「AY」と一致するもの

Beak> - ele-king

 Beak>のようなバンドをどこに位置づければよいだろう? 彼らの音楽は過去を想起させるが、レトロではない。見かけによらず実質剛健だが、入手しやすい無印良品のようなミニマリズムでもない。それは多様な認識に火花を散らし、多くの者が直感的にぐっとくるものを備えているが、その特異な音楽はBeak>以外の何物でもなく、他の誰のサウンドにも似ていない。

 Beak>の4作目のアルバム『>>>>』が最初に登場した際、突然どこからともなく降ってきたかのごとく、ファンファーレも鳴らされず、プレヴュー・トラックもなく(“Ah Yeah”のみ、2021年にデジタル・シングルの一部としてのヴァージョンが登場したが)、我々の前に姿を現した。前作を土台にして積み上げるのではなく、バンドは2009年のデビュー作のようなジャムをベースとしてアプローチする作曲方法に回帰しようとしたが、音楽的にも、オリジナル・メンバーのマット・ウィリアムス(MXLXとしても知られる)からウィル・ヤングに代わったことでも、それ以降のバンドの方向性を描き出している。これは、作曲とレコーディングにゆるさを取り入れながらも、絶対的な正確さと細部へのこだわりに留意してミックスされたアルバムなのだ。

 ディスコグラフィーにはこのように位置づけられるとしても、Beak>自身はどのあたりにいるのだろうか?

 まずできることとしては、地理的にゆかりのある場所、つまり彼らの出身地であるイングランドのブリストルに目を向けてみることだ。一見したところ、Beak>と創設メンバーのジェフ・バロウの古い方のバンド、ポーティスヘッドとは大きな共通点はないように見えるのは、ポーティスヘッドは90年代初期のトリップ・ホップ・シーンと強く結びついているのに対し、Beak>は、ロックという一般的な宇宙の範囲内で活動しているからだ。だが両者のサウンドには共通の結合組織が存在する。Beak>が時たまジャズやファンクのビートに手を出したりするように、両バンドとも不気味でエレクトロニックな色彩を帯びたザ・シルヴァー・アップルズのサイケデリックへの借りがあるのだ。とくに、ポーティスヘッドのアルバム『Third』の“We Carry On”と、Beak>のこの新譜からの“The Seal”は、いずれも何らかの形であのニューヨークのデュオに敬意を表している。

 より広いところでいえば、イングランド南西部には、ブリストルの熱波の舗道とグロスタシャー、サマセットとセヴァーン河口ののどかな丘陵地や氾濫原の間を漂うサイケデリック・ミュージックの長い伝統がある。ムーヴィートーンのまばらで儚いフォーク、サード・アイ・ファウンデーションの閉所恐怖症的なビートが主体のパラノイア、ザ・ヘッズのリフが前面に押し出された重たいノイズ、ファズしまくりのクラウトゲイズのフライング・ソーサ―・アタックなど、すべてのバンドがBeak>の音楽も自然にその一部として溶け込める音の風景を創り出している。ウェストカントリー(イングランド西部)の空気の何かのなせる業に違いない。あるいはその地の水か。またはドラッグか。

 さらに彼らは、パート・チンプやヘイ・コロッサスなど(どちらもサマセットを拠点とする〈Wrong Speed Records〉に関係している)、クラウトロック、ハード・ロックやサイケデリアと繋がりのあるイギリスの中年バンドの緩やかな集団にくくられてもある意味納得がいく。

 だが、まだ他にも何かがある。それは、彼らの音楽を通じてうずくようなメランコリーが漂っているのにもかかわらず、それが露骨に発せられることがほとんどない点だ。バロウのヴォーカルは、もう一人のブリストルが生んだ著名な息子、ロバート・ワイアットが隣室から少しだけ悲しげな調子で紅茶がほしいと要求してくるような、感情を押し殺した、疲弊した質感の声なのだ。それはもしかすると、傷ついた心をさらけ出すことに抵抗のある古いタイプの英国人気質なのかもしれず、放置された悲しみは血管の中にあてもなく忍びこんでしまう。『>>>>』でかろうじてヴォーカルが聴こえるなかで、彼らがもっとも魂をさらけ出しているのに近いのは、オープニングの“Strawberry Line”だけだ。それは、アルバムのジャケットにブリストルの象徴であるクリフトン吊り橋の背後に、ゴジラ・サイズでレーザービーム光線の目をした巨大な死の猟犬として描かれるバロウの亡き愛犬アルフィーへの悲痛な頌歌になっている。

 アルバムに流れる微かにメランコリックな色調も、音楽を推進する艶やかでミニマルなクラウトロック的なシンセやグルーヴに、セピア色の喪失感を与えている。それは決してあからさまというわけではないが、ゴースト・ボックスや、より最近ではウォリントン・ランコーン・ニュー・タウン・ディヴェロップメント・プランのような、アナログ時代の朽ち果てたユートピアやモダニスト的なプロジェクトなどのプリズムを通して未来を見つめるアクトにも通じる色調なのだ。我々が現在直面している混沌とした未来をつかもうと手を伸ばすのではなく、バンドはどうも戦後のキニア=カルヴァート道路標識システムのクリーンで機能的な幾何学構造を音楽的に再現しようとしており、哀愁漂うフォークのメロディが雨跡の染みついた車窓に流れる灰緑色の風景のように曲の中で漂っている。BBCレイディオフォニック・ワークショップの脆くて孤独なDIYフューチャリズムが、遊び心のあるテクスチュアと空間を使った微妙なレイヤード構造になっている本作を彩る一方、“Denim”では、一貫した音色を保つことのない不安定に揺れるシンセがバロウの声と刺激的に相対している。
 
 それはつまり、彼らは過去に憑りつかれながらも、ある種の並行未来(パラレル・フューチャー)へと向かう自分たち独自の雰囲気を持つ世界を創造していることを意味する。それは、1970年代スタイルのSFかフォーク・ホラー映画のような世界かもしれない——ジェフ・バロウのサウンドトラック作品と彼の〈インヴァーダ・レーベル〉のリリース・カタログは、明らかにそのような場所で十分な時間を通過してきた。だが、それは不快なノイズに包まれた注意深く定義された領域の宇宙というよりは、ある種の、程度を抑えた“エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス”のような魅力的な別世界なのだ。


by Ian F. Martin

Where do you place a band like Beak? Their music evokes the past, but it’s not retro. It’s deceptively spartan, but it’s no off-the-shelf Muji minimalism. It sets of so many diverse sparks of recognition, yet it’s utterly singular: nothing sounds quite like Beak.

When it first appeared, Beak’s fourth album “>>>>” seemed to have dropped out of nowhere, arriving with no fanfare or preview tracks (although a version of “Ah Yeh” had appeared as part of a digital single back in 2021). Rather than building directly on its predecessor, the band tried to go back to something more like the jam-based writing approach of their 2009 debut, though it also draws on the directions the band have taken over the years since, both musically and with the replacement of original member Matt Williams (aka MXLX) with Will Young. It’s an album that incorporates looseness into its writing and recording, but is mixed with absolute precision and attention to detail.

So that places it within the Beak discography, but where are Beak themselves?

One place you can start is by placing them in their actual geographical location: Bristol, England. On the face of it, there’s not a tremendous amount in common between Beak and founding member Geoff Barrow’s older band Portishead, with the latter associated most strongly with the trip-hop scene of the early 90s and Beak operating in the general cosmos of rock. There’s connective tissue between both bands’ sounds though, with Beak occasionally flirting with jazz and funk beats, and both bands owing an eerie, electronic-tinged, psychedelic debt to The Silver Apples. In particular, Portishead’s “We Carry On” from the album “Third” and Beak’s “The Seal” from this album both pay the New York duo tribute in one form or another.

More broadly, the southwest of England has a long tradition of psychedelic music that floats between the heatwave pavements of Bristol and the pastoral hills and flood plains of Gloucestershire, Somerset and the Severn Estuary. The sparse, fragile folk of Movietone, the claustrophobic beat-driven paranoia of Third Eye Foundation, the riff-forward heavy noise of The Heads, the fuzzed-out krautgaze of Flying Saucer Attack: all of these bands create a sonic landscape into which Beak’s music feels like a natural part. There must be something in the westcountry air. Or the water. Or the drugs.

They also make a sort of sense within a loose constellation of middle-aged British bands at the nexus between krautrock, hard rock and psychedelia, including bands like Part Chimp and Hey Colossus (both connected to the Somerset-based Wrong Speed Records).

There’s something else, though, too. A melancholy that aches through in the music but rarely articulates itself in any explicit way. Barrow’s vocals have an emotionally strangled, weary sort of quality that sound like another of Bristol’s most celebrated sons, Robert Wyatt, calling plaintively for tea from the next room. Perhaps it’s that older sort of Englishness that baulks at the thought of exposing its open emotional wounds, leaving sadness to creep, unaddressed, through its veins. Where the vocals on “>>>>” are audible at all, the closest they get to baring their soul is on the opening “Strawberry Line”, a poignant ode to Barrow’s deceased dog Alfie — who appears on the album cover as an adorable, Godzilla-sized, laser-eyed hound of death, towering over Bristol’s iconic Clifton Suspension Bridge.

The faint tint of melancholy running through the album also lends a sepia sense of loss to the sleek, minimal, krautrockist synths and grooves that drive the music forward. Less explicit, perhaps, but there are tonal parallels with hauntological projects like the Ghost Box Label and more recently acts like the Warrington-Runcorn New Town Development Plan, which look to the future through the prism of now-decayed utopian, modernist projects of the analogue era. Rather than grasping the chaotic future we currently face, it’s as if the band are musically recreating the clean, functional geometry of the postwar Kinneir-Calvert signage system, with mournful folk melodies floating through the songs like green-grey landscapes drifting past rain-speckled car windows. The fragile, lonely, DIY futurism of the BBC Radiophonic Workshop colours the subtly layered production with its playful use of texture and space, while wavering, uncertain synths that won’t hold to a consistent tone on “Denim” play like an electric counterpart to Barrow’s voice;

What it adds up to is a band who are creating a world of their own with its own distinct atmosphere, haunted by the past but striving towards some sort of parallel future. It could be the world of an eerie 1970s-style science-fiction or folk-horror film — Geoff Barrow’s soundtrack work and his Invada label’s release catalogue has certainly spent enough time in those sorts of places — but it’s an inviting sort of otherworld, less Everything, Everywhere, All At Once than a carefully defined area of space within a cacophony of noise.

