「OPN」と一致するもの

interview with Andrew Weatherall - ele-king


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 夜だ。雨が窓を強く打っている。以下に掲載するのは偉大なるDJ、アンドリュー・ウェザオールのインタヴューだ。彼はテクノのDJに分類されるが、その音楽にはクラウトロックからポスト・パンクなどが注がれ、その美学にはいかにも英国風のゴシック・スタイルがうかがえる。最新の彼の写真を見ると、19世紀風の趣味がますます際立っているようにも思える。その気持ちも、僕は英国人ではないが、ある程度までは理解できる。
 僕は彼と同じ歳なので、世代的な共感もある。パンク、ポスト・パンクからアシッド・ハウス、テクノへと同じ音楽経験をしてきている。この人のお陰で、我々は人生のなかでいろいろな人たちと出会い、話すことができた。ポスト・パンクのリスナーをハウス・ミュージックと結びつけてくれたのはアンドリュー・ウェザオールである。彼が正しい道筋を示してくれたと僕はいまでも思っている。
 ちょうどこの取材の最中『テクノ・ディフィニティヴ』というカタログ本のために昔の作品も聴き返したが、全部良かった。彼の新しいプロジェクト、ジ・アスフォデルス名義のアルバム『ルールド・バイ・パッション、デストロイド・バイ・ラスト(情熱に支配され、欲望に滅びる)』も良い。まだ何10回も聴いているわけではないが、きっと後で良く思える気がする。だいたい題名が示唆に富んでいる。以下の彼の発言に出てくるが、彼なりに「人間特有の悲劇」を表しているそうだ。
 アンドリュー・ウェザオールはこの取材で、本当に誠実な回答をしてくれたと思う。彼には最初から、ある種日陰の美しさのようなものがあった。古風な親分肌というか、謙虚さのようなものがあったが、今回の取材では、寛容さも身に付けているように僕には感じられた。自分もこうでありたいものだと思う。 

俺が音楽の道を選んだ理由のひとつに、競争というくだらないものに関わりたくないという理由があった。俺は自分が野心家ではないと話したが、じつはそうではなくて競争心がないということなんだ。野心はあるが、競争なんてしたくない。「野心はあってもいいけどがんばるな」なんて若い人向けのメッセージとしては最低だな(笑)。

2009年に『ア・ポックス・オン・ザ・パイオニアズ』を出して以来のアルバムになるんですよね? あれ以降の3年間はあなたにとってどんな時間でしたか? 

アンドリュー・ウェザオール:俺は次の構想を練るというようなことはしない。つねに音楽を作り、レコーディングをしている。そして6ヵ月から1年おきにまとまった量の音楽ができあがり、アルバムになる可能性が出てくるわけだ。『ア・ポックス・オン・ザ・パイオニアズ』につづく作品を作っていたけど、それは結局リリースされないね。1年くらいかけて制作に取り組んでいたんだけど、ある法的な事情によってリリースできなくなった。そのときいっしょに制作していた人を解雇したので、それまで作ってきた音楽をリリースするのが複雑になってしまったんだ。
 だからこの3年間、レコーディングはつねに続けていた。ただリリースする予定だったものがリリースできなくなったというだけのことだ。俺は音楽制作という仕事をストップすることはないよ。「これからアルバムを作ろう」って具合に取り組むのではなく、つねに音楽を作っている。そしてたいてい、マネージメントのほうから「そろそろアルバムを出す時期なのでは」と言われるから、パソコンに保存してある音楽を確認し、アルバムに収録できそうなものを選んでいき、それをリリースするということになる。

〈ロッターズ・ゴルフ・クラブ〉からも作品を出しませんでしたよね? それは、先ほどお話しされていた理由からなのでしょうか? それともそれ以外の理由もあったのでしょうか?

AW:さっきの話も一因としてある。それに、ほかのアーティストのレコードをリリースするというのはけっこう責任の重いことでね。音楽業界の現状からして、俺はその責任を負いたくなかった。だから〈ロッターズ・ゴルフ・クラブ〉は、自分の音楽をリリースするためのレーベルになると思う。それは俺の責任だからいいんだ。
 俺は最近、〈バード・スケアラー〉という別のレーベルも立ち上げた。そこではほかのアーティストの音楽をリリースしているよ。このレーベルはアナログ・レコードのみ限定300枚のリリースをするためのもので、ダウンロードはなし。あまり責任も重大じゃないし、レコードはすべて売れる。300枚だから1日で売れるんだ。俺は音楽をリリースできるし、アーティストもレコードが何千枚と売れるなどと期待していないから、責任も重くない。

この3年ものあいだ、あなたのことですから他の名義で作品を出していたんじゃないでしょうか? 

AW:いや、ないよ。たとえあったとしても教えない(笑)。だって他の名義で作品を出す意味が失われてしまうだろ?

ティム・フェアプレイは、『ザ・ボードルームVol.2』にも参加してましたね。彼とはどのように出会って、そしてどのようにジ・アスフォデルスは誕生したのでしょうか?

AW:ティム・フェアプレイと俺は90年代なかごろから2000年代初期まで〈ヘイワイヤー〉というパーティでDJしていて、ティムはそのパーティの常連だったんだ。だから共通の友人もたくさんいた。彼と出会ったのはそんな経緯だね。その後、彼はバッタントというバンドにいて、ギターを担当していた。それから彼は俺の所有するスタジオのひと部屋に移ってきたよ。俺のスタジオは4、5部屋あって、そのひと部屋が空いたから、彼がそこに自分のスタジオを移してきた。だから彼はつねに俺がいる隣の部屋で作業していたのさ。
 彼とは長年友だちで、あるときから俺のとなりのスペースで仕事をしていた。そして、俺がエンジニアを必要としているとき、ティムが理想的なパートナーだと気づいた。彼は俺の仕事の仕方もわかってるし、俺が求めているサウンドもわかっている。彼は、俺のキーボードやドラムマシンの好みなんかも知ってる。とても自然な成りゆきで彼と組むことになったよ。そしていっしょに音楽を作るようになった。俺たちの作品はアンドリュー・ウェザオールの作品ではなくいっしょに作ってできあがったものだから、ユニット名が必要だということになって、俺が「ジ・アスフォデルス」という名をつけた。アスフォデルはユリ科の花の名前。ギリシャ神話では「死」や「破壊」を意味する不吉なものとされていた。だが同時にとても美しい花だ。こんなにも美しいものが、悪の象徴とされている。俺はそういう組み合わせが大好きなんだ。
 とにかくティムと組んだのは自然な流れからだ。俺がギタリスト、エンジニアを必要としているときにティムがいた。彼は俺の現場につねにいたから自然とそういうふうに発展したんだ。

あなたからみてティム・フェアプレイのどんなところがいいと思いますか? 

AW:ギターがめちゃめちゃうまいところ。それからプログラマー、エンジニアとしての腕もいい。そして何よりも、すごくいいやつだ。音楽、文学、アートの好みがとても近い。これは非常に重要なことだね。

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ポップ・カルチャーやトラッシュ・カルチャーが、そのへんの哲学者よりも簡潔に人間のありようについて言及できているのをみると俺はうれしくなってくる。40年代50年代のパルプフィクションもそうだ。路上にいる人びと、通勤中の人びとを魅了するためには、還元主義的で直接的な表現を用いなければいけなかった。


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ジ・アスフォデルスのトラックは、公式には今年あなたが出した3枚組のミックスCDが最初になるのですか?

AW:そうだ。あのCDにはジ・アスフォデルスの曲がふたつある。"ア・ラヴ・フロム・アウター・スペース"とたしか"ロンリー・シティ"だったと思う。初めてレコーディングした曲がこのふたつというわけではないけど、公式リリースとしてはそうだ。俺は〈ア・ラヴ・フロム・アウター・スペース (以下ALFOSと略)〉というパーティをやっていて、この2曲もそのパーティ向けに作られた曲だ。だからよくパーティでかけてたね。
 みんなが、「ジ・アスフォデルス」という名前をはじめて見たのはこのミックスCDでだと思う。いまだにジ・アスフォデルスが俺だということを知らない人もいる。CDに記載されてる細かい文字を読まないんだ。よく「ALFOSのあのヴァージョンいいね」と言われるが、俺が「ああ、あれは俺が歌ってるんだ」と言うと驚かれる。「本当に? 本当にお前が歌ってるの?」ってね。細かい文字を読めば俺とティムの名前が載ってるのにね。

"ア・ラヴ・フロム・アウター・スペース"の最初のヴァージョンはあのミックスCDにも収録されていましたよね。『マスターピース』と今回の『ルールド・バイ・パッション、デストロイド・バイ・ラスト』とはどのような関係にあるのでしょうか?

AW:共通点をひとつ挙げるとすれば、〈ALFOS〉の雰囲気やそこでかけている曲かな。ミッドテンポで、ディスコ、ポスト・パンク、テクノ、ハウスの要素が入っている。俺が作る音楽というのは、無意識的にだけど、俺がいままで35年間聴いてきた音楽が反映されている。俺がいままで聴いてきた音楽は、いいものも悪いものも、俺の骨の一部、音楽的DNAを構成している。俺が作る音楽というのは、俺がいままで聴いてきたものの産物といえるだろうね。
 このアルバムのスタート地点として、〈ALFOS〉でかけられるような音楽を作るっていうコンセプトがあり、そこから発展していった。スタート地点はダンスフロアだったが、そこから枝分かれしていったよ。ダンスフロア向けのトラックを曲にしていくことによってそのトラックが聴く側にとってよりおもしろいものになる。そういうフロア向けのトラック集というのももちろんいいが、俺はたまに曲が聴きたくなるんだ。だから、アルバムのなかに〈ALFOS〉向けではない曲を入れることによって、作品をダンスフロアから少し遠ざけたのさ。

『ルールド・バイ・パッション、デストロイド・バイ・ラスト』はじつにあなたらしいタイトルですが、同時にいままでにない直球な言葉表現を使ってきましたね。そのココロは何でしょう?

AW:『ルールド・バイ・パッション、デストロイド・バイ・ラスト(情熱に支配され、欲望に滅びる)』というのは、俺に言わせると、人間特有の悲劇を表現する6単語なんだ。人間を前進させるのは情熱だ。新しいものに対する情熱、向上心に対する情熱......だけどときどきその情熱の方向性を間違えて、権力に対する欲望や金に対する欲望と化してしまう。それが結果として我々を滅ぼすことになる、というね。どこでこの表現を見つけたかというと、じつは見つけたのはティムなんだが、ティムはB級映画やホラー映画が大好きで、70年代のゲイ・ポルノ映画のポスターを持っていた。その映画には古代ローマ時代の剣闘士が登場するんだけど、ポスターのいちばん下に、「ルールド・バイ・パッション、デストロイド・バイ・ラスト」と書かれていてね。それを見て最高だと思ったんだ。
 ポップ・カルチャーやトラッシュ・カルチャーが、そのへんの哲学者よりも簡潔に人間のありようについて言及できているのをみると俺はうれしくなってくる。40年代50年代のパルプ・フィクションなんかもそうだ。路上にいる人々、通勤中の人びとを魅了するためには、還元主義的で直接的な表現を用いなければいけなかった。それと同じ意味で、直接的に簡潔に書くというのは、着飾った文章を書くことよりも難しいのかもしれない。だからダシール・ハメットのような作家は偉大だと思う。人間のありようを一文で表現できるから。
 誤解しないでほしいんだが、俺は着飾った文書の本を1冊まるごと読むのも大好きだ。俺は19世紀末から20世紀初めのヨーロッパ小説が好きで、その文体には着飾った文章や長々しい説明も多い。だが同時に、気のきいた言い回しとか、安っぽい格言とかも大好きなんだ。自分で気に入ったものは書きとめておくね。1冊の本になるくらいの量があるよ。小説や映画などからピック・アップするんだ。とにかくアルバムのタイトルは人間のありようについての哲学的な言及だが、ゲイ・ポルノ映画のキャッチ・コピーでもあるというわけだ。受け取り方は人次第さ。

たしかに今回のアルバムにはパッションとラストを感じました。何がきっかけでそうなったのでしょうか?

AW:おもしろいことに、俺の音楽はそう捉えられることが多いらしい。先日、『CSI』という警察モノのテレビ番組を見ていたら、俺の音楽が使われていたんだが、それがSMかなんかのセックス・クラブみたいな場所でかかっている音楽として使われていたんだ。ほかにも人から「お前の音楽は情熱的でセクシーでいかがわしい雰囲気がある」とよく言われる。なんでだろうな? よくわからないけど、たんに俺がいかがわしいやつなのかもしれない(爆笑)。
 でも、そういう雰囲気の音楽が好きだからだと思うよ。この35年間、もっとも心を動かされたのはそういう音楽だったんだ。情熱的な音楽。自分たちのやっていることに対して情熱を感じて音楽を作っている人たちの音楽さ。自分の音楽について「パッションを強く感じる」と言われたらそれは最高の褒め言葉だと思うよ。意識的にそういうものを作っているのではないし、先も言ったようにそれは35年間の経験からにじみ出るものだ。恋に落ち、恋に冷め、誰かを愛し、誰かを愛するのをやめる、誰かに愛されなくなる......人間の人生経験は、芸術経験と同じくらい大切なものだ。俺は音楽を25年間作り続けているから、自らの音楽というものを極めてやろうという決意を持っている。君に、さまざまな音楽を聴かせて、当時の俺がどの地点にいて、どんな精神状態だったかというのをひとつひとつ説明していくこともできるよ。当時の俺は調子がよかったとか。アルバムをかけて、振り返ってみれば、この作品を作っていたときは俺の精神は崩壊する直前だった、とか(笑)。
でもそれも情熱なんだ。悪い方に向けられた情熱だが、情熱に変わりない。俺は音楽に対して情熱を持っている。だから25年間続けていられる。そしてときに音楽に対して欲望もある。それはまたあるときに俺を破滅へと追い込む(笑)。
 とにかく、自分の信条にそった音楽を作っていれば、聴いた人にそれが自然と伝わると思う。だから俺の音楽はパッションやラストが感じられると言ってくれるのは俺にとっては最高の褒め言葉だ。

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そのとき俺たちの頭のなかにはソフト・セルの"セイ・ハロー・ウェイヴ・グッドバイ"がかかっていた。そして俺は、「マーク・アーモンドに電話してヴォーカルを歌ってもらおう」なんてことを考えてた。俺がもっと金持ちで大きなレコード会社と契約していたら、そう言っていると思うけどね。そういう無意識的なソフト・セルへの愛がこめられている。


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『マスターピース』もそうでしたが、あなたのこれまでの人生で愛した音が詰まっていると、『ルールド・バイ・パッション、デストロイド・バイ・ラスト』でも感じました。テクノ風ですが、よく聴くとロックンロールのグルーヴもあるし、ダブもあるし、ベースやギター、ヴォーカルにはこの10年あなたが追求してきたサウンドがある。セイバース・オブ・パラダイス、トゥー・ローン・スウォーズメンのときと比較した場合、ジ・アスフォデルスでのあなたは、音楽的なアプローチにおいて、どこが違っているのでしょう? 

