「All We Are」と一致するもの

Squarepusher 9 Essential Albums - ele-king

 もう25年ものキャリアがあって、メイン名義の〈Squarepusher〉のスタジオ作だけでも15枚というアルバムをリリースしているトム・ジェンキンソン。初来日した頃はまだ22歳とかだったので、よくぞここまでいろんな挑戦をしながら自分をアップデートし続けてきたものだと感心する。段々と自分ならではの表現を確立していったミュージシャンならともかく、彼の場合は特に最初のインパクトがものすごかったわけで、正直こんなに長い間最前線で活躍しつづけるとは、当時は予測できなかった。改めて古いものから彼の作品を並べ、順番に聴いてみると、想像以上にあっちゃこっちゃ行きまくって、それでも芯はぶれない彼のアーティストとしての強靱さ、発想のコアみたいなものが見えてくるようだ。
 ここでは、今年1月にリリースされた最新アルバム『Be Up A Hello』に到るまでの重要作9枚を振り返りつつ、スクエアプッシャーという稀代のアーティストのユニークさをいま一度噛みしめてみたい。


Feed Me Weird Things
Rephlex (1996)

 いまでも、〈Warp〉からの「Port Rhombus EP」がどかんと東京の街に紫の爆弾を落とした日のことはよく覚えている。CISCO とか WAVE の棚は全部それに占拠され、“Problem Child” の殺人的にファンキーな高速ブレークビーツと、うねりまくるフレットレス・ベースの奏でる自由奔放なベース・ラインがあまりに新鮮でずっと繰り返し店でも流されていた。そして、実は〈Rephlex〉からコイツのアルバムが出てるぞっていうことで皆がこのデビュー作に飛びついたのだった。当時はそんなに意識しなかったが、本作は〈Rephlex〉にしては随分とアダルトな雰囲気がある。冒頭の “Squarepusher Theme” にしても方法論としてはその後一気に知れ渡る彼の十八番ではあるものの、ギターのカッティングから始まり、ジャジーでどちらかというと生っぽくレイドバックした響きをもったこの曲は、既にトム・ジェンキンソンの幅広い趣味を示唆している。次に非常にメランコリックで、時折打ち鳴らされるブレークビーツ以外はチルウェイヴかというような “Tundra”、さらにレゲエ/ダブに倍速のブレークビーツを合体させたレイヴ・スタイルをジャズ的なリズム解釈で徹底的にこじらせたような “The Swifty” が続くという冒頭の展開がダントツにおもしろいが、内省的で墓場から響いてくるような “Goodnight Jade” “UFO's Over Leytonstone” といった後半の曲も魅力的。


Hard Normal Daddy
Warp (1997)

 そして〈Warp〉から満を持してリリースされたのが、この2作目。ダークな装いだった前作に比べると随分とメロディックになって、明るく飄々とした印象で、トム・ジェンキンソン自身のキャラクターがよりサウンドに解放されたのかなとも思う。勝手な印象論だけど、こういうジョーク混じりみたいなノリは〈Rephlex〉が得意で、むしろデビュー作のような叙情性と実験性をうまい具合に配合したようなのは〈Warp〉かなというイメージがあって、当時はちょっと意外に感じた。ただ、カマシ・ワシントンがこれだけ持て囃されるような現代ならともかく、90年代後半にファーストの路線をさらに深化させていくのは得策じゃなかったろう。で、これを出した直後くらいに来日も果たし、ステージでひとりベース弾きまくる、作品よりさらにはっちゃけた印象のトムは、より大きな人気を獲得していくのであった。


Big Loada
Warp (1997)

 レイヴにもよく遊びに行っていたし、〈Warp〉に所属することになったきっかけは(初期) LFO だというトムの享楽的側面やシンプルなダンス・ミュージックの悦びが溢れた初期の重要なミニ・アルバム。クリス・カニンガムが監督した近未来ホラー的なMVが有名なリード・トラック “Come On My Selector” が、チョップと変調を施しまくったサイバー・ジャングルちっくでいま聴いても奔放なかっこよさを誇るのはもちろん、ペリー&キングスレイ的なお花畑エレクトリカル・アンサンブル+ドリルン・ベースな “A Journey to Reedham” も素晴らしい。余談だが、トレント・レズナーの〈Nothing〉からリリースされたアメリカ盤では、「Port Rhombus EP」や「Vic Acid」から選ばれた曲も追加収録されているので、かなりお得な入門盤だった。


Music Is Rotted One Note
Warp (1998)

 そして意表を突くように生演奏をベースにした、ほぼフリー・ジャズなアルバムをリリースしたスクエアプッシャー。どうも初期のトレードマーク的スタイルは『Big Loada』でやり尽くしてしまったから、まったく違うことに挑戦したくなったという経緯らしい。それにしても、全楽器を自分で演奏し、しかもあらかじめ曲を作らずドラムから順に即興演奏して録音していくなんて、アイデアを思いついても実際にやろうとするだろうか。まぁそれを実現できる演奏力や曲のイメージが勝手に湧くという自信があったんだろうけど。デビュー作でちらちらと見せていたアダルトでエクスペリメンタルな側面が一気に爆発したこのアルバム、近寄りがたいところもあり、一番好きな作品だというスクエアプッシャー・ファンはほぼいないだろうが、本作があったからこそ、その後の彼の活動もさらに広がりや説得力を持ちえたのだ。ちなみに、ジャケを飾る妙なオブジェはトム手作りのリヴァーヴ・マシンで、ジャケのデザインも自分で発案したそう。


Selection Sixteen
Warp (1999)

 トムには Ceephax Acid Crew として活躍する弟アンディーがいる(本作にもボーナス曲のリミキサーとして参加)。その弟からの影響、もしくは彼らがレイヴァーだった時代から強く持っているアシッドへの憧憬をさまざまなカタチでアウトプットした意欲的な盤。前作からの流れを引きずっているようなジャズ風味の強いトラックや、“Mind Rubbers” のようにドリルン・ベースが復活したような曲もあるが、全体的にはビキビキと鳴るアナログ・シンセのベース音が主役を張っている。これ以前にも酸味を出したトラックはときたま作っていたものの、ジャコ・パストリアスばりの超技巧ベース奏者という売り文句で世に出たアーティストが、わざわざそれをかき消すようなアシッド・ベースだらけの作品を作ってしまうとは……。テクノのBPMでめっちゃファンキーなブレークビーツ・アシッドを響かせる “Dedicated Loop” が、Da Damn Phreak Noize Phunk 名義の Hardfloor を彷彿させるドープさ。


Go Plastic
Warp (2001)

 全編生演奏だった『Music Is Rotted One Note』に “Don’t Go Plastic” という曲があって、日本語でも「プラスチッキー」と言うと安物、(金属に見せかけたような)粗悪品的なものを指すが、この場合は作り物(シンセ音楽)からの離脱を意図していたと思う。それがここに来て宗旨変え、「作り物がいいじゃん!」という宣言だ。時は2001年、エレクトロニカが大きな潮流となっていく少し前。スタジオの機材を一新したスクエアプッシャーは、コンピュータで細かくエディットしてトラックを弄っていくDAW的な手法ではなく、データを緻密にシーケンサーに打ち込むことでこのマッドな高速ブレークビーツを生み出した。ジャズ/フュージョンやエレクトロニック・ミュージックに惹かれたのは、サウンドに存在する暴力性だと語っていたトムが、その本性を露わにしたアルバムだ。全体を貫くダークで偏執的なまでのミュータントDnBは踊ることはもちろん、アタマで考えることや感じることも拒否するような局面があり、激しい電気ショックを浴びる感覚に近いかも。ただ、最初と最後にレゲエ~ダブを解体した比較的とっつきやすい曲をもってくる辺りに、トムの優しさも垣間見える。


Ultravisitor
Warp (2003)

 Joy Division の “Love Will Tear Us Apart” のカヴァーと、フジロックでのライヴ(海賊盤かというくらい音が悪いのが残念)を収録したボーナス・ディスクが話題になった『Do You Know Squarepusher』を経て、03年にリリースされた傑作との呼び声高い心機一転作。極端に言うと、これまでのスクエアプッシャーが試みてきた様々な要素/手法をすべて注ぎ込んだような混沌としたアルバム。どういうわけか、歓声やMCまで入ったライヴ録音の曲も結構多い。アルバム後半を支配する激しくノイジーなエクスペリメンタル・ブレイクコアと対照的なインタールード的な小曲は、ほぼすべてアコースティックな楽器の演奏でまとめられていて、それもトム得意のフリー・ジャズ的なものではなく、むしろクラシックやクラウトロック等を感じさせる(特にラストの2曲が美しい)。さらに本作の間違いないハイライトである、ゆったりとしたテンポと生ドラムの生み出す心地よいグルーヴに被さる、メランコリックな重層的メロディーが印象的な “Iambic 9 Poetry”。これを中心とした冒頭5曲の完璧な構成と展開は、スクエアプッシャーの才がついに二度目の大輪を咲かせたと感じられた。


Ufabulum
Warp (2012)

 手練れのミュージシャンを従えたセルフ・カヴァーをするバンド、Shobaleader One としての活動を挟みつつ、スクエアプッシャーが新たな次元に突入したことを知らせてくれたアルバム。CDではなく YouTube で音楽を聴き、盤を買うよりライヴやフェスに繰り出す、という近年のリスナーの傾向を写したように全曲にトム自身が作成したLEDの明滅による演出が施された映像が存在する。Shobaleader One ではフランスの〈Ed Banger〉から(Mr. Oizo のリミックス入りで!)リリースするなど抜け目のないところを見せ、今作ではその影響もあってか、エレクトロ・ハウスやEDMに通じるような迫力満点の(だが、彼の前衛性やエクスペリメンタルな面を好むファンからしたら大仰な展開や音色はコマーシャルに感じられてがっかりと受け取られるかもしれない)トラック群を仕上げている。混沌度を増すアルバム後半、電子回路が暴走したように予想のつかない展開でリスナーに襲いかかる “Drax 2” や、ヴェイパーウェイヴ的な美学も感じるラストの “Ecstatic Shock” が白眉。


Be Up A Hello
Warp (2020)

 そして、5年ぶりにリリースされた、スクエアプッシャーの原点回帰とも言える最新アルバム。『Ufabulum』や続く『Damogen Furies』では自作のソフトウェアやテクノロジーを駆使して、いわゆるヴィジュアル・アートや最新の IoT にまで斬り込んでいくのではないかという意欲的な姿勢を見せていたトム・ジェンキンソンが、旧友の突然の死去をきっかけに、デビュー前に使っていたような古いアナログ機材や、コモドールの古い 8bit コンピュータまで動員してメモリアル的に作り上げた。近しいひとの死がテーマになっているアルバムだから当然かもしれないが、かつてのはっちゃけまくったスクエアプッシャーを想起させる音色や曲の構成は随所に感じられるものの、どこか悲しげで暗いトーンに覆われている。そして、常に以前の自分に一度ダメ出しして新たなことに挑戦してきた彼が、敢えて彼の音楽性や名声を確立するに到った初期の手法に立ち返ったのには、やはり大きな意義を感じる。特にUKでここ数年盛り上がっているレイヴやハードコア(初期ジャングル)を復興させようという試みは、おもしろいけれど懐古を完全に超越した新しいムーヴメントを生み出しているかというとそうでもなくて、では90年代初頭にそういう現場の雰囲気やサウンドに囲まれて、そこで多くを吸収してプロになったトムのようなひとが改めて当時と同じ道具を手にしたとき、何を表現するのかというのはとても示唆的だと思うからだ。

 4月に行われることになったこちらも5年ぶりの単独ライヴは、『Be Up A Hello』の内容を考えると、ここしばらく注力してきたような、大型スクリーンと派手に明滅する映像をメインの要素に据えた未来的なプレゼンテーションとは違ったものになるのだろうか。ロンドンで行われたアルバムの発売記念ギグを映像で確認すると、機材の音が剥き出しでそれこそドラムマシンやシーケンサーが奏でるループがどこまでも続けばそれだけで幸せなんだ、というかつてDJ以外の演者が “ライヴPA” などと呼ばれた時代にあった雰囲気を感じるシンプルなものだった。もうほとんどレコードでDJをすることはないし、その感覚を思い出すのに少し時間がかかったとすら言っていたジェフ・ミルズの本当に久々のアナログと909でのセットを昨年11月に聴きにいった。ただの懐古に陥らないための演出や伝説の確認ではなくフレッシュな体験としてそれを受け止める若い聴衆とアーティストのインタラクトがおもしろく、今回も新たな発見がありそうだと期待している。
 かつて一世を風靡した “Come On My Selector” のMVは、日本を舞台にしてる風の配役や設定だったが、その実 “Superdry 極度乾燥しなさい” 的な細かな違和感がありまくりだった。最新のビデオ “Terminal Slam” ではやはり渋谷を中心にした東京の街を舞台にし、「また日本贔屓の海外のアーティストに東京を超COOLに描かれてしまった!」というのが大半の日本人の最初の反応で、実は監督したのが真鍋大度だったので、なるほど、さすが〈Warp〉とスクエアプッシャー、よくわかってる!と思ったものだ。今回の来日ステージでも、もしかしたら日本ならではのなにかを反映した演出を用意してくれるかもね。

5年ぶりとなる超待望の単独来日公演が大決定!!

