっくりしていた。「細野さんのスタジオと同じですよ!」と。

ミッシェル:(笑)

ダン:で、ふと思い出したのが、そう言えば細野氏は、スタジオにいたときやたら写真を撮っていたっけな、と。

(笑)

ダン:(笑)だから、もしかしたら彼は自分のスタジオを、わたしのスタジオに少し似せて編成したのかもね? それはまあ、笑える逸話、ということだけども。

ちなみに、ダンさんのSynsound Studioはレコーディング・スタジオとしていまでも続いているんですね。

ダン:ああ。

しかもシンセサイザー(アナログ&デジタル)やサンプラー、ドラムマシンなど、70年代~80年代の貴重な機材が揃っています。やはりこういった機材がそうとうお好きなんですね?

ダン:そう。いま、君がスタジオにいないのが残念だね、こっちにいたらあれこれと見せてあげられるんだけれども。でも、うん、モジュラー・シンセはいつでも使えるよう整備してあるし、しかもミニ・モーグも新たに買った。わたしがもっとも好きなシンセサイザーは、もちろんアナログだ。ちなみに、アナログ・シンセはまた人気が再燃しているんだよ。

ですよね。

ダン:どうしてそうなったかと言えば、音響制作機材の進化はあったものの、その基本であるアナログ・シンセサイザーに再び立ち返ったということじゃないかと思う。だから、自分自身のサウンドを作る必要があるんだよ。どれだけプリセット他のサウンドがあったとしても、サウンドを考え、それを自分で作り出さなくてはならない。ただ他から音を盗んできて、それを何かに作り替えることのできるサンプラーとはわけが違う。だから、アナログ・シンセにやれることは少ないかもしれないけれども、そのぶん逆にクリエイティヴになれると思うんだ。
 というのも、本当に自分で一からはじめなくてはならないし、電気からサウンドを作ることになるから。本当に興味深いのはそこだ。というわけで、うん、わたしはまだいろいろやっているし、この取材の後にスタジオに入り、新たに曲を作るつもりなんだ。ベーシックなアイディアが浮かんでいるし、それをマシンにフィードして新しい曲を作ろうかな、と。スタジオ・エンジニアとして働くのも好きだけれども、できれば自分がやりたいのは、サウンドをクリエイトし、そこから曲を作ることだから。電気からね。

80年代以降、エレクトロニック・ミュージックを更新したもっとも重要なアーティスト、あるいはあなたたちよりも下の世代の電子音楽家で好きな人/共感できる人は誰ですか?

ミッシェル:……ビョークかな。

ダン:ああ、彼女だね。

ミッシェル:彼女は常に探索を続けているし、わたしが音楽に関して好きな点もそこなんだ。そうは言っても、わたしもポップな音楽は好きだよ。ただ、何かをサーチしている人が好きだね、音楽として、必ずしも聴きやすくはないかもしれないけれども。

ダン:ビョークに……

ミッシェル:たとえばビョーク、それからFKAツィッグス等。そういう人たちだな。

ダン:そう。ビョークは、もちろんだ。彼女は常にイノヴェイティヴで新たなことをやろうとしているし、それに──まあ、この名前はちょっと一般的過ぎるかもしれないけれども、わたしはビリー・アイリッシュも好きだ。

ミッシェル:(先を越されてやや悔しそうにつぶやく)彼女の名前は、わたしも言おうとしていたところだよ。

(笑)そうなんですね!

ダン:(笑)ああ、彼女は大好きだ。

ミッシェル:まあ、音楽面は、彼女の兄がほとんどやっているらしいけれども。

ダン:ああ、そうだよ。だが、あのふたりは、どちらも非常に才能がある。

ミッシェル:彼女の音楽は悲しい感じだけれども──

ダン:うん。

ミッシェル:──(苦笑)でも、音楽はグレイトだ。

テレックスにはグルーヴがある


Telex
this is telex

Mute/トラフィック

Synthe-PopTechno

マルク・モーランがいまここにいないことは残念ですが、彼はどんな人だったのか教えていただけますか?

ミッシェル:彼はどうだったか……。彼は考える人だったと思う。かつ、ユーモアと才能にあふれていた。よき友だった。

ダン:そうだね。それに、彼は本当に優れたミュージシャンでもあった。そう思うのは、何年か前にテレックスの音源をデジタル化した際にマルチ・トラックを聴く機会があって、そこで彼がどれだけグルーヴにノって演奏していたかを発見したからでね。あの当時はテクノロジーも単純、ごく初歩的だったし、シークエンスに関してはあまりテクノロジーの活躍する可能性がなかった。だから、ドラムと非常に基本的なシークエンスを除き、ほとんどのトラックは手で、マニュアルに演奏されていたんだ。ベース・ラインの多くは手で演奏されていたし、それが実にグルーヴに富んでいてね。完璧ではなかったし、でも、それこそがグルーヴというものの概念であって。
 だからだろうな、自分たちがこう思ってきたのは……人びとは「エレクトロニック・ミュージックは冷たい音楽だ」と考えるけれども、そんなことはないんだよ。我々はそんな風に感じなかったし、スタジオにいた間、本当にグルーヴをエンジョイしていた。リズム・トラックがあり、ベーシックなドラムがあり、ベース・ラインがあり、そこに最初のキーボードが入ってくる云々、彼はそこに常にいた。それにもちろん、彼はアイディアが豊富だった。わたしは機材の背後でボタンetcを操る役まわりだったけれども、マルクとミッシェルが曲について話し合っている様は聞こえた。
 いまでもよく思い出すのは、3人一緒にサウンドを見つけようとしていた場面だね。わたしは機材のボタンを調整していて、そのうちに自分でも「これはいいな」と感じて、すると同時にミッシェルとマルクも「いいぞ!」と言ってくれて。「その位置のままで、いじらないで」と言われて、わたしも「わかった」と。そういった様々が組合わさった経験なんだ。

ミッシェル:それもあったし、たぶん……さっき、君は我々を「ベルギー版クラフトワーク」と呼んだけれども──いや、そう形容した人は君が最初ではないから、気にしなくてもいいんだよ(笑)

ダン:(苦笑)

ミッシェル:ただ、クラフトワークと我々の主なひとつの違いと言えば、それはおそらくグルーヴだろうね。

ダン:そう!

ミッシェル:というのも、マルクは黒人音楽に心酔していたし、彼はジャズ・マンでもあった。だから、思うにクラフトワークとの主要な違いは、テレックスにあったグルーヴではないか?と。さっきダンも話していたように、サウンドの多くは手で演奏したものだったからね。

ダン:そうだ。それにわたし自身、デジタルに変換していたとき、それに気づいて驚いたんだ。レコーディングの現場で、マルクがどれだけ楽々とあれらの演奏をしていたかは憶えているし、その場ではわたしも深く考えていなかった。ただサウンドを出し、プレイしていただけだし、そのテイクでオーケイ、それで決まりという感じで、実に楽だった。ところが、あれは一見楽そうに見えて、そうではなかったんだね。彼のプレイは本当に大したものだったな。タイミング感が、本当に、実によかった。そういえば、最後のアルバムを作る際に、マルクがキーボードを習い直しているんだ、と言っていたのは憶えているかい、ミッシェル? 彼は毎日数時間、もっと上手くなるためにキーボードを練習したんだ。そもそも非常に腕のいいキーボード奏者だったにも関わらず、それでもなおがんばった、という。

ミッシェル:間違いない、彼なしには、テレックスはあり得なかった。

ダン:それはもちろんだ。あり得ないよ、まったくそう。

ミッシェル:彼が決め手だった。

アルバムの最初と最後が未発表曲でしたね。2曲(“The Beat Goes On/Off”、“Dear Prudence”)ともカヴァー曲で、2曲ともとても面白いと思いましたが、どうしてこれがお蔵入りになっていたんでしょう?

ミッシェル:(苦笑)

秘密としてキープしてあった曲、とか?