AW:音楽的なアプローチにおいてはあまり違いはない。最終的な結果が違うだけだ。先も話したように、俺は毎日スタジオに出勤して音楽を作る。もちろん海外へ出かけるときや休みを取りたいときは別だが、それ以外は俺は毎日ふつうに音楽の仕事をしているんだ。それをこの25年間やってきた。アプローチに変わりはないよ。俺は音楽制作という過程を楽しんでやっている。そして芸術を作ることによろこびを感じる。絵を書くのが楽しいと感じるように音楽を作るのが楽しい。あまり最終的な結果にはこだわらずに、プロセスを楽しんでいる。
 ただ、セイバース・オブ・パラダイスとしてやっていたのは15年前のことだ。当然ながらいまの俺は当時の俺とはまったく違う。あれから20年間分の音楽を聴き、20年間分の人生経験やスタジオでの経験を積んだ。25年間の見習い期間をようやく終えた気分だよ。そしてようやく仕事のやり方がわかってきた感じだ。いま俺が作っている音楽は、俺の頭の中に25年前からあったサウンドだ。25年前、俺は頭のなかにあるサウンドを表現する技術力を持っていなかった。音楽を25年間やり続けて、スタジオでいろいろなことを学んでいくと、そういうことができるようになる。頭のなかにあるサウンドを、具体的な形にして最終的な作品として作りだすことができるのさ。
 どの媒体でもそうだが、頭にあるイメージを実際の形にして表現するのは、長い訓練と勉強が必要だ。ただ、俺はけっして学問的にやれといっているのではない。自然に身につけていけばいいと思う。俺だってこの25年間、パソコンのマニュアルやドラムマシンのマニュアルばかりを読んできたわけじゃない。俺の身体的な技術は、ほかのエンジニアに比べるとそこまでいいものではないから、エンジニアを起用するけど、いまではエンジニアに、どのようなサウンドをイメージしているかを技術的に伝えることができる。以前は曖昧な表現でしか自分のイメージしたサウンドを伝えることができなかったからね。

人間的にはどのように変化したと思いますか? 歳を重ねて見えてきたことはありますか?

AW:かなり落ちついた人間になったと思う。いまでは自分の地位が確立されたから、自分の作品がなかなかいいものであると自分でも信じられるようになったね。俺は長年、不安を感じていた。俺は若いころから注目を浴びて、多くの人から自分の作品がとれだけ素晴らしいかを聞かされていた。それがかえって俺を不信にさせた。俺の音楽キャリアの最初の5~6年はすさまじいスピードで進んでいった。そして俺は防御的になった。誰かが俺の正体を見破るんじゃないかと恐れていたんだ。「あいつは郊外出身の、服屋の店員だった男だ」ってね。
 俺自身、俺のデキは、他人の俺に対する評価よりもよくないと思っていたんだ。でもそれが20年や25年続いていると、証明すべきものがなくなってくる。それはある意味、すでに証明されてきたからだ。25年後もその場に居つづけているということ自体が証明になっているということだ。それに気づいたときには、肩の荷が下りた気がしたよ。もちろんそれは徐々に気づいていくもので、いまでも疑問に思うときはある。もちろんその疑問を感じるのはいいことで、それがあるから前進できる。それを感じなくなったら、もう音楽はやっていないだろう。いまの俺は95%の満足感と5%の疑問で成り立っている。その5%があるから俺は前進しつづける。
 とにかく、人間的にはより自信がつき、傲慢さが減ったと思う。もう証明するものはないと感じると同時にいまの立場を当然のものとしてはとらえてはいない。証明すべきものは、じつを言うとまだあるんだ。この先、25年間築き上げてきたものをそのままの状態かそれ以上にキープすることだ。俺は野心的な人間じゃないんだ。とくに目標もゴールもない。いまの状態で幸せだ(笑)。自分の仕事は大好きだし、俺のスタジオは家とはべつの場所にある。だから毎日、俺は家を出てそこへ仕事をしに行かなければいけないようにしている。俺は若い頃に家を飛び出してから、自分で仕事をして生き抜いていかなければいけないとわかっていた。その考えがいまでも身についているから、音楽を作るということに関しても毎日仕事に行くのと同じように考えている。
 よく、「芸術」を生業としている人がそれを「仕事」と称すると、それを聞いた人はおかしな印象を受ける。芸術に対して屈辱的な言い方だと感じるようだ。芸術は仕事ではなく、神秘的な行為のように考えている人が多い。けど実際はそんなことはない。俺にとっては仕事だ。俺が大好きな仕事だ。だから俺のいまの立場でこの仕事をつづけられていることに対してとてもうれしく感じている。べつに昇進しようとがんばっていない。もちろんいい音楽を作ろうという野心はある。だけど、競争心はないんだ。俺が音楽の道を選んだ理由のひとつに、そういった競争というくだらないものに関わりたくないという理由があった。
 さっきも俺は自分が野心家ではないと話したが、じつはそうではなくて競争心がないということなんだ。野心はあるが、競争なんてしたくない。「野心はあってもいいけどがんばるな」なんて若い人向けのメッセージとしては最低だな(笑)。

いや、最高ですよ。今日の日本では、いちど痛い目に遭っているのにかかわらず、さらに追い打ちをかけるように競争と自立が主張されはじめています。「がんばるな」は良いメッセージでしょう(笑)。そういえば、少し前のあなたの写真を見ると、ヴィンテージなファッションを着て、古いレコードや楽器を持っています。それはちょっとしたアンビヴァレントなユーモアに見えますよね。あなたが古いモノが好きだということと、現代社会へのちょっとした皮肉というか。

AW:いやその通りだよ。当然皮肉も少し混じっている。ただ、俺はテクノロジーにとくに感嘆させられないというだけだ。現代のありように対してとくに素晴らしいことだとは思っていない。たしかに60~70年間で人間は空中飛行から、月に上陸するという宇宙飛行まで可能にした。そういうことに対してはたしかに近代の人間の可能性というものに感心するが、最新のテクノロジー機器をすべて持つ必要性は感じない。テクノロジーは俺にとってはツールだ。自分に必要ないツールは家に置いておく必要がないのと同じことだ。たとえば木を切り倒すためのノコギリは俺は持っていない――必要ないからだ。ある時期まで俺にとってパソコンは絶対不可欠のものではなかった。だが、契約書を確認するのに、わざわざ会社に出向かなくてもいいとか、仕事をする上で便利なもの、時間や経費を削減するものだということがわかった。だからパソコンを買っていまはパソコンを使っている。ライブラリーとして使うときもあるし、仕事に使うときもある。
 それがはたして常識なのか皮肉なのかはわからないけど、俺のテクノロジーに対するアプローチはそんなところだ。自分の人生をよりよくすると思ったら使う。俺はiPhoneを持ってない。車のなかからメールする必要もないし、つねに自分のオフィスと連絡が取れる状態にする必要性も感じないからだ。『ニンジャフルーツ』とかいうゲームをする必要もないし、アングリーバードを投げる必要もない(笑)。iPhoneに対してステイトメントがあるとかいうのではなくて、俺には必要ないと言っているだけだ。
 よく、人は俺のテクノロジーに対するアプローチを見て最初はそれを疑問に思う。「こんなにたくさんのプログラムを見逃してるよ」とか言うけど、しばらく話していると彼らは「たしかに、こういうのがなかったら俺の人生はずっといまよりもシンプルになっているな」と認める。俺は来年で50になるから、もし俺がいま18だったらもう少し違っていたかもしれない。それでも、俺が18のころを振り返ってもやはり同じだったと思う。俺はティーネイジャーの頃からそういうガジェットといったものに興味がなかった。読書に興味があった。誰かのスクリーンを見つめるよりも、自分の想像力に興味があった。それはある種の傲慢かもしれないが、それがテクノロジーに対する俺の意見だ。
 俺のスタイルはたしかにユーモアが含まれていると思う。それが君に伝わってうれしい。俺が近代の生活に立ち向かっている、と思っている人も多い。俺はヴィクトリア朝やエドワード朝の衣装の美的感覚が好きなだけだ。むかしから俺は、19世紀末あたりのエドワード朝のスタイルが好きだった。だからその時代の格好をするし、テクノロジーはとくに必要性を感じないから使わないというだけだ。けど、そのふたつを合わせて、100年前の格好をして古い楽器を持っている写真を撮ったら誤解されても仕方ないね。
 これはステートメントというよりは、美学の話だよ。芸術の民主化というのはいい面もあるが悪い面もある。あらゆる人が芸術に触れることができるというのはとてもいいことだと思う。ただそのアクセスのよさを利用する人間が出てくる。そうすると、膨大な量の中途半端な芸術がこの世に広まってしまう。中途半端な芸術は、悪い芸術よりもさらにひどい。悪い作品なら、話し合って何が悪いと議論できる。中途半端な芸術は誰に何のメリットももたらさない。いま、そういった中途半端な芸術がインターネットを通じて出回りすぎていると感じるよ。それがよくない面だね。インターネットについて批判するのはこれくらいにしておこうか。とにかく、俺は、ライフスタイルや服装に関しては現代の美学よりも100年前の美学を好む。そうは言っても家にパソコンはあるし、100年前の暮らしをしているわけでもない。ふたつの時代のいいところをとっているだけだ。気分によって過去に戻ったり未来へ行ったりしているよ。

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俺は若いころから注目を浴びて、多くの人から自分の作品がとれだけ素晴らしいかを聞かされていた。それがかえって俺を不信にさせた。俺の音楽キャリアの最初の5~6年はすさまじいスピードで進んでいった。そして俺は防御的になった。誰かが俺の正体を見破るんじゃないかと恐れていたんだ。「あいつは郊外出身の、服屋の店員だった男だ」ってね。


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あなたのようなレコード愛があるDJは、PC中心になった現代のDJスタイルを複雑な感情で見ていると思いますが、最近ではむしろ若い世代がデータにうんざりしてレコードを作ったりしていますよね。あなたはそういう動きをどう見ていますか? USのアンダーグラウンドなシーンでは、ヴァイナルとカセットしか出さないレーベルもありますよね。

AW:それは自然なことなんだ。それも『ルールド・バイ・パッション、デストロイド・バイ・ラスト』に当てはまる。たとえば、子どもは段ボール箱ひとつで楽しく遊べてしまう。それをお城に見立てて遊んだりしている。そこに親がクリスマス・プレゼントで新しいおもちゃを与える。子どもは興奮し、新しいおもちゃで1日ほど遊ぶ。だけど、きっと2日後にその子は再び段ボール箱でお城ごっこをして遊んでいるだろうね。結局、人間とはそんな生き物で、新しいものには情熱を感じ欲望を感じる。だが十中八九、もともとあったものでじゅうぶんだった、という結論に達するのさ。むしろ、もともとあったものの方がよかったということも多い。とくに芸術――音楽やヴィジュアル・アート――の分野においては、いままで完璧であったものを、よりクイックで簡単なもので以前のものほどよくないものに置き換えてしまった。それに最近になってみんな気づいてきたんだと思う。
 シンセの場合もそうだ。当初、シンセのソフトウェアが出たときはみんな夢中になった。このプラグインがあるから、もうシンセは必要ない、と言っていた。それから5年後のみんなの感想はこうだった「これはいいけど、実際のシンセよりも音がよくないし、いじっていてシンセほど楽しくない」。そしてシンセを買い直していた。だから当初100ドルで買えたシンセがいまでは1000ドルになっている。われわれの時代の人間は新しいものに飛びつく。だが、その後に以前使っていたものの方がよかったと気づくんだ。それは人間性というものだからしかたない。同じことがレコードとデータでも起こっているということだと思うよ。
 俺はべつにパソコンで音楽を作ってもいいと思う。大切なのはどう聴こえるかだ。ロー・レゾリューションのMP3の音楽は、俺にとって爪で黒板をひっかくのと同じように聴こえるが、レコードを録音してパソコンに取り込み、それをWAVファイルで再生しているのなら、問題ない。手法は何でもいいんだ。大事なのは最終的なサウンド、もしくは仕上がりだ。パソコンでアートを作ってもいいと思う。そのアートがパソコン以外の世界でも存在できると感じられることができるならね。それが最近のアートの問題だ。現実味に欠ける。パソコンのなかでしか存在しないものに感じられる。たとえそれをプリントアウトしても、スピーカーで再生して聴いたりしても、パソコンの世界でしか生きられないものに感じてしまう。
 俺が好きな音楽は、たとえパソコンで作られたとしても何らかの雰囲気が感じられるものだ。どこかでレコーディングされた感じ。どこかで描かれた、撮影された感じ。そういう雰囲気を持つ芸術に興味がある。そういったことを若い人も同じように感じているのだと思う。よく若い人が俺にアドヴァイスを求めてくる。「音楽を作ったけど、音がフラットに聴こえる。どうしたらもっと生き生きとしたものにできるのか?」と。レコーディングもちゃんとやっているし、音自体も悪くない。けどフラットに聴こえる。俺はこう訊く。「パソコンから一度取り出したか?」、そうすると、していない、と言う。だから、こうアドヴァイスする。「古いテープ・レコーダーを買ってテープ・サチュレイションしてみればいい。音楽に少し息を吹き込んでから、再びパソコンに取り込めばいい」、人びとはそういうやり方に気づきはじめているのだと思う。
 俺はパソコンもアナログ機材も両方使う。アナログ機材をひとつ使うだけで、サウンドをパソコンの世界から引き離して、現実性といういち面を与えることができる。そのサウンドはパソコン以外の、外の世界を経験して再びパソコンの世界に戻っていった。最近の芸術の多くはそれがされていない。現実の世界を経験していないんだよ。

詩人ジョン・ベッチェマンがどんな人か、あなたなりに紹介してください。

AW:彼はイギリスの詩人で、20世紀のはじめに生まれて、1980年代に亡くなったと記憶している。とてもイギリス人らしい詩人で、イギリスの郊外や田舎など、とても心地よく見える情景についての詩を書いた。同時に彼には狡猾で鋭いウィットがあり、イギリスの上品で礼儀正しい生活態度は、皮をはがすと、かなりめちゃくちゃで腐敗していることを知っていた。イギリス人にジョン・ベッチェマンというと、みんな「イギリス人すぎる。ベタだ」と言ってうんざりするだろう。ジョン・ベッチェマンはイギリス人のステレオタイプを詩にしてきた人だよ。
 だけど、アルバムの"レイト・フラワリング・ラスト"はとてもダークな詩で、詩の内容は、ふたりの元恋人同士が酒の勢いでヤるために再会する、という話だ。かなりダークでいかがわしいだろ? 俺はそういうイギリスらしさに惹かれるんだ。とくにヴィクトリア朝、エドワード朝の時代はイギリスは歴史的にも最高潮に達して非常に礼儀正しく上品だった。だが、その裏では、あらゆる種類のいかがわしいことがおこなわれ、ダークな部分がたくさんあった。当時は非常に整った社会で、イギリスは礼儀正しく上品とされていたが、表面を取り除いてみると、当時のイギリスは非常にダークな世界だったということがわかる。俺はジョン・ベッチェマンのそういうところに惹かれる。彼は桂冠詩人にもなった人だ。年代は忘れてしまったけど、とにかく彼の描くイギリスの二面性というものに惹かれるね。

あなたはいろいろなスタイルのDJパーティを企画してきましたよね。『フロム・ザ・ダブル・ゴーン・チャペル』の頃は、50年代のロックンロールをかけるパーティをパブでやっていました。たしかダウンテンポの曲だけのパーティをやっているという噂を聞いたこともあります。この3年のあいだ、何かこの手のユニークなテーマのイヴェントも続けていたのでしょうか?

