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Nick Cave and The Bad Seeds

Alternative RockExperimental

Nick Cave and The Bad Seeds

Ghosteen

Ghosteen Ltd

坂本麻里子   Jan 10,2020 UP
E王

 イギリスを代表する戯曲家・詩人シェイクスピア。その生涯はおろか作品歴にも諸説ある謎多き人物とはいえ、妻アン・ハザウェイとの間に男児と女児の双子がいたとの記録は残っている。彼の唯一の息子である男児ハムネットは1596年に11歳で亡くなった。その数年後にシェイクスピア悲劇の名作のひとつでありもっとも長い戯曲『ハムレット』が書かれたとされる。いにしえの北欧伝説に想を得た作品ではあるが、亡き子の名前にとてもよく似た名の王子が主役なのは奇遇なのか、それとも。

 ニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズの17作目のスタジオ・アルバム『Ghosteen』は、ニック・ケイヴの息子アーサー(双子のもうひとりに男児アールがいる)が2015年夏に15歳でブライトンの崖から転落し命を落とした悲劇を経て書き下ろした楽曲を収めた作品だ(2016年発表の前作『Skelton Tree』も結果的に一種の追悼作になったが、収録曲そのものは彼の死以前に書かれていた)。
 2018年に世を去った元バッド・シーズのコンウェイ・サヴェージに捧げられているとはいえ、この2枚組の大作アルバムにアーサーのスピリット(霊)は大きく影を落としている。タイトルの「een」は古いアイルランド語の接尾辞「in(イーン)」の英語化で、主に「小さな」を意味する。「小さな幽霊」と訳せそうだが、字面からストレートに想像される「Ghost+Teen」=10代のゴーストというニュアンスも、もちろん作家としてのケイヴの巧みな狙いだろう。

 アルバムはパート1、パート2に分かれている。収録曲①〜⑧が第1部、残る3曲が第2部に当たり、第2部の2曲はそれぞれ12分、14分台のスポークン・ワードを主体とするトーン・ポエムというかなり変則的な作りだ。それだけでも「敷居が高そう」と感じるリスナーがいて当然だと思うし、子供を失った親という本作のバックストーリー自体が実に重い。
 子を亡くした親の悲しみは子を持たない筆者には到底理解できない。軽々しく想像したくもない。だがその悲嘆(grief)は、人間の悲しみの中で恐らくもっとも深い、己の身をちぎられるほど辛いものではないかと思っている。若くして世を去ったとなれば、共に過ごした時間の短さ、その子の「これから」が青い樹の段階で摘み取られたやるせなさもあって尚更だろう。

 しかし漆黒のタブローに旧式なコンピュータ画面文字が浮かぶ『Skelton Tree』のミニマリズムとは対照的に、本作のジャケットは花咲く森に動物が憩う、ワトーやフラゴナールを連想させるロココ調の童話めいた世界観を提示する。1曲目“Spinning Song”の歌詞にエルヴィス・プレスリーと彼が地上に建てた夢の地:グレイスランドが登場するように、ここではないどこか=ユートピアあるいはパラダイスへの希求は何度か現れる。優れたストーリー・テラーであるケイヴにしては抽象的な、イメージの連なりから聴き手の想像力に行間を埋めさせるタイプの歌詞が多いが、車旅、列車、船、太陽、樹、鳥、蝶、蛍といった単語は移動や上昇、飛翔の象徴だ。『Skelton Tree』は静かな怒り・フラストレーションを内に抱えたダークで重い作品だったが、本作の情動は抑制されていながらも大地に縛られてはいない。亡き子が楽園にいることを信じつつ、自らも悲しみからの救済を求めているのだろう。
 行間を埋めると言えば、音楽的にも多くの空間が残されている。ケイヴと共同プロデュースに当たった右腕ウォーレン・エリスの繊細なエレクトロニック・ループやドローンの数々がアンビエントな波を静かに淡く流していく中にピアノ、ストリングス、コーラスが墨滴のように落とされ、語りと歌唱の中間にある歌が立ち現れては消える。長い尺の中で曲が変化し推移していく構成が見事な“Ghosteen”と“Hollywood”はさながら耳で聴くドラマだ。ギターはもちろんリズム楽器は無いに等しく、『Skelton Tree』でのストイシズムを更に突き詰めている。名義こそ「〜アンド・ザ・バッド・シーズ」ながら、本作はむしろケイヴ&エリスが過去10余年に渡って続けてきた映画やテレビ番組向けサントラ仕事の成果に多くを負っている。

 ケイヴにはいくつかの顔がある。聖と俗の垣根を破り反転させるダーティなブルーズ・マン、マニックに雄叫ぶゴシックな伝道師、ピアノ・バラードでしっとり酔わせるクルーナー等々、複数のペルソナがあのスーツ姿の下に隠されている。だが本作で彼が用いたペルソナはそのどれとも異なるもので、『No More Shall We Part』(2001)以来とも言える、誇張ではなく等身大、シニシズムを脱ぎ捨てた生身なフラジャイルさには心打たれる。メロディを抑えたストイックなプロダクションで、生の重みに黒ずみ疲れた声に焦点を据えたレナード・コーエンの最期のアルバム『Thanks for the Dance』もだぶる。
 その新たなペルソナが切り開いたのはファルセット歌唱だ。ケイヴといえば男性的な低音ヴォーカルで知られるので実に新鮮だし、本作の随所で彼が時にさりげなく、時に引き絞る高音もまた、リーチできない領域や悲しみを越えたところにある高みに手を伸ばそうとする人間の姿とその業を感じさせる。“Hollywood”で彼が響かせる和紙のように薄く透ける痛切な「It’s a long way to find/ peace of mind(心が安らぎを得られるまで/道のりは長い)」のフレーズ、“Bright Horses”の冒頭や“Sun Forest”を始めとするウォーレン・エリスのサイレンを思わせる美しい歌声、そしてコロス的なコーラスはスピリチュアルな祈りとして響く。

