「All We Are」と一致するもの

Loraine James - ele-king

 喜びたまえ。出すもの出すものハイクオリティの快進撃をつづけ、昨年の来日公演でもすばらしいライヴを披露してくれたロレイン・ジェイムズが、新たにアルバムを送り出す。『やさしい対決(Gentle Confrontation)』と題されたそれは2年ぶりに〈ハイパーダブ〉からのリリースで、9月22日発売。サプライズもある。日本のマスロックからの影響をたびたび口にし、「とくに好きなのは Toe と mouse on the keys」と語っていたジェイムズだが、新作のCD盤にはなんと、その mouse on the keys をフィーチャーした曲がボーナストラックとして収録される。どんなコラボが実現されているのか楽しみだ。公開中の新曲 “2003” を聴きながら夢を膨らませておこう。

Loraine James

エレクトロニック・ポップ・ミュージックの新たな地平を開く、最高傑作が誕生!
ロレイン・ジェイムスが最新アルバム『Gentle Confrontation』をコード9率いる〈Hyperdub〉より9月22日にリリース!
新曲「2003」がMVと共に公開!

ジャズ、エレクトロニカ、UKベース・ミュージック、アンビエントなど、様々な音楽性を内包したクロス・オーバーな作風で人気を博す北ロンドンの異能、ロレイン・ジェイムス。昨年行われた初の来日ツアーが完売となり、ここ日本でも大きな注目を集める彼女がコード9率いるUK名門〈Hyperdub〉から3枚目となる最新アルバム『Gentle Confrontation』を9月22日にリリースすることを発表、アルバムからの先行解禁曲「2003」がMVと共に現在公開されている。

Loraine James - 2003
https://youtu.be/6gikGLeq6mc

Director & Editor - IVOR Alice
Art Direction & Set Design - Dalini Sagadeva
Lead Assistant (Camera, Lighting, & Set Design) - Charlie Buckley Benjamin
Clothing courtesy of Nicholas Daley

本作は、彼女の過去と現在をつなぎ、彼女自身にとっての新しい章を開く作品だ。この作品は彼女が10代の頃に好きだったドゥンテル(DNTEL)、ルジン(Lusine)、テレフォン・テル・アヴィヴ(Telefon Tel Aviv)のようなマス・ロックやエモーショナルなエレクトロニック・ミュージックを聴きながら制作が行われ、気だるさや楽しさ、様々なフィーリングを感じさせる仕上がりとなっている。シカゴ出身の新鋭シンガーKeiyaA、ニュージャージーのバンドVasudevaでギタリストとして活躍するCorey Mastrangelo、名門〈PAN〉からのリリースで注目を集めたピアニスト/SSWのMarina Herlop、ヴィーガン率いる〈Plz Make It Ruins〉から昨年リリースした作品が注目を集めたロンドンのGeorge Riley他、これまで以上に多くのゲストを起用している。『Gentle Confrontation』は、人間関係(特に家族関係)、理解、そして少しの優しさと気遣いをテーマにしており、水のような柔らかい質感のアンビエンスが漂う中で、ポリリズムやASMRなビートが広げられたエレクトロニック・ポップ・ミュージックの新たな地平を開く、彼女にとっての最高傑作が完成している。マスタリングはテレフォン・テル・アビブのメンバー、ジョシュア・ユースティス(Joshua Eustis)が手がけ、シャバカやキング・クルールを手がけるディリップ・ハリス(Dilip Harris)がミックスを担当した。

待望の最新作『Gentle Confrontation』は9月22日にCD、LP、デジタルと各種フォーマットで発売! CDには、LPに収録されないボーナス・トラック「Scepticism with Joy ft. Mouse on the Keys」が収録される。また、国内流通仕様盤CDには解説が封入される。

label: Hyperdub
artist: Loraine James
title: Gentle Confrontation
release: 2023.05.26

BEATINK.COM: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13437

Tracklist
01. Gentle Confrontation
02. 2003 02:39
03. Let U Go ft. keiyaA
04. Deja Vu ft. RiTchie
05. Prelude of Tired of Me
06. Glitch The System (Glitch Bitch 2)
07. I DM U
08. One Way Ticket To The Midwest (Emo) ft. Corey Mastrangelo
09. Cards With The Grandparents
10. While They Were Singing ft. Marina Herlop
11. Try For Me ft. Eden Samara
12. Tired Of Me
13. Speechless ft. George Riley
14. Disjointed (Feeling Like A Kid Again)
15. I'm Trying To Love Myself
16. Saying Goodbye ft. Contour
17. Scepticism with Joy ft. Mouse on the Keys

interview with Kid Koala - ele-king

 90年代末から2000年代前半にかけて、ターンテーブリストと呼ばれ始めた人たちに惹かれていた。特に魅了されたのは、D・スタイルズ、ロブ・スウィフト、ミスター・ディブス、リッキー・ラッカー、そしてキッド・コアラだった。ヒップホップのコラージュ・アートとジャズのインプロヴィゼーションの未来がそこにあるように感じたからだ。しかし、それは勝手な解釈の投影だとも思っていた。ターンテーブリズムがどこに向かうのかは一向にわからなかった。ただ、彼らがやっていることに魅了されたのは事実だった。
 あれから20年以上が経過したいまも、どこに至るかわからないターンテーブリズムの未来にキッド・コアラは関わり続けているように思える。シンガーソングライターのエミリアナ・トリーニやトリクシー・ウィートリーと作った、「アンビエント」とラベリングされた『Music to Draw To』シリーズでは、シンセサイザーやキーボード、ギター、ベースを自ら演奏し、歌詞も書いた。ターンテーブルはあまり使っていない。それでも、繊細なサウンドを形成するディテイルには、ターンテーブリストとしての彼が確かに存在していた。
 〈Ninja Tune〉からリリースされた初期のアルバムである『Some Of My Best Friends Are DJs』や『Nufonia Must Fall』は、キッド・コアラが描いたコミック/グラフィック・ノヴェルと共にあった。そして、いまもそこに描かれた孤独で奇妙な世界の住人であり続けているようだ。2010年代以降は、ヴィデオ・ゲームやアニメーション、インタラクティヴなライヴ・ショーなどのプロジェクトに積極的に関わってきたが、それらにありがちな派手なスペクタクルとは無縁だった。都会の喧噪の中で自分の声を見つけようと奮闘するエンターテイナーを演じていたと言うべきだろう。
 『Creatures Of The Late Afternoon』は、キッド・コアラのターンテーブルが音楽の中心に戻ってきたアルバムだ。自分が演奏した音源をレコードでカットし、スクラッチをして再構築するプロセスを経てでき上がった。とても手が込んでいるが、慣れ親しんだ手法で作られていて、ビートとスクラッチの世界にいまも自分が存在することを彼一流のユーモアを持って証している。このリリースを機に、これまでの活動についても振り返って話をしてもらった。

コールドカット、デ・ラ・ソウル、パブリック・エネミー、その3枚のアルバムは、僕がスクラッチを始めるにあたって最もインスピレーションを得た作品だと思う。

ターンテーブル・オーケストラなるものの情報をあなたのサイトで見ました。とても興味深く感じましたが、まずはこのプロジェクトの詳細から訊かせてください。

KK:これは、僕がやっている「Music to Draw to」というアンビエント・レコードのシリーズを中心にデザインしたインタラクティヴなショーなんだ。最初の作品は「Satellite」なんだけど、あの作品を使って、観客が退屈しないようなアンビエント・コンサートができないかと考えていたんだよ。そして、観客にハーモニーやクレッシェンド、ダイナミクスを作り出してもらうショーができたら面白いんじゃないかと思った。僕がオーケストラを指揮し、観客は皆、それぞれ自分のターンテーブルに座っている。で、ワイヤレスで異なるステーションを異なる色で照らすことができるという仕組みなんだ。皆異なる音符を持つレコードのセットを持っていて、ステッカーで色分けがされている。だから、例えば、ある曲では自分のターンテーブルがリードをとり、紫のレコードを見つけてそれを取り付け、実際に最後のコーラスで音をならしたりするんだよ。50台のターンテーブルで音を奏でるってすごくクレイジーなことだと思うかもしれないけど、実は、ものすごく素敵な音色が生まれるんだ。

すごいですね。ひとりでそのアイディアを思いついたんですか?

KK:そう。これは僕のアイディア。どうにか観客にレコードで遊ぶ機会を与えることができないかとずっと考えていたんだよね。観客がコンサートの一部になるようなショーをやりたいとずっと思っていたんだ。

〈Ninja Tune〉からデビューした当時から、あなたは他のターンテーブリストとは明らかに異なる音楽を作っていました。ターンテーブリストというより、ターンテーブルを使って自由なアートを作っているという印象でした。当時のことを少し思い出してもらえますか。あの頃、あなたが表現において大切にしていたことは何だったのでしょうか?

KK:何がきっかけで僕が楽器に惹かれるようになったかというと、実は、クラシック・ピアノだった。4歳のときにピアノを弾き始めて、それが僕にとっての初めての楽器だったんだ。そして、小学校の中学年くらいでクラリネットや木管楽器を始めた。そして、12歳のときにターンテーブルと出会い、その “楽器” に心を奪われたんだ。想像力豊かな、カメレオンのような楽器に思えて。当時もいまも、ターンテーブルの魅力、そして可能性は、ヘヴィーでコアなファンキートラックを作って皆を踊らせることができると同時に、すごく繊細で、サウンドデザイン的な使い方や細かいテクスチャーを作ることができること。だから、映画のスコアやゲームのスコア、ターンテーブル・オーケストラのようなライヴ・イヴェントもそうだし、ターンテブルを色々な新しい場所に持っていけるかどうか試したいと思った。ターンテーブルで何ができるか、様々な角度や方法を学び、異なるアプローチをしてみたいってね。可能性というアイディアを提供してくれるターンテーブルというアイテムは、昔もいまも変わらず大好きな存在なんだ。

〈Ninja Tune〉からデビューした当時、いまと比べて特に大切にしていたことはありますか?

KK:〈Ninja Tune〉からデビューした頃は、コールドカットの『What’s That Noise?』に大きくインスパイアされていた。デ・ラ・ソウルの『3 Feet High and Rising』やパブリック・エネミーの『It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back』にもかなり影響を受けたし、その3枚のアルバムは、僕がスクラッチを始めるにあたって最もインスピレーションを得た作品だと思う。当時の僕は、短期間でその3つのレコードに出会い、世界を違う角度から見たり聞いたりするようになったんだ。だからデビューしたときは、彼らのレコードのように、新しいサウンドと昔のサウンドを両方見せることが重要だった。そういうわけで、『Carpal Tunnel Syndrome』なんかはかなり実験的な作品になっているんだよ。あのレコードで僕がやってみたかったのは、作品を完全にターンテーブルで作るという制限を設けながら、ブルースやジャズ、コメディや語りの要素まで全て取り込んで、一体何が起こるかを見てみることだったんだ」

パンデミックの最中に、僕はいろんな楽器を演奏する生き物の絵を描いていた。彼らに声を与えようとしてでき上がったのが今回のレコードのサウンドだったんだ。自分のマペット・ショーみたいな、そんな感じのイメージだね。

いまコールドカットの名前も出ましたが、音楽面において、あなたにとって師というべき存在を教えてください。具体的にどのような影響を受けたかも教えてください。

KK:たくさんいすぎて回答に困るけど、僕が日常生活でいちばん聴いていたミュージシャンは誰かと聞かれたら、それは確実にビリー・ホリデイだと思う。ルイ・アームストロングやエラ・フィッツジェラルド、セロニアス・モンクもそうだけど、僕はジャズ・アーティストに関心を持っているから。彼らの音楽からは、彼らの物語を感じることができる。それが例え彼らによって作曲されていない曲でも、彼らは自分なりのヴァージョンを生み出すことができていると思うんだよね。そして、年齢を重ねるほどそれを明確に表現できるようになっている。それってすごくカッコイイと思うんだ。ルイ・アームストロングのソロやセロニアス・モンクのコンサートを聴くと、たった一小節の中にたくさんの表現があって、それを聴いただけで彼らだとわかる。ターンテーブルを使って作る音楽でも、僕はそういう面で彼らから影響を受けているんだ。僕はまだ、彼らの域には達していないけどね。

ビリー・ホリデイからはどのような影響を受けていますか?

KK:彼女の素晴らしいところは、ときどきわざと狭い音域を選んで歌うところ。僕の場合、何オクターヴも使ってしまいがちなんだけど、彼女の場合、少しのオクターヴだったり4音符くらいの音域だったりで全てのフィーリングを表現することができる。それは、僕にとっていまだに魔法のように感じられるんだ。

映画音楽やアートなど多方面で活動していくヴィジョンは、デビュー当時から持っていたのでしょうか? そうしたヴィジョンは、どのように自分の中で芽生えていったのでしょうか?

KK:そのヴィジョンは、子どもの頃から持っていたと思う。子どもの頃、僕がいちばん最初に聴いたレコードは7インチの本のレコードだった。本の中に挿絵が描かれていて、針を落とすと音楽が聴こえる。その本のサウンドトラックや効果音、声優の声が聴こえてきて、その物語やストーリーに、まるで逃避行のようにより没頭できるんだ。それが僕の初めてのレコード体験だったから、僕の脳内では、音楽と視覚がつながっているんだと思う。絵を描けば、そのための音楽がつねに聴こえてくるんだ。
 今回の新しいレコードを制作しているとき、パンデミックの最中に、僕はいろんな楽器を演奏する生き物の絵を描いていたんだ。カマキリがSP-1200を演奏していたり、エビがクラヴィネットを演奏していたり。僕は生き物も楽器も両方好きだから、好きな物がぶつかり合っているような絵を描き始めたんだけど、描いているうちに、それが単なる空想だけではなくなってきて、「このキャラクターはこういう性格なんだ」と思えるようになってきた。そして、彼らに声を与えようとしてでき上がったのが今回のレコードのサウンドだったんだ。自分のマペット・ショーみたいな、そんな感じのイメージだね。昔からもっていたそのヴィジョンをさらに大きくしたのがターンテーブルだと思う。ターンテーブルはカメレオンのように適応力のある楽器で、サウンド的にも様々な使い方ができるから。僕は30年間ターンテーブル・レコードを作り続けているけど、活動をしていく中でもっと探求するようになったのは、感情的な側面なんだ。音を作るだけではなく、感情的な重みを持ったものを作ることができるか、ターンテーブルでセンチメンタルなバラードを作れるか、それをもっと考えるようになった。ファンキーなものやハード・ロックなものが作れるのはわかっているけど、ブルースっぽかったり、ビーチ・ボーイズみたいなサウンドを作ることはできるんだろうか?というのを段々と意識するようになったと思う。

映画音楽やアートなど、さまざま分野にチャレンジする理由は何でしょう?

KK:もしも、「残りの人生の食事は一生同じものを食べないといけないよ」と言われたらどう思う? それか、残りの人生、ひとつのスタイルの音楽しか聴けないとか、ひとつのスタイルの音楽しか演奏できないとか。そういう状況に自分を置いてしまったら、学習というのはストップしてしまうと思う。僕にとっては、学ぶということは自分の全てであり、核となるものなんだ。僕は、新しいことに挑戦したり、新しいことを探求しているときに最も生き生きした気分になれる。それが、僕にとっての一番の原動力なんだよ。だから、僕はつねに自分が行ける場所がもっと存在していると思っているし、それを発見すべきだ、それを創造すべきだと思っている。その思いが、僕をいろいろな分野に導いているんじゃないかな。例えば、子どもにとって、自転車の乗り方を習得しようとしている瞬間って、きっと人生で最もエキサイティングな瞬間に感じられると思うんだよね。その感覚って、一度覚えたら忘れられない。僕にとって音楽は、終わりのない旅のようなものなんだ。たくさんの楽器や演奏スタイルが存在しているし、その全てを知るには、一生かかっても足りないと思ってる。

この10〜15年くらいのあなたの活動は、特に幅広く、多岐に渡っているように思います。それだけに、レコーディング作品を追っているだけの音楽ファンには知らないことがありそうです。この間で、あなたにとって特に印象深いプロジェクト、作品をいくつか紹介してください。

KK:最近だと、映像音楽の仕事が多いかな。例えば、Nintendo Switchで出た『Floor Kids』っていうヴィデオ・ゲームのプロジェクトに参加したんだ。子どもの頃から任天堂は大好きだったから、スイッチの発売と同時にそのプロジェクトに参加できるのはすごく光栄だった。子ども向けの、ブレイクダンスのフリースタイルのヴィデオ・ゲームで、僕はそのゲームの音楽と効果音を全て担当したんだ。アニメーションを担当したのは友人のジョン・ジョン。彼の画風はすごくかわいいんだけど、彼はBボーイでもあるから、キャラクターのダンスの動きはどの動きも全て本物のブレイクダンスの動きなんだ。2Dの手描きでブレイクダンス・バトルのゲームを作ることができるのは、彼以外いないんじゃないかと思う。だから、彼と一緒に仕事ができたのは本当に素晴らしい経験だったね。

 あとは、ライヴ・ショーのプロジェクトで、まるでライヴ映像のようなショーのプロジェクトに取り組んでいるんだ。東京と大阪でも、いくつかのシアターで新しい映像のショーをやったんだよ。演劇みたいなんだけどステージにはスクリーンと20のミニチュアセットがあって、70のマペットと弦楽四十奏団がいて、僕がピアノを弾き、ターンテーブルを操り、それを8つのカメラで撮影している。そうやって、オーディエンスの目の前でライヴ動画を作るっていう内容。あのツアーはめちゃくちゃ楽しいんだ。そのスタイルでおこなう、『Storyville Mosquito』っていう新しいショーにも取り組んでいるんだけど、そのショーでは、実は今回のニュー・アルバムもサウンドトラックの一部になっている。でもそれは、少なくとも2、3年は初演が公開されることはないかな。いまは、とにかくアルバムのリリースをエンジョイしているところ。

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Nintendo Switchで出た『Floor Kids』っていうヴィデオ・ゲームのプロジェクトに参加したんだ。子ども向けのブレイクダンスのフリースタイルのゲームで、僕はそのゲームの音楽と効果音を全て担当したんだ。

『Nufonia Must Fall』のペーパーバックをいまも大切に持っています。あのイラストレーション、物語、世界観というのは、その後のあなたの様々な作品の根底に流れているもののように感じますが、いかがでしょうか?

KK:そうだね。ストーリーテリングという考え方が、僕の作品作りの原動力になっていると思う。実際、ニュー・アルバムを作っているときも、頭の中でストーリーは描かれていたんだ。そのストーリーにどんな曲が必要なのかを考えることは、曲作りのときにとても役に立った。このショーやストーリーを実現するためには、どんなタイプの曲が必要なのかってね。だから、『Creatures of the late Afternoon』はまるでアクション映画のような仕上がりになっているんだ。制作中にそれが見えてきたから、第3幕の最後には大きな対決バトルが必要だと思ったし、イントロ・トラックがいるな、とか、クリーチャーたちがバンドとして皆で集まって自然史博物館を救うトラックを作ろう、なんて考えるようになった。バイクの追いかけあいのシーンとかもね。物語という観点は、新作でも基本になっているんだよ。

その新作アルバム『Creatures Of The Late Afternoon』のコンセプトについてもう少し詳しく教えてください。「ボードゲーム機能付きのアルバム」とありますね。

KK:アルバムは、ダブルパックみたいな感じになっていて、ボードゲームがついてくるんだ。さっきも話したけど、パンデミックの間、僕は全てのクリーチャーのキャストを作っていた。ゲームに登場するクリーチャーのキャストたちは、全員楽器を演奏するクリーチャーで、プレイヤーはゲームの中を回ってカードを集め、様々なクリーチャーと出会い、バンドを結成して、いろいろなスタイルを作り上げる。ラヴ・ソングから、アクション・ビートのソングまでね。コンセプトは、絶滅危惧種に指定されている生き物のグループがいて、彼らが自分たちの生息地と自然史博物館を守るために団結するんだ。でも、テクノロジー系で頭の固い大手の会社が現れ、音楽をひとつのスタイルだけにすることを強要し始める。そこで、多様な音楽スタイルのクリーチャーたちがバンドを結成しひとつとなり、異なるスタイルが存在することを祝福する。そしてある意味、音楽におけるアルゴリズムというアイディアをからかっているんだ。人気だからといって、全ての人が突然それだけを聴くようになり、それが全てだと思い込んでしまう考え方をね。

音楽的には、ストレートなビートやスクラッチが聴けるアルバムに仕上がっています。これにはどのような意図があるのでしょうか?