AW:それが〈ALFOS〉だよ。ダウンテンポばかりというか、BPM90あたりからはじめて、120BPMくらいまで持っていくんだ。3年くらい前、古い友人のショーン・ジョンストンといっしょに車でいろいろなギグに行った。そこでミッドテンポというか、少しディスコっぽくてポスト・パンクっぽい、テクノなのかハウスなのかわからない音楽にたくさん出会った。それからそういう音楽を自分たちで探して、お互いにかけたりして、ついに「こういう音楽をかけるイヴェントをやろう」という話になった。
 でも、最近はみんなもう少し速めBPMが好みだからちょっと難しいかもしれないと思った。だから規模は小さめではじめよう、と言ってパブの地下でイヴェントをはじめた。キャパは100人くらい。それが2年半前くらいにはじまって、いまはみんながイヴェントのコンセプトを理解するようになってきた。3枚セットのCD『マスターピース』は、〈ALFOS〉に行ったらどんなサウンドが聴けるかというのを表現したものだ。最近はヨーロッパの各地でも〈ALFOS〉をやっているよ。イヴェントはオールナイトでやる。10時からはじまって、朝4時に終わる。もしくは12時からはじめて6時に終わる。ひと晩かけてイヴェントをやるのが大事なんだ。テンポの変化もゆっくりだから、クラウドがイヴェントの雰囲気を理解してそれにとけこむまで時間がかかる。魔法がかかるまでには時間がかかるのさ。秘薬が効くにはたくさんのミックスを必要とする。これがいまの俺のメインのプロジェクトだ。いまでもロカビリーのDJセットやテクノのセット、ハウスのセットをたまにやったりもするが、〈ALFOS〉がメインだよ。

ちょっとロカビリー風の"ワン・ミニッツ・サイレンス"では何について歌っているんでしょうか?

AW:俺とティムはクラスターというドイツのバンドにはまっているんだけど、そのバンドの時代の特有のリズムというものがある。クラウトロックやグラム・ロックのリズムだ。俺たちはとくにそこにはまっていて、この曲を作っていたときにクラスターを聴いていたんだと思うよ。俺たちは曲を作るとき、いつもリズムとベースから入る。ドラムとベースだ。そのときもたしかティムがリズムをプログラムして、俺がベースラインを書いた。そこから曲を作り込んでいくんだ。
 曲の内容について、俺はふだんあまり話したくないんだけど、この曲は多少政治的な意味を持った曲なんだ。具体名称は出さないが、ある女性が悲劇を経験した。それに対して彼女は、政府にその行為を正式に認めることを求めていた。要は、彼女の家族がテロ攻撃の被害者となった。政治的な話になってしまうから、どの国のどちら側ということは伏せておく。彼女が求めていたものは、被害者の亡くなった記念日に自分の国で1分間の沈黙を得るということだった。ただそれだけだ。その記事を読んだときに、それだけを望んでいる人もいるのだ、と気づいた。多くの人は富や名声を望む。だが、彼女が望んだものは、遺族を思うために国民にだまってもらい、静かな時間を1分間だけくれ、ということだった。それを読んで感動したんだ。だから曲の内容はそういうことだ。
 俺はこういうふうに、新聞の記事をとって曲にする、ということはあまりしない。まじめになりすぎてしまうし、他人の苦しみや政治的な動きをポップ・ソングにしてしまうのはどうかと思う。価値を落としてしまう可能性がある。彼女の経験をエレクトロなアルバムの曲にしたことによって、その価値を落としていなければいいと願うよ。

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「芸術」を生業としている人がそれを「仕事」と称すると、それを聞いた人はおかしな印象を受ける。芸術に対して屈辱的な言い方だと感じるようだ。芸術は仕事ではなく、神秘的な行為のように考えている人が多い。けど実際はそんなことはない。俺にとっては仕事だ。俺が大好きな仕事だ。


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"ザ・クワイエット・ディグニティ・オブ・アンウィットネスト・ライヴズ"からはちょっとバレアリックな、80年代末のようなピースなアトモスフィアを感じます。何からこの曲はインスピレーションを得たのでしょうか?

AW:ティムがはじめエレクトロっぽいビートを作ったから、俺がそれにベースラインを書いたんだ。もともとはダブのトラックにする予定だったと思う。だから聴いてみるとダブ寄りのサウンドになっているよ。そこから曲が発展して、俺がキーボードをのせたからよりポップな感じになった。そしてティムがさらにパートを加えていく。そのとき俺たちの頭のなかにはソフト・セルの"セイ・ハロー・ウェイヴ・グッドバイ"がかかっていた。無意識的にね。そして俺は、「マーク・アーモンドに電話してヴォーカルを歌ってもらおう」なんてことを考えてた。俺がもっと金持ちで大きなレコード会社と契約していたら、たしかにそう言っていると思うけどね。そういう無意識的なソフト・セルへの愛がこめられている。ニュー・オーダーのアルバム『パワー、コラプション&ライズ(権力の美学)』の要素も入っている。それも80年代中旬な感じがする一因かもしれない。
 でも最初からそういうのを意識して作ってるのではなくて、曲ができあがってから、ほかの人に「この曲は○○に似ているね」と指摘される。アルバムのすべての曲はドラムとベースラインが基本で、そこから作り上げられている。そこから曲がどう発展するのかはわからない。それがアナログ・シンセを使うよろこびでもある。すべての曲はドラムとベースラインからはじまり、シンセなどを使って、「ジャム」しながらできあがっていく。「ジャム」という表現はつまらないしロックっぽいから本当は使いたくないんだが、プロセスとしてはそういうことになる。
 バンドがギターやドラムを使って徐々に曲を書いていく作業と同じように、俺たちも自然なセッションをしながら曲を作っていく。作っている曲は電子音楽だけど、手法は基本的な作曲の手法だ。お互いにパーツを作って、「これはどうかな?」とアイデアを投げ合っていく。ふたり以上の人がいっしょに音楽を作るということはそういうことだ。だから俺はエンジニアといっしょに仕事をするのが好きだし、過剰に独学で習得しようと思わない。アマチュアでいいんだ。エンジニアとのやりとりに楽しみを感じるからだ。エンジニアから学ぶのはおもしろい。
 俺は50になるけど、まだ知らないことがあると認めることができるよ。すると人生はいちだんと楽なものになって、学ぶ作業も楽しく感じられる。ひとりでやる作業よりも、共同作業の方が俺にとってはずっと楽しい。最近の電子音楽を作るミュージシャンはひとり作業が好きな人もいるが、俺にとって音楽制作において好きなプロセスは共同作業の部分だ。お互いと競いあうのではなくお互いを笑わせようとする共同作業。もちろん音楽に対する態度は真剣なんだが、たまにはおもしろいことをやる。たとえば、絶対ありえないようなパーツをわざと入れる、とかね。お互いを笑わせるためだけにね。ジ・アスフォデルスはそういうふうに音楽制作をする。たとえダークな音楽を作っていても、意外な要素を入れたりして、お互いをニヤリとさせる。仕事をするにしても、楽しんで仕事をするべきだと思うんだ。会社で座っていても、向こうに座っているやつと冗談を言い合って笑う。それでいいと思う。

そして、クローザー・トラックの"ア・ラヴ・フロム・アウター・スペース"へとつづきます。80年代末に生まれたA.R. ケインのこの曲もある種の前向きさを感じる曲ですね。この曲についてコメントをお願いします。

AW:"ア・ラヴ・フロム・アウター・スペース"は俺が長年好きな曲だった。A.R. ケインも大好きなバンドだ。イギリスの、少し変わったポスト・パンク・バンドで、"ALFOS"は俺のこれまででいちばんお気に入りのひとつに入る。あの曲には、リリースされてからずっといい思い出が残っていて、俺は曲のファンだったから、そのカヴァー・ヴァージョンは自分の頭のなかにはつねにあったよ。そしてイヴェントをやるときに〈ALFOS〉とつけて、その名前をつけたからにはヴァージョンを作らなければいけないなと思った。
 曲はとてもアップ・リフティングな曲だ。俺はそれをバラードにしようなんて思わなかったけど、自分なりのヴァージョンを作りたかった。このアルバムに入っているヴァージョンは、『マスターピース』に入っているヴァージョンと少し違う。ストリングスを加えたんだ。そうすると、ハッピーな曲なんだけれど、メランコリックな要素が少し加わる。俺は鬱になったりはしないが、ものがなしい雰囲気は好きだ。メランコリックな感情というのはポジティヴだと思うから、自分が実際にメランコリックでいる状況を好むよ。だから、ハッピーな曲にものがなしさやメランコリックな要素を多少加えるのが好きなのかもしれない。

DJはどのくらいのペースでやっているのでしょうか?

AW:毎週末だよ。俺の週末は来年の半ばまで空きがない。5年前「DJギグはいつまでもつかな」なんて思っていたけど、いまは(DJ依頼の)電話が鳴りやまないんだ。電話が鳴りやまないからいまでもつづけている。電話が鳴らなくなったらほかのことをすると思うけど、いまのところはやりつづけるよ。とても疲れる仕事だけどDJするのは楽しい。平日の4~5日間はスタジオで仕事をして、金曜と土曜はクラブでDJをすると。とても疲れるよ。だから俺にとっては仕事だね。とても素敵な仕事だとは思う。世界中を旅して、2~3時間ほかの人の音楽をかける。他人にうらやましがられる職業だ。だけど、日曜日に帰宅した俺を見ると、みんな、俺がどんなに働きものかということがみてとれるだろうね。もちろんDJはとても楽しい仕事だよ。

UKではダブステップ以降のダンス・ミュージックがものすごく大きくなっているとききます。若い子たちはみんなレイヴによく行くそうですが、あなたは現在のUKのダンス・カルチャーをどう見ていますか?

AW:いまの時代、UKのダンス・カルチャーをほかのダンス・カルチャーと切り離すことはできない。アメリカのおかげでダンス・カルチャーは世界的なカルチャーとなり、ポップ・カルチャーとなった。情報が普及するスピードがこんなに速いおかげで、ジャスティン・ビーバーの新曲にはダブステップの要素が入っていたりする。最近はディプロがジャスティン・ビーバーといっしょに仕事をしているらしいじゃないか。アンダーグラウンドからオーバーグラウンドへの移行がすぐにできる現代では、現状をうまく分析することはできないな。
 たとえば、誰かが曲を週末にレコーディングしてそれがロンドンのダブステップのクラブで翌週にプレイされ、同じ週の木曜にサウンドクラウドにアップされる。翌週の月曜日には何万人もの人がその曲を聴いている――世界中の映画会社関連の人、レコード会社関連の人、プロデューサーなども含めてだ。そういう人がそれを聴いて「いまロンドンで流行っているのはこれだ。これを使おう」と言ってその要素を自分たちのポップ・ソングに注入する。ダンス・カルチャーがポップ・カルチャーだというのはそういう意味だ。だからダンス・カルチャーに関してはこういうコメントしかできないよ。
 それに、俺は自分の道は自分で決めて、その上を歩んでいくことにしている。まわりを見渡してほかに何があるのか、この先何が起こりうるかということを少しは気にするけど、この年になると方向を外れることはない。昔はよくいろんな方面に行っていたよ。ある週はドラムンべースにはまっていたり、翌週は別のことをしていたり......昔はほかの人が何をやっているかということに気を取られ過ぎていた。いまでは自分が好きなもの、やりたいことにしか集中していない。だから他のカルチャーもあまり見ていないんだ。ダブステップを聴いて、いいと思うものがあればそれが誰か探して、そこからさらにいろいろ聴いていくかもしれない。ほかの人のクラブ・カルチャーは視野に入っているけど、いまもっとも集中しているのは、自分がクラブで何をやりたいのかということだね。

あなたはリミキサーとしてもひとつの道筋を作ってきたと人ですが、ここ最近であなたがリミックスをしたくなるような若いバンドがいたら教えてください。

AW:好きなグループを聴いて「このバンドをリミックスしたい」とはあまり思わないよ。リミックスという行為自体を批判するわけじゃないけど、世のなかにはリミックスが必要ない曲もある。大好きな曲のリミックスを頼まれたが、断った経験は何度もあるさ。オリジナルの曲が好きすぎて、リミックスをしたいと思ってもできないんだ。曲を聴いて、もうこれ以上よくならないと感じたり、反対に、自分が共感できるパートがひとつもない場合、その曲のリミックスはしない。好きな音楽は、リミックスしようと考えるのではなくて、そのままにしておくことが多いかな。

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俺はティーネイジャーの頃からそういうガジェットといったものに興味がなかった。読書に興味があった。誰かのスクリーンを見つめるよりも、自分の想像力に興味があった。それはある種の傲慢かもしれないが、それがテクノロジーに対する俺の意見だ。


The Asphodells
Ruled By Passion, Destroyed By Lust

ROTTERS GOLF CLUB/ビート

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では最近であなたを興奮させた音楽作品は何でしょうか?

AW:たくさんありすぎるよ。スタジオを歩き回って見てみよう。最近聴いている音楽が山のように積み上げられているからね。レイランド・カービィというダークなアンビエントを作るミュージシャンがいるが、その人の作品はとても好きだ。ザ・ケアテイカーという名義で活動しているが、彼のアトモスフェリックな音楽は素晴らしい。それから今年リリースされたモダン・ソウルのレコード、ヴェニス・ドーンの『サムシング・アバウト・エイプリル』はアナログ・サウンドが美しい作品で、むかしのソウル・アルバムのようなサウンドだが、それにモダンなダーク・タッチが入っている。今年のリリースで大好きな作品のひとつだね。
 渋谷に6階建てのタワーレコードがあるだろう? あそこで、俺はエレクトラグライドのプロモーションとして「今年のベスト10アルバム」を紹介している。だからタワーレコードに行ってみてくれ(笑)。それから、カントリーのアルバムで『カントリー・ファンク:1960-1975』というのも好きだな。『パーソナル・スペース』という80年代のエレクトロニック音楽のコンピレーションも素晴らしい。最近のバンドでトイというバンドがいるけど、トイは好きだよ。リミックスもやった。最近聴いているのはそんなところかな。

エメラルズOPNのようなUSの電子音楽なんかは好きですか?

AW:両方好きだよ。とくにエメラルズは好きだね。ギターを使ったサウンドだから、スピリチュアライズドやスペクトラムのようなバンドを彷彿させる。ああいう、チラチラ光るようなメタリックなサウンドは昔から好きだよ。エメラルズの音楽はキーボードやギターを使ってそういうサウンドを表現している。それが良い。さっきの質問の答えにエメラルズも入れてくれよ。
 エメラルズのサウンドはパソコンで作っているかもしれないけれど音が生き生きとしている。音に空間が感じられるから好きなんだ。けっしてフラットな音ではない。サウンドを聴くと、アップル・マークの後ろでパソコンをいじっている人のイメージではなく、どこかのスペースでレコーディングされたのだというイメージがわく。実際彼のライブをみると、アップル・マークの裏でパソコンをいじっているんだけどね(笑)。けれど彼の音楽はそれを超越している。

家でリラックスしたいときには何を聴いていますか?

