「OPN」と一致するもの

Kuedo - ele-king

 ムーヴメントの解釈は十人十色というか百人百様というか、人によって違うものだけれど、年末にゴス・トラッドを取材して気がつかされたことは、彼のダブステップ解釈が音楽のスタイルではなく、違ったバックボーンの人たちが一同に会していたということである。ああー、たしかにその話は昔他の誰かからも聞かされた覚えがある。異なった階層、異なった趣味、異なった人たちが出会うという点ではゴス・トラッドの主張の通り、ダブステップはレイヴ・カルチャーの理念を再現していたということになる。まだシーンがアンダーグラウンドだった時代は。
 2006年のブリアルの主張を思い出す。彼はダブステップはメインストリームに進むべきではないと繰り返していた。が、欧米ではダブステップはメインストリームとなり、こうしてあらたな分裂がはじまった。昨年リリースされたセパルキュアのデビュー・アルバムのようなアンダーグラウンドの折衷主義(ポスト・ダブステップ、UKガラージ、ダウンテンポ、ハウスそしてテクノなど)なども分裂後の動向の好例のひとつだ。ベテランのリスナーはハウスが"ディープ・ハウス"と、テクノが"エレクトロニカ/インテリジェント・ダンス・ミュージック"というタームで選別されはじめた頃を思い出せばいい。

 そしてベテランのリスナーに向けては、クエド(ヴェックストの名義でも知られる)のデビュー・アルバム『セヴァレント』を説明するのも簡単だ。これは要するに、ダブステップ/グライム世代における20年前のブラック・ドッグ・プロダクションズやグローバル・コミュニケーションのようなものである。『セヴァレント』は、ダンスフロアの熱狂の軌道修正という意味でも、そして夢想的な上もののシンセサイザーやスモーキーな感覚においても、〈ワープ〉の『アーティフィシャル・インテリジェンス』のダブステップ・ヴァージョンと言える。当たり前の話、さすがに当時ほどの楽天性はないものの......というか、むしろ絶妙なセンスでグライムの黙示録的な終末感が展開されているというのに、つまり本人にはそのもつもりはないだろうけれど、僕には古典的な〈ワープ〉サウンドの新世代による再解釈としても聴けてしまう。マイケル・パラディナスが、そして佐藤大や稲岡健がこれを嫌いなはずがない。『ピッチフォーク』はOPNなどと比較しているが、どうだろう。こちらのサウンド・プロダクションの骨格をなしているのはクラブ・ミュージックだ。『セヴァレント』はダブステップとグライムによって更新されたエレクトロニカないしはチルアウトなのである(たとえば2曲目と3曲目などは涙ものです)。

 もうこの際だから、90年代の豊かさを再発見する意味でも、〈ワープ〉をライセンスしているビートインクあたりがこの時代の音源を再発をするのもいいのではないだろうか。クエドから入った若いリスナーが1991年から1994年あたりまでの〈ワープ〉に代表されるUKのテクノ(あるいはまたアイトホーフェンのテクノ)を好きになるのは目に見えている。この手のサウンドに関しては当時の日本からも〈ダブレストラン〉や〈トランソニック〉、〈サイジジー〉といったレーベルを中心に良い曲がたくさん生まれているわけだし。

King Midas Sound - ele-king

 リミックス・アルバムとはDJカルチャーからきているので、意味や歌詞よりも、まずはダンスフロアで音を楽しめれば良いという価値観に基づいている。どっかの欧米のメディアのレディオヘッドのリミックス盤のレヴューで、「この世界にはより深くハードに聴く1枚のアルバムというものがあるのだ」とリミックス盤を批判していたが、そうした作家に対する神話性ないしは絶対的なものを相対化するのがリミックスという作業なのだから批判になっていない。レディオヘッドのオリジナルが猥雑なダンスフロアで流れることに価値があり、もし議論するなら、たとえば"ロータス・フラワー"のリミックスはSBTRKTとジャッケス・グリーンのどっちが良いかという点だ。

 ザ・バグの名義で知られるケヴィン・マーティンとロジャー・ロビンソ(トリニダード・トバコ出身のディアスポラ詩人)のふたりによるキング・ミダス・サウンドは、ロンドンの〈ハイパーダブ〉からの2009年の素晴らしいデビュー・アルバムによってリスナーの度肝を抜いた。ザ・バグのロンドン流のサウンドシステム文化を特徴づけるハイブリッディを踏襲した『ロンドン・ズー』(ダブ、レゲエ、グライム、ダブステップ、ヒップホップ、IDMなどの混合)からの流れを、大胆な抽象的なダブ・サウンドとして展開したのがそのアルバム『ウェイティング・フォー・ユー......』は、いま思えばブローステップ(この1年、ばかみたいに盛り上がっているレイヴ系ダブステップ)へのアンチテーゼという意志があったんだなと思える。ケミカルでノリノリのブローステップに対してこちらはストーンしっぱなし、チルアウトである。