KK:たしかにそうだね。『Nufonia Must Fall』では、音楽はもっとチャップリン風だったと思うんだ。だから、ピアノとストリングスがすごくロマンティックなサウンドを作っていたりする。でも今回のアルバムのイメージは、もっとアクション映画のようなスタイルの作品だった。だから、アルバム全体を通して、ヘヴィーなドライヴ感や推進力のあるグルーヴが必要だったんだ。例えば、“High, Lows & Highways” のような曲は、さっき話した数年後に公開されるショーのバイクのチェイス・シーンに必要なトラックだった。ドラムが多めになっているこのトラックは、その瞬間に最適なグルーヴを与えてくれる曲。そういうトラックが、この作品のストーリーを表現するのに役立ってくれると思ったんだよ。

(新作の)コンセプトは、絶滅危惧種に指定されている生き物のグループがいて、彼らが自分たちの生息地と自然史博物館を守るために団結するんだ。でも、テクノロジー系で頭の固い大手の会社が現れ、音楽をひとつのスタイルだけにすることを強要し始める。

Lealaniをはじめ、フィーチャーしたゲストについて詳しく教えてください。

KK:シンガーであり、ソングライターであり、プロデューサーでもあるLealaniは本当に素晴らしい。彼女は、自分のガール・パンク・バンドも持っているんだ。Lealaniはギターとキーボードも演奏できるし、ドラムパッドも演奏できるし、歌えるし、信じられないくらいの才能を持っている。彼女の声を聴いたときに、「この人ならら大丈夫だ」と思った。“Things Are Gonna Change” を書いたとき、歌詞はできていて、ライオット・ガールのような声を持つ人を探していたんだけど、彼女の声ならピッタリだと思ってさ。僕の友人があるプロジェクトで彼女と一緒に仕事があったから繋いでもらって、僕から連絡をとったんだ。「いまこのトラックを作っているんだけど、君ならこのトラックで素晴らしいサウンドを奏でられると思うんだ。どう思う?」と聞いたら、嬉しいことに彼女は僕のLAでの『Nufonia Must Fall』のショーを見たことがあって僕の作品を知ってくれていて、それが楽しかったらしく、オーケーしてくれた。それでコラボが実現したんだ。彼女は本当に素晴らしいと思う。
 それから、“When U Say Love” という曲でヴォーカルを担当しているのは、実は僕の妻(笑)。いま同じ部屋にいて、「言わないで!」ってジェスチャーをしてるけど(笑)、どうせバレるから言っちゃおう(笑)。楽器に関しては、今回は、パンデミックでスタジオに人がいなかったから、ドラム、ベース、キーボード、サックス、ヴィブラフォン、クラヴィネットなどアルバムに収録されている全ての楽器を僕が演奏しないといけなかったんだ。

『Music to Draw To: Satellite』や『Music to Draw To: Io』のようなシンガーとのコレボレーション作品は、あなたにどんなことをもたらしましたか?

KK:『Satellite』のとき、初めて歌詞を書いたんだ。ニュー・アルバムでも全曲の歌詞を書いたけど、初めて書いたのは『Satellite』。エミリアナ(Emilíana)はアイスランド出身のシンガーで、僕は彼女のファンだったから、曲がほとんどでき上がっていた状態のときにモントリオールに招待したんだ。で、5日間しか時間がなかったんだけど、彼女は時間をかけて歌詞を書くタイプのアーティストだったから、僕自身が歌詞を書かないといけなくなってしまって。書いた歌詞を見せたら、「すごく美しいと思う。ぜひ歌ってみたい」と言ってくれて、うまくいったんだ。大好きなシンガーに僕が書いた歌詞を理解してもらえたなんて、本当に嬉しかったね。『Io』のときも同じ。トリクシー・ウィートリーが僕に歌詞を書いて欲しいと言ってきたから、また歌詞を書くことになった。そして、彼女がヴォーカルのメロディを考えて、見事にそれを表現してくれたんだ。シンガーたちとコラボしたことで、またビリー・ホリデイの話に戻るけど、彼女たちの音楽のように、正しいことを正しい言葉で表現することができたと思う。自分の声を美しくコントロールできる人がいるような感覚だったね。彼女たちの声は、まるで自分から発せられた声のような心地よさがあったんだ。

音楽家としてレコーディング作品をリリースすることは、あなたの中で、どの程度のプライオリティを置いているのでしょうか? いまもレコーディング作品を残すことは活動のメインになりますか?

KK:レコードを作りたいのは、まず、自分自身がそれを聴きたいから。そしてその次に、それを演奏してある方法で見せたい、あるいは、一緒に仕事をしたい人たちとコラボレーションしたい、という気持ちが出てくる。音楽は、いつも扉を開き、橋渡しをして、僕と人びとを繋いでくれる存在なんだ。僕にとっては、全ての音楽制作がつながっているんだよね。全て同じスピリットでやってる。僕にとっての活動の違いは、わかりやすく言うと、季節の違いに近いと思う。初夏のような気持ちのいい時期はドライヴに行くときの音楽が作りたくなったり、パーティー・ミュージックを作りたくなる。で、雪が降り始めると、ピアノ音楽でメランコリーなコードを弾くようになったり。カナダの冬は長いからね。そのときの気分に合わせて音楽を作っていく感じ。僕が住んでいる街のエネルギーや天気にも左右されるし。

ターンテーブルは、あなたにとって音楽的な楽器でしょうか? あるいは慣れ親しんできた道具でしょうか? どういう存在なのでしょう?

KK:その両方だと思う。気分を表現できる楽器でもあり、その音を作るのに役立つツールでもあるから。僕は、人と出会ったりオーディエンスとつながるためにターンテーブルを使い演奏することに多くの時間を費やしてきた。だから、ある意味ターンテーブルは僕のDNAの一部になっているんだ。スクラッチを始めると、全てが溶けていくような感じ。禅の世界に入り込むとでも言うかな(笑)。スクラッチしていると、心が安らぐんだよね。すっと一緒に時間を過ごしてきたからなのか、ターンテーブルと一緒にいると、家にいるような感覚になるんだ。


新作に参加したシンガーのLealaniと

スクラッチしていると、心が安らぐんだよね。すっと一緒に時間を過ごしてきたからなのか、ターンテーブルと一緒にいると、家にいるような感覚になるんだ。

現在のターンテーブリストたちの活動に関心はありますか?

KK:最近、ブラジルで日本のDJ KOCOを見たんだ。僕とLealaniでブラジルでショーをやってたんだけど、プロモーターが、その日の夜にDJ KOCOがクラブでプレイしていると教えてくれて、彼を見にいったんだんだよ。彼がやっていたことはかなりすごかった。まるでヒップホップを使って素晴らしい冒険を繰り広げているかのような感じだった。地元のオーディエンスのためにブラジルの音楽もたくさんプレイしていたし、彼のプレイはすごく楽しかったし、本当に素晴らしかったね。

あなたにとって、インスパイアされる音楽というのはどのような音楽でしょうか? また、あなたが最近よく聴いている音楽を教えてください。

KK:D・スタイルズはかっこいいと思う。彼の545っていうプロジェクトがあるんだけど、そのプロジェクトではマイク・ブーやエクセス、Pryvet PeepshoといったDJが集まるんだけど、5日間かけて一枚のアルバムを作るんだ。僕が好きなのは、本当に才能のあるプレイヤーが集まって、リアルアイムでライヴのように演奏して何かを作り上げるってジャズっぽくてすごくいいと思う。だから、僕はこのスタイルのグルーヴが大好きなんだ。スクラッチのフェロニアス・モンクみたいな存在。たった数日間しかないという制約の中で何か一貫性のあるものを考え出すというのは、本当に深いと思うね。
 ポップの世界でいうと、ベンジー・ヒューズっていうシンガーがいる。彼は本当に素晴らしくて、僕はジョン・レノンに近いものがあると思っているんだ。曲にヴァラエティがあるんだよね。風変わりで面白いことをやっていると思う。そしてもちろんLealaniの音楽もよく聴いてる。彼女のパンク・プロジェクトもすごく気に入っているんだ。あと、Walliceっていうシンガーの音楽は聴いたことある? LA出身で、多分日本とアメリカのハーフなんじゃないかな。最近発見したんだけど、彼女の音楽もエンジョイしてる。あと、ラプソディーは好きでいまだに聴いてるね。2年前のアルバム『Eve』はまだ聴いてる。あの作品は、時代を超越した素晴らしい作品だと思う。

現在取り組んでいるプロジェクトや今後の予定を教えてください。

KK:いまは、長編アニメのプロジェクトに取り組んでいるんだ。長編アニメの監督をするのは初めて。原作は『Space Cadet』で、僕の2作目のグラフィック・ノヴェルなんだ。昼間の時間はほとんどそのプロジェクトに使ってる。あと、Lealaniと一緒にショーもやっているんだけど、それもすごく楽しい。2人組の新しいバンドのような感覚でライヴをしてるんだ。

創造の生命体 - ele-king

 KLEPTOMANIAC(クレプトマニアック、以下KPTM)というアーティストをご存知だろうか?
 2000年代に、前衛ヒップホップ集団兼レーベル〈BLACK SMOKER RECORDS〉の主要アーティストの一人として、ペイティング、ビートメイキング、グラフィック・デザインなどを手がけ、ヴィジュアル・アートと音楽の表現者として、精力的な活動を行っていた。また、2006年の時点でその類い稀な求心力とDIY精神を発揮して女性アーティスト集団〈WAG.〉を立ち上げ、男の方が多いクラブ・ミュージック/ストリート・カルチャーのシーンでコンピレーション『LA NINA』を制作、画集を出版、音楽イベントや展覧会を主催するなどして奮闘していた。
 では、ベンゾジアゼピン(以下BZD)という薬のことはご存知だろうか?
向精神薬の一種で、一般に広く処方されている抗不安薬、鎮静剤、睡眠薬に含まれている。日本では約700万人が服用しているという2018年のデータもある。現在も非常に多くの人びとがこの薬の処方を受けて服用し続けている一方で、近年になってその副作用や依存性の高さ、急な減薬や断薬によって引き起こされる離脱症状が、深刻な薬害問題として世界的に注目を集め始めている。昨年の11月に、Netflixで『テイク・ユア・ピル:トランキライザーに潜む闇』という、この問題に踏み込んだドキュメンタリーが公開された。
 これから開始するこの連載は、KPTMとBZDとアートのはなしだ。KPTMという一人の人間、アーティストの、深く、奇妙で恐ろしい、薬との壮絶な闘い、そしてアートを通して自分を取り戻した体験を記録する試みである。



『365+1 DAYS GNOMON』より:2021年6月19日の絵日記

闇に光を当てたい

 筆者は、元気いっぱいに東京でずっと活動していた頃のKPTMを知っている。当時も交流があったし、2009年に私がベルリンに引っ越すことに決めてから、彼女が〈WAG.〉メンバーと東高円寺〈Grassroots〉でレギュラー開催していた「WAG. in G」というイベントに私の送別会を兼ねてゲストDJとして呼んでくれた。芯の通った、カッコいい、まさに「ドープ」という形容詞が相応しい女性アーティストだった。その時のKPTMの姿が、私の知っているKPTMだったし、私の中の彼女のイメージはその時からずっと更新されないまま長い月日が経った。
 私が東京を離れてから数年後、KPTMも東京を離れて地元の広島に戻ったこと、体調が悪いということ、その理由が不明であることは伝え聞いていた。私が最近になって知ったのは、まだ長期服用による依存性の恐ろしさが周知されていない2000年代後半から、KPTMはBZDを服用していたということ、そしてその体調不良というのはこの薬からの離脱症状だったということだ。
 2010年代になってから原因不明の体調不要に悩まされ続けた彼女は、遂にはアーティスト活動が続けられない状態となっていた。その後、約9年間という気の遠くなるような年月にわたって人知れず減・断薬に挑み、筆舌に尽くしがたい離脱症状と闘いながら絵や音楽と向き合い、遂には完全な断薬に成功していたのだった。
 その彼女がリハビリのために描き溜めた絵日記を、〈BLACK SMOKER RECORDS〉が自主制作本『365+1 DAYS GNOMON』として出版した。2022年12月の〈BLACK GALLERY〉という毎年恒例の展覧会で、365+1枚すべての絵を展示するから、KPTMとトークをして欲しいという連絡が(レーベル・マネージャーの)JUBE君からきた時、私はまだその意味を全く理解していなかった。10年以上ぶりにKPTMと話せるなら、と、とりあえずその依頼は受けることにした。

 私は私で、ここ数年、特にパンデミック中に致命的に悪化した、わりと深刻な腰椎椎間板ヘルニアによる強烈な坐骨神経痛に悩まされ、それまで丈夫だった自分の、初めての「ヘルス・クライシス」を経験していた。一度手術を受けるも再発するなどして、自分の体が全く思い通りにならず、座る、仰向けに寝る、といった当たり前の動きや体勢ですらままならなくなり、震えるような激痛の中で正気を保つのに苦労したり、リハビリ施設に3週間入院したり、再発後は自力で克服する方法を模索しながらあらゆる治療法を試してみたりしていた。もしも私自身がこのような体験をしていなかったら、KPTMの話にもそこまで共感できなかったかもしれない。でも、2022年12月10日にZoom越しに聞いたKPTMの体験談に、私は衝撃を受けると共に、彼女の生命力と強い想いに、とても心を動かされた。

 その彼女の想いとは、「闇に光を当てたい」というものだった。

魂の声を聞こえなくする薬

 彼女自身が、自分の不調がBZDによって引き起こされていると確信するまでに長い時間がかかったように、この薬の長期服用、乱用による副作用についての情報がまだ決定的に不足しており、患者本人や担当医でも分からないことが多い。実際は薬の離脱症状に苦しめられていながら、情報が限られているためにどうすればいいのかわからない人、自覚がないまま間違った診断や治療や投薬をしている人、周囲の理解や協力が得られない人、酷いケースでは自死に至る人の数は潜在的にかなりの数に登ると推測される。

 特にKPTMが懸念しているのは、彼女が身を置いてきたヒップホップやスケートボードといったストリート・カルチャーに携わる人たちの間でも、入手しやすいベンゾジアゼピン系の薬をレクリエーション目的で使用する遊びが流行っていることだ。また、ストレスや不安、不眠といった症状を訴える人は増加する一方で、非常に広範囲に処方もされているのに対し、極めて身体的依存性が高いこと、また断薬が非常に困難であることは周知されていない。KPTMは、離脱症状サバイバーの一人として、アーティストとして、自らの体験を知ってもらうことで同じような思いをする人が一人でも減って欲しいと、リハビリ絵日記『365+1 DAYS GNOMON』を発表するに至ったのだった。これは、表現者としての彼女が抱いた使命感だとも言える。
 「BZDは魂の声を聞こえなくする薬」だと、KPTMは言う。アートと音楽を、”魂の声”を表現する手段として携わってきた彼女から、BZDは生命力、生きる意思、自己を表現する術、そのすべてを奪い去ろうとした。
 思えばKPTMは、爆発的な生命力と創造意欲を持った人だった。「生命力は、ありまくりだったと思います。バックパックでインドを旅したりとか、あらゆるところに精力的に出向いていって、何でも自分からやるみたいなタイプでしたね。フリーダムが好きな人間。昔から “魂の憤り”を感じていて(笑)。学校に対してだとか、親に対してだとか。『え? なんでダメなの?』って合点がいかないことが社会に対して多すぎて。魂の自由を奪うものに対して、ずっと中指立てて生きてきた、って感じですね(笑)。だから、 “閉塞感”というものが嫌いなのに、BZDのせいで何年も牢獄に閉じ込められていたようでした。ほんの短い距離ですら移動することもできなかったので」
 “魂の憤り”を、絵を描いたり音楽を作ることのエネルギーに変換してきたのが、KPTMというアーティストであり、彼女の多くの活動の原動力となっていた。「 “男社会”に対してもそうで。もう普通に、(男性の)人数が多いだけじゃん、としか思えなかった。私には。男が牛耳って、男が偉そうにしているけど、『それは(シーンにいる)女の人数が少ないだけで、女にできないわけじゃないからね! 女の人数が増えれば、全然女だけでもやれるし!』という思いがずっとありました。なんか、男社会に入らせてください、みたいな態度がすごく気持ち悪い。自立しておきたいだけなんですよ。それぞれの個性のまま、堂々と生きられるようにしたい。今はその頃と比べると女性も活動しやすくなったけど、WAG.はそういう気持ちで始めました。結局まだお金も産み出せてないし、まだやり切れていないんですけど。」


LA NINA (PV)

頑張るのを止めたら、それ以外は闇

 そんな彼女が、一時は「自我の99%をなくす」状態になり、自分は何者なのか、絵を描くどころか色鉛筆で色を塗る方法や、水道の蛇口の捻り方すら分からなくなったという。今こうして、かつてのように笑い合いながら会話ができていることが奇跡のように思えるし、画面越しの彼女の姿は驚くほど変わっていないように見えた。しかし、外観からはすっかり良くなったように見えていても、完全に断薬して以降も離脱症状は続いており、それが完全に消える日が来るのかどうか、またそれまでにどれほどの月日を要するのかは、誰にもわからない。彼女の戦いは終わっていないし、終わりは見えていないのだ。
 いまも強烈な神経痛や痙攣は止まらない。「『365+1 DAYS GNOMON』が出てからは、起きた瞬間に痛みは襲ってきますが、『おっしゃーこれをパワーに変えてやるぞ!』って、痛みを前進するエネルギーに変えるんだ、って自分に言い聞かせてます。どうせ、痛いから。マジでどこ行ってもどうせ痛いんですよ。こうしたらマシになる、っていうのがない。四六時中なんです。人に言葉で伝えても理解してもらえないので、1分間くらいいろんな人に体験してみて欲しいですよ。ホントにこの(体の)中マジでヤバいから!って(笑)。自分では、ムカデが体の中をニョロニョロしているような感覚があるんですけど、本当に伝わらなくて。外には見えないんですよね……私はこんなんなのに! ずっと人と会えない時期があって、会えるようになったら外からはけっこう普通に見えているってことに逆にビックリしましたね。中では妖怪級のものすごいことが起こってるんですけど!」


『365+1 DAYS GNOMON』より:2021年6月7日の絵日記

 それでも、KPTMは戻ってきた。絵を描き、本を出し、展示をやり、ミックスCDを出し、イベントをやってDJをするところまで来た。長〜い道のりを経て、地獄を越えて、出口のなかった創造力をアウトプットし、生命力をスパークし始めた。
 「痛いのは神経。特に古傷のところがギューッと痛むんですけど、どうせ痛みがあるなら、あるなりにやるしかないと思って。何かに集中できている時は、その間少しだけ痛みを忘れられることがありますけど、今も神経がめっちゃ震えてるんですよ。フッと力抜いたら全身震える。パーキンソン病の人の症状に近いかな。震えるの見られるのは恥ずいから、人前ではそれを頑張って抑えているんです。アゴがガクガクガクガクって震えるんですよ。今も中では大振動を感じてます。気を抜いたらアゴが震えるので、歯医者の治療ができないんですよ。本当は治療したいところいっぱいあるけど。美容院も震えちゃうから行けないし。だから髪は自分でチョキチョキ切ってます」
 人前では震えないよう抑えることをもう何年もやってきているので、それが「ノーマル」になっているという。交感神経が暴れ、眠れない期間が長かった。最近は眠ることができるようになったことがハッピーなのだと語った。眠ることができるようになってやっと、活動を再開する気力が養われたようだ。頑張り続けることはは辛くないのかという私の質問に、彼女はこう答えた。「うーん……頑張るのを止めたら、それ以外は闇なんで。そっちの方向に引っ張られるよりは、頑張っていたい。それで何年も頑張り続けてます。根性で(笑)」
 このような強さを、同じ境遇に置かれた人のうちの何人が持っているのか、持てるのだろうかと、思いを巡らさずにはいられない。私などは1年半ほど坐骨神経の痛みと痙攣に悩まされただけで、すべてを投げ出したい気持ちになっていたものだ。
 「離脱症状って逃げ場がないんですよ。自分が違う何かに乗っ取られるような感覚なんです。死以外だったら、闇を進んでいくしか道がない。内臓に詰まっている変な感覚、そこを開いていくしか道がないような状態になった。何かに乗っ取られた状態の自分の体を自分に取り戻すには、そこに意識を持っていって、『ここは自分だ!』っていう風に、一個一個、ちょっとずつ入っていって意識を戻すようなことをしていかないといけない……こう言っても、ちょっと意味が分からないとは思うんですけど……」
 次元は違うものの、私は自分の経験からこの発言には共感できる部分があった。使い古された言い方だが、体の不調や痛みは、「体のサイン」、「体からのメッセージ」なのだ。何かがおかしいということを、体が伝えようとしてくれている。現代社会では、ほとんどの人が意識の中では自分で自分の体を使えているつもりでいるが、体が何か伝えようとしていることに自分で気づけていないことが多い。そのサインがよほど無視できないほど強烈になるまで。


『365+1 DAYS GNOMON』より:2021年6月24日の絵日記

生命体に戻ろう

「離脱症状は、痛みとか震えとか炎症というかたちで、体からのメッセージを全部教えてくれるという感じですね。いっぱい薬を抜いたら、その分いっぱい教えてくれるから……先ほどの話に戻すと、普通だったら見たくない、自分の痛いところや辛いところを直視するしか生きる道がなくなるんです。死なないんだったら。それで、直視を始めたら、中にあったのは自分が小さい頃の母親とのトラウマだったり、古傷に意識を持っていったら、その時に受けた心の傷というかその時の感情のようなものをもう一度味わう感覚?傷の中には記憶も残されているのかなと。ちょっとオカルトっぽい話に聞こえるかもしれないですけど。古傷の中の癒しきれていない感情、ないことにしていたものを感じることによって、ちょっとずつ傷も治っていくんですよ」
 確かに、深刻な健康問題を経験する前の自分だったら、これはやや「スピッた」話に聞こえたかもしれない。しかし、今は大きく頷ける。自分の体を知ることはある意味、自然の神秘、真理に近づくことなのかもしれないと思うようになった。
 「『これは天罰なのか?』と思いましたからね……世の中、絶対的な悪とか善だって言えることって少ないと思うんですけど、一番罪なことって、人の魂の声を聞こえなくすることかもしれないと離脱症状を経験して感じだんです。生命体として、一番良くないのは薬で神経——“神経”と書いて神様の経路ですからね、それを傷つけたり、それをないことにして人間は外側だけで生きていると思うことが一番罪だったんだって。もうちょっとオカルトに足を踏み入れるような領域のヤバさなんですよね。BZDの離脱症状って」
 少し話を広げると、さまざまな疾患を画一的、短絡的、効率的に対処しようとする現代社会の傾向が、もしかするとBZDという薬の存在や、その他の対処療法的な医療に表れているのかもしれない。そもそも、これだけ複雑で謎が多い人間の体や精神の不具合を、そんな簡単に「治せる」と思う方が間違っているのではないか。それで”治った”ことにしてはいけないのではないか。
 「私が行き着いた結論は、『みんな、生命体に戻ろう』ってことです。葛藤を乗り越えることが生命体を進化させる。たまには逃避することも大事だけど、葛藤は向き合って乗り越えていくものだよ、って。乗り越えたら強くなるから!」
 KPTMは、今も様々な障害を乗り越え続けてる。強靭な(自称)狂人。ネクスト・レヴェルに到達したKPTMのようにみんながなれるわけではないが、彼女の経験からは、多くの人々が忘れてしまった、あるいは無視することに慣れてしまった生命体としての人間の肉体や精神からのメッセージが詰まっているように思う。
 KPTMとこれまで何度か話す中で最も衝撃的だった発言のひとつは、「ベンゾの離脱症状は、ものすごい勢いで “死 ” に引っ張られる。もし自分を簡単に殺す手段があったら、殺していたと思う」と言っていたことだ。これほど生命力と創造力に溢れ、周囲にもそれを伝播させるような存在だったKPTMをそこまでの状態に追い込んだもの、そこから”生きる”意欲を再び取り戻した過程について、これからインタビューを重ねながら探っていく。

KPTMが現在拠点としている広島で、『365+1 DAYS GNOMON』の展示が行われる。会場に足を運べる方はぜひ。

KLEPTOMANIAC
[365+1DAYS GNOMON]
EXHIBITION

2023
4/28fri. 4/29sat. 4/30sun.
5/05fri. 5/06sat.5/07sun.