ミッシェル:いやいや。あれは……我々が音楽作りをストップした後も、たまに顔を合わせて、何か一緒にやれることはないか?と探っていたんだよ。

ダン:アイディアをね。

ミッシェル:あれら2曲は、取り組みはじめてはみたものの、やった当時は興味深いとは思えなくてね。将来性を感じられなくて……。

ダン:アルバム1枚を作るに足るだけのアイディアが浮かばなかったんだよ。そこで、あの2曲はとっておくことにしたはずだ。で、やっと最後のアルバムができたとき、あれはマルクのアイディアをもとにしたんじゃなかったっけ、ミッシェル? この話は何日か前に思い出したんだけれども、そのアイディアは自分たち自身をサンプリングする、というものでね。だから、歌のパーツからはじめて、そこから新たなサウンドを作り出す、という。あのアイディアを、我々は実に──

ミッシェル:リサイクルする、ということだよね。

ダン:そう。興味深く、エキサイティングなアイディアだと思ったし、とても上手くいった。あのおかげで、最後のアルバムを完成させることができたんだ。

ミッシェル:とても上手くいったとはいえ、それほど成功には結びつかなかったな(苦笑)

(笑)

ダン:(苦笑)いや、それはなかった。

ミッシェル:でも、今回リミックスして、気がついたよ。あれは実にいいアルバムだ、うん。シンプルでいい作品。わたしも気に入っている。

ダン:わたしも同感。

日本には長きにわたってテレックスの熱狂的なファンがいますが、彼らに対してひと言お願いします。また、これからテレックスを聴くであろうリスナーにもひと言。

ミッシェル:んー……こう言おうかな。「我々を眺めるのではなく、音楽を聴いてください」

ダン:(笑)。そうだね、わたしも同じだ。「音楽を聴いてください」だ。

質問は以上です。今日はお時間いただき、ありがとうございました。

ダン&ミッシェル:ありがとう。

この再発を期に若いリスナーがテレックスを発見してくれると思うとワクワクしますし、今後の展開を楽しみにしています。もしかしたらあなたたちの新しい音楽を聴ける日が来るかも?と、期待していますので。

ミッシェル:……たぶん、それはない。

ダン:フフフフフッ!

ミッシェル:(苦笑)

そうですか。残念です……

ミッシェル:あ、ひとつだけいいかい? 君は通訳だよね? 音楽関係の仕事を主にやっているの? たとえば、いま君の言った最後のセンテンス、あれは質問者の言葉なのか、それとも君自身の言葉?

いちばん最後はアドリブです。でも、質問作成者も同じ思いを抱いているはずですので。今日は通訳として話させていただきましたが、わたし自身音楽ライターもやっていますので、音楽は少し知っています(苦笑)。

ミッシェル:ああ、そこはわたしも感じたよ。とてもいいインタヴューだった。どうもありがとう。

ありがとうございます。くれぐれも、お大事に。さようなら。

ダン&ミッシェル:ありがとう、君もね。

Scotch Rolex - ele-king

 90年代シーフィール作品のリイシューがアナウンスされたばかりだけれど、10年代シーフィールのメンバーであるブライトンのシゲル・イシハラは、もともとノイズ・ミュージシャンであり、DJスコッチ・エッグの名ではチップチューンのアーティストとして知られている(『ゲーム音楽ディスクガイド』監修の hally 氏とも交流あり)。近年はワクワク・キングダムの一員としても活躍中だ。
 その彼がなんと、いまもっとも注目すべきウガンダのレーベル〈Nyege Nyege Tapes〉傘下の〈Hakuna Kulala〉から新作をリリースする(名義もスコッチ・ロレックスへと進化)。同作にはケニアのメタル・デュオ、デュマ2020年のベスト・アルバム30選出)のロード・スパイクハートも参加しているとのことで、これは聴き逃せない。超チェックです。

artist: Scotch Rolex
title: Tewari
label: Hakuna Kulala
release: April 30, 2021

tracklist:
01. UGA262000113 - Omuzira (feat. MC Yallah)
02. Success (feat. Lord Spikeheart)
03. Cheza (feat. Chrisman)
04. Nfulula Biswa (feat. Swordman Kitala)
05. Afro Samurai (feat. Don Zilla)
06. Tewari
07. Juice (feat. MC Yallah)
08. U.T.B. 88
09. Sniper (feat. Lord Spikeheart)
10. Wa kalebule
11. Lapis Lazuli (feat. Lord Spikeheart)

https://hakunakulala.bandcamp.com/album/tewari

interview with Smerz - ele-king

DJラシャドの音楽がわたしたちのスタート地点だったと思う。いまではほかのいろいろな音楽にインスパイアされているけれどね。(アンリエット)

 スメーツが登場したとき、多くのリスナーが惹きつけられたのは彼女たちの音楽のクールな(冷たい)感触だったのではないだろうか。重たく金属的なビート、素っ気のない電子音の連なり、体温の感じられない醒めた歌。「Okay」(2017年)と「Have Fun」(2018年)の2枚のEPは当時、インダストリアル・リヴァイヴァルとオルタナティヴR&Bの北欧からの応答といちおうは位置づけられたが、その冷ややかさはどこかミステリアスなままで、スカンディナヴィアの冬の暗がりから微笑んでいるようだった。
 ノルウェーの首都オスロで育ち、同じ高校に通っていたにも関わらずデンマークはコペンハーゲンの音楽学校で親しくなったというアンリエット・モッツフェルトとカタリーナ・モッツフェルトのふたりは、ジューク/フットワークへの共通の関心などからエレクトロニック・ミュージックに接近。両者ともプロデューサーとシンガーを兼ね、ふたりの緊密な関係性をあくまで軸としてDIYにトラックを制作していく。〈XL〉から「Have Fun」をリリースする頃には、エリカ・ド・カシエールとともにコペンハーゲンの新しいR&Bとして注目されることとなった。

 だから、期待の新星としては間髪入れずにフル・アルバムをリリースしそうなものだが、ふたりは慣習に囚われずにしばしの沈黙に突入する。3年ほどのブランクを経ていよいよ放たれたデビュー作『Believer』は、なるほどEP群からかなりの飛距離を感じさせるものとなった。
 ダークなトーンのエレクトロニックR&Bという路線は踏襲しながら、オペラやクラシック、コンテンポラリー・ミュージック的な管弦楽の要素を大胆に、しかし断片的に導入。さらにノルウェーのトラッド・フォークの引用も加わり、異形のマシーン・ミュージックが出現している。“Rain” の気だるげでミニマルなR&Bにはエキゾチックな室内楽がまとわりつき、歌を中心に置いたシンプルなピアノ・バラッド “Sonette” にもひどくアブストラクトなシンセが響いてくる。聖と俗とがエレクトロニック・ミュージックのもとで入り乱れるのはビョークの新世代的な展開とも言えるかもしれないが、しかし、スメーツにはビョークのような情熱的なエモーションはない。
貪欲な実験が立て続けに繰り広げられるアルバムのなかで、思いがけずストレートにポップな “Flashing” などを聴くとむしろ煙に巻かれたような気分になるが、サイバーな響きと北欧フォークの土着的な旋律が同座するこの曲からはアヴァンとポップの微妙な領域を進もうとする意思が感じられる。ジャンル・ミックスが当たり前になった時代に、ほかにはない配合で音楽を混ぜ合わせて新しいものを生み出そうとすること。それも、どこまでもクールに。
 すべてのクリエイションを自分たちで掌握する女性ふたりのデュオというところも現代的だし、ラース・フォン・トリアーの諸作を思わせるミュージック・ヴィデオなどヴィジュアル展開を見るとファッショナブルな存在になっていくだろうことも予感させるが、何よりもそのサウンドにおいて、『Believer』はポップ・ミュージックのこの先の可能性を静かに照らしている。

ポップのメロディには、人びとに何かを伝えるというコミュニケーション能力が高く備わっていると思う。ポップ・ミュージックはストーリーを直接的に伝えるのがとても上手。(カタリーナ)

日本では現状ノルウェー出身のデュオと紹介されることが多いのですが、現在もデンマークのコペンハーゲンを拠点にしているのでしょうか? 自分たちの意識としては、「コペンハーゲンのデュオ」というアイデンティティのほうが強いですか?

アンリエット(以下H):わたしたちはいまそれぞれ違う都市にいるのね。カタリーナはオスロにいて、わたしはコペンハーゲンにいる。どちらの都市も違った意味でわたしたちの活動にとって大切だと思う。

初めてのインタヴューですので、基本的なところから少し聞かせてください。初期のバイオを見ると、DJラシャドジェシー・ランザに影響を受けたとありますが、結成時にふたりを強く結びつけた共通のアーティストや作品はどういったものでしょうか? 音楽以外でもだいじょうぶです。

カタリーナ(以下C):かなり昔の話になるね。たくさんあるから難しいけど、デンマークの音楽をふたりでよく聴いていた。でもやっぱりDJラシャドの音楽が当時のわたしたちを象徴していると思う。わたしたちにとってすごく新しいものに感じられたし、彼の平然とした態度もカッコ良かったし、複雑なリズムで遊ぶ感じも楽しくて好きだった。

H:そうね、DJラシャドの音楽がわたしたちのスタート地点だったと思う。いまではほかのいろいろな音楽にインスパイアされているけれどね。

初期のライヴの映像を見ると、おふたりとも機材を触り、歌っていますが、楽曲制作においておふたりの役割分担のようなものはありますか?