 『ウィズアウト・ユー』は『ウェイティング・フォー・ユー......』のリミックス・アルバムだが、これに関しては同じ穴のムジナが集まっているので、レディオヘッドやビョークのリミックス盤と違って、くだんのようなまわりくどい説明はいらない。
 クエド(〈プラネット・ミュー〉から脅威のデビュー・アルバムを発表)、ベテランのD-ブリッジ、説明不要のフライング・ロータス、来年のアルバムが楽しみなクーリー・G、もっとも尊敬を集めているダブステッパーのマーラ、個人的にはまったく良いとは思えないが人気のあるベーチャン・フォロワーのディープ・コード......、それから〈ハイパーダブ〉を仕切る大学教授のコード9による終末的エレクトロニカ、レーベル・コンピレーションにも参加していた日本人女性、キキ・ヒトミの奇妙なダンスホールもある。まあ、このあたりはいわば同志による変換作業だ。いまどきのベース・ミュージックとして括られる。
 『ウィズアウト・ユー』が面白いのは「同じ穴のムジナ」の「穴」を拡張していることにある。〈ハイパーダブ〉とはどこに接点があるのかわからないようなブルックリンのインディ・ポップ・バンドのギャング・ギャング・ダンスもリミックスしている。〈スリル・ジョッキー〉からアンビエント・アルバムを出しているロバート・ロウ、そして、そう、チルウェイヴ・シーンからはフォード&ロパーティンのジョエル・フォード(OPNのほうではない。歌っているだけだが、この参加は驚きだ)がその自慢の喉を震わせれば、2011年は〈メキシカン・サマー〉からのシングルがヒットしたナイト・ジュウェル(これもかなりの驚き)、そして〈ハイパーダブ〉が我慢できずについにライセンスを交わした奇才ハイプ・ウィリアムス(黒人男性+白人女性のコンビ)が参加している。どうですか、これは......ケヴィン・マーティンの若い頃の経歴、ゴッドやテクノ・アニマル、あるいはEAR (ソニック・ブーム)への参加を思えば理にかなっているのかもしれないが、それでも冒険的なメンツだ。ギャング・ギャング・ダンス、ジョエル・フォード、ナイト・ジュウェルの3組は、意外性、そして今日のエレクトロニック・ミュージックにおける微妙な細分化をネットワークするという点において、つまりロンドン流のサウンドシステム文化を特徴づけるハイブリッディな展開という点においてまったく素晴らしい。結果として、それら3組による官能的かつ退廃的なリミックスが印象的だ。
 レディオヘッドの『TKOL RMX 1 2 3 4 5 6 7』が作家の君主制度(そしてそれをあがめるリスナー)に対する反論でもあるなら、キング・ミダス・サウンドの『ウィズアウト・ユー』は拡大の戦略である。最大の驚きを最後に言おう、ご存じの方も多いだろうが、グリーン・ガートサイド――ポスト・パンクにおける高名なフランス左翼思想かぶれにして、最高の転向者かつ成功者のひとり、そして落ちぶれ者――が歌っていることだ(UKの音楽シーンにおいて、デリダとラカンは、こうしてギルロイと結ばれたってことか)。

James Ferraro - ele-king

 ベスト・バイは、日本で言えばヨドバシ・カメラやビック・カメラのようなアメリカの超巨大家電チェーン店だが、しかしそれは主として郊外にある。フォックス・スポーツはFOX社のスポーツ中継番組で、アメリカンフットボールをはじめ、メジャーリーグベースボールも放映している。昨年、〈オールド・スペリング・イングリッシュ・ビー〉からアナログ盤として再発された(オリジナルは2008年のカセット・リリース)ジェームズ・フェラーロの『ラスト・アメリカン・ヒーロー』のスリーヴ・アートは、ベスト・バイの鮮やかな発色の青と黄の看板の写真が使われている。裏側にはフォックス・スポーツのロゴ、そしてベスト・バイの駐車場に駐めてある車とロボットがコラージュされている。封入されたライナーノーツには、アメリカの郊外におけるスプロール化に関する記述、「表紙の写真は空虚な世界における現代のゴモラ寺院たるベスト・バイ・プラザ・センター」、ロボットについては「グーグル以降のデジタル・コロシアムにおける闘士」などという説明もある。

