「All We Are」と一致するもの

RILLA - ele-king

この時期なので2015年を振り返って

DJ NiSSiE - ele-king

MY CLASSIC

旅するDJ(西日本編) - ele-king

 2013年から2015年にかけて、ぼくがDJした西日本のCLUB/DJ BARの中から、特に記憶に残っている10軒のお店を南から順に紹介します。
 ぼくは日本各地のいろいろな箱に行ってDJをする機会があり、毎回満員御礼になっているわけではないけれど、今回紹介しているお店は全て満員御礼か、それに近い盛況な時間帯があったところで、どのお店もおすすめです。これらのお店の地元の人や旅先で音を浴びたい時などにぜひ行ってみてください。

 ぼくは毎年何か作品をリリースしようと心がけていて、2015年はUKのレーベルからリリースする話が進行中ながらいまだリリースの契約にいたらず……踊ってばかりの国の下津に歌ってもらった曲もあるけどこちらもリリース日は未定。
 そのいっぽうで、スイスの老舗レーベル〈Mental Groove〉から出る日本人ユニットのPsilosibe Qubensisの曲をDJ Yogurt&MojaがRemixしたVersionが、10月にまずTest Pressで少数枚限定リリースされて即完売。このRemixは自分も今年よくDJ プレイしてダンスフロアが盛り上がったお気に入りの仕上がりなので、正式なリリースを心待ちにしつつ……2016年には海外からの作品のリリースが続くかもしれないのでひき続きCheckしてもらえたら嬉しいー!

2015/11/10

1. 【沖縄県・石垣島】 - 【Mega Hit Paradise】

 石垣島で一番大きな箱。自分はここで2009年と2015年の2回DJして、2回共に出演者多数のBig Partyになり、お店を仕切る力さんやオーガナイザーの力もあってお客さんが100人以上来てくれて盛り上がりイイ思い出に。この箱から歩いて5分くらいの場所にもう一軒「グランドスラム」という天井までスピーカーを積んだ素敵な雰囲気の箱や、Reggae系DJ BARの「Chaka Chaka」もあるので石垣島でクラブ巡りするのも楽しいことになりそう。

https://www.facebook.com/mhp.jp


2. 【沖縄県・那覇市】 - 【Love Ball】

 DJ光が2012年から始めて自分も呼んでもらったことがあるGood Party「OK? Tropical Ghetto」がレギュラー開催されている那覇の箱。大箱なんだけど店内の使い方が工夫が凝らされていて小箱にいるような居心地の良さを感じることも。Rittoらの楽曲をリリースする沖縄発のレーベル「赤土Rec」の拠点。スピーカーの出音は強烈かつ強力。那覇では他に国際通り沿いにある「熱血社交場」やTechno系のDJが出演していることが多い印象のある小箱「桜坂g」、りんご音楽祭・主宰DJ SLEEPERが経営するDJ Bar「On」もおすすめの箱。

https://loveball.ti-da.net/


3. 【沖縄県・沖縄市】 - 【音洞(Oto Bola)】

 那覇から車で一時間の沖縄市にあるコザ中央パーク・アヴェニュー入口右手つぼ八地下にあるお店「音洞(おとぼら)」。現在は三代目店長の潤がお店を仕切り、「音へのこだわり」を感じさせてくれるお店。小箱というには中はかなり広く、超満員になったら100人くらい入りそう。スピーカーの出音も良く、音好きの人たちにおすすめ。コザには他にTheo ParrishがDJしたことがある小箱「BPM」もあって音楽好きな人なら侮れない街。

https://otobola.ti-da.net/


4. 【福岡県・博多市】 - 【PEACE】

 これまで博多ではBlackoutやKeith Flack、イビサルテ、いまはなきデカタンデラックス等でDJしたことがあるけど、LIVE HOUSE兼CLUBの博多PEACEでDJしたのは2015年が初めて。
 メインフロアとBARラウンジがはっきり分かれている広いお店で、メインフロアは満員だと200人くらい入りそう。自分がCro-magnonのLive後にDJした夜は、メインフロアのスピーカーを増設して四隅に置き、素晴らしい出音でPartyの雰囲気も良かった。LIVEの無い日はBARラウンジのみ営業していて、30人くらい来たら盛り上がりそうなラウンジだけでも居心地良い感じ。

https://www.peace-livehouse.net/


5. 【福岡県・北九州市】 - 【Rockarrows】

 北九州市の小倉には地元の音楽好きDJのMoureeが自分をほぼ毎年呼んでくれていて、Moureeの前に呼んでくれていたMomoちゃんの頃から数えると既に10回くらい行っている小倉には思い入れがあり、日本の中でも特に気になる都市のひとつ。
 小倉ではこれまでにMegaheltzやいまはなき名店DIG IT!DIG IT!でもDJしたことがあるけれど、ここ数年はずっとRockarrowsでDJしていて、2015年に行った時はVJのHiralionと共演して、主催のMoureeも頑張ってくれて100人近く来て朝まで大賑わいの一夜に。ロックアロウズは川沿いにあって、外で和むのも気持ち良い場所。縦長の店内は200人くらい入れそうな広さで、ガンガン踊りたい人たちには特にお勧め。

https://www.facebook.com/Rockarrows


6. 【愛媛県・松山市】 - 【音溶】

大街道のすぐ近くにあるビルの3階にあって、50人入れば満員の小箱ながらスピーカーの出音の迫力は四国屈指で、四国のクラブの中でも特にTechno好きにお勧めの箱。
 オーナー兼店長のチャーリーがDJ NOBU、DJ光、CMT、OLIVE OIL等、数多くのUnderground系の凄腕DJ達を松山に呼んでいて、これだけ頑張り続けている箱は四国にそれほど多いわけではないと思う、音好きにとって貴重な存在。
 自分はこれまでに3回ここでDJして毎回盛り上がっていることもイイ思い出になっている。

https://www.oto-doke.com/


7. 【高知県・高知市】 - 【Love Jamaican】

 高知で初めてDJした箱はいまはなきオタマジャクシーだったけれど、その後はほぼこの箱・Love Jamaican。高知の大きな商店街からすぐ近くのビルの地下にあり、レコードを鳴らした時のスピーカーの出音は、四国のクラブの中で1、2を争う気持ちイイ音ではないかと感じることも。
 このお店はREGGAE~HIP HOP系のPartyが普段は多いみたいだけど、自分がこの箱でDJする時はDisco Dub~HouseをDJ Playすることが多く、日曜午前9時までDJしたこともあるほど、延々と盛り上がっていることもあるお店。
 日曜昼前に店長のITA-SANが店内のソファーで寝始めると、常連のお客さん達がBarカウンター内に入って普通に店を切り盛りして、営業を続行している場面を見た時はトバされた。

https://lovereggae.net/shop/shopdetail/shop_id/45


8. 【広島県・広島市】 - 【Cafe Jamaica】

 自分は2013年までに広島では3回DJしたものの毎回盛り上がりに欠けていて、お客さんも夜中3時には帰り始める状況で残念に思っていたけど、2014年12月にオーガナイザー兼DJのまさたろ率いるParty Crew/Crossbreedに呼んでもらって、カフェ・ジャマイカで初めてDJした時は、DJ FUMIさんのDJ生活20周年記念Partyということもあり朝6時まで盛り上がり、広島でもこれだけ盛り上がることがあると感動。ここのスピーカーの出音は広島随一の印象で、卓球さんやフミヤさんが出演しているのも納得。

https://www.cafe-jamaica.com/

9. 【大阪府・大阪市】 - 【circus】

 ここのところ自分が大阪でよくDJしているのがこの箱「サーカス」。自分の好きなDJを大阪によく呼んでいる印象のあるお店で、DJとダンスフロアの距離が近く、ここでモーリッツ・フォン・オズワルドのDJ Playを聴いた時は胸にくるものがあった。広すぎず狭すぎずな長細い店内で、音のパワーが体に伝わってくる感じが好き。東京だと大箱に出演している外国からのGUEST DJを、大阪だとDJから近い距離で体感できるCIRCUSで見ることができるのは貴重ではないかと思う。
 大阪では最近だとサーカスの他に「Union」でもDJしたことがあり、ユニオンのHOUSE愛漂う店内の雰囲気とスピーカーの出音も忘れられない。

https://circus-osaka.com/


10.【福井県・敦賀市】 - 【Tree Cafe】

 N.Y.に長期滞在していた事もあるベテランDJのChikashiさんがオーナーのお店。2015年にOshareboysと共に行って初めてこのお店でDJした時は、PM6時OPENからDJして、LIVEを挟んで夜中0時過ぎまで1人でDJすることになり、House~Disco Dub~Jazz等、5時間越えのLong Playに。
 この時に来てくれた人たちのおかげもあり自分も驚くほど盛り上がって、夏にはCro-magnonと同行して再びTREE CAFEでDJ。またしてもイイ雰囲気の中でDJすることになり、すっかりお気に入りのお店のひとつに。
 路面店ということもあり、Partyは夕方から夜中1時頃までの開催が多く、気になるPartyの時は早めにお店に行くことをお勧め。

https://www.tree-cafe.com/

HP : https://www.djyogurt.com/
Twitter : https://twitter.com/YOGURTFROMUPSET
Facebook : www.facebook.com/djyogurtofficial

■DJ Schedule

11/22(Sun.)Commune246@東京都・表参道
11/22(Sun.)Unice@東京都・代官山
12/5(Sat.) Melbourne@Australia
12/11(Fri.)Byron Bay@Australia
12/12(Sat.)Byron Bay@Australia
12/18(Fri.)AERA@静岡県・富士宮市
12/19(Sat.)Mushroom Project Japan Tour with DJ Yogurt@表参道Arc
12/21(Mon.)Integration@代官山Air
12/27(Sun.)Oneness Meeting@代官山Unice/UNIT/Saloon
12/28(Mon.)DJ Yogurt And 下津光史Solo Live@渋谷Cosmoz Cafe
12/29(Tue.)Cro-magnon,Deep Cover and DJ Yogurt@元住吉POWERS 2

彼女にはその価値がある - ele-king

 インガ・コープランドという名前だけですでに十分な知名度と期待があるだろうが、2012年、ハイプ・ウィリアムスとしての来日の模様はこちらから。強烈なクリティシズムを匂わせながらもついに核心をつかませない、ローファイ電子音楽怪ユニット、ハイプ・ウィリアムスの片割れがふたたび来日、ソロでは日本発となるライヴを披露する。ジャンルの別なく2010年のインディ・ミュージック史に鮮やかなインパクトを刻んだ才能、その現在のモードを目撃せよ──「私にはその価値があるから」。

■INGA COPELAND JAPAN TOUR 2015
“私にはその価値があるから”

11.20 fri at Socore Factory 大阪
風工房’98 / NEW MANUKE / birdFriend / naminohana records / INTEL presents LOW TRANCE
~ Inga Copeland (ex Hype Williams) Tour In Osaka& Madegg ‘N E W’ Release Party ~

OPEN / START : 22:00
ADV : ¥2,500 w/1D | DOOR : ¥3,000 w/1D
more info : https://intelplaysprts.tumblr.com

11.22 sun before Holiday 東京
BONDAID#7 FIESTA! Inga Copeland & Lorezo Senni

START : 23:30 at WWW Tokyo
ADV ¥3,000 | DOOR ¥3,500 | UNDER 23 ¥2,500
more info : https://meltingbot.net/event/bondaid7-fiesta-inga-copeland-lorenzo-senni

11.23 mon at 木揚場教会 / Kiageba Kyokai 新潟
experimental room #20

OPEN 17:30 / START 18:00
ADV ¥3,000 | DOOR ¥3,500円 | NON NIIGATA / 県外 2,500円
UNDER 18 FREE / 18才以下無料
more info : https://www.experimentalrooms.com/

Tour Info : https://meltingbot.net/event/inga-copeland-japan-tour-2015/

■BONDAID#7 FIESTA!

2015.11.22 sun before Holiday
START : 23:30 at WWW Tokyo
ADV ¥3,000 | DOOR ¥3,500 | UNDER 23* ¥2,500

液状化するダンス、レイヴ、アートの融点。ダブの霧に身を潜めるミステリアスなロンドンの才女 Inga Copeland と“点描トランス”と称されるミラノの革新派 Lorenzo Senni を迎えた新感覚の屋内レイヴが開催!

Co La (Software)、Andrew Pekler (Entr’acte)、D/P/I (Leaving)、TCF (Ekster)、M.E.S.H. (PAN)といった世界各地の先鋭的な電子音楽作家を招聘してきた〈melting bot〉プロデュースの越境地下電子イベント〔BONDAID〕が第7回目のラッキー・セブンを迎えて送る祝祭“FIESTA!”を今年で5周年記念を迎える渋谷WWWにて開催。ゲスト・アクトはHype Willimas (Hyperdub)での来日パフォーマンスが大絶賛だったロンドンの女流電子作家Inga Copelandの日本初のソロ・ライブとミラノのサウンド・アートティストLorenzo Senniの〔Sonar〕でも評判となった“点描トランス”と称されるレイザーを使った、こちらも日本初となるインスタレーション“Oracle (神託)”。本公演は今年の6月に東京のLIQUIDROOMと大阪のCONPASSで行われたベルリンの実験/電子レーベル〈PAN〉をフィーチャーしたイベント〔PAN JAPAN SHOWCASE〕に続く、現在のイメージ化するジャンルと抽象化するダンス・ミュージックの坩堝を体現したコンテンポラリーな屋内レイヴ・ナイト。

LIVE :
Inga Copeland [ex Hype Williams / from London]
Lorenzo Senni “Oracle Set” [Editions MEGO / Bookman Editions / Presto!? / from Milan]
Kyoka [raster-noton]
Metome
Renick Bell [Quantum Natives / the3rd2nd]
Koppi Mizrahi [Qween Beat / House of Mizrahi]
& yumeka [OSFC] “Vogue Showcase”

VJ : Ukishita [20TN! / Nice Air Production]

DJ :
Toby Feltwell [C.E]
Sapphire Slows [Not Not Fun / Big Love]
Yusuke Tatewaki [meditations]
HiBiKi MaMeShiBa [Gorge In]
Hibi Bliss [BBC AZN Network]
Pootee
SlyAngle [melting bot]

#LEFTFIELD #ELECTRONIC #RAVE
#TRANCE #DANCEHALL #VOGUE
#TECHNO #GLITCH #GORGE #NEWAGE
#CONTEMPORARY #DANCE #ART

ADV TICKET OUTLET : 10.15 ON SALE

e+ / WWW / RA / Clubberia
disk union (Club / Dance Online, Shibuya Club, Shinjuku Club / Honkan, Shimokitazawa Club, Kichijoji)

*23歳以下のお客様は当日料金より1000円割引になります。ご入場の際に生年月日が記載された身分証明書をご提示下さい。
※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの身分証明書をご持参下さい。

主催 : BONDAID
制作 / PR : melting bot
協力 : Inpartmaint / p*dis
会場 : WWW

more info : https://meltingbot.net/event/bondaid7-fiesta-inga-copeland-lorenzo-senni


Funkstörung - ele-king

 世はエレクトロニカ・リヴァイヴァルである。完全復活のAFX,アクトレス、アルカ、OPN、ローレル・ヘイロー、今年はプレフューズ73も復活したし……ポスト・ロックへの注目と平行してそれが存在感を増していった90年代後半の様相がそのまま移植されたかのようだ。
 ドイツのファンクステルングは、90年代後半のエレクトロニカ第一波における主役のひとつである。ビョークの「オール・イズ・フル・オブ・ラヴ」(1998年)は、オリジナルよりも彼らのリミックスのほうが人気があった。しかもそのヴァイナルは、メジャーではなく、〈ファットキャット〉という小さなレーベル(後にシガー・ロスやアニマル・コレクティヴを見出す)からのリリースだったのにも関わらず、相当にヒットした。また、その曲はビョークがエレクトロに/IDM的なアプローチを見せた最初期の曲でもあったので、エポックメイキングな曲ともなった。インダストリアルなテイストで、音をひん曲げたようなあのドラミングに誰もが驚き、「ファンクステラングって何もの?」となったわけである。当時は、「あれがグリッチ・ホップっていうんだよ」などと言っていたね。そう、彼らはその名の通り、IDMだろうがテクノだろうが、ファンキーなのだ。

 そんな伝説のプロジェクトが10年振りに復活して、新作を発表した。往年のファンはもちろん、最近この手の音にはまっている若い世代にまで評判が広まっている。そこへきて、11月7日には日本でのライヴも発表された。エレクトロニック・ミュージックの祭典、EMAF TOKYOへの出演だ(他にもアクフェンやヒロシ・ワタナベ、インナー・サイエンスなど大物が出演)。
 ここに彼らの復活を祝って、ミニ・インタヴューを掲載。記事の最後には、日本のためのエクスクルーシヴ・ミックスのリンク(これが格好いい!)もあります。
 読んで、聴いて、EMAFに行きましょう。

Funkstörung インタビュー

■マイケル、クリス、今回の来日を非常に楽しみにしています! 公演に先だって幾つか質問させて下さい。

F:ぼくらも楽しみだよ! もちろんさ。

■10年振りのニュー・アルバム『Funkstörung』のリリースおめでとうございます! 日本でもアルバムは好評ですが、先ずは再結成の経緯を教えて下さい。

F:ありがとう! 友人であるMouse On MarsのAndi Tomaが、ぼくらふたりを彼らの活動の21周年記念の作品である「21 Again」に誘ってくれたんだ。その際にぼくらふたりは多くのことを話したんだけど、Funkstörungを再結成する良い切っ掛けなのかもしれない、とお互いに考えたんだよね。いろいろな曲をふたりで聴きながら、すぐにぼくらは(しばらく活動を一緒にしていなかったんだけど)いまでも「波長が合っている」ことに気付いたんだ。

■ニュー・アルバム『Funkstörung』はModeselektor主催のMonkeytownレーベルからのリリースとなり、とても興奮しましたが、どういった経緯でMonkeytownからのリリースとなったのですか?

:とてもエキサイティングなことだよね。:-) Andi Toma(Mouse On Mars)がMonkeytown Recordsを薦めてくれたんだ。Monkeytownのリリースは好きだったし、Modeselektorを昔から知っていた事もあって直感的に良い事だと思ったね。

■本作ではAnothr、ADI、Audego、Jamie Lidell、Jay-Jay Johanson、Taprikk Sweezee(アルファベット順)という6組のゲスト・ヴォーカルが9曲で参加していますが、ヴォーカル作品を多く収録した意図やコンセプトなどを教えて下さい。またヴォーカルの人選はどのようにしたのですか?