C:楽曲制作のときの役割分担はとくにないよね。ライヴのときはヴォーカルのパフォーマンスがメインになるから、機材はバックトラックをかけるくらいしか使っていないの。今回のアルバムでは過去に作ったトラックを生演奏してみた。アンリエットはヴァイオリンを弾いて、わたしはピアノを弾いている。でもライヴのときは、できあがったバックトラックを披露するという形で機材を使っているね。

H:楽曲制作のときはまた別のプロセスで、わたしが何かひとつのことをやって、カタリーナがまた別のことをやったりという感じで進めている。そうすることによって、おたがいを補完するような音楽にしていく。だからおたがいからフィードバックを受け合っているというプロセスなのね。たとえば、カタリーナがビートを作っていたら、わたしはそこからインスピレーションを得て、何か次のことをしようと思う。それをお互いの間で繰り返してやっている感じね。

EP「Okay」や「Have Fun」の時点でスメーツの個性はかなりできあがっていたと思っていたので、『Believer』でのサウンドの拡張には驚きました。デビュー・アルバムとしては時間をかけたほうだと思うのですが、それは音楽的な関心の幅がこの3年で一気に広がったからですか?

C:そうだと思う。新しい音楽にずっとインスパイアされ続けていると、自分の作品が完成したとなかなか思えなくて。新しい発見がつねにあったり、何か新しいことをやりたいという衝動につねに駆られていると、アルバムの完成というものが見えなくなってしまう。でもそういうことをやりたいという大切な時期があったから、今回のアルバムという形になった。

H:新しい音楽を作りたいという時期がしばらくあったのよね。

C:でもアルバム制作の時期のなかにも様々な段階があったね。ひとつの時期というわけではなかった。

通訳:制作中にも複数の段階があったというわけですね。

C:その通り。

ポップな音楽を作るのはもっとも難しいことのひとつ。だからその要素を扱って作業するのはとても楽しい。(アンリエット)

とくにEPにおいてコンテンポラリーR&Bからの影響が強いように思います。スメーツはトラックだけでもじゅうぶんに個性的で実験的ですが、ポップな歌の要素を捨てることもないですよね。スメーツにとって歌のポップさはなぜ重要なのでしょうか?

C:ポップのメロディには、人びとに何かを伝えるというコミュニケーション能力が高く備わっていると思う。音楽の聴き方はひとによって違うから一概には言えないけれど、個人的には、ポップ・ミュージックはストーリーを直接的に伝えるのがとても上手だと思っている。

H:それにポップな音楽を作るのはもっとも難しいことのひとつだとわたしは思っている。だからその要素を扱って作業するのはとても楽しい。いろいろな工夫をしてポップな音楽に仕上げていくのは楽しいよね。

ただ、歌の入っている曲においても、R&Bのヒット曲のようにエモーショナルに歌い上げないですし、スメーツにはどこか冷たさや醒めた感覚がつねにあるように思えます。この美意識はどこから来るものなのでしょうか?

C:それは意図的なものではないよ。それはわたしたちの作業の仕方から来るものなのかもしれないし、わたしたちの能力や技術によるものなのかもしれない。

H:わたしたちがインスパイアされた、ソースとなった音楽がわたしたちにそういう影響を与えて、その結果としてわたしたちの音楽にそういう雰囲気が含まれているのかもしれない。でもたしかに意図したものではないね。

C:それはパソコンで作業しているからなのかとたまに思う。パソコンだと、ピアノやギターを弾いて作曲するときとは違って、(画面を)縦に見ながら作業することが多いでしょ。でもわたしたちはその作業方法を少し変えていこうとしていて、もう少し横に進めていく感じの作業にしたいと思っている。パソコンで作業していると、最初から細かい要素をいろいろと詰めこみがちになってしまう。サウンドが最初から大切なものとして捉えられてしまうから。短い枠のなかで、取り扱う要素が多くなりがちだと思う。

リズムは初期からジューク/フットワークの影響がありますよね。あなたたちから見て、フットワークの面白さはどういったところにありますか?

C:ヒップホップと共通する要素があって、リズムがあって、とても直感的なところ。ひとを引きつける要素があるところ。フットワークは作るのが難しい部分もあるけれど、その瞬間を楽しめるし、ミックスをするのも楽しい。いいエネルギーがある。

H:難しい部分があるから、すべてを見透かすことができないというか、聴いていて毎回新しい発見があると思う。

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パソコンで作業していると、最初から細かい要素をいろいろと詰めこみがちになってしまう。サウンドが最初から大切なものとして捉えられてしまうから。短い枠のなかで、取り扱う要素が多くなりがち。(カタリーナ)

『Believer』ではオペラやコンテンポラリー・ミュージックの要素が強く入っていることが初期のEPとの大きな違いですが、これはアンリエットさんが作曲を学んでいることが関係しているのでしょうか。そうした要素を、スメーツのエレクトロニック・ミュージックとミックスしようという発想は自然に生まれたものですか?

H:いえ、その発想は、わたしが学校で学んだこととは直接的な関係はないと思う。むしろスメーツとして、いままでよりも幅広いことをやってみようというチャレンジから来ているんじゃないかな。

C:いつだったか忘れてしまったけれど、わたしとアンリエットがとても美しい音楽を聴いていて、それをとても楽しんでいたのね。そして、「このスタイルをわたしたちなりに解釈して音楽に反映させてみよう」ということになった。それがアルバムの曲になるなんてそのときは思っていなかったし、とくに何かを意図したわけではなかったんだけど、この宇宙でわたしたちが何を作れるかやってみよう、という気持ちで制作していたから。

H:でも「これからは新しいことをやろう!」というわかりやすいシフトがあったわけでもなくて。

C:楽しそうだからやってみようか、くらいの気持ちだったよね。

H:昔からそういうアプローチでやってきたんだけど、もう少し幅を広げてみようと今回は思ったんだ。

『Believer』を制作しているこの3年ほどで、おふたりが共通して強く刺激を受けたアーティストや作品は具体的にありますか?

C&H:(即答)バッハ!

C:インスピレーションとして挙げるにはリスクの高い答えかもしれないけど(笑)

通訳:バッハの音楽はタイムレスですよね、複雑なものもあるし。

C:そう! 簡単な音楽ではないけれど、バッハには強いインスピレーションを受けた。それ以外には、コペンハーゲンの音楽シーンにいる友人たちにも刺激を受けたよね。コペンハーゲンの音楽シーンはスタイルごとに細分化されていないというか、少なくともシーン内部にいる者としてはそう感じる。だからスタイルが「分断されていない」という概念に刺激を受けたと思う。

また、北欧の伝統的な文化の探究がヴィジュアル面においてもサウンド面においても『Believer』にはありますよね。これは今回、意識的にアクセスしたものなのでしょうか?

C:サウンド面は意識的なものではないね。アルバムでも、音楽のどの部分が北欧的なのかをピンポイントするのは説明しづらいと思う。でもヴィジュアル面に関しては、わたしたちが去年のロックダウンの最中に主に北欧にいて、ヴィジュアルを制作していたから、そういう選択肢を取るのが自然だった。

コペンハーゲンの音楽シーンはスタイルごとに細分化されていないというか、少なくともシーン内部にいる者としてはそう感じる。だからスタイルが「分断されていない」という概念に刺激を受けたと思う。(カタリーナ)

“I don’t talk about that much” のミュージック・ヴィデオで見られるのは、ノルウェーのハリングダンスでしょうか? 日本ではあまり馴染みがないものなのですが、どういったところにその魅力がありますか?

C:社交ダンスの一種で、どの国にもそういう踊りがあると思う。人びとが集って踊ることによってコミュニケーションを取っている。みんながその踊りという共通言語を知っているから。それってすごく美しいことだと思うのね。ノルウェーにもハリングダンスがまだあれば良いのにと思う。この要素は、パーティにもあれば良いのにと思うものだから。話さなくても、みんなといっしょにいるという一体感があって楽しめる方法。そしてみんながルールを知っている。ハリングダンスもそういう踊りで、色々なパターンに分かれているんだけど、「スプリンガード(訳注:ハリングダンスのパターンのひとつだと思います)をやりましょう!」となれば、みんなどういう動きかを知っていて、どのように踊れば良いのかを知っている。みんなといっしょになってコミュニケーションできる良い方法だと思う。ハリングダンスを通じて、自分のパーソナルな部分も表現することもできるし。そういう魅力があるね。

通訳:ではノルウェーにはハリングダンスは現在はないということですか? 昔の伝統的な踊りということでしょうか?

C:そう、昔の伝統的な踊りね。

ベンジャミン・バロンさんが監督した『Believer』の一連のヴィジュアル・イメージには、北欧の土着的な文化の要素が見られます。本作のヴィジュアル面においてのテーマはどういったものでしたか? また、それをどのように作り上げていったのでしょうか?