2020年4月1日(水) 名古屋 CLUB QUATTRO
2020年4月2日(木) 梅田 CLUB QUATTRO
2020年4月3日(金) 新木場 STUDIO COAST

TICKETS : ADV. ¥7,000+1D
OPEN 18:00 / START 19:00
※未就学児童入場不可

MORE INFO: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10760

チケット情報
2月1日(土)より一般発売開始!

FaltyDL - ele-king

 USにおいていちはやくUK発祥のダブステップを導入したプロデューサーのフォルティDLことドリュー・ラストマン、さまざまなサウンドを折衷し、〈Ninja Tune〉や〈Planet Mu〉といった名だたるレーベルから作品をリリース、またみずからも〈Blueberry〉の主宰者として新しい才能(たとえばダシキラとか)を発掘してきた彼が、きたる3月7日、表参道の VENT でプレイを披露する。これは行かねば!


Shabaka And The Ancestors - ele-king

 一昨年はサンズ・オブ・ケメットだった。昨年はザ・コメット・イズ・カミングだった。そして今年。ついにシャバカ・アンド・ジ・アンセスターズのセカンド・アルバムがリリースされる。前作『Wisdom Of Elders』以来、3年半ぶりの作品である(レーベルは〈Brownswood〉からコメットとおなじ名門〈Impulse!〉へと移籍)。この「シャバカ・アンド・ジ・アンセスターズ」は、UKジャズ・シーンにおける最重要人物=シャバカ・ハッチングスによる、彼自身の考えがもっとも反映されたプロジェクトで、今回は人類の絶滅(!)がテーマだという。先行公開された “Go My Heart, Go To Heaven” を聴くだけでも、そうとう気合いが入っているのがわかる(MVもすごい)。きっと今作も2020年を代表する1枚になるにちがいない。発売は3月13日。心して待っていよう。

UKジャズの頂点をひた走るカリスマ、シャバカによる新アルバム
〈インパルス〉の記念すべき60周年に発売!

アルバム詳細作品情報

●イギリスの新世代ジャズ・シーンを牽引するカリスマ的テナー・サックス奏者、シャバカ・ハッチングスが中心となって2016年に結成されたシャバカ・アンド・ジ・アンセスターズの2作目となるアルバム。〈インパルス〉からのリリースは本作が初となり、「シャバカ・アンド・ジ・アンセスターズ」としてのメジャー・デビュー作となる。

●現在、シャバカがメインとして活動している3グループの中でも、彼自身のパーソナルな考えを積極的に音楽に反映しているグループ。前作『Wisdom of Elders』はシャバカが尊敬し、称賛していた南アフリカ系のジャズ・ミュージシャン・グループとのセッション・ドキュメントとして、現在のジャズ・シーンに大きな風穴を開け、衝撃をもたらした。今作も前作に引き続き、トゥミ・モゴロシなどのアフリカにルーツを持つアーティスト達が参加しており、彼らのルーツであるアフリカ文化と深く関連するアルバムに仕上がっている。シャバカ本人は本作を現在の世界中を横断する音楽の「グリオ」にしたいと話す。そのため、アルバムを通して、一つのストーリーとなっている構成で、楽曲ごとのタイトルや歌詞など細部まで注目したい一作だ。(グリオ:西アフリカに古くから残る文化で、世襲制のミュージシャンのことを指す。文字を持たない文化の中で神話や歴史を詩や歌にして後世に歌い継いできた人たち。)

●すべての作曲はシャバカ本人が担当した。本作のテーマは、我々人類の行き付く先、つまりは絶滅である。その悲劇的な未来を変えるために社会、そして個人がとるべき行動や考えについて質問を投げかけている。しかし、深いテーマを扱っているにも関わらず、シャバカの力強いテナー・サックスは開放的で、その音色に心打たれるアルバムとなっている。

リリース詳細
SHABAKA AND THE ANCESTORS
シャバカ・アンド・ジ・アンセスターズ
WE ARE SENT HERE BY HISTORY
『ウィー・アー・セント・ヒア・バイ・ヒストリー』
発売日:2020年3月13日(金)
価格:¥2,860(税込み)
UCCI-1047
SHM-CD

収録曲
01. ゼイ・フー・マスト・ダイ / They Who Must Die
02. ユーヴ・ビーン・コールド / You’ve Been Called
03. ゴー・マイ・ハート、ゴー・トゥ・ヘブン / Go My Heart, Go To Heaven
04. ビホールド、ザ・デシーヴァー / Behold, The Deceiver
05. ラン、ザ・ダークネス・ウィル・パス / Run, The Darkness Will Pass
06. ザ・カミング・オブ・ザ・ストレンジ・ワンズ / The Coming Of The Strange Ones
07. ビースト・トゥー・スポーク・オブ・サファリング / Beast Too Spoke Of Suffering
08. ウィー・ウィル・ワーク(オン・リディファイニング・マンフッド) / We Will Work (On Redefining Manhood)
09. ティル・フリーダム・カムズ・ホーム / ’Til The Freedom Comes Home
10. ファイナリー、ザ・マン・クライド / Finally, The Man Cried
11. ティーチ・ミー・ハウ・トゥ・ビー・ヴァルネラブル / Teach Me How To Be Vulnerable

パーソネル
シャバカ・ハッチングス Shabaka Hutchings - Tenor Sax and clarinet
ムトゥンジ・ムヴブ Mthunzi Mvubu - Alto Sax
シヤボンガ・ムテンブ Siyabonga Mthembu - Vocals
アリエル・ザモンスキー Ariel Zamonsky – Double bass
ゴンツェ・マクヘーネ Gontse Makhene - Percussion
トゥミ・モゴロシ Tumi Mogorosi – Drums

アーティスト・バイオ
シャバカ・ハッチングスは1984年、ロンドン生まれ。6歳の時にカリブ海に浮かぶ西インド諸島の国、バルバドスに移り住むが、その後、イギリスに戻り、以来、ロンドンのジャズ・シーンの中心を担っているサックス奏者。1960年代のジョー・ハリオットやエバン・パーカー以来の創造性を持つと言われ、その独特でパワフルなプレイからしばしば「カリスマ」もしくは「サックスのキング」と評される。
現在、コメット・イズ・カミング、サンズ・オブ・ケメット、そして、本作のシャバカ・アンド・ジ・アンセスターズの3つを主要プロジェクトとしており、プロジェクトを跨いで JazzFM や MOBO のジャズ・アクト・オブ・ジ・イヤーなど数々の賞を受賞している。

Daniel Avery - ele-king

 アシッドびしびしのダンス・レコードから『A.I.』シリーズのごときリスニング体験へ──その歴史をたどりなおすかのような音楽性で昨今の90年代リヴァイヴァルの筆頭にのしあがったともいえるイギリスのDJ/プロデューサー、ダニエル・エイヴリーがふたたび日本にやってくる。4月17日、会場は VENT。きっとまたすばらしい夜を演出してくれることだろう。詳細は下記。

Andrew Weatherall をはじめ、世界中のメディアが称賛する
トップ・テクノDJ、Daniel Avery が再び VENT にやってくる

Andrew Weatherall が大絶賛し、世界中のメディアが手放しで褒め称えた2枚の傑作アルバム『Song For Alpha』と『Drone Logic』。2010年以降のテクノ・シーンを駆け上がるようにスターダムにのし上がった Daniel Avery (ダニエル・エイヴリー)が4月17日の VENT に再びやってくる!

イギリスのテクノ・シーンの系譜を受け継ぐ Daniel Avery は、Andrew Weatherall の強力なフックアップを受けたあと、2012年にはロンドンの名門クラブ Fabric による人気ミックス・シリーズのコンパイラーとして選出された。その後 Erol Alkan のレーベル〈Phantasy Sound〉から2013年にデビュー・アルバム『Drone Logic』をリリース。また Fabric でも自身のレジデント・パーティーを始めイギリスだけでなくヨーロッパを代表するトップ・アクトの仲間入りを果たした。

2014年には BBC の人気番組『Essential Mix』、2016年には『DJ-Kicks』のミックス作品を手掛け、人気DJが辿ってきた道を順当に歩んできたと言えるだろう。そして2018年にはセカンド・アルバム『Song For Alpha』をリリースし、その人気はまさにワールドワイドで不動なものになったのだ。Four Tet や Jon Hopkins などによるリミックス作品もリリースされ、日本のレコードショップでも話題になっていた。

昨年には VENT での待望の初ギグを披露し、満員御礼のオーディエンスを狂喜乱舞させたことも記憶に新しい。「音楽は世界の全ての戯言からあなたを連れ去る力があり、暗闇の中で光を照らしてくれる。愛は世界を前進させ続けてくれるものなんだ。私にとってそれが最大のインスピレーションなんだ」という Daniel Avery の最新DJセットを再び VENT のフロアで直に体験してほしい!

[イベント概要]
- Daniel Avery -

DATE : 04/17 (FRI)
OPEN : 23:00
DOOR : ¥3,600 / FB discount : ¥3,100
ADVANCED TICKET : ¥2,750
https://jp.residentadvisor.net/events/1385980

=ROOM1=
Daniel Avery

And more

VENT:https://vent-tokyo.net/schedule/daniel-avery-2020/
Facebookイベントページ:https://www.facebook.com/events/192869298754685/

※ VENTでは、20歳未満の方や、写真付身分証明書をお持ちでない方のご入場はお断りさせて頂いております。ご来場の際は、必ず写真付身分証明書をお持ち下さいます様、宜しくお願い致します。尚、サンダル類でのご入場はお断りさせていただきます。予めご了承下さい。
※ Must be 20 or over with Photo ID to enter. Also, sandals are not accepted in any case. Thank you for your
cooperation.

日本語ラップ最前線 - ele-king

 端的に、いま日本のヒップホップはどうなっているのか? ヴァイナルやカセットテープ、CDといったフィジカルな形態はもちろんのこと、配信での販売や YouTube のような動画共有サイトまで含めると、とてつもない数の音楽たちが日々リリースされつづけている。去る2019年は舐達麻や釈迦坊主、Tohji らの名をいろんな人の口から頻繁に聞かされたけれど、若手だけでなくヴェテランたちもまた精力的に活動を繰り広げている。さまざまなラップがあり、さまざまなビートがある。進化と細分化を重ねる現在の日本のヒップホップの状況について、吉田雅史と二木信のふたりに語りあってもらった。

王道なき時代

トラップやマンブル・ラップのグローバルな普及で、歌詞の意味内容の理解は別として、単純に音楽としてラップ楽曲を楽しむ流れに拍車がかかっている感がありますよね。(吉田)

いまヒップホップは海外でも日本でも、フィジカルでもストリーミングでも、次々と新しいものが出てきていますが、初心者はいったい何から聴いたらいいのでしょう?