 今日のアメリカにおいて中産階級の貧困化は大きな社会問題のひとつとしてある。アメリカにある程度の時間滞在したことがある人にはわかる話だが、しかし日本における貧困とアメリカのそれとは違う。アメリカは、そのスプロール化と郊外の巨大なウォール・マート文化、その住宅事情だけを見たら、たとえば東京郊外のニュータウンや北関東の住宅地など何と説明すればいいのだろう、そもそもの国の豊かさの基準がどれほど違うのかという話でもある。
 『ラスト・アメリカン・ヒーロー』は、そうしたアメリカの郊外文化の豊かさと貧しさの両側をシニカルに描いている。作品からは、木々などの自然がところどころ部分的に残っているような、キレイに整備された広大な住居地域の、日本人(もしくはイギリス人)からしたら羨ましくなるような、それなりに広い一軒家のなかで、車で買ってきた1ガロンのマウンテンデューを冷蔵庫から取り出してアメフトに熱狂する母親、そしてその奥の部屋に閉じこもりっぱなしでPCに向かっている肥満体の青年を思わず想像してしまう。
 だいたいフェラーロの異常な数のリリース(2008年で7作、2010年は18作のアルバム)をdiscogsを見ながら数えていると、彼自身が手に負えないオタクなのではないかと思えてくる。彼のポートレイトを見ると、名前の通りラテン系顔の、70年代のディスコから飛び出してきたように見える。

 『ファー・サイド・ヴァーチュアル(仮想の向こう側)』は、しかし2011年に彼が発表する唯一のソロ・アルバムである。1枚、彼はダニエル・ロパーティン(OPN)らとの共同作品を出しているが、ソロ作品は2010年末の『ナイト・ドールズ・ウィズ・ヘアスプレー』以来となるようだ。
 前作ではMTV的な消費文化としてのアメリカン・ポップを主題としていたが、この新しいアルバムで彼は、アートワークが暗示するように、タッチスクリーンが表象するある種の快適さを扱っている。ゆえに楽曲は、まるで嘘のようにポップで、キャッチーで、わざとらしいほど心地よい。"あなたのマックが眠っているあいだのスターバックス、スジズム博士"、"ヤシの木、Wi-Fiと理想の寿司"、"グーグル詩集"、"グローバルな昼食"、"リンデンドル"(有名な仮想貨幣ですね)......ずいぶんと興味深い曲名が並んでいる。作り方はほとんどOPNと同じだと思われるが、展開される音楽は別だ。1980年代の映画『コヤニスカッツィ/平衡を失った世界』におけるフィリップ・グラスと比肩される今作だが、フェラーロはデジタル時代の病的なまでの快適さを実に巧妙に描いている。繰り返すようだが、やけに軽快なのだ。デジタル時代のマーティン・デニーのように、そう、最後の2曲、"分譲マンションのペットたち"の暗さ、そして"太陽光発電の微笑み"の微妙な曲調を除けば。

Co La - ele-king

 リスナーが音楽のなかに快楽とユーモアを求めているなら、通学や通勤のときのげんなりした気持ちを鼓膜を通じてupしたいのなら、本作『デイドリーム・リピーター(夢想中毒者)』を推薦しよう。コ・ラ(Co La)......コカ・コーラ(Coca-Cola)からカ・コ(ca-co)を削除した名義のこれは、バルチモアのドローン/ノイズのバンド、エクスタティック・サンシャインのメンバー、マット・パピッチによるプロジェクトで、そして『夢想中毒者』はそのデビュー作となる。
 『夢想中毒者』は、ある意味ではダブ・アルバムである。しかしこのダブは、キングストンはもとより、ダブステップの重さともベーシック・チャンネルのミニマリズムとも、あるいはハイプ・ウィリアムスの深い酩酊とも、〈ジャータリ〉のロービットともまったく異なっている。ディレイにエコーといったダブのクリシェを多用しながらも、そのドライなポップ・アート的なセンスにおいて過去にあるどんなダブとも一線を画している。キング・タビーのサウンドシステムを地中海に移動して、そしてハウス・ミュージックとフィル・スペクターがミックスされるとしたら......それが『夢想中毒者』のいち部分である。
 ダブでありながらベースが軽いという点も、コ・ラの想像力の豊かさを物語っている。"ビー・マイ・ベイビー"を使ったくだんの曲"ウォナ・セイ・フォー"、あるいはグレイス・ジョーンズの"マイ・ジャマイカン・ガイ"を使った"マイ・ジャマイカ"のように、あるいはザ・グレディエイターズの"ミュージック・メイカーズ・フロム・ジャマイカ"を使った"円滑な団結"なる曲のように、既製品を再利用したループの編集という点ではOPNと同じで、間違いなくレゲエのリスナーよりもOPNないしはジェームス・フェラーロのファンのほうがシンパシーを抱くだろう。いわばベッドルームのポストモダン・ポップ、と同時にアルバム・タイトルが言うように、ポスト・チルウェイヴ/ポスト・スクリューでもある。"カクテル""ストックホルムで燃えているもの""エジプトの桃""ベルギーの枕""グリーンのシャム人"などといった人を食ったような曲名が並んでいる。皮肉っぽいユーモアが込められたアートワークも秀逸で、充分に人目を引くものだ。そして、それはまったくアーシーではない。自動的にダビーなニュアンスを想起させたりはしない。が、しかし、それでもこのアルバムは聴覚的に言って、ダブなのだ。