C:トレイラーのヴィジュアルを作ったときは、まずアルバムを聴き返して、サウンドには演劇っぽい、ドラマっぽい感じがあると思ったのね。アルバムの曲に登場する様々なシーンが感じられるトレイラーを作ろうと思った。それはより大きな物語から抜粋されたシーンなんだけどね。大きな物語というのは、スメーツの過去3年間の人生。アルバムはその一部。トレイラーはそれをさらに縮小したものということになるね。トレイラーのドラマティックな要素を活用したかった。トレイラーって、それぞれの物語の肝心な部分にすぐ行けて、何の結末も見えないじゃない? そういうのが楽しいと思ったんだ。設定に関しては、時代背景や場所がどこか分からないように、様々な要素を織り交ぜたね。

EP「Have Fun」のジャケットのイメージも強力でしたよね。シスターフッドと言うにはダークなムードもあったように思いますが、スメーツの表現と現代のフェミニズムの間にはどのような関係がありますか?

C:関係をピンポイントで説明するのは難しいけど、現代の時代において女性であることについての物語を語ることによって、フェミニズムの流れの一部という意味になると思う。わたしたちの個人的な物語を共有して、ほかのひとが共感してくれることが大切なのかもしれない。

H:いろいろな物語を共有していくことによって、人びとの視野が少し広くなれば良いと思う。

夢や期待が現実と合致するときもあればしないときもあるという考えがベースになっている。「Believer」というのは、何かが起こるのを信じていたり、信じていなかったりしているひとなんだけど、そういう夢や期待が実現するかしないかという状態。(カタリーナ)

タイトル・トラック “Believer” は歌詞を見るとラヴ・ソングと言えると思いますが、「Believer」という言葉は現代社会を見るとどこか暗喩的な響きがあるように思えます。この言葉をアルバム・タイトルにした理由は何でしょうか?

C:夢や期待というものが、現実と合致するときもあれば合致しないときもあるという考えがベースになっている。「Believer」というのは、何かが起こるのを信じていたり、信じていなかったりしているひとなんだけど、そういう夢や期待が実現するかしないかという状態を指している。その気持ちを総括したくて『Believer』というタイトルをつけた。

“Hester” や “I don’t talk about that much” には強力にレイヴ的なサウンドが入っていますが、レイヴ・カルチャーに思い入れはありますか?

H:レイヴ・カルチャーに強い思い入れはないけれど、コペンハーゲンには良いクラブ・シーンやテクノ・シーンがあるからそこからインスピレーションは得ている。

C:でも、昔のレイヴ音楽というか、多幸感がある感じの音楽には影響を受けているよね。

H:ユーロビートとかね。

C:そうそう、ああいう音楽には多幸感が強く現れていて、そういう要素をわたしたちの音楽にも取り入れたかった。そのような音楽が生み出す感覚というものに興味があるから。

クレジットを見るとペダー・マネルフェルト(Peder Mannerfelt)がいくつかのトラックで参加していますが、彼が本作で果たした役割はどういったものでしたか?

C:彼はわたしたちの音楽にとても良いフィードバックをくれた。完成したアルバムを通しで聴くというセッションをしたんだけど、最初にいっしょに聴いてもらったひとがペダーだった。彼の意見を聞けたのも良かったし、わたしたちも第三者といっしょに聴いたことによって、少し離れたスタンスからアルバムを聴くことができたと思う。そのときが、アルバム制作の過程におけるマイルストーンだった。彼といっしょに音楽を聴いたときに、わたしたちはアルバムを作っていたんだと初めて気づいたね。それまでは、ただいろいろなトラックを作っているという感覚だったから。ストックホルムにある彼のスタジオにはシンセサイザーがたくさんあって、“Lux” というトラックで彼はシンセサイザーを弾いてくれたり、ほかでもミキシングを手伝ってくれた。でも彼にいちばん感謝しているのは彼からのフィードバックね。

H:彼はとても良いひとで、良い友人という感じなのね。彼は外の人間だから、それが良かった。彼と過ごした1週間はとても素敵な時間だった。

現在、世界中がきわめて特殊な状況下に置かれているなかでのリリースですが、あなたたちにとって『Believer』はどのようなシチュエーションでリスナーに聴いてほしい作品ですか?

C:それはリスナーの自由だと思う。でも数多くのシチュエーションで聴いてもらえたら嬉しいね。

H:わたしも同感。わたしは洗い物をしているときに音楽を聴くのが大好きなんだ。

C:アルバムを通しで聴くように作ったんだけど、それも絶対そうしなくちゃいけないというわけでもない。でも一応、アルバムとしてまとめた作品ね。

『Believer』はスメーツが現代のエッジーなポップ・ミュージックとシンクロしながら、しかしどれとも異なる個性を見せつけたアルバムだと感じました。あなたたちにとっては、『Believer』でもっとも達成できたと思えるのはどういったことでしょうか?

C:アルバムがリリースされる前に、何を達成できたのかを答えるのは難しいけれど、わたしたちがアルバムを作ってきた過程は本当に素敵な時間で貴重だった。

H:わたしもそう思う。

C:それに、音楽を作っている過程で素敵な時間をたくさん過ごしてきたら、そこから何か良いものが生まれるかもしれないと思うのね。わたしたちがいっしょに制作をして、つねに会話をして、その会話の内容を音楽に反映できたことに満足感を得ている。それに制作中は、つねに新しいものを作りたいという欲求があって、その感覚があったこと自体に達成感を抱いているね。

H:それから、音楽を制作しているときにふたりで遊びながら演奏しているときも達成感があったね(笑)

通訳:とても楽しんで制作ができたようで素晴らしいですね!

H:次のアルバムも作るよ!

interview with KANDYTOWN (Neetz & KEIJU) - ele-king


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 東京・世田谷を拠点にするヒップホップ・コレクティヴ=KANDYTOWN。グループとしてはメジャーからこれまで2枚のアルバム(2016年『KANDYTOWN』、2019年『ADIVISORY』)をリリースし、さらにほとんどのメンバーがソロ作品をリリースする一方で、音楽のみならずファッションの分野でも様々なブランドとコラボレーションを行なうなど、実に多方面に活躍する彼ら。コロナ禍において、ほぼ全てのアーティストが活動を自粛せざるをえない状況であった2020年、彼らは『Stay Home Edition』と題したシリーズを自らの YouTube チャンネルにて開始して新曲を立て続けに発表し、多くのヒップホップ・ファン、音楽ファンへ勇気と活力を与えた。

 この『Stay Home Edition』で公開された3曲をブラッシュアップし、さらに3つの新曲を加えて2月14日にリリースされたEP「LOCAL SERVICE 2」。タイトルの通り、このEPは2年前の同日にリリースされた「LOCAL SERVICE」の続編であり、この2月14日という日付が KANDYTOWN のメンバーである YUSHI の命日ということを知っているファンも多いだろう。今回のインタヴューでは KANDYTOWN のメイン・プロデューサーである Neetz と昨年、アルバム『T.A.T.O.』にてメジャー・デビューを果たした KEIJU のふたりに参加してもらい、彼らにとって非常に大きな意味を持つ 2nd EP「LOCAL SERVICE 2」がどのような過程で作られていったのかを訊いてみた。

注:これまで配信のみでリリースされていたEP「LOCAL SERVICE」と「LOCAL SERVICE 2」だが、今年4月に初めてCD化され、2枚組のCD『LOCAL SERVICE COMPLETE EDITION』として〈ワーナー〉からリリースされる予定。

スタジオができたタイミングで緊急事態宣言が出て。こういう時期だから音楽を出してステイホームしている人に聴いてもらえたり、少しでも勇気づけられたらっていう感じで。それでみんなで集まって曲を作ったのがまず初めですね。(Neetz)

あの頃は人に全然会っていなかったので。みんなに会って「うわぁ楽しい!」ってなって〔……〕。浮かれちゃう自分に釘を刺すようなリリックをあそこで書いて、自分を引き留めたじゃないけど、いまだけを見て何か言ってもいいことないときもあるし。(KEIJU)

前回インタヴューさせていただいたのがアルバム『ADVISORY』のリリースのタイミングで。その後、コロナで大変なことになってしまったわけですが、やはり KANDYTOWN の活動への影響は大きかったですか?

KEIJU:NIKE AIR MAX 2090 にインスパイアされた楽曲の “PROGRESS” (2020年3月リリース)を作っていたときが、世の中が「やばい、やばい」ってなっていた時期で。自分たちも世間の皆様と同じように困ることもあったんですけど、人数が多いグループなので集まりづらいっていうのがいちばん大きくて。どうしても目立つ集団でもあるので、人目を気にして、外では会えなくなりました。けど、一昨年から、自分たち用のスタジオや事務所を用意するっていう動きをしていたのもあって。ちょうど去年の4月くらいに事務所とスタジオを借りて。それで音楽を作ろうってはじまったのが、今回出た「LOCAL SERVICE 2」にも繋がる『Stay Home Edition』で。

『Stay Home Edition』はどういったアイディアから来たものでしょうか?