二木:いきなりかなり難しい質問ですねぇ……、では、すこし長くなりますが、まず国内のヒップホップについて大掴みで大局的な話をしますね。例えば、PUNPEE が星野源の “さらしもの” に客演参加、さらにNHKの『おげんさんといっしょに』に出演して日本のポップスの “ど真ん中” に現代のラップとブレイクビーツを持ち込んだ。それは画期的というよりも、2人のキャラクターもありますが、ナチュラルに実現しているように見えるのが、いまの時代の日本のラップとポップの成熟を示す出来事だなと感じました。一方でストリート系の DOBERMAN INFINITY や AK-69 らも作品を発表して変わらず存在感を示している。Creepy Nuts は作品の発表と並行してラジオ・パーソナリティとしても大活躍で、お笑いやアイドルの世界と接点をもって独自の立ち位置を確立している。R‐指定は般若から引き継いで、『フリースタイルダンジョン』の二代目ラスボスにもなった。他方で、2019年は自分のまとまった作品は発表しませんでしたけど、全国各地をライヴで回りつづける沖縄・那覇の唾奇のようなラッパーがいる。唾奇は新しい世代のインディ・シーンの象徴的存在だと思います。テレビやラジオで目立たっていなくても、全国各地のライヴハウスやクラブでのステージで腕を磨いて着実にファンを増やしていますね。彼のライヴは本当に素晴らしいのでぜひ観てほしいです。
 視点をすこしうつせば、鎮座DOPENESS と環ROY が U-zhaan、そして坂本龍一と “エナジー風呂 (Energy Flo)” を発表しました。あの教授と、です。曲名から察することができるように、“energy flow” を U-zhaan がタブラでアレンジしたラップ・ミュージック。シンプルに良い曲ですし、日本のヒップホップ史という観点でみると、ラップしているのは細野晴臣ですが、1981年にこの国の初期のラップである “RAP PHENOMENA/ラップ現象” を発表したYMOの教授と後続の世代との共作でもある。RHYMESTER は岡村靖幸と「岡村靖幸さらにライムスター」として “マクガフィン” を共作した。RHYMESTER が岡村靖幸とコラボすることそのものが彼らの日本のファンクの先駆者へのリスペクトの表明としてうつる。それら2曲は、そういう “ヒップホップ史” のような視点で見ても興味深い。それでもこれらは氷山の一角ですね。サブスクの浸透も大きいですし、単純にリリース量も尋常ではない。仮に『フリースタイルダンジョン』放送開始(2015年9月)をひとつの起点とすると、そこからのここ約4年ちょっとは、日本のヒップホップ史においても急激な変化の時代として記憶されるはずです。いろんな出来事が同時多発的に起きている。そういった数多くのアーティストの注目に値する楽曲や現象や動向を念頭に置いた上で、僕と吉田さんが2019年を振り返り、2020年に突入したいま、国内のヒップホップ、ラップについて語るといったときに、何に着眼するかということになりますね。どうでしょうか?

星野源 “さらしもの (feat. PUNPEE)”

吉田:そこでひとつの着眼点として、やはりサウンド面が挙げられると思うんですよね。ちょっとこれも長くなりそうですが(笑)、2019年の日本のヒップホップもUSと同様にざっくり、ブーム・バップ的なものとトラップ的なものの違いがまずは目に入ってきますよね。見立てとしては、前者については90年代からどうやって日本語で韻を踏むかという格闘の歴史があって、いまもその延長線上に括弧付きの「日本語ラップの歴史」的なものが続いていると。そのフィールドにトラップ的なものが新たに加わってきたとする。2019年の日本語のトラップ的な表現においては、もはやかつてのように日本語がフィットするのかしないのか、というような議論が出てくる段階にはないですよね。これはひとつには今日ラップ・ミュージックがいかにグローバルな言語となっているかということを示しているし、トラップの BPM70 にオンビートで言葉を置いていくスタイルが日本語ともいかに相性が良いかということも示していると思います。例えば LEX の『!!!』にしても、OZworld の『OZWOLRD』にしても、英語にちゃんぽんされている日本語含め、海外の人が聞いても、この曲って英語も聞こえてくるけど別の言語も少し入ってるよね、くらいの感覚で聞けるというか。トラップやマンブル・ラップのグローバルな普及で、歌詞の意味内容の理解は別として、単純に音楽としてラップ楽曲を楽しむ流れに拍車がかかっている感がありますよね。そもそも日本は90年代以前から必ずしも英語リリックの意味を理解することなしにUSヒップホップを楽しんできたという意味でも、ヒップホップ/ラップ・ミュージック先進国と言えると思いますが。

二木:ビートに関してはどうですか?

吉田:ビート面で言えば、先ほど挙げた LEX や OZworld がUSメインストリーム的な音で勝負する一方、トラップと一概にいっても、サウンドには相当の多様性があるわけですよね。USメインストリームのビートといったときに思い出すのが、2000年前後のティンバランドやネプチューンズの当時日本では「チキチキ」と呼ばれることもあったサウスのサウンド。それらがチャートを席巻したとき違和感を覚えた人たちがいた理由のひとつは、そのビートが非常にキャッチーで商業的な楽曲やアーティストと結びついていた点だと思うんです。当時のそういった新しいビートのモードを伴う商業化への反発を最近のトラップへの違和感と重ねる見方があるのはすごく理解できる。でもトラップというプラットフォームが面白いのは、かつてのホラーコアをルーツとするようなフロリダ勢のダークで激しく歪んだ表現や、トラップコアやトラップメタルと呼ばれるエクストリームなサウンドも同時に生み出していることです。例えば Tohji 『Angel』では MURASAKI BEATZ がアルバムのゴシックなムードと違わずダークで叙情的かつ歪んだビートをぶつけているし、Jin Dogg の『MAD JAKE』ではキラーチューン “黙(SHUT UP)” に象徴的なようにタイプビートを活用しながらトラップコアを展開しているし、MonyHorse の『TBOA Journey』の3chのビートも、メロウ寄りもダーク寄りもシンプルながら耳に残る異形のループを追求しているように聞こえる。

Jin Dogg “黙(SHUT UP)”

商業化への反発を最近のトラップへの違和感と重ねる見方があるのはすごく理解できる。でもトラップというプラットフォームが面白いのは、ダークで激しく歪んだ表現やエクストリームなサウンドも同時に生み出していることです。(吉田)

二木:MonyHorse といえば、MONYPETZJNKMN の “Gimme Da Dope” はやたら気持ち良い曲でした。これぞ快楽至上主義といった感じです。

吉田:一方でトラップ的なもの以外ではどうだったかというと、全編ビートを担当する Illmore がブーム・バップを再解釈する Buppon の『I’ll』、シングルですけど相変わらずぶっ飛んだ Ramza と Campanella の “Douglas fir”、全編アトモスフェリックなテクノ・サウンドの Hiyadam の『Antwerp Juggle』、田我流の『Ride On Time』も自身のビート・メイキングが満を持してすごく面白いところに到達したし、かと思えば釈迦坊主の『HEISEI』もそれこそカテゴライズを拒絶するようなサウンドで、少し前ならエレクトロニカと呼ばれたかもしれない。そういう状況だから MEGA-G のブーム・バップが超目立つわけですよね。そこには英語を内面化するトラップとは違って、これまでの日本語におけるライミングの格闘の蓄積をベースにさらにそれを突き詰めようとする、いわば良い意味でガラパゴス的な日本語ラップが追求してきた日本語のライムが乗る。例えば THA BLUE HERB、ZORN、田我流、舐達麻らが、それぞれブーム・バップを基軸にしたビートで、それぞれの日本語表現を追求する作品をリリースした。こうやってみると、王道と言われるようなサウンドは存在しないといっても過言じゃない。というか、日本のヒップホップが王道なき時代に突入していることを確認させられた2019年ですよね。

Campanella “Douglas fir (Prod by Ramza)”

二木:王道なき時代だからこそ、Campanella と Ramza の曲とかはもっと騒がれてほしい。2019年のこの国で、あえて言えば、菊地成孔の言う “ヒップホップはジャズの孫” をもっとも先鋭的に提示した曲のひとつではないでしょうか。ちなみにこの曲のMVを撮っている土屋貴史は、先日公開され話題となっている SEEDA の伝記映画『花と雨』を撮った監督でもあります。ところで、吉田さんがおっしゃった “ガラパゴス的な日本語ラップ” の追求で忘れてならないのは、Creepy Nuts ですよね。R‐指定がライターの高木 “JET” 晋一郎を聞き手にして日本語ラップについて語りまくった『Rの異常な愛情──或る男の日本語ラップについての妄想──』(白夜書房)がとても面白い。この本の Mummy‐D との対談を読むと、R‐指定の “日本人のヒップホップ” へのこだわりが内包するアンビヴァレントな感情が彼のラップのアプローチや方法論に直結しているのがわかる。『よふかしのうた』収録の表題曲は、「オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー」のテーマソングということもあると思いますが、フックのメロディには “ラップ歌謡” 的な側面がある。一方 “生業” ではトラップでセルフ・ボースティングを展開するわけですが、吉田さんの言葉を借りれば、これぞ “日本語におけるライミングの格闘の蓄積” の賜物。2019年時点でその最高峰のひとつと言って間違いないと思います。彼の、まさに異常ともいえる日本語ラップの知識量を考えれば、いろんな引用やオマージュが散りばめられていると推測できますが、ひとつ、イントロの「アカペラでも聴けるラップだぜ」というリリックは Maccho の「アカペラで聴けねえラップじゃねえぜ」(“24 Bars To Kill”)のオマージュだと思われます。
 そして、“日本人のヒップホップ” という課題にたいして、R‐指定とはまた異なる角度からアプローチをしていたのが、2018年2月に惜しくもこの世を去った FEBB ではないでしょうか。去年、GRADIS NICE & YOUNG MAS (FEBB)名義の『SUPREME SEASON 1.5』が出ています。この作品は、『L.O.C -Talkin' About Money-』(2017)に連なる作品です。『L.O.C』に収録された “THE FIRST” で FEBB は日本語を英語の発音に近づけたり、英語を日本語の発音に近づけるようにするのではなく、ふたつの言語を同居させて、おのおのの発音の特性を素直に活かして明瞭にフロウしている。言い換えると、ガラパゴス的な日本語ラップと英語を内面化したラップを1曲のなかで共存させている。彼がこの曲で歌う「引けを取らない日本人のヒップホップ」を体現したクラシックだと思います。

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ブーム・バップとトラップ

いまでもブーム・バップとトラップはどこかで対立するものとして語られたり、捉えられがちだけど、そういう二元論で思考していると聴き逃してしまうものがあまりに多くてもったいない。(二木)

吉田:USでは、ミーゴスやフューチャーのマンブル的な楽曲に加えて、毎年新人の注目ラッパーを紹介する XXL のフレッシュマンのサイファーの2016年版に、21サヴェージ、コダック・ブラック、リル・ウーズィ・バートらが登場してそのスキルが疑問視されたりした。5人もいてまともなのはデンゼル・カリーしかいないじゃないか!って(笑)。それでどうしても「マンブル・ラップ対インテリジェント・ラップ」のような図式が生まれて、ベテランのスキルフルなラッパーがマンブルを否定するというような対立構造になっていますよね。日本でも、両者が完全に異質なもの、相容れないもののように見えている感がある。でも、USでも、そもそもクリエイティヴな表現を追求しているアーティストは、いろんなスタイルでラップしたいと思っているはずですよね。エミネムの『Kamikaze』(2018)のように、トラップという文法に対して自分ならどうアンサーするかっていうのかっていうのがモチベーションになる。例えばケンドリックもリッチ・ザ・キッドとの “New Freezer” (2018)で俺だったらこう乗りこなすぜって感じの圧巻のフロウを披露しているし、フレディ・ギブスなんかも『Shadow of a Doubt』(2015)の頃から一枚のアルバムのなかにマーダ・ビーツとの曲もありつつ、ボブ・ジェームスネタのブーンバップでブラック・ソートと一緒にラップしちゃう(笑)。J・コールにしても、あからさまなトラップらしいビートはなくても、BPMがトラップ並みに遅い曲を挿入してブーム・バップ曲とのメリハリをつけている。BPM 90や100のブーム・バップでフロウするのと、60や70のトラップビートで三連符や32分音符でやるのはルールの違うゲームみたいなものだから、アーティストとしては自分でも試したくなるだろうと。