15:00-20:00

at.dimlight

SUNDAY AFTERNOON PARTY
17:00-20:00

4/30 sun. DJ /satoshi,kenjimen,macchan
5/07sun.DJ /halavic,satoshi itoi,ka ho

広島市中区銀山町13-12 3F

interview with For Tracy Hyde - ele-king

 バンドの終わりは美しい。もちろん、そうではないこともある。ひょっとしたら、そうではないことの方が多いかもしれない。しかし、少なくともFor Tracy Hydeの終わりは美しかった。2023年3月25日、東京・渋谷WWW Xでのラスト・ライヴを見て、そう感じた。

 いわゆる「東京インディ」のバンド群が、関西のシーン、あるいはSoundCloudやBandcamp、ブログやソーシャル・メディアとの相互作用の中で、不思議でユニークな音楽を作っていた2012年の東京にFor Tracy Hydeは現れた。シューゲイズ、ドリーム・ポップ、ギター・ポップ、マッドチェスター、ブリット・ポップ、渋谷系から、はたまたアニメやゲームまでを養分にしていた彼らは、インターネット・カルチャーの申し子でもあった。そして、周囲のバンドが失速し疲弊しフェイドアウトしていった10年強の間、2016年のデビュー・アルバム『Film Bleu』の発表以降、着実に最高傑作を更新していき、ファンダムを国外に築き上げもした。
 最後まで「青い」音楽を奏で続けたFor Tracy Hydeは、一方で自分たちの表現そのものを問い、自身の内面にも踏み込んでいき、その青さはどんどん深みを増していった。その時々の国内外の政治的な状況、音楽シーンの潮流や動向に向き合い、疑問や違和感すら音楽に反映させていった。それは例えば、ラスト・アルバム『Hotel Insomnia』に収められた“House Of Mirrors”を聴いてもよくわかる。夏botはこの曲について、「ソーシャル・メディアやスマートフォンを媒介にしたナルシシズムについての曲だ」と説明する。
 国内シーンへの貢献、東アジアや東南アジアのバンドとの繋がり、フォロワーに及ぼした影響の大きさ、ファンダムの厚さといった点で、For Tracy Hydeというバンドの音楽、彼らが存在したことの意義はとても大きい。彼らがいなかったと仮定してみると、現在のシーンの風景は、現在のそれとちがうものだっただろう。そのことは彼らが解散したいま、ファンのひとりひとりが噛み締めているはずだ。

 3月29日には、最後の作品にして最高傑作になった『Hotel Insomnia』がヴァイナルでリリースされた。これに合わせて、主宰者である夏bot(ギター/ヴォーカル)、メンバーのMav(ベース)、eureka(ヴォーカル)、草稿(ドラム)へのラスト・インタヴューを届ける。東京でいちばん美しいロック・バンドの軌跡を辿り直した、ロング・インタヴューになった。


2023年3月25日、渋谷WWW Xでのラスト・ライヴ

アジア圏の音楽に触れてくれるのは結局、アジア人だけなんじゃないか? という思いは払拭しきれませんでした。白人主体のインディ・ロック・シーンにおいて、東洋人として一撃を喰らわせるには至らなかったんじゃないかなと。(夏bot)

1月5日に解散が発表されて、衝撃を受けました。Twitterではトレンド入りしましたね。

夏bot:しましたね(笑)。あれはびっくりしました。

驚いたし、残念でした。どんな反響がありましたか?

夏bot:印象に残ってるのは、「ライヴを一度見たかった」という声が多かったことです。いやいや、我々けっこうやってましたよと(笑)。

Mav:「いつまでもあると思うな、親とバンド」ってやつですね。

夏bot:アイドル界隈の方は「推しは推せるときに推せ」とよくおっしゃいますからね。

Mav:最後のライヴをやってから「解散しました」と言う人もいるじゃないですか。あれは嫌なので、ちゃんとお別れする機会を作れたのはよかったです。

夏bot:「事後報告はしない」というのは、ポリシーとしてあったので。唐突な解散は、ファン心理として気分がよくないですね。

eureka:友人には以前から話してたので、「発表したんだ」、「頑張ったね」と言ってもらいました。

夏bot:DMが殺到したんでしょ?

eureka:海外の方から「なんでフォトハイは終わっちゃうの?」とDMが飛んできてたんですが、「(理由は)書いてあるよ~」と思ってました(笑)。

夏bot:英語の声明文も出したからね

草稿:「もったいないね」とも言われましたね。うちらくらいの規模感のバンドっていない気がするので、貴重だったのかなって。大体バンドって、上に行くか下に行くかじゃないですか。でも、うちらは境界線上にいたから。

夏bot:良くも悪くも、ずっと中堅感を出してましたから。

(笑)。2月8日のラブリーサマーちゃんとの対バンでも「そういえば、我々解散するんですよ」みたいなノリでしたし、「ANGURA」のインタヴューでも「あっけらかんとしてます」と言っていたので、整理できた上での解散だと思いました。

夏bot:ここに至るまでのプロセスが長かったので、いまさら思うことがあんまりないんです。

去年の8月に解散が決まっていたそうですね。理由は明確に書いてありましたが、「現行の体制で足並みを揃えて活動を継続すること」が困難だとありました。メンバーのペースや生活との兼ね合い、ということでしょうか?

夏bot:音楽に対する姿勢ですかね。僕はマジで会社を辞めたいと思ってるんですけど、そうなりたいと思ってるのが僕だけだったので、埒が明かないなと。

夏botさんのコメントが興味深かったです。「ひとつのバンドで何十年も活動を継続したり、アルバムを10作以上もリリースしたり、といった長きに渡る活動は端から眼中にな」かったと。

夏bot:それはほんとに考えたことがなくて。僕はビーチ・ボーイズが好きなんですけど、彼らは特に中盤から終盤にかけて駄作に近いものが多いですよね。数十年単位で活動を継続してく中でクリエイティヴなスパークを維持するのは、どう考えても不可能だと思ってます。特にジャンルの性質としても長々と、必要以上に活動を継続するのは美しくないと思ってたので、どこかでスパっと終わらせようと思ってました。

そうだったんですね。

夏bot:実際、以前も「終わらせようかな」というタイミングがありましたし。セカンド・アルバム(『he(r)art』)のリリース直後とか、サード・アルバム(『New Young City』)を出してコロナ禍に突入した頃とか、モチベーションが下がったことがあったんです。なので、自然な成り行きではあるのが正直なところですね。

バンドって永続できるものではないですよね。

草稿:どこかのライブハウスで「長くやるのもいいと思うんだよね」という話を夏botにしたら、「いや、それはちがうんじゃない?」と返されたことを覚えてますね。

夏bot:重鎮になりたくない、在野で居続けたい気持ちがあるんです。やっぱ人間、偉ぶり始めたら終わりだなと(笑)。ハングリー精神や探求心って、立場が安定するとなくなるので。実際、バンドが終わることになり、高校時代から使ってたMacBookを買い替えて、手を付けては諦めてを繰り返してたLogicを最近めちゃめちゃ使ってるんです。創作意欲がいつになく湧いてるんですね。安定した立場に身を置きつつあったバンドがなくなるとなったとき、音楽に対する探求心が改めて湧き上がったり、逆境に立ち向かってく気持ちが掻き立てられてて。活動期間が長くなるのは、クリエイターとして望ましくないんじゃないかな? と。

区切りを付けたことで、次のことが考えられるようになったんですね。

eureka:私の場合、For Tracy Hydeに加入して生活が音楽に飲み込まれてく感覚があって、「ライヴでどうしたらちゃんとできるか」とかを四六時中考え続ける感じになってたので、一回リセットして、改めていろんなアーティストの音楽を聴いたりしたいんです。音楽と暮らしを、いい塩梅でやっていけたらいいなと思ってます。

草稿:僕は仕事が好きなので、仕事とバンドだったら仕事を取っちゃうんですよね。今後は仕事に集中できるな、という思いはあります。夏botが言ったとおり、同じ環境で続けてくのはよくないと思います、環境が変わった数だけ人間は成長すると思いますし。でも、居心地のよい場所がなくなったのは残念ですね。いまさらドラムが上手くなったような気がするんですけど(笑)。

だらだら続けて馴れ合いになったら、バンドとしては危機的状況ですからね。

夏bot:馴れ合ってる感じはなかったと思います。良くも悪くも、メンバー同士そんなに仲が良くない(笑)。

一同:(笑)。

Mav:「遊ぼうぜ」、「飲みに行こうぜ」とかはないからね。

夏bot:ツンケンしてるとか空気が悪いとかではなくて、シンプルに普段の生活で関わりがないってことですね。

草稿:趣味も全員守備範囲がちがいますね。

eureka:一緒に仕事をしてる同僚たち、みたいな気持ちでした。

夏botさんのコメントには「バンドとしての活動の一つの到達点」ともありましたよね。

夏bot:そうですね。ライドのマーク・ガードナーというバンド内外で共通してヒーローと見なされてる方と一緒に仕事をすることが経験できたり、アジア・ツアーをおこなったり、シンガポールのフェス(Baybeats)に出られたり、自分たちの規模感や音楽性のバンドだとまずないような活動がいろいろと経験できたので。もちろん継続してさらなる高みに到達する可能性はあるんですけど、100%あるわけではない。特にコロナ禍以降、音楽業界が停滞気味で、規模が縮んでしまった感が否めないので。そうなったとき、一か八かの賭けに出るより、ここらで一旦区切った方がいいなと。

なるほど。

夏bot:あと去年、ソブズのラファエル(・オン)から「アメリカ・ツアーが斡旋できるかもしれない」という話があったのですが、メンバーに切り出したとき、アメリカに行きたいと思った人間が僕以外にいなかった。

個々の仕事や生活との兼ね合いで?

夏bot:ええ。僕には音楽活動する上でアメリカとイギリスをツアーで回れるくらいまで行くというのは大きな目標としてあるので、アメリカ・ツアーがこのバンドで望めないとなった時点で、自分の中で整理が付いたことも大きかったです。なので到達点だし、これ以上はあるかもしれないけど、それが必ずしも自分が望んだ形ではないかもしれない、ということで引き際かなと。

実際、アルバムもライヴも素晴らしいので残念ではありますが、ここで終わることに対する説得力は感じます。

Mav:ライヴのクオリティはいまがいちばんいい、高いよね。

夏bot:ここ最近、本当に悔いがないですね。

ピッチフォークに『Hotel Insomnia』のレヴューが載った後、解散の報が載ったのは驚きました。

草稿:レヴューが載った当日じゃなかった?

Mav:コントみたいだった(笑)。

夏bot:ピッチフォークは独立性を保ってるので、事前のやりとりはまったくなかったんです。なので、たまたまそういう因果だったという。外からは相当、不思議な見え方をしてたと思います。

Mav:ピッチフォークに載ったから解散する、みたいな(笑)。

夏bot:海外ファンがほんとにそういう冗談を言ってたよ(笑)。

『Hotel Insomnia』のレヴューはバンドへの理解と知識に基づいた、かなりしっかりとした内容でしたね。

夏bot:ええ。ただ、ライターはアジア系の方だと思います。アジア圏の音楽に触れてくれるのは結局、アジア人だけなんじゃないか? という思いは払拭しきれませんでした。白人主体のインディ・ロック・シーンにおいて、東洋人として一撃を喰らわせるには至らなかったんじゃないかなと。

一方で、ソブズなどは欧米で評価されつつありますよね。

夏bot:ソブズは風穴を空けてくれるんじゃないかなと、期待してる部分は少なからずありますね。

フォトハイの活動を通じて得た喜びや感慨についてお聞きしたいです。

eureka:言いたいことはたくさんあるんですけど、海外に行ったときにみんながシンガロングしてくれたり、そういうのはすごく嬉しかったですね。国内外問わず、うっとりした熱い視線やキラキラした目で見上げられたことがない人生だったので、私的にそれは初めて見た景色でした。普通に生きてたら経験できないことだと思うので、それが私のいちばんの宝、ファンのみなさんに頂いた景色ですね。

Mav:Baybeatsのステージだったり年始のCLUB QUATTRO(2022年1月10日)だったり、「普通にバンドをやってたら、こんな大勢の人たちの前でやることはなかっただろうな」という場所でやれたのは大きいですね。あとは、僕は9月に仕事の出張でシンガポールに行ったんですけど、最終日の夜にソブズやコズミック・チャイルドが借りてるスタジオに行って、夜通し飲みながら好きな音楽を爆音で流しながらすすめ合ってたんですよ。異国の地でこんなことをやる人生ってあんまないよな……と感慨深かったですね。あとはやっぱり、エゴサしてる瞬間は「生きてる!」って感じ(笑)。

夏bot:結局、インターネットなんだよな~。

Mav:インターネット育ちなので。

(笑)。

草稿:僕は普段旅行をしないので、バンドの用事がなかったら海外にも、大阪ですら行かなかっただろうし、そんな機会があるバンドにいられただけでよかったと思います。あと最近、バンド界隈の人たちとカードゲームをやってるんですけど、そういうコミュニティができたのもよかった。

Mav:君、バンド界隈の人たちといちばんプライベートで遊んでるよね。

草稿:バンド界隈ってもはや思ってないんだけどね。

夏bot:日本のシューゲイズ・シーンはマジック・ザ・ギャザリングのプレイ人口が多いらしいです。

草稿:みんな、陰キャなんじゃないですかね。外交的な陰キャ、みたいな(笑)。


eureka(ヴォーカル/ギター)

私らしく自分で歌いたいって気持ちでレコーディングに挑んだのがいままでとのちがいですね。私は結局、誰か風に歌っても私の歌にしかならないので、それがいいところだと言われるけど、それを一回全部捨ててみたい気持ちがありました。(eureka)

ラスト・インタヴューになるので、バンドの歩みを振り返りたいと思います。始まりは2012年、夏botさんが宅録を始めたことと考えていいのでしょうか? とはいえ、バンドで演奏することを前提に制作していたそうですね。

夏bot:大学に入りたての頃にバンドをやってたんですけどすぐ空中分解しちゃって、それがトラウマになってたんです。それで、ひとりでチルウェイヴを作ったりしてたんですね。そんな中、後にBoyishを結成する岩澤(圭樹)くんが「Friends(現Teen Runnings)というバンドがめちゃめちゃかっこいい」と言っててFriendsを好きになり、一緒にライヴを見に行くようになって。その過程でSuper VHSとかミツメとか、いわゆる東京インディのバンドを知っていったんです。同時代の海外シーンと共鳴しながら日本で独自の音楽を作ってるバンドがいることが衝撃だったので、自分もそういうシーンに加われるバンドをやりたいと思ったんですね。2012年の春頃に岩澤くんがBoyishでライヴをするようになったことに刺激を受けて、バンドで演奏できる曲を作るようになりました。

最初の作品は『Juniper And Lamplight』ですか?

