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Andy Stott

AmbientDowntempoTechno

Andy Stott

Never The Right Time

Modern Love

髙橋勇人   Jul 13,2021 UP

 アンディ・ストットが一介の優れたテクノ・プロデューサーから、確固たるオリジナリティを持った作家として認知されるようになったきっかけは、彼の出身地であり、いまも住み続けるマンチェスターの〈Modern Love〉からリリースされた2011年作の『Passed Me By』であると誰しもが同意するだろう。同年はジェイムズ・ブレイクサブトラクトのファースト、ジェイミー・XXとギル・スコット=ヘロンの『We’re New Here』、ハイプ・ウィリアムズも健在で……。とにかく、それらと肩を並べて、電子音楽の集合的記憶には、あの煙をあげるテクノ・アルバムは大きな足跡を残している。当時、僕はスコットランドのグラスゴーにいて、彼の地の名門テクノ・レコード店、ラブアダブで『Passed Me By』のジャケットに魅了され、試聴せずに盤をそのままレジへ持っていった。店員はスコットランドなまりで「This is a beatiful record」と呟いた。
 同じ年に出たEP「We Stay Together」と同作がコンパイルされたCD盤も発売され、三田格は同じ時期に〈Type〉から再発されたポーター・リックスの名盤『Biokinetics』と並べてストットを論じている。当時21歳だった、ダブステップとそれ以降の音楽に熱を上げていた僕にとって、ベーシック・チャンネルと彼らが残したものは十分に吸収できていたわけではない。同レヴューで三田がいう「新たなリスナー」とは自分のことだなと思い、両者の音を比較し、ダブテクノの旅へと足を踏み出した(ちなみにストットはヴラディスラフ・ディレイの “Recovery Idea” を2008年にリミックスしていて、ここには『Passed Me By』の姿はまだない)。
 空間表現や流動的なサウンドイメージ、DJユース/フロアでの機能性という尺度において『Biokinetics』に軍配が上がるかもしれないが、過去を想起させるというよりは、油絵のブラッシュ・ストロークのごときあのスモーキーでダビーでヴァイレントに歪み、幻想的ですらあるサウンドはいまだに個性を放っている。同じ年に出たベリアルの名EP「Street Halo」もリピートしまくっていた時期だったこともあり、リズム的にもテクスチャー的にも、当時は僕は完全に『Passed Me By』の世界の方に引き摺り込まれた。あの音にはたしかに「いま」があったのだ。このような経緯を辿った「新たなリスナー」たちは、けっして少なくはないだろう。