MariMari - ele-king

 フィッシュマンズ(来年2月18日、東京ガーデンシアターにてワンマン・ライヴも決定)の中心にいた佐藤伸治がその制作に関わった女性アーティスト、MariMariが90年代後半にFOR LIFE MUSICでリリースした3枚のシングルと1枚のアルバムが去る4日からストリーミング配信した。
 MariMariは94年に雑誌『米国音楽』の付録CDにフィッシュマンズの佐藤伸治、茂木欣一らとMariMari rhythmkiller machinegun名義で楽曲“Since Yesterday”を提供、そして96年にシングル「Everyday,Under The Blue Blue Sky」でソロ・デビューしている。

以下、今回の配信コンテンツについて

「Everyday, Under The Blue Blue Sky」
(DISA-0682) オリジナルCD発売日:1996年03月21日
MariMariのデビュー・シングル。全3曲ともに佐藤伸治、柏原譲、茂木欣一とフィッシュマンズ全員に加え、木暮晋也(Gt)、HONZI(vl)そして東京スカパラダイスオーケストラの沖祐市(Kb)が参加し、ZAKによるミックスとフィッシュマンズ関係者全面バックアップによるグルーヴィーなナンバー3曲を収録。

「Indian Summer」
(DISA-0683) オリジナルCD発売日:1996年12月18日
恩田晃、澤田譲治、アパッチ田中らを迎えいれミニマム、エレクトロ、ダンスホールレゲエとそれぞれ特色を強めた3曲にMariMariのヴォーカルの多様性を見せたMariMariの2ndシングル。プロデュースは引き続き柏原譲。

「耳と目そしてエコー」
(DISA-0684) オリジナルCD発売日:1997年11月21日
MariMariのファースト・アルバム。シングルで先行リリースしたM-2、M-8を除き全てのトラックをMariMariと佐藤伸治の二人がプロデュース。フィッシュマンズの名作『宇宙 日本 世田谷』に通じるようなパーソナルかつスペーシーなサウンド空間とMariMariのチャーミングなヴォイスが交叉するドリームポップの一大傑作アルバム。今や世界的にも伝説的な存在となった佐藤伸治のアーティスト面を考察する上でも貴重な作品と言える。

「J」
(DISA-0685) オリジナルCD発売日:1998年05月21日
『耳と目そしてエコー』に続くシングルでFOR LIFE MUSICにおける最終作。これまでのサウンドプロダクションを一新し浦田恵司、柴草玲、杉本洋祐、浜口茂外也、美久月千晴、山木秀夫、佐野康夫と言った著名なセッションマンが参加し洗練されたサウンドを聴かせながらもMariMari独自のヴォーカリゼーションとイマジネーションに満ちた楽曲を聴かせる意欲作。

Nala Sinephro - ele-king

 ナラ・シネフロのデビュー・アルバム『Space 1.8』がリリースされる前のことだ。インタヴューができるというので質問を送った。しかし、返ってきたのはインタヴューを受けられなくなったというレーベル側のコメントだった。オフィシャルなプロモーション取材が優先されたのだろうと理解したが、そこにはシネフロ本人のお詫びの言葉も添えられていた。丁寧な対応だと思った。その後に公開されたピッチフォークのインタヴューで、「アンビエント・ジャズ」や「ハープ奏者」というメディアの形容からシネフロが逃れようとする発言をしているのを知った。完全に制度化されたジャズの間違った売られ方、教えられ方への厳しい批判を口にして、本物のクラシックのハープ奏者が見たら発狂するような伝統を破る弾き方をしていることもクソ喰らえと言わんばかりに強気に語っていた。そうした発言は意外ではなく、当然の態度のように感じた。
 シネフロの音楽は、本人にどんな意図があろうと、良質のアンビエントとしての魅力を放っているし、ジャズを聴いている耳にも引っかかるだけのハーモニーとリズムのうねりの美しい重なりがある。心地良さに包まれる瞬間も確実にある。ただ、それらは、粗い質感と歪んだ音響が見えないレイヤーに潜んでいるような、ある種の危うさを伴って響いてくる瞬間もあるのだ。『Space 1.8』が、いくつかの文脈を伴って多様なリスナー層にアピールした所以だと思う。
 シネフロの経てきた聴取体験や音楽的な嗜好は、かつてNTS Radioで持っていた番組のプレイリストから少し伺い知ることできる。2020年頃に月に1回ほど放送していたミックスはMixcloudでいまも聴くことができて、botがまとめたプレイリストがYouTubeに上がってもいる。例えば公開されていない初回の放送では、MFドゥームの “Gas Drawls” からスタートして、ヘンリー・フランクリン、オープン・スカイ(デイヴ・リーブマン、フランク・トゥサ、ボブ・モーゼス)、ウェザー・リポート、アルハジ・チーフ・コリントン・アインラ、ミニー・リパートン、ファラオ・サンダース、モネット・サドラー、エベニーザー・オベイなどが掛かった。この回はスピリチュアル・ジャズやナイジェリアの音楽に主にフォーカスしているようだったが、間に幾度かMFドゥームの曲が挟まれていた。その他の回でも、日本の環境音楽やアシッド・フォーク、フランスやデンマークの初期の電子音楽から、UKのポスト・インダストリアル、ドローン、〈ECM〉、エレクトロ・ディスコ、ニューヨーク・ラテン、クレタ島のフォークロア、アンゴラのクドゥロ、ジャマイカのダブ、そしてエリック・ドルフィーとチャールズ・ミンガスなど、異なるジャンルと時代が入り混じった選曲をしていた。
 これらがすべてシネフロの音楽のバックグラウンドを形成しているという単純な話をしたいわけではない。ただ、この豊かなプレイリストを見ていると、ハープ奏者という枠にはめられることを否定して作曲家であると言い張る理由がわかるのだ。ジャズを教える音楽大学からドロップアウトしたシネフロにとって、吸収すべきものは音楽そのものだったということだ。ある楽器を演奏するテクニックに秀でるといっても、本来いろいろなスタイルがあり、それによって判断基準も異なる。ジャズでよく使われる「最高峰」という形容は、演奏家のヒエラルキーを可視化しようとする。だが、そこにあるヒエラルキーにふと疑問を抱いた者に、別の可能性を与えるだけの余地をまだジャズという音楽は持っている。演奏家ではなく作曲家であろうとするシネフロが、『Space 1.8』で見出したのはそのことだ。
 ジャズがビバップのコード進行から解放されて、モードに則った演奏に向かった中に、すでにアンビエントの萌芽のようなものがあったのではないか、と感じることがある。ビバップのコード・チェンジで進行していくヴァーティカルな演奏は、調性が明確で、テンション・ノートの使い方を含めて完成されたスタイルを成している。それに則って演奏することでジャズらしくなる。一方で、モード・ジャズ、モーダルな演奏というものは、縦割りのコード進行に囚われずホリゾンタルに広がって、コードトーンではなくキーからモチーフが作られていく。そのように一般的には説明されるのだが、実際はモーダルな演奏といっても、ビバップのコーダルな演奏が混じることもある。特に現代の有能なジャズの演奏家たちはあらゆるスタイルに長けていて、それらを混ぜ合わせて妙技を見せる。だが、そうしたハイブリッドな演奏からドロップアウトしてしまった音楽がある。調性の足かせを外したフリー・ジャズもそのひとつだが、調性を残しながら(あるいは極めて単純化させながら)環境に馴染ませていったアンビエントもそのひとつだ。

 シネフロの新しいアルバム『Endlessness』は、『Space 1.8』よりも幾分かジャズに寄っている。オープニングの “Continuum 1” がそれを象徴する曲だ。エズラ・コレクティヴのジェームス・ モリソンのサックスとブラック・ミディのモーガン・シンプソンのドラム、それにシネフロがアレンジしたストリングスが加わる。 シンセサイザーのクレジットがあるが、ハープを取り込んだ音のようにも聴こえる。抑制的に短いモチーフが反復されていく中から、ストリングスが次第に聴こえてくるが、そのハーモニーが支配的になることはなく、別のレイヤーにずっと存在し続けているかのようだ。まとまりがないということではない。ストリングスは緩やかな高揚感をもたらすが、やがて霧散していくものとして存在している。
 この流れは、“Continuum 2” にも続く。ライル・バートンのピアノがまず基軸を作り、ヌバイア・ガルシアのサックスやシーラ・モーリスグレイのフリューゲルホーンは、ココロコのようなUKジャズのダイナミズムから離れて、ひとつのサウンドスケープの中に溶け込んでいる。この2曲はまさにホリゾンタルに広がっていく世界を描く。そして、アルバムで唯一ハープがクレジットされている “Continuum 3” からアンビエントのサウンドスケープが色濃くなるが、その音響は『Space 1.8』よりもダイナミズムを増している。“Continuum 6” で、シンセサイザーとガルシアのサックスやナシェット・ワキリのドラムとの演奏は熱を帯びていくが、長くは持続せずに起伏のひとつを成し、ラストの “Continuum 10” ではアリス・コルトレーンとクラウトロックの側へと至っている。
 聴覚と視覚や触覚など、五感が互いに影響を及ぼし合うクロスモーダル(cross-modal)という現象がある。音響心理学や音の物理学への関心を深めてきたシネフロにそのことを尋ねてみたいというちょっとした好奇心から質問のひとつに加えたのを覚えているが、いまとなってはクロスモーダルという言葉自体が示唆的に聞こえ、その現象と言葉から勝手に読み解くことがありそうだ。『Endlessness』を聴きながら、そんなことを思っている。

NALA SINEPHRO
ナラ・シネフロ、ニューアルバムを完成させ、待望の初来日公演が決定!

ジャズの感性、ハープとモジュラー・シンセが奏でる瞑想的なサウンド、そしてフォーク音楽やフィールドレコーディングを融合させた独特の世界観で、広く賞賛を集めるナラ・シネフロが、ニューアルバム『Endlessness』を携え、強力なバンドメンバーと共に待望の初来日公演を行うことが決定した。

カリブ系ベルギー人の作曲家でミュージシャンのナラ・シネフロ。話題を呼んだデビュー・アルバム『Space 1.8』は、UKの名門レーベル〈Warp Records〉から2021年9月にリリースされた。サックス奏者のヌバイア・ガルシアやジェームス・ モリソン(エズラ・コレクティヴ)をはじめ、新世代UKジャズ・シーンの最前線の面々の参加を得つつ、当時22歳のナラが作曲、プロデュース、演奏、エンジニアリング、録音、ミキシングを行い創り上げた。その静かな狂気と温かな歓喜に満ちたサウンドは、主要音楽メディアがこぞって大絶賛、ここ日本でもアナログ盤とCD盤が異例のロングヒットとなった。

そんなナラ・シネフロが遂にニューアルバム『Endlessness』を完成させた。2024年を代表するだろうそのアルバムは9月6日にリリースされる。そして待望の初来日公演が決定!完売必至の一夜は11月25日にめぐろパーシモンホールにて開催!チケットの確保はお早めに!