:これと言ったコンセプトはないんだけど、敢えて言うなら成熟したアルバムを作りたかったんだ。ブレイクの多用や過剰なディテールへの拘りではなく「リアル」な曲を書きたかった。インストゥルメンタルの楽曲は、多くの場合ぼくらを満足されてくれないから、ヴォーカリストをフィーチャーしたアルバムを制作することに決めたんだ。何か人間的な要素、もしくは声が与えてくれるインスピレショーン、をぼくらは必要としていた。良い例なのが、親しい友人であり近所に住んでいる「Anothr」なんだけど、彼はいわゆる「インディ・ロック」の人で、複数の楽器を演奏するマルチプレイヤーなんだけど、何か特別な要素をぼくらの楽曲に与えてくれたよ。多くのことを彼から学んだね。SoundCloudを通して知り合ったオースラリアのシンガー「Audego」との制作も楽しかったね。彼女の声を聴いてぼくらは鳥肌が立つんだ。テルアビブの「ADI」はぼくらのマネージャーの友人なんだけど、ぼくらにとって完璧な調和と言えるモノになったよ。彼女は近くビッグスターになると思う、素晴らしいのひと言だね。「Jay-Jay Johanson」とは、古き良き時代からの知り合いで、もう15年前のになるのかな、当時の彼のアルバムをプロデュースしているんだ。「Taprikk Sweezee」はハンブルクで知り合った気の知れた友人で、過去にも多くの制作を一緒にしている。(Michael Fakeschのアルバム『Dos』のシンガーは彼なんだ)18年くらい前に初めて「Jamie Lidell」のパフォーマンスを見たんだけど、彼と制作を共に出来たことは夢の様だったね。いくつかの理由があって彼とは一緒に制作を行えていなかったんだけど、今回のアルバムでそれが叶ってとても誇りに思うよ。

■1995年に発表された「Acid Planet 1995」から20年経ちますが、制作や作品に関する一貫した考えはありますか?

:20年……。長い期間だよね? 実際には1992年に収録曲を制作していたから、20年以上音楽を作り続けていることになるよね……。Crazy! 一貫した考えと言えるのはたぶん、つまらない音楽を作りたくないということなんだと思うよ。ぼくらの楽曲は(多くの場合)いろいろな音やディテールが詰め込まれていて複雑だと思うんだけど、このアルバムに関して言うと(代わりに)いろいろなアイデアが楽曲に詰め込まれているんだ。リスナーをつまらない気持ちにさせたくないし、もっと言えばぼくら自身がつまらない気持ちになりたくないんだ。

■最新作に関する何か特筆するエピソードがあれば教えて下さい。

:一番特別なエピソードと言えば、ぼくらがこのアルバムを完成させたということだろうね。。10年間コミュニケーションを取っていなかったからね。こんなに長い期間を置いてからたFunkstörungとしてアルバムを完成させた、というのはとても特別なことだと思うね。

■現在はミュンヘンを拠点に活動されていると思いますが、ミュンヘンまたドイツの音楽やアートの状況に関して、マイケル、クリスが感じられる事を教えて下さい。

:多くの音楽、イベントなんかはたしかにあるんだけど、ぼくらはあまりそれらにコミットしていないんだ。スタジオに居て毎日音楽を作っている、只それだけなんだよ。;-)

■ 印象に残っている国、イベント、アーティスト等あったら教えて下さい。

:もちろんだよ。ビョークと一緒に仕事をした事は強烈な記憶として残っている。リミックスを2曲作っただけなんだけどね。魔法の瞬間だったよ、彼女の声をエディットしていたときっていうのは。その他にもニューヨークのグッゲンハイム美術館でパフォーマンスしたことは素晴らしかったね。Jamie Lidell、LambのLou Rhodesと仕事出来たことも特別だし……。Wu-Tang Clanのリミックスをしたことも……。オーストラリアでのツアーも……。この20年間、とても素晴らしい瞬間が幾つもあったね。

■ 今後のプラン等をお聞かせ下さい。

:新しい楽曲を制作していて、今年中に発表されるかもしれないんだ。12月には幾つかのライヴが控えている。新しいミュージック・ヴィデオも制作中だね。

■今回日本を訪れる際に、何か楽しみにしていることはありますか?

:和食を食べることだね! (本当に美味しいよね)他には、秋葉原にクレイジーなモノを探しに行くこと、渋谷のスクランブル交差点で人の波に押し潰されること、原宿で(流行の先端を行っている)ヒップスターたちを見ること、大阪のアメリカ村で買い物をする事こと。本当に日本ではクールなことがいろいろと出来るよね。今回は実現出来なさそうなんだけど、富士山に登るのも良いアイデアだね。(日本は大好きだし、いつも良い時間を過ごさせてもらってるよ!)

■最後に、日本の電子音楽リスナーにメッセージをお願いします。

:イベントで会えるのを楽しみにしてるよ!

Funkstörung▼プロフィール
 1996年結成、かつて、オランダの〈Acid Planet〉〈Bunker〉レーベルからアシッド・テクノ作品も発表していたドイツはローゼンハイム出身のマイケル・ファケッシュとクリス・デ・ルーカによるエレクトロニック・デュオ。それぞれのソロ名義ではセルフ・レーベル〈Musik Aus Strom〉からも作品を発表。
 エレクトロニカ、アンビエント、ヒップホップ、ポップスの要素を融合させたサウンドをベースに穏やかな風が吹き抜ける草原と溶岩が流れ出す活火山の風景が同居したかのような、未知のエクスペリメンタル・ポップを生み出し、爆発的人気を博す。
 99年のリミックス・アルバム『Adittional Productions』における、ビョークやウータン・クランといった大物たちのリミックスで知名度を上げ、00年に1stアルバム『Appetite For Distruction』をリリース。脱力したヴォーカルと感電したラップが絡み合う、メロウかつ鋭い金属質のブレイク・ビーツ・サウンドでその実力を遺憾なく発揮し、テクノ界に新風を吹き込んだ。クリストファー・ノーラン監督映画『メメント』の日本版トレーラーにビョーク「All Is Full Of Love (Funkstorung Mix)」が起用された事でも注目を集める。またテイ・トウワをはじめ日本のリミックスなども手掛け、国内外において非常に高い評価を得ている。 
 2015年、活動休止を経てモードセレクター主宰レーベル〈Monkeytown〉から10年振りに新作を発表、ゲスト・ヴォーカルとして、ジェイミー・リデルをはじめ、ハーバートやテイ・トウワ作品に参加してきたドイツ人シンガーのタプリック・スウィージー、スウェーデン人シンガーのジェイ・ジェイ・ヨハンソンらが参加。究極に研ぎ澄まされたトラックをポップソングまで昇華させた最高傑作が誕生した。
https://www.funkstorung.com

        **********************

★新作情報
『Funkstörung』-Funkstörung
https://itunes.apple.com/jp/album/funkstorung/id998420339

★来日情報
11月7日(土曜日)EMAF TOKYO 2015@LIQUIDROOM
https://www.emaftokyo.com

★エクスクルーシヴ・ミックス音源
Funkstörung Exclusive Mix for Japan, Oct 2015
https://soundcloud.com/emaftokyo/funkstorung-phonk-set-oct-2015



Funkstörung interview

I'm looking forward to your appearance at EMAF Tokyo. Could I have some questions prior to the event please?

We are looking forward to it, too!!! Sure.

Congratulations on the release of your new album entitled "Funkstörung".
1. How the reunion of the unit come about?

Arrogate Gozaimasu!
Our friend Andi Toma (Mouse On Mars) invited us to do a song with Mouse On Mars for their anniversary record '21 again'. We met and talked a lot and soon we thought this might be a good chance to reactivate Funkstörung. After listening to loads of songs we instantly recognized that we are still on the 'same wavelength'...

The album "Funkstörung" has been released on Monkeytown Records run by Modeselektor.
2. What has made you decide to release the album on the label?

I'm so excited about this. :-)
Andi Toma recommended Monkeytown to us...and since we liked the MTR releases and knew the Modeselektor guys from back in the days, we had a good feeling about it.

There are 6 vocalists featured for 9 tracks in this album. (To name all alphabetically, ADI, Anothr, Audego , Jamie Lidell, Jay-Jay Johanson and Taprikk Sweezee)
3.  What was your intention / concept about these vocalist selections?

We had no real concept, but somehow we wanted to do a grown-up album. Instead of focusing on breaks and an overload of details we wanted to write 'real' songs. Since instrumental tracks don't satisfy us most of the times we decided to do a vocal album. We needed that human element and as well the inspiration vocals give us. Anothr, who is a close friend and neighbour is the best example: He added some special flavour to our songs since he is more a kinda 'Indie Rock' guy and multiinstrumentalist...we learned a lot from him. Australian singer 'Audego' we found via soundcloud was really a pleasure to work with, Her voice really gave us goose bumps. ADI from Tel Aviv is a friend of our manager and for us it was a perfect match. She is going to be a big star soon...she is brilliant! Jay-Jay Johanson we knew from 'the good old times'...we have been producing one of his albums almost 15 years ago. Taprikk Sweezee is a good friend from Hamburg with whom we have been working a lot together in the past (he is the singer on Michael Fakesch's album 'Dos'...) Jamie Lidell was a dream to work with from the day we saw him playing for the first time (which is about 18 years ago)...due to different reasons we never managed to work with him and so we are extremely proud that this time it really happened.

20 Years have been passed since the release of "Acid Planet 13" in 1995.
4. Is there any consistent thoughts behind your production throughout?

Long time...isn't it? In fact we did those track back in 1992, which means we are doing music since over 20 years...crazy!

Maybe the most consistent thought is that we don't wanna do boring music. That's the reason why our songs are often so complex with loads of sounds and details and -like on this album- with loads of ideas within the song. We just don't wanna bore people...and even more important we don't wanna bore ourselves.

5. If there's a special story / episode regarding the latest album, it would be great to hear it.

The most special story is that we really did this album...after not talking to eachother for 10 years. I think this is something very special if you re-unite after such a long time.

You are currently based in Munich, Germany.
6. Could you tell us about your opinions on a situation music (and/or) art in Munich / Germany are in? (from each of you, please?)

There is definitely a lot music, events, etc. going on but we are kind of isolated from all that. We are sitting in our studios all day making music and do nothing else ;-)

7. Please let us know of any countries, events or artists you have been impressed by and would still remember?

Of course one of the most intense memory from the past was working with Björk. Even if we only did two remixes, but to work with her vocals was a very magic moment. Besides to that playing at Guggenheim Museum New York was amazing...also working with Jamie Lidell or Lou Rhodes from Lamb was very special....or remixing Wu-Tang...and our Australia tour...oh man...we had some great moments over the last 20 years.

8. Please let us know of your upcoming plans. (Excuse me if this is too fast to ask..) 

We are working on new tracks right now (which might be released already this year) and we're going to play some live shows coming up in December. There is also a few new videos in the making.

9. Is there any particular thing(s) you've been looking forward to do in Japan? 

...to eat Japanese food (which we love!), to check out all the crazy toys in Akihabara, to get squashed a Shibuya crossing, to see all the super hippsters at Harajuku, to do some shopping at american village Osaka...oh man, there is so much cool stuff to do in Japan. Actually it would have been great to walk up Mount Fuji, but unfortunately it's not the right time :-(...anyway...we love Japan and always had a great time there!

10. Lastly, please leave a message for electronic music listeners in Japan.

Come to our concerts!! We hope to see you guys there!


メロウ大王の帰還 - ele-king

 アイズレー・ブラザーズ(THE ISLEY BROTHERS)のメロウ大王、シルキー・ヴォイスのロナルド・アイズリー。最近は目立った動きがないが、74歳の高齢だけに、元気にしているだろうかと気にしていたところ、この夏、ケンドリック・ラマーのアルバム『To Pimp A Butterfly』の“How Much 2 Dollar Cost”にゲスト参加して、だいぶかすれたとはいえ相変わらず魅力的な美声を聴かせてくれた。これはそろそろ新作が期待できるのでは、と思っていた矢先のつい先日、ネット上で突然の訃報が飛び交って驚いたが、もちろんこれはデマ。すぐさまロナルドは元気だとオフィシャルの声明が出された。そしてそのニュースの流れで、ロナルドは新作を制作中で、来年にはワールド・ツアーを計画していることがわかった。
 同じく『To Pimp A Butterfly』に参加し、冒頭の“Wesley's Theory”で、迫力のある語りをガッツリ聴かせた同い年のジョージ・クリントンが、近年すっきりと体重を落としてどんどん健康になっていることを思えば、同い年のロナルドもまだまだ元気で歌い続けられるはずで、心配など余計なお世話だったか。

 オハイオ州シンシナティ出身のアイズレー・ブラザーズの出発点は、ご多分にもれずゴスペルのファミリー・ヴォーカル・グループだが、世俗音楽に照準を合わせ、57年にNYに拠点を移した。その形態は、大まかにいって、60年代を通しては兄弟3人のヴォーカル・グループ、70年代はそこにギターとベースの弟2人、キーボードの義弟1人が加わった6人組のファミリー・グループだ。ミュージシャンが時代とともにスタイルを変化させるのは当然のことだが、アイズレーズは変化してもその都度、大きなヒットを出し、とくに70年代の全盛期にはファンクとメロウという対照的なスタイルを並行して打ち出しながら、その両方で頂点を極めた。
 さらに90年代には、彼らのメロウの名曲“Footsteps In The Dark”をサンプリングしたアイス・キューブの“It Was A Good Day”、同じく“Between The Sheets”をサンプリングしたビギーの“Big Poppa”を筆頭に、再評価の風潮が高まる。ロナルド自身も若いアーティストの作品のゲストとして引く手あまたとなり、その勢いで00年代にはアイズレー・ブラザーズを再始動させ、ミリオン・セラーとなるアルバムを連発するなど、第二次黄金期を築き上げるに至った。
 ヒップホップのおかげで90年代に息を吹き返し、新作を出したりツアーを再開したりしたアーティストはたくさんいるが、その多くが懐メロの域を脱しなかったのに対し、ロナルドは時代に沿ったトレンディーなプロダクションとがっぷり組んで第一線に返り咲き、他に類を見ない破格の復活劇を繰り広げた。サンプリング・ネタとしての人気もすっかり定着し、先のケンドリック・ラマーも、“I”ではアイズレーズの73年の大ヒット曲“That Lady”をサンプリングしている。


The Isley Brothers
The RCA Victor & T-Neck Album Masters(1959-1983)

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 さて、先ごろそのアイズレー・ブラザーズの『The RCA Victor & T-Neck Album Masters(1959-1983)』という、23枚組のとんでもないボックスが発売された。タイトルからもわかるとおり、59〜83年にRCAとTネックから発表された全23枚(2枚組があるので全22作)を網羅したボックスで、50ページにおよぶカラー・ブックレットと、初回版には限定特典として解説の邦訳も付いている。RCAとTネックの間の60〜69年に発表されたアルバム、そして再評価で改めて人気が高まった90年代半ば以降を含め、Tネック後に出したアルバムは対象外なので、全盛期を含むTネック期69〜83年の全21作22枚に、RCAからの59年に出た『Shout!』が付いている、と言った方が実態に即しているだろうか。以下、本ボックスに収録されたアルバムを1枚ずつひもときながら、アイズレーズの足跡を辿ってみよう。

 まずは初アルバムの『Shout!』。これはRCAからのセカンド・シングルだったタイトル曲がヒットして、それを軸に組まれた59年のアルバムだ。兄弟3人の作となる“Shout!”は、チャート・アクションこそ地味だったがロング・ヒットとなって、最終的にはミリオン・セラーに達したらしい。ここでの彼らは、いくらか節度のあるコントゥアーズと言いたくなるくらい、実にエネルギッシュなドゥーワップ・グループで、それは3人が飛び跳ねるジャケットにもよく表れている。シンプルな作りの陽気なドゥーワップに交じって、トラディショナルの“When The Saints Go Marching In”、R&Rの“Rock Around The Clock”なども歌っており、街角からそのままやってきたような活きの良さだが、それもそのはず、この年、一番年長のオーケリーでも22歳、ロナルドはまだ18歳だ。

 だがヒットはこれ1曲にとどまって、この後は前記のとおり、本ボックスには収録されていない10年間が挟まり、アイズレーズはいくつものレーベルを渡り歩く。その過程で、ワンド在籍時の62年には“Twist & Shout”が大ヒットし、翌年にはビートルズがカヴァーするに至った。
 また64年には、友人の紹介で故郷シアトルから出てきたばかりのジミ・ヘンドリックスに出会い、自宅に居候させて活動を共にするようになる。この頃の録音は、当時、彼らが住んでいたニュージャージ州ティーネックに立ち上げたレーベルのTネック、そしてアトランティックから、シングル4枚がリリースされているが、全く話題にならなかった。
 ジミが65年にUKに渡ったため共演は短期に終わったが、アイズレーズは翌66年、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったタムラ・モータウンとの契約を得て、最初のシングル“This Old Heart Of Mine”を大ヒットさせた。この曲を収録した66年の同名アルバムが手元にあるが、スプリームスの“Stop! In The Name Of Love”や“I Hear A Symphony”、マーサ&ザ・ヴァンデラスの“No Where To Run”などのカヴァーを含め、ここではホランド/ドジャー/ホランドによるモータウン・サウンドをバックに歌うアイズレーズという、彼らの歴史の中ではある種、異色な姿が確認できる。そしてよくも悪くも制作体制が完全にコントロールされたモータウンを3年ほどで離れると、アイズレーズはTネックを本格始動させて、すべてを自分たちで管理する活動形態に移行する。

 セルフ・プロデュース体制を手に入れたアイズレーズは、69年には勢い余って3作も発表している。スーツ着用が基本だったそれまでの面影が残って髪型はきちんとしているが、衣装はぐっとサイケに決めた姿がジャケットに収められた『It's Our Thing』には、モータウンの軽快なポップスとはひと味違う、深みのあるソウルが詰まっている。
 中でも実質的にタイトル曲であるファンキーな“It's Your Thing”はR&Bチャートで1位、ポップ・チャートでも2位の大ヒットとなった。これを受けて、ついこの間まで、モータウンのアーティストのカヴァーを歌わされていたアイズレーズの曲を、ジャクソン5やテンプテーションズがすかさずカヴァーするという逆転現象も起こり、アイズレーズにとってはさぞ痛快だったことだろう。
 またファンク色が一気に表面化しているのもこのアルバムの特徴だが、それはこの頃のJBのファンクやテンプテーションズのサイケなファンキー路線などを考えると腑に落ちる。とくに“Give The Women What They Want”は、JBの影響がストレートに表れたファンクだ。なお後にギターに転向する弟のアーニーが、このアルバムにはベースで参加している。

 続く『The Brothers: Isley』からは、“It's Your Thing”のテンポを落としてヘヴィーにしたような“I Turned On You”がヒット。全体的にも前作よりヘヴィーな感触を増すとともに、サイケ色も加わっており、この頃、デトロイトではファンカデリックがレコード・デビューしていたことに思いを馳せる。

 その一方では、ルドルフの真摯なリード・ヴォーカルに、ロナルドの激しいバック・アップ・ヴォーカルが絡むスロー“I Got To Get Myself Together”もあるし、ロナルドの“Get Down Off Of The Train”での男臭い熱唱や、“Holdin' On”での部分的なシルキー・ヴォイス使いも聴きものだ。そしてこのアルバムでは、アーニーはドラムスとベース、もうひとつ下の弟のマーヴィンがベースで参加した。