 バーモント州のカナダとの国境沿いの街、バーリントンを拠点とするカセット・レーベル〈NNA・テープス〉から、ヴァイナルと配信のみのリリース。

Qluster - ele-king

Kではじまるクラスターからコンラッド・シュニッツラーが抜けてCではじまるクラスターになり、さらにメビウスの代わりにオンネン・ボックが参加してQではじまるクラスターに。あはは。ボックはレデリウスがメタル・ボウルなどの演奏で参加していたクリスチャン・キュービック(裏アンビエントP102)の人脈からフック・アップされたようで、ツァイトクラッツァー・アンサンブルの一員として活動するサウンド・インスタレイションの若手。

CとQは並行して活動を続けるらしく、それはつまり、レデリウスから溢れ出る創作意欲をメビウスだけでは受け止めきれないということなのか、いずれにしろレデリウスとクリント・イーストウッドはいまや暴走老人の域に達していることはたしか。2011年にレデリウス・ミュージックから配信されたコラボレイションの数は......とにかく多い(ちなみに寡作とはいえ、09年にリリースされたメビウスのソロ作『クラム』の評価もかなりのもの)。

Qではじまるクラスターも、デビュー作『フラーゲン』は東日本大震災の直後にリリースされ、年内にはライヴ・アルバム『ルーフェン』も間に合うというハイ・ペースぶり。モーガン・フィッシャーとのジョイント・アルバム『ネヴァーレス』や、とくにティム・ストーリーとの『インランディッシュ』で印象付けられたように、ここ数年、ニュー・エイジ色が強くなっていたレデリウスの嗜好をそのまま反映していたスタジオ作に対し、ライヴ・ワークでは緊張感を増した実験性が回復し、完成度では圧倒的にこちらを取りたい。あるいはニュー・エイジとサウンド・インスタレイションは、つい最近までは似ても似つかぬものだったのに、アンビエントという概念によってそれらは奇妙な融合を成し遂げ、低俗とアカデミズムはあっさりと横断されていくと聴くこともできるか。一部でミュージック・コンクレートとイージー・リスニングの境界が失われつつあるように、ロマンとアンチ・ロマンがせめぎ合うというのが時代の要請なのだろう(?)。

ニュー・エイジというキーワードの復活にはOPNもひと役買っているところがあるとは思うけれど、2011年のみならずアンビエント・ミュージック全体でもベスト10内には必ず入ってしまうに違いないアリオ・ダイ&ツァイトの3作目『イル・ジャルディーノ・エルメノイティコ(解釈学的庭)』から半年ほど後にリリースされたダイのソロ18作目にもニュー・エイジとの危ない橋を渡ろうとする傾向は聴き取れる。ツァイトとのコラボレイションでは華やかで明るく、人生への祝福に満ちたファンタジーが基調をなしていたのに対し、『ハニーサックル』では同じように慈しみと類まれなる穏やかさを感じさせながら、どこかに抑制された情念や漠然とした不安を潜ませている。「悪い予感のかけら」とでもいうのだろうか、作風の落ち着かない人なので、近作との関連性や反動といったものから生まれたものではないと思うものの、『イル・ジャルディーノ・エルメノイティコ』ほど誰彼にでも薦めたいものではなく、この感じが必要な人に上手く伝わればいいなと思うだけである(こんな書き方ではとても無理だろうけれど......)。

Oneohtrix Point Never - ele-king

 紙ele-kingの「0号」に載ったダニエル・ロパーティンのインタヴューを読んで、彼がたとえるところの「歯医者の治療音とその場に流れるBGMのソフト・ロック」という言葉のなかに、三田格が文中で指摘する「ノイズとアンビエントも等価」もさることながら、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(OPN)のユーモア体質を確認した。フォード&ロパーティン名義の作品におけるシニカルな風刺ないしはその低俗さもそれを思えば「なるほど」といった感じである。ところが、アメリカのあるレヴュワーときたら「『リターナル』が(不確実的シナリオを基礎としたオープンスペースの超認識ヴィジョンにおける)ルソー的作品であるなら『レプリカ』はデュシャン的だと言えよう」などと書いている。最初にこの一文を目にしたときに「ルソー的」というたとえをてっきり「社会契約論」のルソーのことだと思いこんで、「おー、そこまで言うかー」と思案してみたものの、考えてみればデュシャンと対比しているわけだから印象派の画家のルソーのことかと理解した。当たり前のことかもしれないが、「Rousseau record」という欧文だけでは我々にとっては人文学者のルソーのほうが身近だと思える(?)......というか、『リターナル』というアルバムはデジタル・ミュージックにおける新たな社会契約論めいた大きなインパクトとして2010年にリリースされている。