2024年11月25日(月)
めぐろパーシモンホール 大ホール
meguro Persimmon Hall

開場 18:00 / 開演 19:00

TICKET:8,000 YEN (税込/全席指定) ※未就学児童入場不可 ※開演前にお早目のご入場をお願いします。

企画制作:BEATINK
INFO:03-5768-1277 / E-mail: info@beatink.com / [ WWW.BEATINK.COM]

チケット詳細:
一般発売:8月23日(fri)18:00~

イープラス
LAWSON TICKET (L:70999)
BEATINK

INFO: BEATINK 03-5768-1277 www.beatink.com

label:BEAT RECORDS / WARP RECORDS
artist:Nala Sinephro
title:Endlessness
release:2024.9.6.
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14242
Tracklist:
01. Continuum 1
02. Continuum 2
03. Continuum 3
04. Continuum 4
05. Continuum 5
06. Continuum 6
07. Continuum 7
08. Continuum 8
09. Continuum 9
10. Continuum 10

interview with Galliano - ele-king

(ガリアーノのスタイルには)ロンドンのクラブ・シーンのある一線で起こっていたことを代弁し、音楽批評家であるサイモン・レイノルズの書籍『Retromania』にあるような方法で古い音楽を見つけつつ、新しいものをすべて受け入れようとするハングリー精神があったんだ。

 UKでアシッド・ジャズ・ムーヴメントが巻き起こった1980年代後半から1990年代前半、ヤング・ディサイプルズ、インコグニート、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジャミロクワイなどと並んでシーンを牽引したガリアーノ。その後1997年に解散し、中心人物のロブ・ギャラガーも別のプロジェクトなどで活動していたが、そのガリアーノがなんと再始動し、ニュー・アルバムの『Halfway Somewhere』を発表するという驚きのニュースが飛び込んできた。ガリアーノにとって『Halfway Somewhere』は、スタジオ録音作としては1996年の『4』以来28年ぶりの新作となるのだが、アシッド・ジャズ時代をリアル・タイムで体験してきた者にとって、彼らの復活はまったく予想外であった。しかし、現在はかつてのガリアーノについて知らない人も少なくないと思うので、まず当時の活動状況やシーンの様子などから振り返りたい。

 ガリアーノのデビューは1988年で、当時のロンドンはヤング・ディサイプルズやザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズらが出てきて、俗に言うアシッド・ジャズのムーヴメントが巻き起こっていた時代だった。ガリアーノのデビュー曲は、カーティス・メイフィールドの “Freddie’s Dead” をリメイクした “Frederic Lies Still” で、リリース元はDJのエディ・ピラーとジャイルス・ピーターソンが設立して間もない〈アシッド・ジャズ〉。当時のアシッド・ハウスに対抗して作られたと言われる標語をレーベル名に持つ〈アシッド・ジャズ〉の名前を一気に広め、その頃同様に盛り上がりを見せるレア・グルーヴ・ムーヴメントともリンクして人気を集める。
 ガリアーノはロブ・ギャラガーとコンスタンティン・ウィアーのツイン・ヴォーカルを中心に、マイケル・スナイスのヴァイブ・コントローラー(MC的な役割)、スプライことクリスピン・ロビンソンのコンガという編成で、サポートでミュージシャンやコーラスが加わり、ライヴではダンサーなども入る。バンドというよりロブ・ギャラガーのプロジェクトという色合いが強い。サポート・メンバーにはドラマーのクリスピン・テイラー、ベーシストのアーニー・マッコーン、ギタリストのマーク・ヴァンダーグフトらがおり、一時はスタイル・カウンシルのミック・タルボットもキーボードで参加していた。ジャズ、ファンク、ソウル、ゴスペル、アフロ、レゲエなどをミックスした音楽性、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックらビート詩人の流れを汲む歌詞、ラスト・ポエッツやワッツ・プロフェッツのようなポエトリー・リーディング・スタイル、そしてモッズとラスタファリをミックスしたような独特のファッションに、アート、デザイン、カルチャーなども結び付け、USのジャズ・ヒップホップに対するUKのアシッド・ジャズのムーヴメントを牽引していく。

 1990年にジャイルス・ピーターソンとノーマン・ジェイが〈トーキン・ラウド〉を設立すると、そこに加入してファースト・アルバムの『In Pursuit Of The 13th Note』(1991年)、『A Joyful Noise Unto The Creator』(1992年)を発表し、ファラオ・サンダースアーチー・シェップ、ダグ・カーン、ロイ・エアーズなどのジャズ系のカヴァーやサンプリングで高い支持を得る。特にスピリチュアル・ジャズ系のネタ使いはそれまでほかのアーティストに見られなかったもので、またほかのアーティストに比べて強いメッセージ性を有する歌詞やスタイル、言動により、ガリアーノは一種のカリスマ的な人気を博する。
 その後、アシッド・ジャズ・ブームが沈静化してきた1994年、オリジナル・メンバーのコンスタンティン・ウィアーが脱退し、代わりにサブ・メンバーとしてコーラスをやっていたヴァレリー・エティエンヌが正式メンバーとなる。そうしてリリースした『The Plot Thickens』は、クロスビー・スティルス&ナッシュのカヴァーである “Long Time Gone” をはじめ、フォーキーなロックやソウルを取り入れて新境地を開拓。ヴァレリーのソウルフルなヴォーカルがガリアーノの音楽性に化学反応を生じさせ、アーシーでアコースティックな音楽性が加わる。そして、ハンプシャー州トワイフォード・ダウンの高速道路計画に対する抗議曲の “Twyford Down” を収録するなど、これまで以上に政治的なメッセージ性を示したアルバムだった。
 1996年に入ってリリースした『4』は、『The Plot Thickens』のフォーク・ロックに加えてスワンプ・ロックやファンキー・ロック、サイケ・ロックやオルタナ・ロックの要素が増し、同時期に活躍したレディオヘッドに通じるところも見受けられる。トリップホップやディスコ・ダブ的なアプローチはじめ、当時のクラブ・シーンでも最先端として注目されたジャングル/ドラムンベースの要素を導入し、初期のアシッド・ジャズのスタイルから大きく変貌を遂げる。ただし、メディアや世間はその急激な変化や実験性に困惑し、『4』は以前の作品に比べてあまり評価されることなく1997年にガリアーノは解散する。解散前の1996年12月に新宿のリキッド・ルームで公演をおこない、『Live At The Liquid Room』としてリリースされたのが最後の作品となる。そのほか、アンドリュー・ウェザオール、ザ・ルーツ、DJクラッシュらによるミックスをまとめたリミックス・アルバム『A Thicker Plot – Remixes 93-94』も1994年にリリースされている。

 解散後の1998年にロブ・ギャラガーは、ガリアーノやヤング・ディサイプルズのエンジニアを務めていた通称ディーマスことディル・ハリスと双頭ユニットのトゥー・バンクス・オブ・フォーを結成する。ロブの公私に渡るパートナーとなったヴァレリー・エティエンヌと、後期ガリアーノのサポート・メンバーで、K・クリエイティヴやロウ・スタイラスなどで活躍してきたキーボード奏者/プロデューサーのスキ・オークンフルも合流した。セカンド・アルバムの『Three Street Worlds』(2003年)は、モーダルなスピリチュアル・ジャズとダウンテンポ・ソウルが結びついた傑作として高く評価される。
 当時のクラブ・ジャズ・シーンは4ヒーローやジャザノヴァなどが活躍し、ドラムンベース、ブロークンビーツ、2ステップ、ディープ・ハウス、テクノなどと結びついていた時期で、トゥー・バンクス・オブ・フォーもジャズやソウルを基調にしつつも、エレクトロニクスを導入した実験性の高い世界を作り出していく。当時のディーマスはウェスト・ロンドン・シーンと繋がりが深く、ブロークンビーツのシーンともコミットし、リミックスにはフォー・テット、ゼッド・バイアス、マシュー・ハーバートらも起用されていた。

 今回のニュー・アルバム『Halfway Somewhere』に関して、インタヴューを受けてもらうのはロブ・ギャラガーと、合間でヴァレリー・エティエンヌも入ってもらうのだが、こうしたガリアーノからトゥー・バンクス・オブ・フォーへの流れを踏まえた上で話をはじめることにする。

私が生きるはずだった人生はどこにあるのだろう? 平和、そして満たされた幸せな喜びはどこにあるのだろう? 絶対どこかにあるはずだ。そしてこれは、そのどこか。僕たちは皆どこかにいる。そうだろ? だから失われたものすべてが、僕たちがいるここにあるはずなんだ。なぜなら、ここがそのどこかだから。

最初に1990年代まで遡って話を伺いたいと思います。当時ガリアーノが解散に至った理由などについて、改めて教えてください。

ロブ・ギャラガー(以下、RG):ガリアーノは10年の間にさまざまな変遷をたどった。そもそもガリアーノという名前は、1984年頃にジャイルス・ピーターソンの「マッド・オン・ジャズ」というパイレーツ・ラジオの番組で、ロンドンでおこなわれるライヴを案内するために作られたキャラクターに由来しているんだ。ガリアーノのスタイルというのは、ポエトリーやコンガ、ファンクからドラムンベースまで、すべてが一貫しているようなある種の「声」の中でおこなわれていた。つまり、それはロンドンのクラブ・シーンのある一線で起こっていたことを代弁し、音楽批評家であるサイモン・レイノルズの書籍『Retromania』にあるような方法で古い音楽を見つけつつ、新しいものをすべて受け入れようとするハングリー精神があったんだ。でも僕は、1996年までには、個人的にほかの方法で音楽を探求したいと思うようになっていた。そして、その「声」に窮屈さを感じていたんだ。ガリアーノは世間の需要がまだ強く、ライヴを続ければ続けることはできたけど、それは活動を続ける十分な理由ではなかったんだよ。

その後、1998年にディーマス(ディル・ハリス)と双頭ユニットのトゥー・バンクス・オブ・フォーを結成します。この1990年代後半から2000年代前半は、とても創造的で刺激的な時代だったと思いますが、改めて振り返ってみていかがですか?