Neetz:スタジオができたタイミングで緊急事態宣言が出て。こういう時期だから音楽を出してステイホームしている人に聴いてもらえたり、少しでも勇気づけられたらっていう感じで。それでみんなで集まって曲を作ったのがまず初めですね。

『Stay Home Edition』では結果的に3曲発表しましたが、あの順番で作られたんですか?

Neetz:そうですね。最初が “One More Dance” で、次が “Faithful”、“Dripsoul” という順で。

KEIJU:1ヵ月半とかのうちに全部曲を出し切って、それをEPとして完成させちゃおうって話になっていたところを〈ワーナー〉とも話をして。ちゃんと段取りをして、しっかりやろうっていうふうになったので(『Stay Home Edition』を)一旦止めて。

Neetz:どうせならちゃんとオリジナル・トラックで作って、まとめてEPとしてリリースにしようっていう話になって。

KEIJU:だから、ほんとは8月とかには曲もほぼできている状態だったんですよ。でも、〈ワーナー〉の人にも会えなくて、話し合いができなかったりもして。それにそのタイミングで出してもライヴもできないし。

では、リリースまでのタイミングまでにけっこう温めていた感じなんですね?

Neetz:そうですね。3月から5月にかけてレコーディングを全部終えて、そこから既に出ている3曲のトラックを差し替える作業をやって。ミキシングも自分のなかで時間がかかっちゃって。それで全部が終わったのが9月くらい。それなら「LOCAL SERVICE 2」として2・14に出そうっていうことになって。

いまおっしゃった通り、『Stay Home Edition』と今回のEPでは全く違うトラックになっていますが、『Stay Home Edition』のほうは Neetz くんのトラックだったのですか?

Neetz:ではなかった。だから、どうせなら全部変えてやろうっていう意気込みで俺独自の感じで作ったので、その色が強くなったのかなと思います。

改めて “One More Dance” がどのように作られていったのかを教えてください。

Neetz:IO が最初にオリジナルのトラックを持ってきて、フックを最初に入れて。Gottz と柊平(上杉柊平=Holly Q)がそのとき、スタジオにいたので、IO のフックを聴いて柊平と Gottz がそのフックのコンセプトに当てはめてリリックを書いていった感じですね。

KEIJU:自分が聞いた話では、IO くんと柊平が中目黒に新しい事務所の家具を買いに行った帰りにスタジオに寄って。「このまま曲を作ろうか?」って流れで作ったら Gottz が来て、それで3人で作ってったそうです。

完全にノリで作ったわけですね。

KEIJU:今回の『Stay Home Edition』はいちばん昔のノリに近かったかなってちょっと思ってて。突発的に「会って遊ぼうよ」から、なにかを残そうじゃないけど、ノリで「曲やろう!」ってなってできた感じだった。自分は結構「コロナ大変なことになってるな」と思っていましたし、自分のソロ・アルバムのこともあって、その時期はあんまりみんなに会わないようにしていたんですよ。だから、自分は客観的にみんなの動きを見てたんですけど、さっき LINE が飛び交っていたと思ったら、その5、6時間後には曲ができていたりして。そういうのが、すごく昔の感じだなって思いましたね。

Neetz:そうだね。KEIJU はみんなの動きを客観的に見てた側だったのかもしれない。

そういうこともあって、今回は KEIJU くんの参加曲が1曲なわけですね?

KEIJU:そうですね、参加曲が少ないのはそれが理由っすね。兄に子供ができたりもして、みんなとは会わないほうがいいと思って。

Neetz:KEIJU は KEIJU のスタンスを貫いてましたね。

KEIJU:みんなが新しい事務所に溜まっていて、自分は「いいなぁ、楽しそうだな」って感じで見てて。でもさすがに(EPを)出すっていうから、「参加したいです!」って言って参加させてもらった感じです。

ちなみに最初の3曲には IO くんと Holly Q が3曲とも参加していて、それってなかなか珍しいですよね? 特に IO くんは前回の「LOCAL SERVICE」には1曲も入ってなかったと思いますし。

KEIJU:最初の “One More Dance” を作った流れで自然と、その感じで2、3曲目も動けたんじゃないですかね。コロナのこのタイミングで出そうっていうイメージまでもって。

Neetz:それがみんなにも伝わったのがデカかった。

ちなみに『Stay Home Edition』で “One More Dance” の説明の欄にヘレン・ケラーの言葉が引用されていましたけど、あれは誰が考えたんでしょうか?

Neetz:あれも IO くんのチョイスですね。

曲自体はノリで作られたのかもしれないけど、そういう部分も含めてすごくメッセージ性がある曲だなと思いました。

KEIJU:作る過程で「こういう人に向けて、こういう曲を書いてみよう」みたいな話は若干あったんだと思います。

Neetz:“One More Dance” に関しては統一性がしっかり取れていて。より統一性を出すために、リリックを書き直してもらったりもしました。

たしかに『Stay Home Edition』とEPでは、若干リリックが違いましたよね。

Neetz:曖昧になっている部分を、曖昧にしないで具体的にしようかなって感じで柊平に直してもらって。

KEIJU:Neetz から言ったんだ? 柊平ってけっこう、自分の作ったものに対してのクオリティが保たれているかすごい気にするじゃん。「これで良いのかな?」って訊いてくるもんね。

Neetz:そういう人には言ってあげたほうが良いかなって。

『Stay Home Edition』のコメントを見ると Holly Q 人気が高いというか。あの3曲で改めて彼の評価が上がっていますよね。

KEIJU:“One More Dance” のラップも初めて聴いたとき、1個違うレベルというか、柊平の新しい面が見えたなって。いままでは全部出し切るっていう感じだったけど、ちょっと手前で止めるみたいな歌い方であったり。そういう新しさをすごく感じて。

俳優としてもすごく活躍されていて、テレビドラマとかにも出ていますけど、ちなみにメンバーはどういうふうに見ているんですか?

KEIJU:俺は率直にすごいと思うし、みんなそう思っていると思う。ポッと出ではないですし、19歳とかそのくらいからバイトをしながらモデルをやったり、事務所を変えたりっていう過程を見ているので。ただ、柊平が出ていると客観的に観れなくて、内容が入ってこなくなっちゃう(笑)。だから、あんまりがっつりは観ないんですけど、普通にできないことだなと思います。

Neetz:すごいなと思いますね。

その中で今回みたいにちゃんと曲にも参加しているのが凄いですね。

KEIJU:前回の『ADVISORY』のときも、柊平の撮影が忙しくて1ヵ月間いられなくなるってなって。けど、柊平が「入れないのは嫌だから」って言って、誰もまだリリックを書き出していない頃にひとりで書いて、3、4曲とか録って撮影に行ったんですよ。意欲が本当に凄くて。柊平のあのヴァイブスにみんなも感化されて、負けていられないから、自分もやろうってなったのは感じましたね。

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いつでも俺らは変わらないぜっていうのを示した曲になったと思います。KANDYTOWN のソウルフルで渋い感じの良さとか、昔ながらの感じを受け継いでいる、今回のEPの中でも唯一の曲だと思います。(Neetz)

「こうなりたい」とか「絶対こうあるべき」っていうのが自分たちにはなくて。とにかく自分たちが良いと思ったものとか、それに対する理由とかを、もっと深いところで話し合うことができたらなって思います。(KEIJU)


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EPの後半3曲は完全な新曲となるわけですけど、まず “Sunday Drive” は Ryohu くんがトラックを担当で。以前のインタヴューのときに KANDYTOWN の曲は基本 Neetz くんが作って、さらに Neetz くんが出していない部分を Ryohu くんが埋めるみたいなことは仰ってましたが、今回も同様に?

Neetz:そういう感じで作っていました。このEPの中の俺にはないような曲(“Sunday Drive”)を入れてきてくれたので、すごくバランスが良くなって。結果、Ryohu のビートがスパイスになっていますね。

“Sunday Drive” はおふたりともラップで参加していますが、トラックを聴いてどういう感じでリリックを書いたのでしょうか?

KEIJU:最初はもっとブーンバップというか、ベースが効いてるヒップホップなビートだったけど、最終的には最新っぽさも足されたものが返ってきて。ビートを聴かせてもらったときに、「これだったらいますぐリリックを書こうかな」って。そのとき、一緒にいたっけ?