 そもそも......サンプリングが応用されてから久しい現代のポップには「デュシャン的」な展開はずっとある。卑近な例のひとつを言うなら11年前に咳止めシロップと大麻の幻覚とターンテーブルの実験の果てに他界したDJスクリューが発見した"スクリュー"の急速な拡大がある。ジェームス・ブレイクの"CMYK"もウォッシュト・アウトの"Feel It All Around"も、既製品を面白くいじくることが作品のアイデアの中心にある。そしてOPNの新作『レプリカ』も、ガラクタをそれなりにきちんと陳列した「デュシャン的」作品だと言えよう。歯科医院の摩擦音をはじめ、TVゲーム、くっだらない深夜のムード音楽、音楽ファンからは見向きもされないような安っぽいジャズ......とてもディスクユニオンでは買い取ってもらえそうにない価値のない音ばかりが『レプリカ』ではセックスアピールを持った亡霊のように拾われ、ループとなって、エディットされる。
 いかにも欧州的な芸術趣味を押し通すウィーンの〈エンディションズ・メゴ〉でのリリースを経て、どちらかと言えば俗っぽいブルックリンの〈メキシカン・サマー〉傘下に自ら指揮する〈ソフトウェア〉からのリリースということもあるのだろうけれど、たとえば『ピッチフォーク』が収録曲の"Sleep Dealer"を「スティーヴ・ライヒのポップ・ヴァージョン」と形容してしまうように、『リターナル』を起点とするなら『レプリカ』はフレンドリーに聴こえる。低俗さを創造的なポップとして展開することは、それこそレジデンツや中原昌也もすでにやっていることではあるけれど、『レプリカ』という作品はハイプ・ウィリアムスのようなポスト・チルウェイヴ......、いや、ポスト・スクリューという明日に開いている。エイフェックス・ツインの"ウィンドウリッカー"の次を狙っているのは、本当にロパーティンかもしれない。

Tuusanuuskat - ele-king

 フィンランド・アンダーグラウンドからサミ・サンパッキラとヤン・アンデルセンによる初のジョイント・アルバム......と、書いてもわかる人は少ないだろう。サンパッキラは(ハンガリー語の糸を意味する)〈フォナル・レコーズ〉を運営しながらエーアス(ES)という名義で5枚のソロ・アルバムをリリースし(裏アンビエントP221)、一方のヤン・アンデルセンはトムトント(Tomutonttu)の名義で(スペルは違うけれど発音は同じ)2枚のソロ・アルバム『トムトント(Tomutonto)』(06)と『トムトント(Tomutonttu)』(07)によって一気にその才能が知れ渡った奇才(今年の初めにはツアーで仲良くなったというOPNとスプリット・シングルをアルターからもリリース)。二人ともフォナルの看板プロジェクトともいえる9人編成のケミアリセト・イスタヴァット(=化学友だち、『ゼロ年代の音楽』P170))としても10枚近くのサイケデリック・インプロヴァイゼイションを展開するメンバー同士だったものが、ふたりだけのコラボレイションはこれが初めて。両者の個性が見事に交じり合った充実の1枚に仕上がり、アシッド・ハウス以降のヘンリー・カウ=ユーロ・インプロヴァイゼイションがどこまで来たかを教えてくれる。ユニット名はトウサノウスカト(=全部めちゃくちゃになる)、タイトルは『ナークサー・ナー・モン・クーナレート』......と読むらしい)。

 前半はテリー・ライリーを思わせるユーフォリック・ドローンにアシッドで引っかき傷をつけていくようなSEがこれでもかと被せられ、単純に明るいドローンを聴かせるようになっただけのアメリカとは同じ方向を見ているようで、少し差のある展開を聴かせる。そのつもりはなかったのかもしれないけれど、長い時間をかけてアンビエント・ミュージックとしての体裁が整ってきたエーアスに対して、アシッド・ミュージックの新たな地平を切り開こうとするトムトントにはかなりの癖があり、あっさりとは取り付けなかった部分があったところを、前者が全体にスケール感を与えることで、ダイナミズムと細部が同時に生きる構造を獲得したということになるのだろうか。これを聴いてしまうとエーアスもトムトントも物足りなく感じられるようになってしまったこともたしかで、今後はそれぞれが自分に足りなかったものをそれぞれのソロ・ワークに持ち帰ってくれることを願うばかり。後半はケミアリセト・イスタヴァットでも積極的に取り入れてきたフォークロアも素材として取り込みつつ、かなり混沌とした印象を与えるミニマル・サウンドやジ・オーブがシューゲイザー化したような荘厳なサイケデリック・ドローンを配置。トリップ・ミュージックとして、まったくの文句の出ないエンディングへとなだれ込む。優雅と野蛮の同居。これに対抗できるのはやはりラスティ・サントス率いるザ・プリゼントだけだろう。

 レイヴ・カルチャーの果てに進んだ実験音楽と快楽主義の混交ははまだまだ大きな地平を用意しているのかもしれない。エメラルズやグローイングのようにメジャーへのベクトルを持つことだけが能ではない。快楽主義にはむしろ潜むべき場所というものがあるはずだろう。

 なお、アナログ盤は未確認ですが、CDパッケージにはストライプ模様のアセテート・フィルムが帯としてつけられていて、これをスライドさせていくとジャケット・デザインがどんどん変化して見えるという仕掛けが施されています。これは一見の価値アリ。つーか、帯にこんな使い方があるとは...