RG:トゥー・バンクス・オブ・フォーは、さっき話したような領域を探検するのに使った出口のひとつだった。いまも変わらず、僕はディーマスのアートや音楽に対するセンスを心から信頼している。僕らは同じインスピレーションをたくさん共有しているし、そういう意味で僕は本当に感謝しているんだ。同じ周波数にいる人を見つけるのは、簡単なことではないからね。僕らは彼のナンバーズというプロジェクトでも一緒に仕事をした。それらだけでなく、僕らは様々な名義で一緒に曲を作ったんだ。レゲエ・シンガーのフェリックス・バントンとシーズというバンド名義で “Dance Credential” という曲をリリースし、それを演奏しに日本に行ったこともあるしね。僕たちの最高傑作は、ウィリアム・アダムソン名義の僕のアルバム『Under An East Coast Moon』だと思う。そして、僕らはロンドン映画祭のサントラ部門で短編映画のトップ10にも入った。
 余談になるけど、ディーマスの娘リーラはガリアーノの最新シングル “Pleasure Joy And Happiness” のビデオにも出演しているんだ。そんな感じで僕たちのコラボレーションはずっと続いているんだよ。いまもクリエイティヴだけど、1990年代後半から2000年代前半はとてもクリエイティヴだったと思うね。

この当時のロブはアール・ジンガー名義でソロ活動もはじめて、レゲエやダンスホール、ダブやサウンドシステムに影響を受けたスタイルで、ガリアーノ時代にはじまるポエトリー・リーディングの世界をより広げていきます。また、自身のレーベルである〈レッド・エジプシャンズ〉を設立し、トゥー・バンクス・オブ・フォーの覆面バンドであるザ・シークレット・ワルツ・バンドはじめ、いろいろな変名を駆使して活動していきます。まさにパンク的なDIYの精神に基づく〈レッド・エジプシャンズ〉ですが、その後のアレックス・パッチワーク(アレックス・スティーヴンソン)とのユニットのザ・ディアボリカル・リバティーズ、今話に上がった変名ソロ・ユニットのウィリアム・アダムソンとしての活動も、すべて〈レッド・エジプシャンズ〉設立から繋がっています。ある意味で時代のトレンドとは離れ、自身が思うままに自由な活動をしていったわけですが、トゥー・バンクス・オブ・フォーが解散した2008年以降は、どの方向に向かって活動していきましたか?

RG:実際のところ、トゥー・バンクス・オブ・フォーは解散したわけではないんだ。リミックス・ワークもいろいろとやっているし、ギグもたくさんやった。だから、レコードは出していないけれど、僕らは様々な別の方法で活動しているんだ。僕は多くのDJやバンドと一緒に活動してきた。ジャイルスはいつもそこにいたし、クルーダー&ドルフマイスターもそうだった。僕はアール・ジンガーのバンドと一緒にツアーをして東京でプレイしたこともあるし、当時はジャズトロニックの野崎良太とも仕事をしていたね。
 そしてもうひとつのプロジェクトで、いまでも活動しているディアボリカル・リバティーズはあの頃にはじまった。当時の方向性はあまり明確ではなく、もっと実験的な時期だったと思う。フリー・ジャズの詩からDJのアシュリー・ビードルとの曲作りまで、いろいろなことをやっていたからね。友人のアンドリュー・ウェザウォールがよく言っていたように、僕はただ何かを作るという過程を楽しんでいるんだ。詩であれ、コラージュであれ、映画であれ、音楽であれ、この世にまだ存在していないものを作り、それを送り出すことをね。

個人的にはシャバカ・ハッチングスがソロで吹くフルートや、ニューヨークのジャズ/ヒップホップ集団のスタンディング・オン・ザ・コーナーを聴くのをすごく楽しんでいるし、ロサンゼルスのスローソン・マローンが関わっているシーン全体も面白い。

あなたのパートナーでもあるヴァレリー・エティエンヌは、ガリアーノ、トゥー・バンクス・オブ・フォーを通じて一緒に活動していましたが、その後出産や子育てもあって音楽活動から離れる時期もありました。2010年代以降はジャミロクワイ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、インコグニートやブルーイのユニットのシトラス・サンなどの作品に加わるなど、近年はまた活動が活発になってきています。2010年代に入ってロブとヴァレリーのふたりがクレジットされるプロジェクトでは、2014年にジャイルス・ピーターソンが立ち上げたブラジリアン・ユニットのソンゼイラがあり、さらに2020年代ではブルーイによるSTR4TA(ストラータ)があります。特にストラータの『Str4tasfear』(2022年)にはゲストでオマーが参加し、アウトサイドやインコグニートで活躍してきたマット・クーパーや、スキ・オークンフルなど〈トーキン・ラウド〉時代の仲間もセッションしていて、恐らくガリアーノのリユニオンへと繋がるプロジェクトではなかったのかと思うのですが、いかがですか?

RG:ソンゼイラはジャイルスがはじめたプロジェクトだったけど、僕とディーマスはリオに行き、作曲とプロデュースという形でコラボし、参加したんだ。ヴァレリーもヴォーカルで参加して欲しいと頼まれた。とても楽しかったし、たくさんのブラジルのミュージシャンたちに出会えたのは本当に光栄だったね。そしてそのうちのひとりが、僕たちの大親友であるカッシンで、彼は僕らと一緒にソース・アンド・ドッグスというプロジェクトをやっている。あのプロジェクトは、これまで携わってきた中でも最高のプロジェクトのひとつだと思う。ライヴもやってて、シチリア島のパフォーマンスではダンサーも入れたんだ。あのショーはすごかった! いまは1970年代に活動していたホセ・マウロの音楽を基盤にしたアルバムを書いているんだけど、近々リリースできたら嬉しいね。スキ・オークンフルは新しいガリアーノのプロジェクトで一際目立っている。彼はいま、ソロのミュージシャンとしても大成功しているし、自身のYouTubeチャンネルで楽曲制作過程を機材や楽器を使って技術的にレクチャーする番組をやってるんだけど、それがすごく人気なんだ。ガリアーノの再結成に至った経緯には正直僕にもよくわからないところもあるけれど、自分では気づかないことが頭の中でいろいろと起こってたんだと思う。ある意味、「再結成」なんてするつもりはなかったから自分でも驚いているんだけど、この「声」の中にある創造的な衝動がいまとても強くなってきていると思うから、再結成できてとても嬉しいよ。

2023年春にガリアーノのリユニオンが発表されます。コンスタンティン・ウィアーやミック・タルボットといった初期の主要メンバーは参加していませんが、ロブ、ヴァレリー、スキのほか、オリジナル・メンバーのクリスピン・ロビンソンや、長らくサポートをしてきたアーニー・マッコーン、クリスピン・テイラーが中心となります。メンバーにはどのようにガリアーノ再結成の話をし、参加してもらったのですか?

RG:再結成の経緯は曖昧だと言ったけど、ひとつのきっかけとしては友人でもあるマシュー・ハーバートから電話がかかってきて、彼の友だちの誕生日パーティで演奏してくれないかと言われてね。ガリアーノで演奏することはもうないだろうと思っていたんだけど、「きっと楽しいから!」と説得されたんだ。

ヴァレリー・エティエンヌ(以下、VE):集まって数曲演奏するだけだから、なんとかなるはずってね。

RG:それで30年ぶりにリハーサル室に皆で集まったんだけれど、顔を見合わせたとき、これはなかなか面白いなと思った。それからいくつか曲をプレイしてみたら、素晴らしいことに脳みそが全てを覚えていたんだ。どこでストップするとか、どこで何を演奏するとかね。で、ヴァレリーが “Masterplan”(ファラオ・サンダースとレオン・トーマスによる “The Creator Has A Masterplan” のこと)をリハーサルとは違う歌い方で歌いはじめたんだ。歌詞全体を織り交ぜるような歌い方だったんだけど、それを聴いた途端に、いまでも昔と同じようにできるだけでなく、どこか違う、新しい方向に進むこともできるんだと思った。それが可能だということが僕を興奮させたんだ。

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「他の人たちは皆大金を稼いでいるのに、僕は一体何をやってるんだ?」と考えていたとき、アンドリュー・ウェザオールが「自己破壊的、非出世主義者」と書かれたTシャツを着ていてね(笑)。それを見て、「ああ、大丈夫だ」と思えた(笑)。自分の人生も悪くないな、と。

2023年8月のジャイルスの「We Out Here」フェスティヴァルへの参加を経て、アルバム制作に入り、そして『Halfway Somewhere』が発表となります。「道途中のどこか」という意味のこのアルバムですが、どのような思いが込められているのでしょう?

RG:何かを失くしたとき、あるいは自分の人生がどこに向かっているわからなくなったとき、人はそれがどこかにあるはずだと考える。自分の鍵はどこにあるんだろう? 絶対どこかにあるはず、とね。私が生きるはずだった人生はどこにあるのだろう? 平和、そして満たされた幸せな喜びはどこにあるのだろう? 絶対どこかにあるはずだ。そしてこれは、そのどこか。僕たちは皆どこかにいる。そうだろ? だから失われたものすべてが、僕たちがいるここにあるはずなんだ。なぜなら、ここがそのどこかだから。でも僕らがどこにいるのかというのは、自分たちにはよくわからない。しかし僕たちがどこかにいるのは確かで、たぶん中間地点くらいにはいるんじゃないかなと思って、そのタイトルにしたんだ。君がもし、自分がいる場所がどこかもっと明確にわかっている場合は、中間じゃなくてその場所だととらえてもらって構わない。どこにいるのかは、たぶん僕ももっとよく考えないといけないな。でも、もう手遅れかも(笑)。今週末のWOHフェスティヴァル用に『Halfway Somewhere』と書いてあるポールを作ってしまったからね(笑)。僕は映像作家でアーティストのドナルド・ハーディングとコラボして、ポールにぶら下げるスローガン風の楽譜のオブジェを作ったんだ。ちょうど1960年代にオノ・ヨーコがやってたようなヤツをね。「好きな方向に5歩踏み出せ」とか、「東を向け」とかね。だから、少なくとも今週末は中間地点でたくさんの動きがあるだろう。この答えが参考になるといいけど。

1990年代と現在では音楽や社会も変化していますが、新生ガリアーノは約30年ものブランクをどのように埋め、そして新たな発信をしていこうと考えていますか? 逆に30年前から現在においても継承し、続けている部分もあるのでしょうか?