二木:そのようなルールの違いを認識していたからこそ、GRADIS NICE は “THE FIRST” について「トラップについていけない人たちのためだったりもする」とCDジャーナルの小野田雄のインタヴューで発言したのだと思います。FEBB とも共有されていたその目的意識のもとに作られたのが、『L.O.C』、そして『SUPREME SEASON 1.5』だったと考えられます。つまり、ブーム・バップとトラップというある種の “分断” をこえる、あるいはビートにしてもラップにしても両者の良さを融合してオリジナルのヒップホップを作る、そういった明確な目的のもとに作られているのではないか。後者では “THE FIRST” とは異なり、たとえば “skinny” という曲では日本語と英語の切り替えを短い尺のなかでより頻繁にくり返して、ガラパゴス的な日本語ラップと英語を内面化したラップを融合させようとするような高度なフロウを披露してもいる。そのように FEBB はとても短い期間のなかでいろんな試みを凄まじいスピードでやっていた。この連作からは、FEBB と GRADIS NICE の高い志が強く感じ取れます。

吉田:ブルックリンのアンダーアチーヴァーズやフラットブッシュ・ゾンビーズなんかも、特に初期の音源はトラップと同様の遅いBPMでブーム・バップを再解釈して、マンブル・ラップではないスキルを見せることがひとつの特徴になっている。プロ・エラとも組んでいる彼らは、ブーム・バップ・ルネッサンスを単に原点回帰だけではなくて、トラップとのハイブリッドという方法論で表現しようとしているところがあると思います。だから、FEBB が志向していたことと、共通する部分もあるんじゃないですかね。

二木:たしかに。僕もそう思います。たとえば、それこそプロ・エラのジョーイ・バッドアスも参加したスモーク・DZAの『Not for Sale』(2018)というアルバムもそういう文脈で聴くとより楽しめる作品ですね。また、さきほど名前が出た MEGA-G は素晴らしいソロ・アルバム『Re:BOOT』収録の “808 is coming” で彼なりのユニークなトラップ解釈を披露している。ビートは I-DeA です。タイトルが暗示していますが、オールドスクール・ヒップホップとトラップを直結させる試みですね。ぜひ聴いてほしいです。だから、これは自戒も込めて語りますが、いまでもブーム・バップとトラップはどこかで対立するものとして語られたり、捉えられがちだけど、そういう二元論で思考していると聴き逃してしまうものがあまりに多くてもったいない。さらに、それによって世代間対立みたいなものまで不必要に煽られてしまうのはネガティヴですよね。そういう定着してしまったジャンル分けや言語を使うことで耳の自由が奪われるときがある。そういう分節化はとても便利だし、もちろんこの対談でもそういう分節化に頼って語らざるを得ない側面はあります。ただ、ときにそれによって失うものがあったり、分断させられてしまう現実の関係があるというのは常に注意しておきたいなと。

吉田:日本でもそういう表面的な二元論とは別に、現場では様々な面でクロスオーヴァーが見られるのかなと。たとえば Red Bull の「RASEN」のフリースタイル。1回目は LEX、SANTAWORLDVIEW、荘子it (Dos Monos)、 Taeyoung Boy で、2回目は Daichi Yamamoto、釈迦坊主、dodo、Tohji。両方とも素晴らしいクオリティとセッションの緊張感で無限に繰り返し見ていられるんですが(笑)、この中だと荘子it や Daichi Yamamoto、dodo が日本語ラップ的なフロウをしているように聞こえる。確かに荘子it はエイサップ・ロッキーではなくて元〈デフ・ジャックス〉のエイサップ・ロックが好きだそうで、彼のインテレクチュアルなスタイルに照らすと頷けるけれど、SANTA はいわゆるトラップよりもフラットブッシュ・ゾンビーズとか、スキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッド、レイダー・クランへのシンパシーを口にしていたり、釈迦坊主は志人から影響を受けたそうなんです。彼らのようにオリジナリティが際立っているアーティストたちは、一見全然別のことをやっているように見えるけど、結局はそんな風にエッジィな表現に惹かれていて、互いにコネクトするんだなと。だから、分断して考えたくなるのは外側だけなんだと改めて感じました。こういう風なメディアでの語りにしても、ある程度ジャンル分けしないと整理できないし、大きな潮流も取り出せないけれど、自分の好みはどのジャンルなのか線を引きやすくなってしまう弊害もありますね。あるサブジャンルを代表するいくつかのアーティストが肌に合わなかったときに、そのサブジャンル全体を否定的に見てしまうことのもったいなさがある。

LEX/ SANTAWORLDVIEW/ 荘子it/ Taeyoung Boy – RASEN

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ラップ~ビート~音響、それぞれの変質

マンブル・ラップの多様性もそうですし、そうやって自分のスタイルやイメージを規定せず、自分のなかに多様なスタイルを持つのもいまのラッパーのあり方だと思うんです。(二木)

二木:今年の1月に入ってから SANTAWORLDVIEW が出した『Sinterklass』も良かったですね。YamieZimmer のビートのヴァリエーションも面白かった。

吉田:それから SANTA や Leon、あと Moment Joon も “ImmiGang” で披露しているトラップビート上の32分音符基調の早口フロウにしても、Miyachi の『Wakarimasen』収録の “Anoyo” や JP The Wavy らが乗りこなす三連フロウにしても、近年のトラップとの格闘を通じて再発見された、日本語のラップ表現にとって大きな財産だと思います。オンビートの早口は子音と母音がセットになるいわゆる開音節言語の日本語とすごく親和性が高いし、Leon はサウンド重視と自分でも言っているけど、例えば『Chimaira』収録の “Unstoppable” なんかは早口であっても非常にメッセージが伝わってくる楽曲になっている。これは90年代の終わりにチキチキビートが世を席巻したときに、日本語でどうやって倍速の譜割でラップを乗せるか格闘した時期にもダブるものがありますね。

二木:わかります。TwiGy が『FORWARD ON TO HIP HOP SEVEN DIMENSIONS』(2000)というアルバムでいち早くサウス・ヒップホップにアプローチしたのとも被りますね。“七日間”、“GO! NIPPON”、“BIG PARTY”、“もういいかい2000”、特にこの4曲は TwiGy の先駆性を如実に示している。彼は日本のトラップ・ラッパーのパイオニアですね。スリー・6・マフィアなどのサウスのラップだけではなく、倍速/早口ラップの参考にしたのは、『リズム+フロー』にも登場していたシカゴのトゥイスタやUKのダンスホールのディージェー、ダディ・フレディだったという主旨の話も ele-king のインタヴューでしてくれました。もうひとつ、Leon Fanourakis の『Chimaria』から、自分のような世代の人間が個人的に連想するのは、DABO の『PLATINUM TONGUE』(2001年)でした。それは Leon が DABO を意識しているとかそういう意味ではなくて、セルフ・ボースティングの手数の多さで猪突猛進するスタイルという点において、ですね。DABO の “レクサスグッチ” を久々に聴きましたけど、この曲が20年前に切り拓いたものってでかいなとあらためて痛感しました。

吉田:当時 DABO のバウンスビートへのアプローチは早かったし、地声ベースの低音ヴォイス中心のアプローチも共通するところはありますよね。

二木:SANTAWORLDVIEW、Leon とともに、YamieZimmer がプロデュースを手掛ける Bank.Somsaart も素晴らしいラッパーですよね。さっき GRADIS NICE & YOUNG MAS “THE FIRST” について日本語と英語の発音のそれぞれの特性を活かして同居させていると話しましたけど、『Who ride wit us』の Bank はむしろ日本語と英語それぞれの発音やアクセントの境界線を消滅させて、ウィスパー・ヴォイスで呪文のようなフロウをくり出していく。さらに彼のルーツのひとつであるタイ語も含まれるということなのですが、正直に告白すれば、タイ語の部分がどこなのかまだ自信をもって聴き取れていない側面もあります。ただ、こんなにささやくようにラップしてリズミカルなのがすごいな、と。

吉田:Bank もまさにそういう境界を曖昧にするスタイルですよね。彼のラップがマンブル的かどうかという問題は別としても、マンブル・ラップの解釈もすごく多様になってきている。「日本語」ラップといっても、例えばブッダ・ブランドの頃から英語をミックスするラッパーたちは、もともとマンブル性というか、何を言っているかわからないところがあった。バイリンガル・ラップの系譜に Bank のようなラッパーもいるとして、日本語を徹底的に崩すという点では、釈迦坊主もそうですよね。最初は脱構築された日本語の発音に阻まれて、全然言っていることが分からないんだけど、歌詞を見ると間違いなく日本語だし、意味が途端に入ってくるという。かつて LOW HIGH WHO? 時代の Jinmenusagi や Kuroyagi がやっていたことにも近くて、曖昧母音を多用したり、あるいは開音節から母音を引いて閉音節にしてしまったりと、子音や母音のレヴェルで発音を英語的なものに近づけているわけですよね。5lack や冒頭で触れた LEX もそのような系譜にあると思います。でも釈迦坊主がとてもユニークなのは、日本語のアクセントや子音母音の仕組みを壊しているけど、だからといって個々の語の発音自体を英語に近づけているわけではないところです。日本語には聞こえないけど英語に空耳するわけではないという、まるで架空の言語を創造しているような。Tohji が “Hi-Chew” で聞かせるようなマンブル的発語なんかとも合わせて、これまでの日本語と英語の対立軸を超えているし、それは釈迦坊主が時々見せるインドへの目配りやエスニックなサウンドやスケールの導入ともリンクしている。最新EP「Nagomi」でも独特のメロディセンスが突き抜けてるのは勿論、ラップの声が持つパーカッシヴな側面をそれこそミーゴス並みに引き出してると思います。

釈迦坊主「NAGOMI」

二木:僕は釈迦坊主の「NAGOMI」のなかで、UKブレイクス×ラップ・シンギン×ニューエイジと言いたくなるような “Alpha” がとても好きでした。でも全曲良いですよね。ここですこし補足しますね。マンブル・ラップをざっくり定義すれば、歌詞の意味よりもリズムやノリを重視するラップとなります。それゆえに、マンブル・ラップは一部では否定的な意味合いを込めて使われる。これは FNMNL の記事で知りましたが、チーフ・キーフが自分がマンブルを発明したと主張する一方、ブラック・ソートのようなベテランまで自分が元祖だと主張したりもしているという。ただここで僕と吉田さんはマンブルだから良いとか悪いとかそういう価値判断をしたいわけじゃない、そういうことですよね。Bank が去年の11月にサンクラにアップした “you're not alone” という曲はこれまでとガラリとスタイルが異なり、前向きなメッセージを日本語の発音を明瞭にすることで伝えようとしていた。マンブル・ラップの多様性もそうですし、そうやって自分のスタイルやイメージを規定せず、自分のなかに多様なスタイルを持つのもいまのラッパーのあり方だと思うんです。

吉田:じゃあそういうマンブル的な状況でラッパーがどう表現していくかというと、やっぱりフレージングが重要になりますよね。先ほどの「RASEN」のサイファーでいえば Tohji や LEX が顕著ですが、フリースタイルでいかに2小節や4小節の印象的なフレーズを次々と繰り出すかということを競っている。従来のフリースタイルは2小節ごとに踏む韻を変えながらひとつの物語を作っていった。でもいまは2小節ごとに異なったリズムやメロディのフレーズを切り替えて、それでいかに耳をひけるかを追求する。韻ではなくてフレーズが牽引するという。USのトラップ以降のラップ・ミュージックは、いかにこのフックでリスナーを掴めるかの戦いですよね。かつてのヒップホップ・ソウルの時代はフィーチャーしたR&Bシンガーがコーラスを歌ったけど、ドレイク以降はラッパーが自分で歌う。より音楽的になったとも言えるし、メロディだけじゃなくてリズムの解像度も高くて、トラップのような隙間の多いビートを彩る新しい解釈が求められる。

従来のフリースタイルは2小節ごとに踏む韻を変えながらひとつの物語を作っていった。でもいまは2小節ごとに異なったリズムやメロディのフレーズを切り替えて、それでいかに耳をひけるかを追求する。韻ではなくてフレーズが牽引する。(吉田)

二木:“USのトラップ以降のラップ・ミュージック” というラインが出ましたが、Leon、SANTAWORLDVIEW、Bank.Somsaart、そして YamieZimmer にふたたび話を戻すと、彼らは FNMNL の磯部涼のインタヴューで特に YamieZimmer がサウス・フロリダのヒップホップを熱心に聴いていると語っていましたね。ただ、その発言ももう2年前ぐらいのことですから、そのあいだに本人たちのなかにもいろんな変化があったとも推測できます。それはそれとして、僕が最初に彼らの音楽に惹かれたのは、ダーティ・サウスのファンクネスを継承する音楽に通じるものを感じたからなんです。彼らの音楽を聴いて2000年前後の TwiGy や DABO を連想したのもそういうことかもしれない。ちなみに、スモークパープが昨年出した『Dead Star 2』というアルバムに入っていたデンゼル・カリーとの “What I Please” のMVが今年に入って公開されましたね。