AW:家ではめったに音楽を聴かないよ。俺は週7日間、1日8時間音楽を聴いていられるという特権を与えられているからね。だから一日中音楽に関わる仕事をして、さらに帰宅して家で音楽を聴くことはあまりない。音楽関連のドキュメンタリー番組をテレビでやっていると観たりはするけど、朝11時に出勤して7時に帰宅するまではずっと音楽を聴いているから、その後にはあまり聴かないんだ。家ではたいていラジオをつけているけどBBCラジオ4で、ドラマ、ドキュメンタリー番組、ディスカッションなどいろいろな内容の番組をやっているチャンネルだね。帰宅した後はそういうことをしている。それか読書。読書していることが多いな。俺はつねに、小説、歴史、芸術に関する3冊をいっしょに置いておいて、それらを気分に合わせて読んでいる。
 俺のなかで音楽とリラックスは同じカテゴリーに入らない。もちろん仕事中は椅子に座ってるからリラックスしているけれども、君の言うリラックスは頭のスイッチを切る、ということだと思う。俺は音楽がかかっているときに頭のスイッチを切るということはしないんだ。それがたとえひどい曲であっても「ひどい曲だ、なんだこのひどい曲は?」と思ってしまう(笑)。音楽に対しては、いい悪いという反応が俺のなかで絶対に生まれてしまう。だから音楽とリラックスは別物だ。そして俺はリラックス(頭のスイッチを切る)ということもしない。だから本当は瞑想やヨガなどをやるべきだと思うんだけど、俺の頭のなかはつねに時速160キロで進んでいる(笑)から無理だと思うんだ。
 俺はつねに外部からのインプットを必要としている。たとえそれが風呂に10分間入っているときでもだよ。新聞か本か何かしら読んでいる。外出するときは音楽を聴かない。携帯用音楽プレイヤーは持ったことがない。音楽的インプットよりも、外の世界で起こっている情景の方がよほどおもしろい。だけど同じ場所に長い間座っていなければいけない状況のときは必ず本や新聞を持っていくよ。とにかく、音楽とリラックスは俺にとっては別物だけど、音楽でリラックスできるってことは素敵なことだね。

いまもっとも欲しいものは何でしょうか?

AW:いまもっとも欲しいもの? それはむずかしい質問だね。いまその答えを考えて「いま欲しいものといったら、飲み物かな」と思ったら、ちょうど、スタッフのスコットくんが紅茶を入れて持ってきてくれたんだ。

願ったり叶ったりですね!

AW:そうなんだ。完璧なタイミングでお茶を持ってきてくれた。欲しいものは手に入ったよ。とにかく、いまの状況をキープして、この仕事をつづけることかな。さっきも話したけど、俺の野心は、野心を持たずにいまの状態と同じところに居つづけるということだ。すでにほどよい量の作品を生み出したし、スタジオもいい感じで動いている。スタジオのスタッフは素晴らしい人たちばかりだ。この10年間で最高の状態になっていると思う。それ以上を願うのは欲ばりなんじゃないかと思う。もちろん世界平和や食料飢饉や飢餓をなくすという願いはあるけれど、個人レヴェルの話をすると、いまやっていることを続けるということになるね。

なるほど。それではエレグラでお会いしましょう!

[Experimental, Psychedelic Rock, Dub] - ele-king

Spacemen 3 / Sun Araw - That's Just Fine / I'm Gonna Cross That River Of Jordan | The Great Pop Supplement

 ロンドンの〈ザ・グレート・ポップ・サプリメント〉レーベルは、アナログ盤とサイケデリック・ロックに並々ならぬ執着を見せているレーベルで、倉本諒も大好きなSilvester Anfangの新作を今年出している。で、そのレーベルからついにというか、サン・アロウとスペースメン3のスプリット盤がリリースされた。当たり前だが、スペースメン3はとっくに解散しているので、再発のときにボーナス・トラックとして収録された初期の曲。
 これ、透明ヴァイナルが赤色で浸食されているというサイケなレコード盤プレスで、ものとしてもフェティッシュな仕上がりとなっている。ま、なんにせよ、新旧のサイケデリック・ロックの出会いというか、いよいよサン・アロウから目がはせなくなった。新作は、自身のレーベル〈サン・アーク・レコーズ〉から、11月にリリースです!  ドリームウェポンのTシャツを着ているサイケデリックなキッズよ、まずはこれを聴いて、旅に出よう。



Tim Hecker & Daniel Lopatin - Uptown Psychedelia | Software

 アンビエントの大物、ティム・ヘッカーと今日のニューエイジ/エクスペリメンタルの先頭を走るOPNとのコラボレーション・アルバム『インストゥルメンタル・ツーリスト』が11月あたりに出るようです。OPNことダニエル・ロパティンのレーベル〈ソフトウェア〉からのリリースになります。"アップタウン・サイケデリア"がアルバムに先駆けてYoutubeにアップされているので、まずはこれ聴いて待ちましょう。
 ほとんどがインプロヴィゼーションになる模様ですが、ティム・ヘッカーのある種の重さとOPNがどのように向き合うのか、注目でしょう!



MiNdToUcHbeaTs - MeMoRieS FRoM THe FuTuRe.

 韓国系アメリカ人女性のビートメイカーと言えばトキモンスタだが、もうひとり、ロサンジェルスのマインドタッチビーツ(MiNdToUcHbeaTs)も多くの人に記憶されるだろう。彼女の新しいシングル「メモリーズ・フロム・ザ・フューチャー(MeMoRieS FRoM THe FuTuRe.)」がフリーダウンロードで発表された。この週末は、彼女のMPC 3000で生まれた10曲、華麗なるヒップホップをぜひお試しあれ。素晴らしいです。

https://mindtouch.bandcamp.com/album/memories-from-the-future

 2010年のアルバム『トゥナイト・アット・ヌーン(ToNight aT NoON)』もまだフリーダウンロードできるので、いまのうちに聴こう。

Nick Edwards - ele-king

 六本木通りを渋谷方向に、つまり、ドミューンのスタジオやエレキングの編集部やC↑Pのエリイちゃんが住んでいるマンションや渋谷警察や一風堂やショーゲートが並んでいる方向に歩いていくと、途中に料亭がある。ひらがなで「かねい……」という文字が見えたところで、僕は必ず「かねいと」ではないかという連想が働いてしまう。ドゥーム・メタルのカネイトを名乗る料亭があるとは、さすが六本木だと感心していると、さらに4~5歩進んだところで「かねいし」だということが判明する。やはり、ドゥーム・メタルを店の名前に掲げる勇気はないらしい。ましてや「あーす」とか「さん O)))」といった料亭も僕は見たことがない。「けいてぃえる」だと、けんちん汁みたいなので、あってもいいような気がするけれど、「なじゃ」もないし、「あいしす」もないし、僕が生きている間に「あんくる・あしっど・あんど・ざ・でっどびーつ」という料亭が六本木にオープンすることはまずないだろう。エリイちゃんはこんな街で毎晩、遊んでいて面白いんだろうか。エリイちゃんの卒業論文はちなみに「憲法九条について」である。「ピカッ」に至るまでの基礎はできていたのである。

 メタル・ドローンのグループとしてカネイトがどれだけ凄いグループだったかということは、絶賛編集中のエレキング7号で倉本諒が力説していることだろう。大体、倉本くんがエレキングに興味を持ったのは創刊号にジェイムズ・プロトキンがフィーチャーされていたからだそうで、同じカネイトでも、スティーヴン・オモーリーのインタヴューが掲載されていたら、もっと理知的な……いや、違うタイプの若者がエレキングに吸い寄せられてきたのだろうか。わからない。すべては煙のなかである。ドゥームというものは、そもそもそういうものである。ジェイムズ・プロトキンが新たにジョン・ミューラーと組んだ『ターミナル・ヴェロシティ』もスクリュードされたマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのように完全に視界は真っ白で、そう簡単には煙を掻き分けることはできない。これはとんでもない大作である。そして、3ヵ月ほど前にリリースされたスティーヴン・オモーリーとスティーヴ・ノーブルのジョイント・ライヴ『セイント・フランシス・デュオ』もとんでもなかった。これはとくにドラムスが圧巻で、視界はいたって良好なハードコア・ジャズを聴くことができる。現在はオモーリーと共にアーセノアーのメンバーであるノーブルは、ちなみにリップ、リグ&パニックの初代ドラムスとして知られる大ヴェテランである。リップ、リグ&パニックといえば……

 ……ブリストルのダブが、そして、ここのところドローンの侵食を受けている。もっともノイズ色が強いエンプティセットやヴェクスドのローリー・ポーター、そして、もっとも派手に動いているのがエコープレックス(Ekoplekz)ことニック・エドワーズで、2010年に自主制作盤を連発したエコープレックスは翌年に入るとペヴァーリストが運営するダブステップの〈パンチ・ドランク〉と、ドナート・ドツィーやイアン・マーティンなどアンビエント系テクノのヒットで知られるシアトルの〈ファーサー〉と、まったく毛色の違うレーベルから話題作を放ったあげく、なんと、新作は本人名義で〈エディションズ・メゴ〉からとなった。同じくエレキング7号のために話を聞かせてもらったジム・オルークも、話の締めくくりはやっぱり〈メゴ〉がスゴいということになっていたのだけれど、その感慨はここでも繰り返さざるを得ない。スティーヴン・オモーリーもエメラルズのジョン・エリオットも、そして、マーク・フェルも現在は〈メゴ〉の傘下にそれぞれがA&Rを務めるレーベルを持っているほど、〈メゴ〉はかつてのハプスブルク家を準えるように版図を拡張している最中で、これにブリストル・コネクションまで加わってしまったのである。いやいや。

 『プレックゼイションズ』は名義を変えた意味をまったく感じさせない。これまでとやっていることは同じである。強いて言えば従来のドローン・ダブにクラウトロックが垣間見えるようになったことで、1曲が長いということもあるけれど、いってみればアカデミック色を欠いたインプロヴァイゼイションであり、使いにくいトリップ・ミュージックであることをやめようとはしない。とはいえ、これまでの〈メゴ〉のラインナップからすればOPNと並んで快楽係数は格段に高く、ビートが入らないカンのように聴こえる場面も少なくない。不穏なムードを鍋の底でかき回しているようなタッチが続いたかと思えば、過剰なエコー・チェンバーに打ちのめされ、ブリストルにしては金属的な響きを強調しつつ(マーク・スチュワートがいたか)、それらがすべて抽象化されたベース・ミュージックとしての役割をまっとうしていく。“(ノー)エスケープ・フロム・79”のエンディング部分などはほとんどスーサイドのダブ・ヴァージョンにしか聴こえない。アップ・トゥ・デートされたスロッビン・グリッスルとも(https://soundcloud.com/experimedia/nick-edwards-plekzationz-album)。どこもかしこもグワングワンですがな。

 ダブとドローンという組み合わせは意外と少なくて、シーフィール、チャプターハウス(猫ジャケ!)、ステファン・マシュウ、ポカホーンテッド、フェニン、デイル・クーパー・カルテット……ぐらいのものらしい(あと、聴いたことないけれど、日本のオハナミという人たち?)。ダブが他のジャンルに応用されはじめたときのことはいまでもよく覚えていて、最初はXTC(アンディ・パートリッヂ)やジェネレイションXがダントツで、そのうち、ポップ・グループやフライング・リザーズが出てきてスゲーなーと思っていたら、あっという間にダブ・ヴァージョンが入ってないシングルはないというほど広まっていくという。カルチャー・クラブ“ドゥ・ユー・リアリー・ウォント・ミー”というカーク・ブランドンへの訣別の歌とかw。ジ・オーブやマッシヴ・アタックが、そして、次の時代を切り開いたといえ、サン・アロウやハイプ・ウイリアムスに受け継がれていくと。しつこいようですが、ターミナル・チーズケーキもお忘れなく。

 ここにもうひとつ加えたいのがシーカーズインターナショナルのデビュー作で、これがDJスプーキーや〈ワード・サウンド〉周辺ではじまったイルビエント・ダブをノイズ・ドローン以降の価値観でブラッシュ・アップさせた内容となっている(https://soundcloud.com/experimedia/seekersinternational-the-call)。ズブズブズブ……と、どこをとっても完全に悪魔の沼にはまったコンピューマ全身ドロドロ状態で、ベーシック・チャンネルをスクリュードさせたような「ラージ・イット・アップ2」や「オールウェイズ・ダブ」など、実に素敵なトロトロができあがっています。夏が終わらないうちに……

 ……巻いてください。

[Electronic, House, Dubstep]#12 - ele-king

 買ってからけっこう時間が経ってしまっている盤も少なくない。いまはヴィラロボスのアナログ盤が並んでいるけれど、ぜんぶ揃えると5千円かよ~。とりあえずはいくつか現状報告。

1.Lindstrom - Call Me Anytime (Ariel Pink's Haunted Graffiti Remix) |
Smalltown Supersound


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E王いつか誰かがやるんじゃないかと思っていたけれど……リミキサーがアリエル・ピンクス・ホーンティッド・グラフィティ、OPN、そしてマーク・マグワイアという、三田格じゃなくとも「ついにこの時代が来たか!」と唸りたくなるような記念碑的なシングル。機能性のみが重視されているこの10年のリミックス文化には見られなかった何でもアリの実験精神が刻まれている。それでも、OPNとマーク・マッガイアに頼むのはわかる。そこにアリエル・ピンクがA面にどしんと刻まれているところが良い。レーベルの方向性に拍手したい。ノルウェイーのコズミック・ディスコの王様、リンドストロームが今年リリースしたサード・アルバム『シックス・カップス・オブ・レベル』収録曲だが、最近はネナ・チェリー&ザ・シングやラジカのアルバム、数年前はサンバーンド・ハンド・オブ・マンやヤマツカ・アイなどといったレフトフィールドなアーティストの作品を出している〈スモールタウン・スーパーサウンド〉らしい冒険心と言えるだろう。
 アリエル・ピンクス・ホーンティッド・グラフィティのリミックスが意外なことにしっかりとフロア対応していて、クラウトロック的な、そして諧謔性のあるミニマリズムを展開。OPNは、チルアウトを押し通しつつも、左右音が飛びまくりの見事なトリップ・ミュージック。マーク・マグワイアは……思わず笑ってしまうほど、ギターを弾きまくっている。

2.Azealia Banks - 1991 | Interscope Records


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E王とくにヒップホップ/R&Bのリスナーのあいだでは期待が高い、ハーレム出身の21歳、アゼリア・バンクスの〈インタースコープ〉からの12インチ・シングルをマシン・ドラムとローンがプロデュースしているところに“いま”を感じるし、M.I.A.を過去のものにしてやるぐらいの意気込みを感じる。ミッシー・エリオットとM.I.A.の中間をいくようなフローも魅力的で、一聴しただけで強く惹かれるものがある。ハウスを取り入れたマシンドラムの“1991”に対して、ローンはレイヴィーな“Liquorice”で迎える。路上のにおいが漂うB1の“212”も素晴らしい。すべてにおいて完璧。夏前に買ったシングルだが、2012年のベストな1枚だと思う。

3.Joy Orbison, Boddika & Pearson Sound - Faint / Nil (Reece) / Moist | SunkLo


 UKベース・ミュージック、ジョイ・オービソンがボディカと一緒に作ったレーベルから3枚リリースされている12インチの最初の1枚。この盤のみピアソン・サウンドが参加。
 ハウス/テクノに限りなく近づきながらも一寸止めでベース・ミュージックにとどまっている。ダブステップやグライムで育った感性がハウス的展開をしているまっただ中にある。ザ・XXのジェイミー・スミスあたりといちばんシンクロしている音はこのあたりなんじゃないだろうか。

4.Moody - Why Do U Feel ? / I Got Werk / Born 2 Die | KDJ


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E王問題はB面の2曲目。ラナ・デル・レイとは、とくに“ボーン・トゥ・ダイ”のプロモーション・ヴィデオを見たことのある人なら、あの曲の世界観が吐き気がするほど白いアメリカだとわかるだろう。それは、デトロイトのブラック・ソウル・ハウスにおけるもっともラジカルなプロデューサーが描き続けている世界とは正反対に広がっている。が、ムーディーマンはそんな彼女を、突き放すのではなく、セクシャルな黒い女神へと変換している。鮮やかな手口でもって。
 ほかの2曲は毅然としたブラック・ソウル。“Why Do U Feel ?”はムーディーマンのメロウなセンスを活かした曲で、“I Got Werk”はファンク。ちょっとオタク的なことを言えば、スネアの音ひとつ、シンバルの音ひとつ、違う。

5.HRKY - Madwazz Ep | Madwazz Records


これをもそうだが、最近は、本当に、デトロイト・テクノがインディ・ミュージックを聴いているいちばん若い世代のあいだで盛り上がっているようだ。ロックのおけるブルースやソウルのように、迷ったら帰る家となっているのだろう。  これは神戸のレコード店〈アンダーグラウンド・ギャラリー〉が鼻息荒く、「CARL CRAIG / BASIC CHANNELファンへ!」と紹介する福岡のレーベル〈マッドワズ〉からの第一弾。バック・トゥ・ベーシックなファンクのグルーヴをキープしながら、アトモスフェリックなシンセサイザーが広がっている。3曲収録されているが、僕はB1の“The momentary break”がいちばん好き。メトロノーミックな909系のキック音、重なるストリングス、美しい余韻、まさに初期のカール・クレイグを彷彿させる。カセット・レーベルの〈ダエン〉といい、大阪と同様にナイトライフの締め付けが厳しくなっている福岡が、なんだか良い感じでざわついてきた。次は稲岡健か?