Neetz:一緒にいたな。

KEIJU:リリックを一緒に書いて、「どうしようか?」ってなって。

Neetz:それで、KEIJU が伝説の2小節を入れて。

KEIJU:伝説の2小節からはじまったけど、タイトルが “Sunday Drive” になって「アレ?」ってなった(笑)。「俺の伝説の2小節は?」って。それでその2小節はやめて、新たにフックを書いて。

Neetz:まとまっていないようでまとまってる。いつもの俺らですね。

(笑)

KEIJU:俺はとにかく、あの頃は人に全然会っていなかったので。みんなに会って「うわぁ楽しい!」ってなって、その思いが全部出ているような恥ずかしい感じのリリックになっちゃって。サビも書いてって言われていたから、メロディーとかも考えながら、「ああじゃない、こうじゃない」を繰り返していて。高揚している自分と地に足付けるバランスの中で、あのリリックとフロウが出てきて。浮かれちゃう自分に釘を刺すようなリリックをあそこで書いて、自分を引き留めたじゃないけど、いまだけを見て何か言ってもいいことないときもあるし。でも、サビはすぐできたよね?

Neetz:そうだね。

KEIJU:4小節自分で書いたものを Dony(Joint)と Neetz、MASATO に歌ってもらって。

Neetz:結果、みんな自分に向かって書くようなリリックになって。

KEIJU:渋い曲になったよね。

ビートへのラップの乗せ方もすごく気持ち良いです。

Neetz:そうですね。EPのなかでいちばんリズミカルな感じになっていて。4曲目でそれが出てくることによって、すごく映えるようになってる。

あと曲の最後のほうに「届けるぜローカルなサービス」ってラインがありますが、この時点でタイトルを「LOCAL SERVICE 2」にするっていうのはあったんですか?

Neetz:まだですね。MASATO がたまたまそのワードを入れて。EPのタイトルは完全に後付けです。

次の “Coming Home” ですけど、これは Gottz&MUD のコンビを指名したんですか?

Neetz:本当は Gottz&MUD のアルバム用に作ったビートで、それに入る感じだったんだけど。コンセプト的にも今回のEPに入れたほうが良いかなってなって。MUD にワンヴァース目をやってもらって、Gottz も書いてくれたけども。(今回のEPに) KEIJU のヴァースが少なすぎるってなって、KEIJU も入れようと思ったけど……。

KEIJU:まあ、そういうことがあったんですけど、良い曲だなって。

あのふたり用に作った曲っていうのは伝わってくるようなトラックですよね。

KEIJU:それに、なんかあのふたりのセットを(ファンが)求めている流れもありますから。そういうこともあって自分は身を引こうと思って。

最後の曲の “Sky” ですが、リリックもトラックも KANDYTOWN そのものを表している感じがしますね。

Neetz:いつでも俺らは変わらないぜっていうのを示した曲になったと思います。KANDYTOWN のソウルフルで渋い感じの良さとか、昔ながらの感じを受け継いでいる、今回のEPの中でも唯一の曲だと思います。

この曲で言っていることがまさにいまの KANDYTOWN のスタンスにも感じますね。

Neetz:そうですね。変わらずあり続けるのもそうだし、この仲間とやっていくことがすごく大事だと思うし。そういうスタンスでこれからもやっていけたらなって思いますね。

ちなみに、客観的に見てどの曲が好きですか?

Neetz:トラック的に上手くできたのは3曲目(“Dripsoul”)。

KEIJU:俺はやっぱ、最初に聴いたときの “One More Dance” のインパクトが強くて。IO くんがああいうメロディーをつけるときのモードがあるじゃない?

Neetz:たしかに、たしかに。

KEIJU:そのメロディーが聴こえたからすごく印象に残っている。

覚悟みたいなものですかね?

KEIJU:そう、覚悟があるなって感じて。あと、好きな曲というと、自分が入っている曲(“Sunday Drive”)は制作現場にいて、みんなの雰囲気とかも含めてすごく良かったと思うし。それに対して自分はスムースで昔っぽさもある感じにできたので、“Sunday Drive” は良いなと思う。サビの掛け合いとかもしばらくはやっていなかったので、「一緒にリリックを書くのも良いよね」って話をしながらやったのも憶えているし、結構楽しかったよね。

Neetz:久々に楽しかった。

久々にみんなが会うというのは、やなり何か違うものがありますか?

KEIJU:それはもう、だいぶ違いましたね。あのときってみんな寂しくてとかじゃないけど、「うわぁ、浮足立つなぁ」って。言わなくてもいいことを言っちゃいそうだなみたいな。しかもそれをリリックに書いちゃいそうなくらい、普段は言わないことを言おうとしちゃう。それが嫌だなって部分もあったんですけど。

Neetz:若干どんよりしたというか。そういう雰囲気だった気もするけど。違う?

KEIJU:それもあったかもね。この先どうなるか分からないし。俺とか本当にコロナを気にしていたので、みんなに「手洗った?」ってすぐ訊くような勢いだったんで。

それだけ人数いれば、人によって考え方も全然違いますしね。

KEIJU:あの活動(『Stay Home Editon』)がはじまったときに、「はじまったそばから、すげぇやってるな?!」とか思いながら。俺は羨ましくもあり、みんなに会いてぇなっていうのもあったし。置いてけぼり感もすごくあった。いま思うとそんなに(以前と)変わりないと思うんだけど、久しぶりに会ったときは違ったね。

KANDYTOWN の次の作品に向けてもすでに始動していると思いますが、現時点でどのような感じになりそうでしょうか?

Neetz:とりあえず、ビート作りははじまっていて。このEPの音作りは俺独自で進めたので、次の作品に関してはもっとみんなの意見を取り入れたものを作れたらいいなと思ってます。あと、「KANDYTOWN に合うサウンドとは?」っていうのをめちゃくちゃ考えていて。「それって何だろう?」って考えてたときに、昔のソウルフルな感じであったり、1枚目(『KANDYTOWN』)の感じの音なのかなって思ったりもするし。まだ答えは分かってないんですけど。

KEIJU:さっきふたりで車の中で話をしていて。もっと幅を広げたり、Neetz の言うように昔のソウルフルなスタイルで続けていくのも良いよねって。やれる範囲で幅を広げていこうって話をしてはいて。ビートのチョイスもいままでやっていなかったこともやってみようって。

Neetz:結果的にそれが KANDYTOWN のサウンドになるので。

KEIJU:そう。自分たちのこれまでの活動の中でも、それまでやらなかったビートをチョイスしてやってきて、それでちょっとずつ進化している。昔、YouTube にもアップした “IT'z REVL” って曲とか、当時は自分たちの中ではすごく新しいチョイスで、新しい感覚だと思ってやってたし。少しずつ、そういう変化を上手く出せていけたらいいなって思う。あと、「こうなりたい」とか「絶対こうあるべき」っていうのが自分たちにはなくて。とにかく自分たちが良いと思ったものとか、それに対する理由とかを、もっと深いところで話し合うことができたらなって思います。そうやって、深い部分で切磋琢磨していけたら、新しいものが生まれるなって思っているので。

メンバー間のコミュニケーションの部分などで何か以前と変化はあったりしますか?

KEIJU:最近はコミュニケーションを高めていて。自分らは最近野球をやっているんですけど。(インタヴューに同行していた)DJの Minnesotah はバスケをやっていて。KANDYTOWN の中でもバスケと野球とサッカーってチームが分かれているんですけど、そういう感じで集まれる時間を増やしていこうよって話をしていて。それが音楽に直結するわけではないですけど、日々の言葉のキャッチボール的なことができればなと思ってて。そうすることで、これからの KANDYTOWN の作品が、もっと密なものになればいいなって思いますね。

KANDYTOWN
2nd EP「LOCAL SERVICE 2」より
“One More Dance” の MUSIC VIDEO 公開

国内屈指のヒップホップクルー KANDYTOWN が本日2月14日配信の 2nd EP「LOCAL SERVICE 2」より、
先行配信トラック “One More Dance” の MUSIC VIDEO を公開。この映像は前作 “PROGRESS” に引き続き盟友:山田健人が手掛ける。楽曲に参加している IO、Gottz、Holly Q、Neetz に加えクルーから Ryohu、Minnesotah、KEIJU、Dony Joint、Weelow がカメオ出演。

2月14日より配信となった 2nd EP は2020年の4月・5月の Stay Home 期間中に公開された楽曲3曲を再度レコーディングしリアレンジしたものに新曲3曲を収録。楽曲のレコーディングやプロデュースをメンバーの Neetz が担当。海外作家との共作やアレンジャー起用して作られたトラックなど意欲作が並ぶ。

そして、4月21日には、配信リリースされていた2019年2月14日発売の 1st EP「LOCAL SERVICE」と2021年2月14日発売の 2nd EP「LOCAL SERVICE 2」の両作品を2000枚限定で初CD化し1枚にコンパイル。
DISC 1 の「LOCAL SERVICE」は過去に限定でレコードのリリースはあったがCD化は初となる。