 69年の3作目は、アナログでは2枚組だったライヴ盤『The Isley Brothers Live At Yankee Stadium』。この年の6月、アイズレーズは「若くてクリエイティヴなアーティスト」を集めた大規模なコンサートを開催し、そのドキュメンタリー映画『It's Your Thing』を製作するという大仕事をやってのけた。本作はその音源版で、アイズレーズに加え、ゴスペルのエドウィン・ホーキンス・シンガーズにブルックリン・ブリッジ、Tネックで売り出し中だった女性シンガーのジュディ・ホワイト(本ボックスでもボーナス・トラックで何枚かのシングルを聴くことができる)、そしてファイヴ・ステアステップスらのパフォーマンスが収められている。アイズレーズの演目は“Shout!”と“It's Your Thing”を含む4曲だけだが、アーニーはドラムス、マーヴィンもベースで参加し、喉を枯らして熱唱するロナルドをはじめ、当時の若いエネルギーと熱気あふれるパフォーマンスの一端を垣間見ることができる。

 1年に3作発表しても、乗りに乗っているアイズレーズは休むことを知らず、翌70年には『Get Into Something』を発表。ここからはアーニー(ds, g)、マーヴィン(b)、義弟(ラドルフの妻の末の弟)のクリス・ジャスパー(p)が全面参加するようになる。ホーン・セクションもストリングスも使った壮大な長尺ファンク・ロックの冒頭の2曲が耳を引くが、前年にアイザック・ヘイズが『Hot Buttered Soul』を発表していることを考えると、この流れも順当だ。そしてこの2曲はバーナード・パーディーとアーニーによるツイン・ドラムも聴きもの。全体的にはギターの役割が大きくなってサイケ色を増したのに伴い、ロナルドの歌にもナスティかつダーティーな味わいが加わっている。なおラストの“Bless Your Heart”は、どこから見ても“It's Your Thing”の別ヴァージョンとしか思えない。

 次の『In The Beginning… The Isley Brothers & Jimi Hendrix』は、一旦、時系列から外れるが貴重なアルバムだ。前記したとおり、64〜65年に録音され、設立したばかりのTネックから1枚、アトランティックから3枚リリースされたシングルの両面全8曲入りのアルバムだが、そのうちの6曲に、当時21〜22歳のジミが参加しているのだ。アトランティックとの権利関係の契約が満了して、アイズレーズの手に権利が戻ったため、やっとリリースできたそうだが、ジミの死の翌71年の発表なので、彼らなりの追悼盤でもあったのだろう。まだワウワウもファズも使ってないが、すでにジミは唯一無二のスタイルを確立しているばかりか、後の十八番のひとつとなる夢の世界のように美しいスローの萌芽も現れている。ここにはジミが歌った曲はないが、1曲目の“Move Over And Let Me Dance”は、ロナルドが明らかにジミの唱法をまねて歌っており、ブーツィー・コリンズの歌が、ジミのものまねから生まれたことが思い出された。なお当時のジミとの生活が、まだ12〜13歳だったアーニーに及ぼした強烈な影響は、後のアーニーのギター・プレイにくっきりと表れることになる。

 本筋に戻ろう。この後は、R&Bチャートのトップ20ヒットとなったサイケでファンキーな“Warpath”のシングル発表を挟んで、71年に『Givin' It Back』(“Warpath”もボーナス収録されている)が発表された。前作では主にファンク・ロックの流れを突き進んでいたが、今回はカーティス・メイフィールドやマーヴィン・ゲイらによってもたらされたニュー・ソウルの流れを捉えて、ニール・ヤング、ジェイムズ・テイラー、ボブ・ディランなど、男性ミュージシャンのカヴァー集だ。3人揃ってアコースティック・ギターを抱えたジャケットからも想像できるようにアコースティックな作りで、多用されたパーカッションが耳を引く。そしてロナルドは激しいヴォーカルだけでなく、シルキー・ヴォイスで切々と歌う場面も多い。ここからはCSNYのカヴァー“Love The One You're With”がヒットした。

 そのヒットに気を良くしたか、続く72年の『Brother, Brother, Brother』も半分はカヴァーで、今度は女性シンガーに照準を合わせ、キャロル・キングのカヴァーが3曲もある。そのうちシングル・カットされた“It's Too Late”は、歌にも演奏にも原曲の名残がほとんどない10分半の長尺版。ロナルドの独自の解釈による歌も含め、すっかり自分たちの曲のような佇まいだ。だが人気が高かったのはオリジナル曲の方で、R&Bチャート3位になった“Pop That Thing”をはじめ3曲がヒットした。またジミの死に思うところがあったのか、アーニーのギター・ソロは堂々として進境著しい。加えてクラシカルの正式な教育を受けているクリスも、全体に華やかさや重厚さなど、様々な彩りをもたらし、その活躍には目を見張る。

 急速に頼もしさを増した弟たちとともに、その勢いをダイレクトに刻んだのが、73年発表の『The Isleys Live』だ。オリジナルはアナログ2枚組で、前2作の収録曲からのセレクトに“It's Your Thing”を加えた曲目は、やはりカヴァーとオリジナルが半々。衣装もすっかりサイケになったヴォーカルのオーケリー、ルドルフ、ロナルド、ギターとベースに弟のアーニーとマーヴィン、キーボードに義弟クリス、このラインナップにドラムスとパーカッションを加えたバンドはとてもまとまりがあり、間もなく始まる絶頂期を予感させる熱い演奏が繰り広げられている。特に“featuring Ernest Isley, Lead Guitar”というクレジットに恥じず、アーニーは各曲で燃え上がるようなソロを聴かせる。ブックレットには、まるでジミのようにバンダナを巻いた頭の後ろにギターを抱える姿が見られるし、すべての曲が終わった後の独演は、もはやジミそのものだ。

 この後、アイズレーズは年長の兄3人のヴォーカル隊に、弟と義弟の3人が正式に加わったバンド体制となり、73年の『3+3』は、ジャケットにも6人が揃って写った記念すべき第一弾アルバムだ。半分ほどはジェイムス・テイラー、ドゥービー・ブラザーズなどのカヴァーでフォーキーな路線を残すが、その中で、ヴォーカル・グループ時代の64年にシングル発売したオリジナル曲“Who's That Lady”の新装版“That Lady”は、パーカッションとアーニーの唸るギターが映える、ファンキーさとメロウさを兼ね備えた名曲で、R&B/ポップ両チャートのトップ10に入り、69年の“It's Your Thing”以来の大ヒットとなった。クラヴィネットを交えたクリスの演奏の鮮烈な彩りも加わって、アイズレーズは明らかにパワーアップしており、他にもスライ&ザ・ファミリー・ストーンのリズム・パターンを流用した“What It Comes Down To”、シールズ&クロフツの曲を極上のメロウにリメイクした“Summer Breeze”がヒットし、アルバムはR&B/ポップの両チャートで初めてトップ10入りを果たした。なお余談ながら、“If You Were There”は、シュガーベイブ/山下達郎の「ダウン・タウン」の下敷きになった曲だ。

 続く74年の『Live It Up』は、タイトル曲を筆頭とする激しいファンク、Tネック期では最後のカヴァー曲となるトッド・ラングレンの“Hello, It's Me”を含むメロウを二本柱とした方向性が示され、絶頂期の音楽性の基盤が固まった手応えが感じられる1枚だ。ファンクとメロウのいずれでも、アーニーとクリスが力強さ、美しさの両面を膨らませて強化し、大いに貢献しており、中でもクラヴィネット、モーグと、順次、新しい機材を導入してきたクリスが持ち込んだアープ・シンセの美しく繊細な音色は、以後のアイズレーズには欠かせないトレードマークのひとつとなる。

 そしてアーニーがドラムスを兼任し、名実ともに3+3の6人だけの録音体制となった翌75年の『The Heat Is On』は、弟たちが曲作りにも力を発揮してカヴァー曲を排し、ついにR&B/ポップの両アルバム・チャートを制覇した。後にパブリック・エネミーが同名曲を出す“Fight The Power”では、“Bullshit is going down”というストレートかつ強烈なメッセージを発信されているのに驚く。作詞をしたアーニーは“nonsense”と書いたのだが、それでは生易しいと感じたロナルドが、録音時に急遽“bullshit”に変えて歌ったとのことだ。初めてかどうかはわからないが、この時期に“bullshit”という言葉が歌詞で歌われるのは異例。そしてそのロナルドの本気がみなぎる歌を、クリスのクラヴィネットのバッキングが熱く盛り上げている。この曲を含めアナログ盤のA面にあたる前半はファンク、B面にあたる後半には、後年サンプリングで大人気となる“For The Love Of You”をはじめとするメロウが収録されており、クリスのアープ・シンセの格調高く甘い音色が加わったメロウは、とろけるような威力を身につけた。なおボーナス収録されている“Fight The Power”のラジオ・エディットでは、やはり“bullshit”にピー音がかぶせられている。

 翌76年の『Harvest For The World』は、クリスのピアノを軸とした壮大な前奏曲で始まる。前作と比べるとファンクの比重は抑え気味で、ヒットしたのも、アーニーのギターともどもスムースな疾走感で駆け抜ける“Who Loves You Better”と、フォーキーなメッセージ・ソングのタイトル曲だ。だがクリスのクラヴィネットによる同じフレーズの繰り返しのバッキングが高揚感を煽る“People Of The Today”や“You Still Feel The Need”など、ヘヴィーなファンクも健在で、この辺りはスティーヴィー・ワンダーの「迷信」や「回想」などの作風がベースになっていそうだ。そしてまどろみを誘う“(At Your Best) You Are Love”をはじめとするメロウともども、音の幅をどんどん広げるクリスの手腕が随所に活かされている。

 続く77年の『Go For Your Guns』ではファンクが盛り返す。ヒットした“The Pride”はEW&Fを意識したようなファンクで、マーヴィンが拙いスラップ・ベースで頑張っているのが愛おしい。もう1曲のファンク“Tell Me When You Need It Again”は、久々に外部のメンバーがアディショナル・キーボードとベースで参加しており、マーヴィンにはまだ無理そうなこなれたスラップなどを加味。またファンク・ロックの“Climbin' Up The Ladder”は、ファンカデリックの“Alice In My Fantasies”が下敷きになっているのは明らかで、アーニーのギター・ソロも、ジミとファンカデリックのエディ・ヘイゼルが混ざり合ったイメージだ。もっともエディもジミの大ファンだったので、3人のプレイにはもともと共通点が多いのだが。一方のメロウも名曲が揃い、特に“Footsteps In The Dark”と“Voyage To Atlantis”の2曲は、神秘的なメロウという新境地を切り開いた。今になって思うと、アイズレーズはドリーム・ポップの先駆者でもあったのかもしれない。

 再度6人体制に戻した78年の『Showdown』も、ファンクとメロウのバランスが取れたアルバムで、前者は“Take Me To The Next Phase”、後者は“Groove With You”という名曲を生んだ。この2曲を聴くだけでも、ロナルド、ひいてはアイズレーズの、ファンクでの力強さとメロウでの繊細さ、その対照的な両者を極めた高い表現力を実感できるだろう。また、多数のカヴァー曲に取り組んでいた頃から一貫して、他者のいいところを自分たちの流儀にあてはめて取り込むことに長けていたアイズレーズだが、この頃は、当時のファンク・バンドが当然のように使っていたホーン・セクションやストリングスを、何故か取り入れていない。アーニーが“Groove With You”のドラムスでハイハットを入れていないことに言及しながら、アイズレーズの場合は「あるものがないところが特徴」と語っているが、その言葉は核心をついている。歌3人、楽器3人でできることに敢えてこだわり、その結果、音数の少ない組み立てでオリジナリティが確立されているのだ。ただアーニーの言葉には、ひと言付け加えて、「あるものがないが、足りないものは何もない」とさせてもらいたい。

 こうしてアイズレーズは自分たちの流儀で、『Live It Up』からの5作を連続してR&Bのアルバム・チャート1位にし、そのうちの4作はポップ・チャートでもトップ10に送り込んだ。この勢いに乗って、79年の『Winner Takes All』は2枚組と大きく出た。1枚目はファンク主体、2枚目はメロウ主体で、細かいところでは、クリスがペンペンした特徴的な音のアレンビックのベースを弾くなどの新しい試みや、フレーズの幅を広げたアーニーのギターの成長といった部分的な変化はあるが、大筋ではこれまでのアルバムの拡大版だ。となると若干の冗長さを免れず、セールス的には後退。そうはいってもアルバムはR&Bチャートで3位、ポップ・チャートで14位だし、3曲のシングルのうち、ファンクの“I Wanna Be With You”はR&Bチャートで1位になっているので、セールスの後退の主な要因は2枚組の高価格だったのだろう。だがディスコの隆盛やエレクトロの発展によって、セルフ・コンテインド・バンドによるファンクの時代の終焉が徐々に近づいていた、という背景も、じわじわと影響を及ぼし始めていたのかもしれない。

 いずれにせよ次作、80年の『Go All The Way』は1枚組に戻し、ファンクとメロウをほぼ交互に収録。さらにこれまで先行シングルはファンクと決まっていたが、今回はメロウの“Don't Say Goodnight”を選択した。この曲が“It's Your Thing”以来のR&Bチャート連続4週1位となり、その人気に引っ張られて、アルバムもこれまでで最高のR&Bチャート連続5週1位を記録、前作でのつまづきを帳消しにした。メロウを前面に出した背景には、AORやクワイエット・ストーム人気の高まりがあるのだろうが、骨太のファンクも、とろけるようなメロウも、どちらも独自の流儀で超一流のレベルに高めていたアイズレーズだからこそのなせる業だ。

 このタイミングで、これまでのヒット曲をライヴ用のアレンジでスタジオ録音した擬似ライヴを2枚組で出したいと考え、アイズレーズはドラマーとパーカッション奏者を迎えて『Wild In Woodstock: The Isley Brothers Live At Bearsville Sound Studio 1980』をレコーディングした。しかしこのアルバムは配給元のCBSから発売を却下されてお蔵入りとなったため、これまでに5曲を除いてボーナス・トラックなどでバラけて発表されてきたが、完全な形で陽の目を見たのは今回が初めてだ。そもそも何故スタジオ録音の擬似ライヴを録りたかったかというと、実際のライヴでは機材の不調や故障、ノイズといった不測の事態が起こりがちだし、一概に悪いこととは言えないが、勢い余って演奏が荒れることもある。そうした可能性を排除した状態で、ベストの演奏を残したかったようだ。冒頭の“That Lady”を聴くだけでも、バンドの力量がオリジナル録音当時とは比べ物にならないほど上がっているのがわかるだけに、彼らがそうした思いを強く持ったことには何の不思議もない。余談ながら、Pファンクも77年のアース・ツアーのリハーサル風景を収めたアルバム『Mothership Connection Newberg Session』を95年に発表しているが、観客のいない空間で、ある程度の冷静さと緊張感を保ちながら、自分たちの演奏とインタラクションの力だけで熱くなるパフォーマンス特有の雰囲気が、私は結構好きだ。人前で披露するためではなく、自分たちで最高の演奏を目指して一丸となって楽しむ、そんな心持ちの演奏の魅力だろうか。だからこのアルバムも、私は大好きだ。

 お蔵入りでつまずいたか、純然たる新作としては2年ぶりとなった82年の『Glandslum』には、時代の変化が明確に感じ取れる。以前のアイレーズは、先行シングルをファンクにするだけでなく、アルバムの1曲目にはファンクを配するのが通例となっていたが、今回は静謐なハープの音で幕を開けるスローが冒頭に配されている。ここに至るまでの80、81年には何枚かのシングルを発売しており、80年末に出したファンクの“Who Said?”がR&Bチャートで20位どまりだったことも手伝って、メロウを主軸とする方針を定めたのだろう。実際にこのアルバムの中でゴリゴリのファンクは、この“Who Said?”のみで、それもアルバムの最後の曲としての収録になった。結局、本作から大きなヒットは出なかったが、そのわりにアルバムはR&Bチャートで3位と健闘している。

 その流れを引き継いで、同年、発表された『Inside You』からは、ジャケットこそ勇ましいが生粋のファンクは姿を消し、アップ・テンポはファンクというよりもディスコ寄りのダンス・チューンとなって、ロナルドもファルセットで歌う場面が多くなっている。そしてスローではクリスのアレンジによるストリングスが全面的に導入され、アルバム全体のイメージがメロウに大きくシフト。またクリスは“First Love”のコーラスをひとりで担うなど、歌にも意欲を見せて、より積極的に関わっている。統一感のある流麗なアルバムだが、ヒットはタイトル曲がR&Bチャート10位となったのが最高で、残念ながらセールスは思わしくなかった。

 そのためか翌82年の『The Real Deal』では、ファンクをエレクトロに衣替えして復活させ、以前のようにメロウとほぼ半々の構成となった。カジノを舞台にしたジャケットも、これまでになくアーバンぽさが漂っており、時代に沿ったイメージの演出に心を砕いた跡が見受けられる。繊細な情感をたたえて美しさを増したアーニーのギターと、ロナルドのシルキー・ヴォイスの饗宴“All In My Lover's Eye”、アーニーが遠慮無く弾きまくる渋いブルース“Under The Influence”などの名曲/名演もあるが、エレクトロ・ファンクのタイトル曲がそこそこヒットしたのみ。時代の変化の中で、ちょっとした不調の連鎖に苛まれるアイズレーズであった。

 そしてTネックからの最終作となる83年のアルバム『Between The Sheets』のジャケットは、真紅の薔薇に寄り添うようなサーモンピンクのシーツ。どちらかといえば無骨なメンバーの姿は裏ジャケットに隠された。音を聴くまでもなく、アーバン&メロウに照準を定めたことが察せられ、実際に本作からは、今でもメロウの名曲として聴き継がれるタイトル曲と、“Choosey Lover”の2曲がトップ10ヒットとなった。甘美な香りを放つサウンド・プロダクションにはクリスの貢献が大きく、ロナルドのシルキー・ヴォイスにはさらに磨きが掛かってトロトロである。そうした中にあって、胸を強烈に揺さぶるメッセージ・ソングの“Ballad For The Fallen Soldiers”は、決してメロウなだけではないアイズレーズの骨太の一面を表わした、面目躍如たる1曲だ。そしてアルバムは久々にR&Bチャートの1位となり、アイズレーズはTネックでの有終の美を飾った。