RG:僕たちはいま起こっていること、いま使われている様々な方法から学びたいと思っている。だから、ライヴをやって観客から何を得るかがこれから楽しみだね。当時のガリアーノのライヴはとても集団的だった。悪い言い方をすると、皆個性を殺して、混ざり合った集団になる。でもいまは、僕らも観客も、少しずつ違う場所からやってきて、違うものを持ってくる。だから、ギグに何が求められるのか、何が必要なのか、実際にそこに行ってみるまでわからない。行ってみて突如、知らなかった何かを感じるのは面白いだろうね。そして、人間というのは理性的な部分と感情的な部分で構成されている。だから、後になってあのとき何が起こっていたんだろうと考えることができる。でも僕は、自分の精神が自分の身体に影響される時間というものにとても興味がある。踊ってそれに没頭すればトランス状態に近づき、自分の体の外に出たような気分になる。音楽はそういう逃避の手段なのかもしれないね。ライヴの環境には制御できない、コントロールできない何かが存在している。音楽は目に見えないけれど、波形のようなものが存在していて、僕たちには理解できないことが起こっているんだ。その一体感というのは瞬間瞬間に感じるものであって、その後に感じることはできないのかもしれない。だから、これから学ぶことはたくさんあるし、技術的な面でも、また違ったやり方で音楽をやることもできる。いままで知らなかったことを学び、それを実験する方法がたくさんあるからね。僕たちは皆違うことをやって、またこのプロジェクトに戻ってきた。それによって構造から少し自由になるかもしれない。そして自由になると、そこから何が起こるかは誰にもわからないんだ。

VE:いまの私たちは、ただその瞬間を楽しもうとしているの。前はもっと構造的だったと思うから。

RG:かつてのガリアーノのライヴは、結構アナーキーな雰囲気だった。オーディエンスがステージに登ってきたりしてね(笑)。ステージ・マネージャーが「ステージが壊れるから人を降ろせ!」と言うほどだった。当時はそれについて考えたこともなかったし、ガリアーノをやめてからもあまりガリアーノについて考えたことがなかった。先のこと、未来のことしか見ていなかったからね。でも、いま何が起こっているのかを理解することも重要なことなんだ。たぶん、いまというときは初めてスローダウンして、自分たちがどこから来たのかを振り返るチャンスだと思う。

近年のロンドン、特にサウス・ロンドンではジャズが再び盛り上がりを見せ、トム・ミッシュロイル・カーナーキング・クルールといったシンガー・ソングライターたちも活躍しています。こうした状況の中、ガリアーノとしてはどのような活動を思い描いていますか? 個人的にはガリアーノの精神はキング・クルール、ブラック・ミディ、プーマ・ブルー、ジャークカーブあたりに受け継がれているのかなと思いますが。

RG:キング・クルールはディーマスがプロデュースとミックスを担当していて、そうした点で繋がりがあるとも言えるし、ブラック・ミディも大好きだよ。YouTubeに彼らがホルンを使って素晴らしいセッションをやっている動画あるんだけど、あれは最高だった。ガリアーノのクリスピン・ロビンソンは、ときどき彼らと一緒にパーカッションを演奏している。音楽はかつてないほど生き生きとしていて、彼らが知り合いかそうでないかにかかわらず、とても親しみを感じるんだ。個人的にはシャバカ・ハッチングスがソロで吹くフルートや、ニューヨークのジャズ/ヒップホップ集団のスタンディング・オン・ザ・コーナーを聴くのをすごく楽しんでいるし、ロサンゼルスのスローソン・マローンが関わっているシーン全体も面白い。それから、僕らの近所にカフェ「OTO」という素晴らしいヴェニューもあるんだけれど、そこでは何曜日に行っても良いショーが観られる。先週はジャズ・カフェでリオ出身のアナ・フランゴ・エレトリコのショーを観たんだけれど、それもすごく良かったね。
 あと、現役のアーティストじゃないけど、ライフトーンズ(1980年代前半に活動したポスト・パンク系のエレクトロニック・ダブ・トリオで、1983年にリリースした『For A Reason』というアルバムが2016年にリイシューされた)も素晴らしいバンドで、いまもよく聴いているんだ。ヴァレリーはいま、アシャ・プトゥリ(1970年代にリリースした “Space Talk” や “Right Down Here” で知られるインド出身の伝説的なシンガー)と一緒に歌っているんだけど、彼女たちのショーもすごく面白いんだ。ヴァレリーがそれについていろいろ話を聞かせてくれるんだよ。きりがないからこの辺で止めておこう。でももうひとり、アメリカの詩人のピーター・ジッツィも素晴らしい。彼の最新の詩集『Fierce Elergy』には度肝を抜かれたね。

マーク・フィッシャーという理論家がいて、彼はイギリスに強い関心を持っていた。彼曰く、インターネットが出てきてから全てのものが他の全てのものと同じように関連するようになってしまったんだ。

『Halfway Somewhere』の話に戻りますが、『In Pursuit Of The 13th Note』収録の “57th Min” と “Power And Glory”、『A Joyful Noise Unto The Creator』収録の “Jazz” をセルフ・カヴァーしています。これらについてどんな意識でカヴァーしたのでしょう?

RG:それはディーマスのアイデアだったんだ。彼が僕たちのライヴを見たんだけど、その後、ニュー・アルバムにいくつか昔のトラックを収録したほうがいいと言ってきたんだよ。それらの曲は前と全然違って聴こえるし、昔よりも今のサウンドに合わせたほうがいいから、と。だから、じゃあレコーディングしようということになった。つまり、昔のトラックの新しいヴァージョンやった、という感じだね。たとえば “Jazz” は、ふたつ目のヴァースが違うんだ。最初のヴァースは1990年かその前に書かれたもので、ふたつ目のヴァースは2023年に書かれたもの。だから新ヴァージョンには、例えばニューヨークのジャズ・トランペッターのジェイミー・ブランチなんかが出てくる。彼女は残念ながら2022年に亡くなってしまったけれど、曲の中では彼女の名前が出てくるんだ。
それから、歌詞では「チャーチ・オブ・サウンド」にも触れている。「チャーチ・オブ・サウンド」というのは、イースト・ロンドンのクラプトンでおこなわれていたギグ・イベントで、トータル・リフレッシュメント・センターともリンクしているんだ。そして、トム・スキナーの作品でプレイしていたジェイソン・ヤードにも参加してもらった。彼も素晴らしいジャズ・サックス奏者で、僕たちがそんな彼らと一緒に仕事ができたのは本当に幸運だったと思う。だから、彼らの名前が歌詞にも出てくるんだ。前回の曲に新しい歌詞が加わったアップデート・ヴァージョンがそれらのカヴァーなんだよ。これもまた時間遊びで、こういった方法で時間を楽しんでいるのも面白いと思うね。

“Golden Shovel (Someone Else’s Idea)” はサン・ラーの “Somebody Else’s Idea” にインスパイアされた曲ですね。トゥー・バンクス・オブ・フォー時代もサン・ラーからの影響が見られたのですが、今回はどのようなアイデアからこの曲を作ったのですか?

RG:僕は詩の形式にかなり興味を持っているんだ。“Golden Shovel” では明らかなソネットの形式を取り入れ、それから様々な異なる詩の形式を用いている。“Golden Shovel” はかなり現代的な形式の詩で、この形式はニューヨークに住むテレンス・ヘイズという詩人が考案したものなんだ。彼はワンダ・コールマンという詩人と一緒にその形式を考案し、彼女が詩の中で使った言葉を最後のフレーズにして詩を書いた。そのやり方を参考にして僕はサン・ラーの “Somebody Else’s Idea” を使い、この言葉を最後のフレーズとして使ったんだ。そうやってできたのが “Golden Shovel” なんだよ。

“Cabin Fever Dub” は、親交のあったアンドリュー・ウェザオールに捧げている曲ですね。彼が手掛けた “Skunk Funk” の “Cabin Fever Mix” 及びダブ・ヴァージョンの “Cabin Fever Dub” は、ガリアーノのいろいろあるリミックスの中で一番のものだと思いますが、2017年に彼が亡くなって、改めてこの曲に込めたオマージュについてお聞かせください。

RG:死というのは、起こるべきではなかったと思えるもの。だから簡単に受け入れることができないんだ。全ての死がそうだと思う。不在、というものと向き合うのはとても寂しい。彼がいなくなり、僕も本当に寂しいんだ。彼は、僕がかつて「僕は自分の人生で何もやり遂げていない」と悩んでいたときに、僕の人生に価値を見出してくれた。「他の人たちは皆大金を稼いでいるのに、僕は一体何をやってるんだ?」と考えていたとき、アンドリューはダルストンでラジオ番組をやっていたんだけど、そのとき彼が「Sabotaging, Non careerist(自己破壊的、非出世主義者)」と書かれたTシャツを着ていてね(笑)。それを見て、「ああ、大丈夫だ」と思えた(笑)。自分の人生も悪くないな、と。それで今回、あのリミックスをもとに新しく歌詞をつけたんだ。彼の死と、喪失感についての歌詞をね。

“Circles Going Round The Sun” の歌詞には、そのウェザオールはじめ、ジェイムズ・ブラウン、デヴィッド・マンキューソ、アーサー・ラッセル、ジャー・ウォブル、KRS・ワンのクリス・パーカー、後にLDCサウンドシステムを結成するジェームズ・マーフィーなどのミュージシャンやDJが登場します。初めてニューヨークやベルリンに行ったときの体験をもとにしているようですが、どのようなイメージの曲ですか? マンキューソの「ザ・ロフト」での体験を歌っているのですか? 楽曲もロフト・クラシックであるウォーの “Flying Machine” のフレーズを引用しているみたいですが。

RG:あの歌詞の内容は「ダンス」について。僕が大好きな素晴らしいポッドキャストの番組で「Love Is The Message」というのがあって、DJでもあるふたりの学者、ジェレミー・ギルバートとティム・ローレンスがホストを務めているんだけれど、彼らは理論と音楽を番組の中で一致させるんだ。彼らは1970年代のニューヨークを出発点とした。それは世界が文化的にひとつになった場所だったけれど、経済的には失敗とみなされ、街は荒廃していった。しかし、そこにはたくさんのクリエイティヴィティが存在していた。ロフト・シーンやらジャズ・シーン、ヒップホップの登場まで、あらゆることが起こっていたんだ。そして、どのようにしてディスコが見向きもされなくなったのかもまた興味深い。シカゴでは、DJがディスコのレコードを破壊したりもした。そういった出来事を振り返りながら、人種、経済、哲学、その他様々なことを理論的に考察しているんだ。“Circles Going Round The Sun” は、そのすべてを取り入れたもの。そして、当時の僕の頭の中にあった様々なことに目を向けている。ガリアーノがはじまり、僕らが初めてニューヨークに行ったとき、そこにはジェイムズ・ブラウンがいたし、僕らはクリス・パーカーにも会った。そしてそのあと、ポッドキャストにも出てくるデヴィッド・マンキューソが登場する。マンキューソはDJで、パーティを開催し、コミュニティやパーティから生まれるものに興味を持った最初のDJだった。彼はかなりの集団主義者だったんだ。つまりあの歌詞は、スパースターDJや個人のことについて触れているのではなく、コレクティヴや、そこで何が起きていたのか、そして人びとが何をしようとしていたのか、ということを表現しているんだよ。そして、その後にはソニックスから生まれた様々な哲学があり、ジャングルは非常に異なるサウンドを持つ最後の本物の音楽だったかもしれない。
 面白いのは、1969年の音楽とその制作方法について考え、1974年の音楽を聴いてみると、69年と74年の違いがよくわかること。でも一方で、2000年、2005年、2010年の音楽を聴いてみるとどうだろう? 違いが全然わからない。これは、テクノロジー社会がどうなっていくかというメッセージでもある。インターネットが登場してから、未来はかき乱されてしまったんだ。イタリアにフランコ・ベラルディという哲学者がいるんだけれど、彼は、「未来はキャンセルされてしまった(正しくは、未来の穏やかなキャンセル)」と言った。僕は、それが面白いと思ったんだ。1970年代の若かりし頃は、未来に目を向けたとき、未来はもっとよくなると思っていた。でも気候変動やそういった問題とともに、当時思い描いていた未来は姿を変えてしまったんだ。そして文化的には、マーク・フィッシャーという理論家がいて、彼はイギリスに強い関心を持っていた。彼曰く、インターネットが出てきてから全てのものが他の全てのものと同じように関連するようになってしまったんだ。YouTubeを見れば、1960年代のものにも、2004年の作品にも同じように触れ、それに夢中になることができるからね。全てが繋がっていて自分の目の前に同じように存在するとき、自分にとってそれが何を意味するのか? 文化的に頭がグルグルするんだよ。そういうわけで、そのトラックには様々な人たちが出てくるんだ。まあ結局、全ては輪になっているからね。

この曲にはスコットランドの詩人のジョージ・マッカイ・ブラウンや、アメリカの文化理論学者で詩人のフレッド・モートンの名前も登場します。ガリアーノの歌詞には彼らからの影響も大きいのでしょうか?  また、イギリスの現代アート作家であるマーク・レッキーの名も引用していますが、何かインスピレーションがあったのですか?