夏bot:その前にBoyishとのスプリット(『Flower Pool EP』)を出しています。それを出したのが2012年9月なので、そこをバンドの始点と仮定しています。

そこに、メンバーが加わることで発展していった。

夏bot:最終的にベースのMavくん、ドラムのまーしーさん、ギターのU-1というラインナップになり、ラブリーサマーちゃんが参加した時期が1年あって、ラブサマちゃんが脱退してeurekaが加入して、という感じですね。紆余曲折があって、メンバーがかなり入れ替わってます。それ以前も含めるともう3、4人いるんですけど、数えてくとキリがないので。

Mav:初代ドラマーのMacBookとかね(笑)。

ラブサマちゃんが加入してリリースしたEP「In Fear Of Love」のCDを無料で配布していたことをよく覚えています。夏botさんがおっしゃったとおり、当時の東京インディは面白くて刺激的な時期でしたよね。

Mav:関西のトゥイー・ポップ周りも元気で面白かったよね。

夏bot:そうね。Wallflowerがいて、Juvenile Juvenileがいて、Fandazeがいて……。いまの方がバンドの母数が多くて理解してくださる方も多いんですけど、あの頃ならではの刹那的な輝きがあったなと未だに思い返しますね。仲間が少ない中、みんな試行錯誤して、面白いイヴェントをDIYでやろうとしてる感じがありました。

Mav:いろんな人がZINEを作ったり、オガダイさん(小笠原大)のレーベルのAno(t)raksがネット・コンピを出したり。僕もソロで参加してました。

夏bot:“Youth In My Videotapes”名義でね。

ソーシャル・メディアの黎明期で、Hi-Hi-Whoopeeに象徴されるブログ・カルチャーを介して情報が広がっていく動きもありましたね。For Tracy Hydeはその後、『Film Bleu』でP-VINEからアルバム・デビューを果たします。このアルバムはいま聴くと、タイトルどおりフレッシュな青さを感じますし、eurekaさんの歌もちょっとちがいますね。

草稿:いま、eurekaはマスクの下でめちゃくちゃ苦い顔をしてます(笑)。

eureka:録り直せるなら録り直したい(笑)。録音したのは加入して2、3週間後で、最初に録ったのは“Sarah”(“Her Sarah Records Collection”)と“渚”だったと思います。録音したものを聴いて、「私ってこんな声なの?」と思ったのがそのままCDになってます(笑)。

夏bot:この頃は「歌に感情を込めないのがいい」という謎のポリシーがあって、それを彼女に強いたらめちゃめちゃ戸惑ってしまって。

eureka:セカンドからは好き勝手に歌ってよくなったんですけど、ファーストのときはとにかく「かわいくならないようにニュートラルな感じで、無感情で歌って」と言われて、全然わからなかったですね(笑)。

夏bot:聴き返したら、演奏もアレンジも全然なってねえなって思っちゃいますね(笑)。唯一、いま聴くことができない自分の作品。でも、不思議と根強く支持してくださる方がいらっしゃるんですよね。

Mav:最近のライヴ物販でも未だにCDが売れるからね。

夏bot:解散を発表してから「ファーストの曲をライヴで聴きたい」という声がめちゃめちゃあるのですが、やりようがない(笑)。

Mav:編成上の都合があるからね。

音楽的には渋谷系成分が多めに感じられますし、すごくポップでいろいろなことにトライしている印象です。

夏bot:良くも悪くも、海外インディの解像度がめちゃめちゃ低かったと思います。いかんせんプロダクション周りのことを何も知らなかったので、ノウハウがないまま「ザ・1975っぽい音にしたい」とか「ダイヴ(DIIV)みたいな音にしたい」とか、そういう試行錯誤の跡が残ってますね。

Mav:単純に2012年から2016年までの曲が全部入ってるから、作った期間が長いんですよね。

夏bot:(曲が)古いんだよね。

先日、夏botさんの「新譜案内等に『シューゲイズ』という言葉を入れるだけで出荷枚数が3桁単位で減るという時代が10年くらい前にはありました」というツイートがバズっていたじゃないですか。そのこともファーストのサウンドに関係しているのかなと。

夏bot:その情報は友人のバンドマンがレーベル・オーナーから聞いた話なので僕が直接損害を被ったわけではないんですけど、それでも当時のうちらの担当者も「シューゲイズ」という言葉を使うのを渋ってたので、業界内でそういう認識は共有されてたと思います。レコード屋さんのポップでも「チルウェイヴ×アニメ文化」みたいな不思議な書かれ方をされてて、本質はそこじゃない気がするんだけど、でも「シューゲイズ」って言うわけにはいかないしな、というモヤモヤ感がありましたね。

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夏bot(ギター/ヴォーカル)

全編を通して文明批判的な視座があるので、芸術作品じゃなくあくまでも商品や製品、広告としてCDを提示したい思いがあって。アートワークというよりプロダクト・デザイン的な観点でやりたかったんです。(夏bot)

『he(r)art』以降の方がシューゲイズへのアプローチが明確に打ち出されていった感じがします。『he(r)art』でフォトハイのアートが完成された感じがしますね。

Mav:エンジニアがTriple Time Studioの岩田(純也)さんになって、プロダクションの質が変わったのがデカいですね。リファレンスとしてダイヴの『Oshin』の曲をリファレンスに挙げたら、岩田さんもノリノリで実機のデカいリヴァーブを出してきて。

夏bot:スペース・エコーね。

Mav:我々もテンションが上がって、リヴァーブ盛り盛りで録りましたね。

夏bot:話が通じるエンジニアさんとの出会いが大きくて、音楽性もそっちに引き寄せられるようになりました。「ディレイとリヴァーブで空間を埋め尽くすのをシューゲイズっぽくない曲に当てはめていく」というテーマがあって、それこそシティ・ポップ的な曲にそのアプローチをしてみたり。

eurekaさんはいかがですか?

eureka:ファーストを録りながら自分の声や「どうしたらどういう風に歌えるのか」が客観的になんとなくわかるようになって、ライヴをある程度重ねて、「こういうことがしたい」というのがだんだんわかってきた頃ですね。夏botさんのデモに対して「こういう感じで歌おう」とイメージしてやれたので、いい感じだったんじゃないかなと(笑)。好きなアルバムのひとつです。

Mav:夏botがザ・1975にハマってて、コーラスの入れ方は参考にしてましたね。5度とかの音でずっとハモりつづけるコーラスが雑音の少ないeurekaの歌声に合ってたと思います。

夏bot:その後の方向性の基盤になってるとは思うのですが、一方で特異点っぽい感じもする。例えば、ブラック・ミュージックっぽいアプローチの曲は、これ以降ほぼやってないですし。

Mav:変なことをいろいろ、いちばんやってるんですよね。“アフターダーク”や“放物線”の感じはこれ以降ないし、“Just for a Night”の朗読も変わってるし。トータルとしてすごく好きです。

そして、まーしーさんの脱退と草稿さんの加入を経てリリースされた『New Young City』。夏botさんにインタヴューしたとき、シティ・ポップが喧伝され称揚されていたことへの違和感を語っていた記憶があります。

夏bot:シティ・ポップってある意味、シューゲイズ以上に新規性が打ち出しにくいと思ってて、シンプルに面白くないなと(笑)。音楽的探求心が感じられないものが流行ってたので、シティ・ポップの意匠を借りて内側からそれを瓦解させることをセカンドでやろうとしたんですけど、自分の力不足かうまく伝わらなかった。そこで一旦仕切り直して本当に得意な音楽に改めて向き合って、シティ・ポップ・ブームに対するオルタナティヴとして強度が高いものを提示しよう、という意識はあった気がします。

Mav:草稿が入って、フィジカル的に強度のあることをやれるようになりましたね。

夏bot:まーしーさんとはドラマーとしての資質がちがうからね。

Mav:まーしーさんは関西のギター・ポップ畑出身なんですけど、草稿はマイク・ポートノイになりたい人なので(笑)。

草稿:僕、マイク・ポートノイっぽくないですか(笑)?

Mav:草稿は、デモのドラムがダサいと思ったらどんどん変えてくタイプですし(笑)。

草稿:「ダサい」って言うと管さん(夏bot)は露骨に機嫌が悪くなるから、そうは言わないけど(笑)。ドラムパターンを変えてもあまり怒られなかったので、ありがたく変えさせていただいてます。

Mav:このへんから僕もベースで好き放題やらせてもらってますね。

夏bot:一方でここから(eurekaがギターを弾くようになったことで)ギターが3本になったので、そのぶんシンセに依存する比率が下がっていった。ドラスティックな変化がセカンドとサードの間にあった気はしますね。

“Hope”と“Can Little Birds Remember?”は完全に英語詞の曲ですよね。

夏bot:ソブズとの出会いが大きかったですね。2018年の7月頃に「ジャパン・ツアーをオーガナイズしてほしい」と相談を受け、2019年の1月にそれを実現させて、というのを間に挟んだので、海外リスナーにどう訴求するかを念頭に英語詩の曲を作りました。その部分はアルバム全体に変化をもたらしたんじゃないかと思います。

その後、2019年9月18日の台北公演に始まるアジア・ツアーをおこなっています。

草稿:弾丸すぎて大変だった思い出しかない(笑)。嫌な思い出が99%、いい思い出は1%しかないかも。

夏bot:スケジュールは鬼キツかったですね。僕は楽しかったけど、みんなはそうじゃなかったかも(笑)。

Mav:楽しさはあるけど、あのスケジュールでやるもんじゃないって思ったよ。

夏bot:マニラからジャカルタに移動する空港で気絶しそうになってたとき、さすがにキツかったよね。

寝る時間がなくて?

夏bot:そう。マニラでのライヴが終わって空港に移動して、深夜だからお店も開いてない中、フライトまでの数時間を空港で潰さなきゃいけなくて。

草稿:機内泊が3連続だったから、めっちゃハードでしたね。コズミック・チャイルドのメンバーが空港のコンビニの前で寝てて、すげえなって思った(笑)。

夏bot:あの時間帯の海外の空港ってすごくて、みんな当たり前のように床で寝るんですよ。

eureka:最終日のジャカルタに着いたとき、「頼むからお風呂に入れさせて!」って訴えて入れさせてもらったんですけど、みんなは入れなかったよね(笑)。

草稿:僕は、マニラとジャカルタでは同じ服を着てました(笑)。

eureka:あとライヴをする環境もすごくて、その場でステージを作って音響もギリギリまででき上がってない状態で、日本でのリハーサルとはまったくちがいました。メンタルが強くなったと思います(笑)。

草稿:マニアの会場はコンクリートの打ちっぱなしのジムで、音がめちゃくちゃ回ってましたね。

夏bot:音響が事故らなかった日、ないんですよね。

草稿:ジャカルタの思い出だと、ドラムの位置がステージの後ろギリギリで、演奏中に椅子が落ちかけたりとか(笑)。

eureka:最初の数曲でヴォーカルの音が外に出てなかったことがあって、「おかしいな」と思って“Can you hear me?”って聞いたら“No!”って返ってきたこともあったよね(笑)。“One more time!”って言われて、もう一回歌いました(笑)。

草稿:ヴォーカルのマイク線がMavのコーラスマイクに刺さってたんだよね。

Mav:でも、シンガポールとインドネシアでライヴをやったときは「すげえ! こんな盛り上がるんだ! マジか!?」ってインパクトはあったよ。

夏bot:娯楽に対する飢餓感が強いんですよ。公安がイヴェント運営に介入してくるのでギリギリまで会場の使用許可が下りなくて、会場が決まらないから告知できないとか、そういう経緯があって。そのぶん能動的に楽しもうという姿勢が伝わってきて、かなり刺激を受けましたね。日本語詞の曲も響いたけど、その上で英語詞の曲も当たり前のように響いて、一緒に歌ってくれて……。その体験がこの作品以降、英語詞の曲を必ず入れる流れに大きく作用したのは事実ですね。

Mav:後は、リリパでwarbearと対バンしたじゃないですか(2019年10月16日)。あれは感慨深いものがあった。音響は事故ったとはいえ、U-1はあれがエンディングって感じだったもんね(笑)。

草稿:「人生、第一部完」みたいな感じだった(笑)。

Mav:『あの花』(『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』)のTシャツにサインまでしてもらって。

夏bot:もう一個付け足すと、翌年(2020年)の1月にバンコクでライヴをしたときにデス・オブ・ヘザーのテイや他のメンバーが遊びに来てくれて仲良くなった経緯があって、今回スプリット・シングル(『Milkshake / Pretty Things』)を出すことができたんです。来日公演(2023年3月16日)で対バンもできたので、ささやかだけどターニング・ポイントっぽい出来事かな。

草稿:タイ、よかったね。サイン会もして、50人くらい並んでたんじゃないかな? コロナ禍前の瀬戸際だったね。

先例がないことをやることと、軸にある音楽性を崩さずに可能なかぎり規模感を広げることは念頭に置いて活動してきました。それがシーンの活性化や若手たちへのインスピレーションに繋がってくものと思って活動してきたので、もし少しでも形にできてるなら本望ですね。(夏bot)

そしてコロナ禍に突入し、2021年に『Ethernity』をリリースしました。「アメリカ」というコンセプチュアルなテーマがあり、音楽的にも異色のアルバムだと思います。

夏bot:やっぱり、かなり大きな社会情勢の変化がいろいろとあったので。アメリカはトランプ政権下でしたし。

Mav:ブラック・ライヴズ・マターとかもあって。

夏bot:そう。あと、コロナ禍でバンドも動かせないし友だちとも会えないし、何もすることがないのでひとりで内省にふける時間が否応なしに増えて。変化が起こるのは、必然と言えば必然なのかなと。

Mav:夏botが多摩川沿いを無限に歩いてた時期ね。

草稿:痩せた時期ね。

eurekaさんはどうですか?

eureka:小学生の頃から社会に対していろいろなことを考え続けてて、それを表に出せないタイプだったので、このアルバムはぐっとくる、しっくりくる歌詞が多かったです。小学6年生のときの卒業文集にみんなが将来の夢や6年間の思い出を書いている中で、私は「戦争反対」って書いたんですよ(笑)。

Mav:イカついね~。

夏bot:だいぶストロング。

eureka:そういう本ばかり読んでましたし。私の親は父がアメリカ人なんです。片方の国は戦争をしてて片方の国には平和憲法がある、という2つの祖国の間でアイデンティティの葛藤を感じながら育ってきたので、このアルバムはしっくりきました。

夏bot:コロナを機に昔のことを思い返しつつ、いまのアメリカと昔のアメリカを対比してましたね。あとはドリーム・ポップというジャンルが社会性と切り離されて捉えられがちだからこそ、あえて社会性のある作品を出すことにしたんです。

Mav:僕はこのアルバムでは、「リアル・エステイトのパクリをやらせていただきました」という感じでしょうか(笑)。ソロ名義で作った曲で、歌詞が書けずにお蔵入りにしてたものをサルベージしたんです(“Welcome to Cookieville”)。夏botが「爽やかな曲が欲しい」と言ってたので、仮タイトルは「爽やか」でしたね。

夏bot:貴重なU-1作詞曲です。

Mav:あいつが「書いてみる」と言うから書いてきたはいいものの、メロディと文字数が一切合ってなくて(笑)。韻もめちゃくちゃだし、「頭の中でどう整合性が付いてるのかまったくわからん」と思いながら調節した経緯があります。じつは、ファーストの“Outcider”の作詞は僕ってことになってるんですけど、あれもU-1が作詞原案なんです。それもめちゃくちゃな状態だったから、僕が調整したんですよね。

夏bot:そしたら「これは俺の歌詞じゃない!」って言い出してクレジットされるのを拒まれた。よくわからんけど、“Welcome to Cookieville”のクレジットはOKだったね。

Mav : 嫌がってたけど、ぬるっとそのままクレジットしちゃった。

草稿さんは?

草稿:僕はこのとき、モチベーションが1ミリもなくて(笑)。やる気がなさすぎて3か月くらいドラムを叩いてなくて、めちゃくちゃ下手になったんです。数か月叩かなかったブランクを取り戻すには、マジで1年半くらいかかりますね。演奏面については、2曲目の“Just Like Firefries”のフィルをいろんな曲で使い回してるんです。でも、「これはコンセプト・アルバムだから大丈夫」って言い聞かせて(笑)。ドリーム・シアターのコンセプト・アルバム『Metropolis Pt. 2』でもマイク・ポートノイが“Overture 1928”のフィルを使い回してるので、自分の中でそれと同じということにしました(笑)。

そんな裏があったとは(笑)。そして、2022年2月のU-1さんの脱退を経て10月にシンガポールのフェス、Baybeatsに出演しました。

夏bot:2019年のアジア・ツアーと2020年のバンコク公演からの連続性の中で捉えてますね。海外での活動が視野に入ってくる段階かなと思ってたところでコロナ禍に突入してしまって、国内での活動すらままならない状況になってしまったので、それを乗り越えて海外の舞台に戻れたのには感慨深いものがありました。以前お会いした方々にもまた会えましたし、当時と変わらないかそれ以上の盛り上がりをまた見せてくれて。シンガポールは国民の多くが早い段階でコロナに一度罹ってたらしく、生活は完全に元通りになってましたね。日本とまったくちがう状況に放り出されたのもよかったですね。

草稿:いい待遇をしてくださって、非常に気持ちがよかったですね。

夏bot:フェスに国家資本が入ってるからね。

草稿:Baybeatsに出るか出ないかでバンド内は紛糾したんですけど、解散が決まってたので僕は絶対、無理にでも出た方がいいと激推ししました。結果的に出られてよかったと思います。

Mav:2019年のグッズを着てくれてる人がいたのは嬉しかったですね。夏botは完全に暑さにやられてましたね。

夏bot:熱中症になりました。10月だったけど夏の気候なんですよ。

Mav:eurekaはすぐ帰国しなきゃいけなかったので、僕と草稿だけがライヴ後のサイン会でサインを書き続けました(笑)。

草稿:いちばん需要のないふたりが(笑)!

夏bot:劇場の支配人が物販の手伝いに来るくらいの勢いで、物販はほぼ全部売れましたからね。

Mav:シンガポールのバンドの連中と飲んだのも楽しかった。コズミック・チャイルドが新曲をレコーディングしてるスタジオに遊びに行ったのもいい思い出だし。

夏bot:このときに機内で撮った朝焼けの写真がスウェットの写真になってるよ

草稿:そうなんだ! めちゃくちゃいい話。

eureka:でも、なんだかんだで2019年のアジア・ツアーも楽しかったですよ。

草稿:それは美化されてるよ(笑)。

夏bot:思い出補正だ(笑)。

eureka:騙されてたほうが幸せ(笑)。

そして『Hotel Insomnia』に至るわけですが、制作はいつやっていたのでしょうか?

草稿:『Ethernity』のワンマン・ツアーのとき(2021年5月1日、3日の「Long Promised Road」)には既に……。

Mav:2、3曲やってたよね。“Undulate”と“Milkshake”と“Estuary”。

夏bot:レコーディングも2021年の夏には一旦してたんじゃないかな。この頃、僕はすごく燃えてたんですよ。どんどん曲を作っては(メンバーに)投げ、作っては投げ、っていうのをやってて。

Mav:いままでのデモは全部フルで作ったものだったんですけど、『Hotel Insomnia』に関してはワン・コーラスのものをたくさん作ってましたね。それで、「どれがいい?」って投げられる感じ。

夏bot:ぶっちゃけ『Ethernity』の評判がよくなかったんですよね(笑)。なので、それを上書きしたい心理があったと思います。コンセプト・アルバムを作るのはやめて、曲をいっぱい作ってメンバー投票で選べば嫌でもいいアルバムになるだろうって。

『Hotel Insomnia』は、いままであったアルバムのイントロとアウトロがないですからね。いい曲だけを集めたものにしたと。

夏bot:シンプルにそういう形にしようと思いました。「曲数を減らそう」という狙いもありましたね。

草稿:長すぎて冗長な節があったからね。

Mav:「10曲、11曲で終わろう」って言ってたね。

草稿:気づいたら13曲になってたけど(笑)。でも、このアルバムは冗長感ないよね。アルバムの長さはいままでとそんなに変わらないんだけど。

とはいえ、『Hotel Insomnia』というタイトルにはコンセプトが潜んでいそうな感じがあります。

夏bot:ええ。通底してるものはありますね。コロナ禍以降の世の中の変化が『Ethernity』のときよりさらに加速してる感じがあって――例えば、いろいろな分断だったり、ウクライナ戦争だったり、安倍(晋三)元首相の暗殺事件だったり。なので『Ethernity』を制作してた頃より、考えたり思ったりすることがさらに増えました。“Hotel Insomnia”というのは「旅先で過去を思い返したり、未来を不安に思ったりして眠れない」という状態を想定してます。でも、旅をするまでもなく、我々は普段、日常においてそういう心理に近い感情を抱えて生活しないといけない状況になってるので、旅先での不安といま我々の生活の中にある不安をオーヴァーラップさせてます。生まれ育った国にいながらにして異邦人のような孤立感、疎外感を覚える感じというか。そういう心情をいろいろな形で表現しよう、というのが裏テーマとしてありました。

イーグルスの“Hotel California”と関係があるのかな? なんて思っていました。

夏bot:それは全然ないんですけど、そういう捉え方もできるとは思います。それこそ“Hotel California”も文明批判的な視座がある曲なので、意図してないにせよ面白いと思いますね。今作はタイトルだけ先にあったのですが、検索していたら他にも固有名詞として“Hotel Insomnia”という言葉が使われてる例が2つあって。一個は韓国に実在するホテルで、もう一個はチャールズ・シミック(Charles Simic)というアメリカの詩人の詩集なんです。チャールズ・シミックは旧ソ連圏のセルビア出身の方で、作風も旧ソ連圏の社会主義が日常生活に落としてる暗い影を感じさせるものらしいんですね。実際に詩集を取り寄せて読んでみたら、別に好きでも嫌いでもなかったんですけど(笑)。“Hotel California”にしてもチャールズ・シミックにしても、いろいろな、似たような発想のものがこのタイトルに集約されてるんじゃないかと思いますね。

ちょっとホラーめいたモチーフでもありますよね。映画『シャイニング』のオーヴァー・ルック・ホテルを想起させもしますし。音楽的にはどうでしょう? 演奏やプロダクションは、フォトハイの集大成にして最も得意なところを打ち出しているんじゃないかと思いました。

夏bot:「シンプルにいい曲を」というのが第一義だったので、あまりめちゃくちゃなことはできなかったんです。身の丈に合ってないことに手を出した結果、「音は面白いけど楽曲の強度がない」という例は過去作にあったと思うので、それは絶対に排除しないといけなかった。フォトハイがいままで長いコンセプト・アルバムを作ってきたのには、The 1975の異様に長いアルバムの影響が大きいんですね。今回そこからあえて外れて、一曲一曲の強度が高いコンパクトでコンセプトのないアルバムを作ろうと思い立ったら、The 1975も(『Being Funny in a Foreign Language』で)そういう方向に路線変更してて偶然にも一致したのが、自分の中で面白ポイントとしてあります(笑)。

マスタリングはなんと、ライドのマーク・ガードナーが担当しています。

草稿:マスタリング前と後で聞こえ方が全然ちがったんですよね。印象がこんなに変わるんだなって。「ドラムでか! ベースでか!」みたいな。

Mav:「洋楽の音」というかね。

夏bot:先行配信された“Milkshake”とYouTubeのMVは従来どおり中村宗一郎さんがマスタリングされてるのですが、印象がちがうので聴き比べてみると面白いと思います。

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Mav(ベース)

何年後か、ブックオフの棚にひっそり並んでて、何も知らんけど手に取ってみたらめちゃくちゃよかったCDとして若者に聴いてもらいたい。(Mav)