“One More Dance” MUSIC VIDEO
https://youtu.be/iY340Z3BTdA

2nd EP「LOCAL SERVICE 2」& 限定生産2CD EP『LOCAL SERVICE COMPLETE EDITION』
https://kandytown.lnk.to/localsevice2

[MJSIC VIDEO CREDIT]
KANDYTOWN LIFE PRESENTS
FROM""LOCAL SERVICE 2""
『One More Dance』

Director : Kento Yamada
Director of Photography : Tomoyuki Kawakami
Camera Assistant : Kohei Shimazu
Steadicam Operator : Takuma Iwata

Lighting Director : Takuma Saeki
Light Assistant : Hajime Ogura

Production Design : Chihiro Matsumoto

Animal Production : SHONAN-ANIMAL

Editor & Title Design : Monaco

Colorlist : Masahiro Ishiyama

Producer : Taro Mikami, Keisuke Homan
Production Manager : Miki SaKurai、Rei Sakai、Shosuke Mori
Production Support: Wataru Watanabe, Yohei Fujii

Production: CEKAI / OVERA

STARRING
IO
Gottz
Holly Q

Ryohu
Minnesotah
KEIJU
Dony Joint
Neetz
Weelow
Kaz

[KANDYTOWN 2nd EP「LOCAL SERVICE 2」作品情報]
title:「LOCAL SERVICE 2」
release date:2021.02.14
price:¥1,400 (without tax)

track list
1. Faithful (Lyric:IO, Ryohu, Neetz, Holly Q, DIAN Music : Neetz)
2. One More Dance (Lyric:IO, Gottz, Holly Q Music : Neetz)
3. Dripsoul (Lyric :IO, Ryohu, Gottz, Holly Q Music : Neetz)
4. Sunday Drive (Lyric : Dony Joint, KEIJU, Neetz, MASATO Music : Ryohu)
5. Coming Home (Lyric : MUD, Gottz Music : Neetz)
6. Sky (Lyric: BSC, Ryohu, MUD, DIAN Music : Neetz)

Produced by KANDYTOWN LIFE
Recorded & Mixed by Neetz at Studio 991
Masterd by Joe LaPorta at Sterling Sound 
Sound Produce: Neetz (M-1,2,3,5,6), Ryohu (M-4)
Additional Arrange: Yaffle (M-2)
Art Direction: IO, Takuya Kamioka

[限定生産2CD EP「LOCAL SERVICE COMPLETE EDITION」作品情報]
title:「LOCAL SERVICE COMPLETE EDITION」
release date:2021.04.21
price:¥2,500 (without tax)

track list (DISC1)

「LOCAL SERVICE」
1. Prove (Lyric: Gottz, KEIJU, MUD Music: Neetz)
2. Till I Die (Lyric: Ryohu, MASATO, BSC Music: Neetz)
3. Explore (Lyric: Gottz, MUD, Holly Q Music: Neetz)
4. Regency (Lyric: MASATO, Ryohu, KIKUMARU Music: Neetz)
5. Fluxus (Lyric: Neetz, DIAN, Dony Joint Music: Neetz)
6. Kapital (Lyric: BSC, KIKUMARU, Dony Joint, DIAN, Ryohu Music: Neetz)

Produced by KANDYTOWN LIFE
Recorded & Mixed by The Anticipation Illicit Tsuboi at RDS Toritsudai
Masterd by Rick Essig at REM Sound
Sound Produce: Neetz
Additional Arrange: KEM
Art Direction: IO, Takuya Kamioka

track list (DISC2)
「LOCAL SERVICE 2」
1. Faithful (Lyric:IO, Ryohu, Neetz, Holly Q, DIAN Music : Neetz)
2. One More Dance (Lyric:IO, Gottz, Holly Q Music : Neetz)
3. Dripsoul (Lyric :IO, Ryohu, Gottz, Holly Q Music : Neetz)
4. Sunday Drive (Lyric : Dony Joint, KEIJU, Neetz, MASATO Music : Ryohu)
5. Coming Home (Lyric : MUD, Gottz Music : Neetz)
6. Sky (Lyric: BSC, Ryohu, MUD, DIAN Music : Neetz)

Produced by KANDYTOWN LIFE
Recorded & Mixed by Neetz at Studio 991
Masterd by Joe LaPorta at Stearing Sound
Sound Produce: Neetz (M-1,2,3,5,6), Ryohu (M-4)
Additional Arrange: Yaffle (M-2)
Art Direction: IO, Takuya Kamioka

 UKのレーベル、〈BBE〉がプロデューサー/DJを主役にして立ち上げたアルバム・シリーズ「The Beat Generation」。Madlib による『WLIB AM: King Of The Wigflip』まで通算11作がリリースされたこの人気シリーズの第一弾を飾ったのが、2001年に Jay Dee aka J Dilla 名義で発表された『Welcome 2 Detroit』であり、数々のヒップホップ・クラシックを残してきた故 J Dilla にとって初のソロ・アルバムとなった作品だ。そんな歴史的アルバムである『Welcome 2 Detroit』の20周年を祝ってリリースされたのが、本作『Welcome 2 Detroit - The 20th Anniversary Edition』である。

 90年代半ばから2000年前後にかけて Jay Dee 時代の彼は実に様々なプロジェクトに参加していた。Pharcyde や De La Soul など様々なアーティストのプロデュースを手がけ、その後、Q-Tip、Ali Shaheed と結成したプロダクション・チーム「The Ummah」や、The Roots の Questlove を中心としたヒップホップ/ソウル・コレクティヴ「Soulquarians」の一員としても活動。さらに自らのグループである Slum Village としてもアルバムをリリースしている。そんな多忙な状況の中、〈BBE〉の指名を受けて制作したのがこの『Welcome 2 Detroit』だ。タイトルが示している通り、彼の地元であるデトロイトのヒップホップ・シーンおよびデトロイト・サウンドのショウケースであり、J Dilla 自身のルーツを辿る作品でもある。


J-Dilla exclusive pictures by Paul Hampartsoumian

 Slum Village ではプロデューサー兼MCとして活動していた J Dilla だが、本作では自身のラップに加えて仲間であるデトロイトのラッパーを多数フィーチャー。J Dilla の脱退と同タイミングで Slum Village のメンバーとなる Elzhi など、世間的にはまだまだ知名度の低かった彼らの存在をヒップホップ・シーンに知らしめた。バウンシーなトラックに乗った Frank-N-Dank によるデトロイト賛歌 “Pause” や、シンプルなビートの質感が最高に気持ち良い “It's Like That” での Hodge Podge (Big Tone)と Lacks (のちの Ta'Raah)によるマイクリレーなど、J Dilla とデトロイトMCたちとの相性の良さは本当に素晴らしく、様々なタイプのトラックとラップの掛け算を堪能できる。タイトル通り Phat Kat の紹介曲である “Feat. Phat Kat” の印象的なサンプル・フレーズは、のちに Q-Tip が “Renaissance Rap” で再利用したり、本作にも参加している Karriem Riggins が自らの曲 “J Dilla the Greatest” で引用するなど、このアルバムの裏クラシック的な一曲と言えよう。

 本作には非ラップ曲やインスト曲もいくつか含まれており、それらが前述した「J Dilla 自身のルーツを辿る」曲だ。中でも至極の一曲と言えるのが、Donald Byrd の同名曲をカヴァーした “Think Twice” だろう。幼い頃からジャズを聞いて育ったという J Dilla だが、ここでは Mizell ブラザーズがプロデュースしたダンサブルなジャズ・チューンの原曲をジャズ+R&Bのテイストでアレンジし、ヴォーカルも自ら担当している。驚くのは、この曲がほぼ生楽器による演奏でレコーディングされているということだ。キーボードとトランペットを担当した Dwele と共に、この曲で J Dilla はドラム、ベース、ピアノ、パーカッションなどを演奏している。サンプリングの達人というイメージの強い J Dilla が、一方で楽器も使って曲作りをしていたことはいまでは広く知られているが、おそらく本作でもサンプリングに生楽器を重ねる手法が多数用いられている。そういった手法でトラックを作っていたヒップホップ・プロデューサーは、このアルバムがリリースされた2001年の時点では非常に稀だったはずで、そういう意味で本作は非常に前衛的な作品であった。『The 20th Anniversary Edition』収録の “Think Twice (DJ Muro’s KG Mix)” は、そんな J Dilla に対するリスペクト溢れるリミックスで、聞き手の心に深く染み込んでくる素晴らしい仕上がりだ。