 本ボックスに収録されたアルバムはこれで全部だ。残念なことに、85年には、ヴォーカル隊の3人によるアイズレー・ブラザーズと、バンドの3人によるアイズレー=ジャスパー=アイズレーに分裂し、それぞれの道を歩み始めることになる。だが86年には長兄のオーケリーが他界、89年にはルドルフが引退して聖職に就いたため、前者で残ったのはロナルドひとり。後者もアルバムを2枚出して88年に解散し、クリスはソロとなり、アーニーも90年に唯一のソロ作『High Wire』を発表、残った4人はバラバラになってしまった。そんなところへやってきたのが先述した再評価の波だ。その波に乗って、ロナルド、アーニー、マーヴィンの3兄弟は再度、結束し、96年にアイズレー・ブラザーズとしての活動を再開。その直後にマーヴィンは持病の糖尿病の悪化で引退を余儀なくされるが、ロナルドとアーニーのふたりはアイズレー・ブラザーズ名義で活動を続けた。

 だが、いい時期は長く続かないのが常。ロナルドは脱税の罪で07年からの3年間、まさかの獄中生活を送ることになる。60代後半とそこそこ高齢だし、以前から腎臓を患っているという報道もあったので心配されたが、無事に刑期を務め上げて10年には釈放されたのがせめてもの救いだ。その直後、長い闘病の末、マーヴィンが他界するという不幸があったが、ロナルドは年内に初のソロ名義で新作『Mr. I』を発表。これまでずっと兄弟とともにアイズレー・ブラザーズを名乗ってきたが、デビューから50年以上のキャリアを経て、健在の兄弟も少なくなったところでの初ソロ名義作ということで、若干の寂しさを感じさせるものの、世界はロナルドの元気な復活に湧いた。続く13年の『This Song Is For You』が、現時点でのロナルドの最新作で、近況はこの記事の冒頭に書いたとおりだ。

 というわけで、このボックス、もし1枚も持っていなければ完全にお買い得だし、仮に半分近く持っていても一考の余地があるのでは。ライナー邦訳には知らないことがたくさん書いてあったし、時系列に添って1枚ずつ聴き進んでいくのは単純に楽しく、つい盛り上がってこんな長編記事を書いてしまったくらいだ。

interview with Yppah - ele-king


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 筆者が初めてイパの音楽を聴いたのは、セカンド『ゼイ・ノウ・ワット・ゴースト・ノウ(They Know What Ghost Know)』(2009)が出た頃で、当時はエレクトロ・シューゲイズと謳われていた。ノイズ+疾走感+甘いメロディというシューゲイズ・ポップの黄金律が、穏やかなエレクトロニクスと清新なギター・ワークによってほどよく割られていて、同種のタグの中で比較するなら、ハンモックよりもビート・オリエンテッド、ウルリッヒ・シュナウスよりもミニマル……とてもバランスも趣味もいいという印象のプロデューサーだった。チルウェイヴの機運もまさに盛り上がろうというタイミングで、そうした時代性とも響き合うアルバムだったと記憶している。

 そうしたバランスのためでもあるだろう、後年『ラスベガスをぶっつぶせ』『CSI: 科学捜査班』など、映画やドラマ、ゲームなどに使われる機会も増えたようだ。そもそもサントラを作ってみたくて音楽制作をはじめたというから、イパことジョー・コラレス・ジュニアにとって、その約10年にわたるキャリアは理想的な歩みだったとも言える。

 そして4枚めとなる『タイニー・ポーズ』がリリースされた。本作を特徴づける一曲を挙げるならば、“ブッシュミルズ(Bushmillls)”だ。それは彼がフェイバリットのひとつだと語るカリブー(マニトバ)の『アンドラ(Andorra)』(2007)を彷彿させ、ブロードキャストや、あるいはソフトサイケの埋もれた名盤といった趣を宿し、ドゥンエンの本年作の隣で、ハイプ化したテーム・インパラよりも一層奥のサイケデリアを引き出してくる。
 彼のドリーミーさ甘美さは砂糖ぐるみなのではない、それはもうちょっと深いところにある情感から生まれたものだ。そして年齢や経験とともに彼はより自然な手つきでそれを引き出すようになった──のではないか。本作はその意味で成熟したイパを示しており、前作『81』でやや野暮ったく感じられたパーソナルな感触を完全に過渡期のものとして、その先の音とスタンスをポジティヴに描き出している。以下語られている犬の影響というのは……よくわからないけれども。

■Yppah / イパ
イパことジョー・コラレス・ジュニアによるソロ・プロジェクト。2006年のデビュー・フル『ユー・アービューティフル・アット・オール・タイムズ(You Are Beautiful At All Times)』以降、これまでに〈ニンジャ・チューン(Ninja Tune)〉から3枚のアルバムをリリース。映画『ラスベガスをぶっつぶせ』やゲーム『アローン・イン・ザ・ダーク』、連続テレビ番組『ドクター・ハウス』『CSI: 科学捜査班』などにも楽曲が起用されるほか、世界ツアーなど活動の幅を広げている。

カリフォルニアに越してきてから犬を飼いはじめたんだけど、彼らはこのアルバムのライティングのプロセスに大きく影響していてね(笑)。

前作はもう少しアンビエントなものだったと思います。『81』という生まれ年をタイトルに据えた、パーソナルな内容でしたね。今回はその意味ではどんな作品でしたか?

イパ:新作は、前作の続きのような作品なんだ。類似点がたくさんあると思う。2つの作品のちがいは、前回のほうはもっと純粋で感情的だったけど、今回はもっとディテールにこだわっているところかな。もっと内容が凝縮されているんだ。

いったいどういう点で「小休止」だったのでしょうか?

イパ:これは、犬に餌をやるときに使う「待て」の意味だよ。カリフォルニアに越してきてから犬を飼いはじめたんだけど、彼らはこのアルバムのライティングのプロセスに大きく影響していてね(笑)。家で作業してるから、制作中、ずっと犬たちと過ごしていたんだ。
 彼らとすごしていることでサウンドに影響があるわけではないけど、作っている間、彼らにずっと囲まれていたから、そういう意味で影響を受けてるんだよ。製作期間の大半を犬たちと過ごしていたから、そのタイトルにしたんだ。

たとえば『ゼイ・ノウ・ワット・ゴースト・ノウ(They Know What Ghost Know)』(2009)などには見られたフィードバック・ノイズや、いわゆる「シューゲイザー」的な表現は、その後、音の表面にはあまり出てこなくなりましたね。イパというのはあなたにとってそもそもどういうユニットなのでしょう?

イパ:たしかにそうだね。このアルバムでは、雰囲気が前回よりももっとコントロールされているから。イパは僕のお気に入りのプロジェクトで、そうやって自由に変化を加えられるところが魅力なんだ。決まった方向性がないからこそ特別。何も考えずに、楽器を触ることから自由に曲作りをはじめることができる。そこから自分が好きなサウンドが生まれるまでライティングを続けるんだ。それがイパというプロジェクトのテーマ。考えすぎずに、直感に任せるんだよ。その過程で良いサウンドが生まれたら、そこからいろいろと考えていく。そうすることで、自分が聴いていて心地のいい音楽が作れるんだ。

(通訳)今回、その自由なプロセスの中でサウンド的に変化した部分は?

イパ:ほとんど同じだと思う。少しテンポが早いものを好むようになったり、アンビエントなサウンドをもっと広げていったというのはあるかもしれないね。ギターのグライムっぽいエッジーなサウンドをより好むようになったのもあるかもしれないし。あとは、さっきもいったようにもっとまとまりのあるサウンドを意識するようになったのもその一つだと思う。サウンドや曲同士にもっとつながりがあるんだ。

この2年、ギアをたくさん買いはじめて、それを使ってサウンド・デザインをするようになったんだけど、それを曲に使えたらとずっと思っていたんだ。

サウンド・プロダクションについて、とくに今回こだわったり気をつけた部分はありますか?

イパ:この2年、ギアをたくさん買いはじめて、それを使ってサウンド・デザインをするようになったんだけど、それを曲に使えたらとずっと思っていたんだ。サンプルしたり、レコーディングしたエレクトロニック・サウンドのまわりに生の楽器のサウンドを重ねていくっていうのが主なやり方だった。だからこそアルバムが完成するまでに時間がかかったのさ。サウンドを作る中でいろいろな変化や発見があったから、なかなか方向性が定まらなかったんだ。

“ブッシュミルズ(Bushmillls)”のヴォーカルはあなた自身ですか? 声や歌を楽曲に用いるときの基準を教えてください。

イパ:そう。前よりは自分の声を評価するようになったけど、やっぱりまだ自分の声は好きにはなれないな(笑)。基準はとくにないね。声や歌を使いたいと思う時には自分が欲しいサウンドが決まっているから、エフェクトを使ってそれを作るようにしているくらい。いまではいろいろなエフェクトがかけれるし、自分がいいと思えるものができあがるまでに時間がかかることもあるけどね。

ジャケに使われている絵の作者、パット・マレック(Pat Marek)は、物事や生命の断面を象徴的に表すような作品を多く描かれていますね。彼の絵を用いようと考えたのはなぜですか?

イパ:彼から僕にコンタクトをとってきて、自分のアートワークを僕の音楽に使う気はないかと訊いてきたんだ。で、僕もアートワークが必要だったし、彼の作品集を見てみたら素晴らしかったから、彼にデザインしてもらうことにした。彼から連絡があったのは、2年くらい前の話。彼にアルバムの制作過程や音、犬の話をしたんだけど(笑)、よく見ると、すごく抽象的だけどアルバムのアートワークの中にはさっき話した犬が描かれているんだ。ソング・タイトルや音、制作環境の雰囲気、僕が話したことを、彼が抽象的に表現してくれたのがあのアートワーク。ヴァイナルに印刷されたあのデザインを見るのが楽しみだね。

エイフェックス・ツインが昨年の新作以来元気に活動していますね。エイフェックス・ツインはあなたにとって重要なアーティストですか?

イパ:エイフェックス・ツインは大好き。彼の作品はつねに聴いているよ。おもしろいのは、彼の作品って家でじっくりと座って聴くわけではないんだけど、彼のプロダクション技術からは大きく影響を受けているんだ。僕の音楽の中のグリッチっぽい部分は、彼からの影響だね。

新作を聴かれていたら感想を教えてください。

イパ:聴いたよ。あまり言いたくないけど、正直少しガッカリしたんだ。もう少しアイディアが詰まっていてもいいんじゃないかなと思った。人の作品のことをインタヴューで批判するのはあまりいいことではないし、僕にとやかく言う筋合いはないけど(笑)、僕の感想はそれ。アルバムを聴く前に新作のシングルを聴いた時はすごく興奮したんだよね。すごくいいアルバムになるんだろうなと思った。ああいう曲をもっと収録したらいいのにっていうのが正直な意見だけど、僕の期待がきっとみんなの期待とちがっているんだろうな。

では、ボーズ・オブ・カナダでいちばん好きな作品と、好きな理由などを教えてください。

イパ:どれだろう……それぞれに魅力があるから……難しすぎて答えられないよ(笑)。すべてが好きだから、一枚は選べない。どうしてもって言われたら、『キャンプファイア・ヘッドフェイズ(The Campfire Headphase)』(ワープ、2005)って答えるべきだろうな。好きなトラックがいちばん多く入ってるから。

(通訳)彼らの魅力とは?

イパ:彼らの音楽はずーっと聴いてる。彼らのサウンドって、シンプルだけどすごくいいと思うんだ。あと、僕にとって、エレクトロニック・アーティストでいまだにミステリアスだと思うアーティストはあまりいないんだけど、彼らにはまだミステリアスな部分がある。彼らのローファイなヴィジュアルも魅力的だし、とくにヴィデオなんかはすごくおもしろいと思うね。あのランドスケープや質感にはインスパイアされているんだ。

ロングビーチに住んでいるといつだって外に出られるし、家の外にいることをエンジョイできる。サーフィンもするようになったし、そういうのも影響していると思うよ。

現在の活動拠点はカリフォルニアですか? カリフォルニアの風土やカルチャーから受けた影響はありますか?

イパ:そうそう。ロング・ビーチに住んでるんだ。テキサスの暑さに耐えられなくて(笑)。夏の間に外にいられるっていう環境は影響していると思う。ヒューストンは、夏は暑すぎて外に出ていられないからね。ここに住んでいるといつだって外に出られるし、家の外にいることをエンジョイできる。サーフィンもするようになったし、そういうのも影響していると思うよ。開放感があるから、より多くのものにインスパイアされるようになったんじゃないかな。

以前、カリブーの『アンドラ(andra)』(マージ、2007)に影響を受けているとおっしゃっていたのを読んでとても納得できました。エレクトロニックなんですが、根底にサイケデリック・ロックを感じさせます。あるいは『アンドラ』がそうであるようにクラウトロック的なトラックもありますね。あなたにとってのカリブーという存在についても語ってもらえませんか?

イパ:『アンドラ』は僕のお気に入りで、大きなインパクトを与えてくれた作品なんだ。そのアルバムのパフォーマンスを見たんだけど、そこで彼は、僕がやりたいと思っていたことをたくさんやっていて、それが刺激的だった。エレクトロと生楽器をミックスしたりね。いまでこそいろいろなギアなんかが出てきてそこまで難しくないのかもしれないけど、当時は「ワーオ! どうやってエレクトロのプログラムを楽器とつなげているんだろう!?」って衝撃だったんだ。彼は博士号も持っていて、ピアニストでもあって、とにかく何でもできる。僕も彼みたいだったらいいのにな(笑)。

テキサスといえばサーティーンス・フロア・エレヴェーターズ(13th Floor Elevators)ですが、テキサスのサイケデリック・ミュージックに思い入れがあったりしますか?

イパ:彼らのファンでもあるし、影響は大きく受けてるよ。シューゲイズの部分もそうだし、あのドリーミーな部分が好きなんだ。そのあたりは自分の音楽にも取り入れようとしている要素だね。

あなたの音楽を「シューゲイザー」と呼ぶかどうかは別として、あなたはそのように呼ばれる音楽に興味を持ってこられたのですか?

イパ:いまもそういったヘヴィーでサイケデリックな作品を好んで聴いているよ。僕が初期に受けた影響だしね。

そうだとすれば、どのようなアーティストが好きですか?

イパ:ライドはもちろんそうだし、ポスト・パンクのアーティストたちも好きなんだ。ヴァン・シーもシューゲイズっぽいところがあると思うし、スロウダイヴも好きだね。ジーザス・アンド・メリー・チェインも。あとは……スペースメン・3からも大きく影響を受けてるよ。



変化というより、今回の新作は初期に戻っている感じがする。

最初のアルバムである『ユー・アー・ビューティフル・アット・オール・タイムズ(You Are Beautiful At All Times)』(2006)からいままでで、制作環境におけるいちばんの変化を挙げていただくとすれば、どんなことですか?

イパ:うーん、変化というより、今回の新作は初期に戻っている感じがする。最初のアルバムのときはレコードをサンプルしていて、そのサウンドを使ってアンビエントな雰囲気を作り出していた。で、いまはそういうサウンドはおもにシンセで作っているんだ。モジュラー・シンセサイザーを使って、そのサウンドをサンプルしてる。だから、変化というよりは初期に戻った感じがするんだよね。すごく似ていると思う。まあ、内容はもちろんちがっているけど、メインの要素はある意味で原点回帰しているんじゃないかな。

ちょうどキャリアがもう少しで10年に差しかかろうとしていますね。この10年の間に、20代から30代へという変化も迎えられたと思いますが、アーティストとしてその変化をどのように受け止めていますか?

イパ:そうなんだ。気づいたらって感じ(笑)。変化は、ジャンルを考えなくなったことだね。前は、エレクトロの要素を使ったロック・アルバムを作りたいとか、そういう考え方をしていたけど、いまはただ、エレクトロの要素を使っておもしろいアルバムを作りたいというふうに考えるようになった。いまの時代、音楽が混ざり合っているのは当たり前だし、いろいろなアプローチをとることができるしね。

ギターはあなたの音楽の重要なキャラクターだと思いますが、ギターをつかわないイパのアルバムは考えられますか?

イパ:イエス。たまにリミックスをするんだけど、リミックスする作品の中には、シンセがメインでまったくギターが使われていないものもある。そういう作品を聴くと、自分もギターを使わない曲を使ってみてもいいかもしれないなって思うね。

(通訳)すでに作ったことはあります?

イパ:あるよ。いま作業しているプロジェクトがあって、それがミニマル・ウェーヴっぽいんだけど、いまのところギターは使っていない。だから、使わないまま進めていこうかと思ってるんだ。

(通訳)サウンドはやはりぜんぜんちがいます?

イパ:もちろん。やっぱりよりダークになるよね。80年代のミニマル・ウェーヴサウンドって感じ。でも、コピーしようとしてるんじゃなくて、そういう要素を使おうとしてるだけなんだ。

音楽を作りはじめたきっかけのひとつが映像だからね。映画のサウンド・トラックを作ってみたくて音楽制作をはじめたんだ。

曲のメイキングとしては、もしかすると弾き語りが原型となっていることも多いでしょうか?

イパ:いや、時と場合によるよ。モジュラー・シンセからはじめるときもあるし、他のものからはじめるときもある。でも大体は、雰囲気作りからはじめるかな。質感を決めたり、そこから曲作りをはじめるんだ。サンプルを使うときなんかは、サウンドはほとんど偶然に生まれるものばかりだしね。そうやって生まれたサウンドや雰囲気にインスパイアされながら、曲作りを進めていくんだ。

音楽以外で、たとえば本や映画など、この1年ほどの間でおもしろいと感じたものがあれば教えてください。

イパ:僕は映画や映像が大好きだから、フィルムに影響されて音楽を作ることが多い。おもしろいと思ったものは、タイトルさえもないビデオクリップとか、そういう作品だね。サーフィンのビデオ・クリップとか、スケボーのビデオ・クリップとか。そういったものをインターネットで見つけるんだ。ボーズ・オブ・カナダのローファイなイメージにも影響されてる。そういう映像を見ると、曲を書きたくなるんだよね。クレイジーなアーカイヴ映像の時もある。たまに、自分の50年代とか60年代の先祖のファミリー・フィルムをアップロードしている人なんかもいてさ。そういうのってすごくクールだし、見るのが大好きなんだ。

映像に音をつけることに興味はありますか? なにか音をつけてみたいと思う作品を挙げてもらえませんか?