Ford & Lopatin - ele-king

 まずはこのレトロフューチャーなアートワークをじーっと見て欲しい。青緑に発光するいかにも冷たそうなその部屋の壁には、TV、モニター、コンピュータ、サンプラーやシンセサイザー、MIDI機材、ヴィデオゲームのスティック......青年は機材に埋もれたベッドルームで寝そべりながらゲームをやって、そのまま寝てしまったのだろう、靴下すら脱いでいない......。快適そうだが牢屋のようでもある。アルバムの1曲目――「ようこそシステムIIへ。我々はあなたの夢を実現させることができます。チャンネル・プレッシャーを感じますか? あなたは永遠の生を望みますか?」
 これと似た曲がある。1984年にサイボトロンが発表した"テクノ・シティ"、ホアン・アトキンスとリチャード・デイヴィスによるデストピックなシンセ・ポップだ。「ようこそテクノ・シティへ。どうぞお楽しみあれ。ようこそテクノ・シティへ。あなたここを離れたくなくなるでしょう」
 『チャンネル・プレッシャー』を聴いていると、デトロイト・テクノの青写真ともなった未来都市への潜在的な恐怖が、いまではテクノロジーに囲まれた孤独な部屋へのそれにすり替わっているように思えてくる。リアルな会話をすることなく、ただヴァーチュアルな空間で結局はひとりで暮らしていることの恐怖。「眠るときに画面の残像が頭のなかでフラッシュするけれど、何も意味しやしない。僕たちはまだひとりぼっちなんかじゃないんだ。夜、僕たちがそこを立ち去ることができた夜......」"ブレイク・インサイド"

 フォード&ロパーティンはUSインディ・シーンにおける"スーパー・グループ"である......といってもデュオだが。メンバーのひとりは、2008年にロンドンのベン・ワットのレーベルからデビューしたブルックリンのグループ、タイガーシティのジョエル・フォード、もうひとりのほうは昨年オーストリアの〈エディション・メゴ〉からリリースされたアルバム『リターナル』が三田格と本サイトをはじめ欧米の音楽メディアで大絶賛を浴びたワンオートリックス・ポイント・ネヴァーのダニエル・ロパーティン。前者はトレイシー・ソーンの相方でもある老練たる耳を惹きつけた美しい歌声の持ち主、後者はノイズ/アンビエント/ドローンのいまもっとも勢いに乗っている実験主義者、そんなふたりによる最初のアルバムが『チャンネル・プレッシャー』だ。注目されてしかるべきだ。
 昨年、このふたりは最初はゲームスの名義で7インチのシングルを発表している。そのどろっとした感じはチルウェイヴそのもので、僕はOPNのチルウェイヴ・プロジェクトとしてその後を追うことにした。が、どろっとしたのは最初だけで、ふたりは潔いほど思い切りレトロスペクティヴな80年代スタイルを演じた。今年にはいると名義をゲームスからフォード&ロパーティンへと、よりシニカルな名義へと改名して、そしてウォッシュト・アウトのデビュー・アルバムのおよそ1ヶ月前にウォッシュト・アウトをデビューさせたレーベル(のサブレーベル)から自らのデビュー・アルバムを発表した。これは偶然なのか......それとも仕組まれた計画なのかはわからないが、このスーパー・デュオにはトロ・イ・モアやウォッシュト・アウトにはない黒いユーモア......さもなければペット・ショップ・ボーイズの皮肉屋めいた風刺のメロドラマがある。「部屋にひとり、TVを見ている。消すことなんかできやしない。アメリカ・ロックの力、毎度毎度お馴染みの歌......」"ヴォイシーズ"
 現代的なデジタル音楽への批評であろう"トゥ・マッチ・MIDI"という曲も"ヴォイシーズ"と同様にメランコリックなポップスで、我々はこれらにニュー・オーダーの(たとえば"ブルー・マンデー"の)幻影を見ることもできるが、しかし同時に、こいつら絶対にどこかでふざけているんだろうなとも思う。モードを弄んでいるというか、もちろんベタな80年代スタイルに終始しているわけではない。"スカムソフト"や"ニュー・プラネット"のような、おそらくは......OPNファンも納得するであろう実験的な曲もある。とにかく聴けば聴くほど猫を被ったアルバムだと思えてくる。何よりも示唆に富んでいるし、問題提起がある。