吉田:スモークパープがようやくアングラから浮上してまるで新人のように扱われていることに複雑な思いもありつつ(笑)、フロリダはアトランタと比較しても洗練されていなくて、歪んでいて、ときに不穏で、ときにユーモラスという、ダーティ・サウスになぜ「ダーティ」という形容詞がついていたかを体現しているようなサウンドですよね。スキー・マスクやデンゼル・カリーは、トラップコア的な冷たい暴力性や、ウィアードな音を多用するところに作家性を感じます。Leon のアルバムはロニー・J 的というか、BPMもトラップ以降の遅さで統一されてるけど、一方で Bank のアルバムはドレやマスタードのファンクをもっとダーティでロウなサウンドで更新するようなBPM速めのビートも多くて、YamieZimmer の懐の深さを感じますよね。

二木:実際に、Leon の『Chimaria』に収録された “Keep That Vibe” はサウス・フロリダのベース・サンタナのビートです。ここから語るのは多少強引な極私的解釈ですが、スヌープ・ドッグとファレルの大名曲 “Drop It Like It's Hot” をサンプリングしたスキー・マスクの『STOKELEY』(2018)収録の “Foot Fungus” は、少ない音数と音色でファンクを捻り出すいわば “ミニマル・ファンク” です。そして、そういうファンクの源流にはスライ&ザ・ファミリー・ストーン『暴動』(1971)があるのではないかと。YamieZimmer が作り出すファンクの律動とグルーヴはその最先端を行っているのではないか。そんなことを考えたりしました。ちなみに彼は Bank の “Who ride wit us” という曲では、80年代後半のマーリー・マールを彷彿させる原始的なブレイクビーツ、それこそブーム・バップと言ってもいいようなビートを作っています。そういう柔軟性も YamieZimmer の魅力だと思います。彼が前述したインタヴューで Budamunk について言及していたのがまた印象的でした。「今の日本語ラップは全く聴かない」と前置きした上で、Budamunk のビートを称賛している。そういう日本のヒップホップの聴き方もある。例えば、Budamunk が90年代、00年代のヒップホップやR&Bのインストをミックスする『Training Wax』というミックス・シリーズが昨年2枚出ましたよね。

吉田:あれめっちゃいいよね! 完全に音響の世界に行ってて、元のハイファイ寄りの音源をいかにかっこよくローファイに汚せるかということをやっている。「あの曲がこういうふうに聞こえるのか!」という驚きがある。

二木:まさにそう! 吉田さんがあのミックスを聴いているのが、めちゃうれしいですし、信頼できます(笑)。フィジカルでこっそり流通していただけですもんね。あまりにもあの音響が衝撃的で、Budamunk 本人に「あの音響はいったい何なんですか?」って訊いたんですよ。これは、僕の記憶が間違っていたら謝るしかないんですけど、「EQをいじっているだけですよ」って答えてくれたと記憶しています。EQいじるだけでこんなにも独創的な作品を作れるのかとさらに驚いた。

吉田:当時多かった「ヒップホップ・ソウル」とも呼ばれていたような、ヒップホップマナーのサンプリングループでビートが作られたR&B曲を、単にDJミキサーのEQでモコモコにフィルタリングするだけで彼の色にしてしまうという。ヒップホップ的な価値転倒が全編で表現されていて最高です。

二木:そう。ヒップホップ・ソウル色が強かった『Training Wax VOL.1』も素晴らしかった。たとえば、セオ・パリッシュのDJが好きな人にはぜひ聴いてもらいたいし、絶対気に入ると思う。それと、これは、僕のいささかロマンチックな歴史認識のバイアス込みで語りますが、『Training Wax』は Budamunk のオリジナルのビートではないものの、DJ KRUSH の『Strictly Turntablized』のリリースから25年つまり四半世紀のときを経た2019年のビート・ミュージックのひとつの成果を示している、それぐらい重要な作品だと感じています。

吉田:Budamunk は基本サンプルを使うんだけど、ミニマルで音数が少ないから、空間が多くて、リズムと同じく一音一音のテクスチャーというか、音質にも凄く耳がいきますよね。2019年は仙人掌の『Boy Meets World』の傑作リミックス盤が出たけど、そのなかの “Show Off” の Budamunk リミックスは音響的にかなりこだわっていて、中央で鳴るサブベースにリヴァーブの効いたコードのスタブに、ざらついたスネアが少し右のほうで鳴っている。このスネアは中央で鳴るハットと位相がズレていて、さらにそのスネアの残響音は左の方から聞こえるという確信犯的な立体感。終盤ではさきほど話した得意のEQフィルタリングも聞こえてきます。ミニマル・テクノやアンビエントを聴く耳で、細かい音の肌理やテクスチャーを追うと全然違う楽しみ方ができると思います。ひとつひとつの音の追い込み方と、その結果生まれている快楽がずば抜けている。

仙人掌 “Show Off - Budamunk Remix”

日本という地域のローカルな言語で表現されるラップ。その2019年の代表格である舐達麻が、グローバルに耳を刺激するビートメイカーと組む。こういうことがいま起きている。(二木)

二木:『Boy Meets World』のリミックス盤の制作の相談役が Budamunk でしたからね。彼はLA、ニューヨーク、中国のヘッズにも知られていると聞きます。SoundCloud や Bandcamp を通したビート・ミュージックの世界的なネットワークのなかにいる、日本のビートメイカーの先駆的存在じゃないでしょうか。

吉田:Bugseed にしても GREEN ASSASSIN DOLLAR (以下、GAD)にしても海外のオーディエンスがたくさんついてますよね。Bugseed は『Bohemian Beatnik』の衝撃からもう10年なのか……ウィズ・カリファにビートを使われた事件で脚光を浴びたりしましたが、SoundCloud でワールドワイドに認知度を上げて Bandcamp で作品を販売する日本のビートメイカーの先駆けとなった感がありますよね。

二木:いま GAD の名前も出ましたが、彼が2019年に大躍進した埼玉・熊谷のグループ、舐達麻の作品における主要ビートメイカーである事実は忘れてはならないですよね。彼はドイツのレーベルから作品を発表していますね。対談の冒頭で吉田さんから、ガラパゴス的な日本語ラップという言葉が出ました。つまり日本という地域のローカルな言語で表現されるラップということですね。その2019年の代表格である舐達麻が、グローバルに耳を刺激するビートメイカーと組む。こういうことがいま起きている。この話の流れで付け加えておくと、冒頭で触れた星野源が PUNPEE を客演にむかえた “さらしもの” のトラックを作ったのは、チャンス・ザ・ラッパー “Juke Jam” (『Coloring Book』収録)のビートを手掛けたり、『ブラック・パンサー』のサントラに収録された “I AM” という曲にもクレジットされているドイツ人のプロデューサー、ラスカルでした。ということで、次は舐達麻の話からはじめましょうか。

(後編へ続く)

interview with Squarepusher - ele-king

 古くからのファンなら、冒頭の和音とドラムを耳にしただけで涙がこぼれてくることだろう。スクエアプッシャー通算15枚目、5年ぶりとなるニュー・アルバム──といってもそのあいだにプレイヤーとしての側面を強く打ち出したショバリーダー・ワンのアルバム(2017)や、逆にコンポーザーとしての側面に重きを置いた、BBCの子ども向けチャンネル CBeebies による睡眠導入ヴィデオのサウンドトラック(2018)に、オルガン奏者ジェイムズ・マクヴィニーへの楽曲提供(2019)という、対照的な性格の1+2作品があったわけだけれど──『Be Up A Hello』は、ぶりぶりとうなるアシッド、切り刻まれたドラム、ジャングル由来のリズムなど、往年のスクエアプッシャーを彷彿させる諸要素に覆いつくされている。とはいえこれをたんなる懐古趣味として片づけてしまうことはできない。アルバムは序盤こそメロディアスで昂揚的な展開を見せるものの、ビートレスな “Detroit People Mover” を経て次第にダークさを増していき、おなじくビートレスでなんとも不穏な “80 Ondula” で幕を下ろす。
 フィジカルのシンセやミキサーを用いて制作されたという今作は、自身で新たにソフトウェアまで開発してしまった『Damogen Furies』(2015)とは正反対のアルバムだといえよう。その対照性はテーマにもあらわれている。前作では政治や社会にたいする怒りが原動力となっていたのにたいし、今回のアルバムをつくりはじめる契機となったのは、親友クリス・マーシャルの死というきわめて私的な出来事であった。クリスとは90年代初頭に一緒に音楽をつくって遊んでいた仲だったそうで、ようするにまだレコード・デビューするまえの、10代だったころのトム・ジェンキンソンに大きな影響を与えた存在だったわけだ。そのときのわくわくするような感覚、これからなにが起こるのか予測できない危険な感覚を取り戻したかったと、素朴にトムは語っている。ゆえに本作はアナログ機材を多用することになり、また90年代初頭の音楽から大いにインスパイアされることにもなった。ハードコアであり、レイヴである。
 その点においてこのアルバムは、いわゆるベース・ミュージックではないにもかかわらず、2010年代後半以降の──それこそ『92年におまえはどこにいた?』と問うゾンビーが体現しているような──当時を体験できなかった、けれどもかわりにグライムやダブステップを通過した世代によるいくつかの表現とリンクしうる一面を有しており、そういう意味ではきわめて今日的な作品であるともいえる。そしてそのような再帰性を用意することになったのが、かけがえのないひとりの人間の死であり、共有不能なかなしみであったこと、それについてわたしたちはどう思考を巡らすべきだろう?
 彼はやさしくほほえんでいた。そんな表情の写真はこれまで見たことがなかった。今回のアルバムは彼にとって、そしていまの音楽シーンにとってどのような意味を持つのか──昨秋〈Warp〉30周年イヴェントのために来日していたトム・ジェンキンソン本人に、新作の背景やそこに込められた想いについて語ってもらった。

あのころの感覚を取り戻したいというのがあったと思う。

2019年、〈Warp〉は設立30周年を迎えました。あなたはそのうち24年間〈Warp〉に関わっています。

トム・ジェンキンソン(Tom Jenkinson、以下TJ):30年のうちの大多数だね。

じつに8割を占めます。レーベルがアニヴァーサリーを迎えてどういう気持ちですか?

TJ:振り返れば契約したのは96年だった。ほかのレーベルからのオファーもあったけど、〈Warp〉を選んだんだ。理由は、90年代初頭に彼らがリリースしていた音源に興味があったから。それが当時の僕のインスピレイションでもあったんだ。

契約した当時といまとで、レーベルの変わらないところはどこでしょう?

TJ:正直にいって、リリースしているもののすべてが良いとは思っていない。でもそれは当然のことだよね。僕はレーベルがリリースを選ぶ過程に絡んでいないからね。そういう意味では、ほかのレーベル以上に〈Warp〉に興味を抱いているわけではないんだ。でも友だちもいるし、関係も良好に続いているから、いまにいたっている。正直、〈Warp〉のすべてをフォロウしているわけではないんだ。

では〈Warp〉の作品で良いと思っているものは? できれば友人ではない方の作品で。

TJ:イェー。ナイトメアズ・オン・ワックスのすごく初期のやつとか。とくに “Dextrous” は当時いちばん好きだったね。あとは LFO の “LFO” というトラック。それ以前の僕はエレクトロニック・ダンス・ミュージックにとくに興味を持っているわけではなかったんだけど、あれを聴いて初めて、その手の音楽の世界観に注意を払って聴くようになったんだ。それ以前のダンス・ミュージックはいわゆるコマーシャルなブルシットばっかりだったから。ラジオで聴くようなものにかんしてはね。だから興味をひかれなかったんだけど、LFO のあのトラックは深みがあるし、刺戟的だったし、挑んでくるような感覚があったし、聴いていてわくわくした。カタログのなかでメジャーかどうかはべつだけど、僕にとってはあの1曲だね(註:このエピソードはすでにいろんなところで語っている。たとえば『別冊ele-king Warp 30』をお持ちの方は123頁を参照)。

新作『Be Up A Hello』はジャングルのリズムの曲が多く、またアシッドもよく鳴っています。前作『Damogen Furies』ではじぶんでソフトウェアまで開発していましたけど、今回はアナログ機材が多用されているように聞こえました。原点回帰の意図があったのでしょうか?