イパ:もちろん。音楽を作りはじめたきっかけのひとつが映像だからね。映画のサウンド・トラックを作ってみたくて音楽制作をはじめたんだ。音をつけてみたい作品はたくさんあるけど、いま関わっているプロジェクトでは、アパートの中にいる人たちが、外で何か起こっているけどそれが何なのかわからなくて、でも確実に殺人が起こっている、みたいな……(苦笑)。シリアスではないダーク・コメディの映像に乗せる音を作ろうとしているところ。おもしろくなるだろうな。作るのが楽しみなんだ。あとは……わからないな。ロマンティック・コメディみたいな映像にはあまり興味がないね。もっと、ホラー・ドラマっぽい作品がいい。ホラーだと、いい意味で真剣に曲を作れるからさ。

Regis - ele-king

 〈ダウンワーズ〉総帥として、またブリティッシュ・マーダー・ボーイズ(BMB)としてサージョン(Surgeon)とともにハードテクノの一時代を築き上げ、ファンクション(Function)、サイレント・サーヴァント(Silent Servant)、フィメール(Female)らとのレーベル・コレクティヴ、サンドウェル・ディストリクト(Sandwell District)によってポストパンク/パワエレ/インダストリアルとテクノをノワールなイメージとミニマリズムで繋いだカール・オコナーことリージス。

 暗黒電子音界最高峰プロデューサーとしての近年の秀逸な仕事をまとめたコンピレーション『マンバイト』が〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉から発売された。アイク・ヤードやヴァチカン・シャドウ、ダルハウスにファミリー・セックス、レイムらのトラックを完全に我が物に扱い、ほぼオリジナルとして再構築される敏腕エディット術。凍りつくように美しいミニマリズムはリージスにしか出しえないのだ。え? ヴァージョン違いばっかりじゃなくって新たなオリジナル曲はどうしたの? という疑問を忘れるくらい、あらためて関心させられる。ま、ほぼ聴いた音源で被りまくることでお馴染みのBEBですから。

 もちろん、本人としても近年はプロデュースとコラボレーション・ワークを中心に据えての活動を好んでいることに間違いはないが、誰もが彼の完全新録トラックを待ち望んでいるだろう。

 ぜんぜん関係ないけど、最近ゴッドフレッシュとのライヴ・コラボレーションを披露するとかしたとか。そこまでもろなインダストリアル・メタルとの邂逅はなにげに初めての試みなんじゃないか?

interview with Cornelius - ele-king


Cornelius
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 ことオリジナル・アルバムに関しては寡作で知られるコーネリアスだが、オリジナルに匹敵する彼ならではの創意と工夫と閃きの賜物であるリミックス作品を集めたコンピレーション・シリーズ『CM』は、これまで4作リリースされてリスナーの渇きを癒す一方、こうした他流試合は来るべき新作への実験の場としても有効に機能してきた。

 そして、リミックスはもとよりプロデュースやコラボレーション作品、未発表の新曲、カヴァー曲など近年のワークス13曲をカラフルに散りばめた最新コンピレーションが、本作『Constellations Of Music』である。タイトルを直訳すれば「音楽の星座」。

 英和辞典を引くと、“constellation”には、①《天文》星座;(天空における)星座の位置 ②そうそうたる人々の一団、きらびやかな群れ;(…の)一群((of …)) ③《占星》星位、星運 ④《心理学》布置、という意味がある。

 「布置」とは聴き慣れない言葉だが、ユング心理学の概念のひとつで「共時性」(synchoronicity)を指す。複数の物、人、事柄などの配置が織り成す相関関係という意味にも使われる。個人の心の中の状況と、外側で偶然に起こる出来事──まったく無関係に思える物事が、あるとき不意に、まるで星座のようにひとつのまとまりを持って結びつき、トータルな意味合いとして理解できるようになる。そうした連鎖や気づきを「コンステレーション」と呼ぶのだ。

 古来より世界中の人々は、地域性や民族性を反映しつつ、どこか共通する要素を持った神話や伝説を育んできた。近現代の天文学で定められている88星座の中に、なぜか「さる座」は見当たらないが、その欠落をもはや見過ごすわけにはいかないと思ったのだろう、小山田圭吾は、偶然のように集った10個のきら星――グラミー受賞者と候補二組(鳥と蜂、猿本人)、野牛娘ひとり、ペンギン、魚、幽霊などを含む――に必然的な繋がりを見出し、限りなくイマジネイティヴに「音楽の星座」を描いてみせてくれた。

 個々の星ぼしの歴史に想いを馳せれば、彼らを産んだ親たちや祖父母の代まで遡ることが可能だ。20世紀という複製文化の黄金時代に花開いた、信じられないほどに豊かなポピュラー・ミュージック(大衆音楽)の甘やかな調べ。それらを創り、歌い、奏でたソングライターや歌手や演奏家たちは、次々に星となって天に召されてゆく。時を超え、世紀を跨いで遺された録音物から、彼らの魂が「偶然」再生される。それに霊感を受けた次の世代へと、文化の円環は引き継がれていく。星の彼方へ、遙かな未来に向けて――。

 Ah Dareka Tooi Basyode / Ah Onaji Youna omoi / Tooku Umiwo Koete Haruka (Cornelius“Omstart”)

 星座から遠く離れていって景色が変わらなくなるなら、ねぇ本当は何か本当があるはず……と歌った吟遊詩人(犬)もいたっけ、ね。

■Cornelius / コーネリアス
フリッパーズ・ギター解散後、1993年から開始された小山田圭吾によるソロ・プロジェクト。ソロ・デビュー22年を迎え、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやリミックス、プロデュースなどますます幅広く活動する。2008年にリリースされた「Sensurround & B-Side」がグラミー賞のベスト・サラウンド・サウンド・アルバムにノミネート。「UNIQLO」「CHANEL」などのCMや「デザインあ」(NHKEテレ)といったTV番組ほか、映像とのコラボレーションも多い。https://www.cornelius-sound.com/

僕ぐらいの世代だと『ピロウズ&プレイヤーズ』とかさ、ああいうのが根底にあって。

北沢夏音(以下、北沢):この前インタヴューしたときは、このコンピが出ることをぜんぜん知らなかったから、びっくりした。取材のオファーをもらって、こんなにすぐ…!? みたいな。

小山田圭吾(以下、小山田):ねっ、僕も。20年会ってなかったのに、1ヶ月に1回くらい会ってる(笑)。

北沢:こういう感じでこれからやれたらうれしいね(笑)。今回のアルバムは、『CM4』から3年ぶりのリミックス&ワークス集と捉えていいの?

小山田:いちおう『CM』はリミックスって限定してたんだけど、今回はリミックスも、そうじゃないものも入っていて。まぁでも、「Constellation of Music」って「CM」って略せるし、ちょっと近いところではある。

北沢:コラボレーション的なトラックもわりと目立つというか。

小山田:そうですね。あとは僕が何もやってなくて、ただお願いしただけって曲も入っていたりして。ちょっとコンピレーション・アルバム的な感じにしたいなと思って。

北沢:〈トラットリア〉の頃は他にあんまりないような年鑑っぽいコンピをよく作っていたような記憶がある。

小山田:まぁレーベルだったからね。レーベル・ガイド的なコンピレーションみたいなのは、ことあるごとに作っていたんだけど。僕ぐらいの世代だと『ピロウズ&プレイヤーズ』(「99ペンス以上は支払うな」というメッセージと共に1982年のクリスマスに〈チェリー・レッド〉からリリースされ、翌83年にかけて19週連続で全英インディ・チャート第1位を独走したコンピレーション・アルバムの名作。当時〈チェリー・レッド〉のA&Rであり、後年〈トラットリア〉の命名者となるマイク・オールウェイが企画し、ザ・モノクローム・セット、フェルト、アイレス・イン・ギャザ、エヴリシング・バット・ザ・ガールらが参加。84年には日本盤のみで続篇『ピロウズ&プレイヤーズ2』がリリースされた)とかさ、ああいうのが根底にあって。なんかそれ的なね。あの頃はそういうポストパンクのインディ・レーベルなんかが出てきてさ、ガイド的なコンピレーションってたくさんあったじゃん? ああいうものを自分のレーベルでも作ってみたかったんだよね。

北沢:今回のはレーベル・ガイドじゃないんだけど、やっぱり「小山田くんと仲間たち」というような雰囲気があって、そういうものとしても聴けるって感じがするね。国際色豊かなメンツで。

小山田:仲間たちといっても、会ったことのないひとたちもいたりするんだけどね(笑)。

北沢:本当に(笑)? ゴティエとか会ってない?

小山田:ゴティエは会ったよ。

北沢:このなかで会ってないひとってだれ? コーラルレイヴンとか?

小山田:コーラルレイヴンは一度会った。ザ・バード・アンド・ザ・ビーは会ったことない。あ、でも会ったことないのはそれだけだ。

北沢:じゃあけっこう会ってるね。

小山田:うん。でも、一回会ったとかそんな感じ(笑)。そんなに親しいわけじゃ……親しいひとももちろんいるけどね。

(ミッドタウンのBGMは)季節がテーマになっていて、年間で6つくらいに分かれていて。冬、春、初夏、夏、秋、クリスマス、そして冬っていう(笑)。

北沢:資料を見たら、これは小山田くんが担当した東京ミッドタウン・ガレリアのBGMセレクションの企画からはじまって書いてあるけど?

小山田:そうだね。ミッドタウンのBGMを2年くらいずっとやっていたんだけど、それで最後に企画のアルバムを出すって話がきて、そこからこのアルバムに繋がっていったんだけど。このなかに入っている曲もいくつかは選曲したりしていて。

北沢:たとえば?

小山田:1曲めの大野由美子さんのやつとかもそうだし、salyu × salyuの “ハモンド・ソング”とか、ザ・バード・アンド・ザ・ビーもそう。あと、“ナイト・ピープル”とかペンギン・カフェとか。基本的に自分の曲はあんまり選んでいなかったんだけど、こういうコラボレーションものだったりすると、わりと掛けやすいかなと思って。

北沢:じゃあ、実際にミッドタウンでは掛かってたってこと?

小山田:そうそう。それは季節がテーマになっていて、年間で6つくらいに分かれていて。冬、春、初夏、夏、秋、クリスマス、そして冬っていう(笑)。

北沢:なるほどね。クリスマスは特別なの?

小山田:やっぱりクリスマスがいちばん大変だね(笑)。だいたい90分とか選曲するんだけど、90分、2年分、全部クリスマス・ソングってけっこう大変だった(笑)。

北沢:合計3時間(笑)。

小山田:でも、クリスマス・ソングって意外にあるなって思った(笑)。

北沢:小山田くんはクリスマス・ソングって作ってたっけ?

小山田:いや、そこまで具体的なのはないね。

北沢:いつか作ろう、みたいな気持ちはある?

小山田:うーん。自分からはそんなにかな。キリスト教徒なわけでもないし。でも、クリスマスの街の雰囲気は嫌いじゃないけどね。クリスマス・ソングは好き。

北沢:いちばん好きなクリスマス・ソングって何? アズテック・カメラのカヴァー(”Hot Club of Christ”)やってたよね。

小山田:あったね。あれ好きだよ。あのコンピレーションがすごく好き。〈クレプスキュール〉の(所縁のアーティストのクリスマス・ソングを集めた)コンピレーションで、何種類も出てるんだよね。

北沢:『GHOSTS OF CHRISTMAS PAST』、新装盤が出るたび内容も曲順も少しずつ入れ替わってて。あれはジャケもいいよね。
小山田:毎年クリスマスくらいになると思い出して聴いてるよ。

北沢:そういうの、なんかいいなって思うから、小山田くんもいつかさりげなく作ってほしいな。

(*本作におけるコーネリアスの新曲“Tokyo Twilight”のタイトルは、『GHOSTS OF CHRISTMAS PAST 』にアズテック・カメラと並んで収録されているブリュッセルのポストパンク・バンド、ザ・ネームズの曲名の引用ではないか、と後日レコードを引っ張り出して気づいた。エキゾチック・サウンドの名曲“スリープ・ウォーク”で知られるサント&ジョニーにも同名異曲があるが、そちらは小津安二郎監督の映画『東京暮色』の英題から採ったのかもしれない)


■大野由美子 / Escalator Step

北沢:さて、僕は『CM』のシリーズが好きで、毎回楽しみにしてるんだけど、今作用に小山田くんがリクエストして録り下ろされたという1曲めの大野由美子さんの“エスカレーター・ステップ”を聴いて、これぞまさしくラウンジなエスカレーター・ミュージックで、しかもペリー&キングスレーみたいな感じがした。

小山田:うん。まさにそんな感じで。BGMセレクションで、ああいうエレベーター・ミュージックっていうか、60年代とか50年代のショッピング・センターとかでなんとなく流れていそうな曲っていうのをたくさん選曲してた。それで何曲かに1曲はそういうものが欲しいなと思ってたんだけど、自分のレパートリーになくて。それにライセンスするのもけっこう大変。けど大野さんだったらこういうものが作れるだろうとわかっていて(笑)。大野さんはソロでけっこうそういうものを作っていたりしているんだよね。あっ、ソロっていうか……

ああいうエレベーター・ミュージックっていうか、60年代とか50年代のショッピング・センターとかでなんとなく流れていそうな曲っていうのをたくさん選曲してた。

北沢:バッファロー・ドーター?

小山田:バッファロー・ドーターじゃなくて、珍しいキノコ舞踏団のサントラを大野さんが作っていて。

北沢:モーグを使ってるの?

小山田:そうそう。で、モーグっていったらもう大野さんだなと思って。「こんな感じの曲を作って」って言ったらパーフェクトに作ってくれました(笑)。

北沢:エスカレーターとか、そういう具体的な場所の名前を伝えたの? 

小山田:具体的なキーワードは言ってないけど、そういうショッピング・センターとかで掛かってるような軽い感じのもの、とかってディレクションはしたかな。

北沢:エレクトリカル・パレードみたいな、アトラクション的な感じもある。ああいう音がかかると、すぐにそういう世界に入り込めちゃうから。

小山田:あと、コンピレーション的な内容にしたかったので、なんか冒頭にそういう曲があるといいなと。

北沢:大野さんは“まだうごく”のミュージック・ヴィデオにも参加してるよね。

小山田:うん。最近、僕がやってるプロジェクトにはほとんど参加してもらってる。『攻殻機動隊』プロジェクトでも、“まだうごく”もやってくれているし、“外は戦場だよ”も“じぶんがいない”も全部演奏してくれていて。salyu × salyuでもバンドのメンバーとしてずっとお世話になっていて。しかもお姉さん役として、女子の面倒を見てくれるから(笑)。

北沢:それを小山田くんがやらなくてすむんだ(笑)。

小山田:そうそう(笑)。本当に頼りになる。

北沢:この1曲めからスーッと心地よくアルバムの世界観に入れるっていうかね。

小山田:そんなに多く言わなくても意図を汲んでくれて。「いい感じによろしく」くらいしか言っていないし(笑)。


■坂本慎太郎 feat. Fuko Nakamura / 幽霊の気分で(Cornelius Mix)

北沢:次は坂本慎太郎くんの“幽霊の気分で”のコーネリアス・リミックス。これは7インチ・ヴァイナル・オンリーだったのかな?

小山田:最初は「サウンド&レコーディング・マガジン」の企画だったんだよね。リミックスが付録のCDに入ってた。で、そのあとに坂本くんのレーベルから7インチが出て。CD盤になったことはなかったんだけどね。

北沢:坂本くんのファースト・ソロアルバムに入ってるオリジナルは、いちおう基本的には坂本くんが歌って、(ナカムラ)フーコさんはコーラスだったんだけど、こっちは完全にデュエットになってるね。

小山田:どちらかというとフーコさんのほうを前に出した感じかな。

北沢:これ、バック・トラックにモーグが入ってる?

小山田:モーグは入ってないんじゃないかな。

北沢:なんか1曲めから自然に繋がるような、そういう感じがしたんだよね。

小山田:モーグじゃないけどシンセ・ベースは入っていたかもしれないね。

北沢:坂本くんの原曲ってけっこうエキゾなムードがあるじゃない? それも生かされているような気がして。

小山田:ギロが入ってるのが印象的だよね。

ギロが入ってるのが印象的だよね。

北沢:そのせいだ(笑)。

小山田:だからギロは残したんだけど。普通のポップ・ミュージックにギロが入るのって、あんまりないと思うけど、そこはやっぱりセンスがいいなって思った。

北沢:アンオフィシャルなヴィデオ──舞台は外国で、メキシコ人みたいな感じの男女が出ていたりするんだけど──がネットに上がってて、それが妙に曲に合ってて、いいんだよね。観てない?

小山田:なんか坂本くんがiPadで作ったやつは観たけどね。

北沢:どんなやつ?

小山田:あれって“幽霊の気分で”じゃなかったっけ? 最初に作ったやつ。なんか犬とか出てきて。アニメのやつ。

北沢:アニメのやつは“幽霊”じゃなくて“君はそう決めた”じゃないかな。“幽霊”の謎のヴィデオは、完全にロケで、たぶんメキシコだろう、じゃなきゃ南米だろうって感じの場所で。なかなかよかったよ。

小山田:ギロに引っ張られてそうだね。

北沢:テンポ的にもね(笑)。そういうムード音楽みたいな気配も増幅されてて、すごくいいね。このリミックスは、狙いとしては、ギロからインスパイアされたの?

小山田:ギロって言うよりも、印象をちょっと変えたいなと思って。ナカムラ・フーコさんの声がすごく素朴な感じでいいなと思って、彼女をもうちょっとフィーチャリングしたかったというのと、あとは「幽霊」ってことばにけっこう引っ張られたかな。僕のなかでの幽霊のイメージは、フレクサトーンって楽器なんだよね。おろし金みたいなものに玉がふたつ付いていてベンドができるんだけど、音がだんだん上がっていくみたいな……お化け屋敷とか昔のおばけの効果音に使われているラテンの楽器。それをけっこう使ったんだよね。

北沢:ラテンなんだ。なるほど、だからエキゾな感じがあるんだね。

小山田:なんかユーモアがあるというか、そういうイメージで作った。あとは、坂本くんに『攻殻』とかsalyu × salyuとかお願いすることが多かったんで、逆に恩返しができてよかったなぁと。


■The Bird And The Bee and Cornelius / Heart Throbs And Apple Seeds

北沢:冒頭の2曲でもうかなり引き込まれちゃう。で、3曲めがザ・バード・アンド・ザ・ビー。これはセカンド・アルバムの『レイ・ガンズ・アー・ノット・ジャスト・ザ・フューチャー』にそのまま入ってるよね。

小山田:これはボーナス・トラック的なやつじゃないかな。

北沢:そうだ、日本盤のボーナス・トラックだったね。これは彼らから依頼が来たの? それとも日本のレコード会社から?

小山田:これはもともと車のCMというのが最初にあって、女性向けの軽自動車みたいな車のCMだったんだけどザ・バード・アンド・ザ・ビーを使って何かやるって企画で、日本のアーティストとコラボしたいというので、彼らが僕の名前を出してくれて、やってみようかという感じで。

北沢:それまでに彼らのことは知ってた?