RG:僕はジョージ・マッカイ・ブラウンが大好きで、あの歌詞は彼の詩 “Hamnavoe” を引用していて、僕が大好きな詩のひとつなんだ。歌詞の内容は「イメージ」について。ジョージ・マッカイ・ブラウンは詩の中で、ハムナヴォーで郵便配達をしていた父親のことを書いていて、詩の中に “In the fire of images, Gladly I put my hand, To save that day for him(イメージの炎の中で、喜んで手を差し伸べた、彼のためにその日を救うために)”という箇所があるんだけれど、僕はそのフレーズを歌詞に入れたんだ。そして、アンドリュー・ウェザウォールも彼のことを知っていたんだよ。ジョージ・マッカイ・ブラウンについて知っている人は少ないし、特にDJで彼を知っている人なんてほとんどいないと思う。でもアンドリューにその話をしたら、「もう彼の伝記は読んだかい?」と言ってきた。彼以外でそんな答えをくれる人なんていないだろうね(笑)。

1987年くらいに初めて東京に行ったとき、ものすごく物価が高かったのを覚えているよ。いまは為替レートの関係で僕らが行くほうが安いけど(笑)。

“Of Peace” はファラオ・サンダースの “Prince Of Peace” がモチーフとなっています。ガリアーノらしいネタ使いですが、改めてファラオ・サンダースの影響についてお聞かせください。

RG:このアルバムの柱のひとつは、消去というアートへの強い興味だと思う。つまり、いろいろなものを取り除いて新しいものだけを残す、というアート。そこで “Prince Of Peace” の歌詞を使ってそれをやりはじめ、プリンス(エジプトのファラオ王子=ファラオ・サンダース)が亡くなったからタイトルからプリンスを取って、「Of Peace」を残したんだ。

ダビーなエフェクトが印象的な “Crow Foot Hustling” では、ミルトン・ナシメントのクレジットもあります。確かにヴァレリーが歌うサビのフレーズのメロディはミルトンらしいものですが、何かインスパイアされているのですか?

VE:私は彼のメロディが大好きで。ソウル・ミュージックやフォーク・ミュージック、ロックを歌うことに慣れていると、ブラジル人の視点で歌うのはとても難しい。でも私は、そこが興味深いと思った。すごく挑戦的だし、そっちの方が私自身にとってはエキサイティングで。新しい視点や側面を楽しむ、という考え方からその曲は生まれたの。

“Euston Warehouse” は1980年代後半のロンドンのウェアハウス・パーティがモチーフになっているようですね。改めて当時のウェアハウス・パーティの思い出や、その意義について教えてください。

RG:僕は正直、記憶とはほとんど創造的なものだと考えている。人はいつも自分の記憶はかなり明確なものだと思っているけれど、歳を重ねるにつれて、記憶とは創造的な行為であることに気づくんだ。そこで、だから僕の頭の中で10個くらいのウェアハウス・パーティがつなぎ合わされて、ウェアハウスについての詩ができ上がった。でも実際は、10個どころかもっとたくさんのウェアハウス・パーティだと思う。1980年代は本当に数え切れないほどのウェアハウス・パーティがあったから。でも、ロンドンのユーストン駅の車庫で行われたパーティは確実にその中のひとつで、僕は絶対にあのパーティに行ったのを覚えている。そしてその上に、ほかのいろいろな思い出が重なってきたんだ。でもあの曲はおもにそのユーストンのパーティについて。1980年代は音楽的に自由で、本当にいろいろな音楽が演奏された。それに、会場そのものかなり自由で面白かったしね。あの時代は、音楽が爆発的にロンドンを支配した。当時のロンドンはすごく灰色で、いまのロンドンとは全然違っていたから。ロンドンにはまだ波形鉄板の屋根とかが残っていて、第二次世界大戦の爆撃跡もたくさんあったんだ。でも安く住める場所だったし、倉庫に侵入してパーティを開くこともできた。いまではそんなことはあまりできないからね。

VE:正直、私はあまりウェアハウス・パーティには行かなかった。いくつか行きはしたけど、多くはなかったな。

RG:当時のロンドンはいまより物価が安かったかもしれないし、いろいろな意味で劣っていたかもしれない。でも、ある種の自由があった。いまではロンドンで安く生活するなんてできないからね。1987年くらいに初めて東京に行ったとき、ものすごく物価が高かったのを覚えているよ。いまは為替レートの関係で僕らが行くほうが安いけど(笑)。

Meitei - ele-king

 東京、代々木上原〈OPRCT〉のライヴも大盛況に終わった、冥丁の『冥丁「古風」完結編TOUR〜瑪瑙〜』。その追加公演が、京都・岡崎の〈しばし〉にて開催決定! とはいえ、これ、25名限定の特別公演になります。(つまり行きたい人は早くね!)

 しばしの中心には真空管オーディオ・システムがあり、普段はアート&喫茶スペースとして営業しながらも、さまざまな展示やイベントが行われてきました。今回はこの空間で、冥丁による〈暮 set〉が行われます。

 築100年の町屋を改装した〈しばし〉の空間で行われる本公演は、京都を拠点に活動するアーティスト・琴音が自身の作品を用いて演出を手がけます。

◉MUSIC VIDEO 「Saryō / 茶寮」

◉<暮 set>宣伝動画
https://www.instagram.com/p/C9hCrMFy7im/

冥丁 「古風」完結編 TOUR ~瑪瑙~ 追加公演
日程:2024年10月1日(火)
会場:しばし (京都市左京区岡崎天王町76-16)
開場:18:00 / 開演:19:00
出演:冥丁 – 暮 set –
演出:琴音
料金:5,500円(全席自由/税込)+ ワンドリンク制

【チケット購入方法】チケットは《Livepocket》の以下のURLにて9/7(土) 正午12:00より発売
。
https://t.livepocket.jp/e/meitei_sibasi

問い合わせ:しばし
E-Mail: info@sibasi.jp

主催:しばし
https://sibasi.jp/
https://www.instagram.com/sibasikyoto/

Anna Butterss - ele-king

 マカヤ・マクレイヴン『Universal Beings』に参加していたり、ジェフ・パーカーらとの共演盤もあったりと、実力者からその才を認められているジャズ・ベーシスト、アンナ・バターズ。あるいはこれは、いま静かに波が起こっているジャズとアンビエントの融合の流れに分類することもできる音楽かもしれない。10月23日、〈rings〉よりセカンド・アルバムの国内盤がリリース。

『Anna Butterss / Mighty Vertebrate』
2024.10.23 CD Release

Larry Goldings、Josh Johnsonらとの共演や、Makaya McCravenの『Universal Beings』、Daniel Villarealの『Panamá 77』などの参加メンバーとして、LAの多くの名だたるミュージシャンたちからその実力を認められている、ベーシストAnna Butterss期待の2ndアルバムが国内盤CDでリリース‼ 今盛り上がりを見せるアンビエント・ジャズ・シーン最前線の音が記録された、2024年必聴盤。

ジェフ・パーカーやマカヤ・マクレイヴンがその才能に惚れ込んだアンナ・バターズの魅力がこのアルバムには詰まっている。アンナは、ポップスの世界でも認められたベーシストであり、パーカー率いるETA IVtetやスーパーグループSMLの創造性豊かなサウンドの中心にもいる。『Mighty Vertebrate』は、高い評価を得たファースト・ソロ・アルバム『Activities』も凌ぐ、自由でオープンな発想から生まれた音楽だ。トータスのジョン・ハーンドンがアートワークを描いていることも象徴的だ。 (原 雅明 ringsプロデューサー)

【リリース情報】
アーティスト名:Anna Butterss (アンナ・バターズ)
アルバム名:Mighty Vertebrate (マイティ・バーテブレイト)
リリース日:2024年10月23日
フォーマット:CD
品番:RINC125
JAN: 4988044122659
価格: ¥3,080(tax in)
レーベル:rings

オフィシャルURL:https://www.ringstokyo.com/anna-butterss-mighty-vertebrate/
販売リンク:https://diskunion.net/portal/ct/detail/1008900027

Godspeed You! Black Emperor - ele-king

 Godspeed You! Black Emperorが新作『No Title As of 13 February 2024 28,340 Dead』のリリースを発表した。欧米では10月4日に発売。
 また、アルバムのリリース発表に際して、あらたなステイトメントも発表した。

明白な真実
我々はそのなかを漂い、議論した
毎日が新しい戦争犯罪で、
毎日が花を咲かせる
私たちは一緒に座り、
ひとつの部屋でそれを書き、
そして別の部屋に座って録音した

タイトルはない=小さな体が倒れながら、どのようなジェスチャーが意味をなすのか? 
どのような背景があるのか?
どのような壊れたメロディがあるのか?
そして、線上の一点を示すための集計と日付、
負のプロセス
増え続ける山
灰のベッドに沈む太陽

我々が一緒に座って議論しているあいだ
旧世界秩序はかろうじて気にかけるふりをした
新世紀はさらに残酷になるだろう
戦争がはじまる
諦めるな
どちらかを選べ
がんばれ
愛を
GY!BE


“No Title As of 13 February 2024 28,340 Dead”:

01 Sun Is a Hole Sun Is Vapors
02 Hole Sun Is Vapors Babys in a Thundercloud
03 Raindrops Cast in Lead
04 Broken Spires at Dead Kapital
05 Pale Spectator Takes Photographs
06 Grey Rubble – Green Shoots


8月のジャズ - ele-king

 カナダのトロント出身のバッドバッドノットグッドは、純粋なジャズ・バンドということではなく、基本的にインストのジャム・バンドであり、ジャズのほかにもオルタナ・ロックやパンク、ヒップホップやファンクなどのさまざまな要素が混在している。自在な即興演奏が彼らの軸で、活動初期は実際のライヴ・レコーディングを音源としてリリースしていた。ナズからジェイムズ・ブレイクに至る独特のカヴァーやパンクのような縦ノリのライヴが話題を呼び、2010年代初頭から着実にファンを増やしていく。