TJ:このアルバムには個人的な側面があるんだ。かなしいことに、友人のクリス・マーシャルが去年(2018年)亡くなってしまってね。彼にたいするデディケイトの意味あいもこの作品にはあるんだ。そういう意味で今回のアルバムはトリビュートのかたちをとっている。そのために、今回使っている機材と出会ったときの、つまり90年代にクリスと一緒に音楽をつくっていた当時の……彼と僕はテクノロジーにすごく興味を持っていたから、これを使ったらどういうふうになるんだろう、どんなことができる機材なんだろう、ってふたりで探りながらやっていたんだけど、あのころの感覚を取り戻したいというのがあったと思う。当初のああいう古いマシーンって音のキャラクターも独特だしね。だから、今回の楽曲には機材の存在が刷り込まれているんだ。そうなってくると、機材から逃れることは完全には無理なんだよね。もちろん逃れようとはしたんだよ。新しい使い方をしたいとも思ったけど、割り切れないところもあった。だからそれを超えて、おなじ機材だけれど、むかしはやっていなかったようなやり方をしたいなと。そういう試みはしたつもりだね。

いちばん当てはまる言葉は、「アンプレディクタブル(予測不可能な)」だったと思う。先が読めない、なにが起こるかわからない。そもそも型が決まってなかったから毎回状況がちがう。それがいまのじぶんの音楽にも生きているんだ。

オフィシャル・インタヴューでは、レイヴ初期のシーンからインスパイアされたとも語っていましたね。

TJ:当時90年から93年くらいまでのクラブで流れていた音楽にはおおまかなくくりがあると思うけど、そのなかにもいろいろなものがあって、具体的に僕がそのインタヴューで触れていたのはアメリカのハウス・ミュージック、それから影響を受けた英国の音楽、それと当時のオランダやベルギーから出てきていた音楽だね。一時期オランダ、ベルギーからよりハードなダンス・ミュージックが爆発的に出てきていたからね。あとはブレイクビートの導入期のころでもあったと思う。当時ハードコアと呼ばれていたものは、のちにジャングルという呼び方に変わっていくわけだけど、そういうものにかんしてインタヴューで触れていたと思う。でも僕はとくに明確に分け隔てをしているわけではなくて、僕が聴いてエキサイトできるものを、大きな音で楽しむ。あとはヘドニスティック(快楽主義的)な体験ができる音楽がいいね。音楽そのものだけではなく、その周辺も含めて、ね。だから、使っているものがブレイクビートであれ、ドラムマシーンでつくったビートであれ、そういうことは関係なくて、じぶんが聴いて腹に響くみたいな、そういう体験ができる音楽のことをインタヴューでは話したと思う。

じっさいレイヴの場には行っていました?

TJ:ああ、もちろん、行っていたよ。当時はまだじぶんではパフォーマンスをしていなかったから、オーディエンスの一員としてそれを体験していたね。僕がパフォーマーとして最初にやったのは、いわゆるバンドの形態で。10代のころにやっていたのは、ジャズとかロックとか、名称はなんであれ、むかしからある音楽の提示のしかただった。でも一方で、じぶんの楽しみやリラクゼイションのために、そういったレイヴ的なイヴェントに行くことが多かったね。

レイヴにはDIYで自由で革命的な側面がある一方で、ドラッグの問題もありました。レイヴのムーヴメントについてはどう思っていますか?

TJ:いちばん当てはまる言葉は、「アンプレディクタブル(unpredictable:予測不可能な)」だったと思う。ようするに先が読めない、なにが起こるかわからない。ああいうものがすべてにおいて初めての時代だったから、決まったかたちがいっさいなくてね。ダンス・ミュージックを聴くためのイヴェントに前例がなかった時代だから。そもそも型が決まってなかったし、だから毎回状況がちがう。環境もさまざまで、場所だってパブのバックルームでやっていたり、巨大な倉庫みたいなところでやっていたり。音楽のためにつくられた場所ではないところからはじまっているんだ。いわゆるダンス・ミュージックのクラブというものが発展する以前の世界だよ。だからとうぜん危険な要素も絡んでいたとは思う。でも、危険だからこそ、なんかわくわくするというか、楽しいとか、いったいなにが起こるんだろうって感覚がすごくあったことを覚えている。その感覚がいまのじぶんの音楽にも生きているんだ。なんでも探訪してやろうっていうメンタリティーだね。あえてまだしっかり理解されていないもの、みんなが把握しきれていないものを探っていこうっていう感覚、それは当時のあの雰囲気にすごく近いと思うんだ。つまりパターンがないということだね。
 あともうひとつは、企業のスポンサーがなかったということ。つまりレイヴのイヴェントというのは、その場にいる人たちだけのものだった。いまのフェスティヴァルって規模は大きいけど、なにかのプロダクトのプロモーションに使われている感じがあるよね。そこに僕が出る場合も、僕の音楽がなにかを売るために使われているんじゃないかと思ったり。販売のヘルプだよ。あるものをかっこよくみせるためにじぶんの音楽が使われているような感じがして、僕はすごくいやだね。往年のあの雰囲気を知っている者としては、いまのあり方はちがうなってすごく思う。当時いちばんプレシャスだったのはそこかもしれないな。

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レイヴはその場にいる人たちだけのものだった。いまのフェスって規模は大きいけど、なにかのプロダクトのプロモーションに使われている感じがあるよね。僕の音楽もなにかを売るために使われているんじゃないかと思ったり。販売のヘルプだよ。

スクエアプッシャーはアルバムごとに新しいことに挑戦してきましたけれど、どのアルバムにもかならず1曲か2曲、とてもキャッチーで美しいメロディの曲が入っていますよね。今回だと1曲目の “Oberlove” がそれにあたると思うんですが、いつもそういう曲を入れるのは、実験的な試みとのバランスをとろうとしているのでしょうか?

TJ:たしかにそのとおり。その洞察はひじょうに興味深いな。僕が魅力を感じるのは未知の世界なんだ。いま売れているもの、いま流行っているものとそうでないもののあいだの境界線を僕はあまり意識していないけど、基本的には良い曲が好きで、良いメロディに惹かれる。これはじぶんではどうしようもない部分だよ。それを楽しみたいじぶんをあえて引きとめて、ちがうこと、そうじゃないことをやろうとするとしたら、それはじぶんにたいしてすごく残虐な行為だよね。じぶんへの裏切りだと思うんだ。僕自身はポップ・ミュージックもすごく好きだけど、でも一方では前衛的なものも大好きで。それからフューチャリスティックな試みをしている音楽も大好きだ。それらぜんぶをひっくるめてじぶんだと思っているから、たぶんそのさまざまな世界に橋渡しをするような音楽をつくりたいんだろうなって僕は思っている。聴いていてスウィートな気持ちになるような音楽ももちろん大好きだけど、おもいっきり実験的な、テクノロジーを用いてつくる音楽も大好きだからね。ときには音楽をつくるときも、メロディから入っていくことだってあるんだ。そのメロディはとてもわかりやすいものだけど、つくっていく過程でそれがだんだん発展していって、ぜんぜんちがうものに突然変異することもあるから、その過程じたいがそういう橋渡しをしていることになるのかな。そんな気もするね。ストレートでわかりやすい音楽からブルータルに実験的なものまで、そのあいだにあるのがたぶんジャズなんだろうな。ジャズでも、たとえばインプロが入ってくることによって、おなじ素材を扱っていてもぜんぜんちがう角度からその音楽を見ることができるような、ね。そういう橋渡しのようなことは意識的にしているよ。

最後の “80 Ondula” はノンビートでとてもダークで、ほかの曲と雰囲気が異なります。この曲でアルバムを終わらせたのにはなにか意図があるのでしょうか?

TJ:言っていることはわかる気がするよ。ほんとうに単純に言ってしまえば、「ライトからダークへ」。だんだんより暗くなっていくんだ。

暗くして終わらせたかったと?

TJ:友人がなくなったことで僕はすごくかなしい思いをしたから、その気持ちを、なんらかのかたちでこのアルバムで表現したかったんだ。ふだん死を意識しないで暮らしている人たちにも、命のはかなさみたいなものを感じて考えてもらえればなと思ってつくった。そのあらわれだと思うな。やっぱり生きている人間、残された人間にとって死のかなしみにひたるのはほんとうにつらいことだけど、それを含めた僕の経験みたいなものが、この暗いほうへと向かっていくアルバムの流れにあらわれているのかも。

基本的には良いメロディに惹かれる。それを楽しみたいじぶんをあえて引きとめて、ちがうことをやろうとするとしたら、それはじぶんにたいしてすごく残虐な行為だよね。じぶんへの裏切りだと思うんだ。

前作『Damogen Furies』には世界情勢にたいする怒りがありました。また3年前に国民投票でブレグジットが決まったとき、あなたは “MIDI sans Frontières” という曲を発表して、世界じゅうの人びとにコラボレイトを呼びかけました。いまのイギリスの状況についてはどう考えていますか?

TJ:とても複雑な状況だよ。手短に話すのも難しいけど、僕から見たところ、国民投票にいたるまでのキャンペーンの段階から、ひじょうに、人びとを分断する方向に動いていたような気がする。じぶんと相反する意見の人たちを悪いように見せようとして、相手にたいして疑念を持つような、そういう方向へ持っていこうとする動きがみられたと思う。それは「英国人対諸外国からきた人たち」という図式になっているけど、とにかくネガティヴで相手の悪いところばかりを増進させる、そういう政治的ゲームに巻き込まれていたように僕は思う。それを見ていてすごく気持ちが悪かったんだ。そこからどんどん下り坂で。国民投票以降、状況はさらに悪化している。見ていて衝撃的だと思うくらい、政治的な下降がみられると思っている。僕がここでなにか言ってもそれがすぐに功を奏するわけではないということはわかっているけど、少なくともじぶんのステイトメントとして、いままで見せられてきたものの対極を示したい。互いの良いところをもっと見て、つながりあおうよということだね。互いにコミュニケイションをとろうということ。それを訴えるうえで、音楽は良い道具になると僕は思っているんだ。効果のあるインストゥルメントになると思う。悪いところじゃなくて、人間の良い側面、調和性みたいなものを増進して伝える、音楽はその術になると思うね。

 訊きたいことはほかにもたくさんあったのだけれど、残念ながらここで時間切れ。蛇足ながら最後に、昨日公開された真鍋大度の手による “Terminal Slam” のMVについて少しだけ触れておきたい。
 渋谷の街中や車内に掲げられている広告を次から次へとスクエアプッシャーのものへと置き換え、それらを過剰なまでに暴走させるこの映像は、大企業や広告代理店の残虐性を見事に告発している。1月30日の深夜0時、同ヴィデオが渋谷のスクリーンに映し出されるのをじっさいにこの目で眺めるというメタ的な体験をしてみて、いかにふだんわたしたちが暴力的な広告に包囲されているのか、あらためて確認させられることになった。「僕の音楽がなにかを売るために使われているんじゃないかと思ったり。販売のヘルプだよ」という前出のトム・ジェンキンソンの発言とあわせて考えると、ひじょうに示唆的なMVである。


5年ぶりとなる超待望の単独来日公演が大決定!!

2020年4月1日(水) 名古屋 CLUB QUATTRO
2020年4月2日(木) 梅田 CLUB QUATTRO
2020年4月3日(金) 新木場 STUDIO COAST

TICKETS : ADV. ¥7,000+1D
OPEN 18:00 / START 19:00
※未就学児童入場不可

MORE INFO: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10760

チケット情報
2月1日(土)より一般発売開始!