 クラブに出入りしているような人間の何割かは、要するに酒場好きというか、誰かとだらだら会っている感じが好きなのだろうから、ある意味では健康とも言える(それで癒されているのだから)。しかし、公共の場をヴァーチャルなところにだけ求めている人は危険かもね。誰か誘って飲みに出掛けたほうがいい。外に出れなくなる前に。「最初にこの異常事態を推測したのは誰。生きているようで鮮明な、クリアでダイレクトな、悔やまれる世界を予測したのは。MIDIを制御するんだ。心臓のテンポ、コミュニケーション、離れて破壊されている......」"ワールド・オブ・リグレット"

[Electronic, House, Dubstep] #7 - ele-king

1.Holy Other - With U | Tri Angle


amazon iTunes

E王  ハウ・トゥ・ドレス・ウェルでリスナーの度肝を抜いた〈トライ・アングル〉レーベルが送り出す、今年の注目株のひとり。マンチェスターのホリー・アザーによる5曲入りのセカンド・シングルで、ダブステップとチルウェイヴを通過したセイバース・オブ・パラダイスのゴシック・ロマンといった感じに聴こえる。女性ヴォーカルをフィーチャーした"タッチ"に関しては、さしずめジェームス・ブレイク+ジョイ・ディヴィジョンといったところだろうか。
 B面の"ウィズ・ユー"はポーティスヘッドによるダーク・アンビエントのようで、"フィーリング・サムシング"にはブリアルをフェミニンに展開したような甘美がある。12インチ1枚でアルバム並みに大きく騒がれるのはジェームス・ブレイク以来のことだが、たしかに騒がれるに値する内容だ。

2.Ford & Lopatin - Emergency Room | Software


amazon iTunes

 そろそろファースト・アルバム『Channel Pressure』が店頭に並ぶ頃だろう。OPNのダニエル・ロパティンとジョエル・フォードによるチルウェイヴ・ユニット、ゲームスあたらめフォード&ロパティンに改名してからの最初のシングルで、笑ってしまうほどキャッチーな80年代シンセ・ディスコ。な、なんなんだよ~、これは~。ゲームス名義の最初の7インチにあったドロッとした感触は見事に払拭されて、さわやかに聴こえるほどだ。B面では〈DFA〉のギャヴィン・ルッソムによるリミックス、ザ・バグによるダブ・ヴァージョンが収録されている。アルバムは店頭に並んだら買う予定。

3.Fatima - Follow You | Eglo Records


amazon iTunes

E王 ロンドンの〈エグロ〉レーベルは、ポスト・ダブステップにおいてもっとも大人びでいるレーベルだ。ミズ・ビートの「Are We The Dictators?」がそうだったように、このレーベルにはジャズ/ソウルといった明確な音楽的なヴィジョンがある。ドラムンベースで言えば4ヒーローのような役割を果たすのだろう。
 レーベルの運営に関わるフローティング・ポイントがトラックを作っている女性シンガー、ファティマ・ブラム・セイのセカンド・シングルは、このレーベルの底力を見せつける。ファティマの素晴らしいヴォーカリゼーションだけでも充分に魅力だが、フローティング・ポイントによる瑞々しいトラックがこの12インチを特別なものにしている。B面に彫られた"レッド・ライト"はいかにもUKらしいジャズの香気をもったキラー・チューンである。ネオ・ソウルのシーンにおけるエースの登場といったところだろうか。

4.Floating Points - Faruxz / Marilyn | Eglo Records


amazon

 いま出たものすべて買ってもハズレがないのが〈エグロ〉レーベルとフローティング・ポイントで、片面プレスの10インチ「Sais Dub」の前にリリースされたこの12インチは彼らしい、優雅なアンビエント・テイストとポスト・ダブステップのビートとの美しいブレンドとなっている。A面の"Faruxz"は、いわばデトロイティッシュな濃いめの叙情性が広がっている。動くベースライン、メランコリックなストリングス、瑞々しいフルート......アズ・ワンとラマダンマンの溝を埋めるのはこの男だ。

5.Gang Colours - In Your Gut Like A Knife | Brownswood Recordings


amazon iTunes

 これはジャイルス・ピーターソンのレーベルから期待の新星、そのデビュー・シングル。なかなか侮れないというか、素晴らしいほどトロっトロっのネオ・ソウルで、日が暮れてからでなければ聴きたくないような、美しい真夜中の音楽なのだ。確実にポスト・ダブステップを通過した音数の少ないビートが心地よく、そしてジャズ・ピアノはアシッディな電子音とダブの空間的な録音のなかで絡みつく。ギャング・カラーズは、ファティマとともにネオ・ソウルの主役となるのだろう。はっきり言って、期待を抱かせるには充分な出来である。