BADBADNOTGOOD
Mid Spiral

XL Recordings / ビートインク

 基本的にはベース、キーボード、ドラムスのトリオとして出発したが、ゴーストフェイス・キラーとの共演などほかのアーティストとのコラボレーションも増え、メンバー交代やサックス奏者の加入などの変遷を経て、進化を続けている。2016年の『IV』あたりからは、演奏技術だけでなく作曲やアレンジ面での成長が著しく、ミック・ジェンキンスやシャーロット・デイ・ウィルソンといったラッパーやシンガーたちとのコラボにより、単なるインスト・バンドではなくトータルの音楽性で聴かせるバンドへと変貌してきている。そうした成果が表れたのが2021年の『Talk Memory』で、ブラジルのレジェンドであるアルトゥール・ヴェロカイほか、ララージテラス・マーティン、カリーム・リギンズ、ブランディ・ヤンガーら多彩なゲストを招き、特にヴェロカイがアレンジしたストリングス・セクションとの融合による素晴らしい世界を披露していた。

 それから3年ぶりの新作が『Mid Spiral』で、もともと3枚のEPでリリースされた連作を1枚にまとめたアルバムとなっている。今回はシンガーなどが入らず、インスト・バンドとしてのバッドバッドノットグッドに原点回帰したものだ。そして、特徴として挙げられるのはラテンであり、ヴェロカイとの共演が作用したのかどうかはわからないが、中南米的なリズムや音楽構造が随所に表れている。スペイン語のカウントではじまる “Juan’s World” が筆頭で、土着的なフルートやパーカッションをフィーチャーしたラテン・ジャズ/フュージョン調のナンバー。今回はトロントやロサンゼルスのセッション・ミュージシャンもいろいろと録音に参加しているが、パーカッション奏者はラテン系のミュージシャンで、そうした人選からもラテンを意識している点がうかがえる。

 “Sétima Regra” も同様にラテン風味のメロウなジャズ・ファンク/フュージョンで、1970年代のデオダートあたりのアレンジに近いところを感じさせる。“Your Soul & Mine” や “First Love”、“Audacia” も1970年代の〈CTI〉のジャズ・ファンクやフュージョン的だが、隠し味的にラテンのエッセンスが加わっている。ボサノヴァのリズムの“Sunday Afternoon’s Dream” にしても、スローなジャズ・ファンクとシャッフル・ビートを行き来する “Eyes On Me” にしても、もラテン音楽特有のメロウなフィーリングが溢れている。前面にラテン色を打ち出すのではなく、ジャズやファンクなどとミックスさせて洗練した味付けを施した作品が多いようだ。ゆったりとしたスピリチュアル・ジャズ調の “Celestial Hands” にも仄かなラテン・アクセントが加わり、クルアンビンがスピリチュアル・ジャズをやったような作品となっている。


Thandiswa
Sankofa

King Tha Music / Universal Music

 ンドゥドゥゾ・マカティーニマルコム・ジヤネリンダ・シカカネと、ここのところ南アフリカ共和国出身のミュージシャンによる作品を紹介してきているが、キング・ターの異名を持つタンディスワ・マズワイも南アフリカ出身のシンガー・ソングライター。1990年代よりボンゴ・マフィンというグループで活動し、クワイト系のダンス・バンドとして南アフリカのゲットーの若者たちの間で絶大な人気を得て、数々の音楽賞も受賞してきた。アメリカなどワールド・ツアーもおこない、スティーヴィー・ワンダーやチャカ・カーンなどのビッグ・スターとも共演を果たすが、タンディスワは2000年代半ばに脱退。ソロ・シンガーに転向してリリースした最初のアルバム『Zabalaza』(2004年)は、全体的にはネオ・ソウル風のアルバムではあるが、南アフリカに根付くジャズやフォーク・ミュージックの要素を取り入れた自身のルーツを主張するものだった。
 高評価を得た『Zabalaza』に続くセカンド・アルバムの『Ibokwe』も大きなセールスを記録し、この2枚でタンディスワはソロ・シンガーとしても大きな成功を収めることになる。南アフリカはじめ欧米でも高い評価を得ることになった彼女の作品は、ジャズ、ファンク、レゲエなどに、クワイトからムバカンガ、コーサ音楽といった南アフリカ周辺を起源とする音楽の要素を交えたもので、しばしば政治的なメッセージを孕む。1976年のソウェト蜂起の年に反アパルトヘイト運動家でジャーナリストの両親のもとに生まれ、ヨハネスブルグのソウェトで育ってきた彼女は、幼い頃から人種差別、貧富や社会的格差が身近にあり、そうした背景が彼女に政治や社会へ目を向けた歌を作ることへと向かわせた。妹のヌツキィとノムサもシンガーやアーティストとして活動するが、特にヌツキィは詩人/作家として社会活動にも参加するなど、家族全員がアクティヴィストとしての顔を持つ。

 南アフリカの巨星のヒュー・マセケラほか、ミシェル・ンデゲオチェロ、ポール・サイモンら大物アーティストと共演をしてきたタンディスワは、2016年の『Belede』ではビリー・ホリデイを意識したようなジャズ・シンガーへの道を歩きはじめる。そして、この度リリースされた新作『Sankofa』では、ミシェル・ンデゲオチェロと同郷のンドゥドゥゾ・マカティーニを共同プロデューサーに迎え、ヨハネスブルグ、セネガルのダカール、ニューヨークで録音をおこなった。
 反アパルトヘイト活動家のスティーヴ・ビコの演説を引用した “Biko Speaks” はじめ、『Sankofa』には政治的なメッセージに彩られている。“Kunzima: Dark Side Of The Rainbow” の終わりでは南アフリカ議会での嘲笑のような音声がコラージュされ、現在の南アフリカ政府への政治不信を示している。“With Love To Makeba” は南アフリカ出身の偉大なるシンガーであるミリアム・マケバに捧げたものであり、反アパルトヘイト活動に傾倒した彼女が国外追放され、その後ギニア大統領の庇護を受けてギニアに移り、音楽活動を継続していった経緯などについても触れている。ちなみに『Sankofa』とは、西アフリカのガーナの言葉で「過去からの学びを未来へ生かす」というような意味。アフリカ系アメリカ人とアフリカのディアスポラの重要なシンボルである鳥の形を示すものとしても知られる。南アフリカ、セネガル、アメリカと3か所で録音し、ミシェル・ンデゲオチェロというアフリカ系アメリカ人の視点も加え、タンディスワの汎アフリカ主義が主張となって表れたアルバムと言えよう。

 音楽的に『Sankofa』の軸をなすのはジャズとアフリカ民謡で、そこにクワイトやムバカンガといった新しい南アフリカの音楽を融合している。“Emini” はマリ音楽のようなビートを持ち、そこにエレクトリックなアプローチを交えたもの。“Dogon” では西アフリカのコラやンゴニといった固有の楽器が用いられるが、これらセネガルのミュージシャンとのセッションはンドゥドゥゾ・マカティーニによってまとめられている。“Children Of The Soil” はアルバム中でもっともスピリチュアルなナンバーで、ビリー・ホリデイとミリアム・マケバの両者から影響を受けたような歌唱を披露する。アフリカの大地から生まれた子どもたちが、政治や貧困に苦しめられる、そんな苦難を歌にした作品であり、黒人奴隷の悲哀を歌にしたビリー・ホリデイやアパルトヘイトと戦ったミリアム・マケバへと繋がるものだ。タンディ・ントゥリのピアノをフィーチャーした “Xandibina Wena” もディープなジャズ・ヴォーカル作品で、動物的で野性的な甲高い歌声が心に残る。


Kavyesh Kaviraj
Fables

Shifting Paradigm

  カヴィエシュ・カビラジはミネソタ州のツイン・シティーズ(ミネアポリス~セントポール)を拠点とするピアニスト/作曲家で、『Fables』はデビュー・アルバムとなる。オマーンでインド人両親の元に生まれた彼は、2歳のころにはすでにピアノをはじめたという早熟児で、南インドのカルナータカ音楽と北インドのヒンドゥスターニー音楽を学んでいった。音楽家である父からはクラシックと現代音楽に関するレッスンを受け、10代に入るとインドに移り住んでスワルナブーミ音楽アカデミーに入学。2016年にツイン・シティーズへ移住し、アメリカで本格的な音楽教育を受ける。2019年からバークリー大学でジャズ専門コースを選択し、ダニーロ・ペレス、ケニー・ワーナー、ジョアン・ブラッキーンらに師事する。2020年に音楽修士の学位を取って卒業してからは、ジャズを主戦場にしつつもR&Bやヒップホップ、ファンク、ゴスペル方面のセッションにも参加してきた。現在はセント・トーマス大学でピアノ学部の教師を務めるほか、カールトン・カレッジやウォーカー・ウェスト・ミュージック・アカデミーで客員講師を務めるなど、おもに音楽教育家として活動する一方、自身の音楽制作やバンド活動もおこない、そして発表したのが『Fables』である。

 『Fables』のメンバーはカヴィエシュ・カビラジ(ピアノ、キーボード)以下、ジェフ・ベイリー(ベース)、ケヴィン・ワシントン(ドラムス、パーカッション)、ピート・ホイットマン(サックス)、オマー・アブドゥルカリム(トランペット)で、楽曲によってゲスト・シンガーやストリングスが加わる。抒情的なメロディによるモーダルな “Who Am I”、ブラジリアン・リズムを取り入れたジャズ・サンバ調の “Saudade”、ダイナミックなピアノが飛翔感に満ちた演奏を展開する “Rain”、変則的なリズムが躍動する “They Cannot Expel Hope” などが並ぶなか、“Lullabuy” ではインド固有の木管楽器であるバーンスリーをフィーチャーしていて、インド系のカヴィエシュらしい楽器使いと言えよう。ここでのバーンスリーとタブラのようなパーカッション、ストリングスとピアノによるラーガ的な美しいアンサンブルは、幼少からインド音楽を学び、ジャズの世界でも研鑽を積んできたカヴィエシュだから出せるものだろう。