マーク・ガードナーに依頼した経緯を教えてもらえますか? エンジニアリングをされているというのは知りませんでした。

夏bot:彼はいまスタジオをやってて、ミキシングやマスタリング、プロデュースなどをいろいろされてるんですね。遡ると、まず『Ethernity』をアメリカでマスタリングしたかったので、エンジニアさんにコンタクトを取ったのですが返事がなく、納期に間に合わなかったことがあったんです。で、『Hotel Insomnia』を作るとき、レーベルからプロモーションとして外部アーティストとコラボする案を頂いて、エモ・ラップに傾倒していた時期だったので国内のラッパーをフィーチャーした曲を作ろうかなと思ってたのですが、イメージが湧かなくて。でも、外部アーティストを入れるのは大事かなと思ったので、今回こそ海外でマスタリングしてみるのは手だと思いました。候補としてスロウダイヴのサイモン・スコットとマーク・ガードナーを挙げて、バンド内で話し合ったらみんなライドへの思い入れが強かったから、マーク・ガードナーと一緒にやってみたい、という話になったんですね。マーク本人もSNSですごく言及してくださって、願ったり叶ったりでしたね。

Mav:ミーハーだけど、マーク・ガードナーが、俺が弾いたベース、俺が書いた曲を聴いてるってだけでテンション上がるよね(笑)。

草稿:そんなこと考えなかったな。

夏bot:自分のドラム、めちゃめちゃ持ち上げられてるやん(笑)。

草稿:たしかにね。「いいドラムだ!」って思われたのかも(笑)。

夏bot:「ドラムを聴かせたい」って思ってなかったら、こうはならないから。

草稿:いいこと言うね。自信持てたわ(笑)。このアルバムでは、どれだけ気持ち悪いことができるかに挑戦したんですよ。『Ethernity』についてのインタヴューでも言ったんですけど、スピッツが赤レンガ倉庫でのライヴ映像を無料公開してる時期があって、仕事が忙しかった期間にそれをリピートしてたんです。そしたら(ドラマーの﨑山龍男が)「気持ち悪いことをさらっと入れてるんだけど気持ち悪くない」みたいなプレイをしてて。それで管さんが怒らないギリギリまで気持ち悪いプレイをやろうと思ってアレンジしたんですが、どこまでやっても怒られないからどんどん気持ち悪くなっていきました(笑)。

夏bot:ペースよく曲を作るのを最優先してたから、デモはドラムもベースもぜんぜん練ってなかったんだよね。

草稿:リファレンスもなかったから、僕とMavで決めていきましたね。

Mav:ベースは……頑張ったな(笑)。“The First Time (Is The Last Time)”とか、個人的に気に入ってるベースラインはすごく多いです。

草稿:あれはCymbalsを目指したんだよね(笑)。“RALLY”のフィルをなんとかねじ込もうと思ってパンチインしましたからね(笑)。

Mav:“House Of Mirrors”は私が書いた曲ですが、「あまりめちゃくちゃなことはできなかった」と言いつつ、思いっきり変な曲ですね。

夏bot:Mavくんの曲が一曲あった方がいいかな、という気持ちがあったんですよ。

Mav:温情枠があるんですよ(笑)。夏botが「アルバムに欲しい要素リスト」を出して、その中で「チルウェイヴっぽい曲だったらいける」と思って作ったのですが、最終的に全然ちがうとこに行き着いたね。ファーストからフィフスまで僕が書いた曲は7曲あるんですけど、この曲に限らず、いくつかはバンド内発注みたいな感じでした。ただ、“House Of Mirrors”は海外のRate Your Musicではボロクソに言われてますね(笑)。

夏bot:自分からは出てこない感じなので面白かったと思います。好きな人は好きな曲だよね。

Mav:評価が両極端なんだよね。

草稿:でも、ラップは宇多丸さんに(「アフター6ジャンクション」で)褒められたから。

夏bot:めちゃめちゃ光栄だったけど、完全にドメス(ティック)な視点だね(笑)。

ラップは想定されていたんですか?

Mav:間奏がギター・ソロだけだとさびしいから語りかラップを入れたいけど、自分で歌詞を書けないから無理難題にならないかな? と思ってたら、夏botが「ラップを入れたい」と言ってくれたんですよね。

夏bot:最近SixTONESの田中樹くんにめちゃめちゃハマってて、ラップが熱いんですよ(笑)。

eurekaさんはどうですか?

eureka:これまでは曲ごとに「このヴォーカリストっぽく歌いたい」と設定して「この人とこの人のいいとこ取り」みたいなのをやってたんですけど、今回は一曲もそれをやってないんです。

夏bot:お~!

最後にeurekaとして歌ったんですね。

eureka:そうなんです。ただの素の私で歌ってみようって。さっき言ったとおり『Ethernity』も好きなんですが、歌詞がいちばん好きなのは今作かも。だから、私らしく自分で歌いたいって気持ちでレコーディングに挑んだのがいままでとのちがいですね。私は結局、誰か風に歌っても私の歌にしかならないので、それがいいところだと言われるけど、それを一回全部捨ててみたい気持ちがありました。


草稿(ドラム)

ある文脈の中にちゃんと位置づけられるほど強度のある曲を夏botが書いてくれて、そこに参加できたのが嬉しかったですね。誰かの人生を狂わせられる程度のバンドにはなったのかな?(草稿)

夏bot:みんな素なんだよね。僕もリファレンスをあえて投げなかったので。

草稿:あえてだったんですね。

夏bot:いちいちリストアップするのがだるいし、型にハマるのも面白くないなと。曲決めの投票とか、民主的な感じはめちゃめちゃ意識してた。

eureka:あとこの前、リハーサルの前日にぜんぜん眠れなくて、本当に“Hotel Insomnia”だったことがあって(笑)。ニュースやTwitterを見てても3.11の話題が流れてきて、寝不足のまま向かったスタジオで歌った“Estuary”でいろいろ考えてしまいました。今回の歌詞、重いですよね。

夏bot:「このアルバム、管さんが病みすぎてる」と言う友人がいるんですが、そんなことないんですよ。いろんな登場人物の物語をいろんな人の視点で書いてるだけなので。

eureka:“Hotel Insomnia”だからね。

“Natalie”では思いっきりビーチ・ボーイズ・オマージュをやっていて、夏botさんらしいなと思いました。

夏bot:いままでやってこなかったしできなかったのですが、コロナ禍以降、音楽への解像度がめちゃめちゃ高まったんですよね。リモート・ワークになって音楽を聴く時間が増えたので、聴いては調べてを繰り返してく過程でわかったことがかなり多かったんです。それで、ここいらで一回やってみようかなと。同じような音楽性の他のバンドは絶対やらないでしょうし。あと、明確に決まってなかったんですけど、アルバムを作ってる段階で「終わるんやろな」と思ってたので、最後にやっておきたいことを考えてたからですね。

今回はジャケットがメンバーの写真だというのも大きなちがいですね。

夏bot:今回は、いままでお世話になってた小林光大くんじゃなくて、renzo masudaくんという写真家が撮ってくれたんです。光大くんはメンバーの写真をジャケットにしたがってなかったのですが、せっかく写真家が変わったし、ちがうことをやってみたいと思ったときにこの案が浮かんだんですね。メンバーを撮るだけならお金も時間も節約できますし(笑)。

草稿:あとはテレビを探してくるだけでしたね。

Mav:世に残存する貴重なブラウン管テレビの内の1つをMVでeurekaが壊しましたが。

eureka:しかも、1つじゃないし(笑)。いや~、あれ、怖かったな~。

夏bot:ジャケットに文字を入れたのもハイライトかな。普通のアルバムっぽい感じにしたくなかったのと、全編を通して文明批判的な視座があるので、芸術作品じゃなくあくまでも商品や製品、広告としてCDを提示したい思いがあって。アートワークというよりプロダクト・デザイン的な観点でやりたかったんです。それと、ソブズとかコズミック・チャイルドとか、シンガポールの友人たちはみんな渋谷系がめちゃめちゃ好きなんですね。それで、ひさびさに渋谷系を聴き直して「やっぱりいいな」と思うタームがあったので、渋谷系っぽい意匠を古臭かったり陳腐だったりしない程度に取り入れました。いろんな要素を足し算で取り入れて組み立てていきましたね。

音楽的にも90年代のエレメントを感じました。

夏bot:原点回帰といえば原点回帰ですね。ファーストからフォースまでの要素は全部、何かしら入ってる集大成だという気がします。“House Of Mirrors”だってセカンドっぽいといえばセカンドっぽい。

Mav:ラップが新鮮って言われるけど、普通にやってたよなと。

夏bot:“アフダーダーク”はラップってほどの感じでもなかったから。

アルバムの最後の曲“Leave The Planet”は解散宣言にも聞こえます。考えすぎでしょうか?

夏bot:歌詞は正直……バンドの終わりについての歌ですね。めんどくせー、全部投げ出してー、みたいな気持ちで書いてました(笑)。この曲が最後の曲になったのはたまたまで、もともと草稿が“Subway Station Revelation”で終わる案を出してたんですけど、いざ曲が出揃って並べたときにあまり気持ちよくなくて。

Mav:“Unduate”始まり、“Subway”終わりの曲順をメンバーで考えたのですが“Leave”がハマらなくてこうなりました。

草稿:あの打ち込みがイントロの曲で終わったのはよかったよね。

Mav:2023年はマッドチェスターが来る。

草稿:絶対来ないでしょ(笑)。

夏bot:でも最近、アンダーグラウンド・レベルで出てきてますよ。イギリスにはピクシー(Pixey)、オーストラリアにはハッチーやDMA’Sがいるから。

フォトハイがいなかったらこの10年の日本のシーンの景色はちがったんじゃないかと思うくらい、意味のあったバンドだと思うんです。東アジア、東南アジアのバンドとの繋がりも重要ですし。

夏bot:うーん……。そうなんですかね~?

(笑)。ご本人としての達成感はどうでしょうか?

夏bot:そうだとも思うし、そうだと言い切れないとも思うというのが正直なところかな……。僕は世間で思われてるよりは自分を客観視できるので、自分を持ち上げる言動は本心ではやってないんです。だから、ぶっちゃけ自分に自信はないですね。ただ、先例がないことをやることと、軸にある音楽性を崩さずに可能なかぎり規模感を広げることは念頭に置いて活動してきました。それがシーンの活性化や若手たちへのインスピレーションに繋がってくものと思って活動してきたので、もし少しでも形にできてるなら本望ですね。

Mav:僕は、シーンはあんまり意識してないかも。このバンドで作ったアルバムが気に入ってるので、それがすべてだなって思ってる。ライヴより音源の方がよっぽどいいと思ってるので(笑)。

夏bot:それはそうだね(笑)。

Mav:あと、コピバンしてくれる人がいるのはめちゃくちゃ嬉しい。コピバンされる対象になれた喜びはめちゃくちゃありますね。今後は、みんながコピバンやってくれるのをチューチュー吸って生きていきます。

(笑)。

夏bot:ライヴは、ふれあい動物園みたいなもんやからね。

Mav:我々自身がね、音源のFor Tracy Hydeのコピバンみたいなところがあるからね。

eureka:私はこのバンドが初めてのバンドなので、これまで音楽に能動的に関わることはまずなかったんです。でも、彼(夏bot)の曲を聴いて「これはいろんな人に聴いてもらうべき音楽だ」と勝手な思いを抱いて、彼の曲のスピーカー的な立場になれたのが嬉しいです。それを布教できたというか……。

夏botさんの曲を伝える媒体になれた、という感じですか?

eureka:……弟子みたいな感じ?

弟子(笑)?

夏bot:それはちがう気がするけど(笑)。

eureka:布教活動してる人、みたいな気持ちです(笑)。それが嬉しいし誇りに思ってるし、よかったと思います。アルバムの中に私が残ったのも嬉しいし、みんなにいっぱい聴いてもらいたいです。私たちがいなくなった後も曲は残るのでいっぱい聴いてほしいし、コピーもしてほしいです。

Mav:何年後か、ブックオフの棚にひっそり並んでて、何も知らんけど手に取ってみたらめちゃくちゃよかったCDとして若者に聴いてもらいたい。

夏bot:それはある!

eureka:私はMADになりたい。MADになって、それで知ってほしい(笑)。

Mav:MADという文化ってまだ存在してるの(笑)?

eureka:もうないのかな~?

夏bot:そのうちTikTokで流行らないかな~。

TikTokでペイヴメントの“Harness Your Hopes”が謎に流行ったので、可能性はあると思います(笑)。

eureka:突然、誰かの脳内を支配したいですね。

草稿さんはどうでしょう?

草稿:僕は、ある文脈の中にちゃんと位置づけられるほど強度のある曲を夏botが書いてくれて、そこに参加できたのが嬉しかったですね。誰かの人生を狂わせられる程度のバンドにはなったのかな? かといって、夏botが音楽だけで食っていけるところまで行けなかったのは心残りですね。

夏bot:まあ、僕は敵が多いから(笑)。

草稿:でも、いいものを作り続けてれば、きっといつか何かありますよ。

夏bot:せやな~。

草稿:あとは運ですから。まあ、コピバンはしてほしいですね。

Mav:コピバン、してほしい。

夏bot:コピバンは、してほしい。YouTubeにあるのは全部見てますから。

草稿:ちゃんとコピってくれないけどね(笑)。

Mav:ベースとドラムのディテールはめっちゃ捨て去られる。だから、俺たちとのチェキは撮りに来ないんだよ。

eureka:でも、歌ってる子たちはみんなかわいいよね。

草稿:ヴォーカルとギターの解像度だけは高い(笑)。

夏bot:でもね、コピーしてくれる事実だけでもう感動だよ。あとは精度で感動させてくれるバンドが現れたらマジで嬉しくなっちゃう。

草稿:すげー! 俺らよりうめー! みたいな(笑)。

eureka:二代目For Tracy Hyde(笑)。

夏bot:襲名してください(笑)。

そういう意味で、「21世紀のTeenage Symphony for God」だったんじゃないかと思うんです。

夏bot:だといいんですけどね~(笑)。

草稿:いいまとめだ!

Mav:僕は「僕らのアーバン・ギター・ポップへの貢献」だと思ってますよ。

夏bot:ザワンジのね。※

※小沢健二の“ある光”の歌詞「僕のアーバン・ブルーズへの貢献」のもじり。プリファブ・スプラウトの“Cruel”の歌詞“My contribution, to urban blues”の引用。

Mav:どれだっけ? 最初の頃にそれ、付けてたよね?※

EP『Born To Be Breathtaken』のコピー。

草稿:……太古の話してる?

真面目な話、それは確実に成し得たことなのではないでしょうか。

夏bot:だといいな~。

草稿:5年後には管さんが僕らを養ってくれるよ! それか年に一回、焼き肉を奢ってくれるはず。

夏bot:高い焼肉って食べたことないんだよな~。

草稿:食べ物ってさ、1万円を超えると全部同じですよね(笑)。

eureka:高いと緊張しちゃって味を感じられなくなる。全部、砂みたいに感じちゃって(笑)。「これ、1枚2000円だな」って思いながら食べるお肉、味しないよ。手汗がすごい出ちゃう。

あまりにも永遠の中堅バンドっぽい話なんですけど(笑)!

Mav:それが結論でした(笑)。10年間のまとめ(笑)。

夏bot:5枚のアルバムを通じて学んだこと、肉の味なの(笑)? 「友達と適度に安い焼肉を食うのがいちばんうまい」という結論?

草稿:……悲しすぎるだろ(笑)!

For Tracy Hyde年表

2012年9月11日:
Boyish & For Tracy HydeのスプリットEP『Flower Pool EP』をリリース

2012年10月9日:
EP『Juniper And Lamplight』をリリース

2013年5月10日:
アルバム『Satellite Lovers』をリリース

2013年8月31日:
EP『All About Ivy』をリリース

2013年10月27日:
『Satellite Lovers』『All About Ivy』のCD-Rを音系・メディアミックス同人即売会「M3」で頒布

2014年4月:
ラブリーサマーちゃん(ヴォーカル)が加入

2014年4月27日:
EP『In Fear Of Love』をリリース、「M3」でCDを頒布、各地で無料配布

2014年8月17日:
EP『Born To Be Breathtaken』をリリース、「コミックマーケット」で頒布

2014年10月26日:
シングル『Shady Lane Sherbet / Ferris Wheel Coma』をリリース、「M3」でCD-Rを頒布

2015年5月:
ラブリーサマーちゃんが脱退

2015年9月3日:
eureka(ヴォーカル)が加入

2015年10月25日:
シングル「渚にて」をリリース、「M3」でCD-Rを頒布

2016年12月2日:
アルバム『Film Bleu』をリリース

2017年11月2日:
アルバム『he(r)art』をリリース

2018年1月:
まーしーさん(ドラム)が脱退

2018年2月4日:
草稿(ドラム)が加入

2019年9月4日:
アルバム『New Young City』をリリース

2019年9月18日~22日:
台湾・台北、シンガポール、フィリピン・マニラ、インドネシア・ジャカルタを回るアジア・ツアーを開催

2021年2月17日:
アルバム『Ethernity』をリリース

2022年2月15日:
U-1(ギター)が脱退

2022年10月29日:
シンガポールのフェスティヴァル「Baybeats」に出演

2022年11月2日:
For Tracy Hyde & Death of Heatherのスプリット・シングル『Milkshake / Pretty Things』をリリース

2022年12月14日:
アルバム『Hotel Insomnia』をリリース

2023年1月5日:
解散を発表

2023年3月25日:
東京・渋谷WWW Xでのライヴ「Early Checkout: “Hotel Insomnia” Release Tour Tokyo」をもって解散

R.I.P. Mark Stewart - ele-king

文:野田努

「彼らはついに、変化とは、改革を意味するものでも改善を意味するものでもないことに気がつくだろう」——フランツ・ファノンのこの予言通り、世界は変わらなくていいものが変えられ、変わって欲しいものは変わらない。憂鬱な曇り空に相応しい訃報がまた届いた。その少し前にはジャー・シャカの訃報があり、今朝はマーク・スチュワートだ。いったい、坂本龍一といい、シャカといいマークといい、あるいは昨年から続いている死者のリストを思い出すと、勇敢な戦士たちがあちら側の世界に招かれている理由がこの宇宙のどこかに存在しているのではないかという妄想にとらわれてしまう。ファノンはまた、「重要なのは世界を知ることではない、世界を変えることだ」と言ったが、その意味を音楽に込めた人がまたひとりいなくなるのは、胸に穴が空いたような気分にさせるものだ。

 一般的に言えばマーク・スチュワートは、ブリストル・サウンドのゴッドファーザーだが、10代半ばのぼくにとってはファンクの先生だった。ジェイムズ・ブラウンが発明し、白いアメリカで生きる黒い人たちから劣等感を削除し前向きな自信を与えたこの決定的な音楽の語法を、ザ・ポップ・グループというバンドはパンクの文脈に流し込んだ。それだけでもどえらいことだが、ブリストルという地政学のなかで生まれたこのバンドは、実験音楽であると同時に脳内をふっとばす低音ダンス音楽でもあり、当時UKで起きていた移民文化にリンクするダブという概念もそこに混ぜ合わせたばかりか、さらにまたそこに、60年代のポスト・コルトレーンから広がる炎の音楽=フリー・ジャズにも手を染めていたのだった。

 カオスとファンクとの結合に相応しいそのバンドのディオニソスこそ、マーク・スチュワートに他ならなかった。彼らが標的にしたのは、資本主義であり植民地主義だったが(残念ながらいまや重要なトピックとなっている)、こうした政治的主張と音楽との融合において、最高にクールで、圧倒的に迫力があり、創造的で快楽的でもあったロック・バンドがいたとしたら、彼らだった。

 ザ・ポップ・グループとしてのずば抜けた3枚を残し、マークはザ・マフィアを名乗ってからもその手を緩めなかった。エイドリアン・シャーウッドとダブ・シンジケートのメンバーといっしょに録音したシングル「Jerusalem」(1982)とアルバム『Learning To Cope With Cowardice』(1983)は、〈ON-U Sound〉がダブの実験において、どこまでそれをやりきれるのかという、もっともラディカルな次元に没入していた時代の輝かしい記録である。サウンド・コラージュとダブとの境界線を曖昧にし抽象化した “Jerusalem” 、奈落の底から立ち上がるアヴァンギャルド・ゴスペル・ルーツ・ダブの名曲 “リヴァティ・シティ” はここに収録されている。

 新しい音楽のスタイルの出現をつねに肯定的に捉えていたマークが、ヒップホップを無視するはずがなかった。ザ・マフィアを経てソロ名義になった彼が最初に発表した、傑出したシングル「Hypnotized」と 『As The Veneer Of Democracy Starts To Fade(民主主義というヴェイルに包まれた時代が終わりを告げようとしているとき)』(1985)は、オールドスクール・ヒップホップの拠点から、シュガーヒル・ギャングの主要バックメンバー3人を引き抜いての制作で、これらはシャーウッドのダブの新境地によってインダストリアル・サウンドのルーツにもなった。