小山田:うん。知ってた。ファーストのFMでヒットした“アゲイン&アゲイン”とか。ローウェル・ジョージの娘のヴォーカルのイナラ・ジョージは、僕の『Sensuous』をアメリカで出してるレーベル(Everloving)からソロのレコードを出していて。それでそのレーベルのひとからレコードをもらっていたんだけど、けっこう気に入って聴いちゃった。ソロはもうちょっと暗いフォークみたいな感じなんだよね。あんなにポップではない。

北沢:そうなんだね。聴いたことないな(※あとでイナラのアルバム『All Rise』を聴いたが素晴らしかった)。ザ・バード・アンド・ザ・ビーは僕も好きで、これは小山田くんも絶対好きだろうなって思ってた。

小山田:カーディガンズとかみたいなFM乗りのいい曲だね。

北沢:あと、テイ・トウワさんがジョアン・ジルベルトの娘(べべウ・ジルベルト)をフィーチャーしていたのを思い出した。

小山田:あれすごく好き。

salyu × salyuをやっていた頃と近いプロダクションだね。

北沢:“プライヴェート・アイズ”(ダリル・ホール&ジョン・オーツ)のカヴァーつながりで連想して。ちょっと甘いんだけど、絶妙なさじ加減だよね。これもハーモニー・ポップって感じかな。

小山田:そうだね。salyu × salyuをやっていた頃と近いプロダクションだね

北沢:でも隠し味的に電子音が入っていて、そういうものがやっぱり繋ぎとしても生かされている気がする。

小山田:これはわりと共作みたいなかたちで、こっちでほとんどまとめたんだけどね。グレッグ(・カースティン)っていうもうひとりのひともちょっと楽器を弾いてくれたりとか、アレンジをちょっとやってくれたりして。完全に僕が作ったって感じではなくて、彼女も歌詞を書いて。ただ、データのやり取りだけでやっていたので、一度も会ってはいなくて。

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■salyu × salyu / Hammond Song


Cornelius
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北沢:それで、次に当然のようにsalyu × salyuが入ってくるわけだね。“ハモンド・ソング”はツアーでだけ販売していたんだよね?

小山田:会場でだけ売っているCDに入っていたんだけど、salyu × salyuのライヴでずっとやっていたんだよね。で、一枚しかアルバムが出てないんで、ライヴ1本をやるには曲が少ないからカヴァーも何か考えようと思って、それでこの曲を選んだんだけど。もともとはロバート・フリップがプロデュースしていた、ローチェスっていう三姉妹がやってた曲で。原曲はその3人のコーラスで、大好きなんだよね。それがピッタリだと思ったし、難しいコーラスでも彼女たちならできると思ってね。

北沢:すごくメロディがきれいだよね。これは本当に最近のコーネリアス印っていうか、アコギとシンセ・ベースをけっこう多用しているよね?

もともとはロバート・フリップがプロデュースしていた、ローチェスっていう三姉妹がやってた曲で。原曲はその3人のコーラスで、大好きなんだよね。

小山田:うーん、どうだろうね。アコギもシンベもよく使うけどね。このトラックに関しては僕はほとんど何もやっていなくて、ギターはsalyu × salyuでコーラスをやってる(ヤマグチ・)ヒロコちゃんで、シンベは大野さんで、コーラス・アレンジは全部Salyuがやってくれた。僕は最後に「ちーん」って鐘の音を鳴らしたんだけど、それだけやってる(笑)。

北沢:全体を見ていただけみたいな?

小山田:そうですね。

北沢:ときどき声はいじってる?

小山田:いや、いじってないです。ほぼ一発録りに近いです。ライヴでやってたし、Salyuたちは本当に上手なので。

北沢:これは前半のハイライト・ソングになってるなあって思った。

小山田:本当にいい曲だから。


■Cornelius / Holiday Hymn

北沢:で、次がコーネリアスの新曲“ホリデイ・ヒム”。

小山田:これは新曲というか、もともとは無印良品のCMというか──店内とかウェブで掛けたりする用に作った曲で、それをアルバムのために展開を加えたりして1曲にして。もともとはループが延々と繋がっているみたいな。

北沢:口笛は最初から?

小山田:うん。

本当に昼間のイメージ。

北沢:アコギのカッティングと口笛の多重録音とスティール・パンが入ってて、小山田くんらしいユーモアのセンスが感じられるすごくナイスなトラックだなと思った。聴いていてリラックスするよね。

小山田:ネガティヴな要素が何にもないんだよね(笑)。本当に昼間のイメージ。あと、無印良品的なナチュラルな印象というか、そんな感じで作った曲で。

北沢:曲名はヴィック・ゴダードから。大好きな曲なんでニヤっとしちゃう。


■Korallreven / Try Anything Once(with Cornelius)

北沢:次がコーラルレイヴンの“トライ・エニシング・ワンス”。これはJET SETに新譜を物色しに行ったときに、「あれ、小山田くんが参加してる」って発見して驚いた。彼らのアルバムにも入ってるよね。

小山田:うん。入ってるね。

北沢:12インチも出ているみたいで、それは持っていないんだけど。これはどういうところからきた話なの?

小山田:突然連絡があって、「日本にいるんだけど会いたい」って言われたんだよね。僕はコーラルレイヴンってぜんぜん知らなくて、「なんだろうな」って思ってた。たまたま空いていたのでここ(事務所)に来たよ。

北沢:あっ、ライヴじゃなくてここに来たんだ(笑)。

あんまり、っていうかほとんどないんだけど、(自分が)歌だけで参加するっていう(笑)。

小山田:なんかぜんぜん仕事とか関係なくて、日本に普通の旅行で来たんだって(笑)。友だちが日本に行くからついてきて、そのついでに僕のとこに来たんだって。まだ若い子で20代だった。ふたり組で片っぽの子(マーカス・ジョーンズ)が来たんだけど、「いま新譜を作っていて、なんかコラボレーションをしたい」って言ってて、Youtubeで音を送ってもらったらわりとよかったから、会ってみようかなと。そしたらコーネリアスに“ドロップ”って曲があるんだけど、あの曲がすごく好きみたいで。プロダクションでコーラスがだんだんと重なって和音になっていくみたいな、変わったことをやっているんだけど、ああいう感じの声とアレンジが欲しいって、すごく具体的に言われて。それで彼がトラックを送ってきて、それで僕が歌を入れて返してっていうコラボレーションで。あんまり、っていうかほとんどないんだけど、歌だけで参加するっていう(笑)。だから僕はオケはほとんど何もしてない。

北沢:イントロのハモりがモロにコーネリアス調っていうかね。だからこれをやりたかったのかな、みたいな。あとブリッジのコーラスか。これは声をちょっといじってるよね。

小山田:そうだね。オートチューンとかでいじったりしてるし。

北沢:でもなんか懐かしい感じ。80sのエレポップみたい。チャイナ・クライシスとか、ギャングウェイとかさ。

小山田:フラ・リッポ・リッピとか。

北沢:そう! その感じだよね。ネオアコ感のあるエレポップ。

小山田:そういう感じで僕はすごく好きなんだよね。いまあんまりないような感じだから。

北沢:そうだねえ。これはイギリスの子たち?

小山田:スウェーデンの子たちなんだって。エレポップっぽかったからそういう話をしたんだけど、けっこう若い子だったからぜんぜん知らねぇって感じで(笑)。

北沢:フラ・リッポ・リッピもギャングウェイも知らないの?

小山田:知らない。ディペッシュ・モードすら知らなかった(笑)。ティアーズ・フォー・フィアーズとかも知らない。

北沢:えー! そんな若いの?

小山田:若い。24、5なんじゃないかな。

北沢:えー。ティアーズ・フォー・フィアーズも知らないんだ、信じられないな。

新人だろうがベテランだろうがあんまり関係ないけどね。おもしろそうだったらやるって感じで。

小山田:最近のナウいやつのほうが好きみたいだよ(笑)。なんかヨーロッパのああいう感じはあるよね。イギリスでもない、北欧系みたいな。

北沢:そうか。ほんとにフラ・リッポ・リッピとかチャイナ・クライシスを思い出した。やっぱりふたり組か、っていうね。

小山田:男のふたり組でね。

北沢:この曲は今回のアルバムの中ですごくいい息抜きになってる。

小山田:84、5、6年の感じかな。

北沢:こういうのが好きでいっぱい聴いてたな。

小山田:こういう感じもう忘れ去られてるよね。

北沢:ここら辺は、いま、もうちょっと顧みられてもいいのにね。でも向こうからぜひという要望だったんだね。声だけのコラボっていうのはあまりないにせよ、そうやって向こうからやりたいってオファーがあって実現する例って、けっこう多いの?

小山田:うん。まぁ、ちょいちょい。逆にこっちからいくことはあんまりないかも。

北沢:海外のアーティストと国内のアーティストを比較するとさ、もちろん顔を合わせられるっていうのは国内のいい点だと思うけど、最近の音楽の作り方としては、データのやり取りだけっていうのも多いじゃない? そういう意味では、日本人だろうが海外のひとだろうがあんまり変わらない感じ?

小山田:そうだね。そういう意味ではあんまり変わらないかも。

北沢:逆にいっしょにやってみたいひとっていない? 

小山田:うーん……。あんまりいないかな(笑)。

北沢:こういうのって具体的に話がないと出てこないよね。こういう未知の新人とやるのも、きっとおもしろいよね。

小山田:新人だろうがベテランだろうがあんまり関係ないけどね。おもしろそうだったらやるって感じで。


■Cornelius / Night People

北沢:次は全編通して小山田くんが歌っている“ナイト・ピープル”。これはリトル・クリーチャーズの20周年記念トリビュートなの?

小山田:そうだね。トリビュート的なやつで。さっきのコーラルレイヴンは歌っているというよりもコーラスだったけど、この曲はこのアルバムで唯一ちゃんと歌ってる。

北沢:そうだよね。これはそれこそ“まだうごく”と全体のムードがちょっと似てるというか、スローでメランコリックで。リトル・クリーチャーズの原曲も英語詞なんだけど、『Sensuous』にフランク・シナトラのカヴァー(“スリープ・ウォーム”)があるじゃない? あの感じとも共通してるムードが……。

小山田:小山田:うん。あるかもね。

北沢:“ナイト・ピープル”っていうことばだけでも何か感じるものはあるよね。ちょっと原詞の内容を把握してないんだけど、原曲のヴィデオを観たら、メンバーが夜勤の工員さんとか残業中の会社員に扮していて、頑張って仕事しながらも心は闇夜に漂ってる、みたいな感じ。小山田くんのカヴァーも、ヴォーカルの少し潤んだ感触や曲全体のムードからメランコリーが伝わってくる。これは小山田くんが選んだの?

小山田:そう。リトル・クリーチャーズのなかですごく好きな曲で、これがやりたいなって思ってた。

北沢:彼らは和光の後輩なんだね。

小山田:そうなんだけど、僕が高校3年生のときに中3だから、学校では会った記憶がないの。でも、僕が高校のときにやってたバンドを中学のときに観たって言ってた。

北沢:学内でやってたバンド?

小山田:そうそう。中学と高校とがつながっているから。音楽室とかでジーザス&メリーチェインのコピー・バンドとかやってた(笑)。

音楽室とかでジーザス&メリーチェインのコピー・バンドとかやってた(笑)。

北沢:何年くらいのことだろう?

小山田:84年にジーザスがデビューしてるから、85年かな。

北沢:“ネヴァー・アンダースタンド”とかやってた?

小山田:やってた(笑)。

北沢:やっぱり(笑)。“ユー・トリップ・ミー・アップ”は?

小山田:やってたやってた(笑)。

北沢:そこら辺だ(笑)。すごい初期。

小山田:ファースト・アルバムだもんね。

北沢:ドラムがボビー・ギレスピーの頃。すごいな。和光ってやっぱり変わってるな。そんなの高校でやってるひと、当時はそんなになかったんじゃない?

小山田:うーん、わかんないな。でも世の中はボウイとかレベッカだよね。

北沢:そうだよね。クリーチャーズが『イカ天』でグランプリを取ったときって、もうフリッパーズだっけ?

小山田:フリッパーズ・ギターがデビューする直前に、僕は交通事故にあって、病院に入院していたんですよ。3ヶ月くらい入院してて、病院のベッドでこっそりタバコ吸ってたら、病院のひとに怒られて、ベッドごと喫煙所に連れて行かれて、一日中タバコを吸いながらベッドで寝てる時期があってね(笑)。そこにちょうどブライアン・バートンルイスが入院してて。あいつ高校生だったんだけど、そこで初めて出会って、ブライアンとその喫煙所でずっとテレビを観てて、そこに映る優勝したリトル・クリーチャーズをはっきり覚えてるよ(笑)。

北沢:そのときは面識はなかった?

小山田:うん。面識はぜんぜんなかった。

北沢:和光っていうのも知らなかった?

小山田:それは噂で聞いて知ってて、すごくかっこいいなと思ってた。

北沢:だってまだ18とかでしょう?

小山田:だって僕が19だから、高校生で16歳とか17歳ですよ。

最初から大人っぽくて、完成されてたよね。

北沢:俺もテレビで観たよ。天才少年バンド現る、みたいな。しかも英語詞だった。

小山田:ね。最初から大人っぽくて、完成されてたよね。

北沢:“シングス・トゥ・ハイド”とか“ニード・ユー・ラヴ”って曲を覚えているな。モータウンっぽいR&Bにジャズのスパイスを効かせる、その捻り方がめちゃめちゃ渋くて、とてつもなくセンスいいなって思ってた。でも意外にフリッパーズ・ギターとリトル・クリーチャーズって競演とかないよね。

小山田:フリッパーズのときはなかったね。鈴木(正人)くんとか青柳(拓次)くんとか留学していたでしょう。だからあんまり活動してなかったもんね。

北沢:初めて接触があったのっていつぐらいなの?

小山田:コーネリアスになってから。

北沢:それはいつ頃なの?

小山田:90年代後半くらいかな。でも、べつにいっしょにやる機会とかはそんなになくて、ただコーネリアスで『Sensuous』のツアーのときに、一回いっしょに〈リキッドルーム〉でやったかな。クリーチャーズもそんなに活動していなかったり、僕も海外でライヴをやっていたりとかで、そんなに(機会が)なかった。

北沢:じゃあこのトリビュートが初とは言わないけど、ちゃんとコラボしたのは初みたいな?

小山田:ライヴをやったりとかはあったんだけどね。

北沢:そのライヴ観たような気もするな……。でも当然のように、不思議なくらい近い空気を感じるんだけどね。今作の中に小山田くん自身の歌ものを入れるってことになると、収まるべきところに収まったなって感じがするね。


■Penguin Cafe / Solaris(Cornelius Mix)

北沢:次のペンギン・カフェはどういう経緯で?

小山田:4年くらい前に、六本木であったペンギン・カフェのライヴのオープニングでsalyu × salyuといっしょにやって、そのときに仲良くなって、去年日本に来たときコラボレーションでアルバムを1枚作りたいって話になって。それが最初にあった。アルバムは難しいけど、コラボするのはいいよってことで、そのときにコーネリアスの『Point』に入っている“バード・ウォッチング・アット・インナー・フォレスト”をやってくれて。それでいっしょにコラボをすることになって、このリミックスと合わせてシングルみたいなものにして……去年出たのかな。

北沢:ペンギン・カフェ・オーケストラ名義の頃の初代リーダー(サイモン・ジェフズ)の息子さんがやってるんだっけ?

小山田:そうそう。

北沢:引き継いでやってるって感じなの? おもしろいね。

小山田:うん。メンバーも当時とはぜんぜんちがうひとで、おもしろいよね(笑)。そういうパターンってあんまりないから。でもまったく違和感がなくて完全に同じなんだよね。それがすごいと思う。こういうペンギン・カフェの顔のない音楽っていうか、アイコンがはっきりしないのは、ペンギンだから成立するんだろうなって。でも息子のアーサーもかなり音楽的には才能があるひとだよ。

北沢:同世代?

小山田:たぶんほぼ同世代だと思うんだ。メンバーも僕とだいたい同世代くらいのミュージシャンがやってるの。アーサーは音楽をやっていたんだけど、もともとミュージシャンじゃなくて、探検家みたいなことをやってたみたい。潜水艦に乗ったりね(笑)。それでお父さんが亡くなって、ペンギン・カフェをやることになったらしいんだけど。

もともとミュージシャンじゃなくて、探検家みたいなことをやってたみたい。潜水艦に乗ったりね(笑)。それでお父さんが亡くなって、ペンギン・カフェをやることになったらしいんだけど。

北沢:家業を引き継ぐみたいな。

小山田:そうそう(笑)。バックのひとたちもペンギン・カフェ以外にもいろいろやってるひとで、ゴリラズをやっているひととか。センスレス・シングスっていたの知ってる? ドラムがそこのひとだった。

北沢:90年代のイギリスのパンク・バンドだよね? あんまり聴いてなかったけど名前ははっきり覚えてる。

小山田:何人かそういうミュージシャンがいて。

北沢:ぜんぜんペンギン・カフェっぽくないじゃん(笑)。

小山田:イメージがちがうんだけど(笑)。でもイメージがちがうと言えば、オリジナルのペンギン・カフェのサイモン・ジェフズってシド・ヴィシャスの“マイ・ウェイ”のアレンジをやってたって知ってる(笑)?

北沢:知らなかった(笑)。初耳。

小山田:らしいんだよね。マルコム・マクラーレンと親しかったらしくて、アダム&ジ・アンツとかバウ・ワウ・ワウとかのアレンジをサイモン・ジェフズがやっていたらしい。僕も知らなかったんだけど、ペンギン・カフェをスケシンと観に行って、シンちゃんがそれを知ってて、教えてくれた。

北沢:このトラックはアンビエントなんだけど、けっこう高揚感があって、エモーショナルな構成で、最後に波の音が入ってくる。タイトルの“ソラリス”って、『惑星ソラリス』(理性を持つ“海”におおわれた謎の惑星との交信を描いた、ポーランドのSF作家スタニスラフ・レムの小説をソビエト連邦の名匠アンドレイ・タルコフスキー監督が72年に映画化)から?

小山田:うん。これはそうなんじゃないかな。もともと波は入っていなかったんだけど、『惑星ソラリス』のイメージで、最後に波にしてみたんだけど。

北沢:すごくいいと思う。タイトルのイメージにぴったりの世界になっていて。

原曲との距離の取り方っていうか、それがけっこう難しくて。

小山田:リミックスなんだけど、こういうインストゥルメンタルの曲って、リミックスするのがけっこう難しくて。歌みたいにはっきりとした歌の中心みたいなものってないじゃん? 楽器の組み合わせでできてるっていうか。だから原曲との距離の取り方っていうか、それがけっこう難しくて。

北沢:これは原曲のどこをつかんだの?

小山田:楽曲の持っている音色を外しちゃうとペンギン・カフェにならないから。僕がリミックスするときって歌ものの場合、歌以外のトラックを使わないんだけど、これに関してはけっこう残してあって。弦の感じとか、楽曲のコード進行とかもそんなにいじってなくて。歌ものだと、わりとコードとかもいじっちゃったりするんだけど、そうすると原曲とだいぶ変わってきちゃう。なんかリミックスというよりは別ヴァージョンみたいな感じで作った。

北沢:でもそれが絶妙な感じというか。小山田くんとペンギン・カフェの合体版になってる。

小山田:あと電子音とかをあんまり入れないようにしようとかっては考えたけどね。多少は入っているんだけど。

北沢:ペンギン・カフェっぽくないから?