6.Being Borings - E-Girls on B-Movie(KT Re-Edit) / Red Hat and Black Sun / Love House of Love (Dr.Dunks Club Remix) | Crue-L Records


 瀧見憲司と神田朋樹によるプロジェクト、ビーイング・ボーリングの2枚目の12インチで、ピッチを落とした、どろどっろのドラッギーなハウスが3種類収録されている。スクリュー的(チルウェイヴ的)なフィーリングのハウス解釈とも呼べる内容で、最近ではシーホークスと繋がっているように、言うなればアシッド・スクリュー・ハウスのAOR的な展開なのだ。瀧見憲司の場合は、どれだけフリークアウトしても身だしなみはしっかりしているようなところがあって、ビーイング・ボーリングにも彼の長所がよく出ている。B面ではラブン・タグのエリック・ダンカンがリミックスをしている。

7.Kahn & Neek - Percy / Fierce | Bandulu Records


 スウィンドルに匹敵するような強力なグライムを下さいと、下北沢のZEROの飯島直樹さんに教えてもらったのが、この12インチ。
 新しいレーベルの1枚目だが、カーンのほうは〈パンチ・ドランク〉などから数枚のシングルを出している。まあ、飯島さんが推すぐらいだからブリストルの連中なのだろう。このど迫力あるベースとサンプリング、若くて、ヴァイタルで、重たい音、たしかに「ドゥ・ザ・ジャズ」に匹敵する。グライムにパワーもらおっと。

8.Major Lazer - Get Free | Mad Decent


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 これも実は夏前のリリースで、はっきり言ってE王クラスのキャッチーなポップなレゲエ。ダーティー・プロジェクターズの女性、アンバー・コフマンさんをヴォーカルに迎えて、ディプロとスウィッチは彼らなりのラヴァーズ・ロックを披露している。B面ではボンヂ・ド・ホレ(Bonde do Role)がタイ・ディスコ調のリミックス。両面ともすごく良い。曲調、歌詞ともに今年のサマー・アンセムだった。
「政府からは愛を得られない/お金を得て何ができるの?/金すら得られないっつーのに/私を見て/私には信じられない/彼らが私に何をしてれたのだろうか/私は自由になれない/夢をみたいだけなのに」、その通り。異論はない。

9.Tashaki Miyaki - Sings The Everly Brothers | For Us


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 日本人ではない。ジーザス&メリーチェインをさらにレトロに再構築したようなサウンドで、実際バディ・ホリーやサム・クックのカヴァーも発表している。というか、他にもボブ・ディランとか、カヴァーばかりなのだが……。またレトロ・サウンドかよーと言わないで、聴いてみたほうが良い。形態こそロック・バンドだが、演奏している音は、スクリュー的なのだ。つまりテンポはどろっと遅く、けだるく、ドリーミー。

[Electronic, House, Dubstep] #10 - ele-king

夜間照明に神々しく浮かび上がる燃えるようなオレンジとゴールドの軍団、それがぼくらだった。 ジョナサン・バーチャル『ウルトラニッポン』(2000)

 4月30日、味の素スタジアム、ゴール裏の興奮が忘れられない。あのとき......、高原直泰が走り、高木俊幸の蹴ったボールがゴール左上のネットに突き刺ささったときから、何かが変わってしまった......そして、気分良く、GWの合間に今年に入って買ったレコードを数枚聴ききながら、書いた。


1.James Blake - Love What Happened Here | R & S Records


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 2011年のプレスだが、日本に入ってきたのは今年の春先。ハイプに踊らされた人以外は、ブレイクに入った理由は"CMYK"にあるわけだから、いちおう誰もが期待するシングルだったと思う(実際、各レコード店で好セールスだったそうです)。A面の"Love What Happened Here"は、まあまあ良いが、あくまで「まあまあ」。サンプル・ネタを使った"CMYK"スタイルの曲というは、ジェームス・ブレイクにとっては久しぶりで、大人びたフュージョンを取り入れ、ガラージ風のビートに混ぜるアイデアも悪くはない。が、A面の曲にしては少し地味かな。家計簿をみるにつけ、買わなくても良かったなとも思った。

2.Burial + Four Tet - Nova | Text Records

 同じように、買わなくても良かったかもな思ったのがこの12インチ。「Kindred EP」を聴いたときはさすがだと思って、「これは売り切れる前にゲットしておかないと!」と燃えたのだが、収録曲は前作の延長で、ハウシーなブリアルといったところ。昔ならこういうトラックも、DJフレンドリーとか言って褒められたのだが、いまでは多くのDJがレコード買ってないし、どうでもいいか。いずれにせよ、「モス」の震えには遠くおよばない。

3.Burial - Kindred EP | Hyperdub


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 これは実は、ビートから出ている日本盤のCDの解説を書いているので、買わなくてもいいものの、曲の素晴らしさにヴァイナルでも欲しいと思い、買った。収録されている3曲すべてが良い。デムダイク・ステアのような、いま流行のダーク・アンビエントとも共振している。とはいえ、ガラージ風のビートを入れている"Kindred"にはインダストリアルな感覚、そしてスクリューまでもが注入されている。

4.Airhead - Wait/South Congress | R & S Records


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 10インチ。"Wait"は、R&Bサンプルのダウンテンポで、マウント・キンビーが好きな人なら絶対に好きだし、ボーズ・オブ・カナダ・リヴァイヴァルともリンクしている。要するに、サイケデリック・ロックのエクスペリエンスがある。新鮮さで言えば、ブリアルの「Kindred EP」を凌いでいる。"South Congress"はダビーな展開で、ちょっとそのドラマチックなテイストが自分にはまああまあだが、それでもこれは買って良かったと思う。

5.Claro Intelecto - Second Blood EP | Delsin


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 かつては〈Ai〉(ゼロ年代初頭のUKのデトロイト・フォロワーのレーベル)で、ここ数年は〈モダン・ラヴ〉から作品を出しているクラロ・インテレクトロのオランダは〈デルシン〉からのニュー・シングル。「なんでこれ買ったんだっけ?」と、取り置きしていたお店のスタッフに問いつめたほど、理由を忘れている。魔が差したのだろうか......。同時リリースされているアルバム『リフォーム・クラブ』を買う前に聴いておきたかったと、そういうことか。中途半端なBPM(遅くもなく、速くもない)による"Second Blood"は、カール・クレイグ風であり、アンディ・ストット風でもある。"Heart"のメランコリーも悪いくはないが、特筆すべき感じはない。家計簿を見ると、これも買わなくても良かった1枚。でも、アルバムはちょっと気になっている。

6.Disclosure - Tenderly / Flow | Make Mine


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E王 UKガラージがいま復活しているんじゃないのか? そう思わせる7インチ。男のふたり組で、リズムの組み方は最新型。ジェームス・ブレイクの次を狙っているようでもあるが、よりネオソウル風でもあり、こちらのほうがビートは面白そうだ。2年前に〈もしもし〉からデビューして、通算3枚目になるが、メジャーに行くんじゃないかな。いずれにしても、アルバムが楽しみだ。

7.Tam Tam - Dry Ride | Mao/Jet Set


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 タム・タムは、新人とは思えない演奏力、そしてエネルギーを持っている。エゴラッピンをよりレゲエ寄りにした感じで、楽しく、そして力強さもある。プロデューサーはハカセサン。魅力的な声を持った女性ヴォーカリストが力いっぱい歌い、B面ではON-U風のダブ・ヴァージョンを聴かせる。アルバムも出来もよかったし、次こそライヴを見たい。

8.Slava - Soft Control | Software Records


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 いやはや......、三田格がチルウェイヴをけなしているお陰で、今年に入ってさらにまたチルウェイヴ系は売れている。〈メキシカン・サマー〉傘下の〈ソフトウェア〉(OPN主宰)は、この流れを逃すまいと今年に入って4枚の12インチ・シングルのリリースを続けている。なかでもひときわ目を引くデザインのスラヴァの「ソフト・コントロール」は、ドリーミーであると同時にトリッキーで、ビートに工夫がある。ちょっとハイプ・ウィリアムスを思い出すが、ハウシーで、セクシャルで、そして80年代的なテイストはない。

Compuma - ele-king

Compuma
Something In The Air

E王 Something About Format

 ニューエイジ......という言葉は、1970年代は、ポスト・ヒッピーの少々スピリチャルなタームで、お香、鉱物、古代神話......一歩間違えるとムーの世界に足を踏み入れてしまうというリスクもあるのだが、他方ではCRASSのストーンヘンジ・フェスティヴァルのような、ヒッピー・アナキストへも繋がっているように、実に幅広い意味を持っている。
 ここ数年、"ニューエイジ"と呼ばれる音楽が広がっている。が、意味する内容は昔とは別物だ。今日言うところのニューエイジとは、アンビエント/ドローン/IDM/フィールド・レコーディングなど、新しい傾向のエレクトロニック・ミュージック全般に使われる。OPNエメラルズプリンス・ラマジェームズ・フェラーロ......までもがニューエイジだ。拡張された音楽性は、最近のインディ・シーンにおけるひとつの傾向で、先日のグルーパーのライヴでも感じたことだが、新時代のニューエイジ的な感性は日本でも顕在化しはじめている。
 こうした新しいモードを鋭く捉えているのがコンピューマの『Something In The Air』だ。もうとにかく......今年に入ってから出たこのCDの評判ときたら......多く人たちから「聴いた?」と訊かれている。それはミックスCDというよりは、一種のカットアップ・ミュージックで(ザ・ケアテイカーのようでもある)、音源を使った音楽作品として成立している。アンビエント/ドローン、フィールド・レコーディング、現代音楽や古いジャズ、いろんな音楽が使われている......が、それらは『Something In The Air』というタイトルのように、音の粒子が大気中に舞っていくように感じられる。いま話題の男、コンピューマこと松永耕一にご登場願いましょう。

聴こえたり聴こえなかったり、聴くことを忘れてたり、でもいいというか、なるべく聴き疲れしないようなコンセプトというか......アンビエントや環境音楽的でもあり、まったくその逆とも言える。

お元気っすか?

コンピューマ:おかげさまで元気にしてます。

ふだんはレコード店の仕入れとかやってるんですよね?

コンピューマ:そうなんです。いろんな音楽にまつわる仕事をさせていただいている中で、大阪の〈Newtone Records〉で、いち部分をバイヤーとして担当させていただいてます。それと店番&コーヒーその他で、渋谷の〈Elsur Records〉でお世話になってます。

いま出回っているCD、『Something In The Air』がいろんなところで評判になっていますね。会う人、会う人に、「あれ聴いた?」、「レヴューしないの?」と言われるんですが、ホントに良いですね、これ(笑)!

コンピューマ:ありがとうございます!

家でよくかけていますよ。息子が宿題をしているときなんか、何気に音量を上げたりして(笑)。

コンピューマ:わー、いいですねー。うれしいです。ということは、息子さんの宿題の効果音楽にもなっていると(笑)。

集中力が高まると言ってましたね。それはともかく、そもそもどんなコンセプトで作ったんですか?

コンピューマ:んー。なんというんですかね。タイトル通り、空気のような、空気の中に紛れ込みながらもどこかでその存在に気付くというか、音楽なんだけど音楽でなく、音というか、作り手としての意思は強くあるんですが、その存在に気付く人も入れば、気付かない人もいていいというか、なんとなく感じたり、ものすごく集中して強く感じたり、ときによっては、聴こえたり聴こえなかったり、聴くことを忘れてたり、でもいいというか、それと、なるべく聴き疲れしないようなコンセプトというか......アンビエントや環境音楽的でもあり、まったくその逆とも言えるし、いやー、言葉にすると難しいですね。とにかく、なんかわかりませんが、ミックスするときに、ものすごい集中力が出せたように思います。その上で今回は、あの収録時間が限度でした。

ぶっちゃけ、ミックスというよりも、グランドマスター・フラッシュの「The Adventures Of Grandmaster Flash On The Wheels Of Steel」じゃないですけど、カットアップ・ミュージックっすよね。

コンピューマ:光栄すぎます。

使っている曲は、新しいのから古いものまでいろいろ?

コンピューマ:そうですね。昔の音源から、いまのものまで使ってます。

どちらかと言えば、古いものが多い?

コンピューマ:いや、半々くらいでしょうか。

でも、最近のアンダーグラウンドな動きに触発された部分もあるでしょう? いまの感じをうまく捉えていると思った。

コンピューマ:それは嬉しいです。正直、個人的にはめちゃくちゃ触発されたということはあまりないのですが、仕事柄USやヨーロッパを中心としたアンダーグラウンドでの過剰なシンセサイザー音楽のブームといいますか、電子音楽、アンビエント、ニューエイジ再燃&カセットテープ・リリースの復活ブームや新旧の傑作のアナログを中心としたリイシューなどなどはチラリ横目で見ながら、90年代から2000年代はじめまで頃の、当時のWAVEや渋谷タワー5Fでのバイヤー時代をあらためて思い出して「へぇー。いまこんなことになってんだ。そうなんだ! なんか嬉しいな!」とか思ってました。そんななかで、いまだったら、今回リリースしたような内容のミックスも、あらたな提案というか、自分のなかでいろいろと経た流れの中で、あらためて今の時代の感覚で聞かれたり楽しまれたりするかも!? とかイメージしはじめたところはあるかもしれません。

マーク・マグワイヤまでミキシングしているんですよね。エメラルズみたいな若い世代のアンビエントもチェックしている?