 このように、マークや〈ON-U Sound〉系の音楽にすっかり魅了されたファンの度肝を次に抜いたのは、1987年の決定的なシングル盤「This Is Stranger Than Love」だった。エリック・サティにはじまり、粒子の粗いヒップホップ・ビートがミックスされるこの曲には、90年代のブリストルを案内することになるスミス&マイティが参加し、のちのちトリップホップの先駆的1枚としても認定されている。

 この頃、マークはハウス・ミュージックへの共感を示していた。じっさい、1990年にリリースされた『Metatron』に収録された「Hysteria」は、都内のテクノ系のパーティでもよくかかっていたし、1993年に初来日した際のステージは、その数年前まではダンス・ミュージックのヒットメイカーだったアダムスキーとふたりによるパフォーマンスだった。渋谷のオンエアーのステージに登場し、あの大きな身体を豪快にゆらしながらあちこち動き回り、胃袋のそこから鳴らしているかのような彼の独特のヴォーカリゼーションを、ぼくの記憶から消そうたって無理な話である。

 個人的な思い出を言うなら、もうひとつある。1999年の話だが、ぼくはロンドン市内の図書館に隣接した、コーヒー一杯1ポンドほどの食堂で、マークと待ち合わせて、会って、話を聞いたことがある。これにはいくつかの不安と驚きがあった。携帯が普及する以前の話なので、彼に指定されたその場所に、時間通りにほんとうに彼が来てくれるのか、行ってみなければ確認のしようがなかった。また、ぼくに言わせれば、自分のスーパーヒーローのひとりが、日本からダブについての話を聞きに来ただけの(つまり、彼の作品のプロモーションでもないでもない)小さなメディアのために、ブリストルという地方都市からわざわざロンドンまで来てくれるのかという心配も、じゅうぶんにあった。だいたいこういう場合は、せめてそこそこ気の利いたレストランでおこなうというのが、ひとつの作法のようなものとしてある。しかしカネのない学生同士が待ち合わせるようなその広い場所に、マークはぼくよりも先に来て、ひとり、どこにでもあるような丸いテーブルのイスに腰掛けていた。

 これは奇遇としか言いようがない。先日亡くなったジャー・シャカの話も、そのときマークから嫌というほどされた。〈ON-U Sound〉における実験旺盛な時代の(マークにとっての)重要な影響源のひとつは、ジャー・シャカだった。ぼくは幸運なことに、1992年と1993年にロンドン市内の公民館で開催されていたシャカのサウンドシステムを経験していたので、マークの話にすっかり納得した。なるほどたしかに、ロンドンにおけるシャカのシステムは、それ自体が実験的といえるほど、あり得ない低音とあり得ない音のバランスで、原曲をまったく別のものにしていたのである。

 彼の長いキャリアのなかで、ぼくにしてみれば、出さなければ良かったのにと思った作品もある。何年か前に、再結成したザ・ポップ・グループとして来日したこともあったが、いくらそこで往年の代表曲を演奏しようとも、初来日におけるアダムスキーを従えてのよれよれのライヴのときの異様な緊張感を味わうことはなかった。が、そう、しかそれもいまとなっては贅沢な話なのだ。

 マーク・スチュワート、ザ・ポップ・グループ、ザ・マフィア、これらの影響力はものすごいものがある。マッシヴ・アタックやポーティスヘッドどころか、バースデー・パーティ(ニック・ケイヴ)のようなバンドだって、あのディオニソスがいなければ違ったものになっていただろう。

 フランツ・ファノンは、「抑圧された人たちは、つねに最悪を想定する」と言ったが、マークは逆で、未来に対して楽観的だった。新しいもの、若い才能をつねに褒め称え、あれだけ深刻な社会問題を取り上げてきたのに関わらず、よく笑う、あの豪快な佇まいの彼には、根っからの楽天性があった。いまぼくはそれをがんばって思い出そうとしているが、地のはるか暗い底から、ダブのベースとファンクの力強いリズムをともなって、彼の絶叫が呪いのように聞こえてくるのである。



文:三田格

 坂本龍一が83年に初めてラジオのレギュラー番組を持った「サウンドストリート」の第1回目を聞いていたら、『B2~Unit』を録音しているスタジオにスリッツのメンバーが毎日遊びに来るんだよと話している箇所があった。そして、お気に入りだというスリッツの曲をかける際に「ザ・ポップ・グループの兄弟バンド、いや、姉妹バンドです」と紹介し、ザ・ポップ・グループについてはなんの説明もなかった。第1回目の放送にもかかわらず、彼のラジオを聞いているリスナーはザ・ポップ・グループのことは知っていて当たり前といった雰囲気だった。ザ・ポップ・グループはその前年、セカンド・アルバムがリリースされると急に音楽誌で持ち上げられ、当時、大学生だった僕は波に乗ろうとする大人が大挙して現れたような気がしてしょうがなかった。ファーストに比べて明らかにフリーキーなセンスは薄まり、様式化が進んでいるというのに唐突に興奮し始めた大人たちの言動はどうにもナゾで、あの時のイヤな感じは40年経ってもいまだに身体から抜けてくれない。「ザ・ポップ・グループ」というネーミングがあまりにアイロニカルだったせいで、それはなおさらグロテスクに感じられ、資本主義的な文脈でアノニマスを気取ったネーミングはそれ自体がポップ・アートになっているという印象を倍増させる効果まであった。当時の音楽メディアがシーンを取り囲んでいた状況はXTC“This Is Pop”やPIL“Poptones”といったタイトルにも滲み出し、キング・オブ・ポップがトップに立つ日もすぐそこに迫っていた。ポップはもはや社会をテーマとして表現されるタームではなく、コマーシャリズムという姿勢に取って代わり、そのことに無自覚ではいられなくなった制度そのものを彼らは名乗っていたのである。消費主義が勢いを増す80年代の入り口でポップを対象化できなければ表現者の主体性が失われるという不安や焦燥をザ・ポップ・グループというネーミングは見事に集約していた。さらにセカンド・シングル“We Are All Prostitutes(私たちはみな金銭のために品性を落とす売春婦だ)”というタイトルはさすがに言い過ぎだと思ったけれど(いまだに少し抵抗がある)、ポップ・ミュージックをやるためにそこまで考えなければいけないのかという状況について認識できたことは大きかった。また、ザ・ポップ・グループについて何かを考えることはただの大学生でしかなかった僕が平井玄さんや粉川哲夫さんといった思想家たちと深夜ラジオで議論ができるパスポートになったことも僕にとっては少なからずだった。

 多大なインパクトを伴って現れたザ・ポップ・グループは、しかし、あっという間に解散してしまった。ザ・ポップ・グループはすぐにもピッグバッグとリップ・リグ&パニックに分かれてマテリアルやジェームズ・ブラッド・ウルマーといったフリー・ファンクの列に加わり、“Getting Up”や“You're My Kind Of Climate”がその裾野を大いに広げてくれたものの、マーク・ステュワートだけがどこかに消えてしまった。ザ・ポップ・グループが不在となった81年は僕にはパンク・ロックから続く狂騒が少し落ち着いたように感じられた年で、地下に潜った動きやドイツで始まった新たな胎動にも気づかず、個人的には音楽に対する興味が少し薄れた時期でもあった。日本では「軽ければ正義」といった風潮が蔓延し始めた時でもあり、TVをつければホール&オーツやシーナ・イーストンばかり流れていた。これが。しかし、82年になると様相が一変する。「破壊」と「創造」が必ずセットで訪れるものならば、82年はパンクによって破壊されたポップ・ミュージックが見事に再構築を成し遂げた年だと思えるほど、あらゆる場面に力が漲っていた。アソシエイツやキュアー、スクリッティ・ポリッティにファン・ボーイ・スリーと数え切れないアイディアが噴出し、それぞれが持っていた独自のヴィジョンはニュー・ロマンティクスから第2次ブリティッシュ・インヴェンジョンへと拡大していく。リップ・リグ&パニックやピッグバッグが先導したブリティッシュ・ファンクはディスコ・ビートとあいまってその原動力のひとつとなり、ナイトクラッビングがユース・カルチャーのライフスタイルとして完全に定着したのもこの時期である。ほんとに何を聞いても面白かった。ひとつだけ不満があるとしたら、それはダブの可能性が思ったほど翼を広げなかったことで、フライング・リザーズやXTCのアンディ・パートリッジによるソロ作など、ダブをジャマイカの文脈から切り離して独自の方法論に持ち込むプロデューサーが期待したほどは増えなかったこと。ダブよりもファンクというキーワードの方が大手を振るっていたというか。マーク・ステュワートがマフィアを率いて“Jerusalem”を投下したのはそんな時だった。

 83年に入ってすぐに輸入盤が届いた“Jerusalem”は祭りに投げ入れられた石のようだった。さらなる興奮を覚えた者もいれば、白けて避けてしまった者もいたことだろう。“Jerusalem”はジャケット・デザインがまずはザ・ポップ・グループと同じ刺激を回復させていた。紙を折りたたんだだけのジャケットもラフで無造作なら、引っ掻き傷のような文字はナイトクラッビングやニュー・ロマンティクスとは異なる文化の健在を表していた。ザ・ポップ・グループが放っていたヴィジュアルと言語による挑発はすべてマーク・ステュワートによるものだったと再確認させられた瞬間でもあり、“Jerusalem”やカップリングの““Welcome To Liberty City””などインダストリアル・ミュージックとダブをダイレクトに結びつけたサウンドは鮮烈のひと言で、カリブ海を遠く離れたダブ・サウンドがポップ・ミュージックの再構築ではなく「パンクの再定義」と評されたのもなるほどだった。様式化されたパンクやマイナー根性に支配されたアンダーグラウンドとは異なり、不遜で広く外に開かれた攻撃性はそれこそパンク直系であり、アソシエイツやスクリッティ・ポリッティに覚えた興奮とは異なる次元が存在していたことを一気に思い出させてくれた。パンク・ロックに触発された言説に「誰でも音楽ができる」というワン・コード・ワンダーとかスリーコード万能論のようなものがあり、その通りチープな音楽性が勢いづくという局面が当時から、あるいは現代でも少なからず存在している。それとは逆にパンクが高度な音楽性と結びついてはいけないというルールがあるわけもなく、パンクがトーン・ダウンした時期にファンクやジャズをパンクと結びつけたのがザ・ポップ・グループだったとしたら、マーク・ステュワート&マフィアは同じくそれをダブやレゲエと結びつけ、もう一度、同じインパクトまで辿り着いたのである。それはやはり並大抵のクリエイティヴィティではなかった。追ってリリースされたファースト・アルバム『Learning To Cope With Cowardice』ではさらにその方法論が縦横に展開されていた。どれだけテープを切ったり貼ったりしたのか知らないけれど、“To Have A Vision”や“Blessed Are Those Who Struggle”の目まぐるしさは格別だった。

 90年代に入ってからマーク・ステュワートがアダムスキーを伴って来日し、ボアダムズなどが出演するイヴェントで前座じみたステージやったことがあった。アダムスキーというのはレイヴ初期にコマーシャルな夢を見たスター・プロデューサーの1人で、レイヴがヒット・チャートとは異なるオルタナティヴな磁場を独自に切り開いた頃にはバカにされて放り出された存在だった。マーク・ステュワートとアダムスキーというのは、つまり、水と油のような組み合わせだったのに、これがそれなりに泥臭いテクノとしてまとまったステージを成立させていた。『Learning To Cope With Cowardice』やその後のソロ・アルバムでもそうなんだろうけれど、マーク・ステュワートのサウンドはおそらくエイドリアン・シャーウッドの力によるところが大きく、マーク・ステュワートという人は自身のアイデンティティと音楽性がそれほど強くは結びついていないのだろう。シンセーポップかと思えばニュービートとあまりに節操がなく、サイレント・ポエッツにザ・バグと交際範囲も度を越している。彼にとって大事なことは極左ともいえるメッセージを伝えることであり、イギリスでは活動家と認識されるほど明確に権力と対峙することで、確か自分のことをジャーナリストと呼んでいた時期もあった。とはいえ、彼はやはりヴォーカリストだった。目の前でマイクを握りしめていた時の存在感は圧倒的で、彼の声には独特の張りがあり、彼が敬愛していたらしきマルカム・Xに通じるカリスマ性も申し分なかった。

 ある時、インタビューを始めようと思ったらマーク・ステュワートに「腕相撲をしよう」と言われて彼の手を思いっきり握ったことがある。当たり前のことだけれど、彼の手は暖かく、少しがさがさとしていて分厚かった。あの手に二度と力が入らないと思うとやはり悲しく、どうして……という気持ちにならざるを得ない。R.I.P.

Yo La Tengo - ele-king

 COVID-19というパンデミックがもたらした衝撃は、三波にわたり音楽を襲ったようだ。

 第一波は、フィオナ・アップルの『Fetch the Bolt Cutters』のようなアルバムで、パンデミック以前に作曲・録音されたものだが、閉塞感や孤立というテーマ、また、自宅で制作されたような雰囲気が、ロックダウン中のリスナーの痛ましい人生と、思いもかけぬ類似性を喚起した。

 第二波は、2020年の隔離された不穏な雰囲気の中で録音された作品群のリリース・ラッシュである。ニック・ケイヴとウォーレン・エリスの『Carnage』のように、緊張感ただよう分断の感覚を音楽に反映させたケースもあった。ガイデッド・バイ・ヴォイシズの『Styles We Paid For』では、離れ離れになってしまったロック・ミュージシャンたちが、電子メールで連絡を取り合いながら、デジタルに媒介された現代において失われつつある繋がりについて考察している。また、パンデミックによるパニック状態を麻痺させようと、アンビエントな音の世界に浸ることで、絶叫したくなるような静けさの中に安心感を生み出そうとしたアーティストたちもいた。ヨ・ラ・テンゴが短期間でレコーディングした、即興インストゥルメンタル・アルバム『We Have Amnesia Sometimes』の引き延ばされたようなテクスチャーとドローンは、一見するとこの後者の反応に当てはまるように思われる。

 しかしながら、この作品は、パンデミックが音楽にもたらした第三の波、つまり、リセットと再生という方向性を示しているのかもしれない。そこで登場するのが、このバンドの最新アルバム『This Stupid World』である。

 ヨ・ラ・テンゴについて、「過激な行動」や「激しい変化」という観点から語るのは、誤解を招く印象を与えるかもしれない。このバンドは、1993年の『Painful』で自身のサウンドを確立して以来、30年間にわたってその領域を拡張してきたわけだが、彼らがいままでに作ってきたどんな楽曲を聴いても、すぐに「これはヨ・ラ・テンゴだ」とわかるバンドである。それは、彼らの音楽がすべて同じに聴こえるという意味ではなく、彼らがいま占めている領域が、紛れもなく彼らのものであるように感じられるということだ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが、わずか5枚のアルバムで切り開いた道は、いまやヨ・ラ・テンゴが20枚近いアルバムで包括的に探求し、拡張しており、たとえ彼らがその道の先駆者でなかったとしても、ヨ・ラ・テンゴこそがこれらの道を知り尽くした、影響力ある道案内だと言っても過言ではないだろう。

 簡単に言うと、ヨ・ラ・テンゴは自分たちがどのようなバンドであるかを理解しているのだ。彼らが長年にわたって起こしてきた変化というのは、総じて、甘美なものと生々しいものの間の果てしない葛藤に対して、様々な取り組みをしてきたことによる質感の移り変わりであると言える。彼らは、身近にあるツールを使って、角砂糖から血液を抽出するための様々な方法を模索してきたのだ。そして、ここ10年間は『Fade』や『There’s a Riot Going On』のようなアルバムにおいて、その過程のソフトな一面の中に、彼らが抱えている様々な不安を包み込んでいる傾向があった。

『We Have Amnesia Sometimes』は、ある意味、そのような優しい世界への旅路の集大成のように感じられた。だが一方で、この作品は、メンバーだけが練習室にこもり、中央に置かれた1本のマイクに向かって演奏したものが録音されたという、非常に生々しいアルバムでもあった。その撫でるような感触は確かに心地良いものだったが、このアルバムはメロディーを削ぎ落とし、彼らがノイズと戯れ、ポップな曲構造から完全に遊離したもので、ジョン・マッケンタイアがプロデュースを手がけた『Fade』にあった滑らかなストリングスのアレンジメントからは完全にかけ離れていたものだった。それはリセットだったのだ。

 では、『This Stupid World』はどのような作品なのだろうか。バンドは今作のプロダクションにDIY的なアプローチを全面的に取り入れており、7分間のオープニング曲 “Sinatra Drive Breakdown” から、かすれたような、粘り強い前進力がこのアルバムに備わっている。規制が緩和され、パンデミックより先のことが考えられるようになったとき、音楽シーンにいる多くの人が感じたものがあったが、それは、周囲の快適さが、抑圧されていた衝動に取って変わり、その衝動が爆発する出口を求めているという感覚だった。この曲はその感覚を捉えている。新鮮な気持ちで世界へと飛び出し、全てを再開するという感覚。再び人と会い、再び何かをしたいと思い、再び一緒に音を出す。もう2年も無駄にしてしまったのだから、いまこそが、それをやるときなのだ。

 同時に、ヨ・ラ・テンゴが確実にヨ・ラ・テンゴであり続けていることは、決して軽視すべきことではない。A面の最初の数秒から、ヨ・ラ・テンゴであることはすぐに認識でき、彼ら自身もそのことに対して完全な確信を持っている。『This Stupid World』は、彼らの過去30年におけるキャリアのどの時点でリリースされてもおかしくないアルバムであり、誰にとっても驚きではなかっただろう。このアルバムの48分間は、3面のレコード盤という、通常なら忌まわしいフォーマットで構成されているのだが、ヨ・ラ・テンゴらしい遊び心と妙な満足感がある。A面は、ゾクッとするようなディストーションと力強い威嚇が暗闇から唸り声を上げ、2曲目の “Fallout” はバンドがこれまで書いた曲の中で最も快活で生々しいポップ・ソングであり、A面を締めくくる “Tonight’s Episode” は、絶え間なく鳴り続けるフィードバック音の中、シンプルなグルーヴが柔らかに跳ねている。B面では、ジョージア・ハブリーがヴォーカルを取って代わり、“Aselestine” では最も甘美なスポットライトが彼女に当たり、ヨ・ラ・テンゴの抑えの効いたサウンドへの基調が打ち出されていく。そして、最終的には、メロディーと、むさ苦しいノイズ・ロック、テクスチャーのあるドローンといった、彼らのコアとなるスタイルへと回帰する。B面の最後は、永遠にループする仕様(ロックド・グルーブ)になっており、これはちょっとしたイタズラ心か、あるいはアルバム最後の2曲を聴くために、最後のレコードを取り出す時間をリスナーに与えるためのものだろう。

 最後の面では、ヨ・ラ・テンゴのノイズ・ロック的な側面がさらに深く掘り下げられており、何層にも重なったフィードバックとディストーションの中にリスナーを没入させていく。“Fallout” が、はるか彼方の海底からつぶやくように再び現れると、音楽は音程を外すように溶け出し、シンセ・ドローンの疲れながらも希望感ある流れに取って代わり、その雰囲気からデヴィッド・リンチを彷彿とさせるようなドリーム・ポップが浮き彫りになる。この2曲は、このアルバムを見事に締めくくるトラックであり、ここ数年ロウが追求してきた、激しい音の暴力と心が震えるような美しさの衝撃的な共存というものに、ヨ・ラ・テンゴがいままでになく近づいていることを示す2曲ではないだろうか。だが彼らはそれをヨ・ラ・テンゴらしく、最初から最後までやり遂げている。彼らは自分たちが何者であるか知っているが、『This Stupid World』では、その認識がより一層強く感じられるのだ。


by Ian F. Martin

The shock to the system delivered by the COVID-19 pandemic seems to have hit music in three waves.

The first was with albums like Fiona Apple’s “Fetch the Bolt Cutters”, written and recorded before the pandemic but where the theme of being trapped and the secluded, homemade atmosphere evoked unexpected parallels with the bruised lives of locked-in listeners.

The second was the initial rush of releases that were recorded in the atmosphere of isolation and unease of 2020. In some cases, like Nick Cave and Warren Ellis’ “Carnage”, this meant channeling that tense sense of fragmentation into the music. In Guided By Voices’ “Styles We Paid For” it meant dispersed rockers working by email to reflect on the loss of connection in digitally mediated lives. Others sought to anaesthetise the panic, using ambient sonic furniture to craft a sense of security out of the screaming silence. It’s this latter response to the situation that the drawn-out textures and drones of Yo La Tengo’s speedily recorded, improvised instrumental album “We Have Amnesia Sometimes” seemed on the face of it to fall into.

However, it perhaps also points the direction towards a third wave of influence brought to music by the pandemic: one of reset and even rejuvenation. It’s here that the band’s latest album, “This Stupid World” comes in.

Talking about Yo La Tengo in terms of radical moves and sharp shifts often seems like a misleading way to discuss them. This is a band where, at least since the expansion of their sound mapped out in 1993’s “Painful”, you can hear almost anything they’ve done over those thirty years and instantly know it’s them. This is not to say that their music all sounds the same so much as that the territory they occupy now feels so indisputably theirs. Paths blazed by The Velvet Underground over a mere five albums have now been explored and expanded by Yo La Tengo so comprehensively over nearly twenty albums that even if they weren’t the first, they’re these roads’ most immediately recognisable travellers and most influential stewards.