小山田:そうそう。

北沢:ところで、今回のアルバムのジャケットいいね、ってさっき話してたんだよ。

小山田:本当? よかった。銀が透けるようにするのが大変だったんですよ。

北沢:そこがポイントだもんね。

小山田:そうなんです(笑)。ちゃんとキラキラしてくれないと。

北沢:そうじゃなきゃ星座感が出ないもんね。

小山田:背の厚さが厚すぎると浮いちゃって、中の銀が見えないからやり直して(笑)。

北沢:紙ジャケの風合いもすごくいいし、黒と銀っていう配色も絶妙にハマってるんじゃないですかね。


■Gotye / Eyes Wide Open(Cornelius Remix)

北沢:で、次の曲がゴティエ。ゴティエといえばグラミー賞のレコード・オブ・ザ・イヤーと最優秀ポップ・グループを受賞した、2012年度全世界でもっとも売れたという大ヒットシングル“サムバディ・ザット・アイ・ユース・トゥ・ノウ”。この“アイズ・ワイド・オープン”もシングル曲みたいだね。

小山田:そうみたいだね。たぶん、そのあとのシングル曲なんじゃないかな。

北沢:このリミックスのオファーは向こうからきたの? それとも日本のレコード会社から?

小山田:これは彼からだね。もともといまみたいに売れる前に、オーストラリアをいっしょにツアーしないかって話があった。そのとき僕はぜんぜん彼を知らなかったんだけど、すごくオーストラリアで人気があるって言ってて、オーストラリアをカップリングでけっこう細かくたくさん回りたいって感じのオファーだったんだよね。どうしようかって話しているうちに、曲がドカンと売れて、そのツアー自体が中止になっちゃったことがあったんだよ。世界ツアーで超忙しくなって。それからしばらくして、日本に来て、話してたら、コーネリアスが大好きでオーストラリアにいるとき、いつもツアーで来るたび観に行ってた、って言ってて。

北沢:オーストラリアでも何回かツアーしてるんだ?

小山田:2、3回やっているんだけど、全部観てるって言ってた。
北沢:これはけっこう今回のアルバムのなかでも目立ってるよ。原曲の歌詞を調べてみたら、かなりストレートなメッセージ・ソングなんだね。人類がこのままだと地球は滅びるぞ!っていう警告を発している。これは歌詞を読んでリミックスをしたとかではない?

小山田:作業するときは見たような気がするな。でも、そこまでちゃんと対訳とかを見ながら作ってはいなかったね。

北沢:「人間は地球の歴史という海原に、ほんの短い間、やっと浮かんでるだけなのに、一枚の細い板の上を怖がりもせず大きく目を開けているんだ、終末に向かって……」、つまり人間は自ら滅亡へと突き進んでいるのに、みんなそのことに気がつかないふりをしている、みたいな警告ソング。

イケメンなのに真ん中にいることに居心地が悪そうなところもいいよ。

小山田:ふーん(笑)。けっこう熱い男だね。でもなんかこのひと、山のなかに自分で小屋を建てて、そこをスタジオにして、ひとりで山ごもりみたいな感じでレコーディングしたりしてるとかって言ってて。そうやってストイックにDIYを実践してるひとみたいだよ。

北沢:ヒッピー思想が入っているかもしれないね。

小山田:もともとこのひとはドラマーなんだよね。ライヴを観に行ったらドラムを叩きながら歌ったりしてて、なんか自分が真ん中にいるのが居心地が悪そうな感じだった(笑)。

北沢:もとはフロントマンじゃないんだ。

小山田:イケメンなのに真ん中にいることに居心地が悪そうなところもいいよ。

北沢:いいやつだね(笑)。これ原曲も聴いたんだけど、裏打ちじゃなかった?

小山田:もともとって裏打ちだっけ?

北沢:なんかスカっぽかったような気もするんだけど……。

小山田:原曲が裏打ちだったかどうかははっきり覚えてないんだけど、元とだいぶ変わったような気がする。

北沢:原曲とは出だしからしてちがうものね。(→原曲は4つ打ち。コーネリアス・リミックスは裏打ちのスカのビートに差し替えている)

小山田:声がね、素で聴くとすごくスティングに似てるんだよね。

北沢:似てるよね。これポリスだわって思った。

小山田:スカっぽいところもポリスっぽいっていうか。彼の声を聴いているとポリスを思い出すんだよね。

声がね、素で聴くとすごくスティングに似てるんだよね。

北沢:あとオーストラリアっていうところに引っ張られてね、メン・アット・ワークを思い出す(笑)。あのヒット曲もスカっぽかったじゃん?

小山田:“フー・キャン・イット・ビー・ナウ”か。

北沢:“ダウン・アンダー”かな。あれはむしろレゲエっぽいか。ゴティエもそういう意味では典型的なオージー・ニュー・ウェイヴ感がある。

小山田:それはあるね(笑)。なんか田舎臭いっていうか(笑)。

北沢:素朴な感じがね。でも今回のコンピにこの曲が入っているのとないとでは大ちがいっていうか、ゴティエが入っているから、不思議なメジャー感も注入されていて。

小山田:とはいえゴティエって日本のひとたちはあんまり知らないよね。アップル・ストアに電話をかけると、いつも保留音があの曲なんだよね(笑)。

北沢:邦題が“失恋サムバディ”(笑)。女の子とのデュエット・ソングで。

小山田:キンブラって子とデュエットしてるんだけど、その子とちょっとコラボレーションする企画があったんだよ。

北沢:それはまだ実現してない?

小山田:形にはないってないんだけど。

北沢:この子も歌がうまいし、きれいだし、存在感があって印象的だったね。

小山田:ソロもすごくいいんだよ。

北沢:ニュー・ウェイヴなの?

小山田:ニュー・ウェイヴな感じもある。

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■Plastic Sex / The End


Cornelius
Constellations Of Music

ワーナーミュージック・ジャパン

PopsSoundtrack

Tower HMV Amazon

北沢:でもこういうニュー・ウェイヴっぽい曲をやると、小山田くんはすごくハマるね。次はプラスティックセックス。これって中西俊夫さんのユニットなんだね?

小山田:まぁ、中西さんのソロ的な感じなのかな。

北沢:小山田くんはメンバーなの?

小山田:ぜんぜんメンバーじゃないですけど、これだけやったのがけっこう古いんですよ。

北沢:2005年に結成だもんね。

小山田:それ以外はここ4、5年くらいのものなんだけど、これはけっこう前で。たぶん中西さんがロンドンから帰ってきてわりとすぐくらいの頃だったんじゃないかな。

北沢:まだ佐久間正英さんが健在だった頃だもんね。

小山田:そうだね。ただ、そのあとにプラスチックスを再結成したりするんだけど、それよりは前で。その頃、ちょっとプラスチックス的なことをやりたくて中西さんがやってたプロジェクトなんじゃないかな。まだニュー・ウェイヴがリヴァイヴァルする前くらいだと思う。

北沢:ファンキーなニュー・ウェイヴっていう感じだね。小山田くんは何をやったの?

小山田:僕はアレンジ、プロデュース的な感じです。

北沢:これはゴティエのあとに置くしかないっていうか、置き場が他にないっていうか(笑)。

小山田:まぁ、ニュー・ウェイヴという意味では元祖ニュー・ウェイヴだよね。

北沢:トーキング・ヘッズと同列に並んで遜色ないものね。こうしてあらためて聴くと、中西さんのヴォーカルってすごいよね。日本人離れしてるっていうか。

小山田:すごいですよね。男性でああいうヴォーカルって、ホントにいない。

すごいですよね。男性でああいうヴォーカルって、ホントにいない。

北沢:引きつった感じでハイテンション。立花ハジメさんのヴォーカルもちょっと他にないニュアンスがあるなって思うけど、中西さんは完全に外国人っぽいね。

小山田:ノリも外国人っぽいしね。

北沢:けっこう気は合うの?(→『プラスチックスの上昇と下降、そしてメロンの理力・中西俊夫自伝』によれば、プラスチックセックスはもともとは中西氏が小山田くんとなにか一緒にやりたいと思ってはじめた、〈メジャー・フォース〉の相方・工藤昌之氏のように自分と正反対のタイプだからすぐにうまくいった、と)

小山田:合うっていうか、似てるってことじゃないですけど、僕はすごく好きです。

北沢:プラスチックスは日本のバンドのなかでは当時から好きだったの?

小山田:当時はね、そんなに聴いてなかったです。でも、すごい好きです。本当に日本人離れしてますね。本当にカッコいいセンスのいいバンドだなと。〈ラフ・トレード〉からシングルを出してるし。本当に日本のシーンとかを飛び越えてあの時代にインディで向こうで活動してた感じは、YMOよりも自分たちに近かったというか、オルタナ寄りっていうか。

北沢:プラスチックスの海外展開は仕込みなしの自然な流れだからね。


■サカナクション / Music(Cornelius Remix)

で、次がサカナクション。普通のJポップのリスナーにとってはこれがメインって感じに聞こえるんだろうけど、しかもこの“ミュージック”ってサカナクションの代表曲だよね。これはどういう企画だったの?

小山田:これはシングルのカップリング的なことだったのかな。

北沢:「さよならエモーション/蓮の花」のカップリングだね。

小山田:うん。普通に頼まれて。

北沢:サカナクションは聴いてたの?

小山田:僕はそんなに熱心に聴いてたってことはないんだけど、子どもが小学校6年生くらいのときにけっこう好きで、なんか家で聴いたりしているのは知ってて。もちろん存在も知っていたけど、ちゃんとCDを聴いたことはなくて、Youtubeとかで聴いたことがあった。

北沢:4つ打ちのダンス・ロック。それを小山田くんがどう料理するのかなっていう興味だったんだけど、イントロからしてアコギを使った完璧なコーネリアス調に差し替えられていて、踊らせるよりも、歌詞をじっくり聴かせるアレンジかなと。

なんかわりとダンスっぽくなってるんだけど、根幹にあるものはフォーク的なものなのかなと思って、それをまったくの逆にしてみたいなって。

小山田:この曲はうちの子どもが好きで、よく部屋から流れてて。聴いたら僕もけっこう好きで。ただ、なんかわりとダンスっぽくなってるんだけど、根幹にあるものはフォーク的なものなのかなと思って、それをまったくの逆にしてみたいなって。たぶん家で弾き語りで作ったものをダンス調にアレンジしたのかなって感じに思えたので、そのまんまの形に戻してみようかなってイメージで。

北沢:こっちが原型じゃないの? っていう一種の批評だね。

小山田:批評というか、まぁアプローチの仕方として、逆の考え方というか。もともとのトラックは打ち込みとかシンセとか、わりとテクノ寄りのものなんだけど、楽曲自体のメロディとかコードの展開とかすごく多くて、あんまりダンスに向いてないよいうな気がしたっていうか。もうちょっとミニマルじゃないと、やっぱりダンスとかテクノみたいなものにあんまりならないかなって。
それで、僕がイメージした元の形に戻す、みたいなことがコンセプトになったかな。アレンジ的にも、上モノで鳴ってるようなシンセとかを全部アコースティックに変えて、ベースだけ生で入ってたんだけど、逆にそこをシンベにして。

北沢:それもあって、見事にコーネリアス印のリミックスになっているのかな。ラストに入っている鳥のさえずりは原曲には入っていないよね。

小山田:入ってないね。

北沢:歌詞に鳥が出てくるのを踏まえてるし、これが入ることによって、さっきのペンギン・カフェの海の音みたいなアンビエントの要素がそこかしこに散りばめられているのと相まって、アルバムとしてトータルに聴くときに、すごく自然に聞こえて、そこもすごくいいなって思った。これも後半のハイライトかなって感じだね。


■Cornelius / Tokyo Twilight

北沢:次がコーネリアスのもうひとつの新曲“トーキョー・トワイライト”。

小山田:ずっとアルバムを作ろうと思って、曲はずいぶんと作りつづけていて。だからストックがけっこうあるんだけど、このコンピレーション・アルバムを作るときに、足りない要素として、そこから持ってきました。

北沢:エレピと生ピの単音ではじまる、ちょっと水滴を思わせるアンビエント・トラックで、そこに壮麗な響きのシンセが被さってきて、音の要素は少ないんだけど……。ムード的にはザ・ドゥルッティ・コラムを思い出させるというか。ドゥルッティのインストの感じっていうのかな。すごくこの曲好きだけどね。

小山田:ドゥルッティ・コラムは僕も大好きです(笑)。

ずっとアルバムを作ろうと思って、曲はずいぶんと作りつづけていて。-

北沢:最後の一歩手前に置くのにピッタリ。こういう小曲がたくさんストックされている感じ?

小山田:いや。そんなにたくさんってわけでもないけどね。こういうリミックス集でもなんでもいいんだけど、一枚の作品にするときに、歌もの的な濃密なトラックがたくさん並ぶとけっこうお腹いっぱいになるんだよね(笑)。

北沢:とくに後半はけっこう濃いのが(笑)。

小山田:そう。だからやっぱりこういうものがたまに入るほうが、僕的にはしっくりくるんで。

北沢:中西さんとサカナクションのあとだもんね。

小山田:ちょっと濃いよね。


■salyu × salyu / May You Always

北沢:そして最後がsalyu × sakyuの“メイ・ユー・オールウェイズ”。これはザ・マグワイア・シスターズの59年の曲。

小山田:これもやっぱりライヴでカヴァーしてた曲なんですよ。これオリジナルはマグワイア・シスターズなんだけど、いろんなガールズ・コーラス・グループがやっていて、レノン・シスターズっていうひとたちのヴァージョンに比較的近い感じがする。まぁ、ああいう50年代の後半から60年代前半ってこういうガールズ・コーラス・グループってたくさんあって。
それでsalyu × salyuはもともとはひとりで多重録音をして作っていたんだけど、ライヴではそれを再現するためにSalyuの昔の合唱団の友だちとかをスカウトしてきて、salyu × salyuシスターズみたいなのは感じでやってたのね。そういうガール・グループの曲を1曲やりたいなと思っていて、それで僕が選曲したんですけど。

北沢:そうなんだ。すごくハマってる選曲だね。俺はマグワイア・シスターズのヴァージョンしか聴いてないけど、あの頃特有のゴージャスな楽団サウンドにのって、三姉妹がゆったりとハモるっていうノスタルジックなスタイルじゃない? 50sのこの時点ですでにノスタルジックっていう。
salyu × salyuのヴァージョンを聴いたら、テンポは原曲に近いんだけど、歌唱とかハーモニーの付け方も、なるべく似せようとしているような……普段の歌い方ともちがうような気がして、ずいぶん器用なことができるんだなと思った。

小山田:これは3人でコーラスをやっているんだけど。

まったくいじってない。これもほぼ一発録りなんです。オケも。

北沢:ぜんぜんいじってないの?

小山田:まったくいじってない。これもほぼ一発録りなんです。オケも。自分の作品とかリミックスにしても、スタジオ一発録りってことは僕はほぼやらないんだけど、salyu × salyuの2曲に関してはスタジオ一発録りみたいな。

北沢:それは、そうした方が向いてるんじゃないかっていう?

小山田:それもあるし、やっぱりライヴでずっとやってきた曲だったりするから、もう練れてるっていうのもあるかも。

北沢:『Sensuous』のエンディングにシナトラのカヴァーを置いたのと、役割的には……
小山田:うん、かなり近いですよね。

北沢:こんなふうに終わりたいっていうイメージが小山田くんのなかにあるのかな?

小山田:うーん。出口はね。こういう、いかにもというか、ハッピー・エンディングなのはわりと好きです。

最初の曲に入っているモーグとかもそうだけど、そういうものが作られた50年代や60年代って、世の中がこれからどんどんよくなるっていう、未来に対する明るい希望が本当にあったんだろうなって。で、そういう気持ちが人々の間にまだあって、そういう希望がリアルに音楽の形になっていると思うんだけど、なんかそういうものがすごく好きっていうか。

北沢:『Sensuous』のときのインタヴューで、とくに“スリープ・ウォーム”のエピソードが印象に残っていて。……お父さんのレコード棚を整理してたらシナトラのレコードが出てきて、しばらくハマって聴いていたんでしょう? そこでシナトラの人生について書かれた本を読んで、いろいろ複雑な生い立ちから彼の音楽は生まれてきたんだなと。そういうことがわかるような年齢に自分は達したんだな、っていう。
50年代のこうした音楽に惹かれるというのは、ここ数年の傾向なの?

小山田:そうですね。ここ数年というか。若い頃はぜんぜん聴いてなかったですね。

北沢:これはロックンロールじゃない音楽だものね。

小山田:たとえば最初の(大野さんの)曲に入っているモーグとかもそうだけど、そういうものが作られた50年代や60年代って、世の中がこれからどんどんよくなるっていう、未来に対する明るい希望が本当にあったんだろうなって。で、そういう気持ちが人々の間にまだあって、そういう希望がリアルに音楽の形になっていると思うんだけど、なんかそういうものがすごく好きっていうか。いまは絶対に生まれないというか、そういうものだと思うんですよ。

北沢:失われた未来感というかね。

小山田:まだ世の中に明るい希望があった時代の音楽っていうか。

北沢:同じような時代を背景にしても、ドナルド・フェイゲンが『ナイト・フライ』っていうファースト・ソロアルバムを80年代の初頭に出したときは、米ソの冷戦間のムードみたいなものも作品の背景にはあって、実際には50年代から60年代にかけて、世界中が緊迫している時代でもあったと思うけど、こういうシスターズものにしてもシナトラにしてもさ、そういう翳りがないよね。まだまだ楽天的だったんだろうね。

小山田:その時代に生きていないからわからないんだけど、僕はそういうものを感じるんですよ。

北沢:それに憧れる感じ? それとも、それを哀惜というか惜しむ感じ?

小山田:うーん。両方ですね。

北沢:最近の細野(晴臣)さんにもそれを感じるんだよね。

何が主流かもよくわからないですから。

小山田:細野さんとかが最近やっている音楽はそういう感じですよね。

北沢:その名も『Heavenly Music』っていうカヴァー・アルバムは本当に素敵だった。だから小山田くんも、細野さんと共通する心境なのかなと思ってさ。最近の細野さんは、ライヴでもカントリー&ウェスタンとかブギウギみたいなアメリカのポピュラー・ミュージックのオールディーズを熱心にカヴァーしているし、いまは遠く失われてしまった世界に強く惹かれているのかなって。

小山田:それはありますね。でも細野さんはその時代を生きていたひとだし。子どもの頃に身近に感じていたものを、知っているひとが後世に残さなきゃとか、そういうことがあると思うんだよね。
でも僕はもうちょっと距離がある感じがしますね。

北沢:小山田くんのベースになっているのはニュー・ウェイヴ以降の音楽だもんね。でも、距離があるにもかかわらず、いま、50年代のスタンダードなポップスに惹かれていく心境はどういうところからきたの? 現実があまりにも未来がない感じがする? ゴティエ的なメッセージが……(笑)。

小山田:そういうゴティエ的なメッセージはあんまり聞きたくないですね(笑)。

北沢:それはあまりにも現実がシビアだから? それとも小山田くんの性格的に?