 祈りは亡くなった我が子の魂に捧げられているだけではなく、ケイヴ自身を含む「遺された者たち」にも向けられている。本作のエモーショナルなハイライトのひとつ“Ghosteen Speaks”は「I am beside you/Look for me(あなたのそばにいるから/私を見つけて)」「I am within you, you are within me(私はあなたの中に、あなたは私の中にいる)」という歌詞を軸とするシンプルなリフレインから成る曲だ。「ゴースティーンは語る」というタイトルからして亡き子からの呼びかけと解釈するのが妥当だろう。だが聴くほどに、悲嘆のせいで心が虚ろになり遠ざかってしまった妻(母)への慰め/励ましとも、あるいは悲しみの闇の中に取り残された者たちに小さな光をもたらす霊魂(それを「神」と呼ぶ者もいるだろう)のささやきのようにも聞こえる。
 だが悲しみがそうたやすく癒えるものではなく、悲嘆のプロセスは長いことも本作は示唆している。ケイヴは昨年メディアに対し、長年暮らしてきたブライトンには子供の思い出が多過ぎて辛く、家族と共にロサンジェルスに移住したいとの意向を明かしていた。本作に差し込む光の瞬間のひとつである“Galleon Ship”で歌われる船出の思いは、過去を慈しみつつも生き続けるしかない人間の胸のたけだ。しかし最終曲でカリフォルニアにいるナレーターは、陽光とビーチを前に「And I'm just waiting now, for my time to come/for peace to come(そして今はとにかく、自分にその時がやって来るのを待つだけ/心の安らぎが訪れる時を)」のつぶやきを潮風に寂しく散らす。

 独特なサウンドスケープで1枚に完結した世界観を作り上げたこの傑作アルバムは、ケイヴにとってひとつのアーティスティックな達成であると同時に開始地点でもある。今夏予定されているツアーで、彼とバッド・シーズはロンドンではなんと初めてO2アリーナ(キャパ2万)の大舞台を踏む。BBCのヒット・ドラマ『Peaky Blinders』の主題歌に“Red Right Hand”が使用され、これまで以上に広い層の耳に彼の音楽が届いた追い風効果もあっただろう(何せティーンエイジャーもあの曲を知っている)。一貫して劇的でロマンティックな歌詞と歌声で人間の生(性)を赤裸々にポエティックに描き出し、ミック・ハーヴェイやウォーレン・エリスをはじめとする優れたミュージシャンたちとのコラボを絶え間なく重ねつつ音楽性を深め続けてきたケイヴは、アーティスティック/コマーシャルの両面で今こそ最高潮に達しているのだ。
 野性と知性が同居するこの唯一無二のカリスマを育んだ彼に、近年のボビー・ギレスピー、ジャーヴィス・コッカーやアークティック・モンキーズのアレックス・ターナー等が憧れるのも無理はない──ケイヴの妻スージー・ビックは「The Vampire’s Wife」というファッション・ブランドを経営しているが、女は寝たがり、男はそのパワーに惹かれるドラキュラは、ある意味最初のロック・スターだったのだから。「アクセスしやすさ」「親しみやすさ」が人気のキーとされる昨今、ベージュ色でヴァニラ味の無難な普通人がスターになる風潮は強まっている。しかしボウイやジョン・ライドンを生んだ国でこうしてケイヴ熱がまた上昇し、ビリー・アイリッシュのようなアクトがブレイクしている状況にはまた、異端児/マイノリティに対するイギリスの根強い愛情・共感の巻き返しを感じて嬉しくなる。

 本作のデリケートなサウンドをライヴでどう再現するのかは興味深いが、パーソナルを悲劇から始まり普遍へと突き抜けるケイヴの歌は、2万人の観衆をひとつにするはずだ。前述したように、ケイヴが父として経た悲しみは筆者には到底理解できない。しかし“Hollywood”には、死んだ我が子を生き返らせて欲しいと釈迦に訴える母キサー・ゴータミーの物語が挿入されている。キサーに対し釈迦は「死者を出したことのない家からカラシの種を一粒もらい持って来ればあなたの望みをかなえよう」と答え、彼女は何軒もの家を回る。だが家族や親類を亡くしたことのない家などない、探索は無為に終わる。
 死とは人間に不可避な自然のサイクルの一部であることを悟り、彼女はようやく息子の遺体を埋葬し弔うわけだが、ケイヴが個人としてくぐった悲嘆とソウル・サーチングもまた、親を、子を、恋人を、友人を、あるいは愛する対象や信じる何かを失ったことのある者なら誰でも共感できる普遍になり得るだろう──それはもしかしたら、グレンフェル高層住宅火災で、戦地で、デモで、ストリートで命を落とした者とその家族の悲しみ、ブレクジットで民主主義やヨーロッパとの絆を失った者の、溶けて消えた氷や自然を悼む者の思いとシンクロするかもしれない。死せる魂と生きる魂とが共存し語り合い、その見えない繫がりを受け入れ祝福しようとする本作。加速する一方の世界の中でついおざなりになりがちな、トラウマと向き合うことを促してくれる素晴らしい1枚だと思う。

坂本麻里子