Carl Michael Von Hausswolff - ele-king

 この『Addressing The Fallen Angel』は、スウェーデンのストックホルムを拠点とするヴェテラン・サウンド・アーティストにして、アート・キュレイターとしても著名なカール・ミカエル・フォン・ハウスウォルフ(1956年生まれ)が、2019年にリリースしたアルバムである。
 「CM von Hausswolff」名義でも知られる彼は80年代から活動を開始し、あの〈sub rosa〉、〈touch〉、〈raster-noton〉、〈iDEAL〉などの錚々たるレーベルからアルバムを発表してきた才人。本作『Addressing The Fallen Angel』はトミ・グロンルンドと故ミカ・ヴァイニオ主宰によるテクノイズ・レーベルの老舗〈Sähkö〉からリリースされた作品だ。
 くわえてカール・ミカエル・フォン・ハウスウォルフは音源作品のみならず、インスタレーション作品も制作し、「ドクメンタ」や「サンタ・フェ・ビエンナーレ」などの国際美術展などに参加している。『Addressing The Fallen Angel』もまたブルックリン「ピエロギ・ギャラリー」、メキシコ「ルフィーノ・タマヨ博物館」、ドイツ「カールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター」で展示されたインスタレーション作品の音源化という。

 ハウスウォルフは、「電気および嗅覚などの刺激から、音響に加えて光などを組み合わせることで、観客の感覚を変化させる作品」を制作してきた。ゆえにこの種のエクスペリメンタルな音楽作品の中でも音楽から限りなく離れた音響作品となっている。いわば音の彫刻であり、音響によるアブストラクト・アートである。
 もちろん本作『Addressing The Fallen Angel』もまた極度に削ぎ落された痩せたドローンが持続するサウンドとなっている。テープが経年劣化で変化を遂げていったような音響は、ほかのドローン作家の作品にはないマテリアルな幽玄性とでもいうべきムードを放っている。音の肌理と変化に聴き入っていると、覚醒と陶酔の「はざま」の状態へと導かれていくかのようになる。
 本アルバムにもそのような硬派なサウンドオブジェが2曲収録されている。18分19秒におよぶ1曲め “Addressing The Fallen Angel (part one)” は、ドローン(持続音)に加えてテキストのリーディングが重ねられている。15分4秒ほどの2曲め “Addressing The Fallen Angel (part two)” は、機械的な持続音が次第にノイジーな響きへと変化するトラックだ。2曲それぞれドローンの向こうにラジオのノイズのようなサウンドが微細に重ねられたり、音量を微細に変化させたりするなど、シンプルながら効果的な手法を駆使している。近年の作品ではマニアの評価の高い『Squared』(2015/〈Auf Abwegen〉)や『Still Life - Requiem』(2017/〈Touch〉)に匹敵するテクノイズ/音響作品の傑作といえよう。
 これらのアルバムも含めてハウスウォルフの音響作品は、「無常/無情の世界」というか、「人間以降の荒野」というか、「ヒトのいない世界」というか、とにかく無機質な叙情が漂っている。なかでもテクノイズの総本山(?)〈Sähkö〉からのリリース作である本作『Addressing The Fallen Angel』は、非人間的な世界を感じさせてくれるようなミニマルかつハードコアな音響空間を構築していた。ドローンとノイズ、マシンとヒト、無常と無情の世界。
 その結果、ハウスウォルフのサウンドは、「聴いたはずなのに聴き終わった感覚が希薄」な音響の持続になっているように思えるのだ。何回聴いても聴き終えた感覚が希薄なドローン音響。もしくは音響の記憶喪失。そう、ドローンが永遠に続く感覚とでもいうべきか。だからこそ “Addressing The Fallen Angel (part one)” における「声」の存在が、より際立ってもくる。まるで人間とマシンの対比のように。

 ちなみに2019年のハウスウォルフは、コラボレーションも旺盛だった。ジム・オルークとのアルバム『In, Demons, In!』(〈iDEAL〉)、シガー・ロスのヴォーカル・ギタリストであるヨンシーとのユニット Dark Morph 『Dark Morph』(自主レーベル)などをリリースした。これらのコラボレーションでも彼の「無常/無情の音響世界」が見事に作用している。本作『Addressing The Fallen Angel』と共にぜひとも聴いて頂きたい逸品だ。

Oli XL - ele-king

 どうも2017年の『Mono No Aware』がひとつの起点になっているような気がしてならない。カニエケレラを触発したカリーム・ロトフィをはじめ、マリブーやフローラ・イン=ウォンなど、同盤に参加していた面々が、以降、より注目を集めるようになってきているのだ。なかでも重要なのはイヴ・トゥモアの動きで、彼が〈Warp〉に籍を移すと同時にコペンハーゲンの〈Posh Isolation〉勢とも接触したことは、近年北欧がエレクトロニック・ミュージックの新たな震源地となっていることをほのめかしている。
 おなじく〈PAN〉の『Mono No Aware』に名を連ねた翌年、まさにその〈Posh Isolation〉のコンピ『I Could Go Anywhere But Again I Go With You』に参加することになったストックホルムのオリ・エクセル、彼もまたそのような昨今の動きを象徴する存在といえるだろう(おなじくストックホルムを拠点に活動し、おなじく〈Posh Isolation〉の一員であるヴァリ(Varg)とも共演済みだし)。

 新たにみずからの手で起ちあげたレーベル〈Bloom〉からのリリースとなったオリ・エクセルのファースト・アルバムは、絶妙なバランス感覚でポップとアヴァンギャルドのあいだを駆け抜けていく。全体的に、ある時期のハーバートやアクフェンあたりを想起させる音響に包まれているが、ドラムはより今日的で重く、たとえば日本語のサンプルからはじまる “Mimetic” によくあらわれているように、UKガラージ~グライムからの影響が色濃くにじみでている。2014年のデビューEP「005 / Wish We Could Zone」では深い深いダブの霧のなかにジャングルをぶちこんで遊んでいた彼だけれど、今回のアルバムは「Tracer Wanz」(2016)や「Stress Junkie / Mimetic」(2018)で試みられていたベース・ミュージック由来のリズムの解体作業を、よりテッキーな音響のなかで実践したものといえるだろう。

 ときにダブだったりインダストリアルだったりと、細部も丁寧につくりこまれている。具体音の聞かせ方もおもしろく、ウェイトレスなシンセの波に覆われた “DnL” では、チョークで何かを書く/描くような音が最高の快楽をもたらしてくれる。ちなみに同曲では「退屈、ダルい」ということばが何度も繰り返されているが、加工された音声も本作の聴きどころのひとつだ。
 とりわけ注目すべきは、リード・トラックの “Clumsy” だろう。「ぼくは負け犬、殺しちまえよ」。ベックである。高ピッチの音声によって読み上げられるこの “Loser” のフレーズは、ハイテックかつダンサブルな曲調ともあいまって、自己憐憫的な感傷を極限まで抑え込んでいる。ユーモアがあるという点においてはオリジナルを踏襲しているわけだが、ゆえにこの引用は、資本や国家がけっして弱者を殺すことはせず、むしろ生殺しの状態のまま「負け犬」としてえんえんこきつかうさまを、「頼むから殺してくれ」と、陽気に諷刺しているように聞こえる(『クワイータス』はインセルやマスキュリニティの文脈から捉えようとしていたけど)。

 エレクトロニカの音響とベース・ミュージックのリズムを実験的に融合させつつ、かろやかにユーモアで包みこむこと。それはEPの時点ではまだ試みられていなかったアイディアであり、どうしても暗くなってしまいがちな当世にあって、このオリ・エクセルのやり方はなかなか有効な手段といえるのではないだろうか。今後の成長が楽しみな若手の登場である。

The Orb - ele-king

 ヴェテラン、ジ・オーブが通算17枚目となるニュー・アルバムを〈Cooking Vinyl〉よりリリースする。発売は3月27日。タイトルは『Abolition of the Royal Familia』で、2018年の前作『No Sounds Are Out Of Bounds』と対になる作品だという。興味深いのはテーマで、イギリス王室が18~19世紀に東インド会社のアヘン貿易を支持していたことに抗議する内容に仕上がっているそう。東インド会社といえば、いまわたしたちが当たり前のものだと思っている株式会社のルーツのひとつであり、ようするに資本主義~帝国主義の加速に大きな影響を与えた存在で、いまそこを突くというのはなかなかに勇敢な試みである(香港の歴史を思い出そう)。アルバムにはユース、ロジャー・イーノ、ゴング~システム7のスティーヴ・ヒレッジやミケット・ジローディらが参加しているとのこと。要チェック。

[2月6日追記]
 現在、来月発売の新作より “Hawk Kings (Oseberg Buddhas Buttonhole)” のMVが公開中です。

[2月7日追記]
 MVの公開につづいて、なんと、ジ・オーブの来日公演が決定! 秋なのでまだまだ先だけど、いまから予定を空けておこう。詳しくは下記をば。

The Master Musicians of Joujouka & The Orb Japan Tour 2020

2020.10.31(土) - 11.1(日)
FESTIVAL de FRUE 2020
場所:静岡県掛川市 つま恋リゾート彩の郷
(静岡県掛川市満水(たまり)2000)
LINEUP:
The Master Musicians of Joujouka
The Orb
plus many more artists to be announced.

2020.11.3(火・祝)
The Master Musicians of Joujouka & The Orb
場所:渋谷WWWX
開場:17:00 / 開演:18:00

詳細:https://frue.jp/joujouka_orb2020/

エレクトロニックの巨人、ジ・オーブの17枚目のアルバム『アボリション・オブ・ザ・ロイヤル・ファミリア』が完成。高い評価を獲得した前作『ノー・サウンズ・アー・アウト・オブ・バウンズ』とペアになる作品で、マイケル・レンダールがメイン・ライティング・パートナーとして参加した初のアルバム。

★The Orb: Pervitin (Empire Culling & The Hemlock Stone Version)
https://youtu.be/llGe4H1hwqw

★Hawk Kings - Oseberg Buddhas Buttonhole
https://twitter.com/Orbinfo/status/1214939783597703168

2020.3.27 ON SALE[世界同時発売]

アーティスト:THE ORB (ジ・オーブ)
タイトル:ABOLITION OF THE ROYAL FAMILIA (アボリション・オブ・ザ・ロイヤル・ファミリア)
品番:OTCD-6794
定価:¥2,400+税
その他:世界同時発売、付帯物等未定、ボーナス・トラック等未定
発売元:ビッグ・ナッシング / ウルトラ・ヴァイヴ

収録曲目:
1. Daze - Missing & Messed Up Mix
2. House of Narcotics - Opium Wars Mix
3. Hawk Kings - Oseberg Buddhas Buttonhole
4. Honey Moonies - Brain Washed at Area 49 Mix
5. Pervitin - Empire Culling & The Hemlock Stone Version
6. Afros, Afghans and Angels - Helgö Treasure Chest
7. Shape Shifters (in two parts) - Coffee & Ghost Train Mix
8. Say Cheese - Siberian Tiger Cookie Mix
9. Ital Orb - Too Blessed To Be Stressed Mix
10. The Queen of Hearts - Princess Of Clubs Mix
11. The Weekend it Rained Forever - Oseberg Buddha Mix (The Ravens Have Left The Tower)
12. Slave Till U Die No Matter What U Buy - L’anse Aux Meadows Mix

●『Abolition Of The Royal Familia』は Alex Paterson によるプロジェクト、The Orb の17枚目のアルバムで2020年3月37日にリリースされる。これは高い評価を獲得した前作『No Sounds Are Out Of Bounds』とペアになる作品で、Michael Rendall がメイン・ライティング・パートナーとして参加した初のアルバムだ。

●18世紀と19世紀にインドに大きな損害を与え、中国との2つの戦争を引き起こした東インド会社のアヘン取引に対しての王室の支持にアルバムは触発されており、それを遡及的に抗議した内容となっている。アルバムからのファースト・シングルは “Pervitin - Empire Culling & The Hemlock Stone Version”。その他、Steven Hawking (公演で Alex Paterson に会った際、The Orb の曲を聴いていたと公言)へのトリビュート曲 “Hawk Kings - Oseberg Buddhas Buttonhole” 等、全12曲が収録される。また、Youth、Roger Eno、Steve Hillage (Gong、System 7)、Miquette Giraudy (Gong、System 7)、Gaudi、David Harrow (On U-Sound) 他、多くのゲストもフィーチャーされている。