コンピューマ:2~3年前くらいでしょうか。マーク・マグワイヤの存在を知ったのは、実はエメラルズということを知らないで仕事上でのインフォメーションをあれこれチェックしてたらひっかかって、フォーキーながらマニュエル・ゲッチングみたいな浮遊感とミニマル感覚と、ソフトなサイケデリック感覚が面白いなと思ってて。そこからです。

ここ数年、アメリカの若い世代から、やたらこの手の音が出てくるようになったじゃないですか。面白いですよねー。

コンピューマ:本当に多いですよねー。なんだか盛り上がってますよね。でも、不思議なのは、自分的には当時はなんというか、ニューエイジという言葉の響きにはものすごく抵抗があって、あまり好きでは無かったというか、あの独特の匂いを音で感じると拒絶するところがあったのですが、時代を経て時代もかわり、自分もかわり、まわりもかわり、世代もかわり、ニューエイジという捉え方もかわったように思います。
 そういえば、こないだBINGさんこと、カジワラトシオさんともそんなような話をしたのですが、そのなかで、いわゆる現代においての癒し的なニューエイジの代表レーベルの〈ウィンダム・ヒル〉だって設立当時は、アメリカン・ルーツからの発展としてのあらたな音楽の探求というか、ジョン・フェイヒーやロビー・バショウの音楽をお手本にスタートしてたと思うんですよね。あのジョージ・ウィンストンのデビューもジョン・フェイヒーのレーベル〈tacoma〉のはずですし......。

なるほど。たしかにこの動きは、ジョン・フェイヒーの再評価と重なってますよね。

コンピューマ:10年ほど前の新たなジョン・フェイヒーの再評価はある種、それとは真逆のところからの再評価だったというのも面白かったですよね。それを考えるとニューエイジという漠然としたジャンル(捉え方)というのは、作り手も、その時代ごとにその時代のニーズに合わせて変容していくことで、その時代時代の聴き手に楽しまれているのかな、とか思ったり、だから時代によってニューエイジの印象というのは変化していっているのかなとか勝手に思ったりしてます。とくに〈NOT NOT FUN〉などに代表されるいまの若い世代からのニューエイジ・ブームというのは、いわゆるレアグルーヴの再評価再注目のジャンルがニューエイジにまでたどり着いた果てなのかなとかとも思ってます。ニューエイジ的な精神性とかいうよりも単に面白がっているというか、ニューエイジというお題であれこれ遊んでいるようにも思います。あくまで個人的な想像の意見ですけど......(笑)。

アメリカに行った友人がびっくりしてたんですが、サン・アローの人気がすごいと(笑)。あんな音楽がアメリカでリキッドクラスのハコでソールドアウトになってるってすごいよね。ほかに、とくに気になった作品やアーティスト、います?

コンピューマ:そうですね。〈DIGITALIS〉レーベルのいくつかの作品や、話題のワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(OPN)の『レプリカ』や、少々前ですが、エメラルズのジョン・エリオットのソロのアウター・スペース名義や、フェリックス・クビンの新作の電子粒の音の良さや、UKベース&テクノのレーベル〈SWAMP 81〉などなどのエレクトロを通過したいくつかの作品での音作りや立体音響的なミックスの進化と深化にいまを感じます。

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若い世代からのニューエイジ・ブームというのは、レアグルーヴの再評価再注目のジャンルがニューエイジにまでたどり着いた果てなのかなとかとも思ってます。ニューエイジ的な精神性とかいうよりも単に面白がっているというか。

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Something In The Air

E王 Something About Format

ところで、『Something In The Air』を4つのパートに分けたのは、どんな理由がありますか? それぞれテーマがあるわけですよねえ?

コンピューマ:実は今回のこのミックスは、もともと分けるつもりはなくて、ひとつの作品として作ろうとしてました。なので録音も一気にラストまで一発録りでした。4つに分けたのは、単純に聴く人が、このくらいに分かれてたほうが聴きやすくなるだろうな。と思ったことくらいでして。最初はもう少し細かくサウンドイメージの変化する場所場所でポイントしようとも思ったりしたんですが、最終的にはこの4つのこのポイントくらいがちょうどいいように思って、この4つのパートに決定しました。

『Something In The Air』というタイトルはどこから来たんですか?

コンピューマ:今回は自分なりに漠然とですが、何か、よりどこか普遍的なものを目指していたところがありました。去年のある時期、なんとなくダンス・ミュージックに疲れていた時期もあって、いろいろと好きな音楽のなかで、今回はダンス・ミュージックでない側面で何か形作れないかな~と考えてました。よりアダルトというか、オトナというか、自分もおっさん真っただなかなんで、そんなおじさんからの音楽の楽しみ方のひとつの提案というか、より世代やジャンルを超えていろいろな人に届けられたらなと思いまして......そんななかで、自分にとって伝えたい音や音楽のサウンド・イメージのひとつの形として、音と音楽、そして間とゆらぎ、音は空気の振動というか、聴こえるけど見えない。という、空気中の見えない何か、みたいなものをイメージしていくなかで、普段生活している、生かせていただいている環境で何げに呼吸して循環させている「空気」のことをあらためて考えてみて、空気の存在って? みたいなことをじんわり考えていたなかで、昔好きだったサンダークラップ・ニューマンの同タイトルの名曲を思い出したり、できあがった五木田智央さんの絵を見て、最終的に直球ではありますが、このタイトルに決定しました。ホント、過去の先人の方々がいろいろと使い続けている普遍的なクラシックな言葉ですしね。

1曲目の最後なんか、フィールド・レコーディングの音がやたら入っていきますが......。

コンピューマ:そうですね、フィールド・レコーディングものは、あれこれずっと好きで、いままでいろいろと楽しませてもらった作品のなかで今回効果的だと思ったものを1曲目に限らず、いくつか使用させていただきました。

松永君の人柄の良さがそのまま展開されているというか、ある種の平穏さを目指したってところはありますか?

コンピューマ:んんん。実のところは、平穏さを目指したところは余り無く、自分的にはいろいろな厳しさも含めたあれこれを経ていく流れというか、過程をありのまま出せればと思って、ただ、ラストにはある種の着地感というか、日本語という言葉を響かせたかったというのはあります。いやー、言葉にするのは難しいですねー(笑)。
 実は、今回のこの「Something In The Air」にはパート2のミックスもあって、今年2月末に〈VINCENT RADIO〉に出演させていただいたときのライヴ・ミックスで、その音源をサウンドクラウドでフリーダウンロードという形で発表してみたんです(現在はダウンロードはできませんが、聴くことは可能です)。
 内容は、パート1のミックスCDのなかに同封させていただいた1枚の絵。それはジャケットの絵とは違う、淡いピンク色を基調とした絵が印刷されていたのですが、この作品も五木田智央さんによるもので「Something In The Air」の音にインスパイアされて誕生したもうひとつの作品だったんです。それで、このパート2では、ミックスCDとは逆に、自分が、この五木田さんのもうひとつの絵からインスパイアされることによってあらたな音世界を作り出してみようと思いミックスしたものなんです。こちらの音源のほうがなんというか、より何も起らないといいますか、平穏的なイメージはあるかもしれませんね。

へー、僕は、すごく気持ちよく聴いているんだけど......やっぱ渋谷のタワーレコード5階の伝説の松永コーナーっていうのは大きかったんですか?

コンピューマ:伝説ではないと思いますが、WAVEや渋谷タワーでの当時の経験は、そうですね。大きいですね。自分もそんな詳しいわけではありませんから、毎日毎日出会う音や音楽、そして人が新鮮でした。

松永君にとってのドローンの魅力って何でしょうか?

コンピューマ:なんでしょう(笑)?

クリス・ワトソンのソロが良かったって言ってましたが、具体的にはどんなところに感銘を受けたのでしょうか?

コンピューマ:存在はもちろん、フィールド・レコーディングものとしてのテーマ設定、聴こえてくる音の作品としての面白さ、オーディオ的音響としての素晴らしさはもちろんなんですが、最新作の『El Tren Fantasma』に関しては、コメントを寄せてたアンドリュー・ウェザオールと同感で、まさにこの電車の音にソウルやファンクを感じました。

それにしても、スマーフ男組からこんな風な展開を見せるとは......、自分のなかで何か大きなきっかけでもあったのでしょうか?

コンピューマ:これはホントなんですが、実は自分のなかでは、ある時期からずーっと繋がっていたんです。大好きなヤン富田さんの影響もありますし、ADSやスマーフ男組をやってるときも、たまにこんなような表現をさせていただく機会もあったにはあったのですが、なかなか表には出る機会が少なかったといいますか。でもあの時代にひっそりとあれこれ模索していたことが、今回の作品に大きく繋がっていると個人的には思ってます。

4曲目の最後に入る日本語の曲は?

コンピューマ:「ほい」の"咲雲"という曲です。元HOI VOO DOO。たしか2000年くらいに、ほい名義で唯一リリースした7インチなんです。リリース当時から大好きだった曲で、自分のなかで何年かに1回の大きな周期で聞き直し浸透させる自分のなかのスタンダードな曲なんです。制作するときに、今回ラストに入れたいと思っていた曲で、あの曲を最後にかけるため、あそこまでたどり着くまでにそれまでをミックスした、とも言っても過言ではない。というくらい重要な曲でした。あの曲の雰囲気、世界観や歌詞も含めて、インスピレーションというか、何かサムシングをいただきました。

この境地は、自分の年齢や人生経験とどのような関係あると思いますか?

コンピューマ:んー。歳を経たんですかねー。もっと若かったり、歳をとっていたり、年齢違うときに、まったく同じ音素材を使ったとして同じミックス部分があったとしても、おそらく印象が違ってくるんでしょうね。きっと。おもしろいもんですねー。

そもそもDJをはじめたきっかけは何だったんですか?

コンピューマ:時代を含めて、リスナーからの自然な発展でした。

いつからやっているんですか?

コンピューマ:ちゃんとお金をいただいてお店でやらせてもらうようになったのは、たしか92、93年くらいじゃなかったかなー。西麻布の〈YELLOW〉の裏あたりにあった〈M(マティステ)〉ですね。当時の職場WAVEの福田さん(現kongtong)と井上くん(chari chari)に誘ってもらったのがはじまりです。

エレクトロに入れ込んでいたのは、世代的なものでしょうか? 

コンピューマ:もちろんです。ですが、いまだにその心意気は色褪せてないのが面白いです。

いまでもヒップホップは聴いている?

コンピューマ:かなり偏っていると思うのですが、好きです。聴いてます。

コンピューマという名前は、どこから来たのでしょう?

コンピューマ:言うなれば、「コンピューターの頭脳とピューマの俊敏さを兼ね備えた男」ということでしょうか(笑)。

はははは。最近のDJはだいたいこんな感じなんですか?

コンピューマ:今回のCDをリリースしてからは、あの世界観をより発展させていきたい気持ちも強いので、ノンビートやアンビエント、ドローンにもこだわらずに模索してる最中です。
 3月の終わりにリリース記念イヴェントということで、今回のミックスの世界観の映像含めた体験というテーマで、D.I.Y.なアイデア溢れる3人組VJチーム、onnacodomoさんとともに音と映像のセッションをして、会場の幡ヶ谷フォレストリミットさんの大きなスクリーンに映し出し&映画館ばりの音響で音で流したんですが、相当おもしろかったです。迫力でした。あの感じも、もっと、より多くの皆さんに体験していただけたらなー。とか思ってます。そしてつい先日、東高円寺の〈グラスルーツ〉で別ヴァージョンの発売記念イヴェントとして、この時はよりダンス・ミュージック的世界にも通じるような展開をイメージして、DJ ノブ君とBINGさんことカジワラトシオさんと共にトライしてみましたが、この日も新たな感じというか、1回だけで終わりでなく、ぜひこれからも続けていって、こんな音楽世界を知らせていきたくも思いました。

ぜひ、お願いします!

コンピューマ:とはいえ、自分のなかでいろいろ他も楽しい音楽世界は広がっているので、呼んでいただけるパーティ、イヴェントによって、アレコレもっとワイワイ&ガヤガヤ、ニンマリ&ゴキゲンに、メロウにネチっとやらせていただいております。

DJ って、人によっていろんな考えがあるじゃないですか。パーティを第一に考える人もいれば、音楽性を追求する人もいる。松永君にとってDJとは何でしょう?

コンピューマ:両方をうまく昇華してできたら最高にうれしいですねー。

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よりアダルトというか、オトナというか、自分もおっさん真っただなかなんで、そんなおじさんからの音楽の楽しみ方のひとつの提案というか、より世代やジャンルを超えていろいろな人に届けられたらなと思いまして。

〈悪魔の沼〉って何なんですか?

コンピューマ:下北沢のMOREを中心にやらせていただいているパーティです。現在の沼クルー(沼人)は、DISCOSSESSIONのDr.NISHIMURAさんことDr.NISHI魔RA、そして2much crew周辺でナンシーの旦那AWANO君こと、A魔NO、そして自分、コンピュー魔の3人で、2008年に結成されました。当初は二見裕志さん(二魔裕志)もレギュラー沼人だったり、一時期は1DRINKこと石黒君(魔DRINK)も沼人だったのですが、現在は3人がメイン沼人となってます。テーマはかなりアバウトな「沼」がテーマで、ダンス・ミュージックの枠さえも少し超えて、それぞれが好きなように自分の思う「沼」を表現するという......

ナハハハハ。

コンピューマ:そんなある種、特殊な趣きのイベヴェントとしてスタートしました。それから不定期ながら毎回様々な多彩なゲストの皆さんに出演していただきながら開催し、去年はDOMMUNEに出させていただいたり、ミックスCDまで出したり、という流れで沼巡りさせていただきました。

しかし......なぜ、そんなおそろしい名義になったんですか?

コンピューマ:かなりテキトーな思いつきでした。その時期にたまたま家のなかを片付けていて、トビー・フーパーの映画『悪魔の沼』の映画の中身ではなくて、VHSのジャケの絵が最高な事をあらためて再確認していたタイミングだったからだけなんです。アワノ君からイベント名の相談受けたときに、その事を思い出しただけという......(笑)。その時アワノ君から「沼」というお題があったのかな? なかったのかな?あれ? スミマセン。忘れました。

悪魔の沼としての展望は?

コンピューマ:んー......たまーに沼クルーで集まれたら嬉しいですねー。去年、3人で西日本を沼ツアーやらせていただいたんですが、そんときの3人の役割分担というか、何というか、プレイももちろんなんですけど、それ以外の時間も絶妙に塩梅が良かったんです(笑)。

スマーフ男組の再結成はないのでしょうか?

コンピューマ:あれなんです。解散しているわけではないんです。が、事実上、無期限休止中ですよね。

村松君、元気かな? 数年前に静岡のクラブでいちど会ったんだよね。

コンピューマ:去年、〈ラディシャン〉で呼んでもらった時に、遊び来てくれて久しぶりに会ったんです。実際には数年も経ってないのに、なんだかふたりともオッサンになったなー! って(笑)。

そうそう、静岡の〈ラディシャン〉でもDJやったって話、やる気のないダメ人間たちから聞いてますよ! 地方でもけっこうやってるんですか?

コンピューマ:少しずつではありますが、呼んでいただくことも増えました。ありがたいです。日本全国で仲間が少しずつ増えてます。

音楽以外の趣味ってある?

コンピューマ:街の市場めぐりに散歩。あとは居酒屋探訪でしょうか。

ヒゴ・ヒロシさんなんかと下北沢の〈MORE〉でやったときがすごったと人づてに聞いてます。遊びにいったヤツが「魔法にかけられたようだった」と言ってました(笑)。

コンピューマ:あの日はおもしろかったです。大先輩達とご一緒させていただきました。いやー、スゴかったですね。あの日は。CDJも3台、ターンテーブルも2台ありましたしね。特殊空間でした。

まだ先ですが、5月9日、代官山のユニットで、エレキング・プレゼンツでマーク・マグワイヤの来日公演をやることになって、そのサポートDJも引き受けていただきました。ありがとうございます。当日はとても楽しみにしています。

コンピューマ:こちらこそ、どうぞよろしくおねがいいたします。個人的にも生マグワイヤ非常に楽しみなんです。

ちなみに松永君の夢って何ですか?

コンピューマ:これは近い将来の夢になりますが、最近『Something About』というプロジェクトを立ち上げました。今回のこのミックスCDもそこからのリリースなんです。音楽はもちろん、音楽の枠も超えて、サムシング・アバウトな心意気のあれこれをお届けできるように邁進したいと思っております。遅れ気味ではありますが、近々ホームページも立ち上げる予定です。少しずつではありますが、こちらも楽しみにしていただけましたら幸いです。

最後にコンピューマのオールタイム・トップ・10をお願いします!

今日の気分ではありますが......