6.Vessel - Nylon Sunset EP | Left_Blank


amazon iTunes

 ブリストルからダンスフロア直撃の1枚。ユニークなビート・プログラミングとカオスを秘めた、得体の知れないポスト・ダブステップ系だ。いわばハマり系の音だが、インストラ:メンタルのようにノスタルジックではなく、アディソン・グルーヴをディープ・ハウスと掻き混ぜたような感じというか。タイトル曲の"ナイロン・サンセット"などはいわゆるどんキまり系のドラッギーな音で、ちょっと恐いなーという気もするけれど、ビートの細かいアクセントは面白く、ベルリンというよりもシカゴやデトロイトに近いかもしれない。ペヴァリストもリミックスで参加している。

7.Greg Gow - Twilight Soul EP | Transmat


amazon

 カナダのトロント在住のDJ/プロデューサーによる2年前の「The Pilgrimage EP」に続いて〈トランスマット〉からは2枚目となる12インチ。もう一貫してデリック・メイ好みというか、思わず走り出したくなるような真っ直ぐなデトロイト・テクノで、「勇気を持て~持つんだ~」と言われているような気持ちになる。

8.Joker - The Vision | 4AD


amazon iTunes

 大手〈4AD〉と契約を交わしたジョーカーのアルバムに先駆けて発表されたホワイト盤で、SBTRKTでもお馴染みの女性シンガー、ジェシー・ウェアのR&Bヴォーカルををフィーチャーしている。グラスゴーの〈ラッキー・ミー〉やロンドンの〈ナイト・スラッグス〉、日本ではエクシーあたりともリンクするような、派手目のシーケンスが鳴り響くダウンテンポのUKベース・ミュージックで、当たり前だがやっぱ若い。若者の音楽です。

d'Eon / Grimes - ele-king

 近年のポップ・カルチャーの主題にある種の精神疾患が入り込んでいるのは、音を喩えるさいに"フォビア(恐怖症)"という用語が加わったことからも察することができるけど、この音楽についてもその筋ではR&Bのアゴラフォビア(広場恐怖症)・ヴァージョンなんて形容するようだ。イギー・ポップの"デス・トリップ"(おまえと俺は落ちていく......)で歌われたようなロックのファンタジーから遠く離れた不安だが、しかもその歌メロはR&Bからきているようにポップなのだ。

 まずは女性のほう、グライムスに関しては、先日最初のソロ・アルバムをロンドンの〈ロー・レコーディングス〉からライセンス・リリースしたばかりで、わが国でもチルウェイヴのリスナーを中心に話題になっている。4オクターブの声が出るように特訓を積んだというグライムス=クレア・ブーシェは、パンダ・ベアとアリシア・キーズからの影響を、ダフト・パンクを非情にも串刺しにしたようなエレクトロ・ポップのなかにミックスしている。ウィッチ・ハウスやヒプナゴジック・ポップないしはアンビエント・ポップの流れで紹介された彼女のそれは、パニック症候群になったドナ・サマーの風変わりなポップ・ダンスようで、これをIDM~コズミック・ディスコと追ってきたロンドンの〈ロー・レコーディングス〉が目を付けるという流れもまた、いま動いている変化を表していて面白い。
 流れについては、ディオンの話も魅力的である。幼少期から音楽のトレーニングを積んできたモントリオール(いま、もっとも文化が白熱している街と言われている)の神童として名高いという彼は、学業を休み、チベット音楽を学ぶためにチベットの寺院で修業を積んで、帰国後はダニエル・ロパーティン(OPN)らとアンダーグラウンドの実験へと手を染めている。そして、OPNのチルウェイヴ・プロジェクト、ザ・ゲーム(あるいはハイプ・ウィリアムス)のリリースで知られるLAの〈ヒッポス・イン・タンクス〉からデビュー・アルバム『ペリナプシア』を昨年発表している。

 本作『ダークブルームEP』は、そうした......チルウェイヴ以降の地下変動に関わっているカナダのふたりのキーパーソンによるスプリットである。片面がディオン、もう片面がグライムスで、ここには最新のシンセ・ポップに顕著なスタイルが凝縮されている。その青写真は80年代のエレクトロ・ポップにあり、両者ともにパンダ・ベア以降の声の重ね方、ロング・トーンのチョップド・ヴォイスとそのループを駆使しているが、ふたりの個性は出ている。ディオンはリズム・トラックに工夫を凝らし、グライムスはよりハーモニーに重点を置いている。とくにグライムスによる"ヴァネッサ"はベスト・トラックで、このキャッチーな曲を聴いていると彼女はひょっとしたらリッキ・リーと並んで新しいポップ・アイコンになれるかもしれないと思う。いっぽう、ディオンのほうは陶酔的な"サウザント・マイル・トレンチ"がとくに印象的だ。この人のクセのある歌声は好き嫌いが分かれるだろうが、いかにもチルウェイヴ的な陶酔は悪くない。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29