●付帯物等未定、ボーナス・トラック等未定。


【The Orb / ジ・オーブ】

The Orb は1988年に Killing Joke のローディーであった Alex Paterson と The KLF の Jimmy Cauty により、ロンドンで結成された。1990年には Jimmy Cauty が脱退。以降は Alex Paterson を中心に、Thomas Fehlmann 等と活動が行われている。アンビエント・ハウスやプログレッシヴ・ハウスを確立したエレクトロニック・ミュージック・グループとして、今尚、絶大な人気を誇る。1991年にデビュー・アルバム『The Orb's Adventures Beyond the Ultraworld』を〈Big Life〉よりリリース。翌1992年のセカンド・アルバム『U.F.Orb』はUKチャートの1位を獲得する。その後、グループは〈Island〉へ移籍。1993年のライヴ・アルバム『Live 93』、1994年のミニ・アルバム『Pomme Fritz』を経て、『Orbus Terrarum』(1995年)、『Orblivion』(1996年)、『Cydonia』(2001年)とアルバムをリリース。2004年には〈Cooking Vinyl〉より『Bicycles & Tricycles』、2005年には〈Kompakt〉より『Okie Dokie It's the Orb on Kompakt』、2008年には〈Liquid Sound Design〉より『The Dream』、2009年には〈Malicious Damage〉より『Baghdad Batteries (Orbsessions Volume III)』とレーベルを変えながらアルバムをリリース。2010年には Pink Floyd の David Gilmour をフィーチャーしたアルバム『Metallic Spheres』を〈Columbia〉よりリリースし、UKチャートの12位を記録した。その後、〈Cooking Vinyl〉より『The Orbserver in the Star House』(2012年)、『More Tales from the Orbservatory』(2013年)と2枚のアルバムをリリース。この2枚では Lee “Scratch” Perryがフィーチャーされた。2015年には10年振りに〈Kompakt〉よりアルバム『Moonbuilding 2703 AD』をリリース。翌2016年には『COW / Chill Out, World!』、2018年には『No Sounds Are Out Of Bounds』をリリースした。

■More info: https://bignothing.net/theorb.html

Nick Cave and The Bad Seeds - ele-king

 イギリスを代表する戯曲家・詩人シェイクスピア。その生涯はおろか作品歴にも諸説ある謎多き人物とはいえ、妻アン・ハザウェイとの間に男児と女児の双子がいたとの記録は残っている。彼の唯一の息子である男児ハムネットは1596年に11歳で亡くなった。その数年後にシェイクスピア悲劇の名作のひとつでありもっとも長い戯曲『ハムレット』が書かれたとされる。いにしえの北欧伝説に想を得た作品ではあるが、亡き子の名前にとてもよく似た名の王子が主役なのは奇遇なのか、それとも。

 ニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズの17作目のスタジオ・アルバム『Ghosteen』は、ニック・ケイヴの息子アーサー(双子のもうひとりに男児アールがいる)が2015年夏に15歳でブライトンの崖から転落し命を落とした悲劇を経て書き下ろした楽曲を収めた作品だ(2016年発表の前作『Skelton Tree』も結果的に一種の追悼作になったが、収録曲そのものは彼の死以前に書かれていた)。
 2018年に世を去った元バッド・シーズのコンウェイ・サヴェージに捧げられているとはいえ、この2枚組の大作アルバムにアーサーのスピリット(霊)は大きく影を落としている。タイトルの「een」は古いアイルランド語の接尾辞「in(イーン)」の英語化で、主に「小さな」を意味する。「小さな幽霊」と訳せそうだが、字面からストレートに想像される「Ghost+Teen」=10代のゴーストというニュアンスも、もちろん作家としてのケイヴの巧みな狙いだろう。

 アルバムはパート1、パート2に分かれている。収録曲①〜⑧が第1部、残る3曲が第2部に当たり、第2部の2曲はそれぞれ12分、14分台のスポークン・ワードを主体とするトーン・ポエムというかなり変則的な作りだ。それだけでも「敷居が高そう」と感じるリスナーがいて当然だと思うし、子供を失った親という本作のバックストーリー自体が実に重い。
 子を亡くした親の悲しみは子を持たない筆者には到底理解できない。軽々しく想像したくもない。だがその悲嘆(grief)は、人間の悲しみの中で恐らくもっとも深い、己の身をちぎられるほど辛いものではないかと思っている。若くして世を去ったとなれば、共に過ごした時間の短さ、その子の「これから」が青い樹の段階で摘み取られたやるせなさもあって尚更だろう。

 しかし漆黒のタブローに旧式なコンピュータ画面文字が浮かぶ『Skelton Tree』のミニマリズムとは対照的に、本作のジャケットは花咲く森に動物が憩う、ワトーやフラゴナールを連想させるロココ調の童話めいた世界観を提示する。1曲目“Spinning Song”の歌詞にエルヴィス・プレスリーと彼が地上に建てた夢の地:グレイスランドが登場するように、ここではないどこか=ユートピアあるいはパラダイスへの希求は何度か現れる。優れたストーリー・テラーであるケイヴにしては抽象的な、イメージの連なりから聴き手の想像力に行間を埋めさせるタイプの歌詞が多いが、車旅、列車、船、太陽、樹、鳥、蝶、蛍といった単語は移動や上昇、飛翔の象徴だ。『Skelton Tree』は静かな怒り・フラストレーションを内に抱えたダークで重い作品だったが、本作の情動は抑制されていながらも大地に縛られてはいない。亡き子が楽園にいることを信じつつ、自らも悲しみからの救済を求めているのだろう。
 行間を埋めると言えば、音楽的にも多くの空間が残されている。ケイヴと共同プロデュースに当たった右腕ウォーレン・エリスの繊細なエレクトロニック・ループやドローンの数々がアンビエントな波を静かに淡く流していく中にピアノ、ストリングス、コーラスが墨滴のように落とされ、語りと歌唱の中間にある歌が立ち現れては消える。長い尺の中で曲が変化し推移していく構成が見事な“Ghosteen”と“Hollywood”はさながら耳で聴くドラマだ。ギターはもちろんリズム楽器は無いに等しく、『Skelton Tree』でのストイシズムを更に突き詰めている。名義こそ「〜アンド・ザ・バッド・シーズ」ながら、本作はむしろケイヴ&エリスが過去10余年に渡って続けてきた映画やテレビ番組向けサントラ仕事の成果に多くを負っている。

 ケイヴにはいくつかの顔がある。聖と俗の垣根を破り反転させるダーティなブルーズ・マン、マニックに雄叫ぶゴシックな伝道師、ピアノ・バラードでしっとり酔わせるクルーナー等々、複数のペルソナがあのスーツ姿の下に隠されている。だが本作で彼が用いたペルソナはそのどれとも異なるもので、『No More Shall We Part』(2001)以来とも言える、誇張ではなく等身大、シニシズムを脱ぎ捨てた生身なフラジャイルさには心打たれる。メロディを抑えたストイックなプロダクションで、生の重みに黒ずみ疲れた声に焦点を据えたレナード・コーエンの最期のアルバム『Thanks for the Dance』もだぶる。
 その新たなペルソナが切り開いたのはファルセット歌唱だ。ケイヴといえば男性的な低音ヴォーカルで知られるので実に新鮮だし、本作の随所で彼が時にさりげなく、時に引き絞る高音もまた、リーチできない領域や悲しみを越えたところにある高みに手を伸ばそうとする人間の姿とその業を感じさせる。“Hollywood”で彼が響かせる和紙のように薄く透ける痛切な「It’s a long way to find/ peace of mind(心が安らぎを得られるまで/道のりは長い)」のフレーズ、“Bright Horses”の冒頭や“Sun Forest”を始めとするウォーレン・エリスのサイレンを思わせる美しい歌声、そしてコロス的なコーラスはスピリチュアルな祈りとして響く。

 祈りは亡くなった我が子の魂に捧げられているだけではなく、ケイヴ自身を含む「遺された者たち」にも向けられている。本作のエモーショナルなハイライトのひとつ“Ghosteen Speaks”は「I am beside you/Look for me(あなたのそばにいるから/私を見つけて)」「I am within you, you are within me(私はあなたの中に、あなたは私の中にいる)」という歌詞を軸とするシンプルなリフレインから成る曲だ。「ゴースティーンは語る」というタイトルからして亡き子からの呼びかけと解釈するのが妥当だろう。だが聴くほどに、悲嘆のせいで心が虚ろになり遠ざかってしまった妻(母)への慰め/励ましとも、あるいは悲しみの闇の中に取り残された者たちに小さな光をもたらす霊魂(それを「神」と呼ぶ者もいるだろう)のささやきのようにも聞こえる。
 だが悲しみがそうたやすく癒えるものではなく、悲嘆のプロセスは長いことも本作は示唆している。ケイヴは昨年メディアに対し、長年暮らしてきたブライトンには子供の思い出が多過ぎて辛く、家族と共にロサンジェルスに移住したいとの意向を明かしていた。本作に差し込む光の瞬間のひとつである“Galleon Ship”で歌われる船出の思いは、過去を慈しみつつも生き続けるしかない人間の胸のたけだ。しかし最終曲でカリフォルニアにいるナレーターは、陽光とビーチを前に「And I'm just waiting now, for my time to come/for peace to come(そして今はとにかく、自分にその時がやって来るのを待つだけ/心の安らぎが訪れる時を)」のつぶやきを潮風に寂しく散らす。

 独特なサウンドスケープで1枚に完結した世界観を作り上げたこの傑作アルバムは、ケイヴにとってひとつのアーティスティックな達成であると同時に開始地点でもある。今夏予定されているツアーで、彼とバッド・シーズはロンドンではなんと初めてO2アリーナ(キャパ2万)の大舞台を踏む。BBCのヒット・ドラマ『Peaky Blinders』の主題歌に“Red Right Hand”が使用され、これまで以上に広い層の耳に彼の音楽が届いた追い風効果もあっただろう(何せティーンエイジャーもあの曲を知っている)。一貫して劇的でロマンティックな歌詞と歌声で人間の生(性)を赤裸々にポエティックに描き出し、ミック・ハーヴェイやウォーレン・エリスをはじめとする優れたミュージシャンたちとのコラボを絶え間なく重ねつつ音楽性を深め続けてきたケイヴは、アーティスティック/コマーシャルの両面で今こそ最高潮に達しているのだ。
 野性と知性が同居するこの唯一無二のカリスマを育んだ彼に、近年のボビー・ギレスピー、ジャーヴィス・コッカーやアークティック・モンキーズのアレックス・ターナー等が憧れるのも無理はない──ケイヴの妻スージー・ビックは「The Vampire’s Wife」というファッション・ブランドを経営しているが、女は寝たがり、男はそのパワーに惹かれるドラキュラは、ある意味最初のロック・スターだったのだから。「アクセスしやすさ」「親しみやすさ」が人気のキーとされる昨今、ベージュ色でヴァニラ味の無難な普通人がスターになる風潮は強まっている。しかしボウイやジョン・ライドンを生んだ国でこうしてケイヴ熱がまた上昇し、ビリー・アイリッシュのようなアクトがブレイクしている状況にはまた、異端児/マイノリティに対するイギリスの根強い愛情・共感の巻き返しを感じて嬉しくなる。

 本作のデリケートなサウンドをライヴでどう再現するのかは興味深いが、パーソナルを悲劇から始まり普遍へと突き抜けるケイヴの歌は、2万人の観衆をひとつにするはずだ。前述したように、ケイヴが父として経た悲しみは筆者には到底理解できない。しかし“Hollywood”には、死んだ我が子を生き返らせて欲しいと釈迦に訴える母キサー・ゴータミーの物語が挿入されている。キサーに対し釈迦は「死者を出したことのない家からカラシの種を一粒もらい持って来ればあなたの望みをかなえよう」と答え、彼女は何軒もの家を回る。だが家族や親類を亡くしたことのない家などない、探索は無為に終わる。
 死とは人間に不可避な自然のサイクルの一部であることを悟り、彼女はようやく息子の遺体を埋葬し弔うわけだが、ケイヴが個人としてくぐった悲嘆とソウル・サーチングもまた、親を、子を、恋人を、友人を、あるいは愛する対象や信じる何かを失ったことのある者なら誰でも共感できる普遍になり得るだろう──それはもしかしたら、グレンフェル高層住宅火災で、戦地で、デモで、ストリートで命を落とした者とその家族の悲しみ、ブレクジットで民主主義やヨーロッパとの絆を失った者の、溶けて消えた氷や自然を悼む者の思いとシンクロするかもしれない。死せる魂と生きる魂とが共存し語り合い、その見えない繫がりを受け入れ祝福しようとする本作。加速する一方の世界の中でついおざなりになりがちな、トラウマと向き合うことを促してくれる素晴らしい1枚だと思う。

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