TROUBLE FUNK「Trouble Funk Express
AFRIKA BAMBAATAA & THE SOUL SONIC FORCE「Planet Rock
いとうせいこう・ヤン富田「Mess/Age
KRAFTWERK「Man Machine
OHIO PLAYERS「Funky Worm
JUNGLE BROTHERS「J.Beez Wit The Remedy
JUNGLE BROTHERS「Done By The Forces Of Nature
DE LA SOUL「De La Soul Is Dead
DIGITAL UNDERGROUND「Future Rhythm
JONI MITCHELL「Court & Spark

......です。ありがとうございました。

こちらこそです。〈Pヴァイン〉から出るコンピレーションCDも楽しみです。

コンピューマ:そうなんです。はじめてコンピレーションを作らせていただきました。『Soup Stock Tokyo』の音楽というコンピレーションCDになります。駅のなかなどによくあるスープのお店「Soup Stock Tokyo」さんの、「家で聴く音楽」ということで、家庭での音楽の提案にもなったらということで......。

えー、スープ屋さんのアンビエント(笑)!

コンピューマ:で、今回は〈P-ヴァイン〉さんのブラジルなどのワールド・ミュージックからソウルR&Bに、ポスト・ロック、日本語の曲も含めた幅広い音楽ジャンルの音源を中心に、音の国籍を問わずにそのイメージを自分なりに広げて入念に絞り込み全16曲を選ばせていただきました。音の旅と出会い。おそらく聴かれたり購入されるであろう方々には、おそらく音楽マニアでない方も多数いらっしゃると思われますから、聴き方、音楽との接し方も多様でしょうし、いろいろな聴き方に対応できるよう、居心地の良さが違和感なく途切れずに済むような心づもりで選んでみました。

ほほぉ。

コンピューマ:さりげなく暮らしのなかに寄り添いながら、いい距離感で鳴っているイメージといいますか、そんななかでどこか琴線にふれるようなタイミングがあれば最高だな。と、そんなイメージで作ってみました。音の印象はまったく違いますが、聴き疲れしないように、そして音の空気感の粒を揃える、という意味ではミックスCD『Something In The Air』と同じ感覚です。5月末の発売予定です。こちらもよろしくおねがいいたします。

それは楽しみですわ。こんど居酒屋探訪の成果を教えてください!


コンピューマ
コンピューマ compuma a.k.a.松永耕一。熊本生まれ。ADS、スマーフ男組として活動後、SPACE MCEE'Z(ロボ宙&ZEN LA ROCK)とのセッション、2011春にはUmi No Yeah!!!のメンバーとして、フランス他5カ国でのヨーロッパ・ツアー等を経て現在へ至る。 DJとしては,日本全国の個性溢れるさまざまな場所、そしてそこでの仲間達と、日々フレッシュでユニークなファンク世界を探求中。各所で話題となっているサウンドスケープな最新ミックスCD『Something In The Air』をリリースしたばかり。5月末には初の選曲を監修したコンピレーションCD『Soup Stock Tokyoの音楽』も〈P-VINE〉より発売予定。さまざまな選曲や音提供に音相談、レコードショップのバイヤーなど、音と音楽にまつわる様々なシーンで幅広く活動中。NEWTONE RECORDS、EL SUR RECORDS所属。SOMETHING ABOUT代表。
https://compuma.blogspot.jp/

Julia Holter - ele-king

 ローレル・ハローは、最近〈ハイパーダブ〉(ダブステップの知性派レーベル)で歌ったそうだが、彼女はその前は、OPNのチルウェイヴ・プロジェクトのゲームスで歌い、それから〈ヒッポス・イン・タンクス〉や〈RVNG Intl〉から作品を出しているので、コズ・ミー・ペインの連中ならほぼすべて網羅しているだろう。ハローが、ミシガン大学に通っていたときのクラスメートにはジュリア・ホルターがいた。
 ジュリア・ホルターはいまときの人だ。彼女のセカンド・アルバム『エクスタシス』の評判が電子空間のそこらじゅうから聞こえてくる。ケイト・ブッシュとジュリアナ・バーウィック、エンヤとジョアンナ・ニューサム、そしてローリー・アンダーソンとナイト・ジュウェルが同じ部屋で歌い、録音し、ミキシングしたら......つまり少々オペラに少々IDM的なアプローチの入ったベッドルーム・ポップ、それがジュリア・ホルターだ。ロサンジェルス在住の27歳の音楽の非常勤講師は、宅録時代の才女、現代的シンガー・ソングライターというわけだ。
 このように書いたからと言って、パティ・スミスやアリ・アップとは対岸にいる高慢ちきな女を想像してはいけない。たしかに向こうのメディがあまりにも「神童(wunderkind)」だとか「アカデミック」だとか言うし(彼女の母が大学教授であるとか)、で、実際彼女のデビュー・アルバム『トラジェディ』は三田格をはじめとするコアなリスナーが目を見張らしているロサンジェルスの実験派を代表する〈Leaving〉から出ているので(三田格によればその〈Leaving〉で売れたってことがすごい、そうです)、まあとにかく、聴く前から先入観を抱いてしまいがちなのだけれど、『エクスタシス』は『トラジェディ』と比較するまでもなく、ポップ・アルバムだ。ナイト・ジュウェルが参加し、そしてアリエル・ピンクのメンバーも参加している。これで少し安心するでしょう。
 が、しかし、これは素人のローファイではない。パンダ・ベアの声の重ね方よりも巧妙な録音、構成、緻密に作り込まれた......、そう、良い意味で敷居の高い音楽。グルーパーがやっていたことを――まあ、良い意味で――エレガントにしたような音楽だ。彼女は言うなれば、ナイト・ジュウェルとジュリアナ・バーウィックの溝を埋める人である。

 ホルターは明らかに、音楽作品、音楽芸術の今日的な価値を問うている。
 1曲目の"マリエンバード"はキャッチーな曲だが、"我々の不幸(Our Sorrows)""同じ部屋で(In the Same Room)""月の少年(Boy in the Moon)"などを聴いたら、――これは決して良い喩えではないが――アニマル・コレクティヴが幼児だとしたらこちらは大学生だと橋元優歩でさえも思わざる得ないんじゃないだろう。声楽風に声が重なり、さまざまな角度からさまざまな電子音が鳴っているというのに、音に隙間すなわちスペースがある。
 "毛皮のフェリクス(Fur Felix)"、ヴォコーダーを使った"女神の瞳・I(Goddess Eyes I)"ではポップスを試みる。シンセ・ポップスだが、80年代の引用ではない。"女神の瞳・II(Goddess Eyes II)"ではしっかりとした、そして押しつけがましくないベースを使いこなしている。"4つの庭(Four Gardens)"におけるジャズとオペラとダブの混合も悪くはない。さしずめ天空のドリーム・ポップといったところだろう。

 『エクスタシス』は、音楽がノスタルジックになるか、あるいはネット時代のポスト・マス社会における素人の氾濫のなかでその価値が相対化されつつあるいま、あらためて美を、そして音楽の進展を主張しているようだ。これはそうした予兆を感じるエレガントなアヴァン・ポップだが、本作が神童の最高作たりえるとはまだ思えない。なによりも慎重すぎる。彼女がベッドルームから出るとき、本物の傑作は生まれるかもしれないが、それでもこれは良いアルバムだ。

duenn feat. Nyantora - ele-king

どんな音でも受けて入れてしまえ文:野田 努

 カセット・レーベルがこの日本でも増えている。東京の〈コズ・ミー・ペイン〉をはじめ、〈クルックド・テープス〉、そして福岡の〈ダエン〉......〈コズ・ミー・ペイン〉は昨年に欧米進出を果たしつつ、〈クルーエル〉からビューティが12インチをリリースし、〈クルックド・テープス〉はロサンジェルスの〈ノット・ノット・ファン〉などとの協調しながらリリースを重ね、そして福岡の〈ダエン〉はレーベルとしての第二弾を発表した。それが今回の中村弘二によるニャントラ名義の作品。100本の生産らしいが、こうした超限定盤を土台としながら、今日USアンダーグラウンドが盛り上がっていることを思えば、当たり前の話、ちょっと期待してしまう。日本国内でのカセット・テープの生産は終了したというから、それなりに強い気持ちがないと継続はできない。
 もっともUSのインディ・レーベルがアナログ盤とカセットのみのフィジカル・リリースに至った理由も、昔は良かった的なノスタルジーというよりも、実利的な観点に立ったときの前向きさにあるんじゃないだろうか。CDでリリースしても勝手にダウンロードされてしまうわけだし、だったら数は少なくなくても買ってもらったほうがいい。ボロ儲けたい人には向かないが、経済活動と芸術活動を両立させるうえではひとつの可能性だと言える。
 ここ数年、USのカセット作品を買いまくっていたという中村弘二にとっては、こうしたリリースは望むところだったに違いない。この作品は、アンビエント・テイストが際だっていた過去のニャントラ名義のどの作品とも違っている。作り方としては、ジェームス・フェラーロやOPN、ハイプ・ウィリアムスなんかと近いと思われる。音の断片を集め、それを編集していく。ナカコーらしく、まったくもって感覚的な作品だが、ひとつ思うのは、一時期のトーマス・ケナーのようにこの音楽には多くの静寂があるということだ。ケナーはかつて自分の音楽を「ふだんは聴こえない音を聴く」行為だと定義しているが、ニャントラのカセットもそれと似た謙虚さからはじまる。デヴィッド・リンチの映画のように一瞬だけ暴力的な世界に引きずり込みはするが、すぐにまた柔らかい電子の海へと戻してくれる。
 ナカコーらしく、まったくもって感覚的な......と僕は先に書いたが、彼の音楽においてもっとも重要なことは、彼が音に対してオープンであるということである。年を経るごとにどんどん開かれていく。多くの時間を空想に費やすであろう彼だが、部屋に引きこもるだけではなく、彼はアルヴァ・ノトのライヴにも石野卓球のDJにも出かけ、灰野敬二と同時にガムランの響きにも耳を傾ける。彼の鼓膜はつねに好奇心を帯びている、そうだ、どんな音でも受けて入れてしまえ。
 本作は、そういう意味では様式(スタイル)を持たない印象的音楽(アンビエント)で、中村弘二の自由の断片を聴くことができる。スーパーカーのファンの期待から逃れながら、販売戦略の文脈には乗らないこの音楽性がカセットで発表されるということも、まあ、微笑ましいと言えば微笑ましい。本当に聴きたければ聴けばいいし、手続きが面倒であるのならそれだけの話。

文:野田 努

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素直に楽しめない作品では、あるが...... 文:竹内正太郎

いつかは君と本当の空を飛べたらなぁって、それだけさ
スーパーカー"CREAM SODA"(1997)

 本当じゃない空を走る、真っ白なひこうき雲。成熟に対する拒絶と、未熟に対する拒絶を同時に抱えながら、反抗という社会性をなんら帯びなかったそのバンドの思春期は、シューゲイジーなギター・プロダクションと、倦怠をはらんだ歌唱、そして何より、言葉に落とし込まれた過敏な十代の感性によって、世の典型さや平凡さを斜めに断裁しながら、あっという間に過ぎていった。癖になった意味のないため息、うんざりするような馴れ合い、不必要に甲高い連中の笑い声、ありふれた虚栄、虚飾、駆け引き、出し抜き、気持ちの悪い上昇志向、そして、それらをシニカルに見つめる自分の凡庸さ。『スリーアウトチェンジ』(1998)は、およそ十代という罪深い幻の季節を、コンパクト・ディスクの許容値ぎりぎりまで使い、ギター・ロックのエチュードとして録音している。

 1995年、青森県八戸市にて結成。どう考えても遅すぎる出会いだったが、私は彼らの解散がアナウンスされた後、初めてその車に乗った。従前のギター・プロダクションにエレクトロニクスが屈託のない表情で交わる『JUMP UP』(1999)は、作品のバランスという点で、彼らの早熟さをもっとも端的に捉えている。ウォーク・スローリー。しかし、この時期のシングルB面で、ドラムンベースの試験的導入や、憂鬱なダウナー・ポップを披露せずにはいられなかった彼らにとって、そうした思春期性はもはや足枷でしかなかったに違いない。ろくにトリートメントされていないようなロウなミックスで過去を一括清算した『OOYeah!!』『OOKeah!!』(1999)を経て、彼らはトランス・ロックの加速度でもってゼロ年代の始まりを一気に駆け抜ける。『Futurama』(2000)は、レイヴ・ミュージックへの憧憬を、ロックの文脈においてヴァーチャルに昇華させた意欲作だった。

 ところで、良くも悪くも独りでは曲を作れないという点に、団体音楽の大きな魅力がある。密室で顕微鏡をのぞくような、省察が行き届いた孤独なベッドルーム・ミュージックにはない、共同体の中でのある種の運動(ときに競争原理)が働くことによって、バンドのポップ・ポテンシャルが大きく引き出される例を、私たちはよく知っている。『HIGHVISION』(2002)は、互いの方向性に違和を感じ始めた彼らにとって、ポップ・バンドとしては最後の結実だった。益子樹や砂原良徳らとの合流、テクノの跳躍力、電子音の煌めき。全反射するような"愛(I)"は光の伝送路で無限に増幅され、ひこうき雲が消えた本当じゃない夜空に、"Strobolights"を何本も突き刺す。終盤、勝井祐二のバイオリンが外界の光を閉じていくそのアルバムは、バッド・トリップ気味に暗い示唆をまき散らしながら終わっていく。

消えてしまったストーリー
出番を独り待っている
静かに 静かに ただ静かに 夢を見ている
スーパーカー"LAST SCENE"(2004)

 そして、最後の妥協点を探るように作られた『ANSWER』(2004)は、ポップ・バンドとして結成された彼らが、かつて拒絶していた成熟(少なくとも高度化や洗練)を受け入れ、セミ・ポップの領域へと踏み出したことを如実に物語る。音の装飾よりも空間のニュアンスを重視した、メロウなプロダクション。散文的な歌詞。ミニマルな展開。その削ぎ落とされた妥協点は、逆説的に彼らの飽和でもあった。翌年、バンドは解散を選ぶ。これ以降の4人の物語と、私はなぜか一定の距離を保ってきた。個人的にもっとも親しみをもって追いかけたのは、リミックス・ワークを通じてTV・オン・ザ・レディオやデイダラスら海外のオルタナティブ、そしてボーカロイド文化とも前向きに交わってきたフルカワミキであるし、一般的にもっとも成功した存在として認知されているのは、ロック・バンドのプロデュースからK・ポップの作詞まで手掛ける、いしわたり淳治であろう。

 中村弘二(以下、ナカコー)はといえば、アンダーグラウンドを好み、端的にはiLLを名乗ってレフトフィールドの開拓を試みてきた。テクノ、アンビエント、グリッチ、ドローン、ストーナー・フォーク、チェンバー・ポップ、ひと回りしてのロック、あるいはスーパーカーの再考、そしてLAMA。そうした変遷の先に、いつの間にか復活させたNYANTORA(ニャントラ)名義によって、ナカコーは相変わらずの実験趣味(と孤独趣味)を爆発させている。〈ダエン〉からのリリースとなった、レーベルの代表アーティストでもあるダエンとのコラボレーション『duenn feat nyantora』は、相当時間の無音部・微音部を含む、実に抽象的な作品となっている。カセット・テープなので、スキップもできずにとりあえずは黙って聴いているしかないわけだが、音も鳴らないし、あー、眠ってしまおうか、と、忘れたころに浮かび上がる音。かと思えば、あれ、いつから音、鳴ってないんだっけ、と、気付いたら霧散している音。鳥のさえずりもあれば、心地よいグリッチ、耳をかすめる程度のノイズもある。
 正直にいえば、一応、遅れてきたスーパーカー世代である筆者としては、素直に楽しめない作品では、ある。私はまだ音楽に加速度を欲しているし、ポップのある意味での下品さを必要としている。とはいえ、狭く聴かれることと、広く聴かれないことを同時に望んできたナカコーの立場からすれば、本作は完全な匿名性をまとうことに成功した作品ではある(いま、無条件でカセット・テープを聴ける人はそう多くないはずだし、ネット上で聴くこともできない)。というか、不況だ、不況だと言われて久しい昨今の音楽業界にあって、内容的にも外装的にも、"あえて広がり過ぎない音楽"をアナログ・メディアでリリースすることを、私は贅沢なことのように思う。DIY文化のプライドか、LAMAとのバランスか。いずれにせよ、小さな承認を大仰に分け合う、繋がりすぎた私たちのネットワークを断ち切るように、聴き手の受動性を拒絶するアンダーグラウンドの精神は続く。