 今作『Never The Right Time』は『Passed Me By』から10年という節目にリリースされたアルバムである。この間、デムダイク・ステアのマイルズ・ウィテカーと組んだミリー&アンドレア『Drop The Vowels』(2014)ではハードコア/ジャングルをスマートに換骨奪胎。コンスタントに二、三年の周期でリリースされた3枚のアルバムと1枚のEPでは、『Passed Me By』で植え付けたイメージに縛られることなく、エレクトロからグライムにいたるまで、実に多くの手法やテクスチャーにストットは挑戦している。
 結論を先に記せば、今作にはそのようなサウンドにおける彼の冒険が凝縮されているといっても過言ではない。2012年作『Luxury Problems』以降、彼の作品にたびたびシンガーとして登場してきた彼のピアノ教師でもある、アリソン・スキッドモアにも今作では多くのスポットライトが当てられている。もちろん、サウンド・アイデンティティを保持しつつ、スタイルのアップデートにも余念がない彼のアティチュードも健在である。
 具体的にサウンドを見てみよう。冒頭 “Away not gone” はギターからはじまる。マイクで拾われたというよりは、オーディオ・インターフェイスにシールドを直挿ししたかのようなテクスチャーが、淡いリヴァーブで広がっていき、高音域の弦はフロントカヴァーのカモメたちのように鳴いている。クレジットにギタリストの名前はないが、この表現方法は去年デムダイク・ステアとアルバム二作を発表したギタリスト、ジョン・コリンのものにも通じる。そこにシンセ高低域をカヴァーするシンセと、スキッドモアのヴォーカルが重なっていく。
 二曲目の表題曲では引き続きスキッドモアがマイクの前に立つが、それよりも印象的なのがリズム・プログラミングだ。左チャンネルで淡々とリードを取るクローズドハットが一貫したリズムを刻むなか、ストットのシグネチャー・サウンドでもある歪んだシンバルやクラップが別方向から飛んでくる。冒頭のメインを飾るヴォーカルは、楽曲中盤をすぎるころにはこのリズムと完全に入れ替わっていた。
 左右のチャンネルに広がるサウンドステージを最大限に活用したプロダクションは、ダークなアルペジエイターとダンスホールのようにも響くリズムが交錯する “Repetitive Strain” でも顕著だ。ストットの手腕はエコーとリヴァーブを駆使するダブエンジニアのそれというよりも、マテリアルのミキシングに長けたトータル・プロデュースの方向に成長を遂げたようで、レヴォン・ヴィンセントのトラックの上でジ・XXが歌っているような “Don’t know how” は、各パートがバンドのように非常にバランスよく組み合わさっている。壮大なピアノ・アンビエント “When It Hits” を挟んだ後の “The Beginning” は、ポストパンクからマッシヴ・アタックをも射程においたようなヴォーカル曲で、次はFKAツィッグスともストットは仕事ができるんじゃないかとも思わせる。
 ここまで楽曲のエネルギーは、過去作と比べると透明度の高い川のように流れているが、7曲目の “Answers” でストットのダークサイドが表出する。アタック感がほぼ消去されたかのようなキック/ベース連続体が、上下にバウンスするようなイメージを伴いながら、エコーで乱反射するリズムと転がり続けるチューンの律動感は、拍子のカウントすら困難なほど跳ね上がる。ブレイクごとにベースのテクスチャーは切り替わり、サウンドはかなりヴァイオレントに生成変化を遂げたあと、天上のごときゆるやかなエンディングが待っている。ベースとシンセリードで成り立つウェイトレス・グライムの手法にも通じつつ、ブリストルのバツが率いる〈Timedance〉のような恐るべきテクニックを持った若手世代とも共振するような、最高にエクスペリメンタルな一曲である。
 欲を言えばこのダンス・バイブをアルバム最後にかけて聴きたいところだが、ストットは不意打ちをするかのように、今作二度目のアンビエントである “Dove Stone” をラストの前に投下。坂本龍一が愛機のプロフェット5を奏でているかのような、穏やかで荘厳なオーケストレーションだ。坂本の17年作『Async』のリミックス集『Async - Remodels』にアルカやワンオウトリックス・ポイント・ネヴァーらと参加しているストットだが、彼の影響は自身の楽曲においても表出しているようである。
 そこからアルバムは最後のスローなヴォーカル・ナンバー “Hard to Tell” に漂着し、ギターとシンセ・ストリングスで幕を閉じる。

 ダンス・フロアでストットを知ったリスナーにとって、『Never The Right Time』は同じアーティストであると思えないほど異色に映るはずだ。僕が彼のライヴを最後に見たのは2018年6月15日、ロンドンのオヴァル・スペースにおいてだが、そのときは他の出演者であるアイコニカ、デムダイク・ステア、そしてリー・ギャンブルと比べても、非常にパワフルでバウンシーなダンスセットを披露していた。2019年のEP「It Should Be Us」も、穏やかであるといえども、フロアを意識したプロダクションを保持していた。
 2021年、『Biokinetics』は〈Mille Plateaux〉からまた再発される。そのような回帰とは異なり、10年前の地点からは予想し得ない方向にストットは向かった。先ほど、本作にはこれまでの10年が凝縮されていると書いたが、それは単なる繰り返しを意味するのではなく、彼は自身の学びと培ったサウンド・マナーを保ちつつ、シンガーとともにそこで生まれた可能性をさらに肥大化させている。同年代である盟友のデムダイムのふたりや先のリー・ギャンブルが、アンビエントなどと並行して、ダンス・ミュージックのあくなき探求も止めないことを鑑みれば、同じことをストットにも期待しないではいられない。でも、世界のダンス・フロアが閉まった2020/2021年という時代を考えれば、『Never The Right Time』には我々に寄り添う最高のリアリティがある。ここではむしろ、その時代との同期性にこそ評価を与えるべきなのだろう。
 「真っ暗な窓からは街灯も車の明滅も見えない/あるのは冬のような容赦のない冷たさ」。本作を締め括るスキッドモアの歌詞は、緩やかな演奏とは対照的に痛烈に現実をすくい上げている。

髙橋勇人