小山田:うーん。まぁ、両方ですよね。それよりこういうものをたくさん聴いていたいですよね(笑)。

北沢:こういう音楽が似合う世の中だったらどんなにいいか……とは思うよね。

小山田:そう思いますね。ただ、世の中に足りてないな、というものだとは思うので。

北沢:たしかに小山田くんの音楽活動って、世の中にこれが足りないぞっていう空白を埋める歴史のような。

小山田:そうですかね……。

北沢:そういう気がするけど。だって世の中の主流みたいなことを一回もやったことがないじゃん。

小山田:わかんないっすね。どうなんですかね。何が主流かもよくわからないですから。

(まりん氏は)自分でクラフトワークの音が悪いやつとかをマスタリングし直したりね。

北沢:EDMが流行れば、すかさずそれっぽいトラックを作るような人たちが主流なんじゃない? そうだ、マスタリングをまりん氏(砂原良徳)が手がけていることについて訊いていなかった。前からマスタリングが得意なひとなんだよね?

小山田:もともとは趣味でマスタリングをやってたっていうようなひとなんだよね(笑)。自分でクラフトワークの音が悪いやつとかをマスタリングし直したりね。

北沢:こうやって正式に頼んだのは初めて?

小山田:『ファンタズマ』の再発のときに僕が頼んで。仕事としてやったマスタリングはそれが初めてだったらしくて、それ以降すごいマスタリングしてるよね(笑)。

北沢:それが彼のワークスのひとつになったんだ(笑)。

小山田:サカナクションとかも仕事として普通にやってるからね。

北沢:じゃあ、最初っからマスタリングは彼に頼もうっていうのがあったの?

小山田:うん。

北沢:やっぱり他のひととちがう?

小山田:うーん……、どうなんだろうね(笑)。

北沢:気軽に頼める感じ?

小山田:うん。信頼できる。

北沢:来年はニュー・アルバムの取材ができるかな。次のアルバムのテーマとか、けっこう見えてきた感じなの?

小山田:ぼんやりって感じですけどね。

北沢:その前哨戦としてこれを聴いている自分がいるんだけど。本当に楽しみにしてるので。

小山田:はい。ありがとうございます。

北沢:傑作を(笑)。

小山田:か、どうかはわからないですけど(笑)。

interview with YKIKI BEAT (Nobuki Akiyama) - ele-king


YKIKI BEAT
When the World is Wide

Pヴァイン

Indie Rock

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 昨年、シングル”フォーエヴァー”のMVが公開されるや、東京インディ・シーン発のブライテストホープとして注目される存在となっていた、YKIKI BEAT。待望のデビュー・アルバム『When the World is Wide』が遂にリリースされた。
 インターネットを前提に育った世代以降の洋楽に対するフラットな感覚と、市井のインディ・バンドに収まらないスケールの大きなソングライティング、正々堂々と真ん中をいける風貌と若さ、何だかいろいろ揃いすぎていて、ファンも然ることながら、業界関係者の先走った期待感もくるくる旋回中……。アルバムは、その前のめりのギラギラした期待感そのままで聴くと、これは、ちょっと姿勢を正してもう一回、となる。何なのでしょうか、このハイプの邪推を一蹴する頼もしさとクソ真面目さ。ギミックなし、非の打ち所なしの傑作です。
 バンドのメインソングライターでヴォーカルの秋山に、バンドの成り立ちから、アルバムのこと、シーンの中での立ち位置まで語ってもらった。

■YKIKI BEAT / ワイキキビート
2012年に結成され、東京を拠点として活動する5人組バンド。EP『Tired of Dreams』が2013年 12 月に Bandcamp にてリリースされ、2014年 2 月にはSummer Camp の初来日ライヴの前座としてミツメと共に出演、過去には Last Dinosaurs、Metronomy の Olugbenga 等と共演している。2014年 4 月にはフランス・パリの有名セレクトショップ Collette と Bonjour Records によるコンピレーション・アルバムにも参加し、ファッション方面からも支持を受ける。2014 年 9 月、7inch でリリースされた“Forever”のリリック・ビデオが数々のメディアに取り上げられ、同年12 月にはThe Drums のオープニング・アクトに抜擢。このたびデビュー・アルバム『When the World is Wide』がリリースされた。
メンバーは、Nobuki Akiyama(ボーカル、ギター)、Kohei Kamoto(ギター)、Koki
Nozue(シンセサイザー)、Yotaro Kachi(ベース)、Mizuki Sekiguchi(ドラム)

SEでジャスティスを流しながら、ヒッピーみたいな変な格好して出てきたバンドがいたんですよ。途端にみんなが「何だ!?」ってなって。

バンドの結成はいつ頃なんだっけ。

秋山:結成が2011年か2012年だったと思います。

そもそもはどういうつながりなの。

秋山:メンバーはみんな大学がいっしょなんですけど、もともと嘉本(康平)とは高校生の頃に知り合っていて。嘉本が隣の高校にいて、僕の学校との合同ライヴみたいなところで知り合ったんです。

嘉本くんが出演していたわけだ。

秋山:SEでジャスティスを流しながら、ヒッピーみたいな変な格好して出てきたバンドがいたんですよ。途端にみんなが「何だ!?」ってなって。俺はそのときジャスティスとかそんなに聴いていなかったんですけど、「これは好きなタイプのやつだな」と思って前に行ってみたら、嘉本がギター・ヴォーカルの3ピースで。なぜかジョン・メイヤーとエリック・クラプトンのカヴァーを交えながら、オリジナル曲をやっていて(笑)。

カオスだね(笑)。

秋山:オリジナルがすごくかっこよくて。あいつはオーストラリアに1年留学して、帰ってすぐのときだったんで、英語も完全にフレッシュで、音楽性もデス・フロム・アバヴ1979みたいなことをやっていて。完全に他のやつとちがうと思いました。それで楽屋に遊びにいって「よかったよ!」って言ったんですけど、あいつには半分くらい無視されて(笑)。で、彼のバンドの他のメンバーと仲良くなったんですよ。大学に入って嘉本のほうから「僕も同じ大学だよ」って連絡が来て。

結成の前に秋山くんがやっていた音楽はどういう感じだったの。

秋山:そのときから英語で歌って「インディ・ロックです」みたいな感じのをやっていましたね。

じゃあ、YKIKI BEATにいたるまでブレていないんだね。

秋山:そうですね。変わってないと思います。大学1年の終わりに、嘉本が聴かせてくれた30秒くらいのループ音源がおもしろかったので、それを編集して“ロンドン・エコーズ”という曲を作ったんですよ。その曲をいろんなひとに聴いてもらえて、「どうせならバンドでやろうよ」と。

そこからすぐにバンド編成になったの。

秋山:どうしようって相談していたときに、高校時代のバンド繋がりでおもしろいやつがいるって聞いて、それが野末(光希)で、しかも同じ大学だったんです。「音楽性も近いしいっしょにやろうよ」って話しつつも、まだメンバーが足りなかったから、それぞれに入っていたサークルからドラムの(關口)瑞紀とベースの加地(洋太郎)を見つけてきて。バンド編成になったのが2012年の頭くらいですね。

初期からの曲をまとめたのがバンドキャンプで出した『タイアード・オブ・ドリームズ』だったので、その時点で、アルバムは次の段階に行きたいと思っていました。

それが2012年か。僕はYKIKI BEATの存在を、2012年のうちには知っていたと思うんだよ。東京のインディ・シーンの中で、わりと最初から好意的に迎え入れられていた印象なんだけど。

秋山:最初のライヴは2012年の夏で、いまはなくなっちゃった屋根裏でやったんです。そのときに“フォーエヴァー”のPVを撮ってくれたセッキー(関山雄太)さんが遊びに来てくれていて。それから「こんなブッキングにお金払ってやるライヴに出なくていいよ」って、東京のインディ・シーンの他のバンドが出ているところに呼んでくれるようになったんです。

そこから“フォーエヴァー”までは、しっかり時間をかけた印象だったけれど、ちょうど1年くらい前なのかな。

秋山:“フォーエヴァー”は去年の6月にデジタルで出して、9月にレコードを出しましたね。

YKIKI BEATというバンドの名前をいろんな人が知るきっかけになった曲だよね。手応えみたいなものはあったの。

秋山:ありました。でもどういうふうに感じてたかな……。PVがすごくデカかったかもしれないですね。それまでワイキキは「宅録です」みたいな音源しかなかった上に、映像もなかったんですが、スタジオで録音した音源とPVができたことによってフックアップしてくれるひとも増えたんです。

アルバムは8曲入りだけど、楽曲としては初期からの曲とかも入っているの?

秋山:初期からの曲をまとめたのがバンドキャンプで出した『タイアード・オブ・ドリームズ』だったので、その時点で、アルバムは次の段階に行きたいと思っていました。ただ曲作りがぜんぜん進んでいなくて……。じつは4月のプリプロの時点では『タイアード・オブ・ドリームス』に入っていた曲もけっこう混じっていました。新曲をちょっとと、これまでの楽曲のスタジオ録音ヴァージョンが合わさったアルバムになるイメージだったんですけど……けっきょく、やっぱりそれじゃ嫌だなとなって(笑)。プリプロが終わってから本番のレコーディングがはじまるまで、なんならレコーディング中にも新曲をどんどんあげて、最終的に昔からの曲は“フォーエヴァー”だけという感じになりましたね。

『タイアード・オブ・ドリームズ』以前とは、バンドのモードが変わったということなのかな。

秋山:そうです。完全に違います。

色味があるものはいまでも好きなんですけど、これまでは表面的な感じがあったんです。でも今回は、曲を作っていくなかで「これは自分の曲だ」と思える部分までやるというか……。

僕の受けた印象からまとめてしまうと、以前はもうちょっとキラキラした感じとか、疾走感が前に出ていたし、色味もカラフルだった感じがするんだけど、今回のアルバムはわりとモノトーンに近いというか。

秋山:ちょっと意識したかもしれないですね。色味があるものはいまでも好きなんですけど、これまでは表面的な感じがあったんです。でも今回は、曲を作っていくなかで「これは自分の曲だ」と思える部分までやるというか……。下地となる部分をもっと固めて、後から色味を付け足していく流れにしたほうが、自分たちはやりやすくなるのかなと。『タイアード・オブ・ドリームズ』以前は、いろいろ試していたところがあって、メロディがどうとか、「こういう感じで弾くとこうなる」とか。いまはもう少し自分たちのやりたいことに集中していて。しっかり土台を作りたいなと思って。

土台という意味では、ソングライティングは気になった。以前とはけっこう印象が違うよ。“フォーエヴァー”なんかは、USカレッジ・バンドみたいなメインストリームのポップ・ミュージックの高揚感があるけれど、アルバム全体を聴くと、むしろUKのトラディショナルなインディ・ロックを思わせる曲調が多い。ストレートに、すごくいい曲を書けるバンドなんだということは、今回のアルバムで伝わる。

秋山:それはうれしいですね。

今回は自分たちのルーツを考えてみて、その上でいまっぽくできたらいいなと話をしていて。それこそヴェルヴェット・アンダーグラウンドとか、ジーザス・アンド・メリーチェインとか、ジョイ・ディヴィジョン。

以前とは、自分たちのバックボーンとして見せている部分が違うのかなっていう気もしたけれど。

秋山:意識的にやる部分もあれば、無意識でやっているところもあるので、全部きちんと説明できるかはわからないんですけど。今回は自分たちのルーツを考えてみて、その上でいまっぽくできたらいいなと話をしていて。それこそヴェルヴェット・アンダーグラウンドとか、ジーザス・アンド・メリーチェインとか、ジョイ・ディヴィジョン。

たしかにメリーチェインは入っていたね。

秋山:そういう意味ではUKっぽさがわりと多い。当時はヴェルヴェット・アンダーグラウンドもUKっぽいと言われていたようなので。

ソングライティングは、嘉本くんも参加しているのかな。

秋山:“ダンシズ”って曲のイントロはあいつが持ってきて、それを最初につくった“ロンドン・エコーズ”みたいにループさせた上で、ギターと歌をつけてって感じになったんですけど。あとの曲は基本的に俺が作ってきたやつですね。
ただ、アレンジの段階であいつが口出してきたのがすごく効いていて。俺がひとりでやっていてわからなくなっていたところとかも、あいつには「これがいい」とかって見えていて。でもあんまり「どうどう?」って訊くと、あいつは構えちゃって、みんなに任せるって感じになるから、自然に訊き出すみたいな作業をしたんですけど。

秋山くんは全部を自分で決めたいって感じでもないの。

秋山:基本的には自分で決めたいんですけど、あいつのことは信頼しています。最終的に嘉本がいいと判断したことはいいことがほとんどなので。

Ykiki Beat - The Running (Official Video)

『When the World is Wide』の冒頭を飾る楽曲“The Running”のミュージック・ビデオ。監督・編集はYkiki Beatのアーティスト写真他、American Apparelなどの広告写真も手掛けるフォトグラファーMitch Nakanoによるもの。

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英語の受験用教材で発音記号を見つけて、「このθみたいなやつは舌がここなんだ」って。勉強のためじゃなくて、歌のために勉強してました。


YKIKI BEAT
When the World is Wide

Pヴァイン

Indie Rock

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あと、ヴォーカルのスタイルは最初からいまみたいな歌いかたをしているの。

秋山:いまみたいというと、どういう感じに聴こえるんですか?

すごくいいなぁと思います。声質の魅力もあると思うんだけど、日本人がやっている英語詞バンドに独特の「洋楽やっていますよ」的な違和感がぜんぜんない。

秋山:ありがとうございます。

研究したの?

秋山:したと思います。高校のときからバンドをやろうとしていて、単純に普段から英語のバンドをたくさん聴いていたから、英語で歌うバンドをやろうって流れでやっていただけなんです。でもバンドをやるにあたって、いかにも日本のバンドで「英語でやってます」みたいなのはすごく嫌だったので。

じゃあ、たぶん何が嫌なのかを研究したってことだよね(笑)。

秋山:実際それはあると思います。歌はすごい研究しましたね。英語の発音記号表を見つけて、「あ、こんなのあるんだ」と思って。発音の舌の位置が書いてあったりするやつなんですけど、「このθみたいなやつは舌がここなんだ」ってみながら歌のためにずっと勉強していましたね。

でも、対バンするのは日本語詞のバンドも多かったりするわけじゃない。そこで横並びでいっしょにやることって、そんなに違和感はないの。

秋山:難しい質問ですね……違和感はあると思います(笑)。

はははは(笑)。なんか違うかなって思ったりするわけだ。

秋山:東京のインディ・シーン以外の場所でやると、ジャンルは関係ないじゃないですか? 呼ぶ基準っていうのが、どれくらい名前が知られているかってことなので。そのぶん、いろんな場所やお客さんの前でライヴをする機会が増えてきていると思うんですけど。

もうひとつ大きなシーンの中では、浮いていると。

秋山:中学生のときとかは絶対に自分たちでやりたいイメージがあって、日本のゼロ年代のいろんな洋楽バンドに影響を受けてますみたいなバンドをiTunesで聴きながら、なんか違うなって思ってました。自分は絶対によりよい形でアウトプットできると感じていて、そういう野心を持っていたんです。でも考え過ぎてしまうと、ヘンな形で影響を受けてしまうと思うので、自分の納得いかないものに注目するよりは自分たちのやりたいことに集中したいなと。いまは対バンがどうであれ、どのシーンにいると言われようが、自分たちのやりたいことにフォーカスできればと思っていますけど。

じゃあ、逆にいま日本で共感できるバンドはいるの。

秋山:そういう意味ではすっごく難しいですけどね。好きな音楽の話をしたりする友だちとかではバットマン・ウィンクスとか、グルーミーとか。コンドミニマムっていう自分たちで映像なんかを発信している集団がいて、そこのひとたちとかとはすごく話が合うんですけど。それでもピッタリ合うひとがいるかと言ったら、たぶんそこまでいないかなと思います。

俺たちのことを洋楽っぽいと認識せずに、日本でやっているおもしろいバンドとして聴いてくれている人もたくさんいて。

居心地が悪いわけでもないんだろうけど、東京で活動していることにプラスの部分っていうのはあるの。

秋山:それもときどき感じるんですけど、チャンスは多いというか。ザ・ドラムスの前座をやったときに思ったんですが、これがもしアメリカだったら、いいバンドがたくさんいて、ドラムスのオープニング・アクトなんかに選ばれるバンドはすごく成功したり注目されているバンドだったりしますよね。日本だったら母数が少ないので、やっぱりそこは得かもしれません。それでいて世界的に見ても日本の音楽マーケットの大きさはアメリカに次いで第2位だったりしますし。まあ、それはAKBが助けているだけかもしれないんですけど、それでも日本は特異な立ち位置にいると思います。
でも俺たちのことを洋楽っぽいと認識せずに、日本でやっているおもしろいバンドとして聴いてくれている人もたくさんいて。“フォーエヴァー”のYouTube再生回数が16万いく現象っていうのは、アメリカでやっていたらまた違った形になったかもしれないと思います。そういう意味でも、アジアの中でも大きな都市である東京で活動するというのも、おもしろい状況だとは思うんですけど。

今回のアルバムが出たことで、また活動の拡がりかたは大きく変わっていきそうだよね。

秋山:いったんは様子を見てみようというところではありますけど、個人のレベルで言えば、自分で納得できる曲を書くか書かないかというところだけなので。それこそさっき言ったみたいに、野心があって「シーンを変えてやる」って時期もあったし。そういう野心も悪いことではないと思うんですけど、いざ注目される状況になってみて、べつにこれがやりたかったわけじゃないなと思って。いろんなひとが聴いてくれるのはおもしろいけど……なんだろうな。自分の好きな音楽をやって、それを発表して、その先のひとりひとりが音楽を楽しんでくれたらいいなっていう。知名度どうこうと言うよりは、自分のやりたい音楽ができるかだけです。

フェニックスとか、テーム・インパラのように、英米とは別の地域出身でありながら世界で活躍するバンドのようになれたらと思っています。

ひとまず自分たちの音楽性を突き詰めていきたいと。

秋山:そうですね。いまに限らず、これからもずっとそうでありたいと思うんですけれど。インディに落ち着きたいということではなくて、いい曲を書いて出して評価されることがいちばんいいと思うので。理想としてはフェニックスとか、テーム・インパラのように、英米とは別の地域出身でありながら世界で活躍するバンドのようになれたらと思っています。

スタンスはずっと一貫しているバンドだよね。

秋山:メジャーっぽいことを特別やっているわけでもないし、イギリス出身でもアメリカ出身でもないのに、フェスのヘッドライナーをやるみたいな。あのバランスはすごくいいなと思っていて。自分たちが本当に納得できる音楽にフォーカスしていきながら、バンドの下地を作っていけたらいいなと思います。

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