文:竹内正太郎

Drexciya - ele-king

 ドレクシアとはデトロイトのゲットーで暮らす黒人が安物の電子機材を用いて紡いだ物語(ファンタジー)である。それは1992年からゼロ年代初頭にかけて、青年漫画の連載のように展開された。
 ときは大航海時代、暴風雨にさらされた奴隷船が大西洋のまんなかで揺れている。奴隷貿易の商人たちは病気持ちの妊婦と赤子たちを海に落とす。胎内の羊水で泳いでいた胎児たちは、海中へと押し出され、やがてドレクシアなる変異体となって生き延びた。
 彼らは深海を居住区として、海底に彼らの都市を造った。彼らはそして、彼らをドレクシアにした人類に向かって復讐を果たす機会を待っていた。1992年に〈UR〉傘下の〈ショック・ウェイヴ〉レーベルから最初の反撃がはじまった――。暗い憤怒に満ちたいち撃である。ドレクシアはそれから、彼らがどれほど人類を憎んでいるのかを、気色悪いヴォコーダーを用いながら数年間かけて話した。
 彼らは人間の強欲さの犠牲となった哀れな突然変異なのかい? 彼らがなぜこのような不気味な音楽を作っているのかわかるかい? 彼らの探索は何だと思う? これはおまえたちが知ることのない問いかけなのだ。1997年の2枚組のベスト盤『ザ・クエスト』にはそう記されている。

 音楽的な観点で言えば、ドレクシアの主成分はまずはクラフトワークに言及される。同時にサイボトロン(モデル500)やジョンズン・クルーといったオリジナル・ブラック・エレクトロの流れを汲んでいる。デトロイトにおいて、クラフトワークの退廃的なアンチヒューマニズムがファンクの好戦的な態度と結びついたことでこの神話は生まれたと言えるが、欧米のインディ系のメディアがこの機会をいいことにドレクシアに賞賛を送っているひとつの理由には、まずはこれがアフロ・フューチャリズム理論の代表例であること、そしてもうひとつにその音響――アナログ電子音の凄まじい広がりをエメラルズやOPNと繋げてみたいという抑えがたい欲望があるからだ。試しに"ウェルカム・トゥ・ドレクシア"のアルペジオをいま聴けば、なるほど、これはたしかにエメラルズ(とくにジョン・エリオット)である。

 しっかし......デトロイトは本当にしぶといなぁ。噂のノー・UFOズも早く聴いてみたいけれど、その名義があるというだけでもわくわくする。ドレクシアは、日本での人気はいまひとつだが、ヨーロッパでは絶大だ。再発やリリース量を見ればわかる。〈ワープ〉と〈リフレックス〉、そして〈トレゾア〉からも出ている。もっともドレクシアは、いわゆるDJフレンドリーな音楽ではない。DJには媚びていない......と言ったほうがドレクシアに関して言えば正確だ。昔、URが逆回転の溝のヴァイナルを出したとき、あるDJが「使いづらいじゃねーか」とケチを付けていたが、使いやすさという価値に支配されたくないからこそ彼らはわざわざそういうことをした。使いやすさはラップトップのDJスタイルへと結実したが、モーターシティのアナログ純粋主義はいまでも健在だ。
 そんなわけもあって、ドレクシアが存続していた時代に彼らが発表した唯一のベスト盤でありCDは『ザ・クエスト』のみだが、現在は廃盤であるがゆえに本作『ジャーニー・オブ・ザ・ディープ・シー・ドゥウェラー・1』は価値あるリリースとなった。1992年のデビュー・シングル「Deep Sea Dweller」、1993年の「Bubble Metropolis」、1994年の「The Unknown Aquazone」、1996年の「The Return Of Drexciya」(以上は〈UR〉からのリリース)、そして1995年に〈ワープ〉からリリースされた「The Journey Home」から選曲されている。要するに『ザ・クエスト』までのドレクシア......ふたり組時代の音源だろう。ドレクシアのふたりとは、故ジェームズ・スティンソン(最後までドレクシアを名乗った男)、そしてもうひとりはドップラーイフェクト名義やジャパニーズ・テレコム名義などで知られるジェラルド・ドナルドだ。

 彼らのベスト・トラックの"ウェイヴジャンパーズ"や"バブル・メトロポリス"をはじめ、そして「Deep Sea Dweller」に収録された大いなる"シー・クエーク"......不朽の名曲が揃っている。TR808による素晴らしいドラム・パターンの"ラードッセン・ファンク"のようなファンキーな曲を聴くと、この音楽が戦闘ばかりではなく、喜びをも表現していることを知る。
 いまここで彼らの神話性を無視する。論文向きのアフロ・フューチャリズムやブラック・アトランティックも頭から追い出す。ただ音のみに集中して、鼓膜のみを頼りにする。潜水してみる。『ピッチフォーク』は「今日ドレクシアを聴くことは、最初からやり直すことである」とまで言っているが、僕が思うのは、もしデトロイト・テクノがなんたるかを知りたければこれを聴けということ。デトロイト・テクノの本質とはナイーヴな叙情主義でも感傷主義でもなく、それはもっとハードなものだ。『1』というからには『2』もあるのだろう。ロッテルダムの〈クローン〉がどんな選曲するのか楽しみである。

おまえもドレクシアンの波跳人になるというのなら
まずはラードッセンの黒い波を浴びなければならない "Wavejumpers"

#13:午前3時の過ごし方 - ele-king

 年が明けてしばらくすると、年下の友人Xからこんなメールをもらった。
 「『ガーディアン』のこの記事(https://www.guardian.co.uk/music/musicblog/...)が面白かったっすよ。この記事には、なぜチルウェイヴやウィークエンドなどに大いなる魅力を感じながらも距離をおかざるをえないのか――という自分と同じ問題意識がかなり的確に書かれています!」
 それでは以下、その記事、「音楽の作り手はなぜインターネットを切って、ベッドルームから出る必要があるのか。何気に憂鬱な新しい波、孤独な連中のためのウェブ・フレンドリーなその音楽には陽光とヴィタミンCが必要である」をざっくり紹介しよう。

 最近の年末のリストを見ていると、名前こそ変われど、どうにも既視感を抱いてしまう。ベテランで聖域にいるような人たち、形骸化したクロスオーヴァー、多くの白人の男の子のギター・バンド。相変わらずヒップな音とデュ・ジュール(オススメ)もあるが、最新モードのほとんどは、ありふれたジャンル名を否定する行商人に押しつけられた、批評家でさえ手に負えないタグ――チルウェイヴ、ポスト・ダブステップ、ウィッチ・ハウスだ。いずれにせよ批評家たちは、午前3時の孤独なベッドルームでラップトップ・スクリーンをじっと見つめているような、何気に悲しい音楽を支持している。ヒップホップ・プロデューサー(クラムス・カジノ、アラーブミュージック)からR&Bシンガー(ジ・ウィークエンド、フランク・オーシャン)、電子の似非ディレクター(ジェームズ・ブレイク、バラーム・アカブ)からラッパー(A$AP・ポッキー、ドレイク)......おおよそこれらの音が、賞賛までの重要なルートとなっている。
 それらを聴こうものなら、気の抜けた歌と作曲へのアプローチや気のないテンポを耳にするだろう。ぐったりしたシンセ、リヴァーブの残響音、もしくは擁護者が言うところの「電子のすすり泣き」そして「モノクロの地下道のヴィジョン」――それは我々の時代の美学だ。
 クリエイティヴな仕事に従事しているほとんどの人は、とんでもない時間に他人の膝の上にいて、眼前のスクリーンで何かがはじまるのを期待しているというような感覚を知っているだろう。その感覚は、社会生活に適合して、緊張をほぐすための道具一式でありオフィスであり、とくに真夜中に起こるものだ。その感覚にともなう精神状態もまた認識できるものである。それは、孤独ではあるが、妙に安らいだ精神状態である。目が痛み、皮膚はわずかに麻痺するだろう。ときには、疲労感から意識を失いそうになり、幻覚を見ることもある(控えめなたとえだが、スペース・キーを見下ろすときに感じるちょっとしためまいと似ている)。自分の考えから注意をそらすものが何もない状態。すなわち、暗くあるいは憂鬱な袋小路にさまよい込み、自分の考えが非常に深いものだと信じ込み易い状態である。だから、心休まるサウンドトラックが必要なのは不思議ではない。ぼんやりした異様さに影響を与えて脳にある奇妙なパターンを映し出すほどであるが、びっくりさせるようなことはしないと信頼できる音楽である。本質的には、食べるとホッとする料理と言える。
 スクリーンを見つめることは日課である。が、そこからは決して健康な感じは得られない(我々みんながそうした長く暗い魂の夜に傾いている。それが切ないノスタルジアとして、ベスト・コースト、フレンズ、ウォッシュト・アウトといったテレビ広告に利用されている音楽の感性を生んでいる)。ぐったりとした、なまぬるいこの現実逃避が音楽の将来であるならば、人類は巻き戻しをしたほうがいい。手遅れにならないうちにインターネットから出なさい......。

 まるで教育委員会が書いたようなこの記事を読んで僕がまず思ったのは――、おいおい、チルウェイヴやポスト・ダブステップやウィッチ・ハウスの作り手は、本来ならあんたら左翼新聞が擁護すべき無力な民衆なんだぜ(ウィークエンドやドレイクに関してはわからんがね)――ということである。こうした音楽を好んでいるのは、午前3時にラップトップに向かって朦朧としている人間ばかりではない。僕はこの時間寝ている。基本的に目的がなければラップトップは見ない。それはともかくこの記事がいただけないのは、ウェブ・フレンドリーな音楽なるものをねつ造している点、ネット依存と音楽との因果関係を都合良くまとめている点だ。ジャズやロックのリスナーだろうが、テクノやヒップホップのリスナーだろうが、あったり前の話、午前3時のラップトップに向かっているヤツは向かっている。スティーヴ・ジョブスが嫌いでiTunesでは音楽を聴かないヤツだっている。

 この手の言いがかり的な批判は、1970年代のディスコ批判と似ている。当初はディスコも、何の主張もない、政治的な意見もない、なまぬるい現実逃避ないしは自堕落な音楽とされた。そしていま、同じように現実逃避音楽でありながら、ミニマル・テクノではなく、なぜチルウェイヴ/ポスト・ダブステップ/ウィッチ・ハウスを目の敵にするのかと言えば、それだけ脅威に感じているからだろう(ちなみにこの記事の最後には、この手のぐったり系のシンセ・ポップでもっとも商業的な成功をしているウィークエンドについて書かれている)。さもなければこのライターが、毎晩のように午前3時にラップトップに向かって、そして朦朧としながら誰かの書き込みを読んで読んで読んで、たまに自分でも書き込んで、なかば中毒的にネットとウィークエンドに浸っているのかもしれない。だとしても、それでその人が癒されるのであれば、睡眠不足と視力低下(そしてある程度の自己嫌悪)は免れないだろうけれど、目くじらを立てることもあるまい。
 良くも悪くも......というか当然ながら、必ずしもレディオヘッドを聴いているリスナーが多国籍企業の商品の不買運動をしているわけではないし、ブライト・アイズのリスナーが反戦運動に参加しているわけではない。PJハーヴェイの新作に感動したリスナーが日本の近代史を勉強するわけでもなければ、オアシスのリスナーみんなが反権威主義というわけではないし、忌野清志郎のリスナーみんなが反原発を訴えているわけでもない。メッセージは重要だが、その絶対主義は抑圧にも変換されうる(アナーコ・パンクは1980年代にそれでいちど失敗している)。
 つまり、チルウェイヴ/ポスト・ダブステップ/ウィッチ・ハウスを聴いているリスナーのみんなが社会に無関心なわけでもなければ、陽光が嫌いなわけでもないし、夏の海に集まっている連中みんなが健康的なわけでもない。ボン・イヴェールに耽溺しているリスナーだって立派に現実逃避している。

 むしろ注目すべきはこれだけの不景気のなかで、それも音楽レジャー産業は経済的に衰えているというのにかかわらず、とくに9.11以降の合衆国の若者たちが迎合主義を顧みずユニークな音楽をDIYによって矢継ぎ早に量産しているという事実だ。まとまりはないが好き勝手にやっている。品質的にすべてが保証できるものではないが、ものすごい数のインディ・レーベルが生まれ、活動している。レディ・ガガのような表向きな派手さはないし、大それたことを言っているわけではないが、アンダーグラウンドは明らかに活気づいて見える。こんなこと過去にはなかった。ひと昔前のアメリカのインディ・ミュージックと言えば、汗くさくてやかましいハードコアと相場は決まっていた。USインディを研究している方に僕が教えて欲しいのはこのことである。いったい、いつから、どうして合衆国は、〈ノット・ノット・ファン〉やサン・アローやグルーパーやOPNやマーク・マッガイアやジェームズ・フェラーロやコラのような、失敗することへの恐れを感じさせない、因習打破的な音楽をかくも大量に生むようになったのだろう。

 ポスト・パンクを生きた我々の世代においては、実験的で精鋭的な音楽といえばUKをはじめとするヨーロッパのもので、インディ・ミュージックの本場と言えばUKだった。経済的な見返りよりも自分たちが好きなことをやってゆるく生きられればいいやという感覚は、それこそイギリスにありがちな愛すべ怠惰だ。ところがどうだ。いまではその立場が入れ替わってしまったかのようにさえ思えてくる。『ガーディアン』が提言するところの「巻き戻し」に関しても、USアンダーグラウンドはアナログ盤中心のリリース形態によって先陣を切って実践している。ライヴもやっているようだし、ラップトップに依存している印象は受けない。
 つい先日もこうしたUSアンダーグラウンドの盛り上がりに関して、三田格、そして〈ノット・ノット・ファン〉やサン・アローらとも交流を持つ、日本でもっともラジカルなカセットテープ・レーベル〈crooked tapes〉(https://crooked-tapes.com/)の主宰者、倉本諒くんと話したばかりだ。ゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラーの影響が(ハードコアからドローンへという展開においては)大きいのでは......というところまでは話が落ち着いた。まあ、あとはアニマル・コレクティヴだが、あんなバンドが影響力を発揮するような温床はどのようにして生まれたのだろう。

 ああ、そうだ。ひとつだけ『ガーディアン』の記事に共感した箇所がある。『ガーディアン』から見たら、チルウェイヴを批判している三田格が好きなウィッチ・ハウスやベスト・コーストも、田中宗一郎が好きなウィークエンドやドレイクも、そして当然ながらジェームズ・ブレイクも、要するにウォッシュト・アウトも、十把ひとからげ、大同小異、同じように聴こえているということである。近親憎悪とは自覚なしに抱くものなのである(笑)。
 サンキュー、X。君のおかげで原稿が一本書けた。

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