To put it simply, Yo La Tengo know what sort of band they are. The ways they have changed over the years have generally occurred in the shifting textures of their varying approaches to the endless struggle between the sweet and the raw — in finding different ways, with the tools at hand, to get blood from a sugarcube — and over the past decade or so, albums like “Fade" and “There’s a Riot Going On” have tended to wrap up whatever anxieties they have in the softer side of that process.

In some ways, “We Have Amnesia Sometimes” felt like a consummation of that journey into gentle fields. It was also a very raw album, though, recorded by the band alone in their practice room, playing into a single centrally placed microphone. There was certainly something soothing about its caress, but it was an album that stripped away melody and let them play with noise, liberated entirely from pop song structures — as far as the band has ever been from the smooth string arrangements of the John McEntire-produced “Fade”. It was a reset.

So what does that make “This Stupid World”? Well, the band have fully embraced a DIY approach to production, which from seven-minute opener “Sinatra Drive Breakdown” gives the album a scratchy, insistent forward momentum. It captures that feeling many of us in the music scene felt as restrictions relaxed and we start thinking beyond the pandemic, the comfort of the ambient giving way to a repressed urgency seeking an outlet from which to explode. The feeling of lurching out into a world where we are starting again, fresh: meeting people again, wanting to do something again, making a noise together again. We’d wasted two years already and now was a time to just do it.

At the same time, it’s important not to understate the extent to which Yo La Tengo are always definitively Yo La Tengo. From those first few seconds of Side A, the band are immediately recognisable and completely assured in themselves — “This Stupid World” is an album they could have released at any point in the past thirty years and surprised no one. Even in how the album’s 48 minutes are sequenced over the usually cursed format of three sides of vinyl manages to be both playful and strangely satisfying in a distinctly Yo La Tengo way. Side A growls out of the darkness in squalls of thrilling distortion and reassuring menace, second track “Fallout” as fizzy and raw a pop song as the band have ever written, and side closer “Tonight’s Episode” hopping softly around its simple groove beneath a constant hum of feedback. Side B flips the story with Georgia Hubley taking vocals for one of her sweetest spotlight moments in “Aselestine”, setting the tone for a tour through the band’s more sonically restrained side, eventually returning to their core conversation between melody, skronky noise-rock and textured drones. It ends on a lock-groove — perhaps born from a sense of mischief or perhaps to give the listener time to whip out the last disc for the final two songs.

The final side digs even deeper into Yo La Tengo’s noise-rock side, immersing the listener in layers of feedback and distortion, “Fallout” reappearing in a distant, submarine murmur before the music slips out of tune and dissolves, giving way to tired but hopeful washes of synth drone, crafting Lynchian dreampop out of the the ambience. These two tracks make for an intriguing exit to the album, and together form perhaps the closest the band have yet come to the devastating coexistence of harsh sonic violence and heart-stopping beauty explored over the last few years by Low. They way they do it is Yo La Tengo all the way, though: they know who they are, but on “This Stupid World” they’re just more so.

Buffalo Daughter - ele-king

 昨年は力作『We Are Time』を発表、また『New Rock』と『I』のアナログ盤はそっこうで売り切れと、そうです、日本のオルタナティヴにおけるリジェンドと呼んでいいでしょう、結成30周年のバッファロー・ドーターが、なんと、新進気鋭のLAUSBUBを迎えてのライヴを開催する。これはもう行くしかない。

Buffalo Daughter presents Neu Rock with LAUSBUB

2023年6月25日 (日) 開場 17:00 / 開演 18:00
@表参道WALL&WALL

出演:
Buffalo Daughter
LAUSBUB

【チケット情報】
前売入場券:¥4,000 +1drink ¥700
<販売期間:4/6 18:00〜6/24 23:59>

当日入場券:¥4,500 +1drink ¥700
<販売期間:6/25 17:00〜>

チケット購入URL(ZAIKO):
https://wallwall.zaiko.io/item/355562

WALL&WALLオフィシャルイベントページURL:
http://wallwall.tokyo/schedule/20230625_buffalodaughter_lausbub/

■Buffalo Daughter プロフィール

シュガー吉永 (g, vo, tb-303) 大野由美子 (b, vo, electronics) 山本ムーグ(turntable,vo)

1993年結成以来、ジャンルレス・ボーダーレスに自由で柔軟な姿勢で同時代性溢れるサウンドを生み出し続けてきたオルタナティブ・ロック・バンド。ライヴにも定評がありワールドワイドで大きな評価を得ている。
2021年9月に、現在最新作となる8thアルバム 『We Are The Times』をワールドワイドでリリース。7年ぶりのアルバムは長い期間の色々な思いが惜しみなく曲の中に凝縮され、パンデミックにより大きな変化を迎えた世界の確かな指標を示す作品となった。
2022年は日本でのツアーに加え6月に行われたメルボルンでのRising Festivalに出演。
結成30周年を迎える2023年は、1998年にリリースした『New Rock』(Grand Royal)と、2001年発売の『I』(Emperor Norton Records)のアナログ盤を、それぞれボーナストラックを収録した2枚組で再発。2023年5~6月には3つのアルバムを提げパンデミック後初の北米ツアーを行う。
official site: https://buffalodaughter.com
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■LAUSBUB (ラウスバブ) プロフィール

2020年3月、北海道札幌市の同じ高校の軽音楽部に所属していた、岩井莉子と髙橋芽以によって結成されたニューウェーブ・テクノポップ・バンド。
2021年1月18日、Twitter投稿を機に爆発的に話題を集め、ドイツの無料音楽プラットフォーム”SoundCloud”で全世界ウィークリーチャート1位を記録。同時期に国内インディーズ音楽プラットフォーム”Eggs”でもウィークリー1位を記録。同年6月18日、初のDSP配信となる配信シングル『Telefon』をリリース。翌日6月19日 初の有観客イベント「OTO TO TABI in GREEN (札幌芸術の森)」出演。
2022年11月16日には初フィジカル作品となる1st EP「M.I.D. The First Annual Report of LAUSBUB」をリリース。

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COMPUMA - ele-king

 昨年、ソロ・アルバム『A VIEW』を発表し、さざ波のようにその評判が広がったことは記憶に新しい。COMPUMAの、アルバム・リリース後に渋谷WWWにおいておこなわれた初ライヴの模様がDVDとして発売される。内田直之がさらにダブミキシングを加え、映像作家・住吉清隆がその世界の映像化を研ぎ澄ませる。注目しましょう。
 なお、『A VIEW』のアナログ盤もリリースされるようで、こちらは限定300枚。詳しくはレーベル・ブログをチェック

アーティスト:COMPUMA
タイトル:A VIEW MOVIES(LIVE DUB)
リリース日:2023年4月28(金)
レーベル:SOMETHING ABOUT
品番:SOMETHING ABOUT 006
フォーマット:DVD+Download Code
値段:2000円(税抜)
流通:SOMETHING ABOUT / ブリッジ

■LP
アーティスト:COMPUMA
タイトル:A VIEW
リリース日:2023年4月28(金)
レーベル:SOMETHING ABOUT
品番:SOMETHING ABOUT 005 LP
フォーマット:LP2枚組+Download Code
値段:4500円(税抜)
流通:SOMETHING ABOUT

■レーベル詳細URL(近日公開予定)
https://compuma.blogspot.com

Cantaro Ihara - ele-king

 いよいよ新作フルレングスの登場だ。70年代以降のソウルやAORなどからの影響をベースにしつつ、現代的な感覚で新たなサウンドを探求するシンガー・ソングライター、イハラカンタロウ。昨年からウェルドン・アーヴィン日本語カヴァーや “つむぐように (Twiny)” といったシングルで注目を集めてきた彼が、ついにセカンド・アルバムを送り出す。メロウかつ上品、どこまでもグルーヴィーなサウンドと練られた日本語詞の融合に期待しよう。

70年代からのソウル〜AORマナーやシティ・ポップの系譜を踏襲したメロウなフィーリング、そして国内外のDJからフックアップされるグルーヴィーなサウンドで注目を集めるイハラカンタロウ待望の最新アルバムがリリース決定!

ジャンルやカテゴリにとらわれない膨大な音楽知識や造形の深さでFM番組やWEBメディアでの海外アーティスト解説やイベント、DJ BARでのミュージックセレクターなどミュージシャンのみならず多方面で活躍するイハラカンタロウが、前作『C』から2年を越える歳月を費やした渾身のフルアルバムをついに完成!

世界的なDJ、プロデューサーとしても知られるジャイルス・ピーターソンのBBCプレイリストにも入るなど海外、国内ラジオ局でのヘヴィ・プレイから即完&争奪戦となったWeldon Irvineによるレア・グルーヴ〜フリー・ソウルクラシック「I Love You」(M7)日本語カバーや、サウスロンドンのプロデューサーedblによるremixも話題となったスタイリッシュ・メロウ・ソウル「つむぐように (Twiny)」(M2)といった先行シングルに加えて、新進気鋭のトランペッター “佐瀬悠輔” が艶やかなホーンを聴かせるオーセンティックなソウルナンバー「Baby So in Love」(M3)、現在進行形のルーツ・ミュージックを体現する“いーはとーゔ”の菊地芳将(Bass)、簗島瞬(Keyboards)らが臨場感溢れるパフォーマンスを披露した極上のグルーヴィー・チューン「アーケードには今朝の秋」(M4)、そして自身のユニット “Bialystocks” でも華々しい活躍を続ける菊池剛(Keyboard)が琴線に触れるメロディーを奏でる「夜の流れ」(M6)など同世代の才能あるミュージシャン達が参加した新たな楽曲も多数収録!

イハラカンタロウ『Portray』ティザー
https://youtu.be/RyE9RtDsohk


[リリース情報]
アーティスト:イハラカンタロウ
タイトル:Portray
フォーマット:CD / LP / Digital
発売日:CD / Digital 2023年4月28日 LP:2023年7月19日
品番:CD PCD-25363 / LP PLP7625
定価:CD ¥2,750(税抜¥2,500)/ LP ¥3,850(税抜¥3,500)
レーベル:P-VINE

[Track List]
01. Overture
02. つむぐように (Twiny)
03. Baby So in Love
04. アーケードには今朝の秋
05. Cue #1
06. 夜の流れ
07. I Love You
08. ありあまる色調
09. You Are Right
10. Cue #2
11. Sway Me

[Musician]
Pf./Key.:菊池剛(Bialystocks)/簗島瞬(いーはとーゔ)
E.Guitar:Tuppin(Nelko)/三輪卓也(アポンタイム)
E.Bass:toyo/菊地芳将(いーはとーゔ)
Drums:小島光季(Auks)/中西和音(ボタニカルな暮らし。/大聖堂)
Tp./F.Hr.:佐瀬悠輔

[特典情報]
タワーレコード限定特典:未発表弾き語り音源収録CD-R

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[イハラカンタロウ]
1992年7月9日生まれ。70年代からのソウル〜AORマナーやシティ・ポップの系譜を踏襲したメロウなフィーリングにグルーヴィーなサウンドで作詞作曲からアレンジ、歌唱、演奏、ミックス、マスタリングまで 手がけるミュージシャン。都内でのライヴ活動を中心にキャリアを積み2020年4月に1stアルバム『C』(配信限定)を発表、“琴線に触れる” メロディ、洗練されたアレンジやコードワークといったソングライティング能力の高さで徐々に注目を集めると、同年12月にはアルバムからの7インチシングル「gypsy/rhapsody」、そして2022年2月には「I Love You/You Are Right」(7インチ/配信)をリリース、さらには12月にサウスロンドンで注目を集めるプロデューサーedblによるリミックスを収録した「つむぐように (Twiny)」(7インチ/配信)をリリースし、数多くのラジオ局でパワープレイとして公開され各方面から高い評価を受ける。またライヴや作品リリースだけでなく、ラジオ番組や音楽メディアで他アーティストの作品や楽曲制作にまつわる解説をしたり、ミュージックセレクターとしてDJ BARへの出演やTPOに合わせたプレイリストの楽曲セレクターなどへのオファーも多く、深い音楽への造詣をもってマルチな活動を行なっている。2023年2月には「I Love You (DJ Mitsu The Beats Remix)」(7インチ/配信)をリリース、春には待望の2ndアルバムのリリースを予定している。

Twitter:https://twitter.com/cantaro_ihara
Instagram:https://www.instagram.com/cantaro_ihara/

interview with Lankum - ele-king

 ノイズもエレクトロもアンビエントもヒップホップも現代音楽も飲み込んだ21世紀型アイリッシュ・フォーク・シーンの最前線に立つランクム。通算4作目となる3年半ぶりの新作『False Lankum』に感嘆すると同時に、これほどの傑作が日本では発売されないと聞いて驚いている。欧米メディアで大絶賛された2019年の前作『The Livelong Day』も素晴らしかったが、この新作では自分たちの音作りの特徴──強力なドローン、深い陰影、繊細なノイズ等々を活かしつつ、音楽的洗練度が格段にレヴェルアップしているのだ。
 全12曲は、5曲のトラッド・ソング、2曲のカヴァ、3つのインスト小曲を含む5曲のオリジナル曲という構成になっており、アルバム全体で大きな物語を描いているような印象。ドラマティックである。

 日本ではまだほとんど無名なので、改めて簡単にバンドを紹介しておこう。ランクムは、ダブリン出身のイアン・リンチ(Ian Lynch:イリアン・パイプス/ティン・ホイッスル/ヴォーカル)、ダラグ・リンチ(Daragh Lynch:ギター/ヴォーカル)のリンチ兄弟と、コーマック・マクディアーマダ(Cormac MacDiarmada:フィドル/ヴォーカル)、そして紅一点レイディ・ピート(Radie Peat:コンサーティーナ他/ヴォーカル)から成る4人組。2000年代前半からリンチ兄弟がやっていたパンク&サイケ・テイスト溢れるフォーク・デュオ、リンチド(Lynched)に伝統音楽シーンで腕を磨いてきたコーマックとレイディが加わった14年にランクムへとバンド名を変え、アイルランドのトラディショナル・フォークに本格的に取り組むようになった。
 これまでにリンチドとして『Where Did We Go Wrong ?!』(04年)と『Cold Old Fire』(14年)、ランクムとして『Between The Earth And Sky』(17年)③と『The Livelong Day』(19年)をリリースしてきたが、リンチドの2枚目『Cold Old Fire』にはコーマックとレイディが既に参加しており、実質的にはこれがランクムの1作目とみなされてきた。

 コロナ禍のロックダウン期間中にじっくりと時間をかけて制作されたというこの新作について、リーダーのイアン・リンチに詳しく語ってもらった。
 なお、過去の原稿では彼らのバンド名を「ランカム」と表記してきたが、今回から「ランクム」に変えさせていただく。

DIYパンク・シーンで活動してきたという背景があるから、巨大レーベルやメインストリームな音楽業界に対する不信感が十分に培われているんだよ。そして年齢を重ねるごとに、それはすべて実際その通りだということがわかってきた。

新作の素晴らしさに感嘆しました。音作りに関して、あなたたちの頭の中にはどのようなヴィジョンやコンセプトがあったのですか?

イアン・リンチ(Ian Lynch、以下IL):アルバムの制作開始時にあった唯一の考えは、前作『The Livelong Day』のサウンドを拡張しようということだった。つまり、ダークな部分はよりダークに、綺麗な部分はより綺麗に、繊細な部分はより繊細にというように、『The Livelong Day』のサウンドのあらゆる側面を押し広げようとしたんだ。俺たちは、あのアルバムのサウンドにとても満足していたから、過去10年間に描いてきた軌道に乗ったまま、サウンドの拡張を続けようとしたんだ。作業が進むにつれ、それ以外のアイデアも色々と出てきたけれど、アルバム制作に向けた最大のコンセプトはサウンドを拡張するということだった。最終的にどんなアルバムができるかは、やってみないと自分たちでもわからなかった。

アルバム・タイトルの『False Lankum』に込められた意図について説明してください。

IL:俺たちのバンド名であるランクムの由来は古いバラッドで、そのタイトルが「False Lankum」というんだ。だから自分の頭の中には常にその言葉があった。2014年にバンド名をリンチド(Lynched)からランクムに変えたときも、当初のアイデアでは「False Lankum」にしたいと思っていたんだよ。とても気に入っているタイトルだからね。今回、アルバム・タイトルを『False Lankum』にしたのは、少し曖昧というか不明瞭な感じを持たせたかったからなんだ。俺たちの過去のアルバムのタイトルはすべて、曲の一部からの引用だったけど、今回のアルバム・タイトルは、人々が疑問に思うような、よくわからない感じにしたかった。「False Lankum(=虚偽のランクム)」とは何だろう? 「False Lankum」があるということは、「True Lankum(=真実のランクム)」もあるのだろうか? ……という疑問をリスナーに抱かせたかったんだ。俺たちがランクムとして表現していることは、俺たちの真の形、全体像ではないのかもしれない……そんな疑問。たとえば今回のアルバムの曲に “The New York Trader” というのがあるんだけど、それは、いままでの人生で悪事ばかり働いてきたジョナという名の奴が船に乗っていて、彼のせいで、船全体が危機的状況に陥ってしまい、船員たちは自分たちの命を救うために彼を船から追放しなければいけないという話なんだ。つまり、もしそれ(=ジョナ)が俺たちだったら? ということ。ランクムはアイルランドの伝統音楽を救うためにいるのではなく、破壊するためにいて、ジョナのように俺たちが船から追放されるべき存在だったらどうする? そんなことを考えていたんだ。まあ、あまり言葉で説明したくないんだけど(笑)、意図としてはそういうことだよ。

前作『The Livelong Day』はメディアでの評価が非常に高かったから、今回はプレッシャーが大きかったのではないですか?


Lankum『The Livelong Day』

IL:いや、あまりプレッシャーはなかったよ。まあ、アルバムを作るたびにある程度のプレッシャーはあるだろう。特に、前作のできが良いと、次の作品にも前作と同じくらいの期待がかけられる。そういう外部からのプレッシャーはあるけれど、俺たちは、音楽を作っているこの4人の身内サークル内にそういったプレッシャーは持ち込まないようにしている。というか、あまり意識していない。俺たちにとって大切なのは、アルバムの音を誰よりも先に聴いて、自分たちがその音に満足し、それを誇りに感じられるということだから。いままでもそういう意識でアルバムを作ってきた。前作も、音源をマスタリングに出す前の状態で、俺たちは自分たちが作り上げたものにとても満足していた。今回のアルバム制作には約2年という長い時間をかけた。すべてにおいて自分たちが100%納得するまでは外に出さない。そして、外に出す時点で俺たちは、他の人がアルバムについてどう思うのかということは気にしていない。今回のアルバムに関しては、長年のファンの中にはこれを気に入ってくれない人もいるかもしれないと思ったけれど、それは仕方のないことだと単純に思えた。たとえそうなっても、俺たちまったく気にしないよ。

今回の制作にあたり、〈ラフ・トレイド〉からは何か注文や要望はありましたか?

IL:俺が知っている範囲ではないし、あったとしても、俺自身は何も言われていない。レーベルがマネジャーに色々と注文していて、マネジャーが密かに俺たちの脳にアイデアの種を植えたり洗脳したりしているのかもしれないけど……いや、それも多分ないと思う(笑)。〈ラフ・トレイド〉と仕事ができるのはとても素晴らしいことだよ。メジャー・レーベルと契約したバンドからは酷い話をよく聞くからね。そもそも俺には、DIYパンク・シーンで活動してきたという背景があるから、巨大レーベルやメインストリームな音楽業界に対する不信感が十分に培われているんだよ。そして年齢を重ねるごとに、それはすべて実際その通りだということがわかってきた。でも、俺たちと〈ラフ・トレイド〉の関係はとても良好だ。俺たちの音楽的ヴィジョンを自由に追求させ、それを応援してくれる。彼らのアプローチもライトというか、あまり介入してこない。本当に素晴らしいと思うよ。同じようなアプローチでやっているレーベルは他にあまりないと思うから、そういう意味では非常に恵まれていると思うな。

ある曲の中には、セロリが育つ音がピッチダウンされた状態でどこかに忍ばせてあるんだよ。そういう細かいことをたくさんやったから、今回のアルバムではどの曲も、ものすごい数のレイヤーが含まれている。

前作『The Livelong Day』に対する反応で、特に嬉しかったもの、印象深かったものはどういったこと(言葉や事象)でしたか?