Frank London
Brass Conspiracy

Tzadik

 ニューヨーク出身のフランク・ロンドンはクレズマーのトランペット奏者である。クレズマーは中央~東ヨーロッパで広まったアシュケナージ(ユダヤ人)による音楽で、ギリシャやルーマニアなどの民謡や、バロック音楽、ドイツやスラブ地方の民俗舞踊音楽、ユダヤの宗教音楽などがミックスされた民間音楽として親しまれた。19世紀後半にはアメリカにも広まり、1910~20年代にはジャズと結びついてビッグ・バンドで演奏されるなど、ポピュラー音楽のひとつとして人気を得た。その後、第二次世界大戦中にアメリカにおけるクレズマーは人気の低下を迎えてしまうが、1970年代以降はリヴァイヴァルし、近年はジャズやファンク、ロック、パンクなどと結びついて新たなファン層を拡大している。改革派ユダヤ人の家庭に生まれたフランク・ロンドンは、10歳のころからトランペットをはじめ、1980年にニュー・イングランド音楽院でアフリカ系アメリカ人音楽の学士号を取得。ニューヨーク州立大で音楽講師を務めるほか、クレズマティクスやハシディック・ニューウェイヴなどのクレズマー・バンドで演奏した。デヴィッド・バーンと戯曲家のロバート・ウィルソンによるオペラ『 The Knee Plays』では、指揮者と音楽監督も務めている。そして、自身のバンドであるクレズマー・ブラス・オールスターズを結成し、2000年からアルバム・リリースもおこなう。ほかにもフランク・ロンドン・クレズマー・オーケストラ、フランク・ロンドン・ビッグ・バンド、フランク・ロンドン・アンサンブル、フランク・ロンドン・グラスハウス・オーケストラなどジャズやクレズマー系のバンドを多数率いるなど、ニィーヨークにおけるクレズマー音楽の第一人者的存在と言えるだろう。これまでラ・モンテ・ヤング、アイザック・パールマン、ジョン・ケイル、アレン・ギンズバーグ、ガル・コスタ、レスター・ボウイ、イギー・ポップ、ピンク・フロイド、ジョン・ゾーン、メル・トーメ、ユッスー・ンドゥールなど、さまざまなジャンルの多士多彩な面々と共演してきた。

 レコードも精力的にリリースしているフランク・ロンドンだが、2024年はまずジ・エルダーズというバンドを率いて『Spirit Stronger Than Blood』をリリース。ニューヨークのフリー・ジャズや前衛音楽を代表する老舗レーベルの〈ESPディスク〉からリリースされたというのが興味深いのだが、内容的にはクレズマーよりもジャズ寄りのもので、ゴスペルやスピリチュアル・ジャズ的な要素が濃いものだった。録音時期は2023年の7月と1年ほど前のものだったが、続いてリリースしたのが最新作の『Brass Conspiracy』である。“Engraftamento” はミスティックなムードのラテン・ジャズ作品で、キップ・ハンラハンの作品に近いイメージを持つ。1980年代にフランク・ロンドンはジャック・ブルースなどと共にキップ・ハンラハンのグループで演奏していたこともあり、そうした時代も彷彿とさせる。一方、“Rube G Funk” はジャズ・ファンクで、大衆音楽であるクレズマーと結びついてジャム・バンド的なセッションを繰り広げる。ジャズとクレズマーのわかりやすい魅力が詰まった演奏と言えるだろう。

Undefined meets こだま和文 - ele-king

 まさか“Requiem Dub”を聴けるとは思いも寄らなかった。もしもフランクフルト学派がこの日のこだま和文のライヴを見ていたら、泣いて喜んだことだろう。20世紀前半のもっとも重要な文化研究グループとされる彼らは、アートがこの資本主義社会で果たす役割があるとすれば、それは「耐え難いこの世界を告発することだ」とした。「偉大なる拒絶」の一部になること。2024年8月24日の21時、渋谷のWWWで、いまだにそれをやっているひとがいた。
 ぼくはフランクフルト学派ではないが、泣いた。同じように、たぶんフランクフルト学派ではないマヒトゥ・ザ・ピーポーも「泣いた」と言って、ライヴ終了後に楽屋でこだまさんをハグしていた。ほかにも、多くのひとが泣いたに違いない。ひょっとしたらその涙は、こだまさんが自分の詩を朗読しながら訴えたパレスチナの現実および自分たちが生きているこの悲しい世界に対する憤りの涙で、と同時にそれは、悲しくも美しいダブをバックにそれを表現するひとがいま目の前にいることの嬉しさでもあって、あるいは、まあ、いろいろだろう。個人的には松岡正剛さんのことがあったので、悼みながら聴きいていたが、いつしか無心になって、ただただ聴き入っていた。
 
 その夜ぼくと編集部コバヤシは、河村祐介監修『DUB入門』の先行発売という口実で、渋谷のWWWで開催の、虎子食堂の15周年記念イベント「SUPER TIGER」に混ぜてもらった。天候も不安定だったし、ライヴ・イベント会場だし、多くは売れないだろうなと思っていたら、ありがたいことに完売した(DUBの未来は明るい。いや、河村人気なのかな? とにかく、あのとき購入していただいた方々、どうもありがとうございました。DUBが女性に人気というのはほんとうでした)。そんなわけでぼくとコバヤシは物販スペースで本の売り子をしながら、SOUL FIREのライヴ、1TA&Element、HIKARUらのDJタイムは代わりばんこにフロアに出入りしていたのだけれど、Undefined とこだま和文のライヴ前には売り切っていたので、幸いなことに最初から集中して聴くことができたのである。

 『A Silent Prayer』からは“T-Dub”(“Move”だったかも?)と“One-Two”をやった。この日はUndefinedとのライヴなので、ほとんどのひとがあの素晴らしい『2 Years』の曲を待っていたと思う。しかしこだまさんは、既発作品の再生ではなく、“いま現在のこだまさんの思い”を表現した。
 そんなことをしても変わりっこない、そういうシニシズムがアートを支配しはじめたのは1980年代後半のことだった。メッセージなどダサい、どうせ変わらないのだから受け入れた方がいい、笑えればいい、格好よければいい、それがミュート・ビートが輝いていた1980年代後半に芽生えた新しい表情のひとつだった。美術館の売店でモネのスカーフが5千円で売られても誰も気にすることもなくなった時代、やがてルイ・ヴィトンとタッグを組むジェフ・クーンズが登場した時代、要するにフランクフルト学派みたいなことをいうのはもうダサくなりはじめた時代のムードに、こだまさんが違和感を覚えていたという話はこれまでの取材で知っている。そう、知っているけれど、それをブレることなくずっとやり続けていることは、やはり、すごいことだという思うし、ぼくはこだまさんのいまも変わらない「悲しみを隠さないDUB」をますます愛おしく思う。この国に、こだま和文がいてくれてほんとうに良かった。

 たとえば、以前松島君がreviewしたA. G. Cookの〈PC Music〉は、言うなれば、J-POPもAFXも同じだろうというある種のなかば熱狂的な相対主義をいまの時代に全開した代表的なレーベルだ。ぼくはその考え方も善し悪しだと思っているが、じつはいろんなことがどうでもよくなっていて、楽しさをもとめた挙げ句に不正なゲームのうえで踊らされるのはまっぴらだとも思っている。この夜の、虎子食堂15周年のお祝いに駆けつけたひとたちも同じ思いだろう。アートはそれを失うべきではない。小さなことだけれど、最高に美しい夜だった。

ENDON - ele-king

 完ッッ全に絶望した。世の中に、社会に、他者に、何より自分自身に。死にてー。けれども首吊りも身投げも怖ぇ〜から絶対無理。オーバードーズでポックリ死が最も理想的なんだが、誰かが俺の屍を片付けることになるを思うと躊躇しちまう。この暑さじゃソッコーで腐敗しちまうしな。さてどうしたものか……そんなモヤモヤしていた矢先、盟友エンドン(ENDON)の新譜が〈スリル・ジョッキー(Thrill Jockey)〉からリリース、とりあえず聴いてみることにした。エンド(END)オン(ON)。彼らは一度死に、終わりを迎えた。これは終わりのはじまりの物語である。

 2020年の春の終わり頃、エンドンのメンバーであるエツオが死んだ。彼は非常に繊細で優しい人間でありながら、誰よりも激しい情動を秘めた青年だった。エツオはエンドンではノイズ(鉄クズとバネ、ピックアップマイクで制作された自作楽器・通称ガシャガシャ)と電子楽器を演奏したり、イカれた小説を書いたり、ソロ・プロジェクトであるマス・ファルセントリズム・アタック(Mass Phallocentrism Attack)やウエスト・トーキョー・パニック・シンジケート(West Tokyo Panic Syndicate)ではアクショニズム的パフォーマンスを披露するなど、溢れ出る表現欲求がとどまることのない多彩な前衛芸術家だった。確かにエツオはときに死にそうになりながら表現に励んでいた。ハンパじゃない飲酒量もそうだが、エンドンのライヴ後に彼が酩酊してブッ倒れ、他のメンバー、主にエツオの兄であり、フロントマンであるタイチが彼をハコから担ぎ出すのはバンドの日常風景だった。当時俺はそんな光景を横目に、エツオを心配するどころか微笑ましい兄弟愛だな、程度にしか思っていなかった。エツオの突然の訃報を聞いたのは、コロナ禍による最初の緊急事態宣言が発令して間もない頃だ。あらゆる音楽イヴェントは中止、エンドンも他のミュージシャンたちと同様に当面のライヴ活動を見合わせていた。あれから四年経ったいまでも、コロナ禍で社会が混乱していなければエツオは死ななかったんじゃないか? という思いは消えない。いつも通り毎週スタジオでリハをおこなっていたら? いつも通りに発表の場があって、仲間たちとの交流が絶えなければこんなことにならなかったのでは? 考えるだけ虚しいだけだが……

 フォール・オブ・スプリング(Fall of Spring)、「春の転落」と題された今作はエツオの死後、3人編成となったエンドン初のアルバムだ。音響ガジェット屋タロウによるアンビエント・シンセジスの上に凄腕ギターを封印したコウキによるダイナミックなノイズが駆け巡り、加虐的なリリックを痛々しいまで繊細に叫ぶタイチのヴォーカルが聴者の狂気と理性を掻き乱す。これまでのエンドンをノイジー・メタルと呼ぶならば、これはメタリック・ノイズ、極度に抽象化されたロックンロール・オペラだ。このかつてないほど悲痛で空虚なサウンドを例えるとすれば、死者の世界から覗き見る生者の世界。向こうにいるエツオが聴く俺たちの終わり行く世界の音はこんな感じじゃなかろうか。最近の〈スリル・ジョッキー〉の尖ったリリース、スーマック(SUMAC)のヒーラー(Healer)やパーシャー(Persher)のスリープ・ウェル(Sleep Well)など、「春の転落」と同様にディストピアン・サウンドトラックとしての親和性が高いのが非常に面白い。アヴァン・メタルはいま確実にキテる。ちなみに俺の手元にあるのは〈デイメア・レコーディングス(Daymare Recordings)〉盤のCDだが、ボートラが一曲追加されていて、ジュエルケースが白トレーという点もありがたい。ワンジーくらいならブラントで巻いて収納できるからな。

 クソ! こんなもん聴かされたらお前らが死ぬまで死ねねぇじゃねぇか! END ON END ON END ON……終わり行く世界の中で絶望の深淵に向かう無限の反復運動。大人になれ? 成長しろ? 知るかよ! 野垂死上等!

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