 “Brazilian Groove (EWF)”も同様に生楽器を主体に作られているが、タイトルが示す通り Earth, Wind & Fire からインスパイアされ、名曲 “Brazilian Rhyme” のコーラスが引用されている。これは、J Dilla のルーツのひとつに70年代のソウル/R&Bがあることの証だ。そして、生楽器の使用と言う意味ではジャズボッサ曲 “Rico Suave Bossa Nova” も “Think Twice” と並ぶ最重要曲のひとつ。この曲は一部、既存の曲からフレーズの引用はあるものの、ほぼ J Dilla のオリジナル曲と言って差し支えないだろう。Pharcyde “Runnnin'” を筆頭に、早くからブラジル音楽をサンプリング・ネタとして取り入れてきたことでも知られる J Dilla であるが、自らの演奏でこれほど完成度の高い曲を作り上げることには恐れ入る。さらに、今回の『The 20th Anniversary Edition』には、ブラジル音楽の本家 Azymuth によるこの曲のカヴァーが収録されており、ブラジル音楽とヒップホップを強く結びつける非常に意義深い一曲だ。ちなみにこのカヴァー・ヴァージョンには、ドキュメンタリー映画『Brasilintime』を手がけたフォトグラファーの B+ と Eric Coleman がプロデューサーとしてクレジットされており、彼らがカヴァーを企画したと思われる。

 もうひとつ、最後に取り上げたいのが、Kraftwerk “Trans Europe Express” の J Dilla 流カヴァーとも言える “B.B.E. (Big Booty Express)” で、様々なシンセサイザーの電子音が飛び交う曲調は本作の中でも非常に異色である。ここで表現されているのはデトロイト・テクノからの影響だ。タイトルはストリップ・クラブの常連であった J Dilla らしいノリで付けられているが、遅めのBPMで、デトロイト・テクノにヒップホップのフレイヴァを加えたハイブリッドな仕上がりは実に中毒性が高い。非常に特殊な一曲ではあるものの、これもまたこの時代の J Dilla だからこそ作り上げることのできた一曲だろう。

 J Dilla は本作がリリースされた5年後に亡くなっている。その後も『Donuts』をはじめ様々な作品がリリースされているが、本作のように様々な要素が入り混じった作品はひとつも作られていない。もし、いまも彼が生きていて『Welcome 2 Detroit』の第二弾を作ったらどんな作品になっていただろうか? そんなことを想像しながら、この『The 20th Anniversary Edition』をさらに聴き込んでみたい。

文:大前至

アーティスト名: J DILLA
タイトル: WELCOME 2 DETROIT - THE 20TH ANNIVERSARY EDITION [7INCH × 12枚組 BOXSET]

バスタ・ライムスが名付けたという J・ディラ名義でリリースされた本作、彼の出身地デトロイトをリプリゼントすべくゲスト・ラッパー陣は全て地元のアーティストで固めており、フランクンダンクからエルジー、ファット・キャットが参加し、J・ディラがデトロイトで聴いて育ったクラフトワーク、アフリカン、ジャズ・ファンク/ボサノヴァ、そしてもちろんブーム・バップに至るあらゆる音楽をディラ流に仕上げたクラシックがズラリ……! 全てデジタル・リマスタリングを施し、さらにこのアルバムのセッション中にJ・ディラのプライベート・テープに残された未発表音源やアウト・テイクを追加収録、そして日本が誇るキング・オブ・ディギン、Muro による “Think Twice” のリミックス、クラシック “Rico Suave Bossa Nova” のアジムスによるカヴァーなどを収めた全46曲の脅威のヴォリュームで送るボックスセット! アンプ・フィドラーやマ・デュークスなど参加アーティストのインタビューなどを収録したブックレット(英語)も付属。

label: BBE
genre: HIPHOP
format: 7INCH × 12枚組 BOXSET
cat no.: BBEBG001SLP
barcode: 0195497389094
発売日: 2021.2.5
税抜卸価格: (オープン価格)

Tracklist:

Disc 01
A1. Y’all Ain’t Ready
A2. Think Twice (faded)
B1. Y’all Ain’t Ready (Instrumental)
B2. Think Twice (Instrumental ? faded)

Disc 02
C1. The Clapper feat. Blu
C2. Shake It Down
D1. The Clapper (Instrumental)
D2. Shake It Down (Instrumental)

Disc 03
E1. Come Get It feat. Elzhi (edit)
F1. Come Get It (Instrumental ? edit)

Disc 04
G1. Pause feat Frank ‘n’ Dank
G2. B.B.E. ? Big Booty Express
H1. Pause (Instrumental)
H2. B.B.E. ? Big Booty Express (Instrumental)

Disc 05
I1. Beej-N-Dem Pt.2 feat. Beej
J1. Beej-N-Dem Pt.2 (Instrumental)

Disc 06
K1. Brazilian Groove
K2. It’s Like That (Edit) feat. Hodge Podge, Lacks
L1. Brazilian Groove EWF (Instrumental)
L2. It’s Like That (Instrumental)

Disc 07
M1. Give It Up
N1. Give It Up (Instrumental)

Disc 08
O1. Rico Suave Bossa Nova
P1. Azymuth ? Rico Suave Bossa Nova (Vinyl Edit) ? Azymuth

Disc 09
Q1. Feat. Phat Kat
R1. Feat. Phat Kat (Instrumental)

Disc 10
S1. African Rhythms
S2. One
T1. African Rhythms (Instrumental)
T2. One (Instrumental)

Disc 11
U1. It’s Like That (Alternate Version)
U2. Beej-N-Dem (og) feat. Beej

Disc 12
V1. African Rhythms (No Drums)
V2. Brazilian Groove EWF (No Drums, No Vocal)
V3. Give It Up (Acapella)
W1. Think Twice (DJ Muro’s KG Mix)
X1. Think Twice (DJ Muro’s KG Mix Instrumental)

Smerz - ele-king

 2018年の鮮烈な「Have Fun」を覚えているだろうか。「楽しんで」と言いながらひずんだビートでダークな世界を構築、そこに気だるげなヴォーカルを乗っけてみせるノルウェイのふたり組、スメーツがついにファースト・アルバムをリリースする。
 タイトルは『Believer(信者)』とこれまた意味深だが、ホラー・ポップとでも形容すればいいのか、あの不穏なのに人を惹きつけてやまない独特なサウンドは健在のようで、ただいま表題曲が先行公開中。なんでもヒップホップやR&Bに北欧の民族音楽やオペラが混じったアルバムに仕上がっているそうで……なお、日本盤には「Have Fun」全曲が追加収録されるとのこと。楽しみです。

Smerz
醒めた寓話は、ノルウェーの森でトランスする…
ビョークのポップと狂気を引き継ぐ大器スメーツ
待望のデビュー・アルバム完成。

2017年にデビューを果たし、翌年にリリースしたEP作品「Have Fun」で世界を震撼させたカタリーナ・ストルテンベルグとアンリエット・モッツフェルトによるノルウェーのデュオ、スメーツが待望のデビュー・アルバム『Believer』を〈XL Recordings〉より2021年2月26日にリリース。同作よりタイトル曲のMVが公開された。

Smerz - Believer
https://www.youtube.com/watch?v=bHp3dnAQAFc

スメーツらしい不穏にシンコペートするビートと白昼夢のように美しいストリングス、そして完成までに2年を要したリリックを彼女たちらしい醒めたヴォーカルでなぞった「Believer」のMVは、ベンジャミン・バーロンが監督を務め、ブロール・オーガストが衣装を担当。2020年に発表されたアルバム・トレーラー、先行シングル「I don’t talk about that much/Hva hvis」に続いて、北欧の民族舞踏ハリングダンス、ノルウェーの田舎の緑豊かな風景をピーター・グリーナウェイの演出のような絵画的なスタイルで表現する一方で、ラース・フォン・トリアーの映画『ドッグヴィル』のミニマルな演出を引用するなどアルバムの一連のヴィジュアルとしてノルウェー文化と芸術の歴史におけるノスタルジーとロマン、そして狂気を築き上げた。

近年、盛り上がりを見せるノルウェー地下のクラブ・シーンとも共振しながら、トランスやヒップホップ、R&Bと自身のバックグラウンドである北欧の伝統的な民族音楽、オペラ、ミュージカル、クラシックのハイブリッドとして産み落とされた衝撃のデビュー・アルバム『Believer』は2021年2月26日に世界同時リリース。日本盤CDには解説及び歌詞対訳が封入され、ボーナス・トラックとして人気作「Have Fun」収録の全8曲が初CD化音源として追加収録。輸入盤CD/LPとともに本日より各店にて随時予約がスタートする。

label: BEAT RECORDS / XL RECORDINGS
artist: Smerz
title: Believer
release date: 2021/02/26 FRI ON SALE

国内盤CD
国内盤特典:ボーナス・トラックとしてEP「Have Fun」全8曲収録
解説書・歌詞対訳封入
XL1156CDJP ¥2,200+税

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11668

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