IL:アルバムに対する嬉しい反応やコメントはたくさんあったよ。特に感激したのは、ノルウェーのバンド、ウルヴェル(Ulver)の反応だった。彼らが90年代にリリースしたブラック・メタルのアルバムの何枚かは俺がとりわけ好きな作品で、彼らはその後も素晴らしいエレクロトニック音楽を作り続けていた。そんな彼らがランクムのヴィデオ・クリップをSNSにアップしてくれたんだ。「オーマイガッド!!!」と感激したよ。それからアメリカのロード・アイランド州プロヴィデンス出身のアーティスト、リングア・イグノタ(Lingua Ignota)がランクムもやっているトラッド・ソング “Katie Cruel” のカヴァーを発表したときに、インスピレイション源としてランクムの名を挙げてくれたんだ。彼女の音楽は大好きだからすごく嬉しかった。


Lingua Ignota “Katie Cruel”

 あと、イギリスのザ・バグ(The Bug=ケヴィン・マーティン)も俺たちのアルバムを高く評価してくれて感激した。俺たちが大好きな音楽を作るアーティストや尊敬するアーティストにランクムの音楽がようやく届くようになったということがすごく嬉しかった。仲間というか、同じような活動をしている人たちや自分が尊敬している人たちからのポジティヴな反応ほど嬉しいものはない。新聞や雑誌のレヴューで高く評価されるのも嬉しいけれど、やはり、自分が尊敬しているミュージシャンから評価されるのはまったく違う嬉しさがある。

前作『The Livelong Day』からこの新作までの約3年の間で、バンド内、あるいはバンド周辺で何か変化はありましたか?

IL:変化はたくさんあったよ。パーソナルなものからアーティスティックなものまで。一番大きな変化はコンサーティーナのレイディ・ピートに赤ちゃんが生まれたことだね。それはとても良い変化だった。その一方で、みんなの精神衛生面が悪くなってしまったり、健康面での問題もあった。ロックダウンにも大きな影響を受けたけど、そのせいで逆に、俺たちは各自のソロ・プロジェクトやアルバムに専念することができた。だから悪い時期ではなかったと思う。この数年間で俺たちは各自の成長を遂げることができた。コロナという状況を最大限に活かすことができたと思う。このアルバムもその期間内に作ることができたし、各メンバーもそれぞれの変化を体験して、進化していった。3年前に比べると、バンドのランドスケープ(=置かれている状況や環境)がまったく違うものになったと感じられるね。

コロナ禍が本作に及ぼした影響について、もっと具体的に語ってもらえますか。

IL:影響は大きかったね。俺がいまいるこの大きな部屋は、ダブリン南部にある築200年くらいの塔なんだ。ロックダウン中にこの塔の所有者が俺に連絡をくれて、「自分はこの塔を所有していて、管理してくれる人を探している」と言うので、しばらく塔で暮らすのも悪くないなと思い、承諾した。しかも、バンドを連れてきて、ここで作業してもいいと所有者は言ってくれたんだ。ちょうどアルバムの制作にとりかかるいいタイミングだった。ロックダウン中で、お互いに会いに行ったりすることができない状況だったから、バンド・メンバー全員がこの塔に来て、みんなで一緒に暮らすことにしたんだ。とても良い体験だったよ。この塔からは海が見渡せるんだ。屋上からダブリンの町全体も見える。確か1803年か1804年、ナポレオン率いるフランス軍の侵略を恐れていたイギリスが、ダブリンの湾岸に沿って建てたんだよ。

軍事的見張り塔だったんですね。

IL:うん。その環境が無意識にアルバムの内容に反映されていったのだと思う。今作に「海」や「海軍」的な要素が多く含まれているのもそのせいだと思う。ほとんどの収録曲が「海」と何らかの関係があるんだ。もしも状況が違っていたら、まったく違うアルバムができていたと思うよ。俺たちはそれまでの数年間、結構ハードなツアー活動をやってきていて、ロックダウンになる前は、かなり疲弊していた。ツアー中は、アルバムに向けて新しい曲を作っていくのが難しい。前作の評判がすごく良くて、ようやく俺たちにも道が開けてきた! と思っていたところに、コロナ禍ですべてが急停止してしまったわけだが、もしロックダウンになっていなかったら、この新作の内容がどうなっていたか想像もつかないね。

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特に伝統的な曲をアレンジする場合は、映画音楽を作っているようなイメージなんだ。つまり、曲の感情的な部分を、ときには絶妙に、また、あるときには強烈に引き出したいと考えている。映画音楽を制作するということは、映画監督が描くストーリーを表現する手助けをしているということだ。そこには、観衆を絶妙に導いていく役目があり、観衆がどう感じるべきかをダイレクトに主張するのとは違う。物語を優しく語る手助けをする。

今回も、ジョン “スパッド” マーフィー(John ‘Spud’ Murphy)がエンジニアを務めていますが、ランクムにおけるスパッドの立ち位置や役割について、具体的に説明してください。私には、彼はほとんど第5のメンバーのように思えます。

IL:まさにその通りなんだ! スパッドはアレンジからプロダクション、その他の作業でも、俺たちと同じくらいの役割を果たしているからね。今作では、彼が中心的役割を担った箇所もある。たとえば、曲と曲の間にあるインストの「フーガ」3曲(“Fugue I”~“Fugue III”)はすべて彼のアレンジによるものだ。彼がアレンジしたものを俺たちに聴かせて、そこに俺たちが手を加え、また彼に戻したりしていた。他の曲に関しても、自分たちでは思いつかないような素晴らしいアイデアをたくさん提案してくれた。彼は音楽に対する耳が非常に良くて、音階を完全に理解している。エンジニアの達人だよ。スパッドはまさに第5のメンバーだ。彼がいなかったらこれはまったく別のプロジェクトになっていた。
 スパッドと初めて一緒に仕事をしたのは、2015年に「パーラー(The Parlour)」という音楽番組で演奏し、その中の1曲 “Rosie Riley” のヴィデオを作るときだった。スパッドはそのヴィデオのサウンド・エンジニアを担当したんだけど、そのときに、ランクムに欠けていた低音域の音をうまく引き出してくれたんだ。


Lankum “Rosie Reilly” [Live at The Parlour]

 当時の俺たちは、扱っている楽器がシンプルだったということもあって、みんなそれぞれひとつかふたつくらいの楽器しか演奏していなかった。いまではみんな10種類くらいの楽器を各人が扱っているけどね。当時の俺たちはそんなミニマルな編成だったわけだが、スパッドはその音を聴いて、ベース音を引き出したり、それ以外の素敵な要素を引き出し、EQで音質の補正をおこない、完璧なサウンドにしてくれた。そのことがあって以来、俺たちのサウンドは急速に良くなり、ドローンや低音域のサウンド、サブベース音などを追求するようになった。俺たちはいまでもその旅路を続けているのだと思う。スパッドの存在なしでは不可能だったことだ。彼はいまでは俺たちのライヴ音響もやっているんだよ。スパッドに頼む前までは他の人にやってもらっていたんだけど、彼のように明確なヴィジョンを持っている人はあまりいなかったと思う。他の人は「あるバンドのためにライヴ音響をやっている」という普通のお仕事スタンスだったけれど、スパッドが担当になったときは、「ランクムのサウンドはこういうものだ」というヴィジョンが彼の中にすでにあった。そして幸運なことに、そのヴィジョンは俺たちが描いているものと同じだった。彼と一緒にこのような旅路ができていることを嬉しく思うよ。

今作では、初めてジャケットにメンバーの写真が使われていますね。しかも撮影は、あのスティーヴ・ガリック(Steve Gullick)で。

IL:ハハッ、そうなんだよ、なぜだろうな(照れ笑い)。確かにバント・メンバーの写真を使ったのは今回が初めてだね。俺たちがティーンエイジャーの頃は、彼が撮ったニルヴァーナやブリーダーズといったバンドの写真を自分たちの部屋に貼っていたんだ。だから今回彼が撮影してくれることになったときは、素晴らしい機会だと思った。アルバム・ジャケットのコンセプトとしては、スティーヴ・ガリックが撮った写真と、ギュスターヴ・ドレによるイラストを使うということだった。スティーヴ・ガリックの写真はアイコニックだし、イラストも含めて全体的にとても良い感じに仕上がったと思う。撮影当日、彼はどんな写真を撮るかということについて、色々なアイデアを提案してくれたけれど、スティーヴ・ガリックが撮るなら絶対にかっこいいものになると信じていたから、俺たちからは特に何も伝えなかったよ。そして彼は期待通り、かっこいい写真を撮ってくれた。このアルバム・ジャケットからは、グランジ・バンドのような、90年代初頭っぽいテイストが感じられる。俺自身が当時のグランジ・ロックに目がなくて、特に12歳から14歳くらいの頃はそういう音楽を熱心に聴いていたということもあり、あの時代の美的感覚がたまらなく好きなんだよ。

スティーヴ・ガリックが撮影したジャケット例
https://www.discogs.com/ja/master/18393-Nick-Cave-The-Bad-Seeds-The-Boatmans-Call
https://www.discogs.com/ja/master/611610-Gallon-Drunk-Black-Milk
https://www.discogs.com/ja/master/178891-The-Waterboys-A-Rock-In-The-Weary-Land
https://www.discogs.com/ja/master/77388-Richard-Ashcroft-Alone-With-Everybody
https://www.discogs.com/ja/master/166975-Mercury-Rev-Little-Rhymes
https://www.discogs.com/ja/master/8066-Bonnie-Prince-Billy-Master-And-Everyone

海のような潮の満ち引きが感じられるようにしたかった。だから意図的に、ダークで強烈な曲の次には、波が引くようにリラックスした曲を配置し、その次は、また強烈な感じの曲にするという構成にしたんだ。

今回ゲスト参加したミュージシャンについて具体的に教えてください。

IL:ゲスト・ミュージシャンは何人かいるが、特に印象的だったのはアイルランド人コンサーティーナ奏者のコーマック・ベグリー(Cormac Begley)だね。彼はソロ・アルバムも数枚出している。様々な種類のコンサーティーナを持っていて、大型のベースのようなコンサーティーナをよく使っている。彼はリズムに対する感覚が特に素晴らしいんだ。④“Master Crowley's” では、コーマックとレイディ、レイディの妹のサイド・ピートが3人一緒にコンサーティーナを演奏している。あとこれも身内の繋がりなんだが、フィドルのコーマック・マクディアーマダの兄のジョン・ダーモンディが数曲でドラムとパーカッションを演奏している。実は俺は1996年くらいに、ジョンとパンク・バンドを一緒にやっていたんだ。だから彼がアルバムに参加してくれたのはとてもクールだった。


Cormac Begley “O'Neill's March”

 それから、アメリカのノースカロライナ州在住のシンガー・ソングライター、アンディー・ザ・ドアバム(Andy the Doorbum)にもゲスト・ヴォーカルで参加してもらった。彼の音源データをアメリカから送ってもらったんだけどね。俺たちは長い間、彼の音楽の大ファンだったんだ。ランクムが前回アメリカをツアーしたときは、彼も同行し、移動の運転を引き受けてくれたり、ライヴにも参加してくれたんだ。


Andy the Doorbum “Wolf Ceremony and the Howling”

楽器や機材の点で、これまでと違う新しい試みは何かありましたか?

IL:新しい試みや実験的なことは今回たくさんやったよ。前作で使われていた基本的な楽器は、ギター、フィドル、ヴィオラ、コンサーティーナ、アコーディオン、イリアン・パイプスだったけれど、今回は、パーカッションやダルシマーを多くの曲で使用したり、俺がハーディ・ガーディを多用したりもした。バンジョーやギターのボウイング奏法も多くやったね。それからイリアン・パイプスにマイクを入れて、それをペダルボードにつなげて、ディストーションやディレイやリヴァーブのエフェクトを実験的に加えたりもした。その他、タスカムの4トラックのカセット・マシーンを使ってテープ・ループ機能で実験し、その素材でアンビエントなテクスチャーを作ったし、フィドルの弓でピアノの弦を擦って音を出してみたりもした。こんな感じで、楽器を変則的に扱って実験的な音遊びを続けていたから、スタジオの所有者が中に入ってきたときに、慌ててピアノの中のフィドルの弓を隠したなんてこともあったよ(笑)。あと、部屋で歌っているときの共鳴音を、ピアノの弦からのみ録音したりとか。ファウンドサウンド(自然音などのサンプル集)の音源を使うこともやった。ある曲の中には、セロリが育つ音がピッチダウンされた状態でどこかに忍ばせてあるんだよ。そういう細かいことをたくさんやったから、今回のアルバムではどの曲も、ものすごい数のレイヤーが含まれている。だからこそ、スパッドの細部にこだわる性格にはとても助けられた。俺たちはとにかく色々なことを試しては、トラックを次々に録っていっただけだったからね。たとえば、俺はハーディ・ガーディで20の異なるトラックを1日で録音したりした。弦のチューニングを上から順に動かしてやったり、1本の弦だけをずっと弾いてみたりも。そんな音源をスパッドは整理して、俺たちが録音した荒素材からトラックを作っていってくれたのさ。とにかく自分たちが持っている楽器とスタジオで使える楽器すべてを録音したいという思いがあった。俺が一番楽しいと感じられる瞬間だったね。色々な楽器のサウンドやノイズに没頭して迷い込む……そういうことに瞑想的な効果を感じるんだ。たとえば、パイプのドローン音を2時間くらいずっと録音し続ける。ただそこに座ってパイプのドローンだけに没頭するんだ。俺が一番好きな午後の時間の過ごし方さ。そういうのが大好きなんだ。

① “Go Dig My Grave” はアメリカのアパラチアン・フォーク・シンガー、ジーン・リッチー(Jean Ritchie)の音源を参考にしたそうですが、他4つのトラッド・ソング④⑤⑧⑨の参照出典を教えてください。また、それらの原典の中で、特に思い入れのある作品/楽曲/ミュージシャンと自分との関わりについて、何か面白いエピソードがあったら、教えてください。


Lankum “Go Dig My Grave”

IL:⑧ “The New York Trader” は俺が知っていた曲で、ルーク・チーヴァーズ(Luke Cheevers)というアイルランドのトラッド・シンガーが歌った音源を参考にしている。俺たちは彼の音源を聴いて、曲を学んだんだ。いまでは彼と交友関係にあるけれど、彼が実際に歌っているところを見たことはなくて、1980年代に彼がパブのセッションで歌っている音源しか聴いたことがない。俺たちは、その音源が昔から好きだったんだ。この曲は制作初期にできた曲で、レコーディング開始の最初の週に完成させた。


Lankum “The New York Trader”

 ⑨ “Lord Abore and Mary Flynn” ではフィドルのコーマックがリード・ヴォーカルをとっているが、俺も以前は歌っていた。この曲は、イングランドやスコットランド由来の古い歌を集めた『チャイルド・バラッド(The Child Ballads)』という本(アメリカの文献学者フランシス・ジェイムズ・チャイルドが19世紀後半にまとめた民謡集)に収録されている。ブリテン諸島やアメリカなどでは伝統として残らず、民俗学者たちはもう継承されていないと思っていたんだけど、70年代初めにトム・モドリーというソング・コレクターが、この曲をダブリンのパブで誰かが歌っているのを聴いて衝撃を受けたらしい。それが唯一録音されている伝統的なヴァージョンだそうだ。だからこの曲はダブリンとも関連がある。母親が自分の息子と彼のガールフレンドに嫉妬して、息子を毒殺してしまうというとても悲しくて美しい物語歌だ。


Lankum “Lord Abore and Mary Flynn”

 ④ “Master Crowley's” はレイディ・ピートが幼い頃、コンサーティーナ奏者のノエル・ヒル(Noel Hill)から直接教わったものだ。この先生は、クレア州出身の非常に有名なコンサーティーナ奏者だよ。


Lankum “Master Crowley's”

 そして⑤ “Newcastle” は弟のダラグがルームメイトから教わった曲だ。彼の名はショーン・フィッツジェラルド(Sean Fitzgerald)といって、デッドリアンズ(The Deadlians)というダブリンのフォーク・ロック・バンドで活動している。数年前にショーンがこの曲を録音して、ダラグがそれを気に入ったんだ。


“Newcastle” を収録した The Deadlians『Ruskavellas』

 実は最初はダラグが歌ったものを録音したんだけど、レイディが歌った方がいい感じだったからレイディの声を採用した。俺たちはいつも、「誰が何をやるべきか」ということにこだわりすぎないで、音にすべてを委ねて、一番良いと思うサウンドを目指している。誰がどの曲を歌うとか誰かの見せ場を作るとかは重要視していない。それがランクムの良いところだと思っている。個人のエゴが音楽の邪魔をしないというか、「俺はこれがやりたい」とか「これは私がやる」というよりも、みんながバンドにとって最適なサウンドを求めているんだ。


Lankum “Newcastle”

⑧ “The New York Trader” は途中で一度途切れ、後半でよりロック的なサウンドになりますが、こういう構造にした理由、目論見について教えてください。

IL:これは自分でも最近よく考えていることなんだけど、俺たちのアレンジの仕方、特に伝統的な曲をアレンジする場合は、映画音楽を作っているようなイメージなんだ。つまり、曲の感情的な部分を、ときには絶妙に、また、あるときには強烈に引き出したいと考えている。映画音楽を制作するということは、映画監督が描くストーリーを表現する手助けをしているということだ。そこには、観衆を絶妙に導いていく役目があり、観衆がどう感じるべきかをダイレクトに主張するのとは違う。物語を優しく語る手助けをする。俺たちが伝統的な曲をアレンジする時は、そういうアプローチに近いものがあると思うんだ。“New York Trader” が一度中断し、途中からヘヴィーな感じになる箇所は、海で嵐に巻き込まれている様子を再現しようとしたんだ。曲の中で起こっている事柄に音楽の感じを合わせるようにしたのさ。

つなぎの3つのインスト曲 “Fugue” を含め、アルバム全体の構成と流れがかなり緻密ですが、この点についてはかなり意識したんでしょうね。

IL:俺たちは、アルバムというひとつの作品として機能するものを作りたいと思っている。最近の若い人たちはアルバムを通しで聴かずに、ストリーミング・サービスで自分が聴きたい曲しか聴かないなどとよく言われているから、そういう意味ではランクムは古風なのかもしれない。でも俺たちがアルバムを作るときは、やはりひとつのアルバムとして完結しているものを作りたいと思うんだ。ひとつの旅路のようなアルバムというか。今回のアルバムのコンセプトとして念頭にあったのは、「海」のようなものにしたいということだった。先ほども「海」との関連性について触れたけど、アルバム全体で海のような潮の満ち引きが感じられるようにしたかった。だから意図的に、ダークで強烈な曲の次には、波が引くようにリラックスした曲を配置し、その次は、また強烈な感じの曲にするという構成にしたんだ。あと、どの順番がいい流れに聴こえるかということも重要だった。だから、今回録音した曲の中にはアルバムの枠組みに収まらなかったものもいくつかあったから、アルバムから外すという選択をした。曲単体としては非常に良いものでも全体の構成に合わないものはアルバムに含めないで、またの機会に使うことにしたんだ。

ランクムと並ぶ、現在のアイリッシュ・フォークの新しい旗手たち──イェ・ヴァガボンズ(Ye Vagabonds)、ジュニア・ブラザー(Junior Brother)、リサ・オニール(Lisa O'Neill)が最近立て続けに新作を発表しました。こういった他ミュージシャンたちとの連帯意識と、実際の活動状況(共演とか)について教えてください。

IL:俺たちは、いま、挙げられたイェ・ヴァガボンズともジュニア・ブラザーともリサ・オニールともダブリンのセッションを通して仲良くなったからみんな友だちだよ。俺たちはみんなアイルランドの伝統に魅力を感じ、大なり小なりのインスピレイションを受けているという点においては共通していると思う。けれど共通しているのはその点だけで、バンドとしてのアウトプットはそれぞれとても違うものなんだ。音楽に対するそれぞれの嗜好や感性もかなり違うと思うし。彼らとの共通点は、アイルランドの伝統を扱っているということだけだね。もしイェ・ヴァガボンズを街のセッションで見かけたら、一緒に曲を歌ったり演奏したりすることはあると思うけれど、俺たちがアルバムで表現したいことや、バンドとしてやっていきたいことは、彼らのそれとはまったく違うことだと思うんだ。だからこれらのバンドが何らかのシーンを形成しているというよりも、そこには、友人同士のゆるいつながりがあって、それは音楽的というよりも社交的なつながりという感じがするな。

この新作に自分でキャッチ・コピーを付けるとすれば?

IL:そんなことはしないよ(笑)。俺は、自分が作った音楽を言葉で説明するのが好きではないというか、そもそも苦手だし。俺はとにかくノイズを出して音に迷い込んでいたい。ただそれだけなんだ。その音楽をどのように説明するか、どのようにカテゴライズするのかは他の人に任せたい。俺にはできないから。俺は様々な音楽やジャンルからインスピレイションを受けたり、色々なアイデアを思いついたりするけれど、それをいちいち切り離して、ひとつずつ理解しようとはしないんだ。様々な要素がごちゃ混ぜになった自分の音楽を作り、「はい、できあがり! めちゃくちゃだけど俺はこれに納得してるからそれでいい」、そんな感じなんだ。いつか日本に行く機会があればと願っているよ!

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